【南の風2020】 4131号〜4170号  
各号目次・後記(ぶんじん日誌)
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【南の風2020】4131号〜4170号・目次一覧

4131号【2月14日】やんばる対談、熊本・名護より、本部町健堅の遺骨発掘、横浜クルーズ船に風メンバー
4132号【2月18日】東アジアフォーラム準備、沖縄子どもの貧困率、やんばる対談など、風の部屋の賑わい
4133号【2月23日】25号編集委員会2、沖縄の新型ウイルス、とびたつ会、高知短期大学閉学、中国武漢
4134号【2月26日】2月定例会延期、編集委員会場変更、公民館学会スプリングフォーラム中止、台湾と日本
4135号【3月 1日】年報編集2、自由投稿呼びかけ、川崎市生涯学習計画の歩み、背中支えるたくさんの手
4136号【3月 5日】雛祭りにアゲハ、韓国この一年、沖縄「春惜月」、やんばる対談、李白「また一杯」
4137号【3月10日】夜間中学キャラバン延期、野々村恵子さんお別れ会延期、とびたつ会、NPO法人の閉鎖
4138号【3月14日】3月研究会中止、やんばる対談日程5月、87歳の門出、15歳の島立ち、大阪・識字学習
4139号【3月18日】退任挨拶、大阪識字学習、町田とびたつ会、石垣島自衛隊配備、退任「ご挨拶」に思う
4140号【3月25日】やんばるの風、月刊社会教育・新発行所、「こんばんはU」上映会中止、コロナ騒ぎ
4141号【3月26日】「ヤジと民主主義」、韓国「一年の動向」、艦砲射撃の下で、沖縄「月刊」、三月の悲劇
4142号【3月31日】「南洋群島の教育史」出版、米軍慶良間上陸75年、北海道置戸町より、風の賑わい
4143号【4月 3日】4月スケジュール、札幌遠友塾、泡瀬干潟、アジア太平洋資料センター、韓国フォーラム
4144号【4月 6日】異動挨拶、定例会中止、戦争と平和資料館、京都・青春教室の記録、コロナ体験実録
4145号【4月12日】やんばる対談延期、札幌、京都2、米軍基地感染情報? 町田、医療現場・緊急事態
4146号【4月17日】名護レポート、渋谷スポーツ行政、2匹目の蝶羽化、麦笛、医療療現場フェイクニュース
4147号【4月19日】京都社会教育実践3、4.19革命60周年、万国津梁会議、石垣島、TOAFAEC 総会は?
4148号【4月23日】総会、夜間中学キャラバン、沖縄タイムス「悪魔の代弁者」、運河で歌う、辺野古が唯一?
4149号【4月25日】アカショウビン鳴く、松川町、とびたつ会、コロナとコレラ、ZOOM会議、編集会議のビール
4150号【4月28日】25号編集会議、総会へ、韓国フォーラム、とびたつ会臨時、朝日歌壇、4・28「屈辱の日」
4151号【5月 3日】87韓国フォーラム、大分、神戸元町映画館を守ろう、憲法を追い掛けて、オンライン会議
4152号【5月 6日】月桃、ダグラス・ラミス憲法、筑波大学特任研究員、ソウルの風、町田とびたつ会、定例会
4153号【5月13日】 5月研究会じんぶんヒストリー4、中国福建省より、白保リゾート反対、オンライン研究会
4154号【5月16日】定例会申込み再案内、やんばる梅雨、八重山白保リゾート反対2、白保村ゆらてぃく憲章
4155号【5月23日】総会日程、町田とびたつ会、沖縄慰霊の日、福建省との交流史、回想シリーズご提案を
4156号【5月27日】識字・自主夜中くふうとこまりごと開設、協同総研、赤い人形ぶながや、老友パソコン
4157号【5月31日】総会案内、じんぶんヒストリー4参加して、ヨーヨー・マさんの魂、ズーム研究会の楽しみ
4158号【6月 5日】第88回韓国府オーラム案内、じんぶんヒストリー4報告、あちこーこ島豆腐、相性の悪い
4159号【6月10日】
韓国社会学者「コロナの教訓と国土均衡発展」, コロナ禍の県議選、町田,記憶と記録
4160号【6月13日】総会、1987年民主抗争から33周年、光州事件40周年、辺野古工事再開、梅雨空の総会
4161号【6月15日】総会報告、川崎市ふれあい館・朝日社説へ、沖縄とハワイ、TOAFAEC四半世紀の歩み
4162号【6月19日】
6月定例会、ニューヨーク公共図書館メッセージ、辺野古も白紙へ、心に響く呼びかけ
4163号【6月23日】「やんばる対談」再始動へ、名護エイサー、 271定例会、続く戦争被害、沖縄慰霊の日に
4164号【6月25日】研究会報告者変更、関連文献年表、町田とびたつ会、沖縄戦と安保・二つの「6・23」、投稿
4165号【6月27日】6月定例会終る、名護エイサー中止、嘉手納基地火災、自主夜間中学、二人の中村さん
4166号【6月29日】 6月定例会報告、研究会参加、尖閣諸島字名、高知より、ユネスコ学習権宣言とEジェルピ
4167号【7月 2日】
やんばる対談見合わせ、内モンゴル、89回韓国フ 名護護郷隊慰霊碑、ジェルピ回想
4168号【7月 6日】
89韓国フォーラム報告、大都市社会教育研究と交流の集い、植民地教育政策史・台湾篇
4169号【7月 9日】4編集委員会、コロナ禍の交流、町田とびたつ会、戦後沖縄と香港デモ、わが故郷は沈みけり
4170号【7月13日】年報25号編集委(第4回)報告、発行日(九一八)、米軍基地のコロナ、杉並ねっこワーク


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《昇順》

南の風・各号後記(ぶんじん日誌)

2020年

4170号【2020年 7月13日】
■≪10日・活発な編集会議≫
 10日(金)年報編集(ズーム)会議は賑やかでした。終わってすぐに、高井戸の会議であれば、それぞれ自宅に帰着したような時間に、当夜の詳しいい報告が編集長(李正連さん)より着信、驚きました。有難うござました。ぶんじんは、まだ残りのビールを飲んでいたような。参加の皆さん、お疲れ様でした。
 年報25号の詳しい編集計画(すぐにホームページ入力)、充実した内容に仕上がりそうです。懸案「やんばる対談」は未定のまま。今年もし実現できなければ、かなりのページ数が空きますから、ぶんじんは,TOAFAEC・年報第1号「創設・創刊の頃(1995年前後)を書きましょうと発言。加えて仙台・今川義博さんに、「大都市の社会教育、研究と交流の集い」(第39回・2016年で休止中)の記録をお願いできることになりました。今川さんにとっては突然、降ってわいたような仕事、申し訳ありません。編集委員・石井山さん、年報のことその他、今川さんにご助言お願いできれば幸い。
 山口真理子さん(事務局長)からも、年報発行日(九一八)について、これまでの経過来信。ところがその他の記事がそろわず、風・本号配信まで4日もかかったことになります。かねてお願いしている大前哲彦さん、片山房一さん(1970年代・社会教育を学ぶ学生全国連絡会−略称「社教学連」初代会長、現在は下関市議)、などからの寄稿もなく・・・あと一つ?記事不足のまま、経過したという次第です。
 せっかく早々に記録を寄せていただいた李編集長に申し訳なく・・・。応急に近場の、私がよく散歩していた東京杉並・和田堀公園のプレイパーク、最近の活動(再開)記事を入れました。プレイイパークについては別に書きましょう。以上、本号(4170号)の編集経過でした。やれやれ、今日もなんとか暮れていく、梅雨空の重さかな。

4169号【2020年 7月9日】
わが故郷は沈みけり
 梅雨前線の停滞、南からの連日の局地豪雨。北部九州に続いて8日には岐阜と長野の両県にも大雨「特別警報」が出ました。飛騨川・木曽川も物凄い流量に驚かされます。まさに「過酷さを増す災害列島」(天声人語 7月9日)。
 この数日、北部九州の懐かしい地名が局地豪雨・特別警報ニュースに登場してきました。久留米・大牟田・朝倉・太刀洗など。そして日田盆地の筑後川氾濫の痛ましい激流、胸が痛みます。
 泥水に沈んだ故郷・久留米の写真も、今日の朝日新聞一面に。筑後川の「氾濫」というより、市内の小さな生活河川の雨水が筑後本流に流れ落ちることができず、市内低地が浸水するのです。幸い生家のあたりは比較的に高いところに位置し、これまで床下浸水も経験したことはありませんが、幼い時から「大水」(おおみず)についての備えは、生活の知恵、代々語り継ぎ、教えられてきたことでした。
 九州にとって忘れがたいのは、1953(昭和28)年の大水害。このときも久留米に筑後川の決壊はありませんでしたが、周りの支流河川は大氾濫。ちょうど大学4年・教育実習中のぶんじんは、福岡から久留米へ。西鉄電車はとまり、国鉄(当時)は動いているという情報で、友人と博多駅から久留米へ向かいました。しかし列車も鳥栖で立ち往生。やむなく、鹿児島へ帰る出稼ぎのお姉さんたちと一団となり、徒歩で、文字通り首まで水に浸かって南へ。こわごわと筑後川の長い鉄橋を渡って久留米に入ったのでした。
 当時、亡弟が九大教養部2年(小森野・第二分校)在学中。小森野分校(いま久留米高専)は教員宿舎も含めて完全に浸水し汚水のなか。弟は家の風呂を沸かして、水害にあわれた先生方が次々とお出でになって喜ばれたことなど懐かしい思い出。ぶんじんは翌日から「九学連」(学生自治会)の一員として、白川決壊の大水害で阿蘇火山灰の濁水の中にあった熊本への救援活動、などなど思い出がよぎります(前にも書いたような記憶)。
・みなみ豪雨わが故郷を沈めけり ・濁水よウィルスともに流し去れ ・コロナ禍に集う楽しみ流失す(ぶ)

