杉並の公民館・原水禁運動(安井家資料)研究・資料
        
(1980、2002〜2006〜2009 小林文人)

                ○杉並の市民活動・社会教育を記録する活動→
               
  ○安井資料研究会・日程・経過・文献年表→
                ○原水禁運動(安井家)資料研究会→(外部リンク)
                ○杉並公民館(存続させる会)アルバム→


 <目次>

1, 杉並区立公民館を存続させる会『歴史の大河は流れ続ける』第1集「解説」(1980)
2, 「歴史の大河は流れ続ける」のこと−田中進さんの思い出(1993)
3, 杉並公民館に関する研究文献・資料リスト(2003)
4, 杉並の社会教育・公民館50年の歩み(レジメ、2003)
5, 杉並の社会教育を記録する運動について(対談レジメ、2004)
6, 杉並の公民館50年の意味するもの−解題として(「学びて生きる」所収、2003)
7, 市民にとってのデーターベース化−その可能性(研究会レジメ、2005)
8, 原水禁運動(安井家)資料研究会の1年(2006)
9, 安井家資料研究と沖縄問題(2006)
10,『ひたすらに平和願えり』 2008年・この1年、研究会記録 (2009年2月25日)
11,『原水禁署名運動の誕生』(丸浜江里子、凱風社)出版をめぐって(2012年2月25日)
12,






 杉並区立公民館(1989年閉館当時、このあと解体された) −19890223−   


『ひたすらに平和願えり』安井家資料研究会2008年度報告書 第50回研究会(20090419)→■





(1)『歴史の大河は流れ続ける』(第1集)「解説」(19804

         *杉並区立公民館を存続させる会・発行
          『歴史の大河は流れ続ける』(第1集〜第4集、1980年〜1984年)

 この資料集の標題「歴史の大河は流れ続ける」は、杉並公民館<公民教養講座>(1954年4月26日〜1961年6月16日)における安井郁(名誉)館長の連続講演「世界の動き」最終回のテーマである。この標題は、もともと読書会「杉の子会」のテキスト『新しい社会』(E.H.カー)にながれる一つのテーマでもあった。
 私たちはこのたび、杉並公民館そして地域の文化運動の歴史を記録するにあたり、このテーマを継承し、資料集第1集に、あらためてこの標題を掲げることにした。
 その安井郁先生も、すでにこの世を去られた。私たちが杉並公民館の歴史にかかわってこられた方々の証言・聞き書き活動を開始し、そして、この第1集刊行の計画を進めていたさなか、3月2日のことであった。一度、せめて一度、安井先生から直接にお話をうかがいたいという私たちの悲願も、遠い夢となった。残念なことであった。
 私たちはただ哀悼の意を表しつつ、公民館の創設と地域平和運動・文化運動に大きな足跡をのこされた先生の意志を復元する努力を続けるほかはない。結果的に本資料集は、先生の追悼集ともなってしまった。 
 東京の社会教育には“歴史”がない。歴史の事実そのものは、かけがえのない歩みとしてあるが、それが実質的に記録された“歴史”がない。日本の(戦後)社会教育のなかでも大きな空白となっている。
 東京の社会教育の歴史とともに、そのなかでの杉並の公民館の歴史もまた、日本の他の
どの公民館と比べても比べることができないほどの歴史をもっている。それは日本の公民館史のなかでのあざやかな1頁とといってよい。しかし、その“歴史”もいままで綴られることがなかった。 
 杉並公民館の独自の歴史、その歴史を綴ることの意義については、私たちの研究会で5点ほど話しあったことがある。すなわち、(1)公民館制度をもたない東京都区部のなかでの例外的な公民館であること。(2)原水爆禁止運動との結合、(3)注目すべき「教養講座」の展開、(4)図書館と公民館の併設、(5)安井郁の館長就任、などについてである。
 しかし杉並公民館の創設からわずか四半世紀を経過した現在において、すでに記録は散逸し、歴史は風化しつつある。しかも、杉並区の基本構想によれば、このかけがえのない歴史をもった公民館を廃止しようとする計画さえ進められている。私たちは、「杉並区立公民館を存続する会」の運動とも結んで、杉並公民館の歴史を記録する作業を急がなければならないと考えた。
 この第1集では、私たちのこれまでの資料収集・聞き書き活動のなかから、基本的なもののみ選んで収録した。
 公民館「教養講座」の復元表はまだ不充分な箇所を残しているが、あえて不充分なまま収録することにした。関係者のご協力をえて、こんご空白部分をうめていきたいと考えている。
 資料集としては、引き続き第二集(証言集1)、第三集(証言集2)、第4集(行政資料集)などの編集・刊行の計画を進めている。内容の面でも、基金の面でも、区民の多くの方々のご参加ご援助をお願いしたい。(東京学芸大学教授 小林文人)



(2)
「歴史の大河は流れ続ける」のこと−田中進さんの思い出

               
       「田中進追悼の集い」パンフ  1993年

 最初に田中進さんと会ったのは、いつのことだったのか、どこだったのか、正確に記憶していない。おそらく1970年代の後半、杉並でのなにかの学習会だったのだろう。それから去年まで、ときどき、あちこちで会った。若者のつどい、武蔵野市の公民館を考える集会、自治労が二つに別れる前の全国自治研などなど。彼はいつも、少しはにかむように、あのやさしい眼でにっこりと笑いかけてくれた。思い出はいろいろある。なつかしい限りだ。
 そのなかで比較的に頻繁に会った一時期がある。杉並の公民館を廃止しようという当局案にたいして、それに反対し「公民館を存続させる」運動が取り組まれた時期である。伊藤明美さんたちや、病中の安井郁元館長を看護しつつ出席されていた田鶴子夫人などに伍して、私たちの研究室もこれに参加した。その集いや学習会などの席で、よく彼に会った。
 実はその少し前から社会教育研究者のなかでは、原水爆禁止運動の発火点となった杉並公民館の貴重な歴史が、資料的にも実践的にも風化・埋没しつつあり、これをなんとか復元し広く語り継ぐ必要が痛感されていた。その折りに公民館廃止論が出てきたのである。調査活動のなかでは、当時まだ大学院生であった園田(現・平井)教子が年表を復元し、安井郁の思想と実践に新たな光をあてる作業に没頭した。収集できた資料を順次に公開していこうというわけで編集されたのが「歴史の大河は流れ続ける」?(1980年)であった。
 文字通り手作りの資料集である。この号(「解説」は私が書いている)ではまだ田中進は中心でなかったと思うが、しかしその後の続号U〜W(1981〜84年)の刊行について、文字通り縁の下の力持ちの役割を果たしたのは田中進であった。彼がいなかったら歴史復元の貴重な刊行活動は完成出来なかったに違いない。この資料集は、おそらくいつまでも「生き続ける」だろう。
 その後の集会などで、この「歴史」をかついできて、あの笑顔で頒売していた田中進を思い出す。ああ、彼も「歴史の大河」を歩んでいるな、と思った。(小林文人)
    「田中進君を偲ぶ集い」実行委員会編「呼びかけよう僕等の夢を」(1993年10月)所収




(3) 杉並公民館に関する研究文献・資料リスト (2003年7月)

1,東京都公民館連絡協議会発行『東京の公民館30年誌ー基礎資料編』
  (都公連創立30周年記念事業、同編纂委員会、1982年)
  東京都公民館連絡協議会発行『都公連公民館白書』(1988年)
2,東京都教育史編纂事業『東京都教育史』戦後編
  (通史編四、東京都立教育研究所発行、1997年)
3,杉並区立公民館編・発行
  『公民館の歴史をさぐるー1954年〜1989年ー三十五年間の記録』(1989年3月)
  『公民館の歴史をたどるー閉館記念行事』(1989年3月)

4,杉並区立公民館を存続させる会編『歴史の大河は流れ続ける』
    第1集(B5版、36頁、1980年4月)、第2集(B5版、56頁、1981年5月)
    第3集(B5版、83頁、1982年8月)、第4集(B5版、149頁、1984年8月)
 <目次>
  @第1集ー杉並公民館の歴史
  
   はじめに(伊藤明美)
     民衆と平和(抄)(安井郁)
     安井田鶴子氏に聞く(横山宏,「月刊社会教育」1979年2月号より再録)
     公民教養講座(1954年〜1961年、園田教子)
     関連年表(園田教子)
     おわりにー解説(小林文人)
  A第2集ー杉並公民館の歴史(2)
  
