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   自治公民館・小地域の学習活動・地域づくり研究
    −2002〜2009:社会教育研究全国集会分科会の討議と報告−
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  <目次>
 1,全国集会2002〜2003年→(本ページ)
 2, 〃   2004〜2005年→■

 3,2006〜2009年→■

 <関連>
 沖縄の字(集落)公民館
 ■「ろばた懇談会」(京都)とはー川崎・横浜・松本より
               八重山・竹富島(公民館憲章関連)
               ■沖縄・字(集落)公民館研究


 <目次1 2002〜2003年>

A,第42回全国集会
(沖縄・名護、2002年8月)
 問題提起・討議の柱
 報告: 1,松本市の町内公民館(矢久保学)
      2,松本市蟻ヶ崎西町会のコミュニテイ再構築(福嶋昭子)
      3,読谷村大添区・ユイマールでできた手づくり公民館(源河朝徳)
      4,飯田市長野原・分館活動のあり方をさぐる(小林泉) *未入力  5,
  討議の内容とまとめ(石倉祐志)

B,第43回全国集会(岡山、2003年8月)
 問題提起・討議の柱 
 報告: 1,横浜市磯子区・地域に密着した学習グループ(伊東秀明)
      2,岡山県奥津町・羽出公民館(美若忠生、小椋光利)
      3,松本市和田地区の町内公民館活動(田中秀一)
      4,沖縄・古宇利島の字公民館(小浜美千子)
      5,京都府久美浜町の地域にねざした公民館活動(土出政信)
 討議の内容とまとめ(美若忠生)

C,第44回全国集会(福島・猪苗代湖、2004年8月)へ向けて→ 第44回集会関連(別頁)
 経過資料(美若忠生) 問題提起・討議の柱 
 報告: 1,松本市神田町会のボランテイア活動(永野幸男) 2,

D,地域活動・公民館・関連レポート1  
             →ろばた懇談会(京都)・川崎・横浜・松本など地域活動(別頁)
 1,山村で少しづつ動きが始まった(美若忠生、「月刊社会教育」2003年7月号)
 2,岡山県奥津町・羽出公民館の取り組み・私案(美若忠生、2003年)
 3,愛媛県伊予郡双海町訪問記(美若忠生、2004年6月)
 4,琵琶湖畔のむら・ムラ(小林文人、2004年6月)
 5,横浜・貝塚・鹿児島など都市部の地域活動ネットワーク
               (小林「南の風」記事より、2004年)



A 第42回全国集会(沖縄・名護、2002年8月)
  
第20分科会・字公民館と地域づくり
 問題提起・討議の柱(5月)
 沖縄では、戦後の厳しい米軍政下において、公立公民館の設置は全く進まず、集落(字、シマ)レベルでの公民館が数多く設置されてきました。いわゆる自治公民館(法律的には公民館「類似施設」)の形態ですが、一般にこれを字(あざ)公民館と呼んできました。当時の琉球政府の奨励策もあり、1950年代以降、沖縄全島に廣く普及してきました。復帰後も字公民館数は増え、現在、沖縄県下で800余を数えます。
 その背景には、公立公民館設立に必要な行政当局側の財政的条件が乏しかった事情もありますが、沖縄独自の歴史的地域的条件、つまり集落(シマ社会)の社会的共同的な関係が維持され、住民の生産・生活・祭祀・自治等で多様な機能を果たしてきたこと、また伝統的に「ムラヤー」とよばれる集落施設が存在してきたこと、が大きいと考えられます。
 集落は小さな地域社会、基礎的な住民自治組織です。とくに戦後の地域復興(ムラおこし)の舞台となり、祭りや芸能そして年中行事(地域文化)の継承の上で大きな役割を果たしてきました。集落の字公民館の組織と活動は、人々の暮らしと自治の発展になくてはならないものとして定着してきた事例が少なくありません。日本の初期公民館・いわゆる「寺中構想」の原型的な形態もみられるように思います。
 もちろん、その実態はさまざまです。また近年その変貌も見逃せないものがあるようです。本分科会では、名護市屋部の字公民館の事例を中心に取りあげ、関連して読谷村大添公民館など他の事例も報告していただく予定です。沖縄の字公民館についての認識を深め、その自治的な歩み、地域づくりへの取組みに着目し、住民にとって本来の公民館のあり方、そして課題を考えてみます。
 本土からは、地域の活動が比較的に活発な信州の事例報告をお願いしています。一つは、松本市から蟻ヶ崎西町会「コミュニティの再構築」(課題別学習会A「集落の自治と文化」でも報告)、同「町内公民館」について、二つには、飯田市竜岡地区「公民館分館活動のあり方」についての報告です。沖縄と本土の集落レベルの公民館にはどのような特徴が見られるのでしょうか。それぞれの活動を相互に交流し、比較検討しながら、集落・公民館の役割を再発見していく予定です。
 分科会の進め方は、午前中は第15分科会「くらしに活きる公民館」と合同で開きます。屋部公民館からの報告を聞き、それをもとに屋部集落を歩く(フィールドワーク)計画です。午後は本分科会として主題に則し、上記の事例と参加者からの報告をもとに、じっくりと討議を深めていきたい考えています。
 主な討議の柱としては、
1,集落組織と公民館の運営組織との関係
2,とくに職員体制、各種委員会や部組織、財政状況
3,公立公民館、自治体行政との関係わり
4,地域活動、地域課題への取り組み
5,これからの課題、展望について
 などを予定していますが、分科会報告からの課題提起と参加者の問題関心に即して、柔軟に展開していきます。
 本土の自治公民館がとかく形骸化し、行政の下請けに堕す場合が少なくない実態、それを反映して公民館論議のなかでも集落公民館へのまなざしが弱い状況、それに対して沖縄独自の「字公民館と地域づくり」のいきいきとした展開がどのような視点を提起するか、また沖縄自体の課題はなにか、本分科会への期待は大きいものがありましょう。(小林文人)

報告1 暮らしに根づいた松本市の町内公民館 (松本市南部公民館 矢久保 学)
1 松本市の公民館
 松本市は、人口約21万人、世帯数約81,000世帯の本州の中央に位置する長野県第二の都市です。昭和40年代に起きた「公民館づくり運動」の結果、松本市は身近な地域に公民館を配置し、地区(旧村または小学校区程度の地域)を単位としたコミュニティづくりを推進してきました。現在でも住民の自治意識が高く、地域連帯や近隣で支え合う意識が残るのは、身近な地域に配置した公民館の力が大きいと考えられています。松本市では、現在29地区への公民館配置を進めており、今年の8月に28館目の公民館がオープンしました。
2 町内公民館とは
 松本市の「町内公民館」とは、市の条例公民館とは異なる町会(町内会)等の自治会が設置・運営する自治公民館です。町内公民館は市内385町会すべてに設置されていますが、その内館を所有しない町会が52(旧市部44、新市部8)あります。
 松本市の町会は組織や運営形態が千差万別で、それぞれ特色ある活動を展開しています。町会への加入世帯は71,130世帯、加入率は86.4%です。最大の町会である芳川村井町会の加入世帯は1,280世帯、最小の美鈴湖町会は8世帯であり、町会の規模では100倍以上の差があります。
3 町内公民館と条例公民館の対等な連携
 松本市は町内公民館を単なる集会所ではなく、地域住民にとって重要な「地域のたまり場」「身近な学習の拠点」として位置付けてきました。
 昭和51年度には、松本市公民館制度研究委員会の3年次の報告書として『町内公民館の手引き』を発行し、町内公民館の活動のあり方、町内公民館長の心得等がまとめられました。手引きには、町内公民館と条例公民館の関係を要求と援助の対等な関係であることを明確にする等の画期的な内容が盛り込まれ、町内公民館の振興に大きく寄与してきました。
4 町内公民館の活動
 町内公民館は住民にとって日常生活の一部であり、地域の住民が気軽に集い、語らい、交流する身近な地域の拠点として暮らしに根づいています。
町内公民館の活動は、歴史講座や健康教室等の学習会をはじめ、町内運動会やスポーツ大会、サークル活動、町内文化祭や敬老会、子ども会の開催、館報の発行等と多岐にわたっています。最近では、高齢者が定期的に集まってお茶を飲んだり、会食会や配食サービスを行う等、「町会福祉」の活動が活発化してきました。
5 町内公民館への市の支援
 松本市では町内公民館の振興を図ることを目的に次の支援をしています。
@振興業務委託契約の締結(1館年額30,000円から32,000円)
A 町内公民館施設整備の補助(新築800万円、改築400万円)
B 町内公民館長会の事務局(館長会が自主研修会を年3〜4回実施)
C 各地区公民館の支援(地区別の研修会、催し物の支援等)
6 町会福祉の拠点として
 町内公民館は、福祉分野から身近な地域における「福祉の拠点」としての機能が見直され、活動が活性化してきています。公民館として再度町内公民館の重要性を確認していきたいと思います。

報告2 (松本市)蟻ヶ崎西町コミュニティの再構築
                  長野県松本市蟻ヶ崎西町会長 福嶋  昭子
 はじめに
 蟻ヶ崎西町会は、長野県松本市にある町会(町内会)です。松本城のすぐ北西部に位置し、世帯数800戸、人口1,800人の定住と流動世帯が混住する歴史の古い住宅街。現在の高齢化率は22%、ひとり暮らし高齢者や高齢夫婦世帯が増えるなか、小学生112人、中学生が44人います。
1 福祉づくりは地域づくり 〈福祉の町づくり宣言〉
 蟻ヶ崎西区町会は、私たちの家庭です。
 道路は家の廊下で 各家はそれぞれの部屋です。
 「ふれあい広場」(町内会の公民館)は みんなの居間です。
 ひとりひとりが主役で お互いに自己を高め合います
 思いやりと優しい心を育て、支え合いの輪を広げます
 人権と平等を大切にしながら 誰もが安心して暮らせる、住みよい町、
 誇れる町づくりを目ざします (平成9年12月)
 
 これは、私たち蟻ヶ崎西町会(町内会)が1997年に制定した「福祉の町づくり宣言」です。私たちの町会では、この宣言に基づく「福祉を中心に据えた住民参画型の町会づくり」の理念が住民に浸透し、町会は確実に変わってきました。これまで福祉は、困っている人を助ける「特別な対策やサービス」として考えられ、「なるべく福祉のお世話にはなりたくない」と意識されてきました。  
 しかし、本来福祉とは「しあわせ」を意味します。福祉は「特別なもの」ではなく、誰もが安心して自分らしくいきいきと暮らしていくために「暮らしの質を高めていく地域づくり」だと捉え直すことから福祉が身近になり、社会教育と結びつきました。蟻ヶ崎西町会では、「福祉の町づくり宣言」によって町会のあり方や理念が明確になり、新しい価値観による住民自治が育ちつつあります。
2 福祉に「社会教育の発想」を
 私はこれまでの実戦から、身近な地域社会における共に支えあう人間関係の構築にこそ「福祉の本質」があると実感しています。
 しかし、現代社会は経済優先、効率重視のなかで都市型、コンビニ型の生活様式が一般化し、「福祉の本質」を忘れてしまったかのようです。地域や町会は自分とは関係なく、人間関係は煩わしと敬遠することがごく当たり前の風潮ですが、「人とのコミュニケーション能力」や「社会の一員として地域で生活する能力」が脆弱なまま「社会的に自立できない大人」が増えている現代社会は大変な危機的状況だと感じています。住民の自立や自治が前提になければ、社会そのものが成り立っていきません。
 そこで、今こそ「狭域」における質の高い地道な地域づくり実践を進め、足元の地域から変えていかなくてはならないと強く感じます。「地域が悪い、町会が古い」といって批判するだけでなく、新しい時代に調和した「コミュニティの再構築」を目指して一緒になって知恵を絞り、汗を流すことができるかどうかが問われています。こうした時代状況だからこそ、根本的な地域の「福祉力」「教育力」の向上を目指した「地域創造型の公民館(社会教育)」が求められるのではないでしょうか。
3 社会教育と女性住民のパワー
 蟻ヶ崎西町会が福祉の町づくりを進めてきた原動力は、「社会教育での学習」と学習を基盤に芽生えた「女性住民のパワー」でした。
 85年、松本市中央公民館の「社会教育ボランティア講座」を受講した仲間が、それまで町会の片隅に置かれた女性たちに呼び掛け、町会の公民館婦人部活動を再開しました。「この指止〜まれ」に呼応した女性たちは、自分たちが主役の住みよい町を創ろうと決意し、勇気ある一歩を踏み出したのです。
 当初婦人部は、町会との関係が希薄のままボランティア的な仲間づくり活動をしていました。しかし、町会の高齢化が進み多様化する地域福祉を考えると、婦人部活動に留まらず町会や各種団体とのネットワーク化を図りながら町会の福祉を進めていくことが課題となりました。そこで91年に誕生したのが「ボランティアグループ蟻の会」です。
4 女性の参加から参画へ
 蟻の会は婦人部をはじめ民生委員、保健補導員等6つのグループの女性が集まって設立しました。蟻の会は町会組織に位置づけられ、会の代表は副町会長に就任しました。 
 それまで気の合う仲間同士で考え楽しく活動していればよかったのですが、町会のしがらみを背負い込むなかでの活動になりました。一歩間違えると男性主導の町会組織に組み込まれ、便利に使われてしまう危険性と常に隣り合わせの状況でした。女性たちは団結して学びあい、自分たちの考える福祉の町づくりに少しでも近づくように男性との緊張関係を保ちつつ自分たちの活動を重ねてきました。
 女性たちは活動を通じてこれまでの男性社会の良いところ、逆に「あれ?」と驚いてしまうところを現場で学び、当初のボランティアから地域づくりの主体者へと発想を転換し、参加から参画へと意識を変化させてきました。
 今振り返ると、「蟻の会」は女性たちが横の連携を図ったアメーバーのような組織構造がうまく機能したのだと思います。町会の1組織でありながら、自分たちで考え自由に活動できたことが組織の魅力であったと考えます。
5 民主的な住民主体の町会運営
 女性たちによる町づくりの輪は徐々に広がり、今では町会の男性にもその活動は高く評価され認められています。10数年に及ぶ活動の結果、町会の古い体質や悪しき慣習はかなり改善され、福祉のまちづくりや男女共生に対する理解が深まっています。
 気がつくと、私は93年に女性町会長に就任していました。自分が実際になってみると、町会長は権力の座でも名誉職でもありませんでした。私は今、自分のことを「町のお母さん」であり、「よろず承り役」だと思っています。
 私は町会長として、同じ町会に暮らす住民同志が心を許し合い、思い切り大きい声で笑い合える関係づくりを大切にし、富士山を逆さにしたような民主的な住民主体の町会運営を今後も心掛けていきたいと考えています。
 因みに、蟻ヶ崎西町会では毎月28日に隣組長以上の役員が集る「定例常会」を開き、住民の生活課題を「公助・共助・自助」に分けて話し合い解決しています。会議には20代から80代まで男性・女性を問わず70人から80人くらいが毎回集まり、活発な意見交換をしています。また、町会住民への情報公開を徹底するため、毎月町会の情報を満載した町会の広報紙を発行し、全戸へ配布しています。
6 福祉づくり活動の一端
 毎週2回、町会の住民が気軽に集まれるサロンとして町内公民館を使った「ふれあい室」を開設しています。あるとき、これに参加した高齢のひとり暮らしの方が「この町なら、もう少しひとりで暮らしていけそうだわ」とつぶやきました。
 困っている人を助けるのではなく、同じ町会に住む「地縁家族」としてお付き合いした成果だと嬉しく感じました。蟻ヶ崎西町会では、「この町に住んでよかった」と実感できる「福祉の町づくり」を目指し、主に次の活動に取り組んでいます。
@ 向こう三件両隣の自然体の助け合い  A 世代間交流ふれあい会食会
B 配食サービス・友愛訪問   C 子育て(子育ち)支援  D 有償の助け合い「あ・うんの会」  
E 地区内グループホームとの交流・食事づくり(NPO的発想で「あいの会」が実施)
F ふれあいサロン「ふれあい室」  G 健康講座・生きがいづくり
H 町と村の交流会(農村地区との交流)  I 隣組みを基盤とした防災の町づくり
 私たち蟻ヶ崎西町会における「福祉の町づくり」は、社会教育を基盤とした「学習参画型の地域づくり」であり、福祉を中心に据えた新しい価値観による「コミュニティの再構築」に向けた実践だと考えます。私たちは「何をやるか」ではなく「何に向けてやるか」にこだわりながら、様々な団体の協働によって活動を進めてきました。したがって、「福祉の町づくり」のプロセスと成果は、まるごと町内公民館の実践だと考えています。この実践を通じて、学習講座や交流事業の発想を超えた「公民館の豊かさ」を再認識することができました。
7 身近な地域だからこその「本物」
 町会や町内公民館の活動は、身近な地域ゆえの「やりにくさ」や「厳しさ」があります。奇麗ごとや人ごとではすまない厳しさや課題に直面してこそ「本物の地域づくり」だといえます。 
 生の現場で「町会福祉」を進めることは、毎日が充実している反面、苦しみの連続です。言葉でいうことは簡単ですが、町会での実践は正直とても厳しいものです。地域づくりは、その厳しさを皆で共有し、協働を通じて意識を変えながら育んでいくものだと思います。しかし、義務感でやらされるほど苦痛なことはなく、いかに自ら楽しくやるかの仕掛けが重要です。そのときこそ社会教育で培った学習の組み立てや仲間づくり等の仕掛けが役立ちます。
 行政にただ依存したり、何でもお金で解決してしまおうという考え方はもはや通用しません。今問われるのは「生活者の視点をもった社会の一員としての自立」です。蟻ヶ崎西町会の実践は、ここに一石を投じたことになります。そして、多くの町会住民が自立して参画することで、結果として「町会の民主的なあり方」が確立できたのだと思います。身近な地域だからこそ住民参画型の「本物の地域づくり」ができつつあることに喜びを覚えます。
8 公民館主事によるサポートの重要性
 地域づくりの現場には課題や悩みやがいっぱいです。私が困ったとき、行き詰まったときに松本市の公民館主事の皆さんから励まされたり、一緒に方向性を考える等のサポートをいただきました。公民館主事の皆さんの献身的なサポートがなければ本当に行き詰っていたかもしれない場面を何度も経験しています。住民主体の地域づくりを進めるとき頼りになる行政職員は、公平、正確、迅速にサービスを提供していただくだけでなく、地域の住民と一緒に考え、悩んでいただける方です。地域づくりにおける公民館主事のサポートは大変重要です。
9 おわりに
 松本市の各地区では、市の支援を受けながら身近な地域を単位とした住民主体の学習や参画型の地域づくりに取り組んでいます。こうした「狭域」での活動が住民自治や自立を育み、強力な「松本市の地域力」になっていると思います。
 蟻ヶ崎西町会では、「地域経営」の発想から「町会内NPO」のあり方を模索しています。現在脚光を浴びているNPOの多くは町会との連携がなく、独善的な活動をする傾向が強いと感じています。地域づくりの理念を共有化して連携を図らなければ、せっかくいい活動をしていても「地域壊し」になる場合があると思います。そこで必要なのが地域のコーディネート機能であり、松本市の各地区にある町会・公民館・福祉ひろばが三位一体となった地域づくりシステムは注目に値すると思います。地域の現状を考えるとき、たとえNPOの活動が盛り上がってきても、結局は町会(自治会)の地道な活動が基盤になければ「本物の地域づくり」にはならないと思います。町会には派手さはありませんが、町会のあり方を問うことこそが新しい価値観を創造していく「本物の地域づくり」(=コミュニティの再構築)の出発点だと考えます。

