【南の風2018】 4001号〜4050号  
各号目次・後記(ぶんじん日誌)
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【南の風2018】4001号〜4050号・目次一覧

4001号【11月11日】大阪/夜間中学、こんばんはU、対談どう読む6、自己決定権、4001発行
4002号【11月15日】2009年上海、秋の遠足、対談どう読む7、沖縄青年団史、中国社区教育
4003号【11月18日】近畿夜中生徒会、中国「社区教育」、やんばる対談8、1枚の写真から
4004号【11月21日】
韓国図書館視察団、やんばる対談どう読む/最終、11定例会、出版機能
4005号【11月24日】夜間中学要請(北海道)、町田、ダブリン会議、青空に映える実践協議会
4006号【11月27日】11月定例会、竹富島種子取祭、やちむんの里、我が家は松花江のほとり
4007号【11月30日】近畿夜間中学生徒会署名お礼、石垣・自衛隊配備問題、再び病室にて
4008号【12月 3日】11月定例会報告、頭越しの帰属論、内モンゴルより、バースディケーキ
4009号【12月 6日】「こんばんはU」、町田とびたつ会、学習の自由/研究会、昆虫学者の怒り
4010号【12月12日】2019新年会、名護、ツワブキ、戦後沖縄青年団運動史証言、無事に退院
4011号【12月16日】12月定例会案内、沖縄の水、沖縄青年団運動史証言はじめに(2)、表紙
4012号【12月19日】東京フォーラム、沖青協70周年、沖縄青年運動史(3)、琉球弧の青年群像
4013号【12月25日】12月定例会(再)、沖縄青年運動史4、奄美復帰65年、「平成」の時代に
4014号【12月28日】板橋SDGフォーラム、琉球弧青年群像1、1997クリスマスイブ、年末研究会
4015号【12月30日】12月定例会報告、琉球弧青年群像2、5年前の年末、大田堯先生の訃報

2019年
4016号【 1月 5日】名護メッセージ、上海・フフホト・大分から、北海道の仲間に、明日は新年会
4017号【 1月 9日】2019新年会、東京多文化共生社会、1週間の昭和64年、今年のやんばる対談
4018号【 1月14日】1月定例会研究会、日韓学術交流(10回)、地域の未来を、ムーチービーサ
4019号【 1月20日】1月定例会案内、華東師大校友会、「躍動する韓国」本、宮古新報、訃報

4020号【 1月24日】日韓学術交流大会直前、町田とびたつ会、沖縄県民投票、地域演劇活動
4021号【 1月31日】258研究会報告、少年Bから青年B報告レジメ、直木賞「宝島」、激動の青春
4022号【 2月 3日】日韓学術報告、九条俳句掲載、日本語教育法推進、三一会、やんばる対談
4023号【 2月 7日】やんばる対談日程、八丈方言、とびたつ会、石垣、小林寒中見舞い、九州へ
4024号【 2月10日】年報24号編集、石垣、名護市庁舎シーサー、和歌山、八丈方言は消滅危機

4025号【 2月12日】八丈島からの風、満洲語が危機言語に、岡留安則氏逝く、原昭夫さん逝去、
4026号【 2月18日】八丈方言2、八重山季節、和歌山、名護トーカチ祝い、与那国・竹富の島言葉
4027号【 2月20日】八丈小島、日韓基礎教育宣言づくり、普天間停止期限、町田、板橋つどい再
4028号【 2月22日】夜間中学の動き(相模原・札幌)、迫る県民投票、八丈島の集い・春の出会い
4029号【 2月25日】24号編集、県民投票「反対」7割超、八丈方言3、東アジア研究交流10年
4030号【 3月 1日】札幌遠友塾、八丈島の出会い、Dキーンさん,寒中見舞い返信、花粉症の季節
4031号【 3月 6日】年報自由投稿、3月定例会レジメ、夜間中学案内、川崎、竹富コンドイホテル
4032号【 3月 9日】
3月定例会、4月やんばる対談・トーカチ、町田、竹富島コンドイ浜問題、
4033号【 3月12日】こんばんはU、川崎・富川交流会企画、リュウキュウアユ、近況、妻籠宿合宿
4034号【 3月17日】やんばる対談トーカチ、夜間中学新(1)、珊瑚舎スコーレ、回想シリーズ
4035号【 3月20日】編集(第2回)、夜間中学新時代(2)、福州市、トーカチ参加、悲報あり 
4036号【 3月24日】中野光『梅根悟』、町田、夜間中学新時代(3)、ジュゴンの死、北田耕也さん
4037号【 3月27日】松本、「池間島どぅ〜ぬすま憲章」、石垣島うるずん、「回想でつづる」構想
4038号【 3月29日】3月定例会、研究会レジュメ,夜間中学の入学要件緩和・産経記事、花の季節
4039号【 4月 1日】第2回編集会議、韓国市民の法感覚、韓國フォーラム、竹富島、杉並の女性
4040号【 4月 3日】260回研究会、韓国市民の法感覚、ひめゆり資料館、トーカチ祝い、元号令和
4041号【 4月 7日】南の風参加、廃琉置県140年、名護地域青年運動資料、やんばる対談近づく
4042号【 4月 9日】261定例会案内、日韓市民連帯、韓国フォーラム、ルワンダと辺野古、花粉症
4043号【 4月15日】障害者の生涯学習、町田、不登校問題,、東大阪、与那国、トーカチ祝い御礼
4044号【 4月17日】トーカチ実行委員会、トーカチプログラム、やんばる対談、戦世記憶、カメラ
4045号【 4月20日】米寿琉歌、東京日本語教育を考える集い、生活者の視点、台風一過の如き
4046号【 4月25日】5・6月日程、アイヌ新法(沖縄タイムス)、2018年記録、中野光『梅根悟』
4047号【 4月28日】4月定例会報告、社会教育法制研究資料、沖縄「屈辱の日」、トーカチ写真
4048号【 5月 3日】風に参加、編集会議、こんばんはU上映、憲法と地位協定、梅根悟の大学論
4049号【 5月 9日】5月(第262回)研究会、韓国フォーラム、権力はうそをつく、梅根先生の電話
4050号【 5月13日】2019総会、六月集会、沖縄鉄道史、台湾研究期待、森になったホームページ



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南の風・各号後記(ぶんじん日誌)


4050号【 5月13日】

■≪森になったホームページ≫

 本号で50号おきのページ更新、ひと区切りして次のページにステップを刻む号でもあります。TOAFAECの創設は1995年、風の創刊が1998年。ホームページで50号おきページ更新作業を重ねて四半世紀ちかく。(ぶ)日誌だけでも81本のページ。すべて読めるように、古い記録を削除せずに残してきましたから、煩雑でもありますが、風・活動の歩み記録として、それなりの価値をもっている!と自認してのこと。ホームページにはこの種の記録ページを全部で約330本ほど収納。これに加えて写真等を1700点余りアップしています。著作権や写真の肖像権の問題については、TOAFAEC 関連の記録として、ご了解いただける範囲内のもの、と発行者は考えていますが、もし公開からはずすべきだというご意見がひとつでもあれば、直ちに削除する用意あり。お気づきのところは、遠慮なくご指摘いただくよう、改めてお願いいたします。
 ホームぺーページがかなり煩雑だというご批判もありましょう。実は発行(作成)者も道に迷うほどの藪・森になっている箇所もありますので、近く道案内の記事を載せようかと思っています。実のところ、誤字・脱字を含めて、つまらないエラーをいろいろ内臓していること疑いなく、躊躇もしています。皆さんから背を押していただき、改善ご意見も頂戴したいと切望しています。
 本号には上野景三(TOAFAEC)代表による「総会ご案内」(6月1日夜)を掲載できました。同じ時間帯で社会教育学会・全国理事会が開かれます。ご関心ある理事・幹事の方、学会の理事会終了後、ぜひ私たちの総会にお寄りください。会場も近いところが設営されています。ぶんじんは学会参加は控えて、TOAFAEC 総会には(杖をつきながら)出席する予定。*総会案内ページ→■http://www.bunjin-k.net/03soukai2.htm

4049号【 5月9日】
■≪梅根先生の電話≫
 長すぎる連休が終わり、それからまた数日が経ちました。慶祝ムードのなか、今朝の朝日「声」欄でも「令和の令に思う軍国主義」と題する投稿あり。90近い老人が「私は召集令状を連想する」と「令」にこだわっている意見。「私にとって「令」とは命令であり軍国主義のイメージがしみ込んでいる」と。私の世代にはよく分かる感覚です。
 さて再び中野「梅根」本に戻ります。私は大学で教えを受けた立場ではなく、はるか遠くに仰ぎ見る巨人と書いたように、直接お話をしたこともありません。ただ一度だけ、すでにお体が弱られた頃、多分1978年の夏のこと、東京学芸大学で開かれた日本教育学会大会の初日朝、大学あての電話でお話ししたことがありました。「体調が思わしくなく学会に行けない、皆さんによろしく」と。たいへん弱々しいお声でした。電話交換台も「お年寄りからよく分からない電話が・・・」とつながれ、それが梅根先生でした。私は当時、大会(会場校)実行委員会事務局長の立場。準備の段階で「会長・梅根先生に大学の車を出してお迎えを」との意見がありましたが、実現しませんでした。結果として貴重な電話を頂くことになり、その旨を大田堯先生にお伝えしたという経過でした。
 この大会は、大会運営にあたって学生諸君が(無報酬で)よく動いてくれたことが話題になりました。終わりの生協食堂での慰労会では、突然ぶんじんは学生諸君から「大会ご苦労さま」の胴上げをしてもらった思い出あり、太田先生からは記念の本(当時出たばかりの『戦後日本教育史』か)を頂いたことも憶えています。
 話がそれました。梅根先生は、さらにその後自宅で転倒・骨折され不自由な生活をおくられることになり、入院加療のなか、1982年3月・76歳で永眠されました。梅根先生は私にとって直接にお話する機会もなく、はるかに遠い巨人。日本教育学会関連の電話のみの思い出でしたが、間接的には忘れ難い存在。一つには小川利夫さんを通して、あと一つは言うまでもなく和光大学の7年間の仕事を通して「梅根・大学論」に身をひたしたことになります。(続く)

4048号【 5月 3日】
■≪梅根悟の大学論≫
 少しうすら寒い五月、元号騒ぎで過ぎていく連休です。今日「憲法記念日」。朝日はいわゆる九条俳句「梅雨空に“九条守れ”の女性デモ」の訴訟問題を取り上げ、「“梅雨空に”は憲法史に長く刻まれるべき一句だろう」と(天声人語)。沖縄の憲法問題は、歴史的にも生活的にも、もっと重い問題。アメリカ占領下「憲法が凍結された社会」がどのようなものであったか。復帰後、憲法が適用されたなかでも、とくに「地位協定」が問題だと。「復帰から47年。憲法や国内法で定められた権利は、米軍の特権などを定めた地位協定や関連取り決めによって侵食され、虫くい状態」だと(沖縄タイムス社説、上掲)。
 さて、中野光(著)『梅根悟―その生涯としごと』(新評論、2019)に話を戻します。いくつか書いておきたいことがあります。この数号、先のばししてきましたが、やはり和光大学で仕事をさせてもらったものとして、思い出いろいろ。わずか7年間でしたが、振り返って貴重でした。
 私にとって「梅根悟」は、はるかに遠い巨人の存在でした。東京学芸大学を定年退職し和光大学に誘われて移ったのは1995年。当時、初代「梅根悟」学長はすでに亡く、没後15年が経っていました。しかし中野さんが書いておられるように、和光に「生きている梅根の思想」(p140)は色濃いものがありました。実際に梅根悟に学んだ人たち、ともに大学創設にあたり、大学紛争のなかで学生たちに対峙した人たち、が同じ研究室棟・同学科のメンバーに。「自由な研究と学習の共同体」「小さな実験大学」「開かれた大学」「プロゼミ」など梅根が語ったであろうたキーワードが、折にふれて論じられました。間接的に巨人・梅根に接している感があって、私にとって第二の職場は、それまでにない人たちとの出会いがあり、大学論のテーマがありました。
 前々号に写真を紹介した石原静子さんについては、繰り返し中野・梅根本で引用されている人です。加えて東京教育大学時代・梅根ゼミの中心にいた(伝説的なエピソードも聞いた)池田貞雄教授は、和光大学の同じ壇上で、一緒に最終講義(2002年1月26日)をした同年生(ともに70歳)。池田さんはマカレンコを語り、私は沖縄・東アジア研究を語って、同じ日付で退職しましたが、1ヶ月後に池田さんは急逝されました。ご冥福を祈って写真1枚を掲げます。
2002和光大学(人間関係学部)最終講義。三橋学長の挨拶、左に池田貞雄教授,、右に小林(20020126)
  *関連記録・写真→■


4047号【 4月28日】
■≪4・27定例研究会・記録ありがとう!≫
 花粉症の酷い季節が過ぎ、東京の街路樹にはハナミズキが美しく映える頃となりました。昨夜(27日)の四月定例研究会、ご参加の皆様ご苦労さまでした。久しぶりに韓国のカンネヨン(姜乃栄)さんの話を聞くことができ、日本の社会教育や地域・市民活動のあれこれを考えたひとときにもなりました、充実した1日。
 終了後のイーストビレッジでは、いつになくビールを飲みました。姜さんはまったく飲みませんが、ビール酒豪と隣り合わせ(誰でしょう?)となり、つられて最後まで飲んでいました。「帰りましょう」と促されて席をたつ始末。皆さんの帰宅は「午前零時の針」もまわっていた頃か。それから半日ぐらいしか経っていないのに、長文の研究会記録が届きました(上掲)。金亨善さん(東大院)有難うございました。もしかすると徹夜気味?ではなかったかと恐縮しています。久しぶりに、ぶんじんのカメラから写真2葉も載せて、ホームページへ。
→■http://www.bunjin-k.net/kenkyukai2016.htm
 この夜、研究会に初参加の方2人。写真では、前列左から入江優子さん(東京学芸大学)と富澤由子さん(杉並区、もと区議)、ご参加歓迎!です。那覇の鷲尾真由美さんから、4月13日の名護・やんばる対談、トーカチ祝いの写真をたくさん送っていただき(上掲)有難うございました。当方のカメラには、黄金色のトーカチ衣装姿はなく、写真としては初めて目にしました。今回お送り下さった「入場」のときなど、杖も放していたこともあり、ずいぶん緊張していたことを思い出します。稲嶺進さんと最後のカチャーシーを踊っている場面と一緒にHPへ。4月13日の記録ページにも掲げましした。→■http://www.bunjin-k.net/yotei1901.htm
 前号に「梅根悟」本(中野光著)に触発されて「私の和光大学」のことなど書くつもりでしたが、先のばし。本日は沖縄屈辱の日、四・二八です。関係記事上掲。4月28日の両新聞社説も。
4月定例研究会。前列右端にゲスト・姜乃栄さん。左端には初参加の入江優子、富澤由子のお二人。記録作成・金亨善さんは後列右より2人目。(高井戸、20190427)  撮影・松尾有美さん


