二 男性の料理教室事始
私は平成10年10月に40余年ぶりに帰郷し、翌11年4月に羽出公民館長に就任した。最初の仕事が老人クラブ総会に出席することだったが、会員名簿を見て驚いた。羽出地区は世帯数約180、人口約570程の山村で高齢化率39%とは知っていたが、この数字は実に有権者の過半数だったのである。
平成12年から介護保険制度が始まろうとしていた。住民自身の手でこの地域における高齢者福祉の課題を整理しておく必要があると考えた。公民館学習「福祉を考える会」(ほぼ毎月1回、全12回)を12名の参加で実施した。
この学習の中で、世帯の4割近くが高齢者のみの世帯であり、70歳以上の独居者が25名前後あり、買い物などの交通の問題、青壮年層が昼間いない問題、障害者や高齢者のみの世帯で病気になった時の問題等々が具体的に語られたのである。
話題の中の一つに、高齢男性の生活の自立、とりわけ料理の問題があった。男性の料理教室は、こうして平成12年7月から始まった。
参加者は少しずつ増えて現在10名、「女房か私か、どちらが先に倒れるか分かりませんから」という80歳を越す人、妻の介護をしている人、妻を亡くした人、独居者等である。
地区内には、町から栄養委員として委嘱されている人がいて、この人たちが講師である。料理の内容は、その季節に家の畑で収穫できる野菜や山菜を使ったもので、日常生活で主婦がよく作る料理である。煮物の作り方、天ぷらや和え物の作り方、下処理や味のつけ方、盛り付けの工夫等々である。
料理教室ではあるが、作った料理を食べながらのおしゃべりの楽しさも実習しているのである。最近の農村男性は、おしゃべりを楽しむこと(情報を交換したり、議論したり、共に笑ったり悲しんだりしてストレスの解消や相互に励まし合う社会性を育てること)が下手になっており、参加を呼びかけても参加できない人(一人でがんばっている人)も多いのである。
毎月1回行い、参加費は500円、野菜と米は持参、暑いから、花見だからとビールも出て楽しんでいる。
三 ふるさとの昔ミニ写真展
平成15年3月21日から3日間、「ふるさとの昔ミニ写真展」を実施した。
展示したのは、明治期から昭和38年頃までの写真で、パソコンでA4版に拡大したもの約150点である。会場は壁面パネルとテーブルに写真を並べ、随所に拡大鏡を配置した。会場中央に喫茶コーナー2か所を設け、来た人が団欒し、それぞれの思い出や物語を語ってもらおうという趣向である。
明治、大正期の写真は、水害で流された小学校の校舎新築、部落の公会堂やお大師堂新築記念等で数少なかったが、昭和期(戦前)の写真は多く、出征風景、戦没者の合同葬や遺族の集い、国防婦人会の結成、女子青年の銃撃訓練、乾燥芋や兎の皮の作成供出、部落の阿弥陀堂からの釣鐘の供出のようす、小学校の講堂新築を全村で祝ったようす、奉安殿(天皇の御真影と教育勅語を安置)建設、水害で流された井堰の建設や祝賀のようすなど歴史的記録としても貴重なものが多かった。昭和20年以降のものでは、青年団や消防団の関係、神社の遷宮を村を挙げて祝った写真が多数を占めた。
これらはいずれも当時の生活のようすがよく理解できるもので、白寿を迎えた老婆が自分が嫁にきた頃のようすを語り、それぞれが自分の近親者や知人を写真に見つけて聞き伝えていることを語り合った。
例えば、奉安殿は昭和19年に在校生はもとより村民を動員して建築されたが、翌20年9月の洪水で道や石垣と共に川に崩落した。「奉安殿は川に崩れ落ちて、実は、村を救うた。堰のようになって水の流れが変わり、村の中心街の家々が流されずに済んだ」という具合にである。
喫茶コーナーは大成功だった。加えて昼時には、この写真展をやろうと話し合った仲間や協力者の家から、毎日大量のおにぎりやみそ汁、うどん鍋から牡蠣の炊き込みご飯まで持ち込まれた。来場者は一日30〜40人で、若い世代が少ないのが残念だったが、祭りのようなにぎやかさの中で、ふるさとの今昔を語り合ったのである。
「この写真展を見ると、村を挙げて一つのことをやろうとし、それができたのが昭和40年ころまでだったのがよくわかる。ガスの普及で炭焼きで食えなくなり、耕運機の普及と共に和牛の飼育生産も激減し、若い者はどっと都会へ出、村に残った者も町外へ働きに出た。今は町の将来をどうしていくかで大切な時だが、皆が力を合わせてどうしようという気持ちになりにくい状態になっている。その変化がよくわかる。」識者といわれる人の言葉である。
この写真展を企画したのは、地域おこしをどうしていくかを折りにふれて話し合ってきた仲間である。直接の契機は、一人がパソコンで古い写真を拡大し一冊に整理し始めたところに近所の古老から釣鐘供出等の写真が持ち込まれたことに端を発したが、その背景には、ふるさとの自然、歴史、人々のつながり等々多角的に地域を見直していくことが、いつの日か地域づくりに連続していくという思いがあったからである。
実は平成11年から12年にかけて、公民館で「ビデオや写真でふるさと風土記を作ろう」(ねらいは、小集落単位に古老と若い世代を結びつけながら地域を再発見すること、西暦2000年の状況を記録することにあった)と呼びかけ、応募者なしという失敗をしていたのである。
今回も村の古老の知恵と若い世代をつなぐという点で課題は残ったものの、大いにふるさとを語る第一歩は踏み出せたのである。
四 羽出子どもの広場
今年の4月1日に「ひな祭りとひなあらし」をしますと小学生に呼びかけたところ、子ども20名と保護者5名がやってきた。会場は公民館と中庭をはさんで向かいにある「ふれあいの里」で、羽出子ども広場(公民館)と高齢者のデイサービス(ボランティア団体ひまわり会)の共同企画である。当日はデイサービスの日で、高齢者10数名と一緒にひな祭りを楽しんだ。
おひな様は、親の世代に当たる昭和40年前後の段飾り、御殿飾り、男児向けの武者人形、祖父母世代の立ち姿の天神様(当地方では天神を飾り男児も一緒にひな祭りをする)や掛け軸等で飾った。
早く来た親子も一緒に飾付けをし、全員集合したところでデイサービスに来ている人達にあいさつを交わして、おひな様やひな祭りの話を聞き、ひなあらしをした。
ひなあらしは、ひな祭りに作ったごちそうを食べて楽しむことで(今は子どもが少なくなってその光景は見られなくなった)昔の楽しかったようすも聞きながら、参加者みんながバイキング方式で自分の好きなものを食べたり飲んだりした。
食事の後、幾人かが外遊びに出たが、自分達でハンカチ落としのゲームや会場にあったタンバリン、トライアングル、カスタネット等でひな祭りの歌などを見事に合奏してお年寄り達を楽しませた。
おひな様も「よかったら我が家の人形や掛け軸を飾ってくれ」とか「ひし餅は私が作って持って行く」「じゃあ甘酒は私が持って行く」という具合で準備できたし、ひなあらしの食べ物は、ボランティアの人達が、まき寿司やいなり寿司、子どもの好きなオードブル等を大奮闘で作ってくれた。お金の無い公民館だが、善意に頼りすぎておりはしないかと心配するほどである。
羽出子どもの広場は、公民館と数人の協力者がPTAの地域支部に呼びかけて昨年5月から始まった。子ども達が地域の自然に触れられるような、また、保護者も気軽に参加できるような集まりにしようということになった。「ケガと弁当は各自持ちにしよう」「あの子がいじめる等という話はしないことにしよう」「その時に参加できる親とボランティアの人でみんなの面倒を見よう」「子どもだけでも自由に参加できるようにしよう」等々が申し合わされた。
