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 福建・北京への旅(2004)
  −12月1日〜4日・福建(生涯教育フオーラム、福建農林大学)
       5日〜8日・北京(2004・中国成人教育協会・年会)
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  *10月28日記事の一部(呉遵民氏)及び12月20日記事(同)を除いて、文責・小林文人。


 <目次>
1,中国・福建省からの訪問要請
2,福建省・日程最終版(呉遵民)
3,福州・北京〜旅の計画
4,福建省・福州への旅
5,12月8日に帰国
6,福建・生涯教育フォーラム
7,福州から厦門へ
8,北京−2004中国成人教育協会年会
9,共通の課題の模索
10,上海・福建・北京への画期的な展開(呉遵民)
11,北京での出会い

 *関連記録・写真→中国研究交流一覧→■



南の風1363号(10月28日)
★<中国・福建省からの訪問要請>
 今年の春節を過ぎたころ(2月)、福建師範大学(継続教育学院長・陳安宜氏、当時)より福建省の生涯教育条例策定づくり関連資料とともに研究交流を求める熱烈な書簡をいただきました。
 3月末に福建省に来てほしいとの要請も。急なことで、それに応えることはできませんでしたが、TOAFAEC では黄丹青さんに資料の翻訳をお願いし、4月の定例研究会のテーマを「福建省生涯学習をめぐる動き」と設定して、白メイさん(中大院)が資料紹介・報告をしてくれました。
 この間の経過は「南の風」に掲載(1230、1239、1259、1261号など)。また新刊『東アジア社会教育研究』第9号でも「福建省・生涯学習をめぐる動き」を収録しています。ご覧下さい!
その後、しばらく連絡はありませんでしたが、この10日あまりの間に急速な展開。呉遵民さんより頻繁なメールあり、あらためて福建省からの訪問要請と具体的な日程(12月初旬)が届きました。以下に呉メールを抜粋してご紹介しておきます。末本誠さん(神戸大学)と、ようやく足が癒えつつある小林が訪問の予定、いま準備を始めています。
 福建への報告・中文訳については、胡興智さん(日中学院)に依頼しました。最終的にはぜひ呉さんの方でチェックしていただければ幸いです。

★<福建省・日程最終版(抄録)> 呉遵民
 …略… 今日は最新かつ最終の訪中(福建省)日程表が決まりました。
12月1日(水)―福州へ(晩:歓迎パーテイ)
12月2日(木)講演会(午前・小林先生、午後・末本先生)通訳:呉
12月3日(金)討論会(全福建省・各国立大学成人教育学院の研究者、
  福建師範大学の大学院院生、福建省農林大学人文学部の研究者など)
12月3日(金)午後 厦門(アモイ)へ、宿舎・厦門大学ゲストハウス
12月4日(土)厦門空港から北京へ
12月5日(日)中国成人教育協会2004年会への招聘
  全体会での特別講演(招聘者:中国成人教育協会秘書長・謝国棟氏)
12月6日(月)大会分科会への参加、討論
12月7日(火)大会最終日
12月8日(水)日本へ
 中国成人教育協会秘書長・謝国棟さんは日本学者が中国へ訪問することを聞きまして、ちょうど中国成人教育大会の開催日でもあり、ぜひ両先生に特別ゲストとしての参加を強く要請されたということです。中国成人教育の最高リーダーたちとの交流の一幕を開くことになるのではないかと思います。是非この要請を受けとめてください。 
 …以下、略… 

 追伸 ≪呉遵民、Sun, 24 Oct 2004 12:14≫
 <学習社会を創る理論と実践>
 福建農林大学・陳院長からメールあり、今度の北京・成人教育大会での講演の内容は、日本の「学習社会を創る」という理論と実践の話をしてほしい…略…と要請されました。
  …略… 陳院長の先ほどの電話により、発行予定の「終身(生涯)教育」専門誌にお二人の今回訪中の報告を載せたいですが、これを12月の全中国成人教育大会へ正式に配布することも予定しています。できれば中国語訳済みの論文を頂きたいです。 …略…

