【南の風2022】 4271号~4300号 TOPページ
各号目次・後記(ぶんじん日誌)
*南の風発行一覧(1998年~)→■
*南の風4201号~4240→(前々ページ)
*南の風4241号~4270号(前ページ)
*南の風4271号~4300号(本ページ)
*南の風4301号~(次ページ)
新宿にかかる明暗―虹と黒雲(2014年7月)
【南の風2021/22】4271~4300目次一覧
4271号【10月 3日】東京の日本語教育つどい、友人ふたり、祖国復帰闘争碑、由布の里自由大学構想
4272号【10月 8日】10月定例会、やんばる、東京・梶野さん快諾、日韓シンポ、町田とびたつ会、二度の地震
4273号【10月11日】学術・大学政策の誤りを正す、タイムス地域貢献賞、強権的な振る舞い、久しぶり紹興酒
4274号【10月18日】卒寿祝い、日韓学術交流大会、奄美・友野義国氏証言、十十空襲、新参加2人、十三夜
4275号【10月22日】「須恵村」研究、とびたつ会訃報、風参加、浜番、年報バックナンバー、あと少し遠くへ、
4276号【10月26日】やんばる、26号合評、東アジア研究フォーラム、基礎教育/日韓シンポ、岡山、豊後カボス拝受
4277号【11月01日】10月定例会報告、熊本「こんばんは2」上映、戦争難民・有銘政夫さん逝去、出版目録アップ
4278号【11月06日】第12回日韓学術交流大会、大都市研究の系譜・回想7、八重山・平久保、那覇より“月下美人”
4279号【11月11日】 286回研究会ー労働者協同組合、有銘政夫さん偲ぶ、戦争難民証言、与那国、大都市研究8
4280号【11月20日】維持会員・出版目録、社会教育資料共有、とびたつ会、大都市研究系譜9(6-2)、中頭青年会
4281号【11月23日】90歳・卒寿祝い、nara 奈良など、生日快楽、八重山毎日新聞コラム、不思議に命ながらえて
4282号【11月25日】竹富島の歩み、キジムナーとブナガヤ、宮沢賢治・雨ニモマケズ、韓国フォーラムお祝い会
4283号【11月30日】11月定例会記録、やんばる、福岡、神戸、不思議に命ながらえて、町田とびたつ会、有難う!
4284号【12月 6日】12月定例会案内、上海より祝いメール、国の強権混迷(辺野古)、大石洋子さん追悼、上海写真
4285号【12月12日】大阪の夜間中学廃校反対アピール、町田とびたつ会、中国語入門書、識字運動の取り組み
4286号【12月19日】12月研究会(再)、大田区「こんばんはⅡ」上映会、松本市公民館報、台北第一師範同窓会誌、
4287号【12月24日】東京研究フォーラム資料、夜間中学キャラバン、とびたつ会、東京三多摩社会教育の歩み7-1
4288号【12月27日】12月研究会報告、生涯学研究、アンティ多摩、76年前クリスマス、大都市研究7ー2、年の終わり
4289号【12月30日】高知、東京都図書館施策2002、中身汁派?いなむどぅち派 波平公民館の門、歳末特別号
2022年
4290号【 1月 4日】上海、ソウル、台北、フフホト、沖縄復帰100年一歩、台湾資料、普通の暮らしへの歩み
4291号【 1月 8日】北京、大阪観光大学、第2回須恵村研究会、しまくとぅば、町田、東アジアフォーラムへの期待
4292号【 1月13日】287定例会、阪神淡路大震災から27年目、月桃が呼び起こす記憶、「月桃」歌詞、月桃の花
4293号【 1月16日】徳永功さん急逝、八重山・平和へのバトン、東京教研・人権と教育、名護市長選、いまひとたび
4294号【 1月20日】徳永功さんの歌声、じんぶん記録、八重山の戦争体験、とびたつ会、「サヨナラ」ダケガ人生ダ
4295号【 1月25日】リマインド・1月定例会、神戸へ名護市民の民意は明らか(天声人語)、今年やんばる対談を
4296号【 1月28日】竹富ブラタモリ・NHKTV放送,、本土資本の土地買い占め、竹富島憲章、地域科学の視点
4297号【 1月31日】年報第1回編集、名護、竹富島と高知、八重山塩せんべい、大阪・識字日本語学習研究集会
4298号【 2月 6日】竹富公民館・竹富島憲章、「うつぐみ」、妻籠宿を守る住民憲章、集落自治による憲章制定
4299号【 2月13日】第2回編集委員会、基礎教育保障学会大阪市夜間中学拡充要望書、眉屋私記・文学碑建立誌
4300号【 2月19日】2月定例会「竹富公民館」案内、年報27号編集(第2回)、自由投稿呼びかけ、南の風・終盤へ
*南の風4301号~(次ページ→■)
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《昇順》
南の風・各号後記(ぶんじん日誌)
4300号【2022年2月19日】
■≪「南の風」終盤に向けて≫
風は本号で4300号の区切りを迎えました。そよそよと、吹き止むときが近づいてきました。本号でおしまい・・・とできれば、すっきりするところですが、創刊以来24年の歩み、苦楽の歳月あり、そう簡単にもいきません。TOAFAEC
事務局諸氏の了解を得ての本号「風・終局」宣言でもありません。今後のTOAFAEC 諸連絡や広報などの体制、またホームページをどうするかなど、対応策を検討いただく必要もありましょう。というわけで、数か月の余裕をもって「終盤に向けて」を書き始めた次第です。申し訳ないのは、昨年から今年にかけて新しく参加された皆さん。わずか2か月の「風メンバー」の方もあり、まことに唐突のお知らせ、ご寛恕をお願いするほかありません。
4年余り前、長期の入院を強いられた折、入院中のベッドから「風・休刊」メールを出した経過がありました。そのときは江頭晃子・山口真理子のお二人が積極的に受けとめていただき、ぶんじんと3人「共同編集」での配信となり、数ヵ月の取り組みがありました。その後、ぶんじんに再びバトンが戻ってきて、リハビリと再起につなげての「風」再発行は嬉しい思い出。その後の4000号の節目には、むしろ元気に風を継続できたのでした。
「枯れ木も山の賑わい」のたとえ、もっと頑張れ!の声も聞こえますが、「南の風」ただ一つのスローガン、「風は双方向に吹く」という初心すでに忘れ去られ、「南の風」の役割も終えるときがきた、というのが正直なところです。
最終号に向けて、諸連絡・ご案内等を掲載しながら、いくつか「南の風」自分史・、回想記事も綴っておきたいと思います。本号では、2月16日編集会議記録、今年の「自由投稿呼びかけ」(李正順さん)、そして2月25日(金)夜「定例会ご案内」(江頭晃子さん)を載せました。25日夜の2月定例会(案内掲載が遅くなりましたが)、ふるってのご参加をお待ちします。
4299号【2022年2月13日】
■≪上野英信『眉屋私記』文学碑建立記念誌の発行≫
風・前号を送信した2月6日は、南の風の誕生日(1998年)でした。前号に書くつもりでしたが、竹富島関連の文章でスペースがなくなり、本号まわしにー。1998年2月6日から満24年、「南の風」を出し続けてきたことになります。「風」創刊趣旨は「南の海を飛びながら-沖縄研究再開への思い」としてホームページにも載せています。(http://www.bunjin-k.net/Toafaec-Okinawa.htm) 「南の風」創刊1か月前に名護で研究会を開いたのでした。定例ではなく(正月休みに)臨時に開いた集い、その帰りの機中で創刊趣旨を書きました。この旅は忘れ難い、風のスタートを生むフライト。この研究会の写真を下に掲げました。女流の字とも思われるやさしい墨痕、島袋正敏さんの一筆です。大国林道の壁に大書された荒ぶる文字とは大違い、同じ人の書とは思えず。
同じ名護から昨日、どっさりと書籍・資料を送っていただきました。屋部の比嘉久さん(前名護博物館長)からの送り状をご紹介しました(上掲)。上野英信『眉屋私記』の「文学碑建立記念誌」、タイトル『渡波屋から世界へ』。『眉屋私記』の有名な冒頭の書き出し「渡波屋は双頭の岩座である」からの書名、世界へ向けて。写真もたくさん添えられ、文学碑建立にあたって「樹木を伐採」された渡波屋は新しく蘇った感じ。2019年11月の「三十三年忌」記録等も含まれ、寝るのも忘れて、読んでいました。有難うございました。