4046号【 4月25日】
■≪中野光(著)『梅根悟』を読んでいた≫
 本号は南の風メンバーからの寄稿なく(さびしい!)、TOAFAEC 関係(4月〜6月スケジュール)案内記事及び「おきなわ短信―アイヌ新法成立・民族復権へつなげたい(沖縄タイムス社説・紹介)」のみで構成しました。実は老化・劣化がもたらした大失敗。一昨日にほぼ全文を仕上げていたのですが、送稿予定メールが何かのはずみでMEIWAKU メールに紛れ込み、うっかり一括削除(元に戻らない)作業で消えてしまった、そうとしか考えられない、送信箱のどこを探しても出てこないのです。がっくりきて、再制作の手は進まず、本号発行が遅くなってしまいました。
 この間、事務局長・山口真理子さんメールのみ、元気いっぱい。この4日間で8通もの連絡・案内等メールが着信。本号には、そのうち4通を並べました(上掲)。総会に向けて事務局会議の日程調整など、まことにご苦労さま。会計報告や予算づくりの作業もあって、諸事おしつけるかたちとなり、申しわけない思いです。
 風4036号に上平秦博さん(協同総合研究所)が、中野光 (著)『梅根悟:その生涯としごと』(新評論、2019/2/28)について書いたメールをご記憶でしょうか。この一両日「南の風」を編むのがイヤになって、「梅根悟」を読んでいました。中野さんは私より2歳上の長老。しかも(ご本人も「あとがき」に書いておられるように)「黄斑変性症による視覚障害者」、かなり目が不自由になられていることを知っているだけに、この大テーマに挑まれたことは驚きでした。「梅根悟」を創始者とする和光大学で私も仕事をさせてもらった身、研究室が同じフロアにあった石原静子・池田貞雄の両先生(お二人とも亡くなられた)はじめ、この本に登場するいろんな方々との思い出もあり、少し書いてみたいと(あらためて)思っています。まず数多く登場する石原静子先生が私たちの研究会にお出でになり、イーストビレッジで飲んだときの写真を掲げておきます。ぶんじんはかなり酔っています。
左より伊藤武彦(和光大学)、故石原静子(同)、小林の各氏 (イーストビレッジ、20060922)


4045号【 4月20日】
■≪台風一過のような・・・≫
 今回の名護行き「トーカチ」祝い、なにか台風に吹かれたような数日でした。日頃会えない皆様と、同じとき一堂で盃をあげる喜び、いろんな思い出が重なって、脳裏をたくさんの風が吹きぬけた感じ。興奮していました。久しぶりの方々が多く、御礼の言葉もうまく出せず、帰京してようやく夢から醒めかけています。当日のケイタイには、生憎参加できない旨の電話がいろいろ。なかには忘れかけた(すぐに思いだせない)方もあり、ひととき混乱、失礼もあり、お許しください。それにしても忘れ難い数日となりました。
 セイビンさんとぶんじんが関わるプログラムには、必ずといってよいほど台風がやってきます。2002年8月末の社会教育研究全国集会(第42回・名護集会)は、やんばるらしい心のこもった準備が整っていましたが台風襲来。初日プログラムは中止となり、大交流会も翌日に。第一全体会は臨時即興の企画に切り替え。夜のヒージャー(山羊)会など催して(稲嶺進さんと世話人)急場を切り抜けました。3年前の「85歳トゥシビ」祝いの日も、やはり台風のため訪沖のフライトが危なくなり、「中止しましょう」などと提案したほど。結局はうまく開かれたのですが、ひと騒動でした。
 今回の「トーカチ」もともと昨年秋の日本社会教育学会大会(名桜大学)に合わせて予定されました。。沖縄やんばるの地域文化をみんなで体感するいい機会だと期待、しかし台風襲来で吹っ飛びました。トーカチ実行委員会は今年に持ち越して2年にわたる準備にあたっていただいたのでした。強烈な、暖かい台風が過ぎ去りました。
 沖縄の長寿の祝いとして、97歳「カジマヤ−」(風車)の慣わしがあります。皆さんが「次はカジマヤ−!」と励ましてくださいました。まさに冥利に尽きる思い。あと9年も健康を保てるかどうか全く自信はありませんが、股関節の大工事に成功したばかりの身、妙に楽天的になっています。
 玉那覇正幸さん(宜野湾市)から写真を送っていただき、有難うございました。
 本号ホームページの写真は、会場に掲げられた琉歌三つ(島袋正敏さん・上掲)とサンシンでうたう岸本力さん(2002年・全国集会事務局)の演奏。あれからすでに17年が経過しています。
祝いの琉歌三首(島袋正敏さん)と岸本力さんの演奏(名護市城区公民館、20190413)


4044号【 4月17日】
■≪カメラの自分史≫
 デジカメの写真を初めてTOAFAEC にもってきたのは、私の記憶ではたしか江頭晃子さん。今世紀に入ってすぐの頃でした。ホームページに貼り付け可なので、一も二もなく古いカメラ(それまでキャノンを愛用)をデジカメに切り替え。しかし、慣れないうちに3、4台を失った記憶も。たとえば買ったばかりのデジカメを家に忘れ、やむをえず講演先の大阪で別に買って、手につかず帰路にはどこかにまた忘れるなど。それでも皆さんご存知のリコーの機種が手になじんで約15年、たくさんの画像をホームページに載せてきました。
 しかし、こちらの体調不全をみすかすように、数年前の「やんばる対談」あたりからカメラも不調となり、なんどか蘇生しましたが、ついにダウン。この3月からようやく新しいカメラを木村雅俊さんが中古で持ってきてくれて、なじみとなりそう。この3月の研究会からバッグにしのばせ、今回の名護の旅ではかなり撮りました。まずまずの出来を選りすぐって、ホームページにアップしはじめています。
 一つはホームページ表紙の写真。桜の季節なので善福寺川の花見を載せていましたが、名護の旅で、ヒンプンガジュマル(國指定天然記念物)を候補に撮りました。しかし小公園の横の密集したガジュマルのむんむんした勢いが目に入って、さきほど桜からガジュマルに切り替えました。→■ TOAFAEC 活動も横に広がるエネルギーがほしいと願ってのこと。ただ通りすがりの撮影ですから、空はやや時雨模様。青空でないのが残念です。
 あと一つは、今回のトーカチ祝いの会場スナップ。前号は稲嶺進さんと城青年会の「かぎやで風」演舞。本号にはトーカチ祝いの飾りつけ(下掲)をキャプションつきで。いろんな方がお祝に見えて「あやかりの盃」に“保護者”山口真理子さんがお酒を注ぎ、ご挨拶を受けたのです。お米を盛りつけた三つの桝の向こうには末本誠さんの姿がみえますね。卓上「八十八歳祝いの琉歌」は、「米のことぶきの 祝の酌盛ゆし 子孫栄て 百歳みしょれ」(読み人しらず)と。名護・比嘉久さんから教えていただきました。このようなトーカチの飾りは、名護やんばるだけでなく全琉ほぼ同じだそうです。
トーカチ祝いの飾り(右:赤いバーキ(ざる)に盛ったお米に竹のトーカチ3本、中央:桝(下より1升、5合、1合)それぞれに白米、左:あやかりの盃三つ重ね、
手前の黄紙にトーカチ琉歌)ー名護・城区公民館、20190413


4043号【 4月15日】
■≪「やんばる対談」「トーカチ」祝い御礼≫
 名護から昨晩帰ってきました。前号に収録していなかった上掲・島袋セイビンさんメールは、やんばる対談直前に分かった残念な他界ニュース。今年の「やんばる対談」12(「やんばる・名護の地域青年運動の歩み・現在・これから」会場・名護博物館)、いつもながらの短い時間に充実した語り合いでした。約3時間、もっと話が続けばと思うところで名残り惜しく閉会。これからの記録づくり、山城千秋さん(熊本大学)を中心に、どうぞよろしくお願いします。城区青年会のことについては、城区の渡口裕(ひろし)さん(名護市教育委員会)に少し書いていただいてはどうか、とセイビンさんとも相談しました。
 4月13日(土)夜は ぶんじん「トーカチ」祝いの集い(城区公民館)でした。各地から皆さん集まっていただき有難うございました。名護自慢の質の高い地域芸能のなかに身をおいて、終生忘れることのない感激の夜となりました。ステージ上に島袋正敏さん揮毫になる「トーカチ」祝いの墨筆大書、琉歌三題も花をそえ、地謡を含め、たくさんの方々の演舞演奏。まず座開き「かぎやで風」、城区青年会とともに踊る前市長・稲嶺進さんの舞い姿(写真)は胸にジンとくるものあり。
 サンシンの響き、青年会の太鼓、踊り(屋部「手間戸」)の流麗と色気、城区青年会エイサー「國頭サバクイ」の湧きき起こる活力、名護やんばるの地域の芸能の豊かさ深さを実感。締めに皆さんと一緒に(ぶんじんもヨロヨロと立って)踊ったカチャシー、最後の宮城満さんの懐かしい子守歌(ゼミの学生たちによく歌ってくれた)など、やんばるの文化と人の情に包まれたひとときでした。
 あらためて名護の皆さん、そして各地から参加の皆さんに心からの御礼を申しあげます。「風車」(カジマヤ−97歳の祝い)まで生きて、またこの喜びを味わいたいものだ、そのときはセイビンさんと合同「トゥシビ祝い」という人もあり、そうだ!頑張ろう!と気持ちを新たにした次第です。さきほど届いた「公民館の風」(内田光俊さん発行)でも祝っていただき有難うございました。

「トーカチ」祝い座開き「かぎやで風」を踊る城青年会と稲嶺進前市長(右)ー名護市城区公民館、20190413


4042号【 4月 9日】
■≪やんばる対談は花粉症を直す≫
 本号は4月27日(土)の日程:四月定例研究会(第261回)、同日の年報編集委員会(高井戸地域区民センター・同会場)、併せて久しぶりの韓国生涯学習研究フォーラム(第85回・風の部屋)、各「ご案内」が並びました。関係の方、関心おもちの皆様、ご予定ください。いつもの月最終・金曜日ではなく、今回は(ゲストの都合により)1日延ばして土曜日の開催です。お間違いのないように。韓国研究グループの皆さん、各「ご案内」作成、有難うございました。
 名護・島袋正敏さんからは、4月13日(土)予定「やんばる対談」の準備状況、対談の進め方について、連絡メールを頂きました(上掲)。当日は、沖縄三区・衆議院補欠選挙・公示期間の真只中、忙しい方があるやもしれず、やや気になりますが、大丈夫らしい。「対談」では、やや遡って1960年代からの地域青年運動についての証言もお聞きできるようで、楽しみです。夜のトーカチ祝いを含め、いろいろお世話になると思いますが、どうぞよろしくお願いします。
 今年のぶんじんは、花粉症がたいへんでした。ときに発作的に激症があり、大事をとって外出を控えてしまいますから、当然のこと激しい運動不足。ずいぶん(回復してきた)脚力も衰え、慢性的な体調不良、欲求不満、不機嫌など多機能不全。杉花粉だけでなくヒノキ花粉にもやられているらしい。この数日はようやく回復のきざしあり。
 これが沖縄の大気にふれたとたん、数時間で直ります。多分に精神的な要因も重なっているのでしょう。昔、3月には10日ほど沖縄に退避旅行をしたこともあり。ちょうど海勢頭豊・パピリオンの閉店の年と重なり、毎日店に通った懐かしい思い出も。今年いよいよ「やんばる対談」、4月12日に沖縄行き。那覇を移動中に完復するはずです。

4041号【 4月 7日】
■≪「やんばる対談」近づく≫
 3月29日の定例研究会が終わって、四方山話のなか、次回(4月)定例会をどうもつかの話題へ。いま日韓関係が悪化をたどっていますが、市民サイドでこれに取り組む動きあり(「日韓市民連帯」など)。その集いで来日(4月下旬)する姜乃栄(カンネヨン)さんの話を聴こうということになりました。毎月最終金曜日に定例化してきたスケジュール、姜さんの都合に合わせ、1日のばし土曜日(4月27日)への日程変更、久しぶりに姜さんとお会いできます。当日の「定例研究会ご案内」、韓国研究フォーラムのどなたか(やはり李正連さん?)書いていただけませんか。
 さて今年の「やんばる対談」(第12回、4月13日)が近づきました。名護の島袋一平・比嘉真椰お二人で作業した資料・名護地域青年団の歴代団長名一覧・活動記録の詳細表を送っていただき感謝! こまかな作業、何よりの資料、お二人ご苦労さまでした。字ポイントが小さく読むのに少々難儀していますが、この表をもとに名護・地域青年運動の歴史的な変遷や特徴など、「やんばる対談」で語りあえるのはでないかと楽しみ。また山城千秋さん(熊本大学)には、沖縄の地域青年団運動について、少し整理して発言いただけないでしょうか。
 前号本欄にご紹介した入江優子さん(東京学芸大学准教授)の長文メール、ご了解を得て上掲しました。なんと!名護・東江(あがりえ)育ち、「ちょうど名護博物館の開館時の小学生」とのこと、驚きました。当日お会いできる?こと、期待しています。かっての沖縄社会教育研究会の一コマ。鷲尾さんから送っていただいた30年前の新垣重雄さんのサンシン写真(東京学芸大学社会教育研究室)を下掲。山辺賢蔵さんすでに亡く、新垣さんは老人会長!ぶんじんはトーカチ年代、いつまでも若いのは鷲尾真由美さんだけか。当時の研究室風景が懐かしい。ゼミ室ながら、並んでいる酒ビン、数えて10本ちかく、ここで論じ飲みかつ唄い、学びあってきました。本号収録記事、すべて南(沖縄)に関連する便りばかり、この上ない喜びです。
1990年頃の沖縄研究会(学大)、左より山辺、鷲尾、小林、新垣各氏(社会教育研究室・学大)  鷲尾さん提供
  