南の風1381号(11月29日)
★<福州から北京へ−旅の計画>
 12月1日より、上海を経由して福州(福建省)へ出かけます。もともとは福建省の生涯教育条例づくり(中国で初めての試み)論議への参加と聞いていたのですが、招聘状によれば「2004生涯教育フォーラム」。日本と台湾からの学者を招き、これからの生涯教育・学習社会をどうすすめるかの講演と討論が予定されています。日本から末本誠さん
(神戸大学)と二人。通訳は呉遵民さん(華東師範大学)。
 福州の日程を終へて北京へ。全中国成人教育大会への参加。第1日のプログラムのなかで日本から発言する時間が与えられるそうです。呉さんによれば中国成人教育の各省指導者がすべて集まる大会とのこと。やや緊張しますね。
 今回は私の講演原稿を胡興智さん(日中学院)が中文に訳して頂きました。どうも有り難う。分かりにくい原稿で恐縮しています。ご苦労をおかけしました。
 呉遵民さんには今回またいろいろお世話になることと思います。小生の足の怪我もようやく癒えました。12月1日の上海での再会が楽しみです。上海(浦東空港)到着は 12:05予定。虹橋空港への移動、もしどこかで「ビール一杯」(呉メール)の時間があれば、羅李争さんと会えないだろうか。しばらく会っていない、顔だけでも見たいな。羅さんはこの「風」を読んでいるかしら?
 8日帰国予定。いまパソコンを持参するかどうか迷っています。大阪での怪我は、持っていたパソコンを投げ出すことが出来なくて、足をふんばり、結果的にふくらはぎ断裂を招いた反省?あり、どうしようかと。

南の風1382号(12月1日)
★<福建省・福州への旅>
 一度は行ってみたかった福州。14〜17世紀にかけての「大交易時代」(高良倉吉)と呼ばれる琉球の歴史は、主として福州を海外貿易の拠点として展開されました。ともに同じ亜熱帯に位置し、緯度もそう変わらず。いま那覇に「福州園」があり、福州には「福州琉球館」が開設されています(1992年)。時間が許せば行ってみたいもの。
 那覇の久米・三六姓とよばれる人たちは、もともと福州周辺からの渡来人でした。学識も技術も進んでいた「彼らのノウハウは琉球の海外貿易にとって決定的な意味をもっていた」(高良『琉球王国』1993年)と。琉球の貴重な外交文書集「歴代宝案」も久米人の手になるもの。進貢船に乗って海外に派遣された使節団、そのスタッフや通訳、貿易船の操縦も、久米人に頼るところが少なくなかったようです。
 東シナ海を横断した明国への進貢船はほぼ一年一貢、びん(みん、門構えに虫)江を上って福州に到着する。数百人にのぼる琉球渡航団のうち、約二〇名は中国側に引率されてさらに陸路を旅し、首都北京へ。難所少なからず厳しい旅。北京では、所定の日に紫禁城で皇帝に謁見し文書や貢品を献納、帰路は琉球国王への相応の賜品をもらって再び陸路を福州へもどり、待機していた一行ともども進貢船に乗って帰国、というのが通常のパターンであったと伝えられます。この公式の進貢船交易を軸に多様な私貿易があり、さらに福州だけでなく、ルソン、アンナン、マラッカ、また朝鮮や日本へつらなる「万国津梁」のルートが拡がるのです。  
 アジアの海を越える交流とロマン。とはいうものの、その旅は生死にかかわること少なからず、危険を覚悟の渡海でもありました。福州には琉球人の墓が残っていて、市の文化財に指定されているとのこと。中国への旅「唐旅」は、沖縄の言葉では今でも“死去”の意味で使われるそです。12月1日から文字通りの唐旅、夜は福州に着きます。

