東京・沖縄・東アジア社会教育研究会(TOAFAEC)年報 TOP
『東アジア社会教育研究』編集委員会・総目次 →■
巻頭言 (1〜10、1996〜2005年、2015年・・・
小林文人)
第1号(1996年):創刊の辞−私たちの思い−
第2号(1997年):激動のなかで新しい潮流をさぐる −1997年・転換への胎動−
第3号(1998年):東アジアの苦悩と奔流、そして社会教育
第4号(1999年):東アジア社会教育の研究、その初心と四つの課題
第5号(2000年):東アジアの社会教育、21世紀に向けての胎動
第6号(2001年):東アジア社会教育研究への「思い」5年
第7号(2002年):社会教育法制から生涯学習法制への動き
第8号(2003年):東アジア社会教育・この半世紀の歩み
第9号(2004年):生涯教育・学習をめぐる地域と自治の胎動
第10号(2005年):東アジア社会教育・生涯学習の躍動−この10年
(編集後記)第12号(2007年):編集後記
第20号(2015年):TOAFAEC 20年−いくつかの回想
第27号(2022年):東アジア社会教育・生涯学習半世紀の歩み
ー躍動に学び、課題をさぐる
第1号(1996年) 創 刊 の 辞−私たちの思い−
東京・沖縄・東アジア・社会教育研究会・発行
Tokyo-Okinawa-Asia Forum on Adult Education and Culture
(TOAFAEC) 代表 小林文人
日本の社会教育は戦後の教育改革からすでに半世紀を経過した。その歴史はさまざまの曲折を含んでいる。地域によって停滞や混迷も少なくなかったが、しかし主要な流れは蓄積と発展にあり、あるいはそれへの挑戦の道程であったということができよう。私たちの研究活動も、今日までその歴史を探求しつつ、さらにまた、新しい発展の歩みにともに参加していこうと考えてきた。
これに加えて最近、國や国籍を越えて社会教育のあり方を考える必要が痛感される。また国際比較という場合も、欧米を中心とするのでなく、もっと視点を多元化していく必要があるのではないか。たとえば日本が属する東アジアの視点から考えると何が見えてくるのか。このような問題意識から私たちはこの数年、海を越えて、東アジアの社会教育についても視野を拡げ、探求を深めていく課題を話しあってきた。
振りかえると1976年に「沖縄社会教育研究会」を始動させて、すでに20年が経過している(研究会開催・通算128回)。その後1989年からは、東アジアの留学生たちと社会教育に関する「アジア・フォ−ラム」を間断なく開いてきた。またこれと平行して、研究室から巣立った有志と「東京・社会教育理論研究会」も続けてきた。
そして1995年の転機に、これらを合流して新しく「東京・沖縄・東アジア・社会教育フォ−ラム」(TOAFAEC)を発足させることになったのである。それから早いものでも う1年が経過した。(後記「活動日誌」参照)
幸いにここ10年、私たちのまわりには社会教育に研究関心をいだく東アジアからの留学生が増えている。また東アジア各地には私たちの友人がひろがった。TOAFAEC 研究会を重ねていくと、海を越えて、いろんな社会教育・成人教育の新しい情報がとどけられるようになった。そしてとくに昨年は沖縄からの熱き叫びも聞こえてきた。
これらを横につなぎ、大事な事実を記録化していくため、研究と交流の「ひろば」として、ここに本研究誌を発刊することとなった。とくに規約など用意していないが、編集方針としては次のようなことを考えている。
1,東アジア(沖縄、東京等を含む)の社会教育・成人教育の動向分析、情報交流
2,東アジアからの留学生、若い研究者の研究発表(ただし一定の研究水準の堅持)
3,TOAFAEC 研究会の活動記録
4,民間非営利、不偏不党、自由闊達、の編集
さしあたり毎年1回の年報形式(6月予定)、経費は有志による共同出資、編集委員会は TOAFAEC のメンバ−、によって進めていくことにしている。
なによりもこの研究年報は東アジアに開かれたものにしたい。無名の人にとっても自己表出の場として役立ちたい。上記編集方針にそうものであれば、広く投稿を歓迎する(後記「投稿要領」参照)。また心ある方々からの資金カンパも大歓迎である。
私たちの思いを満載して『東アジア社会教育研究』は船出する。まずは3年、いや5年から7年、持続できればと考えている。ご教示、ご支援をお願いする。
第2号(1997年)
激動のなかで新しい潮流をさぐる ―1997年・転換への胎動 ―
昨年の初秋、私たちは本書『東アジア社会教育研究』の創刊号を刊行した。それから早いものですでに1年、ここに第2号を世に出すことができた。
創刊号は、思いのほか好評をもって迎えられた。とくに海外の友人たちからも注目され、嬉しいかぎりだ。それに励まされての第2号編集作業であった。編集方針は第1号「創刊の辞」(巻末再録)に記した通り、不変である。これに賛同され、また私たちの慫慂をいれて、今回も貴重な論文・報告が多くよせられた。あらためて寄稿、訳出、資料づくり等さまざまに協力していただいた各位にまず御礼を申しあげる。
私たちの思いは、本誌を通して、歴史的に(厳しく不幸な関係を含めて)深い年輪を刻みあい、地理的にも近い関係にある東アジアについて、その社会教育や成人教育、また最近の生涯教育あるいは文化活動等(以下包括して「社会教育」という)についての研究的な協同の「ひろば」を創りだしていこう、ということである。
欧米諸国についての知見に比べると、私たち東アジアの社会教育についての知識・情報は驚くほど共有されていない。各国・地域についての専門研究も、境界を越えると、相互の研究交流は途切れてしまう。言語の障害はもちろんある。また立場の違いもあるだろう。しかしそれらを超え、思いを寄せあい、かつ学問研究の自由の精神に立脚して、相互の研究的な「ひろば」、共同の研究「ネットワーク」といったものを面白く、楽しく創り出していけないものか、と考えてきた。
私たちは編集の基本原則として「民間非営利、不偏不党、自由闊達」の精神を重視する。そして、とくに東アジア各地の若い留学生・研究者(日本を含む)の共同研究、研究発表の場を積極的に用意していこう、と考えてきた。そのために本誌を「まずは3年、できれば5年から7年」持続してみたい、というのが創刊号での決意であった。本号はその2年目にあたる。
言うまでもなく東アジアはいま激動のなかにある。そこでの社会教育もまた新しい転換点に立っている。この1年の動きだけでもこれまでにない新しい展開が見られる。ここ数年来、私たちの関心は主に次のような動向、問題について向けられてきた。主要なものを四つあげてみよう。
まず一つは、「自治」に関する問題である。たとえば今年の大きな出来事である香港返還(1997年7月)もこのことと無関係ではない(と考えてみたい)。実にユニークな提唱である「一国二制度」が今後どのような展開をみせるか、関連して地域的な「自治」への展望を画くことができないかどうか。総じて東アジア各国は国家集権的な一元的体制が強いが、そのなかで「一国二制度」が柔軟に実施されていけば、地域や都市の「自治」、その「自治体」としての可能性と関連してくる側面もあろう。
韓国や台湾(今年は1987年戒厳令解除から10年)では、1994年前後から「地方自治」制度の躍動が始まっている。これらの動きは社会教育の自治的、多元的な創造の可能性を示唆するものであろう。地域の「自治」の創造についてどのような展望を画きうるか。国家にとっての教育ではなく住民自治的な方向を、一元的でなく多元的な展開を、それへの萌芽や契機を見出し得るかどうか。東アジアの社会教育は、いま興味深い時代にさしかかっているように思われる。
二つには、現代的「矛盾」についてである。1990年代とくに中国の社会主義市場経済、改革開放政策の進展は急激なものがあるが、その過程において、さまざまの諸矛盾が顕在化してきている。たとえば沿岸大都市部への人口流動の激化、経済的な貧困と地域的な格差の拡大、旧制度解体にともなう混乱と社会意識のずれ、などの諸問題が深刻化してきている。また地域によって状況の違いがあるが、高齢化社会の問題もこれから重大である。これらにどう対処していくか。いわゆる社会的弱者や被差別少数者にとっての教育機会や学習権保障の課題が新しく生起してきている。社会教育の在り方としても、単に政治や経済発展に必要な人材養成というだけでなく、これらの諸矛盾に挑戦していく新たな視点が求められている。