4168号【2020年 7月6日】
≪大都市・研究と交流の集い・回想≫
 前号に久しぶりのトクタホさん(内蒙古民族大学・教育科学学院)よりメール拝受。内モンゴルは、コロナの直接の被害はない(死者ゼロ)とのこと。風・誌上に所属大学名を間違って記載、しかも変換ミス、たいへん失礼しました。まずは元気そうで何よりです。ボヤンバートルさん(内蒙古師範大学)によろしくお伝えください。
 さて、先日の定例研究会・川崎報告に関連して、E.ジェルピー(ユネスコ)回想に及びましたが、そのなかに、ジェルピ招聘・全国各地での講演会を実現した「大都市の社会教育/研究と交流の集い」(当初は「政令指定都市の」1978年創設)の大きな役割がありました。当時は「連合」ではなく、いわゆる「総評」時代の自治労、その「大都市教育支部連絡協議会」が、ジェルピ招聘の立役者となりました。小林「招聘の経過と意義」(海老原編「生涯教育のアイデンティティ(はしがき)」に特記しています。
 大都市研「20年の集い」記録は神戸大学で作成(末本誠さん、1998年)。次の第25回報告書は仙台市職員労働組合教育支部が発行しました(2003年)。その中心にいたのが今川義博さん(同市青葉区中央市民センター)。今川さんは、その後の「集い」で、毎年開催の事務局を担ってきました。いま「集い」は、2016年開催(第39回、東京都国立市)を最後に休止中。それだけに、いろいろご苦労もあったに違いない。懐かしくなって、先日電話を探し、久しぶりに声を聞いたという経過です。あらためて「南の風」も送り始め、いただいたメール、そのまま上掲、ご了承ください。
 私たちが刊行した「大都市東京の社会教育ー歴史と現在」(エイデル、2016)をテーマに掲げて開かれた第39回「集い」、ほぼ40年の歳月を重ねてきたことになります。その後半部分の歴史を(この機会に)書いておいてほしいとお願いしました。気楽に思い出すまま、まずは「南の風」に載せておきたいと。なお、20年までの歩み、25年の集いの記録は、小林報告の部分をTOAFAEC ホームページにアップしています(写真も)。お暇の折、ご一読いただければ幸い。→■https://www.bunjin-k.net/971006daitoshi2.htm

4167号【2020年 7月2日】
■≪E.ジェルピ(ユネスコ)氏・回想≫
 前号本欄で、1980年代・川崎の動きに関連して、ユネスコのエットレー・ジェルピ氏来日に触れた箇所がありました。寺内さん「1982年11月、川崎市生涯教育行政連絡会議」が設置され、12月には「生涯教育川崎シンポジウムにおいて、当時のユネスコ成人教育部長であったエットーレ・ジェルピの講演会が行われた」(同レジメ)。ぶんじんはまた、1987年6月の全国各地で開催されたジュエルピ講演会について書いています。つまりジェルピさんは、この時期、2回にわたって来日し、たくさんの友人と出会い、「生涯教育」について論議、関係者に多くの刺激を与えたのでした。
 とくに2回目の来日は、ユネスコ学習権宣言のあと。P.ラングランの後任と目されていたE.ジェルピには、学習権とのかかわりで具体的な話が聞けるのではないかという期待がありました。前号本欄でも「学習権宣言の立役者」という表現を(往時を回想して)使っていました。しかし、よく想い出してみるとE.ジェルピは、宣言のや起草や採択にはタッチしていなかったとのこと。同宣言に関する質問には、むしろ歯切れの悪い対応であったことが印象に残っています。前号に紹介した記録(海老原編「生涯教育のアイデンティティ」)のなかでも、いくつもの証言あり。「ICAE=国際成人教育協議会に連なる関係者によって宣言草案は協議修正され、ユネスコ職員であったジェルピには参画する余地はなかった」(諸岡、p176)、また「自分はもっとラジカルなことを考えている」(堀尾、p150)とも。ユネスコの機構の枠もあったようです。
 「もっとラジカルなこと」とは、E.ジェルピの著作『生涯教育‐抑圧と解放の弁証法』(前平泰志訳、東京創元社、1983)でいえば、その「解放」の視点、闘いのイメージでしょうか。
 E.ジェルピはミラノの人。2002年に急逝。享年(おそらく)70歳。稀有なほど活力あふれた人だったのにと惜しまれます。

4166号【2020年 6月29日】
■≪ユネスコ・学習権宣言(1985)とE.ジェルピ氏
 26日定例研究会について、小田切督剛さんから長文の記録を送っていただきました。また当夜の寺内さん川崎報告のレジメ、別送されていたものを本号に添付。お二人の詳細な記録やレジメ、有難うございました。武田さんや中村さんのメールも並び、南の風は久しぶりに「川崎の風」の感じ。あらためて故伊藤長和さんの「大きな声」も想い出しています。
 振りかえって、小林「発題」には、触れるべき大事なことを一つ忘れていました。1985年ユネスコ「学習権」宣言。ちょうど「臨教審」答申のど真ん中に、また松下「終焉」論と同時期に、国際的広がりで登場したのでした。各地の自治体「計画」づくりにとって大きな励まし。東京では、1973年の都社会教育委員会議答申「市民教育」で「都民は知りたいことを知る、都民は学びたいことを学ぶ、都民は集会し学習する自由な場をもつ」を都民の学習権として再発見。あるいは松本では「だれもが自由に学べること」(学習する権利)など学びの森づくり計画への「四つの原則」が語りつがれることに(年報24号、矢久保論文57頁)。生涯学習計画づくり潮流の中で学習権思想は各地で大きく増幅していきました。
 学習権宣言に関連して、ユネスコ生涯教育部門のリーダー・E.ジェルピ氏。川崎など自治労(当時)大都市教育支部が招聘し、全国各地で講演会が開かれたことがあります。1987年のこと。東京そして川崎、名古屋・大阪・福岡などでも開催。最後にジェルピ氏は沖縄まで飛び、嘉手納基地をとり囲む「人間の鎖」の動きの中にもいたと聞いています(私は同道できず)。記録は、E.ジェルピ・海老原治善共編「生涯教育のアイデンテティ」(エイデル研究所、1988)にまとめられ、その巻頭に小林「E.ジェルピ氏招聘の経過と意義」を書いています。

4165号【2020年 6月27日】
■≪二人の中村さん、お詫び≫
 昨夜(26日)の定例研究会(Zoom)、ご参加の皆さま、お疲れ様でした。オンライン形式の研究会がすっかり定着してきた感じですね。当方はなぜか(パソコンによるのか、WiFi回線によるのか)分かりませんが、一定のリズムでフリーズする瞬間(10秒ぐらい)あり、こちらの発言が聞き取りにくいことになったのではないかと気にしています。他の皆さんは順調ですか。それにしても、Zoomで見ると、皆さんそれぞれに若々しく元気・新鮮、何よりです。
 昨夜はとくに寺内藤雄さん(もと川崎市教育員会)に突然の報告をお願いし、見事に受けていただき、ほんとに有難うございました。年報25号に同じく執筆予定の松本市については、矢久保学さんのご都合がつかず、私の分かる範囲で、同市「づく」出せ、学びの森づくり、計画を紹介しておきました。早速、小田切督剛さんよりホットな感想(上掲)を寄せていただきましたので、本号も隔日発行の風をお送りすることができます。
 失敗ひとつ。南の風には信州上田の中村文昭さんと、川崎の中村高明さんという二人の中村さんが参加されています。姓だけででなく名前も酷似。昨夜参加されたのは、川崎の中村さんでした。しかし1月に上田の中村さんとお会いした印象が残っていたからか、またZoom会議でよくお顔を確認できないこともあって、川崎の中村さんをすっかり上田の中村さんと思いこんで、妙なご挨拶をしてしまいました。会の終わりの方で発言された中村さんが、川崎について詳しい質問。そこで初めて(上田ではなく)川崎の中村さんだと気づき、赤面の思い。お詫びのご挨拶をする余裕もなく会は終了。お二人の「中村さん」にこの場をかりて失礼をお詫びします。
 定例会の夜、「やんばる対談」参加について、免疫力が弱っている90才ちかい老人が、いま遠路の旅をするのは心配だと強いご注意を頂きました。対応策について、今から名護・島袋正敏さんや山城千秋さん(熊本)と相談します。

4164号【2020年 6月25日】
■≪久しぶり隔日の風・発行≫
 風・前号の発行日記載を失念、6月23日(慰霊の日)でした。当日は「朝めし前」の作業を終わって、一息ついたところで内田純一さんより、お母上が亡くなられたという悲しい知らせ(上掲)。ご冥福をお祈りいたします。
 26日の研究会出席は無理ということで、上野・江頭など関係諸氏と相談。小林と寺内藤雄さん(もと川崎市教育委員会)でピンチヒッターをつとめることになりました。上記「急告!26日研究会、報告者変更」の風を急ぎ編集した次第です。寺内さん、急なお願いを引き受けて頂き、ありがとうございました。→■研究会・詳細案内
 若干の余白に、小林の当日「発題」の関係文献と年表的な資料を記載しました。寺内さんにはお願いの余裕なく、申し訳なし。もしご報告のレジメ等あればご一報ください。ホスト役の李正連さんにお願いすればいいでしょうか。当日の申し込みは、山口真理子さん(事務局長)まで、お願いします。
 風・前号で、9月中旬の「やんばる対談」企画案を記しました。ところが東京のコロナ感染者はこの数日増加、気にしています。ひたすら沈静化を願うのみ。沖縄はその後に感染者はなく、移動自粛が緩和されたとはいえ気になるところ。年報25号の発行予定とも関連しますので、26日・研究会でも話題にしてみましょう。
 久しぶりの2日間隔での「風」発行。昔はこのリズムで(時には連日発行の頻度で)配信していたものだと懐かしんでいます。それでも,1998年2月8日創刊から概算すると、2日おきに22年間余も「風」を吹いてきた勘定。自分ながら呆れています。

4163号【2020年 6月23日】
≪沖縄・慰霊の日に≫
 6月23日・沖縄「慰霊の日」。今年は75年目の節目となります。上掲・琉球新報・コラム「金口木舌」(6月19日)は、75年経っても今なお「続く戦争被害」を書いています。「沖縄戦で母と祖母を失い、故郷も奪われた。生家の跡地はフェンスから見えるが、帰ることはできない」「長生きするのもつらい」と。米軍基地のフェンスごしに、つまり目の前に故郷が、生家跡地が見える、しかし立ち入ることができない、むごい話です。
 ずいぶん前に嘉手納基地のなかに、こっそりもぐりこんで(ある人の手引き、たしか大前哲彦さんも一緒だった)見学したことがありました。米軍住宅のなかに、ポツンとガジュマルの老木が残っている。きっと基地接収前は集落の真ん中の広場に豊かな木陰をつくっていたに違いない、そんな雰囲気のガジュマル。しかし集落は焼かれ、広場は失われ、子どもたちの遊ぶ声は消えてしまって、ポツンと老木だけが佇んでいる、その傷みと悲しみ。当時そんな情景を拙い歌に詠んだ記憶も残っていて、古いノートをめくりましたが、探し出せず。
 沖縄に重ねて少年B の戦争・戦後史のこともいろいろと。九州は沖縄のように苛烈な戦火をくぐったわけではなく、家族も喪わなかったので幸いとしなければなりません。しかし戦時下「強制疎開」により生家は引き倒され、そのまま接収され、少年B が生まれた跡地はいま道路。毎日の車に轢かれています。寒々とした思い。一昨年、残った(戦後住んでいた)家・屋敷を処分したので、故郷すべてを失った思い。その起点にやはり戦争がありました。
 本号冒頭に書いたように、今年の「やんばる対談」日程を9月中旬の線で検討を始めています。6月定例研究会(26日の夜)にも話題にし、できれば確定していければ幸い。慎重論を含めて、ご意見をお願いします。