報告3  ユイマールでできた手づくり公民館(沖縄・読谷村大添区公民館)
                        源河 朝徳




 大添地域は、読谷飛行場の南側のコーラル層の岩山が取り崩された場所にある。一九六○年代初頭から個人住宅が次々に建てられた。やって来る住人は北は北海道から南は八重山まで、シビリアンも居住するようになった。八割が読谷村外の方々である。いろんな職種をもち農業従事者はごくわずかである。
 一九七○年代後半にもなると、第一ニュータウン、第二ニュータウン、ニューハイツという新興住宅の小さな地域共同体が形成された。それらが合流して、一九八五年に村で二三番目の自治会を結成した。結成時の役員たちは、事務所もなく、レストランや個人の家で議論し、事務を執った。まさしく、大添自治会はゼロからの出発であった。結成当初から公民館建設は至上命題であった。
 公民館建築への動きは紆余曲折をへた。当時の建設委員会は基地周辺整備資金を含めて、一億円のコンクリートづくりの二階建てを答申したが、多額負担のゆえ断念。その後一○年にわたる提案・激論・否決が推移した。
 金がない!自由につくりたい!人がいる!結局手づくり思想に収斂した。一九九五年に建設委員会が発足した。手作り公民館の基本構想を出した。ぎっしり埋まった総会で、全会一致で承認を得た。長い間の住民同士の意見対立が新しい方針のもとに解消した。笑いがおこり、ごちそうが出され、夜遅くまで賑わった。その後二二回の委員会の審議をえて、一九九六年総会に、具体的案が出され承認された。
 木造五○坪、総工費四千万円の計画で出発した。一億円の準備資金がないことや業者選定と設備設置の自由がきかないことなどの理由で防衛施設庁資金を受けないことに決定した。村補助一千万円と積立金八百万円だけが唯一の資金だった。メーン会社は基本構想に全面的に賛同した宇根産業が引き受けた。一九九七年一一月の地鎮祭では子どもたちはじめ多くの区民が鍬入れに参加した。
 杭打ちのあと、一九九八年六月の落成まで、日曜日毎に「ユイマール」と称して区民の自発的参加があり延べ八百人余になった。区民一千人だから大半の区民が野次馬も含めて参加したことになる。区在住の技術職人の積極的な技術提供、ブルドーザーやダンプカーの自発的提供があった。今日「ユイマール」が行政用語になりつつある中、「死に体」から本来の「互助の精神」を取り戻した。
 公民館は木組みにし、アマハジを取り入れ、空気の流通を良くし、敷居は思い切って低くした。舞台の下はテーブルや椅子の収納庫にし、その奥に泡盛を古酒にする貯蔵庫にした。天井には幸福招来のパネル「紫微らんか」を棟木に取り付けた。アマハジには小会議が出来るように廃材利用のテーブルが置かれた。アイデアが次々生かされて、おきなわいっぱいの公民館になった。
公民館建設と並行してモニュメントづくりに入った。彫刻家の金城実氏は「防衛庁資金を蹴った」ことにひどく感動して、公民館の守り神のシーサーとして一角獣を無報酬で作成指導した。一角獣の塑像は定年組の元気いっぱいの方々七人で四○日かけて完成させた。一角獣の体内には泡盛七本と彼らのメッセージが収納された。
 「緞帳を自分たちで作ろう」。原画作成に多くの婦人達の要望を取り入れた。公民館設立主旨に賛同した染織家の金城登氏の指導のもとで紅型染めの緞帳に仕上げた。作成は非常に複雑な工程を経た。全行程ではのべ二三○人を越え、「結」をテーマにした賑やかな絵柄の緞帳ができあがった。
 公民館建設には、協同の労働を通して、夢を語り、三線と泡盛で友情をあたため、ユイマールを蘇らせた。それは一九九八年六月七日の完成祝賀会で示された。予想を越えて五百人余の区民がかけつけた。寄付金も八百万円を越えた。祝賀会後に、百本余のクースづくり(一九九八年)、外用トイレの建設(一九九九年)。子ども用図書室(二○○○年)、そして、最大の課題であった門が五ヶ月かかって完成した(二○○一年)。門は石灰岩台地にふさわしく石灰石のぐり石で作成した「男女共同」「伸びる」を表現した。公民館づくりのストーリーは続いている。(読谷村大添自治会元公民館建設委員長)
*小林文人・島袋正敏『おきなわの社会教育』(エイデル研究所、二〇〇二年)所収       

報告4 分館活動のあり方を学ぶ…活動は地域に根ざした遊びの文化
        (小林泉・長野県飯田市公民館長野原分館長)

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分科会・討議内容とまとめ 第20分科会「字公民館と地域づくり」報告(記録 石倉祐志)
1 はじめに
 本分科会は集落の公民館に焦点をあて、沖縄の字公民館と本土の自治公民館(類似公民館)の事例についての報告と討議を行った。会場は15分科会と合同で名護市屋部の屋部公民館、午前中の課題別集会からバスであわただしく移動しての開催となった。参加者は43名を数え、用意した席数が不足するほどだった。参加者の構成は市民18、職員11、研究者10、学生4で市民の割合が比較的多かった。
2 分科会の経緯について(小林世話人代表)
 はじめに小林文人世話人代表からこの分科会の経緯について発言があった。全国集会では公立公民館のありかたをめぐってこれまで論議が重ねられてきたが、集落レベルでの自治公民館的な活動についてはあまり取り上げられてこなかった。沖縄では公立公民館の設置が復帰時から始まるが、戦後アメリカ占領下では、集落の共同と伝統を活かしながら新しい歩みを刻む中でその中心として字公民館が800ないし950(各種名称の公民館的施設を含む)が活動してきた。この機会に、住民の立場に立って公民館を考え、公立公民館の役割と同時に、字公民館の位置づけ、その活動について論議したい。
 会場である名護市屋部区の字公民館は、字の歴史、青年を含む字公民館の活発な活動、記録文学の上野英信「眉屋私記」とのかかわりで、会場として象徴的な場所である。この2階には、上野英信の蔵書が置かれたを記念の部屋があり、字誌作りの編集室のもなっている、等のコメントがあった。
3 屋部区の公民館活動と八月踊り(比嘉久氏の報告)
 当初は午前中いっぱいをかけて第15分科会と合同で屋部の集落でのフィールドワークを行う予定だったが、台風の影響で日程を半日に圧縮した結果、やむなく中止した。代わってフィールドワークの責任者でもあった名護市字屋部区出身の比嘉久さん(名護市教育委員会文化財担当)から「屋部区の公民館活動と八月踊り」について30分ほど報告を受けた。屋部区の概要と青年会、向上会、婦人会、老人会等の区の組織、八月踊りの内容と「踊り団」の組織、上野英信とのかかわり等について資料に基づき報告された。詳細は『おきなわの社会教育』(小林・島袋編、エイデル研究所)にも収録されている。
 この後、それぞれの分科会に分かれた。第20分科会は2階の会議室へ移動した。沖縄から、上述の屋部報告とともに読谷村大添区の公民館、本土から、長野県飯田市及び松本市からの報告を受けた。司会は、植松賢也氏(神奈川県座間市教育委員会)。
4 ユイマールでできた手作り公民館(源河朝徳氏)
 まず、沖縄での新しい集落での事例として、沖縄県読谷村大添自治会元公民館建設委員長の源河朝徳さんから「ユイマールでできた手作り公民館」と題し以下のような報告があった。
 大添区は土地の48%が基地である読谷村の新興住宅地で、北海道から八重山までの村外出身者が8割を占める。防衛庁の資金等による公民館建設計画では、住民の思い通りのものができないこともあり、1985年以降、字総会の意見はまとまらなかったが、「手作り思想」での住民主体の公民館づくりの考え方が出され、95年には公民館建設委員会が結成され建設が具体化した。防衛施設庁補助金は受けなかった。
 区民がだれもが参加しどんなものでも差し入れOKの強制しないユイマール(協同)の精神で労力と資金を出し合った。住民に建築・電気などの職人が多く腕を振るったことも力になった。1998年6月、落成した建物は沖縄の気候にあった木造で、雨端(あまはじ)を広く配し、風が通る構造のどの方向からでも入れる開放的な公民館となった。
 その後、古酒蔵を舞台の下に設置、外用トイレの建設、子ども図書室の建設、公民館門の建設を経て大添青年エイサーが始まっている。新興のため財産がない、伝統行事がないという条件だったが、無欲の活動をむねとし、議論に時間をかけ多数決は行わず、住民が結集するムラヤーの思想を大切に進めてきた。
 字公民館の職員体制、区長(館長)、書記はどうなっているか?との質問が出たが、大添では区長は2年に1回選挙で選ばれ、村の業務委託員として夜だけ働き、村から13万委託料をもらっている。書記は字費から5万の給与を出している。公民館に税金を納めると納税交付金が村から字へ支給される制度は財政的にはありがたいとの答えだった。
5 分館活動のあり方を学ぶ…活動は地域に根ざした遊びの文化(小林泉・長野県飯田市公民館長野原分館長)
 小林泉氏からは、旧住民が少数派となった集落での課題として、公民館部会制をとりながら子どもたちのために知恵を出し合うことで取り組んでいる姿を以下のように報告があった。
 長野原は、新住民の人々が増えきている集落。公民館の役は嫌がられる。やらされ感がある。年2000円の公民館費を約300世帯が支払い、その他補助金を合わせ120万の予算。若い世代を家から引っ張り出すのが課題。子どもが来ることによって親も来るようにしている。公民館部会制をとりながら子どもたちのために知恵を出し合ってやっている。部会の部長をやったら次年度は特別委員として残るという仕組みをつくっている。
 続いて飯田市公民館の砂場幹雄氏から飯田市全域について補足があった。飯田市には18の公立公民館(竜丘はその一つ)と97分館(自治公民館、長野原はその一つ)がある。各分館の部会から選出された専門員会が竜丘本館にある。分館活動があっての本館であり、分館長・主事会のネットワークもある。主事は専門員会と深く関わって竜丘の事業を進めているとのことであった。
6 蟻ヶ崎西町会コミュニティの再構築(福島昭子氏・長野県松本市の蟻ヶ崎西町会長(前日の課題別第2部会で主報告ずみ)
 福島昭子氏からは、保守的な町のなかで民主的な方法でたたかいつつ、新たな公民館建設を進めた経験を語られた。行政の計画通りではなく、補助と住民からの寄付を集めて資金を確保し住民の立場に立って「公助と共助」による公民館建設を行った。寄付行為は住民を明るくしたとのことで、福祉をキーワードにしたまちづくりを進めている実態が報告された。
 また、松本市公民館の矢久保学氏から補足として、松本市には条例による公立公民館28館と町内公民館385がある。生活課題や地域の問題はまず町内公民館で集まって話し合うようになっていることが指摘された。
7 討論
 小林世話人から、松本市の公民館体制が町内による公民館385を位置づけている、あるいは飯田市でも「分館あっての公民館」と位置づけているのに比べ、たとえば三多摩の公民館は集落レベルの活動、自治公民館などの地域活動などの、地域を見る目をむしろ捨ててきた面があるのではないか。沖縄の事例と関わってどうなのかとういう問題点が出され討論した。
 討論の中では、松本市の手塚氏からの、住民自治は法に基づく地方自治体の自治と、それとはまた違ったレベルでのあと一つの自治、つまり地域生活の最小単位における集落(町内)の自治という枠組みが大切であるという指摘が重要に思えた。また、那覇からの参加者の、都市的な状況では、他人に迷惑をかけることができる“能力”のない人が増えているという指摘に感銘した。関連して来年の岡山集会に向けて、集落の公民館についての視点を深める必要について、関西の美若氏からの発言があった。
8まとめ
 最小単位の住民自治と社会教育の役割については、都市においても考えていかなければならない。そのためにも、この分科会で地域で暮らしていく上で必要不可欠な共同性のイメージに目覚めさせられたことは大変良かったと思う。
 小林世話人は、「沖縄の字公民館は古いとみられがちであるが、新しいものに挑戦し脱皮してきている並々ならぬ歩みがあるのではないか。集落の芸能にしても、なにもしなければ青年は離れていき、消滅してしまうはずである。地域の小さな自治の問題は新しい問題であり、そこに公民館論との関わりで現代的な意味がある。日本の公民館のあり方についても、そのような視点で深めていきたい」とし、地域住民自治組織と公民館の関わりを今後の課題としてことを全体で確認した。また、この分科会の論議から沖縄との対話が始まったことも特筆に価する。今後、字・集落・自治公民館、類似地域施設との間で交流と対話の取り組みが始まる気配が感じられた。最後に「青年のエイサーに見られるような心がわくわくするような状況を公民館が作り出せるかどうか」との問いかけもあり、分科会は終了となった。来年は岡山でどのような展開となるのか興味は尽きない。(記録 石倉祐志)




B 第43回全国集会(岡山、2003年8月)

  
第21分科会:自治公民館、コミセン、町内会館等における小地域の
                      学習活動と地域づくり
問 題提起・討議の柱
(1)昨年の名護集会での「字公民館と地域づくり」分科会を受継ぎ、小さな地域に設けられた自治公民館・分館・地区館やコミセン・町内会館等で、委嘱を受けた館長や主事が、住民と共に取り組んでいるさまざまな学習活動を交流し、これら小公民館等の役割を確かめつつ、活動の展望を探りたい。参加者が各地の実践から励ましを得、希望と見通しを持ち帰れる分科会にしたいと思っています。
 いま、事情は異なるとはいえ農山漁村でも都市でも、住民が直接に力を合わせることができる地域で、いのち・暮らし(福祉)・子育て・地域おこし等々の問題を何とかしなければ・・と感じている住民が増えつつあり、また不十分ながらも住民が活動できる施設もできて、住民が主体となって地域の自立と希望のある地域づくりを進めていく条件や可能性が広がっています。こうした状況に応える活動を、先進的な取組みに学びながら数多く創りだしたいと願っています。
(2)実践事例は、これから始めようとする参加者も想定し、次の5本の報告を予定しました。
 第1は、大都市横浜で「顔の見える地域での学習とグループづくり」に挑戦を始めた報告です。第2は、岡山県の山村で公民館が自主事業を開始して、新たな動きが始まっていく報告です。(月刊社会教育7月号「山間部の生活文化と結びつく学び」参照)第3は、長野県松本市から、分館活動の経験を踏まえつつ地域の自治的な発展をめざす中で自治組織と公民館のあり方を問う提起です。第4は、沖縄県今帰仁村古宇利島から、島の抱えている課題に応えようとする字公民館の取組みの報告です。第5は、京都府久美浜町から、自治活動公民館の活性化を図る教育委員会の取組みの報告です。
3)分科会の進め方は、午前中は予定の事例報告を聞きます。持込みレポートがあれば、若干の時間をとりたいと思っています。午後は、事例と参加者からの報告をもとに、じっくりと討議を深めていきたいと考えています。
 討議で深めたい点として、
1 小地域での学習活動に取組む意義、自治(的)公民館活動の意義と活動内容
2 とくに地域課題、地域づくりへの取組み
3 集落(自治)組織と自治公民館の運営組織、活動を支える体制、行政との関係
4 これからの課題、展望について
 等がありますが、それぞれの報告からの課題提起と参加者の関心に即して柔軟に展開を考えて進めていきます。
 町村合併など国や自治体の動きを見ると、ますます地域で住民の自治的な力を培うことが緊要だと感じられます。この分科会へ寄せられる期待に応える分科会にしたいものです。


報告1
大都市の区役所で狭い地域での社会教育活動を支援する
    〜地域に密着した学習グループ活動を目指して〜

  横浜市教育委員会社会教育主事 伊東秀明磯子区役所地域振興課生涯学習支援係

1大胆な比較

  中央公民館→磯子区役所 人口16万人
  分館   →地区センター コミュニティハウス 合わせて10館
  自治()公民館→町内会館・自治会館  約80館 
2 大都市だからこそきめ細かく細分化された学びの場が大切
 (1) 区民講座を見なおす
 私は16万人の区民を対象に区役所の会議室を使って30人ほどの受講者を対象にした学級・講座をしてきました。年間で開設する数は15教室ほど。1年間で受講生は延べ500人程度にしかなりません。しかも受講生は電車に乗ってきたりバスや車を利用して区役所まで来るのだから、学級・講座開設中は親しくなっても学級・講座が終わってしまうとせっかく仲良くなった受講生同士なのに雲散霧消してしまうのが残念でした。
(2) 地域講座に挑戦
 学習する機会をもっともっと増やしたい、住んでいる地域のことを学ぶ機会を作りたい、身近な人と仲良くなれる機会を作りたい、学級・講座が終わったあとに通年で学び続ける学習グループが残るようにしたいなど改善したいことがたくさんありました。
(3)   地域施設に注目
 身近なところに学習の機会があれば参加しやすいし、学級・講座が修了したあとも引き続き近所の人たちと井戸端会議のような近所情報満載の学習グループが続くかもしれない。区役所の会議室を会場にしている情況から脱出するためには地域の中に会場を見つけることがまず必要です。地区センターやコミュニティハウスは1ヶ月前が申込日なので区役所の広報を使った宣伝には間に合いません。町内会館・自治会館館は、これまで自治会・町内会とのおつき合いが無かったので利用してきませんでした。
3 具体的な取り組みを始める
(1)   渡りに舟の西岡さん 
 ステージ21自治会の会長の西岡さんが生涯学習のことを聞きたいと私のところへやってきました。生涯学習こそこれからの地域を作るものだと言うのです。 
 私は、単位町内会を対象にした学級・講座を企画したことはありませんでした。ただ、磯子区民16万人を対象にして30人程度の学級・講座を開設することに疑問を持ち始めていたところだったので、ステージ21自治会が主催する247世帯のみを対象とする学級・講座を企画してみようという気になりました。結果は当日報告します。
(2) 郷土史が道を開いた
 岡村中学校コミュニティハウスの館長のところに郷土史の講座を開設したいので協力をしてほしいと依頼にいきました。館長は乗り気になってくれて利用者の中で歴史に興味を持っている人に声をかけてくれました。 
 第1回目の運営委員会はあたかも地元小学校の同窓会でした。話を聞いて集まってきた人たちは講師の葛城さんの小学校の同窓生だったりお互いに小学校時代の仲間だったのです。岡村は古い地域で「地」の人がたくさんいらっしゃいました。
 「岡村の空から日本の歴史を眺める」と銘打ったこの講座は毎回50名の受講者を集めて開催をされました。これまでの歴史の講座は講師が一方的に話すばかりで受講生は聞きっぱなしだったのですが、この講座では受講生同士が思い出話をする時間を設けました。 歩いて数分の会場で歴史の講座に参加でき、しかもおしゃべりもできるというのは魅力的です。        (3) 地域講座第1号
 コミュニティハウスの自主事業に組み入れてもらうこともなく、会場も自分たちで工夫して探して経費もすべて自分たちで負担するという学級・講座が実現しました。
 これまでは定員がオーバーしたら抽選をして落ちた人は「残念でした」ですませていました。
 講座「製本を楽しく学ぶ」においては落選をしてしまった人たちのためにもう一回講座を開設することにしたのです。
 予算は無いので講師は頼めない、区役所の主催じゃないから会場の優先使用もできないし区役所の会議室も使えない。考えれば考えるほど困難な条件がたくさん出てきます。でも運営委員は補講を実現するためにいろいろと知恵を編み出しました。
 運営委員は「製本を楽しく学ぶ」講座を準備する段階で製本技術を一度経験しているし、本番の講座の中ではアシスタントとしてもう一度経験しているから、「ちょっぴり経験者」だ。テキストはしっかりしたものができあがっているし道具も調達済みだ。今回の講座に参加した受講生が手伝ってくれれば講師がいなくても教えられるのではないか。
 資料の印刷代など必要経費はみんなに負担をしてもらおう、会場はその都度ととれたところをジプシーのようだけど転々として使っていこう。
 こんな相談がまとまり補講がスタートすることになりました。月2回で3ヶ月かかる本格的な学級・講座形式の「補講」です。
 講座「製本を楽しく学ぶ」の受講生の協力を得ながら地域講座「楽しく製本技術を学ぶ」がスタートをしました。
 今後開催地域を広げていく、バージョンアップした内容の学級・講座を企画するなど運営委員の人たちの夢は限りなくひろがっていきます。       
3 学習グループと地域講座を結びつける
(1)     健康講座構想
 ステージ21自治会主催の学級・講座で「治療から予防へ」をテーマにした健康学習会を行いました。磯子区には160の自治会・町内会がありますから各々の自治会・町内館でそれぞれ1回づつ健康講座(地域講座)を開催するとなると160の学級・講座を開設することになります。
 160の学級・講座を開設するためには身近に講師陣を育てることが必要だと考えて、健康講座を開設するときに問題提起のできるような内容を学ぶ学習グループづくりを始めました。「介護と痴呆を学ぶ」という学習グループは筋肉を鍛える体操を学びあったり、つまずかいない家造りを学んだりしています。「貝原益軒の健康思想を学ぶ」という学習グループは古文書で貝原養生訓をよみ、江戸時代の儒学者が考えた予防の知恵について学び、健康学習会(地域講座)が開設されたときに話題を提供できるように準備を始めています。
(2)   大震災に備える
 大震災が起きたとき助けてくれるのは隣近所の人だ、近所付き合いがみんなの命を守るという考えに基づいて1年間学習を続けてきたグループがあります。
 現在「区」全体を対象にした学級・講座を開設して、受講者の中から地域講座を開設する人づくりに取り組んでいます。以下、当日報告資料参照