*沖縄社会教育研究会記録(1986〜1995年)→■


4040号【 4月 3日】
■≪元号「令和」について≫
 前号の続き。3日前の TOAFAEC /三月定例研究会・年報編集会議の諸記録を風・前号に収めて各位に送信。それと入れ違いに、松尾さん(東大院)から260/研究会報告(上掲)が届きました。数分違いで残念でした。前号をすこし早めに出しすぎたのかも・・。そして研究会で小田切さんが提起した、日韓市民「法感覚」のずれ、その再論をお願いしたところ、早速に送っていただき、本号に並べることができました。有難う(上掲)。だいじな論点だと思われますが,韓国研究フォーラム・他の皆さんのお考えは如何でしょう? 関連してこの機会にご意見等をいただければ幸い。
 さてこの間、世は新「令和・元号」さわぎ。とくにテレビは軒並みやや異常な報道。当方はこの騒ぎを横目にみて、ここには書くまいと思っていましたが、やはり気になる。日本天皇制は“万世一系”明治以降「一世一元」の歴史。戦後・新憲法下でも「昭和」が続くことになる。皇室典範のなかにその基となる条文が消えても、その後の彼我論議のなか、1979年「元号法」が制定されました。昭和天皇のあと「平成」が定められた折、ある歴史学者が言った言葉を思い出します。「ぶんじんさん、やはりこれは歴史学者の敗北だ!」とうめくような声を忘れられません。私たち沖縄研究メンバーは、中国留学生を同行して、奇しくも沖縄・今帰仁の地で「平成」を聞きました。このことはいつか本欄に書いた記憶。
 今回の「令和」はどうか。元号制がすっかり定着?したことについて、歴史学者は今なんというだろう。同時に元号として確定した「令和」について、国語学者は発言しないのだろうか。なんとしても「令」の字が気になる。手もとの漢字辞典(角川)を引いてみると、令の字を上下に分けると、上は「会」人をあつめる意、下は「人がひざまずいた形」から成ると。人を集めて従わせる、いいつける、命じる、おしえ、いましめ、等の字義が並びます。その流れで「善い」「おさ」の意味も含むことが示されています。加えて令旨、令兄など並んで、巧言「令色」の用語も辞典に出てきます。今朝の朝日新聞「声」欄でも、「令」は使役の意味がまず浮かび、国民主権の立場から「仰天した」という声が目をひきました。ここで国語学者に登場してもらいたいもの。
 本日、当ホームページをご覧になって、TOAFAEC 活動に関心あり、できれば参加したいとのメールをいただきました。歓迎です。風を本号からお送りするようにします。「風は双方向に吹く原則」、出来れば頂いたメールを「風」に載せていいですか。別に自己紹介などお送りいただければお待ちします。
年報編集会議、引き続き3月
定例研究会 (高井戸、20190329) 松尾有美さん撮影

はるばる参加の内田純一(高知大)、上野景三(佐賀)両氏、小田切さんカメラ (懇親会、20190329)


4039号【 4月01日】
■≪TOAFAEC 3月日程終わる、4月へ≫
 3月定例研究会(29日)、皆さま、お疲れさまでした。高知から内田純一さん(もと事務局長)、佐賀から上野景三さん(現代表)が参加され、賑やかな夜でした。ご案内したように、日本社会教育法70年、あわせて韓国平生(生涯)教育法20年の歩みを意識しながら、立法論への視点、お互いのこれからの課題も考えようというテーマ。やはり夜の時間帯はなんとも短すぎる。小田切さんが熱弁をふるい、ぶんじんも少しコメントしましたが、論議を深める時間は不充分。当夜の研究会内容・概要は松尾有美さんから送られる予定の報告をご覧いただきましょう。
 いくつもの課題を考えた夜ではありました。小田切さん発言のポイントは「・・社会教育法制にも上昇型の政策循環を作ろう。まず日本の市民の法感覚を変えていく必要がある。韓国の市民の法感覚から学ぼう」と(上掲)。「韓国の市民の法感覚」とは、具体的にどのようなことか。あらためて南の風に短くすこし書いていただけませんか。
 当日は、年報24号編集会議も開かれました。今年は二つの特集が組まれる予定。大枠の執筆・依頼も進んでいる状況です(上掲・李編集長報告)。ご覧のように、本号は「韓国生涯フォーラム」からの諸メールが並びましたが、中国研究フォーラム(あるいは東京研究フォーラムから)のご意見などあれば、あらためてお寄せください。
 本欄を書いているこの時間、たまたまテレビは新「元号」のことで大騒ぎ。私たちの研究会は、ひとまず3月日程を終わり、これから4月スケジュールに入るときに重なりました。まずはじめのスケジュールは、4月13日(土)名護での、ぶんじんトーカチ祝いへ。4月月末の編集会議・定例研究会の日程は、ゲストの都合により(予定の最終金曜日26日ではなく)、翌4月27日(土曜日)に変更しようということになりました。あらためて風に案内を掲載します。
第260回研究会・小田切さん報告 (高井戸、190329)、李正連カメラ


4038号【 3月29日】
■≪花の季節に〜まだ花粉症≫
 桜は満開、この週末は花見の席があちこちに・・・などの便りが届いてきますが、花粉症の身には、あまり楽しい話題ではありません。かって勤めていた小金井・東京学芸大学は桜の老木が並び、研究室でも、留学生を交えて楽しく花見の会を開いたもの。あの頃に花粉症が発症したのでした。
 新入生を迎える正門の道、両側の桜並木の見事な饗宴。本部棟のまわりに咲き誇る花々にも小鳥が飛び遊んで、学長室横の会議室から見ていると、のんびりしてうとうと。アレルギー症の薬にまだ慣れず居眠り状態になったことがありました。当方(学生部長)の議題なのに・・・ウトウトして隣の学長が助太刀されたこともありました。懐かしい話です。
 永福の住居近くの神田川・善福寺川の夜桜もまた見ごたえあり。しかし最近は(杖をついているし)出かけることもなくなりました。きっと今晩あたりは、花は妖しく咲いているだろうにと、思えど心は動かず。せめて私たちのホームページ表紙写真、善福寺川畔の桜の一枚に差し替えましょう。→■http://www.bunjin-k.net/
 幼い頃(久留米)、古家の庭の一角にヨシノ桜の大木がありました。横に防空壕を掘った記憶。強制疎開で引っ越しを迫られたとき、切り倒されました。戦後、裏の別の家での生活が始まりましたが、ここには染井吉野から少しおくれて咲く山桜が、玄関脇にいい風情で私たち家族を迎えてくれた思い出。夏にはセミ。道からの入り口角に、玉虫がひそんでいたエノキの大木。小さな庭でしたが老母がよく草取りしていた風景。強制疎開でつぶされた庭から移した石灯篭も三つほど。明治中期からの古民家風の懐かしのわが家でした。
 それらを含めて、昨年末すべて処分し売却。いまサラ地になっていて、おそらくマンションが建つらしい。守ってきた赤いレンガ蔵もなくなりました。ただ古い石灯篭のうち小さめの2体は、油山の庭まで運んでくれて(農中茂徳さんに感謝)、祖父からの遺品となりました。油山の隠れ家はまだ残っています。花粉症の小金井桜の話から故郷の家の顛末まで、妙な話になってしまいました。今日(29日)高井戸で3月定例研究会、横の神田川の桜も盛りでしょう。報告・小田切さんから充実したレジメ。皆さん、お出かけください。

4037号【 3月27日】
■≪『回想でつづる地域社会教育運動史』構想≫
 お詫び:前号の発行日の記載が抜けていました。4036号発行日は3月24日でした。また、TOAFAEC 事務局長・山口真理子さんより、研究会案内「当日の連絡は山口真理子まで」などとしてケイタイ・ナンバーを表記してきましたが、これをやめようとのご意見あり。反省の上、管理者としてホームページ内ケイタイ表示を消去しました。まだ今年分だけ。昨年までの分も追々に。ご了承ください。皆さま点検ください。ついでにホームページ内の誤記などお気づきのところあれば、ぜひ、ご一報を。なにしろ90歳近いぶんじんが管理しているので、気づかないミスもあるはず。遠慮のないご指摘をお願いします。
 さて片野親義さんより、南の風に「回想」シリーズの提案あり(風4034号)。風への積極的な期待、ありがとうございます。「単なる思い出話ではなく、過去と現在と未来をつなぐ回想になるように」とのコメントも貴重。この直後に北田家の火災あり、私たちは言葉も出ない悲しみに包まれています。風(ぶんじん)は、せめて追悼の思いをこめて、教科研(初期)運動の回想、「月刊社会教育」編集での北田耕也さんの思い出(の一コマ)を書きました(前号本欄)。まだいくつも書きたいことがありますが・・。
 ご承知のように、私たちの研究会(TOAFAEC)では、昨年末から「じんぶんヒストリー・プロジェクト」を始めています(担当は江頭晃子さん)。1月研究会で2回目。また(自慢話になってはいけませんが)、ホームページにはこれまでの風記録や諸論文・エッセイが集積されています。記憶やフイールドワークをつないだ(シリーズとしての)記録、あるいは「いい記録」となる宝の山がたくさん。例をあげてみましょう。竹富島憲章と妻籠の町並み保存運動(信州妻籠の公民館は戦後第1号の公民館)をつないだ記録があり、読み直してなかなか面白い。→■http://www.bunjin-k.net/tumago07.htm
 本号には、松本の独自の公民館体制・活動をつくってきた矢久保学さんがこの3月で定年退職、そのご挨拶が届きました。電話では、松本での仕事を振り返って、5本ぐらいの「回想」を寄せてほしいとお願いしました。忙しい人だけど、きっと送ってくれると楽しみです。言い出しっぺの片野さんも(体調の許す範囲で)浦和の公民館か、社全協運動か、公民館学会創設期(片野さんは初代副会長)など、どれかについて、まずは5本をめどに回想を寄せてくださいませんか。いろいろ並んだところで、全体的視野で整理・編集しながら、いい本ができるかもしれない。題して(仮)「回想でつづる地域社会教育運動史」構想、みんなで論議し深めていきましょう。

4036号【 3月24日】
■≪北田耕也さんの想い出≫
 前号では北田耕也・羽江忠彦お二人の訃報。続いて本号では、沖縄・今帰仁・運天漁港に横たえられたジュゴンBの訃報を掲載しました(「おきなわ短信」1421号)。もしかすると沖縄のジュゴンはこれで絶滅したのではないか。なぜ環境省は絶滅危惧種としての保護指定に消極的だったのか。「基地建設の妨げになるとの理由で、辺野古・大浦湾を頻繁に利用する野生生物に保護の網を掛けなかった」疑問(上掲)。心痛むジュゴンの死です。
 さて本欄では、前号で報じた北田耕也さんの想い出を書きます。2歳違いと記しましたが、ほぼ同じ世代のように見えて、実は大きな違いがありました。北田さんは、旧制高校(佐賀高校)に入学した世代、ぶんじんは新制高校の卒業でした。しかし同じ九州の出身(北田さんは小倉)ということもあり、親しく話をする仲だったのです。懐かしい場面がいくつも蘇ります。戦後「教科研」の再建、雑誌『教育』(国土社)の復刊(1951年)に呼応して、いち早く福岡教科研が動き、九州教科研大会(私たち学生も参加、会場・大分日田)が開かれた折、勝田守一、大槻健等の先生方と一緒に、「教育」編集に実務的に携わっていた北田さんも見えていたように記憶しています。教科研(社全協)事務所にその写真1葉(ぶんじんの顔も見える)が掲げられていましたが、今はどうか。
 福岡教科研では宗像誠也、周郷博、大田堯等の先生方が来福され、今にして思えば貴重な話を聞く機会に恵まれました。ぶんじん油山書庫に雑誌『教育』(創刊号を含む)バックナンバーが揃っているのは、福岡教科研や「久留米『教育』を読む会」(1955年〜)の活動をしていたからでした。そんな話を北田さんにしたことがあります。
 1973年から1976年にかけて、『月刊社会教育』編集長をつとめたことがあります。毎号の編集プランをすべて編集長が提案していた時代。部数がなかなか伸びず、国土社々長に呼ばれ、発行部数増の強い要請を受けたことが何度かあります。その都度、北田さんにご同道願って急場をしのいだものでした。当時は多分、東洋大学教授の頃か。帰路、目白駅近くの酒場で酒を汲みながら、出版社の内情を教えていただき、印刷労働者(当時は活版、活字を拾っていた)の奮闘を聞いたり、いつも励ましていただいたものでした。下の写真は「月刊社会教育」600号祝賀の集い、北田さんスピーチのスナップです。

在りし日(「月刊社会教育」600号祝賀会、20051001) の北田耕也さん

4035号【 3月20日】
■≪悲報あり≫
 NHK ウエッブニュース(03月16日21時32分)「16日午後、埼玉県小川町で、住宅1棟が全焼する火事があり、焼け跡から1人の遺体が見つかりました。16日午後5時すぎ、埼玉県小川町大塚の北田耕也さん(90)の木造2階建ての住宅から煙が出ているのを近所の住民が見つけ、消防に通報しました。火はおよそ2時間半後に消し止められましたが、焼け跡から1人の遺体が見つかりました。また、北田さんの妻(84)も煙を吸って病院に搬送されましたが、命に別状はないということです。火事のあと、北田さんと連絡がとれていないことから警察は、遺体は北田さんとみて身元の確認を進めるとともに、火事の詳しい原因を調べることにしています。現場は、東武東上線の小川町駅から西におよそ 500メートルの住宅地です。」
 こんな悲しいニュースがあろうか。新藤浩伸さん(東大)からも電話あり、このNHK ニュースは誤報ではないようです。北田耕也さん(明治大学名誉教授)とは2歳違い、1960年前後からのお付き合いでした。北田さんの文章にはほれぼれする深みがあり、とくに私の沖縄研究に関心をもって頂き、会うたびに激励していただきました。当方の長期入院もあり、最近はほとんどお会いする機会なし。残念無念のひとこと。
 訃報は重なるもの。やはり1960年前後、一緒に筑豊・穂波町調査に熱中したフイールドワーク仲間・羽江忠彦さん(社会学、もと熊本商科大学教授)が亡くなられました。農中茂徳さんからの報せ(昨日)。入院していたとは聞いていましたが、急逝! これまでのご厚誼を謝し、心からご冥福を祈ります。合掌。
 本欄は、片野親義さんの「回想」シリーズ提起への返信を書いていましたが、差し替えて全文を次号にまわし、残念ながら、お二人の思わぬ訃報記事となってしまいました。

4034号【 3月17日】
■≪「トーカチ」祝い≫
 沖縄研究を志してすでに40年余り、この間に各地でいろんな集いをもっていただきました。思いもかけず「ぶんじん歌碑」(八重山・平久保)も。60歳の誕生日には、たまたま沖縄滞在中という事情もあって還暦の祝い(1991年、那覇「あんつく」)、名護で「85トゥシビー」祝い(2015年、名護・城公民館)。このたびは再び名護の皆さんによる88歳・米寿「トーカチ」祝いの企画。ぶんじんはまことに果報者です。
 沖縄や奄美では、生まれ年の十二支を同じくする人の「生まり年」を祝う慣わしがあり、公民館等で「合同生年祝」が盛大に催されます。生まれ年は12年おきにまわってきますから、数え年13・25・37・49・61・73・85・97歳に生年の祝い・無病息災を願う集いが催されるのです。とくに97歳の祝いは「カジマヤ−」(風車)と称し、牛車にのって風車をもった長寿の盛大なお祝い。賑やかなパレードに出会った思い出もあります。
 米寿「トーカチ」は12歳おき「トゥシビー」の系列に入らず。「九州にはトカキ(斗掻き)というところが多く、沖縄のトーカチは17世紀の薩摩が沖縄を支配したあと薩摩から伝来したものと考えられる」(沖縄大百科辞典)と。そういえば少年の頃、一升桝に盛ったお米を平らにならす棒を「トカキ」と呼んでいました。ちなみに沖縄では77歳の喜寿を祝う風習はないようです。
 4月13日午後の「やんばる対談」(会場=葛草庵ではなく今年は名護市博物館)、夜の「トーカチ」祝い(博物館近く、城公民館)、もしご都合つけば名護でお会いしましょう。太鼓・サンシンも響く興味深い祝宴。セイビンさんによれば(85トゥシビーでは平装でしたが今回は)琉装を用意したいとのこと。ヤマトゥンチュの琉装(帽子も?)はきっと似合わないだろうと、いささか緊張気味。
 片野さんから、前号を受けて「回想」シリーズの提案(上掲)をいただきました。「じんぶんヒストリー」企画とも関連あり、次号に書くことにします。