三つには、「地域」社会教育についての新しい動向である。中国の「成人教育」は経済発展に対応する能力開発主義的な方向を活発に推進してきたが、他方、本号にみられるように上海や天津など大都市部において、地域主義的な「社区教育」の新しい展開がみられる。日本の公民館的な地域施設も設置され話題をよんでいる。いわば中国的なCommunity Educationの提唱と言えようが、この動向をどう理解したらよいか。改革開放・市場経済政策の進展により従来の職場単位の教育・福祉機能が変容・後退し、地域レベルの新しい「社区教育」や福祉の役割が注目されてきたということであろうか。これらが今後どのように展開していくのか、日本や韓国さらには台湾の地域主義的「社会教育」「地域福祉」の動向をふくめて追求していく必要があろう。
四つは、共通して社会教育関連「法制」の整備が進められていることである。中国「成人教育」法案の動きだけではなく、韓国そして台湾においても新しい法制化の試みが始まっている。これらの動向については、不充分ながら日本社会教育学会年報40集(1996年)所収の『東アジアにおける社会教育の概念と法制』(小林)として紹介した。新しく模索されている「教育改革」が、いずれも学校教育だけでなく社会教育そして生涯教育に大きな政策的比重をかけて進展をみせている点が特徴的である。しかも日本の1990年代「社会教育」「生涯学習」両法制がいわば混迷の「整備」「並立」であるのに対して、それぞれに曲折をへながらも、新しい制度の積極的な「構築」「創造」を志向している点で共通するところがある。これらの法制化への挑戦がこれからどのような展開をとげるか、興味深いものがある。
本第2号の編集にあたっては、上記のような研究関心が基盤となっている。しかしとくに体系的にすすめたわけではなく、寄稿をよびかけ投稿を大切に受け止めた結果が本号の構成となった。もちろんいくつもの課題を残しているが、各国・各地域から、それぞれ激動の時代を背景として、躍動的な論文や新しい報告を収録することができたと思う。この第2号によって私たちの活動もまた新しいステップを刻むことになる。これからの1年、またどのような展開がみられるのであろうか。
本誌は大学・学会の研究紀要ではなく、組織・団体の機関誌でもない。しかし単なる同人誌に止まりたくもない。とくに財政的基盤があるわけでもないが、ひたすら自由闊達の精神を基本とし、地域や国籍を超え、東アジアの社会教育に研究関心をもつすべての人に開かれた協同の研究誌でありたいと願っている。社会教育研究におけるいわばNPO的活動と言えようか。心ある方々のご参加、ご支援(カンパ歓迎)をお願いしたい。
第3号(1998年)
東アジアの苦悩と奔流、そして社会教育
前号からまた1年がめぐって、ここに第3号を刊行する運びとなった。
この1年、東アジアをめぐる激動は想像をこえるものがある。昨年7月は香港の中国返還が実現した。その直後に中国を旅したが、まったく慶祝一色。あるいは韓国を含むアジア「四昇竜」と呼ばれたきた新興工業経済地域(NIES)の前途は、明るい展望で描かれていた。
それがどうしたことか、7月のタイ通貨切り下げや10月下旬の香港株式市場の暴落を契機として、アジア全域に経済不況の暗雲がたちこめ、未曾有宇の通貨・金融危機が襲ってきた。これまで営々と築いてきた各国・地域の経済発展の果実は、もろくも崩れ去る感がある。
グローバルな規模で連動する市場・経済危機の怖さ、個人のささやかな安定や幸せを押しつぶす経済機構の理不尽さ。企業破綻、待業・失業、生活困窮、不安、葛藤、退廃など諸矛盾の激増。
それに加えて、この夏の気候異常がもたらす韓国の水害、中国長江流域などの大洪水。いま、アジア大異変・漂流の迷路(朝日)などの文字がマスコミにおどっている。
この1年、東アジアの各国・地域の社会教育・成人教育はどのような展開を示したのであろうか。とりわけ構造的な経済危機下において、1990年代の躍動的な改革の歩み(前号・巻頭言)は持続しているのか、それとも停滞や見直しを迫られているのか、中立的なのか、重要な問題だ。
いや決して中立的などではあり得ないだろう。教育の諸領域のなかで社会教育・成人教育は、社会や経済の変動ともっとも激しく関連しているはずだ。経済危機にともなって全般的には、日本がそうであるように、財政緊縮や人員削減や事業縮小によって、まずは後退を余儀なくされている部分が多いのであろう。韓国や台湾などのように、新しく準備されてきた生涯教育を志向する法制定が、当面は停滞しているのも、無関係ではないと思われる。
しかし長期的にみれば、経済の変動や危機は、必ずや自らを克服する改革とそれを担う新しい人的力量を求めるものであろう。労働や職場の流動・再編成は、そこで働く人々の養成や再訓練への新たな期待を生むに違いない。客観的には、この1年の苦悩にじむ激動の嵐は、社会教育・成人教育への次なる飛躍への要因を内包している。
この間の経済的な発展と急激な都市化は、社会的な矛盾問題と地域間格差を生みだしたが、その対応として、中央に対する地方の自治権拡大と地域(community)活動や福祉対策を前進させてきたのも東アジアの新しい動きであった。自治権拡大は、社会教育・成人教育が躍動する大いなる海である。
本号編集の主な柱は、第1号以来の編集方針を引き継いで、
(1)教育改革と社会教育・成人教育法制定の動向
(2)地域、社区教育の理論と実践
(3)識字教育、補習学校、夜間中学等の実践
についての論文・報告を寄せていただいた。
これに加えて、本年初頭より呼びかけてきた沖縄研究の再開がスタートした関係から、
(4)沖縄社会教育の地域史研究
についてのレポートを先号より多く収録することができた。ご多忙のなか、力作・労作をお寄せいただいた寄稿者各位に厚く御礼申しあげる。海を越えて、原稿が集まってくる季節(6月〜7月)は雨が多かったが、心にはいつも太陽が輝いていた。
私たちなりの編集方針(巻末参照)に基づいて、本『研究』刊行も第3号を迎えることが出来た。いわゆる3号雑誌に終わらないように、さらに毎年1冊の刊行をめざして、しばらく歩き続けるつもりである。趣旨にご賛同の皆さまのご参加(投稿など)、ご支援(カンパ歓迎)をお願いしたい。
第4号(1999年)
東アジア社会教育研究、その初心と四つの課題
本研究誌が創刊されたのは1996年の秋。いったい何号続くか、見通しも充分でないままの第1号であった。それからすでに4年が経過した。いわゆる3号雑誌に終わらないことを期して(第3号「まえがき」)、この1年の研究・編集活動を重ね、ようやくここに第4号を刊行することが出来る。なんとか歩み続けてきたぞ、という実感である。
私たちが上記・TOAFAEC(通称・東アジア研究会)を組織(1996年)して以来、ささやかながら定例研究会を続け、このような研究年報を刊行してきた思いはどこにあったのか。あらためて、いくつかの初心を想起しておきたい。
一つは、日本の社会教育(成人教育、生涯教育を含む、以下同じ)を国際的な視点から考える場合の、欧米中心主義な状況からの脱皮であった。日本は近代以降いわば「脱亜」を志向し、その意味でアジアではないということであれば別だが、地理的に厳然とアジアのなかに位置し痛苦の歴史的関係をもってきているにもかかわらず、社会教育の研究や運動においてほとんどアジアの視点から考えるということをしてこなかった。とりわけ政治的かつ社会的文化的に深いつながりをもってきた東アジアとの関係のなかで、日本の社会教育をとらえる発想はきわめて弱いものがある。その結果として私たちは、一衣帯水の隣りの国の社会教育についてほとんど知見をもたないことへの反省があった。
第二は、東アジアの社会教育について、各国レベルの社会教育の個別理解だけでなく、東アジアの歴史的形成体としての総体的な認識、そのなかでのトータルな把握が必要なのではないかと考えてきた。中国(台湾を含む)と、韓国と、日本との社会教育の歴史的な関係、植民地統治や戦中・戦後にわたる緊張的な相互関係、あるいは文明史的な立場からの共通・共有の特徴等について、いわば関係史な視点からとらえ直してみる必要があるのではないか。そのような視点をもってすれば、何が見えてくるのか、いわば新しい発見の方法を模索していきたいと考えてきた。
