【南の風2019/2020】 4101号〜4150号
各号目次・後記(ぶんじん日誌)
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【南の風2019】4101号〜4150号・目次一覧(進行中)

4101号【11月 7日】11月定例研究会案内、町田とびたつ会、首里城、占領期奄美・沖縄青年団資料集
4102号【11月10日】上野英信『眉屋私記』、義務教育拡充議員連盟、沖青・機関紙発見、上野英信さん
4103号【11月14日】平久保歌碑、全国夜間中学キャラバン、なぜ明るいのか、上野英信さん33年忌
4104号【11月19日】11月0定例会(再)、映画こんばんはU集い感想、町田、英信さん記念展、上海へ
4105号【11月26日】帰国御礼、88歳お祝い、台湾と八重山、29日定例会参加、中国の皆さんに感謝!  
4106号【11月28日】米寿お祝い、中国行きに参加して、香港・区議会選挙の分析、首里城、北京秋天
4107号【11月30日】11月定例会、北京報告書、上海より、浦添、三池・与論からの移住120年、リンゴ
4108号【12月02日】北京・研究討議内容、次年度は日本、嘉手納基地の爆音、最終夕食会の写真2つ
4109号【12月04日】宮古・池間島、映画「こんばんは2」トーク、竹富島を守る会・反訴、訃報は突然に
4110号【12月07日】野々村恵子さんを偲ぶ、月刊社会教育、町田、中村哲さん、中国パワーに囲まれて
4111号【12月12日】2020新年会案内、上海訪問報告1、上海研究交流一覧、離島差別(八重山日報)
4112号【12月14日】上海報告2、川崎市ヘイトスピーチ禁止条例を可決、照明弾が降ってくる、上海交流
4113号【12月16日】「対馬宣言」、草の根交流へ、上海h報告3、辺野古・土砂投入1年、朝日新聞社説
4114号【12月20日】辺野古土砂投入、町田、「対馬宣言」、 「カムイ」と「ちゅら」、李熙洙氏、海上行動
4115号【12月23日】12月定例会(再)、「対馬宣言」、現代の防空、新潟県魚沼市、冷たい椅子に座る
4116号【12月27日】2020東アジア・フォーラム、松本で受け入れ検討、小地域での活動(資料)、年の暮れ
4117号【12月30日】野々村恵子さんを偲ぶ集い報告、辺野古埋め立て中止を、追手門学院大学、歌い納め
2020年
4118号【 1月2日】上海、広東省、日中学院、大分、稲嶺進さん講演会(川崎、1/18)、戦後75年の道
4119号【 1月5日】上海よりご、風に参加、明星大学、私たちは諦めない/沖縄タイムス、渋谷区、新年会
4120号【 1月7日】国立大学協会、21世紀夜間中学(1)、奄美沖縄の青年団資料集刊行、新年会終わる
4121号【1月10日】稲嶺進講演会(再)、夜間中学(2)、町田、故翁長知事、平久保歌碑、沖縄に豚コレラ
4122号【1月15日】1月定例会・編集会議(1)案内、多文化共生・子ども貧困研修会、北海道新聞、松本へ
4123号【1月19日】年報編集(再)、第6回識字日本語研究集会、沖縄の豚、東アジアフォーラム、松本報告
4124号【1月23日】松本から報告、とびたつ会、首里城敷地内・沖縄戦の遺跡、松本社会教育との交流史
4125号【1月27日】2020年・公民館学会・東アジアフォーラム開催、沖縄・旧正月と豚、松本訪問アルバム
4126号【1月 日】

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南の風・各号後記(ぶんじん日誌)


2020年
4126号【2020年 1月 日】



4125号【2020年1月27日】
■≪松本訪問アルバム≫
 本号は長文の木下巨一さんメール、FaceBookに載ったものです。先日の松本訪問の詳細な内容が(前号の矢久保メールに引き続き)まとめられていますので、記録として転載させて頂きました。
 木下さんは(社会教育・公民館関係者はよくご存知のように)もともと飯田市で仕事をしてきた方、今は「長野県生涯学習推進センター」所長として、また日本公民館学会理事として活躍中。南の風でもかなり古いメンバー、福岡油山の寓居にもお出でいただいたことがあります。最近、FaceBookへの投稿が主で、内田光俊さん「公民館の風」でよく紹介されています。そのお株を奪うような誌面づくりで申しわけないのですが、TOAFAEC のこと、東アジアフォーラムとも関連する内容ですので、ご容赦ください。
 16〜17日の松本では、矢久保さんとご一緒に駅で迎えていただき、また翌日は改札まで送っていただき恐縮しました。学会のことや東アジア研究について、少しお話する時間がありましたが、また次の機会を楽しみにお別れしました。本号所収の公民館論についても、さらに議論を深めていければ幸いです。
 写真も掲載されていましたが、本号には矢久保さんから別送された画像を2枚いただきました。松本大学でのご挨拶と、手塚さんと何か議論しているもの、久しぶりにお互い元気で語りあえる喜びを実感した一夜でした。
 「健康診断しない、医者にかからず薬ものまず」と豪語していた手塚さんが、今回「2週間ほど入院した」話を聞きました。毎朝(ぶんじんとは対照的に)3時か4時に規則正しく起きて、往復4キロの早朝ウォーキングを重ねている人も、やはり80歳の坂を超えると入院もあるのかと興味深い話。もちろん退院後はまったくお元気。活気あふれる体調とお見受けしました。
 今回の松本訪問の写真がたくさん。矢久保さんから送って頂いた数枚も加えて、HPアルバムに1ページをアップしました。⇒■http://www.bunjin-k.net/albummatumoto.htm
松本大学・会議室にて、中央・住吉廣行学長(200116) *矢久保学さん撮影

左・手塚英男さん (松本「しずか」 200116) *矢久保学さん撮影


4124号【2020年1月23日】
■≪松本・社会教育との交流史≫
 定かな記憶ではなくなっていますが、40年あまり前のこと、1975年に信州・湯田中で開かれた社会教育研究全国集会(第15回)で初めて松本からの報告を聞いた記憶。その翌年に「励まし学ぶ主事たちの動き」(小川利夫編『住民の学習権と社会教育の自由』1976)で松本市公民館主事会のことを(福岡市公民館職員協議会と並べて)書いています。その後、何よりも大きな出会いは1991年の同・全国集会(第31回)が松本で開かれたこと。当時ぶんじんは社全協委員長でした。矢久保さんや永田さんが若い世代として活躍し、後世に語り継がれる『松本の学びネッコワーキング』が刊行されました。足もとを掘れ・そこに泉が湧く、ことを実感した思い出。
 そして和光大学に移って(1995年〜)、浅間温泉に大学の宿泊施設があり、毎年のゼミ合宿は(新入生も卒論ゼミも)松本へ行く慣わしとなり、学生たちとともに松本の皆さんとの交流が拡がりました。本郷公民館で村田さんの手作り料理で歓迎いただいたり、中央公民館の料理講座に学生たちが出会って(いわば教材を)食べつくしたり(和光学生は遠慮を知らず!)いろいろ。和光移動大学を松本市で何年も開催させていただいた思い出も。
 松本の公民館実践に学ぶところ大でした。大作『松本市公民館活動史』(2000年刊)をはじめとして、「町内公民館の手引き」や生涯学習計画「ずくだせ学びの森づくり」など忘れることができません。日本社会教育史のなかでの典型的な自治体社会教育の歩みとして光彩を放ってきたと言えましょう。その70年にわたる展開は、私たちの年報「東アジア社会教育研究」24号(2019年)に矢久保さんが「松本市公民館70年史」としてまとめています。今年の東アジアフォーラムが松本で開催されるのであれば、これをハングル・中国語に翻訳して東アジアの仲間に配布する案など検討できないでしょうか。
 今回の松本訪問では、夜の懇親会を開いていただき、米寿祝いの乾杯も。有難うございました。当夜の写真のうち、手塚さんや木下さん(飯田市)など、そして村田さんの写真を下に掲げます。
左より松本・手塚英男、塩尻・安藤壽秀、長野県・木下巨一、右端に白戸洋などの皆さん、(「しずか」、20200116)