報告2  岡山県奥津町羽出公民館:山村で少しずつ動きが始まった
 
岡山県奥津町羽出公民館 館長 美若忠生  (協力者)小椋 光利

はじめに
 岡山県苫田郡奥津町、人口1825、世帯数661、中国山脈の背稜部にあって山林が93%を占める。苫田ダム建設工事が進む中、どんな町づくりをするかが大きな課題となっている。羽出地区は、5自治会、人口 565、世帯数187の積雪寒冷地である。
 羽出公民館の活動の概要は、月刊社会教育(2003年7月号「山間部の生活文化と結びつく学び」→改題「山村で少しづつ動きが始まった」後掲・むらまちレポート3)に紹介されているので、ここでは特徴的な経験及び課題について報告する。
1)自主事業が公民館への期待を生む
 公民館活動グループ(趣味、習い事等)や団体への会場提供だけだった公民館で、せめて図書室の活用を図ろうとしたのが平成10年だった。
 平成11年には連続学習「福祉を考える」を行い、平成12年には、神社のお田植祭に歌う田植唄の練習会、男性の料理教室、町のふれあい祭りでの「陶芸家 清兵衛遺作展」、小正月の民俗用具「てっちりこ」商品化への協力へと広がった。公民館が思い切って一歩を踏み出したことが、住民の間に公民館への期待を生み出した。
 この経過の中で2つのことが重要だったと感じている。1つは、地域福祉をどうするかに取組んだことである。2つには、田植唄の練習、文化の掘り起こし、男性の料理教室など、住民から声を取り入れて幅広く事業を実施したことである。住民の抱える課題から逃げ出さず、声を受け止めることが大切だったと思う。同時にこの間、積極的に事業ができない期間が続けば、住民の公民館への期待(量も内容の幅も)は、潮が引くようにやせ細ることも実感した。
2)協力者集団の存在
 羽出公民館の職員は非常勤(勤務日のない)館長のみである。一人ではほとんど何もできない。少しずつでも自主事業に取組めたのは、数名の協力者があったからである。企画の相談から実施に至るまで協力する集団は、(運営組織の設けられていない場合は特に)公民館の重要な財産である。運営組織を設置するか、協力者組織をどうするかは、じっくりと検討したい。 
 当面必要としているのは、例えば、子ども広場の企画運営の協力者であり、町村合併や農水省が推進する認定農業者への農地集積施策等に対応する地域づくりの検討・学習を企画運営する協力者である。こう考えると、長期的に取り組もうとするテーマや事業ごとに協力者が組織できることが望ましいともいえる。
3)地域づくりと公民館
 羽出公民館の事務室は役場支所となっていて、町民福祉課の職員が勤務している。扱う事務量は多くない。公民館や隣接する「ふれあいの里」施設の使用申込み、鍵の受渡しもする。地区には「高齢者福祉の村づくり協議会」その他があって、さまざまな活動や住民支援事業を検討する時、連絡センターが問題となる。
 役場支所が公民館内に設けられているのは幸いと言うべきで、役場と職員がその気になれば「住民活動(支援)センター」に発展させることは今すぐにも可能と思われる。 
 実際生活に即しながら地域の課題を検討・論談して新しい郷土建設の拠点となることをめざした初期公民館の姿が目に浮かんでくる。

報告3 松本市の自治組織と町内公民館活動
   
松本市和田地区「福祉ひろばを支える会」 会長 田中秀一

はじめに
 私は今年の3月まで松本市の町会連合会長を務めておりました。そこで、かれこれ10年余の町会活動の中から自治組織としての町会と町会公民館との関わりについて考えてみたいと思います。
 私たちの町会は、松本市の西方に位置する農村地帯で、和田地区蘇我町会といいます。世帯数 137, 人口 492人、 3世代同居が比較的多く、戸数 112で農家率60%、高齢化率25%、静かな田園地帯で、特産物は松本ハイランドスイカが有名です。 
「福祉ひろばを支える会」については、松本市は地域福祉の拠点として地区ごとに「福祉ひろば」を設置し、地域住民によって運営されております。私ども和田地区にも地区公民館に併設して設置され、既に7年目になります。その運営で苦労した歴代の企画委員が現役の幹部と一緒になってひろば事業を支えるサポート組織として平成11年に発足しました。いわばNPO的な組織です。
 私も町会長を退任し、関係する役職はなくなりましたが、福祉ひろばには引き続き参加し変わりなく活動しております。直接参加している事業は、男性の料理教室、男性コーラス(シルバーコーラス)、送迎ボランティア、ふれあい健康教室などで、支える会としては先頃発足以来6回目の「福祉を考える集い」を開催しました。
 和田地区は各組織の主体的な活動は尊重しながら、福祉活動などは一体化して取り組んでいます。もともと、戦後の公民館活動の中から培われた地域活動が福祉の社会化のなかで具現化されたとも言えましょう。

1コミュニティーの原点は集落

 コミュニティーの基礎組織は集落です。したがって自らが生活している集落の歴史や文化を知り理解することが何よりも大切です。蘇我町会は昭和30年松本市に合併するまでは和田村蘇我区と呼ばれていました。蘇我区は明治7年からで、明治41年には蘇我区規約が制定され、自治組織として機能してまいりました。 
 その規約の中に、「青年会、婦人会、少年会、娯楽会など各会を起こし区民をしてこれが会員たる事を勧誘すべし」また「区民は勤めて各会の会員たるべきの義務を有す」として、それぞれ組織的な専門活動を規定しています。
 今から94年前既に公民館活動は始まっていたのです。
 その「区」はまさに住民の自治組織であり、住民の営農や生活の諸課題を総合的に処理するための自主的な組織であったわけです。 
 ところが、近年における町会組織は縦割り行政のためか機能が分化し、住民の町づくりをするための学習面、文化やスポーツ面を町内公民館が受け持ち活動するようになりました。しかし、明治期における区の活動にみられるように、集落活動は自治組織として一定の理念を持ち、住民が一体となって取り組まなくては意味がありません。このことを集落の歴史は教えてくれました。

2 自治組織としての自覚 
 一昨年の暮、突如として松本市の自治団体に激震が走りました。それは、戦後最初の区画整理事業で誕生したM町会(世帯数946)が所属の地区町会連合会を脱退して新たにM地区町会連合会として独立を宣言し、市町会連合会と市行政に通告したからです。
 これは、自治組織であるはずの町会や町内公民館にとっては勿論のこと、行政にとっても極めて重大な事でした。何故ならば、従来松本市は行政合併の経過もありまして、行政の基盤を地区(29)に置き、その地区と地区町会連合会の区域が同じで、行政施策はすべてこの地区中心に行われてきたからです。
 したがって行政の協力組織でもある町会や公民館は支所・出張所と同一管内にあって市の事務事業を執行するのに好都合であったわけです。更にハード面の施設も地区中心に設置され、主な施設である支所・出張所は勿論のこと、地区公民館、体育館、児童センター、福祉ひろば等拠点的なものはすべて地区毎に設置されてきました。
 仮に従来どおりの考え方ですと地区が一つ増えたことになり、市の長期計画を変更しなければいけませんし、財政的にも負担が大変となります。
 市町会連合会としては、町会数が増えるだけで会則上に問題はありませんでしたが、行政と整合する必要から、市へ審議機関を設置して検討するよう要望しました。結局、市では「松本市地域コミュニティー懇話会」を立ち上げ、「地区町会連合会及び単位町会設立の要件等について」を諮問しました。委員には、町会関係をはじめ主な組織団体代表、議会及び行政代表、大学教授などが選出され、精力的に審議し今春漸く回答書が作成されました。
 要約して申し上げますと、
1 住民自治の任意組織である単位町会・地区町会連合会と行政施策の基盤組織としての地区・町会を区分すべきであること。
2 地区町会連合会の設立等は、当該する地域の町会・地区の住民による民主的な合意形成と市町会連合会の承認と行政との調整等一定の手順が必要であること。
となりました。この回答書を議会や関係団体で審議し、漸く決着をみました。
 問題提起から2年近く経過しましたが、その間、町会にとって「自治組織とは何か」との自問の機会であり、組織を再認識する良い機会となりました。行政にとっても自治組織は行政の下部組織ではないとあらためて認識したと思います。

3 地域福祉は町会福祉から
 介護保険制度が施行されてから福祉の分野も大きく地域にシフトされ、地域福祉が叫ばれております。しかし、地域とは一体どの区域を云うのかはっきりしません。
 私は地域福祉は新たな共同体づくりだと思います。したがって、集落に拠点を置き、集落共同体として活動することが地域福祉の原点でなければならないと考えます。とかく集落共同体は崩壊したとか、機能していないと言われますが、従来の共同体は農村地帯にみられたように、就業構造が共通していてその面のニーズが一致していましたが、現代は全く違っています。しかし、「人間として生きる場」としての環境、教育、福祉等共通したニーズがあります。
 これを柱にして共同体づくりをすすめることが町会・公民館の使命ではないでしょうか。公民館活動も広い意味では地域住民の福祉に繋がると思います。
 かって私は農協の組合長をやっておりました。あるとき役員室へ私の集落の面々がきまして、突然「集落水稲生産組合の組合長をやってくれないか」と詰め寄られました。実は農協の生産方針で集落営農をかかげて生産集団の組織化を推進していましたが、なかなか運営がうまくゆかなく崩壊寸前だったのです。その時、冗談まじりに、「トップとして号令をかけているだけでなく、1万人の組合長をやっているんだから集落生産組合60人の組合長が兼務できない筈がない」と言われました。私は考えてみましょうと返事をして、結局8年間生産組合長をやり何とか軌道にのせました。この経験は私の集落に対する理念を大きく変えることになりまして、私のライフワークは集落活動だと自分に誓ったのでした。その後農協の組合長をやりながら町会に関わり、町会長職も引き受けることになりました。
 さて、私達の町会では、町会福祉の事業を松本市の社会福祉協議会蘇我分会としての事業として取り組んでおります。それは、町内の各団体が自由に参加できるように別組織にしたのです。
 構成は、町会役員、公民館役員、民生委員、高齢者クラブ、健康づくり推進員、ボランティア、衛生部役員、ひろばを支える会等で、事業は出前ふれあい健康教室、敬老会、配食サービス、送迎ボランティア、介護相談、雪かき等です。いずれ町内公民館が推進役となることを期待しています。顔のみえる範囲で支えあうことが地域福祉の目指す目標だとするならば、町会福祉こそが町会や町内公民館の共通のテーマでなければならないと思います。

4 おわりに
 昨年、和田地区ひろばの会議で、福祉ひろばの歌を作り意識を盛り上げようと言うことになりました。挙句に私が作詞し小学校の先生に作曲してもらいました。それが「ひろば音頭」です。今年は松本市の福祉イヤーで振り付けをして踊ろうと張り切っています。
 歌詞は
1 つらい思いや体のいたみ いやしてくれる
 やさしいひろば ひろばよいとこみんなの
 ひろば 苦労かさねた仲間がつどう
 和田のひろばは ソーラソラソラ いいひろば
2 田面をわたるそよ風に こころとけあう
 たのしいひろば ひろばよいとこみんなの
 ひろば なつかし歌声 静かにひびき(以下くりかえし)
3 年をわすれて夢中になって ピンピンコロリ
 の夢かたる ひろばよいとこみんなの
 ひろば
ゲーム体操 おどりに手芸
4 ほっと一息茶をのんで そうずらこうずら
 おしゃべりはずみ ひろばよいとこみんなの
 ひろば 至福の笑顔で肩たたく

 こうして歌い踊る姿に地域福祉の素顔をみる思いがします。いま福祉ひろばは、松本市の介護予防の機能を生かす拠点であると同時に、若者から高齢者までが集い、地域を、集落を考えるみんなの広場として大きく飛躍しようとしています。これは、本来公民館が目指すべき方向とも言えましょう。
 町内公民館活動は、町会活動とは違い、地域課題に対し、地域住民の参加、参画によって息の長い研究や検討ができるのが強みであり、まさに生き甲斐のある事業であります。
 また集落の歴史や地域住民のニーズを捉え、気楽に話し合い、自らの足で大地を踏みしめながら住民としての意志を結集して新たな共同体づくりの先頭に立つべきものと考えます。


報告4 小さな島の字(自治)公民館の活動〜沖縄県今帰仁村古宇利島
           沖縄県今帰仁村古宇利区長   小浜 美千子



古宇利島の概要
 古宇利島は沖縄本島の本部半島の北東にあり、ほぼ半径1キロの円形で面積3.11平方キロ、周囲は7.9キロ、最高標高は107メートル、琉球石灰岩からなり、海岸段丘が顕著にみられる島である。世帯数130戸、人口350人が生活する古宇利島は古くから沖縄の人類発祥伝説が伝えられており、クイ島(恋島)またはフイ島(海を越えるの意)と呼ばれている。また、毎年、旧盆明け後の亥の日にウンジャミ(海神祭)が行われていることでも知られ、年間を通し古くからの祭祀が今なお神人の手で受け継がれている。また3600年前の古宇利原遺跡が発見されており、考古学上も興味深い島である。現在は今帰仁村運天港からフェリーで10分の島であるが、1997年から名護市屋我地島との架橋工事が行われており、2005年3月に完成予定となっている。
島の暮らし
 島人(シマンチュ)は半農半漁で、農作物ではサトウキビ・ベニイモ、漁業ではウニ、モズク漁が知られている。
 区の年間行事は神人(カミンチュ)の執り行う祭祀を中心に繰り広げられる。また今年4月から村立中学校4校が本島で統合され島の中学校(小中の併置校)は廃校、中学生は現在フェリー古宇利丸で本島に通っている。
区長業務
・区長会(5日・20日今帰仁村役場) ・JA窓口・役場収納係詰(水曜日)
・子供琉舞教室(土曜日) ・ユイマール事業(第3水曜日) ・祭祀(年間16回)
区長業務報告(H15年6月)
3日(火)中学生台風自習学習    4日(水)JA/国保窓口・生コンプラント解体御願 
5日(木)区長会  6日(金)PTA総会・職員歓迎会・保安林解除
10日(火)村老人クラブ総会  11日(水)今帰仁交番ムラヤー訪問 五月ウマチー準備(神人宅へ)
12日(木)行政委員会・字誌文書送配付  14日(土)O・W・S大会ビーチクリーン 古宇利婦人会総会
15日(日)中学生総合学習ガイド   16日(月)新旧行政委員会合同会
17日(火)陸運事務所ムラヤー訪問(離島車検)行政委員会 18日(水)中学生台風学習・ゆいまーる事業
19日(木)文化財係発掘作業員募集説明会 JA窓口業務  20日(金)区長会・呉我山区長歓迎会
21日(土)字誌編集会議  22日(日)村壮年ソフトボール大会 23日(月)虫払いあしびグランドゴルフ大会
24日(火)生コンプラント工事終了訪問  25日(水)JA/国保窓口業務
26日(木)狂犬病予防接種・企財課現場案内  27日(金)区総会・婦人会踊り練習
28日(土)国頭地区青少年健全育成会  29日(日)古宇利幼小学校運動会
 島の高齢化率は34%、一人暮らしの高齢者や高齢者夫婦世帯が増えるなか、中学生14人、小学生25人がいる。ユーターンもみられるが島に雇用はなく、高齢化した親とサトウキビキビを作ったり、架橋関係の日雇い仕事についたりしている。また中学校が統合し、小学校PTAだけでは学校行事や環境管理等に支障が出ている。区民あげて支援していく必要性が出ている。ゴミは現在島内に捨て場はあるものの、分別や焼却が出来ず不衛生な状態である。またゆたかな自然環境に恵まれた島が架橋完成に伴い、人為的に危機にさらされることが危惧される。“手付かずに近い本島から一番近い神の島”に架橋離島の課題は山積している。

古宇利大橋架橋後の持続的なしまづくり 「生涯学習まちづくりモデル支援事業」
 この島は何を必要としているのか、何を残さなければいけないのか。島の宝は島人だけのものではない。島の文化も自然も島内外のジンブンを結集して考えていく必要がある。地元の名桜大・琉大・村歴文センター・郷友会、北海道大学等々のスタッフの協力を得て応募した文科省の「生涯学習まちづくり支援事業」の内定をいただいている。この事業計画から架橋離島が近づいている緊迫感を島人に感じてもらうこと、自分たちの島に誇りを持つこと、島人の手でこの転換期を乗り切らなければならないこと等を考えるきっかけになればと願っている。(以下事業計画)(写真・島の祭祀(うんじゃみ:シラサ)略

事業の実施スケジュール
 7月 第1回実行委員会会議。本事業の島民への説明会。架橋工事の現場で工事担当者による説明会。島民意識調査。小中高校生に「島の未来を描く」作文募集。アイランドクリーン事業実施。御嶽への道を拓く。史跡文化財の標柱設置。
8月  先進地(与論島)と交流・学習会。古宇利島の自然・海のワークショップ。しまづくりフェスティバル・展示会の開催。ウンジャミ(海神祭)・豊年祭の記録作成。島の集落生活環境・土地利用マップの調査作成。
9月  第2回実行委員会会議。古宇利島の歴史・文化・生活のワークショップ。
10月  島の未来マップの作成。古宇利島しまづくりフェスティバル・展示会の開催。
11月  架橋経験市町村の取材と意見交換(宮古・本島各島)。
12月  第3回実行委員会会議。御嶽の整備と史跡文化財の標柱設置。
1月  全琉架橋離島サミットの開催。  2月  第4回実行委員会会議。
3月  古宇利島憲章制定とパネル設置。本事業の最終報告書作成。古宇利島しまづくりフェスティバル・展示会の開催。

字誌「古宇利誌」編集について
 現在、字誌「古宇利誌」の編集が行われてる。古宇利誌編集期成会が発足したのは平成6年のことである。原稿はすでに亡き編集期成会長の手により村歴史文化センターに収められていた。しかし、編纂部会への見直しや確認がなされないままの原稿であった為、編纂部からの苦情があり,お蔵入りの状態であった。
 字誌は島人、郷友会の納得するものでなければならない。そこに自分たちの祖先や幼い頃に体験した場所、またそこで出会った故人が見える「古宇利誌」でなければ手に取りたい「字誌」として完成しない。昨年、眠っていた字誌編集期成会を再度立ち上げた。現在は故会長に纏めていただいた原稿を叩き台に見直し確認・追加等の作業が今帰仁村歴史文化センター館長を監修に据え、字誌完成は古宇利大橋の完成に照準を合わせている。発足からすでに十年近くが経過し当時かかわられた委員の名簿から偲ばれる故人も多くなった。いい字誌を完成させ墓前にご報告したいと思う。

《古宇利島の年中祭祀(旧暦)》
1月 1日  元旦朝御願    2月15日  二月ウマチー
4月 吉日 虫払い・プーチの御願・タキヌ御願   5月15日  五月ウマチー
6月23日  神下がり   24日  ユーニーゲー   25日  サーザーウェー
 26日  サーザーウェー・ピロシー 旧盆明けの最初の亥の日   
ウンジャミ(海神祭)  ウンジャミの翌日   豊年祭
8月10日  神拝み  10月 吉日  プーチの御願・御嶽の御願
12月20日  ムユーウイミ 

《古宇利の人類発祥伝説》
 昔、今帰仁村の古宇利島に男女の若者がいた。
 大昔のこととて二人とも裸体で、毎日天から神様が落としてくれる餅を食べて暮らしていた。ところが、だんだん二人は知恵づいてきて餅の残りものを蓄えるようになった。それを知った神様はその日から餅を落とすのを止めてしまった。
 二人は驚き悲しんで天のお月様に向かって トートーメサイ トートーメサイ(お月様、お月様!)、ウフモチヤトゥムチ(大きな大きな餅を)ウタビミショリ(恵んで下さい)と何回も哀願したが、二度と餅は落ちてこなかった。
 それから二人の若者たちは生きるために働かねばならなかった。あるとき二人は海馬(ザン)という人魚の交尾するのを見て、初めて男女交媾の道を知ったので裸体を見せるのが恥ずかしくなり、クバの葉で陰部を覆うようになった。
 古宇利島の住民はこの二人の子孫だという。古宇利島の森の中に御嶽があり二個の髑髏があるが、これは島建ての祖先となった二人の遺骨であるとして、村の神女たちによって祭られているという」。(参考資料:国頭郡志) 

