【南の風2018】 3951号〜4000号  
各号目次・後記(ぶんじん日誌)
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【南の風2018】3951号〜4000号・目次一覧(進行中)

3951号【 6月 8日】韓国フォーラム(81)、町田、七月集会、おきなわ短信1335、あれから29年
3952号【 6月12日】名護より、勝連・上江洲安吉氏逝去、第81回韓国研究フォーラム、風に参加
3953号【 6月15日】ヤン先生を囲む6月定例会、那覇珊瑚舎スコーレ補助、韓国の統一地方選挙
3954号【 6月18日】七夕会ご案内、『82さい中学生はっちゃん』、爬龍船競漕、石川敏さんを偲ぶ会

3955号【 6月21日】学会要望、町田、日本語学級設置請願、鉄血勤皇隊、『だけど だいじょうぶ』
3956号【 6月25日】韓国フォーラム日程変更、全夜中研修交流会、沖縄慰霊の日、摩文仁73年
3957号【 6月28日】トーカチ祝い10月5日・名護、旭川で夜間中学写真展、飯田、沖縄のこころ
3958号【 7月 1日】日本の大学政策、韓国平生教育の動き(251研究会)、海を越えての対話10年

3959号【 7月 5日】82韓国フォーラム、町田、ハワイ捕虜収容所、慰霊「平和の詩」、今帰仁城崩落
3960号【 7月10日】七夕会(再)、魚沼から参加、平和の詩、東演「琉球の風」、豪雨災害お見舞い
3961号【 7月11日】じんぶんヒストリー、82回韓国フォーラム報告、沖縄戦後を生きた福地曠昭さん
3962号【 7月17日】福建終身教育10周年、日本公民館学会投稿論文、辺野古に柵、七夕会終わる
3963号【 7月21日】やんばる対談」(11)原稿, 韓国この1年、町田、沖縄少年院、年報23号に向けて
3964号【 7月25日】
7月定例(252)研究会、夜間中学卒業生スピーチ大会、石垣市4公民館反対
3965号【 7月30日】じんぶんヒストリー1報告, 松戸「みらい分校」課題、映画・沖縄スパイ戦史
3966号【 8月 4日】出版祝賀会、夜間中学校拡充署名、町田、沖縄ウマチー、ゲッベルスと私
3967号【 8月 7日】夜間中学に集う(NHK/ET)、オール沖縄、沖縄スパイ戦史、ゲッベルスと私2
3968号【 8月10日】農中本祝賀会、読売書評、翁長知事急逝! 川口初夜中、ウチナーンチュ知事

3969号【 8月14日】パレスチナ、図書館問題研究会要望書、翁長雄志沖縄県知事・苦闘4年・追悼
3970号【 8月18日】23号校正、やんばる対談最終稿、第58回全国集会、墜落から14年、大失敗
3971号【 8月21日】



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南の風・各号後記(ぶんじん日誌)


3971号【 8月21日】




3970号【 8月18日】
■≪夏の夜の大失敗≫
 いまTOAFAEC 今年度年報(23号、編集長・李正連さん)の最終点検・校正作業が進行中です。編集担当の江頭晃子さん、ご苦労さま。編集―執筆者間であわただしくメールなどが飛び交っています。その一端をご紹介したく、本号には、 江頭さんの校正依頼メール、やんばる対談記録の最終点検(ぶんじん)を上掲いたしました。年報は今年で23冊目、創刊号(1996年)から関わってきた身としては、いつもこの時期、感慨深いものがあります。沖縄研究を含めて、東アジア研究の、これまでにない蓄積が生まれていること、激動の歴史に社会教育・生涯学習の立場から参加していることを実感するのです。
 8月31日は、編集委員会として終日の校正作業(@東京大学・李正連研究室)です。編集委員・執筆・翻訳者はもちろんのこと、関心ある皆さん、とくに初めての方のご参加大歓迎!しています。お気軽にお出かけください。お待ちしています。
 ところで、前号本欄にちらりと書きましたが、今週月曜の夜、愛用の携帯、諸カード類、鍵、いささかの現金などを入れた小バッグをタクシーに置き忘れるという、大失敗をやらかしました。直ちに交番に駆け込み遺失物届、世の中の善意を期待して、連日いい知らせ(拾得届け出)を待ち続けましたが、どうやら期待はずれ。その後に警察からの連絡もなく、再び懐かしのガラ型に出会う夢はむなしく消えてしまいました。この数日、いくつかの銀行回り、カードの切り替え、病院の診察券の再発行など、ボヤキながら励んでいます。 
 というわけで、ぶんじんへの電話連絡は、これまでの携帯をお忘れいただき、ご用の場合は自宅電話(03−3324−7816)にお願いします。パソコンは生きていますので、メール便はこれまで通り、ご来駕をお待ちしています。