南の風1383号(12月9日)
★<12月8日に帰国>
 今回の中国への旅、パソコンを持っていくかどうか、迷いながら、荷物をつくってみて結局、出発直前に断念しました。というわけで「風」は1週間あまりのご無沙汰。失礼しました。これまでドイツにもエジプトにも、もちろん中国・沖縄にも、つねにパソコンを持参し、風はいつも吹き続けたのでした。1週間余の空白というのは、おそらく2000年夏のフランス農村をまわったとき(パソコンは持って動きましたがホテルが古く発信できなかった)以来のことか。
 先月、上海からの速報を求め、内田純一さんが頑張ってくれたあとだけに申し訳ない思い。お許し下さい。いま自らの加齢を自覚中?
 出発(1日)の早朝、あわてて家を出たので、サーバーのメール保存期間を延長するのを失念。せっかく頂いたメールが消失するおそれに気づき、あわてて福建省・アモイから石倉祐志さんに電話して、一夜、永福の小林宅でメールを取り込んでいただきました。迷惑かけ、これもお詫びしなければなりません。
 あと一つ。出発前に宿泊先の予定が分かりませんでした。ホテルから果たして「風」をうまく発信できるかどうか。最初の福州の2泊(五つ星)は別にして、その後は大学宿舎や新設の訓練センターなど。国際電話もままならず、家にも公衆電話をさがしてやっと連絡する始末。予感は的中!やはりパソコンはお荷物だったのです。
 しかし、8日間の旅は楽しく、実りある毎日。日本からは神戸大学・末本誠さんと二人、福州からアモイ、北上して北京へ。新しい友人(広東の朱涛教授など)と出会い、旧知の皆さんとも再会。大きな講演を二つ、新しい出版構想も二つ。いろいろと思い出に残る旅となりました。
 風・前号で「唐旅」は沖縄では「死去」のことと書いて、同行の呉遵民さん(華東師範大学)を心配させましたが、もちろん足も元気、気分爽快、ほとんど疲れもなく帰ってまいりました。お世話になった皆様、有り難うございました。
 次号から数回にわけて、福建・北京の旅を日誌風にご報告します。 

 福建・2004生涯教育フォーラム(福建農林大学、2004年12月2日)


南の風1384号(12月12日)
★<福建・北京の旅(1)−福建・生涯教育フォーラム>
 12月1日、上海を経由して福州に着いたときには、すっかり日も落ちていました。南なのに思いのほか気温は低い。福州・長楽空港から市内まで車で約1時間。市の中心部で温泉大飯店(五つ星とか)に投宿。これから約1週間、末本誠さんと呉遵民さんとの(やや有名?になった)三世代の旅が始まります。
 福建「学習社会に向けて−2004終身教育論壇」は12月2〜3日、福建農林大学において開かれました。省や地方の政府関係「領導」、大学成人教育学院関係者、専門研究者、大学院生などが出席し、中講義室はほぼ満席。福建省だけでなく、上海市や広東、山西などの各省、海外からは日本、台湾からの参加。当日の配付資料は本格的なもので、並々ならぬ力の入れよう。
 福建省では、「東アジア社会教育研究」第9号でも取りあげたように、中国各省に先駆けて「生涯教育条例」づくりの作業が取り組まれてきました。今年1月に条例草案の第1案、6月には第3案が作られています。今回のフォーラムでは、法令検討を直接のテーマにするものではありませんでしたが、「福建省生涯教育条例・草案稿・専門家意見・立法説明」資料(A4版、177頁)が配布されました。そのなかには韓国の生涯教育法、台湾は生涯学習法とともに、日本「生涯学習振興整備法」中文訳も収録されています。
 小林・末本の講演は「学習社会に向けて」のテーマに即して、日本の状況をもとにしての、やや原理的な問題提起。なかなか好評だった?ようで、活発な質疑あり、盛んな拍手を頂きました。
 夜は、福建省「恵安木偶劇団」公演を見る機会がありました。指であやつる人形劇。東京学芸大学人形劇サークル「麦笛」顧問20年のぶんじんとしては興味深いものあり。ホームページ11月記事の末尾に映像数枚を掲げておきました。
 二日目は呉遵民さんの熱い講演。それが終わったところで福州市内に出かけましたので、広東五邑大学・朱濤氏の講演は聞き逃しました。
 慌ただしい日程のなか、ひそかに期待していた琉球人墓や福州琉球館の探訪はお預け。次回にぜひ!というご挨拶をいただいて、一路南へ。これでまた福州行きを計画?することになるのかな。



