【南の風2021】 4201号〜4240号  
各号目次・後記(ぶんじん日誌)
 TOPページ

*南の風発行一覧(1998年〜)
 

*南の風4171号〜4200(前ページ)
*南の風4201号〜4240→■(本ページ)
*南の風4241号〜(次ページ)
 

【南の風2021】4201号〜目

4201号【11月21日】年報25編集会議,科研費、町田とびたつ会、社民党分裂、故上原文一氏の追悼記事
4202号【11月23日】
25号校正、労働者協同組合法案、 訃報・進藤文夫さん、名護ヴイチェン、八九歳
4203号【11月25日】
東アジア研究フーラム, 八重山移民70周年、文一・文人の出会い物語、満25年の定例会
4204号【11月30日】
275回研究会報告、NHK中国語講座、嘉手納新格納庫、故上原文一さん、霜月の終わりに
4205号【12月03日】
札幌に公立夜間中学、相模原の動き、松川町議員、台湾牡丹社事件、文一追悼2、歌
4206号【12月07日】
九大・韓国公州大学フォーラム、由布由大学、 コロナ禍ハウジングプア 、25号編集大詰め
4207号【12月10日】276
定例会案内、町田とびたつ会、 沖縄米軍事件多発、日韓識字共同シンポ真真、25号印刷へ
4208号【12月13日】
オンライン夜間中学説明会、韓国障がい者 、佐喜眞美術館、故上原文一琉歌、25号目次HPへ
4209号【12月17日】
2021新年会延期、25号予約割引案内、辺野古即刻断念を、沖縄フィールドワーク、脾肉の嘆
4210号【12月21日】
今年最後の研究会、札幌夜中設置の動き、 韓国障害者平生学習、沖縄フィールドワーク記録2
4211号【12月25日】
25号刊行、Zoom連絡、札幌「夜間中学意見公募」、 コザ騒動50年、いらだちの矛先(朝日)
4212号【12月28日】
夜間中学この1年、映画『GOGO94歳の小学生』 、とびたつ会、近況報告、Mアドレス変更
4213号【12月31日】定例研究会記録、学びと文化地域生活研究所、沖縄基地問題、モンゴル詩『文人の笑顔』
2021年     
4214号【 1月 5日】中国教育政策の動き、民事再生・大学再建、八重山の正月、年報26号、首都圏は緊急事態!
4215号【 1月 9日】内モンゴル、労働者協同組合法への注目、夜間中学等研修会、ユイマールでできた公民館
4216号【 1月15日】1月研究会、「生涯学」公募、毒ガス移送50年、与那国島フィールドワーク3、古層型公民館
4217号【 1月21日】
図問研声明、渋谷、こんばんは上映、宮古島市長選、町田、やんばるの風、風の誕生・23歳
4218号【 1月26日】定例会レジメ、明星大学卒論報告会、人頭税と基地問題、竹富島フィールドワーク4、南から春
4219号【 1月28日】
新著『交差する辺野古』、手彫りスプーン、八重山のコロナ、葛草庵、百衣観音に手を合わせ
4220号【 2月 1日】277定例会報告、大学再建その後、ぬくもりは今も(金口木舌)、竹富島フィールドワーク(5)
4221号【 2月 5日】東京ユースソーシャルワーカー、職員論、てだこのまち(浦添)、25号注文、2月定例研究会は
4222号【 2月 8日】278例会、ユースソーシャルワーカー2、国頭村安田区、東アジアフォーラム、東アジア交流史1
4223号【 2月11日】春満開やんばる、名護写真集、コロナと夜間中学、海勢頭豊さん、東アジアフォーラム交流史2
4224号【 2月16日】2月第3金曜日開催、広島市観音中学、とびたつ会、地域が支えるエイサー、東アジア交流史3
4225号【 2月22日】沖縄青年団証言増刷、竹富島ホテル建設訴訟,東アジア交流史4、沖縄各氏との電話
4226号【 2月26日】26号編集、沖縄青年運動史、八重山・平久保集落、2020「東アジアフォーラム」開催・交流史5
4227号【 3月 1日】東アジアフォーラム映像、フォーラム参加・感想、2700`漂着物、とびたつ会、27日ドキュメント
4228号【 3月 5日】
年報自由投稿、3月定例会、沖縄青年団証言増刷、さんしん日、竹富フィールド6
4229号【 3月 9日】3月(279)研究会・じんぶんヒストリー5、東アジアフォーラムに参加して、やんばるの共同売店
4230号【3月16日】関本保孝氏のネット記事、夜間中学政策、東京各区社会教育事業、町田、3・11関係福建省原稿
4231号【3月19日】26号第2回編集会議、やんばる対談、「ヒロシマ」紙芝居とお話、3・11関連資料(2)韓国から
4232号【3月23日】
編集会議報告、映画『生きろ』脱プラへの逆風、311関連資料(3)河北新報「ふんばる」記事
4233号【3月25日】ぶんじんH・沖縄研究の道レジメ、八重山のコロナ、板橋・渋谷職場異動、沖縄研究文献紹介
4234号【3月29日】じんぶんH・報告、名護東海岸「じんぶん学校」、、学芸大学・人形劇「麦笛」、コザ「空港通り」
4235号【4月01日】東京の日本語教育を考えるつどい2021、風の配信を、コロナ禍「ちむぐくる」、新宿「千草」にて
4236号【4月05日】4月定例会、4月より松本大学へ、やんばる地域博物館宣言、「難行苦行」宜野湾市道11号、麦笛
4237号【4月08日】自由投稿、 縁とつながり、ふれあい館・識字学級、沖縄戦の美化を危ぐする、回想・杉並研究1
4238号【4月12日】柳沢沖縄講座、広が学び、杉並研究(2)『歴史の大河は流れ続ける』、大都市研究スタート2
4239号【4月18日】夜間中学・卒儀論文に学ぶ、広島、子どもたちは地域の宝、東京研究・回想3、サクラ散る
4240号【4月23日】
年報編集・定例研究会(再)、辺野古反対・院内集会、訃報:潮平正道さん、自由投稿応募締切

*南の風4241〜4270号→■(次ページ)


                             TOP

《昇順》

の風・各号後記(ぶんじん日誌)

2021年 4241号

4240号【2021年4月23日】

■≪年報26号への自由投稿応募は今日まで
  前号訂正。発行日が3日ほど間違っていました。できれば、この日に発行したいと予定していた日付「415日」のまま配信。実際の発行日は「418日」とご訂正ください。また標題のなかの「東京」の「東」が抜けていました。最終チェックを怠っていたようです。本日・4月23日、今年の年報26号、自由投稿応募の締め切り日。まわりに関心ある方がいれば、あといちどお勧めください。来週4月30日(金)「定例研究会の30分前」に編集委員会が開かれます(上掲)。 
 本号には山口真理子さんの長文の集会報告(「辺野古新基地反対 遺骨を含む土砂を使うな 政府交渉&院内集会」に参加)が寄せられました。長文レポートご苦労さま。山口メールの第二伸。「今日の『琉球新報』を読んでから、昨日の集会記録を書けばよかった… 何しろ早朝からずっと書き続けていて、新聞は後回しにしていました… でも、ま、間違ったことは書かなかったようです。沖縄戦遺骨収集ボランティア「ガマフヤー」代表・具志堅さんは66歳のようです。」(2218:47 一緒にお送られてきた琉球新報記事も念のため添付いたしましょう。 数号前から連載している「大都市・東京研究・回想」シリーズは、本号長文になったため、お休みとします。1980年代の杉並研究、沖縄研究と並行して進めた戦後初期・東京都社会教育行政に関する証言収集に続いて、「東京・三多摩社会教育の歩み」研究(全13冊、19881999年)を用意していましたが、次号へのお楽しみ。
 八重山・石垣の潮平正道さん(「絵が語る八重山の戦争」著者、昨年825日、風4179号に紹介)が亡くなられました。謹んでご冥福を祈ります。鷲尾真由美さんから訃報記事拝受。「深く深く心に響いた」という八重洋一郎さんの弔辞、新垣重雄さん(石垣市議)に電話でお願いしました。

4239号【2021年4月18日】
■≪サクラ散る≫
 今年の春はコロナのお陰?か、テレビなどで例年より櫻の話題がたくさん報じられた感じ。今日(18日)未明にも、NHK「一目千本、吉野の櫻」が再放送されていました。ゆったりとして、いい出来映え。桜満開の季節も北上、今はどのあたりか。
 引っ越してきて40年にもなる杉並永福は、神田川と善福寺川を両脇に、河畔の櫻が見事です。その前に住んでいた国立は大学通りの櫻が美しく、また職場の小金井も桜の名所。毎年開いてきた研究室主催「花見の会」が懐かしい。沖縄研究会参加の市民や「ふるさときゃらばん」の名優たちがギターかかえて、賑やかでした。
 そういえば久留米の生家にも染井桜の老木あり、戦時下の強制疎開で引き倒されたあと、隣の(次に住んだ)家には山桜。夏の蝉とともに少年Bの心にやさしく残っています。思えば桜に恵まれてきた人生です。
 しかし、すぐ口をついて出てくる桜の歌に「同期の桜」があります。「貴様と俺とは・・」で始まる歌詞、「・・咲いた花なら散るのは覚悟、見事散りましょ国のため」と続きます。国家と戦争に、これほど利用された花もないのではないか。古い写真コレクションのなかに、少年B「尋常小学校」1年の国定教科書があります。最初のページ「サイタ サイタ サクラガサイタ」(写真)で始まり、次のページは「ススメ ススメ ヘイタイ ススメ」と。当時「小学1年生」は、みんなで合唱のように「サクラ」「ヘイタイ」を読み合いました。国定教科書の物悲しい春の思い出。
 ≪大都市・東京研究・解説≫ページは本欄からはずし、上掲しました。松田弥花さん(高知大学教育学部)から近況メールを頂戴しました。有難うございます。私信のようなので掲載を控えましたが、そのうち朗報メールをお寄せください。
文部省(国定教科書)国語読本・巻一 (昭和初期)


4238号【2021年4月8日】
■≪1970年代後半、沖縄研究・大都市研究のスタート≫
 本号には、桑原重美さん(カメラマン)、名護の仲宗根禎さん(教育委員会)から便りをいただきました。久しぶりに有難うございました。コロナで会えず残念。 
 さて、本号にはく資料>「大都市・東京研究・回想」として、『歴史の大河は流れ続ける』(全4集、1980〜1984)から、前号に1集「解説」(小林)、本号に全4集「目次」を掲載しました。このあたりで、ぶんじんの東京研究・地域研究はスタート。『歴史の大河』資料は、当時の杉並区立公民館を廃止しようとする当局の動きに抗して、1970年代末に活動が始まった区民有志の存続運動(代表・伊藤明美)、そのなかで作成された貴重資料です。東京学芸大学社会教育研究室への強い期待あり、これに協力、とくに当時の院生・園田(平井)教子さんの積極的な調査活動がありました。私たちの「原水禁運動(安井家)資料研究会」は、この時期から、断続的な歩みを経て、2005〜2009年に至る取り組み(毎月の安井家訪問、資料整理)がありました。
 思えば1970年代後半は、沖縄社会教育研究会が始動(1976年)、そして大都市の共同研究の胎動、あわせて杉並研究が始まる、という思い出深い時期でした。大都市(政令都市)「研究と交流の集い」は、社会教育学会・研究者側(小林)と大都市自治体労働組合側(川崎・伊藤長和さん)が手を組みあって、1978年にスタート、ホームページにその記録・写真等を掲載しています。またTOAFAEC 年報25号・今川報告には、その後、2016年まで39年間にわたって継続された経過ががまとめられています。ぶんじんの「20年回想」もご覧ください。→■
 同じ時期に杉並研究も始まったのです。発足時の杉並公民館は館長に安井郁(法政大学教授、のち原水爆禁止日本協議会理事長)を迎え、女性たちの読書会(杉の子会)が注目を集め、そしてビキニ環礁・第五福竜丸の被爆をきっかけに原水禁署名運動が拡がりました。当時(1954年)杉並公民館長室は、あたかも原水爆禁止署名運動の事務局として機能した様子が写真から読み取れます。(続く)
原水爆禁止署名運動−集まった署名の山(杉並公民館長室、1954年)