第1回はわらび狩りだった。かって中国山地の緩斜面を利用して大きな放牧場がいくつもあって、どの家々でも牛を放牧して夏をすごさせ、一週間に一度くらい牛の安否を見に登ったものだった。その場所はわらび狩りの場所でもあった。若いお母さんは、結婚して当地に来ても「すぐ働きに出て、一度も行ったことがない。ぜひ子どもと一緒に行きたい」ということで決まった。
山かせぎ(山の登り降りや採取)の上手な子、わらびがなかなか見分けられない子、動物のシャレコウベを発見した子、おじいちゃんから習ったイタドリ笛を教えてくれる子、イタドリやフキノトウで水車を作った子、滝を見に行って水の中に転んだ子、友達と先に駆け出して行ってはぐれた子、いろいろな体験で「あー疲れた」と言いながらも、自分の力を出し切って自然を満喫した。その一回で、子どもの広場は軌道に乗った。
羽出地区の小学生は31名、だから自由参加で20名がやってくるというのは、子ども達の評価や期待度も高いということだ。しかし、子どもの広場は度々は開けない。上級生は意外に忙しい。指導する大人も忙しいし人数も少ない。「少し延期しようか」となってしまう。
五 公民館への期待
公民館が趣味やお稽古ごとの教室・グループ活動への世話から、住民の暮らしや地域づくりを中心にした活動に転換して、「羽出は少しずつ動き始めた」と言われる。
例えば、知的障害者〈児〉育成支援組織は「福祉を考える」学習の参加者の呼びかけで結実した。
また、羽出地区の「高齢者福祉の村づくり協議会」では福祉のネットワークづくりが懸案となっていたが、少人数の研究検討会を続けながら、緊急を要する二人の要介護・要支援者の支援体制を組むことができた。これに加えて見守りが必要な人たちへの方策、情報を受けて対応する機関の設置、連携するメンバーの組織と研修ができればネットワークができる。その第一歩を踏み出すことができた。
羽出公民館は、「住民が希望を伝えれば何か始まるかもしれない」存在になりつつある。
「機を織りたい=婦人達と鳥取県三朝町へ視察に行ったり、指導に来てもらって機織を復元した」「子どもが公民館の庭でテニスをしたいと言っている=移動式のネットが張れた」「白雲(疎開で当地に来た京友禅の下絵画家)の遺作展をやろう=計画中」などと共に「てっちりこ(正月飾りを燃すトンドで若嫁の尻叩きに使った男根型のわら細工を商品化した)を世に出したようなことをやろうじゃぁないか。あのように次々にがんばって行かないと先はみえてこんぞ」という声も届いてくるようになった。
地域が少しずつ動き始めたという実感と公民館に寄せられ始めた期待は羽出公民館の宝であり、地域の「希望」の卵でもある。
羽出公民館のもう一つの宝は、ミニ写真展を企画実施した協力者集団である。非常勤館長一人ではほとんど何もできない。協力者集団をどう位置付け、どう組織するかが今後の公民館活動発展の鍵を握っている。
四年間の活動を通して見えてきたものがある。公民館の事務室は役場支所になっていて町民福祉課の職員(昨年度までは臨時)が住民票の交付や税の納入など簡単な事務を行っている。もしもこの職員が鍛えられた公民館主事だったとしたら、前述の福祉のネットワーク活動も含めて、文字通り住民の暮らしと諸活動を励ます「地域センター」になっていくことだろう。(みわかただお 羽出公民館長、農業)
2 新しい公民館像と取組みの重点
1) 充実した人生と住みよい地域づくりを進める公民館のあり方は、単にこれまでの公民館活動の延長ではなく、むしろ、新しい公民館の創造をめざすものと考えたい。
それは、社会教育の分野だけでなく、福祉、健康、産業、I T 化推進などの行政的施策と連携しつつ住民が主体になって充実した人生を開き、支えあう地域をつくろうとするものであり、公民館がこの活動の拠点となり活動を支援する事業を展開するという役割を担うからである。
2) 公民館が取り組もうとすることは、大きく4つの分野に区分することができる。
1つは各人が趣味や関心に基づいて文化やスポーツに親しみ、交友を深め、楽しく充実した日々を過ごそうとするものである。この位置付けを自覚して推進したい。
2つは、支えあう地域づくりに取り組むことである。これは既に各地区に設けられた「高齢者福祉の村づくり協議会」が取り組んでいるところであり、公民館活動としてはこの住民組織を支援する形で諸課題の検討や小地域に見守り態勢を築くための話し合いを組織する等である。
3つは、地域の将来を担う子どもを育てる活動に取り組み、青壮年の活動を支援することである。
4つは、できる範囲で、地域起こしにつながるさまざまな試みをすることである。高齢者の知恵や人材を活用することも重要である。
3) 平成16年度の重点的な取組みとしては、支えあう地域づくりに新しい一歩を踏み出すことから始めたい。全高齢者の50%が高齢者のみの世帯で生活していることを重視して、支えあって生きるという考え方、見守りの仕組み、各種委員や婦人組織の役割と活動のしかた等について理解を広げ、高齢者福祉の村づくり協議会の活動として定着できるようにしたい。
自治会(コミュニティハウス)単位での「寝たきりにならない おしゃべりと健康の集い」を成功させたい。この取組みは、各種委員の地域活動、婦人組織の活性化、町が取り組む“健康奥津21”の発展にもつながるだろう。
4) 教養文化活動(公民館教室やグループ活動)は従来から各公民館で取り組んできた活動であるが、暮らしを支え励ます地域文化として、新たな活動を呼びかけたり、休止状態になっている活動の再活性化に努力したい。
かって行われていた地区運動会、文化祭、盆踊り、シロミテ等を受継ぐ「楽しい集い」について、折りにふれて検討したい。
5)子どもを育てる活動では、「子ども広場」の充実、母子クラブとの連携を課題として取組みたい。
6)地域おこしについては、当面、森林公園の活用、高齢者の伝承する技芸の伝習などを念頭に、今後の歩みを探りたい。
7)公民館だよりの発行と住民の声を聞く仕組みを考えたい。また、公民館活動を支える住民ボランティアの発掘と組織化に努力したい。
3 羽出公民館での取組み(私案:別記)
1 教養・文化活動
1)自主申請の教室の支援
@ 男性の料理教室、英会話教室
A その他、申請のあるもの
2)公民館グループの活動の支援
@ 銭太鼓、傘踊り、日本舞踊、手芸、その他
A 休止・解散グループが時々楽しむ集い(大正琴、墨絵、安来節、書道、卓球)
B 新規の趣味グループの育成(歌う会、その他)
3)伝承芸能の復活支援
@ 羽出のお田植唄の練習
A 羽出の盆踊りの復元と伝承
4)郷土の自然と歴史にふれる活動
@ ふるさと探訪
A むかしを語る会(昔の暮らしを記録する会)
5)文化を楽しむ会(ふるさとのミニ写真展など、要望があれば小文化祭も)
6)公民館図書室の運営
2 地域おこし活動
1)森林公園を活用する試み
@ 森林公園案内ガイド講座
2)統技芸の教室(かずら製品、がま製品、わら製品、その他)
3)自然を活用した商品の開発の試み
4)農地その他、高齢化に伴って発生する地域課題を探る
3 高齢化に対応した地域づくり活動〜福祉の村づくり協議会と協働事業〜
1)寝たきりにならない健康長生き教室
@ 高齢者向けスポーツを楽しむ集い
(グランドゴルフ、ゲートボール、ビリヤード、その他)
A おしゃべりと長生き体操の集い
(世話役を育成して各自治会、コミュニティーハウスで実施)
2)「支えあう地域づくり」の組織化
@ 支えあう地域づくりを考える学習(継続的に実施し、課題や方法の検討)
A 支えあう地域づくりの取組みの支援
3)高齢者の活力を生かせる事業の開発の検討
4 子どもを育てる活動
1) 母子クラブとの連携、支援
2) 子どもの広場活動〜PTA,緑の少年隊の活動とも連携〜
