2008年3月
上海・華東師範大学と韓国・平生教育研究所関係者
の沖縄訪問記録


1,訪問団受けいれとご協力の御礼−沖縄の皆様へ(2008年4月5日)   
                  
小林 文人


 拝啓 東京は春爛漫の候、桜の盛りは過ぎましたが、いい季節となりました。沖縄もすでに若夏、皆さまにはお変わりなく、お元気にお過ごしのことと存じます。
 このたびの上海・韓国関係者の訪沖(2008年3月26日〜30日)にあたっては、沖縄の皆様による“熱烈”な歓迎と心温まるご協力を賜り、まことに有り難うございました。この旅の企画者として、厚く御礼申しあげます。

 今回の旅に参加した人たちは、中国・韓国ともに有数の人たち、教育学・生涯教育の領域で並々ならぬ影響力をもつ(今後もつであろう)学者グループです。彼らから、東京の国際会議出席後、沖縄に行きたいという希望が寄せられたことは、かねがね「沖縄に一度行きましょう」と誘っていた当事者として責任を感じました。
 急遽、昨年12月に事前のお願いに参上した次第です。訪沖の皆さんは、いずれもはじめての沖縄、なんとかいい旅となるように努力したい、また今後の交流・友好の大事なステップにしたい、そう考えて、皆様にお願いしたのでした。

 那覇でも、名護でも、また移動の車の手配や昼食の用意にいたるまで、周到な準備、万全の対応をいただき、まことに有り難うございました。沖縄側の熱い歓迎の気持が中国・韓国の皆さんに深く響き、いつまでも思い出にのこる感動の旅となったように思われます。有り難うございました。
 
 スケジュールの設定については、当方に任せられたかたち、事前の打ち合わせや沖縄戦についての学習の機会もなく、心配しながらの旅が始まりました。初日の南部戦跡を廻る日程はやはり軽率(むしろ最終日にすべき)でした。とくに中国側に強い違和感がありました。幸いに、ともに「戦争」に反対し「平和」を求める心は一つだという相互理解が生まれ、結果的に想像以上に内容のある旅となりました。最終日に別れる際には、代表の杜成憲・学部長と小林は固く抱き合いました。
 なによりも沖縄の皆さんの豊かな歓迎の心が中国(そして韓国)側にしっかりと伝わったからです。

 わずか4日間の旅でしたが、新しい出会いがたくさんあり、また今後に向けての面白い計画や課題も話し合われました。小林発行「南の風」(2007号「われらの心はひとつ」〜2011号、後掲)にこの間の経過や感想などを収録していますので、詳しくはこれらをご覧下さい。またご感想ご意見など頂ければ幸いです。

 あらためて沖縄を訪問された上海の皆様、その日程に合わせて訪沖の韓国の皆様、参集された伊藤長和、内田純一、黄丹青、山城千秋等の皆様、にも御礼申しあげます。多くの方々に支えられた今回の沖縄訪問の旅を終えて、感謝の気持で一杯です。




2,訪問団メンバ−   
                 
上海訪日団:華東師範大学(教育学系)教授8名・名簿:
杜成憲(DU CHENG XIAN)  教授;中国古代教育史、教育学部長
楊小微(YANG XIAO WE)   教授;教育改革論、国家教育部・研究所所長
陸有全(LU YOU QUAN)    教授;教育哲学
熊川武(XION CHUAN WU)   教授;基礎教育
呉遵民(WU ZUN MIN)      教授;生涯教育
周金浪(ZHOU JIN LANG)   副教授;教育原理、教育学部党書記
黄向陽(HUANG XIANG YANG)副教授;道徳教育
王建軍(WANG JIAN JUN)   副教授;カリキュラム論
*庄輝明:華東師範大学・副学長(東京・国際シンポジウム:3月20日〜23日のみ参加)

韓国からの訪問団:     *3月26日 ソウル→台北→那覇(同夜の歓迎会で合流
金済泰(韓国文解=識字=教育協会・名誉会長、元韓国平生教育研究所所長)
申聖勲(韓国文解教育協会・副総務、韓国平生教育研究所・総務理事) 
魯在化(聖潔大学・教授、韓国平生教育研究所所長)

