『竹富島憲章』と竹富島の暮らし   TOPページ
    
            竹富島集落景観保存調整委員会会長
            全国竹富島文化協会幹事竹富島を守る会会
           
(特定非営利活動法人たきどぅん職員) 阿佐伊 拓
                    TOAFAEC年報 22号(2017年)所収


はじめに

 竹富島は、日本最南端の行政区分の竹富町に属する8つの有人島のうちのひとつである。島の周囲は約9q。20175月現在で3431が暮らしている。竹富島民のコミュニティの中心に位置づけられる竹富公民館(以降「公民館」とする。2001年に地縁団体法人の法人格を取得)では、毎年春と秋に清掃検査と同時に人口調査を実施している。公民館が実施する人口調査は、竹富町へ未登録の住民も島内調査に含まれるので行政よりも詳細な居住者数を把握している。綿密な調査を実施している最大の理由は、18にもおよぶ祭事行事の執行が公民館の最大の任務であり、「賦課金」と称する祭事を執行するための経費を島民に負担してもらうために居住者の把握が重要で、その割合は世帯および個人で老若男女6段階に振り分けられて負担金を決めている。また、この清掃検査の歴史も古く、琉球王国時代に疾病対策として役人が屋敷の清掃を島民に強いたことが発端で、現在ではこの「習慣」をひきつぎ、島が美しく保たれているといえる。

 公民館は議会を有しており、東・西・仲筋からなる3つの集落から議会議員をそれぞれ3名選出するほか、各集落の顧問が議会議員に就く。公民館議会では公民館を運営するための予算を編成するほか祭祀の執り方や島の運営について協議するが、最終的な決議機関は、竹富島民が会員(18歳以上で1年以上島内に居住する実績を有して入会が認められる)の毎年331日に開催される公民館定期総会である。つまり、竹富島は極めて民主的に島を運営している。

 その公民館が独自の憲章として1986(昭和61)年331日に制定したのが『竹富島憲章』で、2017(平成29)年331日の竹富公民館定期総会にて改定案が承認された。改定にあたっては、

・憲章制定30周年の一区切りであること
・憲章の文言と現在の生活環境の違いが明らかであること
・憲章の理念や精神を知る方々がご存命のうちに改定すること
・憲章の理念や精神の周知を図ること

が挙げられるが、理念や精神はそのままに引き継ぎ、文言を今の暮らしに沿った内容に修正している。
 今回は、『竹富島憲章』(文末)制定の背景と、現在の竹富島の暮らしから垣間見える諸問題を紹介したい(本文中は個人名ならびに団体名を省略する)。

 

1.『竹富島憲章』制定前の竹富島

(1)沖縄県の日本国復帰前後の竹富島
 1972(昭和47)年に沖縄の日本国復帰決定を前後して、竹富島では外部資本による土地の買い占めがはじまった。リゾートホテルや保養所施設の建設を目的とするものだが、時期を同じくして、サトウキビの生産や牧畜などの一次産業で生業を立てていた竹富島では、1971(昭和46)年の大干ばつと台風の襲来で農産業は壊滅的な打撃を受けた。過疎化と高齢化の進行ばかりでなく、こうした事情が重なり容易に土地を手放さざるを得ない状況であった。
  こうした状況下、公民館は行政に対し、柑橘類の苗木の提供など様々な島興しの提案や支援を要請していたが、それ以上に土地の買い占め問題が島内に大きな影響を及ぼし、次のような決議に至っている。

1971(昭和46)年331日 竹富住民大会部落民一同の決議
「我ら竹富出身者は祖先伝来のこの美しいこの竹富島を何時までも守り、竹富人我々の総意によって郷土の平和と繁栄を確立する目的として復帰に備えて叡智を結集して一致団結を以て島の土地を守り抜く事を決議する。」・西表島在住の竹富島出身者、親盛長明の電報 (1971331日)
「故郷の土地を売るな、残せ、守れ、故郷なき民は流浪の民、断じて確保乞う」
  出典:『竹富町史第2竹富島編』竹富町発行

 一方、日本復帰は、意外なところで竹富島の暮らしに変化を与えるきっかけとなった。「カニ族」と揶揄される若者たちが竹富島に訪れるようになるのもこの頃である。竹富島の美しさは、倉敷民藝館を創設した外村吉之介をはじめとする日本民藝協会の錚錚たるメンバーによる「古竹富島保存会」の活動によって全国にある程度知られていたが、むしろ、当時のベストセラーの森村桂著『天国にいちばん近い島』に憧れた若者たちが小さな南の島へと目指すようになり、竹富島へ大挙押し寄せるようになった。公民館も止むを得ず、「キャンプ禁止」「半裸で集落を歩かない」などの対策を講じるようになる。しかし、テードゥンヒトゥ(竹富人)の特性は、「伝統文化を大切にする気質を有する一方、新しい考え方を取り込む気質も併せ持つ」という一見矛盾した考え方を有しており、観光客を受け入れ、楽しませる素地は十分あっただろうと容易に想像できる。このころから、民宿を経営し、生業とする島民が増えてきたという点も忘れてはいけない。すなわち、竹富島観光の芽生えである2