松本市・村田正幸さん(「しずか」、20200116)


4123号【1月19日】
■≪松本訪問、皆さんお世話になりました・報告≫
 1月16〜17日、松本市・松本大学に行ってきました。今年の日本公民館学会・東アジアフォーラムの松本開催について、関係の皆さんが集まり協議。当方は、私的な旅のつもりでしたが、これまでの経過もあり、この集いに参加させていただきました。日本公民館学会は第4回大会(はじめて首都圏を離れた大会、2004年)を松本大学で開いた経緯があり、実に思い出深い集会。受け入れの中心・白戸洋さん(教授)や住吉広行学長(九州大学院卒)と久しぶりにお会いできて、懐かしい限りでした。若い白戸さんも今年60歳とのこと。会議には松本市の関係者だけでなく、上田市や塩尻市そして長野県生涯学習推進セターの木下巨一さん(所長、学会理事)も参加され、公民館学会を松本だけでなく長野県レベルでも受け止めようといった雰囲気でした。有り難いことです。
 松本大学で開かれた関係者の集いでは、前半は住吉学長も出席され、12月の学会大会の引き受けに問題はないこと、松本市や長野県の社会教育として内容ある集会にしてほしいことなどが語られました。その間に、平行して開催希望の「東アジア・フォーラム」については、皆さんにほとんどイメージがなく、小林から2010年以降の、上海→佐賀→公州→(昨年の)北京開催にいたる経過などを短く説明いたしました。関連の年報や南の風記事をTOAFAEC 事務局より松本・矢久保学さんに送っていただきましたが、内容的に今後どのようなプログラムにするか、そのテーマ・日程、フィールド見学の企画等について、公民館学会プログラムとの連結の可能性を含めて、東アジアフォーラム関係者側で早急に内容案をつめて協議を進めていく必要がありましょう。学会とともに東アジアフォーラムを松本で開催することについての大枠のご理解はいただいたように思いました。
 矢久保学・木下巨一のお二人には松本駅の改札に迎えていただき、2日間すべて木下さんの車で移動、帰途も駅改札まで送っていただき、恐縮のほかなし。矢久保さんはじめ松本の皆さんとの永年の交流については次号に書くことにします。
懇親会(松本「しずか」)、手塚英男さんなど松本市の皆さん、白戸洋さんなど松本大学関係者、上田の中村文昭さん、
塩尻の安藤壽秀さん、長野県生涯学習推進センター・木下巨一さんなどの皆さん 。左端に矢久保学さん (20200116)



4122号【1月15日】
■≪松本へ一人旅≫
 今年1月の定例研究会は、年報「東アジア社会教育研究」の編集会議として開催されます(1月31日・金)。編集委員会からの「ご案内」をお待ちしていましたが、あと2週間余と近づきましたので、当方で日程案内だけ本号に掲載しました。皆さんご予定下さい。
 今年の年報は「第25号」の刊行、つまり四半世紀の東アジア史の激動を刻んできた記念号です。TOAFAEC 年報の創刊は1996年。日本はバブル経済崩壊後の「失われた十年」と呼ばれる時代の真っ只中でしたが、東アジアは、激動そして躍動の歴史的な潮流のなかにありました。激しくそれぞれの「教育改革」が進行した時期にあたります。韓国でも台湾でも、そして中国大陸では、この時代から新しい「生涯学習法」同「条例」が登場し、他方で「社会教育法」は姿を消していく方向をたどりました。年報では3年前に「東アジア・教育改革から20年」をテーマに特集に組んだ経過がありますが(年報・第22号、2017年)、ぶんじんは「1990年代からの躍動・総論」を書いています。⇒■http://www.bunjin-k.net/eastasia93housei.htm
 さて、明日は松本に行くことになりました(上掲・矢久保メール)。松本には、その奥座敷・浅間温泉に和光大学の宿泊施設がありましたので、ゼミ旅行をはじめ、沖縄と並んで、頻繁に旅したところです。松本の社会教育関係の皆さんとも浅からぬ交流が重ねられてきました。しかし富美の老々介護(2012年〜)以降は、ゆっくり参上することは叶わず、当方の股関節の手術後は自重を強いられてきました。ほんとに久しぶりの「ひとり旅」です。村田正幸さんの重なる「信州の地酒」と、矢久保学さんの力作「松本公民館70年史」(年報24号収録)へのお礼の旅でもあります。 

4121号【1月10日】
■≪沖縄に豚コレラ≫
 今日のニュースでは、うるま市だけではなく、隣の沖縄市にも豚コレラ。「うるま市に続き沖縄市でもCSF(豚コレラ)感染確認。―2020年1月10日 15時12分(NHK/Web)―  新たに感染が確認されたのは、8日感染した豚が見つかった沖縄県うるま市の養豚場から1.5キロほど離れた沖縄市にある養豚場」とのこと。
 沖縄の食生活にしめる豚の比重は大きく、たいへん心配です。とくに近年はブランドとして復活しつつある沖縄豚の在来種「アグー」にも感染が及ぶおそれあり、今後どう推移するか要注意。昨9日夜の朝日新聞(夕刊)では、アグー復活に努力してきた島袋正敏さんへの取材記事を載せています。正敏さんは、ご存知の通り、TOAFAEC 副代表。
 「名護博物館の初代館長、島袋正敏さん(76)は開館準備をすすめるなかでアグーが絶滅危機にあることを知った。1981〜82年の県内調査でアグーの姿を残す豚は30頭ほど。保存のために豚を集め純血種に近づけていく「戻し交配」を始め、10年ほどかけて戦前に近い姿形のアグーを復活させた。島袋さんたちは2001年、アグー保存会を結成し、雄のアグーと、メスの西洋豚などを交配させた「アグーブランド豚」は、コラーゲンたっぷりで甘みがあり、観光客に人気がある。」
 「島袋さんによると、保存会の発足当時、感染症の発生を懸念し、万が一の事態に備えて、離島を含め分散飼育をしていたという。しかし恐れていたことが起きてしまった。急速に拡がらなければいいが」(安田桂子)と。
 私たちの「東アジア社会教育研究」年報では、第2回「やんばる対談」で「アーグ―の保存運動」が語られています(年報16号 172頁〜、2011年)。正敏さん提供のアーグ―の写真、その雄姿を本ページにも掲げておきます。無事を祈って。
沖縄在来種の豚「アーグ―」、島袋正敏氏提供(2011, 名護)


4120号【1月7日】
■≪新年会ものがたり≫
 1月5日・今年の新年会、賑やかに終了しました。まだ松の内なのに多数のご参加、皆様、有難うございました。胡興智さんの生け花も見事。世話人とくに江頭晃子・山口真理子・飯沢美樹さんなど皆さん、お疲れさまでした。当日の写真数枚をホームページにアップしました。⇒■http://www.bunjin-k.net/2016sinnenkai.htm
 見城先生のハーモニカは一段と冴え、八朔さんのギターもこれまでになく磨きがかかって、若者並みの歌の張り。元気だなとお見受けしました。香港料理店「蘭」の同じ会場で、2014年正月、故伊藤長和さんが暇乞いのようにご挨拶に見えた(その1ヶ月月後に亡くなられた)年、あの新年会を忘れことができません。この席で見城・関本両先生とぶんじん「今年、基礎教育学会を立ち上げるぞ!」と決意表明した思い出話に花が咲きました。
 新年会の物語はいろいろ。初参加の伊藤(安江)達美さん。1991年11月に八重山に旅したグループ(当時、学芸大学・小林ゼミ)。このゼミ旅行には、台湾から留学の許銘欽さんや山口真理子さんも同行され、初めて竹富島「種子取祭」に参加するなど思い出深い旅行でした。渡慶次賢康さんがとりもつ縁、石垣島・平久保で大歓迎、浜での交流の一夜に、戯れに詠んだ歌が約10年後に石に刻まれ、「ぶんじん歌碑」建立(2003年9月)につながった話。そのきっかけとなったゼミ生たちは一人も、その後の歌碑への展開を知らず。二次会の夜、四半世紀ぶりに会った伊藤さんへ、こもごも経過を語りました。
 また、この1991年はぶんじんの還暦の年。平久保から沖縄本島に帰り、ちょうど誕生日当日に那覇の皆さんと「あんつく」(なじみの店)で交流会、この席は急遽「還暦祝い」となりました。思いがけなく沖縄で祝っていただく喜び、祝宴に感激したのでした。
 話を今に戻して・・・今年の新年会、どなたか記録を寄せていただけるでしょうか。また月末の1月定例会(31日予定)のご案内も、どなたか(李正連編集長?)お願いします。年報25号という記念号の編集企画(第1回)、頑張りましょう。
新年会参加の皆さん、お疲れさま(西永福、20200105)