南の風1385号(12月14日)
★<福建・北京への旅(2)−福州から厦門へ>
 前号で書き残したこと。上海から福州へ飛ぶ前に、上海教育出版社の袁正守さんと一緒に食事、そのあと紅橋空港へ行く途中、華東師範大学の呉遵民さん宅を訪問しました(12月1日)。聞きしにまさる豪華マンション。また後述の北京でも、ひとときの時間を利用して、中国教育部の韓民さん別宅へ(12月6日)。それぞれの書斎に本がゆったりと落ち着いて−そう見えました−羨ましいかぎり。中国とくに上海の住宅事情はなかなか厳しい、という先入観は完全に吹っ飛びました。東京・永福の“風の部屋”など比べものになりません。
 話をもどしましょう。福州は、いたるところにガジュマル(榕樹)が茂り、「榕城」とも呼ばれています。街の並木もガジュマルが多い。しかし同じ榕樹でも沖縄とはなにかイメージが違いますね。福州の独特の相貌あり。梯梧(でいご)の樹もブーゲンビリヤ(三角梅?)も見かけましたが、なぜか紅花(ハイビスカス)はまったく姿をあらわさず。福州は海に近く、料理に魚介類が多く、親近感をもって食文化を味わいました。
◇ガジュマルの並木は続く福州の道にたたずみ“琉球”を想う
◇はろばろと海を越え来し琉球の人らガジュマルの影に憩いし
 12月3日、大学での生涯教育フォーラムが終わったら、もともと武夷山(ユネスコ世界自然遺産)に行く予定でした。私たちを招聘した陳宜安・教授(福建農林大学成人教育学院長)等の配慮に感謝しつつ、地図を見るとかなりの山地、不安もあり。脚力がもつかどうか。怪我は治癒したとはいえ、いま山登りはきつい。
 幸い北京スケジュールが決まっていて、武夷山行きは日程的に無理ということになり、ホッとしました。が、少し残念でもあり。予定は変わって、南に約200K走って、1泊ながら厦門(アモイ)に遊ぶこととなりました。
 厦門は白メイさん(中大・院)の故郷、海に面したきれいな街。歴史的に、また最近は大がかりな密貿易の基地ともなり、また台湾(金門島)を目の前にした現代の政治状況でも、注目を集めてきた都市です。夜の厦門は雨でした。温潤な亜熱帯の大気を実感しながら、新装の厦門大学国際学術交流センターに宿泊。
 しかし4日午後には寒い北京へ向けて移動しなければなりません。美味しい夕食で歓迎していただいた楊友庭・教授(中国古代史、厦門大学継続教育学院長)に「あと数日滞在したいのに残念です」と妙なお礼を申しあげて別れました。
 福州から厦門を経て北京まで、私たちに付き添った福建農林大学・成人教育学院の二人の好漢(鄭国華・副院長など)、ご苦労さま!

