<表紙>                            TOP



戦後沖縄青年団運動の証言
−祖国復帰運動とアイデンティティ―(2018)

・沖縄社会教育研究フォーラム 編
・東京・沖縄・東アジア社会教育研究会(TOAFAEC)発行

    *関連 沖縄フォーラム■  「やんばる対談集」■

目次

〈はじめに〉戦後沖縄青年団運動を担ってきた人たち               小林文人

---------------------


戦後沖縄青年団運動の証言  聞き手:小林文人 解題・記録:山城千秋

1.占領下中頭郡青年団による祖国復帰運動の胎動

   仲宗根悟・中根章・ 東武・有銘政夫・田場盛順

2.沖青連から沖青協へと飛躍する青年運動

   外間喜明

3.国頭郡青年会協議会から沖縄県青年団協議会へ

   平田嗣功

4.名護市長としての礎を築いた青年団運動と沖青連

   渡具知裕徳

5.佐敷村青年会から沖青協、佐敷町議へ

   宮城清助

6.基地で分断された北中城村の青年運動と村づくり

   比嘉正儀

7.米軍基地と対峙する読谷村の青年運動

   山内徳信

8.戦後の民主主義・男女同権を実現する女子青年団運動

   諸田(与儀)キク子・伊狩(新垣) 典子・福原(真栄城)千代子

9.郷土復興と青年の自立をめざす産業開発青年隊

   永山研次

10.【座談会】祖国復帰40 年 沖縄青年団運動と復帰闘争を問い直す

   仲宗根悟・喜友名朝昭・有銘政夫・中根章・友寄信助

   田場盛順・徳田米蔵・東武・玉那覇正幸

11. 復帰闘争期における青年団と学校教員との関係

   平良親徳

---------------------

沖縄の青年団と復帰闘争−戦後沖縄青年団運動の証言から− 山城千秋





【はじめに】 戦後沖縄青年団運動を担ってきた人たち
   

               小林文人(東京学芸大学名誉教授)

 日本各地の地域青年団が全般的に低調傾向にあるなかで、沖縄の青年団は元気だ。とくに若者たちがエイサーを演じる風景に出会うと、その熱気・エネルギーに驚かされる。“わったーシマ”への思い、郷土の文化と誇りを背負っているからであろう。サンシン・太鼓のリズム、その躍動感と乱れぬ演舞、心に深く響くものがあって、ときに胸にジンときた思い出もある。
 戦争が遺したむごい傷痕、戦後に生きた苦難の道、復興・復帰への取り組み、沖縄の戦後史には若者たちの力が不可欠であった。沖縄がたどった戦後史を思いえがくと、エイサーの躍動はまた違った響きをもって迫ってくる。厳しい時代にもおそらく太鼓は響き、人々の心を励まし、わがシマへの愛着、自らのアイデンティティを確かめることになってきたのだろう。

 沖縄戦後史初期において、各集落の青年組織の役割(保安、自治、祭祀、生活相扶など)は重大であった。アメリカ軍政下においてようやく全琉球規模の「沖縄青年連合会」が結成される(1948年、1958年「沖縄県青年団協議会」へ改称)。巨大なアメリカ極東戦略に対峙するかたちで土地収奪・基地問題への闘い、環境浄化、生活と権利を守る活動、村おこし運動、平和運動、日本復帰運動などへの取り組みが始まった(沖青協編『沖縄県青年団史』、1961年)。沖縄県青年団運動は、戦後沖縄が抱えている諸課題(生活・文化だけでなく)とくに政治的課題に対して果敢に取り組んできた。この歴史は戦後沖縄史だけでなく、戦後日本史として注目すべきであり、社会教育史・青年運動史のなかで、いつまでも記憶されるべき光彩を放つ展開であった。
 アメリカ支配下にあった戦後沖縄の最大の政治課題は、言うまでもなく占領からの解放、日本復帰運動であった。沖青連・沖青協の取り組みは、他団体(政党や労働組合を含めて)に先んじて課題を提起し、人々の意識を掘り起こし、運動の展開のなかで全体をリードする役割を果たしてきた側面がある。1957年「祖国復帰促進県民大会」(沖青連主催)の壇上で手を組みあっている青年たちの高揚した表情(写真)は今も私たちに訴えるものがある。1960年に沖縄県祖国復帰協議会が結成されるが、沖青協はこれに参加することはもちろん、むしろ復帰運動の中心的な役割を担ってきた。復帰協の事務局長は結成当初より沖青協が担い、1963~65年・労働組合(官公労)による時期を除いて、1966年から復帰後1975年まで沖青協出身の仲宗根悟さんが事務局長(専従)として奮闘した(「沖縄県祖国復帰闘争史」資料編、1982年)。仲宗根悟さんは中頭・美里の単位団活動を経て、1950年代に沖青連(当時)の事務局長・副会長を各2〜3期つとめた人である。