同行者(TOAFAEC)
小林文人(東京学芸大学名誉教授、TOAFAEC前代表)、
伊藤長和(川崎市教育 委員会・学習情報室長、TOAFAEC副代表)
内田純一(高知大学教授、TOAFAEC前 事務局長)
黄丹青(埼玉大学講師、TOAFAEC常任委員)
山城千秋(熊本大学助教授)

*上海8名+韓国3名+同行(TOAFAEC)6名、計16名



3月23日(水)夜・TOAFAECによる歓迎会(渋谷ロゴスキー)



3,訪問団沖縄日程

3月26日(水):東京より沖縄へ JAL 911便(東京10:25→那覇13:15着) 
          南部戦跡へ(沖縄大学迎え−上地武昭・沖縄大学の車)
   17:00ホテルへ 宿泊:ホテルサンワ(那覇市久米 098-868-9041)
   19:00〜21:30(予定)おきなわ社会教育研究会主催による歓迎会: 
    会場:沖縄青年会館(珊瑚の間) 那覇市久米2−15−23 098-864-1780
     *韓国グループ(台北経由)18:30前後に那覇空港到着(予定)→歓迎会場へ

3月27日(木):
09:30 ホテル出発(沖縄大学・車)
      那覇より北上、嘉数(普天間飛行場)、佐喜真美術館、読谷(残波岬、波平区公民館、
      座喜味城など)、万座毛など経由、名護へ。
   16:00〜ホテル着 宿泊:ゆがふイン(名護市宮里453-1、0980-53-0031)
   19:00〜名護博物館へ 歓迎パーティ(名護市関係者による)

3月28日(金):ホテル09:30発 「やんばる」を歩く→水族館、今帰仁城→源河
          →慶佐次(マングローブ)、天仁屋、賀陽(浜バベキュー)、辺野古など
      夜・大国林道(夕食) ホテル・ゆがふイン(同)

3月29日(土):午前・那覇へ移動。午後・首里城等の散策など(モノレール)
      夜・お別れ晩餐会  宿泊:那覇・ホテルサンワ(26日と同じ)

3月30日(日):上海へ帰国(MU東方航空 15:35発)*韓国グループ帰国(台北経由)




4,沖縄訪問記録(南の風記事)

(1)小林文人
●南の風・2006号(2008年3月30日)
 <沖縄日程終わる>
 3月26日、桜咲き初める東京を離れて、那覇へ。そして沖縄本島を北上、名護・やんばるを一回りして、昨29日に那覇に戻りました。韓国から参加(黄宗建先生ゆかりの韓国平生教育研究所関係者3名)の方と別れ、今日はさきほど上海へ帰国される華東師範大学一行(8名)を見送り、予定のスケジュールはすべて盛大裡に終了。いま一段落しホテルで一休み、ようやく本号を書いています。5日間のご無沙汰です。
 今回の沖縄を回る旅は、華東師範大学教授グループの訪沖計画をきっかけに、韓国の方々が合流し、これに東京・川崎・高知からのTOAFAEC関係者5名が同行、総勢16名の大所帯でした。これを迎えて、那覇・おきなわ社会教育研究会の皆さんによる大歓迎会(26日夜、沖縄青年会館)、名護の皆さんによる「上海・韓国・文人一行を迎える夕」(27日夜、会場・名護博物館中庭は人であふれた)が開かれました。さらに名護「大国林道」夕食会(28日)、そして、29日夜は華東師範大学側によるお別れ晩餐会(那覇・喰米屋、上記・赤崎メール)、と連日のしい夜が続きました。
 HPにいくつか写真を掲げています。ご覧ください。連日の酔いもあり、また疲れもあり、すこし努力はしたのですが・・・、結局のところ日間「風」を出すことできず。
 今回の沖縄への旅では、何よりも中国・韓国・日本の関係者が沖縄の地で出会い、これまでにない友情を深める機会となりました。いつまで語り継がれることでしょう。「風」に載せたいこと、たくさん!
 ご参加の中国・韓国の皆様、無事にご帰国のことと思います。お疲れさまでした。心いっぱいの歓迎をして下さった那覇・名護等の沖縄の皆さん、そして川崎・高知のTOAFAEC 関係者、お名前を掲げませんが、ご協力まことにありがとうございました。お疲れがとれたところで、この5日間のこと、追々と「風」に送っていただければ幸いです。

