公民館研究・社会教育研究史ノート・学会関連 (小林)  TOP

<目次>
    
関連:研究史ノート
   
1977沖縄、1978大都市、1990東京・三多摩研究、1990東アジア交流、
     1998やんばる・先島研究、研究室づくり、TOAFAEC創設、「南の風」送信
     
2002学会創設、2005辞典編集、東アジア教育改革運動、識字研究
     2006韓国・中国研究府フォ−ラム、躍動する韓国本づくり、台湾研究う
     
社会教育・生涯学習法制研究など          
別ページ



◆社会教育1・地域創造、条例研究
社会教育法制研究(1993〜) →

◆社会教育・公民館の施設論、公民館第五世代論、三多摩テーゼ(1995〜)→■
  ・社会教育施設の新しいイメージ(月刊社会教育1995年4月)
  ・これからの公民館の展望をどうえがくか−第五世代の公民館論、問題提起として
   1,月刊社会教育1996年12月
   2, (修正加筆)『公民館60年・人と地域を結ぶ社会教育』(国土社刊)2005年
  ・公民館施設論の系譜をさぐる  (月刊社会教育2002年4月)


これからの公民館−新しい時代への挑戦(国土社、1999年)総論→■
◆公民館・施設空間論・「公民館のデザイン」をめぐって(南の風2006〜2011年)→

公民館四十年の流れ(横山・小林編『公民館史資料集成エイデル研究所、1986年)*未入力
  公民館の50年--地域的な創造の歩みと可能性(『月刊社会教育』1995年12月号)*未入力
 
公民館五十年・これからの展望をどうえがくかー第五世代の公民館論
                           『月刊社会教育』1996年12月号→■
『現代公民館の創造―公民館50年の歩みと展望』(1999)
  (社会教育学会特別年報、東洋館、1999年)序章・民館研究の潮流と課題→■

公民館の地域史研究と国際的視野からみる特質と課題
(2000)
 
*小林・佐藤一子編『世界の社会教育施設と公民館』(エイデル研)第U部・序章・終章→■


公民館60年記念の集い「公民館60年の歩みが問いかけるもの」(2006)
      日本公民館学会年報3号「公民館60年の総括と展望」→■

◆社会教育法50年・70年
(別ページ, 1998〜2019)

◆(1) 社会教育・公民館をめぐる政策・地域の動き(1970年代〜2000)→■
◆(2) 社会教育・公民館をめぐる動き−文献・資料など
(2000〜2019)

◆東京社会教育史・公民館研究・「徳永功の仕事」など(2011〜2016)
◆23区の公民館・三多摩テーゼ20年
→■拾遺「三多摩テーゼ」記(2014)→■

杉並公民館・原水爆禁止運動 研究・資料(1980〜2014)
  *安井家資料研究会・日程・文献解題・略年表→■
  *杉並「社会教育を記録する会」活動など→■  
  *アルバム「歴史の大河は流れ続ける」編集・杉並公民館・安井家資料→■
  *「歴史の大河は流れ続ける」(全4集)のこと→■

◆埼玉入間地区公民館研究集会2005「公民館に求められるもの」(2005)
◆信州・妻籠公民館と町並み保存運動
(妻籠レポート15  南の風・2007年)→■
◆九州ー地域・社会教育の創造
(1993〜2000)→■



◆集落・自治公民館研究
   社会教育研究全国集会「自治公民館」分科会記録(2002〜2005) →
   第46〜47回社会教育研究全国集会(2006〜2007) →
   「集落(自治)公民館」論(日本公民館学会編『ハンドブック』(2005)所収)→
◆京都・ろばた懇談会
(南の風記事)川崎・横浜・松本(2004・日本公民館学会)
→■

沖縄・字公民館に関する研究ノート(2002〜)

   『おきなわの社会教育』(2002)第1章「沖縄の社会教育実践」
   集落自治と字公民館法制(2004)
   集落(字)育英会の研究(2005)
   与那国の社会教育と公民館制度の定着過程・研究覚書(2002)→
   おきなわ短信・シリーズ沖縄の公民館(1999)→■
   竹富島住民憲章・竹富公民館(1986〜2002〜)→■
◆竹富島の歩み・町並み保存・竹富公民館−対談:上勢頭芳徳・小林(2007)
◆沖縄・戦後史・社会教育研究
(1977〜)一覧→■