(2)「竹富島を生かす会」と「竹富島を守る会」の結成
 島外資本による土地買収の問題に向けて、随筆家の岡部伊都子や外村吉之介をはじめとする有識者たちの後押しもあり、島民有志は、喜宝院蒐集館の創設者である上勢頭亨を中心として、1971(昭和46)年41日「竹富島を生かす会」を結成した。3集落からの賛同者が、岡部伊都子が書き上げた「竹富島のこころ」を島民や観光客に配布したり、「金は一代、土地は末代」のプラカードを設置したりと、竹富島の土地を守ることは島の伝統文化を守ることに繋がると懸命に訴えた。活動初期はほかの島民から石を投げられるなど島内の理解を得られなかったこの活動は、大義を持つゆえ徐々に賛同者を増やしていった。その頃、竹富島の土地約4分の1にあたる88haを外部資本の所有状況であったが、反対運動の影響によっていくつかは撤退し、小浜島や黒島などへ活動の拠点を移していった。

 しかし1982(昭和57)年、福岡県に本拠地を置く団体は保養施設建設へと活動を再開する。公民館を通じて島民へ理解を求め、島民からも誘致すべしとの意見も挙がるようになる。島民の意見が割れるなか、公民館は東京在の竹富出身者の親睦団体である東京竹富郷友会に調査を依頼し、東京郷友会は自費でその団体の詳細を調べ上げ、「誘致すべきではない」との結論を報告する3

 この結果を受け「竹富島を生かす会」のメンバーたちは、同年7月に「竹富島を守る会」を結成、「第5回全国まちなみゼミ東京駒場大会」において全国まちなみ保存連盟に現状を訴えた。このゼミには、公民館長、竹富島を守る会の代表ほか、沖縄県観光指導課、東京郷友会のメンバーも参加し、全国まちなみ保存連盟から「建設反対」の決議文を受け、大きな後ろ盾を得た。竹富町や沖縄県や全国のまちなみ保存に尽力する人々からの後押しや、団体代表がピストル不法所持で逮捕されたといった事件も重なり、ひとまず開発を阻止することができた。

 「第5回全国まちなみゼミ」への参加は、竹富島にとって、結果ばかりでなく様々な収穫を得ることができた。それは、行政と連携することによって島を守る手段を学んだこと、全国各地のまちなみ保存地区とのネットワークを構築することが出来たこと、そして、まちなみ保存とは、カタチを保存するのではなく、地域の風土や習慣、伝統文化を総合して保存することがいかに重要かを学んだのである。この収穫は、『竹富島憲章』制定に大きな役割を果たすことになる。

・第5回全国まちなみゼミ東京駒場大会における竹富島への決議文
「面積540ヘクタールという小さい日本で最も美しい町並みと高い文化を誇る竹富島において、過疎の厳しい環境の中で住民による風致保存運動が懸命に続けられていることを知り、第5回町並みゼミに参加した私たちは熱い連帯の気持ちを込め、住民の皆様の運動を励ましたいと思います。」

(3)『竹富島憲章』の制定
 1984(昭和59)年12月、まちなみ保存の発祥の地である長野県の妻籠宿住民28名による「妻籠宿研修団」が竹富島に来島することになった。竹富島を守る会のメンバーたちは、前述のまちなみゼミで得たネットワークを活かして竹富島への来島を希望したのだ。当時の沖縄県は、1976(昭和51)年に観光基本計画の策定以降、観光の振興を県の基本方針とするほか、「竹富島の集落保存、町並保存と観光利用」を7つの重点政策のひとつに挙げていた。そのため、1982(昭和57)年には沖縄県による「集落景観保存説明会」が開催されるなど、島民のまちなみ保存の意識も格段にあがり官民挙げて「竹富島のまちなみ保存」の流れをつくっていった。当時の竹富町教育委員長と公民館長は竹富島を生かす会の代表であり、竹富婦人会会長は竹富島を生かす会のメンバーであった。まさに、「竹富島のまちなみ保存」は時宜を得ていたといっても良いだろう4

 沖縄県と竹富島のまちなみ保存の機運が高まるが、町長は竹富島出身であるため、生まれ島への利益誘導と捉えられるのを恐れ、町並み保存を推進する姿勢は見せるものの積極的に動けなかった。しかし、竹富町教育委員会が竹富島の姿勢に賛同し行政面での大きなサポートとなった。教育委員長と連携して事務手続きを進め、当時の文化庁文化財主任調査官を講師に招くなど、竹富島のまちなみ保存は着実に進んで行ったのである。

 「竹富島の集落景観保存(町並み保存)に関する要望」
 このたび沖縄県の委託により竹富島の「集落景観保存整備計画調査」が完了し、その報告書が作成されました。かねてより竹富島の将来像をいかに設定するか検討を重ね集落景観保存(町並保存)にその活路を見出そうとしてきた島民にとって示唆を得ることが大なるものがあります。昭和五十年に日本観光資源保護財団によって行われた「竹富島の景観保全と観光活動に関する報告」と照合しましても島の在り方、島民の意思、外来者(意識の高い観光客)の期待が尊重されていて、この十年間の島の動きが基本的に誤りでなかったと自信を深めております。「島の経済的支柱である観光の安定のために美しい島の景観や伝統的な集落景観の保持増進が必要である」との視点が強調されています。これまでの経過をご高覧いただき、願わくば議会行政におかれましても、島民の意思と報告書の真意を尊重されて、よりよい方向づけがなされますようお願い申し上げます。
  竹富公民館長 竹富島を生かす会 上勢頭昇〈昭和六十年九月五日〉