(わらび狩り、魚とり、秋の野山探訪、ひな祭り、)
3) 三世代交流事業
4) 夏休みの自由学習の支援
5 青壮年の自主グループの育成と連携
6 お楽しみ会(集い)の検討
7 広報と住民の声を聞く仕組みの検討
1) 公民館広報の発行
2) I T を活用した意見交換の場の検討
<備考>
1)事業として考えられるもの(16年度事業化できないものも)を列挙した。
2)教育委員会(中央公民館)レベルの活動・事業については省略した。例えば、山野草を楽しむ会、陶芸グループ、パソコン講座、知的障害児等に関する事業、スポーツ振興事業などで、その対象者や専門性から町内一か所で実施するほうが好ましいものである。
なお、地域福祉に関する事項など、町内全体で進める必要のあるものについては、そのための研究・検討会がもたれることが望まれる。
3)公民館は、昭和21年7月5日付け文部次官通牒「公民館の設置運営について」によって設置が奨励され、全国に設けられるが、その中で、民主日本の建設、郷土の振興が急務であり、それは住民の教養文化を高めることによって達成されるとして、新しい学び方として相互の学びあいを提唱しつつ次のように設置趣旨を述べている。
「公民館は全国の各町村に設置せられ、此処に常時に町村民が打ち集まって談論し読書し、生活上産業上の指導を受けお互いの交友を深める場所である。」云々。
また、運営上の方針の中で、「公民館は町村民が集まって教えあい導きあい互いの教養文化を高めるための民主的な社会教育機関であるから、云々」、「公民館は同時に町村民の親睦交友を深め、相互の協力和合を培い、以って町村自治向上の基礎となるべき社交機関であるから、云々」、「公民館は亦町村民の教養文化を基礎として郷土産業活動を振い興こす原動力となる機関であるから、云々」、「公民館は郷土振興の基礎を作る機関であって、云々」と述べている。(発議者の名をとって寺中構想とも呼ばれる。)
愛媛県伊予郡双海町を訪問し、中央公民館の米湊誠二公民館主事から双海町の公民館活動と地域づくりについて聞いてきました。松本市の矢久保学さんから、双海町は自治公民館を中心にした活動をしており、特に、自治公民館と教育委員会・中央公民館との連携の点で学ぶことが多いのではないか、という示唆をいただいたからです。
双海町は、松山市の南西約20km余り、豊後水道に面した町で、海辺特有の広い眺望と点在する島影の向こうに沈む夕日が美しく、日本一夕日が美しい町だといいます。『しずむ夕日が立ちどまる町…双海町』が、まちおこしのタイトルになっています。
人口は約5400人、高齢化率34%、まだ過疎傾向の続く町です。平成12年の統計を基にした町政要覧では、第1次産業、第2次産業、第3次産業が各30%前後とバランスのとれた町のように見えました。ハウスみかんと漁業が盛んなこと、『夕日』をテーマにした“まちおこし”が道路網整備の味方を得てシーサイド公園には年間50万人の観光客があるという。
1 自治公民館を中心にすえた社会教育と地域づくり(まちおこし)
双海町は昭和30年に合併するが、一つの村が自治公民館体制をとっていた。戦後間もない頃、青年たちが力を発揮して各地に公民館活動がはじまり、その伝統があった。昭和36年頃、中嶋都貞社会教育主事(のち教育次長)が自治公民館を中心にした活動を作り上げるのに努力されたという。その後、昭和45年頃から13年間、現教育長の若松進一氏が「日本一の公民館主事になる」と言いつつ力を傾注されたという。この若松教育長は町長部局に移っても企画部門を担当され、(確認はしなかったが)“夕日”をテーマにしたまちおこし=まちづくり計画とその実行の中心におられたようだ。
「社会教育、住民活動の中核を自治公民館に置く」考え方は、昭和62年(1987年)から始まる“まちづくり”に引き継がれ、まちづくりの基本を「人づくり」「拠点づくり」「住民参加の日本一づくり」として取り組まれる。
人づくりは、海外派遣を実施する。参加した人々(毎年4名)は創快塾を組織し、自らまちづくりのオピニオンリーダーたらんとしたようだ。
拠点づくりは、観光と憩いの拠点「シーサイド公園」「潮風すれあい公園」、スポーツ施設等を設置する。車がすれちがうのが困難だった海岸沿いの国道が「夕やけこやけライン」と名付けられるバイパスに整備され、事業の多角的展開の力になった。
住民参加の日本一づくりは、さまざまに展開される。日本一の夕日。その夕日をテーマにした日本一海に近い駅での「夕やけプラットホームコンサート」、博物館は「夕日のミュージアム」、そして「夕やけソフトクリーム」。自治公民館も大活躍する。各種のイベントにはそれぞれの自治公民館による屋台や餅つきや特産物が並ぶ。
自生の水仙を生かした「伊予の花街道」の取り組み、ほたるの里づくりと味噌作り、海で獲れるジャコで作る特産品「じゃこ天」を開発したグループは売上げが5000万円になるという。これらは自治公民館が中心となり生活改善グループや保存会などと共同で創り出したものだ。自治公民館はまちおこしに積極的に参加して大きな力になったし、まちおこしで住民には元気が出てきた。
2 自治公民館
双海町の町政要覧には33箇所の自治公民館の建物写真が掲載されている。こんな要覧は珍しい。自治公民館が胸をはって、その存在感を誇示している。
自治公民館は36集落にあり、4世帯だけの集落にも、156世帯の集落にも設置されている。行政区の区長とは別に自治公民館長を置いている。但し、小規模集落(約20世帯前後)の一部は兼務して看板を掛け替えながら、行政の仕事と教育の分野とうまく
使い分けをしている。
町政要覧は、「双海町の生涯学習は町内の集落ごとに設置された自治公民館を拠点にして、活発な活動が展開されてきたが、その活動は、昭和24年に青年の手によって産声をあげて以来実に50年の長い歴史を持ち…」「自治公民館を支えているのが、館長、主事と8つの専門部を中心にした強力な住民組織です。住民の約1割が毎年公民館ボランティアとして活動する…」「その活動は公民館ごとに特徴があり、個性を活かした『集落の顔づくり』として推進されている。」
そして、「双海町の自治公民館のもう一つの特徴は、受益者負担といわれる館費による自主運営です。」と述べている。
館費は、月々300円〜1000円で、町全体で合計額は約2900万円になるという。町の補助金は館の日誌と報告によって査定し、1館平均42000円を出している。(各種の活動状況の一覧表もできて公表されている)
自治公民館は、地域課題の解決に向けて 1公民館、1学級を目指しており、自治公民館学級の具体例として、EM菌づくり、廃油石鹸作り、身近な環境問題、身近な応急措置、メダカから学ぶ、私にもできるガーデニング、健康づくり、肩こりさんさようなら、誰にでもできる家庭菜園、ふるさと再発見、見上げてごらん夜の星を、男の料理教室、上手な介護、地域通貨、等々の実際に取り組まれた例が町の公民館大会の資料に示されている。公民館の学習テーマが決まらないときは社会教育主事(中央公民館の主事も兼ねている)が助言したり、移動公民館として出かけて協力して実施している。年6回以上実施した館には動く公民館(日帰り日程でバスを提供し、町外で研修できる)のアメもある。
各公民館は、地域の(公民館の)顔づくり・自慢づくりにも取り組んでおり、ミニミニ文化祭、獅子舞の60年ぶり復活、菜の花まつり等がその中で生まれている。自治公民館の目標は、住民の総(社会)参加で、一人1学習・1スポーツ・1ボランティアを期待しているという。
もちろん課題も少なくない。@過疎化により少子高齢化の問題、A参加者の固定化、役員不足、B市町(1市2町)合併による住民の不安や行政上の様々な弊害・・・等々。