◆大学と地域、大学を開くことの意味
(1997〜)→■
◆東京学芸大学・和光大学・小林研究室・ゼミ等の記録
(1984〜1996〜)
公民教育と公民館構想:書評(上原直人『近代日本公民教育思想と社会教育』2018→■

◆「公民館の風」(1999〜2003)小林発行・全395号一覧
高知「公民館の風」(2008〜)・高知の公民館
(内田純一発行)→■



<日本社会教育学会・関連ファイル> →■(未入力)
 特別年報(1988、1999)、学会創立50年
 ◆学会創立70年


<日本公民館学会・関連ファイル・写真> →諸ファイル■
日本公民館学会創立の前史
  
(日本公民館学会「研究大会記録集」(2007)・・・・・・・本ページ(下掲)
◆日本公民館学会:創設、ニュース、まえがき、など →

  学会創設、経過、初期役員体制
  学会創設にあたって(2003)
  学会年報の創刊(2004)
  第4回大会・松本集会に向けて(2005)
  学会編『公民館・コミュニティ施設ハンドブック』まえがき(2005)
◆公民館60年記念の集い「公民館60年の歩みが問いかけるもの」(2006)
◆学会創立10周年記念講演「学会の歩みと公民館ー回顧と展望」(2013)・・・・・・・本ページ(下掲)

■日本公民館学会・関連アルバム→■

               



日本公民館学会創立の前史
    *日本公民館学会年報編集委員会編「研究大会記録集」(2007
)所収  
    小林文人(初代会長)

 日本公民館学会は2003年5月17日に正式に発足した。学会創立の準備段階から積極的に関わった奥田泰弘は、初代事務局長として学会年報・創刊号(2004年11月発行)に「学会の歩み(2003〜2004年)」を簡潔に記しているが、その前史として、「学会設立に向けての話し合いの会の第1回目を持ったのは2002年2月22日であった」と書いている。さらに、学会の将来について「それぞれの希望と不安」を抱えつつ、同年4月21日の第2回において「設立趣意書」について検討し、次いで第3回(6月15日)、第4回(8月19日)では学会「会則案」や「呼びかけ人になってください」等の文面が検討された。設立総会まで1年余の前史があったことになる。
 しかし実際には、その前年(2001年)秋から学会づくりに向けての予備的な検討が始まっていた。さらにこのような動きが始まる背景や経過を考えてみると、前史にいたる前々史ともいうべき流れがあった。

 公民館に関する理論研究や調査活動は、日本社会教育学会の発足(1954年)によって大きな展開をみせるようになった。社会教育学会の初期段階から公民館研究は重要な研究テーマの一つであり、毎年度において新しい調査研究・共同研究が重ねられてきた。当時は学会が継続的に共同で取り組む研究課題として「宿題研究」が掲げられたが、1961年度より公民館を宿題研究テーマに選び、小川利夫等を担当理事として学会年報第9集『現代公民館論』(1965年、国土社)がまとめられている。また関連して社会教育法制・行政研究等の取り組みの中でも公民館は常に重要な研究課題に位置づけられてきた。
 日本社会教育学会にとどまらず、公民館に関する研究は、全国公民館連合会や日本教育法学会等においても、さまざま取り組まれてきた。詳述する紙幅はないが、たとえば公民館に関する立法論・法制論、あるいは公民館基準論や公民館職員(とくに専門職制化)研究など。建築学会の分野でも公民館の施設論や計画論についての研究が蓄積されてきた。それぞれに専門的継続的な研究が組織されたが、「学会」という名の独自の研究団体を設立するという動きにはいたっていない。