報告5
久美浜報告:
地域に根ざした公民館活動を進めるために〜
 公民館活動基礎講座の20年
         京都府久美浜町教育委員会社会教育係長 土出 政信
はじめに
 久美浜町は、京都府の西北端に位置し、西と南は兵庫県、北は日本海に接し、豊かな自然と多くの歴史遺産に恵まれた人口は約1万2千人、3200世帯の町です。近年、農村地域の傾向である少子高齢化が急速に進み、この対策が町の大きな課題となっています。
1 久美浜町の公民館活動
 久美浜町の公民館活動は、中央公民館がなく、旧村ごとに8つの地区公民館が条例設置され、公民館長及び公民館主事が非常勤で配置されています。また、1960年(昭和35年)以降、集落単位の自治公民館方式といわれる独自の公民館活動を展開してきました。
 久美浜町の自治公民館方式とは、自治会を単位として、自治会の行政作用と公民館が持つ教育作用を一体化し、住民参加の自治会運営を行うもので、さまざまな地域課題について取り組まれてきました。
 本町の自治公民館の特徴は、公的教育機関である地区公民館の分館と位置付けられており、地区公民館と連携した住民の身近な学習と実践の場として住民参加の村づくりが進められてきたことにあります。近年は、社会環境の変化に伴ない、自治公民館の活動が停滞し、形骸化してきているといわれています。しかし、各集落の組織は、今もなお自治活動の基盤として、専門部活動や隣組組織等自治公民館の体制が機能しています。
 このため、本来もっている自治公民館方式の機能を再確認するとともに、時代にあった自治公民館活動を再構築する必要があります。
2 「公民館活動基礎講座」の経過
 久美浜町における自治公民館方式は、公民館活動の根幹となる活動であり、地域の生活課題を取り組む最も住民に近い学習と実践の場です。しかし、地域の高齢化や核家族化など時代の変化とともに、地域の人間関係の希薄化による地域の弱体化が進み、本来もっている機能が十分に生かされていない実態があります。また、自治公民館の役員は、ほとんどが1年任期となっているため、何もわからないまま例年の活動を踏襲して1年が経過するケースが多く、本来自治公民館で取り組むべき活動が停滞していました。
 このため、公民館活動について理解を深めるとともに、公民館関係者の交流を進め、自治公民館の活性化を図ることを目的に、1982年(昭和57年)から『豊かな暮らしをめざす公民館活動を進めるために』をテーマとして、公民館とはなにか、なぜ必要か、また、集落における公民館活動をどう進めるかを研修課題として、「公民館研究集会」を実施しました。以後、現在の「公民館活動基礎講座」と名称を変更し、自治公民館の役員の学習機会として毎年実施してきました。
3 自治公民館の活性化を図るために
 2001年(平成13年)の講座では、各集落で行われている自治公民館活動を把握するために実態調査を実施し、その結果をもとに、集落での具体的な実践から学ぶとともに役員の交流によって、自治公民館活動の活性化を図る実践活動について研修しました。
(1)品田区「区誌編纂」の取り組み
 品田区は、久美浜町の中央に位置し、水田農業農家が多い48戸の集落です。平成8年(1996年)に、「品田の歴史を再確認し、区民の誇りとして変遷の激しい現代の様子などとともに未来に伝えよう」と区誌を編纂するための準備委員会が発足しました。以後、三年間、一般・農業・神仏などについて編集委員を中心に、区の中で何回となく話し合いがもたれ、平成10年(1998年)に完成しました。
 区民総参加で取り組まれた手作りの「区誌品田」には、住んでいる「品田」と言う地域に誇りと愛着を持ち、将来にわたって守りつづけてほしいという住民の願いがこもった地域ぐるみの活動が詰め込まれています。
(2)神谷区「河童祭り」の取り組み
 神谷区は、久美浜町の西端に位置し、兵庫県豊岡市に隣接する谷間の30戸の集落です。神谷区では、村の中央を流れる神谷川の清流が村の誇りとなっていました。しかし、近年生活様式の変化から河川の汚れが目立ちはじめ、地域の課題となっていました。このため、平成10年(1998年)に、神谷川を生かした行事として、「河童祭り」が計画されました。この事業は、区民全体で神谷川の自然と環境を守るとともに、子どもたちにも川を大切にしてほしいとの願いから、区の公民館役員と子ども会の役員が協力して実施されました。当日は、放流したニジマスのつかみ取りやバーベキュー・パーティーなど楽しみながらきれいな川を守る大切さを考える機会となっているとともに、子どもからお年よりまで区民すべてが集う交流の場となっています。
4 新たな地域課題と公民館活動基礎講座
 近年の住民生活は、急激な社会の変化に伴ない、農業などの地域の基幹産業が厳しい状況におかれるとともに、地域を構成する家庭の核家族化、少子化などの家庭環境の変化及び生活様式の多様化による地域の連帯感の希薄化は、深刻な問題となってきています。
 このため、講座では、緊急かつ多様な地域の課題に地区公民館と自治公民館及び関係機関等がより一層連携・協力を密にして対処していく活動が必要となってきました。
(1)地域で子供を育てよう
 2002年(平成14年)は、学校週5日制が完全実施されるのを前に、「地域ぐるみで子供を育てる」という原点を考えるため、学校教育と連携し、学校教育の現場から地域への提案と具体的な地域の実践活動に学びながら、地区公民館及び自治公民館が果たすべき役割について研修しました。
(2)地域資源を生かした村づくり
 2003年(平成15年)は、地域の連帯感を高める公民館活動を進めるために、各地区公民館を通じて、分館長に各集落の自然資源や歴史遺産など5つの分野について調査を依頼しました。その調査結果をもとに、地域資源への関心を高め、地域ぐるみで次代へ守り伝える活動を進めるとともに、地域のさまざまな資源を活用した村づくり運動の方策について研修しました。
5 久美浜町における今後の公民館活動の課題
 久美浜町における自治公民館は、公民館活動の根幹であり、地域の生活課題を取り組む最も住民に近い学習と実践の場です。住民共通の課題は、家庭生活を基盤とした住みよい地域づくりであるため、村づくりを中心とした地域活動を育てることが重要で、それが将来の住民総参加の町づくりへ発展させていく第一歩だと考えます。
 このため、住みよい村づくりをめざした集落ぐるみの活動を支援していくとともに、隣組等身近な場での話し合い活動の促進及び子供会・婦人会・老人会等、階層別集団の育成を図ることによって、集落内に学習を組織しやすい体制を整備することが課題となっています。
 この講座は、20回を数えますが、自治公民館の歴史的背景や必要性などについての認識はまだまだ低く、今後も公民館の役員の研修機会として継続していく必要があると考えています。
 また、丹後地方では、丹後6町の法定合併協議会が設置され、2004年(平成16年)3月の合併に向けて協議が進められています。多くの問題を持った合併ですが、合併によって広域化すれば、住民の身近な学習と交流の場であり、住民のよりどころである自治公民館や地区公民館の果たすべき役割はますます重要になってきます。
 このため、地域の拠点となる自治公民館や地区公民館の活動の充実は、合併後の社会教育を推進していくための最重点課題として取り組んでいます。

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第21分科会報告・討議内容とまとめ(美若忠生)
自治公民館,コミセン,町内会館等における小地域での学習活動と地域づくり

参加者数29名(市民12,職員14,研究者2,大学生1)
分科会世話人代表者(会場責任者)岡山 美若忠生
助言 東京 小林文人
司会 大阪 松岡伸也(午前),沖縄 島袋正敏(午後)
記録 長野 矢久保学、岡山 柚野裕正 
レポート
神奈川県横浜市 伊東秀明「大都市の区役所で狭い地域での社会教育活動を支援する」
岡山県奥津町  小椋光利 「山村で少しずつ動きが始まった」
長野県松本市  田中秀一 「自治組織と町内公民館活動」
沖縄県今帰仁村 小浜美千子「小さな島の字(自治)公民館活動」
京都府久美浜町 土出政信「地域に根ざした公民館活動〜公民館活動基礎講座20年」
はじめに
 この分科会は名護集会の「字公民館と地域づくり」を継承するものとして設定された。「市町村合併に見られる今日の動向の中で自治公民館の活動や小地域での学習活動が大きな課題となっている。まず自治公民館など小さな範囲での取組の実践事例から学ぼう。学ぶとはどんなことか・どう発信するのか,また自治とはなにか,そんな視点からも見つめ直したい。また、職員のあり方を考えてほしい」と代表世話人が思いを伝え開会した。
 まず,参加者の自己紹介と思いの伝え合いからスタートした。
レポート発表
 【横浜】従来の16万区民を対象にした講座ではなく,小地域での学習活動を基本に考えようとして取組んだ。郷土史への興味が非常に大きいことに注目した。受動的でなく,グループの討議ができる形で講座ができていった。パソコン講座では受講できなかった人を対象に受講経験者が補助指導者で補講を実施できた。学習の様相も一変した。大都市だから大きな範囲という考えが無くなった。学習コーディネーターを養成しようとしている。学習グループ連絡会もできた。そこから要求の掘り起こしが進めばすばらしい。
 【奥津】公民館長は勤務日なし。行事中心の活動にならざるを得ない。「福祉を考える」学習から始まった自主事業も5年目,「男性の料理教室」「ふるさとの昔ミニ写真展」「羽出の雛祭り」など,地域の生活に即した活動ができはじめた。また,高齢者福祉の取組と連携して支えあう地域づくりを進める条件も生れつつある。
 【松本】「町会福祉」の活動を通じ、公民館が集落を原点とする本来の活動ができていないことに気がついた。蘇我町会では、昔かららの大切な規約等が入った箱を会長に引き継ぐが、福祉事業など、今に通じるものがそこにあった。松本市では他区の独立問題から地区とは何かが問われ、地区振興計画を住民と行政が話しあう季刊ができた。地域福祉は新たな共同体づくりであり、公民館が主体となった福祉活動を展開しなければならないと考える。
 【今帰仁・古宇利島】名護から橋が架かる。完成までに多くの処理しなければならない問題がある。島に祭りがあって総合学習で取り組んで参加させている。自然がとても豊かなところ。祭りと共に生活がある島。授業も大事だが島の文化を知ることが大切なこと。字史づくりを進めているが,橋の完成までに作り直そうとがんばっている。“島の中で守りたいもの”があって「生涯学習の町づくりモデル事業」で取り組んでいる。
 【久美浜】役員が短期間で交替し自治公民館の活動が形骸化しがちなので,「公民館活動の基礎講座」を実施している。実践事例の交流,学校と連携した地域の子育ての検討,地域の資源を発掘して活動に取入れるための調査なども行った。自治公民館の実践例では,区史の編纂,河童祭りなどがある。自治公民館活動の役割は大きく,町村合併後も存続させる考えである。
 《助言》5つの事例に,いずれも地域の歴史のことが出てくる。歴史を取り上げるのは単に昔を調べることではなく,現在を知る活動でもある。地域史は学者には書けない。自分たちが書かなければならない。みんなで創っていくことの意味が重要であり、「地域づくり」の視点と共通認識できる活動である。
意見交換
@伝統ある祭りを継承することが難しくなった。正しい歴史を知ることが大切なことを引き継ぐために必要。意識しないと大切だと思えない。
A課題が見えると人とのつながりが必要になると思うが,どう切り出すか。
B地域を考えるきっかけを作りたい。市町村合併問題は,基本的にこの地域をどうするかとうこと。
C公的公民館の活動と自治公民館の活動の違い。「自治公民館」という分科会を設けてほしい。「自治(的)」で議論することは難しい。
D条例設置とそうでない公民館もやっていることは同じようなこと。利害関係が生じるときに行政の責任は如何にするのか。
E公的公民館でないものが自治公民館ということだろうが,それが活動の本質に違いが生じる要因なのかどうか。
F学習者支援が公的かそうでないかは問題ではない。活動をする人の問題。
G暮らしや文化を見つめ直す活動が自分たちの地域を見直す方法だと思う。
H福祉活動にどう取り組んでいるか聞きたい。現状は,自治公民館が行政が行う活動をこなすことが精一杯で地区の行事に取り組めない。
I町内会の歴史をどう残していくかということの知恵を会員に募集している。
J若者を引き込む手法は何かを,大人が考えなければと思う。
K地域の掘り起こしには公民館活動が重要だと思う。語り合える公民館を作りたい。
L組織形態がどうであろうが意識に違いはない。住民にどう理解してもらえるかが大切。体質を変える時期にきている。
M小範囲でやるからお互いに見えるのではなく,みんなが理解するという状況を作る。
まとめ

 この分科会は,自治公民館だけではなく小地域という表現がある。同じ自治公民館でも違いがある。地域的個性がある。自治とは何だ。地方自治法にいう自治ではなく本当の意味での自治を考える必要がある。コミュニティの概念は個々に理解すればいいこと。社会学的近代自治ということが言われている。しかし,今,地域の自治の再生へ挑戦をしていかなければならないし,大きな課題。@与えられた自治ではなく内発的発展論(キーワード)A本当の意味での自治B子どもと若者の問題は切り離して考えられない。C自治の問題は地域の歴史や文化と非常に関わりを持つ。D公的セクターとして(公民館,社会教育)を考える。無くてもいい自治公民館にしない。
〜呼びかけを行って閉会〜
★小さな地域共同体の自治をふまえた生涯学習を・歴史を・広げていこう!
★一度沖縄に行こう!
★来年もこの分科会を続けよう
















C 第44回全国集会(猪苗代湖集会、2004年8月)へ向けて

    第19分科会 自治公民館・小地域活動の学習と地域づくり

社全協40周年記念・社会教育研究全国集会(猪苗代集会)での
 
『自治公民館・小地域の学習活動と地域づくり』分科会のこと美若忠生

 
 沖縄訪問中の129日、小林文人、松岡伸也、伊東秀明、美若忠生の4人(元分科会世話人)と松本市の竹沢さんも同席の場で、およそ次のような話し合いをしました。
1 平成16828日〜30日に、社会教育研究全国集会(猪苗代集会)が開催される。「自治公民館・小地域での学習活動と地域づくり分科会」の設置も決まった。
2 小林文人先生に引き続き全体的な助言を受けながら実施していきたい。松岡、伊東、美若も世話人として継続する。
3 世話人には、東北から星山幸男先生(岡山集会参加、東北福祉大学)にも加わっていただく必要がある。その翌年の集会を福岡県で開催する意向もあるので、九州地域からも世話人を見つけたい。
4 実践報告は、東北、近畿はどうしても欲しい。できれば九州(沖縄外)からもほしい。
(名護集会;沖縄県2件、長野県2件、 岡山集会;岡山県、横浜市、松本市、京都府、沖縄県から報告あり。) なお、次項のことから考えると、四国、関東、北陸なども含め多くの実践を発掘する必要あり。
5 この分科会も名護集会、岡山集会、猪苗代集会と3年目になる。5回くらいでこの分科会の一応のまとめをしようではないか。(この分科会が現代社会教育実践に提起した課題、そして多様な実践の現段階を示すレポート、戦後社会教育史の中での位置付けなどを、例えば一冊の本として出版する。)
6 分科会を準備していく上での連絡は、(社全協常任委員会との関係は松岡、伊東がいる)引き続き美若が連絡の中心になる。 *当面の連絡経費として、小林、松岡、伊東、美若、竹沢、鷲尾各氏より1000円づつ美若が預かった。情報交換にも活用する。
7 分科会のねらい(分科会を設ける趣旨・目的)や討議の柱については、特にそこに焦点をあわせた話はしなかったが、名護・岡山集会を通じて一貫している方向性=自治公民館の活動、小地域での学習活動が、励ましあって生き・子育てをし・力を合わせて地域の将来を拓いていこうとする文化(風土)を生み出す上で重要ではないかという認識=に特に異論はないように思われた。
 討議の柱をめぐっては、@もっと各地の実践からじっくり学ぶことに重点を置くか、A今日の社会状況の中での役割や理論的位置付けの討議に重点を置くか、B自治公民館の組織や運営、行政との関連などの分野に討議を踏み出すか、などいろいろな思いもあるかもしれないが、それは現地の状況やレポートを見てから判断してもよいと思う。
(*注;7については美若が補足的に記した。)  以上 美若忠生(2004,02,18

 <情報交換・連絡でお願い> @情報交換を希望される方は、切手(1000円以下)を送っていただけるとありがたい。Aメールアドレスのある方はお知らせください。B当該分科会に関係する取組み、情報がある方はお知らせください(短信も可)



参考:昨年(2003年)全国集会・第21分科会「自治(的)公民館、コミセン、町内会館等における小地域での学習活動と地域づくり」設置の意図と残された課題
                                 美若忠生(2003年)

1、分科会設置の意図
 この分科会は、自治公民館を基軸としたものであったが、焦点はむしろ「小地域における学習活動と地域づくり」にあった。
 都市への人口流入で「隣は何をする人ぞ」という状況が一般化し、農村でも職住分離が進み共同体的生活の大きな部分が崩れた。行政も細分化され、教育行政も狭い「教育」の枠に閉じこもった。こうした状況で生み出されたのが三多摩テーゼに代表される都市型公民館像であった。職員は公民館から見知らぬ住民を眺めた。
 しかし一軒一軒を訪ねてみると、チラシ1枚で公民館に駆けつける人々から知るものとは少し異なる生活の様相が見えてくる。解決したい課題も別の角度からみることが出来る。
 例えば都市では、SOSを発した人への支援を可能にする仕組みを追求するが、発信できぬ人々を日常的に支えるには、隣人を知り、地域の中に支える組織そのものが必要だ。
 社会教育における地域づくりの一つの重要な方法は、小地域での学習活動を基盤にした地域づくりの手法で=つまり、学びや集いや遊びや支えあう日常活動そのものを通じて、この状況を解決する方途を見つけ出そうとするものであった。自治公民館の活動の蓄積は必ず大きな示唆を与えるに違いないと考えた。
 時あたかも地方分権が叫ばれつつ、その実、市町村合併(月刊社会教育6月号インタビュー記事で6つの理由を指摘)など、政府の進める“自治体づくり”が多くの行政サービスを合理化しようとしている今、住民がこれをどう受け止め、何を作り上げていくのかが問われる時点で、当分科会は重要な位置を占めるように思われた。
 また、職員の側からすれば、都市型公民館でいう“学び”とは異なる学びの概念や手法を提示することにもなろうと考えた。

2、5つの事例報告と討議
 分科会では欲張って5本のレポートを準備した。
 1つは横浜市磯子区からの報告で、従来の全区民に呼びかけて講座を実施する方式から連合町内会程度の範囲から参加者を募集して実施し、終了後はその地域で学習の輪を広げていくグループを育てる方式へと転換した報告であった。地域に疎遠と思われていた人々が自分の地域で学び、仲間を発見する。学ぶ内容も「昔、磯子に戦争があった」など日常生活の場に引下ろしたものとなり、1つまた1つと生れるグループは個人としての学習の蓄積としてだけでなく地域に文化を形成していく。こうした状況が生き生きと語られた。
 2つは岡山県奥津町からの報告で、山村の小公民館が「福祉を考える」学習を契機に多方面な主催事業を続けることによって、地域での子育て、支えあう地域づくりなど狭い意味での教育の枠を超える期待をよせられる状況が生れたこと。公民館事務局に陣取っている役場支所員と共同し「福祉の村づくり」組織等と協力すれば住民の生活と活動を支援するセンターとしての公民館像を描くことも可能ではないかと提起した。
 3つは松本市からの報告で、ここでは町内会と一体となった自治公民館(町会公民館)が活動し、また行政的には福祉サイドの地区「福祉のひろば」(福祉の公民館)事業が全市的に展開されていることを踏まえて、@日常生活を支えるコミュニティの基礎組織は集落(町内会、自治会)であることの再確認、A町内会が自治組織であることの自覚とあるべきコミュニティの探求の必要、B福祉のひろば事業を生み出し支えているものは自治公民館活動であること、Cこの自治意識を培う上で地域の歴史や文化を理解することの重要性を指摘し、公民館がどろどろした現実から逃げないことが重要だと強調した。
 4つは沖縄県今帰仁村古宇利島からの報告で、村行政の補助執行者と島の自治の執行者としての役割を持つ区長(公民館長)が、高齢少子化が進み中学校が本島に合併され、島と本島を結ぶ橋が完成間近になった今、本島から一番近い“神の島”の「この転換期を島人が主体となってどう乗り切るか、架橋後の島の自然と暮らしをどのように創っていくか」という課題を見据えながら生涯学習のまちづくり事業に取組むようすが語られた。外に働きに出ることが島の暮らし・文化を失うことだという強い思いが伝わってきた。
 5つは京都府久美浜町からの報告で、自治会と一体になって組織されている自治公民館の持続的な発展のために教育委員会が実施している「公民館基礎講座」の取組みについてであった。特徴的な取組みの交流、地域にあるさまざまな「資源」の調査=自覚化の試みなど、館長・主事(いずれも非常勤)が交替しても活動が継続できるよう支援している努力が語られた。自治公民館が持つ底力を信じている姿が見えた。
 