4237号【2021年4月8日】
■≪消し炭にあといちど火をつける思い≫
 今日(4月8日)は仏さまの花祭り。3ヵ月ぶりの通院でした。股関節手術から3年余、何枚ものレントゲンを撮って、まったく問題なし、次回は半年後ということになりました。いい気分で帰宅しましたが、花粉がまだ舞っているらしく(今年コロナのおかげか楽に過ごしてきたのに・・)、ムズムズ感が残り、晩酌もいまいち。
 この間、あるメールが着信、年寄りの残り火をかきたてるような一文あり。意を決して、いくつかの回想・証言を「風」に載せておくことにしました。まず上掲の杉並研究の経過(はじまり)を。ぶんじんにとって沖縄研究が主流となってきた感がありながら、他方で大都市・東京研究が「合わせ鏡」のように動いてきたのではないか、沖縄と大都市の、いわば社会教育研究の二つの(別々の)流れがどう結ぶのか、聞きたいものだと。
 いろんな条件のなかで起動していくフイールドワークは、なかなか企画通りには動かず、沖縄研究も大都市・東京研究も、いくつも中断や挫折を経ながらの歩み。どう交わるのか消えるのか。東京研究は1冊の本にまとまりましたが、課題多く、大都市研究と交流の努力は(年報25号・今川報告にあるように)いまあえなく消えてしまいそう。沖縄研究についても、関係諸氏の合力で総括的な本をつくりたかったのに、いまようやく「やんばる対談」で流れを維持しているようなかたちです。
 しかし、たしかに!二つの研究・潮流は、ほぼ同じ時期(1970年代後半)に胎動したのでした。「合わせ鏡」のように相互に映り合うかどうか分かりませんが、消し炭にあと一度の火をつけてみる思いあり。上掲・杉並研究の資料解題は次号おくりにいたします。

4236号【2021年4月5日】
■≪松本からのご挨拶≫
 コロナ禍のなか、私たちの研究会は毎月の定例開催。今月は30日(金)夜、280回を迎えます(Zoomによる、案内・上掲)。毎年11回(8月はお休み)として四半世紀をこえて毎月開催を実現してきたことになります。拍手!
 関心ある方の自由な参加を歓迎しています。Zoomですから、遠くからの方もお入りください。とくに今月は、年報編集に関連して面白い論議が“自由闊達”(編集方針)に交わされる見込み。編集委員でない方のご意見も大事、初めての方を歓迎、お気軽にどうぞ。当日は、20:00開催、21:40〜ズーム懇親会が予定されています。
 4月を迎えて、職場異動のお知らせがいくつも届いています。名古屋から福岡に移られていた松田武雄さんが松本大学に転じられた由、ご挨拶を拝受(上掲)。やはり故郷に近いところへの異動でもありましょうが、「大きな志」をもっている大学でのお仕事、おめでとうございます。私にとっては、日本公民館学会が東京周辺でやっと大会開催していたかたちから、初めて「地方」開催に動いた年(2005年)、積極的に引き受けて下さった大学でした。松本市の皆さんも力をかしていただき、思い出深い学会大会となりました。メールにもある松本市の矢久保、村田、高橋各氏と並んで、懇親会を盛り上げていただいた白戸洋さん(松本大学教授)の想い出深い写真1枚、本号ホームページに掲げました。
 昨年初めにも、東アジアフォーラムの日本開催に向けて、松本大学へお願いにあがったのでした。しかしコロナにより開催に至らず残念。白戸さんには「南の風」は届いていませんので、どうぞよろしくお伝えください。
左より白戸、矢久保、高橋、村田の各氏(2005年公民館学会・懇親会、松本大学、2005/12/03)


4235号【2021年4月1日】
■≪懐かしの新宿「千草」にて≫
 
その昔、故伊藤寿朗の沖縄訪問のこと。名護・島袋正敏さんにも電話で頼んんでおきました。1980年代の彼の名護博物館訪問、記録や写真など。セイビンさんの方にありませんかと。探してみようというご返事でした。あわせて今年の「やんばる対談」の見通しについて。今の沖縄の状勢だと悲観的。コロナ感染ニュースを見て、山口真理子さんからは、「やんばる」が「だんだん遠くなる・・遠くなる〜」と歌が返ってきました。「やんばる対談」中止ということになれば、年報26号編集について、今年も対応を考える必要がありましょう。嘉納・山城のお二人には、すでに原稿執筆をお願いしているつもりですが、ぜひご準備を。締め切り6月末です。
 さて、風・前号に登場した東京学芸大学・人形劇サークル「麦笛」のお二人。南の風配信ご希望あり、本号からアドレス帳に登録しました。本号、お手元に無事とどいているでしょうか。「南の風」はTOAFAEC(沖縄・東アジア研究)通信、すでに23年余の歴史、4200号を超えました。3年前、ぶんじん長期入院の折、「休刊」の好機だったのに、江頭さんが送信代行、いまも続いているのです。沖縄はもちろん、韓国・台湾、加えて北京・上海・広州など中国を含め、毎号200通ほど配信しています。最近はFacebookもあり、もう止めたいのですが、まだ続きそう。近年は小生の指もよれよれ、目も弱く、誤記・変換ミスなど多発。多少のミスは大目にみてやってください。自由投稿の通信ですから、麦笛のことなど、ご遠慮なく便りをお寄せください。私信の場合はその旨を注記してください。
 麦笛お二人の風ご参加の記念に、懐かしい「千草」(新宿)で飲んだときの写真を1枚、下掲しました。ぶんじんの横が「うそまこと」、後ろに和気ちゃんなど。2006年の暮れ忘年会か。この店では、故小川利夫・海老原治善など諸先生(日教組の集いのあと)とよく飲んだ店。ばったり「麦笛」メンバーと出会ったこともありました。ホームページには、これまでの記録いろいろ、折をみてご覧あれ。→表紙
麦笛メンバーと、下段左・小林、右・うそまこと (新宿・千草にて、2006/12/08)


4234号【2021年3月29日】
■≪じんぶんヒストリー5,ご参加に感謝≫
 本号は「南の風」らしく「沖縄」がテーマの記事だけで埋まりました。ご寄稿の各位、そして26日(金)夜の「じんぶんヒストリー(5)」ご参加の皆さま、ご苦労さまでした。当方のパソコン不具合(ときどき7〜8秒のフリーズ)により、ご迷惑をおかけしていますが、原因はどうも古いパソコンではなく、WiFiのブースター?にあるのではと疑っています。当日は東京学芸大学・人形劇サークル「麦笛」メンバー(「うそまこと」さんなど)も参加、楽しい夜となりました。放送大学のなにかで「ぶんじん」の名が出て検索、江頭さんと連絡がとれたらしい。久しぶりに楽しい話。ご参加、有難うございました。
 当夜のご質問のなか、栗山究さん「伊藤壽朗氏」の訪沖についてのお尋ね。小生のホームページに記載あり。1983年12月、名護博物館準備室(島袋正敏・準備室長)の盛大な歓迎会。写真はなし。→■http://www.bunjin-k.net/.htm、 この旅では、まだ博物館は開館前。中国からの留学生・韓民も参加していて、沖縄のあと九州博多の小林宅で正月(数日泊まり)雑煮をたべ、九大の他の中国留学生も合流し油山に登った記憶を思い出しました。伊藤寿朗氏はその後なんどか名護を訪問したように思います。丹念に調べればどこかに写真があるかも。
 当夜、あと一つお話したいことがありました。レジメ(風・前号記載)の8,沖縄「全集落公民館の質問紙調査」のこと。沖縄大学・平良研一研究室に回答用紙・集約中のところ(全950票)、シロアリに食われた事件。しばし言葉が出ないほどのショックでした。いま新型コロナに振り回されているのに似て、小さな昆虫と言えども馬鹿にならない。詳細な質問紙は残っていて・・・次の機会にでもお話しすることにしましょう。

4233号【2021年3月25日】
■≪沖縄研究の諸文献など≫
 明日(3月26日夜・Zoom)の研究会に向けて、本号はその「再案内」、あわせて報告レジメを上掲しました。そして本欄では(いつもと違って)補足として沖縄研究・報告文献の紹介を書いておきます。ぶんじんの沖縄研究は、『日本近代教育百年史』(第八巻、1974年)において、まったく沖縄に触れることが出来なかった反省から始まりました。執筆の段階では沖縄の日本復帰はまだ実現していない、しかし本が出版されたのは復帰後でした。沖縄については取り上げないでよい(実際にまったく基礎資料がなかった)という申し合わせがありましたから、言い訳はできますが、結果として自己批判もの。その後、まわりの末本誠、長浜功等の諸氏と相談して「戦後沖縄社会教育研究会」を始めたのは1976年のことでした。その間のことは、日本社会教育学会年報25 『戦後社会教育の地域的形成形成過程ーとくに沖縄社会教育史に関連して』(1981年)に書いています。
 沖縄社会教育研究会(東京学芸大学社会教育研究室)の経過は、詳細をホームページに掲げています。→■ 1977年から1987年にかけて7冊の『沖縄社会教育史料』を世に出しました。行政記録等の諸記録だけでなく関係者の証言も編集して収録。一部まだ在庫がありますが、欠本あり。ほとんどの証言者が物故されたいま、貴重資料となりました。東京と那覇の両研究会が声かけあって資料編集に励んだ当時が懐かしい。収録項目のみ、ホームページに入力済み。→■ 
 東京学芸大学・教育学教室の研究年報に、戦後の沖縄の成人学校、実業高等学校、琉球政府下公民館の歩み、琉米文化会館、教育隣組等についての研究報告、また月刊社会教育、季刊教育法、青い海などの雑誌に寄稿した報告も少なくありません。詳細は小林文人・執筆文献一覧(同ホームぺー)をご覧ください。→■
 1988年に全体としての報告を、文部省(当時)刊行助成金を得て、出版しています。小林文人・平良研一共編『民衆と社会教育―戦後沖縄社会教育史研究』(1988,エイデル研究所)。しかし残念ながらこの本はいま絶版となっています。あと1冊、2002年に名護で開かれtた社会教育研究全国集会に向けて小林・島袋正敏共編『おきなわの社会教育―自治・文化・地域おこし』(2002,エイデル研究所)を上梓しました。しかしこれも絶版。残念です。
小林文人・平良研一共編『民衆と社会教育』(1988、エイデル)