2月16日(水)20:00~、今年の年報(第2回)編集会議です。TOAFAEC は、編集委員でなくても、関心ある方の参加を歓迎してきました。お気軽にZoomお申込みください(上掲ご案内)。沖縄関連について種々ご相談した嘉納英明さん(名桜大学)、この機会にぜひご参加くださいますようお願いします。
▼1998年1月7日、名護市公民館で開かれたTOAFAEC(臨時)研究会、翌月創刊の「南の風」通信を生む契機となった。前列右3人目に島袋正敏さん、後列右端に比嘉久さん。下段‣右端の群馬・稲葉さんは自慢のソバを打った。東京から小林、山口、内田が参加。(同館工作室、別称・貴賓室にて)
4298号【2022年2月6日】
■≪集落自治による憲章づくり≫
北国では、あちこちに大雪の警報、たいへんな降りようだそうで、お見舞い申しあげます。お江戸はまったく降らち、いい天気。木曜あたりは太平洋側の低気圧で、ひと降りするかもと、今日の予報で出ていました。
1週間のご無沙汰でしたが、この間、TOAFAEC 事務局(江頭晃子さん)と南の竹冨島(阿佐伊拓さん―ゆがふ館、竹富島を守る会・会長)の間では熱いメールのやりとり。皆さんから「風」が来ない(なぜだろう?)合い間、その記録を載せました。二月の定例研究会は、阿佐伊さんに竹富島の報告をお願いすることになりました(上掲)。
竹富島は、島の公民館を中心にして、貴重な歴史を刻んできました。集落の古層の祭祀、そして芸能、現代を生きる集落自治の取り組み。竹富島憲章を読むたびに集落自治の輝きを教えらます。ぶんじん(TOAFAEC)ホームページには、竹富島関連
10本ちかくのファイルを収録。→http://www.bunjin-k.net/06okinawa.htm
竹富島憲章(1986年制定、2017年改定)については、阿佐伊論文をホームページに載せています(年報22号・所収分)。今回また新稿を送っていただきましたので、本号に添付しました。竹富島憲章は、1971年に登場した信州「妻籠宿を守る住民憲章」の精神を受け継ぎ、それに項目を加える内容となっています。それぞれに「公民館」とのかかわりがあり。現在にいたるまで南の竹富と信州・妻籠の住民交流は続けられています(写真)。ぶんじん「南の風」は、2007年に「妻籠公民館と町並み保存運動」についてシリーズで連載記事(15回)を書いた経過あり、これもホームページでお読みいただけます。→http://www.bunjin-k.net/tumago07.htm
はじめて竹富島へ行ったのは1986年か。もと沖縄県社会教育主事・渡慶次賢康さん(竹富小中学校教頭)のご縁。しきりに通ったのは2006~7年頃。上勢頭(うえせど)芳徳さん(喜宝院蒐集館館、公民館長、2017年没)にずいぶんお世話になりました。
▼竹富島(左・上勢頭芳徳さん=喜宝院蒐集館長)と妻籠(右・清水醇さん=南木曽町公民館長)の交流(20081122、信州木曽谷・妻籠)
4297号【2022年1月31日】
■≪阿佐伊拓さんの論文アップ≫
先週・金曜日(1/28)の夜は、今年第1回の定例研究会・年報27号の第1回編集会議でした。今年は、沖縄復帰・中国国交回復からいずれも50年の節目。この間の社会教育・生涯学習の展開をどうみるか。韓国や台湾を含めて「東アジア」をとらえる大きな視点と、具体的な地域の動きをみる課題を含めて、こもごもの議論、実りある研究会・編集会議となりました。全体の特集テーマ「東アジア社会教育・生涯学習50年」(仮)。もちろんこれまでの日本社会教育研究のなかでは初めてのテーマ。これからの取り組みが楽しみ。
ご参加の皆さん、お疲れ様でした。編集長・李正連さん(東京大学)からは、会終了後およそ1時間で、当夜の記録(上掲)が送られてきました。この間、久しぶりに沖縄の各氏に電話。病臥中の渡慶次賢康さん(石垣)にも。そして名護のセイビンさんと高知の内田さんからメール来信、これらを待って本号編集、順調な展開は楽しい作業でした。
さて先週土曜のNHK/TV「ブラタモリ」は如何でしたか。私たちが関心をもつ社会や文化(たとえば「竹富島憲章」など)は出てきませんでしたが、それでも集落の600年の歴史と、そこで営まれてきた,生産・労働・祭祀等の一端が映像的に紹介されて、さすが!と思うところもありました。島の出演者は見知った顔ぶれ。「見てほしい!」と呼びかけてきた阿佐伊(あさい)拓さん=竹富島を守る会々長は登場しませんでしたが、風・前号で一部引用した竹富島憲章の報告(年報22号収録)を、了承を得てこの機会にホームページ・アップへ。字数の関係で省略していた「水牛舎問題」も復元した竹富島「憲章と暮らし」(2017年)論文です。機会をみてお読みください。本号写真は、関連して「水牛観光」の一コマにしましょう。「安里屋ユンタ」のサンシンが聞こえてくるようです。
*阿佐伊論文→■http://www.bunjin-k.net/asaitaku2017.htm
▼竹富島の水牛観光(2007/02/11)*阿佐伊論文「水牛車営業所移転問題」の項参照のこと
4296号【2022年1月28日】
■≪竹富島の特集≫
本号はいつもの「南の風」とは少し違う構成となりました。明日(1月29日)夜に、NHKテレビ「ブラタモリ」が「竹富島〜竹富島に“生きる”とは?〜」というタイトルで、島ブラブラの番組を放映するとの情報が(上掲、阿佐伊拓=ゆがふ館、竹富島を守る会々長より)入ったからです。どんな番組となるか多くを期待すると失望と思いながら、本号を構成しました。
竹富島は、私たちの沖縄研究のなかでも大事なフィールド、「やんばる」とともによく通った島です。最終的に1冊の本にまとめることはできませんでしたが、ホームページには、竹富島憲章、上勢頭芳徳さんとの対談、公民館についての小論など、かなりの記録を載せています。せっかくの機会、そのなかから3点ほど参考に\なりそうな資料を抜粋して(いずれも抄録)、本号を組みました。竹冨島憲章は、妻籠の町並み保存憲章と並んで興味深く、また島の公民館活動は驚くべき迫力です集落景観も一見の価値ありと思います。
資料Ⅲ「地域科学」としての集落研究の視点(2007)は、更に深めていきたい課題。しかしその後ほとんど進展させることができず。上勢頭芳徳さん(島の地域博物館々長、公民館長)が病臥され(2017年逝去)、ぶんじんも亡妻介護そして大手術という事態になり、竹富島に通えなくなったのです。宿望をはたせぬまま今日に至ったという経過、未練が残っています。
阿佐伊孫良さの跡継ぎ・阿佐伊拓さんは、私たちの年報「東アジア社会教育研究」22号(2017)に「竹冨島憲章と竹富島の暮らし」(好論!)を執筆されています。この機会にホームページにアップさせていただきましょう。ホームページ表紙の写真も、お正月の天狗のお面から、お盆のような竹富島遠望へ。また本(ぶ)欄写真にも竹富島の集落景観の一枚を載せることにします。竹富島特集?です。
▼竹冨島の集落景観(2018)
4295号【2022年1月25日】
■≪名護市長選が「やんばる対談」を生み落した≫
注目の名護市長選挙(1月23日投票、同夜開票)の結果は、残念ながら上掲(沖縄タイムス記事)の通り、約5000票差で、現市長・渡具知氏の再選、辺野古・新基地反対の岸本洋平候補は現職の壁をくずせませんでした。残念です。
いま4年前の名護市長選を思い起こしています。あのとき、現職の稲嶺進市長が思いがけなく選挙戦に敗れました。確か3500票前後の差。政権側はなりふりかまわぬ(実に醜悪な)選挙戦術に徹したこと、公明党は公式には辺野古新基地反対の立場であるにもかかわらず、自ら推す候補(現市長)は沈黙(黙認)に徹して、巧妙な選挙戦術で票をかきあつめ、結果的に新基地容認の政策を維持したのでした。今度はどんな経過だったのか。市民の分裂のはざまに、4000~5000の市民票が、苦悩しながら複雑に動いてきた名護政治史の断面、今回もその一コマを見る思いです。今朝(25日)の朝日新聞「天声人語」は、「名護市民の民意はとうの昔に表明されている」「(政権党の)やり方は家庭内暴力の手口さえ思い起こしてしまう」と書いています(上掲)。
