研究史ノート  (小林文人)

                               
<目次>
1,沖縄研究(1976〜)
→■ 沖縄字公民館(2002〜)→■  
2,大都市社会教育研究と交流の集い(1977〜)→■
3,杉並の公民館・原水禁運動・安井家資料研究・記録(1980〜)→■
4,東京・三多摩社会教育の歩み研究(1988〜)→■
(2012〜)→■
5,東京の識字実践1992−第二次識字マップ調査報告(1992)→■
6,地域と社会教育の創造−多元的・複眼的に−末本誠・他編『地域と社会教育の創造』(エイデル、1995年→■
7,研究室づくり・ゼミの空間・曲折の歩み
(1995〜 東京学芸大学)→■
8,TOAFAEC (東京・沖縄・東アジア社会教育研究会)創設(1995〜)
→■ 年報「創刊の辞」(1996)→■
9,「南の風」創刊(1998年)→■ バックナンバー(1998〜2014年・進行中)
→■
10、東アジア研究−新しい地平(TOAFAEC年報16号、2011)、専門職と市民(同17号、2012)→■
11、公民館60年の歩みが問いかけるもの(日本公民館学会・公民館60年記念講演、2006年)→■

12,日本公民館学会創立の前史(日本公民館学会発行「研究大会記録集」2007)ほか
本ページ
13、日本公民館学会創立10周年記念講演(2013・七月集会)「公民館の課題と可能性 
                     −学会10年の回顧と展望
本ページ
14, 『社会教育・生涯学習辞典』(朝倉書店、2012) @編集10年ー回想・記録 本ページ
 −A日本社会教育学会紀要・2013年度49-2 『社会教育・生涯学習辞典紹介』
本ページ 
 −B社会教育の「ことば」に生命を吹き込む『辞典』づくり−
社全協通信 249 (2013年11月)本ページ
15, TOAFAEC 20年の歳月−いくつかの回想 (「東アジア社会教育研究」第20号 2015年)本ページ
 (2)TOAFAEC の歩み回想・@〜I 覚書として
(「南の風」記事ほか、2015年)本ページ
16, 東アジア教育改革20年-1990年代の躍動(年報22号・特集「総論」)2017年→■






1,〜10東アジア研究−新しい地平専門職と市民(別ページ)





11,公民館60年の歩みが問いかけるもの
   (日本公民館学会・公民館60年記念講演、2006年
→■





12,日本公民館学会創立の前史
    *日本公民館学会年報編集委員会編「研究大会記録集」(2007
)所収  小林文人(初代会長)


 日本公民館学会は2003年5月17日に正式に発足した。学会創立の準備段階から積極的に関わった奥田泰弘は、初代事務局長として学会年報・創刊号(2004年11月発行)に「学会の歩み(2003〜2004年)」を簡潔に記しているが、その前史として、「学会設立に向けての話し合いの会の第1回目を持ったのは2002年2月22日であった」と書いている。さらに、学会の将来について「それぞれの希望と不安」を抱えつつ、同年4月21日の第2回において「設立趣意書」について検討し、次いで第3回(6月15日)、第4回(8月19日)では学会「会則案」や「呼びかけ人になってください」等の文面が検討された。設立総会まで1年余の前史があったことになる。
 しかし実際には、その前年(2001年)秋から学会づくりに向けての予備的な検討が始まっていた。さらにこのような動きが始まる背景や経過を考えてみると、前史にいたる前々史ともいうべき流れがあった。

 公民館に関する理論研究や調査活動は、日本社会教育学会の発足(1954年)によって大きな展開をみせるようになった。社会教育学会の初期段階から公民館研究は重要な研究テーマの一つであり、毎年度において新しい調査研究・共同研究が重ねられてきた。当時は学会が継続的に共同で取り組む研究課題として「宿題研究」が掲げられたが、1961年度より公民館を宿題研究テーマに選び、小川利夫等を担当理事として学会年報第9集『現代公民館論』(1965年、国土社)がまとめられている。また関連して社会教育法制・行政研究等の取り組みの中でも公民館は常に重要な研究課題に位置づけられてきた。
 日本社会教育学会にとどまらず、公民館に関する研究は、全国公民館連合会や日本教育法学会等においても、さまざま取り組まれてきた。詳述する紙幅はないが、たとえば公民館に関する立法論・法制論、あるいは公民館基準論や公民館職員(とくに専門職制化)研究など。建築学会の分野でも公民館の施設論や計画論についての研究が蓄積されてきた。それぞれに専門的継続的な研究が組織されたが、「学会」という名の独自の研究団体を設立するという動きにはいたっていない。

 このような研究史を背景において、2002年初頭の公民館学会「前史」につながる直接的な研究活動として、とくに二つの共同研究の動きをあげておく必要があろう。一つは、日本社会教育学会が公民館制度創設50年を記念して特別年報編集委員会を組織し(1996年)、同学会あげての公民館についての地域研究・共同研究がおこなわれたことである。その成果は特別年報『現代公民館の創造』(1999年、東洋館出版社)として刊行されている。また姉妹編的な位置づけをもって、これに収録できなかった海外研究と地域史研究が『世界の社会教育施設と公民館』(小林文人・佐藤一子共編、2001年、エイデル研究所)にまとめられた。
 あと一つは、公民館研究者及び全国各地の実践家有志による「公民館史研究会」の活動があったことである。1984年秋より数回の研究会が開かれた経緯があるが(「公民館史研究・会報」第1号、横山宏)、中断を経て、本格的な取り組みとしては1990以降のことであった(奥田泰弘の発意に追うところが大きい)。公民館に関する歴史資料・証言等の収集保存と公民館実践の継承をめざし、1991年より毎年の集会が開催され、1992年より前記「研究会報」(2002年・20号)、「公民館史研究」(1号・1992年、2号・1995年、3号・1998年、4号・2000年)等の発行が重ねられてきた。発会から中心的役割を担った代表・横山宏の逝去もあり、第20回研究集会(2002年)をもって幕を閉じたが、新しい公民館研究と交流の組織化への期待が底流にあった。公民館史研究会の少なからざるメンバーが、公民館学会の創設に参加するという経過がその証左であろう。公民館に関する専門学会を創立しようという気運は、このような背景のなかで少しづつ醸成されてきたということができる。
*補注:2013年7月「公民館学会10周年・記念講演」において一部(1984年の経緯等)が補足され、追記されている。

 話をもとに戻そう。2002年「前史」において、学会設立にいたる準備の話し合いは8回を数えている。同年6月の日本社会教育学会六月集会(神奈川大学)では、この準備会が中心となってラウンドテーブルが企画され、「公民館研究のこれまでとこれからー『現代公民館の創造』『世界の社会教育施設と公民館』をどう受け継ぐか」をテーマに論議がかわされ、新しい学会を設立する最初のアピールの場となった。10月に開かれた社会教育学会研究大会(北海道大学)でも同テーマによるラウンドテーブルが開催されている。
 公民館学会の設立を呼びかける「趣意書」案は、準備会において数回にわたって論議され「草案」が練られた。これを付して、全国各地の関心ある関係者に「呼びかけ人となってください(お願い)」文が送付されたのは2002年9月23日であった。これに応えて、30名の「呼びかけ人」が揃い、翌年2003年4月18日の「公民館学会呼びかけ人総会」(会場・中央大学駿河台記念館)、同5月17日の学会「設立総会・第1回研究大会」(会場・中央大学理工学部校舎)へと結実することになる。呼びかけ人は「設立趣意書」(後掲)に名をつらね、新学会第1期の理事会を構成することとなった。

 この過程では、新学会の会則案が検討された。準備段階における学会会則・設立趣意書等をめぐっては談論風発、多彩な意見が交換された。学会を創設する意義は何か、どのような活動に取り組んでいくか、については会則や設立趣意書に示されている通りである。その間の論議や呼びかけ人からの意見としては、たとえば、自由・清新な学会の創造、研究的かつ実践・運動的な活動、研究者だけでなく職員・市民の参加、公民館に関する史料・情報センターとしての役割、関連・類似する地域諸施設の研究、海外との研究交流、などの諸課題がさかんに話し合われた経過がある。
 公民館学会が創立される意義や課題について、設立当時(2003年)とくに次の三点があげられている。「…(略)… 一つは、公民館五〇年余の歳月のなかで生み出されてきた膨大な史料や記録そして数々の実践・研究が蓄積されていることです。それらの価値を再発見し、さらに発展させて"公民館学"の構築をめざしていこうという思いです。第二は、公民館に関する学際的な研究への拡がりです。教育学的研究だけでなく、建築工学、社会文化学あるいは自治体学やコミュニテイ研究などの諸分野と共同して公民館研究を深めていく必要があります。そして第三には、最近の公民館をめぐる厳しい状況への危機認識があります。公民館が自治体の公的制度として確立してきた反面、制度自体の硬直化もあり、さらに行政改革や財政事情によって、これまでの制度的骨格が大きく揺るぎつつあります。この転換の時代に、公民館の未来へ向けて、どのような理論と展望をえがきだしうるか、新しい学会に問われている課題でしょう。…」(小林文人「日本公民館学会の挑戦−公民館の未来のために」会長挨拶、学会通信1号及び学会公式ホームページに掲載)。
 学会設立準備に向けての事務局は、中央大学文学部・奥田泰弘研究室によって担われた。



日本公民館学会創設にあたって(2003)、小林文人
  ・学会年報創刊号(2004)、
  ・第4回大会松本集会に向けて(2005)
  ・日本公民館学会編『公民館・コミュニティ施設ハンドブック』まえがき(2005)ほか →■



学会長退任・慰労会(神田・放心亭、20070127)   *後列中央に小池源吾(第2代)新会長







13記念講演:公民館の課題と可能性−学会10年の回顧と展望
            日本公民館学会10周年記念・2013年度七月集会、
            (法政大学市ヶ谷キャンパス、2013年7月20日)

                            小林文人(日本公民館学会・初代会長)