南の風1386号(12月16日)
★<福建・北京への旅(3)−2004中国成人教育協会年会>
 12月4日夕に北京着。中国成人教育協会の2004年次大会へ参加のためです。
 迎えの車は、2008年オリンピックに向け拡張中の北京空港の脇を曲がりくねって進みました。暗がりのなか“民工”(出稼ぎ労働者)たちが疲れて押し黙って歩いている。北京中心部から東の通州の会場「新華聯集団培訓中心」までの道は印象的なひとときでした。
 大会は5〜7日の3日間、全中国各省から300人ちかくの出席(例年より参加者が多くホテルの確保に腐心したとのこと)。成人教育・職業訓練にかかわる各省の協会や学会、大学成人教育学院、教育センター、職業訓練機関などからの参加者、大ホールは満席でした。日本には同じ組織はありませんが、強いていえば、社会教育連合会や職業能力開発全国組織(あるかどうか知りませんが)と社会教育学会が一緒になったようなものか。個人加盟の組織ではないとのこと。成人教育関連の学会は別にないようです。
 初日の全体会は、まず領導・長老10人あまり(上海・郭伯農さんもその一人)が壇上に並び、それぞれに挨拶が行われたあと、国家教育部副部長による「小康社会の全面建設のなかでの成人教育の使命」と題する講話が約1時間、そして呉遵民氏の学術報告「国際成人教育・生涯教育の趨勢」1時間10分。
 午後は、協会副会長・董明傳氏(元教育部社会教育局長)の「科学発展と成人教育創新」について1時間半の報告、後半が小林「日本の社会教育と生涯教育」報告(通訳は呉さん)1時間半。
 第2日午前の全体会は、顧明遠氏(中国教育学会々長)「国民教育体系と生涯教育体系」講演ほか。午後は分科会;科学発展と成人教育、成人高等教育、農村成人教育、企業成人教育、老年教育、市場体制下の訓練機構など6テーマに分かれての報告と討論。
 最終日(7日)は、中国成人教育協会事務局長・謝国東氏による2004年の経過と2005年活動要点の提起、そのあと、先進単位の表彰(団体、個人)等が行われ、大会総括とすすんで閉幕。
 この大会で日本からの講演は初めてとのこと。また長老に互して、若い?呉遵民さんの「学術報告」も異色、檜舞台での熱弁はみごとでした。
 中国教育学会々長の顧明遠先生とは久しぶりの再会でした。北京師範大学(外国教育研究所長等)時代に北京で、その後に日本でもお会いしてきました。東京学芸大学の宿舎に泊まられたこともあります。ご存知のように同氏著『魯迅−その教育思想と実践』は横山宏さんによる日本語訳が出版(1983年、同時代社)され、その「あとがき−解説にかえて」は、魯迅を介しての横山さんの強烈なメッセージとなって残されています。顧先生(小生より2才年上)とは7年?ぶり、肩を抱き手を握り合い、懐かしいひとときでした。当日の写真をホームページに掲げています。
 この大会での小林講演の内容については次号で。

右・顧明遠先生と(北京、20041206)  *写真(旧ホームページ)→■         

南の風1387号(12月18日)
★<福建・北京への旅(4)−共通の課題の模索>
 中国成人教育協会の年次大会で講演するのはもちろん初めてのことです。日本にたとえれば、全都道府県の行政担当者とそれにかかわる社会教育指導者の前で話をするようなもの。日本ではお呼びはかからない、中国でそんな機会をもつというのも妙な気持です。
 「先生、はじめの方では緊張していましたよ。」というのは通訳の呉さん。たしかに・・・。やや肩に力が入り・・・思い切って話を始めたのです。持ち時間は1時間半。終わったときには、外はもう暗くなっていました。(12月5日)
 与えられたテーマは「日本の社会教育と生涯教育」。しかし日本のことだけでなく、少しでも韓国・生涯教育法などについてもふれて、東アジアの視点をにじませてみたい。あるいは、中国の成人教育は内容的に職業訓練に傾斜しているが、文化施設の系統に属する文化館や図書館・博物館にも言及したい。もちろん日本の公民館にも。いろいろと欲張ったことを考えていました。「公民館三階建構想」につながる中国の文化施設。初めて訪問した南京の文化館(1983年)の感動にも触れたい。とくに三つのことを意識して話をすすめました。
 1,日本のことを紹介するだけではダメ(そんな時間もない)。違いは当然。違いをこえてお互い共通の課題はなにか、対話と交流の模索。日本の課題を語りつつ、中国成人教育への問題提起ができないか。
 2,中国では、日本の生涯学習は進むんでいる、「生涯学習法」も成立し立派だ、という評価が一般的。しかし事実はそうではない。法もすでに空文化している。もし評価がありうるとすれば、社会教育法が基盤にありその蓄積として考えるべきだ。
 3,いま中国が挑戦しようとしている生涯教育法制化へ向けての課題はなにか、一緒に考えてみたい、など。
 とくに強調した点は、住民主体の視点、自治・分権の思想、施設と職員の専門的体系、マイノリティの学習権保障、新しい生涯学習法制づくりへの挑戦、の五つ。法制化へ向けての課題としては、行政的条件整備規定の具体化、専門職の法制化、学校教育体系(とくに大学)との結合、労働・福祉との連携(日本では失敗)、について触れました。
 何よりも呉さんの通訳(ときどき補足説明つき)が絶妙で、大ホールの皆さんも集中して聞いていただいたようでした。午後の分科会でも話題になったそうで、まずまずの成功か。
 なお、この大会に合わせて中国成人教育協会編「科学発展と成人教育の創新」と題する論文集3冊(計780頁、約150論文、2004年版)が刊行されています。ついでに、福建省でも生涯教育フォーラム「論文集」が、また季刊誌「終身教育」2004年3号、が刊行されました。福建省論文集には小林文人「探策“学習社会”的課題」(胡興智・訳)、末本誠「当代日本学習型社会的現状与課題」が収録されています。

