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<目次>
20, 中国からの留学生(韓民、高峡、羅李争など)を交えた永福・新年会(小林宅、1986年1月15日)
19, 東京学芸大学・
最終講義の夜・二次会、小林ゼミ・留学生、OBGほか有志(東京小金井、1995年3月18日)
18, 北海道・オホーツク社会教育研究会(第18回、10周年記念セレモニー)の夜
(1992年12月19日)
17, 韓国社会教育協会(第19回・1994年、京畿道・利川)出席、金宗西・金信一など各氏と(1994年7月8日)
16,第33回社会教育研究全国集会(木更津)、韓国からの参加者と通訳をつとめた留学生たち(1993年8月28日)
15,名護より豚1頭、沖縄社会教育研究会(東京学芸大学社会教育研究室)交流の集い(1990年1月20日)
14,<追悼>吉田昇、朱膳寺春三、川口武彦、浪江虔、小川正美、藤田博、碓井正久、駒田錦一ほか各氏、→■
13-2, 横山宏氏(左)と小林−1973年・地域社会教育資料調査・敦賀市
13,斉藤峻(東京都社会教育主事、「月刊社会教育」編集長)と横山宏の両氏ー1960年
12,日本社会教育学会(第41回、弘前大学、1994年10月2日)日中韓の乾杯 *南の風2900号
11,三多摩の公民館運動を担った群像 (1991年9月撮影) 南の風2766号
10,日本社会教育学会大会(第37回、日本福祉大学)懇親会にて−1990年、 南の風2715号
9,東京学芸大学・社会教育研究室、韓民・高峡夫妻を送る夕べ−1988年 南の風2708号
8,日本社会教育学会(国際交流委員会)中国教育部・成人教育司との懇談会−1985年 南の風2701号
7,「月刊社会教育」編集委員会・横山宏さん慰労会。−1980年 南の風2674号
6,おきなわ社会教育研究会による東京学芸大学・沖縄ゼミ歓迎会−首里、1980年8月 南の風2687号
5,第11回社会教育研究全国集会(東京・読売ランド)にて−1971年 南の風2682号
4,社会教育推進全国協議会・第一回全国運営委員会 (蒲郡)−1969年 南の風2675号
3,学会共同研究「雑柿会」の朝 (熱海「双柿舎」の庭で)−1978年
南の風2670号
2、熱海「雑柿会」の夜 (学会・職員養成研究グループ)−1978年
南の風2663号
1,日本社会教育学会第7回大会(九州大学・福岡))の夜・小川利夫氏−1960年 南の風2657号
20,中国からの留学生(韓民、高峡、羅李争など)を交えた永福・新年会(小林宅、1986年1月)
19,東京学芸大学・
最終講義の夜・二次会、小林ゼミ・留学生、OBGほか有志(東京小金井、1995年3月18日)
18 北海道・オホーツク社会教育研究会(10周年記念セレモニー)の夜−北見、1992年12月19日−
前列中央に山田定市氏(北大)、その左に小林、菊池一春氏、2列右2人目・森田はるみさん、などオホーツクの群像。
17 韓国社会教育協会年次大会(第19回、京畿道・利川)に出席。(1994年7月8日)
左より 文孝淑、魯在化(一人おいて)、金信一、小林、大串隆吉、李宗満、金宗西、金済泰、高淳 の各氏
16 第33回社会教育研究全国集会(木更津)、韓国からの参加者と通訳をつとめた留学生たち
左より高淳普A朴三植、李宗満、文孝淑、金平淑、金信一、南相瓔 の皆さん(1993年8月28)
15 名護より豚1頭、沖縄社会教育研究会(東京学芸大学・研究室)交流の集い(1990年1月20日)。
前列・左から3人目に稲嶺進氏(2010年より名護市長)、その右・小林の隣に島袋正敏氏(もと名護博物館長)、