 はじめに
 学会10周年で話をする機会を与えていただいて、たいへん感謝しております。
松田副会長からやさしいメールがありまして、10周年だから、私の公民館研究に触れながら話をしてほしいとのことでした。思わずお引き受けの返事をしましたが、やはりお断りすべきだったのかもしれません。最初のプログラムは、13時までになっており、そんなに長い時間にわたって話をするような気力も体力もないものですから、困ったなと思いながら、ここで立っています。
 今、10年前の、2003年の学会創設の頃を思い起こしています。この10年、公民館はどんな時代だったのか。文科省の社会教育統計、2013年に発表された2011年段階の統計は、やはりおどろくべき数字が出たという実感です。1996〜2000年の統計から比べて、公民館の総数がだいたい2割減って、公民館職員の数が2割5分減、特に専任の公民館主事は約4割減、社会教育主事数は6割減、半分以下になっています。学会10年の歴史は、公民館数の統計的減少の歴史とそのまま重なります。皮肉なものだと思います。学会創立から10年の間に、4000近くの公民館がなくなった事実は、いったい何なのか。私たち学会はこの10年何をしてきたのか。これからどう公民館の体制を前に進めていけばいいのか。そういう問いをいま突き付けられている。学会10周年を迎えて、私たちは厳しい転換点に立っているのです。そして、これから公民館の可能性をどう拓いていくことができるか。そういう意味で私たちの学会10周年のつどいは、重大な論議が求められているのだと思います。
 このあと午後には、シンポジウムが予定されていますがら、私は自由に話せとも言われていますので、学会初代会長として、創設前後のこと、少しエピソードも含めて、お話しいたします。お手元に今日の話のレジュメを用意していますので、その項目にそって進めていきますが、いろいろ脱線して裏話も申しあげたい。
 初代事務局長
 学会創設の背景や経過については、学会『研究大会記録集』(2007年)に「前史」を書いています。それを述べる前に、まず初代事務局長の奥田泰弘さん(中央大学教授)に触れないわけにはいきません。学会をつくる準備、そのきっかけは、何よりも奥田さんの熱意と誠意がなければ始まりませんでした。私自身は公民館学会創設に最初から積極的な立場ではなかったのです。すでに社会教育学会が公民館研究を重ねてきた歴史があって、そこに新たに公民館の学会を創設する意義は何かが問われると。奥田泰弘さんはなみなみならぬ公民館研究への強い思いがあって、中央大学研究室の院生スタッフの協力も大きく、その力がなければ学会創設にはならなかった。その意味でも奥田さんがキーパーソンでした。奥田さんの真面目そのものの誘惑を忘れません。「すべての事務は私がやります」と、きれいな字で手紙も頂いたり。会って話を伺い、その熱意に打たれました。奥田さんは事務局長の現職のまま、2006年の川崎学会の前日に亡くなられました。10周年を迎えたいま、奥田さんがここにおられないのがほんとうに残念に思います。  
 学会準備の会合は、奥田さんの配慮で、御茶ノ水駅からすぐそばの中央大学の会館ですべて開かれました。インフォーマルには確か2001年末から。あの部屋のことはいつまでも忘れません。個人的なことですが、会が終わると、奥田さんを誘い、同行の方とも連れだって、神保町のドイツビヤの店に行って、いろいろと話は発展していったものです。奥田さんの晩年の5-6年は、まったく公民館学会に尽くされたと言って過言ではない。その最後の奥田さんとのお付き合いができた、としみじみと思っています。
 川崎での公民館学会(第6回)が終わったその夜、手打・新事務局長と奥田さんのお宅に弔問に伺いました。やはり奥田さんのことに触れながら、学会創設の話を始めさせていただくことになりました。
 二つの前史
 レジュメにも書いていますように、学会創設から第5回大会までの『研究大会記録集』に、私は「創立の前史」を書いています。まず日本社会教育学会にかかわる「前史の前史」についてふれたあと、2002〜03年(学会創設)にいたる直接的な「二つの前史」が重要だろうと思います。私のレジュメの次の、日本公民館学会創立の前史2ページ。そこから話をさせていただきます。
 日本社会教育学会が公民館制度創設50年を記念して特別委員会を設置したのが1996年、特別年報の編集に取り掛かりました。それが『現代公民館の創造』(1999年、東洋館出版社)に結実します。委員会設置当時、私が社会教育学会会長、そして佐藤一子副会長、佐藤さんが特別年報編集に尽力されました。公民館制度創設50年記念事業として、社会教育学会の総力をあげてまとめようというかたちでした。しかし『現代公民館の創造』からはみ出した公民館研究のテーマが2つありました。一つは公民館の地域史研究、あと一つが公民館的施設の国際比較研究です。このはみ出したテーマについて、あと1冊を刊行したいと、出版元の東洋館に交渉しましたが、どうしても無理だということになり、エイデル研究所に頼みこんで、やっと世に出ました。私と佐藤一子さんの編著で刊行された『世界の社会教育施設と公民館』(2001年)です。それまで社会教育学会ではとりくめなかった世界各国・地域の公民館に相当する成人教育施設あるいは社会文化施設、地域学習センターなどを含めた「世界の社会教育施設」研究、それと日本各地の典型的な、沖縄から北海道までを含めた13地域の公民館地域史を選んで、1冊にできたわけです。それから10年あまりの公民館の国際比較と地域史研究が蓄積されて、いまとなっては不充分なところが目につきますが、当時としては一つの到達点を刻んだ出版だったのではないでしょうか。当初は日本の地域史研究を前面に出す企画でしたが、世界という拡がりに焦点をあてた構成になりました。佐藤さんが世界の社会教育施設の総括的なことを書き、私が日本公民館地域史のまとめを書く。二つの視点から日本の公民館の特徴を複合的にとらえる、その可能性と展望を考えるという作業でした。
 公民館史研究会
 あと一つの前史として、ご承知の「公民館史研究会」の活動がありました。横山宏さんが代表で、1991年の群馬大学で開かれた日本社会教育学会に合わせて群馬高崎で第1回公民館史研究会が開かれています。私は同日程で開かれる政令指定都市・大都市研究会と重なって、公民館史研究会には失礼することになりました。その翌年、横山さんは「公民館史研究・会報」創刊号(1992年2月)に、「創刊のことば」を書き、そこには「公民館史研究会を発足させたのは1984年秋のこと…それから早くも8年の歳月がたっている」とも書いています。二つの「発足」があったかの印象が残りますが、この間の経過はどなたかよくご存知の方が明らかにされるでしょう。寺中作雄の回想を聞くなどの集いや地方資料収集など「数次の研究会」があったが、「いつしか活動も途絶えがち」となって、しかしこのときも「歩みを続けるべきであるとする奥田泰弘君の発意が中心となって…再建」(横山「創刊のことば」)がはかられることになりました。同年5月には研究誌『公民館史研究・1』が創刊され、この「刊行のことば」も横山さんが書いていますが、その結語に「公民館の…研究方法論を確立し、その延長線上に公民館学会創設の遠望すら夢見ている」と言及されていることが印象的です。実際の日本公民館学会の誕生に先立つこと10年も前のことでした。
 公民館史研究集会は、その後2002年までに20回の研究会を重ねた記憶、研究誌『公民館史研究』は第4号(2000年)まで手元にあります。この経過はおそらく上田幸夫さんなどが詳しくご存知のことと思います。
 学会創設の直接的な動因
 二つの前史にみられるように、社会教育学会メンバーによる研究の蓄積と研究ネットは、新しい学会の土台となるものでした。日本社会教育学会の特別年報だけでなく、その姉妹編『世界の社会教育施設と公民館』出版、そして公民館史研究会「公民館史研究」刊行も新しい取り組みのステップであり、ある自信を与えてくれるものでした。
 しかし、学会の立ち上げに際して、その研究仲間が中心の、いわば仲間うちの会のような雰囲気にならないように、いろんな方々に参加していただく、せまく社会教育だけでなく、学会をこえて他分野の方々が学会の新しい仲間に入っていただく、新しい学会ではむしろ異質の多様な研究領域と方法の広がりを重視する必要がある、それが課題だろう、と奥田さんとも個人的な話をしたことを覚えております。
 学会創設の直接的な動因はなにか。学会通信第1号(2004年4年1日)に「日本公民館学会創設にあたって」を書いて、学会ホームページ「会長挨拶」として掲載されていた文書があります。そこに三つのことを書いています。少し言葉を加えながらご紹介しますと、一つは、公民館の理論と実践の蓄積について。戦後からおびただしい公民館研究があり、驚くべき数の調査や実践資料が積み重ねられてきました。それらが横に拡がりながら縦に体系的に積み上がってきていないのではないか。それらを研究的に整理し理論的な体系化の試みに結びつけていく。公民館研究の蓄積を活かしながら、理論と方法を練りあげて、「公民館学」の構築を目ざしていくべきときではないかということ。   
 第二には、公民館に関する学際的な研究取り組みと国際比較研究を拡げていく課題です。公民館への国際的な注目の動きがあり、それに日本公民館研究として応えていく必要があるだろう。われわれは幸運にも、この間に公民館研究への関心をもち、課題を共有する研究仲間が、社会教育学だけでなく、建築工学、社会学、行政学、ドイツ研究者など様々な分野の研究・実践家に拡がり、新しい出会いを始めています。そのうえ、公民館の歩み半世紀の蓄積があり、ようやく公民館への国際的注目も寄せられる時代となりました。たとえばUNESCO・ACCUによるCLC・地域学習センターと公民館との研究的かつ実践的な出会いが始まり、共通の課題追及していく動きが広がりつつありました。
 公民館をめぐる状況への危機感
 もう一つは、公民館をめぐる状況への危機意識です。1980年代に政策的に登場する「生涯学習」施策は公民館をきちんと位置づけてこなかった。他方で財政難や大規模合併は公民館の条件整備や組織体制を壊していく。新自由主義の動きが公的セクターから民間委託への流れをつくり、学会創設時はまだ指定管理者制度はありませんでしたが、少なくとも公的セクター充実の方向は失われていきました。とくに公民館主事の専門職的位置づけの方向が見えなくなってきた点が深刻だと思います。
 このような動きは、なにも公民館学会創設の時期に起きたものではありません。すでに1970年代後半から各地でさまざまな問題として現れてきました。自治体として公民館制度を位置づけるかどうかの問題でもあります。たとえば松本市では(曲折を含みながら)公民館体制を充実させる計画や施策がとられてきた流れがあった。その一方で、とくに大都市では固有の社会教育の施設・制度を確立する施策自体が歴史的に弱かったと言わざるを得ない。あるいは一度設置した公民館の事業団委託(北九州市)や公民館職員の引き上げや嘱託化(福岡市)が進行してきた。1980年代の臨時教育審議会委員の中には「公民館の歴史的役割はは終わった」と公言し、『社会教育の終焉』論も出てきました。公民館の地域的な蓄積が大きな潮流となる一方で、自治体によっては全くその風景が見えない、そういう自治体・地域の間の格差・亀裂がはっきりしてきた状況でもありました。
 こうしたなかにあって、公民館の理論的な体系化に期待をかけ「公民館学」構築をめざす努力のなかで、社会教育の展望や公民館の可能性を追求していこう、そんな課題意識が語りあわれてきた。公民館への強い危機感が、公民館学会をつくろうという背景になってきたと思います。そしてこの10年がどんな展開であったか、冒頭に申し上げたような公民館をめぐる実像がどう動いてきているか、が問われることになります。
 政策形成と学会の関わり
 学会創設期には、関連して、公民館の政策や立法について学会がどう関わり得るかについても課題意識があったことを憶えています。ちょうどこの時期、お隣の韓国では「平生教育法」が1999年に成立、、そして2007年にその大改正が行われますが、議会、行政当局と学会との関係は、複雑ながら、並々ならぬものがあったようです。ご存知のように「平生教育総連合会」という推進団体にも学会関係者が深く関わっている。立場の違いはありましょうが、国会議員との関係もあり、学会論議のなかに議員さんの参加を見たこともあります。どういう政策を形成していくかの過程に学会がどう参加できるか。その点では韓国「平生教育法」の立法と改正の動きはたいへん刺激的な、示唆的なものでした。
 日本ではどうか。公民館にかかわる政策形成に学会がどう参加し得るか。それは公民館の理論と研究が何らかのかたちで社会的に寄与できるかの問題でもあります。
 韓国のこの10年ないし15年の学会の研究運動の広がり、それと政府当局や議会関係者との交流のなかで平生教育制度が形成・定着されていく歳月に大いに学ぶべきものがありましょう。今年も8月に社会教育研究全国集会が千葉で開かれますが、平生教育振興院など行政関係者と学会メンバー、自治体関係者が一緒に30数名が来日されます。
 日本では、自治体レベルは別にして、国レベルではこれまで政策形成と学会研究との間には大きな距離があります。文科省や公民館を推進している全国公民館連合会(全公連)との関係をどう模索していくか、これからの課題と思います。
 新しい学会のイメージ
 私は日本社会教育学会の初期の生き生きとした雰囲気に惹かれて社会教育研究の道に入りました。大きな学会に発展していくにつれて、当然ながら初期創造の雰囲気は失われ、みずみずしい議論が少なくなったように思います。あらためて小さな学会のもつすばらしさ、「学会らしくない学会」を創ろうと発言したこともあります。研究"共同体"へのはるかなる夢です。大会プログラムを面白く刷新しようとか、一堂に会して、ともにお茶を飲みながら語り合い議論しあう雰囲気づくりとか。既成の学会を真似ないこと。このあたり、奥田事務局長もほぼ同じ考えであったと思います。
 公民館学会は、公民館学の構築をめざしつつ、「公民館の発展普及に資する」(会則第2条)ことを目的としています。そうであるならば、研究を活かして、公民館発展普及のために積極的に発言していかなければならない。憶せず政策提言の姿勢をもち、その意味で実践的な学会活動の新しいスタイルを創り出していく必要がありましょう。
 あとひとつ、学会準備過程から話し合ってきたこととして、公民館史資料を学会として保存し、それを共有する公民館資料ネットワークづくり、証言収集、あるいは公民館資料センターの構想など、学会ならではの機能を発揮していきたいという論議がありました。学会の前史として触れた「公民館史研究会」の活動を継承する作業でもあります。
 この間には、各地で公民館五十年史(飯田市、松本市、川崎市ほか)など自治体の公民館史誌や、「三多摩テー40年」に関連した検証作業その他、案外と多くの資料集成の努力が見られます。沖縄では集落の字誌づくり運動のなかで「字公民館」資料がたくさん刊行されています。学会だからできる公民館の資料ネットワークづくり、資料センター構想について、学会準備段階からずいぶん議論してきたものです。
 個人的なことになりますが、横山宏さんとの共編で『公民館史資料集成』(1986年)を刊行してすでに30年近くになりした。この本に収めた資料は、1973年「三多摩テーゼ」まで。それからすでに40年の歳月。この新版つまり1970年以降の新『公民館史資料集成』に取り組めないものでしょうか。
 学会の出版活動
 学会創設当時、学会の「かがり火」として、総力をあげて「公民館学」構築の道にづながる本をつくろうというのが、まず第一の悲願でした。学会編『公民館・コミュニティ施設ハンドブック』を刊行できたのは2006年、創設3年後のこと。学会としての歴史は若いけれど、公民館研究の蓄積は大きな厚みをもっていることを実感しました。会員以外からも驚きに似た評価があったことを憶えています。    
 この本が出るのは2006年、実際の執筆時点は2004年から2005年です。私たちは日本社会教育学会関連で、2000年前後に公民館50年についての2冊の本を出し、公民館学会として記念碑となる出版を5年後に実現することになったわけです。編集長は手打・現会長、執筆陣は研究者、公民館・社会教育職員が主体、建築工学からの寄稿を含めて、総勢100人ぐらいの方が執筆しています。同じ頃に平行して『社会教育・生涯学習辞典』(朝倉書店)も企画されて10年がかりで出版されましたが、これは学会としての仕事ではありませんが、私自身としてはつながっていました。
 公民館『ハンドブック』は、公民館に関する総合事典、理論的基礎をもった"公民館エンサイクロペディア"の初めての試みだと考えてきました。
 日本図書館協会が『図書館ハンドブック』を出版、版を重ねています。これは名著でありまして、年表だけでも50-60ページ。どの図書館にも『図書館ハンドブック』は常備されているといっても過言ではない。公民館についていろんな刊行物が出ていますが、『図書館ハンドブック』に相当するような、すべての公民館が常備せざるを得ないような『公民館ハンドブック』を定着させていきたいものです。そうすると1万冊の学会『公民館ハンドブック』が年次的に出ることになる。この"公民館エンサイクロペディア"の力を得て、公民館・コミュニティ施設も元気を取り戻すことになる、そんな役割をこそ学会は果たしていきたいと思います。
 『公民館ハンドブック』を韓国で翻訳しようという動きを聞きましたが、その後どうなったのでしょうか。すでに『公民館のデザイン』(2010年)は翻訳されたのですね。
 公民館"発達論"は破綻?
 私は公民館の第一世代、第二世代、第三世代と、厳密な時期区分ではありませんが、公民館が発達してきた世代論を提起したことがあります。公民館学会でも、「公民館60周年記念講演」の機会を与えられ(学会年報第3号に講演記録、2006年)、「公民館の発達論」を語っています。要点は公民館は固定的なものではなく、時代のなかで"発達"していく。その視点で見ると、公民館の歴史的展開が鮮明に見えてくるところがあると。そして第五世代、すなわち「地域創造型公民館」について論議してきました(『公民館60年・人と地域を結ぶ社会教育』 国土社刊、2005年)。もともと1995年の論文(月刊社会教育1996年12月)が起点となったものでしたが、さらに追求すべき視点を加えて「第六世代」をどう構築していくか、「これからの課題」として発言しています。学会年報第3号では上野景三さんが「第六世代を深めるために」を論じていただきました。
 私の思いは、公民館が量的に発達してきたことを言っているのではないのですが、しかしいまこの"発達論"は成立しなくなったのではないか、統計的な衰退過程の流れでは、いま第六世代論は、あきらかに破綻した、発達が壊れはじめているようでもあります。しかし、公民館研究としては、この時点であらためて公民館の可能性と展望を画いていく必要があります。公民館の統計的衰退の事実は、地域的に公民館のおかれている状況が厳しく、甚だしい地域格差を生み出している、ことを示しています。そのような統計的退潮のなかで、むしろ今こそ公民館の地域定着の歩みを確かめ、これからの可能性を"発達論的に発見"していく視点が求められましょう。
 公民館の課題・可能性を考える視点
 レジメには、これから考えていきたい理論的な課題を5点ほど出しておきました。公民館学会10年の論議は、公民館の現代的役割として何を明らかにしてきたか、私なりにそれを整理するポイントでもあります。
 第一は、1960年代後半とくに1970年以降に公民館像の主流になってきた「都市型公民館」論の再検討。たとえば「三多摩テーゼ」40年の理論的総括と再構築、についてです。公民館の近現代化が求められる過程で、基盤とすべき地域から遊離し、地域的な支えを失ってきた事実があります。あらためて地域に根ざす公民館、地域づくり・地域再生に果たす公民館の役割を考えていく必要がある。それは地域に生きる市民の立場から公民館の基本的な役割を考えるとうことでもありましょう。
 二つ目は、住民自治の基礎単位・集落(町内、字、自治会等)の再発見と公民館の関わりに注目したい。小さな地域の公民館、たとえば松本市「町内公民館」や、沖縄の「字(あざ)公民館」の生き生きとした実像は、公的機関・施設としての公民館研究だけではとらえきれない、草の根の自治と住民の学びや文化が基層に生きていることを教えてくれます。それとの関わりで公立公民館や行政の役割が問われることになります。沖縄・竹富島の公民館は、公民館館長を住民自治で選び、リゾート問題などに取り組み、「公民館議会」をもち、国の重要無形文化財に指定されている祭りと文化を担ってきました。
 時間がなくなりました。以下、レジメの項目を読むだけで、今後の課題とさせていただきます。
 第三は、職員の役割の再確認、公民館にかかわる多様なスタッフ・ボランティヤとのネットワーク形成について。限定的な専門職論から脱皮し、市民の視点と結ぶこと。
 第四に、市民活動・NPOと公民館との関係をどう創出するか。従来の「社会教育関係団体」の枠組みを見直していく必要がある。
 第五に、公民館とコミュニティ諸施設との新しいネットワーク、とくに「社会教育」と「地域福祉」をつなぐ視点、そこにおける公民館と諸地域福祉施設との協働へ期待をかけていきたい。
 終わりは脱兎の如く、話も不充分、失礼なことがあったと思いますが、以上で終わりにしたいと思います。ありがとうございました。