   特別区の社会教育ー民主社会の基礎工事として(安井郁)
      幻の原稿(解説・安井田鶴子)
     杉並公民館で開かれた安井郁先生最後の教養講座
        ー1962年6月16日の日記を見て(斉藤鶴子)
     杉の子読書会について(島原スミ)
    <インタビュー>杉並の社会教育実践ー初期公民館をふりかえりー
               (樫村嘉治ー聞き手・伊藤明美、園田教子)
     解説・いま歴史の流れをうけつぎながら(園田教子)
     関連年表(1945年〜1962年)
  B第3集ー杉並公民館の歴史(3)
  
   社会教育の基地(安井郁、「月刊社会教育」1958年6月号より再録)
     公民館成立の前後(菊池喜一郎、松田良吉、中村幸雄、橋尾勇、文責・田中進)
    <座談会>杉並公民館初期青年学級をふりかえって(記録する会、藤本俊司)
     <鶴見和子氏にインタビュー>綴り方運動をめぐる婦人の移り変わり
                           (文責・伊藤明美)
     安井郁館長の戦前・戦後ー細谷千博氏へのインタビュー(文責・園田教子)
     杉並図書館の前史ー畔柳哲男氏に聞く(文責・園田教子)
     公民館設置に関する審議経過(杉並区議会定例会速記録)
          昭和27年4月16日、5月30日(臨時会)、8月27日
          昭和28年3月、10月(条例審議)
     戦後杉並の社会教育概観(生野忠志)
     解説ー歴史の流れを未来に向けて(安井田鶴子)
     編集経過報告
  C第4集ー原水爆禁止署名運動の関連資料集
  
   水爆禁止のための署名簿
     杉並アピール
     原水爆禁止署名運動杉並協議会に関する記録
      1,魚商組合陳情ー原水爆禁止署名運動の前史として
      2,水爆禁止署名運動杉並協議会発足
      3,第一回実行委員会開催ー区議会議長、教育委員らの協力及び新聞発表
      4,署名運動杉並全区への拡大ー隣接区への拡大、第二,三回実行委員会
      5,運動は全国的なものに
      6,原水爆禁止世界大会にへ向けて
      7,杉並区議会議事録
     証言ー菅原トミ(魚屋)、飯野カク、小沢綾子、大塚利曽子(婦人団体)
     昨日の風はビキニの灰を運び、今日の雨は放射能を帯びる
     牧田喜義氏の手記(「改造」1954年9月号)
     原水爆禁止運動の論理と倫理ー歴史的社会的条件の尊重(安井郁「民衆と平和」)
     新聞記事(スクープ「読売新聞」1954年3月16日朝刊等)
     歴代公民館運営審議会委員名簿
     解題ー杉並区における原水爆禁止署名運動と公民館の歴史について(田中進)
     付ー参考・引用文献一覧
     原水爆禁止署名運動関連年表
     編集日程、編集後記
   *杉並区立郷土博物館は「歴史の大河は流れ続ける」第4集収録の資料をベース
     にして原水爆禁止反対署名運動についての特別企画展を開催した(1994年)。

5,伊藤明美「杉並区の公民館存続運動」(月刊社会教育 1979年9月号)、
      同 「歴史の大河は流れつづけるー杉並の公民館を守る私たち」(同 1981年1月号)
6,田中進「杉並公民館と原水禁運動の歴史」ドキュメント社会教育実践史Z
                     (月刊社会教育 1991年5月号)
7,杉並区女性史編さんの会編『杉並の女性史』(ぎょうせい、2002年)
  地域女性史をつくる会編・発行『杉の子読書会で学んだ女性たち』
                  (会誌第1号、2003年6月)
8,杉の子読書会「杉の子」全12号
  (@号1954年12月〜J号1964年5月、K号1969年6月)復刻、私家版
9,園田教子「都市公民館論ー東京都杉並区公民館・安井構想について」1983年
                      (東京学芸大学・修士論文)
10,安井郁・追悼集『道―安井郁・生の軌跡』
              (同刊行委員会編、法政大学出版会、1983年)
   2章 社会教育
    @「理想の小社会を」(桃井第二小学校 PTA 機関誌『桃友』1953年)
    A「特別区の社会教育ー民主社会の基礎工事として」(『区政春秋』1954年)
    B「杉の子会」bP「一周年を迎えて」1954年、bR「腰をおろして」1955年、
      bV「何のための読書か」1959年(読書会会報『杉の子』所収)
11,安井郁『民衆と平和ー未来を創るもの』(大月書店、1955年)
      「地域活動と民衆教育ー平和運動の地盤を固めるもの」
       「杉並からヘルシンキまでー原水爆禁止署名運動の発展」
12、横山宏・小林文人編『公民館史資料集成』(エイデル研究所、1986年)
      「原水爆禁止運動と公民館」の項
13,小林文人「公民館の50年ー地域的な創造の歩みと可能性」
                  (『月刊社会教育』1995年12月号)
14,小林文人「東京23区の公民館−資料解題」東京都立多摩社会教育会館・発行
       『戦後における東京の社会教育のあゆみ』1(通巻10, 1997年)所収
15,内田純一「地域社会教育施設のネットワーク」小林文人編『これからの公民館
          −新しい時代への挑戦』(国土社、1999年)所収
16,斉藤尚久「杉並公民館廃館後にみる社会教育の展開」藤田秀雄編『ユネスコ学習権
          と基本的人権』(教育史料出版会、2001年)所収
17,遠藤輝喜「大都市における公民館」日本社会教育学会特別年報『現代公民館の創造』
         (東洋館出版社、1999年)所収
  


(4) 杉並の社会教育・公民館50年の歩み
(メモ)
     
   (2003年11月10日 「公民館を語ろう」報告)

1,時期区分−公民館の歩みから
       T. 1945〜1953 戦後初期・文化運動、PTA等(公民館設置前)
       U. 1954〜1962 杉並区立公民館・安井郁館長「公民教養講座」 
       V. 1963〜1972 移行期、講演と映画の会など
       W. 1973〜1988 市民企画「教養講座・公民館講座」、自主グループ
       X. 1989〜 現在 セシオン杉並       
2,杉並公民館・安井構想  
 ・民衆教育(民衆とともに学ぶ)の基地としての公民館
           *文部省・寺中構想に関して
 ・国際的視野と社会科学の学習、『歴史の大河』の視点
 ・地域へのまなざし、女性の学ぶ(「杉の子会」)
 ・社会的運動への取り組み(原水爆禁止署名運動)
 ・公民館と図書館の結びつき
3,第W期・市民企画「講座」づくりの躍動
 ・「教養講座の生いたち」1972〜1973〜1975年
 ・文庫運動など「母親たち」と図書館・公民館との出会い              
 ・市民主導の講座づくり、その積み重ね(15年)
 ・「公民館から巣立った」さまざまの市民グループの胎動
 ・多彩な取り組み(まつり、合宿、保育等)、記録の作成
 ・行政側の対応−市民企画の尊重と支援
  「継続性」と「計画性」の歩み
 ・公民館事業の“発達論”
4,社会教育センター(セシオン杉並)への継承と発展の課題
5,残された課題−杉並の社会教育を記録する
(1)第T期の地域文化運動、PTA活動の資料収集
(2)第U期・安井家所蔵の資料整理
(3)第V期・講演と映画の会、地域の教育文化運動(文庫運動)
(4)第W期・市民主導「教養講座・公民館講座」の資料・証言
(5)第X期への「継承」と「発展」




(5) 杉並の社会教育を記録する運動について
(対談メモ)
  
      地頭所冨士子さんと(2004年2月27日、TOAFAEC研究会) 