■(4)琵琶湖畔のむら・ムラ(「南の風」記事 2004年6月) 小林文人
★<愛知川町・字広報「ながの」縮刷版>(南の風1288号 2004年6月21日)
渡部幹雄さんから、滋賀県愛知川町大字長野西の集落広報・25年の記録「ながの」(大字長野公民館)を送っていただきました。上記メールのように約700頁、ずしりと重い大作。驚きました。
群馬県笠懸村や長野県下伊那地方などでは(公立)公民館報の縮刷版が発行されていますが、「ながの」は集落レベルでの縮刷版、こんな大作は類をみないと思います。1979年に発刊、去年の11月に500号を迎え、25年の記録が一冊に。はじめの年度は集落の「農業組合広報」として発行されていますが、その翌年からは公民館運営委員会による「公民館だより」となり、2000年8月(461号)からは「区民だより」。すべて手書き(毛筆を含む)で始まり、ようやく1992年にワープロによる印刷。集落と公民館活動の記録、文字通り手づくりの地域新聞です。
集落の規模は200戸程度とのこと。10戸前後の21組に分かれて評議員を選出し、評議員会が活発に機能してきたようです。1982年度の組織表では、区長・会計をおき、総務、土木、防災、厚生、福祉、税務の各委員。これに重ねて公民館運営委員会として、総務広報、青少年健全育成、人権擁護、教育文化、スポーツ健康の各部がそれぞれの運営を担って、小さな集落とは思えぬ多彩な活動を展開してきました。
2003年の評議委員会は「長野むらづくり委員会」を発足させています。1村の景観づくり、2村の文化づくり、3村の活動と村おこし、の三テーマによる部会が活動を始めたとのこと。小さな地域の自治的な取り組み。一度参上して、ゆっくりと話を伺いたいと思いました。
渡部さんの同便では『雨森の四季』(2001年)も送られてきました。滋賀県高月町・雨森の地域誌です。これがまた面白い。韓国との草の根の交流があり、私たちの『東アジア社会教育研究』に執筆していただきたいような集落活動です。別の機会に紹介することにします。
★<平井茂彦さん『雨森の四季』>(南の風1291号 2004年6月24日)
滋賀県高月町の雨森(あめのもり)は人口は500人前後の小さな集落。平井茂彦さんという方が『雨森の四季』(ふるさとづくりの心を求めて)と題するエッセイ・写真集を発刊され、すでに第9集を重ねました。集落の区報「あめのもり」の人気コラム「しゃぎり」から「ちょっといい話」90編を選び写真を添えたもの。風1288号で紹介した集落区報・縮刷版「ながの」と一緒に渡部幹雄さん(愛知川町図書館長)から第8集を送っていただきました。実に面白い!ページをめくりながら熱い「ふるさとづくりの心」を学びました。
雨森芳洲をご存知ですか? 白井白石等と並ぶ江戸中期の儒学者、対馬藩に仕え、中国語・朝鮮語をよくし「日韓」外交の衝にあたった先駆者、外交官にして学者・思想家、高月町・雨森の生まれなのです(雨森区ホームページ)。雨森区にはゲストハウス「芳洲庵」があり、なんと「東アジア交流ハウス」と名付けられています。私たちTOAFAEC
と共通する“草の根”からの国際交流への思い、小さな集落の大きな挑戦!
『雨森の四季』(第8集、2000年記録)の大半のページで、とくに韓国との交流、若者たちの相互訪問、サムルノリ演奏(韓国での公演も)、朝鮮通信使ゆかりの交流、韓国総領事の訪問、などの記録がたくさん収録されています。政治や利権にまつわる国際交流ではなく、お互いの心と思いを結びあった歳月、胸をうつ文章が少なくありません。
雨森では、字誌「ふるさと雨森」をまとめ、区報「あめのもり」縮刷版も刊行されているそうです。第1集(1号〜500号)、第2集(501号〜1000号)各1,000円(送料別)とのこと。また『雨森の四季』も第5号以降(各1,500円)は残部があるそうです。ご希望の方は「南の風」まで。一緒に注文いたしましょう。
★<琵琶湖畔のむらムラ>(南の風1292号 2004年6月25日)
ここ数号の「風」は南から吹くのでなく、一つははるか西のハンブルクから、あと一つは琵琶湖周辺の村からの風でした。前者はもちろん石倉さんの頑張りによるもの、琵琶湖畔の動きについては愛知川町立図書館・渡部さんの紹介によるもの。いい風は、人の思いを介して吹いてくるのですね。
愛知川町の字広報「ながの」縮刷版といい、高月町の雨森区の歩みといい、これまでまったく知りませんでした。滋賀県の図書館施策については注目してきましたが、公民館についてはほとんど知見なく、まして集落の公民館や自治活動がこれほどの豊かな水脈を蓄えてきたのかと驚くばかりです。東京周辺で公民館研究にたずさわってきたものの狭さと無知を恥じ入る思い。
前号のこの欄に書いたように、雨森の集落活動は東アジアとくに韓国との“草の根”交流の、あまり類をみない取り組みです。地域の若者たちが大阪に出かけて本格的にサムルノリ(農楽)を学び、韓国の若者たちと交流し、お互いの友情と信頼を育んでいく記録。受け入れの韓国側の中学校長さんが「日本の子どもたちがサムルノリを踊る」ことに驚き、「もっといい加減なものかと思っていたのに・・・」と感動される経過など、読むこちら側もまた感動させられました。
雨森のキイパースンは平井茂彦さん(『雨森の四季』著者)。渡部さんを通して私たちの『東アジア社会教育研究』への寄稿をお願いしたところ、早速「快諾いただきました」(渡部)とのメール。さきほどご本人と電話で話しました。東アジア交流ハウス「芳洲庵」に一度参上したい、「ぜひどうぞ、お待ちします」と。ちかく米原を通る機会に・・・と思っています。
■(5) 都市部の地域活動ネットワーク(小林「南の風」記事より)
★<大都市(横浜)の小さな地域づくり> 1349号(2004年10月4日)
伊東秀明さんは横浜・磯子区役所の公務員(地域振興課、社会教育主事)です。市民の学びネットワークづくりに奮闘中。
その仕事ぶり、これぞ(公民館という施設はないけれど)ほんものの現代「公民館主事」ではないかと思われます。旧「公民館の風」をヒントに「メール・マナビン」(“学ばんとほっす”人たちのためのメールマガジン)というネット通信を発行され、現在245号、ほとんど毎日?の配信、「南の風」も脱帽。
ご存知のように横浜市は公民館を設置してきませんでした。そういうなかで、市民の学習・文化活動をどのように拡げていくか、大都市のなかの小さな地域づくり、への挑戦、とも言えましょう。
伊東さんからは、2ヶ月ほど前に次のような一文が寄せられました。「横浜に公民館がない」ことについての誌上シンポと関連して、短文ながら興味深いものあり、そのうち伊東さんにお会いする折り、その構想を詳しく聞こうと大事に保存していたメール(Fri,
30 Jul 2004
08:28)です。
「…(略)磯子区内に学習活動の拠点を作ろうという話しを地域の人と始めました。少なくとも10〜12は必要なんじゃないかと思います。
既存の施設を活用するのか、空き店舗や住宅を活用するのか、そして何より大切なことは拠点に“伊東”のような人間がいることです!」と。 「空き店舗や住宅を活用」のくだりは、ドイツの自主管理的な社会文化センターづくりの発想を一部想起させるところがありますね。そして、そこに“人”が躍動する必要があるという。大都市のなかでの小さな地域づくりと拠点論、ほんらい公民館とはなにか、の原風景をみる思いです。他方で、立派な公民館の施設をもちながら、また職員も配置しながら、そういう地域へのまなざしをもたない場合も少なくありません。ただ、この磯子構想、どのように実現の道すじをつくっていけるか?