南の風1388号(12月20日)
★<福建・北京への旅(5)−上海から福建省へ、更に北京への画期的な展開−>
                              呉 遵民(華東師範大学)
 周知のように小林先生や末本先生らの日本社会教育研究者はこの十数年来、中国の成人教育関係者との交流を年一回ぐらいの頻度で、ずっと続けてきました。しかし、この範囲は殆ど上海を中心とし、足を伸ばしても無錫や南京までということでした。今回は、なんと福建省へ、更に北京にまで招聘されて、本当に画期的な展開だったと思います。
 ここで私が知る限りで、いくつかの経緯や成果など「南の風」の皆様にご紹介をいたしたいです。
 一年ほど前、福建省人民代表大会・常務委員会が「生涯教育条例」の制定の案づぐりの任務を福建師範大学成人教育学院院長・陳宜安さん(福建省人大常務委員です)に依頼しました。私はこの案策定の専門家として陳院長から招きを受けました。ある討論会の終了後、陳院長は次回には生涯教育に関する国際シンボを計画したいこと、「呉さんは日本の学者に呼びかけてくれませんか」という打診がありました。私は小林先生と末本先生を推薦し、その後、陳院長が自ら小林先生に招聘の手紙を出して、先生の了承を得られたという経過です。
 この情報は、更に北京の中国成人教育協会・秘書長である謝国東さんの耳に入り、謝国東さんから「日本の先生たちは、福州の仕事が終わったらぜひ北京で行われる2004年度中国成人教育大会へ参加していただきたい」旨を強く要請されました。そして今回のこのような三世代の旅が始まりました。
 福州のシンボでは、日本からの報告を皆様がじっと真面目に聞いていましたが、小林先生や末本先生らの講演が終わった時、わっと熱烈な拍手が会場のこちあちにあふれました。通訳者として私も感動いたしました。つまり日本学者の真面目な精神、批判的な問題意識、専門領域の独特な知識と見識、という圧倒的な魅力を参加者は感じたのです。特に小林先生の講演では、福建省人民代表大会常務委員会・教育科学文化衛生委員会主任、省の宣伝部副部長など高官も在席、これも珍しいことです。
 北京での大会参加の背景について少し説明いたします。いま中国の成人教育は、理論研究の不足もあり、活動を減らし、行政組織も再編され、成人教育は正に危機を迎えているように思われます。今回の大会は、そういうなかで全国の関係者に呼びかけ、頑張れ!という必死な気持ちをもって、成人教育の振興のため努力をしていく必要があったのです。
 そこで、日本や世界の発展現状や動向などを勉強し、特に日本の生涯学習振興の法制などを学びたいのです。小林先生は直接的にこの問題について、300人ぐらいの中国全土からの指導者の前で、冷静かつ独特な視点から素晴らしい報告をされました。福州よりさらに盛り上がる雰囲気で盛大な拍手を受けられました。よかった!と、あちこちの参加者からの反応を聞きました。大成功だと、私はそう感じました。
 会議が終わってすぐ、中国人民大学出版社の総編集長が小林先生の部屋まで訪ねてきました。なんと世界成人教育や社会教育に関する名著シリーズ出版の編集顧問を小林先生や末本先生に要請されました。
 一週間の日程で、毎日忙しく、やや疲れましたが(とくに小林先生)、しかし、大変充実した旅だったと思います。これから小林先生らの交流はますます活発になるであろうことを私は信じています。