2010年、稲嶺進さん(もと社会教育主事、写真)が辺野古新基地反対を掲げて当選された年に、応援の意味で、私たちは「やんばる対談」を始めました。現地では、島袋正敏さん(もと博物館・図書館長、選挙では稲嶺陣営・選対事務局長)が、「やんばる対談」を受けとめていただきました。「対談」記録・合作本がTOAFAECより刊行されています(2018年→■)。この2年、コロナ禍により「やんばる対談」は中断していますが、今回の名護市長選の結末をみるにつけ、なんとしても今年は再び「対談」を再開したいもの。セイビンさんが詠んだ琉歌一つ、「沖縄山原
名護行き通い やんばる対談や なま道半ば」(2018年4月・ぶんじんトーカチ祝い)をいま思い出しています。
3日後の28日夜は、今年最初の定例研究会。年報編集長・李正連さんよりリマインドのメール(上掲)。Voom 開催ですが、久しぶりお会いしましょう。
▼12年前の名護市長選・稲嶺進氏の初当選の弁(名護・選対仮設テント、2010/01/24)
4294号【2022年1月20日】
■≪「サヨナラ」ダケガ人生ダ≫
コロナ・オミクロン株の蔓延、想定をこえますね。いま毎日の感染者数は記録更新中。重症化は少ないと聞きますが、高齢者はやはり心して毎日が謹慎、逼塞中です。そしてまた、南太平洋のトンガ・海底火山の大爆発にも驚きました。日本まで押し寄せた「空振」?による津波。マグロ漁の生餌アジにも被害がでたとか。
そんななか国立の徳永功さんの訃報が舞い込んできました(風・前号)。残念無念。つまらない世の中だけど、お互い生きながらえて、別れの酒を汲みたかった。あと一度、徳永節の歌を聞きたかった。そして徳永さんは健筆でした。「南の風」には早い時期から参加されていましたので、目次検索で調べてみると10本ほど投稿いただいています。当方の「戯れ歌」にのせられて、初孫誕生をうたった短歌もあります。15年前、故小川利夫さんへの追慕に、徳永さんが寄せた「人生は限りあり、無常である・・・ハナニアラシノタトエモアルゾ、サヨナラダケガ人生ダ」の別れの献詩も頂きました(上掲)。
東京都の社会教育主事には、斎藤峻、貞閑晴、藤田博など少し年長(大正生れ)の世代が想い出されますが、三多摩では私たちの世代(昭和一桁生れ)が元気だったと思います。国立に徳永功、国分寺は進藤文夫、三鷹には小川正美など各氏。そして大学では小林も。これに名古屋から小川利夫さんが上京されると、夜は賑やかな集いになったものです。徳永さんが「トルコの娘」(映画「最後の橋」主題歌)を歌い、進藤さんが本格的なバリトンのロシヤ民謡で応じたものでした。今、みんないなくなった・・「サヨナラ」ダケガ人生ダ、の漢詩がしみじみ身にしみる昨今です。
▼徳永功『個の自立と地域の民主主義をめざして』出版祝賀会(国立、2012年2月4日)左に佐藤市長、北田耕也氏ほか
4293号【2022年1月16日】
■≪徳永さん追悼、いまひとたびの≫
南の風メンバーのなかには、急逝された徳永功さんを知らない人もあるでしょうから、略歴など少しご紹介します。長野県出身、1930年生まれ(ぶんじんより1歳上)。一橋大学社会学部卒、日本の公民館史に光彩を放つ国立公民館の創設に関わり、のち同公民館長・社会教育課長。25年近くの社会教育職務を経て、同市の政策室長・広報部長へ、さらに1983年より教育長(8年間)。その間、全公連専門委員、社全協副委員長、月刊社会教育編集委員、明治大学・学芸大学等の兼任講師も。多彩な経歴です。
ぶんじんとは、学会シンポで同席して以来、60年のお付き合いでした。今の杉並に住む前、13年間ほど国立市に住んでいたことがあり(その間にPTA
会長も)、深い付き合いが続きました。いわゆる「三多摩テーゼ」をともに創った仲間。徳永さんには『個の自立と地域の民主主義をめざして』(2011年、エイデル研究所)の著作が遺されましたが、そこに請われて「徳永功さんの仕事」と題する「小林・解説」を書いています。その最後に「いまひとたびの」と題して、あと一度、徳永さんと「退潮が続く公民館」を再生・発展させる運動を再開する夢を語っていますが、かないませんでした。「徳永功さんの仕事」はHP別ページに収録。→ http://www.bunjin-k.net/tokyokenkyu.htm
徳永さんの写真はいろいろありますが、国立市教育長を退任された年、関係者で集まって「ご苦労さん」の会を催した折の記念の一枚を。「三多摩の社会教育を担った群像」として既に紹介した経緯がありますが、多数の懐かしい方々が並んでいますので(大半は故人、若い平林正夫さんもいる)再録。各氏お名前詳細はこちら■
▼前列左2人目に小林、4人目に徳永功さん、右端・中腰は平林正夫さん(徳永教育長「ご苦労さん」会、1991年9月)
4292号【2022年1月13日】
■≪今年最初の定例研究会、月桃の花≫
小坂明さん(神戸親和女子大学)から「阪神淡路大震災から27年目」を投稿いただきました。しみじみと読みました。あの年(1995年)東京では3月にオーム・サリン事件があり、沖縄では9月に米兵少女暴行事件が相次いだのでした。
さて、本年最初の研究会(1月定例会・最終金曜日よる)のご案内が、年報編集長・李正連さん(東京大学)より寄せられました(上掲)。本年度年報(「東アジア社会教育研究」27号、9月刊行予定)をどう編集するか、とくに特集テーマの設定について、議論しましょう、との呼びかけ。編集委員だけではなく、どなたも参加できます(オンライン会議)。新しい年の状況・課題を出し合いながら、私たちの今年度・年報の編集を開始しましょう。
ご承知のように、今年は「日中国交正常化50周年、沖縄復帰50周年」という大きな節目の年です。あれから半世紀が経過したのですね。この間に沖縄・東アジアの社会教育(生涯学習、成人教育、社区教育など)はどのような展開を見せてきたのか。これまでの蓄積を活かしながら、面白い年報27号を創り上げたいもの。年報編集・発行の経過、特集・目次一覧等は、こちら→→http://www.bunjin-k.net/21gou.htm
本号の「おきなわ短信」(1677)には、久しぶりに海勢頭(うみせど)豊さんの「月桃」が登場しています。懐かしい。ぶんじんも本号は歌いながら作業しました。歌詞もご紹介(上掲)。最初に歌われる♪みなみ風♪は、本誌「南の風」と結び合います。YouTube
に入ると、最近の海勢頭豊ライブがいくつも。例の語りも歌声も変わらず。月桃の花をご存知ない人もあるかと思い、どなたから頂いたか忘れましたが、秘蔵の写真1枚を載せます。歌詞の一節「6月23日待たず 月桃の花散りました」の意は、沖縄戦で一家全滅した屋敷に、月桃の花だけが咲き、散っていく悲しみを歌ったと聞いたことあり。小林ゼミの那覇滞在の夜は毎夜、豊さんの店パピリオんに通ったものでした。
▼2007年5月、月桃の花(八重山)
4291号【2022年1月8日】
■≪東アジア・フォーラム再開への期待≫
中国(北京)の韓民さん(中国教育発展戦略学会・理事長)から、黄丹青さんを介して、年頭のご挨拶をいただきました(上掲)。また同じ日(記事としては載せていませんが)韓国の梁炳賛さん(公州大学校・教授)から、李正連さんを通して、年賀の贈り物が届きました。韓菓(韓国の伝統的なお菓子)と紅参エキス。恐縮しつつ、有り難く頂戴いたします。次回の「東アジア生涯学習研究フォーラム」がリアルな対面の楽しい交流の場としてどう再開されるか。2017年の韓国そして2018年の(コロナ直前)北京・東アジアフォーラムの風景を思い出しています。お互い再開できる日への期待。それまで当方も元気を維持していきたと念じています。皆さんのお気持、まことに有り難うございました。李さん、贈り物ご送付に感謝!