4162号【2020年 6月19日】
■≪心に響くメッセージ≫
 先週のTOAFAEC 総会とも重なり、今年の6月は何か忙しい思いで過ぎていきます。コロナ騒ぎのため、2,3,4月と,3か月も休んできた定例研究会ですが、Zoomによるオンライン会議として、6月は定例日(最終金曜日)に開催されることとなりました。気が付けば、当日まであと1週間。慌ただしいご案内、ご容赦を。当日の報告者・内田純一さん(高知大学)がみずから案内文を。6月26()夜、どうぞよろしくお願いします。
 Zoom会議は申し込みが必要です。624日(水)までに、上掲案内・URLまで「名前とメールアドレス」を送付してください。梅雨の夜更けの時間、やりくりして、多数のご参加をお待ちしています。 
 5日前に富沢由子さん(杉並)より送っていただいた「ニューヨーク公共図書館からのメッセージ」、前号に載せきれず、本号に上掲しました。心に強く響くメッセージ。「新型コロナウイルスは私たちの社会に最も根深く巣くう欠陥と亀裂を増幅させ、あぶりだしています。私たちは黒人コミュニティを支持します」。図書館固有の役割と使命を自覚しつつ、「すべてのコミュニティとともに不正義や人種差別と闘っていきます」と。
 
韓国「平生学習」の条例策定やマウルづくり運動のなかで、印象的な宣言や呼びかけ(『躍動する韓国の社会教育・生涯学習』エイデル研究所、2017)が印象に残っていますが、今次のコロナ禍のなかで、新しい動きがあるのではないでしょうか。厳しい状況のなかでこそ、新しいメッセージが紡ぎ出される。南の風誌上にぜひご紹介ください。

4161号【2020年 6月15日】
■≪TOAFAEC・四半世紀の歩み≫ 
 一昨日(6月13日)TOAFAEC 総会が開かれました。ご参加の皆様、お疲れさまでした。とくに山口真理子・事務局長、ご苦労さまでした。今日午後「総会報告」を送っていただきましたので、本号に掲載できました。Zoomによるオンライン会議、その可能性を実感させるような総会でした。
 当夜、詳しく申し上げる余裕がありませんでしたが、TOAFAEC は1995年6月(第1回定例研究会、6月2日)の創設です。今回の総会でちょうど満25年を歩んできたことになります。四半世紀を経過した記念すべき総会、ことさら感慨深い夜。
 発足当時は、規約もなく総会もない、もちろん財政的基盤もなく「あるのはただ心意気だけ」と。定例研究会を毎月1回、年報発行を年に1冊、当面この努力を重ねていこう、そんな決意。発足時の事務局長・内田純一さんと「3号までは出したいね」、そして「3号だけで終わらないようにしよう」などと語りあったことを覚えています。
 それが、なんと!25年続き、研究会は270回、年報発行25号(予定)を実現してきたのですから、たいしたもの! 総会では盛大な乾杯を重ねるべきでした。、
 第1回研究会と同じ日付で「東京・沖縄・東アジア 社会教育のひろば」という通信が発行されています(第2号より{TOAFAEC・ニュース」と改題、編集は内田純一)。そして3年後の1998年2月より「南の風」発行が始まり、同じ時期にホームページが動き始めるという歴史でした。数日前、古いファイイルから、創設時「ひろば」「ニュース」数部を発見。次の集いでお目にかけましょう。
 杉並の富沢由子さん(もと区議会議員)より「ニューヨーク公共図書館からのメッセージ」(国立女性教育会館・青木玲子さん紹介)を送っていただきました。興味深い一文。やや長いので次号おくりにさせていただきます。

4160号【2020年 6月13日】
■≪梅雨空の総会≫
 前号にミスあリ、とくに「呉世蓮」(韓国)さんのお名前に、上海の「呉遵民」氏を誤記。何たる気のゆるみ、ほんとに失礼しました。(上掲に)重ねてお詫びいたします。その後、上海はどんな状況だろう、北京あるいは広州・内モンゴルの皆さん、元気かな、など懐かしくなって、ふっとお名前の誤記につながったのかもしれません。コロナ禍のなか、ボケもだんだん進行する?
 昨年11月以降お互いにご無沙汰。武漢のニュース・画像はいくつか目にしましたが、大都市・上海などその後の様子はどんなかしら。もしコロナ襲来があと1か月早ければ、昨年の「東アジア」(北京)フォーラムは影響をうけたに違いない。そして今年の日本開催はどうなることやら、と気になります。
 さて本日はTOAFAEC総会(6月13日20:00〜)。オンラインによる開催ですから、日頃なかなか会えない方もぜひ多数ご参加ください。問い合わせ・ご希望は事務局長・山口真理子さん(<izk07252@nifty.com>)へ。総会についてはホームページに「総会サイト」→(http://www.bunjin-k.net/03soukai2.htm)を設けています。何枚か挿入している写真からその当時のことが思い出されて懐かしい限り。TOAFAEC の創設は1995年ですが、当初は総会など開くまで至らず、やっと今世紀に入ってからの総会史でした。
 例年いつも学会六月集会・初日の夜。食事を交えて賑やかな会議。酔いながら学会理事会メンバーの参加をお待ちしたものでした。今年は、各自それぞれ飲み物の用意をお忘れなく。珍しいコロナ総会として、いつまでも記憶に残ることでしょう。日本列島の梅雨入り、沖縄では梅雨明けの総会となります。
第88回韓国フオーラム(6月7日)ズーム会議


4159号【2020年 6月10日】

■≪半世紀前の記憶・記録≫
 5月29日夜の「じんぶんヒストリーW」、当夜話しきれなかったことなど、いくつかのこと補足しておきます。振り返ってまさに半世紀前のこと、当方「記憶」も劣化していますから、間違いがあってはならじと幾夜も当時の「記録」を確かめたり、たいした歴史でもないのに「ヒストリー」として若い世代が関心をもってくださるとは・・・と感涙?にむせんだり。その割には充分な話にならなかった、まったく触れることができなかったなど反省があるからです。
 幸いホームページには、小さなものを含めて出版・執筆したものすべて記録ページをつくっています(→■http://www.bunjin-k.net/1954gyouseki.htm)。今回は幸いに1970年代「社会教育・公民館研究への登場」がテーマ。わが人生にとっても大事な10年でした。まず日本社会教育学会のあり方について。1968年「幹事」のこと。理事の仕事の事務的な下請けでなく、若い世代として学会・研究について「しゃべれ!」「論じよ」という役割が期待されました。学会長・特命のような吉田昇(お茶の水女子大学)会長の言葉をよく覚えています。室俊司・藤岡貞彦さんなどととも張り切ったものでした。
 東京三多摩の「新しい公民館像をめざして」(いわゆる三多摩テーゼ)と並ぶかたちで、東京区部では「新しい学級講座づくり」の課題が追求されました。東京都が2冊の報告書を出し、小林も数本の論文(「社会教育における「学級革命」の視点」月刊社会教育1977年2月号など)を書いています。地域青年運動「共同学習」論とともに、もっと追求されてよいテーマでした。沖縄での評価は別の論点をもっていたことは当夜少し触れたました。
 調査・発掘した史資料は、復刻・印刷して共有化(私有化を許さない)の努力は、法制研究資料だけでなく、その後の職員研究、職員養成研究、沖縄社会教育資料、また「社会教育ハンドブック」(社全協編)発行作業へとつながってきたこと、いろんなエピソードがありました。

4158号【2020年 6月5日】

≪相性の悪いアウトルック
 いま耳も遠く、目も細くなってきた老人にとって、ズーム・オンライン研究会は(慣れないと)難しい!ことを実感した研究会でした(5月29日夜)。くぐもった口調の質問は聞き取りくく、大写しにならない参加者の表情はよく見えない。逆に大写しの方の表情は実物より若すぎる?別人の印象もあり。皆様にいろいろ失礼した夜でした。
 とくに入江優子ん(東京学芸大学)、前号本欄に書いたおり、ご出席ではないと勘違い。記録をみて、安井節子さん、ハスゲレルさん、持田津希子さんなどのご出席も発見。いつもの例会だと「イーストビレッジ」での交流もあるのに、オンラインはやはり孤独ですね。一人ビールを飲んでも、久しぶりの方々にお話できず、残念至極。入江さん、ご安産を祈ります。
 本号も発行が遅れました。この2日間、また木村雅俊さんにおいで頂き、老境をともに格闘しているパソコンのお相手をしていただきました。パソコンに内蔵してきた諸データは大混乱。こんごどのように再格納できるか自信なし。
 南の風は、発足以来、Al-mail で出してきたのですが、これとお別れし、相性の悪いOutllk Wordとの付き合いを始めています。文章をかくのに5倍?くらい時間がかかり、小学1年生になったみたい。どんな誌面で本号が皆さんのお手もとに届くか心配でもあり。ま、なるようになれ!の心境も。もともとこのあたりで、南の風ホームページから退いてもいいのだから、と思っています。
 さて、これからホームページ更新がうまくいくか、しばらくHP誌面が新しくならないかも。お許しください。

4157号【2020年 5月31日】
■≪ズーム研究会の混乱と楽しみ≫ 
 本日は五月最終日。この間コロナ騒動で延ばし延ばしになってきた定例研究会(じんぶんヒストリ―4)がようやくオンラインにより開催されました(29日・金曜日)。ご参加の皆様、お疲れ様でした。いつもの定例会と違って、佐賀、大分、高知、大阪、そして信州、また仙台など各地からのご参加。お互いの顔が見えて楽しいひととき。
 しかしズーム(オンライン)による対話は何か調子が違いますね。当方のミスもあって途中に何度か中断、失礼しました。『日本近代教育百年史』第8巻に話が及んだとき、よせばいいのに約1300頁に及ぶ重い本を紹介し、その際パソコン・キーボードの上に載せてズーム・ライン中断。それとは知らず、話を続けて、「聞こえません、ラインは切れていますよ!」との電話で、慌てました。すぐにラインは復旧せず、あらためて別の古いパソコンを立ち上げる始末。そのパソコンも機能不全なときあり再度の中断がありました。残念な思い、お詫びします。されどワインを楽しみながらの研究会は格別なもの、いい気分になりました。しかし次もまたズーム研究会・・・? 早く脱皮したいですね。
 内田純一さん(高知大学)、井口啓太郎さん(文科省)から早速のコメント(上掲)、ありがとうございました。学芸大学・入江優子さんから「楽しみに参加します」とのメールを頂いていましたが、ご都合がつかなかったのか、お顔が見えず残念。全体的な研究会報告(ホームページ収録分)は別に頂けるものと期待しています。
 6月13日(土)20:00〜21:00、は今年度の総会、やはりズームによる会議ご案内(上野景三代表名)が山口真理子さん(事務局長)より届きました(本号冒頭記事)。頑張りましょう。6月最終金曜日(26日)の次回・第271 定例会、プログラムを確定する必要がありますね。できればズームを脱し高井戸で開ければ「イーストビレッジ」激励になりますが・・・。