4232号【2021年3月23日】
3-11 河北新報「ふんばる」記事・再録
 いつも南の新聞を読むのが永年の習慣となってきましたが、あの頃(2011/3/11以降は毎日北の新聞をさがしていました。東日本大震災の深刻さ、とりわけ福島・原発震災はなおさら、どう向き合っていくか。「正直に言うべき言葉をもたない、被災地の惨状について…いったい何が言えるだろう」(池澤夏樹、「朝日」2011/4/5 夕刊)の気持ち。2度とおきてはならない被害・惨状に直面し、しかし東北からの報告には現実の厳しさとともに、人々のつながり,集落の結びつきの大事さを教えられる記事に救われる思いでした。
 当時「河北新報」の震災記事を追っかけていたら,「ふんばる」の連載に出会いました。現地レポート、地方紙・記者の入魂の仕事振りに,心打たれる記録がたくさんありました。壊滅的な地場産業(醤油、酒造など)の被害と再起への思い、集落・自治公民館の奮闘、障害児に取り組むNPO,避難所の子ども絵本コーナー、宮古市田老の消防団、特養ホームのケヤマネジャー、燃料店主の焚き火、風評被害と闘う農家ななど。上掲・再掲記事は、その中の一つ、気仙沼市本吉町大谷のお寺で“自立”を合い言葉に、踏ん張っているある集落の自主避難所の実録。
 “男たちは元気だ、そう見せている、心で泣いて顔で笑っている・・・”
 本吉町は思い出深いところです。まだ朱膳寺春三さんが旧本吉町の公民館長をされていたころ、故横山宏さんと訪ねたことがあります(戦後資料調査)。夜汽車で着いて朝風呂に入れてもらったことがありました。50年前の話です。
  年報・李正連編集長から早速の編集会議ご報告、ありがとうございました。東京も桜があちこち満開となった模様。昔の小林ゼミ「花見の会」の賑わいを想い出しながら、ホームページ表紙写真を「桜・満開」の1枚に更新しましょう。

4231号【2021年3月19日】
年報26号編集会議(第2回)≫
 前号には、関本保孝さんの肩書(もと夜間中学校教員、基礎教育保障学会)について、2文字(育、校)の誤記がありました。他にもあるかも?と恐縮しています。また遠藤輝喜さん(渋谷区)メールに添付すべき「東京各区コロナ禍の状況」ファィルを失念、1号遅れで本号に再掲・ファィル添付しました。申し訳ありません。
 本号には、今晩オンラインで予定しているTOAFAEC 年報26号・第2回編集会議ご案内を冒頭に。TOAFAEC では学会などとは違い、関心ある方の(編集委員でなくても)ご参加を歓迎しています。「自由闊達」が編集方針、どうぞお気軽にどうぞ。ご案内が当日となり、申し訳ありません。
 今年「やんばる対談」について、名護・島袋正敏さんと電話で相談しました。コロナ禍により、昨年も開催できませんでしたので「今年は会いたい」という話から始まりました。しかし、やはりコロナ終息の状況次第、2・3週間ほど様子をみよう、無理は避けよう、ということになりました。もし開催するとすれば、年報26号発行スケジュール(テープおこしを含む)からみて、5月連休後に開けるかどうかがポイント、そんな話になりました。
 3・11関連資料(2)については、韓国・富川の李時載先生から頂いたお見舞いメールを再掲しました。川崎(富川市民交流会)に届いたメール、いつまでも心打たれるお見舞い状です。小田切督剛さん添え書き、「翻訳しながら私も涙が出ました」と。

4230号【2021年3月15日】
■≪桜ほころぶ、3・11関連記録(1)≫
 早いもので三月も中旬、花の便りが伝わってきます。東京も例年より桜のほころびは早い様子。しかし世はコロナ、加えて当方は花粉症、ただ昔の花見の宴の賑わいを想い起こすのみ。もったいないことながら、この季節は楽しくない。
 この間、3.11を前後して、10年前の東北大震災・福島原発の過酷事故についての記録映像、秀逸なドキュメンタリー作品が深夜放送などで流れていました。あらためて涙した作品もあり。10年前のあの日、東京も大きく揺れ、衝撃の毎日を過ごしたものでした。数日後に予定していた沖縄へのフライト(やんばる対談・第2回)は、逃げるような思いで南へ発ちました。避難民のかたちで名護に迎えられたことを想い起こしています。
 10年前のTOAFAEC 記録や南の風記事等、いくつかここに想起しておきたいと思います。本号には、大地震・津波の3か月後に「未曾有の大震と社会教育」について共同執筆したレポート(執筆者7人)を上掲。中国福建省からの寄稿依頼によるものでした。私たちの原稿は直ちに中国語訳され、同省『終身教育』(2011年第9巻2号、隔月刊)に掲載されました。東北だけでなく、阪神大震災についても、公民館の役割について竹内正巳さん(西宮市)に書いていただきました。日本語原文は『東アジア社会教育研究』(2011年、第16号)に掲載されてています。
 同時期に福建省誌に送稿できなかった「原発事故に対する市民団体の動き」、江頭晃子さんに依頼し、追加してTOAFAEC 年報に掲載。大地震後わずか数か月の本格的な共同の取り組みでした。国内を含めて最も早かった震災(と社会教育)報告ではなかったかと思います。たしか福建省から原稿料も送られてきた記憶が残っています。次号には韓国・李時載さん(社会学者)からのお見舞い状「苦痛のトンネルが終わる日は必ず来る」を掲載します。

4229号【2021年3月9日】

■≪3月定例研究会・じんぶんヒストリー」(第5回)

 どちらかといえば、短信のメールで組み立てる「南の風」、本号は案外と長文の通信が並びました(一部次号へ)。まず、3月定例研究会(26日(金)20:00〜)のご案内。久しぶりに「じんぶんヒストリー」(第5回)、いよいよ「沖縄」研究についてご報告することになりました。Zoom研究会、皆さん、ご参加ください。詳細・案内はこちら→■http://www.bunjin-k.net/kenkyukai2019.htm
 二つ目は、2月27日(土)午前から夜まで終日かけて開かれた「東アジア生涯学習研究フォーラム」についての感想、小田切督剛さんからです。中国・韓国そして台湾からの参加。「コロナ禍」をテーマに日本開催(Zoomによる)国際会議です。海をこえて実に簡単に顔を合わせた実験?成功の集い、どなたか風に簡単に会議レポート(日時、参加者、報告など)を寄せていただけませんか。詳しい報告は来年の年報『東アジア社会教育研究』26号に収録されることになりましょう。なお風4225号ぶ欄(27日ドキュメント)に書いた通り、小林に当日レジメなど資料をお送りいただければ幸い。
 本号通信の三つ目は、やんばるの小集落の共同売店について。山口真理子さんからの提供。琉球新報コラム<落ち穂>から。共同売店の風景が目に見えるようです。
 実は、あと一つ、前号に書いたように、10年を経過した3・11東北大震災についてのTOAFAEC 共同執筆(中国福建省「終身教育」誌からの依頼原稿(中国語)、日本語原稿は、同年の年報「東アジア社会教育研究」第16号に掲載)を用意しましたが、本号少々長くなりますので、次号にゆずります。

4228号【2021年3月5日】
■≪3・11近づく≫
 この間、本欄には「南の島フィールドワーク」記録、そして「東アジアフォーラム」(1〜5)など回想記事が多くなりました。コロナ禍で自宅籠りのせいか。資料5回も重なると、捨てるには惜しく、一部他稿との重複もありますが、それぞれホームページに収録しました。→■http://www.bunjin-k.net/eastasia2019.htm
 「南の島(与那国・竹富島)フイールドワーク」回想 は、写真も数葉そえ、未掲載の竹富島フィールドワーク6「うつぐみの思想」(本号上掲)を加えホームページにアップ。→■ http://www.bunjin-k.net/shims-Fieldwork.htm
 「うつぐみの思想」一文は、南の風4220号に続く記録として書いていたもの。しかし、次の東アジアフォーラム回想記事に追われ、そのまま野ざらしになっていたもの。拾い出し、いささか間があきましたが、本欄に収めた次第、ご了承下さい。
 さて、2011・3・11 東北大震災の10年記念日が近づきました。この間、みな10歳の年をとったのですね。あの時刻、ぶんじんは東京自宅で大揺れに耐えていました。東北ではありませんから、津波や原発・放射線被爆の恐怖はなかったものの、やはり人生最大の地震経験、少年の戦時体験にも似た混乱の数日を想い出します。あの日(すべての電車がとまり)自宅前の道路は深夜まで帰宅・避難の列が続きました。
 実は、あの大地震の直後「やんばる対談」(第2回)が予定されていました。東京を逃げるかたちで沖縄行きフライトに乗り名護へ。相次いで台湾、韓国、中国からの「お見舞い」メールが殺到し、旅行中ながら、連日の「風」編集・発行が続きました。次号に当時の「南の風」記事、東アジア各地からのお見舞いメールなどご紹介してみたいと思っています。

4227号【2021年3月1日】

■≪オンライン「東アジアフォーラム」1日・ドキュメント≫

 2月27日(土)「東アジア生涯学習研究フォーラム」日本開催(コロナ禍でオンライン会議)、ご参加の皆さん、終日お疲れさまでした。オンライン会議は、ぐったり疲れますね。手もとに正確な数字はありませんが、日本・韓国・中国あわせて60人前後の参加か。最後はすべての参加者が自己紹介風に発言しましたから、時間はかかりましたが、新しい方のお話は興味深い。中国から韓民さん(中国教育発展戦略学会)関係の皆さんの参加がもっとも多く、日本は地元?なのに案外と少数、韓国もいつもの毎年メンバーが主だったような。以下、当日の混乱のドキュメント。
 朝10時からの開会、なんとか間に合ってパソコンを開く。石井山さん(東北大学)からメール(2/27 (土) 9:43)。「みなさま いよいよ本番ですね。様々しんどい場面もありましたが、皆様のご尽力があって、今日が迎えられます。本当にありがとうございます。9:50ごろに、ZOOMは立ち上げます。本日、一日長丁場になりますが、どうぞよろしく・・・上田先生(筑波大学)、総合司会、どうぞよろしくお願いいたします!」と。いよいよ始まるな、と当日オンライン参加の入口・URL を探すが分からない。それらしきものをクリックしても「2月7日Zoom」とでる。しまった!小生は当日スピーチ・ご挨拶の予定なので、当然、大丈夫だと思って申し込みしていない? 甘かったか。あわてて石井山さんの既着メールを調べ始めても、もう遅い。頭真っ白になって・・・さてどうしよう?困惑していたところに、李正連さん(東京大学)からメール来信。「李です。Zoom URLは到着していますでしょうか。念のため、私の方からもお送りします。どうぞ・・!」と。地獄に仏さま。有難や。横の山口真理子さんが用意してくれた私のスピーチ要旨を前に、ようやく話を始めることが出来たのです。あとで当日の配布資料など送って下さい。
 お昼休み、午前に日本側の報告をこなした江頭晃子さん(アンティ多摩)から,前日の福岡訪問の写真がパソコンに届く。こちらは余裕あり。「油山の写真、添付しました。大変貴重な資料群で、とても刺激を受けました。活かす方法をご一緒に考えたいです」と。午後の部へ、韓国、中国そして台湾からの報告。質疑の時間は参加者の自己紹介。ながく続く。そして一休み。まだ終わらない。次の課題へ。今後の東アジアフォーラムのもち方、研究の進め方について意見交換。歴史に残るオンライン・東アジア会議だ。そんな1日でした。
 12時間ほどの長丁場。終わりに「乾杯を」と提案しましたが、みな疲れ果て乾杯の気分ではなさそう。実は1年余り前、前回の北京フォーラムで、韓民夫妻から「88歳祝い」祝宴をして頂きました。せめてお礼の乾杯でもと思ったのですが、手元には「お茶しかない」(韓民)と。味気ない終わり。以上、長い1日の報告です。