さて一昨日(1/6)東京は一面の雪景色。この冬の初雪、わずかの雪との予報でしたが、思わぬ降雪に驚きました。10センチちかく積もり、屋根は白いものが残っています。銀世界は久しぶり。しかし夜の寒気で道路はカチカチ・ツルツル。杖をつく身には要注意。しかもコロナ感染数の激増もあり、やむなく閉じこもる生活を強いられています。寒気厳しい毎日、皆さんもお大事に。
山本健慈さんの印象的な「どん底からの大学の再建・大阪観光大学」の一文、、上平奏博さん「第2回須恵村研究会」のご案内をいただきました。→添付
旧年中より「ぶんじん日誌」(本欄)には、コロナ禍により新しい画像なく、記事に関連する写真をアルバム所蔵から探し出し、,載せてきました。古い写真もそれなりの趣きがあって、この間の歳月が懐かしい。本号には2018年11月に韓国で開かれた東アジアフォーラムのスナップ、梁炳賛・小林/・韓民のスリーショット、記念の1枚です。
▼左よりヤンビョンチャン・小林・ハンミン各氏、(韓国世宗市・東アジF、1918/11/02)
4290号【2022年1月4日】
■≪普通の暮らしへの歩みを≫
新しい年が明けました。大雪地方の皆さんには申しわけないほど、東京は正月の輝く太陽さんさん。中国・韓国・台湾・モンゴルの皆さんからの年賀メールも届きました(上掲)。お元気で新年をお迎えのご様子何より。今年、少しでもいい年にしたいものですね。。
どんな年になるのか、気になるところ。普通の暮らし・当たり前の日常が戻ってほしい。密になって語り合い、肩寄せあって歌い合い、自由に旅へも出かける日常を取り戻したい。元日の茜(あかね)に映える太陽に祈りました。当方、自分の足でなんとか動くことが(ある程度)出来るようになりましたので、福岡油山(自宅修理終了)へ。鳥のさえずりとともに暮らす夢。主な本・資料もその棚に眠っているのです。もう2年半も行っていない。崩壊した生涯設計を少しでも取り戻したい、というのが今年の夢。しかし、元日以降のニュースによると、必ずしも楽観は許されない感染数の動きですね。「やんばる対談」(4月予定)へかける期待もあり、ぜひとも実現したい、しかし沖縄はとくに米軍基地の波及あり、心配な状況です。
東京では楽しい正月です。信州・越後から送っていただいた銘酒あり、また福岡からの丸餅と小魚など。息子一家も来てくれて、ともに屠蘇を汲み雑煮を楽しみました。いつもの普段のお正月です。そして各地からの年賀状を拝受。年賀メールも東アジア各地からたくさん(上掲)、皆さん有難うございます。当方の賀状は(略儀ながら)「南の風」本号をもって、お送りしたつもり、お許しください。九十の坂を越えて、まずまずの体調、いい正月の気分。今年を元気に過ごし、皆さんと対面の研究会でお会いする日を楽しみにしています。
2年前の東アジア・フォーラム(北京)で、子供たちが紡いだ紅い「中国結び」を思い出し、正月の注連飾りとしました。(写真)
◇中国の童らつくりし紅結び、注連縄にかえ正月を飾る
◇九十の屠蘇を汲みつつヤンバルの 風車(カジマヤー)への道はるけき想い
▼永福自宅の正月飾り、北京から頂いた紅「中国結び」(2022年正月)
4289号【2021年12月30日】
■≪追っかけてあと1号≫
27日夜に配信した「南の風」前号で、今年の「風・吹き納め」と記して店じまいのつもりでしたが、すぐに高知の内田純一さんから返信あり。またホームページにアップしている読谷村「波平区公民館の門」について、初めての方からメール来信。あと1本、年末特別号を出すことになりました。
追っかけて、先日の「卒寿祝いの会」に神戸から来ていただいた(学大卒業以来はじめて顔を合わせた)小坂明さんからメール。今日はまた、事務局長・山口真理子さんが、先日研究会に関連して、都の図書館施策「大問題」も寄せられて、嬉しい悲鳴?となりました。皆さん、年末のご来信、有難う!
初めてメールを寄せられた須藤澄夫さんは、NHK/BS「火野正平こころ旅」番組を観ての投稿。自転車で沖縄を走っている場面から、読谷村「波平公民館の門」がちらりと出たらしく(小生は未見)、ネットで調べて、ぶんじん報告に出会ったとのこと。メールでは、懐かしい故山口富造氏(群馬大学)の教え子らしい。嬉しいメール、そのまま風に載っていただきました。ぶんじんは「波平公民館の門」につい寺中作雄さんとのエピソードを思い出しました。未見の方この機会にお読み下さい。
(1)月刊社会教育・論文 →http://www.bunjin-k.net/okinawa93toikake.htm
(2)寺中作雄・追悼 →http://www.bunjin-k.net/kominkannenkan1993.htm
須藤澄夫さんメールに添えて寺中さん追悼文の一部ご紹介(上掲)。思いもかけぬ来信は、永年蓄積してきたホームページが取り持つ縁です。ネット社会の効用でもありましょう。「南の風」も本欄(ぶんじん日誌)はすべてホームページに収めてきました。初期~500号前後までは、とくに「ぶんじん日誌」(毎号の風・後記)としては書いていないので、創刊号からの各号では、それらしき一文を添えて、一覧がもうすぐ完結します。→ http://www.bunjin-k.net/2005bunjinnishi.htm
今年最終号は、ホームページご紹介の記事で終わります。写真は「波平公民館の門」で飾ります。
▼読谷村「波平公民館の門」右「経済門」(昔は隣に共同売店)、左「文化門」(横にに図書室)ー2002年7月ー
4288号【2021年12月27日】
■≪年の終わり・定例研究会の写真≫
年の暮れ・師走24日(金)の東京社会教育史研究フォーラム、盛会裡に終了しました。意欲的な報告の梶野光信さん(東京都教育庁)有難うございました。ご参加の皆さん、ご苦労さま。翌日(25日夕)には早速、幹事・石川敬史さんより当日の記録が届きまし
た(上掲)。これでまた次につながりますね。本号には、研究会に関連して石井山竜平さん(東北大学)の欠席メール、科研費の活動記事も含んだ内容ですが、一緒に載せました。ご了承ください。
東京研究フォーラムは、TOAFAEC定例研究会と合同の開催。定例会は今回で287回を数えました。毎年11回の定例開催(全国集会開催の8月はお休み)、26年間も着実によく続いてきたもの。ホームページに全記録を(写真も一緒に)掲載してきました。→■http://www.bunjin-k.net/kenkyukai2021.html
今回は報告者・梶野さんの写真がなく残念。コロナ禍でホームページが味気ない誌面になりがちなので、昔の写真もさがして誌面をつくってきたことはご承知の通り。ところが案外と梶野写真が出てこない。だんだんと昔へさかのぼって・・・学芸大学・大学院時代の一枚にたどりつきました。珍しいので、今回研究会の関連写真として載せることにします。記録では、春の研究会合宿(1992年5月)。山梨ワインの里に泊まって、帰路は「大菩薩峠」経由で東京に戻った折、雲流れ冷気も押し寄せた峠での1枚。顔ぶれを見ると、大半が中韓台の留学生、日本人院生はかろうじて半数を維持していました。前列の左端に梶野、2列目に内田、後列には山口真理子さんの顔も。懐かしい1枚、カメラは小林。
次回の定例研究会は来年1月、年報27号編集に向けての議論です。今年「南の風」は本号で吹き納め。皆さん、コロナ1年ご苦労さま! いい年をお迎え下さい。
▼東京学芸大学・社会教育(院)ゼミ合宿、前列左端に梶野さん(大菩薩峠、1992年5月) カメラ・小林
4287号【2021年12月24日】
■≪「ぶんじん日誌」はお休み≫