 

 1985(昭和60)年は竹富町も足並みを揃え、いよいよ島内での調整が図られることとなる。1986(昭和61)年1月、公民館に憲章制定委員会が設けられ、「竹富島憲章草案」が作成された。226日には公民館議会においても決議され、そして、331日の公民館定期総会において承認された。意外なことに、『竹富島憲章』は僅か3ヶ月程度で制定されたのである。

 実は、『竹富島憲章』の基となる「竹富島憲章草案」は、土地買占めの問題が発生した昭和47年(1972)に作成された「竹富島を生かす憲章(案)」が素地となっており、その草案が島内にて熟成されていたので、島内の合意形成は容易だったことが想像できる。その「竹富島を生かす憲章(案)」は、「妻籠宿を守る住民憲章」の「売らない」「よごさない」「乱さない」「こわさない」を受け継ぐほか、新たに「伝統ある織物、染色、工芸、民俗芸能を生かし、島の振興を図る」を加えた5つの基本理念をうち立てている。憲章制定委員会によって、土地問題の深刻化によって過激な文言を柔らかい表現に修正したほか、「観光関連業者の心得」を加え、竹富島の主産業を島民主導による観光とすることを明確に打ち出している。また、『竹富島憲章』には、「公民館内に集落景観保存調整委員会を設け、町、県、国に対しても必要な措置を要請する」と明記しているが、この文言によって、「竹富島は、町並み保存を推進する住民組織とその活動内容が明確となった」ということを対外的にアピールすることになったのである。

 

2.現在の竹富島における問題

(1)ガンジュミチ(環状線)の敷設
 2003(平成15)年129日に全面開通となった竹富島環状線。公民館では愛称を公募し、ガンジュミチ(ガンジュとは「健康」のテードゥンムニ)と名付けられた。2005(平成17)年6月には公民館主催による「歩け!歩け!環状線」のイベントが開催され、ウォーキングの機会をつくり、島民へ健康促進としての環状線の活用を呼び掛けた。現在も、夕刻ともなると島民がウォーキングの場として利用する環状線。では、なぜこれが敷設されたのかを取り上げたい。

 竹富島は、1991(平成3)年には10万人の入域観光客数を突破したが、それに伴い、集落内道路の利用状況が悪化の一途を辿る。舗装されていない道は観光バスの往来で凸凹になるほか、好天時は砂塵が舞い洗濯物も干せない状況となった。さらに、入域観光客の増加は観光バスの大型化を促し、高齢者の通行の大きな妨げとなっていた。

 今回のゼミに参加したことの大きな目的は、港付近は変わってしまったが、集落内はどうしても守らなければいけない。集落内の道路をどのように守っていくか、竹富島は未だに舗装をしていない道路があるということは、現代の奇跡だなんて言われておりますが、これをきちんと残しながらやっていきたいと思います。それには、道路交通体系の再編が大きなテーマになると思います。
 第18回全国町並みゼミ妻籠大会「各地からの報告」1995(平成7)年99

 

 公民館では、島民の居住性を最優先としながらも、増加する来島者の受入れを可能にする交通システムを本格的に検討する。1996(平成8)年8月に道路システムについての話し合いがもたれ、同年12月には、環状線の敷設計画について特別委員会を設け検討を始めた。翌年には、竹富町による道路用地の買収も本格的にはじまり、島民への周知も兼ねたワークショップを開催するなど、島内の合意形成を着実に重ねていった。先祖伝来の土地は譲らないとの島民もいるため、開通までに7か年を費やしたが、島民の合意のもと、計画通り環状線は開通した。

 竹富島へ何度も訪れる重度のリピーターからは、「昔の佇まいが無くなった」と批判の対象となる環状線であるが、竹富島の暮らしと景観を守るための手段として、竹富島観光を維持するためのアイテムとしての環状線があると島内では認識されている。

 

(2)「星のや竹富島」の受入れ問題

 2007(平成19)年12月、地域紙の八重山毎日新聞紙上で「竹富島東部宿泊施設」建設計画が発表された。計画地は1971(昭和46)年に買い占められた土地約60ヘクタールのうちの約13ヘクタールで、樺|富土地保有機構が所有し、別会社の南星観光に貸し付けリゾートホテルを建設し運営するものと報道された。

 2008(平成20)年1月に「竹富島東部宿泊施設建設計画」住民説明会が開催された。会場は約130名の島民が集い、リゾートホテルを有しない竹富島の動向に大きな関心が集まった。公民館は、2009(平成21)年3月に開催した公民館臨時議会にて建設容認の承認を得るほか、有識者の意見を募りながら合意形成に多くの時間を費やそうと考えていたが、その一方島民3名からなる「竹富島憲章を生かす会」は、外部資本を受け入れないと取り決めている『竹富島憲章』を反故にすることへの反発、他にも方法があるとの論陣を張った。

