地域・社会教育法・条例(東アジア・沖縄)研究ー小林ー

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<目次>

1,社会教育をめぐる全国的状況と九州  「九州の社会教育実践」創刊号(1993年)→■
2,地域と社会教育の創造−多元的・複眼的に考える
    
末本誠・小林平造・上野景三共編『地域と社会教育の創造』エイデル研究所、1995年本ページ
3,地域の創造と社会教育の可能性 
  小林文人・猪山勝利共編 『社会教育の展開と地域創造−九州からの提言』 (東洋館出版社、1996年)本ページ
4, 社会教育法五〇年とその現代的意義 「季刊教育法」(エイデル研究所)118、1998年12月)本ページ
5,東アジアの社会教育・生涯学習法制に関する研究(1993〜1996年)
→■
6,教育基本法と沖縄ー社会教育との関連をふくめてー
           
(日本教育学会『教育学研究』第65巻第4号、1998年)→■
7,社会教育法七〇年 
(月刊社会教育2019年6月号「かがり火」) 本ページ








1,社会教育をめぐる全国的状況と九州 
        
「九州の社会教育実践」創刊号(1993年)→■(別ページ)





2,地域と社会教育の創造−多元的・複眼的に考える
          末本誠・小林平造・上野景三共編 『地域と社会教育の創造』エイデル研究所、1995年


 一九九四年は私にとって「東アジアの社会教育法制」研究が一歩進んだ年であった。東京学芸大学・社会教育研究室メンバーが総力をあげて(うれしいことに中国・韓国・台湾の留学生が主体となって)『東アジアの社会教育・成人教育法制』を刊行し(一九九三年十二月)、これを携えて韓国に二度行き、中国にも行った。秋の日本社会教育学会研究大会(宿題研究)では、はじめて“東アジア”の視点から、社会教育法制研究の課題について問題提起をする機会も与えられた。
 しかしその過程で、あらためて日本の『地域と社会教育の創造』の課題についてさらに探求を深めなければならないことを痛感させられてきた年でもあった。それは次のようなことである。 
 一つには、日本の社会教育が歴史的にいわば地域主義的な体制を形づくってきたこと、それが社会教育法制の特質ともなって戦後四十年余の歳月を経過し蓄積を重ねてきていること、そしてこの点について類似性のたかい「社会教育法」をもっている東アジア(とくに韓国・台湾)の社会教育・成人教育関係者は案外と大きな関心をもって注目していること、を知ったからである。私たちはこれまでとかく先進の欧米成人教育との比較研究の立場から日本の社会教育の特殊性あるいは非近代性を確認することに熱心であったが、反面、日本の社会教育がその過程において形成してきた地域主義的な社会教育の特質について、あえて言えばその積極的な可能性について、アジアの視点から自らを“再発見”する姿勢をあまりもってこなかったのではないか、と考えたのである。(この点は前記『東アジアの社会教育・成人教育法制』「総論」の項に書いた。)

 二つには、それにもかかわらず、日本の地域・社会教育はとりわけ一九八〇年代以降大きく低迷し、豊かな展望を見い出し得ない状況が増えてきている。地域それ自体の変貌が著しいことも確かであるが、社会教育の行政及び諸活動がその変化に対応しきれず、また地域・自治体側の公共的条件整備−それは公的施設としての公民館の地域設置原則に典型的にみられるように日本・社会教育法制の特質である−の水準は停滞ないし後退している。いわゆる「行政改革」施策によるわけであるが、この経過のなかで自治体間の社会教育の地域格差もまた拡大あるいはむしろ固定してきているのではないか、といった実態は否定できない。戦後五十年の現段階において、これからの地域社会教育の展望をどのように画き出していくかが課題としてあらためて問われているのだ。

 そして三つには、一九九〇年代顕著な動向となってきた「生涯学習」政策との関連において、地域・自治体の社会教育は一体どのような位置を占めることになるか、という問題がある。わが国最初の生涯学習法制である「生涯学習振興整備法」(一九九〇年)は、地域主義に立脚する原則を放棄し、しかも民間活力に傾斜する方向で法制化された。当然これまでの社会教育法制との矛盾も小さくない。あらためて「地域と社会教育」そして「地域と生涯学習」の“創造”の在り方について、とくに新たな視点から検討を深める必要が生じている。

 一九九四年は、春や夏に本書『地域と社会教育の創造』編集のために開かれた楽しい研究会があり、そこに数度参加する機会があった。その折々に以上のような課題を、そしてこれからの方向を考え続けてきた年でもあった。課題は重く、道は遠い、という実感である。
 私たちは間違いなくいま一つの大きな曲り角に立っている。世界史的にみても一九八〇年代後半から九〇年代への転換は激しいドラマだ。混乱しつつも、しかし考えてみれば、私たちは実に面白い時代に生きているということでもあろう。この時点で社会教育や生涯教育・生涯学習の在り方が古い一面的な発想に支配されてはならないだろう。行政改革の厳しさを嘆き、あるいは逆に民間活力の大合唱に流されるだけでは済まされないだろう。いまこそむしろ大胆に、模索しつつ多様な可能性を多面的かつ発展的に求めていく必要がある。私たちはいま、地域・社会教育についてどのような地図を画くことができるか、迷いながら、しかしその中でどのように新しい舵を切ることができるか、その力量が問われている。

 これからの方向を模索していく上で、自ら留意すべき視点をいくつか書き記しておくことにしよう。
 1,まず第一に言えることは、一九四〇年代後半の戦後社会教育創設の時期と比較するまでもなく、戦後五十年の今日、社会教育の方向を見定める上でのたくさんの歴史蓄積を私たちはもっている。社会教育の法制だけではなく、それにかかわって職員集団の形成があり、さまざまの実践と運動が積み重ねられてきた。そしてなによりもそこに参加してきた住民の多数の期待と要求があり、社会教育への民衆意識の定着がある。これらは新しい歩みを拓いていく上での基礎条件であり、貴重な財産というべきである。

 2,社会教育の実践や運動は、それを支える公的諸条件とともに、現実にはそれぞれの地域・自治体のなかに堆積されてきている。その実像は、本来的に地域的なものであり、決して一面的なものではなく、むしろ多様、多彩であり、地域的に個性的であり、そして自治的なものである。あるいはその負の側面として地域的な格差を含むかも知れない。その格差是正やあるいは全般的な水準向上の要請から、地域の個性や自治を無視したり、一元的な「生涯学習振興」の政策を許容したりすることになってはいないだろうか。半世紀にちかい現行社会教育法制のもとでの歴史蓄積が、地域的に多様であり、本質的に自治的な性格のものであることの確認から、それらを発展させる視点にたって新しい方向を模索する必要がある。

 3,地域社会教育にかんするさまざまの理論形成の努力がこれまで重ねられてきた。それらは総じてこれまでの自治体行財政水準の貧困や社会教育体制の弱体を背景として、それを克服していくため豊かな公共的条件整備の在り方と社会教育の独自性や専門職制の理論や課題をひたすら追求するという傾向があった。しかしこの理論追求の姿勢が厳しくかつ真摯であればあるだけ、かえって多面的な問題の把握や豊かな視野のひろがりを見失ってきた側面もあるのではないかと思われる。たとえば公共的条件整備論に傾斜するあまり、住民の学習の内容論・方法論を豊かにする理論構築の“眼”が鈍麻したり、あるいは社会教育行政の独立性や職員の専門職制の追求が、逆に社会教育にかかわる幅ひろい行政施設の連携ネットワ−ク論や多彩なボランティアの積極的役割をとらえる“芽”を摘み取ったりしていないだろうか。私たちは、これまで蓄積されある程度定式化されてきた理論について、いま新たな状況に立って丁寧に点検し豊かにふくらませていく作業に取り組むべきではないだろうか。