 私たち(戦後沖縄社会教育研究会、東京学芸大学)は、もともとアメリカ占領下沖縄の社会教育・文化政策や活動の資料収集を志して沖縄調査に入った。復帰後4年を経過した1976年のことである。当時、沖縄県教育庁社会教育主事(青年教育担当)宮城英次さんを介して、復帰時の沖青協会長・田場盛順さんや、1976年からの同会長・東武さんと出合った。その頃、東さんは米軍による県道越え実弾演習反対の闘い、いわゆるキセンバル闘争の渦中にいた。お二人との交流はいまもなお続いているが、この間に玉那覇正幸(宜野湾市青年会長、おきなわ社会教育研究会)、そして中根章(原水協理事長、元沖縄県議会副議長)、上記・仲宗根悟の皆さんとの出会いが始まるのである。コザの街の中心部にある中根章事務所を拠点に中頭青年会OBたちが集まり、かっての青年会活動の資料収集を始めていることも知った。数回開いた聞き取りや座談会では、全軍労委員長(友寄信介さん)、沖縄教職員組合中頭支部委員長(有銘政夫さん)、読谷村長・参議院議員(山内徳信さん)など多彩な顔触れが登場された。各分野での活発な活動は、若い頃の青年会活動から胎動したと言ってよい。青年会・地域青年団は活動を通して社会正義の意識を育て、尽きることのないエネルギーを培ってきたのであろう。

 仲宗根悟さんや中根章さんは、実に多くのことを語って頂いた。日本復帰という大きな政治課題と格闘してきた意識からは、「いまの青年団はエイサーだけだ」と容赦はなかったが、その眼は若者たちへの期待と愛着に充ちていた。
 私たちの沖縄青年活動史・証言を聞く活動は、もちろん中頭青年会にとどまるのではない。名護で元市長・渡具知裕徳さん(1959年、沖青協会長)との出会いは島袋正敏さん(葛草庵主宰)を介して実現した。沖縄県青年会館・常務理事として活躍した安谷屋幸勇さん(現糸満市教育委員会教育長)が証言収集を進めていく上で重要なキーパースンであった。竹富島調査の途次、那覇滞在の私の動静を知って、日程を調整し、青年団リーダーOBのお宅まで車であちこち運んで頂いた。沖連青の初期・女性リーダーとの貴重な鼎談は安谷屋さんの企画によるものである。

 この証言収集活動を始めてまだ10年余りしか経っていないのに、本書に登場された方のうちすでに4人の方が逝去された。仲宗根悟さんは2015年(享年88歳)、あとを追うように中根章さんも2016年(享年84歳)亡くなられた。地域青年運動・日本復帰運動をはじめ沖縄戦後史を担った当事者・リーダーの退場は惜しみてもあまりあることである。「また続きの話をお聞きしたい」「記録や資料を探し出してください」などとご挨拶して別れたことが昨日のことのように想い出される。貴重な証言・回想・記憶をさらに深く汲み出し、関連する記録・資料と重ね合わせ、歴史を復元し再発見していく課題が残っている。沖縄の地域青年団活動史、アメリカ支配から脱する復帰運動史、各地の地域史、さまざまの民衆史、を掘る作業は次のステップを刻む必要があるだろう。歴史を記録していくことは、必ずや歴史を創ることにつながるはずである。
 本証言集に登場された各位、連絡調整など努力いただいた皆様に心からの感謝を申し上げたい。











                      TOP