 2009(平成21)年度の公民館は、「竹富島憲章を生かす会」のメンバーほか島民72名から、リゾート計画の賛否を問う無記名による住民投票実施を求める臨時総会開催要請を受け、竹富公民館議会の承認を得て竹富公民館臨時総会を824日に開催した。参加者51名、委任166名で行われた臨時総会は、長時間のため退席者が続出、採決は39名で行われ1919の賛否同数につき、議長決裁で住民投票の実施を決定した。ところが、委任者の票が含まれていないことや議長の選出方法に問題があったため、11月の公民館臨時議会にて臨時総会に瑕疵があったことを認め、住民投票を実施しないことを決める。さらに2010(平成22)年3月開催の公民館最終議会で同年331日の公民館定期総会に改めてリゾート計画の賛否を問うことを決め、あらためて公民館定期総会にてリゾート受入れ容認の採決をとった。

 2010(平成22)年度には、竹富島憲章を生かす会が前公民館長に対し、20098月の公民館臨時総会の決議事項の履行、2010331日公民館定期総会決議を無効とする内容の「平成21年度竹富公民館定期総会決議不存在確認等請求事件」を起訴したため、4月に公民館は諮問機関「裁判対策特別委員会」を置き、石垣・沖縄・東京郷友会に協力を求め裁判に相対することになった。東京の弁護士を依頼し、新旧執行部および3集落より選出した9名で10回にわたる会合を持った。これと並行して島民は裁判の早期終息をめざし、公民館へ117名の署名により臨時総会の開催を求める要請文を提出した。

 島民からの要請に基づき、公民館は同年916日に公民館臨時総会を開催する。議題は、 
   議事1号 総会決議不存在等訴訟について現執行部の方針を支持するか
     2号 竹富島東部宿泊施設計画について住民投票を実施する
   議案3号 竹富島東部宿泊施設建設に賛成するか とし、3時間にわたって議論された。

 その結果
 第1号議案 賛成172反対 56 現執行部の方針を支持するに決議
 第2号議案 賛成 42反対186 住民投票は実施しないに決議
 第3号議案 賛成177反対 51 竹富島東部宿泊施設計画に賛成 
 現執行部の方針を支持、住民投票を実施しない、竹富島東部宿泊計画に賛成と決議した。

 この結果、竹富島憲章を生かす会の主張は必然的に無効となり、同年1210日に那覇地方裁判所石垣支部に訴えを取り下げ、裁判問題は収束し実質的に星野リゾートの竹富島受け入れが決まり、2012(平成24)年61日の「星のや竹富島」開業を待つこととなる。

 



(3)水牛車営業所移転問題

 「観光地化された竹富島」を象徴する事件が水牛車営業所移転問題である。
 平成17年(20055月、竹富島集落景観保存調整委員会(以降まちなみ調整委員会と略)は1件の現状変更行為申請を審議する。その内容とは、水牛車営業所が手狭なため移転し、新たに水牛車営業所を設けるとの計画であった。移転地は「神の道」と云われるナビンドーに面し、清明御嶽、まちなみ館、竹富保育所と隣接し、付近には竹富診療所、竹富小中学校があり、竹富島の祭祀の節祭(シチマツリ)の拝所である井戸が2か所ある神聖な地であるため、「竹富島の風土に相応しいかどうかがある」として、まちなみ調整委員会では調整できないと判断し、竹富町教育委員会ならびに公民館へ上申した。

事態を重く受け止めた公民館は、同年6月に臨時議会を開催し、「環境的な面で問題がある」@送迎車が頻繁に通る。A周りには保育所、診療所、小中学校があり通園、通院、通学路に面している。B中型車の舗装道路以外(集落内)の通行は認められない。C祭の道の清浄さを保ちたい。D衛生的な問題(排泄物や臭い)がある。として、「もう一度、場所の選定をお願いする」(環状道路の近くが望ましい)と経営者に通達したが、地主より立ち退きを迫られていることが明らかとなったため、同年11月の竹富町伝統的建造物群保存地区等保存審議会において、公民館も協力して場所の選定にあたるよう指導を受けた。

平成182006)年度公民館は、特別委員会を設置しこの問題の解決に向けて働きかけたが、特別委員会は公民館が介入せずに当事者同士で話し合うこととし、公民館議会の承認を得て解散した。

平成192007)年2月、水牛車営業所の経営者(以降経営者と略)より、竹富町教育委員会教育長宛に移転地へ新営業所を新築する通知文が送付される。移転問題について2ヵ年議論を尽くし、業務が滞り企業の存亡にかかわる事態となっていること、地主より4月までに移転を求められているといった内容で、同年4月に工事着手、10月には営業を移転地で行うというものであった。この通知文に対し、竹富町教育委員会は手続きについては関係機関との調整を諮るよう意見している。

それに伴い、経営者は平成192007)年度公民館に対し、同年525日付要請文において、他の土地への営業所移転を検討し、これらの土地の農振解除等の手続きを進めるが、不調に終わった場合、移転地に事業所を置くことを同意してほしい旨要請している。これに伴い、公民館は66日に議会を開催するが、議会議員が同意せずに発行した、「疑惑の同意書」事件が発生する。同意書の内容は以下のとおりである。

 

平成1966日(水)
竹富町教育委員会教育長 慶田城 久 様
  同意書 
 竹富公民館は、【略】事業所移転にあたり竹富町字皆治浜1062番、10631、竹富町字竹富大堂原1255番を中心として事業所移転用地とすることを同意いたします。なお、事業用地として移転が困難となる場合は竹富町字竹富東屋敷4441442番、4422445番に事業所を移転することを同意します。
 竹富公民館 館長 【略】

 