4226号【2021年2月26日】

■≪「東アジア生涯学習研究フォーラム」交流史・その5≫

  ―前号に続く、2020年度・日本開催、2月27日(オンライン)―
 北京フォーラムより帰国して、2020年が明けました。予定される東アジアフォーラムの日本開催について、準備・協議の機会がないまま、1月早々に松本で日本公民館学会受け入れについて、松本市や松本大学を含めて旧知の方々の集いがもたれる話が聞こえてきました。矢久保学さんと電話で話しているなかで、久しぶりに松本に遊びに行きたいな、そんな気分で出かけることになったのです。私的な旅、もし可能ならば東アジアフォーラム開催の話も聞いていただけるかも?と期待してのこと。その経過や写真は「南の風」(風4123号ぶ欄など)記録やオームページなどに残されている通り。→■
 ほぼ1年前のこと。そして2月のコロナ騒動へ。いろんな計画や協議もすべて吹ッとんだかたち。そして明日(2月27日)、オンラインによる「東アジアフオーラム」が開かれることになりました。韓国・中国との事前オンライン準備をへて当日を迎えることになります。4号前の風(4222号・2月 8日)に載せた石井山竜平さん(東北大学)の「お誘い」を再録しておきましょう。
◆<「東アジア・フォーラム」オンラインへのお誘い(石井山竜平、南の風4222号)
・2021年の開催計画について ・科研を活用しての共同研究ついて ほか(略)
・2月27日(日)タイムスケジュール 10:00 開会  
 10:10〜10:30 主催である日本を代表して小林文人先生のスピーチ
 10:30〜11:10 報告@日本  11:10〜11:50 報告A韓国
 13:30〜14:10 報告B中国  14:10〜14:50 報告C台湾
 14:50〜16:00 全体討議   Tea Break
 16:30〜 今後のフォーラムを進めるにあたっての協議
・連絡先:石井山竜平(東北大学) Eメール:ishiiyama@hotmail.com  *詳細案内→■

4225号【2021年2月22日】
■≪沖縄各氏との電話、つなぐ心≫
 いつもより1週間早めて開催した2月定例研究会(第278回 2月19日)は、今年の年報26号の編集会議(第1回)。とくに特集テーマをどう設定するかの議論に湧きました。関連して、沖縄「やんばる対談」について、コロナの関係では見通しがなかなかもてないと。昨年(25号)も見送った経過あり、実現したいところ、しかしワクチン接種の長丁場を考えると・・・などと確定しないまま終わりました。これまでTOAFAEC 年報としは、東アジア各国・地域だけでなく、沖縄を大事なテーマに掲げてきました。会議では一度「沖縄特集」を組めないものか、という話題も出ましたので、そのことを含めて、今日(20日)は山城千秋(熊本大学)、嘉納英明(名桜大学)のお二人とながい電話。さらに編集会議の報告もかねて島袋正敏さん(名護・葛草庵)とも懐かしいひととき。巣ごもりの身には、心も晴れる一日となりました。
 さらに南に飛んで竹富島へ。「竹富島を守る会」阿佐伊拓さん(同会・会長)に訴訟「実質的勝訴」(上掲・琉球新報記事)へのお祝い電話。課題はこれからだと。電話帳の流れで、もしかすると話せるかもと願って、石垣市(療養中の)渡慶次賢康さん(もと石垣市社会教育課長、中学校長など)へ。お元気な声でしたが、寝ておられるとのこと。平久保「ぶんじん歌碑」懐旧談など。この日、やんばるから八重山まで、ご無沙汰の皆さんに電話かけまくりの1日となりました。ついでに最西端の島・与那国島のこと。かっての社会教育主事(東原安伸さん)の電話(消息)が分からない。あの頃の「南の風」記録を確かめたくなり、あらためて数号を読み直し。南の風初期の頃は、メモがわりの歌を毎号「風」末尾に付していたのでした。歌碑の話題も出ましたので、懐かしくなって、本号は20数年前の与那国を詠んだ拙い歌をご紹介します。−与那国にて、1999年3月24日(南の風209号【1999年3月29日】所収)
◇疲れはて ただひとり歩くナンタ浜 はるかにかすむ久部良は雨か
黒潮の寄する港の片隅に最西端の公民館ありき
 *ナンタ浜は歌にも出てくる祖納集落の別れの浜、久部良は島の西端の集落。

■≪「東アジア生涯学習研究フォーラム」交流史・その4≫
   ―前号(ぶ)欄に続く―
 2018年・東アジア生涯学習研究フォーラムは、韓国で開かれました。小林は大手術を経過して初めての海外への旅。切れていたパスポートを新しく取り直し、杖をついて、同行の李正連さんや呉世蓮さんなどに見守られての旅。こんな日が蘇るのを夢にみてきましたので、終始感激の4日間。全体テーマは「学校と社会教育の関係を考える」、韓国からの報告はもちろん、中国・日本そして台湾からの報告が並び、また始興(シフン)市(チャミスル学習マウル)や牙山市(松岳マウル教育共同体)の実践交流の機会も用意され、充実した内容でした。詳しい報告は『東アジア社会教育研究』24号(2019年)に収録されています。前年の佐賀で開かれたフォーラムに来日された李揆仙さんの「全国平生学習実践協議会」本部(始興市)を訪問する機会も得て、手づくりの食事で歓迎いただきました。一連の写真をホームページに収録しています。→■http://www.bunjin-k.net/albumhigasiasia.htm
 そして2019年の東アジアフォーラムは北京市で開催されました。2010年の上海フォーラムから数えると第5回、2016年の上海フォーラムを起点とすれば第4回。東アジアをぐるりと一回りしてきたことになります。東京学芸大学と名古屋大学で学んだ韓民さん(中国教育発展戦略学会)が中心となって運営されたことも印象的なこと。諸報告は『東アジア社会教育研究』25号(2020年)に収録されています。
 この旅では同行の山口真理子・江頭晃子のお二人に支えられて、上海まわりで中国入りしました。かってTOAFAEC と「合作学院」の試みがあった(結果的に実現せず)上海市閘北区の各位やや華東師範大学の旧知の皆さん、また同じく東京学芸大学で学んだ張・朱夫妻(張さんは上海市教育科学研究院副院長)と再会したかったのです。上海の報告は同じ『東アジア』25号に山口真理子さんが書いています。
 たまたま上海到着の日が88歳誕生日、皆さんで(翌日の北京でも)お祝いをしていただく僥倖に恵まれましたが、ちょうどその頃、武漢では新型コロナ・ウイルスも誕生していたようで、思わざる歴史のひとこまに驚いています。

4224号【2021年2月16日】
■≪「東アジア・フォーラム」交流史・その3≫
 那覇から鷲尾真由美さんの底仁屋「黙々百年塾・葛草庵」の写真のあと「追伸」として送って頂いていた「正敏さんとのツーショット」の1枚、掲載を失念していました(写真・ホームページ<ぶ日誌欄・4219号>に並べてアップ)。また的野信一さん(板橋区大原学習センター)の風・前号についての訂正記事、有難うございました。ご指摘のとおり、正しくは,02/10(水)でした。最近は、目もうすく指もギクシャク(頭はなんとかもっている?)、変換ミスを含めて、いろんな誤記少なからず。的野さんに「風」記事のチェック役をお願いしたい!
 さて本題(前号の続き)。2016年「東アジア・フォーラム」が上海で再開されたあと、翌1917年は日本が担当して佐賀で開催。2日目のエクスカーションは福岡・筑後へ。その記録は年報23号・第一特集として詳細に報告されています。残念ながら小林は、この年5月に妻を亡くし、9月から自らの股関節・大手術、長期入院を強いられ、無念の思いで2年続きの不参となりました。
 中国から参加した韓民・呉遵民・黄健・馬麗華の皆さんが帰路わざわざ病院に見舞っていただいたこと、恐縮し感激しました。韓国から参加の各位には、福岡・油山の拙宅文庫に来訪されたそうです。これにも驚きました。長期の留守宅、まったく整理も掃除もできておらず、案内役の農中茂徳がひたすら恐縮していました。しかし年報23号の諸報告では、佐賀の公民館訪問をはじめ、きわめて好評だったようでご同慶の至り。上海から日本への「東アジア・フォーラム」のステップが一歩前進したことになりました。台湾より参加の方々と、北京・上海の皆さんが一緒に合唱されている写真を拝見し、病院ベッド上で感動したことを想い出します。→http://www.bunjin-k.net/albumhigasiasia.htm  
北京・上海・台湾「茉莉花」molihua合唱 (佐賀、20171212)


4223号【2021年2月11日】

≪「東アジア・フォーラム」交流史・その2≫
 (前号に続く)上海で開催された東アジア「国際シンポ」(201011月)については、その頃、山東省で活躍されていた故伊藤長和さん(TOAFAEC 副代表)が、上海まで駆けつけ参加。集会の最終プログラムで「まとめ」のコメントを求められた小林の発言を印象的に書いていただきました。ホームページ・大会記録2010年・7。「中国の発展、韓国の躍動、そして日本の混迷、脱皮への模索」はこのときの総括。→■http://www.bunjin-k.net/3kokusinpo2010.htm
 また内田純一さんも年報「東アジア」16号(2011年)「ひろば欄」に「日中韓・上海国際シンポ」概要を記しています。この「三国シンポ」は、最後に「第二回生涯学習フォーラムは、暫定として2012年に韓国で実施する」ことを確認し、文書サインを交わして別れました。つまり2年おきの開催案。韓国側では具体的に第2回シンポへの準備が金南宣さんを中心に進められました。ところが尖閣列島問題をめぐって中日間の関係がギクシャク、中国成人教育協会は不参加の意向を表明するにいたり、第2回国際シンポ(韓国開催)は実現にいたらず。日本側の参加予定者は済州島に遊び、韓国側の皆さんと楽しい集いをもった記憶があります。(写真)
 それから数年が経過。2016年にいたり、中国上海の華東師範大学(上海終身教育研究所)黄健さんが中心となる中国内の生涯教育シンポジウム(第4回生涯教育上海フォーラム)と平行して、中日韓・三ヵ国国生涯教育国際シンポ開催の動きが始まったのです。2010年国際シンポ(上海)は葉忠海さんが中心でしたが、今回は韓民・呉遵民お二人が中心となって、大規模シンポではなく、こじんまりした集いとして企画が進行。この記録は年報「東アジア」第22号(2017年)の第2特集として、中国から黄健、韓民、呉遵民など、韓国からやんビョンチャン、日本から末本、上野、石井山など各氏の報告が収録され、興味深い内容です。
 小林は、この時期すでに病妻の状態が(介護だけでなく)予断を許さず、上海に参加することはかないませんでした。(つづく)   済州島にて(上・右3人目に伊藤長和さん、20121118)