日本公民館学会・定例研究会では、11月8日に磯子区と伊東さんを訪ね、市民の皆さんとも交流する予定です。会場は区役所横の磯子地域ケアプラザ、13:30〜市民の学習グループ連絡会に参加、18:00〜伊東さんの報告と討論。案内はTOAFAECホームページにも掲載しています。参加歓迎! *関連レポート→こちら
★<都市のなかにシマを創る> 1360号(2004年10月22日)
久しぶりに大阪の大前哲彦さんからのメール。前号の中村誠司さん「大都市の中に新しいシマを創る」に触発されて・・・とのこと。横浜の伊東秀明さんへの便りのかたちですが、「南の風」にも届きましたので、掲載させていただきました。
おそらくこのお二人はまだ直接には未見の間柄、風が取りもつ縁です。今年の6月頃、京都「ろばた懇談会」(ろばこん)をめぐって、岡山の美若忠生さんも含め、「ろばこんって何?」などのやりとりがありました(ホームページに収録)。その背景にあったのは、2002年・社会教育研究全国集会(沖縄集会)から始まった集落・自治公民館等の「小地域の学習活動と地域づくり」分科会の取り組み。
今年の会津集会では第19分科会として論議がかわされました。自治公民館等の話題は、とかく沖縄や農山村の固有の形態として限定されがちですが、分科会の世話人として、貝塚の松岡伸也さんや横浜の伊東秀明さんなど都市部の有力メンバーも参加されていて、大都市の状況や実践もまた、岩手・松本・沖縄等の報告と交流し交錯して取りあげられたのです。
いまの生涯学習の流れは、とかく個人の学習ニーズの充足、あるいはその多様な選択・・・といった個別の形態が一般的。しかし、それだけでなく、たとえば学びの共同体づくり、個々の市民が生きている地域づくりの視点、大都市部のなかだからこそ求められている新しいタイプの市民ネットワークへの模索、市民相互の関係性を創り出していこうとする実践、そして、それらへの行政側からの支援、そんな課題がさまざま考えられ始めています。市民の共同と地域づくりへの志向は、農村・都市を問わず、共通の関心事になってきているのです。
中村誠司さん(風・前号)の「大都市の中の小地域に新しいシマを創る課題」とは、そんな動きを意識されてのことでしょう。伊東秀明さんの「メール・マナビン(249)学びあう喜び」の一文もこの点で、たいへん示唆的。大前メールに合わせて掲載させていただきました。
★<鹿児島市の校区公民館> 1391号(2004年12月25日)
…(略)…
鹿児島市の校区公民館について教えて下さい。日本各地の地域犯罪率が激増するなかで、県庁所在地で鹿児島市だけは減少?しているとのこと。それは、鹿児島市が各学校に校区公民館を設置し、若い世代をまきこんで地域のさまざまな活動に取り組んできたことが大きな要因なのではないか、という評価が興味をそそりました。実際に校区公民館の活動映像も紹介されていました。(NHKスペシャル「63億人の地図5」再、12月23日夜)
とくに子どもをめぐる活発な取り組みと市民の積極的な姿勢が(映像で見るかぎり)印象的でした。背景に行政の前向きの施策も動いているらしく、校区公民館制度についての市長の役割も大きいとか。
校区公民館といえば福岡市。しかし、かっての専任公民館主事嘱託化の経過もあり、現在の状況については評価が分かれるところでしょうか。わが故郷・久留米市の校区公民館にも(最近のことは知りませんが)失望してきました。鹿児島市ではどうなんだろう。折りをみて「風」に紹介していただけませんか。
公民館の歴史や職員体制の実態と同時に、地域の古い組織体制(福岡市にみられる、草の根保守主義につながる?)と校区公民館はどんな関係なのでしょう? 薩摩時代以降の独特の地域組織の歴史的背景もあり、興味あるところです。
もし鹿児島市の校区公民館や地域組織について書かれたものがあれば、教えてください。お送りいただければ更に有り難い。
<目次>
1,2002〜2004年→■(本ページ)
2,2004〜2005年→■
3,2006〜2009年→■
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1、分科会設置の意図
この分科会は、自治公民館を基軸としたものであったが、焦点はむしろ「小地域における学習活動と地域づくり」にあった。
都市への人口流入で「隣は何をする人ぞ」という状況が一般化し、農村でも職住分離が進み共同体的生活の大きな部分が崩れた。行政も細分化され、教育行政も狭い「教育」の枠に閉じこもった。こうした状況で生み出されたのが三多摩テーゼに代表される都市型公民館像であった。職員は公民館から見知らぬ住民を眺めた。
しかし一軒一軒を訪ねてみると、チラシ1枚で公民館に駆けつける人々から知るものとは少し異なる生活の様相が見えてくる。解決したい課題も別の角度からみることが出来る。
例えば都市では、SOSを発した人への支援を可能にする仕組みを追求するが、発信できぬ人々を日常的に支えるには、隣人を知り、地域の中に支える組織そのものが必要だ。
社会教育における地域づくりの一つの重要な方法は、小地域での学習活動を基盤にした地域づくりの手法で=つまり、学びや集いや遊びや支えあう日常活動そのものを通じて、この状況を解決する方途を見つけ出そうとするものであった。自治公民館の活動の蓄積は必ず大きな示唆を与えるに違いないと考えた。
時あたかも地方分権が叫ばれつつ、その実、市町村合併(月刊社会教育6月号インタビュー記事で6つの理由を指摘)など、政府の進める“自治体づくり”が多くの行政サービスを合理化しようとしている今、住民がこれをどう受け止め、何を作り上げていくのかが問われる時点で、当分科会は重要な位置を占めるように思われた。
また、職員の側からすれば、都市型公民館でいう“学び”とは異なる学びの概念や手法を提示することにもなろうと考えた。
2、5つの事例報告と討議
分科会では欲張って5本のレポートを準備した。
1つは横浜市磯子区からの報告で、従来の全区民に呼びかけて講座を実施する方式から連合町内会程度の範囲から参加者を募集して実施し、終了後はその地域で学習の輪を広げていくグループを育てる方式へと転換した報告であった。地域に疎遠と思われていた人々が自分の地域で学び、仲間を発見する。学ぶ内容も「昔、磯子に戦争があった」など日常生活の場に引下ろしたものとなり、1つまた1つと生れるグループは個人としての学習の蓄積としてだけでなく地域に文化を形成していく。こうした状況が生き生きと語られた。
2つは岡山県奥津町からの報告で、山村の小公民館が「福祉を考える」学習を契機に多方面な主催事業を続けることによって、地域での子育て、支えあう地域づくりなど狭い意味での教育の枠を超える期待をよせられる状況が生れたこと。公民館事務局に陣取っている役場支所員と共同し「福祉の村づくり」組織等と協力すれば住民の生活と活動を支援するセンターとしての公民館像を描くことも可能ではないかと提起した。
3つは松本市からの報告で、ここでは町内会と一体となった自治公民館(町会公民館)が活動し、また行政的には福祉サイドの地区「福祉のひろば」(福祉の公民館)事業が全市的に展開されていることを踏まえて、@日常生活を支えるコミュニティの基礎組織は集落(町内会、自治会)であることの再確認、A町内会が自治組織であることの自覚とあるべきコミュニティの探求の必要、B福祉のひろば事業を生み出し支えているものは自治公民館活動であること、Cこの自治意識を培う上で地域の歴史や文化を理解することの重要性を指摘し、公民館がどろどろした現実から逃げないことが重要だと強調した。