1,杉並公民館に関する主要文献・資料
 ・東京都公民館連絡協議会発行『東京の公民館30年誌ー基礎資料編』(1982年)
  東京都公民館連絡協議会発行『都公連公民館白書』(1988年)
 ・東京都教育史編纂事業『東京都教育史』(通史編四、東京都立教育研究所、1997年)
 ・杉並区立公民館発行『公民館の歴史をさぐる』、同『閉館記念行事』(1989年3月)
 ・杉並区立公民館を存続させる会編『歴史の大河は流れ続ける』1〜4、1980〜1984
 ・杉並区女性史編さんの会編『杉並の女性史』(ぎょうせい、2002年)
  地域女性史をつくる会編『杉の子読書会で学んだ女性たち』(会誌1号、2003年6月)
 ・園田教子「都市公民館論ー東京都杉並区公民館・安井構想について」1983年(学大)
 ・横山宏・小林文人編『公民館史資料集成』(エイデル研究所、1986年)
 ・小林文人「東京23区の公民館−資料解題」東京都立多摩社会教育会館発行『戦後に               おける東京の社会教育のあゆみ』1(通巻10, 1997年)
 ・内田純一「地域社会教育施設のネットワーク」小林編『これからの公民館』(1999年)
 ・遠藤輝喜「大都市における公民館」社教学会特別年報『現代公民館の創造』(1999年)
 ・杉並の社会教育を記録する会編『学びて生きる−杉並公民館50年』(2003)*目次
2,杉並公民館の歩み−時期区分
   T. 1945〜1953 戦後初期・文化運動、PTA等(公民館設置前)
   U. 1954〜1962 杉並区立公民館の開館、安井郁館長「公民教養講座」 
   V. 1963〜1972 移行期、講演と映画の会など
   W. 1973〜1988 市民企画「教養講座・公民館講座」、自主グループ
   X. 1989〜 現在 セシオン杉並       
3,杉並・高井戸の図書館・文庫の歩み(略史)
  ・1950 杉並図書館−都から区へ移管
  ・1952 荻窪へ移転開館、安井郁館長就任
  ・1968 子ども図書館くがやま文庫、1971(高井戸)ムーミン文庫など 
    *「すぎなみ文庫の15年 ’77〜’92」(1993年)
  ・1972 (公民館)児童文学と読み聞かせの講演会、1973教養講座「子ども文化」〜、
  ・1977 杉並文庫連絡会の発足(加盟17団体)
  ・1982 杉並区立中央図書館・開館
  ・1983 高井戸地域区民センター・図書室
4,社会教育における地域史運動
  自治体行政史だけでなく市民の団体(集落)の活動・実践・運動史
  みんなで書く(沖縄・字誌に学ぶ)
  東京の社会教育を“掘る”課題 − 過去・現在・未来を貫く視点



(6) 「杉並公民館50年」の意味するもの
ー解題としてー
  
     杉並の社会教育を記録する会編
        「学びて生きる−杉並区立公民館50年」(資料編, 2003)所収

 1,杉並公民館の発展的「継承」としての社会教育センター
 東京都杉並区立公民館(以下、杉並公民館という)は1953年11月1日に開館し、条例上は1989年3月31日に閉館している。木造施設の老朽化にともなう建て替えにより、新設の区立社会教育センター(高円寺地域区民センターと併設、セシオン杉並、1989年6月開館)へと移行した。その意味では35年余の歩みをもって公民館は“解消”したともいえるが、いまとくにその「50年」の歴史に注目するのはなぜだろう。決して“終焉”してはいないのである。
 杉並公民館から社会教育センターへ移行していく過程において、いくつか記憶しておきたいことがある。新しい社会教育センターの建設にあたっては、公募委員を含む新施設「建設協議会」が設置された(1985年)。協議会では活発な論議が重ねられ、新センターについての『建設基本構想』(1986年)及び同『運営管理のあり方について』(1988年)が意欲的にまとめられている。
 建設協議会の基本的な考え方は、杉並公民館の歴史と蓄積を発展させ、全区民の社会教育活動の拠点として、水準の高い本格的な公民館的・直営施設を実現しようというところにあった。『建設基本構想』には次のように記されている。
 「この施設は、現在の公民館の発展的形態として位置づけられていることからも、今日まで蓄積されてきた業績を継承する中で、新たな時代の要請に幅広く応えられる施設としていくことが強く望まれます。」「社会教育活動の拠点としての施設−ア、交流とたまり場的機能、イ、集団活動拠点的機能、ウ、学習的機能、エ、文化活動的機能、オ、スポーツ・レクリェーション的機能、カ、その他」(詳細略)。この施設構想は「東京の新しい公民館像をめざして」(東京都教育庁社会教育部、いわゆる三多摩テーゼ、1973年)を基礎にしている。
 基本構想に基づき2年後に出された『管理運営のあり方』においても、「これまで公民館で積み重ねられてきた数々の業績を引き続き社会教育センターで発展」させていく方向が示されている。積極的な「機能及び事業」が列記され、「社会教育機関として区の直営になるという前提」「諮問機関としての運営審議会の設置」「社会教育主事を配置」「社会教育センターの分館」等が明らかにされている。
 旧杉並公民館の跡地には記念碑・オーロラが建立された。区民の請願運動によるものであるが、この機会に碑文「記念碑の由来」を紹介しておこう。
 「昭和二八年十一月に開設した杉並区立公民館においては、区民の教養向上や文化振興を図るため、各種の教養講座が開かれ、また、社会教育の拠点として、区民の自主的活動が行われてきました。
 これらの活動の中でも、特筆されるものは、昭和二九年三月ビキニ環礁水爆実験をきっかけとして、杉並区議会において水爆禁止の決議が議決されるとともに、同館を拠点として広範な区民の間で始まった原水爆禁止署名運動があり、世界的な原水爆禁止運動の発祥の地と言われております。
その公民館も老朽化により平成元年三月末をもって廃館されましたが、その役割は杉並区立社会教育センター(セシオン杉並)に発展的に継承されております。
 ここに公民館の歴史をとどめるとともに、人類普遍の願いである永遠の平和を希求して記念碑を建立したものであります。平成三年三月 東京都杉並区」
 杉並公民館を社会教育センターにおいて発展的に(「解消」でなく)「継承」する方向は多くの区民の期待するところであった。公民館は施設的には戦後初期の素朴なものであり老朽化したが、その歴史はかけがえのない足跡を刻み、多くの地域的な愛着を残したのである。
 杉並公民館から社会教育センターへの継承と発展の歩みに注目し、その視点から、あらためて「杉並公民館50年」の歴史を振り返り、その蓄積と新たな課題を明らかにしていく必要がある。

 2,杉並公民館の独自な歩みと特徴
 杉並公民館は、日本公民館史上、他の公民館にはみられない独自の歴史を歩んできた。
別稿(杉並公民館に関する研究文献・資料リスト)に記しているように、公民館史研究のなかでも比較的に研究文献が多い公民館といえよう。しかし旧公民館ならびに現社会教育センターに残されている公的(第一次)資料はきわめて少ない。2003年6月、区民有志によりあらためて「杉並の社会教育を記録する会」が設立された所以でもある。
 これまでの経過では、1970年代後半の区当局の公民館再編・統合の動きに抗して取り組まれた「杉並区立公民館を存続させる会」の運動と、同会編『歴史の大河は流れ続ける』第1集(36頁、1980年4月)、第2集(56頁、1981年5月)、第3集(83頁、1982年8月)、第4集(149頁、1984年8月)−目次等は別稿−の編集・刊行が特筆されてよい。当時とくにこの活動に参加され自ら所蔵されていた資料を提供された安井田鶴子氏の役割が大きい。この過程で、風化し散逸したであろう資料が少なからず『歴史の大河は流れ続ける』全4集に掲載・復元されている。現在ふたたび「杉並の社会教育を記録する会」により、安井郁・田鶴子夫妻保存の稀少資料(以下、安井資料)の整理・保存が開始され、今後に期待されるところが大きい。
 杉並公民館の歴史が語りかけるもの、その独自な特徴はどのようなことであろうか。
第一に、文部省次官通牒(1946年)による公民館構想(いわゆる寺中構想)とは異なる独自の杉並構想(あるいは安井構想)による展開。第二に、公民館制度が定着しなかった東京二三区における数少ない(三区のみの)公民館設置、同時に三多摩初期公民館の農村型に対して典型的な都市型公民館の歩み。第三に、内容的に国際的な視野をもった高い水準の事業編成、たとえば「公民教養講座」にみられる政治的社会的な系統学習の試み。第四に、とくに特筆すべきこととして、公民館の活動と社会的な運動との結びつき、とくにビキニ環礁水爆実験・第5福龍丸被爆(1954年)を契機とする原水爆禁止署名運動への取り組み(杉の子会の活動)。第五に、公民館と公立図書館との併設・連携、などをあげることが出来よう。
 上述『歴史の大河は流れ続ける』の編集活動のなかでは、このような杉並公民館の独自な歩みの“発見”が、感動的に記されている。もともと「公民館」制度が教育基本法・社会教育法に法定された正規の社会教育機関であることを知らなかったこと、「区民が誇り得る杉並独自の公民館の歴史を公民館利用者すら知らない」という事実(第1集・まえがき、2頁)、そして「杉並区民が公民館の廃館という危機に直面し、探りあてた杉並公民館の歴史は、まばゆいばかりに輝いていた」(第2集、解説、29頁)のである。今回の「杉並の社会教育を記録する会」活動もまた、このような歴史に出会う感動と再発見の作業に「50年」の時点で取り組んでいることになる。
 