4119号【1月5日】
■≪本日は新年会≫
 恒例の新年会、今年は永福で1月5日。もともとは福岡・油山の自宅を建てた時から始まり(1970年代半ば)、その後永福でも並行して開催するようになりました(1980年代半ば)。あの頃、媒酌人をつとめた経緯もあり(ゼミ学生だけでなく)子連れ若夫婦の新年ご挨拶も少なからず。狭いマンションは終日賑わいました。留学生もやってきて、当時の想い出を語る人も少なくありません。亡妻・富美の度量と田中美奈ちゃん(ゼミ生)はじめスタッフの協力により、新年会は年々盛大に。昼頃から始まり深夜まで、最盛時には1日(昼の子どもたちを含めると)50人を超え、夜はもっぱら酒の座となりました。深夜、ますます楽しくなり、中に酔っぱらいが眠りこけ、小林夫妻はホテルに泊まりいく年も。さすがに自宅で開くのが無理となって、20年ぐらい前から近所の店を会場に。そんな経過です。懐かしい思い出いろいろ。HP・古いアルバムには、韓民・羅李争など留学生を含めて、新年会の古い写真が残されています。⇒■http://www.bunjin-k.net/albumtanabasta.htm
 今世紀になって同マンション3階に「風の部屋」を開いて、二次会を催す慣わし。近年は参加の皆さんも相応に年をとって、9時過ぎには終わるようになりました。長期入院のあと(2017年)も、退院祝いをかねて「新春の集い」が開催されました。有り難いことです。油山時代から数えると40年あまり、休まず新春の集いが続いてきたことになります。今年も新年会に向けて、松本・村田正幸さん、魚沼・森山丈順さんから、信州・越後のそれぞれの銘酒を送っていただきました。いつも有難うございます。今年の二次会のお酒はたっぷり。今日の新年会、お急ぎでない方は二次会(風の部屋)にお寄りください。
 今日(1月4日)夕、新年会の都合がつかないそうで、胡興智さん(日中学院)来宅。平成が始まった日、訪問中の名護で痛飲した夜の想い出話など話は尽きず。新年会ご参加の皆さんに、よろしくお伝えしてほしいとのことでした。

2020年
4118号【1月2日】
■≪今年も「風」どうぞよろしく≫
 「あかあかと一本の道とほりたり たまきはる我が命なりけり」(斎藤茂吉)。年頭この歌が浮かんできます。「たまきはる」は恐らく「魂極まる」、命にかかる枕詞でしょうから、ほとんど虚詞であるはずの言葉が、何か言い知れぬ響きをもって迫ってくる感じ。この年、少しでも「あかあか」と生きていきたいものだと思います。
 元旦に皆様からたくさんの賀状をいただき、有難うございます。当方は、数年の老々介護そして富美の喪中と続き、賀状を失礼してきました。いただく賀状も少なくなっていましたが、今年は懐かしい方々のお名前にたくさん出会って、嬉しくなっています。パソコンに届いた「謹賀新年」は上掲しました。昨年11月の久しぶり訪中の御縁で、再会した上海・広州の方々から。また東京「日中学院」からのご挨拶。大分の包さんをモンゴル代表と思えば、まさに「桃杏四海」の喜び。皆さんの今年のご活躍を祈ります。ハガキ・年賀状をいただいた皆様には、旧正月前後にでも「寒中御見舞い」(昨年のように)をお送りする心づもりでいます。
 昨年末の本欄で、定例会の画像をアップできない不調をお詫びしましたが、除夜の鐘が響いた?のか、パソコン復調、遅ればせながら2枚の写真を関係ページに載せました。そして正月の初撮りは自宅のマンション扉に飾った「中国結び」。北京郊外・順義区社区センターにて子どもたちの歓迎を受け、訪問者みんなで頂いたお祝い結び(風4106号、旧11月28日収録)、我が家のお正月飾りとしました。日中を結ぶ何よりの飾りです。
 1月5日は恒例・新年会、1月3日までご連絡をの再案内(上掲)。皆さんお出かけ下さい。⇒■
1月18日は沖縄・名護の稲嶺進さん(前市長)をお招きして「川崎から声をあげる会」学習会が開かれるそうです(案内上掲・武田拡明さんメール)。このちらしと、日中学院・胡興智さんについて、2つのファイルを添付しました。  ▼中国結び(小林宅・正月飾り、20200101) *風4106号(昨11月28日収録・集合写真参照)




4117号【12月30日】
■≪歌い納め≫
 今年最後の定例会は、久しぶりに東京社会教育史研究フォーラムと合同の開催(12月27日)。年末の寒い夜、参加者は少ない研究会でしたが、しみじみと「野々村恵子さんをしのぶ」ひとときとなりました。イーストビレッジでは、野々村さんの思い出話が相次いで時間を忘れるほど。終わりに山口真理子さんが、思いをこめて「涙そうそう」を歌いました。ぶんじんはその前座に(酔って)「海の子守歌」(海勢頭豊)を。調子はずれ、それでも何とか一節を。文字通り今年の歌い納めとなりました。
 ただパソコンで画像の処理がうまくいかず、いつものように定例会の写真を載せることができません。1日ほとんど四苦八苦、救いの神・木村雅俊さんに連絡することにしましょうか。しかし、忙しい年の暮れ、来年になりましょう。カメラは新しく、中国での写真は順調にホームページに移せたのに・・。今年うまく納まらない問題が一つ残りました。
 *その後、除夜の鐘が響いたのか、画像処理が修復、関係ページ(⇒■)に写真2枚挿入。(1/1 追記)
 今年も皆様にいろいろお世話になりました。昨年と比べると、思いのほか(術後の)復調あり、元気に過ごすことができました。杖をつきながらも、11月には上海・北京を再訪する夢も実現。4月に沖縄、9月の東京に引き続いて中国でも88歳を祝っていただき、果報者です。北京の夜では、皆さんから中国語・ハングル・日本語で祝いの歌を合唱していただき(前号の写真)、終生忘れられない思い出となりました。
◇正夢か中韓日の祝い歌 ◇祝われて八十八歳暮れにけり
 あと一つ、今年の仕事が残っていました。『占領期奄美・沖縄の青年団資料集』(不二出版、全4巻、予価10万円、3月刊行予定)、編・解説は山城千秋・農中至のお二人。その推薦文を書く約束あり、短文まだ送稿出来ず。これが仕事納め。終わればゆっくり飲めます。皆さま、いい年をお迎えください。
268回定例研究会会・懇親会、斎藤真哉さんなどは帰ったあと (イーストビレッジ、20191227)