4つは沖縄県今帰仁村古宇利島からの報告で、村行政の補助執行者と島の自治の執行者としての役割を持つ区長(公民館長)が、高齢少子化が進み中学校が本島に合併され、島と本島を結ぶ橋が完成間近になった今、本島から一番近い“神の島”の「この転換期を島人が主体となってどう乗り切るか、架橋後の島の自然と暮らしをどのように創っていくか」という課題を見据えながら生涯学習のまちづくり事業に取組むようすが語られた。外に働きに出ることが島の暮らし・文化を失うことだという強い思いが伝わってきた。
5つは京都府久美浜町からの報告で、自治会と一体になって組織されている自治公民館の持続的な発展のために教育委員会が実施している「公民館基礎講座」の取組みについてであった。特徴的な取組みの交流、地域にあるさまざまな「資源」の調査=自覚化の試みなど、館長・主事(いずれも非常勤)が交替しても活動が継続できるよう支援している努力が語られた。自治公民館が持つ底力を信じている姿が見えた。
これらを受けた討論では、結論から言えば
@ 小地域で学ぶことについて若干の質疑や意見交換がなされた
A 地域の歴史・資源を取り上げた学習活動が注目された
B 自治公民館の活動そのものの実情は必ずしも多く語られなかった
C 従って、参加者から自治公民館そのものについて検討する必要を訴える発言も出た。
事例報告の数・範囲を広げたことが討議の焦点を絞りにくくさせたかもしれない。
3、この分科会ののこしたもの
自治公民館が主役となった分科会は、昨年の沖縄集会に次いで2年目である。まだ問題の所在を確かめつつ多くの実践を知る段階とも言える。成果は今後に待ちたい。
岡山県内からの参加は少なかったが、岡山市からの参加があった。第15分科会で住民の意向・意識調査を試みながら地域の課題に迫っていく実践報告があったことを知った。
私の町では、公民館に常勤職員を置いて(或いは支所職員の仕事の中心を移して)3つの公民館を「住民の生活を支え、地域の諸活動を励まし、地域づくりを進める拠点」にしていくことが、教育委員会事務局・館長会で合意された。その成文化の作業に入って、都市公民館のイメージや社会教育概念がどうしても拭えず、自分でも困っている。しかし、方向は見えた、と感じている。
■2004年・全国集会(猪苗代集会)『自治公民館分科会』の集会要項記載原稿案
(美若忠生、2004年5月)
分科会名 自治公民館その他による小区域を基盤とした学習活動と地域づくり
趣 旨 人々が日常的に支えあうことが可能な小区域で、暮らしを考えあい活動を組織していくことが今日ほど重要な時はないように思われる。
自治公民館、自治的運営の地区館、教委、NPO法人などが、小地域を基盤にした行事、いのち・暮らし・子育て・文化・仲間づくりや地域おこし等々に取り組んでいる。それらは地域の自立と自治をはぐくむものであった。
当分科会は名護集会以来3回目。各地の事例を交流しながら、その意義を確認し展望を探りたい。持込みレポートを歓迎したい。
世話人 小林文人 bunjin-k@js4.so-net.ne.jp
星山幸男 yukio@tfu-mail.tfu.ac.jp
遠藤知恵子 endo@asaigakuen.ac.jp
松岡伸也 matsuokasm@rinku.zaq.ne.jp
伊東秀明 hide-itou@mug.biglobe.ne.jp
矢久保学 manabu_yakubo@city.matsumoto.nagano.jp
柚野裕正 h_yuno@town.bisei.okayama.jp
美若忠生 miwaka-t@mto.town.okutsu.okayama.jp
■2004年(第44回)社会教育研究全国集会・第19分科会
→第44回集会関連(別頁)
討議の進め方
第19分科会:自治公民館・小地域での学習活動と地域づくり
1 これまでの経過
「自治公民館・小地域での学習活動と地域づくり」分科会は、名護集会、岡山集会に続いて3回目である。
名護集会では、沖縄の現地で字公民館の優れた実践に学ぼうと発意され、同じく優れた地域活動を創り出してきた長野県の実践がこれに加わったが、この報告と討議は、2つの点で波紋を広げた。1つは、自治公民館の活動方式と長年にわたる実践によって培ってきた住民の自治的諸能力は、地方分権・地方財政の逼迫と行政の合理化に対応する地域の自立的発展を考える上で極めて重要な位置を占めるであろうということ。2つは、全国各地に自治公民館や同方式(或いは自治的に運営される公民館)がありながら、その実践を確かめ、継続して研究討議する場がほとんど無かったことに気付かせたことである。
岡山集会では、自治公民館の活動と小地域での学習活動を同じ土俵(俎上)にのせることとし、農山村、地方都市と共に公民館の無い横浜市での小地域学習の実践も報告された。
そこでは、自治公民館・小地域での学習活動は暮らしを支え地域の自立を希求する文化的風土をはぐくむものであり、改めて、住民が日常生活圏で交わり・祭りや行事を行い・自治とは何かを自らに問いかけつつ課題解決に向けて取り組むことの重要性を認識させるものとなった。
しかしまた、市町村合併、行政の統合・合理化の中で、「自治公民館・小地域での学習活動と地域づくり」が、行政施策上どのような位置を占め、公的社会教育の全体像をどう描いていくか等にも関心が寄せられながら討議を深められなかった。
2 今集会での課題
私たちは、この分野での各地の経験を互いに学び、もっと豊かにしていかなければならないと考えています。岩手県川崎村の実践、長野県松本市神田町会の実践から、その経験を学び、共通の財産にしたいと思います。
私たちはまた、各種の研修や研究集会の場で語られることの少なかった「自治公民館・小地域での学習と地域づくり」の今日的な意義を、歴史的経過も踏まえて学べる機会にしたいと思います。小林文人世話人の特別報告を予定しています。
そして時間の許す限り、今日の厳しい合理化に抗して、住民と職員等が力をあわせてどのような公民館(体制)や地域社会教育を創りあげていけばよいのかについて、語り合える分科会にしたいと思っています。
3 今後に向けて
この分野での実践は、各地に優れた取組みがありながら、まだまだ掘り起こして共通の財産にするところまで至っていません。そこで、向こう2年間を目途に実践を発掘し、必要な検討を加えて冊子としてまとめたいと考えています。
そのためにも、当分科会の今後のあり方についても積極的な意見や提案を期待しています。
報告
1,松本市神田町会のボランテイア活動(永野幸男)→以下・別頁・こちらを■
2,
3 学習グループと地域講座を結びつける
(1) 健康講座構想
ステージ21自治会主催の学級・講座で「治療から予防へ」をテーマにした健康学習会を行いました。磯子区には160の自治会・町内会がありますから各々の自治会・町内館でそれぞれ1回づつ健康講座(地域講座)を開催するとなると160の学級・講座を開設することになります。