本号は明日(12月25日)配信する予定でしたが、高知・内田純一さんからの今晩(24日20:00~)研究会の欠席連絡が含まれていますので(上掲)、当日に急ぎお送りすることとしました。以前から用意していた「東京・三多摩社会教育の歩み」全13冊一覧(大都市社会教育研究の系譜シリーズ№7)を載せましたので、全体が長文でもあり、末尾恒例「ぶんじん日誌」はお休みします。今晩研究会でお会いしましょう。
4286号【2021年12月19日】
■≪旧植民地学校の同窓会誌≫
前号に続いて、山口真理子さん(事務局長)から長文のメール。植民地時代の旧台北師範学校附属の同窓会誌保存についての経過・提起です。同窓会資料はおしなべて関係者のみの稀少なもの。しかし教育史資料として貴重な記録を含む可能性あり。できれば廃棄することなく、保存の可能性をさぐってみたいもの。
これまでの私たち研究会でも、旧満州「ハルピン富士高等女学校」同窓会の記録(「創立五十周年記念誌」1984年)が話題となったこと思い出しています。国立市の山辺悠喜子さん(戦後、中国陸軍の看護師として貴重な体験をされた)に「七三一部隊・毒ガス兵器」の犯罪をお聞きした折(第20
回研究会、1997/9/26)、同窓会記録がその被害証言を残していたのです。後日送られてきた同窓会誌(コピー)が貴重。その関連記録を上掲しました。研究会当日(24年前)の写真を下に掲載。
松本市・村田正幸さんから卒寿祝いのお酒と同市「公民館報まつもと」2年分を送っていただきました。平成合併で地区(町内)公民館が増えたこともあり、2ヵ月おきの各号すべて全70ページに及ぶ見事な編集。写真も多く、貴重な地域史が公民館報として蓄積されてきた歩みに驚きました。市民アーカイブ多摩へ回しました。
12月もあと10日余を残すのみ。コロナ禍と格闘しつつ、「南の風」もこの1年なんとか継続できました。皆さんのご協力あってのこと。24日(金)夜は、今年の最終研究会(東京社会教育史研究フォーラム)、報告・梶野光信さん(東京)の意気込み、なみなみならぬものがありそう。本号に研究会「再案内」を石川敬史さんより送っていただきました。年末いろいろご多忙ですが、皆様のご参加をお待ちしています。できれば、Zoomwoを通してでも越年の乾杯をしたいもの。
▼前列左より2人(元ハルピン高女)、相沢よし(同教師)、山辺悠喜子さん(TOFAEC/20回研究会、19970926)
4285号【2021年12月12日】
■≪識字問題への取り組み≫
大阪の森 実さん(基礎教育保障学会・副会長)から、学会関連メールとして「大阪市の夜間中学廃校計画に反対する緊急アッピール」(識字・日本語連絡会)が送られてきました。夜間中学生徒会連合会の反対署名、関連新聞記事など添付資料3点も。添付資料の一部を「南の風」記事(抄録)としてご紹介しました(上掲)。
大阪を基盤とする「識字・日本語連絡会」(代表幹事・森実さん)ホームページによれば、創設は(1990年・国際識字年を前にして)1989年、すでに30年余の歳月を歩んでこられたことになります。私たちの研究会(1995年創設)より先輩。東京の動きが、大阪の識字運動に刺激を受けてきたことを、あらためて想い起しています。たとえば、東京学芸大学時代の「東京識字マップ」調査は、国際識字推進大阪連絡会「読みたいねん・書きたいねん」のなかの「一人じゃない・仲間がまっている」一覧(1990)にあたるものを東京でもつくろう、という動きでした。
あと一つ、韓国の社会教育・平生教育研究者の識字研究に教えられるところ大でした。年報・創刊号は、金宗西さん(ソウル大学教授)の識字研究(日本語訳、巻頭論文)から始まっています。年報編集でも初期10年は「識字」が大事なテーマとなってきました。東京夜間中学の見城・関口両氏とのお付き合いは、そんな取り組みの中から深まっていったのでした。
話題はすこし動きますが、中国語の学習について。日中学院・胡興智さんが、意欲的な『チャレンジ!中国語-入門編』を出版されました。先日の卒寿祝いの会では盛大な生け花のご披露。また近年は短歌を詠む努力もますますの精進、驚いています。本号で、山口真理子さんに『中国語・入門編』のご紹介をお願いしました。
コロナ禍、新しい写真がなく、記事と関連して(古い画像を含め)何か探し出し、ページを飾りたいと努力してきました。本号には,5年前の学会で森さんご夫妻と一緒に撮った(森さんカメラ、送っていただいた)1枚。
▼森実さん夫妻と(基礎教育保障学会・創立懇親会、20160821)
4284号【2021年12月06日】
■≪一昨年の上海・写真を添付≫
前号(11月30日発行)をお送りした直後に、上海・華東師範大学の呉遵民さんと馬麗華さんお二人から、90歳祝いのメールを頂戴しました。すぐにでも本号を配信すべき?と思ったのですが、12月定例研究会「ご案内」が着信する予感(石川敬史さん・東京研究フォーラム)があり、待っていました。みごと当たり! 早速いただいた案内を冒頭に掲げて本号を編集し、お送りしています。石川さん、ご苦労さま。研究会の報告者・梶野光信さん(東京都教育庁、研究会:12月24日夜の予定:Zoom開催)、去年に引き続き、どうぞよろしくお願いします。
上海の呉さん、馬さん、お祝いメール、有難うございました。思いついて、2年前の上海での米寿祝いの集い写真から、お二人が写っている写真を探し出し、下に添付しました。
2年前に北京で開かれた東アジア研究フォーラムは、ぶんじんの米寿祝いと重なっていました。フォーラム予定日の前日、久しぶりに(山口真理子・江頭晃子お二人と一緒に)上海に寄りましたが、ちょうどその日が88回目の誕生日。皆さんが相集って、お祝いの会を開いてくださったのでした。その翌日は、北京で日中韓の各位に祝っていただきました。あらためて皆さんに御礼を申し上げます。「夢に見つ
日中韓の 祝い歌(ぶ)」
明後日12月8日は、太平洋戦争勃発の日です。あの日、日本中が緊張し興奮した朝。しかしその後は暗転の道を歩いていくことになります。ぶんじんは当時10歳。その後80年の歳月が経過したことになります。苦楽をともにした友たち、しかしその多くがすでに亡く、故郷を遠く離れた故もあるのか、とりわけ寂しい冬が始まります。
▼左より張JUE、呉遵民、羅李争、小林、朱榴芳、江頭、その後列:山口、馬麗華、国卉男の皆さん(2019/11/21米寿、上海)
4283号【2021年11月30日】
■≪ひとり乾杯! みなさん、有難う!≫
11月26日・定例(第286回)研究会、ワーカーズコープ・上平泰博さんの充実したお話。ご参加の皆さんともども、ご苦労様でした。はじめての方の参加も幾人かあり、何より嬉しいこと。積極的な質疑あり、いろいろ教えられ刺激をうけるところ少なくありませんでした。韓国から姜乃榮(カンネヨン)さんも参加。
当夜の記録、江頭さんがまとめ、上平さんにいちど見ていただいて昨日拝受し上掲しました。実は本号は別原稿を用意していたのですが、大急ぎで届いた研究会記録に差し替え、お送りする次第です(29日夜)。
これまでTOAFAEC 定例会は、報告者の顔写真を入れる慣わし。しかしコロナ禍で途切れがち。当夜も画像なく前に載せた1枚の再利用(下掲)、お許しください。・・・とここまで書いて、明日(30日)は3ヵ月ごとの通院日だったことを思い出し作業中断。朝早く起きねばならぬ!
思い起せば、2014年2月、急性静脈血栓症で西新宿に入院したことがありました。あのとき谷和明さんとご一緒にハンブルクのM.ヴェントさんがお見舞いに見えたのでした。その直後に故伊藤長和さんが急逝。残念無念の退院でした。その後、この既往症チェックのため、血液検査をして順調に経過しているかどうかの通院が続いてきたのです。異状なし!とのこと。
帰途、浜田山駅前の魚屋に寄って、いい魚は出ていないかと物色。冷凍の魚ではダメなのだ。小ぶりのサヨリが並んでいる。3本おナカをだしてもらって、急ぎ帰宅。塩焼きにして遅めの昼食。卒寿で皆さんから頂いたクリスタル・カップでひとり乾杯!