4033号【 3月12日】
■≪ある回想≫
  2月の春節、さいたま市の片野親義さん(年賀状を頂いていた)などへご無沙汰お詫びの「寒中見舞い」を差し上げました(風4023号所収)。嬉しい返信(上掲)あり、片野さんへ南の風送信のきかっけとなりました。ずいぶん前にも一時期、風を送ったことがあったような記憶。今回、昔の仲間と再び相まみえる感あり、懐かしい限り。長文の回想・近況を有難うございました。
 振り返ると永いお付き合い。社全協・調査研究部で取り組んだ自治体「条例・規則」研究では、確かに「四谷会談(よつやかいだん)」。この宿では、故小川利夫さんや故海老原治善さん、旧自治労の川崎市職労グループなどと、E.ゼルピの本づくりや大都市研究まとめの議論「四谷会談」で泊まりこんだこともありました。遠慮のない議論が懐かしい。
 片野さんメールを読んで、こちらも回想ひとつ書きたくなりました。毎年夏の全国集会や学会での宿泊、いろいろ話題が残るものですが、有志による本づくり・研究的な泊まり込みにとくに忘れ難い想い出が蘇ってきます。その一つ。2008年1月の正月明け,「自治公民館・集落の地域づくり」分科会(社全協・全国集会)に関連して、本づくりのため、有志で南木曽(なぎそ)温泉に一泊したことあり、10年あまり前のことです。
 妻籠を歩き、翌日は馬籠へ出て、中津川で解散。一行は、今は懐かしい美若忠生(岡山)、松岡伸也(貝塚)、伊東秀明(横浜)、矢久保学(松本)、築山崇(京都)−敬称略−それに小林。これに星山幸男(仙台)や山城千秋(沖縄)等の各氏を加え、まとめをつくろうという企画でした。2002年・名護集会から積み重ねてきた「小地域」「集落公民館」「地域づくり」などの論議を一冊にしようとの構想。しかし、分科会(8年続いた)はその後全国集会に設置されず、刊行OKの姿勢だった国土社々長・丸山さんは急逝。そんな事情が重なり、出版は実現しないまま未発に。せっかくの論議もまとめに至らず、残念至極。いつの日にかリベンジをと8年にわたる分科会記録・地域報告(主要な骨子、事例約30)をすべてHP収録。→■http://www.bunjin-k.net/jitikouminkan.htm 
 妻籠宿のスナップ1枚探し出しました。中央・美若さん、お元気かしら。左・築山さんはいま京都府立大学長、右は伊東さん(下掲)。
 片野さんメールが長文なので「おきなわ短信」は短い記事にしました。やんばる源河の「リュウキュウアユ放流」ニュース。沖縄美ら海水族館によって続けられているのですね。
南木曽合宿、左より築山崇、美若忠生、(一人おいて)伊東秀明の各氏 (信州・妻籠宿、20080105)


4032号【 3月 9日】
■≪昨年11月の写真≫
 3月29日(金)夜の定例研究会(第260回)ご案内を上掲→■。テーマは「日本・社会教育法を考える−東アジアの社会教育・生涯学習法制の動きから学ぶもの」。報告者は小田切督剛さん、関連してぶんじんも少し発言の予定。同日にTOAFAEC 年報の編集委員会(第2回)も予定されています。別途に李正連編集長からご案内がありましょう。
 名護・島袋正敏さんから「やんばる対談」「トーカチ祝い」(4月13日午後・夜予定)準備についてのメール来信。「やんばる対談」のテーマは「名護の地域青年運動のあゆみ」(仮)予定。同じ日に二つの企画、「準備と実施の主要なメンバーの力が二分されますので調整が要ります」とのこと。沖縄三区の補選(玉城デニー知事選出にともなう)告知後の時期と重なりますから、心配になってセイビンさんに電話で様子を聞きました。気にしなくても大丈夫のようです。
 竹富島のリゾート問題(コンドイ浜リゾートホテル計画をめぐって、「竹富島を守る会」の動きなど)その後について八重山毎日新聞記事を「おきなわ短信」(1418)として収録しました。「竹富島を守る会」に好意的な記事。今後の「守る会」の取り組みが期待されます。
 話は飛びます(風に載せていません)が、今年11月に予定される「東アジア研究フォーラム(第5回、北京予定)の日程について、石井山竜平さん(東北大学)より経過報告メールを頂戴しました。ご配意ありがとうございます。日程については、すべて開催国(今年は中国)の都合が優先されるべき。当方のことなど、どうにでもなりますから、ご心配に及ばず・・・どうぞよろしくお願いします。去年の公州フォーラム(第4回)記録については年報第24号(第2特集)に収録されることになり、これからの楽しみ。うまく編集がすすむことを祈っています。南の風としては昨年11月から12月にかけて写真を10枚ほどご紹介しました。あと1枚、ぶんじんが杖をもたずにスピーチしている(おそらく小田切さんが送ってくれた)スナップ、突然に発見しました。HP記録に加えさせていただきます。
小林スピーチ(韓国・世宗、20181103)


4031号【 3月 6日】
■≪竹富島にリゾートホテルの動き≫
 皆さん、あるいはお気づきでないかも・・・と思いながら、訂正記事をひとつ。風・前号の発行日が間違っていました。3月1日と書くべきところ、うっかり3月31日と誤記。本欄をホームページ(ぶんじん日誌欄)へ転載する際に気づきました。吹いた風は戻らない。お許しください。
 いま八重山の竹富島にリゾートホテル計画がもちあがって揺れています。南の風メンバーでもある阿佐伊拓さん(竹富島を守る会・会長)Facebook記事によれば、今日(3日5日)は那覇に出て沖縄県議会へ反対「陳情」活動らしい。ご存知のように竹富島は本土復帰時にリゾート資本・土地買い占めの動きと闘って、島を守ってきた歴史があり、「売らない、汚さない、乱さない、壊さない、生かす」を掲げた竹富島憲章(1986年)は全国の注目を集めてきました。景観だけでなく島の豊かな芸能・文化(たとえば國の重要無形文化財に指定されている種子取祭)も見事、また1987年には町並み保存(重要伝統的建造物群保存)地区に選定されました。竹富公民館に結集した取り組みが続いてきました。
 本号・上掲「おきなわ短信(1417)」は、島の景勝地「コンドイビーチ」(星砂の浜)近くのホテル計画を報じた八重山毎日新聞の記事を載せました。「冗談じゃない」と阿佐伊拓さんも登場。私たちの年報『東アジア社会教育研究』22号(2017年)には拓さんの力作「竹富島憲章と竹富島の暮らし」、ご覧ください。「ぶんじん」にも故上勢頭芳徳さんとの「対談」や、妻籠公民館との関連も含めて、いくつか竹富島報告があります。→■http://www.bunjin-k.net/taketomitaidan07.htm
 今後どのように経過していくか、注目を要します。拓さん、今回の沖縄県議会への陳情文など関連資料を「風」にお寄せください。いま多忙でしょうが、そのうち年報22号に続く竹富島レポートを待っています。当方は杖をつく身、はるか竹富島まで行く体力がありませんが、心は皆さんへの応援の気持でいっぱい! 頑張ってください。
 本号冒頭に今年の年報24号「自由投稿」呼びかけ(李正連・編集長)を掲げました。まわりの関心ある方々に「呼びかけ」を拡げてください。3月定例研究会(3月29日予定)のご案内(小田切さん主報告、ぶんじんコメント)、近く載せます。

4030号【 3月 1日】
■≪花粉症の季節に・・・≫
 花粉症の季節。鼻炎や眼のかゆみの症状だけでなく、体調そのもの・気分がなんとなく不調で楽しくありません。天気予報で「花粉が多い」と出ると、外出も控えがち・・・運動不足も相当なもの。それに昨日(2月28日)は、終日冷たい雨、寒のもどり。少し悪寒もあって、大事をとって休みました。本号の発行は2日延ばし、ご了承を。
 そんななか、お願いしていた木村雅俊さんが新しいカメラを持ってご来訪。有難うございました。かってのニコンとかキャノンの時代とまったく異なるデジタルの仕様。スマホとも違ってバッチリとズーム作動。ただ軽い小型カメラなので取扱説明も諸ボタン等も小ぶりで、ショボショボの目にはつらいところです。時間がかかりそう。楽しみながらゆっくりと参りましょう。パソコンだけでなくカメラも驚くべき勢いで変わっていきますね。
 風4023号「春節」の日付で、ぶんじん「寒中お見舞い」を載せた経過があります。同文のハガキを年頭の賀状を頂いた方々へ、宛名を手書きして送りました。とくに亡妻・富美あての年賀状少なからず、もう没後2年近く経っているのに、その方々には富美の訃報が突然にとどいたかたちになったわけで、申し訳ない思い。この1週間ほど、いくつものご返信をいただき、あらためて皆様に富美がご厚誼を賜ったことを実感しました。
 ついでにぶんじんあてお見舞い状返信メールもいろいろ。本号には学芸大学勤務時の初期の、指を折って数えれば半世紀前にもなる出会い、当時の学生・佐川紀子さんメールを掲載させていただきました。作文教育・生活綴り方運動に熱心な人で、担任の「学級通信」の労作が何冊も当方書庫(油山)に秘蔵されています。いちど会う機会をつくりましょう。ホームページが開けない由、URL(青い部分)−標題4行目−をクリックすれば簡単に出てきます。あるいは検索で「小林文人」を探せば、すぐに顔を出すはずです。
 年報編集委員会(委員長・李正連)から今年の年報・自由投稿の呼びかけが来ていますが、号をあらため次号掲載へ。HP→■http://www.bunjin-k.net/20gou.htm アップすみ。

4029号【 2月25日】
■≪東アジアの研究交流10年≫
 八丈島の茂手木清さんから「八丈方言」3の原稿が届きました(上掲)。今回は思いがけない話の展開となり、山口真理子さんを介して、快く原稿を書いていただき、ありがとうございました。立柳聡さんとの出会いも興味深いものでした。茂手木さんは4月に上京予定とのこと、日程を調整して、お互い40年?ぶりの再会の機会をつくりましょう。
 さて、2月22日の年報24号編集会議(第1回)・2月定例研究会(第259回)にご参加の皆さん、ご苦労さまでした。小田切さん・松尾さん、写真をありがとうございました。
 今年は日本・社会教育法70年、韓国・平生教育法20年の記念すべき年にあたり、あわせて台湾、もちろん中国(そして話題に出ませんでしたがベトナム)でも、それぞれ独自の法制展開が見られました。李正連(東京大学)編集長の積極的な提案もあって、特集テーマは直ちに決定(「東アジア社会教育・生涯学習法制」)。主要な執筆者の候補も決まり、きっと充実した年報になることでしょう。李正連編集長の記録(上掲)にある通り、ちょうど10年前の年報(2009年・第14号「アジアの社会教育・生涯学習法制を考える」)編集の折、ヤンビョンチャンさん(韓国・公州大学)がボランタリーに来日されたことが思い出されます。その後の日韓の心通わす交流が紡ぎ出され、東アジア研究交流の大きな動きをつくる契機となりました。この年をステップに東アジアの生涯学習・社会教育は、法制を軸として、大きな展開となってきたのです。私たちの出会いも年輪を重ねてきたことになります。
 当夜は、編集委員会の在り方も話題に。東アジアの拡がりをもつ一方で、年報を創っていく実質的な体制充実も課題。とかく名目的になりかねない委員会を脱皮していく必要が語られました。編集委員会構成はホームページに掲げていますが、とくに実務を担っていく(東京を中心とする)委員に*印を付して
→■http://www.bunjin-k.net/1-10kenkyu.htm  協力をお願いすることになりました。上掲・李編集長記録に、この部分の記録を数行加えましたので、ご了承ください。
 辺野古新基地をめぐる沖縄県の住民投票(2月24日)について、皆さんの取り組みが稔って「辺野古反対7割超」の結果、沖縄タイムス社説・主要部分を掲げました。
第259回定例研究会・懇親会(高井戸、20190222) 松尾有美さん提供


4028号【 2月22日】
■≪南の島、春の出会い≫
 
2月24日に迫った沖縄の県民投票、本号は「沖縄タイムス」社説(2月21日)を、あえて全文掲げました。戦後沖縄への日本国憲法施行、同記念日の制定などの経過も振り返ってしみじみと読ませます。前号の琉球新報・社説とともに、沖縄各紙がジャーナリストとして辺野古問題と闘っている姿勢が伝わってきます。
 しかもこの間、大浦湾の新基地予定地に海底深く堆積している(いかつい軍事基地にはなんとも不似合いな)ゆるゆるの軟弱層発見。基地構築のためには、ここに鋼管そして砂杭を海底深く7.7万本も打ち込む必要が分かって、使う砂の量は東京ドームの5.25倍とか。いま浅い海岸のみ土砂投入し、埋め立て強行を誇示。しかし今後の基地完成は見通しが立たない。それにもかかわらず、膨大な国費を投入し、辺野古に固執し続ける愚策!などなどの報道があふれています(ここ数日の新聞各紙・1面記事)。勇断とをもって方針を転換すべきだ、すでに「5年以内」と合意できている普天間飛行場は返還を!その危険性固定化を避けてほしい!と願わずにはいられません。
 「南の島」では八丈島の茂手木清さん(教育長職務代理者)と、福島の立柳聡さん(離島コミュニティ学会事務局長)の春の出会いがかないそうです(上掲・メールご参照)。茂手木くんは、山口真理子さんと同期、東京学芸大学の学生時代はワンダーホーゲル部の活動家でした。卒業後はひとすじに八丈島の教師の道を歩んんで来た人。いちど八丈に行くよ、と年賀状に書き続けながら、その後は実現せず、彼とはいちども会っていません。そのうちにいい機会がめぐってくるでしょう。
 花粉症の季節がやってきました。昨晩は酷い症状。これから1ヶ月半ぐらい耐えねばならぬ。沖縄に行くと、数時間で症状がとれるのだが、今は行けぬ、残念。

4027号【 2月20日】
■≪2月18日・普天間飛行場の運用停止期限≫
 東京「SDGいたばしの集い」(2019年3月23日)について、山本秀樹さんから(上掲のように)積極的な呼びかけを再度頂戴しました。有難うございました。「東京23区における社会教育の新たなマイルストーンとなることを目指す」とのこと。集いの成功を祈ります。当日まで若干日数があるようですから、「東京社会教育史研究フォーラム」→■http://www.bunjin-k.net/TokyoForum2016.htm も協力団体として参加してはどうでしょうか。>同研究フォーラム・斎藤真哉さん、井口さん、石川さん(同フォーラム事務局)の皆さん、ご検討ください。
 今日(20日)の衆議院予算委員会では、普天間問題・辺野古新基地問題に対する安倍政権の冷酷さが問われていましたが、しかし「2月18日」期限のことは取り上げられず。実は2月18日は安倍政権が公的に約束した米軍普天間飛行場「5年以内の運用停止」の期限でした。沖縄2誌は、激しい表現で、政権の不作為、無責任を批判しています。本号には、18日・琉球新報社説、あえて全文を掲げました。沖縄タイムスもまた同日社説で[普天間運用停止]政府の責任は免れない、その罪は大きい、と断じています。「政府として米国に対して、5年以内の運用停止を公式協議のテーブルに載せ、真剣に取り組んだ形跡はない。ご都合主義、責任転嫁、牽強付会、我田引水、無為無策。この間の政府の態度を何と表現すればいいのだろうか。・・・普天間飛行場の滑走路補修工事に多額の国費を投入し、その半面、運用停止の期限を迎えたことに対しては、何の「痛み」も感じていないとすれば、政府の罪は限りなく大きい。県、市町村、県議会は一日も早い運用停止に向け、声を上げ続けるべきだ。」厳しい批判です。全文→■https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/386080
 さて、2月22日「定例研究会・年報編集会議」ご案内を再録(上掲)。TOAFAEC 年報編集会議は学会紀要等の閉じられた編集会議とは違って、開かれた編集体制と発行を目指しています。どなたも歓迎、とくに初めての方・大歓迎!です。気軽にお出かけを。遠方の編集委員には、ご多忙でしょうが、ぜひご意見をお寄せください!