4222号【2021年2月8日】
■≪「東アジア・フォーラム」交流史・その1≫
 TOAFAEC ホームページ、毎月の活動予定記事など、この間ほとんど記載がありませんでしたが、ここにきて石井山さんの積極な動きにより「東アジア生涯学習研究フォーラム」関連の会合が三つほど。ただしZoomによる会議。それでも久しぶりに7日、北京の韓民、上海の呉遵民などの皆さんと顔を合わせました。「しばらく」と声をかわしました。韓民・高峡夫妻には、一昨年11月、北京で八十八歳のお祝いをしていただきましたが、そのお礼を言ういとまもないほど・・・挨拶のみでした。
 上掲のように、石井山さんが「東アジア生涯学習研究フォーラム」の去年から今年への経過を書いていただいたので、当方は少し遡って、「東アジア」フォーラムの大すじの流れ、その思い出し作業を試みておきます。
 振り返ると、東アジアでは中国の文化大革命や、韓国の軍事政権、台湾の戒厳令など、厳しい政治状況が続いて、自由な交流はずいぶんと制限されてきた歴史でした。たとえば私たちの研究室に留学生がポツポツやってくるのは、やっと1980年代になってからでした。1990年代になると東西冷戦の終結もあり、ようやく中国・韓国そして台湾にも招聘・訪問・交流の機会が増えてきました。TOAFAEC の創設(1995年)もそういう時代状況を反映しているところがありましょう。
 今世紀に入ると、活発な相互交流が広がり、留学生の架け橋としての役割も注目されるようになります。中国・韓国それぞれの交流史については、ホームページに詳細に記録してますのでご覧ください。→■
 しかし多くは二国間の交流が主で、これが三国間に、つまり交流が多角的に広がって、いわゆる多国間の訪問や会議が開かれるようになる動きが注目されます。社会教育・生涯学習の分野では、たとえばTOAFAEC の呼びかけで、沖縄に中国(華東師範大学教授団)と韓国社会教育関係者が集う機会がありました(2008年)。その翌年、日本・社会教育法60年を論議する研究会に、韓国・ヤンビョンチャンさんが来日。この機会に日本「東アジア研究交流委員会」が活動を始めました。韓国と中国の両研究フオーラムが動き始め、それをつなぐかたちでの委員会活動→■、委員長は石井山竜平さん(東北大学)、2009年のことでした。そして翌2010年には、上海外国語大学を会場に「中日韓・生涯学習国際シンポジゥム」が開かれました。久しぶりに大規模の集合写真(2010/11/26)を掲げておきましょう。(続く)



4221号【2021年2月5日】
■≪2月の定例研究会は?≫
 東京都教育庁・梶野光信さんから、東京独自のユースソーシャルワーカー制度について、画期的な動きのレポートを拝受しました。何しろ予算が約4億円(社会教育事業費として破格の予算)というから驚き。国の無策、東京はこの施策で蘇っていくのか。添付で頂きましたが、興味深い(皆さんで読んでほしい)ので二つに分けて、本号に前半を。「若者(高校生)支援の専門職」が社会教育行政に位置づいて(2016年度以降〜)施策化。後編(次号)も楽しみです。
 川崎市職員として奮闘してきた小田切さんは、1月研究会(年報25号合評会)論議の続き。やはり大都市・川崎と地方中核都市・松本の人口規模の違いもありましょう。公務員の「市民派」「リベラル派」については、韓国や台湾ではどんな状況だろう、中国ではおそらく窮屈?だろう、など当夜思いを巡らしていました。
 さて、2月の定例研究会をどう組むか、江頭晃子さんからメールを頂いています。最終金曜日の日程が大学入試や「東アジアフォーラム」(昨年は北京、今年はZoomで日本担当)との関係で苦しいとのこと。これまで休まず継続してきた流れもあり、(とくにコロナ禍だからこそ)中止・延期にならないよう願っています。柔軟に日程変更してはどうでしょうか。テーマをどうするか、編集長や事務局(山口さんや江頭さん)にお任せします。これまで2月以降は定例研究会と別に編集会議を開き、特集テーマなど進めてきたようにも思います。当方はどの日程でも大丈夫。
 福岡・社会教育研究会の横山さんより年報25号の注文あり(上掲)、事務局長どうぞよろしくお願いします。

4220号【2021年2月1日】
■≪新年第1回の研究会・記録づくり≫
 今年はじめての定例研究会(1/29)は皆さん賑やかにオンライン参加、ご苦労さまでした。年報25号が年内に出版され、新年1月にそ
の合評会が開かれるかたちとなり、今年のいい幕開け。充実した論議が交わされ、とくに松本市・矢久保さんの執筆・合評会参加により、具体的なレベルでの論議となり、あらためて「自治体の生涯学習計画」の歴史と展開を深く考える機会となりました。
 呉世蓮さん(韓国研究フォーラム)より、早速に当夜の記録を送ってただき、有難うございました。オンラインの記録づくりは、対面より聞き取りが難しいように思いますが、とくに上野さんと内田さん(総論担当)の理論的論議の記録は難渋されたのではないかと思いました。当方で部分的に表現を修正したところもあり、ご了承ください。上野さんなど、もしお気づきのところあれば、風あてに補足をお願いいたします。
 当夜もし時間があれば発言したかったことがあります。「やんばる対談」を載せることができなかったので、スペースに少し空きがあるだろうとの判断もあり「大都市の社会教育・研究と交流の集い」(1978〜2016)の記録を復元して掲載していただいたのです。39年の歴史を重ねてきた集い、お願いした書き手は今川義博さん(仙台市青葉区中央市民センター、仙台市職労委員長)。最近消えかかっていた25年集い後の、15年の記録を再確認しておきたかったからです。「大都市の集い」は、学会側・小林(当時・東京学芸大学)、労働組合側・川崎市職労の伊藤長和の二人が中心となって、大都市(当時「政令指定都市」)社会教育の研究・交流を広げていこうと積み重ねてき
た歩みでした。いわば TOAFAECと同根の歴史。この3年は休止中。25号の同ページを一度ご覧おきください。

4219号【2021年1月28日】

■≪百衣観音に手を合わせて≫
 前号で、だんだん暖かくなる・・などと書きましたが、さきほど(28日夕)から東京は雪景色。まだ道に積もってはいませんが、屋根は白くなっています。急に気温も下がったみたい、摂氏0度前後の感じ。九州生れにとっては、雨天よりも雪景色はなんとなく楽しくなります。北国の大雪に格闘している皆さんには申し訳ないのですが、外に出てみたくなる。ただし杖をつく身には走り回ることは夢。
 熊本博之さん(明星大学)より新著『交差する辺野古−問いなおされる自治』勁草書房、出版のお報せ(上掲)。おめでとうございます。昨年の研究会にお出でいただいた折、いよいよ新著刊行が近いのではないかと楽しみにしていました。そのうちまたお話をうかがう機会をもてれば幸いです。
 そして本号には、国立(くにたち)平林正夫さんの近況ニュースが寄せられました。先日の「夕刊フジ」に掲載された、大学通り桜古材でスプーンや箸を削りだす「さくら組」の活動。平林さんは東京学大卒、古くからの付き合いなのに、なぜか「南の風」メンバーではない。南の風創刊の頃、おそらく国立公民館から離れていたからでしょうか。想い出せば、30数年も続いてきた「七夕の会」のきっかけをつくった人。1980年代のある7月、彼のお父さんと留学生たちの集いから始まった楽しい集い、七夕の会として定着しました。
 私にとっては、なにより尊敬すべき「仏師」様なのです。妻が亡くなった年、ぶんじんも腰がダメになって手術。心身ともに沈んでいた時期にお見舞いとしていただいた仏像。手彫りの「百衣観音」菩薩像。亡妻の遺影の横にうやうやしく安置し、ときに観音さまに合掌しています。加えて、別の機会に頂戴した手づくりの箸も永く愛用しています。
マスクの島袋正敏さん、葛草庵の手づくりガーデンテラス(鷲尾真由美さん撮影、20210125)

島袋正敏さん・鷲尾真由美さん(右) (葛草庵、20210125)


4218号【2021年1月26日】
■≪南から春がやってくる≫
 今週金曜日(1/29)は本年第1回の定例会(Zoom開催)。本号には「再案内」を掲載しました。昨年末に刊行した年報「東アジア社会教育研究」25号合評会の企画。話題提供をお願いした小田切督剛さん(韓国研究フォーラム)から、早速にレジメ(上掲)を送っていただき、有難うございました。当夜はいろんな話題が出ると思われます。25号を読んでいない方もお気軽にご参加を。TOAFAEC は誰でも歓迎!です。Zoomでも、新年会のお祝いをしましょう。300 ページを超える力作・25号刊行の乾杯!をしましょう。
 ただ、毎年掲載してきた「やんばる対談」が(コロナ禍のため訪沖できず)掲載されませんでした。残念な思い。前号には久しぶりに名護・島袋正敏さんメール来信。葛草庵の庭はいま「・・シロハラやメジロ、ウグイスが、小川にカワセミ、そして時々ダイサギまでやってきます。隣の大湿帯では小梅が満開です。春遠からじ・・・」と。鳥たちの鳴き声が聞こえるようです。
 折しも那覇の鷲尾真由美さんより、やんばるの桜や梅をを楽しんだあと、東海岸の天仁屋へまわり、葛草庵に寄られた由、メールを頂きました。本号はすでに編集を終わったところなので、鷲尾・本文は次号にまわし、添付の「葛草庵の庭」の花々の写真を先にいただきます(添付)。もうすでに春はそこまでやってきている感じですね。東京も厳冬の夜が続きましたが、少しづつ暖かくなる気配です。
 29日夜の定例会、皆さんのご参加をお待ちしています

名護・葛草庵の庭(鷲尾さん提供、20210125) 



4217号【2021年1月21日】
■≪もうすぐ風の誕生日≫
 コロナ自粛、南の風メンバーも投稿自粛? というわけでもあるまいに、最近とみに「南の風」への皆さんの投稿が元気なく、配信間隔が週1にまで落ちてしまいました。かっての南風は連日配信を誇った一時期もあり、退院後(2018年)でも週2〜3のリズムで動いてきました。創刊以来の、配信リズム・平均数値を計算すると、今でも隔日配信!の高水準。歴史を誇ってきたのに、いよいよ年貢のおさめどきかな。とボヤイていたところ、久しぶりの上掲・遠藤輝喜さん(渋谷区)、さらに今朝は名護から島袋正敏さんの懐かしいメール来信。ほっと一息、嬉しくなって本号の編集・配信の作業を始めました。「やんばる」からの風は、ぶんじんを元気づけてくれます。
 コロナに負けてなるか、を合い言葉に、風を吹き続けていきたいと思っています。実は当方パソコンも年末、メールアドレス変更作業で、愛用してきた1台が動かなくなり(送受信できない)、古い1台を引っぱり出してこれで送受信。しかし文章づくりはスムースにいかない・・・というわけで、編集等はこれまでのパソコンにもどして・・・2台の間をUSBでつなぎ・・・気息えんえんたる状況で何とか風を作ってます。もう新しくパソコン買い替えの年齢でもあるまい、そのうち正敏さんパソコンのように、ふっと目覚め動いてくれるときもあろだろうと期待しながら。
 南の風は2月6日が誕生日。もうすぐ満23年を迎えます。風の誕生日に向けて、ぜひ近況報告などのメッセージをお寄せください。皆さんからの風で、また元気を出して、コロナに立ち向かってまいります。