4116号【12月27日】
■≪2020東アジア・フォーラムは日本で開催
 今年も残り少なくなりました。あと一つ、本日(12月27日)定例研究会「野々村恵子さんをしのぶ」集いを残すのみ。本欄を書き終えて、会場・高井戸へ向かうつもりです。内田純一さんから、年末「最後まで(高知を)離れられず、残念・・」とのメール来信(上掲)。連絡だけでも頂くと、嬉しくなります。李正連さん(東大)は昨日の電話で「いま空港です、正月3日まで韓国へ帰省」と嬉しそうな声。そう言えば入江優子さん(学大)は、今日はどこかで「第九」を歌う日とか。年末らしい解放感・高揚感がただようご連絡でした。当方は、昔だったら福岡・油山での正月(今年は農中くんにお願いして申し訳なし)今は東京で越年。南の風を書きながら年の瀬を実感しているところ。かって定例会に常連だった人、今年は1度も顔を見ないな、音沙汰もなく元気かしら、と余計な心配をするのも、また年末だからでしょう。来年は姿を見せてほしい。
 さて、11月下旬の中国訪問の報告(写真紹介)を続けてきました。約1ヶ月、今回はとくに「ぶんじん米寿」とも重なって、ついつい当方の画像が多くなり申し訳ありません。体調不良のため北京に参加できなかった黄丹青さんへの報告の思いもあり、思わず長くなりました。ようやく本号でおしまいにします。今回掲げた1枚は、北京フォーラムで常に笑顔いっぱい、日本と韓国そして台湾からの参加者を歓迎して下さった「秘書長」、そして会場(石景山社区学院)の学院長「二人の楊さん」の画像です。あと一枚は、私を祝う北京の夜、中・韓・日の「三つの言葉」で祝い歌。なんとも幸せな夜でした。三層のケーキは高峡さんの配慮か。ぶんじんも何か?頭に載せている。あらためて皆様に御礼を申し上げます。
 東アジア・フォーラムは、来年は日本開催となりました。1年後、どのように具体化していくか。石井山・上田孝典さんと松本の皆さんとのやりとりが始まっています。まだ内部メールですが、あえてその一部、ご紹介に及びました。関係の皆様、ご了承ください。あと一つ、<資料>小地域での住民活動と自治公民館等の役割を考える分科会−これまでの全国集会分科会レポート一覧、については、経過その他、本号でコメントを書く余裕がなくなり、次にまわします。
東アジア・フォーラムご苦労さま!二人の楊さん(左・秘書長の楊樹雨、右・学院長の楊文霞のお二人)北京、20191123)

三つの言葉で祝い歌。左に北京の韓民・高峡夫妻(間にぶんじん)、右側に韓国・梁炳贊さん (北京、20191122)


4115号【12月23日】
■≪冷たい椅子に座る≫
 北京フォーラムの写真、前号の呼びかけに応えて、小田切督剛さんから折り返しの返信をいただきました。「文人先生、おだぎりです^^さっそく石井山さんが発表した際の写真をお送りします!」と。有難うございます。これも挿入して、ホームページ上に今回の中国訪問・写真の整理をしました。公式スケジュールにそった行事的な画像ページと、ぶんじん88歳祝いのプライベートページに分けています。お暇の折にご覧いただければ幸いです。
(1)⇒■http://www.bunjin-k.net/albumhigasiasia.htm、(2)⇒■http://www.bunjin-k.net/kijyubeijyu.htm
 本号ページに収録したのは、上記・石井山竜平さんと、今回(北京の前に)久しぶりにお会いした上海の長老・郭伯農さんの写真。郭さんは日本社会教育学会・1988年大会(会場・九州大学)に上海から初めてお見えになった方。当時の学会々長は親交があった倉内史郎さん(東洋大学)、ぶんじんは副会長でした。1990年代に入ると、呉遵民さんのご縁もあり、上海訪問の際よくお会いしました。郭さんは上海・成人教育部局のリーダー、上海電視大学創設期の責任者でした。郭さんを中心に上海グループが「中国成人教育法草案」を作成された経過あり、小林と末本誠さんは「顧問」として意見を求められたこともありました。同「草案」はTOAFAEC 年報2号(1997年)に資料として収録しています。
 この写真の夜は、ぶんじんの誕生日。療養中の病院を抜けて(送迎・呉さん)お出で頂き、恐縮しました。15年ほど前には、渋谷ハチ公前で待ち合わせして一緒に天ぷら屋(老舗)を楽しんだ懐旧談も。「日本の料理は冷たいものが多いのに、あの夜は暖かな料理だった」と郭さん。「上海料理のように多彩な皿でなくアブラもの天ぷらだけ、申し訳ありません」(ぶ)など。立ち上がってのお話(写真)では、「甘座冷板橙」(甘んじて冷たい椅子に座る)の人生訓について。党幹部や研究者の生き方として含蓄あり、印象的な夜となりました。血色よく、お元気そう。しかし料理は自制してか、あまり召し上がらず。
郭泊農さんのお話、右端は馬麗華さん(通訳)。左より張Jueさん、葉忠海さん、小林 (上海・20191121) *江頭さん撮影

石井山報告「介護者を支える仕組みづくり」 左・孫冬梅さん(通訳) (北京・20191123) *小田切さん撮影


4114号【12月20日】
■≪辺野古・土砂投棄反対の海上行動≫
 前号・辺野古キャンプシュワープ浜の土砂投棄から1年。沖縄各紙だけでなく、朝日新聞「民主国家のすることか」(社説、12月15日)も読みごたえあり、本欄で紹介したところ、鷲尾真由美さん(那覇)から折り返し「よくぞ書いてくださった!」(上掲)と。当日の辺野古・写真を6枚送っていただきました。そのうち陸のゲート前の取り組み「負けてはならんぞ」の1枚と、海のパレードに出動するカヌー隊30艇あまり勢ぞろい(近くの松田ぬ浜)1枚をアップ(下掲)。感謝! 
 目取真俊さんブログ「海鳴りの島から」(12月14日)によれば、この日「抗議船やメディア船がそろうのを待って、午前9時50分頃にカヌー31艇が松田ぬ浜を出発した。まずは1列になってK3護岸とK4護岸が接する角まで海上パレードを行った。K4護岸沿いを北風に向かって辺野古崎まで漕いだ。・・・辺野古崎まで着くと、オイルフェンスにバナーを張り付けてプラカードや横断幕を掲げ、海上抗議集会を開いた。主催者のヘリ基地反対協議会のあいさつのあと、赤嶺政賢衆議院議員、カヌーメンバー4人がマイクを手に発言した。どの発言も土砂投入によって海が破壊されている現実への怒りと危機感、工事を止めたいという熱気があふれていた」と。沖縄と言えども冷たい海上、北風の中の海上での抗議行動、頭が下る思いです。
 今回の中国訪問中に撮った写真ご紹介について、あと数枚(年内)ぐらいで、おしまいにしたいと思っています。江頭さんがたくさん撮っていただいたので、実はたくさんの枚数が残り、北京だけでなく上海での交流も忘れがたく、キリがありませんので。今回はぶんじん(高齢の故か)の画像が多く、同行の石井山竜平・李正連・上田孝典さんなど各氏の画像が見当たらず。たとえば石井山さん発表の写真など1枚ほしいところ。どなたかお持ちであれば、送ってくだされば幸いです。本号発行の直前、小田切さんから「対馬宣言」へのコメントをいただきましたが、次号掲載とさせていただきます。
キャンプシュワプ・ゲート前「負けてはならんぞ!」 テイダ(太陽)の。会 (辺野古,191214) *鷲尾さん提供