4026号【 2月18日】
■≪与那国島・竹富島の島言葉≫
 八丈方言についての報告(茂手木清さん、八丈島教育委員会・教育長職務代理)第2弾が寄せられました。第1報告(風4024号添付)に続いて、興味深し。「南」の風は、沖縄をイメージしてきましたが、八丈島もまさに東京都の「南」の島、思わぬ拡がりを喜んでいます。茂手木さんご執筆、有難うございます。第3稿もどうぞよろしく。
 関連して山口真理子さんから最西端・与那国島の方言・島言葉(ドゥナンチマムヌイ)についてコメントが寄せられ、日本国憲法(前文,9条,13条)のチマムヌイ(島の言葉)訳が紹介されました(上掲)。この機会に、与那国島そして竹富島について関連する思い出をいくつか書いておきます。
 私たちの与那国島調査(報告はHPに収録→■http://www.bunjin-k.net/yonaguni1.htm) は、当時、与那国町教育委員会・教育課長の宮良純一郎さん(その後は石垣で教員・校長を歴任)にお世話になりました。与那国民謡の第一人者であった故宮良保全翁を父にもつ純一郎さんには『与那国誌』(2017年)の著作(共著)−上掲・山口真理子メールに紹介―があります。私たちの与那国調査の際には、宮里家で保全翁の古謡を聞かせてもらったり、沢山の想い出。1999年秋、文部大臣表彰(地域文化功労賞?)を受けて保全翁が上京された折、TOAFAEC で歓迎・祝賀の集いを開いたこともあります。風に記録あり(南の風365号・1999年10月27日など)。
 与那国調査のあと、私たちは竹富島調査に入りました。お世話になった上勢頭芳徳さんの義父・上勢頭亨さん(お二人ともに故人)に『竹富島誌』民話・民俗編(1976年、法政大学出版会)があり、そこには第5章「言語」が収められています。姉妹編「歌謡・芸能編」(1979年)とともに2冊全編が竹富方言の書と言っても過言ではなく、他の作業を忘
れ、あらためて読みふけっています(風・本号の発行も1日遅れた)。
 竹富島には「タキドォンムニ(竹富島の言葉)を忘れるのは親の顔を忘れるようなものだ」という趣旨の言い伝えがあり、島の伝統的な芸能・古謡(種子取祭)を維持・保存していく上でも、竹富小中学校では方言継承・発表会などのプログラムが組まれているようです。竹富島調査報告についても、TOAFAEC・HPに数本をアップしています。
→■
http://www.bunjin-k.net/taketomitaidan07.htm

4025号【 2月12日】
■≪原さんの写真、3月定例研究会に向けて≫
 八丈島の茂手木清さんから、早速のご挨拶を頂戴しました(上掲)。ほんとに久しぶり。國立(くにたち)の平林正夫さんやTOAFAEC 山口真理子さんと同級生だから、きっとそのうちに出会う機会があるだろうと思っていました。思いもかけず八丈「方言・危機言語」問題を通しての再会。本号には、これに東アジア言語学者・包聯群さん(モンゴル族・黒竜江省出身、大分大学)からコメントが寄せられました。「風」の出会い、嬉しいシンポジウムでも始まりそうな。茂手木さんの八丈方言・第2弾の報告をお待ちします。
 名護の島袋正敏さんメール(上掲)を通して、原昭夫さんが亡くなられたことを知りました。ぶんじんより多分10歳ぐらい若いのに、惜しい方を失いました。謹んでご冥福を祈ります。私たちの名護訪問グループ(小林ゼミ)は、原さんを通して名護市庁舎の“風の道”や、当時建築中の市民会館大ホールの苦労話を知りました。屋根裏現場に入れていただき、現代建築のなかでの工夫・創造性を活かす智慧を見せてもらった思い出があります。その後、世田谷区都市計画部門に移られ、いちど小金井の研究室に来てもらって、名護や象グループとの関わりなどの話を伺いたいと思っていたところに好機到来。島袋正敏さんや稲嶺進さんが豚丸焼き1頭をかついで東京学芸大学研究室に登場された折、原さんもお出でいただいたのでした。当夜の写真(1990年1月20日)を下に掲げます。セイビンさんの頭はまだ黒く、稲嶺ススムさんの鼻髯も懐かしい。前号本欄に書いた渡部幹雄さんも院生として写真の中にいるようです。中央に原昭夫さんが座ってる。国立グループや東上線沿線メンバーも。
 ついでに(ぶんじん日誌以外は)更新が滞りがちだったホームページを少し点検しました。4月13日「やんばる対談」「トーカチ」の日程まで、関連ページに書き込みました。2月22日の定例会は本年度第1回の年報編集会議。編集長からの提案が楽しみ。3月定例会のプログラムがまだ決まっていませんので、提案ひとつ。年報24号編集とも関連して、韓国「現政権下の平生学習・あたらしい動向」「台湾民進党の生涯教育政策」など、久しぶりに取り上げてはどうでしょうか。案としてご検討願います。
名護より豚1頭、沖縄社会教育研究会(東京学芸大学・研究室)交流の集い(1990年1月20日)。前列・左から3人目に稲嶺進さん(2010年より名護市長)、その右・小林の隣に島袋正敏さん(もと名護博物館長)、その次・中央に座ってdいる原昭夫さん(世田谷区都市整備部)。中央・横になっているのはたぶん渡部幹雄さん(院生・当時)か。30年前の沖縄社会教育研究会(国立や東上線沿線メンバーを含む)。中央机上の豚はすでに平らげられて残骸のみ。


4024号【 2月10日】
■≪八丈島からの風≫
 今回の九州への旅(前号本欄)わずか3日でしたが、人工関節セット後に、車椅子を全く使わず、川から山へ温泉へ、旧知を訪ねて語り明かす初めての旅となりました。もちろん気のおけない車の介助を得てのこと、感謝のほかありませんが、人生の中でも思い出に残る旅の一つ。フットワークを身上にこれまでの研究生活をつないできた身には、これからどうする?・・と課題をかかえたかたちだけに、意欲と工夫があれば何かできるよ、と自信をもつことができました。あらためて御礼!
 加えて、豊後路を走ったことを1行書いただけなのに、間髪を入れず故郷を想う渡部幹雄さんから返信(上掲)あり、これも嬉しいことでした。ぶんじんの「油山と小林研究室のイメージ」が残っているとのこと。つまり資料・活動拠点と自由なたまり場への追及は、これからも続けていきたいテーマ、老齢ながら私の課題としてあり続けることでしょう。
 本号には珍しい投稿がありました。「八丈方言について」茂手木清さん。茂手木くんは平林正夫や山口真理子さんたちの同級生。彼は大学卒業後に八丈で教師を続けてきた人です。経過を書きます。昨年11月24日に沖縄県宮古島で「危機的な状況にある言語・方言」サミット大会が開かれました。北はもちろんアイヌ語、そして南は奄美,国頭,沖縄,宮古,八重山,与那国の各方言、その間に八丈語が登場していました。このサミット大会の様子を含めて、これら「危機的状況にある言語・方言」について、誰か書いてくれないかな、たとえば国頭(やんばる)語、あるいは与那国語のことなど期待をかけていました。そこに八丈語の課題をかかえて茂手木くんが宮古島サミット大会へ参加したことを知ったのです。山口真理子さんを介して「南の風」への投稿をお願いしたという経過。3回の連載になるらしい。そのうち「国頭語」等についても書き手を探したいもの、どなたか教えてください。いわば現代版の「方言」論議。私たちの認識も拡げなければなりません。
 茂手木さんとは、卒業後会っていません。すでに半世紀ちかく。しかし年賀状のやりとは続き(今は途絶えている)、また再会が楽しみです。本号より八丈島に風を送ります。
名護市役所・海側のシーサー、すべて撤収?(本号おきなわ短信記事、2002/0606)


4023号【 2月7日】
■≪やんばる対談日程の確定、九州へ≫
 今年の「やんばる対談」日程案ー4月第2週(風・前号)が確定しました。上掲・島袋セイビンさんメールの通り。ぶんじんトーカチ祝いの実行委員会も開かれたそうで「4月13日(土)昼1時からやんばる対談、夕方からトーカチ祝いをと、対談、祝いを同日に行ったらどうか」とのこと。山城千秋さんの希望(金曜日をはずしてほしい)を勘案いただき、ご配慮ありがとうございました。対談のテーマを「やんばるの青年運動」とした場合「情報収集と前打ち合わせ等は大変な作業になりそう」(セイビンさんメール)。ご負担かけて申しわけありません。よろしくお願いします。
 やんばる対談の前夜、恒例となってきた那覇・おきなわ研究会との交流会を今年どうするか、山口真理子さん(事務局長)、那覇と相談していただけませんか。連日のタイトな日程になりすぎないよう、あるいは翌日の日曜開催案もありか。
 前号本欄に書いたように、はじめて「寒中見舞い」ハガキを作成しました。年賀状や喪中挨拶を頂いた皆様に、お詫びと当方の近況報告をお送りする予定。「南の風」の皆さまには、本号でお許しいただこうと、ハガキ文を上掲しました。
 ながく留守している福岡・油山の隠れ家。とまっていたガス・メーターの復活、消えた電球の補充、隣家へのご無沙汰挨拶。また久留米の生家・レンガ蔵の解体など大きな出来事もあり、その確認等いくつかの宿題がありました。寒気がゆるんだ合間をぬって、4日より九州へ(二泊三日)。空港では車椅子を使わず、移動には農中茂徳さんの車を出してもらって、なんとか一人旅を再開したかたちです。1日は足を延ばして阿蘇・久住の連山を楽しみながら、豊後緒方・三重の町を通って大分少年院へ。院長の白井健二さん、連れ合いの樋口知子さんと会ってきました。緒方町を通りながら、渡部幹雄さん(和歌山大学)の昔を思い出し。「任運荘」は門前まで、時間がないので中へ入りませんでした。帰途は上津江の谷(懐かしの調査地)を下って、桃栗運動の大山町で梅干し(豊乃香梅)と対面。

4022号【 2月3日】
■≪やんばる対談・4月第2週案≫
 第10回日韓学術交流研究大会(福岡)報告、九条俳句・教育長謝罪・「たより」に俳句掲載、日本語教育推進基本法への署名要請など、いろんな動き。関係の皆様はすでにご承知の情報もありましょうが、記録として上記・掲載しました。
 名護・島袋正敏さんからは今年の「やんばる対談」についての「第一次提案」。先月に山城千秋さん(熊本大学)とも相談した4月第2週(具体的には金〜土)の日程案についてのご返報です。関心の皆様、スケジュールの調整をお願いします。今後さらに具体化されていくと思われますので、ご意見などあれば、お寄せください。
 実はいま名護・島袋正敏さんへの「南の風」送信が順調ではありません。通信が当方に戻っても来ませんから、はじめは気づきませんでした。4月「やんばる対談」日程のこともあり(bcc 一括で送る以外に)別メールで送って(これは届くらしい)、やりとりしています。今日は電話でもお話しました。早めに日程を確定して、できるだけ安いフライトを予約する必要もあり、今後の風・お知らせにご留意ください。
 日本では節分、そして東アジア各地では春節(2月5日・旧正月)。徳永功さん(国立)からは「寒中お見舞い」を頂戴しました。ありがとうございました。当方も2年続きの12月入院、年賀状を差し上げる機会を逸してきました。考えてみれば亡妻・富美の訃報をご存知ない方もあり(少なからず富美あての賀状を頂戴)、春節ご挨拶もかねて「寒中お見舞い」状を作成しようかと思い立ちました。次号にでも転載いたしましょう。

4021号【 1月31日】
■≪激動のなかの青春≫
 南の風・前号送信から、早いもので1週間も経ってしまいました。のんびり構えていて、失礼しました。風送信の間隔が空いて、林忠賢さん(東大院、台湾からの留学生)からご心配のメール「少し先生のご体調が心配です」(上掲)とお見舞いのメールを頂いてしまいました。きっと「風」が吹いてこなかったからでしょう。「今日(31日)の夜に東京でも雪が降るそうで、台湾出身の僕は楽しみしていますが、小林先生は体調を崩さないように気をつけてください」。有難う!なんとかインフルエンザにもかからず、元気でいます。今いろんな集いには、学会を含めて、出席を自重していますので、ご心配かけていますが、気分的にはゆっくり過ごしています。なので、ついつい風が1週間も間延びしてしまうことに。反省!です。林くんのメールを拝受して、急ぎ編集作業を開始、本「ぶんじん日誌」を書き始めた次第です。
 あらためて、先日(25日夜)1月定例研究会、寒い夜、ご参加の皆さま、ご苦労さまでした。当夜は、今年最初の研究会、思いももかけぬ人が参加してびっくり。早速に小田切督剛さんより詳細・長文の報告を送っていただきました(27日・昼、上掲)。有難うございました。別にどなたからか感想など来るかもしれないとお待ちしたのが本号配信が少し遅くなった理由です。空いているスペースには、当日配布した「ぶんじんレジメ」を転載することにしました。ご覧ください。
 当日のテーマは「少年Bから青年Bへ」、約30年余りの歳月、(60年前を)想い出しながら、激動(戦争と戦後、1960年代高度経済成長と地域「地すべり」的変貌)の歩みを少しお話しました。もともと研究者の道を志したのではなく、しかし成り行きのなかで、いつの間にか大学院へ戻り、社会学の世界で村落調査に従事するうちに大学に籍をおくようになりました。今回は、社会教育研究の世界に入るまでの歩みをお話しする結果に。学生運動などにはほとんど触れることなく反省も残っています。いずれ次の機会に。
▼ 2019年1月定例研究会、ぶんじん報告(高井戸、20190125、堀尾先生提供)