3969号【 8月14日】
■≪翁長雄志沖縄県知事の追悼≫
 8月は広島・長崎(加えて私には久留米大空襲8/11)の祈りの季節。そして早や旧盆の中日となりました。皆さんお元気に酷暑を乗り切っておられることでしょう。日曜日の朝日俳壇に「炎天の人みな罪を負うごとく」(川西市・上村敏夫)という句が選者4人のうち3人の共選に。なるほど、まさに猛暑の中で人は「罪を負うごとく」・・・胸を張って歩いていない感じですね。ついでに朝日俳壇から、「汗流し汗流しこの坂を行く」(合志市・坂田美代子)、「谷川に顔つっこんで夏を聴く」(秩父市・浅賀信太郎)などなど。(ぶ)戯れ歌もご紹介。猛暑・夕立にあって・・・「タクシーや杖を忘れず物忘れ」。すぐ交番に駆け込みました。夏の夜の笑えぬ悲劇。携帯や鍵や諸カードも入れていた革袋を置き忘れたのです。さながら「罪を負うごとき」状態。「夏の夜に家に帰れずビールのむ」、まことにお粗末!
 昨日(13日)は故翁長雄志・沖縄県知事の葬儀・告別式でした。悼みの雨のなか、4千500人の参列者とか。11日の「新基地反対県民大会」は「翁長雄志知事の遺志を受け継ごう」と約7万人が集まったそうです。「志半ばで旅立った翁長知事を天が悼む」(沖縄タイムス[大弦小弦]2018年8月12日)、その遺志を受け継ごうとたくさんの市民が結集しているのでしょう。いま沖縄各紙は、翁長知事の回想・語録・写真など追想の記事であふれています。
 本号はなんとなく盆休みの様子、投稿少なくスペースがありますので、琉球新報・特集「沖縄と沖縄人の誇りのために闘った政治家・翁長雄志氏 その生きざまを写真で振り返る」記事(2018年8月9日)から、写真をはずして、【おきなわ短信】(1352)の記録とさせていただきました(上掲)。旧真和志(現那覇)市長を父に持つ政治家一家に育った翁長知事。1985年に那覇市議当選に始まり、那覇市長から沖縄県知事へ。保守本流の立場から「オール沖縄」へとウイングを拡げる歩み、2018年急逝に至る「志半ば」の生涯。「グスーヨー、マキテーナイビランドー」(皆さん、負けてはいけないよ)と県民を鼓舞し続けたウチナンチュ知事の声が聞こえてくる政治史です。あわせて沖縄タイムス社説「翁長知事 苦闘4年」(2018年8月11日)を抄録。「南の風」としての追悼号となりました。