 このような研究史を背景において、2002年初頭の公民館学会「前史」につながる直接的な研究活動として、とくに二つの共同研究の動きをあげておく必要があろう。一つは、日本社会教育学会が公民館制度創設50年を記念して特別年報編集委員会を組織し(1996年)、同学会あげての公民館についての地域研究・共同研究がおこなわれたことである。その成果は特別年報『現代公民館の創造』(1999年、東洋館出版社)として刊行されている。また姉妹編的な位置づけをもって、これに収録できなかった海外研究と地域史研究が『世界の社会教育施設と公民館』(小林文人・佐藤一子共編、2001年、エイデル研究所)にまとめられた。
 あと一つは、公民館研究者及び全国各地の実践家有志による「公民館史研究会」の活動があったことである。1984年秋より数回の研究会が開かれた経緯があるが(「公民館史研究・会報」第1号、横山宏)、中断を経て、本格的な取り組みとしては1990以降のことであった(奥田泰弘の発意に追うところが大きい)。公民館に関する歴史資料・証言等の収集保存と公民館実践の継承をめざし、1991年より毎年の集会が開催され、1992年より前記「研究会報」(2002年・20号)、「公民館史研究」(1号・1992年、2号・1995年、3号・1998年、4号・2000年)等の発行が重ねられてきた。発会から中心的役割を担った代表・横山宏の逝去もあり、第20回研究集会(2002年)をもって幕を閉じたが、新しい公民館研究と交流の組織化への期待が底流にあった。公民館史研究会の少なからざるメンバーが、公民館学会の創設に参加するという経過がその証左であろう。公民館に関する専門学会を創立しようという気運は、このような背景のなかで少しづつ醸成されてきたということができる。
*補注:2013年7月「公民館学会10周年・記念講演」において一部(1984年の経緯等)が補足され、追記されている。(下掲)

 話をもとに戻そう。2002年「前史」において、学会設立にいたる準備の話し合いは8回を数えている。同年6月の日本社会教育学会六月集会(神奈川大学)では、この準備会が中心となってラウンドテーブルが企画され、「公民館研究のこれまでとこれからー『現代公民館の創造』『世界の社会教育施設と公民館』をどう受け継ぐか」をテーマに論議がかわされ、新しい学会を設立する最初のアピールの場となった。10月に開かれた社会教育学会研究大会(北海道大学)でも同テーマによるラウンドテーブルが開催されている。
 公民館学会の設立を呼びかける「趣意書」案は、準備会において数回にわたって論議され「草案」が練られた。これを付して、全国各地の関心ある関係者に「呼びかけ人となってください(お願い)」文が送付されたのは2002年9月23日であった。これに応えて、30名の「呼びかけ人」が揃い、翌年2003年4月18日の「公民館学会呼びかけ人総会」(会場・中央大学駿河台記念館)、同5月17日の学会「設立総会・第1回研究大会」(会場・中央大学理工学部校舎)へと結実することになる。呼びかけ人は「設立趣意書」(後掲)に名をつらね、新学会第1期の理事会を構成することとなった。
 この過程では、新学会の会則案が検討された。準備段階における学会会則・設立趣意書等をめぐっては談論風発、多彩な意見が交換された。学会を創設する意義は何か、どのような活動に取り組んでいくか、については会則や設立趣意書に示されている通りである。その間の論議や呼びかけ人からの意見としては、たとえば、自由・清新な学会の創造、研究的かつ実践・運動的な活動、研究者だけでなく職員・市民の参加、公民館に関する史料・情報センターとしての役割、関連・類似する地域諸施設の研究、海外との研究交流、などの諸課題がさかんに話し合われた経過がある。

 公民館学会が創立される意義や課題について、設立当時(2003年)とくに次の三点があげられている。「…(略)… 一つは、公民館五〇年余の歳月のなかで生み出されてきた膨大な史料や記録そして数々の実践・研究が蓄積されていることです。それらの価値を再発見し、さらに発展させて"公民館学"の構築をめざしていこうという思いです。第二は、公民館に関する学際的な研究への拡がりです。教育学的研究だけでなく、建築工学、社会文化学あるいは自治体学やコミュニテイ研究などの諸分野と共同して公民館研究を深めていく必要があります。そして第三には、最近の公民館をめぐる厳しい状況への危機認識があります。公民館が自治体の公的制度として確立してきた反面、制度自体の硬直化もあり、さらに行政改革や財政事情によって、これまでの制度的骨格が大きく揺るぎつつあります。この転換の時代に、公民館の未来へ向けて、どのような理論と展望をえがきだしうるか、新しい学会に問われている課題でしょう。…」(小林文人「日本公民館学会の挑戦−公民館の未来のために」会長挨拶、学会通信1号及び学会公式ホームページに掲載)。
 学会設立準備に向けての事務局は、中央大学文学部・奥田泰弘研究室によって担われた。


参考:日本公民館学会創設にあたって(2003)、小林文人
  ・学会年報創刊号(2004)、
  ・第4回大会松本集会に向けて(2005)
  ・日本公民館学会編『公民館・コミュニティ施設ハンドブック』まえがき(2005)ほか 
 *学会長退任・慰労会(神田・放心亭、20070127)   *後列中央に小池源吾(第2代)新会長→■