付言すれば、このような研究視点は私たちのこの20年あまりの戦後沖縄社会教育史研究のなかから、しだいに獲得されてきたことであった。
第三には、東アジア各地の社会教育にたずさわる研究者・実践家間の相互交流を創り深める課題である。各国それぞれの社会教育には、尊敬すべき先達がいて、また固有の理論や方法が構築されてきているにもかかわらず、東アジア特有の政治的な緊張関係も背景にあって、海をこえての出会いが少なく、仲間的な交流もあまり生まれてこなかった。もちろんアジア南太平洋成人教育機構(ASPBAE)の活動があるが、本研究誌では、まずは私たちのこれまでの研究交流活動のなかで出会ってきた友人たちの研究発表の場を用意し、(国レベルというより)大都市レベルないし個人レベルの、グラスルーツのネットワークづくりに寄与していきたいと考えてきたのである。
創刊号から本号にいたる編集作業のなかで、東アジアにおける社会教育の主要課題として、いわば研究交流の共通のキーワードともいうべき四つのテーマが設定されてきた。
(1)国際的な生涯教育の潮流を背景とする教育改革・法制改 訂の動向、
(2)大都市を主とする自治権の拡大と自治体社会教育の胎動、
(3)関連して地域(Community)活動、「社区」教育への志向、 民間社会団体の動き、
(4)識字(Literacy、中国「掃盲」、韓国「文解」)教育の実践 と運動、
これに、(5)沖縄研究、を加えて五つのテーマが本誌構成の柱となっている。1998年から99年にかけてのこの1年、これらの課題をめぐる実際の状況と展開はどのようなものであったのだろう。
二一世紀を目前にして、東アジア各国・地域は、いま大きな転換点にある。政治的に民族分断の悲劇があり、あるいは一国二制度の苦悩があり、海を越えての日常的な緊張がある。経済的には1997年中半期以降からの厳しい通過・金融危機、経済不況、生活困窮と貧富の格差拡大など。それを背景とする人口流動と社会的不安、葛藤や退廃などの世紀末現象がある。しかし他方で、これまでにない自治や分権の胎動があり、民間的な団体や文化活動の潮流も明らかである。
この歴史的な時代の激動が、各国・地域それぞれに社会教育・成人教育・生涯教育への改革も求めている。そういう時代だけに、本誌・発行のもつ意義もまた小さなものではないだろうと自覚している。
しかし課題は多く、道は遠い。本号でも当初に依頼・予定した原稿をすべて収録できたわけではない。とくに、台湾からの報告を結果的に1本も盛りこむことが出来なかった。いくつもの課題を残しながら、また一歩づつステップをきざんでいくほかはない。心ある方々の、引き続きのご支援(カンパ歓迎)をお願いしておきたい。
第5号(2000年)
東アジアの社会教育、21世紀に向けての胎動
本研究誌は、年来の沖縄研究を起点に、さらに海の外に視野を広げ、東アジアの社会教育(生涯学習、成人教育、継続教育等を含む、以下同じ)の調査研究と関係者との相互交流を求めて発刊された。1996年秋のことである。発行は、毎年の日本社会教育学会・研究大会(9月あるいは10月)をめざし、発行日はこれも毎年の9月18日(満州事変・15年戦争勃発の日)と定めている。日本がアジアとどう関わってきたか、その歴史をふりかえり戒めとすべき痛苦の日を忘れないためである。
この間には多くの方々の協力と支援を得て、本号で5号を迎えることとなった。今年も予定した期日に発刊することが出来る。これでようやく1年が終わり、そしてまた新しい歳月を歩んでいく、そんな実感である。あらためて、ご支援いただいた関係各位、執筆者、資料提供者、翻訳者、そして編集事務局の皆さんに心からの御礼を申しあげる。
私たちのこの1年は、前年にもまして、刺激的な道のり、その連続であったと言えるだろう。いま東アジアは激しく動いている。中国は(さまざまの課題をかかえながら)長大な改革開放政策を一段と進展させてきているし、韓国では経済危機を克服しつつ突如として南北の首脳会談を実現させ、「分断」から「共存」への歴史的な雪解けの道を歩みはじめた。台湾では辛亥革命以来の伝統をもつ中国国民党の長期一党支配が崩れ、民主進歩党(民進党)の政権が誕生した。「指導者の死を待たずに民主的な直接選挙によって実現する政権交代は、中華世界では有史以来最初の出来事」(中嶋嶺雄)とさえ言われている。
日本の政治的な停滞とは対照的に、東アジアの国・地域はいま大きな躍動への転換点に立っているように思える。そのダイナミックな政治的社会的状況の変化が、それぞれの教育改革や法制化の動きとなり、また新しい文化的な施策や運動の取り組みの背景となっているのだろう。これまでの政治的な分断や対立が厳しく、それにともなう抑圧や統制の歴史が苦しいものであっただけに、東アジアのこの10年の、そしてとくに1999年から2000年にかけての新しい潮流には、明るく温かい陽光が輝いているように見える。
この数年、東アジアの各国・地域では、生涯学習(終身教育、平生教育など)を主要なキーワードとして、新しい教育法制化の作業が進んでいる。むしろ教育関係者の側から提起され草案化された法案が、激発する政治・経済の課題に追いやられて、具体的な確定に至らない状況(韓国、台湾)が見られる。中国でも数年来の「成人教育」法案の動きから、新たに「生涯教育(学習)」法づくりの作業が取り組まれているが、いまだ公表の段階には来ていないようである。
本誌第5号では、出来うる限りの努力で、東アジアにおける2000年段階ともいうべき新しい教育法制化の動きを収録しようとした。日本の生涯学習振興整備法(1990年)策定が何らの果実をももたらさず、また社会教育法制の拡充自体も展望が見えない。それだけにアジア各国・地域のこうしたさまざまな挑戦がいい方向で具体化していってほしいし、(政治だけでなく)社会教育の新しい転換の契機となってほしいと願わずにはいられない。個別の法案・草案に含まれる具体的な課題や展望についても、これから(国をこえての)相互交流的な分析が必要であろう。本研究誌がそのための一石としての役割を果たすことができれば幸いである。
本号のあと一つの特長は、ここ数年の沖縄研究・調査活動が一定程度の蓄積をみせはじめたことである。私たちは1998年度から文部省・科学研究費の助成を得て、調査活動に取り組んできたが、その成果のいくつかを本号に収録することができた。
私たちの沖縄研究は1976年に始まっている。早いものですでに四半世紀が経過した。その前半の成果は『沖縄社会教育史料』(全7集、1977〜87年)や『民衆と社会教育−戦後沖縄社会教育史研究』(小林・平良編、1988年)として世に問うことができた。それからしばしの中断を経て、数年前より本格的な沖縄研究の再開をみることができた。これまでの研究ネットワークを積極的に活用しつつ、いま明らかに新しいサイクルの挑戦が始まったと言えるだろう。さらに来年に向けて、沖縄研究から東アジア研究へのまなざしを拡げ、あと一歩の前進を試みたい。
東アジア社会教育の研究は、その道をわけ入れば入るほど、とてつもなく巨大で多様な課題の森であることに気づかされる。本誌はその森にうごめきはじめた小さな虫のようなものだ。まことにささやかな歩みでしかないが、しかし歩み続けることによって、やはり細い一すじの道はつくられてきた。
本誌は、日本と東アジアの、若い研究者に開かれた自由な“たまり場”“ひろば”であり、その研究活動の“拠点”となることを夢みている。関心ある皆さんの積極的な参加を期待している。
また次の歩みをはじめよう。毎号書くことであるが、心ある方々の引き続きのご支援(カンパ歓迎)をお願いしたい。
第6号(2001年)
東アジア社会教育研究への「思い」5年
ちょうど5年前、本誌第1号(1996年9月刊)巻頭言で、私たちは「創刊の思い」を次のように書いている。
「……国際比較という場合、欧米を中心とするのでなく、もっと視点を多元化していく必要があるのではないか。たとえば、…東アジアの視点から考えると何が見えてくるのか。このような問題意識から…海を越えて、東アジアの社会教育についても視野を拡げ、探求を深めていく課題を語りあってきた。」