右より二人目に故足立邦彦氏(上福岡市教育委員会・当時) 、中央・横になっているのはたぶん?渡部幹雄氏
(院生・当時)、ほか沖縄社会教育研究会の皆さん。中央机上の豚はすでに平らげられて姿がない。
14, 吉田昇、朱膳寺春三、浪江虔、小川正美、藤田博、碓井正久、駒田錦一ほか各氏→■
連載・13-2, 横山宏氏(左)と小林−1973年・地域社会教育史料調査・敦賀市
13, 斉藤峻(東京都社会教育主事、「月刊社会教育」編集長)と横山宏の両氏ー1960年
【連載・12】1994年・日本社会教育学会(第41回、弘前大学)日中韓の乾杯 *南の風2900号
▼左より(2人目)黄宗建、呉遵民、小林文人、横山宏、上野景三の皆さん (日本社会教育学会−@弘前大学、
1994年10月2日) *左端の方のお名前が分からず、どなたか教えてください。
【連載・11】三多摩の公民館運動を担った群像 (1991年9月撮影) 敬称略、南の風2766号
▼後列<左より>:内田和一(立川社会教育館→都庁)、横山宏(早稲田大学)、北田耕也(明治大学)、佐藤進(国分寺市
公民館)、青木紘一(国立公民館)、奥田泰弘(中央大学)。中段:山崎功(昭島公民館)、西村弘(小平公民館、のち教育長)、
小川利夫(日本社会事業大学→名古屋大学)、平林正夫(国立公民館)。前列:進藤文夫(国分寺公民館、のち教育次長)、
小林文人(東京学芸大学)、安立武晴(相模原)、徳永功(国立公民館、教育長)、近藤春雄(小平市公民館)、野々村恵子
(練馬区教育委員会)ほか。
【連載・10】日本社会教育学会(第37回、日本福祉大学)懇親会にて−1990年、南の風2715号
左より韓民(中国教育部)、新保敦子(京都大学・当時)、横山宏(早稲田大学・当時)の皆さん。右・小林が何か
冗談を言って、横山さんが呵々大笑された。話題・撮影者などすべて忘却。1990年10月に開かれた日本社会教育
学会(第37回、会場・日本福祉大学)懇親会にて。(日本福祉大学、19901013)
【連載・9】東京学芸大学・社会教育研究室、韓民・高峡夫妻を送る夕べ−1988年
名大・院を了えた韓民(現・中国教育部)・高峡夫妻が中国帰国(多分?)の挨拶に来たときの一枚(1988年9月)。
前列左より船越泰、浅野浩一、進藤文夫、海老原治善、韓民・高峡(一人おいて)小川利夫(かなり酩酊)、園田教子、
(かくれて)小川正美、遠藤輝喜。後列左より武士田忠、小林、田中喜美、山口真理子の皆さん(敬称略・9月24日)
【連載・8】社会教育学会(国際交流委員会)による中国教育部・成人教育司との懇談会−1985年
学会として初めて、中国・成人教育局関係者(雷亨、朱清萍、呉素蓮各氏)を迎え、「囲む会」が開かれた(1985年4月
4日、東大)。日本側−後列左より(3人目)宮坂広作、藤田秀雄、室俊司、小川剛、山口真、朝倉征夫、大槻宏樹ほか、
前列左より、小林文人、横山宏、中国教育部(3氏)をはさんで、新保敦子、駒田錦一、倉内史郎、の皆さん。(敬称略)
【連載・7】「月刊社会教育」編集委員会・横山宏さん慰労会。(1980年)
前列左より−野々村恵子、奥田美穂、横山宏、小川利夫、北田耕也、徳永功、中段左より−野呂隆、松崎久子、
藤田秀雄、島田修一、山崎功、宮崎俊作、上田幸夫、酒匂一雄、後列左より−東寿隆、小林文人、南里悦史、
荒井邦昭、大橋謙策、室俊司、奥田泰弘(以上・敬称略) *「月刊」編集“小組”発足の頃、すでに6人が物故された。
*関係各位で掲載不可のご意向あればご一報下さい。直ちに撤収します。関連記事ー「南の風」2694号日誌欄→■。
【連載・6】
おきなわ社会教育研究会による東京学芸大学沖縄ゼミ歓迎会(1980年8月4日−翌日奄美へ)−敬称略