4156号【2020年 5月27日】
■≪老友パソコン奮闘中!≫
 前号・本欄に「東京学芸大学」けやき並木、とすべきところ、うっかり「学芸」が抜けていました。また回想記録「福建省との研究交流史」のなかの中国教育学会会長「顧明遠先生」のお名前に誤記あり(上掲・新保さんご指摘)。はたまた、明後日(29日)夜「第270回定例研究会じんぶんヒストリー4(ZOOM開催)」の案内記事に不用意な情報を残したばかりに、案内・ホスト役の李正連さんに余計な手間(再案内)をお願いする結果(冒頭記事)となり、本欄はまずいくつもの「お詫び」。
 東京もコロナによる緊急事態宣言が一応解除されましたが、道をあるく人を見ても何か落ち着かない表情。29日夜の恒例5月定例会を明後日に控え、いつもの高井戸で開いてもよさそうな・・。ピンチにある?「イーストビレッジ」にも行ってビールで激励もしたいところ。しかし急な変更というわけにもいかない? やむをえずズーム会議での定例会としてお話することになるようです。皆さん、それぞれの飲み物ご用意を。
 江頭さんご案内にあるように、今回の「ヒストリー4」は、九州から東京学芸大学への時代(1967年〜)。ようやく社会教育研究への道を歩き始める1970年代が主要な舞台です。ホームページ「編著書・論文一覧」の、1970年代をご覧おきいただければ幸い。→■http://bunjin-k.net/gyouseki03.htm
 実は老友パソコン(コロナに感染?したのか)順調に動きません。気息えんえん。昨日・今日とまた"救いの神"木村雅俊さんにお越しいただき、本号は初めて、Outlook で出します。おそらくレイアウト、改行その他いつもと違って、ぶざまなかたちでお手元にとどくかも。お許しください。ご判読願います。「じんぶんヒストリー4」については、レジメを作ろうと考えていましたが、間に合うかどうか。いまプリンターも不調。満身創痍、やっと生きている感じ。

4155号【2020年 5月23日】
■≪回想シリーズご提案を!≫
 本号も1週間余りを経過しての発行となりました。皆さんからのご寄稿を手ぐすねひいて、毎日!お待ちしていたのですが・・・・この間、南の風メンバーの自粛行動は相当なもの。山口事務局長の総会予告記事(上掲)以外はまったく“客人”なし。そろそろ「南の風」も店じまいしていいよ、のサインかなと思ったり。お互いの「風」を双方向に吹き合うというのがお約束でしたが、期待はずれ。29日「じんぶんヒストリー4」:Zoom 開会案内が届き(李正連さん・上掲)、やっと余白を埋め、本号発行の作業に入ったという次第です。
 誌面の余白は残念なので、前々号から「回想・資料」として八重山・白保の「ゆらていく憲章」を「リゾートホテル反対運動」の動きと関連させて収録したのはご存知の通り。かって南の風に木曽「妻籠公民館と町並み保存運動-妻籠レポート」(2007)や、「拾遺・三多摩テーゼ」記(2014〜)の連載シリーズを埋め草記事とした経過あり、案外と好評だったのです。読み直して資料としていま面白い。やはり書いておいてよかった。
*(1)妻籠公民館史:→■http://www.bunjin-k.net/tumago07.htm
*(2)拾遺三多摩テーゼ記:→■http://www.bunjin-k.net/tokyo3tamateze.htm
 以前の「南の風」は、TOAFAEC 活動と沖縄・東アジア交流等の記録を追うだけで精一杯でしたが、いま活動も少なくなり、そしてコロナ自粛。本号余白には、前々号記事と関連して「福建省『終身教育』との研究交流史」素描を載せましたが(上掲)、ご参考になれば幸い。関連HPには北京の古い写真も記録としてすこし復活しておきました。
 いま大前哲彦さんの京都レポート・連載が始まっていますが、他の方でもご希望があれば、ご遠慮なくご提案・ご寄稿ください。連載記事はホームページにも収録させていただく慣わしです。
 下の写真は、福建省・全民終身教育促進会と日本側との交流(2010、上海・三国シンポ)を掲げました。なおホームページ表紙写真は、コロナウィルスが退散気味なので、天狗さまの睨み写真のお引き取りを願って、かねて好評の東京学芸大学・けやき並木の緑に差し替えました。
福建省「全民終身教育促進会」との交流、左より李斗石、朱永康、日本・小林、石井山ほかの各位(上海、20101126)


4154号【2020年 5月16日】
■≪白保村ゆらてぃく憲章≫
 5月15日、1972年沖縄返還から48年が経過したことになります。当時の若者たちは多くオジィ・オバァとなり、復帰運動の先達たちはほとんど物故されました。復帰とは何であったのか。いま辺野古問題に呻吟し、沖縄問題に取り組む各層のエネルギーもコロナで空転しないよう、語り継ぎ、歌いあいながら、心通わせて歩み続けたいもの。
 風・前号に案内したTOAFAEC 定例会(第270回、じんぶんヒストリー4、5月29日)への参加申し込みに困惑された方もあった様子。その理由がわかりましたので、あらためて「(再)ご案内」を上掲しました。申し込みのURLに<締め切り:5月22日>の文字が同列にくっついてエラーとなっていました。研究会・ホームページも改行して書き直し。→■http://www.bunjin-k.net/kenkyukai2019.htm 
 前号から、八重山・白保のリゾートホテル反対運動を紹介してきました。白保リゾートホテル問題連絡協議会のホームページが興味深く、写真が素晴らしい。WWF ジャパンも白保リゾート問題を取り上げていますが、トップのウミガメの写真には目を奪われます。→■https://www.wwf.or.jp/activities/activity/3729.html
 白保集落については、竹富島のように調査報告や対談がまとめられているわけではありませんが、八重山訪問の折には、いつも案内をいただいた渡慶次賢康さん(県社会教育主事・当時)にお願いして、白保の訪問・聞き取り調査を重ねてきました。私たちの最初の記録は1979年(沖縄社会教育史料6に収録)。白保新空港の位置をめぐって集落は完全に分裂した経過がありますが、その後は上掲・白保リゾートホテル問題連絡協議会にみられるように、自治と連帯による結束した活動が重ねられています。白保公民館による「白保村ゆらてぃく憲章」(2007年)が注目されます。「ゆらてぃく」とは? 宮良操さん(石垣市議、市長選立候補し善戦)が「南の風」に送ってくれた解説をご覧ください。竹富島憲章キイワードは「うつぐみ」。自分たちの言葉を大事にしてきた憲章・集落の取り組みに強いメッセージを感じます。⇒■http://www.bunjin-k.net/taketomikensyou.htm
八重山・白保の集落とサンゴ礁、上方はるかに平久保を望む (歌碑建立式の帰路・機上より、20040923)


4153号【2020年 5月13日】
■≪5月定例会、オンランで開催!≫
 思いもかけず、本号の発行が間延びして、申し訳ありません。5月定例(270回)研究会「じんぶんヒストリー」4(5月29日(金)20:00〜21:30)「ご案内」は、江頭晃子さんより1週間前に頂いていたもの。前号を追いかけ、すぐに発行するつもりでした。ところがこの「案内」に添える他の記事・寄稿がまったく揃わない。亡妻の3回目の命日を間にはさみ、「私信」をいただくのみ。やむを得ず、日ごろ注目してきた八重山「白保」集落のリゾートホテル反対運動(上掲・ホームページが充実)の資料作成を楽しんでいたのでした。
 白保を入れて、昨夜ようやく本号発行への段取り。発行直前に新保敦子さん(早稲田大学)より中国福建省・陳宜安女史からのご依頼メール来信。久しぶりの中国関連の音信だ!急ぎ新保メールを挿入、白保リゾート反対運動資料の半分を次号に移し、やっと本日の発行にこぎつけたという経過。それなりに妙に充実した?1週間でした。
 ところで、三か月も延期していた定例研究会。5月に至ってようやくオンラインによる開催です(→■。これまでの定例会、どなたも歓迎、当日飛びよりでも可、と開かれた運営でしたが、今回はオンラインによる会議ですから、事前の申し込みが必要。他方、遠くの方も参加が簡単。珍しい顔ぶれのエントリーがあれば嬉しいな、と楽しみにしています。久しぶりに乾杯を。
 福建省「終身教育」からのご依頼(上掲)承知しました。新保さんに「お祝いメッセージ」お送りいたします。福建「終身教育」については、東北大地震の直後「未曾有の大震災が社会教育に問いかけるもの(中国語版)」と題する報告を同・第9巻2号に寄稿したことを思い出します。執筆者は小林文人、石井山竜平、上田幸夫、竹内正巳、岩本陽児、小田切督剛、黄丹青、包聯群と豪華版。この日本語文は「東アジア」年報16号に収録しています.→■5。2004年12月、福建省から招聘され、末本誠さんと一緒に福州、アモイそして北京へ旅した記憶も懐かしい。ホームページに記録を残しています。→■http://www.bunjin-k.net/2004fukkenbeijing2.htm
恵安木偶(人形劇)団の皆さんと。小林の右に陳宜安先生、左に呉遵民さんも。(福建農林大学・成人教育学院、20041202)
福建


4152号【2020年 5月6日】
■≪5月定例会は開催の方向で≫
 上掲記事ご覧の様に、本号には鷲尾真由美さん、島袋正敏さん、お二人からの沖縄の便りが届き、まさに「南の風」通信となりましたので、「おきなわ短信」はお休み。つまり毎号必ず何らかの沖縄(南)の動き、情報、資料などを載せたくて「お短信」は連載してきたという経過です。あらためて琉球新報、沖縄タイムス、八重山毎日新聞等の各位に感謝申しあげます。
 橋田慈子さん、筑波大学・特任研究員へ就職とのこと(上掲メール)、おめでとうございます。国立公民館「しょうがいしゃ青年学級」との?がりも維持されているようで何よりです。一度参加された基礎教育保障学会(準備会)、その後の学会も活発に動いていますが、参加されていますか。若い世代のエネルギーがこれからますます期待される時代、頑張ってください。
 同じく若い世代・松尾有美さん(東大院)、2017〜18年にソウル大学へ留学された折、南の風に「ソウルの風」を送信、計22本連載した経過があります。連載記事は感謝をこめて当方「ホームページ」に収録・保存する慣わし(たとえば伊藤長和さん「烟台の風」全325本、瀬川理恵さん「公州の風など)。松尾さんから各号の小見出しを送っていただきましたので、さきほど書き入れました。ただタイトルに飾る写真(素敵な笑顔)が、パソコンでは大丈夫ですが、スマホで見るとどうしても多少ゆがみがでますので、もとの原板(韓国フォーラム)に置き換えました。トリミングに問題があるのかな。 ⇒■http://www.bunjin-k.net/matuoyumi.htm
 2月から3月へ、そして4月も延期になったTOAFAE「第270回定例研究会 じんぶんヒストリー(第4回)」が5月定例日(5月29日夜)、オンライン会議として、開くことなったようです。次号に江頭晃子さんからのご案内文を掲載できる見込ですみ。ご期待を。