この状況下、同年8月にまちなみ調整委員会へ移転地の現状行為許可申請書が提出される。まちなみ調整委員会臨時会を開催し、公民館議会で決議されていない内容での申請として公民館議会へ上申するほか、竹富町教育委員会へ指導を要請している。

島内での合意形成が図られていないと判断した竹富町教育委員会は、同年12月の経営者からの回答要請を受け、ただちに12月開催の竹富町伝統的建造物群保存地区等保存審議会(以降審議会と略)での審議結果を受けて回答すると返答した。

審議会は、公民館長、まちなみ調整委員会会長、経営者に対し、次の点を明らかにしたうえで再度審議して結論を出すこととする回答だった。

 

竹教委総第551
平成191227
竹富町教育委員会委員長 竹盛洋一

竹富町竹富島重要伝統的建造物群保存地区における現状変更行為許可について

 

1.建設予定地は集落の中央に位置し学校、保育所の文教区域、また、公民館や診療所、清明お嶽に隣接し重要な場所であるが、歴史的景観を保存することにより本町の文化的向上に資することという竹富町歴史的景観形成地区保存条例の目的に則しているか。

2.公民館は地域住民の合意を形成するにあたり、【略】事業所移転地に関する特別委員会、審議会、調整委員会の意見を十分に反映させているか。

※ 公民館と調整委員会、住民の「同意書」に対する意見の食い違いがあります。

公民館役員は、仲筋に決定した際に、現場所での同意もされているとしていますが、調整委員会、住民の一部の意見では、現場所の同意はしていないとしています。再度双方の審議をよろしくお願いします。

 

 問題解決が図れないまま、経営者は強引に移転を進める計画を明らかにし、平成20年(20081月、移転地の造成および仮設営業所の設置を通知する。営業開始は同年51日よりとあった。

 この動きに反発したのは、東集落住民の自治組織あいのた会と、竹富保育所保護者会である。竹富保育所保護者会長は関係各所へ水牛車営業所の移転地への移転を取りやめるよう陳情し、あいのた会では会員105名よりアンケートを募って移転地に対しての意見を求めた。

 

1、水牛車観光が東支会を通行することに賛成又は反対、その理由について
2、水牛車観光がまちなみ館の南空地(保育所前)へ移転することに、賛成又は反対、
   その理由について
3、その他水牛車観光にご意見があればお書きください。
上記意識調査の結果
1について 賛成 12(13%) 反対 74(80%) その他 6(7%)
2について 賛成 2(2%) 反対 88(96%) その他 2(2%)
  あいのた会は、あいのた会住民の意思に反し、強行的な行為があった場合、もしくは移転建設を着工した場合は、住民の生活環境を守るため、移転建設に対して反対する、抗議行動を起こすことをいたします。
 あいのた会の動きに対し、公民館は同年2月に臨時議会を開催し、事業移転地許可は、「竹富町教育委員会」と「まちなみ審議会」に一任と回答する。

 同年228日、竹富町教育委員会は、経営者に対し竹富町歴史的景観形成地区保存条例第6条第1項に基づき、竹富町教育委員会に許可なく行われていることから現状変更行為の停止を勧告する。また、審議会は、同年3月に所見を発表し、竹富町教育委員会は、同年3月に現状変更行為を不許可とした。

 

 平成202008)年度の公民館は、4月臨時議会を招集し移転反対と決議、5月には水牛車営業所移転反対集会が開催され123名の島民が集い、竹富島の聖域・文教地区を守る住民の会(以降住民の会とする)が結成された。ところが、経営者は移転準備を着々と進め、プレハブの仮設営業所の建設を進めた。これに伴い、59日に公民館・住民の会共催による建設反対デモが行われ80名が参加した。竹富島では36年ぶりのデモとなったと八重山毎日新聞では報道されている。こうしたなか、竹富町教育委員会は経営者に対し同年512日に除去命令を発したが、経営者は61日より移転地にて営業を開始する。この動きに対し、住民の会は早期移転の看板を東集落内に多数設置して営業を妨害するほか、同月13日に竹富町議会へ住民の会、竹富保育所保護者会、こぼし子供育成会の連名で町議会の協力を要請する。反対運動の盛り上がりに対し、看板によって営業活動に大きな支障をきたすようになった経営者は態度を軟化し、竹富町は同年623日に竹富町、経営者、公民館、住民の会の4者協定書を結び、話し合いで解決する道筋をつけた。

 平成21年(20092月、4者協定に基づく「竹富島水牛車観光営業所移転場所検討委員会」(以降移転委員会とする)が開催された。委員長は副町長が就任し、行政が直接介入してこの問題の解決に向けて取り組みを再開した。第2回委員会(同年428日)には計画書を作成し、

基本事項:
@ 営業所移転地の用地交渉は、公民館及び竹富町と共同で行う
A 営業所移転地の用地買収は、経営者が行う。
B まちなみ館の南側は、竹富町が用地買収し公園整備計画をする。
土地交換及び用地取得の順序:
1.A地(移転予定地)
@ 移転予定地(A地)の用地交渉を公民館及び町と共同で行い、用地を決定する
A 移転地(A地)の用地買収は、経営者が行う。
B 用地買収を好まない地主は、B地と土地交換を行う。