辺野古・海上パレードへ。この日カヌー30艇余が海に出て抗議の声をあげた。 (松田ぬ浜 、191214) 同上


4113号【12月16日】
■≪辺野古「民主国家のすることか」≫
 本号は皆さんからの寄稿でなく、「対馬宣言」(2019/10/30)に関する新聞記事を並べました。2年前の「朝鮮通信使」に関するユネスコ「世界の記憶」(世界記憶遺産)を推進してきた人たちが、かっての友好親善・「誠信交隣」(儒学者・雨森芳洲)の精神を想起し、日韓の政治摩擦を脱皮して、この10月末(世界記憶遺産から2年の日)「わたしたちは自由で平和な国に住むことを願う。これらの国々を自由に往来し、多くの人々と交流することを望む」と書き出した「対馬宣言」。細かな経緯を知らないので、この動きを風に載せませんでしたが、日韓問題を憂うる人たちの間では話題になっているようなので上掲しました。私たちの生涯学習・社会教育に関する「東アジア・フォーラム」も同じ立場にあるように思います。韓国フォーラムの皆さん、ご存知のところを「風」にお寄せいただけませんか。
 2年前のこの時期、佐賀で東アジア・フォーラムが開かれる折、ぶんじんは長期入院中でしたが、同フォーラムへの期待を求められた電話(上田孝典さん)に、奇しくも「佐賀宣言」をまとめてほしいと申し上げたこと、いま思い出しています。
 以上は2ヶ月ちかく前のニュース。さて昨日(12月14日)は沖縄・辺野古沖に政府が土砂投入を始めてから、ちょうど1年が経過した日。なんとひどい!1年であったことか。この問題について、本号「おきなわ短信」には「琉球新報」社説をお借りしましたが、今日の「朝日新聞」社説(12月15日「民主国家のすることか」)が久しぶりに冴えていました。「そうだ、そうだ!」と思わず声をあげたほど。沖縄県民の繰り返しの「辺野古ノー」の意思表示に政権は一貫して無視を決め込む、環境保全の行政指導に一顧だにしない、小手先の法解釈に走る裁判所も一体になって沖縄を追い詰める、軟弱地盤に対する工期・経費について国は見通しすら示せない、これから何年かかるのか、沖縄の声に向き合え、土砂もろとも民意を海中に投じるのか、「沖縄の民意に向き合え」と繰り返し訴えると。
 上海・北京訪問の写真ご紹介を続けてきましたが、そろそろおしまいにしたいところです。韓国から参加の方々の写真が少ないことに気づきました。上海写真の間に次の2枚を。
韓国からの参加、左より梁炳贊、崔一先、李熙洙、鄭賢卿の皆さん、通訳は小田切督剛さん(北京、20191122)    

東アジアの交流 (北京フォーラム初日の晩餐会、20191123)


4112号【12月14日】
■≪上海交流の思い出≫
 振り返ってみて、国外の都市でもっとも足繁く通った街は、上海だったようです。前号で少しスペースをつくって、1984年からの上海訪問記録を一覧にしてみると(前号)、1990年代から2010年までに23回、そのうち1人で行ったのは3回のみ、すべて集団・学生・仲間を帯同しての上海行きでした。沖縄へのフィールドワークに似ていますね。そして(そのお返し)に、上海からの訪日団を迎える歴史も重なっています。とくに葉忠海さん(華東師範大学)を代表とする上海成人教育関係者、また呉遵民さんが賑やかに通訳しながら案内してきた華東師範大学関係の先生方などが思い出されます。
 2008年には同大学一行(教育学系教授)8人が沖縄を旅し、これに韓国から金済泰や魯在化など各氏が加わり、日本からは川崎・伊藤長和、高知・内田純一、そして黄丹青など皆さんが参加。日中韓の沖縄フィールドワークを実現したこともありました。名護の博物館・中庭の大鍋で豚を煮た話、今回も上海で華東師大学の思い出話として語られました。⇒■http://www.bunjin-k.net/shanhaiokinawa0803.htm
 もちろん北京や広州にも行きましたが、起点は上海が多い。閘北区業余大学との合作構想が動き(結果的に実現せず)、また山東省・煙台の日本語学校(小林は名誉校長)の関係もあり、その間をつなぐ留学生の役割も大きく、上海に通う時代が続いてきたのでした。学芸大学社会教育研究室には一時は中国の留学生がたくさん、その大半は上海人だったような。いまは連絡をとれない人が多く、みな元気かな?会いたいなと、今回の上海再訪の折々に懐かしい顔を思い出していました。「桃李満天下」(教え子は天下に満つ)という言葉も複雑によみがえってきました。本号に載せる上海の写真は、山口報告(上掲)にある上海市教育科学研究院での合同写真。あと1枚は、ぶんじんの88歳を祝う張・朱夫妻からの巨大バースディケーキ。有難うございました。
上海市教育科学研究院、中央に桑標院長、その右に張副院長、「職業と成人教育研究所」スタッフ (同研究院、191121)

張・朱夫妻(右側)が用意した巨大ケーキ、左側に郭伯農周金浪のお二人(上海、191121


4111号【12月12日】
≪12月・新年会スケジュール≫
 この間「南の風」には、上平泰博さん(協同総研)から宮古・池間島についてのメール来信(前々号に掲載)。添付「池間島」レポート(「未完」ながら)たいへん面白く、いちど定例研究会で「池間島」物語を話していただけないかと思っっています。また「風」には載せていませんが、入江優子さん(東京学芸大学・沖縄育ち)より「沖縄への思い・記憶」のお手紙を頂戴しました。切々とした一文、ご都合のつくところで、同じく研究会へ登場していただきたいとお願いしました。来年2月以降になりそうです。
 そんななかで、野々村恵子さん急逝のニュース。そして、今年の最終研究会は急遽、野々村さんを「偲ぶ」集いとして開催することになりました(案内・「風」前号)。ホームページご覧ください。⇒■ http://www.bunjin-k.net/kenkyukai2019.htm
 前日までお元気だったのに・・・と残念です。風メンバーの中でも、あるいは野々村さんをご存知ない方もおありかと思いますが、自治体専門職(大学で社会教育主事資格を取得、東京でほとんど最初の世代)として社会教育一すじに歩いてきた方。同時に女性のエンパワメント・住民運動にもさまざま関わってこられました。貴重な歩み、もっとお話を聞いておくべきでした。12月27日夜の定例会は東京社会教育史研究フォーラムの呼びかけ、ぜひご参加ください。そして来年1月恒例の新年会ご案内も届きました(2020/1/5、永福「蘭」、上掲⇒■)。今年もすでに師走、あっという間に年の暮れを迎えることになりました。
 中国訪問の報告も野々村さん急逝で中断していました。私たち(山口、江頭、ぶ)は北京フォーラム参加のご一行とは別に、上海を経由し北京へ。待望の上海教育科学研究院を訪問し、久しぶりに友人たちと楽しい時間を過ごすことができました。同行の山口真理子さんから、いいタイミングで上海訪問報告が寄せられました(上掲)。数回に分けご紹介いたします。北京と順序が逆になりますが、上海写真も数枚をご紹介します。羅李争さんなど懐かしい顔ぶれの登場です。
 上海訪問の実現については、昨年の韓国・公州フォーラムの席上、呉遵民さん(華東師範大学)に段取りをお願いしたのでした。細心のスケジュールを用意いただき、念願の皆さんに会うことができました。通訳等について馬麗華さん(同・華東師大)にご面倒をかけました。何よりも上海市教育科学研究院の張JUE 副院長・朱榴芳夫妻に厚く御礼申しあげます。ぶんじんとの再会は15年ぶり、江頭・朱の同級生再会は20数年ぶりか。上海訪問・研究交流の40年にわたる記録を一覧(上掲)にしました。次号にふれます。
前列左より山口、羅李争、小林、袁允偉、張JUE,後列は馬麗華、国卉男、江頭、朱榴芳、杜成憲、周金浪の各位(上海、191121)

左より郭伯農、小林、葉忠海、呉遵民の皆さん(上海、191121)