160の学級・講座を開設するためには身近に講師陣を育てることが必要だと考えて、健康講座を開設するときに問題提起のできるような内容を学ぶ学習グループづくりを始めました。「介護と痴呆を学ぶ」という学習グループは筋肉を鍛える体操を学びあったり、つまずかいない家造りを学んだりしています。「貝原益軒の健康思想を学ぶ」という学習グループは古文書で貝原養生訓をよみ、江戸時代の儒学者が考えた予防の知恵について学び、健康学習会(地域講座)が開設されたときに話題を提供できるように準備を始めています。
(2) 大震災に備える
大震災が起きたとき助けてくれるのは隣近所の人だ、近所付き合いがみんなの命を守るという考えに基づいて1年間学習を続けてきたグループがあります。
現在「区」全体を対象にした学級・講座を開設して、受講者の中から地域講座を開設する人づくりに取り組んでいます。*以下、当日報告資料参照
1)自主事業が公民館への期待を生む
公民館活動グループ(趣味、習い事等)や団体への会場提供だけだった公民館で、せめて図書室の活用を図ろうとしたのが平成10年だった。
平成11年には連続学習「福祉を考える」を行い、平成12年には、神社のお田植祭に歌う田植唄の練習会、男性の料理教室、町のふれあい祭りでの「陶芸家 清兵衛遺作展」、小正月の民俗用具「てっちりこ」商品化への協力へと広がった。公民館が思い切って一歩を踏み出したことが、住民の間に公民館への期待を生み出した。
この経過の中で2つのことが重要だったと感じている。1つは、地域福祉をどうするかに取組んだことである。2つには、田植唄の練習、文化の掘り起こし、男性の料理教室など、住民から声を取り入れて幅広く事業を実施したことである。住民の抱える課題から逃げ出さず、声を受け止めることが大切だったと思う。同時にこの間、積極的に事業ができない期間が続けば、住民の公民館への期待(量も内容の幅も)は、潮が引くようにやせ細ることも実感した。
2)協力者集団の存在
羽出公民館の職員は非常勤(勤務日のない)館長のみである。一人ではほとんど何もできない。少しずつでも自主事業に取組めたのは、数名の協力者があったからである。企画の相談から実施に至るまで協力する集団は、(運営組織の設けられていない場合は特に)公民館の重要な財産である。運営組織を設置するか、協力者組織をどうするかは、じっくりと検討したい。
当面必要としているのは、例えば、子ども広場の企画運営の協力者であり、町村合併や農水省が推進する認定農業者への農地集積施策等に対応する地域づくりの検討・学習を企画運営する協力者である。こう考えると、長期的に取り組もうとするテーマや事業ごとに協力者が組織できることが望ましいともいえる。
3)地域づくりと公民館
羽出公民館の事務室は役場支所となっていて、町民福祉課の職員が勤務している。扱う事務量は多くない。公民館や隣接する「ふれあいの里」施設の使用申込み、鍵の受渡しもする。地区には「高齢者福祉の村づくり協議会」その他があって、さまざまな活動や住民支援事業を検討する時、連絡センターが問題となる。
役場支所が公民館内に設けられているのは幸いと言うべきで、役場と職員がその気になれば「住民活動(支援)センター」に発展させることは今すぐにも可能と思われる。
実際生活に即しながら地域の課題を検討・論談して新しい郷土建設の拠点となることをめざした初期公民館の姿が目に浮かんでくる。
2 自治組織としての自覚
一昨年の暮、突如として松本市の自治団体に激震が走りました。それは、戦後最初の区画整理事業で誕生したM町会(世帯数946)が所属の地区町会連合会を脱退して新たにM地区町会連合会として独立を宣言し、市町会連合会と市行政に通告したからです。
これは、自治組織であるはずの町会や町内公民館にとっては勿論のこと、行政にとっても極めて重大な事でした。何故ならば、従来松本市は行政合併の経過もありまして、行政の基盤を地区(29)に置き、その地区と地区町会連合会の区域が同じで、行政施策はすべてこの地区中心に行われてきたからです。
したがって行政の協力組織でもある町会や公民館は支所・出張所と同一管内にあって市の事務事業を執行するのに好都合であったわけです。更にハード面の施設も地区中心に設置され、主な施設である支所・出張所は勿論のこと、地区公民館、体育館、児童センター、福祉ひろば等拠点的なものはすべて地区毎に設置されてきました。
仮に従来どおりの考え方ですと地区が一つ増えたことになり、市の長期計画を変更しなければいけませんし、財政的にも負担が大変となります。
市町会連合会としては、町会数が増えるだけで会則上に問題はありませんでしたが、行政と整合する必要から、市へ審議機関を設置して検討するよう要望しました。結局、市では「松本市地域コミュニティー懇話会」を立ち上げ、「地区町会連合会及び単位町会設立の要件等について」を諮問しました。委員には、町会関係をはじめ主な組織団体代表、議会及び行政代表、大学教授などが選出され、精力的に審議し今春漸く回答書が作成されました。
要約して申し上げますと、
1 住民自治の任意組織である単位町会・地区町会連合会と行政施策の基盤組織としての地区・町会を区分すべきであること。
2 地区町会連合会の設立等は、当該する地域の町会・地区の住民による民主的な合意形成と市町会連合会の承認と行政との調整等一定の手順が必要であること。
となりました。この回答書を議会や関係団体で審議し、漸く決着をみました。
問題提起から2年近く経過しましたが、その間、町会にとって「自治組織とは何か」との自問の機会であり、組織を再認識する良い機会となりました。行政にとっても自治組織は行政の下部組織ではないとあらためて認識したと思います。
3 地域福祉は町会福祉から
介護保険制度が施行されてから福祉の分野も大きく地域にシフトされ、地域福祉が叫ばれております。しかし、地域とは一体どの区域を云うのかはっきりしません。
私は地域福祉は新たな共同体づくりだと思います。したがって、集落に拠点を置き、集落共同体として活動することが地域福祉の原点でなければならないと考えます。とかく集落共同体は崩壊したとか、機能していないと言われますが、従来の共同体は農村地帯にみられたように、就業構造が共通していてその面のニーズが一致していましたが、現代は全く違っています。しかし、「人間として生きる場」としての環境、教育、福祉等共通したニーズがあります。
これを柱にして共同体づくりをすすめることが町会・公民館の使命ではないでしょうか。公民館活動も広い意味では地域住民の福祉に繋がると思います。
かって私は農協の組合長をやっておりました。あるとき役員室へ私の集落の面々がきまして、突然「集落水稲生産組合の組合長をやってくれないか」と詰め寄られました。実は農協の生産方針で集落営農をかかげて生産集団の組織化を推進していましたが、なかなか運営がうまくゆかなく崩壊寸前だったのです。その時、冗談まじりに、「トップとして号令をかけているだけでなく、1万人の組合長をやっているんだから集落生産組合60人の組合長が兼務できない筈がない」と言われました。私は考えてみましょうと返事をして、結局8年間生産組合長をやり何とか軌道にのせました。この経験は私の集落に対する理念を大きく変えることになりまして、私のライフワークは集落活動だと自分に誓ったのでした。その後農協の組合長をやりながら町会に関わり、町会長職も引き受けることになりました。