4020号【 1月24日】
■≪地域演劇活動≫
 朝日新聞から。夕刊に「〜をだどって」シリーズがあり、テーマによってなかなか面白い読みもの。先日まで韓国「東学農民戦争をたどって」が連載されていました。いま「地域の劇場」がテーマ。昨晩は城崎温泉(兵庫県北部)の「城崎国際アートセンター」の新しい動きを紹介し、今晩の「地域の劇場」は、宮崎県都城市・三股町の劇場運動を取り上げています。三股町立文化会館を拠点に小中高校生たちの「みまた座」や演劇フェスティバル「まちドラ!」の開催。隣の都城市で活動する「劇団こふく劇場」(全国的にも高く評価されている)が継続的に公演しながら「地域や高校演劇で活躍する若者も巣立つ。子どもたちにとっては、学校とも家庭とも違う、第三の居場所にもなっている」と。
 懐かしい名前に出会いました。永山智行(劇団こふく劇場代表、劇作家・演出家)。ぶんじんが東京学芸大学時代の最後の頃の学生でした。顔写真(いま51歳)は、髪も少なくなって見違えましたが、学生時代からの地道な演劇活動を続け、いくつか戯曲賞も受賞したらしい。三股町の演劇活動は「同じ風土を共有する(都城市の)永山さんたちとやってこられたことが大きい」などの評価。嬉しくなりました。
 ホームページによると、2018年後半だけでも、永山智行作・演出「ただいま」のツアースケジュールは、宮崎、豊橋、三重、広島、札幌、いわき、東京(こまばアゴラ劇場)、沖縄、福岡と全国的なひろがりが記録されて見事。拍手! → http://www.cofuku.com
 卒業後は会っていません。都城で演劇活動を続けているとの熱烈な年賀状をもらってきましたが、こちらが賀状を出さなくなって、今は途切れています。人形劇サークル(学大・麦笛)については本欄でなんども書いたことがありますが、演劇活動に関わって書くのは初めてか。朝日記事で再会できた喜び。あわせて平田太一(勝連・肝高劇場)や端田新菜(劇団・青年団)など和光大学卒の皆さんを思い出しました。

4019号【 1月20日】
■≪悲しい報せ≫
 南の風は2010年前後より、「全国夜間中学校研究会」、夜間中学拡充運動の方々との交流が拡がり、とくに関本保孝さん(基礎教育保障学会、当時・墨田区文花中学校夜間学級担当)を通して「南の風」ネットへ参加される方が増えました。たくさんの夜間中学に関するニュース、「教育機会確保」法制定の経過、北海道をはじめとする各地の躍動等を風記事として収録してきたことは、皆さまご存知の通り。基礎教育保障学会の準備過程にも積極的に関わった一時期(2014〜)がありました。→■http://www.bunjin-k.net/basicedu.htm
 東京の夜間中学の集いで、関西(神戸)からご参加の草京子さんともお会いし、ご希望あり「南の風」の配信開始。草さんからは折にふれて夜間中学関連の論文や「風」あての寄稿を頂くようになりました。しかし、この1両年は(当方の入院もあり)お会いする機会なく、また「風」への音沙汰もなく、そのうちに・・・と思っていたところに昨夜(1月19日)お亡くなりになったとの訃報(上掲)が飛び込んで驚愕。「一昨年より病と闘い」の日々であった由、知りませんでした。軽やかなフットワーク、心弾むご発言が印象的でした。ご逝去を悼み、心からご冥福をお祈りいたします。
 さて、今週金曜日(1/25)の定例研究会(じんぶんヒストリー・第2回)について、事務局・江頭晃子さんより再度の「ご案内」。関連して過日の「新年会」記録も。風・前々号と重複する内容ですが、せっかくのご配慮、上掲しました。定例会当日の懇親会々場は、いつものイーストビレッジが工事中のため、別の「あいたか」を予約。「参加を予定している方は、前日・24日までに山口にご連絡いただけるとありがたいです」とのこと(山口真理子さんアドレス→izk07252@nifty.com)。どうぞよろしくお願いします。

4018号【 1月14日】
■≪ムーチービーサ≫
 年が明けて早くも2週間。温暖化と言いながら、東京は真冬らしい寒さがやってきて1月の季節感を味わっています。ほんの少し初雪も舞いました。昨日13日は旧暦12月8日、沖縄ではこの日ムーチー(鬼餅)行事。こう書いただけで、お餅を包んだ月桃の香りが漂ってくるようです。かって正月休みに沖縄ゼミ旅行をした1時期あり、市場でムーチーを買って土産にしたものでした。亡妻・富美が喜んだことを想い出しています。
 1989年1月、平成の元号が発表された日も沖縄を旅していました。まさに30年前のこと。今帰仁あたりで「平成」のニュースを聞きました。「天皇崩御」で本土ではすべて自粛ムード、歌舞音曲・行事が停止される中で、名護では普段の通りマラソン行事が催され、賑やかに打ち上げ、その席に私たちも招かれました。中国留学生が強い泡盛を一気飲みして急性アルコール中毒の症状にちかく、ひやりとした思い出もありました。
 ムーチー「ビーサ」(寒さ)やトゥンジー(冬至)「ビーサ」という言葉も覚えました。最近の温暖化で「昔ながらの暦に合わせ、折り目正しくやって来た寒さも、最近は律義さに欠ける」と沖縄タイムス[大弦小弦]がムーチーの日(1月13日)に書いていましたが、それでもこの時期の沖縄は「ビーサ」、きっと寒い季節。ムーチーを包む月桃の香りが路地にただよっていることでしょう。
 TOAFAEC定例会・1月25日の研究会案内が届きました(上掲→■)。題して「じんぶんヒストリー(第2回)」。皆様、お出かけください。テーマの「ジンブン」は誤植にあらず、沖縄で日常的に使われる言葉です。暮らしのなかの「智慧」「分別」などの意。2002年に名護で開かれた第42回社会教育研究全国集会の大会テーマは「じんぶん寄せ合って社会教育の未来を創ろう」といった表現でした。中村誠司さん(名桜大学)の解説では「じんぶん」はおそらく「人文」から来た言葉であろうと。

4017号【 1月9日】
■≪今年の「やんばる対談」は・・・≫
 新しい年、東京は晴れの日が多く、まだ雪は降らず。しかし1月らしい寒気・寒風の日が多く、6日の新年会の日もそうでした。今年のスケジュールは賑やかな新年会で始まった感じ。ご参加の皆さん、お元気で何より。ご欠席の連絡メールも紹介されましたが、たとえば胡興智さん(日中学院)は当日、NHK「まいにち中国語」講座にゲスト出演とのこと。ご活躍を期待しています。富美は写真で参加、何人かの方のお花に包まれました。
 勝冶(飯沢)美樹さん(東京江東区、和光大学OG)から当日の報告を送っていただきました。美酒少量の会の様子、有難うございました(上掲)。小生へのご注意も。心して新しい1年の歩みを始めたいと思います。喜寿の会の企画案など、沖縄名護「トーカチ」の祝いとの関連もあり、皆さんのご配慮ありがたく、涙こぼれる思い。
 名護・島袋正敏さんより「山原島酒之会20年の歩みーすべての家庭の床の間に古酒甕を―」(2018年11月、美装版32頁)を送っていただきました。セイビンさんの添え文あり。「今年4月?のやんばる対談」について、「今年のテーマは何にしましょうか。『やんばるの図書館の歩みと課題?』、難しい状況ですが『青年たちの今とこれから』、あるいは『やんばるの社会教育は・・社会教育主事たちのゆんたく』など。」 こちらからの提案をとのこと。併せて「トーカチの祝いも予定しておりますので・・・」と。
 山城千秋さんや農中至さん、去年の「対談集」刊行を積極的に提案された上野景三さん(TOAFAEC 代表)、東京の定例研究会メンバーや事務局の皆さんのご意見など頂ければ幸いです。日程はまず4月を第一候補とし、テーマによって細かな日程を決めていきましょう。皆さんとともに楽しみながら、この1年の歩みを創っていければ幸い。

4016号【 1月5日】

■≪明日6日・2019新年会≫
 皆さん、お元気に新年を迎えられたことと思います。2019年正月の冴えわたる冷気と陽光、1年前は病院にいただけに、ことさら印象的、幸せを噛みしめています。あらためて自らの両足で元気に歩けている自分を確かめて、新春を寿ぐ思い、ことさらです。今年もどうぞよろしくお願いいたします。
 いろいろと新年のメッセージを頂き(メール分は上掲)、また年賀状もたくさん頂戴し恐縮しています。当方は12月に別の内視鏡手術で10日あまり入院していました(良性でまったく心配なし)ので、今年の年賀状も失礼しました。亡妻・富美あての賀状も少なからず、誠に申し訳なく、近く「寒中お見舞い」状をお送りしようかと考えています。
 年末の研究会(TOAFAEC、第257回)の余韻あり。上平さんからは「ドミニカを旅して」のエッセイ拝受。あの席で、やんばる辺野古の闘いでいま歌われている「沖縄 今こそ立ちあがろう」が話題となりました。年末に山口真理子さんより歌詞を送っていただきました。感謝! 加藤登紀子が歌う「美しきパリの五月」(1968年、パリ五月革命)の曲に載せて、次のような替え歌(原詞「紅い血を流し、泥にまみれながら、この五月のパリ、われら生きていく・・・」)。
1、沖縄の未来(みち)は 沖縄が拓く 戦さ世(ゆ)を拒み 平和に生きるため
  今こそ立ちあがろう 今こそ奮い立とう(2・3・4繰り返し)
2、辺野古の海を 守り抜くために 圧制迫るが 立ち止まりはしない
3、高江の森を 守り抜くために 力を合わせて スクラム固めよう
4、島々の暮らしを 守り抜くために 思い巡らせて 心を通わそう
 「何気なく歌っていましたが、こうやって歌詞を書き写してみると、強い決意が短い詞の中に簡潔に込められている、と思いました」(山口)と。
 明日6日は「2019新年会」(上掲・案内)。今年は例年より早いスケジュール。夜間中学の見城慶和・関本保孝の両先生も見えるとのこと。香港料理を卓で囲むかたちですから、飛び入りも可能か。例によって、終了後ご都合つく方は「風の部屋」にお寄りください。


2019年

4015号【 12月28日】
■≪大田堯先生の訃報、研究会の夜≫

 12月28日・年末のTOAFAEC 定例(第257回)研究会は、上掲・石川報告にあるように、熱気あふれる報告・論議となりました。年末多事なのに会場:イーストビレッジの椅子はほぼ埋まり、常連メンバーはもちろん、初参加の方、久しぶりの顔々、来年への期待もふくらむ感じ。いい資料が用意されて、東京・板橋20年の蓄積がしっかりと姿を見せてくれたように思いました。レポート役の(板橋区)斎藤さん、(いま川崎市)佐治さん、ご苦労さま。年輪を重ねてきた私たち研究会の歩みとも重ねて、お互いの頑張りを確かめあう機会となったような・・・。有難うございました。
 この夜、上掲・上平泰博さんの深夜メール。研究会の帰路、大田堯先生の訃報が伝えられ、驚きました。研究会の会話のなかで故海老原治善さんの想い出話がでたり、たまたま「太田堯先生は百歳、ぶんじんもこれからだ!頑張れ!」(上平)と激励を受けたばかり。しばし粛然、頭を垂れてご冥福を祈りました。若かりし頃の先生の快活・闊達なお話ぶり、あの姿に思いを馳せました。
 私にとっての大田堯先生は、時々お会いし、声をかけて頂きましたが、何よりも「ロハ台」の若者たちとの実践の話が衝撃的でした。まだ福岡で学部学生の頃、「福岡教科研」創設期(1953年)。勝田守一、宗像誠也、大槻建、周郷博、そして大田堯などの諸先生が、つまり戦後・教育科学研究会の創設メンバーが、相次いで福岡や日田(第1回九州教科研大会、1955年?)に見えました。その中で大田堯先生のお話は、当時進行中の「ロハ台」実践を(全国に先駆けて)拝聴できたのではないかと思っています。
 ぶんじんは学部から直ちに大学院へ進まず、創設したばかりの久留米市教育研究所のただ一人の所員となりましたが、まず始めたのが、故安藤延男さん(のち福岡県立大学長)等と一緒に「久留米“教育”を読む会」。油山書庫に国土社「教育」の創刊号(1952年)からのすべてのバックナンバーが揃っています。こんな話を大田堯先生に聞いて頂いた思い出。
 2001年11月、故横山宏さんが急逝され、告別式に大田堯先生や碓井正久先生がお見えになった折、大田先生は「私たち二人の写真を撮っておいてほしい」とおっしゃって、カメラにお二人の遺影が残っていました。場所は横山家応接室。探し出せたので下に掲げます。
 本号で2018年はおしまい。長期入院、この1年、退院後のリハビリと再出発の歩み、皆さんに励ましていただき、ありがとうございました。今年は「公民館の風」が病院で年越しらいい。ご快癒を祈っています。皆さま、良いお年をお迎えください。 
左・碓井正久先生(2004年10月没)、右・大田堯先生 (故横山宏氏告別式にて、20011107,横山家)


4014号【 12月28日】
■≪年末研究会、活動持続へ乾杯を!≫
 今晩は本年最後の定例(12月)研究会。その後に本号を出すつもりでしたが、さきほど山本秀樹さん(帝京大学、公民館学会副会長)より、研究会プログラムに関連して斎藤真哉・佐治真由子お二人の「いたばし」に関する論文(日本公民館学会年報収録・上掲、添付)を送っていただきました。また3月の「板橋 SDGフォーラム」の呼びかけも(4011号・定例会案内号に添付失念したもの)。ご配慮ありがとうございました。
 ご厚意に追われて、当方も急ぎ本号を編集、二つの資料を添付して皆さんにお届けすることに。東京・板橋に関する報告は、一昨年『大都市東京の社会教育−歴史と現在』(エイデル研究所刊)にも斎藤さん執筆「福祉に係わる市民運動と社会教育とのつながり」を掲載しています。研究会の席で資料が配布されると思いますが、いくつかの文献資料を少しでも事前に目を通していただければ、との思いで本号をお送りしています。
 ぶんじんは、11月・韓国(東アジア・フォーラム)「マウル・学習共同体」への活発な動きを想起し、東京「いたばし」の実践、市民主体の SDGフォーラム運動とどのような異同があるのか、相互に響き合うところがあるのではないか、など考えています。
 本号には、久しぶりに農中至さん(鹿児島大学)からメール拝受。前号に紹介した沖縄タイムスに山城千秋さんと共同で寄稿された「琉球弧の青年群像」(上・下)本文が送られてきました。新聞記事・切り抜きだけでは、なかなか読みにくい、とくに本文データをとお願いしたのです。2回(上・下)に分けてご紹介します(上掲)。農中茂徳さん『だけど だいじょうぶ』(石風社刊、10月イーストビレッジで出版祝賀会)ともども親子しての活発な執筆活動、ご同慶のいたり。「琉球弧の青年群像」は魅力的なタイトル、これからの展開が楽しみです。
 今晩のの研究会では、既報・新刊「戦後沖縄青年団運動の証言」(沖縄社会教育研究フォーラム編、目次一覧・4011号)もお頒けできる? ただし部数わずか、先着順ですね。 
 本年も年末研究会まで充実した活動を持続できたこと、お互いに喜び合いたいと思います。当方は術後のため、この1ヶ月は断酒中でしたが、今晩あたり、さらに新しい年へ向けて乾杯の喜びを共有できるのでは、と楽しみです。