3968号【 8月10日】
■≪ウチナーンチュとしての県知事≫
 風・前号を配信したのが多分7日。その翌日8日の夕刻、島袋正敏さん(名護)から電話。おや、電話はいつも午前なのにと、のんきに出たところ「翁長県知事死去!」の知らせでした。驚きました。
 4月の膵臓ガンの手術、その後の闘病。慰霊の日や辺野古埋め立て承認撤回の記者会見(7月27日)で痩せ細った姿が気になっていましたが、しかし元気に「沖縄の心」を表明され、背筋をのばして問題に立ち向かっている政治家の意気込みも感じていました。それだけに、まさか?の驚き。セイビンさんも狼狽気味。しばらくして、テレビに副知事による「知事・意識混濁」の会見が流れ、相次いで急逝の速報が報じられたという経過でした。辺野古問題が急をつげるとき、まことに残念無念! 
 稲嶺進さんの名護市長と重なって翁長県知事の奮闘があり、心より応援もしてきました。折にふれて大事な言葉を発しながら、独自のメッセージに打たれるものがあり。それだけに、なんとも言えない喪失感。これからの知事選、辺野古問題がどう動いていくか。
 ヤマトゥの保守政治家が(首相はじめ)その場しのぎの美辞麗句をならべ、まったく空疎な言葉にうんざりしてきただけに、翁長知事の語録は心に響くものがありました。イデオロギーよりアイデンティティー、日本の政治の堕落、ウチナーグチの訴え。「グスーヨー、負ケテーナイビランドー。ワッターウチナーンチュヌ、クワンウマガ、マムティイチャビラ、チバラナヤーサイ(皆さん、負けてはいけないよ。私たち沖縄人の子や孫を守るため頑張りましょうよ)」(2016年6月19日、元米兵の女性暴行事件に抗議する県民大会)。「ウチナーンチュ、ウシェーティナイビランドー(沖縄の人をなめてはいけないぞ)」など(2015年5月17日、辺野古新基地建設に反対する県民大会で)。沖縄タイムス(8月9日)翁長語録参照。

3967号【 8月7日】
■≪「ゲッベルスと私」(2)≫
 前号の続き。小説『朗読者』は和光大学のゼミで議論したことがありました。文字を読めない人の“非識字”問題として。同時に普通の市民とナチス・ホロコーストという国家犯罪との関わり、歴史にかかわる市民的な責任・・・といったことも話題にしたことを憶えています。事柄はドイツ、だけどドイツだけではない、日本現代史における植民地支配や戦争犯罪との関わりについて、もの静かな女子(社会人)学生が厳しい表情で問題を指摘した場面を思い出しました。
 映画「ゲッベルスと私」の原題は、“EIN DEUTSCHES LEBEN”「あるドイツの生」です。 ナチス首脳部の「悪のモンスター」が熱狂する時代のなかで、ごく普通の市民、それもドイツ的な教養や良識を備えたはずの人たちがどう生きたか。ゲッベルスの秘書をつとめた人の稀有の証言を引き出して、「私」と歴史との関わりを映画は描こうとしたのでしょう。映画のなかで「私」の独白は、虚偽や虚構を語っているとは思えない。しかし、当時のドイツでユダヤ人が迫害を受けていた事実を知らなかったはずはない。首尾一貫して力強い口調の証言が、「私は知らなかったの、秘密のままだった、最後までね。」と言う場面では、「一転して弱々しい。どこかあきらめたようであり、偽りの言葉を無理に吐き出しているようにも見える。」(寺園真一、映画パンフ)
 映画の「私」は、他の(ナチスの横暴を許した)ドイツ人もそうであったように、歴史の真実を見ようとしていなかった、歴史の動きのなかで何が起きていたかを知ろうとしていなかったのでしょう。ゲッベルスの秘書であるが故に歴史の細部・深部を知っているだろうという期待とは逆に、歴史の真実を深く知ることはなかったのです。さて、日本の問題としてどうか。歴史と市民との関わりをどう考えるか、私たちに問われることでもあります。フアッシズム・戦争のなかに生きた世代の、歴史的な被害・苦しみ、それだけでなく歴史における市民的な責任の問題でもありましょう。
 今日7日夜のNHK・Eテレ「ハートネットTV」は、「生きるために学び直す夜間中学に集う若者たち」(20:00〜)を放映します。岡山自主夜間中学の取り組み、約5ヶ月にわたる取材とのこと(上掲、黒川優子メール)。必見の番組だそうです。
8月4日(土)オール沖縄会議「土曜県民大行動」@辺野古キャンプシュワブ/ゲート前
 稲嶺進・前名護市長、鷲尾真由美さん撮影 (20180804)