さて、私達の町会では、町会福祉の事業を松本市の社会福祉協議会蘇我分会としての事業として取り組んでおります。それは、町内の各団体が自由に参加できるように別組織にしたのです。
構成は、町会役員、公民館役員、民生委員、高齢者クラブ、健康づくり推進員、ボランティア、衛生部役員、ひろばを支える会等で、事業は出前ふれあい健康教室、敬老会、配食サービス、送迎ボランティア、介護相談、雪かき等です。いずれ町内公民館が推進役となることを期待しています。顔のみえる範囲で支えあうことが地域福祉の目指す目標だとするならば、町会福祉こそが町会や町内公民館の共通のテーマでなければならないと思います。
4 おわりに
昨年、和田地区ひろばの会議で、福祉ひろばの歌を作り意識を盛り上げようと言うことになりました。挙句に私が作詞し小学校の先生に作曲してもらいました。それが「ひろば音頭」です。今年は松本市の福祉イヤーで振り付けをして踊ろうと張り切っています。
歌詞は
1 つらい思いや体のいたみ いやしてくれる
やさしいひろば ひろばよいとこみんなの
ひろば 苦労かさねた仲間がつどう
和田のひろばは ソーラソラソラ
いいひろば
2 田面をわたるそよ風に こころとけあう
たのしいひろば ひろばよいとこみんなの
ひろば なつかし歌声 静かにひびき
(以下くりかえし)
3 年をわすれて夢中になって ピンピンコロリ
の夢かたる ひろばよいとこみんなの
ひろばゲーム体操 おどりに手芸
4 ほっと一息茶をのんで そうずらこうずら
おしゃべりはずみ ひろばよいとこみんなの
ひろば 至福の笑顔で肩たたく
こうして歌い踊る姿に地域福祉の素顔をみる思いがします。いま福祉ひろばは、松本市の介護予防の機能を生かす拠点であると同時に、若者から高齢者までが集い、地域を、集落を考えるみんなの広場として大きく飛躍しようとしています。これは、本来公民館が目指すべき方向とも言えましょう。
町内公民館活動は、町会活動とは違い、地域課題に対し、地域住民の参加、参画によって息の長い研究や検討ができるのが強みであり、まさに生き甲斐のある事業であります。
また集落の歴史や地域住民のニーズを捉え、気楽に話し合い、自らの足で大地を踏みしめながら住民としての意志を結集して新たな共同体づくりの先頭に立つべきものと考えます。
レポート発表
【横浜】従来の16万区民を対象にした講座ではなく,小地域での学習活動を基本に考えようとして取組んだ。郷土史への興味が非常に大きいことに注目した。受動的でなく,グループの討議ができる形で講座ができていった。パソコン講座では受講できなかった人を対象に受講経験者が補助指導者で補講を実施できた。学習の様相も一変した。大都市だから大きな範囲という考えが無くなった。学習コーディネーターを養成しようとしている。学習グループ連絡会もできた。そこから要求の掘り起こしが進めばすばらしい。
【奥津】公民館長は勤務日なし。行事中心の活動にならざるを得ない。「福祉を考える」学習から始まった自主事業も5年目,「男性の料理教室」「ふるさとの昔ミニ写真展」「羽出の雛祭り」など,地域の生活に即した活動ができはじめた。また,高齢者福祉の取組と連携して支えあう地域づくりを進める条件も生れつつある。
【松本】「町会福祉」の活動を通じ、公民館が集落を原点とする本来の活動ができていないことに気がついた。蘇我町会では、昔かららの大切な規約等が入った箱を会長に引き継ぐが、福祉事業など、今に通じるものがそこにあった。松本市では他区の独立問題から地区とは何かが問われ、地区振興計画を住民と行政が話しあう季刊ができた。地域福祉は新たな共同体づくりであり、公民館が主体となった福祉活動を展開しなければならないと考える。
【今帰仁・古宇利島】名護から橋が架かる。完成までに多くの処理しなければならない問題がある。島に祭りがあって総合学習で取り組んで参加させている。自然がとても豊かなところ。祭りと共に生活がある島。授業も大事だが島の文化を知ることが大切なこと。字史づくりを進めているが,橋の完成までに作り直そうとがんばっている。“島の中で守りたいもの”があって「生涯学習の町づくりモデル事業」で取り組んでいる。
【久美浜】役員が短期間で交替し自治公民館の活動が形骸化しがちなので,「公民館活動の基礎講座」を実施している。実践事例の交流,学校と連携した地域の子育ての検討,地域の資源を発掘して活動に取入れるための調査なども行った。自治公民館の実践例では,区史の編纂,河童祭りなどがある。自治公民館活動の役割は大きく,町村合併後も存続させる考えである。
《助言》5つの事例に,いずれも地域の歴史のことが出てくる。歴史を取り上げるのは単に昔を調べることではなく,現在を知る活動でもある。地域史は学者には書けない。自分たちが書かなければならない。みんなで創っていくことの意味が重要であり、「地域づくり」の視点と共通認識できる活動である。
意見交換
@伝統ある祭りを継承することが難しくなった。正しい歴史を知ることが大切なことを引き継ぐために必要。意識しないと大切だと思えない。
A課題が見えると人とのつながりが必要になると思うが,どう切り出すか。
B地域を考えるきっかけを作りたい。市町村合併問題は,基本的にこの地域をどうするかということ。
C公的公民館の活動と自治公民館の活動の違い。「自治公民館」という分科会を設けてほしい。「自治(的)」で議論することは難しい。
D条例設置とそうでない公民館もやっていることは同じようなこと。利害関係が生じるときに行政の責任は如何にするのか。
E公的公民館でないものが自治公民館ということだろうが,それが活動の本質に違いが生じる要因なのかどうか。
F学習者支援が公的かそうでないかは問題ではない。活動をする人の問題。
G暮らしや文化を見つめ直す活動が自分たちの地域を見直す方法だと思う。
H福祉活動にどう取り組んでいるか聞きたい。現状は,自治公民館が行政が行う活動をこなすことが精一杯で地区の行事に取り組めない。
I町内会の歴史をどう残していくかということの知恵を会員に募集している。
J若者を引き込む手法は何かを,大人が考えなければと思う。
K地域の掘り起こしには公民館活動が重要だと思う。語り合える公民館を作りたい。
L組織形態がどうであろうが意識に違いはない。住民にどう理解してもらえるかが大切。体質を変える時期にきている。
M小範囲でやるからお互いに見えるのではなく,みんなが理解するという状況を作る。
まとめ
この分科会は,自治公民館だけではなく小地域という表現がある。同じ自治公民館でも違いがある。地域的個性がある。自治とは何だ。地方自治法にいう自治ではなく本当の意味での自治を考える必要がある。コミュニティの概念は個々に理解すればいいこと。社会学的近代自治ということが言われている。しかし,今,地域の自治の再生へ挑戦をしていかなければならないし,大きな課題。@与えられた自治ではなく内発的発展論(キーワード)A本当の意味での自治B子どもと若者の問題は切り離して考えられない。C自治の問題は地域の歴史や文化と非常に関わりを持つ。D公的セクターとして(公民館,社会教育)を考える。無くてもいい自治公民館にしない。
〜呼びかけを行って閉会〜
★小さな地域共同体の自治をふまえた生涯学習を・歴史を・広げていこう!
★一度沖縄に行こう!
★来年もこの分科会を続けよう