4151号【2020年 5月3日】
■≪オンライン会議・活況≫
 昨日5月2日(土)午後、久しぶりの韓国生涯学習研究フォーラム(第87回)が開かれました。いつもの風の部屋でなく、ZOOMによるオンライン会議。先日の年報編集会議に続く2回目の経験となりましたが、お互いにずいぶん慣れてきて、いい感じで議論できました。呉セヨンさんがホスト役、終わって数時間後には、当日の研究会記録を送っていだき驚きました(上掲)。ご苦労さま。年報25号が予定スケジュール通りに刊行される前提で、韓国研究グループの執筆分担が話し合われ、なによりでした。
 その次に並べた小田切さんメールは、4日前(風・前号発行の直後)に頂いていた記事。メール拝受の順序と逆の掲載順となりましたが、「韓国人が語る!!「コロナ対策・韓国の現在~日本との違いは何か?」(
→■https://youtu.be/bSmAT6QyElU)がたいへん興味深く、南の風メンバーにもご紹介に。ご了承を。
 本号記事について、あと一つの言い訳。関本保孝・澤井留里お二人による記事<神戸元町映画館を守ろう!(池谷薫監督より) 閉鎖危機救う緊急募金お願い>は、2週間ほど前に頂いていたメールです。しかし長文のため、この数号、急ぎの(また、短い)記事を先に載せて、掲載がおくれていたもの。申しわけありません。しかし本号は長くなってしまいました。これに加えて筑波大学の橋田慈子さんや、東大院・松尾有美さんからのご挨拶等も拝受していますが、次号おくりとなます。合わせてご了承了を。
 コロナ蔓延下、TOAFAEC もオンライン会議活況の時代となったようです。自宅からの参加ですから、気楽なもの。遠いメンバーの参加負担もなく、先日の年報編集会議には韓国からヤン先生の顔も。今いろんな可能性を追求する機会でもあるようです。しかし「やんばる対談」などはオンラインになじまない。当地の自然にふれながら、肩を組んで語りあい、飲み歌い合う集いへの解禁が待たれますね。
韓国生涯学習研究フォーラム(第87回)Zoom会議・ホストページ(呉セヨン、200502)


4150号【2020年 4月28日】
■≪4・28「屈辱の日」≫
 今日(4月28日)の朝日新聞「天声人語」は,「4月28日は「よいにわ」の語呂合わせで「庭の日」だという」と、マンション・ベランダの花づくりなどを楽しく書いています。同じ朝、沖縄「琉球新報」は「4・28「屈辱の日」自己決定権の確立急務だ」と激しく主張しています(上掲)。朝日社説も5日前に社説「辺野古問題−県民不在、極まる暴挙」が注目されましたが(風4148号本欄コメント)、奇妙な落差。
 周知のように、1952年4月28日 サンフランシスコ講和条約が発効。日本はこの日に独立を果たしましたが、沖縄や奄美(1953年復帰)は日本から切り離され、沖縄は日本復帰まで27年間にわたり米施政権下におかれ続けました。この間に本土から沖縄へ多くの米軍基地移転。日本国憲法は適用されず、人権蹂躙問題も激発しました。過重な基地負担など現在の沖縄差別の源流ともなったこの日は「屈辱の日」と呼ばれてきたのでした。
 かっての大学キャンパスは、この時期、新入生が入学し連休を前にして楽しい雰囲気。新入生たちが先輩のアジ演説に誘われて、初めて街頭デモに参加するのが「沖縄デー」でした。「沖縄を返せ」もさかんに歌われ、沖縄復帰運動の列に加わる忘れ難い日となるのでした。今は姿を消した国際反戦デー(10月21日,「国際学連の歌」をうたった)デモもなどとともに、ときに記憶を呼びもしておきたい戦後学生運動史のひとこま。過ぎし日、この日をきっかけに、別人のような生き方を始めた学生を思い出します。
 さてコロナ蔓延の動きはどう推移するか。感染者の数字、一段落したような鈍化が報じられていますが、ご用心ご用心。今日のテレビは、沖縄・竹富島の子どもたちが必死のまなざしで、「どうぞ島に来ないでください」と訴えている動画を紹介していました。コロナ騒ぎがなければ、私たちも「やんばる対談」で名護入りする予定でした。

4149号【2020年 4月25日】
■≪ズーム編集会議のビール≫
 4月最終金曜日(24日)夜、私たちの研究会・定例日。しかしコロナ騒ぎで定例会は延期となり、今年の年報25号・編集会議のみ開かれました。はじめてのZOOMによる会議。もちろんTOAFAEC としても初めての経験です。上に山口事務局長メールもあえて掲載しましたが、楽しいひととき、いい会議が出来ました。本欄に記録として書いておきます。
 1ヶ月ほど前の、堀尾正靭さん(東京農工大学)からのメールを思い出していました。「・・・研究会もただ休会にされず、TV会議にされてはいかがですか? ただし、終わり方が問題で、普通に終わりますと、スイッチを切るときが白けた雰囲気になります。できれば各自ビールとつまみを用意して、乾杯し、そのあとは雑談といった感じでしばらく話されるのがいいでしょう」(風4139号)と。この箇所を妙に覚えていて、ZOOM会議では最初から缶ビールを手にしていました。話しながらでも、すこし体をずらせば、画面からビールは見えない。最初に私が発言したことは「皆さん、お手元にビールを」と。
 最初に飛び込んできた画像は、韓国から編集委員ヤンビョンチャンさん(公州大学)。お久しぶり、昨年11月の北京フォーラムでお会いして以来の再会。もちろん佐賀の上野景三さん、高知の内田純一さんの顔も。ズーム会議はいいぞ!と嬉しくなりました。
 午後8時に始まって、終わったのは10時をまわっていたような。ときどきビールを傾けて議論。微醺あり、発言はいろいろ、活発にしべりました。終わりの乾杯では私はすでに飲み干していましたが、カラのビール缶でも画面では分からず。この夜の反省は2本目の缶ビールを用意しておかなかったこと。皆さんお疲れさまでした。この夜、私に残された仕事は、九州大学・岡幸江さんに依頼すること、北京・韓民さんに最終段階での原稿催促、でしたね。ホームページ用に李編集長より記録をいただければ幸い。
 前号・八朔友二さんに出した「写真もありがとう」のお礼への返報。「こちらこそありがとうごじいました。昨夜の都知事の要請で「公園も通過する以外には行かないで」とあり、何ヵ月かは歌えない、欲求不満な日々が始まりそうです」(Fri, 24 Apr 2020)。

4148号【2020年 4月23日】
■≪もはや「辺野古が唯一」は破綻≫
 
4月も下旬というのに、昨夜の東京は冷雨でした。北では「山間部は雪が降るかも」の予報。寒気団がまだ居座っているらしい。しかし「花冷え」はもうおしまい、本日はまずまずのお天気でした。桜はすっかり終わりましたが、街路樹の花水木は開きました。今日はほんらい春らんまんの季節、なのにコロナの猛威のなか調子が出ませんね。
 「南の風」も行事・集いの中止お知らせばかり。いま「南の風」の歴史も終わったかなと思うときがあります。しかし気を取り直して、もしかすると、改めていま「風を吹く」意味があるのかとも。「緊急事態」のなかだからこそ、お互いの交流・通信をしっかり維持していく必要がありましょう。皆さん「風」への寄稿お待ちします。
 雑詠: 〇永らえてコロナ世代となりにけり(ぶ) 〇花ミズキ薄紅色に街笑う(ぶ)
 今日(4月23日)の朝日新聞社説は、一昨日の「辺野古の(軟弱地帯を含む)埋め立て工事の設計変更」を沖縄県に申請した件について、「この政権は沖縄を、そこで暮らす人々を、いったい何だと思っているのか」と激しく批判しています。新型コロナの感染者が急増し、県が独自に緊急事態を宣言した翌日のこと。首相自ら「何よりも国民の一体感」を求めながら、意図的に「対立と分断」を深め、地元自治体に「無用の負担と圧力をかけるという信じ難い行い」。しかも「驚くのは、新たに7万本を超す杭を水深70メートルの海底に打ち込もうとする大工事」、その膨大な経費・工期から考えて、この計画は破綻したと考えるのが至当でしょう。政治家も官僚も勇気をもって計画見直しを打ち出すことが出来ないのか、思考停止状態のあわれな政権。本号「おきなわ短信」には、同じくこの問題を取り上げた沖縄タイムス・コラム「悪魔の代弁者」を収録しました(上掲)。
 八朔友二さん(学芸大学卒、シンガー)から、花・歌の写真と軽やかな一文を頂きました(上掲)。ご存知・三々七拍子の名手、有難うございます。これからもときどきお願いします。

花に歌う、八朔友二(東京、2020年4月19日)


4147号【2020年 4月19日】
■≪今年のTOAFAEC 総会は・・・≫
 2020年度・日本社会教育学会六月集会(宇都宮大学予定)はコロナ騒ぎのため開催中止(上掲)、また北海道・東北から沖縄・九州にいたる各地で開かれる予定の各六月集会も今年は開かれなくなったそうです。もちろんこんな事態は学会始まって以来のこと。私たちのTOAFAEC では六月集会に合わせ、当年度「総会」を開く慣わし。このような事態をうけて今年はどうどするか、次号あたりにご案内が出るかと思われます。事務局で協議の上「会計報告」などどう行うか、協議いただければ幸いです。
 今日(日曜日)みなさん家にこもって時間があるのか、珍しい人からいくつも電話がかかってきました。沖縄から旧沖青協会長の東(あずま)武さん、福岡から(福岡少年院長を定年退職したばからの)白井健二さん、電話がまわってその同級生の川面久美子さん(小学校教員)などなど、懐かしい声ばかり。コロナに負けずに頑張れと激励を受けました。考えてみれば、みな六十歳以上のコロナに弱い世代ばかり。
 ホームページ表紙・写真を替えたのにお気づきでしょうか⇒■。奥多摩の山桜の1枚から楽しい花見の宴の写真を予定していましたが、コロナに飲み会の写真とは不謹慎?でもあり、「風の部屋」に飾っていた天狗のお面の写真へ。この天狗は(記憶をたどれば)古稀の祝い(2008年)の席で、東京農工大学・堀尾正靭さんに頂いた記念の逸品。「コロナよ、去れ!」と言わんばかりの睨みが見事。
 1号お待たせした大阪音楽大学・大前哲彦さんの「京都の社会教育実践・回想」連載が始まっています(冒頭記事)。楽しみです。ご自由にお書きください。全体のタイトルなど、こちらで仮につけたもの、ご修正ください。