4110号【12月7日】
■≪中国パワーに囲まれて≫
 野々村恵子さんの急逝(風・前号に既報)。あまりにも突然の報せに、上海・北京を旅してきた高揚感は一気に沈んで、いま喪に服しているような感じです。東京社会教育史研究フォーラムの中心メンバーであっただけに、私たちの12月定例会で野々村さんを偲ぶ会を!の声があがり、この一両日、企画が進みました(ご案内・上掲)。恐らく社全協や「月刊社会教育」編集部でも、広く呼びかける「偲ぶ」集いが計画されることでしょうが、まずは「東京社会教育史研究」グループによる仲間の集い。年末最後の金曜日の夜、TOAFAEC としては例年この日は忘年会、お互い「1年ご苦労さま!」と乾杯する慣わし。しかし今年は野々村さん鎮魂の「献杯」になろうとは思いもしませんでした。東京社会教育史フォーラムのページに「案内」アップ。⇒■http://www.bunjin-k.net/TokyoForum2016.htm
 さて訪中写真のご紹介に戻りましょう。上海訪問の報告に入る前に、北京の写真をあと数葉ご紹介します。小田切督剛さんより6枚も送っていただきました。その中の1枚・開会式の小林「挨拶」。隣は通訳・いつもの呉遵民さん(華東師範大学)。この席で小林は、すでに88歳、東アジアフォーラム「発起人・創健者」と紹介されていたようです(公式記録「簡報」)。光栄なこと、しかし私だけではなく、韓国や上海に同じ思いをもっていた同世代メンバーがいることを申し上げました。
 あと1枚は、初日・歓迎夕食会の席上、中国側への感謝の小林乾杯・挨拶。「ともに杯をあげよう!」と叫んだところ、中国側の主要メンバーが前に並んでいただきました。韓民、呉遵民、秘書長格の楊樹雨、石景山社区学院長・楊春霞(女性)の各位。加えて、ようやくこの席に日本から間に合った牧野篤さんも。豪勢な顔ぶれです。これに中国の若い世代が、各テーブルから前に並んでいただき、ぶんじんはは中国パワーに囲まれるかたちで乾杯!の1枚。なんとも嬉しく、感激の一ときとなりました。江頭さん撮影。それにしても、写真を見ると88歳は背丈がすこし縮んだような1枚。中国各地からの若い世代の皆さん、ありがとうございました。
北京フォーラム開会式、小林・挨拶、左は呉遵守さん、小田切さん撮影(北京、20191123)

初日夜・中国側への感謝・乾杯、小林は背丈が縮んでいる? 江頭さん撮影(北京、20191123)


4109号【12月4日】
■≪訃報は突然やってくる≫
 「月刊社会教育」編集や社全協運動の事務局、縁の下の仕事、永年にわたり献身的に運動を支えてこられた野々村恵子さん(もと練馬区社会教育主事)が急逝されました。11月27日の早朝5時頃、急性心不全、自宅で亡くなられたそうです。その前日「10月26日、社全協事務所でお元気なご様子でした」と(荒井容子さん)。まさに突然の訃報、まことに残念と言うほかありません。南の風については熱心なメンバー(あまり投稿はいただけませんでしたが)、いつぞや社全協「通信」に詳細な「風」の紹介記事を書いていただいたことあり、「風」の希望者が急に増えた時期がありました。学会や月刊社会教育メンバーには「南の風」は送らない(むしろ情報弱者の留学生、海外メンバーを優先する)方針だったのです。半世紀ちかいお付き合い、いろんな思い出がよぎります。
 45年ほど前、月刊社会教育が200号を迎えた折(1974年7月号)ぶんじんは月刊編集長でした。三井為友、田辺信一、野呂隆、室俊司、横山宏、吉田昇など編集部各氏ほか、文部省や日青協、地婦連、「母と子」編集の平湯一仁さんなど多彩にお招びして賑やかな祝賀パーティ。そのときの会計・アルバム・記録など一切の事務を担っていただいたのが、大学を出て間もない野々村恵子さんでした。あの記念のアルバム、月刊編集部に保存されているだろうか。
 最近では『大都市・東京の社会教育』出版(エイデル研究所、2016年)、企画を最初に相談したのは野々村さんでした。編集最終段階では実質的な副編集長のような役割、遠慮のない評価・批判が体に充ちていた感じ。その後、ぶんじんは倒れて5ヶ月の入院。退院直後2018年1月「月刊社会教育60年の集い」に強く誘っていただいたのが、その後の社会復帰のスタートとなりました。ながいお付き合いのなかで、何度も助けていただいたのでした。ご冥福を祈りつつ、月刊「60年の集い」の席で、二人で撮った秘蔵のツーショットをご披露しておきます。
「月刊社会教育」60年のつどい、右・野々村恵子さん(神楽坂・日本出版クラブ、2018年1月20日)


4108号【12月2日】
■≪最終夕食会の写真2つ≫
 北京に見えなかった新保敦子さん(早稲田大学)より、北京フォーラムの発表データ(報告集)のご希望が寄せられています(上掲)。当方も(黄丹青さんからの送信?)読めませんでした。北京フォーラムの初日、まったく印刷資料が手元になく、昨年の公州フォーラム(報告が3か国語冊子で配布された)イメージあり、困惑しました。黄丹青さん(事前に電子データとして送っていただいた?)発表資料、再度どうぞよろしくお願いします。
 石井山竜平さん(東北大学)から、北京フォーラムの主として二日目のまとめ・討論の要点を送っていただきました(長文、上掲)。論議のポイント、雰囲気も分かって、感謝! 各発表は、中国語及びハングル(及び日本語)に通訳されるので、時間は限られ、各発表への個別質問・討議の時間はなく、石井山メモは参考になります。加えて来年度フォーラムが日本開催になった経過も「追伸」で頂きました。
 本号には関連して写真を二つ。いずれも二日目・最終夕食会のスナップです。一つは上野景三さん(佐賀大学、社会教育学会長)のご挨拶。来年フォーラム・日本開催について、これから鋭意準備を進めていく決意?表明。そして今次北京フォーラム開催にあたられた中国側への感謝のことば。あと1枚の写真は、同席(右端)にいた韓民(北京)、牧野篤(東大)両氏と小林のスナップ。3人が一緒に並ぶことは珍しく、東アジアフォーラムならではの1枚か。いずれも江頭さん撮影。
 さて、北京の前に立ち寄った上海の話題へもそろそろ移りたいところですが、小田切督剛さんから北京の(小林関連)写真をいただき、次号にでもご紹介いたしましょう。北京に参加された他の方々からのコメントや写真も届くかなと期待しています。来年度へ向けての課題もあり、小さなんことでも結構ですので、お待ちしています。上海の張・朱夫妻にお礼メールを差し上げたところ、その返事をいただき、前号に載せました。上海・張さんへは新しく「南の風」を送り始めています。
 今年も師走、本年度最後の12月定例会(27日予定)プログラム案について、先月29日研究会で出た江頭案を進めていただけませんか。小林案は別の機会ということにして。
北京フォーラム
・最終夕食会、日本側より上野景三さん(社会教育学会長)挨拶 (北京・順義区社区センター、20191124

(上掲写真の右端部分) 左より小林、韓民(中国)牧野篤(東大)両氏 撮影・江頭晃子さん(北京・同、20191124)