                       
記念講演:公民館の課題と可能性−学会10年の回顧と展望
     日本公民館学会10周年記念・2013年度七月集会、
     (法政大学市ヶ谷キャンパス、2013年7月20日)    小林文人

 はじめに
 学会10周年で話をする機会を与えていただいて、たいへん感謝しております。
松田副会長からやさしいメールがありまして、10周年だから、私の公民館研究に触れながら話をしてほしいとのことでした。思わずお引き受けの返事をしましたが、やはりお断りすべきだったのかもしれません。最初のプログラムは、13時までになっており、そんなに長い時間にわたって話をするような気力も体力もないものですから、困ったなと思いながら、ここで立っています。
 今、10年前の、2003年の学会創設の頃を思い起こしています。この10年、公民館はどんな時代だったのか。文科省の社会教育統計、2013年に発表された2011年段階の統計は、やはりおどろくべき数字が出たという実感です。1996〜2000年の統計から比べて、公民館の総数がだいたい2割減って、公民館職員の数が2割5分減、特に専任の公民館主事は約4割減、社会教育主事数は6割減、半分以下になっています。学会10年の歴史は、公民館数の統計的減少の歴史とそのまま重なります。皮肉なものだと思います。学会創立から10年の間に、4000近くの公民館がなくなった事実は、いったい何なのか。私たち学会はこの10年何をしてきたのか。これからどう公民館の体制を前に進めていけばいいのか。そういう問いをいま突き付けられている。学会10周年を迎えて、私たちは厳しい転換点に立っているのです。そして、これから公民館の可能性をどう拓いていくことができるか。そういう意味で私たちの学会10周年のつどいは、重大な論議が求められているのだと思います。
 このあと午後には、シンポジウムが予定されていますがら、私は自由に話せとも言われていますので、学会初代会長として、創設前後のこと、少しエピソードも含めて、お話しいたします。お手元に今日の話のレジュメを用意していますので、その項目にそって進めていきますが、いろいろ脱線して裏話も申しあげたい。
 初代事務局長
 学会創設の背景や経過については、学会『研究大会記録集』(2007年)に「前史」を書いています。それを述べる前に、まず初代事務局長の奥田泰弘さん(中央大学教授)に触れないわけにはいきません。学会をつくる準備、そのきっかけは、何よりも奥田さんの熱意と誠意がなければ始まりませんでした。私自身は公民館学会創設に最初から積極的な立場ではなかったのです。すでに社会教育学会が公民館研究を重ねてきた歴史があって、そこに新たに公民館の学会を創設する意義は何かが問われると。奥田泰弘さんはなみなみならぬ公民館研究への強い思いがあって、中央大学研究室の院生スタッフの協力も大きく、その力がなければ学会創設にはならなかった。その意味でも奥田さんがキーパーソンでした。奥田さんの真面目そのものの誘惑を忘れません。「すべての事務は私がやります」と、きれいな字で手紙も頂いたり。会って話を伺い、その熱意に打たれました。奥田さんは事務局長の現職のまま、2006年の川崎学会の前日に亡くなられました。10周年を迎えたいま、奥田さんがここにおられないのがほんとうに残念に思います。  
 学会準備の会合は、奥田さんの配慮で、御茶ノ水駅からすぐそばの中央大学の会館ですべて開かれました。インフォーマルには確か2001年末から。あの部屋のことはいつまでも忘れません。個人的なことですが、会が終わると、奥田さんを誘い、同行の方とも連れだって、神保町のドイツビヤの店に行って、いろいろと話は発展していったものです。奥田さんの晩年の5-6年は、まったく公民館学会に尽くされたと言って過言ではない。その最後の奥田さんとのお付き合いができた、としみじみと思っています。
 川崎での公民館学会(第6回)が終わったその夜、手打・新事務局長と奥田さんのお宅に弔問に伺いました。やはり奥田さんのことに触れながら、学会創設の話を始めさせていただくことになりました。
 二つの前史
 レジュメにも書いていますように、学会創設から第5回大会までの『研究大会記録集』に、私は「創立の前史」を書いています。まず日本社会教育学会にかかわる「前史の前史」についてふれたあと、2002〜03年(学会創設)にいたる直接的な「二つの前史」が重要だろうと思います。私のレジュメの次の、日本公民館学会創立の前史2ページ。そこから話をさせていただきます。