3966号【 8月 4日】
■≪映画「ゲッベルスと私」≫
 久しぶり(2年ぶり?)に岩波ホールで映画を観ました。ホール創立の50周年記念作品「ゲッベルスと私」。上映が終わると聞いて、猛暑のなか杖をついて出かけたのです。われながらご苦労さま。実はこの2年間に突発性難聴(右耳)に見舞われ、果たして映画の音声がきちんと聞きとれるか、気になっていましたが、大丈夫でした(ただし席を選ぶ必要あり)。白内障の手術(両眼)の効果は?もちろんバッチリ!眼鏡なしで映像がくっきり見える。長期入院もあり、ずいぶんと映画から遠ざかっていた身には、嬉しい1日となりました。終って三省堂階下「放心亭」へ。ここはドイツビヤ(ヴァイチェン)がメニューから姿を消して大いに失望。いろいろあるものです。
 「ゲッベルスと私」(オーストリヤ映画、2016年)は、第二次世界大戦中、1942年から終戦までの3年間、ナチス宣伝相ゲッベルスの秘書として働いた人物(103歳、その後ミュンヘンで死去、享年106歳)の独白、百歳をこえるとは思えぬ記憶力で語る証言。終戦から69年の沈黙を破って語る貴重なドキュメントですが、“ホロコーストについてはなにも知らなかった”“いわれたことをタイプしていただけ”と。その顔の深い皺と笑いのない表情。
 独白が流れていく中に、初公開のアーカイヴ映像が数多く挿入されています。ナチスを滑稽に描くアメリカ軍のプロパガンダ、ヒトラーを揶揄するポーランドの映像、見るに堪えないホロコーストの記録など、戦争という人間の愚行を暴き、紛争の続く今日に警鐘を鳴らしているようです。
 10年ほど前,ヒトラーの秘書だった人の自伝をもとに製作された「ヒトラー 最後の12日」と題する映画の緊迫感を連想していました。この映画ではゲッベルス一家が自決する場面もありました。対照的に「ゲッベルスと私」は静かな独白に終始。それだけ逆に「沈黙の中の歴史」「普通のドイツ人の生」(渋谷哲也)から何かを読み取る必要がありそうです。
 あと一つ、主人公がナチス強制収容所で女看守(しかし文字が読めない)の経歴をもつ『朗読者』(映画タイトル名は「愛を読むひと」2008年)を思い出していました。・・少
しながくなりそう、続きは次号に。
じんぶんヒストリー(1) 懇親会(イーストビレッジ 180727)


3965号【 7月30日】
■≪じんぶんヒストリー(1)終わる≫
 沖縄・名護では「じんぶん」(人文)という言葉がよく使われるという話から、江頭晃子さんは「じんぶんヒストリー」を造語し、「ぶんじん」に「個人的社会教育概史」の話を求めてきました。忙しい中、詳細な年表も用意していただき、ご苦労さまでした。なにしろ「少年Bが米寿を迎えるまで」のタイトル。短い時間に86年をどう語るか、詳しい話はいずれ次の機会とし、大まかにこれまでを振り返って、特徴的なことを回想風に雑然と語ることになりました(7月27日、252定例研究会)。猛暑の夜、雑駁な話を聞いて下さった皆様、まことに有難うございました。
 栗山究さんからは早速に「参加記・感想」をお寄せいただき、感謝。江頭さんから転送されてきましたので有難く定例会の記録として掲載させていただきました。前半の時期区分のところ、誤解があってもいけませんので、少し補足、ご了承を。また韓国研究フォーラム・小田切督剛さんメールにも当夜の感想が記されていました。例によって本人の了承もなく(きっと許してくれるに違いないと)上掲させていただきました。他にも感想をいただきましたが、「私信」とありましたので、これは控えましたが。
 李正連さんや呉世蓮さんから写真をたくさん送っていただき、ありがとうございました。久しぶりに「ぶんじん」(左)が神妙にお話しさせてもらっている場面(司会・江頭さん)をまず1枚を本欄ホームページにアップしました(下掲)。懇親会の集合写真はいずれそのうちに。当日のテーマにいちばん近いHP「研究史ノート」ページには「ぶんじん」一人だけの写真。(多分、李正連さん撮影) →■http://www.bunjin-k.net/kenkyusi2012.htm 
 少々入院疲れの長髪の横顔。いまこの長髪を以前のように短くするか、この機会に長髪姿に変貌していくか、と思案中の1枚でもあります。率直な感想・助言をお願いします。
 島袋正敏さんから「やんばる対談」直し原稿が届きました(郵送)。稲嶺進さんも丹念に手を入れて下さって有難うございました。早速に原稿に入力を。東京側がむしろ遅れています。
じんぶんヒストリー1(7月定例会) 左・ぶんじん、右・江頭晃子さん・インタビューワー (高井戸、180727)