 4,本書は、「地域と社会教育」の在り方を追求しつつ編集がすすめられてきたが、その豊かな「創造」のためにも、せまく地域主義的な論議に閉じこもってはならないと思う。日本の社会教育と法制の地域主義的な特質を明確にしつつ、それをさらに拡充するためにも、ひろく住民の学習権実現の構図を、その可能性を、大きな視野をもって多元的・複眼的に画きだしていく必要があろう。
 地域の住民は、自治体の主権者であり、国家・社会レベルにおける民主主義の担い手であり、同時に労働者であり、あるいは生産者であり、また消費者、高齢者、障害者であり、また在日外国人などでありうる。また自らの健康に悩む住民でもあれば、自由時間を豊かに楽しもうとする「文化」人でもあろう。社会教育・生涯学習は、これら住民の生活の多様な各局面にわたって、その教育・訓練・学習・文化・スポ−ツ等に深く関わる活動である。その意味で「地域」社会教育の独自領域を特立させる発想ではなく、それと関連する諸領域、たとえば企業職場の職業能力開発、産業活動のなかの訓練・研修、地域医療・保健活動、環境・リサイクル運動、あるいは学校・大学の開放とリカレント教育、いわゆる文化行政や国際交流活動などとの関連を問い、相互の連携や結合を模索する姿勢が求められる。

 5,「地域と社会教育の創造」の課題は、ユネスコ「学習権」宣言(1985)、あるいは「まちまちむらむらから学習権宣言を」(社会教育推進全国協議会、1992)の精神を主軸に据えることであろう。問題は、「学習権」の理念をどのように分節化し、方法化し、実践的に具体化していくかであろう。私たちは、「学習権」や「地域に根ざす」や「住民自治」などの重要なキ−ワ−ドをもっている。しかし、それらは理念レベルの課題提起として多用され、それで自己満足してきたきらいがある。
 「学習権」の思想を、現実の実践レベルの内容論として、あるいは実際的な方法・技術論としてどのように具体化していくか。いわばその実践化のキ−ワ−ドを私たちは開発していく必要がある。その作業を重ねることによって「学習権」の思想は強化される。 (小林文人:東京学芸大学教授)





3,地域の創造と社会教育の可能性
  小林文人・猪山勝利共編『社会教育の展開と地域創造−九州からの提言』
  (東洋館出版社、1996年) 第1章


 地域・社会教育“再発見”の視点
 戦後五〇年余の歳月をふりかえると、現代の加速度的な社会変化の激しさが特徴的である。この半世紀、政治も経済も文化も、人びとの生活と価値の体系も、そしてその具体的かつ日常的な表出の場としての「地域」もまた、なんと大きく変化してきたことか。現代の「激動」こそが、今日までの、そしておそらくこれから二一世紀へ向けての、私たちの歩む道程を貫くキイ・ワードであろう。そこに生きる人びとは自らの人間的な生存のために、たえざる「挑戦の連続」を求められてきた。かってPラングランが生涯教育論を提起(一九六五年)したのも、現代人が直面するこのような社会の激動にたいする深い問題認識から出発していた。まわりの状況が絶え間なく変わっているのに教育のシステムは固定化して動かず、あるいは鈍感にしか対応できない。生涯教育ないし生涯学習としての教育改革が求められる社会的背景がここにあった。それからすでに三〇年が経過したことになる。@
 ところで本書の主要テーマである「地域」は、大きな社会状況の激変を映し出す「小さな宇宙」である。マクロなレベルの変化が、さまざまな形でミクロに具体化する。しかし同時に、逆に地域それ自体の細かな変化の集積が、大きな状況変化の実像をつくりだす。小さな宇宙の視点にたてば、大きな宇宙の動きが微細に見えてくるところがある。私たちはこのような地域実証主義的な立場を重視する。これまでとかく大きな状況から地域の小さな動きを捉えようとしてきた。それだけではなく地域のさまざまの小さな実像をこそ直視し、そこから社会の全体の状況を捉えかえす必要があるのではないか。「小さな宇宙」へ私たちの視点を移して見れば、これまで見えなかったものが見えてくるだろう。いわば地域の“再発見”とでも言うべき作業である。
 日本の社会教育の特質は、それが地域のなかで生起し、地域を舞台として展開してきたところにある。その実質は基本的に住民の活動である。しかしそれをめぐる政策・行政の歴史からみれば、戦前の社会教育はむしろ国家より発し、政策的に上から下へと、地域と住民の側に降ろされてきた。いわばその国家主義的な流れを明らかにする必要から、私たちの研究は国家レベルの社会教育の歴史解明や制度・行政の実態把握に主たる力点をおいてきた。地域の社会教育をとりあげる場合も、むしろ国家の視座からその政策や行政の浸透・定着の受け手として位置づける傾向があった。そのような一面的な見方は修正されなければならない。もっと地域それ自体の社会教育の内面的な展開や住民の自主的な学習の実像を明らかにしていく必要があるだろう。
 後に述べるように戦後の社会教育改革において、ようやく地域レベルの住民主体の社会教育活動こそが基本であること、それを奨励し援助するものとして、国及び市町村行政の役割が期待されること(教育基本法第七条、社会教育法第一章総則など)が示された。それは画期的な転換であった。しかし具体的な展開はどうであったのだろうか。社会教育法制を基礎に地域の新しい活動が始動していった反面、法制化によって住民の自由で個性的な学習・文化活動をかえって制度的枠組みにせまく閉じこめる側面もみられた。また根強い行政側の古い体質により、あいかわらず権力的統制的あるいは行政主導的な社会教育の実態が持続されてきた地域現実も否定できない。それらの事実を明らかにし、批判し改革の道を模索する努力が重ねられてきた。しかしその場合でも、国レベルの政策や行政の体質とそれらの地域への浸透についての論議が中心となり、やはり没「地域」的な傾向があったのではないだろうか。地域それ自体の独自性については従属的な把握に止まりがちであった。
 私たちはあらためて社会教育活動が現実に生起する地域から問題を発想する必要がある。地域と住民の諸活動に立脚し、地域の内がわの泉を掘る作業をさらに重ねなければならない。そのような地域の視点から、逆に国の社会教育・生涯学習の政策や行政の方向を問い直す視点が求められている。