日本公民館学会・2013年度七月集会(20130720)

                                    





14−@ 『社会教育・生涯学習辞典』(朝倉書店、2012年)編集10年の回想・記録  
                              *「南の風」(2962、2966、2969、2973、2980号など)



 <辞典・2012年11月に刊行決まる>  南の風2961号(2012年9月27日)
 2012年9月の慶事。… 加えて、10年越しの難事業「辞典」づくりが最終段階を迎え、2012年11月には刊行される見通しがはっきりしました。9月24日は朝倉書店で最後の「編集幹事会」でした。…本号はすでに紙数なく、次号に書くことにしましょう。

(1) <回想(1)−モンゴルの草原から(2002年〜)> 南の風2962号(2012年9月29日)
 『社会教育・生涯学習辞典』(朝倉書店)の刊行(11月末の予定)が確定しました。編集委員30名、執筆者約320名、収録した項目は約1500、出来あがりは 600頁をこえる大著となる見込み。南の風メンバーからも多くの方が執筆に参加くださり、有り難うございました。これまで刊行が遅れたこと、まずお詫びを申しあげなければなりません。
 ある程度の覚悟はあったのですが、これほどの難事業とは思いもしませんでした。かなりの歳月を要することは予想していましたが、10年にわたる取り組みになろうとは想像していませんでした。
 この機会に簡単に辞典づくりの歩みを(南の風の歴史とも重なりますので)振り返っておくことにします。「辞典」づくりの話が具体化するのは、なんと内モンゴル草原での、とりとめない世間話からでした。
 2002年9月の内モンゴル行き。この旅では和光大学ゼミ学生など一行と、宗慶齢基金による訪中団(日中友好協会など)一行が、北京から赤峰への寝台列車で乗り合わせた偶然、そして4日間ほど草原の旅を一緒に過ごした(ゲルにも川の字で寝た)奇遇がありました。前者の引率者は小林、後者の代表は歴史学者・阿部猛氏(元東京学芸大学学長)。阿部学長の時代に小林は同大学の学生部長198083年)、当時まだ残っていた学生運動に対峙して苦楽をともにした仲(4年間)でした。
 草原の旅は、ゆっくり時間が過ぎていきます。二人で問わず語りに昔の苦労話を楽しみました。そのなかで「社会教育の辞典をつくりたい」という当時(1980年頃)の小林の宿望を憶えていてくださったのです。「その後、沖縄研究は進んでいる?」「辞典づくりはどうなったの?」など。「学会30周年事業でも辞典編纂はできなかった」「なんとか辞典づくりを実現したいものです」。そんな会話が続きました。