4107号【11月30日】
■≪リンゴのもとに見えしとき≫
 11月29日定例研究会は「東アジアフォーラム・北京」報告会。ご参加の皆様、お疲れさまでした。当夜は北京から帰ってすぐの開催、中国そして韓国メンバーと出会った興奮がまだ残っていて、話題提供者・江頭さんのお話も具体的な事例に富み、談論風発の研究会となりました。林忠賢さん(東京大学・院)がその模様をレポート、例によって帰宅して数時間後の、素早いレポート作成、お見事! 有難く拝受して早速本号編集へ。写真は北京フォーラムの演壇に登場した江頭さんの1枚、そして定例会・イーストビレッジの懇親慰労会、を掲げました。今回の北京フォーラム(2019、“中日韓”終身学習研討会)のプログラム詳細については、別ページに掲載しています。⇒■http://www.bunjin-k.net/higasiajia2017.htm
 日本側の発表・報告者は、小林文人(挨拶)、石井山竜平、江頭晃子、牧野篤、上田孝典の諸氏、それぞれの発表テーマも掲げています。このなかで注目されるのは、やはり国際舞台で初登場の江頭晃子さん、演壇の花に映えていました。林忠賢さんレポートとともに定例会ページにも掲載。⇒■http://www.bunjin-k.
 久しぶりに、信州松川町(天竜川沿い)からリンゴ持参で、米山義盛さん来会。リンゴを頂きながら、隣の木曽川の谷・馬籠に生まれた島崎藤村「若菜集」の初恋の詩、そのリンゴを想いました。「まだあげ初めし前髪の 林檎のもとに見えしとき 前にさしたる花櫛の 花ある君と思ひけり・・・」 若菜集など合冊の藤村「自序」の書き出しの一文は、私たちが新しいテーマに挑むとき、いつも思い出す言葉。「遂に、新しき詩歌の時は来りぬ」と。私たちの新しき「東アジア」研究にもあてはまる思いか。
 昨日、石井山竜平さん(東北大学)より北京フォーラム報告をいただきました。長文なので次号おくりへ。
11月定例研究会・懇親会、左端:林忠賢さん、左から4人目に江頭さん、次に米山さん (イーストビレッジ、20191129)

北京フォーラムで「多摩・高齢者と市民力形成」を発表する江頭晃子さん(北京・20191123)


4106号【11月28日】
■≪北京秋天≫
 梅原龍三郎の名作「北京秋天」の故か、北京の秋はいつも青く澄んだ空がどこまでも拡がっているイメージ。しかし最近の現実は厳しく、北京到着の11月22日もスモッグいっぱいのドンヨリ空。太陽の気配もありませんでした。急速な経済成長・都市膨張・車社会化による大気汚染は、おそらく健康被害にもつながっているはず。ところが初冬の烈風のあとは見事な青空が拡がりました。“中日韓”終身学習研討会の会場:石景山社区学院での記念写真(下掲、撮影11月24日昼)では、抜けるような青空となりました。このとき寒気あり冷たい風が吹いていて、みんな寒そう。しかし心は暖かでした。
 “中日韓”終身学習研討会の参加総勢40名あまり、日本と韓国から各10名前後.。そして中国の皆さん。台湾から今年は少なく2名。上海・佐賀・公州と続く集いの積み重ねあり国際フォーラムとは思えぬ和気あいあいの雰囲気。この日午後は、みんなでバスに乗って北京郊外へ。市の東北部、北京空港の近く、順義区社区センターを訪問。ここでは子どもたちの踊りの歓迎を受けて記念写真。各自もっている赤いリボンは「中国結び」の記念品。(下掲、撮影11月24日午後)
 順義区は大きな企業が多く、韓国「現代」の工場も。北京市のなかでは財政的に4番目に豊かな区だそうです。子どもや老人会のパーフォマンスと活動紹介の話が続きましたが、隣の部屋では中国画の教室が開かれていて、黄色の瓢箪を描いた作品を1枚頂戴しました。帰路フライトの荷物づくりのどこかに紛れ込んでしまって、いま探しているところ。
 同センター訪問の前には、近くに立地する燕京(えんちん)ビール工場の見学がありました。杖をついている88歳は見学をパスして、最初からビール試飲室に案内され、一行が戻ってくるまで、出来立ての生ビール(実に美味い!)を楽しんでいました。こんな時の付き添いはいつも上海の呉遵民さん。ビールをお代わりしながら、二人また仲良しになりました。
“中日韓”生涯学習研究フォーラム参加者、会場・石景山区社区学院にて集合写真(20191124)

二日目午後のエクスカ―ション:北京郊外・順義区社区センターにて、子どもたちの歓迎を受けながら (20191124)


4105号【11月26日】
■≪中国の皆さんに感謝!≫
 約1週間の中国滞在中、ニュース・新聞に接する機会なく、25日夜に帰国して最初に見たニュースは「香港(区議会)民主派圧勝」の大見出し(夕刊)。中国の北大教授拘束事件(岩谷將教授・中国近現代史―2カ月以上の拘留lからようやく釈放、今後の研究交流の先細りが憂慮される)ニュースも北京の知識人は知らず。今回の香港の騒動や区議会選挙結果も中国国内では報道されていないのかも、と思ったことでした。
 さて、本号冒頭にも書いたように、上海・北京の旅は、予定通りのスケジュールを終え、25日夜、無事に帰国いたしました。ご同行の皆さん、お疲れさまでした。上海・北京の各位、いろいろと有難うございました。88歳老人の中国行きを心配していただいた方々、ご配慮に感謝しています。⇒(こちらにも)上海・北京フオーラム御礼
 2010年からなんと!9年ぶりの訪中(それまでは毎年訪中していた)、嬉しい旅となりました。お土産いろいろ、3日後の29日定例研究会でお裾分けいたしましょう。呉遵民さんから頂いた紹興酒1本は、帰路フライトの手荷物検査にひっかかり、没収されたのが心のこり。同じ箱の別の1本は北京のホテルにて皆で飲み、芳香すばらしき銘酒であることを確認、あえて1本の栓は開けず、東京の研究会の楽しみに残したのです。残念至極。
 東京学芸大学への最初(1982年)の中国留学生:羅李争(上海)・韓民(北京)のお二人。ともに元気! すでに40年近くの歳月が流れ、当方もなんとか活力を保って中国の地で再会できたことを喜びあいました。二人ともそれぞれに、来年あたり日本訪問を考えているらしい。とくに韓民夫妻は沖縄に遊びたい意向です。4月予定の「やんばる対談」に合わせるかちでどう?と日程の提案をしておきました。帰国して早速に名護の島袋正敏さんに電話し、日程を早めに決めましょうと相談。那覇の名城ふじ子さんも「韓民さんのこと、よく覚えています」とのことでした。
 北京フォーラムの模様を含めて、南の風で随時レポートしていきます。同行の皆さんからの寄稿(写真も歓迎)お待ちしています。まず本欄写真は韓民・高峡夫妻に挟まれての1枚。
赤いマフラーを韓・高夫妻から頂いた。 江頭晃子さん撮影 (88歳祝いの席、北京、20191122)


4104号【11月19日】
■≪上海、そして北京へ≫
 那覇・鷲尾真由美さん、メール(上掲)と写真を有難うございました。奇しくも前号の写真と同じ上野英信さん(今回は「眉屋文庫」)をはさんでのツーショット。比嘉久さん(名護博物館)も鷲尾さんも14年の歳月を感じさせない若さ(写真下掲)。
 本欄ページには、あと一枚の写真を掲げました。上海市教育科学研究院の張JIUE(日偏に玉)副院長と朱榴芳さん夫妻のツーショット。お二人はともに東京学芸大学大学院に留学。朱さんは上海立信会計学院・外国語学部で日本語を担当されていましたが、今もそうかしら? こちらは16年前の写真。懐かしい思い出いろいろ。
 11月23〜25日に開催される東アジア生涯学習・北京フォーラムに先立って、私たち(ぶんじん、山口真理子、江頭晃子)3人は、20日より上海を訪問することにしました。古い友人や旧留学生と再会するためです。昨年の韓国公州で開かれた東アジアフォーラムで呉遵民さん(華東師範大学)にアレンジをお願いしました。1990年末に上海閘北区との合作学院づくりを夢見た(しかし実現せず)袁允偉・羅李争(同じく東京学芸大学に留学)にも再会できるようです。呉遵民さん、ご配慮ありがとうございます。
 張・朱夫妻とは、ホームぺージ収録の写真(上海、2003)以来、すでに16年が経過しています。お二人は東京から中国に帰って、揃って湖南省湘潭市(毛沢東・劉少奇の生家に近い)の大学に勤務していました。招かれて1週間近く湘潭に滞在していたことがあります。「南の風」にその回想録(「湘潭・広州への旅−1999年」南の風209〜237号)を書いています。たとえば歌ふたつ。留学生・朱榴芳さんから突然の電話−(1999年3月20日)
・夫婦して留学の労苦あまたあり いま報われしか声の明るき ・「私を憶えていますか」「憶えているとも」と叫び合いたり →■http://www.bunjin-k.net/tyugokureport97.htm
 上海は日本とそう変わらない気候。しかしこの季節、北京はどのくらい寒いのか、気になります。杖をついての「中国への旅」、まわりに迷惑をかけないよう、楽しんでくるつもりです。