 社会教育法制における地域主義
 まずわが国の社会教育ないし生涯学習に関する法と制度において、「地域」がどのように位置づけられてきたか、その経過、特徴を概観しておこう。
 戦後教育改革期において教育基本法(一九四七年)及び社会教育法(一九四九年)を中心とする新しい社会教育法制が成立するのは、戦前の国家主義的な社会教育体制の反省を起点としていた。その後、この半世紀にわたる社会教育法制の地域への定着過程を通して、紆余曲折を含みつつ、しかし日本型とも言うべき独自の社会教育制度が形成されてきた。それは、全国的規模にわたる「地域」を主要な基盤とする「社会教育」の概念と領域、そして地方自治・地方教育委員会制度(発足当初は公選制)に基づく社会教育行政の組織・体制、の成立であった。もちろん基盤となる地域・自治体によって多様な形態がみられるが、各自治体(すべての自治体)に社会教育のいわば地域主義的な体制が形づくられてきたことは共通している。この点は、諸外国の成人教育や継続教育等の制度と比較して、まさに日本社会教育の特徴と言うべきであって、類似の社会教育法制をもっている韓国や台湾の場合と比べても、その地域主義的な制度の形成は顕著なものがある。
 もっとも戦後の社会教育法立法過程を振りかえってみると、初期の草案段階(第一次、第二次案などが示される一九四七年当時)では、総体的にみて地域主義的な特徴はそれほど鮮明ではないように見受けられる。社会教育団体にしても「地域」社会教育関係団体に限定されないし、法案の全体構成の中には地域をこえる「労働者教育の奨励」の規定が用意されいた。また戦後初期には社会教育奨励法案、同施行規則案というものも残されているが(一九四六年)、この場合の社会教育事業も決して地域的に限定されるものではなかったと考えられる。これらの点は前に指摘したことがある。A
 周知のように教育基本法第七条(社会教育)では「勤労の場所」における教育の「奨励」についても、国及び地方公共団体の任務と規定している。しかし一九四八年「労働者教育に関する労働省(労政局)文部省(社会教育局)了解事項について」(両局長通達)によって、労働者教育の主要部分は労働省の管轄に委ねられることになる。これが一つの重要な転機となった。社会教育草案も、一九四八年段階に至って大きく修正され、労働者教育の奨励等の条項を切り離し、以降は現行法のように地域施設としての公民館ないしは地域の社会教育関係団体を中心とする法構成となる。結果として教育基本法第七条にもかかわらず、社会教育法には「勤労の場所」における教育の奨励に関する下位規定は欠落することとなった。各国において成人教育の主要な内容である労働者教育・職業訓練の領域は、日本では教育基本法制の枠外におかれたまま、約半世紀の経過の中で地域社会教育との分離が制度的に固定してきた。
 社会教育法制における地域主義的な性格の成立は、したがってその反面において、職業・労働に対応する教育訓練制度の欠落を意味している。この点は今後の生涯学習政策の展開のなかで克服されなければならない大きな課題であろう。そのことを前提とした上で、地域主義的な社会教育の特徴なり可能性を明らかにしていく必要がある。
 話をもとに返そう。日本の社会教育法制における地域主義的な特徴はなにか、その主要なものを挙げれば次のように整理することができよう。
1,社会教育行政におけるいわゆる「市町村主義」の原則(社会教育法第五条など)。自治体社会教育法制としての条例・規則の制定(同法第一八条、第二四条、図書館法第一八条、博物館法第一八条など)。
2,「市町村その他一定区域内の住民のために」「市町村が設置する」地域施設としての公民館制度(同法第二〇条、第二一条)。関連して「公民館に類似する施設」(同法第四二条)としての集落・自治公民館の規定。社会教育法は市町村設置の公民館制度をを中核とする意味で「公民館法」と呼ばれる場合もあった。
3,地域団体を中心とする「社会教育関係団体」の制度。それに対する社会教育行政の援助、補助金支出の規定(同法第一一条、一三条等)。
4,社会教育関係団体を基礎とする諮問機関としての社会教育委員、公民館運営審議会委員の制度(同法第一五条、第三〇条等)。
5,図書館法及び博物館法はいずれも「社会教育法の精神に基き」(両法第一条)制定されたという意味で社会教育行政における「市町村主義」原則と同根の基礎をもち、同法の「公立図書館」「公立博物館」は単位自治体としての市町村による設置を主流としている。いずれも市町村・教育委員会の所管に属し、また図書館協議会・博物館協議会の構成についても、前項?と同じく、地域的な社会教育関係団体選出委員の比重が大きい。
 その後、これらの社会教育法制はいくつもの改正を経過し、あるいは公民館・図書館・博物館それぞれの「設置及び運営に関する基準」(文部省告示)等が定められてきたが、総体として制度の地域主義的な性格は基本的に維持され、今日に至っている。
 しかし一九八〇年代後半から登場する生涯学習政策によって制定された「生涯学習の振興のための施策の推進体制等の整備に関する法律」(「生涯学習振興整備法」、一九九〇年)は、それまでの社会教育法制の法理念、原則とは異なるところがあり、地域主義的な性格は大きく後退した法規定となっている。すなわち市町村主義にかわる「都道府県主義」ないし広域圏構想、施設主義の欠落、公的条件整備にかわる民間活力導入、などの転換である。これらは従来の社会教育法制と矛盾するところが少なくない。社会教育法それ自体の「見直し」についても、これまで数次にわたり論及された経過(臨時教育審議会第二次答申、一九八六年など)がある。今後この生涯学習振興整備法にもとづく施策の動向に注視していく必要があろう。B

 生涯学習時代における地域・社会教育の位置
 社会教育法制の地域主義的な特質は、その積極的な側面と同時に、その反面としていくつもの限界をもっていることは確かである。まず前述した労働者教育ないし職業技術訓練の制度的欠落が第一に指摘されるべきであろう。また福祉行政・施設のような関連機関との連携や、あるいは大学・学校の公開機能など、社会教育として本来もっと積極的に拡大すべき多元的な視野を失いがちであった。法に基づく行政施策は、とかく行政セクショナリズムに陥りがちであり、その関連ネットワークの豊かな構図をもち得ていない。以下述べるように、その新しい可能性を展望していくためにも社会教育における地域主義の、せまい枠組みの論議に閉じこもってはならないと思う。
 あるいはまた「市町村主義」の別の側面として、市町村行政による条件整備の弱さに起因する社会教育の驚くべき地域間格差の問題もあろう。ある自治体には水準のたかい公民館施設が躍動し住民の学習・文化活動が大きな展開をみせているのに対し、隣の自治体の公民館はまったく形骸化しているとか、図書館が新しく胎動しサービスのネットワークが大きく拡大している自治体がある一方で、とくに小さな町村ではまだ正規の公立図書館の設置さえ進んでいない、といった状況である。
 一九六〇年代後半からのユネスコを中心とする生涯教育思想の国際的潮流は、日本の社会教育の地域主義的な“狭さ”、あるいは制度的な“固さ”を自覚する契機となった。そして今日の生涯学習政策の登場によって、あらためて職業能力開発、福祉行政との連携あるいは大学の改革と開放など、新しく挑戦すべき課題が明らかにされてきていると言えよう。その意味で現代的な生涯学習の新しい施策に期待するところが大きい。しかし残念ながら前述「生涯学習振興整備法」に示される諸施策ではこれらの重要課題に対応できないであろう。(同法第二条では「職業能力の開発及び向上、社会福祉等」は「別に講じられる施策」として除外している。)
 それと同時に注目されることは、このような生涯学習政策の展開のなかで、ともすると正当な評価に結びつかなかったこれまでの地域社会教育が果たしてきた独自の役割、その地域主義的な実践と蓄積、その意義なり視点の重要性が、逆にはっきりと浮かびあがってきていることである。
 生涯教育・生涯学習の潮流が、一方で地域の社会教育の克服すべき課題を自覚させると同時に、他方で自治体の公的社会教育の蓄積と地域の視点にたつ社会教育実践に新たな光があてられ始めている。たとえば生涯学習政策が大きく喧伝された一九八〇年代後半から、地域主義的な社会教育を古き歴史的遺物とみなして「社会教育よさようなら、生涯学習よこんにちは!」「公民館の歴史的役割はおわった!」などという、まことに一面的なコピーが関係者の間で流行ったことがある。それは当時の国の「行政改革」施策としての公的セクター・行政サービスの見直し、その路線に基づく「公的社会教育」決別の大合唱、となってあらわれた。しかし、そのような単眼的な見方がいかに浅薄であるか。住民各層の広汎な学習権保障の実現のために、戦後五〇年の経過のなかで地域のさまざまの社会教育実践がつみ重ねられてきている。それを支えてきた公的社会教育の体制と歴史的な蓄積がある。それらを基礎として、もっと多元的な生涯学習の構図を組み立てる必要があるはずだ。地域の社会教育の可能性、それへの着目なくして本来の生涯学習の創造と発展はないのではないか。
 このような発想の基本理念には、すべての人々の生涯にわたる学習権の実現がめざされている。その場合、すべての人々は、それぞれの生活・労働・文化の多様な課題に直面していくのであるから、それに対応する学習権保障の道は一元的ではあり得ず、まさに多元的な構図をもって画かれなければならない。したがって企業社会に対応する職業訓練や、大学の公開講座や、あるいは営利的なカルチャー・センターにしても、それなりの意義をもつものと理解すべきであろう。しかし企業マンであれ労働者であれ、消費者であれ生産者であれ、すべての人々は共通して“地域”に生き、“住民”としてともに暮らしている。彼らが住民として、そして人間として生存していくためには、地域の諸課題に対応した学習・文化活動が必要であること、その現代的な意義について「はい、さようなら」「歴史的意義はおわった」と簡単に片付けることはできないだろう。日本の地域社会教育の歴史と蓄積にあと一度きちんと光をあてて、生涯学習時代と言われるなかで、その役割と新たな展望について逆照射的に課題を明らかにしていかなければならない。
 多元的な視点から「生涯教育(生涯学習)の諸領域」を画き、そのなかに不可分のものとして地域社会教育を位置づけた試みとして、末本誠の構図がある。C 末本は、社会教育の固有の役割として「地域社会の発展に寄与する」ことが「重要な目的」であるとし、「地域の発展」は、それを担う住民個々の主体形成(実践的問題解決的諸能力の発展)とその集積としての「地域社会が全体としてもつ問題解決的力量の発展」であるという。そのための社会教育の課題が四点にわたって提起されている。すなわち、問題の客観的な理解、問題解決に関わる具体的技術(スキル)、自己を表現する能力、他者と交流し連帯する能力、である。
 この場合、「生涯教育の諸領域」表はその組織形態・組織主体別に、あるいはまた行政系列別に表示されているが、教育・学習の主体としての住民の側から考えてみた場合、この表はさらにどのような構図に展開していくのだろう。住民の自己形成と発達、それに支えられる地域の発展と創造、そのような発達・発展の視点から新しい追求を試みる必要があるように思われる。