(2) <回想(2)−朗報、張り切って・・・(2003年〜)>南の風2966号(2012年10月4日)
 2002年9月の内モンゴルの旅から帰って、阿部猛先生はすぐに朝倉書店に小林のこと、「社会教育辞典」構想のことを話してくださったようです。朝倉書店・編集の笠間敬之さん(常務・当時)から電話がかかってきて、新宿でお会いしたのが(記録によれば)10月9日、丁度10年前になります。
 「…何かいい話をお持ちとのこと、阿部先生から聞きました。」そんなご挨拶から始まりました。その前年に出版した『世界の社会教育施設と公民館』を持参していた記憶あり。「事典」ではなく「辞典」をつくりたいこと、本格的な社会教育辞典は本邦初!などとお話しました。熱心に聞いていただき、それから頻繁なメール往復。構想企画書を出したり。また末本誠さんなどに相談を始めたり…。笠間さんも2ヶ月あまり猛勉強。
 12月に入って朗報。「…弊社の企画検討会議があり、辞典の件を提出いたしました。結果は、新しい分野だが、社として正式にお願いしようということになりました」(笠間氏)と。スタート地点に立ったわけです。凸凹道が待っているとも知らず・・・、張り切って2003年からの作業が始まりました。
 ほぼ毎月、朝倉書店に集まってあれこれの議論。担当・野島薫さんの速射砲のようなメールが入るようになりました。最初は数人で、そのうちに「編集幹事」7人が確定。2004年になって、ぞれぞれの専門分野から30人の編集委員をお願いすることになり、9月の日本社会教育学会(同志社大学)会場で「社会教育・生涯学習辞典」編集委員会が開催されました。いろんなエピソードがありますが、省略します。
 取り上げる項目の検討・精選、執筆者の選定・調整、約1500項目について約300人の専門家に「辞典ご執筆のお願い」状を発送したのが2006年1月のことでした。すでに足かけ4年が経っていたことになります。
 この間、ぶんじんはギックリ腰 ふくらばぎの肉ばなれ=断裂など、思わぬ怪我に悩まされていました。

(3) <回想(3)ー原稿督促、リライトなど(2006年〜)> 南の風2969号(2012年10月9日)
 2006年からの辞典原稿執筆の過程では、いろんなドラマが待っていました。当時のこと、まず脳裏をかけめぐるのは、原稿の遅れと督促作業、校正ゲラの回収も容易ではなかったこと。もちろん一部の方のことですが…。月刊誌等の原稿だと執筆する側に期限への意識があり、督促も急をつげる迫力があるのでしょうが、辞典だとそうもいきません。加えて執筆者は320人を超える陣容、やはり、たいへんなことです。朝倉書店担当(野島薫さん)の奮闘にあらためて感謝あるのみ。(いろいろ有りすぎて・・・このことはこれ以上書かないことにします。)
 関連して、頂いた原稿のリライトのこと。学会の年報・紀要類では原稿の修正はむしろ控えるのが基本です。辞典では"てにをは"を含めて、用語・訳語の統一や調整の必要もあり、編集委員会としてリライトへの努力が求められます。書き方として概念・意義を確定する文章が期待されます。リライトをお願いして、不快な思いをされた執筆者もあったと思われます。
 また訳語をどう調整するか。たとえば「フォルクスホッホシューレ」について。国民高等学校、国民大学、民衆大学、あるいは市民大学などの訳語いろいろ。そしてデンマークやドイツの歴史事情の違いもあります。訳出の歴史的な流れも大事ですから無理な統一は避けましたが、一部リライトをお願いした経過がありました。
 この10年、何よりも忘れられないのは、執筆者のなかに病に臥された方があり、なかに亡くなられた方もあったことです。お見舞にうかがった病室にパソコンを持ちこんで原稿執筆をされていた姿。その原稿は文字通り絶筆となりました。心をこめて校正にあたった思い出も鮮烈です。

(4) <回想(4)−山と谷を越えて> 南の風2973号(2012年10月16日) 
 辞典の編集作業、当初はまず「編集幹事」(3人→7人)による論議から始まりました。2003年から2004年にかけて約1年。30人の編集委員会が発足するのはその後(2004年9月)のこと。2005年に大きな展開となりました。この時期は、ちょうど日本公民館学会が発足・始動したころ。辞典づくりと学会づくりの二つの歴史に関わることができた幸せ(そして多忙)を噛みしめていたことを想い出します。
 事(こと)典でなく辞(ことば)典なのだから、なにより第一の作業は、収録すべき「ことば」、概念・語句・用語をどう拾い出すかがポイントです。幹事集団で当初500〜700を目標に、社会教育・生涯学習に関する重要項目の拾い出しが始まりました。大事な語句をどう確定するか。関連する領域への拡がりを意識しながらの作業は、思いのほか楽しいゼミ。
 そのうち語句の羅列ではなく、領域(実践領域)を縦軸に、分野(組織過程)を横軸に設定して、いわば項目群の体系・構造表が作成されました。縦と横が交差する各欄に語句を落していく作業(そんな記憶)。この表は完璧なところまで仕上がりきれませんでしたが、その後の辞典編集を進めていく土台となったように思います。ゆっくりと時間をとって、朝倉書店には迷惑をかけました。
 30人編集委員会が動きはじめて項目(候補)数は1500となり、幹事集団の拾い出し語句を加えて2200を超える水準へ。その調整と精選、新しい追加等を含めて、最終的には約1500項目が確定。各領域ごとに執筆者への交渉がすすみ、正式の執筆依頼(2006年1月)へ、という経過でした。320人の執筆者一覧・エクセル表での作業、朝倉書店・野島さんの奮闘、それぞれの執筆依頼状の発送。そのとき「辞典」への道程がくっきりと見えてきた思い。ひと山越えた!という実感でした。たしかどこかで乾杯したような…。
 【歌の工房】古いノートにメモがわりに残していた戯れ歌から二つほど。
◇新しき本を編まんと気負いつつ 今なお断崖を登らんとするか −2004年1月6日、辞典づくり−
◇山や谷越えて便りは届きけり 花咲く丘への道あかあかと −2006年1月20日、朝倉より執筆依頼状−

(5) <回想(5)−東の空は茜に映えて>  南の風2980号 (2012年10月31日) 
 2006年の執筆依頼からすでに6年が経過しています。いろんなことがありました。一部には予定の原稿が入らず、あるいは校正ゲラの戻りがなく、催促の言葉も尽きて・・・まわりの助っ人メンバーに急ぎ対応をお願いする場合もありました。水面下の見えないサポート、あらためて縁の下の力持ち集団の皆さんに深い感謝!です。とりわけ特記したいのは、終盤のほぼ1年、辞典収録・全項目について英語表記を完成させた、末本誠さんを中心とする神戸大学研究室の皆さんの尽力!
 今年(2012年)は辞典出版の確たる見通しがつき、小さな作業も苦になりませんでした。たしか9月はじめの暑い日、朝倉書店から重い包みが届きました。辞典原稿をアイウエオ順に並べた最終・ソート校。それまでは個別の原稿を読み、あるいは執筆者別のゲラを見てきました。初めてア〜ワまでの辞典構成で綴じられた全原稿ゲラの包みを手にしたのです。あの日の感激は忘れられません。「辞典」だ!・・暑さを吹き飛ばす一瞬でした。
 9月はこの最終ゲラを通覧する毎日。600頁余、1500項目、完全ではありませんが、ほぼ全部に目を通しました。ほれぼれするような文章もあれば、なかに手を加えたくなる原稿も(ジッと我慢!)。苦しい最終作業を覚悟していましたが、項目が進むにしたがって、なんとも言いようのない幸せな気分、充実感、達成感に満たされていく日々でした。私たちが悪戦苦闘している「社会教育・生涯学習」という領域が、これほどの「ことば」の拡がりに、多彩な概念や方法のこれほどの豊かさに、充たされているのだという感動を味わうことができました。
 10年の歳月は短いものではありません。この間にある方は結婚され、ある人は就職し、あるいは定年で退職されました。前にも書いたように鬼籍に入られた長老もあります。ともに苦労した末本誠さんは、昨年秋に入院、私も付き合って今年5月に同じ病の治療をしました。二人とも経過は良好。退院すると朝倉書店・野島薫さんの連絡メール・送付ゲラが山積みになって待ち構えていたことも、今は懐かしい想い出となりました。ノートの切れ端から、例によって拙い歌を二つほど。
 【歌の工房】6月20日未明(退院・経過良好、酒はまだ控えるべしと。)
◇思いを残し逝きし人の絶筆ならん 襟をただして校正をする
◇病癒え筆とり直しゲラを読む 東(あがり)の空は茜(あかね)に映えて

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(6) <『社会教育・生涯学習辞典』刊行成る!> 南の風2994号 (2012年12月3日) 
 …さて、待望の『社会教育・生涯学習辞典』(同・編集委員会編)が予告通り11月30日に刊行されました。誕生ホホヤの新刊1冊、朝倉書店から急送していただき、当夜のTOAFAEC 研究会で皆さんにご披露。同じ本を翌日の日本公民館学会々場にも運んで見本展示することができました。手打明敏さん(筑波大学、学会会長)は学会総会・冒頭挨拶で、新辞典を手にかざしながら、刊行成る!の朗報を。会場には編集委員・執筆者も少なくなかったからです。
 全674 ページ(和文・欧文索引45ページを含む)の重量感あふれる1冊。いい出来映えです。値段も重量級(18000円+税)。個人で買うのはなかなかたいへんですが、もしご希望の方があれば、送付先を含めてご一報ください。小林扱い(15%の著書割引き)として朝倉書店につなぎます。編集委員・執筆者への献本・特別割引きについては、直接に朝倉書店よりご連絡があるはずです。
 辞典づくりの10年は、ちょうど日本公民館学会創立(2003年)からの歩みと重なります。言うに言われぬ達成感に酔っています。ご協力いただいた皆様にあらためて御礼申しあげます。
 本邦初の「社会教育・生涯学習辞典」、まわりの図書館、行政機関、諸公的施設、大学・研究室などで購入いただくようご喧伝いただければ幸いです。




(7) <辞典・注文きわめて好調> 南の風3007号 (2012年12月26日) 
 …今年はいろんなことがありましたが、なにより『社会教育・生涯学習辞典』(朝倉書店)刊行がいい締めくくりの話題となりました。じんわりと評価が生まれてくる予感。「風」で著者割引き(15%割引き)のことを紹介したこともあって(2994号本欄)、いちいち載せていませんが、ぶんじん宛への注文もすでに10冊を超えました。
 朝倉・野島薫さんの話では、辞典・事典の類としては注文の出足はきわめて好調とのこと、ご同慶の至りです。高額な本ですから、個人購入をお願いするのは気がひけます。しかしもしご希望の場合はご遠慮なくお申し出ください(朝倉書店につなぎます)。まわりの図書館や公民館等にもぜひご推薦ください。
 辞典編集委員会(30人)とくに編集幹事会(7人)の方々に、本欄をかりてご報告ひとつ。辞典刊行に合わせて朝倉書店と私たち編集委員会(著作権者)との間に「出版契約証書」「編集料支払契約書」(相互調印)を取り交わしました。事務的に小林が代表となって一件書類は保管しています。編集料については初刷分は編集委員への献本分。しかし二刷以降は編集料として支払われる予定です。そのためにもぜひ二刷に向けて進みたいもの。ご声援ご協力のほどよろしくお願いします。2012年師走・年の瀬に。
◇ なにもせず「辞典」枕に眠りけり   ◇ 捨てきれぬ本にうめいて年の暮れ 