 3,区民自主企画による講座の流れ、歴史的な蓄積と発展
 杉並の社会教育の歩みをおおまかに時期区分すれば、次の5期にわけることができよう。第1期(公民館が開設されるまでの前史、戦後初期のPTA活動等の時期、1945〜1953年)、第2期(杉並公民館がオープンし安井郁館長の主導による公民教養講座等の時期、原水爆禁止運動との出会い、1954〜1962年)、第3期(講演と映画や各種講座など諸事業に取り組む移行期、1963〜1972年)、第4期(区民の積極的参加と企画による教養講座・公民館講座、多彩な自主グループ活動の時期、1973〜1988年)、第5期(社会教育センターのオープン、セシオンによる事業展開の時期、1989〜現在)ということになろうか。
 とくに第4期は、第2期から3期の歴史をふまえつつ、杉並公民館を拠点に区民自身による学習・運動が活発に取り組まれた躍動期ということができよう。その地域的背景として、杉並「婦人のつどい」(1974年)、「文庫連絡会」(1977年)、「婦人団体連絡会」(1979年)、「『社会教育』杉並の会」(1983年)等の教育・学習・文化をめぐる諸運動が地域のなかで動いてきた時期であった。
 この時期の公民館活動の特徴として、(1)区民の自主企画、自主運営による公民館講座の開設、1975年からは杉並区広報により公募した「公民館企画運営委員会」が本格的に始動した。(2)子ども、家庭、教育、昭和史、老後、平和、障害者、福祉、経済、差別、人権、食糧、チェルノブイリ、沖縄など、広範な現代的課題への挑戦。(3)自主編成による詳細な記録誌の編集・発行。(4)行政側の区民自主企画・運営に対する尊重と支援の姿勢。(5)高井戸・井草・高円寺・和田堀の出張講座、夏期の秋川親子合宿、企画運営委員の中から「子どもの本の会」「公民館ひろば」「すみれの会(自然食づくり)」「教科書を読む会」「社会経済ゼミナール」等の自主グループの誕生、多面的な学習活動の展開、などを挙げることが出来よう。
 人間の成長・発達がそうであるように、杉並公民館の事業・活動も時期を重ねるごとに
歴史的に成長し発達してきていることが明らかである。そこには学習の主体である区民の側の社会意識や学習力量の成熟があり、世代から世代への“発達”がみられたと言えよう。
 そして1990年代、時代は「平成」となって、杉並公民館活動は社会教育センター(セシオン杉並)へ継承・発展されていくことになる。すでに10年余が経過した現在、どのような展開があり、これからいかなる課題に挑戦していくのであろうか。




(7)市民にとってのデーターベース化−その可能性−
                     
2005/08/21 安井研究会報告メモ
1,経過
 ひそかな実験 *「南の風」1434号(2005年3月13日)
 …(略)… 
 もともとデーターベースといえば、情報の基地の意。大型コンピューター時代では、とても素人には及びもつかない次元のことでした。しかし、誰でもが(意志があれば)パソコンで気軽にエクセルなどの“すぐれもの”を利用できるような時代になりました。これまでにない世界が開けてきたのではないか、素人も智恵と情熱があれば、かなりのことができる、雑然たる資料がデーターベースとして情報化されることによって光輝く価値を再発見することができる、その可能性を追求してみようというわけです。
 課題は単に安井資料のデーターベース化だけではありません。たとえば地域の市民運動や社会教育の実践などの領域を考えても、かけがえのない貴重資料が蓄積されてきている。しかし、さまざまの事実が存在していても存在するだけでは貴重な価値が見えてこない、そのうちあえなく見捨てられ廃棄されていく、そういう現実も否定できません。
 素人でも、必要なネットワークを組み、どんな手順で、どんな枠組や項目で、必要な作業をすすめていくか、これからの挑戦、そして一つの実験でもあります。どういう成果を生み出せるか。まずは(ときに悲観的にもなりましょうが)、楽観的に、面白く取り組んでみたいもの。
 …(略)… 
2,6月研究会−石川敬史・報告「データベースとは何か」(レポート、レジメ)
                     定義、歴史、種類、方法、内容モデル、参考文献
3,8月研究会
   <小林発言メモ>
・安井資料のデーターベース化作業−一つのモデル         
・さまざまの市民活動(運動)資料、社会教育実践資料、地域諸資料、
・「図書」にならない貴重・稀少資料、ビラ・ポスター・映像・など
・市民(グループ)として、どれだけのことが出来るか
 *権力なく、資金なく、組織なく、基礎空間(施設)なく、
   しかし・・・心意気あり、智恵あり、情熱あり
・個別データーベースの相互交換の可能性
  (例)小林資料−社会教育→歴史、法制、地域・自治体、運動、
             研究・学会、B,C、D,・・・・
4,研究動向−沖縄の地域史研究
 ・中村誠司「沖縄の字誌等の目録情報のデーターベース化」
   *科研費報告(小林「沖縄の地域史研究」、松田「沖縄の字公民館研究」
     TOAFAEC 「東アジア社会教育研究」第9号(2004)
・金城 善「沖縄県の地域史(自治体史)とデーターベース」*松田報告書





安井資料研究会始まる(第2回)−後ろに安井夫妻の遺影(安井家書斎にて、20050313) 写真:吉松朋子




(8)
原水禁運動(安井家)資料研究会のこの1年
    
「原水禁運動(安井家)資料研究会報告書」はじめに (2006)
    

 2005年1月、竹峰誠一郎(早稲田大学大学院)を誘って杉並・荻窪の安井家を訪問し、同3月から本格的な資料調査・研究に着手するようになった。それからすでに1年余りが経過。この間、参加メンバーはほぼ定着し、活動も定例化して、毎月1〜2回の訪問調査と学習会が重ねられてきている。
 この1年の参加者は、大学関係者(大学院生を含む)だけでなく、図書館専門家や関心ある市民や学生を含み、20歳代から70歳代にわたる世代をこえた多彩な構成となった。国際的な拡がりをもつ原水禁運動にとどまらず、地域(杉並)の平和運動・市民運動・社会教育活動等に関する貴重な資料にも光をあてていこうという共通の思いをもって、自主独立の研究活動の取り組みが始まっている。この挑戦がこれからどのように展開していくか、楽しみでもあり、もちろん、これからの課題も少なくない。
 安井家資料については、なによりも安井郁(戦後は法政大学教授、杉並区立図書館長、同公民館長、原水爆禁止日本協議会理事長など)自身による記録・文献・資料の蓄積と所蔵の努力に負うところが大きいが、その没後(1980年以降)は、妻・安井田鶴子さんによる保存と整理、さらにそれを継承する安井家の方々の努力によって、安井郁に関する資料がほぼ完全に残されてきた。同時に安井田鶴子に関する資料も、安井郁資料と合体するかたちで、同じ資料庫のなかに静かに眠っている。一括して「安井家資料」と呼んでいるが、いずれも戦後杉並のPTA等地域活動、「杉の子会」資料、公民館関連資料をはじめとして、もちろん日本の原水禁運動に関する第一級資料である。この機会に、貴重な史料群をながく保存されてきた安井家の皆様に深く感謝したい。

 私の安井家資料との出会いは、今回の資料研究活動が最初ではない。自分史風に振り返ってみると、これまで何度かの忘れられない機会があった。最初の出会いは、安井郁が初代館長であった杉並区立公民館の存続が危ぶまれた1980年当時のこと。あらためて杉並区立公民館の歴史を振り返り、「杉の子会」や原水爆反対署名運動の初期段階資料を記録化しようと取り組んだことがあった。この年に安井郁は没しているが、当時お元気であった安井田鶴子さんが亡夫の貴重資料を整理・提供され、他の資料と合わせて記録集が作成されている。『歴史の大河は流れ続ける』1〜4集(1980〜1984年、杉並区立公民館を存続させる会発行)である。とくに同・第4集は「原水爆禁止署名運動の関連資料集」となっている。
 次の出会いは、杉並公民館が閉館して(1989年)社会教育センター(セシオン杉並)へと発展的に継承されるが、公民館の通算「50年」を記念する企画事業が市民主導によって開催され、その記録集が「杉並公民館50年記念」として編集・刊行されたときである。題して『学びて生きる−杉並区立公民館50年』(2003年、杉並の社会教育を記録する会発行)。この記録には、杉並公民館に関する詳細な年表や記録等が作成・掲載されたが、そのなかに安井家資料とくに安井田鶴子保存資料もリスト化されている(同書「安井家資料−杉の子会」の項、高野充子・安井節子の担当)。そこには私も解題「杉並公民館50年の意味するもの」を書いているが、この過程でおそらく同「記録する会」メンバーの方々も含めて、安井家資料の存在と価値を一段と深く認識することとなった。
 はじめて安井家を訪問したのは2003年夏のこと。私の研究通信「南の風」に次のような記録がある(第1109号、2003年8月6日)。
 「昨日(8月5日)は石崎あつ子さん(記録する会代表)と安井家を訪問。安井郁・田鶴子夫妻の所蔵資料の袋やダンボール箱を開いて頂きました。もちろん第一級の資料、宝の山、これをどのようにリスト化するか、など相談をしているところに雷鳴あり、夕立となり、帰るに帰れず・・・」と。