私たちは、欧米諸国の社会教育・成人教育をめぐる動向については、不充分ながらある程度の知見をもち、文献・資料にも関心をもってきた。しかし、たとえばお隣りの韓国社会教育の動きについては、当時、恥ずかしいほど無知であった。中国(台湾を含む)の成人教育についても、最近まであまり関心を寄せてこなかった。私たちの大きな反省である。
1995年6月に「東京・沖縄・東アジア社会教育研究会」(TOAFAEC)を発足させ、ほぼ毎月の研究会を定例化し、ささやかな努力を重ねてきた。海を越えて、北京、上海、広州、台北、ソウル、あるいはフフホトなど各都市を訪問し、調査活動を試み、国際的な研究集会にも参加してきた。その間に、心を開いて語りあえる友人も少しづつ増え、徐々に新しい情報や資料が蓄積されてきた。それらの反映として、『東アジア社会教育研究』5冊、そしていま第6号を生み落すことが出来たのである。
執筆・翻訳に参加された方々、資料提供や編集実務に協力していただいた皆さん、すべての関係各位に深く感謝の意を表したい。
この5年間の、東アジア各国・地域の社会教育(成人教育、継続教育、生涯教育、社区教育等を含む)をめぐる動きは、きわめて興味深いものがある。この時期の日本の社会教育・生涯学習が混迷の淵にあるのに対して、東アジアではある程度共通して、21世紀への扉を開く脱皮、挑戦、改革の新しい試みがみられる
何よりも教育改革への挑戦、そして生涯教育・学習を志向する法制化の努力、大学の拡充と開放の試み、さらに地域(社区)活動・施設の推進などの活発な動きである。それらの背景には(相対的な)民主主義的な潮流と自治分権への取り組みが胎動してきているように思われる。もちろん各国・地域によって様相は異なる。おおまかに言えば1990年代に至る厳しい政治状況、体制的な緊張や対立が統制的な社会教育を強いてきた歴史があるだけに、それからの脱皮や改革の挑戦は、対照的に躍動的なのであろう。
私たちの研究会と『東アジア社会教育研究』は、このような時期に恵まれ、新しい時代状況に励まされながら、5年の歳月をなんとか歩み続けてきたという実感である。
あと一つ、沖縄研究のことがある。振り返ってみると、私たちの沖縄との出会いは1976年に始まり、すでに四半世紀が経過している。アメリカ極東戦略の拠点として位置づけられ軍事的占領に喘いできた沖縄の戦後史、そのなかでの社会教育史を探求する作業を通して、私たちは東アジアへの研究関心をもつようになった。沖縄から東アジアへのまなざし、そして逆に東アジアから沖縄そして日本を照射し、東アジアをトータルに捉えるなかで日本の社会教育を考えるという視点を吟味してきた歩みでもあった。
そのような経過から『東アジア社会教育研究』には、沖縄研究が一つの柱になってきている。とくに本号では、1998年〜2000年にかけての文部省科学研究費補助による研究成果が収録されている。紙数の関係で、その大半の沖縄研究報告は割愛せざるを得なかったが、別に刊行している報告書を参照していただきたい。(研究代表者・小林文人「戦後沖縄社会教育における地域史研究」2001年3月、和光大学)
『東アジア社会教育研究』がこの5年間に追求してきたテーマは次の5点である。私たちの東アジア社会教育に関する研究交流の共通のキーワードともなってきた。あらためてここに記しておこう。(第4号1998年「巻頭言」参照)
(1)東アジア各国・地域の教育改革と法制化の動向
(2)大都市にみられる自治権の拡大と自治体社会教育の胎動
(3)地域(community、社区)教育・施設とNPO的活動
(4)識字(中国「掃盲」、韓国「文解」)教育の実践と運動
(5)沖縄研究
本号でも、この5課題に挑戦した諸論稿を収録している。各国・地域からの報告テーマはそれぞれ異なるが、これまでの蓄積の上に、今年度の新しい前進、小さな一歩が重ねられたことを読みとっていただければ幸いである。
毎号書くことであるが、私たちの挑戦はまことに非力、遅々たる歩みに過ぎない。しかし課題は大きく、時代状況のなかで常に流動していく。道なお遠く、思いのみ空転して、ときに展望を失うこともないではない。多くの心ある方々のご教示、ご支援を(カンパを含めて)切にお願いしておきたい。
第7号(2002年)
社会教育法制から生涯学習法制への動き
今年の5月、台湾で新しい「終身(生涯)教育法」が成立した。本誌では第5号でその草案を収録しているが、本号で正式に新法を紹介することができた。日本語へ訳出していただいた楊武勲さんに感謝している。
思えば、1999年には韓国で「平生(生涯)教育法」が成立している(同第5号所収)。また中国では、この間、成人教育法(あるいは生涯学習法)立法の準備が進んでいる。東アジアではいま、社会教育ないし成人教育の施策が新しい段階を迎え、生涯学習の名による新たな法制化が展開し始めているということができよう。
私たちは、今から10年ほど前に『東アジアの社会教育・成人教育法制』を刊行した。当時の東京学芸大学社会教育研究室に在籍した大学院生(留学生、日本人院生)たちが協力しあって、1992年段階での各国・地域の社会教育・生涯学習に関連する法令や行政通達を精査し一覧にして、日本語に訳出したものである。文字通りの労作。とりあげた法制は、中国、韓国、台湾、さらにシンガポール、ネパール、タイに及んでいる。
それぞれの国の留学生たちが日本語原訳をつくり、日本人院生がそれを推敲しつつ、協同作業が進行した。巻末の「訳者協力者一覧」をみると、総勢(小林ゼミ)25名。社会教育における“アジアからの視点”を共有し、紡ぎあった友情が難しい作業を可能にした。(1993年、同・研究室刊行物)
この段階では、東アジアにおける「四つの社会教育法」が注目された。日本(1949)、韓国(1982)、台湾(1953)の三つの社会教育法である。これにアメリカ占領下沖縄のいわゆる琉球・社会教育法(1958)を加えると、四つの社会教育法が存在してきたことになる。その相互関連や異同が検討され、社会教育法制における「東アジア的な特徴はいったいいかなるものであるか」などと論議しあったのである。
この時期に東アジアではまだ生涯教育・学習についての法制は登場していない。強いていえば、日本で経済バブル全盛期を背景に「生涯学習振興整備法」(1990)が制定されていたのであるが、バブル崩壊によってほとんど実効性をもたず、日本の生涯学習は法制的に失速状態に陥ったといえるだろう。
それに比して、韓国、中国そして台湾では、いま生涯学習法制化のステップをきざんで、新しい脱皮と発展の道を積極的に歩み始めている。上海・江南地方などでは「社区教育」についての新しい胎動もある。もちろん、それぞれが抱える矛盾や課題は少なくないだろうが、東アジアの社会教育・成人教育がこれまでにない時代の扉を開こうとしていることは確かであろう。
いま改めて、『東アジアの社会教育・社区教育、成人教育・生涯教育関連法制』(新版、日本語バージョン)を編んみる必要を感じている。
今年は、日中国交回復30年の年である。同時に中国と韓国が国交を結んで10年の記念すべき年にあたる。今年はまた、サッカーWCが日本・韓国両国によって共同開催された。日韓双方の若い世代によるスポーツそして文化面での交流が新しい画期を迎えている。10年前には想像もつかない勢いで、いま東アジアでは、海を越えた(政治・経済だけでない)出会いと交流が潮流となって渦をまいて流れ始めている。
このような状況を背景にして東アジアの社会教育・生涯学習の動きを考えていく必要があろう。時代の激動は、新たな教育の改革を求めるが、いま、とくに社会教育・生涯学習の役割が時代的な注目をあつめているというのが、この間の新たな特徴であろう。
『東アジア社会教育研究』を発刊し続けることの意味、その現代的意義をあらためて反芻している次第である。
本誌は1996年に創刊して以来、ようやく今年で第7号を迎えた。学会の年報でもなく、大学の紀要でもなく、もちろん営業的な出版物でもない、小さな研究グループの持ちより寄金によるまことにささやかな小刊行物である。組織的な基盤はなく、もちろん財政的な条件もまったくない。しかし東アジアの拡がりと課題を真正面に見据えて、思いは大きく、心意気だけはさかんなものがある。