みなさん、有難う!
▼13年前の上平泰博さん、141回定例会(2008年7月「地域でつくったNPO児童館のあゆみ」)
4282号【2021年11月25日】
■≪明日は11月定例会≫
皆さんから90歳お祝いをたくさんいただき、恐縮しています。前号に書きましたが、お酒やお花、」そしてメッセージいろいろ、有り難いことでした。かたちだけFacebookに顔を出していますが、そこでもお祝いメールなど。個々に御礼申し上げるのがたいへんなので、この場をかりて、まとめて感謝!を申し上げます。
誕生日(11月21日)の3日前には、韓国グループ(李正連、呉世蓮、金ヒョンソン)の皆さんが見えて、早やめのお祝い会でした。写真がたくさん送られてきました。そのなかの1枚、HP本ページへ1枚。また関連写真2枚、韓国フォーラム・ページにアップ。→http://www.bunjin-k.net/kankokukenkyuukai2016.htm
竹富島を守る会・会長の阿佐伊拓さん(竹富島ゆがふ館)が、Facebookに5年前に投稿していた「竹富島の歩み」(仮題)が興味深く、久しぶりに電話して、当方への掲載をお願いし、同文を送っていただきました(上掲)。2000年代に気軽に通っていた竹富島、拓くんの父上・阿佐伊孫良さん、上瀬頭芳徳さんもともに亡く、コロナ禍も加わって、いまは遠い島となってしまった竹富島。島の伝統的な祭祀や文化を残し、芸能・民藝・長寿の島として多くの観光客が訪れるようになったのは、何よりも竹富島の内側の共同・うつぐみの思想・歴史の積み重ねによるものでしょう。それに外部の力がいいかたちで重なったと思います。いつぞやの「星のや竹富島」(ホテル)とシマ(集落)との関係も面白かった。これにも阿佐伊拓くんが関わっているのではないかと思いますが、またお話をうかがいます。
明日26日はTOAFAEC11月定例会(ゲスト・上平奏博さん:ワーカーズコープ)です。本号は直前の発行になりましたが、あえて「再案内」を載せました。皆さんの気軽なご参加をおまちしています。
▼韓国グループ(蘭、2021/11/19) *関連写真:韓国フォーラム・ページ
4281号【2021年11月23日】
■≪“不思議に命ながらえて”≫
子ども時代によく歌った「ここはお国の何百里・・・」の終わり部分の歌詞に、「思いもよらず・・・不思議に命ながらえて」という一節があります。この数日、この歌を口ずさんでいました。普段は、あまり健康に留意せず、生活は不規則、食事もいい加減な、そんな身がよくも九十まで生きてきたものだとー。丈夫に生んでくれた親のおかげか。最近は同じ世代に訃報が多いだけに、ほぼ健康に生きていることの幸せを実感しています。
11月21日の誕生日に「卒寿」の祝い。企画をすすめて下さった世話人の皆さん、コロナ禍の中ご出席くださった皆さん、各位に感謝! しかも初めての方、珍しい顔ぶれあり。神戸の小坂くん、麦笛(人形劇サークル)の「うそまこと」と和気ちゃんのお二人などなど、有難うございました。
頂いた花束,日中学院・胡k興智さんが活けた花は、いま我が家で咲き続けています。堀尾先生の手づくりジャム、美味しくいただいています。もろもろ有難うございました。写真もたくさん。まず終わりに撮った集合写真を本欄(下掲)に飾ります。新年会など集い(別)ページに八朔君のギターや真理子さん「百万本のバラ」熱唱、うそまこと写真を載せる予定。→http://www.bunjin-k.net/2016sinnenkai.htm
この日、お約束の(最後の)本が間に合わなかったこと、コロナ禍とは言え申し訳ありません。この2年(書庫・資料室がある)福岡油山に行けなかったことが言い訳。ウィルスが落ち着くことを祈るのみです。
三日前の11月19日夕には、韓国研究グループ有志が別にお祝いに来て下さいました。写真も呉セヨンさんから送っていただきましたので、次号ご紹介予定です。
▼90歳を祝う会(ぶんじん誕生日、東京永福・蘭、20211121) *和気(麦笛)、瀬川、遠藤さんなど退出後
4280号【2021年11月20日】
■≪沖縄中頭(なかがみ)青年会を支えた人 ≫
10月25日に逝去さんれた有銘政夫さんへの追悼が続いています。「南の風」では、4277号(11月1日)から関連記事を載せ、もと沖青協会長の東武さんに偲ぶ記事を寄せていただきました(前号)。いつぞや鷲尾真由美さんから送っていただいたNPO法人「沖縄恨の会」『否戦』(今年2月刊行、安里英子さんなど編集)は「有銘政夫の軌跡」の出版に向けて・資料集、の内容。有銘さんの証言、詳しい年表、写真と琉歌など、が収録されて、内容がつまった貴重な1冊(A4版、47p)。
これから新しく有銘さん記録が出版される方向のようです。
あらためて、戦後沖縄の注目すべき民衆諸運動(復帰運動、教職員会、全軍労など)リーダーが、中頭では、地域青年会運動の活動家であったことを再確認。加えて、その中頭青年会活動を支えてきた要(かなめ)として、中根章(あきら)さん(旧越来村青年会長、沖縄原水協理事長、コザ市議会議員、沖縄県議会議員など歴任)の役割がありました。中頭青年会事務所は中根事務所(コザ中の町)。私たちが仲宗根悟さんや有銘政夫さんと初めて会ったのも中根事務所でした。『戦後沖縄青年団運動の証言』集(TOAFAEC、2018)の冒頭に登場するのも、中根章さんでした。本欄の写真には、中根さんとの懐かしい写真を掲げておくことにします。 本号は折悪しく皆さんからの寄稿少なく、事務局(山口さん、江頭さん)にお願いして、一文を寄せていただきました。発行も遅れ、1週間余の間隔。ご了承を。
いま暦は11月21日へ。ぶんじん90回目の誕生日です。「思いもよらず・・・不思議に命ながらえて」の心境。午後からのリアルな「祝う会」。ご来会の皆さんとの再会が楽しみです。
▼左・故中根章さん、右に小林(中頭青年会(中根)事務所にて、20060531) *この年から何度も事務所を訪問するようになった。
4279号【2021年11月11日】
■≪「ニコッと笑う有銘政夫さん」≫
さきほど(11月11日午後6時)沖縄勝連の東(あずま)武さんから、故有銘政夫さん追悼文が着信。有難うございました。青年団OBへの追慕の一文。同時に有銘さんは教師(沖縄教職員会)として復帰運動を闘い、基地に土地を強奪された地主としてその不当性を訴え「沖縄軍用地違憲訴訟支援県民共闘会議」(違憲共闘会議)の元議長。手元にあった沖縄県収用委員会での悲痛な証言を、東さんの追悼文に合わせて本号に掲載しました。あわせて2号前(4277号)の琉球新報・コラム「戦争難民」などをご覧ください。
「ニコッと笑う有銘政夫さんの笑顔」(東さん)をよく覚えています。幸い江頭晃子さんより、そんな写真(年報17号、2012年「なかがみ対談」、山城千秋さんカメラ)を送っていただきました。下欄に掲げました。あらためて有銘さんのご冥福を祈ります。
コロナ感染のデータは減少傾向、これからどう推移するのか。この11月、なにか忙しい月となりましたね。しかしズーム会議が続く。東北大・石井山さんのご配慮(また木村さんからはワイヤー差し入れ)、おかげさまでパソコン・フリーズ症状は解消ーお二人に感謝!ーしたようですが、どうもZoomは好きになれません。右耳の難聴のせいか、やはり聞き取れないときあり、なにより話し手の目の動きや表情がいまひとつ読み取れない。Zoom会合には(TOAFAEC
以外は)失礼するようにしています。悪しからずお許しください。
本号冒頭記事は、11月定例(第286回)研究会のご案内(11月26日夜)。久しぶりに上平泰博さん(ワーカーズコープ)のお話。どうぞよろしくお願いします。本号は長文となり、「大都市研究・系譜」記事は中断したかたち、お許しを。
▼在りし日の有銘政夫さん(中頭青年会事務所にて、20120327) 撮影・山城千秋さん
4278号【2021年11月06日】
■≪那覇より“月下美人”≫
10月末に亡くなられた有銘正夫さん(前号に訃報記事)追悼について、沖縄中頭青年会の後輩として「思い出」など書いていただけないか、と東武(あずま
たけし)さんにメールしていました(11月1日)。いろりろ多忙のご様子。いただいた返事から。「10年余り空家になっている父方の実家のリフォームで津堅島に行っていました。しばらくは津堅島通いが続きそうです。有銘政夫さんは、亡くなる3週間程前から重篤になっているとの連絡があり心配していました。またひとり、1950年代の青年団運動を牽引してきた生き証人が黄泉の国へ旅立ました。本当に残念です。ご依頼の件、書くのは不得手なので拙い文になると思いますが書いてみます。」とのこと。お待ちしています。
那覇からは「月下美人」をいただきました(上掲・鷲尾さんメール)。流麗な姿、さすが「月下の美人」を思わせます。その芳香までただよってくるような写真2葉、添付1枚、別の1枚を下に掲げました。