4146号【2020年 4月17日】
■≪ひとりオコゼを肴に酒を飲む≫
 前号収録 <医療現場から・・緊急事態! 拡散依頼>について、信州の木下巨一さんから「このメール、フェイクニュースであるということがすでに巷で明らかになっている」ご指摘あり(上掲)、山口真理子さんから(調べていろいろ分かってきて)「申し訳なく・・・前号メールの拡散はとめていただきたい」旨の返信をいただく経過となりました(関連・上掲)。いろんなことがあるもの、木下巨一さんに感謝、山口真理子さん、お疲れさまでした。
 この問題は昨日(6日)朝には決着していたことでしたが、風・本号の発行が1日遅れとなってしまって申しわけありません。実は税務署・確定申告の最終締め切りが昨日5時(例年より1ヶ月猶予)、ギリギリまで作業をして税務署へ。すっかり疲れ果てて帰宅。ひとり夕食に、折よく入手したオコゼ1尾の煮つけ(手元のそら豆、糸こんにゃく、それにマカレイも一切れ入れた妙な料理)がまずまずの成功。いやな申告作業(3日がかり)のあと、疲れなおしのお酒も飲んで、ぐっすり寝こんでしまいました。本号が今日の発信となったこと、お許しください。
 折しも大前哲彦さん(大阪)から、再び「2匹目の蝶の羽化」のビッグニュース。コロナも近寄りがたいアゲハの雰囲気ですね(写真・添付)。実は大前さんから回想「京大教育学部社会教育講座と大学紛争」をいただいていたのですが、驚きの蝶の羽化に敬意を表し「回想」は次号おくりにさせていただきました。ご了承を。
 「医療現場から」のフェイクニュース騒ぎで、本号は長くなりました。連載「おきなわ短信」(1535)「万国津梁会議」も次号まわし。島袋セイビンさんや武田拡明さんの名護からの便り・レポート(年報投稿記事)が冒頭に載りましたので、「南」から吹く風の面目を保つことが出来たからです。また久しぶりの遠藤輝喜さん(事務局次長)の渋谷区報告、ありがとうございました。
大前さん「蝶2匹目の羽化」(200414)


4145号【2020年 4月12日】
■≪急をつげるコロナの動き≫
 新型コロナの猛威、連日の緊迫した動きに追われて、「南の風」もリズムをこわし、本号発行は思いもかけず1週間の間隔となりました。急を告げる日赤医療センター(東京広尾)医師からの拡散依頼メール(上掲)などを読むと、いよいよ東京も医療崩壊シナリオに入った様相。なんとか頑張ってほしい。日本の医療体制は進んでいる、実際に長期入院し再生復帰の経験をもつ身として「医療崩壊」の事態を知らされることは残念至極。
 各国そして日本各地のコロナ感染者・死者数、その増加カーブを緊迫した思いで見つめる毎日。なぜ米国は爆発的に数字が動いているのか。すでに感染者50万人、死者はなんと!2万人ちかく。その4割がニューヨークらしい。スペイン・イタリヤ・フランスなど10万人をこえる(英国も8万人の)感染者、死者数はその1割をこえるのにドイツはなぜ死者数が少ないのか(わずか2%)。きっと医療崩壊を食い止めているのだろう。中国の数値が思いのほか少ないのはなぜ? 韓国の1日2万人をこえる検査体制は驚異的な数字、そしてベッド数充実とのこと(朝日4月3日記事)などなど。北半球に蔓延した新型コロナは、これからさらに南半球に向かうらしい。ますますWHO 役割が問われることになるだろうに、米国との確執が伝えられ、今後どうなることか。
 5月予定「やんばる対談」はさらに延期といたしました。上掲したように次の予定は今の段階では決めることができません。やんばる対談では、その前日の那覇(おきなわ社会教育研究会)交流会、当日の名護公民館の歓迎会など「密集」して杯をかわす慣わし。ゆっくり膝を交えて飲むことができる日まで待つことにいたしましょう。
 コロナ騒ぎの中でも年報『東アジア社会教育研究』(25号)編集は予定通り進められます。自由投稿の締め切りは4月17日(金)。「本誌の編集方針に賛同するものは誰でも投稿することができる」(投稿要領1)の趣旨。コロナに負けず充実した投稿を期待しています。⇒■http://www.bunjin-k.net/25gou.htm

4144号【2020年 4月6日】
■≪4月スケジュール延期≫
 新型コロナウイルスへの感染拡大をめぐって、日本政府は「緊急事態宣言」に踏み切る動き(7日予定)、東京など首都圏でもあわただしい状況です。TOAFAEC としても、4月予定スケジュールの見直し・中止(上掲・山口事務局長メール)、また年報(25号)編集をどう進めていくか、李承連編集長を中心に対応が練られています。皆さん、ご苦労さま、どうぞよろしくお願いします。
 5月「やんばる対談」についても、まだ名護側と相談していませんが、いまの雰囲気ではそのまますんなりと実施できるかどうか、方向は定かではありません。新型ウイルスとの闘いは、国際的ひろがりで長期戦の様相。沖縄の動きを聞きながら、会場側・島袋正敏さんと相談してみます。
 本号には、堀尾正靱先生から新型ウイルスに感染されたお仲間の貴重な臨床体験記録を送っていただきました。「コロナウイルスに感染した体験記を転送してくれました。ご一読ください。つくづく、感染しない徹底した努力が必要だと思っています」(添付)と。
話題かわって、大阪の大前哲彦さんより、当方の提案(風・前号本欄)について、次のようなご返事。「・・・非常に有り難いご助言を頂き、感謝申し上げます。青春教室の報告以降、三多摩テーゼ等の動向から大きくおくれた関西、京都での試行錯誤の取り組みを思い返しにチャレンジしてみたいと思います。先ずは、お礼まで」(Sun,05 Apr 2020 10:56)と。あまりご負担のないように、お気軽にお願いします。まずは前半のみ。小生の記憶では「越中おはら風の盆」についての造詣も並々ならぬもの。また何よりも京都という旧首都と「町衆」文化と(むしろ農民啓蒙的な)公民館構想とがどのように対峙したのか、など一度じっくりと語り合ってみたいことがいろいろ。楽しみにしてきました。

4143号【2020年 4月3日】
■≪4月・編集委員会・定例会をどうするか≫
 4月・桜の季節、新年度の幕開け。しかし残念ながら新型コロナウィルスの蔓延により、諸行事の延期・中止相次ぎ、あちこちで嘆き節・恨み節。さてTOAFAECの恒例4月行事はどうするか。山口真理子さんより再検討の伺いメール。これに応えて、李正連(編集委員会)、江頭晃子(定例研究会)のお二人より、折り返しのご意見を頂き、上掲しました。
 他の皆さんのご意見は如何でしょうか。一両日中に諸意見を受けて、次号にあらためて山口事務局長より「4月スケジュール」の方向を掲載頂きましょう。それを受けてホームページにも書き込むことに致します。5月以降の「やんばる対談」や年報25号編集の進め方も気になるところ。お気づきのこと、あわせてご提言いただければ幸いです。
 「年報25号・自由投稿」の呼びかけ、積極的にまわりの皆さんに拡げてください。
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 江頭晃子さんのメールには、ぶんじんの健康維持について、いつもながらの叱咤激励!を有難うございます。お見通しの通り、不規則生活・食事不全・運動不足、例年にも増してひどい状態。なにしろ花粉症の身、今年はとくに咳・クシャミひとつ許されませんから、神経的に参っています。しかし4月の声聞けば、花粉症から少しづつ解放される。気持を新たにして、お陽さまにもあらためてお目通りしたい、やんばるの風に早く吹かれたいと念じている毎日です。
 上記の諸メール来信に交じって、大阪の大前哲彦さん(大阪音楽大学・大阪体育大学を退任)より、京都時代の実践記録(素描)「青春教室の記録化]と題する一文が送られて来ました。前史としての1950年代の終わりごろから京都・東九条の子どもたちとの取り組み、1960年代の青年の識字学習の活動、その実践記録化の「粗描」です。本号には載せきれませんので、次号に掲載することにします。京都の地域実践の記録、貴重です。かっての「自治公民館」研究の時代等にもひろげて、10回ほど(案)に分けて、風に投稿いただけませんか?

4142号【2020年 3月31日】
■≪突風・逆風・つむじ風も風の賑わい≫
 北海道・置戸町の森田はるみさんから、4月復職に向けて置戸町に戻られた旨のメール拝受(上掲)。文末に「私信の要素が多いので、全文掲載はご容赦を」との添え書きがあり、迷いましたが、ほかならぬ森田さんからのご挨拶、復帰は何よりの慶事と、一部のみ略して、ご紹介に及びました。お許しください。その後の「事故」(転倒)の後遺症は如何?かと気になっていますが、人生いろんなことがあるもの。再び普段の面白い歩みに戻られることを祈り、置戸に戻られたことにお祝いを申しあげます。一安心しました。
 年をとると、今回のウイルス騒ぎなどとくに、年寄りへの特別の目を感じますが、もともと「枯れ木」のように山の風景の端っこにひっそりと立っていたいもの。それでも「山の賑い」だと古人は言い慣らわしてきました。風にも、ときに突風あり逆風あり、またつむじ風も舞うだろう、それもまたそれぞれの山の風景。地球はそんないろいろな風に包まれて動いてくものでしょう。
 今日は3月31日、年度末・異動の日です。実は風はこの日を待って、本号発行を1日のばしにしてきました。この日に定年を迎えられた方、よくぞこの年まで頑張ってこられた! 人生の大いなるお祝いと言うべき。上掲・瀬川理恵さん(横浜市役所)、おめでとうございます。コロナ騒ぎがなければ3月定例会・イーストビレッジ(3月27日予定)で、お祝いの杯をあげていたはずなのに・・・残念です。TOAFAEC 代表も大学を移られるとか。定年ではなく移動の由、ご挨拶をお待ちしています。
 本号冒頭の記事。小林茂子さんが新しい本を出版されました。余人には書けない「南洋群島の教育史」。いい本のご出版、おめでとうございます。小林茂子さんとは中央大学・大学院ゼミでのご縁でした。ゼミ当時は、沖縄の移民研究に集中され、地味な実証的作業
を重ねてドクター取得。今回は「南洋群島」をテーマとして新しい本をつくられました。興味深く拝読しています。今回の出版が「植民地教育史ブックレット」(日本植民地教育史研究会、風響社)として出版されているところにも大いなる関心をもちました。