(8) <辞典・重版へ> 南の風3021号 (2013年1月19日)
 … 朝倉書店刊『社会教育・生涯学習辞典』が世に出てまだ2ヶ月たらずですが、重版(二刷)が決定しました。野島薫さん(朝倉・編集部)から編集委員会へ届いた朗報。
 「 … ご編集いただきました社会教育・生涯学習辞典ですが,お陰様にて注文の出足は好調で、返品の時期を待たずに在庫が不安な状態になってしまいましたため早々に重版(増刷,第2刷)になることが決まりました.嬉しい悲鳴で大変ありがたいです。」(Fri, 11 Jan 2013 18:14)
 南の風関連でも(執筆者以外に)ご注文いただいた十数人の皆様にあらためて感謝申しあげます。まわりの図書館や公民館にも推薦・リクェストなど働きかけくださっているご様子、これからの動きもまた期待されます。せっかく創った辞典、全国的に広く活用されることを願っています。
 藤岡貞彦さん(一橋大学名誉教授)からは、そのままここに書き写せないほどの祝辞・賛辞をいただきました。年賀状ではいろんな方から「よくぞ!辞典刊行!快挙というほかなし!」などお祝いを頂戴しました。それだけに、内容的にどのような評価が生まれてくるのか、これからが楽しみでもあり、いささか緊張もしています。将来の改訂のためにも、忌憚のない感想、批判、課題など(ゆっくりと)拝聴したいものです。

(9)<出版祝賀会−1月22日> 南の風3024号 (2013年1月24日)
1,報告1(伊藤長和)
 … お誘いを受け、久し振りに私は早稲田大学を訪れました。出版祝賀会の会場は、大隈記念タワー15階レストラン「西北の風」です。執筆者総勢323人、編集委員30人で,約1500項目を採り上げ、10年の歳月をかけて誕生した『社会教育・生涯学習辞典』は、昨年11月末に朝倉書店から出版されました。編集委員会代表の小林文人先生と末本誠先生の情熱、編集委員会の総力をあげての取り組みによって実現したのです。勿論、編集実務を担当された朝倉書店・野島薫さんの奮闘なしには、この本は陽の目を見ることはなかったでしょう。
 祝賀会は、新保敦子先生の呼びかけにより、東京の夜景の輝きを眼下に望む瀟洒なレストランで、野島薫さんをお招きして開催されました。大がかりな祝賀会ではなく、編集委員の皆さんによる、こぢんまりとした心温まる集いでした。小林・末本両先生のご挨拶、野島さんのご挨拶、そして伊藤の乾杯の発声で祝宴が進行しました。出席者全員のご挨拶も喜びに満ちており、この間の執筆督促、リライト、校正補筆、全項目についての英訳作業(神戸大学)などの苦労話も明るく生き生きとしていました。10年の歳月は、健康を害した方や他界された方も何人かいらっしゃるそうです。
 この辞典に向けては、多彩な執筆者が参加されています。項目が拡がり過ぎ、という批判も実際にあるそうです。しかし、社会教育・生涯学習の専門的な学問領域は、関連研究、周辺学問の広い領域と不可分の関係にあり、学会を超えた取組みが必要であって、学会だけではこの辞典を作ることは不可能であったろうとの発言もありました。同時に、これからの現代社会教育の創造のために学会の役割への大きな期待も語られました。
 異質の学問的専門領域との交流の必要性は、現代社会の探求のために重要であって、これを「学際」と言いますが、私も今回の辞典づくりは、まさに学際的辞典づくりで、歴史的画期的な快挙なのだと思うのです。皆さんがおっしゃった「5年後の改訂版」実現を期待したいですね。
 皆さま、長い間ご苦労様でした。〔出席者〕(敬称略)伊藤長和、上田幸夫、尾崎正峰、小林繁、小林文人、新保敦子、末本誠、瀧端真理子、辻浩、手打明敏、野島薫、増山均、矢口悦子。
2,報告2ー夢にみた夜(ぶんじん) 早稲田大学の正門ちかく、レストラン「西北の風」を会場として、「社会教育・生涯学習辞典」出版記念祝賀会が開かれました(1月22日夜)。当初の案では、関係機関や自治体にも呼びかけ辞典PRをかねた盛大な出版パーテイを!というイメージもありましたが、実際にはむしろ編集委員会を中心に苦労してきた仲間の慰労会、とくに編集実務にあたられた朝倉書店・野島薫さんへの感謝の会、和気あいあいの楽しい集いとなりました。刊行早々、2ヶ月も経っていないのに辞典重版が決まったなかでの、みんな笑顔のひととき。
 この夜は、まさに夢にみてきたお祝い会でした。10年の歳月のなかには何度か「これで、ひと山越えましたね」などと言いあう節目がありました。たとえば辞典収録の全項目(約1500)が決まり、予定執筆者(約320人)すべての方に「執筆依頼」を発送できたときなど。ささやかな乾杯をしたり…。しかしいつもその日から新しい作業が待っていたのでした。今回はそうではない!長い道程を歩き終えた日、“夢にみた今日”でした。
 辞典づくりのいろんな思い出話、編集作業の遅れにお叱りを頂戴したこと、この間に亡くなられた方への追憶など、宴はつきませんでした。今後に向けての改訂(10年後、いや5年後?)への意気込みも語られました。関西からご出席の編集委員もあり、寒い冬の夜、ご苦労さまでした。この祝賀会の準備・運営にあたられた新保敦子さん(早稲田大学)に感謝! 伊藤長和さんからは当夜の記録(上掲)が届きました。有り難うございました。
◇西北の風吹きわたるレストラン 良き友つどい5年後を約す

「辞典」(編集委員会)出版祝賀会、前列中央(朝倉書店)野島薫さん (早稲田大学・西北の風、2013年1月22日)



14−A
 <日本社会教育学会紀要・2013年度49-2 図書紹介>
 
 社会教育・生涯学習辞典編集委員会編『社会教育・生涯学習辞典』
       
(朝倉書店、2012年11月刊行)

                                       東京学芸大学(名誉教授) 小林 文人 


 社会教育・生涯学習に関する本格的な「辞典」の刊行は本邦初の試み、その企画から編集作業を経て出版にいたるまで、ちょうど10年の歳月を要した。編集委員会(30名)を中心に執筆陣は総勢323人、取り上げた事項は最終的に1441項目、A5版672頁(欧文・和文索引46頁を含む)の大作が2012年11月に完成した。
 本辞典刊行の意図について、編集委員会(幹事会)は次のように書いている。「…これまで社会教育の実践および研究として蓄積されてきた経験や知識を深めることを基本にしながら、生涯学習の広がりに目を向け、従来は取り上げられることがあまりなかった用語を集約し教育的な意味を確定することによって、社会に幅広く存在する「学び」の関係者が共有するツールを提供する…。」(辞典「刊行にあたって」)
 因みに編集委員会のなかで編集実務にあたった幹事会メンバーは、新保敦子、末本誠、辻浩、手打明敏、長沢成次、矢口悦子と筆者の7名であった。

 周知のように社会教育の展開は歴史的に多様多彩、ノンフォーマルな拡がりをもち、加えて国際的な動向からは、生涯学習、継続教育、成人教育、自己教育、あるいはリカレント教育、学習社会論など、関係する用語が躍動的に登場してきた。その中から重要な「ことば」を選び出し、相互に関連づけ、概念・用語・訳語としての意味内容を確定していく必要が痛感されてきた。おそらく教育学諸領域のなかでも社会教育研究に携わる者がとくに強く抱いてきた課題意識であっただろう。
 同時に社会教育・生涯学習は、自らの固有領域だけでなく、「社会」「生涯」に関わる多面的な関連・周辺の諸分野と連動し、しかもそれらが日々変化・発展する動きのなかで展開してきている。その拡がりと変動をしっかりと視野に入れて作業を進める必要がある。辞典編集委員会の構成は、せまく社会教育・スポーツ・文化だけではなく、ひろく環境問題、福祉、保健、看護、職業、労働、多文化、人権、マイノリティ、ジェンダー、協同などの諸領域を積極的にカバーしていく体制が必要であった。
 辞典づくりを振り返って、重要な概念・語句・用語の意味内容を "深める"ことと、関連諸領域の新たな地平へ"拡げる"ことの両面がいつも意識されてきたように思われる。一つの辞典へ凝縮する作業が果たして成功したかどうか。江湖の批評をお待ちしたい。
 本辞典構想の経過、委員会構成、語句の選び出し、執筆依頼、リライト、索引づくり等にいたる一連の編集経過は、その間のエピソードを含めて、別に私的回想「辞典編集10年」を書いたことがある。
(本ページ(1)〜(5))
 いまは紙数の制限あり、詳細を省略せざるを得ないが、辞典の企画段階から関わったものとして感想の一端を転載しておきたい。「… 2012年9月…、最終ゲラを通覧する毎日。…苦しい作業を覚悟していましたが、項目が進むにしたがって、なんとも言いようのない幸せな気分、充実感、達成感に満たされていく日々でした。私たちが悪戦苦闘している「社会教育・生涯学習」という領域が、これほどの「ことば」の拡がりに、多彩な概念や方法のこれほどの豊かさに、充たされているのだという感動を味わうことができました。」

 日本社会教育学会では、これまで辞典づくりのことが課題として論議されたことがあった。たとえば学会30周年記念特別年報『現代社会教育の創造』(東洋館出版社、1988年)「あとがき」には次の一文がある。「… 本書(特別年報)の編集刊行を基礎に、1988年以降、学会として『社会教育辞典』(仮称)づくりをすすめてはどうかという構想がくりかえし話題となったことを付記しておきたい。」「重要な概念・語句等の選び出しを視野に入れて作業を…」等と続いている。
 今回の辞典編集の企画が出版社(朝倉書店)との間で浮上したのは2002年末から2003年にかけてであったが、この時期、日本社会教育学会では学会創立50周年記念事業として「講座・現代社会教育の理論」全3巻(東洋館出版社)刊行企画がすでに進行していた。結果として本辞典は学会有志による編集委員会編として出版され、執筆者のうち約3割は会員以外の方にお願いすることとなった。

 辞典編纂の過程では可能なかぎりの努力を傾注したつもりである。この辞典にはすべての項目に英語表記を付している。中には英語にすることが難しい日本独特の用語もあるが、国際化の中、今後、英語で論文を書く機会が増えることを考え一つの試みとして示してある。もちろん課題も多い。用語選択の領域を拡張しようと試みたものの、正直なところ、社会教育的な説明としては不十分さが残る項目もある。これは改訂版で簡単に修正できるという類の課題ではなく研究全体の底上げが必要であろう。
 幸いにして、辞典刊行後の反響はきわめて好評である。この種の大型本としては予想以上の(出版社も驚くほどの)注文が寄せられ、日ならずして重版となった。今後、掲載項目の補充を含めて「5年後に改訂版をつくろう!」という意気込みも語られている。