4013号【 12月25日】
■≪「平成」の時代に≫
 12月28日夜:今年最後のTOAFAEC定例研究会(そして忘年会)、ということは「平成」最終の12月研究会(通算第257回)。これでTOAFAEC は新年を迎えることになります。
 報告者の斎藤真哉さん(板橋区成増生涯学習センター所長)からは「ご案内」2通目の文章がきました(上掲)。報告者も(斎藤さんだけでなく)「板橋区社会教育職員集団」とのこと。今年最後を飾るにふさわしい「いたばし」の登場、楽しみです。いまの日本の地域(大都市)社会教育実践のある到達点「市民主体の社会教育運動」(研究会テーマ)の現段階を知ることにもなりましょう。
 振り返ってみれば、TOAFAEC は「平成」とともに歩いた歴史でした。創設1995年ですから平成に入って数年の助走期間がありますが、この時期、世界は大きく動きました。1989年のベルリンの壁崩壊・東西ドイツの統一へ。北京では天安門広場の民主化蜂起(しかし弾圧)、国際的に東西冷戦構造は終結・軍縮、そしてグローバルな国際交流の拡がり(研究室には留学生が群れた)という時代が動きまいた。しかし日本はバブル経済崩壊、「失われた20年」の始まり。行政が活発に動く活力を失って縮小・委託のあわれな状態に低迷してきた時期でした。
 海の外は賑やかで、国内は沈滞した1990年代。とくに東アジアの國・地域は民主化抗争を経て新しい教育改革の躍動を迎えた時期。年代的にはそれに伍してTOAFAEC は誕生したのでした。それから20年余、「南の風」も吹き続け、年報発行は23歳の年を重ね、定例研究会は今回257回目を数える(毎月1回として20年余の歳月)ことに。この歩みが何を生み出してきたのかを問いながら、年の瀬の酒を汲みたいと思います。ただしぶんじんは術後まだ1ヶ月に満たず、“心”で飲んで、論じ合いたい。
 前号の積み残し「琉球弧の青年群像」(1),(2)を添付します。

4012号【 12月19日】
■≪琉球弧の青年群像≫
 前号本欄の呼びかけに応えて、早速に「東京社会教育史研究フォーラム」としての12月28日定例研究会「ご案内」(石川敬史さん、上掲)を送っていただき、有難うございました。HP・東京社会教育史フォーラム・ぺージ→■にも早速書き込みました。当日が楽しみ。また私たちの『東京の社会教育ー歴史と現在』(2016)について、学会レベルでもいくつかの書評あり、一度それらに応える議論もしてみたいもの。ご検討ください。
 また沖縄県青年団協議会(沖青協)70周年記念式典の様子についても山城千秋さんから一文が寄せられ(上掲)、あわせて記念式典についての沖縄タイムス記事2点も送っていただきました。当日の式典を報じた沖縄タイムス記事2点(添付)だけでなく、加えて奄美を含めて、アメリカ軍事占領支配下の青年団の格闘を当時の機関誌に着目して掘り起こそうとした試み(「琉球弧の青年群像」上・下2点)。山城千秋さんのメール次の通り。
 「ふたたび山城です。次は、奄美と沖縄の青年団機関誌・紙の復刻企画に関する農中至さん(鹿児島大学)さんと書いた記事です。こちらは、先生に推薦人をお願いした企画のものです。式典前に少しでも関心をもってもらおうと、タイムスにお願いして書かせてもらいました。『証言』の発刊は、多くの青年団関係者の目にに触れていただくことで、新たな展開が生まれるものと期待しているところです。東京で関心ある方々へぜひ周知していただきますよう、よろしくお願いいたします。」(Wed, 19 Dec 2018 14:41)
 このテーマは、今年10月・台風来襲下に名桜大学で開かれた社会教育学会にご両名で発表された学会報告か。70周年記念式典の記事と一緒に本号に添付したいのですが、風メンバーのなかには、添付が苦手な方が若干数あり(必ずメールが戻ってくる)、「琉球弧の青年群像」2点は、次号に添付します。面白そうなので、pdf.でなくワード・データで送っていただければ何回かに分けて「風」に紹介したいと思いますが、如何でしょう。

4011号【 12月16日】
■≪今年最後の定例会、東京社会教育史研究フォーラムの皆さんもぜひ!≫
 
前号の発行日記載が1日間違っていました。12月11日(もともとこの日に出す予定)ではなく、正しくは12月日12日でした。お詫びして訂正します。本号も2日前に出す予定のところ、別事にまぎれて遅くなり、申し訳なし。今日はすでに師走16日、あと2週で本年もおしまい、早いものです。◇捨てきれぬ思い残して年の暮(ぶ)
 本年最終のTOAFAEC 定例(第257回)研究会は、板橋の斎藤真哉さんが「SDGs(持続可能な開発)いたばしの集い」の歩みを報告していただくことになりました。斎藤さんは板橋区成増生涯学習センター所長。定年を迎え、大学で言えば「最終講義」にあたる話になるのではないかと期待しています。私たちは第4回東アジアフォーラムで、韓国「平生学習」にかかわる市民運動=マウルづくりの活気あふれる動きを見てきたばかり。斎藤さんの話は、いわば東京板橋の「持続可能な開発」をテーマとする市民マウルづくり運動の事例というにふさわしい報告か。当夜が楽しみです。
 いま開店休業中の東京社会教育史研究フォーラム。斎藤さんはその事務局長でもありますから、東京研究フォーラムの活動にも位置付け、久しぶりに関係メンバーに案内を別送してはどうでしょうか(石川敬史さん、どうぞよろしく)。年末押し詰まっての日程:12月28日夜。いつもの高井戸区民センターはすでに年末休業とのこと、会場は 19:00からイーストビレッジで開き、そのまま忘年会のかたち。皆さん、久しぶりのご参集が楽しみ。
 「戦後沖縄青年団運動の証言ー祖国復帰とアイデンティティ」(証言集)の刊行。沖縄青年団協議会(沖青協)70年式典(12年16日、那覇)に間に合って、配布されたことでしょう。反応は如何?山城千秋さんから「南の風」への一文を期待しています。本号には小生の「はじめに」をいくつかに分けて連載紹介していますが、本号にはとくに全体の「目次」一覧を収録し、あわせて表紙(江頭晃子さん提供)の写真をHPに掲げました。奄美から八重山までの南西諸島をうすいバックにいい色の出来栄え。 
「戦後沖縄青年団運動の証言ー祖国復帰とアイデンティティ」表紙(20181216)


4010号【 12月12日】
■≪自宅から出す風の楽しさ≫
 寒風のなか、小さなツワブキの花は凛として咲く、その花言葉は「困難に負けない」と八重山毎日新聞コラム「不連続線」は書きました(2018年12月08日、上掲)。それに呼応し当方のHP表紙写真もツワブキの花に差し替え。ところは福岡・油山、せまい庭の片隅、落葉のなか緑の葉は艶やか、黄色の花は健気です。→■http://www.bunjin-k.net/
 風誌上で何度も報じてきた『戦後沖縄青年団運動史の証言−復帰運動とアイデンティティ』合冊本の刊行、ようやく実現しました(上掲・江頭メール)。今年秋の『やんばる対談集』につづく“快挙”というべきか。私たち沖縄社会教育研究フォーラムの編集、「東アジア社会教育研究」12号〜19号(2007年〜2014年)に連載してきた20人に及ぶ青年団運動・日本復帰運動に格闘してきた青年たちの証言集です。とくに編集の中心となった山城千秋さん(熊本大学、もと沖青協事務局)ご苦労さまでした。千秋さんから来たメール。「・・・ご尽力くださいました皆様、本当にありがとうございました。まだ手元には届いておりませんが、来る日曜日(12月16日)の沖青協70周年式典に間に合わせて下さり、大変感謝いたしております。」(Wed, 12 Dec 2018 15:47)
 ぶんじんは本証言集に「はじめに 戦後沖縄青年団運動を担ってきた人たち」を書いていますので、数回に分けて、風誌上に紹介することにしました(その1・上掲)。この証言収集活動を始めて、まだ10年余しか経っていないのに、仲宗根悟さん(復帰協事務局長)など4人の方が亡くなられています。貴重なお話を記録することが出来たことになります。とくに中頭(なかがみ)青年会OBの皆さん(仲宗根悟さんはそのリーダー)との出会いと交流は忘れ難く、さらに資料収集と証言聞き取りを(今のうちに)続けていきたいもの。ようやく出来た証言集・希望の方もありましょう。申し込み先、販価などのご案内、山城さんか山口真理子さん、風に寄せて下さい。(沖縄関係者に配布するので部数僅少の模様)
 なお12月定例研究会(12月28日予定)の「ご案内」を待っていましたが、最終的なツメが必要の様子、次号にまわすことにします。
 本欄は自宅で書いています。昨日(点滴の針から解放されたので)退院しました。自由を回復しましたが、13日間の病院生活、ほとんどベッドの上、脚力がまた落ちてしまいました。しばらくはアルコールもダメ、リハビリに取り組む必要があるようです。

4009号【 12月06日】
■≪東アジアフォーラム・関連アルバム≫
 上掲・関本保孝さん(基礎教育保障学会)からの「北海道に夜間中学を作るための意見書〜至急ご協力お願い」メール(Tue, 4 Dec 2018 08:40)に関して、「南の風」では4005号〜4006号に札幌遠友塾・工藤慶一さんからの協力依頼文を掲載しています。「教育委員会への意見書様式@」も添付(4006号)。心ある方々のご協力よろしくお願いします。夜間中学のドキュメンタリー映画『こんばんはU』完成記念上映会(夜間中学校と教育を語る会主催、2018年12月22日(土)18:30〜20:00、会場「エデュカス東京7階ホール」、料金・無料)のご案内メールも拝受(添付チラシ)。夜間中学関連の活発な動き、課題もいろいろ、しかし取組みの大きな潮流を実感します。
 さて、本欄に連載してきた東アジア・フォーラム(第4回、韓国開催)関連の写真、一つのシリーズになりましたので、HPアルバムに新しいページを追加しました。冒頭に2010年の上海「国際シンポ」(第1回)や昨年の佐賀開催(第3回)の記念写真も入れました。ご覧ください。
→■
http://www.bunjin-k.net/albumhigasiasia.htm
 本欄に紹介する1枚は、第4回フォーラムの初日夜・懇親会、崔一先(チェイルソン)さん(慶煕大学)が「珍島アリラン」を歌い始めて、一気に盛り上がった座。この雰囲気が今回の第4回フォーラムの楽しいスタートでした。韓民と「松花江上」を合唱するという思わぬハプニングも(風4006号に既述)。崔さんの才覚と歌ごころに感謝!です。
 松田弥花さん(高知大学)からお見舞い・お祝いメールを頂戴しました。有難うございます。予定通り、4日午後に手術が終わりました。いま術後2日目。まだ点滴と食事制限のなかにあり、テレビの料理番組がことさらに羨ましい。
崔一先さんは歌う、初日の懇親会(シフン、181101) *李正連さん提供


4008号【12月03日】 
■≪数え年のバースディケーキ≫
 30日の11月定例研究会、ご出席の皆さん、お疲れさまでした。松尾有美さん(東大院)から当日の記録・写真を早速に送っていただき有難うございます。折り返し小田切督剛さん(韓国フォーラム)からきたメール。「おだぎりです^^いや〜松尾さん、いつもながらイイ写真撮ってくれるね〜〜 報告も素晴らしい!簡潔にして完璧! 誤字・脱字もありません。忙しいだろうに、本当にコマウォヨ〜〜^^」(Sun, 02 Dec 2018 10:44)
 当夜、ぶんじんは病院から自宅に立ち寄って会場に向かいましたので、少し遅刻、恐縮しながら席についたとたん、「88歳」バースデイケーキの登場、まさにサプライズ! 皆さんのお心遣い、恐れ入りました。感謝!カンサハムニダ。沖縄流の数え年ではたしかにお目出度い「88」歳。私の世代はローソクを吹き消す文化をもちあわせていないので、ただ感激するだけ。松尾さん撮影の写真の中から、その1枚を本欄ホームページに頂きました。ローソクの灯にゆらめく88の数字。病院に通いながら、なんとかここまで生きてきて、研究会にも参加できる喜び、などなど・・・妙にしみじみと、思いにふけった1枚でした。
 さて病室の暮らしは、ご想像通り規則正しい毎日。当方の日常は真逆の不規則生活、まず慣れるのにたいへん。自由な好き勝手のリズムを棄てなければなりません。昨年の病院は消灯10時でしたが、今回の病院はなんと!9時。この時間は夜が始まる時間なのに。点滴に繋がれていますから、行動は制限されて、しばらく辛抱するほかありません。ガラ型のケイタイと違って、スマホが案外と病室でのいい遊び相手。初めてゆっくりスマホ情報を見ながら、世の中の雑多情報の氾濫に困惑もしています。世の中がかえってよく見えてこない。明日午後の手術です。
11月定例会のサプライズ、88バースデイケーキ(181130、高井戸) 松尾有美さんカメラ


4007号【11月30日】 
■≪再び病室にて≫
 11月最終日、例年より暖かく、東京はよく晴れています。どこかに出かけたくなるほどの上天気・・・なのに、ぶんじんは昨夜からまた病院に入りました。去年の大手術と比べれば、何とも気楽なベッド。痛みもなく、身動き自由。夏の内視鏡検査で見つかったポリーブの切除。今年中に済ませましょうという計らいで、スケジュールだけ決まっていたものです。ただし血栓症の既往症あり、手術(内視鏡)予定の数日前から点滴に入った方が安全・・・という判断からの入院。夜のTOAFAEC 定例会(高井戸)には、許可を得て点滴からはずれ、出席する予定です。ただし終了後のイーストビレッジ・懇親会は、残念ながらパス、直ちに帰院しなければなりません。これは残念至極。
 病室にパソコンをもちこみ「風」本号を編集。WiFiの環境にないので、スマホを介しての配信です。うまくお手元にとどいたでしょうか。ときにスムースにつながらないときもあり、例によって木村雅俊さんの指示を頼りながらの作業です。12月に入って数号は病室発ということになりましょうか。
 本欄で東アジア・フォーラムの写真紹介が続いていますが、小田切督剛さんから何枚もの写真をいただいています。その中の1枚、中国の2人(写真・左から上海・呉遵民、小林をはさんで、北京・韓民)と昔話を楽しんでいる場面。前号でも書いたように「松花江上」を教わった思い出を含め、積もる話題は尽きることがありません。昨年は、入院加療中のぶんじんを、お二人と黄健さん・馬麗華さんもご一緒に、中国グループが新宿の病院までお見舞いくださいました。あれからちょうど1年、いま「再び病室にて」師走に入ります。写真日時は多分、11月1日/フォーラム初日夜・始興市での歓迎夕食会。
日本留学からすでに30年余 (始興市、20181101)