2.B地(公園整備予定地)
@ 公園予定地(B地)は竹富町が、用地買収を行う。
A 用地買収を好まない地主は、町有地(C地)と土地交換を行う。
3.C地(町有地)
@ A地(移転予定地)で用地買収された地主に対し、竹富町はC地を貸付および払い下げをすることができる。
とし6か所の移転候補地を挙げ、経営者にこの中から選択してもらうように依頼した。

 

 移転に向けて動き始めたかにみえたが、看板が取り外され営業活動に支障がなくなったため、経営者は事業所移転を進めない動きを見せる。同年10月にはプレハブの断熱および外観の修景、さらには植栽を進める現状行為変更申請を行う。竹富町は当申請に対し許可しなかったが、この経営者の姿勢に対して反発したのが竹富保育所保護者会である。移転する気配のない姿勢に対し、竹富町へ早期移転の取り組みを進めるよう要請している。一連の現状行為変更申請への許可を降ろさない行政に対し、経営者は移転候補地を示さず第3回(同年1125日)、第4回(平成22128日)第5回(平成23721日)の3回にわたる移転委員会においても移転地を示さないどころか、第5回では移転に係る補償を求める発言をするようになった。

 

水牛車営業所移転に関する経過報告まとめ
          平成20年(20082月以降
 平成20225日 水牛車営業所反対決起集会(あいのた会)
 5 2日 町まちなみ審議会より「規模逸脱、重大な影響、町は適正な措置を講じるように」との答申
    5 3日 水牛車営業所反対決起集会(公民館、住民の会)
    5 9日 反対集会・デモ行進
   512日 町教育委員会より水牛車営業所除去命令
    520日 反対集会・デモ行進
    613日 保育所保護者会、子ども育成会より町議会へ陳情書
    623日 移転協定書締結(竹富町、経営者、竹富公民館、住民の会)

 平成21 220日 第1回移転検討委員会
      428日 第2回移転検討委員会(移転場所6か所提示)
     1022日 保育所保護者会より町へ要請
     1125日 第3回移転検討委員会(事業者欠席)
 平成22 128日 第4回移転検討委員会(移転場所回答なし)
 平成23 5 8日 水牛車暴走事故
      721日 第5回移転検討委員会(3億円の補償要求)
 平成24 327日 水牛車営業所社員が水牛の角に突かれて重傷事故
 平成25 826日 送迎バスが環状線の電柱に衝突して折損事故
 平成26 116日 公民館議会で移転促進の行動を再確認
 平成26 121日 水牛車営業所移転決起集会

 

【略】 水牛車等営業所移転の決議
竹富島の全てのみなさまに訴えます。
 石垣在、沖縄本島在、本土在の全ての竹富島出身者のみなさま。竹富島をこよなく愛する皆さま。そしてこの竹富島を訪れるすべての観光客のみなさまに訴えます。
 【略】水牛車営業所は住民の総意を無視して同地に強硬設置しましたが、私たちは、かかることは断じて許すことはできません。
 私たち住民が許すべきではないと考える主な理由は次の通りです。
 1.この区域では島建ての神、清明御嶽に隣接し、神司が祈願する井戸2カ所
   が含まれていること。
 2.神の道であるナビンドーに接していること。
 3.小中学校、保育所など教育機関が隣接していること。
 4.近くには竹富診療所があること。
 5.島のコミュニティの中心であるまちなみ館に隣接していること。

  このような場所に不特定多数の観光客が出入りすることは、水牛の悪臭と送迎バスの騒音により聖域の尊厳が損なわれ、学校・保育所の静かな教育環境が破壊され、通院者の危険が伴います。

  現に平成23年5月には水牛車の暴走事故、24年3月には水牛の角に刺されて重傷事故、25年10月には送迎バスが電柱に衝突して折損するという事故が起こっています。このほかにも関連した事故や横暴さが報告されています。

  私たち竹富公民館はこの問題が提起されて以来幾度となく会合を重ね、平成20年6月23日に竹富町、経営者、竹富公民館、竹富島の聖域・文教地区を守る住民の会の4者による移転に関する協定書を締結しました。4者は信義に従い、誠実にこの協定を履行するとして、早急に移転推進に努めるものとしています。

  しかるに同社は言を左右にして協定を履行しないどころか、教育委員会の指導を無視して違法建築、無届建築を繰り返しています。種子取祭には営業行為を自粛するという島の美風を踏みにじり、拝金主義に堕落しています。

  今こそ私たちは竹富島の「うつぐみ」の精神を結集して、移転を完了するまで闘うことを決議します。平成26年1月20日

       竹富公民館長ほか竹富島住民一同

 

 同月30日、公民館主催による「水牛車営業所移転に関する意見交換会」が開催された。参加者は78名。公民館長は、設置した33枚の看板はまちなみ条例に違反していることと早期移転を目指す島民との板挟みとなり、竹富町長からも島民間の調整を図って欲しいとの要請を受けての開催であった。議論は設置した看板が条例違反との意見と、バスの往来や不特定多数の観光客が保育所を覗き込むなど保育環境の大幅な悪化に憤りをもつ保護者との大激論となる。その結果、合意書を締結するよう働きかけることが決まる。また、看板の文言が過激であるため、文言を訂正して設置することとなった。