 そのような経過があって昨年来の私たちの研究会活動へとつながるのである。この1年の具体的な経過は、本報告に記されている通りである。この間、私たちは資料整理活動だけでなく、何回かの学習会を企画した。原水禁運動やその中での安井郁の足跡を知ることはもちろんであるが、同時に、研究的関心をもちつつ市民運動的な視点をもって取り組もうではないか、たとえばエクセルを駆使してのデーターベース化の作業のなかで「市民にとってのデータ・ベースとは何か−その可能性を考える」といった課題意識を共有できないか、と問いかけてきた。
 私たちの1年の活動の歩みを確かめつつ、これからさらに、どのような取り組みを重ねていくことができるか、はたして市民運動的な展開が可能になるのか、文字的なデーターとしてだけでなく、残された写真等を活用して映像的な
資料化ができないものか、など考えあっている。そのためにも、資金的な条件についても今後智恵を出し合わなければならない。
 このような課題について、関心をおもちの方々のご教示、ご支援、ご声援をお願いしておきたい。本報告を一つのステップとして、さらに夢をもちながら、また次の歩みを踏み出していきたい。
  

(9)安井家資料と沖縄問題 (安井資料研究会・同「報告書」2006 所収)
                                          
 いま現代の情報化社会のなかで、多くの貴重な資料が、廃棄・消失され、あるいは風化・散逸している状況がある。一つには、国・自治体の行政資料が、情報公開もされないまま、最近の行政改革や平成大合併のなかで、いとも簡単に廃棄されてしまっている現状がある。他方で、戦後史を担ってきた市民活動や住民運動の側でも、貴重な資料が保存され活用される条件をもつことができず、無惨に姿を消してしまっている悲しむべき現実がある。今日にいたる過去の歩みを、これほどまでに軽視する風潮は、そのうち未来の神によって厳しく裁かれることになるだろう。これまでの過去の歩みは、現代につながる基盤であり、未来をを創っていくかけがえのない母体である。古い資料に光をあてる作業は、単なる古い作業のように見えて、実は新しい価値を発見・創造する営みが含まれているのだ。

 そういう思いをもって、これまで戦後の社会教育(行政・実践・運動)資料を収集・分析し、大事な資料を保存・複刻していく努力を重ねてきた。全体的なテーマは「戦後」、具体的な空間は「地域」、たとえばその一つの課題は「沖縄」。沖縄は、戦後27年間にわたってアメリカ占領下にあり、悲惨な戦争体験とともに、アメリカ極東戦略のキーストーンに位置づけられた島の過酷な現実があった。そのなかでの地域と社会教育の歳月について、重要な歴史と資料を記録しようと努めてきた。
 安井家資料研究会では、私にとって「平和」「運動」「杉並」等のテーマとともに、関連して「沖縄」がどう関連しているか、大きな関心事であった。安井家資料棚のなかにタイトル「沖縄」のボックスと出会ったとき、一瞬、鼓動が高まったほど。しかし「原水協ニュース」「沖縄事情」が数点ある程度で、あらためて沖縄の原水禁運動についての証言・資料を独自に収集する必要を痛感させられることになった。
先回(2006年5月)の沖縄訪問の際は、沖縄原水協(1958年結成)初代理事長・中根章氏の聞き取りを行った。実に興味深い証言だ。部屋には安井郁の色紙が掲げられていた。日本各地の原水禁運動と対比して、沖縄の場合は青年運動の性格が強いこと、疑惑の核兵器への告発、基地被害への抗議集会、平和行進など日常的かつ行動的な取り組みであったこと、1960年以降は日本復帰運動と連動していくこと、など特徴的な展開であったことを知った。しかし資料的な保存は充分でない。これからさらに調査を重ねていくつもりである。




安井資料研究会(第21回) 吉田嘉清氏 (後列右端)を囲む (安井家にて、20060625) 写真:丸浜江里子




(10) 「ひたすらに平和願えり」
   
原水禁運動(安井家)資料研究会・報告書 2008年版 →目次■
                        
(2009年2月25日発行)
       

1,はじめに−安井家資料研究、これまでとこれから−

 「原水禁運動(安井家)資料研究会」、略称:安井資料研究会は、2005年初頭に活動を開始し、2009年2月に第50回定例研究会を迎えました。早いもので満4年の歳月。ほぼ毎月1回のリズムで例会(資料整理分析、データ入力作業、学習会等)が継続されてきました。参加メンバーは大学関係者、図書館職員、NPO関係者、地域活動家など(巻末一覧参照)、今のところ行政等からの援助はなく、市民の立場からの自主独立の研究会です。
 研究会はこれまで2冊の活動報告をまとめています。第1冊は「杉並の市民活動と社会教育を記録する会」との共同編集による『杉並の市民活動と社会教育のあゆみ−別冊・原水禁運動(安井家)資料研究会報告書 平成17〜18年版』(2006年、杉並区教育委員会社会教育センター発行)です。(以下、報告書@という)
 2冊目の報告は、2006年和光大学総合文化研究所・模索研究報告書(研究代表者・岩本陽児=和光大学人間関係学部)『原水禁運動資料のデータベース化の試みー安井郁・田鶴子関係資料の整理・保存・活用を通して』(2007年)として刊行されました。和光大学・岩本研究室の発行によるものですが、私たちの研究会がこの編集に協力し、実質的に2007年度の安井資料研究会・活動報告書といえる内容です。(以下、報告書Aという)
 2006年〜2007年にかけての和光大学・研究グループとの合同研究活動は、市民の研究活動と大学の研究組織が協同して取り組むかたちとなりました。メンバーの重複もありますが、相互に刺激を受け、資料整理分析・データベース作成の作業に大きな活力を与えていただきました。この機会を借りて、岩本陽児さんはじめ和光大学関係の皆様にあつく御礼を申しあげます。

 本報告書はそれに続く三冊目となります。安井家資料の整理・データベース化を進めるにあたっての「資料整理マニュアル」と、それに基づいて分類・入力したデータ「資料目録」一覧を中心に編集しました。「マニュアル」は2005年に作成され、少しずつ改訂され、2008年度で第9版となります。この間に入力したデータも毎年の蓄積を重ねてきました。これまでの到達点を記録にし、同時にこれからも続くであろう資料分析作業のベースとなるものです。
 これに加えて、研究会のこれまでの歩み(前史を含む)、活動の概略、2008年度の日程等を収録しています。さらに研究会参加(主要)メンバーによる自由なレポートも掲載しました。この中には、旧安井郁ゼミ(法政大学・国際法)メンバーの上野正人氏(現在・秋山庄太郎写真芸術館学芸部長)から貴重な回想を寄稿していただきました。有り難うございました。
 
 安井郁・田鶴子夫妻はともによく歌を詠まれ、それぞれに歌集(郁『永劫の断片』短歌新聞社・1977年、田鶴子『白き風船』不識書院・1986年)が遺されています。とくに安井田鶴子歌集には、歌人・近藤芳美が序文を寄せ、田鶴子さんについて「…素朴でおおらかであり、平和への思いが人間の優しさと善意としてうたい込められている」と評しています。
 田鶴子さんが「杉の子」読書会に関わって詠んだ歌に、「杉の子と名づけて共にはげみつつ原水爆禁止の署名集めぬ」、「ささやかな力と知りつつひたすらに平和願えり母なるわれら」などがあります。その中から、「ひたすらに平和願えり」の思いを頂いて、本報告書の書名とさせていただきました。

 いま私たちは、杉並荻窪の安井家に毎月通いながら、研究会としての活動を満4年重ねてきたことになります。安井夫妻が遺され、安井節子さんが受け継いで保存されてきた資料群は、日本と世界にとっての、また東京と杉並にとっても、第一級の宝の山です。私たちは、その山の緑に分け入りながら、ある高台にたどりついた感があります。しかし目ざす峰はまだはるかに遠く、これからもさらに歩き続けて行かなければなりません。心ある方々のはるかなる声援を聞きとりながら、次なる道を模索していきたいと考えています。 (2009年2月14日、故田鶴子さんの命日)

2,研究会の歩みと活動(2008年版)

 本研究会が動き始める経緯や活動については、すでに「まえがき」に記した報告書@(2005年〜2006年版)、報告書A(2007年版)にかなり詳細に書かれている。ここでは再録を控え、2008年度の主要な動きを中心に概略を記すことにする。まず、この機会にあらためて(上記報告書@Aに触れることができなかった)前史や背景等について、関連文献を紹介しつつ、振り返っておくことにする。