14−B
 <社会教育の「ことば」に生命を吹き込む−『社会教育・生涯学習辞典』づくり−>
           
                     社全協通信 (249、2013年11月20日)   

 ちょうど1年前、『社会教育・生涯学習辞典』(同編集委員会編、朝倉書店)が刊行されました。社会教育の研究・実践・運動や、国際的な動向の中で、多様に紡ぎ出されてきた数々の用語、概念や方法、思想や政策などの「ことば」、その本格的な辞典づくりの試みは本邦初の大事業でした。編集委員会30人、精選された項目は約1500、執筆者320人余、10年の歳月を要しました。大作です(A5版672頁−欧文・和文索引46頁を含む)。
 社会教育の領域は、ノンフォーマルな活動を含み、関連分野が拡がり、発展的・躍動的であると同時に、流動的な側面をもっています。「ことば」が十分に確定せず、あいまいになる場合も少なくありません。編集委員会の思いは、これまでの蓄積を確かめつつ、生涯学習の拡がりにも目を向け、大事な「ことば」の意味を確定することによって「…社会に幅広く存在する"学び"の関係者が共有するツール」(辞典「刊行にあたって」)を提供すること。幸いに刊行後の評価はおおむね良好、各方面で活用され始めているようです。
 社全協の実践と研究の運動は、これら社会教育の骨格にかかわる用語・概念の創出に参画し、展望を拓く「ことば」に生命を吹きこんできたと言えるでしょう。たとえば「共同学習」「学習権」「自己教育」「教育福祉」「社会教育計画」などなど。今回の辞典づくりで、私たちは多様多彩な「ことば」に囲まれている豊かさを実感しました。そして今後さらにその論議を深め「ことば」の充実につとめていく課題を痛感しました。
 社全協結成がら10年余の蓄積を基礎に、かって『社会教育ハンドブック』(1979年)を編んだことを想い出しています。その後『社会教育・生涯学習ハンドブック』と拡充され、いま第8版(エイデル研究所)。国際的な動きを含め、実践・運動を共有しようとする『ハンドブック』1冊には驚くべき「ことば」が収録されています。これに『社会教育・生涯学習辞典』を重ねれば、さらに体系的な理解につながるのではないでしょうか。






15、TOAFAEC
(1) TOAFAEC 20年の歳月−いくつかの回想
  「東アジア社会教育研究」第20号・巻頭言 (2015年):

                       小林 文人(TOAFAEC顧問、東京学芸大学名誉教授)

1,はじめに 1996年9月18日(九一八)に創刊した本年報『東アジア社会教育研究』は、今年で第20号を迎えた。20冊の「東アジア」社会教育研究誌が世に送り出されたことになる。毎号それぞれに課題を残しながらも、その年度の新しいテーマにチャレンジして編集は重ねられてきた。20冊を並べてみて、いまあらためて「継続は力なり」を実感している。平坦ではなかったが一筋の道を歩いてきた。本年報には全20冊の総索引が掲載されている。それによると、収録論文(報告・資料等を含む)全386本、執筆者総数279人(うち日本137人、中国・台湾・内モンゴル97人、韓国41人など)。年報創刊に関わったものとして、寄稿いただいた執筆者各位、対談・翻訳・記録・編集等に参加いただいた皆様、すべての方々にまず深い感謝を申し上げたい。
2,研究会の歩み 本年報の歴史は、編集発行にあたってきた「東京・沖縄・東アジア社会教育研究会」(TOAFAEC)の歩みと重なっている。研究会の第1回定例会は、本誌発行の前年1995年6月に開催されたが、その後、各年ほぼ毎月継続され、2015年9月に第220回を数えた。定例会の記録をたどってみると、この間の時代変転を反映して多彩なテーマを取り上げることができた。参加者は東京・周辺だけでなく、ときに沖縄から、また東アジア各地にルーツをもつ留学生をはじめ、上海・広州や台北・ソウル・公州そしてモンゴルなどより来日のゲストを迎える機会もあり、文字通り東アジアへの拡がりをもつ研究会の歩みであった。社会教育関係者・研究者・留学生だけでなく、関心ある多数の市民の参加にも恵まれてきた。それぞれの年度の研究会活動が年報各号編集に反映されてきた。その意味で私たちは充実した20年の歳月を歩んできたと言うべきであろう。
3,沖縄研究の蓄積 TOAFAEC研究会の歴史には前史がある。1976年に創設された「戦後沖縄社会教育研究会」(東京学芸大学社会教育研究室)である。アメリカ占領下の沖縄の社会教育・文化政策の実像を記録していく取り組みであった。1995年3月に研究会を閉じるにあたって次のようなメモが残されている。「…通算19年間−研究会128回、沖縄(奄美・宮古・八重山を含む)訪問・調査53回、学会発表12回、戦後『沖縄社会教育史料』刊行7冊、『民衆と社会教育』出版(エイデル研究所、1986年)、論文発表多数、今後の展望・模索中」。この歩みを加えると、私たちの研究会は40年の歴史をたどってきたとも言える。模索の中から東アジアへの視座がテーマになっていく。
4,歴史の響き合い 20年前の沖縄から東アジア研究への展開には、いま振り返ってみると、歴史的な激動といくつかの条件に支えられていた。一つには国際的な東西冷戦構造の終結し、東アジアにおいて(国によって違いはあるが)それぞれの改革・開放政策の動きがあり、そして民主化運動の胎動があった。二つにはその状況のなかから社会教育・生涯学習の新しい施策や改革が取り組まれはじめる。東アジアの社会教育・生涯学習の世界に、これまでにない法・条例制定の時代を迎えた。三つには各国相互に研究者レベルの(海を越えての)出会い、研究交流の先駆的な努力がみられた。四つには留学生たちの国・地域をつなぐ架け橋としての役割が重要であった。
私たちと中国の友人たちとの交流が本格化するのは1990年代からであった。韓国とTOAFAECとの間では次のような経過であった。まず(TOAFAECの歩み以前に)四次にわたる「日韓社会教育セミナー」が開催され(1991〜1993年)、その後の交流の重要な契機となった。1995年に韓国「教育改革方案」(5月31日)が出されるが、奇しくもその3日後に私たちのTOAFAECは創設された。同「方案」を作成した大統領諮問教育改革委員会会長・金宗西氏(ソウル大学名誉教授)の論文「韓国の文解教育問題の考察」が私たちのゼミで日本語訳され、年報『東アジア社会教育研究』創刊号の巻頭を飾った。韓国ではその4年後に(社会教育法を全面改正するかたちで)「平生教育法」が制定されるという流れであった。
5,東アジア・多元的な研究交流 アジアの視点から日本社会教育をとらえていこうという発想は、TOAFAEC創設以前の「東アジアの社会教育法制」研究(東京学芸大学)に胚胎していた。たとえば小林は「日本の社会教育を近代ヨーロッパ・モデルとの対比において類型的にとらえる手法を脱し、アジア・モデルの視点をもって複眼的に把握する必要」を指摘した経過もあった(1993年)。
冷戦後の国際交流がゆるやかに拡がり始め、今世紀に入って、韓国と日本、中国と日本、あるいは台湾と日本といった二国(地域)間の研究交流が曲折を含みながら進展していく。国内ではTOAFAEC の周辺で「韓国生涯学習研究フォーラム」(2007年〜)、「中国生涯学習研究フォーラム」(2008年〜)が活動を始め、それを繋ぐかたちで「東アジア研究交流委員会」(2009年〜)が登場した。一部に開店休業の期間を含んでいるが、東アジアの視点による多元的な(二国間を超える)研究交流の新しいチャレンジが始まった時期と言えよう。
6,上海・国際フォーラム 海を越える動きについては、日本と中国、日本と韓国、の両研究ネットが出会う状況が生まれ、中国側の積極的な呼びかけがあり、2010年11月「第1回・日中韓・社会教育生涯学習国際フォーラム」(会場・上海外国語大学)が開催された。三国より約100人の参加者が集う盛大な「国際フォーラム」となった。総括として2年おきに韓国・日本で国際フォーラムを開催するという「協議書」が交換されたが、その後(東アジアの政治的緊張関係もあり)第2回以降は開催されていない。詳細資料はTOAFAECホームページに掲載している。
https://secure02.red.shared-server.net/www.bunjin-k.net/3kokusinpo2010.htm
この時期に、各国・地域の相互研究交流の旅が、従来の2国間から日中韓(台湾を含む)をめぐるトライアングル企画として実現した。たとえば2011年11月、福建省全民終身教育促進会による訪日・訪韓の旅・日程が印象的に想起される。
7,新しい地平へ 年報第16号(2011年)は「東アジア社会教育における研究交流の歩みと新しい地平」を特集した。小林・李正連・上田孝典(共同執筆)による総括的な課題提起が試みられている。上記・上海の国際フォーラムに至る成果とともに、典型的な国際大会・行事にみられる反省や教訓が語られ、「これからの研究交流への具体的提言・試案」が率直に示されている。たとえば(大規模集会ではなく)小規模の実質的な交流の積み重ね、日常的な研究情報ネットワークの構築、実践に携わる職員の連携と交流、研究交流の記録化、多国間の双方向的な体制や留学生の役割、地域密着の参加調査活動の重要性など。国家規模・学会レベルの国際交流を前提としつつ、テーマによる実質的な論議と日常的な研究交流の深まり・拡がりが目指されている。
8,海を越える出版活動 「東アジア」と言う場合、その範囲として大きく漢字文化圏ないし儒教文化圏の拡がりを想定している場合があるが、その中で民族・地域の言語はむしろ多様である。年報「東アジア社会教育研究」は日本語バージョン、目次のみを英語、中国語、ハングルに訳出して裏表紙に掲載するのが関の山。それぞれの言語により(英語でなく)東アジア社会教育・生涯学習を理解していくことが課題となってくる。
 日本社会教育と韓国「平生教育」の相互理解のために、前記・韓国生涯学習研究フォーラムは大きな仕事をしてきた。両国それぞれの歴史・制度・実践・運動を総体的に盛り込んだ本格的な出版である(日本語版『韓国の社会教育・生涯学習−市民社会の創造に向けて』エイデル研究所・2006年、ハングル版『日本の社会教育・生涯学習−草の根の住民自治と文化創造に向けて』学志社・2010年)。その後、前者はいま改訂版が準備され、後者はさらに日本語原版(大学教育出版、2013年)が刊行された。
 日中間の出版については、中国語版『現代社区教育の展望』(上海教育出版社、2003年)、同『現代生涯学習論−学習社会へ向けての架橋』(上海教育出版社、2008年)のなかに末本誠・小林らが日本社会教育・生涯学習について執筆しているが、一冊の出版としては未発である。日本に向けて中国の成人教育・社区教育・生涯学習に関する体系的な出版も今後に期待される。
9,これからの思い−専門職化への運動 20年の峠に到達した今、あらためてこれからの歩みについて、いくつかの課題を付言しておきたい。一つは、言うまでもなく「TOAFAEC」(研究会)の継続的発展と年報『東アジア社会教育研究』の更なる蓄積である。財政的な問題をどう克服するかがもちろん大きな問題であるが、何より活動を担う中心スタッフの世代的連続と拡充こそが求められる。20年の歳月はその転換点をもたらしている。第二は、東アジアへの視野の拡がりをどう焦点化し総括していくか。年報20冊に収録されてきた動向・知見・論議は多彩に拡がり、特集企画等により総括の努力が試みられているが、果たして成功したかどうか。乱舞する諸概念の整理から今後に向けての仮設提起・理論化の試みまで課題は大きい。第三には、この20年の蓄積をさらに展開させて、東アジアの社会教育・生涯学習に携わる「専門職」制度の形成と運動に参加していきたい。いま日本の社会教育主事制度は低迷し韓国の平生教育士が拡充の方向にある中、中国・台湾はどのような状況にあるのだろう。法制整備だけでなく社会的に期待される専門的力量の内実が問われよう。
10,研究共同体への夢 第四に、東アジア社会教育・生涯学習における"国家論"を深めつつ、"地域・自治体論"に研究のあと一つの軸足をおき、実践的かつ運動的に掘り下げていく必要があろう。住民自治・市民活動・福祉・協同・地域文化・地域づくりなどの諸課題とともに、集落レベルの自治と共同に関わる理論を豊かにしていきたい。この点では沖縄の集落(字)公民館研究や(おそらく)韓国のマウル共同体研究がステップとなるに違いないし、東南アジア諸国におけるCLC(地域学習センター)研究とも結ぶことになるであろう。
 最後に、私たちは自主・自由の研究共同体でありたい。東アジア各国・地域の研究共同体との同志的な連合に参加し、民主主義の発展に寄与したい。逆説的な表現を許してもらえば、大きすぎない、ゆるやかな組織の、連帯的な活動集団でありたい。
 東アジアの海は広く、行く道は遠く遙かであるが、20年の歳月でその道は拓かれた。