 学習・文化活動の地域史ー地域の地下水脈と泉を掘る
 戦後五〇年の地域の歩みは、その重要な側面として、住民が織りなすさまざまの学習・文化活動の歴史を内包してきた。住民の学習・文化活動は、地域の条件の違いによって一様ではないが、何らかのかたちで直接・間接に公的社会教育と関わりをもち、また複雑に交錯してきた。たとえば、公民館や図書館の事業から誕生した学習サークルがあり、それらが母体となって地域の住民運動の拡がりがあり、また公的社会教育が積極的に奨励してきた地域青年運動、婦人会・女性団体、PTAの運動などがある。あるいは公的セクターからは独自の自立的な住民運動、生活協同の運動などの展開のなかでも必然的に住民の自己学習・文化活動が生みだされてきたが、それらも公的社会教育との関連を多様に(競合や矛盾を含みつつ)創りだしてきている。それらの複合的な展開がまさに“地域”それ自体を創る要因となってきた。その歩みのなかから、地域発展の内発的なエネルギーが形成されてきたのである。私たちはその意味で、住民の学習・文化活動と公的社会教育の地域史に着目する必要がある。
 事例を一つ取りあげよう。いま手もとに部厚い社会教育実践記録集がある。長野県松本市公民館主事会編「松本の学びー根っこワーキング」T・U分冊(一九九一年)である。「はじめに」によれば、この記録集は住民主体で行なわれている学習であること、松本の地域に根付いた草の根学習であること、の二点を重視して実践事例が集められた。当初の予想をこえて一冊では納まりきれず、二冊の大作(合計九二〇頁、一四二編の報告)となった。これに収録できなかった事例も少なくなく、また「掘り起こせなかった事例はまだまだたくさんあります」(あとがき)という。ここに集められた実践事例を読みすすんでいくと、地域はまさに「小さな宇宙」であることを実感する。
 実践事例集の主要な柱は、人権・平和・国際化、?ども・青年・女性・高齢者、自然・環境・くらし・健康・スポーツ、福祉・ボランティア、文化・地域づくり、団体・サークル、公民館委員会、町内公民館(自治公民館)、公民館・図書館・博物館・社会教育施設・職員、となっている。公的な社会教育とは直接かかわらない、文字通り“草の根”の住民運動の記録もあれば、公民館の公的事業から育った事例もあり、また社会教育職員や図書館員の実践報告もある。しかし「学習活動の多くは、直接・間接的に公民館と結びつき、発展していった」ものであり、またこうした松本の学習・文化活動の土壌も「公的な社会教育に培われた」(はじめに)という。人口約二〇万の都市、一つの典型的な地域・自治体のなかに、これだけの(これだけに止まらない)実践・運動のエネルギーが地域のなかに胎動し、地下水脈となって流れ、泉のように湧き出ていることに感動させられる。
 松本市では、このような住民の学習・文化活動の蓄積に支えられて「みんなで育てよう・学びの森ー市民の生涯学習宣言」を発し、同市生涯学習基本構想「学びの森づくり」を策定(一九九四年)している。さらに同市教育委員会は市民たちの証言「学びの森を生きるー松本の生涯学習誌」(一九九五年)をまとめ、同市婦人のつどい実行委員会は三〇年余の歩みのなかで生まれた地域活動実践の事例集「学びと歩みのハーモミー」(同)を発行している。そこには地域に学びつつ生きる住民の証言があり、また女性たちの一一〇編にのぼる珠玉のような報告がある。
 人それぞれに学びの自分史があるように、地域にも学びの地域史がある。地域の歩みは(政治・経済の歴史に止まらず)住民による学習文化活動の歴史でもある。その地下水脈をさぐり泉を掘る、という視点をもってそれぞれの“地域”を見つめ直してみると、何が見えてくるか。時代から時代への移りかわりのなかで、しかしその過程で歴史的な継承と蓄積、あるいは挫折を経ながらの、地域と住民の歩みがある。社会教育も生涯学習もそのような歴史のなかで形成されてきた地域の土壌、住民の活動に依拠して組み立てていく必要があろう。たとえば前掲の「根っこワーキング」では、松本の社会教育は、戦前からの伝統(自由民権、普選、労農、白樺、自由大学、青年団などの諸運動)を引き継ぎながら、戦後の歩みがあり、それは「はじめに住民の学習ありき、から始動した」と指摘している(手塚英男「学びの智恵をまちづくりの力に!ともに創ろう・市民の生涯学習プラン」第二分冊)。D
 九州や沖縄はどうであろうか。一般的には地域の伝統的な古い体質に引きづられ、行政主導の体制も強く、住民の伸びやかな学習・文化活動の展開は未発であり、あるいは微弱であり、公的社会教育の条件や水準も必ずしも高くはない、という捉え方がある。たしかにそういう側面もあるだろう。しかしそのような概括的な見方は一面的にすぎる。その古代史から現代にいたる歴史的な展開のなかで、アジアと世界に開かれた地理的なポジションに立って、九州・沖縄の地域は豊富な地域史をもち、そのなかで格闘してきた住民の活動と学習・文化にはむしろ層の厚い蓄積があるのではないか。それはいま地域の古層となって顕在化していない場合もあろうが、課題はむしろそのような地域史を発掘し、その内面的な豊かさや可能性を発見し、それと現代の社会教育を結んでいく視点の貧しさにあるのでないだろうか。