4141号【2020年 3月26日】
■≪三月の悲劇≫
 戦争下、最後の1945年。3月は悲劇の月でした。ぶんじんは旧制中学2年、頭に(学帽ではなく)軍帽をかぶり、足にゲートルを巻いて、日本陸軍(需品廠)の使役に駆り出されていました。朝鮮半島から連れてこたれた青年たちと一緒に駅から耳納山中への荷物運びの毎日。その頃、沖縄戦の開始を予兆するかのように、アメリカ空母から発進する艦載機グラマンが九州の空を乱舞し始めていた記憶。
 沖縄では75年前の今日(上掲・琉球新報コラム)、米軍の本島上陸の先駆けとして西方の慶良間諸島(座間味・渡嘉敷など)への艦砲射撃が始まっています。29日には慶良間諸島のほぼ全域を米軍は手中におさめた一方で、住民側では凄惨な「集団自決」(強制集団死、座間味・渡嘉敷島の住民700人)の悲劇がおきました。米軍は4月1日に沖縄本島へ上陸。
 調べてみると、直前には太平洋・硫黄島で日米の激闘。日本守備隊は“玉砕”(2万3000人全滅)したのでした。日本国内では東京大空襲(3月10日、死傷者12万人)、同14日には大阪空襲(13万戸焼失)など「戦災」悲劇が拡がった月でした。少年B たちは当時まだ戦争悲劇の実感は少なく、硫黄島“玉砕”を美化し、今から考えると不思議なくらい元気。朝鮮の青年たちから「ありらん」「とらじ」の歌を教えてもらって、みんなで歌っていた複雑な記憶が残っています。
 本号は、数日後に発行する予定でしたが、小田切督剛さん紹介の北海道放送制作「ヤジと民主主義」(本号冒頭メール)が「HBC・公式無料配信終了の3月31日(火)迄にご覧ください」とあり、韓国研究フォーラムの皆さんから来信のメールなど含めて、急ぎ本号を編集しお届けします。珍しく連日配信の「風」となりました。

4140号【2020年 3月25日】
■≪コロナウイルス騒ぎ、諸事うまくいかず≫
 コロナウイルス騒ぎ、この間の学校休校・集い活動の自粛要請の流れとともに、メールの送信がウイルスを運ぶわけではないのに、風・送信も勢いを失い、各位からの送稿も滞りがち。速報性を誇ってきた「南の風」としても珍しく1週間のご無沙汰、反省しています。本欄所収の皆さんのメールも旧聞に属するかたとなり、お詫びします。
 おかしなことですが、この間、連動するような感じで、ぶんじんのスマホが行方不明となり、またパソコンの調子が悪く、アップアップしながら、本文を書いている始末。ものごとは妙に連動するものか?皆さんもご用心を。スマホは先ほど座っているソファの下から、4日ぶりに発見できましたが。
 1ヶ月前の計画では、この時期、しばらく行く機会がなかった福岡・油山の寓居に行く予定でした。空を飛ぶか、久しぶりに新幹線に乗ってみるか、無人の家の管理を頼んでいるかたちの農中茂徳さんに連絡をとろう、などと楽しんでいたのでした。そんな時に新型ウイルスの騒動が始まったのです。急遽、2月定例会(じんぶんヒストリーW)の延期を決め、ホームページにお詫び・新案内の書き込みなど。そのときは2〜3週間のことだ、3月定例会はきっと大丈夫、そんな心づもりでしたが・・・東京も爆発的なウイルス蔓延が始まるかも、という不気味な雰囲気です。北京や上海、そして韓国の友人たちはどんなご様子ですか? 台湾は、コロナウイルス対応として、封じ込めに成功!しているらしいとのニュースが流れてきて、ご同慶のいたり。武漢のコロナ終息の取り組みもまた見事だったようですね。諸事自粛のふんいきのなかで、韓国研究フオーラムのメールがにぎりゃかに飛び込んできました。次号へ。板橋区・的野信一さんのご依頼(上掲)、関本さんにつなぎます。

4139号【2020年 3月18日】
■≪「退任のご挨拶」に思う≫
 新型コロナウイルスの拡がり、世界的規模で各国それぞれに国を閉ざし、国内的には諸活動を制限して、いまや戦争中のような事態となりました。これからどんな動きになるのか。数ヶ月ずれていれば、私たちの東アジアフォーラムも巻き込まれるところでした。それぞれの分野で、自分たちの活動をどう取り戻していくかが課題となりますね。
 堀尾先生たちは、メッセンジャーなどを使って「会議を結構やっています」(上掲)とのこと。終わりには「各自ビールとつまみを用意して、乾杯、そのあとは雑談」とか。なるほど。いちど試してみたいもの。4月の定例会など。しかし5月「やんばる対談」あたりは、やはり「やんばる」の風に吹かれたい。山口さん(事務局長)は、もう那覇のホテルを予約されたそうです。活動を取り戻そう!沖縄行き、ぜひ実現しましょう。
 3月は異動の季節。国立大学協会で約5年間,格闘された山本健慈さん(同・専務理事、もと和歌山大学長)から、退任「ご挨拶」をいただきました(上掲)。まことにお疲れさまでした。型どうりのご挨拶ではなく、率直な思いのこもった文言。寸言のなかに万感の思いが託されて、本号を編集しながら、充実感がありました。学術・大学「衰退の原因は、この社会を支配している人たちの在り方にある」と。それは「知性でなく反知性、法ではなく脱法、不法、論理でなく詭弁、そして倫理の喪失。これが衰退の原因のすべて」だと。さらに続けて「この社会が正気に戻る必要があり、今後は、詭弁を弄し、倫理を失った人々を退場させ、この社会に正気を取り戻すべく尽力したい」との思い。深く同感、心打たれるものがありました。
 類似のことを、社会教育についても感じています。戦後日本の社会教育にいささかの躍動があったとすれば、それはやはり戦後社会のデモクラシーやリベラリズムの胎動と関連があるだろう。現今の社会教育の目にあまる「衰退」傾向は、この社会のデモクラシーの退行によるのではないか。社会教育を維持発展させる上で求められる国家政策の解体・壊滅状況にどう抗していくか。韓国と対比しながら深く憂慮するところがあります。私には残された歳月はあまりありませんが、社会教育の再生を期して微力を尽くしたい、その再創造の運動に参加していきたいと思っています。

4138号【2020年 3月14日】
■≪大阪・人生をきりひらく識字学習≫
 いま3月14日午後3時、東京永福あたりは雪が舞っています。昨日は15度をこえる温かさだったのに、今日明け方は5度まで冷えて、午後には雨からみぞれまじりの雪へ。今はボタン雪となって、にぎやかに降っています。個人的には今年の初雪。世界に蔓延しはじめた新型コロナウイルスを吹き払うような、清らかな白い雪片。雪よ!降れ!の思い。
 「雪は降る あなたは来ない」という歌詞もふっと思い出されます。いろんな集いが中止・延期されて、寂しい毎日。「あなたは来ない」「どこに行ったの」の心境。南の風にも訪れる人少なく、本号の発信も1日のばしにしていました。上掲内容も、ご覧の通り3月定例研究会・中止のお知らせと、「やんばる対談・5月へ延期」の内容。なんとも冴えない、元気の出ない毎日ですね。
 そんななか、大阪の森実さん(大阪教育大学)から『人生をきりひらく識字学習』(大阪市内識字・日本語教室連絡会発行、大阪教育大学協力、編集は菅原智恵美・森実のお二人)。今年2月の発行、販価はなんと!500円(判型A5版、135頁)。森さんが「おわりに」を書いておられます。同封のちらしには「・・・学習者から出発し、教室参加者みんなの対話と協働で作りあげる20の実践です。理論的な解説や枠組みもあります。識字だけじゃなく、学校教育にも十分役立つ冊子です。新しい活動を創造するために、ぜひご一読ください!」と。森さんにご連絡すれば、入金方法(本代+送料)を含めて、送本していただけますか?
 「月刊社会教育」の沖縄・読む会・連絡ページについて、町田・松田さんよりお尋ねがありました。沖縄大学・平良研一さんと連絡が取れましたので、電話を添えて「連絡先」とさせていただきました。
 雪はまだ降り続いて、まわりの屋根がすこし白くなってきました。雪はイヤな花粉も抑えてくれるし、きっと新型コロナも吹き払ってくれる?と期待して・・・。積もるかな?

4137号【2020年 3月10日】
■≪集い中止・延期相次ぐ≫
 来信の案内・連絡などは(一部をのぞいて)集いの中止や延期についてばかり、南の風としても元気が出ません。ここには載せていませんが、学会・プロぜクト研究や大学・卒業式なども中止の連絡。2003年のサーズ(SARS)新型肺炎騒動のときと比べて、今回は異常な事態となりました。逆に日ごろの「南の風」発行は、活発な社会的な活動が健康に機能していることの反映だ!ということをしみじみ実感しています。
 残念ながら、TOAFAECの3月定例研究会も延期の方向。なにしろ会場の杉並・高井戸地域区民センターが「3月9日(月曜日)から31日(火曜日)まで臨時休業」のニュース、次号で事務局よりご連絡が出ると思います。また4月第二週に開催を予定していた名護「やんばる対談」についても、5月延期の意見多く、島袋正敏さんと最終協議の上、あらためて次号に新日程を載せることにします。
 『月刊社会教育』の終わりの頁に各地の「月刊社会教育・読む会」の案内が出ています。沖縄「読む会」について、最近は連絡が取れないとの問い合わせあり、久しぶりに平良研一さん(沖縄大学)と電話でお話しする機会がありました。新しい連絡先を担当?の町田まつだひろゆきさんにご報告できる見込みです。
 あまり楽しくない毎日。されど季節は確かな足取りでめぐってきます。もうすぐ桜の季節。ホームページ表紙に雪の富士山の写真を掲げてきましたが、思いも新たに花見の写真に差し替える時期になったようです。所蔵アルバムのなかから桜の写真を一つ選ぶ楽しみ。そうだ! 「ホームページ」について新しいご案内を載せるお約束もまだ果たしていないことも思い出しています。本号には久しぶりに平井(園田)教子さん(もと鶴ヶ島市役所)よりのメール。有難うございました。

4136号【2020年 3月5日】
■≪李白「一杯一杯また一杯」≫
 本郷冒頭記事、久しぶりの大前哲彦さん(もと大阪音楽大学)からのメール「雛祭りにアゲハ舞う」は秀逸でした。蝶のもたらす吉兆、あやかりたい、あやかりたい! アゲハの写真も添付しました。
 さて、3月から5月にかけてのTOAFAEC スケジュール。2月は中止・延期を強いられましたが、可能な範囲で見通しももっておきたいもの。まず、3月の定例研究会(3月27日・金の予定)、高井戸区民センターは開いているそうですから(上掲・山口メール)、2月に延期した分のプログラム(ぶんじんヒストリー・第4回)を組む流れでしょうか。インタービュワー予定・上野景三さん(佐賀)ご都合は分かりませんが、また、これからの新型コロナウイルス感染の状況も気にかけながら、決めていきましょう。
 続いて4月11日予定の「やんばる対談」をどうするか。5月連休明けに延期の線を島袋正敏さん(名護)と相談しましたが、山城千秋さん(熊本大学)は都合つかないらしい(上掲)。那覇・名城ふじ子さんは「5月に延ばした方がいいのでは?」のご意見(電話)。フライト予約の関係もあり、そろそろ決めなければなりません。参加予定の他の方々のご意見は如何でしょう?
 3月から4月にかけては、1年のなかでも最も思い出深い季節。人との別れ、そして出会いへの期待。そこにはもちろん花があふれ、そしてお酒はつきもの。中国の詩仙と称された李白は、「山中に幽人と対峙」すれば「山花開く」と。そして「一杯一杯また一杯」と酒を勧めました。日本の作家・井伏鱒二は、「勧酒」(于武陵)の抄訳として、「ドウゾナミナミツガシテオクレ ハナニアラシノタトヘモアルゾ  「サヨナラ」ダケガ人生ダ」と歌いました。コロナウイルス如きに、この大事な季節を奪われてなるものか。
 大前さんの「雛祭りに揚羽の舞う」メールに誘われて、ひととき詩人と遊びました。
雛祭りにアゲハ舞う(大前哲彦、20200303)