●南の風・2007号(2008年3月31日
 <われらの心は一つになった>
 皆さんより1日遅れで東京に無事戻りました。1週間の旅、心地よい疲れ、ある種の充実感、“旅の終わり”に味あう醍醐味です。
 早速に上海の呉遵民さんから過分のお礼メールが届きました。いつも大仰な表現、褒められた本人は恐縮しつつ、しかし、お気持ちですから、そのまま掲載させていただきました(下記・呉メール)。
 スケジュールを設定した側として、いくつもの反省があります。上海(そして韓国)の皆さんは、もちろん初めての沖縄。前もっての打ち合わせや事前学習の機会もないままに、着いたその足で、南部沖縄戦跡を回ったのは軽率でした。当初の案では最終日のプログラムでしたが、車(沖縄大学の好意)の手配等の関係から、初日となったのです。
 沖縄戦の基礎理解や「ひめゆり」「平和の礎」の説明も不充分。そして摩文仁の丘に立ち並ぶ慰霊碑。当然ながら中国の皆さんには「侵略軍」としての「日本陸軍」イメージがあり、沖縄の旅は強い違和感から始まりました。案内しようとした「ひめゆり平和祈念資料館」には足を踏み入れていただけませんでした。
 初日の夜、呉遵民さんはずいぶん心配して、ながい電話での相談がありました。正直のところ、当方もこの夜は眠れず。「戦争」に関わるテーマは難しい。二日目に寄る予定の佐喜真美術館(宜野湾)には丸木夫妻「沖縄戦の図」あり、このスケジュールは割愛した方がよいのかも?と思案しました。
 しかし結果的には、佐喜真館長の熱情をこめた説明(沖縄戦とは何であったのか)と呉さんの懸命な通訳が大きな転換点となりました。上海側を歓迎する那覇・名護の皆さんの心もしっかりと伝わって、2日目の名護の夜の歓迎会では皆さんの表情は実になごやか。声をあげて「北国の春」を合唱し、ともにカチャーシーを踊りました。
 3日目「大国林道」(名護)での夕食会。陸有全教授(教育哲学、初日はもっとも厳しい表情)の乾杯の連続と海量の酔い。「われらはともに平和を愛する、その心は一つになった」の挨拶を忘れません。


3月27日夜、左より陸有全(華東師範大学)、呉遵民(同)、小林、魯在化(韓国・聖潔大学)の各氏

●南の風・2008号(2008年4月3日
 <訪沖団受け入れの御礼>
 本号は、中国と韓国からの沖縄訪問に関する記事・特集号となりました。今回の(TOAFAEC としては)大事業にご参加・ご協力いただいた沖縄の皆様にあらためて厚く御礼を申しあげます。「風」前号の上海・呉遵民メールにあるように、来訪の皆さんも、初めての沖縄への旅を大変喜んで頂きました。
 初日の那覇「おきなわ社会教育研究会」による歓迎会、二日目の名護博物館を会場とする「やんばる」大歓迎会、沖縄大学と名護市教育委員会によるバス提供、訪問した佐喜真美術館、座喜味城案内の読谷村民俗資料館、座喜味区公民館や天仁屋小学校など、多くの方々にお世話になりました。物心両面でのご負担をおかけした面があり、ご好意に甘えてしまいました。
 これまでにも、研究室ゼミや市民グループによる沖縄訪問は数えきれません。研究室在籍の留学生もほぼすべて沖縄を訪れました。個別の外国人研究者の案内をしたこともあります。しかし今回のように2カ国の、10人をこえるグループ訪問団の案内は、当方も初めての経験でした。
 前号・本号収録の記事にあるように、いくつもの反省や課題があります。うまくいったこと、いかなかったこと、今回のいろいろな経験を忘れないようにしたいと思います。
 琉球・沖縄は、日本のなかで歴史的に最も国際的なところ。社会教育や地域研究の上でも、内外に発信すべき多くのものを育んできました。施設・景観だけでなく、字公民館の活動、集落の共同と自治、地域づくりの歩み、祭祀の行事や地域文化など。
 沖縄の集落(シマ)が躍動的に動いているとき(たとえば豊年祭やエイサーなど)に合わせて、東アジア・沖縄フオーラムのような企画を考えてみたいもの、その活力と楽しさに包まれて、海を越える人々の友情や連帯もふくらんでいくだろう、そんなことも考えた日々でした。