 日本社会教育学会が公民館制度創設50年を記念して特別委員会を設置したのが1996年、特別年報の編集に取り掛かりました。それが『現代公民館の創造』(1999年、東洋館出版社)に結実します。委員会設置当時、私が社会教育学会会長、そして佐藤一子副会長、佐藤さんが特別年報編集に尽力されました。公民館制度創設50年記念事業として、社会教育学会の総力をあげてまとめようというかたちでした。しかし『現代公民館の創造』からはみ出した公民館研究のテーマが2つありました。一つは公民館の地域史研究、あと一つが公民館的施設の国際比較研究です。このはみ出したテーマについて、あと1冊を刊行したいと、出版元の東洋館に交渉しましたが、どうしても無理だということになり、エイデル研究所に頼みこんで、やっと世に出ました。私と佐藤一子さんの編著で刊行された『世界の社会教育施設と公民館』(2001年)です。それまで社会教育学会ではとりくめなかった世界各国・地域の公民館に相当する成人教育施設あるいは社会文化施設、地域学習センターなどを含めた「世界の社会教育施設」研究、それと日本各地の典型的な、沖縄から北海道までを含めた13地域の公民館地域史を選んで、1冊にできたわけです。それから10年あまりの公民館の国際比較と地域史研究が蓄積されて、いまとなっては不充分なところが目につきますが、当時としては一つの到達点を刻んだ出版だったのではないでしょうか。当初は日本の地域史研究を前面に出す企画でしたが、世界という拡がりに焦点をあてた構成になりました。佐藤さんが世界の社会教育施設の総括的なことを書き、私が日本公民館地域史のまとめを書く。二つの視点から日本の公民館の特徴を複合的にとらえる、その可能性と展望を考えるという作業でした。
 公民館史研究会
 あと一つの前史として、ご承知の「公民館史研究会」の活動がありました。横山宏さんが代表で、1991年の群馬大学で開かれた日本社会教育学会に合わせて群馬高崎で第1回公民館史研究会が開かれています。私は同日程で開かれる政令指定都市・大都市研究会と重なって、公民館史研究会には失礼することになりました。その翌年、横山さんは「公民館史研究・会報」創刊号(1992年2月)に、「創刊のことば」を書き、そこには「公民館史研究会を発足させたのは1984年秋のこと…それから早くも8年の歳月がたっている」とも書いています。二つの「発足」があったかの印象が残りますが、この間の経過はどなたかよくご存知の方が明らかにされるでしょう。寺中作雄の回想を聞くなどの集いや地方資料収集など「数次の研究会」があったが、「いつしか活動も途絶えがち」となって、しかしこのときも「歩みを続けるべきであるとする奥田泰弘君の発意が中心となって…再建」(横山「創刊のことば」)がはかられることになりました。同年5月には研究誌『公民館史研究・1』が創刊され、この「刊行のことば」も横山さんが書いていますが、その結語に「公民館の…研究方法論を確立し、その延長線上に公民館学会創設の遠望すら夢見ている」と言及されていることが印象的です。実際の日本公民館学会の誕生に先立つこと10年も前のことでした。
 公民館史研究集会は、その後2002年までに20回の研究会を重ねた記憶、研究誌『公民館史研究』は第4号(2000年)まで手元にあります。この経過はおそらく上田幸夫さんなどが詳しくご存知のことと思います。
 学会創設の直接的な動因
 二つの前史にみられるように、社会教育学会メンバーによる研究の蓄積と研究ネットは、新しい学会の土台となるものでした。日本社会教育学会の特別年報だけでなく、その姉妹編『世界の社会教育施設と公民館』出版、そして公民館史研究会「公民館史研究」刊行も新しい取り組みのステップであり、ある自信を与えてくれるものでした。
 しかし、学会の立ち上げに際して、その研究仲間が中心の、いわば仲間うちの会のような雰囲気にならないように、いろんな方々に参加していただく、せまく社会教育だけでなく、学会をこえて他分野の方々が学会の新しい仲間に入っていただく、新しい学会ではむしろ異質の多様な研究領域と方法の広がりを重視する必要がある、それが課題だろう、と奥田さんとも個人的な話をしたことを覚えております。