5、TOAFAEC
(2) TOAFAEC の歩み−回想・覚書として@〜I (「南の風」記事ほか、2015年)

目次
1、私たちの思い(年報『東アジア社会教育研究』創刊の辞・1996)上掲
2、「東京・沖縄・東アジア・社会教育研究会」提唱(TOAFAEC通信1「ひろば」1995)上掲
3、1998年頭・南の海を飛びながら−沖縄研究再開の思い(TOAFAECニュース13号)上掲
4、「南の風」創刊号、50号へ(1998年2月〜7月)
5、留学生との出会い、“東アジアの発見”(日中教育研究交流会議「年報」14号、2004)
6、上海閘北区・業余大学との合作学院づくり、構想実らず(南の風676号,2001年5月)
7、「小林国際交流閲覧室」(中日文人図書室)黄丹青「公民館の風」228号2001年11月)
8、東アジア社会教育・生涯学習の躍動−この10年(年報第10号・巻頭言、2005年)
9、「南の風」2000号のご挨拶(2008年3月8日)
10,、小さな集いの"大きな志"−東アジアに研究交流の新しい地平(年報16号、2011年)

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(1)TOAFAEC の歩み−覚書として・その1 (南の風3483号)
 <私たちの思い(年報『東アジア社会教育研究』創刊の辞・1996年)>上掲

(2)TOAFAEC の歩み−覚書として・その2 
 <「東京・沖縄・東アジア・社会教育研究会」の提唱(小林)>上掲
  (TOAFAEC 通信・創刊「ひろば」1995年6月2日発行 第1号)

(3)回想・TOAFAEC・20年−その3   南の風3486号(2015年5月1日)
 <「1998年頭・南の海を飛びながら−沖縄研究再開への思い−」>上掲
  *TOAFAEC・ニュース第13号(1998年1月30日) 

(4)TOAFAEC・20年の回想−その4
 <「南の風」創刊号、そして50号へ(1998年2月〜7月)> 
○第1号【1998年2月 6日】沖縄研究再開について、台湾訪問
 みなさまへ。ここ1両日、相次いで神戸と佐賀からメールがとどきました。いずれも沖縄研究あるいは東アジア研究に関連するところあり、実験的にパソコン通信として配信してみたくなりました。小生は、とりあえず「南の風」通信と名のることにします。これはその記念すべき第1号です。
 ただし情報過多になるのはよくないので(小生の旧友のパソコン通信ネットは、1日に2〜3通来ますので、その弊害あり。読むのにたいへん!)、意見ください。迷惑であれば、ただちにネット配信は停止しますので。まず若干の小生のメールを記します。
1,神戸へのご返事。TOAFAEC 通信13の小生の拙文に早速反応していただいて有り難うございます。
 研究会は、「再開」なのではなく、実は東京では、この20年余り営々として「継続」してきました。(略)
2,関連して、鹿児島では韓国・黄宗建さんを5月に招く計画をもって…これに合わせて「沖縄研究」合宿
 を計画するのも一案か。(略)
3、佐賀へのご返事。台湾への旅、ぜひ動いてください。台中には、TOAFAEC 編集委員の陳東園がいま
 すので、連絡してぜひ。(略)
4,国分寺へ。2月20日、島袋正敏、中村誠司両氏の歓迎会の会場は決定しましたか。折り返しご連絡
 乞う。(以下、略) *bP〜50主要目次→http://www004.upp.so-net.ne.jp/fumi-k/kazeitiran2.htm
○第50号【1998年7月 3日】第50号記念、勝手に風は吹く
 [南の風]が50回となりました。吹きはじめが2月6日、それからちょうど五ヶ月、一月平均10回です。少し役にたったところもある?しかし他面まさに情報押売りの実態もあり、なかには辟易、顰蹙、困惑など感じられた向きも少なからず、この機会にお詫びしておきます。
 しかし、発行元としてはこの五ヶ月、かなり楽しんだことも事実。パーソナルに勝手に吹きたいという心情、だから、[南の風]同人のネットが多少拡がるにつれて、後半はかなり冷静?になって、逆にあまり面白くない? ときにふざけて、あけすけに心も開いてやっていきたい、など思って、あろうことか、拙劣きわまる戯れ歌などご披露する始末、正直なところ、誰か「恥ずかしいからやめろ」と言ってくれるのを待つ心境。はい。(以下・略)

(5)TOAFAEC・20年の回想−その5
 <留学生との出会い、“東アジアの発見”>
     *日中教育研究交流会議「研究年報」第14号(2004年)
 … 留学生との交流の中で痛切に反省させられたことは、一衣帯水の東アジア諸国の社会教育・成人教育に関して、私たちがほとんど確たる知見をもっていないこと、また対話していく言葉・知識が不十分であることであった。彼らと出会って、私たちは歴史的・文化的に深い関係をもつ“東アジア”についての研究視点をもつ必要を自覚させられたといえる。
 1993年・小林ゼミ(東京学芸大学大学院「社会教育施設研究」)では、公民館研究から法制研究へと関心が拡がり、研究室共同の取り組みとして『東アジアの社会教育・成人教育法制』に関する報告(B5版、138頁)をまとめた。その「まえがき」には、「ヨーロッパに関する知見に比べて、なんとアジアのことに無知であるかを反省させられた」こと、「社会教育における“東アジアの発見”」について記している。この報告書は、わが国最初の東アジア諸国の社会教育・成人教育法制に関する体系的な報告ではないかと自負している。留学生と日本人院生・研究生が協同して取り組んだ作業であった。(中略)
 歳月の経過とともに研究室を巣立った留学生の輪が東アジア各地に拡がっている。20年の歳月は、社会教育・成人教育を共通のテーマとして、海を越える交流を蓄積してくれた。もちろん音信不通もあり、そのまま在日している人たちもいるが、大半は東アジアの故郷・各都市に帰っていった。北京、上海、広州、あるいはソウル、釜山、台北などにおいて、それぞれの立場で活躍している人が少なくない。この拡がりを「桃杏四海」と形容する人もある。嬉しいことである。もちろん在学中の出会いが主な契機となるが、むしろその後の研究室との付き合いが大きな意味をもっている。この間に研究室出身以外の人々との新しい出会いもあり、研究室は歳月を重ねての交流・結節の継続的拠点となってきた。
 私たちのささやかなネットワークから、いろんな企画や挑戦の試みが生まれ波紋を広げてきた。研究交流、国際シンポジウム、講演会、出版物企画、学校づくり、文庫構想などなど。企画倒れもあるが、いくつか結実したものもある。
 とくにこの10年来、激動渦巻く現代都市・上海市の成人教育関係者や華東師範大学との研究交流が一つの潮流となってきた。なかでも上海市閘北区「業余大学」の合作による中日学院づくりへの挑戦は興味深い展開であった。いつまでも忘れないだろう。両者をつなぐ媒介役を担ったのは、かっての東京学芸大学留学生の二人(羅李争と袁允偉)であった。…以下、略…

(6) TOAFAEC・20年の回想−その6
 <上海・閘北区業余大学との合作学院づくり、構想実らず>
          *南の風676号(2001年5月10日)
 … ながく教育の仕事にたずさわってきたものとして、いい学校を創りたいという思いは誰しも一度はもつものだろう。しかし日本では(土地問題もあって個人では)とうてい実現の見込みはない。ところが中国では、改革開放政策の進展があり、また1990年代「社会力量弁学」の動きもあって、可能性があるのではないかというのが、この間の「合作学院づくり」の夢を抱く背景であった。事実、広州市の関係者と学校づくりについて具体的な協議をしたこともあった。1993年から94年にかけてのことである。
 1994年11月、上海第二教育学院(当時)で「日中大都市社会教育研究集会」が開かれ、招聘されて上海に渡り、その夜の語らいの席で羅李争(東京学芸大学大学院卒)や上海市閘北区「業余大学」関係者との間で合作学院づくりの話が始まった。小林は東京学芸大学の退職金を一部拠出する、日本・中国の社会教育関係者相互の自由な研究交流の場をつくる、TOAFAEC 活動のネットワーク拠点とする、そんな夢がその後にも次第に膨らんでいった。1995年12月27日、合作学院の構想として、上海に次の構想を書き送った記録が残っている。
1,活発な精神と、学習・研究の自由を尊重する。(自由の精神)
2,社会的不利益者を含めすべての民衆に開かれた学校。(万人の学習権保障)
3,緑あふれ、花咲きほこる美しい学校。(恵まれた環境)
4,利潤を求めず、しかし経営的に持続する。(非営利の経営)
5,社会教育・成人教育に関して中国と日本の研究交流と親善に寄与する。
  (日中友好、東アジア社会教育研究ネットワークの形成)
 初期の学院名称案は「上海市中日文人学院」。その後、紆余曲折を経て、意向書、契約書、定款案などが作成され、その都度の調印も行われてきた経過は、「南の風」で折りにふれて報告し、またTOAFAEC ホームページに収録している通り。合作学院の名称は個人的ニュアンスを脱する方向で、「宏文」学院と修正された。
https://secure02.red.shared-server.net/www.bunjin-k.net/tyuugokuhyousi.htm
 この6年間の経過をここに詳述する必要もないだろう。最終的に「すべて問題はない」として、正式文書の調印と交換(2000年11月)が行われたことも「南の風」で報告してきた(第579・580号)。
 「やれやれ、やっとこれで一段落か、といった感じです。中国とのお付き合いは少々時間がかかりますね。」(同・579号)と書いたことも想い出される。
 しかし今回五月の上海訪問のなかで、この合作学院の構想は、今後進展が見込めないことが分かった。上海市閘北区業余大学関係者による私たちの歓迎会の席で、王鴻業学長より「まことに申しわけない、合作学院の成立は見送らざるを得ない」という判断が報告された。
 これまで学院づくりにかけてきた双方のエネルギー、とくにその間にあって連絡・調整・翻訳などの労をとってきた羅李争や袁允偉のことを考えても、まことに残念至極!(以下、略)