 これらを受けた討論では、結論から言えば
@   小地域で学ぶことについて若干の質疑や意見交換がなされた
A   地域の歴史・資源を取り上げた学習活動が注目された
B   自治公民館の活動そのものの実情は必ずしも多く語られなかった
C    従って、参加者から自治公民館そのものについて検討する必要を訴える発言も出た。
 事例報告の数・範囲を広げたことが討議の焦点を絞りにくくさせたかもしれない。
 
3、この分科会ののこしたもの
 自治公民館が主役となった分科会は、昨年の沖縄集会に次いで2年目である。まだ問題の所在を確かめつつ多くの実践を知る段階とも言える。成果は今後に待ちたい。
 岡山県内からの参加は少なかったが、岡山市からの参加があった。第15分科会で住民の意向・意識調査を試みながら地域の課題に迫っていく実践報告があったことを知った。
 私の町では、公民館に常勤職員を置いて(或いは支所職員の仕事の中心を移して)3つの公民館を「住民の生活を支え、地域の諸活動を励まし、地域づくりを進める拠点」にしていくことが、教育委員会事務局・館長会で合意された。その成文化の作業に入って、都市公民館のイメージや社会教育概念がどうしても拭えず、自分でも困っている。しかし、方向は見えた、と感じている。


2004年・全国集会(猪苗代集会)『自治公民館分科会』の集会要項記載原稿案
                                  (美若忠生、2004年5月)

分科会名  自治公民館その他による小区域を基盤とした学習活動と地域づくり
趣  旨  人々が日常的に支えあうことが可能な小区域で、暮らしを考えあい活動を組織していくことが今日ほど重要な時はないように思われる。
 自治公民館、自治的運営の地区館、教委、NPO法人などが、小地域を基盤にした行事、いのち・暮らし・子育て・文化・仲間づくりや地域おこし等々に取り組んでいる。それらは地域の自立と自治をはぐくむものであった。
 当分科会は名護集会以来3回目。各地の事例を交流しながら、その意義を確認し展望を探りたい。持込みレポートを歓迎したい。

世話人  小林文人  bunjin-k@js4.so-net.ne.jp
       星山幸男  yukio@tfu-mail.tfu.ac.jp
       遠藤知恵子 endo@asaigakuen.ac.jp  
       松岡伸也 matsuokasm@rinku.zaq.ne.jp
       伊東秀明 hide-itou@mug.biglobe.ne.jp
       矢久保学 manabu_yakubo@city.matsumoto.nagano.jp
       柚野裕正 h_yuno@town.bisei.okayama.jp
       美若忠生 miwaka-t@mto.town.okutsu.okayama.jp


2004年(第44回)社会教育研究全国集会・第19分科会
                 →第44回集会関連(別頁)
 
討議の進め方
 第19分科会:自治公民館・小地域での学習活動と地域づくり
1 これまでの経過
 「自治公民館・小地域での学習活動と地域づくり」分科会は、名護集会、岡山集会に続いて3回目である。
 名護集会では、沖縄の現地で字公民館の優れた実践に学ぼうと発意され、同じく優れた地域活動を創り出してきた長野県の実践がこれに加わったが、この報告と討議は、2つの点で波紋を広げた。1つは、自治公民館の活動方式と長年にわたる実践によって培ってきた住民の自治的諸能力は、地方分権・地方財政の逼迫と行政の合理化に対応する地域の自立的発展を考える上で極めて重要な位置を占めるであろうということ。2つは、全国各地に自治公民館や同方式(或いは自治的に運営される公民館)がありながら、その実践を確かめ、継続して研究討議する場がほとんど無かったことに気付かせたことである。
 岡山集会では、自治公民館の活動と小地域での学習活動を同じ土俵(俎上)にのせることとし、農山村、地方都市と共に公民館の無い横浜市での小地域学習の実践も報告された。
そこでは、自治公民館・小地域での学習活動は暮らしを支え地域の自立を希求する文化的風土をはぐくむものであり、改めて、住民が日常生活圏で交わり・祭りや行事を行い・自治とは何かを自らに問いかけつつ課題解決に向けて取り組むことの重要性を認識させるものとなった。
 しかしまた、市町村合併、行政の統合・合理化の中で、「自治公民館・小地域での学習活動と地域づくり」が、行政施策上どのような位置を占め、公的社会教育の全体像をどう描いていくか等にも関心が寄せられながら討議を深められなかった。

2 今集会での課題
 私たちは、この分野での各地の経験を互いに学び、もっと豊かにしていかなければならないと考えています。岩手県川崎村の実践、長野県松本市神田町会の実践から、その経験を学び、共通の財産にしたいと思います。
 私たちはまた、各種の研修や研究集会の場で語られることの少なかった「自治公民館・小地域での学習と地域づくり」の今日的な意義を、歴史的経過も踏まえて学べる機会にしたいと思います。小林文人世話人の特別報告を予定しています。
 そして時間の許す限り、今日の厳しい合理化に抗して、住民と職員等が力をあわせてどのような公民館(体制)や地域社会教育を創りあげていけばよいのかについて、語り合える分科会にしたいと思っています。
3 今後に向けて
 この分野での実践は、各地に優れた取組みがありながら、まだまだ掘り起こして共通の財産にするところまで至っていません。そこで、向こう2年間を目途に実践を発掘し、必要な検討を加えて冊子としてまとめたいと考えています。
 そのためにも、当分科会の今後のあり方についても積極的な意見や提案を期待しています。

 報告
   
1,松本市神田町会のボランテイア活動(永野幸男)→以下・別頁・こちらを■
   2,



D,むら・まち・地域活動・公民館・関連レポート
(1)山村で少しずつ動きが始まった
  奥津町羽出公民館の取組み〜       美若忠生
 (月刊社会教育・2003年7月号・所収論文・改題)  
一 はじめに
 岡山県奥津町は、鳥取県と背を合わせる中国山脈の山稜部にあり、河岸段丘の山寄せや道沿いに小集落が点在する人口1800余人の山村である。
 町には旧村を単位にして3つの公民館があり、勤務日のない非常勤館長が月額報酬8千円で教育委員会から任命されている。1つの公民館の運営費は年額13万6千円(維持管理費は教委の直接執行)で、町補助金として交付され、どんな事業を行うかは館長の裁量による。
 町の公民館設置条例で定める公民館(地区館に相当)であるが、性格は一種の自治(的)公民館である。
 私は公民館長を任命されて5年目であるが、取り組んでいる事業のいくつかを報告しながら、自治的な山村公民館が目指そうとしているものをお伝えしたい。

二 男性の料理教室事始
 私は平成10年10月に40余年ぶりに帰郷し、翌11年4月に羽出公民館長に就任した。最初の仕事が老人クラブ総会に出席することだったが、会員名簿を見て驚いた。羽出地区は世帯数約180、人口約570程の山村で高齢化率39%とは知っていたが、この数字は実に有権者の過半数だったのである。
 平成12年から介護保険制度が始まろうとしていた。住民自身の手でこの地域における高齢者福祉の課題を整理しておく必要があると考えた。公民館学習「福祉を考える会」(ほぼ毎月1回、全12回)を12名の参加で実施した。
 この学習の中で、世帯の4割近くが高齢者のみの世帯であり、70歳以上の独居者が25名前後あり、買い物などの交通の問題、青壮年層が昼間いない問題、障害者や高齢者のみの世帯で病気になった時の問題等々が具体的に語られたのである。
 話題の中の一つに、高齢男性の生活の自立、とりわけ料理の問題があった。男性の料理教室は、こうして平成12年7月から始まった。
 参加者は少しずつ増えて現在10名、「女房か私か、どちらが先に倒れるか分かりませんから」という80歳を越す人、妻の介護をしている人、妻を亡くした人、独居者等である。
 地区内には、町から栄養委員として委嘱されている人がいて、この人たちが講師である。料理の内容は、その季節に家の畑で収穫できる野菜や山菜を使ったもので、日常生活で主婦がよく作る料理である。煮物の作り方、天ぷらや和え物の作り方、下処理や味のつけ方、盛り付けの工夫等々である。
 料理教室ではあるが、作った料理を食べながらのおしゃべりの楽しさも実習しているのである。最近の農村男性は、おしゃべりを楽しむこと(情報を交換したり、議論したり、共に笑ったり悲しんだりしてストレスの解消や相互に励まし合う社会性を育てること)が下手になっており、参加を呼びかけても参加できない人(一人でがんばっている人)も多いのである。
 毎月1回行い、参加費は500円、野菜と米は持参、暑いから、花見だからとビールも出て楽しんでいる。

三 ふるさとの昔ミニ写真展
 平成15年3月21日から3日間、「ふるさとの昔ミニ写真展」を実施した。
 展示したのは、明治期から昭和38年頃までの写真で、パソコンでA4版に拡大したもの約150点である。会場は壁面パネルとテーブルに写真を並べ、随所に拡大鏡を配置した。会場中央に喫茶コーナー2か所を設け、来た人が団欒し、それぞれの思い出や物語を語ってもらおうという趣向である。
 明治、大正期の写真は、水害で流された小学校の校舎新築、部落の公会堂やお大師堂新築記念等で数少なかったが、昭和期(戦前)の写真は多く、出征風景、戦没者の合同葬や遺族の集い、国防婦人会の結成、女子青年の銃撃訓練、乾燥芋や兎の皮の作成供出、部落の阿弥陀堂からの釣鐘の供出のようす、小学校の講堂新築を全村で祝ったようす、奉安殿(天皇の御真影と教育勅語を安置)建設、水害で流された井堰の建設や祝賀のようすなど歴史的記録としても貴重なものが多かった。昭和20年以降のものでは、青年団や消防団の関係、神社の遷宮を村を挙げて祝った写真が多数を占めた。
 これらはいずれも当時の生活のようすがよく理解できるもので、白寿を迎えた老婆が自分が嫁にきた頃のようすを語り、それぞれが自分の近親者や知人を写真に見つけて聞き伝えていることを語り合った。
 例えば、奉安殿は昭和19年に在校生はもとより村民を動員して建築されたが、翌20年9月の洪水で道や石垣と共に川に崩落した。「奉安殿は川に崩れ落ちて、実は、村を救うた。堰のようになって水の流れが変わり、村の中心街の家々が流されずに済んだ」という具合にである。
 喫茶コーナーは大成功だった。加えて昼時には、この写真展をやろうと話し合った仲間や協力者の家から、毎日大量のおにぎりやみそ汁、うどん鍋から牡蠣の炊き込みご飯まで持ち込まれた。来場者は一日30〜40人で、若い世代が少ないのが残念だったが、祭りのようなにぎやかさの中で、ふるさとの今昔を語り合ったのである。
 「この写真展を見ると、村を挙げて一つのことをやろうとし、それができたのが昭和40年ころまでだったのがよくわかる。ガスの普及で炭焼きで食えなくなり、耕運機の普及と共に和牛の飼育生産も激減し、若い者はどっと都会へ出、村に残った者も町外へ働きに出た。今は町の将来をどうしていくかで大切な時だが、皆が力を合わせてどうしようという気持ちになりにくい状態になっている。その変化がよくわかる。」識者といわれる人の言葉である。
 この写真展を企画したのは、地域おこしをどうしていくかを折りにふれて話し合ってきた仲間である。直接の契機は、一人がパソコンで古い写真を拡大し一冊に整理し始めたところに近所の古老から釣鐘供出等の写真が持ち込まれたことに端を発したが、その背景には、ふるさとの自然、歴史、人々のつながり等々多角的に地域を見直していくことが、いつの日か地域づくりに連続していくという思いがあったからである。
 実は平成11年から12年にかけて、公民館で「ビデオや写真でふるさと風土記を作ろう」(ねらいは、小集落単位に古老と若い世代を結びつけながら地域を再発見すること、西暦2000年の状況を記録することにあった)と呼びかけ、応募者なしという失敗をしていたのである。
 今回も村の古老の知恵と若い世代をつなぐという点で課題は残ったものの、大いにふるさとを語る第一歩は踏み出せたのである。

四 羽出子どもの広場
 今年の4月1日に「ひな祭りとひなあらし」をしますと小学生に呼びかけたところ、子ども20名と保護者5名がやってきた。会場は公民館と中庭をはさんで向かいにある「ふれあいの里」で、羽出子ども広場(公民館)と高齢者のデイサービス(ボランティア団体ひまわり会)の共同企画である。当日はデイサービスの日で、高齢者10数名と一緒にひな祭りを楽しんだ。
 おひな様は、親の世代に当たる昭和40年前後の段飾り、御殿飾り、男児向けの武者人形、祖父母世代の立ち姿の天神様(当地方では天神を飾り男児も一緒にひな祭りをする)や掛け軸等で飾った。
 早く来た親子も一緒に飾付けをし、全員集合したところでデイサービスに来ている人達にあいさつを交わして、おひな様やひな祭りの話を聞き、ひなあらしをした。
 ひなあらしは、ひな祭りに作ったごちそうを食べて楽しむことで(今は子どもが少なくなってその光景は見られなくなった)昔の楽しかったようすも聞きながら、参加者みんながバイキング方式で自分の好きなものを食べたり飲んだりした。
 食事の後、幾人かが外遊びに出たが、自分達でハンカチ落としのゲームや会場にあったタンバリン、トライアングル、カスタネット等でひな祭りの歌などを見事に合奏してお年寄り達を楽しませた。
 おひな様も「よかったら我が家の人形や掛け軸を飾ってくれ」とか「ひし餅は私が作って持って行く」「じゃあ甘酒は私が持って行く」という具合で準備できたし、ひなあらしの食べ物は、ボランティアの人達が、まき寿司やいなり寿司、子どもの好きなオードブル等を大奮闘で作ってくれた。お金の無い公民館だが、善意に頼りすぎておりはしないかと心配するほどである。
 羽出子どもの広場は、公民館と数人の協力者がPTAの地域支部に呼びかけて昨年5月から始まった。子ども達が地域の自然に触れられるような、また、保護者も気軽に参加できるような集まりにしようということになった。「ケガと弁当は各自持ちにしよう」「あの子がいじめる等という話はしないことにしよう」「その時に参加できる親とボランティアの人でみんなの面倒を見よう」「子どもだけでも自由に参加できるようにしよう」等々が申し合わされた。
 第1回はわらび狩りだった。かって中国山地の緩斜面を利用して大きな放牧場がいくつもあって、どの家々でも牛を放牧して夏をすごさせ、一週間に一度くらい牛の安否を見に登ったものだった。その場所はわらび狩りの場所でもあった。若いお母さんは、結婚して当地に来ても「すぐ働きに出て、一度も行ったことがない。ぜひ子どもと一緒に行きたい」ということで決まった。
 山かせぎ(山の登り降りや採取)の上手な子、わらびがなかなか見分けられない子、動物のシャレコウベを発見した子、おじいちゃんから習ったイタドリ笛を教えてくれる子、イタドリやフキノトウで水車を作った子、滝を見に行って水の中に転んだ子、友達と先に駆け出して行ってはぐれた子、いろいろな体験で「あー疲れた」と言いながらも、自分の力を出し切って自然を満喫した。その一回で、子どもの広場は軌道に乗った。
 羽出地区の小学生は31名、だから自由参加で20名がやってくるというのは、子ども達の評価や期待度も高いということだ。しかし、子どもの広場は度々は開けない。上級生は意外に忙しい。指導する大人も忙しいし人数も少ない。「少し延期しようか」となってしまう。

五 公民館への期待
 公民館が趣味やお稽古ごとの教室・グループ活動への世話から、住民の暮らしや地域づくりを中心にした活動に転換して、「羽出は少しずつ動き始めた」と言われる。
 例えば、知的障害者〈児〉育成支援組織は「福祉を考える」学習の参加者の呼びかけで結実した。
 また、羽出地区の「高齢者福祉の村づくり協議会」では福祉のネットワークづくりが懸案となっていたが、少人数の研究検討会を続けながら、緊急を要する二人の要介護・要支援者の支援体制を組むことができた。これに加えて見守りが必要な人たちへの方策、情報を受けて対応する機関の設置、連携するメンバーの組織と研修ができればネットワークができる。その第一歩を踏み出すことができた。
 羽出公民館は、「住民が希望を伝えれば何か始まるかもしれない」存在になりつつある。
 「機を織りたい=婦人達と鳥取県三朝町へ視察に行ったり、指導に来てもらって機織を復元した」「子どもが公民館の庭でテニスをしたいと言っている=移動式のネットが張れた」「白雲(疎開で当地に来た京友禅の下絵画家)の遺作展をやろう=計画中」などと共に「てっちりこ(正月飾りを燃すトンドで若嫁の尻叩きに使った男根型のわら細工を商品化した)を世に出したようなことをやろうじゃぁないか。あのように次々にがんばって行かないと先はみえてこんぞ」という声も届いてくるようになった。
 地域が少しずつ動き始めたという実感と公民館に寄せられ始めた期待は羽出公民館の宝であり、地域の「希望」の卵でもある。
 羽出公民館のもう一つの宝は、ミニ写真展を企画実施した協力者集団である。非常勤館長一人ではほとんど何もできない。協力者集団をどう位置付け、どう組織するかが今後の公民館活動発展の鍵を握っている。
 四年間の活動を通して見えてきたものがある。公民館の事務室は役場支所になっていて町民福祉課の職員(昨年度までは臨時)が住民票の交付や税の納入など簡単な事務を行っている。もしもこの職員が鍛えられた公民館主事だったとしたら、前述の福祉のネットワーク活動も含めて、文字通り住民の暮らしと諸活動を励ます「地域センター」になっていくことだろう。(みわかただお 羽出公民館長、農業)



■(2)岡山県奥津町:
 
充実した人生と住みよい地域をつくる羽出公民館での取組み(私案)
                          美若 忠生 −2004年2月−

1 充実した人生と住みよい地域をつくる活動と公民館
 奥津町は、若者の多くが都市に出て過疎が進み、少子化、高齢化が進んでいます。
高齢者の50%は高齢者のみの世帯で生活し、この状況が続けば10年後、20年後の暮らしのようす、集落や農地・農業のようすさえ予測できません。こうした問題は、個人や家族の努力だけでは解決できなくなっています。新しい、支えあう暮らしのあり方を作りだし、在住する青壮年が増える工夫を考え出し、充実した人生を送ることのできる住みよい地域づくりをめざした努力を始める必要があります。
 この(充実した人生と住みよい地域をつくる)努力は、町民の心の奥深くにある願いを基盤にしつつ、@一人ひとりの前向きな努力と、A支えあい、みんなで力を合わせて努力することと、B行政と住民が一体になって取組むことによって、少しずつ実を結ぶことができます。
 この地域づくりは、みんなで知恵を出し合い、地域の実情に合わせた工夫をこらし、最新の知識や技術も取り入れながら自分達の手で創造していく以外にありません。「学ぶとは、共に未来を語ること」という言葉がありますが、このような考え方に立った学びをベースにして、地域づくりを進めることが大切です。
 公民館は、町民の最も身近にあって、共に語り合い、楽しみ、学び、郷土を振い興す原動力となることを願って設置された公共機関です。従って、新しい地域づくりを進めるにあたっては、この初期の公民館の設置趣旨に立ち返って新しい公民館活動を構想していくことが必要です。
 このためには、@住民の生活の実態、解決したい課題や願いなどに心を寄せること、A地域の自然や文化、人的・物的資源を再発見していくこと、B地域づくりを進める上で欠かすことのできない自治的協力意識を培うためにも、住民が楽しみ、親睦を深め、語り合い、学んだり文化に親しむ活動を盛んにしていくこと、そして何よりも、C公民館が、一人ひとりの努力を支援するセンターであり、地域で支えあい・みんなで力を合わせて努力する拠点であり、住民と行政が一体になって取組む「協働」の結び目になることを自覚して運営することが重要です。