3964号【 7月25日】
写真数葉をアップ≫
 猛烈な暑さが続きます。気力は萎え外出する元気なく、当然のこと運動不足。加えて頭もぼけて、大事な(1月まで入院していた)病院予約を忘れてしまう失態。あわてて予約をとりなおし、明日(25日)から毎日の外出を強いられる羽目となりました。いま深夜番組(NHKスペシャル、再放送)で中国「消えた弁護士たち」を見ながら、本欄を書いています。いわゆる人権派の弁護士たちが当局に不当に逮捕・拘留され、家族も厳しい監視下におかれている実態。巨大・一党独裁の統制国家のすさまじさ。「法治」の名のもとに「合法」的な権力支配・人権無視、ひととき体が冷えました。ゾッとする感じ。
 入院中に酷使した小さなパソコン、電源コードの接続部分が壊れて、救いの神・木村雅俊さんに応急の措置をお願いしたこと、いつぞや本欄にも書いたような。この猛暑の中に2度も拙宅にお出で願いました。ただひたすら恐縮しています。結局のところ新しい(安い)パソコンを決めるまで、ひとまず木村さんの大きなパソコンをお借りして、我がもののように使わせてもらっています。すでに3ヶ月?になるのかな。しかし、やはりパソコンには急には慣れず、この間、ホームページ更新に時間がかかり、写真のアップが滞っていました。さきほど、那覇研究会との交流(4/20)、やんばる対談の夜の懇親会(4/21)、七夕の会の二次会(7/14)、とりあえず集合写真のみ数枚アップしました。いずれも飲んで騒いでいた席ばかり。→■http://www.bunjin-k.net/yanbaru2016.htm

3963号【 7月21日】
■≪年報23号に向けて≫
 連日の猛暑、皆さん、元気にお過ごしでしょうか。熱中症で運ばれるニュースが相次いでいます。山口真理子さん調べによると、熱中症は次のような症状だそうです。「・めまい,顔のほてり、・筋肉痛,筋肉のけいれん(こむら返りなど)、・身体のだるさ,吐き気、・汗のかき方の異常(拭いても拭いても汗が出る、逆に全く汗をかかない)、・体温が高い,皮膚の異常(赤く乾いている)、・呼びかけに反応しない,まっすぐ歩けない,ひきつけー重度、・水分補給ができないー危険!」
 年報23号(編集長・李正連さん)の原稿締め切りの時期となりました。酷暑のなかの原稿催促、申し訳ないのですが、関係の皆さん、どうぞよろしくお願いします。韓国「平生教育、この1年」については、韓国フォーラム・メンバーによる共同執筆。この間、活発な論議が重ねられ、まとめの作業が終わって成稿となった由(上掲・小田切メール)ご苦労さまでした。
 「やんばる対談」のテープ起こし、「進捗状況は如何?」のメールを出そうと思っていたところに、山城千秋さんから作業終了のメール(上掲)拝受。有難うございました。中心の稲嶺進・前市長や島袋正敏さんの発言部分の加除訂正は名護側にお願いする(正敏さんと電話打ち合わせ)。訪問側の修正は小林がザックリと手を入れ、主要な発言者に送付して点検していただくことにし、最終原稿に仕上げるようにしましょう。解題は、山城千秋さんにお願いします。
 年報23号は、秋の日本社会教育学会(会場・名桜大学@名護)で発売される予定。この機会に、これまでの「やんばる対談」記録(1〜11)を合冊にして刊行し、学会会場で頒布してはどうかの案が出ています。印刷経費などの検討を始めていますが、上野景三代表のその後の判断はいかがでしょうか。内容は、10年の記録をそのまま活かすことにし、新しく補充しない、序文(刊行経過)・総目次・年表・地図など数ページを加える程度で1冊(約300ページ)にする案。もともと年報「東アジア」をめぐる固い諸論稿のなかに、柔らかな「ゆんたく」(息抜き)ページをという対談企画、合本にする価値があるかどうかを含め、忌憚のないご意見をどうぞ。そろそろ方向を出す時期に来たようです。