 新しい地域主義と社会教育実践の課題
 いま地域は大きく動いている。農村・農業も、都市も産業も、人々の暮らしと意識も、激しい変化のなかにある。それは地球規模の「大きな宇宙」激動の実像的部分である。それを反映して住民の学習・文化活動もまた新しい展開をせまられている。そのような地域を土台とする社会教育(行政・実践)が旧態依然のかたちでいいはずがない。前述した地域主義の固さと狭さを脱皮して、生涯学習の理念を吸収しつつ、新しい地域主義の立場からの社会教育実践の拡がりと発展を追求していく必要がある。
 これまでの地域社会教育が、「市町村主義」を原則とする法制に基づき、主として単位自治体(市町村)レベルの社会教育条件整備、公民館を主とする地域施設の蓄積、あるいは各種の地域社会教育団体の育成、学習・文化活動の奨励援助、などに果たしてきた役割は決して小さいものではない。しかし激動する現代の状況に立脚して、いま新しい視点からの地域社会教育実践の開拓が求められている。そのことが「社会教育よ、さようなら」の俗説を論破し、逆にいま進行している地域遊離、市場原理傾斜の生涯学習政策の屈折を正し、多元的な生涯学習の構図のなかに地域社会教育の不可欠の役割を正当かつ実質的に位置づけることになるだろう。
 生涯学習政策が急速に展開してきたこの十年、その間に平行して社会激動の状況を反映して、地域ではこれまでに見られない新しい学習・文化活動がまさに地域主義的に胎動してきている。これからの社会教育行政・実践は、これらの躍動する住民エネルギーに参加し、それと結合していく必要がる。従来言われてきた行政事業への“住民参加”に止まらず、主体的な住民活動への“行政参加”という視点が逆に求められているとも言えよう。すでに紙数がなく要点のみであるが、九州・沖縄の視点を意識しつつ、以下に地域の新しい学習・文化活動の潮流と考えるべき課題を記しておこう。

1,地域の古層に潜在化(埋没)してきた文化的な豊かさ、歴史の先進性、古代史にさかのぼる国際性など、地域文化再発見の努力と地域おこしの運動。地域の埋蔵文化財は単なる博物館の展示物に止まらず、地域の歴史と文化的エネルギーを現代的に認識し、地域に誇りと勇気を与える契機となり、地域おこしの活力に転化していく可能性をもっている。九州・沖縄はその点で多くの地域事例をもっている。たとえば熊本県球磨郡免田町の「熊襲復権」の町おこしの動きはその典型であろう。E
2,近現代史における地域史の発掘と歴史学習、記録資料の復元の努力。九州・沖縄は日本のなかでも東南アジア、とくに中国、朝鮮との豊富でかつ厳しい交流史をもっている。同時に日本資本主義の展開過程では、重要な政策的戦略的地点として“収奪の場“”草刈り場”“穴掘り場”として位置づけられてきた。当然これに抗する民衆諸運動や労働運動が燃えさかってきた地域でもある。その地域史に取りくむことは「自分自身の世界を読みとり、歴史をつづる権利」(ユネスコ「学習権宣言」、一九八五年)を実践的に具体化することでもあろう。たとえば、林えいだい氏(もと戸畑市教育委員会社会教育主事)の膨大な地域史ルポルタージュの労作から社会教育実践として何を学ぶことができるのか、課題としてみたい。F
3,環境問題、反核・平和、子ども・女性・高齢化問題などさまざまな現代的課題にとりくむ学習運動、住民運動の地域的な展開。地域をこえ、あるいは地球規模にわたる大きな社会問題は、地域から遊離した抽象的課題としてでなく、いま地域の内なる問題として自覚的に認識され、草の根からの運動によって取り組まれている。住民として地域課題にせまる運動のなかでは質の高い学習・文化活動が創り出されている。たとえば沖縄県名護市源河「リュウキュウアユを呼び戻す運動」と名護市生涯学習施策との結びつきの事例は、住民運動が提起するいわば現代的課題を地域生涯学習計画の重要テーマとして位置づける可能性を教えている。G
4,集落の自治と共同の活動、自治公民館の役割。従来ともすると集落や自治公民館は地域保守体制の牙城として、あるいは滅びゆく古い住民組織として、社会教育実践の観点からはむしろ消極的に考えられてきた傾向があった。しかし、集落を住民自治の基礎組織としてその具体的活動を捉えなおしてみたとき、日常生活レベルにおける住民相互の自治、共同、連帯の素朴な実像が見えてくる。たしかにそれは古い地域組織の側面を含みながら、しかし他面きわめて現代的な地域課題にとりくむ住民自治組織としての積極的な可能性をもっている。事実、九州とくに沖縄には、住民の暮らしや安全、集落の環境や産業の発展のために、アメリカの極東戦略に対抗して住民総ぐるみの取り組みを組織している事例もある。そして集落レベルの独自の住民自治活動が、集落・自治公民館として展開されてきたのである。H
5,生活文化協同の運動。生産・生活にかかわる協同だけにとどまらず、とくに子どもの文化権、文化参加の実現をめぐって広汎な地域運動が展開されてきている。たとえば、その一つの典型である「子ども劇場」「親子劇場」の運動は福岡に誕生してすでに三〇年の歳月が経過している。この運動のなかで、多くの地域で新しいスタイルの学習・文化活動が自主的に取りくまれ、さらに地域をこえてほぼ全国規模にわたる文化協同運動のネットワークが組織されてきた。文化協同の運動を通しての地域づくりという展開もみられた。これらの広汎な生活協同・文化協同の運動が自治体の公的社会教育あるいは生涯学習計画等とどのような関連をもつことになるか、重要な課題であろう。I
6,地域ボランティア・ネットワークの登場。行政従属・補完的な従来のボランティアを脱皮して、文字通り自主的かつ活動的なボランティア・グループの登場は、新しい地域の活力・創造の象徴的な動きであろう。社会福祉と社会教育の伝統的な枠組みを飛び出して、地域と住民のさまざまの課題に対応する活動が創意豊かに展開し始めている。たとえば環境ボランティア、平和ボランティア、日本語ボランティアなどなど。一九九五年は阪神淡路大震災を契機として若者のボランティア活動が注目をあつめ、「ボランティア元年」とも称されれる状況が生れたが、それより以前に日常的な地域ボランティアはすでに多様なかたちでの活動を模索し、地域づくりを担ってきたのである。行政従属的ボランティアにたいする単純な批判の段階から、新しい地域エネルギーを担う自立的ボランティアの積極的な役割、その創造的な可能性を追求していく必要があろう。さらに「継続するボランティア」「食えるボランティア」の提起も注目される。J

 くりかえすまでもなく、私たちは新しい地点に立っている。これまでの蓄積を土台としながら、現代的状況を認識しつつ、発想をみずみずしく意欲的に発展させていきたいものである。地域と社会教育に新しい発想をもって、新しい光をあててみる、そこに必ず“発見”があり、それが創造の契機となるはずである。そこからまた新しい道程が始まる。

 [文献・注]
@ポール・ラングラン、波多野完治訳「生涯教育入門」第一部、全日本社会教育連合会、1976年
A小林文人「社会教育における地域の思想」、矢野峻・岩永久次編「現代社会における地域と教育」東洋館出版社、1981年
B本節でとりあげた「市町村主義」その他項目の具体的説明は紙数の関係で省略せざるを得なかった。詳細については、小林文人・末本誠編「新版社会教育基礎論」国土社、1995年、第2章、あるいは社会教育推進全国協議会編「新版社会教育・生涯学習ハンドブック」エイデル研究所、1995年、等を参照されたい。
C末本誠「社会教育と地域」、同他編「地域と社会教育の創造」エイデル研究所、1995年、18頁
D手塚英男「松本の社会教育が歩いてきた道」月刊社会教育1991年7月号所収
E小林文人「社会教育をめぐる全国的状況と九州」「九州の社会教育実践」創刊号、1993年→■
F林えいだい「闇を掘る女たち」明石書房、「筑豊俘虜記」(亜紀書房)、「強制・強制労働ー筑豊朝鮮人坑夫 の記録」(現代史出版会)など多数
G島福善弘「リュウキュウアユ呼び戻し運動と生涯学習」月刊社会教育1994年12月号
H小林文人「沖縄の社会教育が問いかけるものー沖縄復帰二〇年」月刊社会教育1993年12月
I佐藤一子他「まちづくり・むらおこしと文化創造」九州・沖縄社会教育実践ブックレットbP、1995年、 九州沖縄地方子ども劇場連絡会編「花は野にあるようにー子どもの文化宣言九三」晩成書房、1993年、など参照
J山本いま子・馬場三恵子「地域をつくるボランティア」九州・沖縄社会教育実践ブックレットbQ、1995年、また「継続するボランティア」については、内橋克人「共生の大地」岩波新書、1995年、参照