 学会創設の直接的な動因はなにか。学会通信第1号(2004年4年1日)に「日本公民館学会創設にあたって」を書いて、学会ホームページ「会長挨拶」として掲載されていた文書があります。そこに三つのことを書いています。少し言葉を加えながらご紹介しますと、一つは、公民館の理論と実践の蓄積について。戦後からおびただしい公民館研究があり、驚くべき数の調査や実践資料が積み重ねられてきました。それらが横に拡がりながら縦に体系的に積み上がってきていないのではないか。それらを研究的に整理し理論的な体系化の試みに結びつけていく。公民館研究の蓄積を活かしながら、理論と方法を練りあげて、「公民館学」の構築を目ざしていくべきときではないかということ。   
 第二には、公民館に関する学際的な研究取り組みと国際比較研究を拡げていく課題です。公民館への国際的な注目の動きがあり、それに日本公民館研究として応えていく必要があるだろう。われわれは幸運にも、この間に公民館研究への関心をもち、課題を共有する研究仲間が、社会教育学だけでなく、建築工学、社会学、行政学、ドイツ研究者など様々な分野の研究・実践家に拡がり、新しい出会いを始めています。そのうえ、公民館の歩み半世紀の蓄積があり、ようやく公民館への国際的注目も寄せられる時代となりました。たとえばUNESCO・ACCUによるCLC・地域学習センターと公民館との研究的かつ実践的な出会いが始まり、共通の課題追及していく動きが広がりつつありました。
 公民館をめぐる状況への危機感
 もう一つは、公民館をめぐる状況への危機意識です。1980年代に政策的に登場する「生涯学習」施策は公民館をきちんと位置づけてこなかった。他方で財政難や大規模合併は公民館の条件整備や組織体制を壊していく。新自由主義の動きが公的セクターから民間委託への流れをつくり、学会創設時はまだ指定管理者制度はありませんでしたが、少なくとも公的セクター充実の方向は失われていきました。とくに公民館主事の専門職的位置づけの方向が見えなくなってきた点が深刻だと思います。
 このような動きは、なにも公民館学会創設の時期に起きたものではありません。すでに1970年代後半から各地でさまざまな問題として現れてきました。自治体として公民館制度を位置づけるかどうかの問題でもあります。たとえば松本市では(曲折を含みながら)公民館体制を充実させる計画や施策がとられてきた流れがあった。その一方で、とくに大都市では固有の社会教育の施設・制度を確立する施策自体が歴史的に弱かったと言わざるを得ない。あるいは一度設置した公民館の事業団委託(北九州市)や公民館職員の引き上げや嘱託化(福岡市)が進行してきた。1980年代の臨時教育審議会委員の中には「公民館の歴史的役割はは終わった」と公言し、『社会教育の終焉』論も出てきました。公民館の地域的な蓄積が大きな潮流となる一方で、自治体によっては全くその風景が見えない、そういう自治体・地域の間の格差・亀裂がはっきりしてきた状況でもありました。
 こうしたなかにあって、公民館の理論的な体系化に期待をかけ「公民館学」構築をめざす努力のなかで、社会教育の展望や公民館の可能性を追求していこう、そんな課題意識が語りあわれてきた。公民館への強い危機感が、公民館学会をつくろうという背景になってきたと思います。そしてこの10年がどんな展開であったか、冒頭に申し上げたような公民館をめぐる実像がどう動いてきているか、が問われることになります。
 政策形成と学会の関わり
 学会創設期には、関連して、公民館の政策や立法について学会がどう関わり得るかについても課題意識があったことを憶えています。ちょうどこの時期、お隣の韓国では「平生教育法」が1999年に成立、、そして2007年にその大改正が行われますが、議会、行政当局と学会との関係は、複雑ながら、並々ならぬものがあったようです。ご存知のように「平生教育総連合会」という推進団体にも学会関係者が深く関わっている。立場の違いはありましょうが、国会議員との関係もあり、学会論議のなかに議員さんの参加を見たこともあります。どういう政策を形成していくかの過程に学会がどう参加できるか。その点では韓国「平生教育法」の立法と改正の動きはたいへん刺激的な、示唆的なものでした。
 日本ではどうか。公民館にかかわる政策形成に学会がどう参加し得るか。それは公民館の理論と研究が何らかのかたちで社会的に寄与できるかの問題でもあります。