4006号【11月27日】 
 
■≪我が家は松花江のほとり≫
 東アジアフォーラムの余韻とともに、たくさんの写真が寄せられています。本号には2日目夜の懇親会・二次会での懇談風景(世宗・ゲストハウス)。左から姜大仲(ソウル大学)、崔一先(慶熙大学)のお二人、右に鄭賢卿(同)さんの韓国勢にはさまれて、小林・上野・石井山・上田の日本勢。ぶんじんにとって久しぶりの、嬉しい夜のひとときでした。
 この夜の懇親会、崔さんの懐かしの♪珍島アリラン♪に始まって、小林・韓民の♪松花江上♪合唱にいたるまで、たくさんのアジアの歌をうたいました。写真の崔さんは(多分)朝からソウルに所用あり、往復して夜の懇親会に合流。進行役までつとめ、しかも何曲もうたって、やや歌い疲れか。この二次会の席に、あいにく韓民(中国)の顔はありませんでしたが、懇親会の席上、皆さんの前で、まさか!二人で「松花江上」を合唱することになろうとは、いつまでも忘れられない夜となったのです。
 この機会に「松花江上」について思い出話。北京の韓民が東京学芸大学にやってきたのは文化大革命が終わってすぐ、中国からの最初の留学生でした。私たちの研究室の「歌ごえ」を楽しんでくれましたが、自ら歌うことはなく、当初はいい歌い手とは知らず。「韓民がたいへんな歌をもっている」、そんな表現で教えてくれたのは末本誠さんでした(当時・東京大学大学院)。
 ある夜、横山宏(国立教育研究所)小川利夫(名古屋大学)のお二人が拙宅に見えたとき、国立に住んでいた韓民を電話で呼び出し、お二人に紹介し「松花江上」を歌ってほしいと所望したのです。あの日(九一八)から故郷を捨て、荒野にさまよう、ルオラン(流浪)〜、いつの日に再び老いた父母にまみえることができるか。そんな歌詞です。日本人にとってはつらい歌、彼は遠慮していたのでしょう。人柄同様、やさしい声で歌いました。それから、韓民を老師として、たどたどしい中国語ながら「我的家、在東北、松花江上」と、歌えるようになったのです。懇親会の席上、中国から参加の若い学者たちは皆さん歌えず、韓民と私だけ二人の合唱が実現しました。
 本題からはずれました。上に「竹富・種子取祭」について沖縄タイムス写真を紹介。韓国「マウル」づくりと関連してコメントを書く予定でしたが、もう余白なし。研究会当日にします。まだ沖縄タイムスの許諾を得ていないのですが、11月30日・研究会に向けて写真のページづくり(抄録)、ご覧おきください。目がさめるような祭りの写真です。
→■http://www.bunjin-k.net/181121taketomi.htm
東アジア国際フオーラム二日目夜・懇親会二次会 (韓国世宗市、20181102) *李正連さん提供
 左より姜大仲(ソウル大学)、崔一先(慶熙大学)、小林、上野、石井山、上田、鄭賢卿(慶熙大学)の皆さん


4005号【 11月24日】
■≪青空に映えて−韓国・平生教育実践協議会≫
 東アジア国際フォーラム4日目。一行は二手に分かれ、ソウル組は国家平生教育振興院など視察(風4000号所収・石井山メール参照)。私たち当日帰国組は、李揆仙(イ・ギュソン)さんの「平生教育実践協議会」(始興市)を訪問しました。10人あまり、どやどやとお邪魔し、手づくりの盛大な昼食を頂きました。文章で読んでいた平生教育実践協議会の4階建・事務所(3〜4階は自宅)でお話を聞きました。青空に映える白・黄の建物が美しい。黄丹青さんから写真を送っていただき、ありがとございました(ホームページ)。白と丹はそれぞれ、黄と青は同じ色・字ですね。
 イ・ギュソンさんは、2002年「韓国平生教育士協会」を創立、その初代会長へ。同じ時期に発足した「平生教育を愛する人々の会」、2年後に「平生教育実践協議会」の名称で正式に登録され、その会長となって大活躍。ぶんじんとは、2006年の社全協・全国集会での出会い。いい写真がありますが、次の機会に。
 2013年9月に日本社会教育学・国際シンポに招聘・来日された折、TOAFAEC・定例研究会(198回、9月27日)でお話を聞いたことがあります。また年報「東アジア社会教育研究」第15号(2010年)に、平生教育実践協議会の設立と活動を中心に「共に生きる共同体を夢見る人々」と題する刺激的な論文(訳・李正連)を執筆されました。日韓の社会教育・生涯学習の専門職制とその実践運動を考える上で、「東アジア」のレベルで重要な記録と言えましょう。「社会教育主事協会」(仮)のような職能団体をもたない日本(東京都・斎藤峻さんなどがチャレンジしたが、実現せず)にとって、大いに参考になる取組みです。
 土地は約100坪。青空に映える建物は、私的な空間(自宅)と社会的な活動(実践協議会)を結ぶユニークな取り組み。訪問者として、大きなノートに揮毫を求められました。「海を越えて集いし吾ら、言葉は違えど、心は一つ」と書きました。
韓国(始興市)平生教育実践協議会 (20181104)   *黄丹青さん撮影


4004号【 11月21日】
■≪TOAFAEC の出版機能≫
 11月も下旬に入りました。もうすぐ12月。そういえば、昨年今頃は二度目の大手術を目前にして、人生最後の岐路に立ったような緊迫の毎日でした。早いもので1年が経っています。なんとか歩き始めて再出発。今年にに入ってそ沖縄へ。そして韓国への旅も終わって、いまある充実感を味わっています。皆さんの声援あればこそ。あらためて感謝!です。
 さて、今年のTOAFAEC 活動として注目しておきたいことは、独自の出版機能を発見したことではないでしょうか。まず「やんばる対談」集(約250頁)の刊行、そして2冊目「戦後沖縄青年団運動」証言集(約150頁)が世に出ようとしています。関係の皆さん、ご苦労さまでした。いくつかの努力が結びあいました。年報の中にそれぞれ10年近くの対談・証言聞き取り調査の努力を重ねてきたこと。まさに継続は力なり! そしてこれらを1冊にしようとの発議、わずかではあれ「基金」蓄積の努力、これに素人の域を脱した編集技術が加わって、2冊の本に結実することになりました。熊本大学・山城千秋さん、あらためて新刊(予定)「戦後沖縄青年団運動の証言―復帰運動とアイデンティティ」(TOAFAEC発行)のご紹介をお願いします。
 ぶんじんは2冊ともに小文を書く機会を得ました。「やんばる対談」をどう読むか、の連載9回が本号で終わりました(上掲)。沖縄青年団運動史については「はじめに」を短く書いていますので、スペースがあれば、ご紹介する機会もありましょう。
 東アジアフォーラムの写真、アルバムにたくさん。今回は、日本から参加した日中韓の美女四人組。多分1日目(11月1日)の懇親会か。黄丹青さんから送っていただきました。
左より呉世蓮、李正連、黄丹青、山口香苗の皆さん(20181101) 黄丹青さん提供


4003号【 11月18日】
■≪1枚の写真から−中国「社区教育」「社区活動」の潮流≫
 前号に紹介した長春・孫冬梅さんからの1枚の写真(2009年3月)。当時の中国「社区教育」「社区活動」の潮流を想い出させてくれました。ほぼ10年前、その頃、日本では「中国生涯学習研究フォーラム」が活動を開始(黄丹青・上田孝典など、2008年12月)。中国「社区教育」の新しい動きを、現地に立ってフィールドワークに取り組もうと、これまで交流があった上海市閘北区・社区学院(旧業余大学)へ。科研費などなく、すべて自費・手弁当での現地入りでした。よく実現できたもの、思い出に残る中国行きでした。写真はその最初の夜、社区学院「行健職業学院」関係者による歓迎会。ちなみに、この中の李一群さん(東京学芸大学研究生)は中国教育部で韓民と友人だった人。
 当時中国では、国家政策が「単位社会」から「社区社会」へ大きく転換していく状況、上海だけでなく北京・天津など主に大都市部で、終身(生涯)学習・社区教育への大きな流れが生まれてきました。上海市閘北区はその先進的な地域。すでに1986年に早くも「区内15の街道に社区教育委員会が成立していた」(年報第2号、袁允偉論文)そうです。
 TOAFAEC では今世紀に入って、ほとんど毎年、中国とくに上海(閘北区)に出かけていた経過があります。羅李争さん、黄丹青さんなどの努力により「社区教育」文献・資料・新聞記事なども紹介してきました(年報「東アジア社会教育研究」創刊号、第2号等)。
 本号では、少しスペースを割いて、中国「社区教育」ホームページ・経過資料を紹介しました(上掲)。T0AFAEC サイトには15本前後の「社区教育」関連ページあり。幸い経過を一覧にした記事あり。→■http://www.bunjin-k.net/tyuugoku08.htm
 このページに入ると、すべての■印にはサイト内の別ページがリンクされ、お目当ての資料に行きつくことができます。ご参考になれば幸い。
 最近の「南の風」は韓国関連の記事が多いので、あえて中国・社区教育を取り上げました。あわせて中国生涯学習研究フォーラムの再生も願っています(小林も参加)。今回の東アジア国際フォーラムでは韓国「マウル」づくりの潮流を実感できましたが、中国の社区教育・社区活動は、これとどう関連するか、市民の動きとして類似するところあり、しかしどんな異同があるのでしょうか。次回定例会(11月30日予定)で論議したいところ。
懐かしの1枚 (上海、20090317)「社区教育」調査団。後列左から呉迪、孫冬梅、黄丹青、内田純一、羅李争、
前列は李一群、小林、
徐熾強 (行健職業学院・党書記)、袁允偉(院長)、鄭栄根(図書館長)、上田孝典の各氏


4002号【 11月15日】
■≪中国・社区教育の研究交流≫
 TOAFAEC発行予定の上掲(山城千秋さんメール)「戦後沖縄青年団運動史への証言」編集については、いま最終段階。さかんにメールが飛び交っています。いずれも内部のやりとり、そのなかの一つだけご紹介しました。ご本人に了解なしの掲載ですが、いずれ関心ある方々へ拡げたい出版ですので、ご理解いただけると思ってのこと。すでに10月の社会教育学会時に発行された「やんばる対談集」に次ぐ2冊目の企画。TOAFAEC 出版活動として今年は画期的な展開となります。担当の江頭晃子さんは大活躍。山城さんとともにあとひとふんばり、頑張ってください。
 中国長春の東北師範大学・孫冬梅さんより、先日の韓国訪問時の写真を送っていただきました(上掲メール)。有難う! その中の1枚「台湾の先生方との写真」を下掲しました。左より張徳永(台湾師範大学)と楊碧雲(元台北市政府教育局)のお二人。その横に韓国(慶煕大学・鄭賢卿)、日本の石井山竜平、小山田督剛、そして孫冬梅の皆さん、文字通り「東アジア」研究仲間が並ぶ記念の1枚となりました。
 加えて、孫さんは2009年3月・TOAFAEC研究活動(フィールドワーク)として実施した上海「社区教育」調査の際の写真を見つけて送って下さいました。懐かしや!記憶に残る1枚。上掲(次号に)。また「南の風」(2185号、2009年3月19日)にも記録し、当方ホームページに掲載していました。ご覧ください。→■http://www.bunjin-k.net/tyuugoku08.htm
 2008〜09年当時、中国・社区教育の躍動期。新しい動きに私たちも上海(とくに閘北区)との研究交流や「業余大学」(社区大学)との合作活動に取り組んでいた時期でした。当時ぶんじんは閘北区社区大学より名誉図書館長の称号をいただいた記憶。当時の研究活動の拡がりは年報「東アジア社会教育研究」第14号に反映されています。14号から15号へ意欲的な年報づくり、TOAFAEC「東アジア」研究が一つの高揚期を迎えた年でした。孫冬梅さんからの10年前の写真、あの頃を思い出しホームページを開き、思わぬ回想を楽しむひとときとなりました。重ねて感謝!


左より 張徳永(台湾師範大学)、楊碧雲(元台北市政府教育局)。横に日本(石井山竜平)、韓国(慶煕大学・鄭賢卿)、日本(小山田督剛)、中国(孫冬梅)の皆さん。(20181105、ソウル)

4001号【 11月11日】
■≪4001号を迎えて≫
 風は4000号の大台に乗りました。本人もあらためて驚いています。1998年(2月6日)に創刊。20年間の歳月、平均2日に1号(1年に200号弱)のリズムで風を吹いてきたことになります。お騒がせして恐縮。受け取っていただいた皆さんに感謝!
 当初は研究マイノリテイ(とくに留学生)へ、それから沖縄へ。当方に届くやや過多な情報をお裾分けしようとの思い。学会等のお偉いさんには配信しない方針。一部に希望を寄せられた奇特な方のみリストに入れ配信してきました。だんだんと拡がって北京や上海など海外へも送り、国内では川崎などでローカルランが動き始めるという経過でした。
 初期の段階では配信先をさがす(当時、Eアドレスをもたない人が多かった)状況でしたが、配信が100本を超えた段階で抑制するようになり、150を超えないようアドレス帳整理(50号おき)。2002年頃から風のストックとしてホームページ更新に力を入れてきました。
 この間にはFacebookの時代が到来。風の役割は済んだかなと思うときも。ライバルの出現だと妙に対抗心を燃やしたり、おかしなものです。風1000号では同時発行してきた「公民館の風」を休刊し「南」に専心。しかし2000号や3000号では「もう、やめたい」とダダをこねるなど一波乱。思い出いろいろ。4000号では、ここまで(入院中でも)継続してきた道のりに感謝の気持、しばらく続けていこうと気持を新たにしています。ただ読まれなくなった「風」は引き取りたく、アドレス帳整理を予定。4000号までに・・のつもりでしたが、韓国行きが重なり、これからの作業です。
 さて韓国行きの写真紹介。三日目に遊んだ忠南牙山(アサン)民俗村で一緒に撮った1枚。見事な紅葉が始まって深い秋色。いつまでも忘れない思い出のひととき。ぶんじんはあまり歩けないので、休んでいたのですが、写真のときだけ仲間に入れていただきました。この写真を4001号に飾ることが出来てよかった。李正連さん提供。
東アジアフオーラム(3日目)韓国忠南・牙山(アサン)民俗村にて(20181103)  



南の風3950号〜4000号
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