4135号【2020年 3月1日】
■≪年報25号編集作業始まる≫ ●25号・自由投稿呼びかけ
 今日は韓国では三一(サミル)節。1919年、日帝支配下におきた民族独立運動、いわゆる独立万歳運動を記念する国慶節。1990年代の(東京学芸大学)小林ゼミではこの日をはさんで韓国訪問を企画した一時期がありました。ソウル「パゴダ」公園で韓国の老人から「お前たちは日本の学生か」と呼びかけられたり、プサンのある広場の文庫で「なぜこの日に私たち(読み書きができない)はハングルを学ぶのか」という話を聞いたりことがありました。また一昨日の2月28日は、台湾で反(国民党)政府暴動で約3万人が犠牲になった日(1947年)。東アジアの民衆史・近代史のなかで大きな出来事があった記念すべき日を忘れないようにしようとと語り合った日もありましたね。
 さて、2月28日には予定通りTOAFAEC 年報編集委員会(第2回、風の部屋)が開かれました。活発な論議で始まり、特集テーマや主要な枠組みが話し合われました。李正連編集長から早速の編集会議報告、そして自由投稿の呼びかけ(上掲)。ご苦労さまでした。特集テーマに関連して、執筆予定者の打診が始まり、川崎の生涯学習計画づくりに関連して懐かしい寺内藤雄さんからのメールと頂きました。旧自治労時代、社会教育学会の有志とで協議した「臨調行革下・社会教育についての七つの緊急提言」(1986年)あたりからのお付き合いか。30年余の懐かしい歴史を思い起こしました。
 あと一つ、名護の島袋正敏さんと「やんばる対談」日程について再調整の電話協議。4月上旬の予定(南の風4131号既報)で大丈夫?と思われますが、大事をとって1ヶ月ほど延期する(5月連休後)案について・・・を話しあっています。皆さんのご意見・ご都合をお寄せいただけると幸いです。

4134号【2020年 2月26日】
■≪明後日の研究会延期・編集委員会の変更≫
 本号は、昨今の新型肺炎コロナウィルス感染拡大にともなう定例研究会(2月28日予定)延期、関連して年報25号編集委員会の変更(同28日・規模縮小、会場「風の部屋」へ)の急ぎお知らせ号となりました。ホームページにも関連個所に研究会中止、編集委員会変更を書き入れ。文字通りの急告!なにしろ明後日に迫っていた日程、まわりの方にもご周知いただければ幸いです。
 上掲・上野景三さん(インタビュアー予定)メール「じんぶんヒストリー(第4回)に向けて」は、延期お知らせ直前に「ぶんじん」あてに届いていた私信です。念のため風に載せておくことにしました。1970年代と言えばすでに半世紀前のこと、少し思い出し作業をしなければと考えていた矢先のこと。聞いていただく方もあるのかと、若い日の情熱を懐かしんでいた1日でした。
 以前のSARS(サーズ、2003年)騒ぎでは気づかなかったこと。今回の新型コロナウィルス感染者とくに死亡者のニュースを目にすると、まさに80代が多い。当然ながら、しかし愕然とします。こちらは九十路を目前にした老残の身、若い世代よりも10倍いや20倍も死亡率が高いのですね。私の体調へのご配慮(上記・江頭メール)、まことにありがたいこと。あの頃は若き情熱・意気込みをもって、体を厳しく酷使しても気になりませんでしたが、今はご指摘の通り「体調管理」こそ第一!です。「リスクが高い高齢者」、しかしその意識・自戒はなかなかもてない。ついつい「若い情熱」を回想する、老残に慣れない毎日。

4133号【2020年 2月23日】
■≪中国・武漢への思い≫
 前号本欄のうっかりミス(長春・孫冬梅さんお名前の誤記,「2月28日」研究会・編集会議の日付ミス)について、小田切督剛さんより <本欄はホームページに掲載されると思うので取り急ぎ御連絡> との有り難いご指摘、感謝!です。発行人はもはやホームページや通信等の細かな作業に堪えない「枯れ木」状態、それでも「山の賑わい」と老骨を動かしている昨今。目が薄く頭も鈍化して・・・ミスは常態化。とくにホームページへの誤記は何より避けたいところ、有り難いプレゼントでした。直ちに訂正作業をしました。他の皆様も、お気づきの際には(とくにホームページ)労を厭わず、ご連絡をお願いできれば幸いです。
 新型コロナウイルスの襲来、1千万人を超える大都市(武漢市)を完全閉鎖した中国の強権。それも政治警察権力だけでなく、市民を規制するのは「共産党の指揮系統の末端に連なる」自治会組織(2月23日・朝日記事)、居民委員会等の役割が指摘されていて興味深いものがありました。今日の日曜・朝日俳壇・歌壇は、中国への懐かしい思い出をうたった歌がいくつも採用さていました。重慶から武漢へ下る三峡下りを詠む「懐かしや武漢へ春の川下り」。中国での酒飲み「海量(はいりやん)」を想い出して「酒好きのわれ海量と呼ばれたり中国滞在の日々は楽しき」など。「南の風」にもメールアドレスに「hailiang」を使っていた人がいますね。
 そう言えば、武漢は日中戦争のさなか、南京のあと「武漢作戦」(1938年)が闘われたところでした。日本軍は徐州から武漢まで大規模な作戦を展開(同時期に広東も占領)、しかし終結への道筋がつかない(中国国民党軍の必死の抵抗による)泥沼戦争に引きずり込まれた節目の作戦となったところでした。

4132号【2020年 2月18日】
■≪久しぶり、風の部屋の賑わい≫
 いよいよ花粉症の季節到来。2月16日に少し外出しただけで、道中でクシャミ・鼻水を頻発。いま人前ではなかなかクシャミが出来ない(新型ウイルスへの疑惑?)。例年より花粉症は激しいのかも。ご同病の皆さんは如何でしょうか。まずお見舞いいたします。
 昨日(2月17日)の「風の部屋」(東アジアフォーラム・松本開催について論議)の集いではクシャミを心配して座に連なりましたが、なんとか大丈夫でした。同じ花粉症の黄丹青さんもマスクで登場、よくお出で下さいました。
 風の部屋は久しぶりに賑わいました。仙台から石井山竜平、なんと!中国東北(長春)の孫冬梅、筑波から上田孝典、東京の李正連などの皆さん。(李さん以外の皆さんとは)昨年11月の北京フォーラムで別れて以来の顔合わせ。積もる話はいろいろ。そして呉世蓮さんから当日元気に飲み干したワイン・ビールのカラ瓶・あきカン8つの写真。有難うございました。下に掲げました。
 皆さんともに活発に論じあって何より。皆であれこれ語り合ったこと、上田孝典さんが整理して「風」に報告していただけるものと期待しています。来る2月28日・年報編集会議でも、関連して提案が行われるのではないでしょうか。今年の大仕事、楽しみです。
 最近新しく風に参加された方から、本ホームページ(URL: http://www.bunjin-k.net/)について、お尋ねがありました。解題めいた一文を書き始めましたが、長くなって・・・。次の機会に載せることにします。TOAFAEC /ぶんじんの二つのホームページの側面あり、これまでの経過も含めて書いているうち長文となり、いずれかの機会に改めて。言い訳まで。
最後に残った3人(呉・李・ぶ)とワイン+ビール各4 (風の部屋、20200217)


4131号【2020年 2月14日】
■≪横浜・クルーズ船に南の風メンバー≫

 本号の「おきなわ短信」コラム、沖縄タイムスだけでなく、琉球新報も同じく「本部町健堅の遺骨発掘」を「今と未来を考えたアジアの若者の姿」として、日韓台の若者たちを報じています。敵と味方、支配と被支配の関係にあった若者が、歴史を超えてともに戦争の遺跡、遺骨発掘に取り組む姿、語り継ぎたいコラム記事。本号は沖縄タイムスを収録。
 ところで、最近のTOAFAEC ホームページは、スマホで開く機会が増えて、写真などを含む容量の大きなページは、重くて開きにくい、なんどクリックしても反応しない、またぺージを制作する発行者自らもスムースな編集ができにくい、そんな状況が増えてきました。古いページを軽量化する手間はありませんが、新しいページは軽いうちに更新する判断が必要になったようです。むしろ遅きに失した感あり。本ぶんじん日誌も、これまでのように50号おきでなく、30号あるいは40号で新ページに更新する方針に切り替えることに。
 とくに4100号(昨年11月〜)からの前ページは、上海・北京と旅した写真も多く、この1月には松本行きの写真も加わりましたので、本号(4131号)から新しいページに移ることにしました。ご了承を。これまでの頁(⇒■http://www.bunjin-k.net/minami4101.htm)ご愛顧に感謝し、新しいページもまたどうぞよろしくお願いします。本号日誌が新ページの最初を飾る記事となります。
 新型肺炎ウイルス、まだ終息には至らず。国内初の死者も出て、ピークは今月末かなどの報道あり。皆さんご用心! 横浜の大型クルーズ船乗客に動きあり。「船内隔離生活者支援緊急ネットワーク」の代表として、札幌の千田(ちだ)忠さんのお名前がネットにも登場しました。最初は同姓同名の別人かと気にもしませんでしたが、どうも南の風メンバーの千田忠さん(酪農学園大学名誉教授)らしい。ときどき風に来信ある方、2009年7月には、故黄宗建先生の墓参にも参加された方。ソウルの国家平性教育振興院を訪問した折の写真を掲げておきます。前列に左より真壁繁樹さん、故伊藤長和さん、朴仁周院長、その右に小林、金信一もと副総理、その隣り(右端)に千田忠さん。早い解放を祈っています。
故黄宗建先生の墓詣り・平生教育振興院訪問、前列・金信一元副総理の横に千田忠さん・右端 (20090727)
 関連写真:2009年韓国訪問・交流の記録・写真⇒■http://www.bunjin-k.net/kankoku2009.htm



*4101号〜4130号→(前ページ)

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