2 新しい公民館像と取組みの重点
 1) 充実した人生と住みよい地域づくりを進める公民館のあり方は、単にこれまでの公民館活動の延長ではなく、むしろ、新しい公民館の創造をめざすものと考えたい。
 それは、社会教育の分野だけでなく、福祉、健康、産業、I T 化推進などの行政的施策と連携しつつ住民が主体になって充実した人生を開き、支えあう地域をつくろうとするものであり、公民館がこの活動の拠点となり活動を支援する事業を展開するという役割を担うからである。
 2) 公民館が取り組もうとすることは、大きく4つの分野に区分することができる。
1つは各人が趣味や関心に基づいて文化やスポーツに親しみ、交友を深め、楽しく充実した日々を過ごそうとするものである。この位置付けを自覚して推進したい。
 2つは、支えあう地域づくりに取り組むことである。これは既に各地区に設けられた「高齢者福祉の村づくり協議会」が取り組んでいるところであり、公民館活動としてはこの住民組織を支援する形で諸課題の検討や小地域に見守り態勢を築くための話し合いを組織する等である。
 3つは、地域の将来を担う子どもを育てる活動に取り組み、青壮年の活動を支援することである。
 4つは、できる範囲で、地域起こしにつながるさまざまな試みをすることである。高齢者の知恵や人材を活用することも重要である。
 3) 平成16年度の重点的な取組みとしては、支えあう地域づくりに新しい一歩を踏み出すことから始めたい。全高齢者の50%が高齢者のみの世帯で生活していることを重視して、支えあって生きるという考え方、見守りの仕組み、各種委員や婦人組織の役割と活動のしかた等について理解を広げ、高齢者福祉の村づくり協議会の活動として定着できるようにしたい。
 自治会(コミュニティハウス)単位での「寝たきりにならない おしゃべりと健康の集い」を成功させたい。この取組みは、各種委員の地域活動、婦人組織の活性化、町が取り組む“健康奥津21”の発展にもつながるだろう。
 4) 教養文化活動(公民館教室やグループ活動)は従来から各公民館で取り組んできた活動であるが、暮らしを支え励ます地域文化として、新たな活動を呼びかけたり、休止状態になっている活動の再活性化に努力したい。
 かって行われていた地区運動会、文化祭、盆踊り、シロミテ等を受継ぐ「楽しい集い」について、折りにふれて検討したい。
 5)子どもを育てる活動では、「子ども広場」の充実、母子クラブとの連携を課題として取組みたい。
 6)地域おこしについては、当面、森林公園の活用、高齢者の伝承する技芸の伝習などを念頭に、今後の歩みを探りたい。
 7)公民館だよりの発行と住民の声を聞く仕組みを考えたい。また、公民館活動を支える住民ボランティアの発掘と組織化に努力したい。

3 羽出公民館での取組み(私案:別記)
1 教養・文化活動
 1)自主申請の教室の支援
  @ 男性の料理教室、英会話教室
  A その他、申請のあるもの
 2)公民館グループの活動の支援
  @  銭太鼓、傘踊り、日本舞踊、手芸、その他
  A  休止・解散グループが時々楽しむ集い(大正琴、墨絵、安来節、書道、卓球)
  B  新規の趣味グループの育成(歌う会、その他)
 3)伝承芸能の復活支援
  @  羽出のお田植唄の練習
  A  羽出の盆踊りの復元と伝承
 4)郷土の自然と歴史にふれる活動
  @  ふるさと探訪
  A  むかしを語る会(昔の暮らしを記録する会)
 5)文化を楽しむ会(ふるさとのミニ写真展など、要望があれば小文化祭も)
 6)公民館図書室の運営
2 地域おこし活動
 1)森林公園を活用する試み
  @   森林公園案内ガイド講座
 2)統技芸の教室(かずら製品、がま製品、わら製品、その他)
 3)自然を活用した商品の開発の試み
 4)農地その他、高齢化に伴って発生する地域課題を探る
3 高齢化に対応した地域づくり活動〜福祉の村づくり協議会と協働事業〜
 1)寝たきりにならない健康長生き教室
  @    高齢者向けスポーツを楽しむ集い
   (グランドゴルフ、ゲートボール、ビリヤード、その他)
  A   おしゃべりと長生き体操の集い
   (世話役を育成して各自治会、コミュニティーハウスで実施)
 2)「支えあう地域づくり」の組織化
  @ 支えあう地域づくりを考える学習(継続的に実施し、課題や方法の検討)
  A 支えあう地域づくりの取組みの支援
 3)高齢者の活力を生かせる事業の開発の検討
4 子どもを育てる活動
  1) 母子クラブとの連携、支援
  2) 子どもの広場活動〜PTA,緑の少年隊の活動とも連携〜
    (わらび狩り、魚とり、秋の野山探訪、ひな祭り、)
  3) 三世代交流事業
  4) 夏休みの自由学習の支援
5 青壮年の自主グループの育成と連携
6 お楽しみ会(集い)の検討
7 広報と住民の声を聞く仕組みの検討

  1) 公民館広報の発行
  2) I T を活用した意見交換の場の検討

<備考>
1)事業として考えられるもの(16年度事業化できないものも)を列挙した。
2)教育委員会(中央公民館)レベルの活動・事業については省略した。例えば、山野草を楽しむ会、陶芸グループ、パソコン講座、知的障害児等に関する事業、スポーツ振興事業などで、その対象者や専門性から町内一か所で実施するほうが好ましいものである。
 なお、地域福祉に関する事項など、町内全体で進める必要のあるものについては、そのための研究・検討会がもたれることが望まれる。
3)公民館は、昭和21年7月5日付け文部次官通牒「公民館の設置運営について」によって設置が奨励され、全国に設けられるが、その中で、民主日本の建設、郷土の振興が急務であり、それは住民の教養文化を高めることによって達成されるとして、新しい学び方として相互の学びあいを提唱しつつ次のように設置趣旨を述べている。
 「公民館は全国の各町村に設置せられ、此処に常時に町村民が打ち集まって談論し読書し、生活上産業上の指導を受けお互いの交友を深める場所である。」云々。
 また、運営上の方針の中で、「公民館は町村民が集まって教えあい導きあい互いの教養文化を高めるための民主的な社会教育機関であるから、云々」、「公民館は同時に町村民の親睦交友を深め、相互の協力和合を培い、以って町村自治向上の基礎となるべき社交機関であるから、云々」、「公民館は亦町村民の教養文化を基礎として郷土産業活動を振い興こす原動力となる機関であるから、云々」、「公民館は郷土振興の基礎を作る機関であって、云々」と述べている。(発議者の名をとって寺中構想とも呼ばれる。)

(3)愛媛県伊予郡双海町訪問記(2004年6月2日 美若忠生)
しずむ夕日が立ちどまる町…双海町育委員会・双海町中央公民館
   〒799-3292 愛媛県伊予郡双海町大字上灘5821-6 TEL 089-986-1114
 愛媛県伊予郡双海町を訪問し、中央公民館の米湊誠二公民館主事から双海町の公民館活動と地域づくりについて聞いてきました。松本市の矢久保学さんから、双海町は自治公民館を中心にした活動をしており、特に、自治公民館と教育委員会・中央公民館との連携の点で学ぶことが多いのではないか、という示唆をいただいたからです。
双海町は、松山市の南西約20km余り、豊後水道に面した町で、海辺特有の広い眺望と点在する島影の向こうに沈む夕日が美しく、日本一夕日が美しい町だといいます。『しずむ夕日が立ちどまる町…双海町』が、まちおこしのタイトルになっています。

 人口は約5400人、高齢化率34%、まだ過疎傾向の続く町です。平成12年の統計を基にした町政要覧では、第1次産業、第2次産業、第3次産業が各30%前後とバランスのとれた町のように見えました。ハウスみかんと漁業が盛んなこと、『夕日』をテーマにした“まちおこし”が道路網整備の味方を得てシーサイド公園には年間50万人の観光客があるという。
1 自治公民館を中心にすえた社会教育と地域づくり(まちおこし)
 双海町は昭和30年に合併するが、一つの村が自治公民館体制をとっていた。戦後間もない頃、青年たちが力を発揮して各地に公民館活動がはじまり、その伝統があった。昭和36年頃、中嶋都貞社会教育主事(のち教育次長)が自治公民館を中心にした活動を作り上げるのに努力されたという。その後、昭和45年頃から13年間、現教育長の若松進一氏が「日本一の公民館主事になる」と言いつつ力を傾注されたという。この若松教育長は町長部局に移っても企画部門を担当され、(確認はしなかったが)“夕日”をテーマにしたまちおこし=まちづくり計画と実行の中心におられたようだ。
 「社会教育、住民活動の中核を自治公民館に置く」考え方は、昭和62年(1987年)から始まる“まちづくり”に引き継がれ、まちづくりの基本を「人づくり」「拠点づくり」「住民参加の日本一づくり」として取り組まれる。
 人づくりは、海外派遣を実施する。参加した人々(毎年4名)は創快塾を組織し、自らまちづくりのオピニオンリーダーたらんとしたようだ。
 拠点づくりは、観光と憩いの拠点「シーサイド公園」「潮風すれあい公園」、スポーツ施設等を設置する。車がすれちがうのが困難だった海岸沿いの国道が「夕やけこやけライン」と名付けられるバイパスに整備され、事業の多角的展開の力になった。
 住民参加の日本一づくりは、さまざまに展開される。日本一の夕日。その夕日をテーマにした日本一海に近い駅での「夕やけプラットホームコンサート」、博物館は「夕日のミュージアム」、そして「夕やけソフトクリーム」。自治公民館も大活躍する。各種のイベントにはそれぞれの自治公民館による屋台や餅つきや特産物が並ぶ。
 自生の水仙を生かした「伊予の花街道」の取り組み、ほたるの里づくりと味噌作り、海で獲れるジャコで作る特産品「じゃこ天」を開発したグループは売上げが5000万円になるという。これらは自治公民館が中心となり生活改善グループや保存会などと共同で創り出したものだ。自治公民館はまちおこしに積極的に参加して大きな力になったし、まちおこしで住民には元気が出てきた。
2自治公民館
 双海町の町政要覧には33箇所の自治公民館の建物写真が掲載されている。こんな要覧は珍しい。自治公民館が胸をはって、その存在感を誇示している。
 自治公民館は36集落にあり、4世帯だけの集落にも、156世帯の集落にも設置されている。行政区の区長とは別に自治公民館長を置いている。但し、小規模集落(約20世帯前後)の一部は兼務して看板を掛け替えながら、行政の仕事と教育の分野とうま使い分けをしている。
 町政要覧は、「双海町の生涯学習は町内の集落ごとに設置された自治公民館を拠点にして、活発な活動が展開されてきたが、その活動は、昭和24年に青年の手によって産声をあげて以来実に50年の長い歴史を持ち…」「自治公民館を支えているのが、館長、主事と8つの専門部を中心にした強力な住民組織です。住民の約1割が毎年公民館ボランティアとして活動する…」「その活動は公民館ごとに特徴があり、個性を活かした『集落の顔づくり』として推進されている。」
 そして、「双海町の自治公民館のもう一つの特徴は、受益者負担といわれる館費による自主運営です。」と述べている。
 館費は、月々300円〜1000円で、町全体で合計額は約2900万円になるという。町の補助金は館の日誌と報告によって査定し、1館平均42000円を出している。(各種の活動状況の一覧表もできて公表されている)
 自治公民館は、地域課題の解決に向けて 1公民館、1学級を目指しており、自治公民館学級の具体例として、EM菌づくり、廃油石鹸作り、身近な環境問題、身近な応急措置、メダカから学ぶ、私にもできるガーデニング、健康づくり、肩こりさんさようなら、誰にでもできる家庭菜園、ふるさと再発見、見上げてごらん夜の星を、男の料理教室、上手な介護、地域通貨、等々の実際に取り組まれた例が町の公民館大会の資料に示されている。公民館の学習テーマが決まらないときは社会教育主事(中央公民館の主事も兼ねている)が助言したり、移動公民館として出かけて協力して実施している。年6回以上実施した館には動く公民館(日帰り日程でバスを提供し、町外で研修できる)のアメもある。
 各公民館は、地域の(公民館の)顔づくり・自慢づくりにも取り組んでおり、ミニミニ文化祭、獅子舞の60年ぶり復活、菜の花まつり等がその中で生まれている。自治公民館の目標は、住民の総(社会)参加で、一人1学習・1スポーツ・1ボランティアを期待しているという。
 もちろん課題も少なくない。@過疎化により少子高齢化の問題、A参加者の固定化、役員不足、B市町(1市2町)合併による住民の不安や行政上の様々な弊害・・・等々。


■(4)琵琶湖畔のむら・ムラ(「南の風」記事 2004年6月)  小林文人
★<愛知川町・字広報「ながの」縮刷版>(南の風1288号 2004年6月21日)
 渡部幹雄さんから、滋賀県愛知川町大字長野西の集落広報・25年の記録「ながの」(大字長野公民館)を送っていただきました。上記メールのように約700頁、ずしりと重い大作。驚きました。
 群馬県笠懸村や長野県下伊那地方などでは(公立)公民館報の縮刷版が発行されていますが、「ながの」は集落レベルでの縮刷版、こんな大作は類をみないと思います。1979年に発刊、去年の11月に500号を迎え、25年の記録が一冊に。はじめの年度は集落の「農業組合広報」として発行されていますが、その翌年からは公民館運営委員会による「公民館だより」となり、2000年8月(461号)からは「区民だより」。すべて手書き(毛筆を含む)で始まり、ようやく1992年にワープロによる印刷。集落と公民館活動の記録、文字通り手づくりの地域新聞です。
 集落の規模は200戸程度とのこと。10戸前後の21組に分かれて評議員を選出し、評議員会が活発に機能してきたようです。1982年度の組織表では、区長・会計をおき、総務、土木、防災、厚生、福祉、税務の各委員。これに重ねて公民館運営委員会として、総務広報、青少年健全育成、人権擁護、教育文化、スポーツ健康の各部がそれぞれの運営を担って、小さな集落とは思えぬ多彩な活動を展開してきました。
 2003年の評議委員会は「長野むらづくり委員会」を発足させています。1村の景観づくり、2村の文化づくり、3村の活動と村おこし、の三テーマによる部会が活動を始めたとのこと。小さな地域の自治的な取り組み。一度参上して、ゆっくりと話を伺いたいと思いました。
 渡部さんの同便では『雨森の四季』(2001年)も送られてきました。滋賀県高月町・雨森の地域誌です。これがまた面白い。韓国との草の根の交流があり、私たちの『東アジア社会教育研究』に執筆していただきたいような集落活動です。別の機会に紹介することにします。

★<平井茂彦さん『雨森の四季』>(南の風1291号 2004年6月24日)
 滋賀県高月町の雨森(あめのもり)は人口は500人前後の小さな集落。平井茂彦さんという方が『雨森の四季』(ふるさとづくりの心を求めて)と題するエッセイ・写真集を発刊され、すでに第9集を重ねました。集落の区報「あめのもり」の人気コラム「しゃぎり」から「ちょっといい話」90編を選び写真を添えたもの。風1288号で紹介した集落区報・縮刷版「ながの」と一緒に渡部幹雄さん(愛知川町図書館長)から第8集を送っていただきました。実に面白い!ページをめくりながら熱い「ふるさとづくりの心」を学びました。
 雨森芳洲をご存知ですか? 新井白石等と1991号(6月24日、ぶ)江戸中期の儒学者、対馬藩に仕え、中国語・朝鮮語をよくし「日韓」外交の衝にあたった先駆者、外交官にして学者・思想家、高月町・雨森の生まれなのです(雨森区ホームページ)。雨森区にはゲストハウス「芳洲庵」があり、なんと「東アジア交流ハウス」と名付けられています。私たちTOAFAEC と共通する“草の根”からの国際交流への思い、小さな集落の大きな挑戦!
 『雨森の四季』(第8集、2000年記録)の大半のページで、とくに韓国との交流、若者たちの相互訪問、サムルノリ演奏(韓国での公演も)、朝鮮通信使ゆかりの交流、韓国総領事の訪問、などの記録がたくさん収録されています。政治や利権にまつわる国際交流ではなく、お互いの心と思いを結びあった歳月、胸をうつ文章が少なくありません。
 雨森では、字誌「ふるさと雨森」をまとめ、区報「あめのもり」縮刷版も刊行されているそうです。第1集(1号〜500号)、第2集(501号〜1000号)各1,000円(送料別)とのこと。また『雨森の四季』も第5号以降(各1,500円)は残部があるそうです。ご希望の方は「南の風」まで。一緒に注文いたしましょう。

★<琵琶湖畔のむらムラ>(南の風1292号 2004年6月25日)
 ここ数号の「風」は南から吹くのでなく、一つははるか西のハンブルクから、あと一つは琵琶湖周辺の村からの風でした。前者はもちろん石倉さんの頑張りによるもの、琵琶湖畔の動きについては愛知川町立図書館・渡部さんの紹介によるもの。いい風は、人の思いを介して吹いてくるのですね。
 愛知川町の字広報「ながの」縮刷版といい、高月町の雨森区の歩みといい、これまでまったく知りませんでした。滋賀県の図書館施策については注目してきましたが、公民館についてはほとんど知見なく、まして集落の公民館や自治活動がこれほどの豊かな水脈を蓄えてきたのかと驚くばかりです。東京周辺で公民館研究にたずさわってきたものの狭さと無知を恥じ入る思い。
 前号のこの欄に書いたように、雨森の集落活動は東アジアとくに韓国との“草の根”交流の、あまり類をみない取り組みです。地域の若者たちが大阪に出かけて本格的にサムルノリ(農楽)を学び、韓国の若者たちと交流し、お互いの友情と信頼を育んでいく記録。受け入れの韓国側の中学校長さんが「日本の子どもたちがサムルノリを踊る」ことに驚き、「もっといい加減なものかと思っていたのに・・・」と感動される経過など、読むこちら側もまた感動させられました。
 雨森のキイパースンは平井茂彦さん(『雨森の四季』著者)。渡部さんを通して私たちの『東アジア社会教育研究』への寄稿をお願いしたところ、早速「快諾いただきました」(渡部)とのメール。さきほどご本人と電話で話しました。東アジア交流ハウス「芳洲庵」に一度参上したい、「ぜひどうぞ、お待ちします」と。ちかく米原を通る機会に・・・と思っています。

(5) 都市部の地域活動ネットワーク(小林「南の風」記事より)
★<大都市(横浜)の小さな地域づくり> 1349号(2004年10月4日)
 伊東秀明さんは横浜・磯子区役所の公務員(地域振興課、社会教育主事)です。市民の学びネットワークづくりに奮闘中。
 その仕事ぶり、これぞ(公民館という施設はないけれど)ほんものの現代「公民館主事」ではないかと思われます。旧「公民館の風」をヒントに「メール・マナビン」(“学ばんとほっす”人たちのためのメールマガジン)というネット通信を発行され、現在245号、ほとんど毎日?の配信、「南の風」も脱帽。
 ご存知のように横浜市は公民館を設置してきませんでした。そういうなかで、市民の学習・文化活動をどのように拡げていくか、大都市のなかの小さな地域づくり、への挑戦、とも言えましょう。
 伊東さんからは、2ヶ月ほど前に次のような一文が寄せられました。「横浜に公民館がない」ことについての誌上シンポと関連して、短文ながら興味深いものあり、そのうち伊東さんにお会いする折り、その構想を詳しく聞こうと大事に保存していたメール(Fri, 30 Jul 2004 08:28)です。
 「…(略)磯子区内に学習活動の拠点を作ろうという話しを地域の人と始めました。少なくとも10〜12は必要なんじゃないかと思います。
 既存の施設を活用するのか、空き店舗や住宅を活用するのか、そして何より大切なことは拠点に“伊東”のような人間がいることです!」と。 「空き店舗や住宅を活用」のくだりは、ドイツの自主管理的な社会文化センターづくりの発想を一部想起させるところがありますね。そして、そこに“人”が躍動する必要があるという。大都市のなかでの小さな地域づくりと拠点論、ほんらい公民館とはなにか、の原風景をみる思いです。他方で、立派な公民館の施設をもちながら、また職員も配置しながら、そういう地域へのまなざしをもたない場合も少なくありません。ただ、この磯子構想、どのように実現の道すじをつくっていけるか?
 日本公民館学会・定例研究会では、11月8日に磯子区と伊東さんを訪ね、市民の皆さんとも交流する予定です。会場は区役所横の磯子地域ケアプラザ、13:30〜市民の学習グループ連絡会に参加、18:00〜伊東さんの報告と討論。案内はTOAFAECホームページにも掲載しています。参加歓迎!   *関連レポート→こちら