 韓国のこの10年ないし15年の学会の研究運動の広がり、それと政府当局や議会関係者との交流のなかで平生教育制度が形成・定着されていく歳月に大いに学ぶべきものがありましょう。今年も8月に社会教育研究全国集会が千葉で開かれますが、平生教育振興院など行政関係者と学会メンバー、自治体関係者が一緒に30数名が来日されます。
 日本では、自治体レベルは別にして、国レベルではこれまで政策形成と学会研究との間には大きな距離があります。文科省や公民館を推進している全国公民館連合会(全公連)との関係をどう模索していくか、これからの課題と思います。
 新しい学会のイメージ
 私は日本社会教育学会の初期の生き生きとした雰囲気に惹かれて社会教育研究の道に入りました。大きな学会に発展していくにつれて、当然ながら初期創造の雰囲気は失われ、みずみずしい議論が少なくなったように思います。あらためて小さな学会のもつすばらしさ、「学会らしくない学会」を創ろうと発言したこともあります。研究"共同体"へのはるかなる夢です。大会プログラムを面白く刷新しようとか、一堂に会して、ともにお茶を飲みながら語り合い議論しあう雰囲気づくりとか。既成の学会を真似ないこと。このあたり、奥田事務局長もほぼ同じ考えであったと思います。
 公民館学会は、公民館学の構築をめざしつつ、「公民館の発展普及に資する」(会則第2条)ことを目的としています。そうであるならば、研究を活かして、公民館発展普及のために積極的に発言していかなければならない。憶せず政策提言の姿勢をもち、その意味で実践的な学会活動の新しいスタイルを創り出していく必要がありましょう。
 あとひとつ、学会準備過程から話し合ってきたこととして、公民館史資料を学会として保存し、それを共有する公民館資料ネットワークづくり、証言収集、あるいは公民館資料センターの構想など、学会ならではの機能を発揮していきたいという論議がありました。学会の前史として触れた「公民館史研究会」の活動を継承する作業でもあります。
 この間には、各地で公民館五十年史(飯田市、松本市、川崎市ほか)など自治体の公民館史誌や、「三多摩テー40年」に関連した検証作業その他、案外と多くの資料集成の努力が見られます。沖縄では集落の字誌づくり運動のなかで「字公民館」資料がたくさん刊行されています。学会だからできる公民館の資料ネットワークづくり、資料センター構想について、学会準備段階からずいぶん議論してきたものです。
 個人的なことになりますが、横山宏さんとの共編で『公民館史資料集成』(1986年)を刊行してすでに30年近くになりした。この本に収めた資料は、1973年「三多摩テーゼ」まで。それからすでに40年の歳月。この新版つまり1970年以降の新『公民館史資料集成』に取り組めないものでしょうか。
 学会の出版活動
 学会創設当時、学会の「かがり火」として、総力をあげて「公民館学」構築の道にづながる本をつくろうというのが、まず第一の悲願でした。学会編『公民館・コミュニティ施設ハンドブック』を刊行できたのは2006年、創設3年後のこと。学会としての歴史は若いけれど、公民館研究の蓄積は大きな厚みをもっていることを実感しました。会員以外からも驚きに似た評価があったことを憶えています。    
 この本が出るのは2006年、実際の執筆時点は2004年から2005年です。私たちは日本社会教育学会関連で、2000年前後に公民館50年についての2冊の本を出し、公民館学会として記念碑となる出版を5年後に実現することになったわけです。編集長は手打・現会長、執筆陣は研究者、公民館・社会教育職員が主体、建築工学からの寄稿を含めて、総勢100人ぐらいの方が執筆しています。同じ頃に平行して『社会教育・生涯学習辞典』(朝倉書店)も企画されて10年がかりで出版されましたが、これは学会としての仕事ではありませんが、私自身としてはつながっていました。
 公民館『ハンドブック』は、公民館に関する総合事典、理論的基礎をもった"公民館エンサイクロペディア"の初めての試みだと考えてきました。
 日本図書館協会が『図書館ハンドブック』を出版、版を重ねています。これは名著でありまして、年表だけでも50-60ページ。どの図書館にも『図書館ハンドブック』は常備されているといっても過言ではない。公民館についていろんな刊行物が出ていますが、『図書館ハンドブック』に相当するような、すべての公民館が常備せざるを得ないような『公民館ハンドブック』を定着させていきたいものです。そうすると1万冊の学会『公民館ハンドブック』が年次的に出ることになる。この"公民館エンサイクロペディア"の力を得て、公民館・コミュニティ施設も元気を取り戻すことになる、そんな役割をこそ学会は果たしていきたいと思います。