(1)前史・背景

 <『歴史の大河は流れ続ける』全4集(1980年〜1984年)>
 まず注目すべき前史として、1978年から始まった「杉並区立公民館を存続させる会」の活動があった。同会は1980年『歴史の大河は流れ続ける−杉並公民館の歴史』第1集を編集・発行し、1984年には第4集(全4冊)を刊行するにいたる。その活動記録は各集(1〜4集)末尾の解説・後記に記録されている。当時、存続が危ぶまれた杉並区立公民館の歴史や社会教育の展開の資料・証言を発掘・収集したものであるが、なかでも同第4集は、杉並の「原水爆禁止署名運動の関連資料」特集として、貴重な原資料が整理収録されている。その作業の中心となったのは、「存続させる会」のなかでもとくに安井田鶴子の役割が大きかった。
 「公民館を存続させる会」については、同会代表であった伊藤明美「杉並区の公民館存続運動」(月刊社会教育 1979年9月号)、同「歴史の大河は流れつづけるー杉並の公民館を守る私たち」(同 1981年1月号)、同会員の西トミ江「杉並区立公民館を存続させ会に関わって」(『杉並の市民活動と社会教育のあゆみ』第2号所収、2007年)等に詳しい。また関連して、田中進「杉並区における原水爆禁止署名運動と公民館の歴史について」(『歴史の大河は流れ続ける』第4集、1984年)、同じく「杉並公民館と原水禁運動の歴史」(ドキュメント社会教育実践史Z、月刊社会教育 1991年5月号)が貴重である。
 『歴史の大河は流れ続ける』全4集の詳細(目次等)については、小林文人による別稿を参照いただきたい。小林は、園田教子(東京学芸大学社会教育研究室)とともに1980年当時から会の活動に参加し、『歴史の大河…』編集に参加し、そして四半世紀後の現「安井資料研究会」のメンバーでもある。安井郁が初代館長をつとめた杉並区立公民館の歴史は、杉並の原水禁署名運動、その後の日本原水協運動(初期)との関わりにおいて、日本の公民館史上に光彩を放っているが、『歴史の大河は流れつづける』シリーズは(それまで注目されなかった)杉並公民館の歳月を復元しようとする作業でもあった。この点に関わって、小林は「杉並公民館50年の意味するもの」(杉並の社会教育を記録する会編『学びて生きる』杉並公民館50年・資料編、2003年)などの解説を書いている。

 <杉並区立公民館の閉館と社会教育センターへの移行(1989年)>
 曲折を経て、杉並区立公民館は閉館となり、新しく杉並区立社会教育センター(セシオン杉並)がスタートした(1989年)。当初に意図されていた公民館の「発展的な解消」ではなく「発展的な継承」が目指された経過であった。
 公民館の閉館にあたっては、1989年2月、約1週間にわたる閉館行事が組まれている。記念行事のテーマは「今、原点にかえって平和の問題を考える」が設定された。挨拶等のなかでは繰り返し原水禁署名運動と公民館が果たした役割が語られた。この1週間の行事には、杉並の原水禁運動資料の展示や安井田鶴子の証言があり、多くの人々の注目を集めた。杉並区立公民館は閉館行事パンフ・資料(『公民館の歴史をたどるー閉館記念行事』1989年3月)を作成し、『公民館の歴史をさぐるー1954年〜1989年ー35年間の記録』(同)を刊行した。
 公民館が「社会教育センター」へ移行するにあたっては、区民公募の委員を含む「建設協議会」が設置され、公民館を"継承発展"する方向での新センターの構想が積極的に提言されている(1986〜1988年)。

 <杉並区立公民館50年の集いと社会教育・市民活動を記録する会(2002年〜)>  
 2003年初頭、杉並社会教育センターは「すぎなみコミュニティ・カレッジ」(2002年度事業)を企画し、その一つのとして、講座「時代に学ぶ地域活動」が開設された。講師の一人として小林も参加(「歴史に学び伝えていくもの」担当)し、かっての杉並公民館の歳月を知る人たちとの再会を含めて、その後の「杉並の社会教育を記録する会」運動にとって大きな意味をもつ講座となった。記録は社会教育センターによって刊行されている。
 それより先、1997年「杉並区社会教育委員の会議」は公式に「杉並の社会教育の歴史」を記録する課題を提起していた。しかし行政当局による動きはなかった。2003年は杉並区立公民館が設置されて50年の記念すべき年、市民企画による「50周年記念事業」が開催されることとなった。テーマ「ときを拓き、明日を紡ぐ」のもと、連続講座、展示・交流・座談会等が多彩に繰り広げられた。その過程で「杉並の社会教育を記録する会」(2003年7月、翌年「杉並の市民活動と社会教育を記録する会」と改称)が活動を開始している。まず最初に作成された記録が前掲『学びて生きる』(2003年)である。翌年には記録誌『"とき"を拓き明日を紡ぐ』が刊行されている(同・記録する会編、2004年)。
 50周年記念事業「ちらし」は次のように呼びかけている。「1953年11月1日、杉並区立公民館が開館しました。ここに、地域の人々が集い、学び… 世界に広まった原水爆禁止運動の発祥の地となりました。さらに、区民の自主企画と運営による講座が続きました。そして、1989年3月、公民館は閉館。社会教育センター(セシオン杉並)に"発展的に"継承されることになりました。開館から数えて50年のいま、かって公民館がめざしたものを思い起こし、新しい未来の創造に向けて語りあいましょう。」(2003年11月)
 「記録する会」は、その後、「杉並の社会教育と市民活動のあゆみ」(第1号・2006年、
第2号・2007年、第3号・2008年)を相次いで刊行してきた。きわめて貴重な杉並の地域史が「市民活動と社会教育」の視点から復元されている。ときに断続し蛇行しながら、一筋の水脈となってきた地域史運動の流れのなかで、安井資料研究会もまた水流を発し、さらに新たな水脈を創り出しつつあるといえよう。
 なおこの間には、女性史研究の立場から、『杉並の女性史』(杉並女性史編さんの会編、2002年)の出版があり、杉の子読書会「杉の子」復刻や「杉の子読書会で学んだ女性たちー学習から実践へ」(地域女性史をつくる会編、2003年)、また『女性と地域の活動−杉並母親運動の史料から』(戦後女性史・和の会編、2007年)等の刊行があったことも忘れられない。

(2)研究会の発足−2005年
 安井資料研究会の第1回例会は2005年3月2日(会場・安井家)に開かれた。その準備会ともいうべき安井家訪問(小林文人・竹峰誠一郎)は同年1月であった。しかし安井家資料との出会いは、それ以前2003年の上記「記録する会」の活動で実質的に始まっていた。市民運動的に取り組まれた杉並公民館50年を記録する活動、その具体的成果の第1号となった上記『学びて生きる−杉並区立公民館50年』の中には、「安井家関連資料」(安井節子・高野尤子)や安井家各位からの寄稿が収録されている。
 研究会の発足経緯や例会の経過等については、報告書第1版(2006年8月)に詳しい。また同書には安井節子の回想も掲載されている。
 研究会が胚胎した杉並「記録する会」に集う人々に共通していることは、1953年11月に開館した「杉並公民館」への深い愛着があったことであろう。地域からの平和運動としての杉並原水爆禁止署名運動の取り組みは、公民館と深く関わりをもち、その後も公民館講座(1980年代)に集い学んだ市民たちが、50年を経過するそれぞれの歳月を経て、あらためて公民館の役割を再認識してきた経過であった。安井資料研究もまた、安井郁が初代公民館長であった事情とも重なり、公民館史研究の視点をあわせもっている。
 
(3)研究会メンバー
 杉並の社会教育を記録する運動から芽生えた本研究会のメンバーは、この4年の間に多様な拡がりをみせてきた。当初、小林文人(元和光大学教授、戦後社会教育史研究)が竹峰誠一郎(早稲田大学大学院・当時、国際関係学、ヒバクシャ・平和研究)を誘った経緯から、社会教育、NPO、図書館研究者だけでなく、日本平和学会、国際関係学、そして元教師、学生などが参加し、年齢的にも20歳余の若者から70歳台まで多世代にわたる構成となっている。しかし中心メンバーは別にして、例会の参加者はいつも流動的である。
 発足当初の参加者は、小林、竹峰のほか、安藤祐子、石川敬史、稲富和美、江頭晃子、丸浜江里子、吉松朋子など、そして安井家資料を守ってきた安井節子(敬称略)の顔ぶれであった(研究会報告書@)。
 その後、岩本陽児、古市直子などの参加があり、「まえがき」に記したように、2006年〜2007年は和光大学総合文化研究所の研究グループと合同の研究活動をもつことが出来た。また法政大学(旧)安井ゼミ・メンバーの甲山員司・上野正人等の来会があり、2008年になると、杉並の戦後女性史研究・和の会から毎回の参加が続くようになった。現時点(2008年)の参加メンバーについては、巻末の「参加者一覧」をご覧いただきたい。
 またこの間には、「原水禁運動と安井郁」、「安井郁・田鶴子夫妻の思い出」(証言)、「原水禁運動資料研究−歴史の大河は流れ続ける」、「杉の子と原水禁運動」、「杉並の原水禁運動−社会教育と女性の視点から」等をテーマとする学習会が開催されてきた。同じ杉並で活動している「東京・沖縄・東アジア社会教育研究会(TOAFAEC)」と合同で行われたこともある(合宿研究会を含む)。ゲストとして、吉田嘉清、平井教子、鈴木茂夫ほかの各氏を招聘している。