一晩で花は終わるとのこと、そのあとは食することもできるそうです。「召し上がるときは縦に半分に切って、電子レンジで1分。サラダにしたり味噌汁に入れたり酢の物にしたり、味はしませんがシャキシャキ感をお楽しみ」とのこと。頂きましたよ。宅急便の受け取りが1日遅れたせいもあるのか、シャキシャキ感は失せていましたが、驚きました。ありがとうございました。
本号「おきなわ短信(1664)」(八重山毎日新聞・コラム、10月31日)にもご注目を。石垣島・平久保は島の最北端の集落。登場する米盛三千弘さんは、同集落に「ぶんじん歌碑」を建立(2003年)した人です。近年、八重山に旅する機会なく残念ですが、さがり花(名護の市花)の花だより。懐かしいコラムでした。
▼那覇壺屋に咲く“月下美人”(鷲尾真由美さん宅、2021/11/01夜)
4277号【2021年11月01日】
■≪沖縄・中頭からの訃報≫
11月29日(金)夜のTOAFAEC(第285回)定例研究会、ご参加の皆様、お疲れさまでした。早速、金亨善( Kim Hyoung Sun、東大大学院)さんから「報告」を送っていただき(翌日夜)、有難うございました。当方は、衆議院選挙ニュースなどに時間をとられ(選挙の結果にいろいろ考えている)、本号配信が1日遅れとなりました。
研究会では、ぶんじんも「話題提供」を求められ、まさに「年よりの冷や水」。東アジア「市民の学び」テーマが、年報としては初めての特集、各国・地域から興味深い報告・モノグラフが揃い、たいへん面白かったこと。加えて5つのポイントについて発言しました。当夜大急ぎでレジメを書きましたので、金さん報告に付して添付しておきます。板橋区からも斎藤真哉さんはじめ5人の方が参加され(上掲・参加者一覧)、これまでの歩みなど興味深い発言いろいろ、賑やかな研究会でした。
当夜は韓国からカンネヨンさんがオンライン参加、久しぶり。研究会終了後にしばし歓談、楽しいひとときでした。南と北の新しい動きもあるような話。ぶんじんの夢は、福岡→釜山→ソウル→ピョンヤンとまわって北京へ、さらに上海から台湾・沖縄へと「東アジアを泳ぐ」旅をしたいもの。ピョンヤンへの道が開かれたら企画してほしい、よろしく!とあらためてお願いしておきました。
沖縄からの訃報。同年の有銘政夫さんが亡くなられました(上掲・琉球新報記事)。故仲宗根悟さん(復帰協事務局長)などと一緒に忌憚のない議論ができる方(年報17号「なかがみ対談ー復帰40年を問い直す」2012年)でした。厳しい発言も。ご冥福を祈り、在りし日を偲んで写真一葉を掲げます。
▼左端・有銘政夫(もと沖教祖中頭委員長、違憲共闘会議・元議長)、仲宗根悟(元復帰協事務局長)、友寄信介(元全軍労委員長)
の各氏と。うしろ小林。(20120327、コザ中の町・中頭青年会事務所にて)
4276号【2021年10月26日】
■≪豊後のカボス有り難く拝受≫
本号を Outlookに入れる直前、やんばる・セイビンさんよりメール着信。有難うございました。早速、冒頭記事に掲げました。あの地震の翌未明(10/8)、転倒の瞬間、とっさに身をかわし!
「マブイ」(魂)も体から離れなかったようです。おそらく名護で唱えていただいた「マブヤーマブヤー」のおかげか。その後も何の障りもありません。レントゲンも大丈夫。まだまだ・・大丈夫。ご心配かけました。
大分豊後(わたなべみきおさん)から見事な「カボス」(柿も一緒に)が届きました。本場の芳香なつかしく、山口さん・江頭さんなど連絡がつくところに早速のお裾分け。有難うございました。お母上がお元気だったころ、毎年のカボスを送っていただきました。ちょうどあの頃は、杉並・安井家で原水爆禁止署名運動資料整理の日々、皆さんにお分けしたこともありました。母上に電話でお礼など申し上げた思い出、しかし結局一度もお会いする機会はないまま。亡くなられた由伺って、(ご長命とはいえ)残念無念。遅ればせながら・・・ご自慢の末っ子に改めてお悔やみ申し上げます。
油山の狭い庭に渡部幹雄さんがカボス苗木を手植えしていた姿をよく憶えています。しかし普段は誰もいない家、水かけなど全くできない環境で、異郷の幼木が育つはずもなく、次に行ったときには枯れていました。あのとき何か歌を詠んだような記憶。農中茂徳さんが植えた渋柿はなんとか枯れないで大きく茂りながら、なぜか一度も実をつけない。最初に庭を整地したとき植えた梅の木だけは、毎年たわわに実るようですが、しかし主なき梅の実はそのまま落ちて朽ちるばかり。ついでに白樺の話。信州から多摩へ苗を移してもらって、福岡へ運んだ白樺の苗は、庭で3本だけ育ちました。しかし終の棲家とはならないことを自覚したように、最終的には順序良く枯れていきました。やはり玄海の風には合わなかったのか。写真1枚ホームページに掲げます。思い出の幹と書斎の窓。いずれも主は遠く、浮世とはつれないもの。いまコロナ禍、農中茂徳さんが留守を見守ってくれています。
本号には、岡山・内田光俊さんから「大都市」研究関連の一文をいただきました。岡山の「特に嘱託職員の正規職員化による社会教育主事の全館配置(37名)は、労働組合が大きな役割を果たしたからこそ実現できたものでした。その後の公民館市長部局移管を阻止した運動についても同様」の歩みは貴重、また「南の風」に続編を書いてください。岡山からのレポートが加わって本号も充実した風になりました。
▼福岡油山の庭に育った白樺、窓は主のいない書斎(2014/11/13)
4275号【2021年10月22日】
■≪あと少し、遠くへ行きたい≫
冷たい雨が降っています(10月22日)。晩夏から急に初冬に移ったような季節のめぐり。今日の気温は終日、11度とか。冬への切り替えを急がなければなりません。
昨日は半年ぶりの通院でした。風4272号(10月8日)「二度の地震」で書いた、忘れていたレントゲン撮り。とくに異状はなく「年のわりには骨もしっかりしている」と主治医の診断。来年4月、再び半年後の予約となりました。予約日忘れは「よくあること」だそうですが、恐縮しつつ、半年後の予約票を大切にしまいこみました。
思えば丁度4年前の10月は病院ベッドで呻吟していました。大きな手術を2回、あといちど自分の足で立って歩きたい、と切実に願ったものでした。いま長い距離は無理ですが、なんとか自立して生活できている毎日に感謝しています。
1週間前の沖縄タイムス・コラム([大弦小弦])が次のような一文を書いていました(「総選挙とアフリカのことわざ」2021年10月14日)。「早く行きたければ一人で進め。遠くまで行きたければ、みんなで進め。誰が最初に使ったのか,正確には分からないが、アフリカのことわざらしい。気候変動への取り組みを訴える米国のアル・ゴア元副大統領が、2007年のノーベル平和賞の受賞時に語ったことで知られる」と。ぶんじんも「南の風」メンバーの支えで、今日まで歩んでこれたのだと今しみじみ思います。そして、あと少し先に歩き続けたいと願っています。
本号には新しく和田悠さん(立教大学)が参加され、自己紹介をいただきました(上掲)。ご参加歓迎! また冒頭の上平泰博さん「須恵村・研究会」のことなど、前号に載せきれず、掲載がおくれ失礼しました。エンブリー「須恵村」研究は、かって農村社会学を学んだものには懐かしい文献、はるか65年前を想いました。
4274号【2021年10月18日】
■≪月ぬ美しゃ十三夜≫
東京は秋冷の候となりました。夜風はむしろ寒さを感じ、昨夜の気温10度にまで下がりました。それだけに月が見事。今夜(18日)は十三夜でした。八重山の民謡で「月ぬ美(かい)しゃ~十日三日」と歌い、「みやらび美しゃ十七つ」と続く一節があります。みやらび(美童)とは乙女のこと。満ちる前の美しさ。
40年ほど前、私たちの沖縄社会教育研究会(東京学芸大学・社会教育研究室)では、南の八重山・宮古の島々だけでなく、奄美のフィールドワークに熱中した時期がありました。その調査記録は(仲宗根政善先生などの証言を含めて)『沖縄社会教育史料』(全7集、1977~1988年)に収録されています。HP→■ http://www.bunjin-k.net/okinawasiryou.htm
とくに奄美の記録づくり(第4集)は忘れがたい思い出。戦後初期、アメリカ占領下にあって、それに抗する青年団運動、隔てられた本土に密航して教育基本法や教科書を持ち帰った教師たち、復帰へ向けての断食の願い、そして公民館の胎動など。私たちは「戦後社会教育史における”奄美”の発見」(同「まえがき」)を実感したのでした。同じ時期「海を越えた教育基本法」(1984年,『季刊教育法』41号、エイデル研究所)を書きましたが、奄美の戦後史への思いが主軸にありました。
戦後奄美・社会教育史の証言者のお一人、友野義国氏のお孫さんが私たちの『沖縄社会教育史料』記録を知り、山口真理子さん(事務局長)がリクエストに対応され、ご苦労さまでした(上掲)。証言のもととなる音源もあったはずですが、今となっては探し出せない?