創刊当時は、せめて3号までは頑張ろうよ、と話しあった。5号を刊行したとき、一定の役割は果たしたな、という思いと、本誌もようやく軌道にのったか、という妙な自信を感じた。いま7号を世に出して、本誌の前身である『沖縄社会教育史料』(全7号で完結)にならえば、本号でもって一つの区切りとなるのかも知れない。だが、おそらく(第8号に向けての)チャレンジは続くであろう。
あらためて、本誌刊行に向けての、心ある方々のご協力とご支援をよろしくお願いしたい。編集方針にあるように、本誌はとくに東アジアからの留学生、孤独な研究者に発表の場を提供したいという思いをもっている。若い世代からの積極的な投稿をお待ちしたい。
第8号(2003年)
東アジア社会教育・この半世紀の歩み
多くの方々の声援を受けて、本誌はいま第8号を迎える。発行が遅れた先号の危機を乗り越え、本号が予定通り、九・一八の日付で刊行できることを喜び、執筆者はもちろん、ご協力いただいた関係各位に心からの御礼を申し上げたい。
あらためて創刊号(1996年)の頃を想い出している。この種の研究誌を出すにあたっては、当時、いささかの跳躍的な決意が必要であった。果たして持続できるかどうか、内容的に一定の水準を維持できるかどうか、財政的な見通しは・・、この研究誌を世に出す意義は・・、など考えるべきことは多く、逡巡の月日が続いた。
結論が出たわけではない。あまり見通しも立たないなかで、発行に踏み切ったいきさつには、三つほどのエピソードがある。一つは、その頃滞在していた上海で、友人と黄浦江のほとりを散策していたとき、集会・結社・出版等の自由のことで話がはずんだ。「中国では“官許”のものしか出版できないです」という。日本で、可能な範囲での挑戦ができないか、そんな決断を促すような友人の眼差しが印象的だった。
二つには、同じその頃、韓国の金宗西氏(ソウル大学名誉教授)からいただいた論文「文解(識字)教育問題の考察」。私が担当していたゼミで、その日本語訳(訳者・方玉順)がいい内容で仕上がったこと。こういう研究業績を、海を越えて共有し合いたい、東アジアの社会教育(ここでは成人教育、生涯教育、識字教育等を含む)を横につなぐような“ひろば”を創ることが出来ないか、と強く心が動いた。この論文は本誌・創刊号の巻頭を飾っている。
三つには、編集・発行の実務を支える若い世代の協力が必要であった。TOAFAEC事務局を併任するかたちで、本研究誌の編集事務局がスタートし、そこには曲がりなりにも韓国、中国・台湾、日本の若い精鋭?が参加してくれた。その中心は内田純一、彼の孤独な奮闘から作業は始まった。
それから8年の歳月を重ねたことになる。私たちの歩みは未だたどたどしいものであるが、本号にいたる8冊の蓄積を実感しつつ、これからの道のりへの思いを新たにしている。
今年は「東アジア社会教育」の歴史にとって、半世紀の節目をきざむ年であろうと思われる。韓国では1952〜53年・朝鮮戦争の最中、はじめて社会教育法案(第一次)が作成されている。いわば立法運動が始まった年ということができようか。台湾では1953年に社会教育法が成立している。新中国では建国後、勢いよく掃盲(識字)教育が胎動し、労農教育・業余教育の新しい方向が展開し始めている。日本ではどうか。1952年末に地方教育委員会制度が一斉に発足し、地方自治の理念のもと社会教育行政・施設がスタートして丁度50年目にあたる。日本社会教育学会も今年は第50回記念大会である。
まさに東アジア社会教育が新しく胎動を始めて半世紀の歴史を重ねてきたといえる。この間の各国の歩みは決して平坦なものではない。東西対立の政治情勢、軍事的緊張と統制的行政、相互の不信と対立、経済危機の襲来など、東アジアの海は波荒い状況が続いてきた。しかし、そういう中でとくに最近10年の新しい躍動は目覚ましいものがあり、東アジアの「苦悩と奔流」(本誌第3号・巻頭言)のなかで各国それぞれの社会教育の、新しい時代が創出されつつあるといえるのではないだろうか。
その方向は、(1)教育改革、生涯教育法制化への動き、(2)国家集権から自治への志向、(3)地域・社区の視点、(4)市民の登場、(5)識字教育・実践,の五つではないかと考えてきた。この五つの仮説を検証しつつ、これまでの本研究誌編集の主要な柱が定着してきたのである。
韓国「平生(生涯)教育法」(1999年)からすでに4年が経過している。台湾「終身(同)学習法」(2002年)から早くも1年が過ぎた。中国の改革開放政策にともなう成人教育あるいは社区教育への期待も大きいものがある。
それに対して日本の社会教育・生涯学習の展開はどのように評価できるのあろうか。空白の10年?というだけでなく、これまでの蓄積の転換・解体の10年、がいま始まっているのかもしれない。本号所収の東京都の「激変」報告がそのことを示している。
東アジアの社会教育をめぐる研究交流はこの10年に大きな進展を見せてきた。半世紀前には想像も出来なかったことであろう。それも国家間の交流というより、大都市間の、あるいは学会間の、あるいは社会教育に携わる友人間の、新しい交流の輪が拡がってきている。本号・呉論文が紹介しているように、中国と日本の間で初めての共同制作の「社区教育」(地域社会教育)の本が誕生する。これからも本「東アジア社会教育研究」誌がその交流の“ひろば”として活用されることを願っている。
さらに新たな歩みを続けていきたい。関心ある方々からのご協力、ご支援、ご教示、を切望している。
第9号(2004年)
生涯教育・学習をめぐる地域と自治の胎動
前世紀末から今世紀初頭にかけて、東アジアには社会教育法制から生涯教育法制へ向けての、大きな潮流がみられた。韓国「平生教育法」(1999年、施行令2000年)、台湾「終身学習法」(2002年)の成立がそうである。日本の「生涯学習振興整備法」(1990年)は別にして、この潮流には、これまでにない“改革”への志向が脈打っている。生涯学習の時代とは、新しい改革・創造の世紀を開こうとする挑戦ともいえるだろう。
法制化からすでに数年、その後どのような展開が見られるのだろうか。本『研究』誌では、機会をみては海を越え、新しい課題に挑戦する人々と出会い、政策動向や実践を追跡する努力をしてきたつもりであるが、もちろんその全貌を把握することはできない。しかし、各地の動きは予想を超えるものがあるようだ。
この1年、とくに注目すべきことは、中央政府の施策や行政だけでなく、地域・自治体レベルの生涯教育・学習に関わる取り組みが活発に胎動し始めたことであろう。国・地域によって様相は異なるが、統制的集権的な軍事政権あるいは戒厳令下の政治体制が続いてきた東アジアでは、これまで、地域分権の行政や住民自治の活動は未発の状態で推移してきた側面がある。それが、1990年代の民主化動向、地方自治復権の歩みを背景として、また生涯教育法制化への改革が契機となって、いま、ようやく地域・自治体レベルの新しい生涯教育・学習が具体化し始めているのである。
本号は、そのような地域的な生涯教育・学習の先進的事例をいつくか収録することができた。たとえば韓国では、最初に「平生(生涯)学習都市宣言」をした光明市の生涯学習院や聖公会大学校、いち早く「平生学習条例」を制定した富川市、上海では、桃浦鎮等の社区(地域)学校、あるいは福建省「終身教育条例」策定の活発な動きなどである。また台湾では、前述の「終身学習法」に位置づけられた社区大学の展開があり、さらに新しく大学開放法草案づくりの施策が動いている。
地域分権と住民自治の社会教育・生涯学習の実践については、もちろん日本に多様な事例が見られる(日本については本誌では取りあげていない)。中国や韓国各地の、このような地域事例の胎動によって、東アジアの地域・自治体間の、あるいは市民活動相互の、研究交流や相互訪問がこれからさらに活発になり、新しい段階を迎えることが予想される。
周知のように昨年秋、日中協力による『現代社区教育の展望』(『当代社区教育新視野』、小林文人、末本誠、呉遵民共編、上海教育出版社)が出版された。「画期的挑戦」「見事に成功」「快挙」と評されている(千野陽一、『月刊社会教育』書評、2004年6月号)。この本には社区教育・社会教育に関する理論、国際比較と並んで、中国から4地域、日本から5地域、それに韓国を含む世界4地域からの事例報告が含まれている。