4216号【2021年1月15日】
■≪沖縄・地域古層型の公民館≫
 今にして思えば、1年前の今頃、新聞の小さな記事「中国武漢で新型肺炎」ニュースを見たような記憶。当時それは対岸の出来事、こちらは1月新年会の集いや、松本市に出かけて旧知の皆さんと再会、東アジア・フォーラム開催のお願いをしたり、など楽しい毎日が続いていました。しかし今年は一転、ひたすら自粛して誰とも会わず、どこにも出かけず、マスク顔して終日誰とも口もきかない0哀れな毎日が続きます。そして医療崩壊の兆し、いま感染・陽性となっても入院もままならない事態へ。これからが頑張りどころか。
 前号本欄で、沖縄の「ユイマールでできた公民館」(読谷村大添区公民館)の写真について、新しい動きを書きました。本号では、上掲・回想の与那国調査の記録(1998〜2001)との関連で、集落の伝統的な文化いわば地域の古層に呑み込まれるかたちで公民館制度が定着し機能している姿を思い出しています。興味深い事例
 「与那国島の公民館は、「しま」の古層に深く呑み込まれてしまっている。近代的制度の土着化の典型事例といってよかろう。中央公民館の年間行事の中核は「しま」の伝統的な祭祀(「願い」「まつり」など)行事であり、集落公民館機構の重要な一角には「司(カァブ)」(神女、のろ)が位置する。公民館の活動組織には、太鼓、三味線、組踊、棒、狂言、舞踊の各「座」があり、それぞれに「師匠」が配
置されている。さて、このような古層型の公民館をどう評価すべきか?」「最近ようやく中央公民館の制度に対応して、この古層型公民館が自治公民館として分離される“改革”が進行している。しかし中央公民館は、高等弁務官資金でつくられたホール(1970年)と本土復帰時の設置条例があるだけで、職員もいなければ運営審議会も設置されていない、そんな状況である。」(小林発行「公民館の風」138号,(2001年2月7日)所収 【おきなわ短信】B(3)<日本最西端の公民館> B(4) <与那国の集落公民館組織>ほか)  
→■http://www.bunjin-k.net/okinawatansin1999.htm
 前号・読谷村大添区公民館の記録、また与那国島の報告からも、すでに20年が経過?しています。その後はどんな展開なのか。コロナ禍でなければ、ぶらり再訪して旧友とも会いたいところです。

4215号【2021年1月9日】
■≪ユイマールでできた公民館≫
 昨年のコロナ禍の中、TOAFAEC 活動は定例研究会も年報編集も活発に取り組まれてきました。今年はどうなることか。祈るような思いで、毎日の感染者数の推移を見つめています。首都圏は「すでに医療崩壊が始まっている」「政治・国会の怠慢、判断の甘さ、許しがたい」の声しきり。死のウイルス襲来に果断に立ち向かえ!
 さて、コロナの年と言えども新年。TOAFAECホームページのTOP写真を新しく張り替えたことにお気づきでしょうか。いつもこの時期だと白雪の富士ですが、今年は沖縄の集落公民館の印象的な一枚を探し出したのです。題して「ユイマールでできた公民館」。中部の読谷村、旧飛行場台地を取り崩した一角に建っている大添区公民館です。いわゆる集落・自治公民館、しかし古い歴史をもった集落ではなく1960年代から個人住宅が建ち、北は北海道から南は八重山まで各地の人々が住みはじめた新しい集落(250戸)という点が興味深い。約8割は読谷村以外の出身だそうです。
 そして自治会が組織され、住民の共通課題として公民館づくりへの取り組み、ユイマール(相扶・協同労働)の積み重ねで公民館が完成しました。1998年の公民館落成記念宣言文には、「われらは、ここに自治の精神にあふれ、住民主体の、手づくり公民館を建てる」に始まる7項目の「結」宣言が掲げられています。
 小林・島袋編『おきなわの社会教育―自治・文化・地域おこし』(エイデル研究所、2002年)に大添区公民館の報告が収録されています。残念ながら、この本はいま絶版、入手できませんが、私たちのホームページ(自治公民館の項)にも掲載しています。→■http://www.bunjin-k.net/jitikouminkan.htm
 本号には協同総合研究所(ワーカーズ・コープ)上平奏博さんから、昨年12月に成立した「労働者協同組合法」への注目・活用についての年頭ご挨拶を頂きました。みんなで一緒に考えてみたいテーマです。

2021年
4214号【2021年1月5日】
■≪首都圏は緊急事態!≫
 
コロナの年が明けました。元日から東京はいい天気。しかしコロナ蔓延の状況はただごとならず、首都圏には「緊急事態宣言」が出るらしい。それも1週間どころではない、かなり長期の自粛が求められるニュース。単純に「新年おめでとう」とは言えない厳しい年明けです。今年は一つの(目標にしてきた)峠を越える年、いろいろ楽しみにしていたことがありましたが、人生とかく思うようにはいかぬ。九州の自分の家にさえ、勝手気ままには帰れない。沖縄行きなど論外のことか。
 今年は、いろんな年賀状をいただきました。Facebookによる一括ご挨拶もあれば、慣れ親しんだ年賀状も、たくさん頂き、ありがとうございました。共通してコロナ禍の年寄りの身を気遣かう思いやり。いま、なんとか体調を維持して、この冬を過ごしています。ご放念ください(3年前の大手術との闘いも、いま夢のよう)。
 中国・上海から、懐かしい呉遵民さん(華東師範大学)の年賀メール、有難う! 毎年いつも最初の「風」冒頭に掲げる習わし。仕事は続いているそうですが、年齢的には「定年」とのこと。お互い相応の年齢になったのですね。中国・教育政策の新しい動きについてお知らせ。公表されたら、ぜひ日本語訳にしてご紹介ください。近くZoomでお会いする機会(東アジア研究フォーラム)もある?楽しみにしています。北京の韓民さん、上海の馬麗華さんなどにも会えるのかしら。
 風メンバーを含めて、いただいた年賀状にはいろいろ記載あり、本号は年賀状特集にしようかと入力を始めたところ、山本健慈さん(元和歌山大学長)から、お近くの(民事再生中の)学校法人の再生・再建の記録が寄せられました。しみじみと読みました(上掲)。有難うございました。続きの記録もぜひ!お待ちしています。
 前号に書いたように、年末にトラブルあり、メールアドレスを更新。各位アドレス帳を変更願います。

小林文人(新): kob@js4.so-net.ne.jp (@以下同じ)



4213号【2020年12月31日】

■≪コロナの年に生きて≫
 風・前号を出して数時間後に栗山究さんより第276回(12/25)研究会の記録が着信。ひと足違いで間に合わず残念。記録づくり、ご苦労さまでした。石川敬史さんからも当日の「参加者一覧」(15人)、合体して本年最後の研究会「記録」として上掲しホームページへ。→■http://www.bunjin-k.net/kenkyukai2019.htm
 この1年の研究会記録を振り返ると、コロナ騒動により2月〜4月の3ヵ月を延期(中止)、5月以降はzoom によるオンラインの集いとして開き、各地からの参加も得て充実した活動を持続できたと思います。ただ例年の「やんばる対談」を開催できなかったのが心残り。丸一年も沖縄訪問できなかったのは、沖縄研究をはじめた1977年以降初めてのこと。「対談」をテープから起こして毎年35ページ前後を年報に載せる習わし。そのブランクが心配されましたが、年報編集員会の奮闘により、例年にも増してどっしりした内容で300ページをこえる25号が完成しました。ご同慶の至り。集まって乾杯したい!
 上記・石川敬史さんメールに添えられた一文。「12月も残りわずかとなりました。2021年もコロナの影響で社会不安の年になりそうな予感です。コロナ感染拡大,そして年末年始は冷えるとのことです。くれぐれもご自愛ください」と。皆さんで年寄りの健康を心配いただいた1年。有難うございます。ボヤンバートルさん(内蒙古師範大学)からは新年挨拶に添えて「ぶんじんの笑顔」のモンゴル語詩(添付、左から読むらしい)。有難うございました。
 今年も年の瀬。九州から干し柿を送って頂き、近くの店で焼き栗に出会いました。楽しみながら年越しです。動きは自由ではありませんが、元気に過ごしたい。
〇オンライン籠り籠りて年の逝く  〇焼き栗と干し柿のあり峠道 (ぶ)
 前号に書いたように急なトラブルあり、メールアドレスを下記に変更しました。
●小林文人(新) kob@js4.so-net.ne.jp(@以下は同じ)。皆さん良いお年を。

4212号【2020年12月28日】
≪新年より「ぶんじん」メールアドレス変更≫
 
久しぶりに・津久井純さん(学芸大学卒、ベトナム研究)から、近況報告のメールをいただきました(上掲)。ありがとう! 意欲的なご活躍、頼もしい限りです。
 本年最後の研究会(第276回、先週金曜日)、Zoomによる集いでしたが、ご参集の皆さん、お疲れさまでした。文科省・井口啓太郎さんより日本「障害者の生涯学習」について報告、活発な議論でした。関連して韓国「障がい者の平生生学習」の動きについて松尾有美さん(東大院)の発言あり。二つの国の動きが重なって、TOAFAEC ならではの研究会となりました。思い出に残るオンラインの集い。
 さて、ぶんじんメールアドレスの変更についてお知らせがあります。実は前々回の風・送信後に、パソコン・メールの送受信に不具合あり、研究会の前日には何かにブロックされるかたちでメールが使えなくなり、終日格闘していました。So-netからの連絡では、当方の「メールボックスに第三者からの不正な受信認証が確認された」と。連動しているアマゾンの被害あるかも。メールアドレス・パスワードの変更を求められ、アドレスまで変更とは想定していなかったのですが、結局、永年にわたって愛用してきた「bunjin-k」を放棄することに。「南の風」スタート前から馴染みのアドレス、しかし止むを得ません。
新アドレス→kob@js4.so-net.ne.jp (@以下は変わらず)。恐縮ですが、各位ののアドレス帳修正をお願いします。あと3週間ほどは古いアドレスも使えるようですが、本通信から、またホームページ
にも、新アドレスを書き入れました。
 この機会に「南の風」配信をおしまいにすることも考えましたが、お叱りをいただきそうな気配あり、なんとか思いとどまりました。あと少し頑張ってみるつもりです。