4,社会教育法五〇年とその現代的意義
    「季刊教育法」(エイデル研究所)118、1998年12月号


1,ひ弱い初生児の誕生、それから五〇年
 社会教育法が昭和二四(一九四九)年六月十日に施行されて以来、すでに半世紀が経過した。草案づくりから法成立にいたるまでには、二年をこえる陣痛の苦悩があり、ようやく生み落された難産の子であった。立法過程の主役は言うまでもなく文部省当局であったが、その中心にいた寺中作雄(当時、社会教育課長)は、次のように言っている。
 「今日生れた社会教育法は全くまだ骨組もかたまらない腺病質の、見るからにひ弱い初生児の格好で生れたのであるから、その成長が危ぶまれること頻りである。…略…これを育てあげる苦労は今から予想されるところであり、適当な時期に手術を加え養護を尽くして、改善療治を図ってゆく必要が大いにある。」「終戦四年目の混迷期に突如として呱々の声をあげたこの子供の、内に秘めている善資も弱質もさらけ出して、社会教育関係者にその庇護と養育を託す…。」(同『社会教育法解説』序、一九四九) 
 戦後初期の教育改革が進められた経過は曲折に充ちたものであり、その時代背景も単純なものではない。そのなかで社会教育法の立法作業は、戦前的な法制遺産をもたなかったこと、当時のアメリカ占領下の政治的統制、その政策(極東戦略)の複雑な転換(反共民主化路線)の影響、そして新しい近代法理念と地域・社会の古い構造との乖離、なにより国民一般の社会教育に対する期待や意識の未発、などの状態のなか、法草案も二転し三転していく経過であった。(詳しくは、横山宏・小林文人編『社会教育法成立過程資料集成』昭和出版、一九八一、参照)
 とくに戦前・戦中の国家主義的社会教育にたいする国民多数の違和感があり、国会内にも法制化そのものへの反対があった。このことを意識してであろう、寺中作雄は『社会教育法解説』序文で、「自由を生命とする社会教育」「国民の自己教育」「自由なる部分の発展と奨励」「社会教育の自由の獲得のために社会教育法は生まれた」と、繰り返し「社会教育の自由」理念を強調している。
 社会教育法は、図書館法もそうであったように、「理念は豊かであるが、実質は乏しい」と評される。「社会教育の自由」理念などはまことに鮮明である。しかし、法制定時の国家財政状況をも反映して、社会教育活動にたいする行政の「条件整備」(教育基本法第十条)ないし「環境醸成」(社会教育法第三条)任務は、「予算の範囲内」における任意の規定にとどまった。なかでも法の中心的部分を占める公民館については、制度的には社会教育機関としての法制化ではあったが、その実質的な条件整備の基準、たとえば専門職的な職員体制整備についての規定などまったく不充分であった。これが制度改善を求める「公民館単行法」運動(一九五三〜五八)を呼ぶことにもなったが、もちろん実現しない。社会教育法制定一五年を経過しても、「社会教育法、このあいまいなるもの」(「月刊社会教育」特集、一九六四年七月号)が論議されるといった状況であった。
 それから風雪を重ねて、社会教育法は五〇年の歴史を経たことになる。人生にたとえても熟年に到達した。この半世紀をどう見るか。社会教育法は何をもたらし、また、もたらさなかったか、いまどんな地点に立っているか、短い紙数ではあるが、考えてみたい。

2,社会教育法の歩んでき道―法改正と立法運動

 まず社会教育法が歩んできた道程を簡単に振り返っておこう。
 社会教育法は制定から今日までいくつもの修正を重ねてきた。一九九〇年「生涯学習振興整備法」(略称、以下同じ)成立にともなう関連の法改正まで、二〇次の法「改正」が行われている。主要なものをあげれば、一九五一年の社会教育主事制度の追加(法第二章関係)、一九五三年「青年学級振興法」制定にともなう一部改正、一九五六年「地方教育行政法」制定にともなう改正、一九五九年のいわゆる社会教育法「大改正」、一九九〇年の上記改正、などである。
 とくに一九五八年から五九年にかけての法「大改正」問題は、国会内で与党・野党が激突し、国論を二分するかたちでの大論議が展開された。社会教育と法の問題が初めて国民的論議になったとも言える。ここで詳述する余裕はないが、たとえば主要な争点となった社会教育関係団体補助金交付の条項については、その禁止を定めていた旧一三条が、一八〇度の転換をし、審議会等へ意見を聴する条件で補助金を支出することが出来るよう改正された(現行一三条)。日本社会教育学会の法改正問題についての特別委員会では「憲法第八九条との関連において、とくに重大な疑義がある」(一九五八)と報告し、法「改悪」反対運動が広く展開された。当局は当時の法制局意見を援用して、ようやく合憲の根拠を説明するといった緊迫した経過であった。 
 上記の寺中作雄の表現をもってすれば、まさに法の「療治」や「手術」が行われてきたのである。しかし、法そのものの基本理念や主要骨格はこれまで修正されることなく、むしろ堅持されつつ、五〇年の歳月を経てきたと言えるだろう。この間にむしろ注目されることは、社会教育法にかかわる「改正」反対運動や積極的な立法運動が取り組まれてきたことである。その過程で、社会教育法の理念は検証され、その「ひ弱い」体質は少しずつたくましく発達してきたと見ることが出来よう。
 社会教育法をめぐる「改正」反対運動や立法運動については、全国的な視野をもった動きとして、先に七つの歴史を指摘したことがある。
 すなわち、@一九五二年・日本教職員組合「公民館設置基準法」構想、A前記・全国公民館連絡協議会(のちに同連合会)「公民館単行法」運動、B一九五三〜五八年・沖縄における教育四法(社会教育法を含む)民立法運動、C前記・社会教育法「大改正」反対運動、D一九七〇〜七二年・社会教育法全面改正案論議、E一九八四〜九〇年・日本教育法学会及び日本社会教育学会等の研究会による「社会教育条件基準法」構想、そしてF一九七〇年代以降自治体レベルの社会教育関係条例・規則づくり、同改廃運動、である。(小林文人・藤岡貞彦編『生涯学習計画と社会教育の条件整備』エイデル研究所、一九九〇)
 その後さらに、G一九九〇年・「生涯学習振興整備法」関連の論議、H一九九七〜九八年・今次の地方分権、規制緩和施策を背景とする社会教育法制「改正」動向に対する反対運動、等を加えることができる。
 社会教育法のこれまでの道のりは、いわば上から公権的に制定され、あるいは改正されてきた歴史が主流であった。国民は総じてつねに受け身の存在であった。しかし、沖縄における琉球・社会教育法の民立法運動に典型的に見られるように、民衆の側から、いわば下から運動的に立法を求め、あるいはその理念を問い、制度のあり方について「改正」反対運動に取り組む、というような流れがあとひとつの重要な歴史として織りなされてきた。その両面のダイナミックな展開のなかで、社会教育法の自治体への普及、地域生活への定着、その過程で法制それ自体の「発達」がみられたのである。