昨年の「東アジア社会教育研究」第8号刊行の時点では本書はまだ世に出ていなかった。予告記事として呉遵民氏による解題(付・日本文前書き、目次一覧)の収録にとどめるという経過であった。そして、ようやく本号において、郭伯農氏・序文と巻頭の呉遵民論文「中国社区教育の理論と実践」、並びに書評2点を掲載することが出来た。日本文への訳出にあたっては、序文を担当した黄丹青氏とともに、呉論文については千野陽一氏のご協力を頂いた。とくに長文の呉論文を労を厭わず翻訳された千野陽一氏に深く感謝したい。
私たちの「東京・沖縄・東アジア社会教育研究会」は東京の社会教育研究会、沖縄社会教育研究会、それに東アジアからの留学生たちとの「東アジア・フォーラム」の三つを合体するかたちで発足した。(1995年、TOAFAEC・HP参照)それから約十年の歳月を重ね、研究年報も本号で9号を数えることとなった。おそらく3号程度で終わるだろうと心配しあった初期の頃を想起すると、よくぞここまで歩いてきたものだと感慨ひとしおのものがある。
これまでの「東アジア社会教育研究」に収録された論稿・報告・資料等もある程度の蓄積を重ねてきている。遅々たる歩みでも、まさに継続は力なのだ。再び決意を新たにし、来年の10号刊行に向けての歩みを継続していきたい。
私たちの研究会は、組織・財政ともにまったく弱小の規模である。しかしテーマは「東アジア」、目まぐるしく変転する巨大な怪物。難しい課題に小さな研究会がどのように迫っていくことができるのか。思いを大きく、心意気を盛んにして、チャレンジを続けていく以外にないだろう。
これまで同様、心ある方々のご声援、ご教示、ご援助をお願いしておきたい。
第10号(2005年)
東アジア社会教育・生涯学習の躍動−この10年
私たちの「東京・沖縄・東アジア社会教育研究会」の前身は「戦後沖縄社会教育研究会」(1976年〜95年、東京学芸大学社会教育研究室)である。同研究会は、『沖縄社会教育史料』全7集(1977
年〜87年)を刊行してきた。その作業を継承するとともに、新しく“東アジア”への研究視点を加えて、現研究会が発足(1995年)、研究会年報として『東アジア社会教育研究』が創刊された(1996年)。それから毎年、九一八の日を期して発行が重ねられ、いまここに、待望の第10号を完成させることができた。
沖縄社会教育研究から30年、東アジア社会教育研究から10年。これまでの歩みを振り返り、ようやくここまでたどりつくことができたか、という感慨ひとしおである。この間ご支援をいただき、ご協力をたまわった皆様に、まずは心からの御礼を申しあげたい。この場をかりて、苦労をともにしてきた研究会同人、とりわけ本年報編集委員会、同事務局の皆さんに深く感謝したい。
本『研究』創刊当初は、何号まで継続できるか、まったく自信がなく、「いわゆる3号雑誌におわらないように」などと話しあった経過もある(第3号・巻頭言)。10号までの刊行を持続できたことの背景には、“東アジア”という新しい舞台と、そこにおける社会教育・成人教育・生涯教育の現代的な潮流、その新しい展開があったからである。私たちのこの10年は、おそらく後々までも記憶されるであろう“東アジア”社会教育の“激動の10年”と重なっている。
誌名として掲げている「社会教育」は、概念的に歴史的なものであり、当然のことながら国によって必ずしも一様ではない。グローバルな視点からみた場合、東アジアに固有の概念であることは確かであろう。本誌では、そのような(狭義の)社会教育の歴史と現在を探求すると同時に、それと錯綜し競合しつつ登場してきた成人教育、あるいは識字教育、近年の生涯教育(中国「終身教育」、韓国「平生教育」)生涯学習、さらには地域教育(中国「社区教育」)等の多様な概念と活動を、またさまざまの文化的な諸運動を含めて、できるだけ包括的な視野から取りあげる努力をしてきた。それらは実に多様かつ複雑な諸相をもち、私たちは多くの問題に幅広く出会うことができた。その反面、ややもすれば課題が拡がりすぎ、雑多な編集となる側面ももっている。そのような批判をあえて甘受しつつ、あえて「社会教育」をタイトルに掲げて、東アジアの研究と交流のネットワークと“ひろば”づくりに挑戦してきたつもりである。
私たちの年報刊行へかける思いは、凝縮して「編集方針」4項目に示し、各号の巻末に掲げてきた。
さて、本号は10号記念号として、やや長めの <巻頭言>となることをお許しいただきたい。東アジア・社会教育における“10年の激動”とはどういうことであろうか。10号の歩みを総括的に振り返りながら、いくつか歴史的な特徴を取りあげておこう。
第一は、言うまでもなく旧来の社会教育の流れに加えて、新しく生涯教育(生涯学習)に関わる具体的な施策が胎動し始めたことであろう。ユネスコ等の国際的な潮流に刺激されて、生涯教育の理念・思想の導入はすでに1970年代に明らかであり、とくに韓国では、1980年の憲法改正において「平生教育」理念が明記されている。中国では改革開放政策のなかで「終身教育」理念が提起され、とくに台湾では1990年代に「学習社会」計画化が進められた。これらの理念・思想が、それぞれの政治的な背景をもちつつ、現実の施策として具体化され始めるのは、この10年のことであった。本『研究』では、東アジアの海をはさんで新しく胎動する各国・地域の生涯教育施策の動向に注目し、その片鱗を収録する努力を重ねてきたつもりである。
第二は、この10年は、生涯教育・学習についての積極的な法制化への挑戦がみられた。周知のように「社会教育法」は、日本(1949年)、台湾(1953年)、韓国(1982年)において制定されてきたが、生涯教育の理念を含む教育改革の動向のなかで、新しい法制化に向けての取り組みが共通して重要な課題となってきた。
1990年代に入ると「成人教育」ないし「生涯教育」の草案策定の具体的な試みがあり、関連して審議会等の報告書がまとめられている(中国、韓国など、『研究』第2号ほか)。法制化への経過は曲折を含むが、1999
年に韓国「平生教育法」(同施行令、2000年)、2002年に台湾「終身学習法」が成立している。この法制化は、東アジア社会教育・生涯教育史にとって、画期的な意味をもつものであった。中国においても「全民生涯学習法」案の具体的な検討が試みられ(福建省、『研究』第9号)、国家レベルにおいて今後どのような法制化を実現していくことになるか、重要課題となっている。
日本は先に「生涯学習振興整備法」(1990年)を制定しているが、法制の内容・水準において、相対的にみて、大きく立ち遅れる結果となっている。
第三は、1990年代の、とくにその後半における東アジア各国・地域における地方自治・分権の新しい躍動である。それ以前の段階では、戒厳令統治(台湾)や軍事政権による政治統制(韓国)のもとにあり、それぞれ国家集権的な政治体制であっただけに、1990年代における自治・分権にむけての改革と民衆意識の変化、総じて民主化動向は、まことにドラスティックなものがあった。韓国でも台湾でも、94年から95年にかけて、法改正をともなう地方自治体の首長・議員の選挙が実施され、本格的な地方自治の地平が開かれ始めるのである。中国においても、改革開放政策の展開にともなう社会主義体制下の地方分権化が進展すると見ることができよう。
この間には、それまで未発であった社会教育・生涯学習に関わる自治体施策や地域的実践が、地域主義的な固有性をもって登場してくる。私たちの『研究』でも、そのような地域事例を掲載する機会が増え、海を越え国を超えて、地域・都市間の研究と交流の流れが厚みを増してきた。典型的な事例として、富川(韓国)と川崎(日本)の両都市間に紡がれてきた友好・親善の取り組みは、市民運動だけでなく社会教育・生涯学習についての実践交流を生みだしてきた。(『研究』第4号、第9号など)。