4211号【2020年12月25日】

■≪コザ暴動・いらだちの矛先≫
 
私たちの今年の年報25号、コロナに負けず、見事!年内刊行が成って(上掲)、李編集長はもちろん、とくに編集担当の江頭晃子さん、ご苦労様でした。今日夜の研究会では、パラパラめくりながら(醍醐味!)みんなで乾杯いたしましょう。年内刊行のため、最終締切に間に合わなかった方にも1冊お送りください。
 さて、前号の積み残し。コザ暴動(1970/12/20未明)から50年。上掲・琉球新報社説など「風」前号に載せる予定でしたが、25日の年末定例研究会・再案内などの記事であふれ、5日遅れで本号に追記します。同日の朝日新聞朝刊は1面で、東(あずま)武さんの思いを印象深く紹介しています。ご本人の写真も1面中央に。東さんは沖縄県青年団協議会・会長を復帰直後担った人。「おきなわ社会教育研究会」(那覇)メンバー。ぶんじんは勝連平敷屋の東さん自宅へ泊めてもらったこともあり、また東さんは東京(国立・当時)ぶんじん別宅に泊まったこともある仲。「コザ暴動50年―問い続ける沖縄」と題する印象的な記事でした。
 「・・沖縄返還の1年半前だった。基地依存経済から抜け出ようという意識が広まるきっかけともいわれるが、暮らしや日米関係にどう影響を与えたのか。『暴動』『騒動』『民衆蜂起』。どう呼ぶのがふさわしいのか。議論が続く。」「東武さん(73)=現在うるま市=は、友人と酒を飲んだ帰りに、現場に遭遇した。少し前に米兵の車にひかれ(糸満市)、まともに捜査されなかった。気づけば騒動の輪に飛び込み、車を止め、中の人間を引きずり出した。何人目だったか、震える米国人の青い目をみて、我に返った。
 罪の意識にさいなまれ、人前で語ることを避けてきた。時間が経つほどによみがえるのは、自らが被害者となった事故の後、捜査と保障を求めて訪ねた日本政府の出先機関の対応だ。「権限が及ばない」そう一蹴された。
 半世紀が経ち、いらだちの矛先は米軍には向いていないという。米軍へり墜落のこと。少女が被害にあう事件のこと。辺野古のこと。視線の先には、知事の声さえ軽んじる日本政府、それを支える無関心な人たちがいる。こんな沖縄をつくったのは誰なんだ」(朝日記事、6月20日)と。
 東さんは念仏踊りのかたちを色濃く残している「平敷屋エイサー」の踊り手。いつぞや九州国立博物館(大宰府)で演舞したときの1枚。
平敷屋エイサーを踊る東武さん (大宰府、2011/11/13)


4210号【2020年12月21日】
■≪元気を取り戻せ!≫
 コロナ自粛で、みな時間をもてあましている、風への投稿が多くなるぞ、と期待していますが、事実はさにあらず。風に思わぬ空きスペースあり、待っていても埋まりません。当方で書き始めた記事、本欄以外で二つ。つい風は長くなります。
 一つは、次回研究会(12月25日)での、韓国・障がい者平生教育の動きについて。当日は日本(東京)『障害者の生涯学習』に関して文科省・井口啓太郎さんの主報告あり。短い時間になりましょうが、「韓国の動き」についても松尾さん(東大院)の発言をお願いしました。何か資料があった方がいいと思って、年報25号・松尾原稿の校正ゲラ版から抜粋。この間注目される韓国の三つの動きを上掲記事としました。ゲラだから間違いあるかもと思いつつ、あと数日で刊行される予定の年報だから、編集長など各位のご了承も得られると考えてのことです。
 あと一つは沖縄フィールドワークの記録(1998年・与那国調査以降)について。最近の沖縄研究の記事は、ほとんど「やんばる対談」のみ。実は沖縄調査・現地フィールドワークは、すでに45年の歳月を経過しています。せめて「南の風」発行以降(1998年〜)について、機会があれば少し書いておこうと、前号から「南の島のフイールドワーク」を書き始めました。与那国から竹富島へ、1990年代〜2000年代の回想。最近、竹富島ゆがふ館・阿佐伊拓さん(竹富島を守る会)が「星のや竹富島」と集落の暮らしや自治について、面白い文章をFacebook に書いていたのに触発されてのこと。これも長くなって、「コザ暴動50年」についての「おきなわ短信」と、友人・東武さん談話(朝日新聞、20日朝刊1面)についての記事は次号送りとます。
 12月25日のオンライン研究会、楽しみです。石川さんから案内・リマインダーを頂きました(上掲)。→■ 当夜、短い時間ながら、私たちの忘年会、そして25号刊行祝いの盛大な乾杯を! 元気を取り戻して年を越しましょう。

4209号【2020年12月17日】
≪脾肉の嘆をかこって・・≫
 1980年に永福に引っ越してきて数年後の正月から、毎年恒例・新年会が催されてきました。今年の1月初めも賑やかな集いでした。2021年の新年会はどうするか、やはりコロナ禍のなか「1月の開催は見送ることにしました」(上掲・江頭メール)とのこと。世話人の皆さん、小生への配慮もあったようで、恐縮しています。
 江頭さんメールには、ぶんじんが元気に過ごしているとのご紹介あり、有難うございました。ひとまず元気でいることは確かですが、その実態はかなり違うところあり、訂正させていただきます。「・・・野菜は消極的にしかとらず、美酒も加齢のため少量しか飲めず。なにより毎日の自由気ままな不規則生活、生活リズムは乱れ、知的関心が残っているものの本はあまり読まず・・」などというのが正直なところ。ただ「南の風」だけは辛抱強く発信している、またHP更新も何とか対応しているのが救いか。
 コロナ禍により福岡油山にも行けず(油山文庫あり、ここで老後の半分を過ごすつもりでした)、動かなければ新しい出会いなく、画像も撮れず、南の風はかっての躍動を失ってしまったような。ぶんじんは杖をつきながらも、いま脾肉の嘆をかこっています。せめてもの思い、書ける範囲で「回想資料」のスペースでも埋めるか、というわけで、本号は「南の島」フィールドワークの歳月を振り返る作業、埋め草づくりを始めたところです。回想・資料を貯めて、早い機会に油山行きを実現し、原資料にあたって少しでもましな記録へと・・・願っているのですが・・・。
 新年報25号があと数日で完成する予定。つまらない時代のなかで嬉しいニュース! 山口真理子さん(事務局長)から、例年のように学会大会時の販売・割引サービスのご案内を頂きました。年報発行四半世紀の歳月を喜ぶだけでなく、年を追うごとに力作の積み重ねが嬉しい。新年報を手にしてまた元気を出しましょう。

4208号【2020年12月13日】
≪25号目次、ホームページにアップ≫
 12月10日配信の前号(件名「年報25号、印刷へ」)の号数、1号間違えて・・・4206号と誤記。本文標題は正しく「4207号」となっていて、ホッと安心したものの、件名のうっかりミス、申し訳ありません。お詫びして訂正いたします。
 すべての編集作業が終わり、タイトル・執筆者・訳者の一覧が、編集担当の江頭さんから、早速送られてきました。「(25号)最終目次、添付します。お手すきの時にHPの更新をどうぞよろしくお願いいたします」と。
 年報「東アジア社会教育研究」は創刊号(1996年)から各号目次を、すべてホームページへ入力してきました。とくに第20号(2015年)では、総索引(山口真理子さん作成)が掲載されていて貴重号です。しかし、ホームページには、1,対象国・地域別の総表、2,執筆者の国・地域別の2表のみ。たとえば執筆者の国・地域別では、日本人137、中国・台湾人97(内3人はモンゴル族)、韓国、人41、ベトナム人1、団体3、合計276人+3団体。つまり執筆者別では、全体の半数が日本人以外の執筆。年報は日本語バージョンですから、当然これに翻訳エネルギーが加わって、社会教育・生涯学習の分野では稀有の東アジジ・国際的ジャーナルとして半世紀の歴史を刻んできたことになります。拍手! →■
 本年報25号の目次一覧、早速入力しました。執筆者・訳者の皆さん(総数50人)、ご確認を。主特集は「自治体の社会教育計画」、そして東アジア(北京)フォーラム、新型コロナ関連の第2、第3特集。「やんばる対談」こそ実現できませんでしたが、多彩かつ充実した内容で構成されています。ご参加いただいた皆さまに感謝です。編集委員会の皆様、ご苦労様。→■
 9月に亡くなった故上原文一氏が著名な琉歌々人であって、作品集CDまで出ていたこと、知りませんでした。代表曲2曲(「十六夜」「百十踏揚」)の歌詞など、山口さんがご紹介(上掲)。

4207号【2020年12月10日】
■≪年報25号、印刷へ≫
 師走すでに初旬が終わろうとしています。今年最後の定例研究会、石川敬史さんが(11月に続いて)「ご案内」を書いてくれました(12月25日予定)。11月・東京研究フォーラムの論議の流れから「障害者の生涯学習」のテーマへ。報告者は文部省(国立市から出向中)の井口啓太郎さん。久しぶり話を聞くのが楽しみ。よろしくお願いします。第276回目の研究会、新しく 26年目の歴史を刻みはじめたことになります。→ http://www.bunjin-k.net/kenkyukai2019.htm
 井口さんメールも少し触れていますが(上掲)、障がい者への取り組みについては、この数年、韓国の積極的な政策動向が想起されます。韓国研究フォーラムでこの問題を追っかけているのは、松尾有美さん(東京大学院・博士課程)。年報25号でも「韓国・1年の歩み」のなかで{障がい者と平生学習」の項を執筆。当日は井口報告に関連して、韓国「障がい者の平生学習」について、少し発言をお願いしましょう。思わぬ日韓比較の論議となれば有り難い。
 年報25号は、皆さんの奮闘によって、ようやく今日(9日)、印刷屋へ「入稿」したそうです。「本日、印刷屋さんに出稿(入稿)しました。いろいろと最後までお疲れ様でした。ありがとうございました」と江頭さん。江頭さんこそ!ご苦労さまでした。年内には皆さんのお手もとに届くでしょう。ぶんじんは一昨日から昨日にかけて、25号最終ゲラ全体を通覧する機会を得ました。コロナ禍のなか「やんばる対談」等は実現できませんでしたが、東アジア各国・地域をとりあげる、類書のない年報として、ますます評価をあげ、充実した内容となってきた感じ。ご同慶の至りです。やはり25年の蓄積、これからも大事にしたいもの。 
 昨年末、南の風でも紹介したことがある「日韓識字学習者共同宣言」(基礎教育保障学会)、25号年報でも取り上げた箇所がありましたので、森実さん(大阪教育大学)や添田祥史さん(福岡大学)に電話して、日韓合同シンポの写真を1枚お願いし年報25号に収録できました。一足先に本欄に紹介することにいたしましょう。