(4)研究会の日程と作業
 第50回に至る定例研究会の経過は、報告書@、報告書Aに記載している。本号にはその後の、第31回研究会以降の開催日時・活動内容等を収録している。(別項参照)
 研究会はほぼ毎月1回、参加者の都合を勘案して、土曜日か日曜日の午後に行われることが多かった。各自がノートパソコンを持参する。とくにテーマや手順を細かく決めるのでなく、大まかな打ち合わせにより、参加者それぞれの関心を尊重して、自由な作業が始まる。資料の整理、分類、内容分析、整理マニュアルにそってのタイトルつけ、ナンバーリング、パソコンへの入力作業など。その間の雑談、ときに真面目な打ち合わせや討論、安井「節子さん心づくしのお茶」の時間、といった雰囲気で時間が過ぎていく。発会当初は、帰路に荻窪駅前で「ご苦労さん」のビールをよく飲んだことが思い出される。
 場所はすべて安井家、書斎そして(資料収蔵の)応接室や納戸・物置など。原資料はすべて安井家から持ち出さないことを原則にしたから、持ち帰っての宿題作業はまったくなかった。パソコン入力の作業場(書斎)は、ときに大学の研究室のようであり、地域誌の編集室の雰囲気でもあり、公民館の小学習室やパソコン教室のようであり、そして文字通り「茶の間」のようであった。

(5)資料のデータベース化
 研究会発足直後から、資料整理マニュアル作成についての検討(担当・石川敬史)が始まり、また「市民にとってのデーターベース化」の研究会(2005年8月21日、石川・小林報告)がもたれた。私たちはなぜ安井資料の整理・分析作業に挑戦するのか。単に個々の稀少資料への関心だけではなく、また研究業績の論文作成のためでもない。平和と反核の前進のために、具体的には「安井資料を整理し保存し公開することにより、過去の平和運動と市民運動と現在の運動との対話を実現するため」(報告書A研究の目的)であった。
 私たちは、単に資料整理リストづくりにとどまらず、市民を含めてすべての人が貴重な歴史・運動資料をともに共有できるデータベースづくりを目ざしてきた。その問題意識について、小林・研究通信「南の風」に次のような一文(1434号・2005年3月13日)を収録した経過があるので、ここに引用しておこう。
 「市民にとってのデーターベース化−その可能性・ひそかな実験(2005/08/21 安井研究会報告メモ) … もともとデーターベースといえば、情報の基地の意。大型コンピューター時代では、とても素人には及びもつかない次元のことでした。しかし、誰でもが(意志があれば)パソコンで気軽にエクセルなどの"すぐれもの"を利用できるような時代になりました。これまでにない世界が開けてきたのではないか、素人も智恵と情熱があれば、かなりのことができる、雑然たる資料がデーターベースとして情報化されることによって光輝く価値を再発見することができる、その可能性を追求してみよう、というわけです。
 課題は単に安井資料のデーターベース化だけではありません。たとえば地域の市民運動や社会教育の実践などの領域を考えても、かけがえのない貴重資料が蓄積されてきている。しかし、さまざまの事実が存在していても存在するだけでは貴重な価値が見えてこない、そのうちあえなく見捨てられ廃棄されていく、そういう現実も否定できません。
 素人でも、必要なネットワークを組み、どんな手順で、どんな枠組や項目で、必要な作業をすすめていくか、どう検索できるように設定していくか。これからの挑戦、そして一つの実験でもあります。どういう成果を生み出せるか。まずは楽観的に、面白く取り組んでみたいもの。…(略)…」
 市民にとっての資料データベース化については、取り組みの経過を含めて、あらためて報告し検討を進めなければならないが、安井資料研究会の満4年の蓄積したデータについて、いまようやくその可能性が具体的に見えてきたように思われる。
 2008年11月,これまでエクセルデータに入力した安井資料をWebで検索できるように試行的に設定することにした。検索条件は下記の通りである。
(1)キーワード検索。エクセルに入力した文字列が全て検索対象になる。(2)主題検索記号(A-Z)を入力すると,その主題すべての資料を表示できるようにした。(3)データは簡単に追加することが可能。(4)現在,Webページへのアクセスについてはパスワードを設定し,特定の者のみがアクセスできるようになっている。今後,検索条件の追加とともに,どのような形で公開していくことになるかが検討課題である。

(6)朝日新聞記事と平塚らいてう賞
 研究会の活動は地味に進行してきたが、2005年が原水禁運動50年にあたることもあって、マスコミ等からいくつか注目される経過があった。テレビ局からの取材申し込みを受けたことがあり(安井家取材は控えていただいた)、あるドキュメンタリー映画監督が興味を示されたこともあった。新聞社では朝日新聞の取材を受け、2005年8月3日夕刊に掲載された。上記・地域女性史をつくる会の動きと合わせた記事であるが、記録として収録しておくことにする。
○朝日新聞(2005年8月3日夕刊・東京版)
 「−原水禁の原点「杉の子会」を見直そう、母らの「反核」継ぐ動き、
   資料研究・旧会員聞き取り−  
 原水爆禁止世界大会が始まってこの夏で50年。きっかけは、公民館で読書会をしていた母親たちが、米国の水爆実験による第五福竜丸の被爆に危機感を抱いて始めた署名運動だった。読書会は「杉の子」会。日本の反核運動の原点を社会教育や女性史の視点から再評価する動きが出ている。(隅田佳孝) 
 東京都杉並区の安井節子さん(60)宅に7月24日、東京学芸大学名誉教授の小林文人さん(73)と司書や学生たちが集まった。 
 「原水禁運動資料研究会」の8回目の訪問調査。節子さんは、杉の子会のリーダーだった安井郁・元法政大学教授(故人)の長男の妻。
 小学校のPTA会長だった安井元教授は53年、PTAの母親約20人と公民館で読書会を始めた。会の名は、唱歌「お山の杉の子」から取った。
 54年、米国が南太平洋のビキニ環礁で行った水爆実験をきっかけに母親たちと始めた署名運動は全国に広がり、55年、第1回原水禁世界大会が広島で開かれた。安井元教授は、原水爆禁止日本協議会(原水協)の初代理事長に就任した。
 安井元教授は80年に亡くなった。
 研究会は今年3月、発足。安井元教授が残した原稿や文書、書簡を概要とともにパソコンに入力して、データベースを作っている。
 小林さんは「原水禁運動はそもそも、市民の活動として始まった。公民館が中心になったのは、社会教育の観点からも貴重な歴史だ」と言う。
 杉並区の女性たちがつくる「地域女性史をつくる会」は、杉の子会の母親への聞き取りを98年に始め、冊子にまとめた。署名運動になじみがなく、拡声器もない時代。恥じらいながら街頭や町会で署名を呼びかけたことや、公民館に集まって署名を集計したなどを母親たちは口々に語った。
 「戦争を経験した母親たちが抱いた核廃絶への純粋な思いを風化させてはならないとの思いが強まった」と代表の小林五十鈴さん(67)は言う。
 原水禁運動は63年、ソ連の核実験などの評価を巡る路線対立から分裂。安井元教授は日本原水協の理事長を辞任した。間もなく杉の子会も活動に終止符を打った。
 会のメンバーだった杉並区の岩田阿喜子さん(94)は言う。
 「原点は核兵器は反対っていうこと、ただそれだけだったんです。政治がかかわってきて私たち素人にはわからなくなって。寂しいことです」

○平塚らいてう賞・奨励賞の受賞
 日本女子大学に新しく設けられた「平塚らいてう賞」(第1回)奨励賞として、杉並原水禁運動(安井家)資料研究をテーマとして丸浜江里子(本研究会々員)が選ばれ、2006年2月11日に贈賞式が行われた。選考委員会のコメントは次の通り。
 「半世紀前に、杉並の公民館に集う主婦たちが始めた水爆禁止署名運動の足跡をたどり掘りおこす研究は、膨大な資料の整理・記録・聞き取りという地道な努力と熱意を要する貴重な活動になる。当時と現代の人間の関係など、生の人間に目線がいけばおもしろい論文にまとまるし、評価の異なる市民活動を分析することによって、より客観的な成果も期待できる。今回は修士論文であり1年後の研究発表とともに、この研究をさらに継続・発展させ、その成果を社会に還元していかれるよう望む。」