南の風1389号(12月22日)
★<福建・北京への旅(6)−北京での出会い>
 最近、とくに中国では幹部クラスの若返りがすすみ、どの会に出ても、あるいは会食をする輪のなかでも、一番の年長だと気づいて楽しくありません。自分では若いつもりなのです。しかし、今回の中国成人教育協会の大会では、長老の方々が壇上にも並び、興味深いものがありました。私も決して最年長ではありませんでした。
 初めての参加ながら、旧知の方々あり。私たちの上海本に含蓄ある序文を書いていただいた郭伯農さん(上海)、北京師範大学の顧明遠さんのことはすでに書きましたが(1386号)、上海の顧根華さん、周嘉方さん、福州で知り合ったばかりの朱濤さん(広東五邑大学)など。永いお付き合いの広州・成人教育の関係者を探しましたが、会えず。
 6日午後、会場を抜け出して北京市内へ、前門で北京ダックでビール。呉さんと二人、中国教育部・韓民さんを訪ねようということになりました。中枢の国家機関、なかなか「韓民」には会えないという話を体験してみようと。実はこの日の夜は彼と食事の約束をしていたのですが、突然の職場探訪を試みたかったのです。
 教育部は西単(繁華街)の一角。ぶらりと中へ入ることは出来ません。せまい受付で手続きが必要ですが、さすが呉さん、難なく突破して、教育発展研究中心(国立教育研究所?)の建物へ。まずトイレ拝借、そして階上に。呉さんはそこに通りかかった人に尋ねたところ、なんと韓民その人でした。横にいる“ぶんじん”にびっくり。昼食のビールで赤い顔をしていましたが・・。局長室のようなところに通され、お茶をいただいて一休み。初めての韓民の車で彼の別宅へ。面白い午後でした。
 夜は、北京師範大学の司蔭貞さん、東京学芸大学へ留学していた梁威さん(北京教育研究院・基礎教育研究所)などもお出でいただき、みんなで久しぶりの食事。ひとしきり故横山宏さんの思い出話となりました。
 大会最終日(7日)。午後は再び北京市内へ。車を飛ばして中国人民大学出版社(年間出版点数は約一千とのこと)で昼食、成人教育・生涯教育に関する世界名著シリーズについての相談を受けました。その後は末本さんと別れ、呉・小林二人は出版社のソファーで昼寝、ゆっくりと故宮近くの細長い公園を散策。ベンチに腰をおろし、案内の劉葉華さん(出版社の成人教育事業部副主任)の求めに応じて、八重山民謡「月ぬかいしゃ」(なんと珍し!)を歌いました。HPに写真を載せています。
 日がかなり西に沈んだ頃、夜行列車で上海へ帰る呉さんを北京駅に送りました。翌日は講義とのこと。呉さん、お疲れさまでした。王府井で末本さんと合流、張林新さんご一家に迎えられ、夕食をご馳走になりました。夜おそく、北京東方(通州)の宿舎にやっとたどりつき、これで福建・北京の旅は全日程を終了。多くの方々にお世話になり、有り難うございました。
 8日昼、予定通りの便で帰国の途につきました。



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