●南の風・2009号(2008年4月5日
 <酒の座の戯れでなく・・・>
 前号で韓国訪問の7月計画を書きましたが、今回の上海・韓国に同道した沖縄行きのなかで、いろんな旅の企画が面白く出ました。記憶が薄れないうちに書いておきます。
 いずれも酒の座の戯れ、楽しく話のみ躍るようなところもありますが、案外と具体的な提案も含まれています。不確かな部分はお許しを。
 一つは、中国・韓国・日本の関係者が沖縄に集った今年の友情を、来年以降に更に継続・発展させていきたいという話。前号の伊藤長和さんメール(下掲3)をご覧下さい。果たしてどう具体化していくか。
 二つには、上海の訪沖を歓迎した沖縄の皆さんに、ぜひ上海に来ていただきたいとのお誘い。那覇で別れるときにも、上海の皆さんは口々に「次は上海で会いましょう!」と。名護の島袋正敏さんは「やんばる島酒の会」会長として、中国・古酒に関心あり。那覇−上海の直行便も飛んでいることだし、具体的な検討が始まるのではないでしょうか。
 三つ目は、名護からのお誘い。今回の沖縄訪問受け入れに尽力した教育委員会や名護博物館の皆さんから、7月(初旬)「サガリバナ」(澤藤、名護市の花)季節に、天仁屋?で集いをもちたいと。お世話になった稲嶺進・教育長(博物館中庭での絶妙のカチャーシー)のこともあり、ぶんじんは名護行きを計画しようと思っています。
 四つ目は、上地武昭さん(沖縄大学)からのお話。ご存知の方もある東寿隆さん(元東京都社会教育主事、社全協常任委員、「月刊社会教育」編集長)は、息子さんが頑張っている南大東島に移住して、いま長期の療養中。一度ぜひ南大東島に行きましょうと。さきほど南大東島に電話しました。東寿隆さんは相変わらずの病状、島の地域おこし等の資料を送っていただくそうです。


(2)呉遵民 (上海・華東師範大学)
●南の風・2007号(2008年3月31日
 <心からのお礼と大感謝> Mon, 31 Mar 2008 00:01
 小林先生はじめ、東京、沖縄の皆様:
 華東師範大学一行、今日30日の午後3時(現地時間)過ぎ、上海に無事に帰国しました。先生には空港へのモノレール改札口までお見送り、誠にありがとうございました。
 この5日間、先生は私たち一行に同行されご案内いただきました。沖縄戦争遺跡の見学、佐喜真美術館へのお誘い(館長さんのご講演はとても素晴らしかった)、また那覇、名護の皆様へのご紹介(盛大な歓迎会、有り難う!)、さらに連日にわたる深夜までの歓談・交流、本当に数え切れないほど楽しみ、感動し、深い友情、本当に有り難うございました。
 もっとも感動すべきことは、何よりも小林先生のお心の暖かさと広さ、熱情いっぱいの平和への思い、華東師範大学の皆さんは本当に深く感じ入り、大感動となりました。先生にはほんとうにお疲れさまでした。 
 ぜひ皆様で上海へお出でいただきたい、それも早い機会に実現したい。これは、杜成憲・学部長と私たち一行が沖縄を離れるとき、みないちばん深く願ったことです、どうぞよろしくお願いいたします。 敬具! 