日韓識字教育国際シンポ (韓国、20190927)  *基礎教育保障学会Facebookより


4206号【2020年12月07日】
≪年報25号・年内刊行に向けての奮闘≫
 昨夜(6日)、ベートーベン生誕250年シリーズで、NHK/ET がようやく「第九」にたどりつき、バーンスタイン指揮ウィーン・フィルの録画を流してくれました。ベートーベンの生涯を背景に解説も聞かせるところがあって、これに信州から頂いた地酒が妙にマッチ、そのまま楽しくなって、本号配信の作業は翌日まわし。風を吹けば、関連してホームページ記録も更新の必要あり、仕事はイヤになるのです。
 ところが、今朝パソコンを開いてみると、瀬川理恵さん(横浜)から九大・公州大学の国際フオーラム報告が入信。風が遅れて、いいこともあるもの。本号を少し組み直してお送りしています。瀬川さん、有難うございました。
 もともと本号には少し余白あり、そんな号には「わたなべみきお・(自称)由布の里自由大学づくり」記録を載せるつもり。本号で3回目(4195号、4200号)。驚くような視点のひろがりで、大分・湯布そして緒方の里で、渡部幹雄さん(和歌山大学付属図書館長を退職)の奮闘が始まっています。そろそろ年だから無理がないように。念のため「載せるよ」メールへの返信。渡部「どうぞ宜しくお願いします。来週の日曜日には山本健慈さんと元和歌山大研究員で現別府大教員と元別府大教員、地元区長で無観客のシンポを自由大学でします。和歌山大を例として地域と大学のあり方の確認作業です。所詮、ニセモノ大学の主催ですので自由闊達に・・」とのことです。
 この1週間、李正連編集長、江頭晃子さん(編集事務局)を中心に、25号刊行に向けて最終作業メールが飛び交っています。執筆者と担当編集委員の最終校正のあと、名前・綴りなどの確認。とくに今年から始めた主要論文のアブストラクト(日本語だけでなく)中文・ハングル・英文の併記作業。皆さん、ご苦労さまでした。編集委員・実務担当の皆さんに送った江頭さんメールを1通、記録として載せました。執筆者・翻訳者等の皆さん合わせて総勢50人ちかくの共同作業、まさに拍手! 皆さんのお力で、今年おくれていた年報25号・年内刊行が実現します。

4205号【2020年12月03日】
■≪いま「歌ごころ」は・・ ≫
 日曜日〈11月29日)の朝日歌壇、「給食費忘れたことにするんだよ母は言いにき七十年前」(大阪市 近藤智)の一首。その切実な思いがネットでも話題になっていました。なぜか「風」もこの1週間、いくつもの「歌ごころ」に出会ってきたようです。前号(4104号)では、久しぶりの日中学院・胡興智さんから近作「彼方の言葉に」20首(同号に添付)。歌作いちだんと冴えて、興味深く読みました。たとえば、「果てしなく夢を見ながら歳月と古希の先へとゆっくり行かむ」。そうか、胡くんはすでに「古希」の先を考える年になったのか、ぶんじんも老いたはずだ、あらためて過ぎしわが時代を想いました。
 この間、故上原文一氏の追悼記(年報25号に入稿)を書く関係で、沖縄関係ファイルを調べていたら、水海道の故谷貝忍(やがいしのぶ)さんの歌2首が顔を出してくれました。1977年の社会教育研究全国集会が福岡で開かれた折、歌人・喜納勝代さんにおくったもの。はるか南の海のサンゴを恋うるヤマト男の心情、そんな歌でした。この機会に世にご紹介しようと本欄を書き始めたのですが、なぜか?また姿をかくしてしまった。紙1枚、沖縄ファイルのなかに、再びまぎれこんだようです。もう3時間も探している、しかし出てこない。お許しください。
 あきらめて、かわりに(おわびに)喜納勝代さんの有名な恋歌ひとつ。「命かけて会いに来るとふ君の文 天地一切ものみな輝く」(歌集『おなり神』1973、所収) ぶんじんの歌ごころ、いま消えかけていますが、おつきあいに2017年メモから。
◇歌のコーナー
・ただ眠る言葉も失せし吾が妻の 名前を呼べば目にしずく湧く(2017/03)
・杖つきてドイツに遊びし六月のビールに笑顔 遺影となせり(2017/05)
富美、ハノーフー市庁舎のレストランにて、前にビール (ドイツ・ハノーファ、20050622)   
          


4204号【2020年11月30日】

■≪霜月の終わりに≫
 皆さんから賑やかなメールをいただき、南の風も11月(霜月)最後の日に配信することができます。あるいは“師走の風”になるのかな、と様子をみていたところ、昨29日深更に石川敬史さんより金曜日・研究会「報告」が着信、感謝!です。今回は、研究会の案内から当日の進行、そして報告(上掲)まで、すべてお願いし、負担をかけました。当夜は「指名しない方がいい司会だ」などコメントしましたが、もちろん余計なたわごと、Zoomとしては、いい司会!でした。
 東京都についての梶野報告、みな聞きたくて、参加者も多かったのだと思います。厳しい状況もありながら、都の新しい施策・可能性を聞くことができて、久しぶりに元気が出るレポート、梶野報告の企画をしてよかった。次は井口報告をお願いできることになり、これもまた楽しみ。東京研究フォーラム再生の方向も出てきたような・・・。2016年刊行『大都市・東京の社会教育』続編につなげてほしい。
 研究会報告と相前後して、日中学院・胡興智さんメール、久しぶりの来信。いまNHK 广播講座《Step up 中文》出演中。同URL(上掲)を開いてみると、美女ゲストと並んで、いい写真がアップされています。胡さんは東京学芸大学・院(小林ゼミ)出身。天津の生れながら、日本の活花、短歌、俳句にも堪能。南の風はいまほとんど「歌ごころ」を失っていますが、胡さんの短歌は格段の進歩(添付)。ただ胡メール貼り付けの活花写真は、どうしても拾い出せず、風に紹介するこできず。
 故上原文一さんへの追悼文を寄せていただいた皆様、有難うございました。年報25号になんとか間に合い、掲載できることになりました。松田武雄・新保敦子(加えて沖縄から平良研一・名城ふじ子)各位に感謝。ぶんじん「文一との出会い物語」(抄)は、前号の続きを本号に載せる予定でしたが、記事あふれ、次号おくりです。

4203号【2020年11月25日】
■≪満25年目の定例会≫
 久しぶりに風の隔日配信、お騒がせします。昔の慌ただしい風・配信の時代を懐かしく想い出しています。最近は週2回程度の頻度ですが、「南の風」22年9か月の日数を風4200号で割ると、今でも平均の配信頻度は1.97。つまり2日に一度は風を吹いてきた勘定。それを22年余りも続けていたとは・・・何たる阿呆!かと自嘲しています。もっと別にやることがあったはずだと。
 慌ただしい風配信になったのは、明後日の定例研究会のリマインド「再案内」が事務局より寄せられたからです。11月27日(金) 20:00〜21:30(第二部21:40〜22:30 質疑交流)、話し手は東京都(主任社会教育主事)梶野光信さん。張り切っているらしい。申し込み、すでに20人近く、Zoom期限を(石川さんにお願いして)1日延ばしてもらいましたから、ご関心ある方は、今からでもどうぞご来会ください。http://www.bunjin-k.net/kenkyukai2019.htm
 数にこだわるようですが「第275回」研究会というのも記念の数字。TOAFAEC として、創設以来、毎年11回のリズムで定例会を開いてきましたが、ちょうど満25年、節目の記念定例会となりました。こちらは拍手! よくぞ続いてきたものです。四半世紀の歩みはすべてホームページに収録されています。
 本号はすこし余白がある?ようなので、この9月に逝去の故上原文一氏への追悼記事「文一・文人の出会い物語」の一部を抄録・掲載することにしました。文一さんは、TOAFAEC と直接の関わりはなさそうですが、沖縄研究・フィールドワークの水路づくり、その契機をつくってきた一人、ご冥福を祈りつつ書きました。

4202号【2020年11月23日】
■≪八九歳の祝い   
 昨年の八八誕生日は、まず名護で「トーカチ」を祝っていただき、次いで中国で
開かれた東アジア生涯学習フォーラムの、上海の夜がちょうど誕生日。翌日の北京に集った韓国・中国の皆さんから、それぞれのお祝いの歌をうたっていただき、たとえようのない至福の年でした。今年八九は、昨日の年報25号編集会議で、李編集長は美しい壁紙「Happy Birthday」、3ヵ国の歌で祝おうと音頭とり。よく聞こえないところがあったものの、何たる幸せ!とわが身の果報を思った1日でした。お酒を送っていただいた松本の村田正幸さん、そして板橋文夫さん、皆さんまことに有難うございました。
 編集会議が終わったあと、永福自宅には旧「ふるさときゃらばん」の八朔友二など精鋭?が集って、八朔「ああ上野駅」、真理子さん「百万本のバラ」など久しぶりの熱唱。ぶんじんは合いの手を入れる程度、もう声はあまり出ず残念至極。さらに興にのって、コロナ禍を跳ね飛ばし、新年会をやりましょうか(江頭さん)と話がはずんでいましたが、さてどうなることやら。
 しかし、訃報が相次ぎます。国分寺・進藤文夫さんの訃報(上掲)。国立の徳永功さんとともに同年輩の公民館につながる永い友人。東京学芸大学講師をお願いしていたこともあります。韓国・広州・沖縄などに旅した仲。黄丹青さんを老師として開いていた研究室・中国語学習会では同学の士。素晴らしいバリトンは会の終わり、いつも真打として圧巻の歌声でした。「トロイカ」「ともしび」などロシヤ民謡の歌声がまだ耳に残っています。享年90歳。秘蔵の写真、進藤さんを含む珍しい1枚(横山宏さんも、小林撮影)を1枚掲げました。
 また東京学芸大学で小林の次の学生部長だった歴史学者(江戸学)竹内誠さん86歳で亡くなられた由。部長引継ぎの時、出来立て『日本史年表』(1984年)を頂戴し、年表づくりの自慢話が妙に記憶に残っています。年表は今でも愛用しています。東京学芸大学のあと江戸東京博物館長をながくつとめ、お元気だったのに残念です。21日朝日・夕刊「惜別」欄が書いています。
記録(発禁)映画「河しょう」を観る (前列右端に進藤文夫さん、後列中央に横山宏氏、19890813) このとき進藤さんは60歳.


4201号【2020年 11月21日】
≪故上原文一氏の追悼記事
 明日22日(日)午後1時〜3時、年報25号の編集会議(第6回)オンラインの集い、編集委員の皆様、ご参集よろしくお願いします。東北大学・石井山さんも出席との連絡。科研費申請がうまくいったとのこと(別メール)、その関連の「最初の話し合い」をとのご希望(上掲)。李正連編集長の判断・進行でお願いします。
 江頭晃子さん(編集担当)より、25号全体のレイアウト・データ(ゲラ)をお送りいただき、ご苦労さま。今年は「やんばる対談」原稿が盛り込めず、少し心配していましたが、レイアウト・ゲラを見るかがいり、充実した内容に出来上がる感じで何よりです。やはりTOAFAEC/25年の蓄積というべきでしょうか。発行は少し遅れましたが、これまでの歩みに重ねて、一歩前進の年報刊行へ。そのうち、コロナに負けないで、祝杯をあげたいものですね。
 さて、9月に逝去された故上原文一さんについて、九州・松田武雄さんから「悲しみが湧いて・・・」と。久しぶりのメール、有難うございました。また早稲田・新保敦子さんからは「追悼頁など、作られるということであれば、少しの文字数でいいので書きたい」ご希望(上掲)。承りました。前便の風ではホームページ・追悼記記事について書きましたが、年報25号締切後ですが、編集委員の皆さんにお願いして、同号末尾に「上原文一さん追悼ページ」を載せ、それをホームページ追悼記事にできればと考えています。沖縄の平良研一さん、名城ふじ子さんにはご依頼しました。喜納勝代さんは別のご葬儀が重なり、早急には無理とのこと。字数は1000字以内、できれば早急にお送りいただければ助かります。松田さん、新保さん、どうぞよろしくお願いします。


*南の風4171号〜4200(前ページ)

                             TOPページ