★<都市のなかにシマを創る> 1360号(2004年10月22日)
 久しぶりに大阪の大前哲彦さんからのメール。前号の中村誠司さん「大都市の中に新しいシマを創る」に触発されて・・・とのこと。横浜の伊東秀明さんへの便りのかたちですが、「南の風」にも届きましたので、掲載させていただきました。
 おそらくこのお二人はまだ直接には未見の間柄、風が取りもつ縁です。今年の6月頃、京都「ろばた懇談会」(ろばこん)をめぐって、岡山の美若忠生さんも含め、「ろばこんって何?」などのやりとりがありました(ホームページに収録)。その背景にあったのは、2002年・社会教育研究全国集会(沖縄集会)から始まった集落・自治公民館等の「小地域の学習活動と地域づくり」分科会の取り組み。
 今年の会津集会では第19分科会として論議がかわされました。自治公民館等の話題は、とかく沖縄や農山村の固有の形態として限定されがちですが、分科会の世話人として、貝塚の松岡伸也さんや横浜の伊東秀明さんなど都市部の有力メンバーも参加されていて、大都市の状況や実践もまた、岩手・松本・沖縄等の報告と交流し交錯して取りあげられたのです。
 いまの生涯学習の流れは、とかく個人の学習ニーズの充足、あるいはその多様な選択・・・といった個別の形態が一般的。しかし、それだけでなく、たとえば学びの共同体づくり、個々の市民が生きている地域づくりの視点、大都市部のなかだからこそ求められている新しいタイプの市民ネットワークへの模索、市民相互の関係性を創り出していこうとする実践、そして、それらへの行政側からの支援、そんな課題がさまざま考えられ始めています。市民の共同と地域づくりへの志向は、農村・都市を問わず、共通の関心事になってきているのです。
 中村誠司さん(風・前号)の「大都市の中の小地域に新しいシマを創る課題」とは、そんな動きを意識されてのことでしょう。伊東秀明さんの「メール・マナビン(249)学びあう喜び」の一文もこの点で、たいへん示唆的。大前メールに合わせて掲載させていただきました。

★<鹿児島市の校区公民館> 1391号(2004年12月25日)
 …(略)…
 鹿児島市の校区公民館について教えて下さい。日本各地の地域犯罪率が激増するなかで、県庁所在地で鹿児島市だけは減少?しているとのこと。それは、鹿児島市が各学校に校区公民館を設置し、若い世代をまきこんで地域のさまざまな活動に取り組んできたことが大きな要因なのではないか、という評価が興味をそそりました。実際に校区公民館の活動映像も紹介されていました。(NHKスペシャル「63億人の地図5」再、12月23日夜)
 とくに子どもをめぐる活発な取り組みと市民の積極的な姿勢が(映像で見るかぎり)印象的でした。背景に行政の前向きの施策も動いているらしく、校区公民館制度についての市長の役割も大きいとか。
 校区公民館といえば福岡市。しかし、かっての専任公民館主事嘱託化の経過もあり、現在の状況については評価が分かれるところでしょうか。わが故郷・久留米市の校区公民館にも(最近のことは知りませんが)失望してきました。鹿児島市ではどうなんだろう。折りをみて「風」に紹介していただけませんか。
 公民館の歴史や職員体制の実態と同時に、地域の古い組織体制(福岡市にみられる、草の根保守主義につながる?)と校区公民館はどんな関係なのでしょう? 薩摩時代以降の独特の地域組織の歴史的背景もあり、興味あるところです。
 もし鹿児島市の校区公民館や地域組織について書かれたものがあれば、教えてください。お送りいただければ更に有り難い。







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D,むら・まち・地域活動・公民館・関連レポート
(1)山村で少しずつ動きが始まった
  奥津町羽出公民館の取組み〜       美若忠生
 (月刊社会教育・2003年7月号・所収論文・改題)  
一 はじめに
 岡山県奥津町は、鳥取県と背を合わせる中国山脈の山稜部にあり、河岸段丘の山寄せや道沿いに小集落が点在する人口1800余人の山村である。
 町には旧村を単位にして3つの公民館があり、勤務日のない非常勤館長が月額報酬8千円で教育委員会から任命されている。1つの公民館の運営費は年額13万6千円(維持管理費は教委の直接執行)で、町補助金として交付され、どんな事業を行うかは館長の裁量による。
 町の公民館設置条例で定める公民館(地区館に相当)であるが、性格は一種の自治(的)公民館である。
 私は公民館長を任命されて5年目であるが、取り組んでいる事業のいくつかを報告しながら、自治的な山村公民館が目指そうとしているものをお伝えしたい。

二 男性の料理教室事始
 私は平成10年10月に40余年ぶりに帰郷し、翌11年4月に羽出公民館長に就任した。最初の仕事が老人クラブ総会に出席することだったが、会員名簿を見て驚いた。羽出地区は世帯数約180、人口約570程の山村で高齢化率39%とは知っていたが、この数字は実に有権者の過半数だったのである。
 平成12年から介護保険制度が始まろうとしていた。住民自身の手でこの地域における高齢者福祉の課題を整理しておく必要があると考えた。公民館学習「福祉を考える会」(ほぼ毎月1回、全12回)を12名の参加で実施した。
 この学習の中で、世帯の4割近くが高齢者のみの世帯であり、70歳以上の独居者が25名前後あり、買い物などの交通の問題、青壮年層が昼間いない問題、障害者や高齢者のみの世帯で病気になった時の問題等々が具体的に語られたのである。
 話題の中の一つに、高齢男性の生活の自立、とりわけ料理の問題があった。男性の料理教室は、こうして平成12年7月から始まった。
 参加者は少しずつ増えて現在10名、「女房か私か、どちらが先に倒れるか分かりませんから」という80歳を越す人、妻の介護をしている人、妻を亡くした人、独居者等である。
 地区内には、町から栄養委員として委嘱されている人がいて、この人たちが講師である。料理の内容は、その季節に家の畑で収穫できる野菜や山菜を使ったもので、日常生活で主婦がよく作る料理である。煮物の作り方、天ぷらや和え物の作り方、下処理や味のつけ方、盛り付けの工夫等々である。
 料理教室ではあるが、作った料理を食べながらのおしゃべりの楽しさも実習しているのである。最近の農村男性は、おしゃべりを楽しむこと(情報を交換したり、議論したり、共に笑ったり悲しんだりしてストレスの解消や相互に励まし合う社会性を育てること)が下手になっており、参加を呼びかけても参加できない人(一人でがんばっている人)も多いのである。
 毎月1回行い、参加費は500円、野菜と米は持参、暑いから、花見だからとビールも出て楽しんでいる。

三 ふるさとの昔ミニ写真展
 平成15年3月21日から3日間、「ふるさとの昔ミニ写真展」を実施した。
 展示したのは、明治期から昭和38年頃までの写真で、パソコンでA4版に拡大したもの約150点である。会場は壁面パネルとテーブルに写真を並べ、随所に拡大鏡を配置した。会場中央に喫茶コーナー2か所を設け、来た人が団欒し、それぞれの思い出や物語を語ってもらおうという趣向である。
 明治、大正期の写真は、水害で流された小学校の校舎新築、部落の公会堂やお大師堂新築記念等で数少なかったが、昭和期(戦前)の写真は多く、出征風景、戦没者の合同葬や遺族の集い、国防婦人会の結成、女子青年の銃撃訓練、乾燥芋や兎の皮の作成供出、部落の阿弥陀堂からの釣鐘の供出のようす、小学校の講堂新築を全村で祝ったようす、奉安殿(天皇の御真影と教育勅語を安置)建設、水害で流された井堰の建設や祝賀のようすなど歴史的記録としても貴重なものが多かった。昭和20年以降のものでは、青年団や消防団の関係、神社の遷宮を村を挙げて祝った写真が多数を占めた。
 これらはいずれも当時の生活のようすがよく理解できるもので、白寿を迎えた老婆が自分が嫁にきた頃のようすを語り、それぞれが自分の近親者や知人を写真に見つけて聞き伝えていることを語り合った。
 例えば、奉安殿は昭和19年に在校生はもとより村民を動員して建築されたが、翌20年9月の洪水で道や石垣と共に川に崩落した。「奉安殿は川に崩れ落ちて、実は、村を救うた。堰のようになって水の流れが変わり、村の中心街の家々が流されずに済んだ」という具合にである。
 喫茶コーナーは大成功だった。加えて昼時には、この写真展をやろうと話し合った仲間や協力者の家から、毎日大量のおにぎりやみそ汁、うどん鍋から牡蠣の炊き込みご飯まで持ち込まれた。来場者は一日30〜40人で、若い世代が少ないのが残念だったが、祭りのようなにぎやかさの中で、ふるさとの今昔を語り合ったのである。
 「この写真展を見ると、村を挙げて一つのことをやろうとし、それができたのが昭和40年ころまでだったのがよくわかる。ガスの普及で炭焼きで食えなくなり、耕運機の普及と共に和牛の飼育生産も激減し、若い者はどっと都会へ出、村に残った者も町外へ働きに出た。今は町の将来をどうしていくかで大切な時だが、皆が力を合わせてどうしようという気持ちになりにくい状態になっている。その変化がよくわかる。」識者といわれる人の言葉である。
 この写真展を企画したのは、地域おこしをどうしていくかを折りにふれて話し合ってきた仲間である。直接の契機は、一人がパソコンで古い写真を拡大し一冊に整理し始めたところに近所の古老から釣鐘供出等の写真が持ち込まれたことに端を発したが、その背景には、ふるさとの自然、歴史、人々のつながり等々多角的に地域を見直していくことが、いつの日か地域づくりに連続していくという思いがあったからである。
 実は平成11年から12年にかけて、公民館で「ビデオや写真でふるさと風土記を作ろう」(ねらいは、小集落単位に古老と若い世代を結びつけながら地域を再発見すること、西暦2000年の状況を記録することにあった)と呼びかけ、応募者なしという失敗をしていたのである。
 今回も村の古老の知恵と若い世代をつなぐという点で課題は残ったものの、大いにふるさとを語る第一歩は踏み出せたのである。

四 羽出子どもの広場
 今年の4月1日に「ひな祭りとひなあらし」をしますと小学生に呼びかけたところ、子ども20名と保護者5名がやってきた。会場は公民館と中庭をはさんで向かいにある「ふれあいの里」で、羽出子ども広場(公民館)と高齢者のデイサービス(ボランティア団体ひまわり会)の共同企画である。当日はデイサービスの日で、高齢者10数名と一緒にひな祭りを楽しんだ。
 おひな様は、親の世代に当たる昭和40年前後の段飾り、御殿飾り、男児向けの武者人形、祖父母世代の立ち姿の天神様(当地方では天神を飾り男児も一緒にひな祭りをする)や掛け軸等で飾った。
 早く来た親子も一緒に飾付けをし、全員集合したところでデイサービスに来ている人達にあいさつを交わして、おひな様やひな祭りの話を聞き、ひなあらしをした。
 ひなあらしは、ひな祭りに作ったごちそうを食べて楽しむことで(今は子どもが少なくなってその光景は見られなくなった)昔の楽しかったようすも聞きながら、参加者みんながバイキング方式で自分の好きなものを食べたり飲んだりした。
 食事の後、幾人かが外遊びに出たが、自分達でハンカチ落としのゲームや会場にあったタンバリン、トライアングル、カスタネット等でひな祭りの歌などを見事に合奏してお年寄り達を楽しませた。
 おひな様も「よかったら我が家の人形や掛け軸を飾ってくれ」とか「ひし餅は私が作って持って行く」「じゃあ甘酒は私が持って行く」という具合で準備できたし、ひなあらしの食べ物は、ボランティアの人達が、まき寿司やいなり寿司、子どもの好きなオードブル等を大奮闘で作ってくれた。お金の無い公民館だが、善意に頼りすぎておりはしないかと心配するほどである。
 羽出子どもの広場は、公民館と数人の協力者がPTAの地域支部に呼びかけて昨年5月から始まった。子ども達が地域の自然に触れられるような、また、保護者も気軽に参加できるような集まりにしようということになった。「ケガと弁当は各自持ちにしよう」「あの子がいじめる等という話はしないことにしよう」「その時に参加できる親とボランティアの人でみんなの面倒を見よう」「子どもだけでも自由に参加できるようにしよう」等々が申し合わされた。
 第1回はわらび狩りだった。かって中国山地の緩斜面を利用して大きな放牧場がいくつもあって、どの家々でも牛を放牧して夏をすごさせ、一週間に一度くらい牛の安否を見に登ったものだった。その場所はわらび狩りの場所でもあった。若いお母さんは、結婚して当地に来ても「すぐ働きに出て、一度も行ったことがない。ぜひ子どもと一緒に行きたい」ということで決まった。
 山かせぎ(山の登り降りや採取)の上手な子、わらびがなかなか見分けられない子、動物のシャレコウベを発見した子、おじいちゃんから習ったイタドリ笛を教えてくれる子、イタドリやフキノトウで水車を作った子、滝を見に行って水の中に転んだ子、友達と先に駆け出して行ってはぐれた子、いろいろな体験で「あー疲れた」と言いながらも、自分の力を出し切って自然を満喫した。その一回で、子どもの広場は軌道に乗った。
 羽出地区の小学生は31名、だから自由参加で20名がやってくるというのは、子ども達の評価や期待度も高いということだ。しかし、子どもの広場は度々は開けない。上級生は意外に忙しい。指導する大人も忙しいし人数も少ない。「少し延期しようか」となってしまう。

五 公民館への期待
 公民館が趣味やお稽古ごとの教室・グループ活動への世話から、住民の暮らしや地域づくりを中心にした活動に転換して、「羽出は少しずつ動き始めた」と言われる。
 例えば、知的障害者〈児〉育成支援組織は「福祉を考える」学習の参加者の呼びかけで結実した。
 また、羽出地区の「高齢者福祉の村づくり協議会」では福祉のネットワークづくりが懸案となっていたが、少人数の研究検討会を続けながら、緊急を要する二人の要介護・要支援者の支援体制を組むことができた。これに加えて見守りが必要な人たちへの方策、情報を受けて対応する機関の設置、連携するメンバーの組織と研修ができればネットワークができる。その第一歩を踏み出すことができた。
 羽出公民館は、「住民が希望を伝えれば何か始まるかもしれない」存在になりつつある。
 「機を織りたい=婦人達と鳥取県三朝町へ視察に行ったり、指導に来てもらって機織を復元した」「子どもが公民館の庭でテニスをしたいと言っている=移動式のネットが張れた」「白雲(疎開で当地に来た京友禅の下絵画家)の遺作展をやろう=計画中」などと共に「てっちりこ(正月飾りを燃すトンドで若嫁の尻叩きに使った男根型のわら細工を商品化した)を世に出したようなことをやろうじゃぁないか。あのように次々にがんばって行かないと先はみえてこんぞ」という声も届いてくるようになった。
 地域が少しずつ動き始めたという実感と公民館に寄せられ始めた期待は羽出公民館の宝であり、地域の「希望」の卵でもある。
 羽出公民館のもう一つの宝は、ミニ写真展を企画実施した協力者集団である。非常勤館長一人ではほとんど何もできない。協力者集団をどう位置付け、どう組織するかが今後の公民館活動発展の鍵を握っている。
 四年間の活動を通して見えてきたものがある。公民館の事務室は役場支所になっていて町民福祉課の職員(昨年度までは臨時)が住民票の交付や税の納入など簡単な事務を行っている。もしもこの職員が鍛えられた公民館主事だったとしたら、前述の福祉のネットワーク活動も含めて、文字通り住民の暮らしと諸活動を励ます「地域センター」になっていくことだろう。(みわかただお 羽出公民館長、農業)



■(2)岡山県奥津町:
 
充実した人生と住みよい地域をつくる羽出公民館での取組み(私案)
                          美若 忠生 −2004年2月−

1 充実した人生と住みよい地域をつくる活動と公民館
 奥津町は、若者の多くが都市に出て過疎が進み、少子化、高齢化が進んでいます。
高齢者の50%は高齢者のみの世帯で生活し、この状況が続けば10年後、20年後の暮らしのようす、集落や農地・農業のようすさえ予測できません。こうした問題は、個人や家族の努力だけでは解決できなくなっています。新しい、支えあう暮らしのあり方を作りだし、在住する青壮年が増える工夫を考え出し、充実した人生を送ることのできる住みよい地域づくりをめざした努力を始める必要があります。
 この(充実した人生と住みよい地域をつくる)努力は、町民の心の奥深くにある願いを基盤にしつつ、@一人ひとりの前向きな努力と、A支えあい、みんなで力を合わせて努力することと、B行政と住民が一体になって取組むことによって、少しずつ実を結ぶことができます。
 この地域づくりは、みんなで知恵を出し合い、地域の実情に合わせた工夫をこらし、最新の知識や技術も取り入れながら自分達の手で創造していく以外にありません。「学ぶとは、共に未来を語ること」という言葉がありますが、このような考え方に立った学びをベースにして、地域づくりを進めることが大切です。
 公民館は、町民の最も身近にあって、共に語り合い、楽しみ、学び、郷土を振い興す原動力となることを願って設置された公共機関です。従って、新しい地域づくりを進めるにあたっては、この初期の公民館の設置趣旨に立ち返って新しい公民館活動を構想していくことが必要です。
 このためには、@住民の生活の実態、解決したい課題や願いなどに心を寄せること、A地域の自然や文化、人的・物的資源を再発見していくこと、B地域づくりを進める上で欠かすことのできない自治的協力意識を培うためにも、住民が楽しみ、親睦を深め、語り合い、学んだり文化に親しむ活動を盛んにしていくこと、そして何よりも、C公民館が、一人ひとりの努力を支援するセンターであり、地域で支えあい・みんなで力を合わせて努力する拠点であり、住民と行政が一体になって取組む「協働」の結び目になることを自覚して運営することが重要です。

2 新しい公民館像と取組みの重点
 1) 充実した人生と住みよい地域づくりを進める公民館のあり方は、単にこれまでの公民館活動の延長ではなく、むしろ、新しい公民館の創造をめざすものと考えたい。
 それは、社会教育の分野だけでなく、福祉、健康、産業、I T 化推進などの行政的施策と連携しつつ住民が主体になって充実した人生を開き、支えあう地域をつくろうとするものであり、公民館がこの活動の拠点となり活動を支援する事業を展開するという役割を担うからである。
 2) 公民館が取り組もうとすることは、大きく4つの分野に区分することができる。
1つは各人が趣味や関心に基づいて文化やスポーツに親しみ、交友を深め、楽しく充実した日々を過ごそうとするものである。この位置付けを自覚して推進したい。
 2つは、支えあう地域づくりに取り組むことである。これは既に各地区に設けられた「高齢者福祉の村づくり協議会」が取り組んでいるところであり、公民館活動としてはこの住民組織を支援する形で諸課題の検討や小地域に見守り態勢を築くための話し合いを組織する等である。
 3つは、地域の将来を担う子どもを育てる活動に取り組み、青壮年の活動を支援することである。
 4つは、できる範囲で、地域起こしにつながるさまざまな試みをすることである。高齢者の知恵や人材を活用することも重要である。
 3) 平成16年度の重点的な取組みとしては、支えあう地域づくりに新しい一歩を踏み出すことから始めたい。全高齢者の50%が高齢者のみの世帯で生活していることを重視して、支えあって生きるという考え方、見守りの仕組み、各種委員や婦人組織の役割と活動のしかた等について理解を広げ、高齢者福祉の村づくり協議会の活動として定着できるようにしたい。
 自治会(コミュニティハウス)単位での「寝たきりにならない おしゃべりと健康の集い」を成功させたい。この取組みは、各種委員の地域活動、婦人組織の活性化、町が取り組む“健康奥津21”の発展にもつながるだろう。
 4) 教養文化活動(公民館教室やグループ活動)は従来から各公民館で取り組んできた活動であるが、暮らしを支え励ます地域文化として、新たな活動を呼びかけたり、休止状態になっている活動の再活性化に努力したい。
 かって行われていた地区運動会、文化祭、盆踊り、シロミテ等を受継ぐ「楽しい集い」について、折りにふれて検討したい。
 5)子どもを育てる活動では、「子ども広場」の充実、母子クラブとの連携を課題として取組みたい。
 6)地域おこしについては、当面、森林公園の活用、高齢者の伝承する技芸の伝習などを念頭に、今後の歩みを探りたい。
 7)公民館だよりの発行と住民の声を聞く仕組みを考えたい。また、公民館活動を支える住民ボランティアの発掘と組織化に努力したい。