もしかすると油山の資料棚にあるかな?
パソコン・サーバー(so-net)の関係でホームページ・データベースを新しいドメインへ移す必要あり、ご存知・木村さんに来ていただき、パソコンは3日ほど入院。まだ切り替えが終っていません。合間をぬって、古いパソコン(快調!)に戻っての風・編集です。本号は若い世代の「風」参加あり、盛り沢山の内容となりました。
4273号【2021年10月11日】
■≪久しぶりの紹興酒10年もの≫
前号で「二度の地震」、食卓横でぶざまに転倒した話をご披露し、ご心配かけました。やはり腰の手術箇所を両手のとっさの防御でかばってくれた?らしく、その後は腰よりむしろ両手の打撲痛が残りました。しかし、それも日とともに軽くなり、今日あたり(何の手当もしなかったのに)ほぼ元にもどったようです。お騒がせしました。
仙台の石井山竜平さんより、事務局長・山口真理子さんあて、先月下旬「じんぶんヒストリー6」欠席のメールをいただきました。その際、ぶんじんのパソコン環境への言及あり、恐縮しています。
ご存知の方もあるように、ズーム通信のなかで、ぶんじんのパソコンは、時折り7~8秒ほどフリーズするのです。2月の東アジア・フォーラムご挨拶でも、3か国からご参会の皆様にご迷惑をかけた経過がありました。石井山さんより「~今年度中使えるルーター」なるもの一台の提供あり。ご配慮ありがとうございました。要するにスマホのWiFi受信の集中機能かと理解していますが、先週金曜日に、山口さんに加えて江頭さんにもお出で願って恐縮しました。この間ズームでは会っていますが、Face
to Face では久しぶり。
いつもの香港料理「蘭」へ、紹興酒10年もので乾杯! 山口さんが写真1枚パチリ。そういえば写真も久しぶり。
本号には山本健慈さん(前国立大学協会専務理事)より長文「日本の学術政策、国立大学政策の誤りを正せるか」(タイトルは「風」編集子)をいただきました。選挙を前にして、みんなでしっかり考えたいテーマ。また名桜大学・嘉納英明さんからは、地域貢献賞(沖縄タイムス)の朗報、おめでとうございます。
さて石井山「ルーター」で当方パソコンのフリーズは解消するか? 10月末の定例会でのお楽しみ。
▼紹興酒10年ものを開ける(ぶ)、右・江頭さん、カメラ・山口さん(西永福「蘭」、20211008)
4272号【2021年10月8日】
■≪二度の地震≫
10月07日夜(22時41分)久しぶりの大地震。杉並は震度5弱。2011年の東日本大震災以来の大揺れでした。しかし、あのときは本棚からかなりの本が落ちたのに今回は落下本はとくになく、「強」と「弱」では同じ震度でもずいぶん違うもの。もっとも揺れの方向によるのかも。
ところが余談あり。今朝早朝、私にはあと一度の地震がありました。お茶をもって動くはずみで、何かにつまずき転倒。こんな倒れ方は初めて!というような横倒し。手術した腰をしたたか打ったか、とっさの機転ではずせたか、よく分かりません。直後は何が起きたか分からず「また地震か」と思っような。幸いに痛みはとくになく(あとで出るのかなー)、まずまずの状態で立ち上がりました。ただ食卓の脇机も倒れて小物散乱はげしく、その景色にわが身の衰えを実感、イヤになって片づけもそのまま。まずビールひとつ飲んで、本欄を書いています。
さらにこぼれ話あり。レントゲンを撮って診てもらった方がいいかなと思ったところで、7日当日が(半年ぶりの)通院の日だったことを思い出しました。あわてて病院に電話。お詫びして、2週間後に主治医の予約を取り直しました。悪いことが重なる「サンリンボウ」(辞書では「三隣亡」とあり)とはこのことか。しかし転倒後の体の動きにはとくに異常なく、痛みもなく、一安心しています。このような「地震」をときどき繰り返して、歳月が過ぎていくのだろう、と妙に“納得”しています。
久しぶりに名護・葛草庵のセイビンさんからメール来信(上掲)。当方の「地震」話とは大違い。「松明を灯して、川にモクズガニや大ウナギ漁り」とか。ウナギは味噌煮料理だそうで、一度味わいたいもの。
4271号【2021年10月3日】
■≪由布の里・自由大学構想≫
風・前号、「届いていない」声あり、一部の方に風「再送」。確かに送信した証拠、われにあり・・などと考えていたのですが、やはり当方のミスのようです。各位アドレスを
BCC欄に張りつけるのを失念したのだと(今ごろ)気づきました。申しわけありません。前号に載せきれなかった中村(持田)津希子さんメールは、本号にようやく上掲。ホームページ・ぶんじん日誌欄に人形劇サークル「麦笛」の懐かしい写真アップ。
→■南の風4241号~4270号(前ページ)
ご存知「わたなべみきお」さんの「由布の里・自由大学」構想、その健筆ぶりは毎日早朝の投稿(Facebooku)に驚かされています。9月24日号には「3年越しの待ちに待った二つ目の営業許可書」「附属のホテルは法的根拠のある施設となった」とあり、旅館業の許可までとってホテル機能を備えた自由大学構想なのか!と敬服して本号ご紹介に及びました。追っかけて昨日(10月02日)の書き込みには文人名が登場。再び驚いて、それも載せることに(上掲)。「とりわけ複数の図書館、博物館、地域史編纂事業、ギャラリー、簡易宿所、の立ち上げ経験と見聞の延長線上のテーマであれば、多少は対応できる」と。なるほどなるほど・・と拝読。まさに独自の世界。コロナ禍でなければ一度「由布の里」まで出かけたいところ。しかしいまは杖をつく身でもあれば、それもかなわず。
大正期・土田杏村の上田(信濃)「自由大学」構想は、ホテル機能までには及ばず。構想としては大正デモクラシーを超えて、現代的に浮遊し始めたかと、毎日楽しみに読んでいます。
*南の風4241号~4270号(前ページ)
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