(7)TOAFAEC・20年の回想−その7
 <「小林国際交流閲覧室」(通称・中日文人図書室)開幕−黄丹青>
         *小林「公民館の風」228号(2001年11月8日)
 … 上海閘北区の新社区大学・行健職業学院に実現した「小林国際交流閲覧室」のいきさつを簡単に紹介しましょう。
 ご存知のように、小林先生と閘北区業余大学(9月から上海行健職業学院に変身)との5年越しの合作学院の話が流れてしまい(南の風 第676号「合作学院の構想実らず」参照)、その後、9月には中国側から図書室をつくりましょうといった内容のメールが送られてきた(南の風 750号)のはご承知のことと思います。
 これについても話し合おうというつもりで今回訪中した小林先生ですが、到着した10月9日夜の歓迎会で、翌日に図書室の除幕式があると聞かされ、さすがに驚いた様子(「もう何が起こっても驚かない」と言っていましたが…)。
 どうも学院側は、小林先生の好意がなかなか実らないことに心を痛めて今回の訪中で長年の懸案を解決しようと前の晩に急遽決めたとのこと。前日9日に看板を注文、それをかけ、図書室・室内を整え、大忙しの一日だったようです。
 10月10日に閘北区教育局の「社区教育」報告を聞いた後、院長や党書記、関係者の立会いのもと、会議室で「小林国際交流閲覧室」除幕式が行われました。また小林先生が新社区大学・行健職業学院客員教授と図書館名誉館長として迎えられ、その招聘状の授与式も同時にありました。
 同行の先生方から「よかった、よかった」と言われながらも、あまりにも急なことで、小林先生はまだ少し腑に落ちない様子。…「生米作成熟飯」(生米のままご飯になってしまった)。話は徐々にどのような閲覧室にするかへ移り、先生からは、社会教育、法制関連の本を送るとか、羅さんからはノートパソコンを購入し、そこで学生が世界とくに日本の最新情報を手に入れられるようにするとか、さまざまな案が面白く出されました。その中で、日本の音楽をバックに、川崎や東京・大阪、沖縄など自治体の社会教育関連の資料を置いてはどうか、という話も出ました。
 蘇州から上海へ帰る途中、行健学院は社区の学校として会議室や図書館を地域に開放するのだから、この「国際交流閲覧室」も地域社会に開放し、そこへいけば日本の地域・社会教育情報が閲覧し交流できるようなところにしようと、構想はさらにふくらんでいきました。…
 さらに、図書館長から来年はぜひ社区教育祭りの一環として、図書館で講演をしてほしいと言われました。どうも10日の先生の学生たちへのスピーチが大変好評で、学生記者による報道により教師たちからも「知っていれば聴きに行きたかった」と言われたそうです。(以下、略)

(8)TOAFAEC・20年の回想−その8
 <東アジア社会教育・生涯学習の躍動−この10年(小林)>
   *『東アジア社会教育研究』第10号巻頭言(2005年)
 … 毎年、九一八の日を期して発行が重ねられ、いまここに待望の第10号を完成させることができた。
 沖縄社会教育研究から30年、東アジア社会教育研究から10年。これまでの歩みを振り返り、ようやくここまでたどりつくことができたか、という感慨ひとしおである。この間ご支援をいただき、ご協力をたまわった皆様に、まずは心からの御礼を申しあげたい。この場をかりて、苦労をともにしてきた研究会同人、とりわけ本年報編集委員会、同事務局の皆さんに深く感謝したい。
 本『研究』創刊当初は、何号まで継続できるか、まったく自信がなく、「いわゆる3号雑誌におわらないように」などと話しあった経過もある(第3号・巻頭言)。10号までの刊行を持続できたことの背景には、“東アジア”という新しい舞台と、そこにおける社会教育・成人教育・生涯教育の現代的な潮流、その新しい展開があったからである。私たちのこの10年は、おそらく後々までも記憶されるであろう“東アジア”社会教育の“激動の10年”と重なっている。…(中略)…
 さて、本号は10号記念号として、やや長めの <巻頭言>となることをお許しいただきたい。東アジア・社会教育における“10年の激動”とはどういうことであろうか。10号の歩みを総括的に振り返りながら、いくつか歴史的な特徴を取りあげておこう。
 第一は、言うまでもなく旧来の社会教育の流れに加えて、新しく生涯教育(生涯学習)に関わる具体的な施策が胎動し始めたことであろう。…(略)
 第二は、この10年は、生涯教育・学習についての積極的な法制化への挑戦がみられた。…(略)
 第三は、1990年代の、とくにその後半における東アジア各国・地域における地方自治・分権の新しい躍動がみられた。…(略)
 第四は、自治・分権の潮流とも関連して、「社区」(コミュニティ)の視点にたった活動・学習が展開されてきたことである。いわば地域主義的な社会教育・生涯学習の実践は、これまでにない住民活動、市民運動、地域づくり、ボランテイア活動、NPO運動等と連動する側面をもたらしている。…(略)
 私たちの研究会活動と年報刊行は、このような東アジア社会教育・生涯学習をめぐる“10年の激動”を背景とし、その動向を追いかけ、歴史的な意義を確かめる作業をしてきた思いでる。重要な研究テーマと出会うことが出来、私たちのこの10年は、たいへん幸せであった。
 この間には、関連して『おきなわの社会教育−自治・文化・地域おこし』(小林・島袋正敏編、エイデル研究所、2002年)、『現代社区教育の展望』(小林・末本誠・呉遵民編、中国語版、上海教育出版社、2003年)を上梓する機会に恵まれ、いままた『韓国の社会教育・生涯学習』(黄宗建・小林・伊藤長和編、近刊予定)の企画が進行中である。これらも10号にいたる編集・刊行とそこで育くまれてきた研究ネットワーク(定例研究会110 回を含む)に支えられてきたところが大であった。いまだ充分な結実には至らないが、幾つかの成果を生み出してきたと考えている。…(以下、略)…

(9)TOAFAEC・20年の回想−その9
 <南の風2000号のご挨拶(2008年3月8日)>
 この一文を書く日を夢見てきました。1998年2月に吹き始めた風、十年と一ヶ月で到達した2000号。いろんなことを思い出します。
 五年目の1000号のとき、あのころ併行して出していた「公民館の風」を休刊し、「南」だけにしぼって沖縄・東アジアの交流空間づくりの新たな一歩を踏み出すか、などと相談した夜。横にいた誰かが「2000号まで頑張れ!」と挑発したことを思い出しています。とてもそこまでは無理だ、というのが正直な気持ちでしたが、なんとか体も頭?も持ち堪えて、ここまで吹き続けることができました。
 最初から参加していただいた方々は、なんと十年の、しかも1日おきのお付き合い。よくぞ辛抱してくださった。迷惑メールの氾濫が始まって以来、何度も「風」を止めようと思いました。しかし皆さんの期待と激励、いや寛容と忍耐、に助けられて今日を迎えました。これまでのご愛顧に心から感謝しています。有り難うございました。
 これから「風」をどう吹くか。いまだに、考えが定まりませんが、まずは休刊にすることをお許し下さい。とくに、最近新しく参加された方々、この間、「風」を継続するよう激励していただいた方々(そのたくさんのメールを「風」に載せる号数がなく、残念!)、皆様のご期待に直ちに応えることができず、申しわけありません。
 しかし、1997号「これからの風をどうする?」にも書いたように、いくつも課題があることは確か。新しくやりたいこともないわけではない。ここで書くと、妙な決意表明みたいになってしまいますから、控えておきます。ちょっと立ちどまって、ひと休み。ゆっくりと次のステップを考えてみます。風として継続していくか、別のかたちか、1週間後か半年後か、まだ分かりません。
 好きな歌の一節、♪… 結婚は白い雲、これから〜どんな空を飛んでいくのか、それは成り行き風まかせ〜♪の気分。
 継続して、多少なりとも期待していただける方は、その旨のメールをお寄せいただければ幸いです。ゆっくりと、新しい配信アドレス・リストをつくることにします。
 いつもの調子、最後のご挨拶もまた長くなってしまいました。ここでお別れする皆様には、あらためて感謝申し上げ、ご健勝をお祈りします。

(10)TOAFAEC・20年の回想−その10
 <小さな研究活動の"大きな志">
 
*「東アジアにおける社会教育・生涯学習研究交流の新しい地平」
    −TOAFAECの活動を通して−(小林)
   『東アジア社会教育研究』第16号(2011)所収(抄録)
 … 研究通信「南の風」は、…もともとは小林の沖縄(南)研究の活性化を呼びかけたメイル通信から始まったものであるが、創刊時からTOAFAECの広報機能を積極的に担ってきた。毎年平均200号を配信、この13年余の歳月に2700号を数えている。当初は沖縄研究の同人誌的な通信に止まっていたが、数年の間に留学生を窓口に次第に東アジアへネットを拡げ、台湾、上海、北京、広州、烟台など、さらに韓国、最近は福建省へも拡がっていった。日中韓・三国フォーラム(2010年11月)や東日本大震災(2011年3月・別稿)など関連情報が集中するときは、ほとんど連日の「風」が(日本国内だけでなく)東アジア各地に配信された。ただし日本語版のみ、いまだ東アジア各都市の"点"を結ぶ段階であって、線や面の拡がりにはなっていない。国境を越えて社会教育・生涯学習の関連情報を共有していく速報的な役割は果たしているといえようか。発行リストは目次一覧のかたちで「東アジア社会教育研究」第3号(1998年)以降の各号末尾に記載されている。
 あらためてTOAFAECとしての東アジア・研究交流活動を振り返ってみると、次の五つの柱をあげることができる。この五つは特に規約や綱領の類に明記されたものではなく、15年余の実際の活動軌跡、その曲折の歩み・実録を整理したものである。あえて実現に至らなかった学校経営への挑戦も含めている。小さな団体の"大きな志"、ささやかな取り組みと歳月による思わぬ蓄積と言えようか。詳細資料は、すべてTOAFAEC ホームページに掲載している。https://secure02.red.shared-server.net/www.bunjin-k.net/toafaec.htm
(1) 日常活動としての定例研究会(原則として毎月開催−2011年8月まで175回を数える)、
 各種の集い(沖縄を語る会、対談・シンポジウム、歓迎・送別会など)
(2) フィールド調査(韓国、上海、沖縄など)、訪問活動、訪日団受け入れ等の親善活動
(3) 研究通信「南の風」発行 *ただし小林・個人通信の側面を併せもつ。
(4) 出版活動−A,年報「東アジア社会教育研究」、B,書籍出版(略)
(5) 学校経営の模索(上海・閘北区<旧>業余大学との合作学院の構想) 
  https://secure02.red.shared-server.net/www.bunjin-k.net/gassaku1997.htm *注(略)


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