3,海を越えてー四つの社会教育法

 国際的な比較論からすれば、日本の社会教育法は、特殊日本的なものであって、これまで欧米諸国「成人教育」制度との差違がむしろ指摘されてきた。たしかにそうであろう。しかし東アジアに視点を移せば、社会教育とその法制は海を越え、国を超えたある拡がりをもって展開してきたことに気付かされる。これまでに日本を含めて四つの「社会教育法」が存在してきた。
 もともと「社会教育」の公的制度概念としての登場は、孫文による辛亥革命後の「中華民国」「教育部官制」における「社会教育司(局)」の設置(一九一二)が最初である。日本の大正期「社会教育」行政の組織化より一〇年ほど早く、しかもその学校制度以外の領域論や儒教的教化主義の性格など、相互の「社会教育」は一定の類似性をもつものであった。しかし日中戦争をへて、戦後の中華人民共和国(一九四九年建国)のもとでは「社会教育」概念は位置づかない。むしろ戦前を継承するかたちで、台湾政府による「社会教育法」が成立する(一九五三)。日本・社会教育法の成立はその四年前であるが、これと台湾・社会教育法との関連はどうであったか、機会をみて資料等を調査してきたが、いまのところ立法時の両者の直接的な関係は見出し得ず、内容的にも(類似性を含みながら)相異するところが少なくない。
 興味深いことに、丁度この頃、韓国では初期の社会教育法の立法作業が開始されている。
最近の韓国・生涯教育白書(一九九七)は多彩な図表・資料を収録しているが、戦後韓国の社会教育法制定の経過について次のように記している。 
 社会教育法案・試案(一九五二)、修正案(一九五七、五八、五九、六〇、六七、七八、七九)、社会教育法・初案作成(一九八〇、ただし関係部局の調整ならず)、社会教育法案・国会立法発議(一九八一)、社会教育法制定・公布(一九八二)。一九八〇年までに一五次の修正案が作成され、その後最終的には五七名の議員により立法発議されるかたちで法は成立した。法制定までに三〇年の歳月を要している。
 この間には欧米の関連諸法制の研究も行われたが、日本・社会教育法についての検討に力点がおかれ、制定された社会教育法は、日本のそれと比較的に類似性をもった構成・内容となっている。筆者は韓国社会教育協会より招聘を受け、一九八〇年二月の専門家会議(扶余市)に参加する機会があり、日本・社会教育法についての講義を求められたことがある。
 あと一つ注目されるのは、前述した琉球政府下の社会教育法の成立である(一九五八)。戦後沖縄は、アメリカ占領体制のもとにおかれ、日本本土と政治的に遮断され、教育法制も米国民政府(USCAR)が発する布令教育法が上位法とされた。これに対抗するかたちで、日本の教育法制を沖縄に導入しようという民族主義的な教育運動としての教育四法民立法運動が展開され、その一つとして琉球・社会教育法が実現するのである。アメリカ占領下の止むをえない一部字句の修正を受容しつつ、本土法を基礎とした社会教育法がそのまま実定法として本土復帰(一九七二)まで施行された。(東京学芸大学社会教育研究室編『東アジアの社会教育・成人教育法制』一九九三、『沖縄社会教育史料』第二集、一九七八、など参照)
 このように社会教育法五〇年の道程には、海を越えた展開が見られた。それは社会教育におけるいわば東アジア的形態を結ぶ法制の軌跡と言えよう。それもあるかなきかの細い糸のようなものである。しかし、社会教育法を国の内側に閉じこめて見るのでなく、東アジアの側から、社会教育法の性格や課題を考える視点の可能性を示している。そこから逆に何が見えてくるか、これからの研究課題である。
 しかも一九九〇年代に入って、中国も韓国も、そして台湾でも、共通して生涯教育・成人教育改革の発想にたって、新しい法制を意欲的に模索している。とりわけ韓国の「平生(生涯)学習法案」づくり(一九九七〜九八)は、これまでの社会教育法を「全面的に拡大・改編」しようとするもので、「国民の学習権」理念に基づく本格的な立法作業と見受けられる。日本の「生涯学習振興整備法」や最近の規制緩和論による法改正の動向と対比して、そこから学ぶべき点は少なくない。(TOAFAEC編『東アジア社会教育研究』第一、二、三号、一九九六〜九八、和光大学社会教育研究室)

4,社会教育法の実践的創造の歩み

 日本の場合、かって社会教育法「このあいまいなるもの」と言われた問題、あるいは法の内包する弱点や課題は、五〇年の経過のなかで果たして克服されてきたのだろうか。多くの課題を残しているというのがまず実態であろう。その課題とはなにか。「理念は豊か」「実質は乏しい」とすれば、まず実質的な条件整備条項の貧しさ、諸基準の水準の低さ、その任意性、とりわけ公民館専門職法制の欠落、などが当然指摘される点であろう。しかし同時に「理念」自体も果たして豊かな内実をもっていたのだろうか。
 社会教育法の理念も実質も、法にかかわる具体的な実践や運動の有り様と深く関連している。高らかな理念をうたった条項も、それを具体化する実践がなければ空虚な文言にとどまる。逆にあいまいな、低い水準の規定も、それを段階的に高めていく運動と結びつけば、実質的な意味をもってくるに違いない。
 とすれば社会教育法五〇年の歩みは、法条項の変遷や解釈に止まらず、これにかかわる具体的な実践と運動の歴史と関連させてみる必要があるだろう。その過程で、あるいは地域的な格差によって、法理念の空洞化もあれば、豊かな実質化の側面もあり得る。
 振り返って総体的にみれば、社会教育法の「乏しい実質」「あいまい」性が、かえってそれから脱却していこうとする努力や挑戦を生み出してきたのではないか。「ひ弱な腺病質の初生児」も自ら成長し発達していこうとする可能性をもっている。乏しさや弱さが豊かさを希求する素地でもある。もちろん地域的な格差や断層や、また挫折や混迷はあるだろう。しかし、あるべき理念を地域的に構想し、あるいは確保すべき条件を運動的に実現していく、そのような歴史の断面に着目してみる必要がある。それはまさに社会教育法の理念や実質が実践的に創り出されていく自己創造のプロセスと言える。
 創り出されるものとしての社会教育法の足跡は、地域の社会教育実践や、住民の学習権実現の運動や、それらにかかわる理論形成の努力などの、苦渋にみちた歩みのなかに具体化されている。たとえば典型的な取り組みとして、次のような実践・運動に注目しておこう。これらの歴史のなかから、社会教育法の理念や規定の実践的な創造を読みとることができる。
@枚方テーゼ(一九六三)、下伊那テーゼ(一九六五)、三多摩テーゼ(一九七三)等にみられる重要な理念・原則の共有財産化の努力。仮にテーゼ化の運動と呼んでおこう。これらは社会教育法の地域的な実質化の意義を担うものであった。
A自治体とくに市町村における社会教育関係「条例・規則」づくりの運動。社会教育法理念に基礎をおきつつ、その具体化、補完、拡張の内実をもつ自治体社会教育法制が注目される。たとえば、公民館主事の専門職化(田無市、松本市等)、公民館無料原則(国立市、町田市等)規定など、社会教育法の水準をこえる条例・規則も整備されてきた。
B公民館・図書館等の住民による設置運動、住民による事業企画・参加の実践など。その運動的なエネルギーが社会教育法・図書館法が期待している施設の実像を創り出す要因となってきた(一九七〇年代の東京三多摩、茅ヶ崎市等)。
C社会教育委員の会議や公民館運営審議会、さらには近年の生涯学習関係審議会等による
自治体の社会教育・生涯学習「計画」づくりの取り組み。自治体独自の「計画」化によって、たとえば「すべての」住民に対する「あらゆる機会、あらゆる場所」の「環境の醸成」(社会教育法第三条)への努力が地域的・具体的に構想されてきた(松本市、川崎市、国分寺市等)。
 このような実践的な取り組みは、時期的には、社会教育法五〇年の歩みの後半、主に一九七〇年代以降に活発な展開がみられた。それに至る地域的な蓄積がこれらの新しい胎動を生みだす条件でもあったが、同時に、七〇年代以降の「権利としての社会教育」思想の登場、さらにはユネスコ「学習権宣言」(一九八五)等にみられる国際的な成人教育「発展」の潮流が大きな刺激にもなり、また理論的な支えにもなってきた。(具体的な実践・運動の事例や国際的動向については、社会教育推進全国協議会編『新版生涯学習・社会教育ハンドブック』エイデル研究所、一九九五、に詳しい。)