(3)伊藤長和(川崎市教育委員会)
●南の風・2007号(2008年3月31日
 <沖縄旅行の報告(1)> Sun, 30 Mar 2008 21:44
 無事30日17時に帰宅をいたしました。24度の気温のエメラルドグリーンの沖縄の海から、満開の桜の鎌倉に戻りました。鎌倉は小雨で肌寒い気温です。夢のような5日間の沖縄の旅でした。本当にありがとうございました。
 那覇空港での上海・華東師範大学の8人の先生方一人ひとりとの別れの握手は硬く力強くて、5日間の旅の感動を私に伝えてくれました。小林文人先生のような著名な先生が、市井の民と強い交わりをなさっていることに、彼らは驚いたようです。それは、私・伊藤も強く感じました。
 小林先生のネットワークが那覇でも名護でも私たちを大歓迎してくれました。少し硬かった上海の人たちの心を沖縄の皆さんが和らげてくれました。
 そしてついに、中国、韓国、日本・沖縄の人たちの心が一つになったのです。国境を越えて人と人がつながったのです。ここに至るまで受入れの準備、沖縄への依頼、航空券からホテル、の手配等全てを何からなにまでをなさった小林先生に、深く感謝を申しあげます。旅行社のツアーでは決して体験できない心の交流の旅。ありがとうございました。

●南の風・2008号(2008年4月3日)
 <沖縄旅行の報告(2)> Mon, 31 Mar 2008 23:05
 本多勝一氏の話に「足を踏まれた人と足を踏んだ人」の例え話がありますが、国際交流で一番気遣うべき事柄なのです。
 沖縄訪問の初日でした。「ソーキソバ」での遅い昼食を終えて「ひめゆりの塔」の見学の後、「ひめゆり平和祈念資料館」の参観を上海グループは拒んだのです。そして「平和祈念公園」に向かい「平和の礎(いしじ)」を案内した時に、ついに不満が噴出いたしました。とても静かに、でもイライラとした顔つきです。
 「なぜ、日本人の戦没者慰霊碑に私たちが参拝するのか」と。「足を踏んだ人の慰霊碑に足を踏まれた者が参るのか」とでもいうようにです。そうです、彼らは日本軍の上海事変、南京大虐殺を心の隅に記憶しているのです。
 さて、2日目です。「佐喜眞美術館」に出かけました。ここでも一人が入館を拒みました。他の人たちは、丸木夫妻の「沖縄戦の図」の前で語る佐喜眞道夫館長の解説に感動し、沖縄から発信する国際平和の意義を共有したのです。その後、沖縄の皆さんの心からの歓迎ぶりに心を開かれた皆さんは、とりわけ強硬派のお一人は、沖縄戦跡から平和を学び、平和をつくり出す社会教育の使命を理解してくれたのです。
 これはマイクロバスの中で、小林文人先生が韓国の黄宗建先生を「ひめゆり平和祈念資料館」に案内された折、涙を流して黄宗建先生が「社会教育は平和のためにあらねばならない」と言われたことを紹介されたことも大きな力となったのでしょう。そして「心が一つになった」という彼の感動的な発言が生まれたのです。大合唱はこうして実現したので
す。儀礼的な交流ではなく、心をぶつけ合って真の理解が生まれ、心が一つになったのです。

3月27日 佐喜真美術館・前庭(中央・佐喜真道夫館長) 写真移動

●南の風・2009号(2008年4月5日)
 <沖縄旅行の報告(3)> Tue, 1 Apr 2008 21:26
 初日(3月26日)の那覇の夜です。おきなわ社会教育研究会の歓迎会で、私伊藤は「文人先生は今、涙をこらえて喜んでいらっしゃると思います。何故なら小林先生は、中国、韓国、日本の東アジア社会教育の研究と交流を、この沖縄の地で行ないたいと常々おっしゃっていたからです。今日は先生の夢の第一歩を踏み出したのです。」と挨拶をしました。
 そして、沖縄の皆様の温かい歓迎により、心が一つになった結果、この研究と交流を継続しようということになりました。最終日の晩餐会でいろんな話がでました。次回は韓国で、そしてその後は上海で、という案。連絡調整役は、中国=呉尊民、韓国=魯在化、日本=内田純一の3氏にお願いしてはどうか。小林先生は、「次回、韓国は済州島ではどう
でしょう。島がいい。」「1日はしっかり研究して、2日間は遊び、3日間としよう」など。華東師範大学の杜・学部長も「司馬遷も、1日学び、2日遊ぶ、と言っている」と和されました。テーマは、「共通通課題として、例えば、地域と教育、地域と学校、などにしたらばどうか」など提案されたのです。
 まさに今回の沖縄旅行は、東アジア社会教育研究の国際交流の新しい歩みを踏み出したのです。