15年ぶりのツーショット、中央に上野英信・眉屋文庫、右下に名護博物館・展示会ポスタ―(20191115)

上海市教育科学研究院・張さんと朱さん夫妻 (上海、20031124)


4103号【11月14日】
■≪上野英信さん33年忌≫
 訃報は突然にやってくる。療養中の義弟の通夜・告別式、寒川(茅ケ崎の隣り)まで出かけていました。すでに脚力弱く、初めての地でもあり、かなり疲れました。帰ってパソコンを開くと、名護から島袋正敏さんのメール。八重山・平久保「ぶんじん歌碑」と米盛三千弘さん(建立者)にお会いしたとのこと(上掲)有難うございました。セイビン・メールで元気をとりもどし。また本号には、長文の夜間中学増設運動の熱気あふれる呼びかけ(関本保孝さん)。すべての人の学習権保障!全国に夜間中学を創ろうとの運動、画期的な全国キャラバンを紹介できる喜びを「南の風」として実感しています。
 さて前号の続き・上野英信と「眉屋私記」について。上野英信さんとは、集まりでご挨拶する程度。筑豊文庫には一度もお伺いしたことがありません。当時は直方で教師をしていた農中茂徳さんの車で、今から行こう!という話になって・・・結局は別の事情が重り実現せず。今となっては悔やまれます。英信さんの没後、筑豊文庫の上野蔵書は三分され、沖縄(「眉屋私記」)関連は、名護・屋部公民館に寄贈されました。2004年1月に集落・自治公民館研究グループ(別記予定)で屋部公民館を訪問した折、上野文庫は2階書棚に収蔵されて、本たちも幸せそうでした。下掲写真は、上野英信さん遺影をはさんで、左・比嘉久さんと右・鷲尾真由美さん(20040129、屋部公民館2階にて)。
 私の「眉屋私記」は、東京学芸大学を離れるとき、研究室に残してきました。いつでも読める、とのんきに構えていたのですが、実際にそうはいかず。名護でそんなボヤキ話をしたところ、翌日にか、聞いていた比嘉久さんから秘蔵の1冊を頂きました。恐縮しつつ、有り難く頂戴することになりました。「眉屋私記」を開くとき、いつもあの日のことを思い出します。
 比嘉久さんレターによると、上野英信さんを偲ぶ33年忌の集い:ウワイズーコー(11月23日17:00〜20:00 、場所:屋部公民館、会費:2000円、語り:我部政男、上野朱、比嘉ゆり子 他)に、山城千秋さんが参加とのこと。当日の様子、風にお寄せいただければ幸い。なお「ウワイズーコー」とは「終わり焼香」の意とか。
上野英信さん遺影をはさんで、左・比嘉久さん、右・鷲尾真由美さん(屋部公民館、20040129)


4102号【11月10日】
■≪上野英信と沖縄・『眉屋私記』≫
 「南の風」はもともと「沖縄の風」。本号は久しぶりに沖縄からのニュースが2っも並んだ嬉しい風となりました。一つは前号のつづき、県青年団機関紙「沖縄青年」15号発見の記事(琉球新報)。あと一つは冒頭に掲げた名護博物館「上野英信と『眉屋私記』」展示会など(上野英信三十三年忌記念)の事業。1ヶ月ほど前に島袋正敏さんから連絡いただいていました(風4094号)。ぶんじんにも「上野英信と名護のかかわりから同記念事業の呼びかけ人に加わってほしい」とのご依頼、まことに光栄です。
 比嘉久さん(名護博物館)より山口真理子さんを介して、素晴らしいポスターとちらしを送っていただきました(感謝!)。関連企画(上野英信さんを偲ぶ33年忌の集い・屋部公民館、講演会など)盛り沢山(上掲)。しかし、日程はちょうど私たちの上海・北京フォーラムと重なって参加できず、残念至極です。盛会を祈ります。
 上野英信さんはもともと九州・筑豊を拠点に活動してきた人(筑豊文庫主宰)。京都大学中退、自ら炭坑の仕事にも入り、「追われゆく坑夫たち」「地の底の笑い」などの炭坑労働者の記録は衝撃的、注目を集めてきました。そして生涯の仕事の最後のテーマは「沖縄」。名護市屋部の「眉屋」(山入端=やまのは)家の家族史をたどって、日本・沖縄の近代史・民衆史を描きだした名作『眉屋私記』を出版(1984年、潮出版)。
 1977年から取材のため足繁く沖縄、名護へ通い、「眉屋」の長男「萬栄」の足取りを追ってメキシコにも渡りました。『眉屋私記』序章「嘉例吉(かりゆし)の渡波屋(とわや)」を読み始めると、そこはまさに名護屋部の風景。琉球・シマ(集落)の文化・芸能を下敷きにして『眉屋私記』の物語は展開します。本が出版されて、祝賀会が那覇、そして屋部で開かれたそうですが(名護博物館ちらし)、屋部区は「名誉区民」の称号を。もともと山口県生まれの英信さん、この時は「屋部区出身作家として頑張ります」と語ったそうです。「眉屋私記」戦後編は構想されながら、病のため果たせず、3年後1987年に惜しまれながら逝去、享年64歳。(続く)

4101号【11月7日】
■≪奄美・沖縄の青年団運動史
 この数日、秋らしい気候です。台風・大雨と異常が続き、災害も広域に出た日本列島でしたが。11月に入ってようやく爽やかな秋となりました。朝夕に冷気もただよう、いつもの秋。この数日は、やはり夕焼けが美しい。久しぶりに句集を開きました。「歩を進めがたしや天地夕焼けて」(山口誓子)、「ただ一歩この夕焼けにあゆみ寄る」(加藤かけい)など。秋の季語には「山粧う(やまよそう)」がありますね。先日の朝日俳壇に「ところどころ崩れし山も粧(よそほ)へる」(縣展子)、信州の人らしい。こちらも一句。「ベランダの捨て鉢負けじ粧へる」(ぶ)。ホームページ「11月スケジュール欄」に飾った小さな鉢を詠んだものです。数年前の入院中にベランダ工事あり、この鉢もどこかに捨てられて、いまは写真のみ。⇒■http://www.bunjin-k.net/yotei1909.htm
 今日(11月6日)午後、熊本大学・山城千秋さんから久しぶりの電話あり。復刻企画『占領期奄美・沖縄の青年団資料集』全4巻、付録1・別冊1)の出版がいよいよ実現するらしい(来年3月予定)。推薦文を書く約束をしていましたので、その確認の電話でした。予価10万円(+税)の大作。あわせて目次一覧のメールも来信しました。本号に若干のスペースあり、なかば私信ですが,前宣伝になるでしょうから、上掲しました。散逸しがちな青年団運動史資料の復刻企画は初めてのこと。とくに復帰運動を担った奄美・沖縄の青年団資料は貴重!企画の成功を祈ります。TOAFAECとしては『戦後沖縄青年団運動の証言』(2018)を発行したことご存知の通り。⇒■■http://www.bunjin-k.net/okiseinenunndou.htm
 琉球新報もこの1ヶ月に3回ほど記事として取り上げています。その一つでも本号「おきなわ短信」として紹介しようと思いましたが、首里城・炎上ニュースがありますので、次号にまわしす。記事では、奄美・沖縄青年団運動史に取り組んでいる山城千秋・農中至のご両人を紹介し、その談話などを載せています。山城さんが教授に昇進したこと、その記事で知りました。おめでとうございます。



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