第四は、自治・分権の潮流とも関連して、「社区」(コミュニティ)の視点にたった活動・学習が展開されてきたことである。いわば地域主義的な社会教育・生涯学習の実践は、これまでにない住民活動、市民運動、地域づくり(台湾「社区営造」)、あるいはボランテイア活動、NPO運動等と連動する側面をもたらしている。台湾「社区総体営造」運動は、この10年来、広範な拡がりをみせ、それと結びついて「終身学習」そして「社区大学」の取り組みが注目される。2003年には社区大学を含む「開放大学法」草案策定の試みがみられた(『研究』第9号、第10号)。
韓国においても、上述した「平生教育法」の成立を契機として、先進都市(たとえば富川市・光明市−『研究』第9号)では、生涯学習条例を成立させ、あるいは生涯学習院等を拠点とする地域「平生学習」実践が新しい歴史を刻み始めている。市民主導による学習活動、市民運動に支えられた生涯学習の新たな胎動が始まっている。
このようにみてくると東アジアにおける「平生教育」「終身学習」の潮流において、いま“地域と市民の発見”が歴史的に進行していると言えるのではないだろうか。
私たちの研究会活動と年報刊行は、このような東アジア社会教育・生涯学習をめぐる“10年の激動”を背景とし、その動向を追いかけ、歴史的な意義を確かめる作業をしてきた思いでる。重要な研究テーマと出会うことが出来て、私たちのこの10年は、たいへん幸せであった。
この間には、関連して『おきなわの社会教育−自治・文化・地域おこし』(小林・島袋正敏編、エイデル研究所、2002年)、『現代社区教育の展望』(小林・末本誠・呉遵民編、中国語版、上海教育出版社、2003年)を上梓する機会に恵まれ、いままた『韓国の社会教育・生涯学習』(黄宗建・小林・伊藤長和編、近刊予定)の企画が進行中である。これらも10号にいたる編集・刊行とそこで育くまれてきた研究ネットワーク(定例研究会110
回を含む)に支えられてきたところが大であった。いまだ充分な結実には至らないが、幾つかの成果を生み出してきたと考えている。
10年を経過して、しかし、私たちはいまあらためて大きく重い扉の前に立っている、というのが率直な実感である。その扉を少しこじあけることは出来たかも知れないが、その中で激しく動いていく大きな怪物の全貌は、充分には把握できていない。次々と生起する新たな動向を追いかける上での非力は否定しがたく、それらを解析し、課題を明らかにし、展望を提示していくという力量も貧しい。東アジア研究に関心をもつ方々との協力・共同の必要を痛感している次第である。
この10年の『研究』編集・刊行作業のなかで、重要な課題として自覚してきたテーマは少なくない。研究課題の発見それ自体が一つの収穫といえるかもしれないが、10年の経過のなかで、課題意識や意欲が鈍磨してきていることにも気づかされる。たとえば、創刊号(1996年)巻頭論文は「韓国の文解(識字)教育問題の考察」(金宗西)であった。私たちは、尊敬する金宗西氏の研究に学び、東アジアにおける識字問題の研究、とくに日本の(社会教育の課題としての)識字研究の必要性を提起してきた。しかし、本号に識字研究に関する報告が1本も収録されていないことに示されるように、このテーマへの取り組みは、その後むしろ弱くなっている。 私たちの研究の初心であった、社会教育・生涯学習における“東アジア・モデル”の解析と探求といった研究課題についても、いままだ見るべき成果を出し得ていない。
はるかに道は遠い。これからまた、どのような旅を続けることができるか。ご関心の皆様のご教示をお願いしたい。
編集後記:
第12号(2007年) 編集後記
なんといっても、本号の第一の収穫は、TOAFAECとして初めて「特集」(韓国「平生学習」の新しい動向)を組むことができたことです。これまで東アジア諸国・地域についての諸論稿を集めてきましたが、テーマを設定して特集号とするまでには至りませんでした。ともすると、海を越える編集はできても、諸テーマを横に羅列するだけの年報に終わる、という反省がありました。
韓国に焦点をおいての特集号が実現したのは、昨年(2006年)秋にTOAFAECメンバーが中心となって、『韓国の社会教育・生涯学習−市民社会の創造に向けて』(黄・小林・伊藤共編、エイデル研究所)を刊行したことが土台となっています。日韓の執筆メンバーと翻訳体制のネットワークが胎動してきたのです。本号でも、このメンバーによる特集担当・編集スタッフの頑張りがありました。
本号編集の過程で、次の課題もいくつか見えてきました。一つは、韓国をテーマとする小特集を重ねながら、たとえば5年後あたりに、韓国本・新訂版の出版に結びつけることができないか。二つは、本年報として、次の機会に中国(あるいは台湾)の社区教育・生涯学習についての特集を組むこと。三つには、国・地域別の特集を跳躍台にして、たとえば法制、施設、職員、あるいは自治体計画、地域実践などの特定テーマによる横断的な特集を構想できるのではないか。そこから日本を、アジアを、そして世界を、それらの成人教育・生涯学習を串刺しにしながら、これからの課題や展望を考えあっていきたいもの。
特集号実現に向けて、編集委員会も意欲的な取り組み、執筆者各位もそれぞれに積極的に筆がすすむことによって、本号は予想を上まわるページ数。折悪しく石油高の影響で紙代も値上がり、印刷経費も大幅増となる模様です。財政基盤をもたないTOAFAECとしては頭の痛いところ。維持会員のさらなるご協力を含め、心ある方々の物心両面のご援助ご声援をお願いしなければなりません。
本号の構想から編集・刊行にいたるまで、ご参加ご協力いただいた方々、とくに編集事務局メンバーと実務を担当したアンティ多摩の皆さん、ご苦労さまでした。本号編集長を担当できたことは幸せでした。御礼申しあげます。(2007年−8・15、小林ぶんじん)
第20号(2015年):
TOAFAEC 20年の歳月−いくつかの回想
小林 文人(TOAFAEC顧問、東京学芸大学名誉教授)
1,はじめに 1996年9月18日(九一八)に創刊した本年報『東アジア社会教育研究』は、今年で第20号を迎えた。20冊の「東アジア」社会教育研究誌が世に送り出されたことになる。毎号それぞれに課題を残しながらも、その年度の新しいテーマにチャレンジして編集は重ねられてきた。20冊を並べてみて、いまあらためて「継続は力なり」を実感している。平坦ではなかったが一筋の道を歩いてきた。本年報には全20冊の総索引が掲載されている。それによると、収録論文(報告・資料等を含む)全386本、執筆者総数279人(うち日本137人、中国・台湾・内モンゴル97人、韓国41人など)。年報創刊に関わったものとして、寄稿いただいた執筆者各位、対談・翻訳・記録・編集等に参加いただいた皆様、すべての方々にまず深い感謝を申し上げたい。
2,研究会の歩み 本年報の歴史は、編集発行にあたってきた「東京・沖縄・東アジア社会教育研究会」(TOAFAEC)の歩みと重なっている。研究会の第1回定例会は、本誌発行の前年1995年6月に開催されたが、その後、各年ほぼ毎月継続され、2015年9月に第220回を数えた。定例会の記録をたどってみると、この間の時代変転を反映して多彩なテーマを取り上げることができた。参加者は東京・周辺だけでなく、ときに沖縄から、また東アジア各地にルーツをもつ留学生をはじめ、上海・広州や台北・ソウル・公州そしてモンゴルなどより来日のゲストを迎える機会もあり、文字通り東アジアへの拡がりをもつ研究会の歩みであった。社会教育関係者・研究者・留学生だけでなく、関心ある多数の市民の参加にも恵まれてきた。それぞれの年度の研究会活動が年報各号編集に反映されてきた。その意味で私たちは充実した20年の歳月を歩んできたと言うべきであろう。
3,沖縄研究の蓄積 TOAFAEC研究会の歴史には前史がある。1976年に創設された「戦後沖縄社会教育研究会」(東京学芸大学社会教育研究室)である。アメリカ占領下の沖縄の社会教育・文化政策の実像を記録していく取り組みであった。1995年3月に研究会を閉じるにあたって次のようなメモが残されている。「…通算19年間−研究会128回、沖縄(奄美・宮古・八重山を含む)訪問・調査53回、学会発表12回、戦後『沖縄社会教育史料』刊行7冊、『民衆と社会教育』出版(エイデル研究所、1986年)、論文発表多数、今後の展望・模索中」。この歩みを加えると、私たちの研究会は40年の歴史をたどってきたとも言える。模索の中から東アジアへの視座がテーマになっていく。