おきなわ社会教育研究会による歓迎会(3月26日夜、沖縄青年会館)

●南の風・2010号(2008年4月7日)
 <沖縄旅行の報告(4)> Thu, 3 Apr 2008 22:00
 沖縄の皆さまありがとうございました。先ずマイクロバスを用意していただい沖縄大学の上地武昭先生、名護の島袋正敏先生、本当にありがとうございました。両先生のきめ細かな旅行スケジュールの調整、さら歓迎会の企画など大変お世話になりました。中国、韓国の人たちが初めての沖縄旅行に強い感動を覚えて帰られたのは沖縄の皆さまのお陰です。
 那覇の青年会館での歓迎会では、とくに宜野湾市民図書館の玉那覇正幸館長にお骨折りいただきました。壺屋焼物博物館の前原信喜館長の三線の演奏とカチャーシ、那覇市立繁多川図書館の高里洋介館長、そしてもちろん「おきなわ社会教育研究会」代表の平良研一先生、新城捷也さん、上原文一さん、名城ふじ子さん、佐久本全さん、カメラマンをつと
められた組原洋先生、とても心温まる楽しい交流となりました。
 二日目の名護博物館の中庭での歓迎会は、島袋正敏さんを中心としての取り組み、たくさんの人たちで名前をあげてお礼を申し上げることはできません。高校卒業を迎えた青年3人の三線の演奏と島歌に感動した私伊藤は、「仕次ぎは、泡盛の古酒だけではなく、地域文化の仕次ぎも行なわれているのですね。仕次ぎは教育の原点です。」と挨拶をしたの
です。一見今風の風貌の若者が、伝統芸能を受け継いでいる姿に私は打たれたのです。この歓迎会のために、早朝から準備し豚を一頭つぶして私たちをもてなして下さった名護の皆さま、本当にありがとうございました。稲嶺進教育長のカチャーシーもとくに絶妙でした。
 3日目の昼食は、嘉陽の白砂の浜辺でのバーベキューで最高潮でした。オリオンビールがすすみます。その夜は山城秀夫さんが経営する名護のレストラン「大国林道」での歓迎会です。私は社全協・全国集会で山城さんとは旧知の仲です。島袋正敏さんだけでなく、中村誠司さん、大城さん、具志堅さん、崎村さん、とてもすてきなお店で美味しい料理、楽しいお話、ありがとうございました。
 先に報告した「心が一つに」の発言は、このお店でおことでした。今まで激しい感情を見せていた中国の教授のお一人が、感極まり挨拶されたのです。
 そうそう、釣りの好きな黄丹青さんの息子さんの周書剣君は、山城秀夫さんが釣り上げた大物のカジキの写真にやや興奮しておりました。黄丹青さんはTOAFAECの仲間です。
 ちょっぴり厳しい現実も報告します。3日目の辺野古海岸でした。普天間基地の移転が予定されているジュゴンの棲息する地です。米軍基地用地との境に波打ち際から海岸丘陵部にかけて有刺鉄線が筒状に巻かれて張られています。これにカラフルな短冊が結ばれていました。自転車をとめてこれを眺める地元のお年寄りに尋ねると、「平和のメッセージ」
だとか。しかし、昨夜アメリカ兵によって全部焼かれ、今朝また付けかえたのだそうです。近づくと黒こげの短冊の残骸が散在していました。コバルトブルーの海と白砂の海岸に黒こげの布、自然のキャンバスにどんな画題を付けたらよいのでしょうか。