 平成26年(20142月以降の水牛車観光に関する観光客のインターネットの情報をみると、設置した看板の情報が溢れかえるほどであるが、必然的に旅行代理店は経営者への誘客を控えるようになる。時期を同じくして、経営者は目と手を刺され重傷を負う事件が起こる。この事件と島民や顧客からの信用低下に深く反省した経営者は、退院後交渉のテーブルにつく。同年726日、竹富町長、公民館長、経営者、住民の会の間で、130日の意見交換会で決議した合意書案を元に4者協定が締結された。ただちに看板は下ろされ、竹富町主導のもと、あらためて移転候補地の選定が動き出す。以降、移転委員会は17回を数え、竹富町による移転地の買収交渉が進められており、現在、少しずつ解決に向かっている。

 

3.『竹富島憲章』のこれから

 

 1975(昭和50)年に開催された沖縄海洋博以降、沖縄県は全県を挙げて観光産業の振興に努め、2020年には入域観光客1,000万人を目指している。また、国は国土交通省の外局にあたる観光庁を2008(平成20)年に設け、魅力ある観光地の形成や国際観光の振興を国策としている。

 島の主産業を観光業と明文化した『竹富島憲章』は、沖縄地上戦の悲劇を被ることなく残された「まちなみ」とともに、時代の流れに乗って高く評価されてきた。また、その評価は、日本の辺境の地である八重山諸島の離島の小島というハンデキャップを払いのける大きな力となった。その一方、制定30年という年月は、「まちなみ」が本来有していた島の農村集落の機能性をますます変貌させつつある。つまり、大地を耕し、井戸から汲み上げた水へ感謝する、自然と共生してきた往古の暮らし、が忘れ去られようとしているといった点においてである。

 島の大先輩方が口々に述べるのは、太平洋戦争終結後、かつての竹富島は御嶽周辺の森を除く殆どは畑であり、麦や粟などの穀物や豆や野菜をつくり、現在はほとんど飛来しないサンコウチョウなどの鳥たちが穂を啄み、暮らしと自然が一体化していたことや、黄金色に輝く麦の穂が風になびく美しい風景、作物の稔りを祈願し、その稔りへの感謝を怠らない祭祀への凛とした姿勢である。この会話からは、島への深い愛情と昔の風情への畏敬の念が感じられる。しかし、離島苦は過疎化を進行させ、隆起珊瑚礁の痩せた大地を、台風や塩害の環境のもとで「農耕を続けることでは島の将来性を見出すことができない」とした先人の判断に何ら疑いの余地はない。だからこそ、こうした歴史的背景を知らずに「南の島の楽園で気楽に過ごす」を謳い文句に誘われ訪れる人々に対し、『竹富島憲章』は、竹富島が育んできた「竹富島の姿勢」を伝える役割がある。そればかりか、かつての辛苦の時代を忘れないようにする私たち島民に対しては「羅針盤」としての役割もある、と私は考えている。

 竹富島は、個人の利益よりも島民全員の利益、いわゆる島の暮らしを最優先に考える「うつぐみ」の精神を美風としている。美しい海岸線や飛び交う蝶を愛でる自然を愛する心、織物や民具などの民芸品、国の重要無形民俗文化財に指定されている種子取祭における儀式や神前に奉納される数々の伝統芸能、「安里屋ゆんた」をはじめとする数多の古謡や歌謡など、これらを継承しようとする島民の心構えや心掛けや、古い沖縄の佇まいを残す石垣に囲まれた屋敷構えや分棟建の家屋が連なるまちなみに「うつぐみ」の精神は滲み出ている。そして、何よりも竹富人(テードゥンヒトゥ)との会話の端々から感じられる思想から垣間見えている。

 芸術家の岡本太郎は、沖縄を総称して「何もないことへの眩暈」と最大級の賛辞を贈っている。目に見えるものを支える目に見えない大きな力、これら総てを明文化したのが『竹富島憲章』なのである。

(阿佐伊 拓=特定非営利活動法人たきどぅん職員、竹富島集落景観保存調整委員会会長、全国竹富島文化協会幹事、竹富島を守る会会長)

 

【注】
1 2017(平成29)年512日「平成29年度竹富公民館春季清掃検査実績表」地縁団体法人竹富公民館発行。
2  『竹富町史第2巻 −竹富島編−』平成231031日 竹富町発行
3 東京竹富郷友会創立60周年記念誌『たけとみ』昭和601010日 東京竹富郷友会発行
4  論文「1980年代の集落保存に関する動向」平成22731日 谷沢明著(愛知淑徳大学)

 

 

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『竹富島憲章』

前 文

 私たちが、祖先から受け継いだ、まれにみるすぐれた伝統文化と美しい自然環境は、国の重要無形民俗文化財※1、重要伝統的建造物群※2、重要文化財※3として、また国立公園として、島民のみならずわが国にとってもかけがえのない貴重な財産となっている。

 私たち竹富人は、無節操な開発、近代化にともなう破壊が島の心までをも蹂躙することを憂い、これを防止してきたが、美しい島、誇るべきふるさとを活力あるものとして後世へと引き継いでいくためにも、あらためて「かしくさや うつぐみどぅ まさる」の心で島を活かす方策を講じなければならない。

 私たちは今後とも竹富島の文化と自然を守り、住民のために活かすべく、ここに竹富島住民の総意に基づきこの憲章を制定する。

※1「竹富島の種子取」1977517日指定、2「竹富町竹富島重要伝統的建造物群保存地区」1987428日指定、 3「旧與那國家住宅」2007124日指定

 