3 羽出公民館での取組み(私案:別記)
1 教養・文化活動
 1)自主申請の教室の支援
  @ 男性の料理教室、英会話教室
  A その他、申請のあるもの
 2)公民館グループの活動の支援
  @  銭太鼓、傘踊り、日本舞踊、手芸、その他
  A  休止・解散グループが時々楽しむ集い(大正琴、墨絵、安来節、書道、卓球)
  B  新規の趣味グループの育成(歌う会、その他)
 3)伝承芸能の復活支援
  @  羽出のお田植唄の練習
  A  羽出の盆踊りの復元と伝承
 4)郷土の自然と歴史にふれる活動
  @  ふるさと探訪
  A  むかしを語る会(昔の暮らしを記録する会)
 5)文化を楽しむ会(ふるさとのミニ写真展など、要望があれば小文化祭も)
 6)公民館図書室の運営
2 地域おこし活動
 1)森林公園を活用する試み
  @   森林公園案内ガイド講座
 2)統技芸の教室(かずら製品、がま製品、わら製品、その他)
 3)自然を活用した商品の開発の試み
 4)農地その他、高齢化に伴って発生する地域課題を探る
3 高齢化に対応した地域づくり活動〜福祉の村づくり協議会と協働事業〜
 1)寝たきりにならない健康長生き教室
  @    高齢者向けスポーツを楽しむ集い
   (グランドゴルフ、ゲートボール、ビリヤード、その他)
  A   おしゃべりと長生き体操の集い
   (世話役を育成して各自治会、コミュニティーハウスで実施)
 2)「支えあう地域づくり」の組織化
  @ 支えあう地域づくりを考える学習(継続的に実施し、課題や方法の検討)
  A 支えあう地域づくりの取組みの支援
 3)高齢者の活力を生かせる事業の開発の検討
4 子どもを育てる活動
  1) 母子クラブとの連携、支援
  2) 子どもの広場活動〜PTA,緑の少年隊の活動とも連携〜
    (わらび狩り、魚とり、秋の野山探訪、ひな祭り、)
  3) 三世代交流事業
  4) 夏休みの自由学習の支援
5 青壮年の自主グループの育成と連携
6 お楽しみ会(集い)の検討
7 広報と住民の声を聞く仕組みの検討

  1) 公民館広報の発行
  2) I T を活用した意見交換の場の検討

<備考>
1)事業として考えられるもの(16年度事業化できないものも)を列挙した。
2)教育委員会(中央公民館)レベルの活動・事業については省略した。例えば、山野草を楽しむ会、陶芸グループ、パソコン講座、知的障害児等に関する事業、スポーツ振興事業などで、その対象者や専門性から町内一か所で実施するほうが好ましいものである。
 なお、地域福祉に関する事項など、町内全体で進める必要のあるものについては、そのための研究・検討会がもたれることが望まれる。
3)公民館は、昭和21年7月5日付け文部次官通牒「公民館の設置運営について」によって設置が奨励され、全国に設けられるが、その中で、民主日本の建設、郷土の振興が急務であり、それは住民の教養文化を高めることによって達成されるとして、新しい学び方として相互の学びあいを提唱しつつ次のように設置趣旨を述べている。
 「公民館は全国の各町村に設置せられ、此処に常時に町村民が打ち集まって談論し読書し、生活上産業上の指導を受けお互いの交友を深める場所である。」云々。
 また、運営上の方針の中で、「公民館は町村民が集まって教えあい導きあい互いの教養文化を高めるための民主的な社会教育機関であるから、云々」、「公民館は同時に町村民の親睦交友を深め、相互の協力和合を培い、以って町村自治向上の基礎となるべき社交機関であるから、云々」、「公民館は亦町村民の教養文化を基礎として郷土産業活動を振い興こす原動力となる機関であるから、云々」、「公民館は郷土振興の基礎を作る機関であって、云々」と述べている。(発議者の名をとって寺中構想とも呼ばれる。)

(3)愛媛県伊予郡双海町訪問記(2004年6月2日 美若忠生)
しずむ夕日が立ちどまる町…双海町育委員会・双海町中央公民館
   〒799-3292 愛媛県伊予郡双海町大字上灘5821-6 TEL 089-986-1114
 愛媛県伊予郡双海町を訪問し、中央公民館の米湊誠二公民館主事から双海町の公民館活動と地域づくりについて聞いてきました。松本市の矢久保学さんから、双海町は自治公民館を中心にした活動をしており、特に、自治公民館と教育委員会・中央公民館との連携の点で学ぶことが多いのではないか、という示唆をいただいたからです。
双海町は、松山市の南西約20km余り、豊後水道に面した町で、海辺特有の広い眺望と点在する島影の向こうに沈む夕日が美しく、日本一夕日が美しい町だといいます。『しずむ夕日が立ちどまる町…双海町』が、まちおこしのタイトルになっています。

 人口は約5400人、高齢化率34%、まだ過疎傾向の続く町です。平成12年の統計を基にした町政要覧では、第1次産業、第2次産業、第3次産業が各30%前後とバランスのとれた町のように見えました。ハウスみかんと漁業が盛んなこと、『夕日』をテーマにした“まちおこし”が道路網整備の味方を得てシーサイド公園には年間50万人の観光客があるという。
1 自治公民館を中心にすえた社会教育と地域づくり(まちおこし)
 双海町は昭和30年に合併するが、一つの村が自治公民館体制をとっていた。戦後間もない頃、青年たちが力を発揮して各地に公民館活動がはじまり、その伝統があった。昭和36年頃、中嶋都貞社会教育主事(のち教育次長)が自治公民館を中心にした活動を作り上げるのに努力されたという。その後、昭和45年頃から13年間、現教育長の若松進一氏が「日本一の公民館主事になる」と言いつつ力を傾注されたという。この若松教育長は町長部局に移っても企画部門を担当され、(確認はしなかったが)“夕日”をテーマにしたまちおこし=まちづくり計画と実行の中心におられたようだ。
 「社会教育、住民活動の中核を自治公民館に置く」考え方は、昭和62年(1987年)から始まる“まちづくり”に引き継がれ、まちづくりの基本を「人づくり」「拠点づくり」「住民参加の日本一づくり」として取り組まれる。
 人づくりは、海外派遣を実施する。参加した人々(毎年4名)は創快塾を組織し、自らまちづくりのオピニオンリーダーたらんとしたようだ。
 拠点づくりは、観光と憩いの拠点「シーサイド公園」「潮風すれあい公園」、スポーツ施設等を設置する。車がすれちがうのが困難だった海岸沿いの国道が「夕やけこやけライン」と名付けられるバイパスに整備され、事業の多角的展開の力になった。
 住民参加の日本一づくりは、さまざまに展開される。日本一の夕日。その夕日をテーマにした日本一海に近い駅での「夕やけプラットホームコンサート」、博物館は「夕日のミュージアム」、そして「夕やけソフトクリーム」。自治公民館も大活躍する。各種のイベントにはそれぞれの自治公民館による屋台や餅つきや特産物が並ぶ。
 自生の水仙を生かした「伊予の花街道」の取り組み、ほたるの里づくりと味噌作り、海で獲れるジャコで作る特産品「じゃこ天」を開発したグループは売上げが5000万円になるという。これらは自治公民館が中心となり生活改善グループや保存会などと共同で創り出したものだ。自治公民館はまちおこしに積極的に参加して大きな力になったし、まちおこしで住民には元気が出てきた。
2自治公民館
 双海町の町政要覧には33箇所の自治公民館の建物写真が掲載されている。こんな要覧は珍しい。自治公民館が胸をはって、その存在感を誇示している。
 自治公民館は36集落にあり、4世帯だけの集落にも、156世帯の集落にも設置されている。行政区の区長とは別に自治公民館長を置いている。但し、小規模集落(約20世帯前後)の一部は兼務して看板を掛け替えながら、行政の仕事と教育の分野とうま使い分けをしている。
 町政要覧は、「双海町の生涯学習は町内の集落ごとに設置された自治公民館を拠点にして、活発な活動が展開されてきたが、その活動は、昭和24年に青年の手によって産声をあげて以来実に50年の長い歴史を持ち…」「自治公民館を支えているのが、館長、主事と8つの専門部を中心にした強力な住民組織です。住民の約1割が毎年公民館ボランティアとして活動する…」「その活動は公民館ごとに特徴があり、個性を活かした『集落の顔づくり』として推進されている。」
 そして、「双海町の自治公民館のもう一つの特徴は、受益者負担といわれる館費による自主運営です。」と述べている。
 館費は、月々300円〜1000円で、町全体で合計額は約2900万円になるという。町の補助金は館の日誌と報告によって査定し、1館平均42000円を出している。(各種の活動状況の一覧表もできて公表されている)
 自治公民館は、地域課題の解決に向けて 1公民館、1学級を目指しており、自治公民館学級の具体例として、EM菌づくり、廃油石鹸作り、身近な環境問題、身近な応急措置、メダカから学ぶ、私にもできるガーデニング、健康づくり、肩こりさんさようなら、誰にでもできる家庭菜園、ふるさと再発見、見上げてごらん夜の星を、男の料理教室、上手な介護、地域通貨、等々の実際に取り組まれた例が町の公民館大会の資料に示されている。公民館の学習テーマが決まらないときは社会教育主事(中央公民館の主事も兼ねている)が助言したり、移動公民館として出かけて協力して実施している。年6回以上実施した館には動く公民館(日帰り日程でバスを提供し、町外で研修できる)のアメもある。
 各公民館は、地域の(公民館の)顔づくり・自慢づくりにも取り組んでおり、ミニミニ文化祭、獅子舞の60年ぶり復活、菜の花まつり等がその中で生まれている。自治公民館の目標は、住民の総(社会)参加で、一人1学習・1スポーツ・1ボランティアを期待しているという。
 もちろん課題も少なくない。@過疎化により少子高齢化の問題、A参加者の固定化、役員不足、B市町(1市2町)合併による住民の不安や行政上の様々な弊害・・・等々。


■(4)琵琶湖畔のむら・ムラ(「南の風」記事 2004年6月)  小林文人
★<愛知川町・字広報「ながの」縮刷版>(南の風1288号 2004年6月21日)
 渡部幹雄さんから、滋賀県愛知川町大字長野西の集落広報・25年の記録「ながの」(大字長野公民館)を送っていただきました。上記メールのように約700頁、ずしりと重い大作。驚きました。
 群馬県笠懸村や長野県下伊那地方などでは(公立)公民館報の縮刷版が発行されていますが、「ながの」は集落レベルでの縮刷版、こんな大作は類をみないと思います。1979年に発刊、去年の11月に500号を迎え、25年の記録が一冊に。はじめの年度は集落の「農業組合広報」として発行されていますが、その翌年からは公民館運営委員会による「公民館だより」となり、2000年8月(461号)からは「区民だより」。すべて手書き(毛筆を含む)で始まり、ようやく1992年にワープロによる印刷。集落と公民館活動の記録、文字通り手づくりの地域新聞です。
 集落の規模は200戸程度とのこと。10戸前後の21組に分かれて評議員を選出し、評議員会が活発に機能してきたようです。1982年度の組織表では、区長・会計をおき、総務、土木、防災、厚生、福祉、税務の各委員。これに重ねて公民館運営委員会として、総務広報、青少年健全育成、人権擁護、教育文化、スポーツ健康の各部がそれぞれの運営を担って、小さな集落とは思えぬ多彩な活動を展開してきました。
 2003年の評議委員会は「長野むらづくり委員会」を発足させています。1村の景観づくり、2村の文化づくり、3村の活動と村おこし、の三テーマによる部会が活動を始めたとのこと。小さな地域の自治的な取り組み。一度参上して、ゆっくりと話を伺いたいと思いました。
 渡部さんの同便では『雨森の四季』(2001年)も送られてきました。滋賀県高月町・雨森の地域誌です。これがまた面白い。韓国との草の根の交流があり、私たちの『東アジア社会教育研究』に執筆していただきたいような集落活動です。別の機会に紹介することにします。

★<平井茂彦さん『雨森の四季』>(南の風1291号 2004年6月24日)
 滋賀県高月町の雨森(あめのもり)は人口は500人前後の小さな集落。平井茂彦さんという方が『雨森の四季』(ふるさとづくりの心を求めて)と題するエッセイ・写真集を発刊され、すでに第9集を重ねました。集落の区報「あめのもり」の人気コラム「しゃぎり」から「ちょっといい話」90編を選び写真を添えたもの。風1288号で紹介した集落区報・縮刷版「ながの」と一緒に渡部幹雄さん(愛知川町図書館長)から第8集を送っていただきました。実に面白い!ページをめくりながら熱い「ふるさとづくりの心」を学びました。
 雨森芳洲をご存知ですか? 新井白石等と1991号(6月24日、ぶ)江戸中期の儒学者、対馬藩に仕え、中国語・朝鮮語をよくし「日韓」外交の衝にあたった先駆者、外交官にして学者・思想家、高月町・雨森の生まれなのです(雨森区ホームページ)。雨森区にはゲストハウス「芳洲庵」があり、なんと「東アジア交流ハウス」と名付けられています。私たちTOAFAEC と共通する“草の根”からの国際交流への思い、小さな集落の大きな挑戦!
 『雨森の四季』(第8集、2000年記録)の大半のページで、とくに韓国との交流、若者たちの相互訪問、サムルノリ演奏(韓国での公演も)、朝鮮通信使ゆかりの交流、韓国総領事の訪問、などの記録がたくさん収録されています。政治や利権にまつわる国際交流ではなく、お互いの心と思いを結びあった歳月、胸をうつ文章が少なくありません。
 雨森では、字誌「ふるさと雨森」をまとめ、区報「あめのもり」縮刷版も刊行されているそうです。第1集(1号〜500号)、第2集(501号〜1000号)各1,000円(送料別)とのこと。また『雨森の四季』も第5号以降(各1,500円)は残部があるそうです。ご希望の方は「南の風」まで。一緒に注文いたしましょう。

★<琵琶湖畔のむらムラ>(南の風1292号 2004年6月25日)
 ここ数号の「風」は南から吹くのでなく、一つははるか西のハンブルクから、あと一つは琵琶湖周辺の村からの風でした。前者はもちろん石倉さんの頑張りによるもの、琵琶湖畔の動きについては愛知川町立図書館・渡部さんの紹介によるもの。いい風は、人の思いを介して吹いてくるのですね。
 愛知川町の字広報「ながの」縮刷版といい、高月町の雨森区の歩みといい、これまでまったく知りませんでした。滋賀県の図書館施策については注目してきましたが、公民館についてはほとんど知見なく、まして集落の公民館や自治活動がこれほどの豊かな水脈を蓄えてきたのかと驚くばかりです。東京周辺で公民館研究にたずさわってきたものの狭さと無知を恥じ入る思い。
 前号のこの欄に書いたように、雨森の集落活動は東アジアとくに韓国との“草の根”交流の、あまり類をみない取り組みです。地域の若者たちが大阪に出かけて本格的にサムルノリ(農楽)を学び、韓国の若者たちと交流し、お互いの友情と信頼を育んでいく記録。受け入れの韓国側の中学校長さんが「日本の子どもたちがサムルノリを踊る」ことに驚き、「もっといい加減なものかと思っていたのに・・・」と感動される経過など、読むこちら側もまた感動させられました。
 雨森のキイパースンは平井茂彦さん(『雨森の四季』著者)。渡部さんを通して私たちの『東アジア社会教育研究』への寄稿をお願いしたところ、早速「快諾いただきました」(渡部)とのメール。さきほどご本人と電話で話しました。東アジア交流ハウス「芳洲庵」に一度参上したい、「ぜひどうぞ、お待ちします」と。ちかく米原を通る機会に・・・と思っています。

(5) 都市部の地域活動ネットワーク(小林「南の風」記事より)
★<大都市(横浜)の小さな地域づくり> 1349号(2004年10月4日)
 伊東秀明さんは横浜・磯子区役所の公務員(地域振興課、社会教育主事)です。市民の学びネットワークづくりに奮闘中。
 その仕事ぶり、これぞ(公民館という施設はないけれど)ほんものの現代「公民館主事」ではないかと思われます。旧「公民館の風」をヒントに「メール・マナビン」(“学ばんとほっす”人たちのためのメールマガジン)というネット通信を発行され、現在245号、ほとんど毎日?の配信、「南の風」も脱帽。
 ご存知のように横浜市は公民館を設置してきませんでした。そういうなかで、市民の学習・文化活動をどのように拡げていくか、大都市のなかの小さな地域づくり、への挑戦、とも言えましょう。
 伊東さんからは、2ヶ月ほど前に次のような一文が寄せられました。「横浜に公民館がない」ことについての誌上シンポと関連して、短文ながら興味深いものあり、そのうち伊東さんにお会いする折り、その構想を詳しく聞こうと大事に保存していたメール(Fri, 30 Jul 2004 08:28)です。
 「…(略)磯子区内に学習活動の拠点を作ろうという話しを地域の人と始めました。少なくとも10〜12は必要なんじゃないかと思います。
 既存の施設を活用するのか、空き店舗や住宅を活用するのか、そして何より大切なことは拠点に“伊東”のような人間がいることです!」と。 「空き店舗や住宅を活用」のくだりは、ドイツの自主管理的な社会文化センターづくりの発想を一部想起させるところがありますね。そして、そこに“人”が躍動する必要があるという。大都市のなかでの小さな地域づくりと拠点論、ほんらい公民館とはなにか、の原風景をみる思いです。他方で、立派な公民館の施設をもちながら、また職員も配置しながら、そういう地域へのまなざしをもたない場合も少なくありません。ただ、この磯子構想、どのように実現の道すじをつくっていけるか?
 日本公民館学会・定例研究会では、11月8日に磯子区と伊東さんを訪ね、市民の皆さんとも交流する予定です。会場は区役所横の磯子地域ケアプラザ、13:30〜市民の学習グループ連絡会に参加、18:00〜伊東さんの報告と討論。案内はTOAFAECホームページにも掲載しています。参加歓迎!   *関連レポート→こちら

★<都市のなかにシマを創る> 1360号(2004年10月22日)
 久しぶりに大阪の大前哲彦さんからのメール。前号の中村誠司さん「大都市の中に新しいシマを創る」に触発されて・・・とのこと。横浜の伊東秀明さんへの便りのかたちですが、「南の風」にも届きましたので、掲載させていただきました。
 おそらくこのお二人はまだ直接には未見の間柄、風が取りもつ縁です。今年の6月頃、京都「ろばた懇談会」(ろばこん)をめぐって、岡山の美若忠生さんも含め、「ろばこんって何?」などのやりとりがありました(ホームページに収録)。その背景にあったのは、2002年・社会教育研究全国集会(沖縄集会)から始まった集落・自治公民館等の「小地域の学習活動と地域づくり」分科会の取り組み。
 今年の会津集会では第19分科会として論議がかわされました。自治公民館等の話題は、とかく沖縄や農山村の固有の形態として限定されがちですが、分科会の世話人として、貝塚の松岡伸也さんや横浜の伊東秀明さんなど都市部の有力メンバーも参加されていて、大都市の状況や実践もまた、岩手・松本・沖縄等の報告と交流し交錯して取りあげられたのです。
 いまの生涯学習の流れは、とかく個人の学習ニーズの充足、あるいはその多様な選択・・・といった個別の形態が一般的。しかし、それだけでなく、たとえば学びの共同体づくり、個々の市民が生きている地域づくりの視点、大都市部のなかだからこそ求められている新しいタイプの市民ネットワークへの模索、市民相互の関係性を創り出していこうとする実践、そして、それらへの行政側からの支援、そんな課題がさまざま考えられ始めています。市民の共同と地域づくりへの志向は、農村・都市を問わず、共通の関心事になってきているのです。
 中村誠司さん(風・前号)の「大都市の中の小地域に新しいシマを創る課題」とは、そんな動きを意識されてのことでしょう。伊東秀明さんの「メール・マナビン(249)学びあう喜び」の一文もこの点で、たいへん示唆的。大前メールに合わせて掲載させていただきました。

★<鹿児島市の校区公民館> 1391号(2004年12月25日)
 …(略)…
 鹿児島市の校区公民館について教えて下さい。日本各地の地域犯罪率が激増するなかで、県庁所在地で鹿児島市だけは減少?しているとのこと。それは、鹿児島市が各学校に校区公民館を設置し、若い世代をまきこんで地域のさまざまな活動に取り組んできたことが大きな要因なのではないか、という評価が興味をそそりました。実際に校区公民館の活動映像も紹介されていました。(NHKスペシャル「63億人の地図5」再、12月23日夜)
 とくに子どもをめぐる活発な取り組みと市民の積極的な姿勢が(映像で見るかぎり)印象的でした。背景に行政の前向きの施策も動いているらしく、校区公民館制度についての市長の役割も大きいとか。
 校区公民館といえば福岡市。しかし、かっての専任公民館主事嘱託化の経過もあり、現在の状況については評価が分かれるところでしょうか。わが故郷・久留米市の校区公民館にも(最近のことは知りませんが)失望してきました。鹿児島市ではどうなんだろう。折りをみて「風」に紹介していただけませんか。
 公民館の歴史や職員体制の実態と同時に、地域の古い組織体制(福岡市にみられる、草の根保守主義につながる?)と校区公民館はどんな関係なのでしょう? 薩摩時代以降の独特の地域組織の歴史的背景もあり、興味あるところです。
 もし鹿児島市の校区公民館や地域組織について書かれたものがあれば、教えてください。お送りいただければ更に有り難い。

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