●南の風・2011号(2008年4月9日)
 <沖縄旅行の報告(5)最終回> Sun, 6 Apr 2008 20:26
 韓国からも3人の先生が今回の沖縄旅行に参加されました。金済泰先生、魯在化先生、申聖勲先生の3人です。3人ともプロテスタントの牧師さんでもあります。魯在化先生は聖潔大学校教授で韓国平生教育研究所の所長です。申聖勲先生は韓国文解教育協会副総務、金済泰先生は韓国文解教育協会名誉会長です。文解教育とは識字教育を意味します。
 金済泰先生は、「日韓社会教育セミナー」の主要なメンバーの一人でした。今回の沖縄訪問は、一昨年急逝された黄宗建先生の追悼会を企画する小林文人先生と私伊藤が沖縄を訪れることから、黄宗建先生の親友の金済泰先生がその打ち合わせを兼ねて来訪されたのです。黄宗建先生は、韓国社会教育学会の会長なされました。一昨年に私たちが出版した
『韓国の社会教育・生涯学習』(エイデル研究所)の編者でいらっしゃいましたが、出版を目前にして他界なさったのです。追悼会は本年7月22日に韓国忠清北道で行なおうということになりました。小林文人先生と同い歳の金済泰先生はだいぶ健康を害されていると聞いておりましたが、沖縄では大変お元気で安心したのです。沖縄の人たちの心からの
歓迎ぶりに元気になられたのでしょう。いつまでもお元気で、後進の指導をお願いしたいものです。
 さて、沖縄糸満の摩文仁の平和祈念公園にある、「韓国人慰霊塔」は、広島平和公園の「韓国人原爆犠牲者慰霊碑」と並び有名ですが、普天間飛行場を見下ろす宜野湾市の嘉数の高地に「青丘之塔」を訪れましたので、碑文と銘を紹介します。青丘は朝鮮半島の美称です。
◇碑文
 「この塔にねむれる人は とつくにの えにしぞ深き 御霊なりけり」
◇銘文「嗚呼ココ沖縄ノ地ニ太平洋戦争ノ末期カツテ日本軍タリシ韓民族出身ノ軍人軍属三百八十六柱ガ山河ヲ血ニ染メ悲シクモ散華シ侘ビシク眠ッテオラレマスココニ思イヲイタシ日本民主同志会ハ卅八度線板門店ノ小石卅八ケヲ写経ト共ニ碑礎ニ鎮メイデオロギート国境ト民族ヲ超越シ人道主義ヲ尊奉哀シキ歴史ヲ秘メタコレラノ御霊ヲ慰霊顕彰スルタ
メニ最モ激烈ナル戦闘ヲ展開シタ戦跡嘉数ノ高地ニ志ヲ同ジクスル諸賢ヲアワセテ関係機関並ビニ地元嘉数地区御協力ヲ得テ韓民族出身沖縄戦没者慰霊碑「青丘ノ塔」ヲ建立シ永久ニ英勲ヲ讃エマス」 昭和四十六年三月吉日 松本明重 識  川崎梅村 書
◎最終回の報告にあたって
 長くなりました。旅のメモ帳を再読すると、いろいろ記述漏れがあります。お詫びします。初日の那覇空港には沖縄大学の平良研一先生が出迎えて下さり歓迎会にもご出席下さいました。ありがとうございました。
 さて、今回の沖縄旅行は密度が多く、報告したいことが盛りだくさんありますが、残念ながらタイトルのみとさせていただきます。(順不同)
○徳田球一の碑、牧志の公設市場の南海の魚、島袋正敏さんの母校は統廃合直前の天仁屋小学校、琉球アユの源河、名護市役所のエコ建築(象グループ)、牛島中将と南京大虐殺、赤い糸で結ばれた赤崎隆三郎さんとの不思議な出会い(那覇・島豆腐)、答礼の宴の会場探し、ノーゼンカズラ科の黄色い花のイッペイ、集落公民館、砂糖きびジュース、特等席でビールを飲みながらマンタとジンベー鮫を観察(美ら海水族館)、文人先生と歩いたほろ酔いの名護十字路、城址に咲くタチツボスミレ、座喜味城・今帰仁城と首里城、慶佐次のマングローブ、沖縄ソバのつなぎは木灰汁、沖縄復帰運動の歌「沖縄を返せ」、などなどです。
 最後に沖縄大学、名護中央公民館館のマイクロバスの運転手さん、心からのご親切に感謝申し上げ、筆を置きます。