夜の首里・料亭。左より比嘉洋子(那覇市立図書館)、平良研一(沖縄大学)、当間ふじ子(首里公民館)、中央に
立っている喜納勝代(久茂地文庫)、その右・顔だけの玉城嗣久(琉球大学)・・・・ 右より後列の新城捷也(沖縄県
教育委員会)、上原好美(沖縄県庁)、前列の上原文一(具志頭村教育委員会)、佐久本全(那覇市立中央公民館)
ほかの皆さん(所属は撮影時)。その間に東京学芸大学・沖縄ゼミ5人(小林文人、宮里六朗、上野景三、古賀皓生、
小林平造)。この頃、沖縄ゼミは奄美調査を開始していた。
【連載・5】第11回社会教育研究全国集会(東京・読売ランド)にて−1971年 *南の風2682号 (小林撮影)
社会教育研究全国集会は、第11回集会(テーマ「権利としての社会教育とは何か」)あたりを跳躍台として、翌年の
宝塚、さらに大宮の集会へと、倍増の参加者を集める流れとなった。写真・左より
、石川敏(群馬県笠懸村)、野呂隆
(東京・文京区)、福尾武彦(千葉大学)、吉田昇(社全協委員長、お茶の水女子大学)、佐久間章(船橋市)、横山宏
(国立教育研究所)、酒匂一雄(東京都都教育委員会)の皆さん、ちょうど40年前の、若々しい顔、顔。
【連載・4】社会教育推進全国協議会・第一回全国運営委員会−1969年・蒲郡 *南の風2675号
社全協が発足(1963年)し、全国規模で開かれた初めての運営委員会。左から徳永功(東京・国立)、小林文人(東京)、
野呂隆(東京、初代事務局長)、一人おいて、太田善照(大阪・富田林)、串田稔光(東京都教育委員会)、田中貞之助(大阪)、
林貞樹(福岡)、一人おいて、飯塚達男(千葉・船橋、事務局長)、堀場喜八郎(埼玉)の各氏。宿舎前にて。
【連載・3】 学会「雑柿会」の朝(熱海「双柿舎」の庭で)−1978年 *南の風2670号
前列・左より−森部英生、藤井珈世、碓井正久、岡本正平、津高正文、後列・左より−藤田秀雄、小林文人、吉田昇、
山口富造、小川剛、横山宏、岡田忠男、小川利夫の各位。大半の方がすでに鬼籍に入られました。
*関連記事:「南の風」2670号(2011年6月9日)ぶ日誌→■
【連載・2】熱海「雑柿会」の夜(学会・職員問題研究グループ)−1978年、*南の風2663号
日本社会教育学会では1970年代、宿題研究「社会教育職員研究」が動き、さらに「職員養成」共同研究(科研費補助)
が活発に取り組まれてきた。この研究グループは1977年から数年、熱海「双柿舎」で宿泊研究会を開催している。「雑柿
会」と自称していた。研究会の主要メンバーが参加し自由な論議を楽しんだ。同研究会は4冊の報告書を刊行し、さらに
学会年報第23集『社会教育職員の養成と研修』(1979年)刊行へと結実した。
1978年の雑柿会の夜。左より小川利夫(碁)、碓井正久(タバコ)、横山宏(ねじりはちまき)の各先生と小林。
碁の勝負
は(多分?)小川さんが優勢だったような…。傍目八目(おかめはちもく)、横から口を出して睨まられた記憶も。
【連載・1】 日本社会教育学会第7回大会(福岡)の夜−1960年
1960年・日本社会教育学会・第7回大会(会場・九州大学)の夜、博多中洲(小料理屋)「愛染」でのスナップ。
当時、小川利夫さん(右)は最も若い学会理事、ぶんじん(左)は会場校の助手(教育社会学講座)。社会教育
研究への道を歩め!と飲みながら誘惑された。カウンターだけの小さな店。駒田錦一(大会々長・九州大学教
授)のほか、宮原誠一、碓井正久(さかんに童謡の熱唱)、横山宏、福尾武彦など理事の方々がご一緒。店の
看板まで貸し切り状態。小川さん34才、ぶんじん29才。各先生はすでに故人。*南の風2657号
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