4,歴史の響き合い 20年前の沖縄から東アジア研究への展開には、いま振り返ってみると、歴史的な激動といくつかの条件に支えられていた。一つには国際的な東西冷戦構造が終結し、東アジアにおいて(国によって違いはあるが)それぞれの改革・開放政策の動きがあり、そして民主化運動の胎動があった。二つにはその状況のなかから社会教育・生涯学習の新しい施策や改革が取り組まれはじめる。東アジアの社会教育・生涯学習の世界に、これまでにない法・条例制定の時代を迎えた。三つには各国相互に研究者レベルの(海を越えての)出会い、研究交流の先駆的な努力がみられた。四つには留学生たちの国・地域をつなぐ架け橋としての役割が重要であった。
私たちと中国の友人たちとの交流が本格化するのは1990年代からであった。韓国とTOAFAECとの間では次のような経過であった。まず(TOAFAECの歩み以前に)四次にわたる「日韓社会教育セミナー」が開催され(1991〜1993年)、その後の交流の重要な契機となった。1995年に韓国「教育改革方案」(5月31日)が出されるが、奇しくもその3日後に私たちのTOAFAECは創設された。同「方案」を作成した大統領諮問教育改革委員会会長・金宗西氏(ソウル大学名誉教授)の論文「韓国の文解教育問題の考察」が私たちのゼミで日本語訳され、年報『東アジア社会教育研究』創刊号の巻頭を飾った。韓国ではその4年後に(社会教育法を全面改正するかたちで)「平生教育法」が制定されるという流れであった。
5,東アジア・多元的な研究交流 アジアの視点から日本社会教育をとらえていこうという発想は、TOAFAEC創設以前の「東アジアの社会教育法制」研究(東京学芸大学)に胚胎していた。たとえば小林は「日本の社会教育を近代ヨーロッパ・モデルとの対比において類型的にとらえる手法を脱し、アジア・モデルの視点をもって複眼的に把握する必要」を指摘した経過もあった(1993年)。
冷戦後の国際交流がゆるやかに拡がり始め、今世紀に入って、韓国と日本、中国と日本、あるいは台湾と日本といった二国(地域)間の研究交流が曲折を含みながら進展していく。国内ではTOAFAEC
の周辺で「韓国生涯学習研究フォーラム」(2007年〜)、「中国生涯学習研究フォーラム」(2008年〜)が活動を始め、それを繋ぐかたちで「東アジア研究交流委員会」(2009年〜)が登場した。一部に開店休業の期間を含んでいるが、東アジアの視点による多元的な(二国間を超える)研究交流の新しいチャレンジが始まった時期と言えよう。
6,上海・国際フォーラム 海を越える動きについては、日本と中国、日本と韓国、の両研究ネットが出会う状況が生まれ、中国側の積極的な呼びかけがあり、2010年11月「第1回・日中韓・社会教育生涯学習国際フォーラム」(会場・上海外国語大学)が開催された。三国より約100人の参加者が集う盛大な「国際フォーラム」となった。総括として2年おきに韓国・日本で国際フォーラムを開催するという「協議書」が交換されたが、その後(東アジアの政治的緊張関係もあり)第2回以降は開催されていない。詳細資料はTOAFAECホームページに掲載している。→■ https://secure02.red.shared-server.net/www.bunjin-k.net/3kokusinpo2010.htm
この時期に、各国・地域の相互研究交流の旅が、従来の2国間から日中韓(台湾を含む)をめぐるトライアングル企画として実現した。たとえば2011年11月、福建省全民終身教育促進会による訪日・訪韓の旅・日程が印象的に想起される。
7,新しい地平へ 年報第16号(2011年)は「東アジア社会教育における研究交流の歩みと新しい地平」を特集した。小林・李正連・上田孝典(共同執筆)による総括的な課題提起が試みられている。上記・上海の国際フォーラムに至る成果とともに、典型的な国際大会・行事にみられる反省や教訓が語られ、「これからの研究交流への具体的提言・試案」が率直に示されている。たとえば(大規模集会ではなく)小規模の実質的な交流の積み重ね、日常的な研究情報ネットワークの構築、実践に携わる職員の連携と交流、研究交流の記録化、多国間の双方向的な体制や留学生の役割、地域密着の参加調査活動の重要性など。国家規模・学会レベルの国際交流を前提としつつ、テーマによる実質的な論議と日常的な研究交流の深まり・拡がりが目指されている。
8,海を越える出版活動 「東アジア」と言う場合、その範囲として大きく漢字文化圏ないし儒教文化圏の拡がりを想定している場合があるが、その中で民族・地域の言語はむしろ多様である。年報「東アジア社会教育研究」は日本語バージョン、目次のみを英語、中国語、ハングルに訳出して裏表紙に掲載するのが関の山。それぞれの言語により(英語でなく)東アジア社会教育・生涯学習を理解していくことが課題となってくる。
日本社会教育と韓国「平生教育」の相互理解のために、前記・韓国生涯学習研究フォーラムは大きな仕事をしてきた。両国それぞれの歴史・制度・実践・運動を総体的に盛り込んだ本格的な出版である(日本語版『韓国の社会教育・生涯学習−市民社会の創造に向けて』エイデル研究所・2006年、ハングル版『日本の社会教育・生涯学習−草の根の住民自治と文化創造に向けて』学志社・2010年)。その後、前者はいま改訂版が準備され、後者はさらに日本語原版(大学教育出版、2013年)が刊行された。
日中間の出版については、中国語版『現代社区教育の展望』(上海教育出版社、2003年)、同『現代生涯学習論−学習社会へ向けての架橋』(上海教育出版社、2008年)のなかに末本誠・小林らが日本社会教育・生涯学習について執筆しているが、一冊の出版としては未発である。日本に向けて中国の成人教育・社区教育・生涯学習に関する体系的な出版も今後に期待される。
9,これからの思い−専門職化への運動 20年の峠に到達した今、あらためてこれからの歩みについて、いくつかの課題を付言しておきたい。一つは、言うまでもなく「TOAFAEC」(研究会)の継続的発展と年報『東アジア社会教育研究』の更なる蓄積である。財政的な問題をどう克服するかがもちろん大きな問題であるが、何より活動を担う中心スタッフの世代的連続と拡充こそが求められる。20年の歳月はその転換点をもたらしている。第二は、東アジアへの視野の拡がりをどう焦点化し総括していくか。年報20冊に収録されてきた動向・知見・論議は多彩に拡がり、特集企画等により総括の努力が試みられているが、果たして成功したかどうか。乱舞する諸概念の整理から今後に向けての仮設提起・理論化の試みまで課題は大きい。第三には、この20年の蓄積をさらに展開させて、東アジアの社会教育・生涯学習に携わる「専門職」制度の形成と運動に参加していきたい。いま日本の社会教育主事制度は低迷し韓国の平生教育士が拡充の方向にある中、中国・台湾はどのような状況にあるのだろう。法制整備だけでなく社会的に期待される専門的力量の内実が問われよう。
10,研究共同体への夢 第四に、東アジア社会教育・生涯学習における"国家論"を深めつつ、"地域・自治体論"に研究のあと一つの軸足をおき、実践的かつ運動的に掘り下げていく必要があろう。住民自治・市民活動・福祉・協同・地域文化・地域づくりなどの諸課題とともに、集落レベルの自治と共同に関わる理論を豊かにしていきたい。この点では沖縄の集落(字)公民館研究や(おそらく)韓国のマウル共同体研究がステップとなるに違いないし、東南アジア諸国におけるCLC(地域学習センター)研究とも結ぶことになるであろう。
最後に、私たちは自主・自由の研究共同体でありたい。東アジア各国・地域の研究共同体との同志的な連合に参加し、民主主義の発展に寄与したい。逆説的な表現を許してもらえば、大きすぎない、ゆるやかな組織の、連帯的な活動集団でありたい。
東アジアの海は広く、行く道は遠く遙かであるが、20年の歳月でその道は拓かれた。
第27号(2022年):東アジア社会教育・生涯学習半世紀の歩み →■
ー躍動に学び、課題をさぐる
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