(4) 内田純一(高知大学)
●南の風・2008号(2008年4月3日)Mon, 31 Mar 2008 17:54
 <TOAFAEC・東アジアの交流>
 沖縄ではたいへんお世話になり、ありがとうございました。先生に何から何までやっていただく形になり、ずっと恐縮のし通しでした。
 それにしても、小さな小さな手弁当グループが、日中韓沖の何より実質的な交流をよくぞここまで成立させたものだと、手前味噌ですが感嘆しました。こうした発想は、もともとTOAFAEC の思想にあるわけですが、実際にやってみて、その意義と可能性について多くを学ぶことができた数日間でした。
 特に今回は、必ずしも社会教育や生涯学習を専門としない偉い先生方で、どうなることかと多少の心配もありましたが、沖縄という地での共有体験が、人間の本質、教育の本質という点において、それぞれに深い繋がりをもたらしたように思います。いわんや社会教育・生涯学習の研究者や実践者たちであったならば、きっとまた別の広場が生まれていた
はずだと楽しい想像が膨らみます。
 皆さんそれぞれに「次はソウルで…」とか「次は上海で…」とおっしゃっていましたが、日中韓沖に台湾そしてモンゴルといったメンバーが一堂に会することが重要で、ぜひまたTOAFAEC としてこのような機会を創りだしていきたいと考えます。まずはお礼まで。


(5)玉那覇正幸(宜野湾市民図書館)
●南の風・2008号(2008年4月3日)Wed, 2 Apr 2008 10:58
 <中国との交流>
 沖縄の旅、もてなし、大変にお疲れ様でした。華東師範大学や韓国の御一行の皆さんとともに、沖縄の風土、戦渦の地、ウチナーンチュとの心の交流に接することができ、わたし自身も感動の渦に巻き込まれてしまいました。
 今回の沖縄来訪交流の旅は、神々しい初春の輝きに目を奪われような気持ち、新たな息吹きを感じることができました。心からありがたく感謝を申しあげます。中国との友好の輪を更に深めるべき努力しなければならないことを痛感しました。  
 健康な人は自分の健康に気がつかないと思います。先生には健康第一に、澄み切った南の青空の麓に「風」の便りを届けてください。



3月27日 佐喜真美術館にて(前列中央・佐喜真道夫館長)


(6)中村誠司(名桜大学)
●南の風・2021号 2008年4月30日(Mon, 28 Apr 2008 13:46)
 <『徳田球一』のこと−上海訪沖団を迎えて>
 はや1月がたつ。すでに「南の風」で報知されて旧聞になるが、小さなエピソード一つ追加。3月27日の夕刻、名護博物館の中庭では、順延した恒例の旧正月豚パーティに大勢の博物館市民フアンがすでに豚汁や血イリチャーを味わっていた。
 ひときわ大きな拍手がおこり、上海・韓国からの訪沖団など文人先生一行を迎えた。なごやかな雰囲気のうちに中・韓・日・沖の交流会は賑わいを増した。TOAFAECの風景が現前しているかのようであった。
 文人先生の助言で中国からの陸有銓・楊小微・周金浪の各先生に、『記念誌・徳田球一』(2000年)をプレゼントすることになった。幸い博物館に在庫があり、即座に対応できた。『徳田球一』は編集作業に参加し苦労した本だが、売れなかった。徳田球一がお世話になった中国の資料機関は分からず届けていなかった。
 先生方は徳田球一をご存知であった。名護出身のことは不承知のようであったが、中国の方にプレゼントできたのは奇遇でありがたかった。宴を終え、帰り際、文人先生の発案で一同ヒンプンガジマル公園に建つ「徳田球一記念碑」を訪ね、久しぶりに島酒を注いだ。徳田球一は中・韓・日・沖の人が大勢訪ね来て、酒まで飲めて、さぞ驚き喜んだことであろう。
 翌日の大国林道での交流会も実に楽しいひと時であった。その際、陸有銓先生は『徳田球一』のお礼を重ねて申され、「名護出身のこと覚えておきます」とおっしゃられた。今回中国のみなさんの名護・山原訪問と交流会の記憶を、私は『徳田球一』とともに刻んだ。


名護ヒンプンガジュマル公園・徳田球一碑に島酒を注ぐ周金浪氏(華東師範大学大学教育学系・書記)080327





首里・守礼門前にて華東師範大学訪沖団、後列右端・杜成憲氏(教育学部長)