3962号【 7月17日】
■≪七夕の会終わる≫
 この間、南の風の発行が間延びしていました。7月14日「七夕の会」、サッカーのワールドカップ準決勝・決勝、国内では博多山笠の「追山」(15日早朝の実況)など、夜遅く、というより朝未明まで起きて、テレビに付き合っていました。しかも世は猛暑、西日本豪雨の被害もひどく、いろいろあって、皆さんからの風への寄稿はまったくの閑古鳥。本号の編集も動きなく頓挫していたのです。
 さて、本号をどう組み立てるかと思案投首のところ、久しぶりに(神の啓示でもあったかのように)海を越えて中国福建から李斗石さんの便り(上掲)が届きました。懐かしい。「福建全民終身教育促進会成立10周年」とのこと。TOAFAEC 代表・上野景三さんから祝辞を出していただきましょうか。李斗石さんメールの添付を開くことができず、ワード・ファイルで再送をお願いします。
 7月14日(土)の七夕の会、今年も楽しい集いとなりました。数えて33回、江頭晃子さんはじめ世話人の皆さん、猛暑の中ご苦労さまでした。今年の遠来の参加者は、越後(魚沼)堀之内から森山丈順・森山みさのお二人や茨城鹿島の森下松寿さんなど。とくに森山みささん(地元の高校・美術教師)とは永くお会いしていませんでした。お出で下さって感謝!です。
 昨年亡くなった富美を偲ぶ機会にもなりました。3階の「風の部屋」はいま富美の遺品(衣服・小物類)の雑然たる展示室。皆さんに少しでもお持ち帰りいただきたいと願っておりました。私たちは、同じ家に住みながら、それぞれの領分に立ち入らない生活をしてきましたので、懐かしいものもありますが、初めて目にする品たくさん、あまりの多さに驚いています。こちらの領分では本・雑誌の類をあれこれ勝手に並べてきましたから、文句をいえる筋合いにはないのです。
七夕・二次会(20180714、風の部屋) 江頭晃子さん撮影


3961号【 7月11日】
■≪福地曠昭さんご逝去≫
 はじめに訂正。前号本欄に書いた「昭和53年水害」、正しくは1953年(昭和28年)水害の間違いでした。うっかりミス、お詫びして訂正します。
 沖縄教職員会(1971年に沖縄県教職員組合・沖教祖)時代から、屋良朝苗主席(復帰後に知事)や喜屋武真栄(参議院議員)を支え、自ら沖教祖委員長、革新共闘候補として県知事選挙に立候補したこともある福地曠昭(ひろあき)さんが亡くなられました(7月5日)。沖縄復帰運動を牽引したリーダーの一人。大宜味村喜如嘉の出身。1931年生れの同年生。
 私たちの沖縄研究の初期(1970年代後半)、拠点にしていた「久茂地文庫」(喜納勝代主宰)が旧沖縄教職員会館のすぐ前だったこともあり、よくお会いして、復帰前・米占領下の沖縄教育のことや、『村と戦争』をはじめとする著作多く、沖縄戦の実相についてもいろいろとお話をお聞きしてきました。
 大江健三郎をはじめとして、本土から沖縄に多くの文化人・評論家がやってきたが、復帰後は潮が引いたように来なくなった。「小林さんたちグループは、皆さんが来なくなったあとに足しげく通ってくるようになりましたね」と激励してくださった言葉を思い出します。教職員運動を基盤に、祖国復帰協議会(復帰協)の運動、沖縄戦記録フィルム1フィート運動の会(代表)、沖縄人権協会(理事長)、教育振興会(事務局長)、県国際交流財団(副理事長)、とくにベトナムとの親善交流活動など、多彩な活動を担い、リーダーとして活躍されました。だんだん寂しくなります。心からご冥福を祈ります。
 手もとの写真から。上原文一さん(旧具志頭村社会教育主事)が立ち上げたNPO の発会式にて(2003年6月29日)。右より上原、福地曠昭、小林、名城(当間)ふじ子の皆さん。