5,社会教育法のこれから―展望をどうさぐるか

 臨時教育審議会が「生涯学習体系への移行」を打ち出し、そのなかで「社会教育法令の総合的見直し」が提示(一九八七)されて以来、社会教育法は大きな転換点に立たされることとなった。しかも本年九月の生涯学習審議会答申は、地方分権・規制緩和施策と連動させて、図書館法等をも含む全面的な社会教育法制「改正」を提言している。本論のはじめの部分でふれたように、ただでさえ実質的な条項が乏しく、条件整備の基準性が弱い社会教育法制のわずかな蓄積を、規制緩和の名のもとに、大きな政治力学に左右されて、「廃止」「見直し」しようという方向はいかにも残念なことである。これについては別稿が用意されるようであるから、これ以上はふれない。
 あらためて社会教育法の展望をどう描くか、これからの課題はなにか、を考える必要がある。まとめとして、さしあたり次の五点を提起してみたい。
 第一は、この一〇年来「社会教育法令の見直し」の根拠となってきた「生涯学習体系への移行」施策とその唯一の法である「生涯学習振興整備法」(一九九〇)との関係をあらためて問い直す必要があろう。この間の「社会教育から生涯学習へ」という単純な移行路線は現場に多くの混乱を生みだしてきた。これまでの社会教育法の蓄積を否定するところから、生涯学習の豊かな展望が生まれるだろうか。しかも現行「生涯学習振興整備法」の中心的規定である「地域生涯学習振興基本構想」(同第五条)等がほとんど実効性をもち得ない現実は否定できない事実である。この状況にたって、あらためて社会教育法の役割をどう考えるか。むしろ地域・自治体の社会教育・生涯学習の総合法制としての社会教育法の固有の役割を、積極的に拡大しつつ構想する視点がいま重要であろう。
第二は、地域・自治体レベルの生涯学習のあり方を考える場合、同じく「生涯学習振興整備法」第二条にいう「職業能力の開発及び向上、社会福祉等に関し生涯学習に資するための別に講じられる施策」とその法制のあり方が深く関連してくる。むしろ「ともに講じる」視点こそがいま求められている。それと関わって社会教育法の独自性が追究されていく必要があろう。
 第三は、国際的な視点にたって、ユネスコや欧米諸国の「二一世紀を開く鍵」としての「成人教育」(日本では社会教育)の積極的な役割論に学ぶべきではないか。たとえば第5回国際成人教育会議(一九九七、ハンブルグ)では、「未来へのアジェンダ」として一〇のテーマを掲げ、そのなかで「万人のための成人学習」「成人学習の経済学」において「成人教育に対しての財政支援」の重要性を強調している。わが国の社会教育法は財政に関わる条項はきわめて無力であり、政策の流れも「民間活力」「民間委託」に傾斜したものになっているが、あらためて「学習権」理念に立脚した最低必要な公共的条件整備の法整備が求められる。(社会教育推進全国協議会編『二一世紀への鍵としての成人学習ー社会教育の国際的動向』、一九九八)
 第四は、上記・第二と関連して、職業・労働にかかわる教育・訓練の法制と社会教育法制をどのようにリンクしていくかが、今後の課題であろう。周知のように教育基本法は第七条(社会教育)において、「勤労の場所」における教育は「国及び地方公共団体によって奨励されなければならない」ことを規定しているが、社会教育法はこの点についての下位法をまったく欠落し、また「生涯学習振興整備法」もこれを除外している。国際的にはILO「有給教育休暇条約」(一九七四)が重要であるが、日本はこれを批准しておらず、上記・ハンブルグ会議「未来へのアジェンダ」が指摘するように、批准への働きかけと必要な法制の整備が課題であろう。
 第五は、社会教育法が「学校教育」以外の「組織的な教育」(法第二条)領域にかかわる法制として特立したことにより、かえって学校教育との制度的な連携・協同の関係を有効に確立し得ないまま五〇年が経過してきた事実をどう考えるか。あらためて両者の有機的な連携の法制を追究していく必要があるのではないだろうか。大学を含む「学校をひらく」課題と、「社会教育をひろげる」課題と、両者の結合としての「生涯学習」体制を豊かに発展させる方向が期待される。さしあたり社会教育法上では、第六章(学校施設の利用)と第七章(通信教育)の拡充ということでろうが、さらに長期の展望をもって、本格的な大学開放やリカレント教育への制度改革の視座をふくめ、そのための豊かな法制論を構築していく課題がある。
 与えられた紙数は超えてしまった。いま大きな転換期にたって、これまでの蓄積と教訓をふまえつつ、どのような方向に向かって進路をとるか、重要な地点に私たちは立っている。さらに、今年新しく制定された「特定非営利活動促進法」(いわゆるNPO法)と社会教育法との関連もまた新しい課題として問われることになった。少なくとも社会教育法が立法された時点では、NPO法にいう「市民」「市民活動」概念は想定されていなかったであろう。法にいう「社会教育関係団体」の概念も、NPOとしての「団体」の登場によって新たな展開が予想される。現代的な視点にたって特定非営利活動促進法に示された「社会教育の推進」(同法第二条別表)を、社会教育法としてどのように考えていくか。いま問題は始まったばかりである。この点についても別稿が用意されている。





5,東アジアの社会教育・生涯学習法制に関する研究(1993〜1996年)
               
−別ページ →■





6, 教育基本法と沖縄ー社会教育との関連をふくめてー
  
(日本教育学会『教育学研究』第65巻第4号、1998年)(別ページ)→■





7,社会教育法七〇年
   
          月刊社会教育2019年6月号(かがり火


 戦後の教育改革期、社会教育法は約2年の曲折を含む論議を経て一九四九年六月に成立した。立法について戦前の蓄積はなく、当時は学会等の社会教育理論形成もまだ皆無の時期。主として文部省社会教育課内(たとえば寺中作雄・井内慶次郎ら)の叡智と、したたかな判断を軸に、社会教育の本質を「国民の自己教育・相互教育」とおさえ、権力支配を否定、行政は「環境醸成」(社会教育法3条)に徹する法制が動き始めた。それから七〇年の歳月。あらためて今、見えてきたことがある。
 国民主権に立脚し民主主義を発展させていこうとする時代の精神が社会教育法を生み落としたが、反面その時代の現実的状況が法の充実した発展を制約する側面もあった。たとえば国家財政の貧しい現実、財政負担を要する条文はすべて「予算の範囲内」に限られ、条件整備の必要基準は未整備であった。当時の低い学歴水準から社会教育の専門職(図書館・博物館を含む)基礎要件は短大卒。戦後改革の主要施策である公民館は「施設」であって「教育機関」としての位置づけは弱い。学校開放・連携の条文は形式規程にとどまっていた。何より戦前国家統制の苦しい記憶を引きずるリベラル世代は古い社会教育史への反発とアレルギーを残してきた。旧六大都市では社会教育法は十分な定着を見せず、大都市部の公民館制度は未発の状態がむしろ定着してきた。障害をもつ人々の学習権保障や、基礎(識字)教育に関する具体的な条項も欠落している。法制の理念は豊かであるが実質は乏しいと評されてきた。     
 寺中は社会教育法を「腺病質のひ弱な初生児」と記し、適当な時期に「手術を加え養護を尽くし」と将来へ期待している(「社会教育法解説」序)。七〇年の歳月が経過し、幸いに意欲的な自治体や学習権保障にかかわる市民運動の取組みのなかで、豊かな実践が蓄積されてきた。国家法制を超えて、自治体条例規則や計画が独自の展開もみせている。単純な政策批判や安易な法擁護論の枠組みを一歩乗り越え、社会教育法の新たな創造へ向けての立法論・政策形成の視点が求められる。その点では、ほとんど毎年の創造的改正を重ねてきている韓国・平生教育法の最近の展開に学ぶところが大きいだろう。  (東京学芸大学名誉教授)












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