 『公民館ハンドブック』を韓国で翻訳しようという動きを聞きましたが、その後どうなったのでしょうか。すでに『公民館のデザイン』(2010年)は翻訳されたのですね。
 公民館"発達論"は破綻?
 私は公民館の第一世代、第二世代、第三世代と、厳密な時期区分ではありませんが、公民館が発達してきた世代論を提起したことがあります。公民館学会でも、「公民館60周年記念講演」の機会を与えられ(学会年報第3号に講演記録、2006年)、「公民館の発達論」を語っています。要点は公民館は固定的なものではなく、時代のなかで"発達"していく。その視点で見ると、公民館の歴史的展開が鮮明に見えてくるところがあると。そして第五世代、すなわち「地域創造型公民館」について論議してきました(『公民館60年・人と地域を結ぶ社会教育』 国土社刊、2005年)。もともと1995年の論文(月刊社会教育1996年12月)が起点となったものでしたが、さらに追求すべき視点を加えて「第六世代」をどう構築していくか、「これからの課題」として発言しています。学会年報第3号では上野景三さんが「第六世代を深めるために」を論じていただきました。
 私の思いは、公民館が量的に発達してきたことを言っているのではないのですが、しかしいまこの"発達論"は成立しなくなったのではないか、統計的な衰退過程の流れでは、いま第六世代論は、あきらかに破綻した、発達が壊れはじめているようでもあります。しかし、公民館研究としては、この時点であらためて公民館の可能性と展望を画いていく必要があります。公民館の統計的衰退の事実は、地域的に公民館のおかれている状況が厳しく、甚だしい地域格差を生み出している、ことを示しています。そのような統計的退潮のなかで、むしろ今こそ公民館の地域定着の歩みを確かめ、これからの可能性を"発達論的に発見"していく視点が求められましょう。
 公民館の課題・可能性を考える視点
 レジメには、これから考えていきたい理論的な課題を5点ほど出しておきました。公民館学会10年の論議は、公民館の現代的役割として何を明らかにしてきたか、私なりにそれを整理するポイントでもあります。
 第一は、1960年代後半とくに1970年以降に公民館像の主流になってきた「都市型公民館」論の再検討。たとえば「三多摩テーゼ」40年の理論的総括と再構築、についてです。公民館の近現代化が求められる過程で、基盤とすべき地域から遊離し、地域的な支えを失ってきた事実があります。あらためて地域に根ざす公民館、地域づくり・地域再生に果たす公民館の役割を考えていく必要がある。それは地域に生きる市民の立場から公民館の基本的な役割を考えるとうことでもありましょう。
 二つ目は、住民自治の基礎単位・集落(町内、字、自治会等)の再発見と公民館の関わりに注目したい。小さな地域の公民館、たとえば松本市「町内公民館」や、沖縄の「字(あざ)公民館」の生き生きとした実像は、公的機関・施設としての公民館研究だけではとらえきれない、草の根の自治と住民の学びや文化が基層に生きていることを教えてくれます。それとの関わりで公立公民館や行政の役割が問われることになります。沖縄・竹富島の公民館は、公民館館長を住民自治で選び、リゾート問題などに取り組み、「公民館議会」をもち、国の重要無形文化財に指定されている祭りと文化を担ってきました。
 時間がなくなりました。以下、レジメの項目を読むだけで、今後の課題とさせていただきます。
 第三は、職員の役割の再確認、公民館にかかわる多様なスタッフ・ボランティヤとのネットワーク形成について。限定的な専門職論から脱皮し、市民の視点と結ぶこと。
 第四に、市民活動・NPOと公民館との関係をどう創出するか。従来の「社会教育関係団体」の枠組みを見直していく必要がある。
 第五に、公民館とコミュニティ諸施設との新しいネットワーク、とくに「社会教育」と「地域福祉」をつなぐ視点、そこにおける公民館と諸地域福祉施設との協働へ期待をかけていきたい。
 終わりは脱兎の如く、話も不充分、失礼なことがあったと思いますが、以上で終わりにしたいと思います。ありがとうございました。

日本公民館学会・2013年度七月集会(20130720)