(7)2008年の活動−資料整理の現段階
 満4年を経過し、これから5年目の歳月を刻む段階において、いま私たちの研究会はどのような地点にたっているのだろうか。後掲「資料目録」の成果をどう評価できるか。
 資料整理とデータ入力の歩みは遅々としたものである。しかし、振り返ってみると、着実な蓄積を実感できる。「資料整理マニュアル」は改訂を重ねて第9版となった。資料整理と入力の作業手順は、曲折を含みながらも、順調に進んできた。いま研究活動の骨組みは、手探りながら、一定の段階に到達しつつあると見ることができよう。
 今後どのように作業を継続していくか。その過程を楽しみつつ、論議・検討を重ねながら、次のステップに到達することが課題となってくる。
 2008年を総括してみると、安井郁・田鶴子(安井家)資料研究の現段階について、また今後の課題として、次の5点を指摘できよう。
 (1) 安井家資料は、後掲の「資料種別」表に見られるように、図書・雑誌・新聞・諸文書・各種資料・書簡等を含め極めて広汎なものであり、安井郁・田鶴子夫妻が関わってきたほぼすべての資料が収蔵・保存されてきたことを再確認することができた。
 (2) これまで主として安井郁資料を中心に整理分類してきたが、あらためて安井田鶴子の果たした役割は小さなものではなく、安井郁没後(1980年以降)の社会的活動を含めて、「田鶴子資料」の価値を再発見していく必要がある。マニュアル「主題記号」に新しく「田鶴子関係資料」を設けた(第9版)。
 (3) 2008年度の作業では、安井郁「生原稿」が多数確認できた。著述原稿だけでなく、歴史的な「第1回原水爆禁止世界大会・事務総長一般報告」(1955)等のような演説原稿も含まれている。今後の詳細な分析が必要であるが、原水禁運動等にとっての貴重資料や未発表原稿を確認していく必要があろう。
 (4) 保存されている写真、フィルムなど画像関係資料とともに、古い録音テープ等の音声資料は、これまでまったく手がついていない。とくに音声資料の再生については専門的技術的な処理も求められることになろう。これからの課題である。
 (5) 募金箱、たすき、メガホン、奉加帳、バッジ、菅笠など、それぞれの戦後社会運動史に関わる実物資料も保存されてきた。これらに陽の目をあてるためには、一定の空間が必要になってくるが、安井家資料を構成する重要な実物資料として確認しておきたい。
 
 これからの安井家資料の整理・データベース化の作業を継続していくためには、公的機関をはじめ、多くの方々の理解と支援が必要になってくる。さらにこれら資料を保存し公開していくためには、どのような道すじが可能であるのか。安井家の意向を尊重しつつ、検討を深めていくことが大きな課題となる。
 なお原水禁運動(安井家)資料研究会については、次のホームページが開設されている。
 →■ URL:http://www.yasui-shiryo.com/
 また「東京・沖縄・東アジア社会教育研究会」(TOAFAEC)にも安井資料研究会のサイトが設けられている。→■URL:http://www004.upp.so-net.ne.jp/fumi-k/suginami0306.htm

 <追記>
 安井郁・田鶴子夫妻の所蔵資料を保存し、私たち研究会の資料整理作業に理解・協力を惜しまれない安井節子さんはじめ安井家の方々に深く感謝いたします。

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3,『歴史の大河は流れ続ける』のこと

 杉並に住んで、早いもので30年ちかくになります。国立から杉並に引っ越した頃(1980年)、杉並では「公民館を存続させる会」が活発に動いていました。東京には公民館がない、そのなかで杉並には、初代館長に安井郁氏を迎え(1953年)、原水禁署名運動の拠点となった杉並区立公民館の歳月があり、全国的に光彩を放ってきたのです。その公民館が姿を消すかもしれない、という当局の動きに抗する市民運動。
 当時の東京学芸大学・社会教育研究室メンバーも誘って、荻窪の「存続させる会」会合に参加するようになりました。とくに園田教子さん(現姓・平井)が積極的に関わってきました(1983年に修士論文「都市公民館論ー東京都杉並区公民館・安井構想について」)。
 「存続させる会」の熱のこもった聞き取り、資料収集活動をもとに、『歴史の大河は流れ続ける』の編集が進められました。その中心のお一人が安井田鶴子さん。しかし第1集が刊行される直前、安井郁先生は病い重く、亡くなられたのでした(1980年3月2日没)。
 私たちには衝撃的なことでした。第1集の末尾「解説」(小林)にそのことを書いています。田鶴子さんは「そのうちに原水禁運動や公民館について本を書きたいと申しています、皆さんにお会いする日が楽しみ。」と何度も繰り返されたことを憶えています。悲しみの中、田鶴子さんは『歴史の大河は流れ続ける』の編集・刊行に没頭されたような感じがします。
 第1集は、いまは懐かしいガリ版刷り。頁をめくると、ほのぼのと当時の思いが伝わってきます。第1集から第3集まで、杉並公民館についての証言・資料収集にエネルギーを注いだ編集。こんな貴重な歴史をもった公民館を失っていいものか、存続させようという熱い思い。
 第1集構成の白眉は、なんといっても安井郁館長が直接に企画担当した「公民教養講座」(1954〜1962)の復元です。第一級の講師陣、毎回のプログラム編成(レコードコンサート、講師の講演、安井館長「世界の動き」の組合わせ)、その系統性と継続性、は圧倒的な迫力。それを発展させて、杉並公民館では1980年代に市民主体の「公民館講座」の取り組みが注目されました。
 第2集は、貴重な(幻の原稿といわれた)安井郁氏の社会教育・公民館構想の掲載と、詳細な「関連年表」(1945〜1962年)。この頃から私たちは、戦後初期公民館「寺中構想」に対峙して「安井構想」という視点を語りあいました(園田さんと)。年表作成とこの号の「解説」は園田さんが担当しています。
 第3集も杉並公民館の歴史を復元する編集、「解説」は田鶴子さんの担当。そして第4集が注目の「原水爆禁止署名運動の関連資料集」です。安井家資料は、このとき初めて世に出た!といっていいと思います。この号には、田中進さんが長文の「解題ー杉並区における原水爆禁止署名運動と公民館の歴史について」を書いています。編集に関わったメンバー(9名)それぞれが編集後記を書いています。
 私たちの安井資料研究会の前史、そして本報告『ひたすらに平和願えり』の源流は、『歴史の大河は流れ続ける』にあるのかもしれません。その現物はもう入手できなくなりました。図書館資料としてもなかなかアクセスできません。というわけで、せめて「目次」一覧だけでも以下に掲げて、記録としておきます。 *一覧・略 上掲・資料(3)




(11) 『原水禁署名運動の誕生』(丸浜江里子、凱風社)出版をめぐって
                      (南の風2830号・2012年2月25日)
 <心づくしの花>
 昨夜(2月23日)のTOAFAEC定例研究会は数えて181回目。丸浜江里子さんが昨年出版された『原水禁署名運動の誕生』(凱風社)をめぐって、著者ご本人からお話しを聞きました。副報告として、ぶんじんも『歴史の大河を流れ続ける』(1980〜1984年)のことや、旧杉並公民館について、いくつかのことを発言しました。
 丸浜さん新著は、すでに3刷だそうです。各地で読まれている様子、何よりのことです。出版直後の研究会でお祝いの乾杯をした経過はありますが、研究会として取り上げたのは初めて。この本は、杉並の地域史であり、同時に(今は姿を消した)杉並公民館史であり、東京社会教育史の一面をもっていると言えましょう。社会教育関係の皆さんにも、ぜひ読んでいただきたいもの。
 本書に登場する人たちは多数にのぼりますが、中心人物とも言うべき安井郁氏(杉並区公民館長、原水協理事長、法政大学教授)は1980年3月、安井田鶴子さんは2005年2月に亡くなられています。田鶴子さんのご命日は、2月14日。研究会の当日、田鶴子さんを偲んで、丸浜さんの心づくしのお花が飾られました。
 はるばる信州松川町より米山義盛さんが参加されました。伊那谷の銘酒ご持参でご苦労さまでした。終了後の出版お祝い会で美味しく頂き、みなほどよく酔いました。当日の記録は、すでに頂いている22日・韓国研究フオーラム記録と一緒に風・次号に掲載します。
→■岩本陽児・第181回研究会記録


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