保存優先の基本理念
 竹富島を活かす島づくりは、すぐれた文化と美しさの保存がすべてに優先されることを基本理念として、次の原則を守る。
1.「売らない」島の土地や家などを島外の者に売ったり、無秩序に貸したりしない。
2.「汚さない」海や浜辺、集落など島全体を汚さない。また、汚させない。
3.「乱さない」集落内、道路、海岸などの美観を、広告、看板、その他のもので乱さない。また、島の風紀を乱させない。
4.「壊さない」独特の農村集落景観、美しい自然環境を壊さない。また、壊させない。
5.「活かす」 伝統的祭事行事を、島民の精神的支柱として、民俗芸能、地場産業を活かし、島の振興を図る。

T.美しい島を守る
 竹富島が美しいといわれるのは、沖縄の古い農村集落景観を最も良く残し、美しい海に囲まれているからである。これを保つために次のことを守り、守らせる。
1.建物の新・改・増築、修繕は、伝統的な技術と様式を踏襲する。
2.屋敷囲いは、サンゴ石灰岩による従来の野面積みとする。
3.広告、ポスター等は、むやみに掲示しない。
4.樹木は、伐採せず植栽に努める。
5.交通安全、道路維持のために、集落内への車両乗り入れを極力避ける。
6.海岸、道路などにゴミ、空きカン、吸い殻などを捨てない、捨てさせない。
7.空き家、空き屋敷の所有者は、地元で管理人を指定し、清掃及び活用を図る。
8.観光客のキャンプ、野宿は禁止する。
9.草花、蝶、魚貝、その他の生物をむやみに採取することを禁止する。

 

U.秩序ある島を守る
 竹富島が、本土や本島にない魅力があるのは、その静けさ、秩序のとれた落ち着き、善良な風俗が保たれているためである。これを保つために次のことを守り、守らせる。
1.島内の静けさを保つために、物売り、宣伝、車両等の騒音を制限する。
2.海水浴場等以外での水着、裸身は禁止する。
3.標識、案内板等は公民館の許可を得て設ける。
4.車輌は、常に安全を確認しながら徐行する。また、環状線においては安全速度を遵守する。
5.島内の清掃に努め、関係機関による保健衛生、防火訓練を受ける。
6.水、電気等資源の消費は最小限に努める。
7.映画、テレビ、その他マスコミの取材は公民館へ届け出る。
8.自主的な防犯体制を確立する。

 

V.観光関連事業者の心得

竹富島のすぐれた美しさ、豊かな人情と魅力をいかすには旅館、民宿、飲食店等、また、施設、土産品店、運送業など観光関連業事業者の規律ある接遇は大きな影響がある。観光業もまた島の振興に大きく寄与するので、従事者も次のことを心得る。
1.島の歴史、文化を理解し接遇することで、来島者の印象を高める。
2.客引き、リベート等の商行為は行わない。
3.運送は、安全第一、ゆとりをもって行う。
4.看板は、公民館の許可を得て設置する。
5.賭け事等はさせない。
6.飲食物は、できるだけ島産物を使用し、心づくしの工夫をする。
7.23時以降は、島の平穏に努める。
8.土産品等は、島産品を優先する。
9.来島者に本憲章を理解してもらい、協力をお願いする。

 

W、島を活かすために

竹富島のすぐれた良さを活かしながら、住民の生活を豊かにするために、牧畜、養殖漁業、養蚕、薬草、染織原材料など一次産業の振興に力を入れ、祖先から受け継いだまちなみや伝統工芸を活かし、祭事行事、芸能を守っていく。

1.伝統的祭事・行事には、精神的文化を学び、積極的に参加する。
2.伝統工芸に必要な諸原料の栽培育成を促進し、原則として島内産物で製作する。
3.創意工夫をこらし、技術後継者の養成に努める。
4.まちなみを形づくってきた技術、経験を継承していく。
5.観光業は、島本来の姿を活かしながら推進していく。
6.製作、遊び、行事などを通して子ども達に島の心を伝えていく。

 

X.竹富島を守るために

 竹富島は、もともと島民が、こつこつと積み上げてきた手づくりの良さが評価されてきたのである。外部の資本が入れば島の本質は破壊され、民芸や観光による収益も住民に還元されることはない。集落景観保存も島外資本の利益のために行うのではないことを認識し、次に掲げる事項は、事前に公民館と調整委員会に届け出なければならない。

1.不動産を売買しようとするとき。
2.所有者が、名義を変更しようとするとき。
3.土地の地番、地目、地積に異動が生ずるとき。
4.賃貸借をしようとするとき。
5.建造物の新・増・改築、取り壊しをしようとするとき。
6.その他風致に影響を及ぼす行為がなされようとしているとき。

 
この憲章を円滑に履行するために、公民館内に集落景観保存調整委員会を設け、町、県、国に対しても必要な措置を要請する。

 1986(昭和61)年331日 制定  2017(平成29)年331日 改定

 

※ 参考 竹富町民憲章 1972(昭和47)年「竹富島を生かす憲章案」、1971(昭和46)年「妻籠宿を守る住民憲章」上記の精神を引き継ぎ、修正、追加を行い、案を作成した。




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「竹富島のこころ」竹富島を生かす会(民宿・泉屋、20070207)