3960号【 7月10日】
■≪豪雨災害お見舞い≫
 豪雨の特別警報、九州だけかと思ったら、むしろ中国・四国地方に被害甚大。大きな爪あと(西日本豪雨)、死者・行方不明の方の数も少なからず、予想もしない大災害となりました。被害の大きかった地方の皆様にお見舞い申し上げます。
 故郷・久留米の市中心部が広く濁水に沈んでいる映像も何度かテレビに出ました。久留米は筑紫次郎(筑後川)に抱かれたような町。豪雨が続けば、市内に降った雨があふれ筑紫次郎に流出できないのです。昔は「大水」(おおみず)と呼んで、何度も水害と付き合ってきました。「昭和53年水害」(当時大学4年)では、博多からの列車が鳥栖で動かず、胸まで水につかり、筑後川鉄橋を歩いて渡り、やっとの思いで家までたどりついた体験。生家は浸水に至らず無事。翌日は「九学連」として熊本救援に出かけたのでした。
 子どものころから大水への対処、生活の知恵を経験的に学んできたように思います。大雨・浸水の気配があれば、まず1階の畳をあげて積む、その上に濡れるとダメになるものを載せる、「大水がでたら水に困るぞ、飲み水を用意しておけ!」と言っていた祖父の声。
 しかしこれまでの経験や知恵では対処出来ない状況。豪雨・大水被害は生命に関わることではない、のどかな時代は激変したようです。高齢化も重なり、被害を受けた方々の悲痛な涙に暗然たる思い。他方で地域的な連帯を報じるニュースもあり救われます。
 7月14日(土)の七夕の会(再案内→■)にお出かけください。もし時間があれば、ちょっとだけでも「風の部屋」にお寄りを。富美の遺品を江頭晃子、山口真理子、田中美奈子さんが整理していただき、並べてあります。小さなものでもお持ち下さると、富美も喜ぶと思います。
 日曜(8日)の韓国研究フォーラム記録を呉・小田切のお二人から拝受しました。次号に掲載します。当日は午前中からの開会なのに、小生はのんびりして遅刻、失礼しました。

3959号【 7月5日】
■≪
今帰仁城の石垣崩落≫
 沖縄・西九州から日本海側を北上した台風7号は全国的に影響があり、思わぬ被害を残したようです。東京は今日(5日)もほとんど降らず、風もたいして吹きませんでした。沖縄では恵みの雨と聞いていたのに、昨日のニュースでは今帰仁城の、あの個性的な城壁が崩れたとか。驚きました。今帰仁城は、首里城跡などと共に世界遺産リストに登録された琉球史に名を遺す「グスク」の一つ。
 私たちのやんばる研究の初期には、沖縄ゼミの学生たちと一緒に名護や今帰仁の公民館を訪問したあと、備瀬の福木集落に寄ったり、今帰仁のお城の石垣に登って、お弁当を食べたりした思い出の場所です。目の下に今泊の集落があり、美しいリーフと東シナ海、はるかに国頭の山並みや伊是名・伊平屋の島々を望んで、「いま、沖縄にいるぞ!」という実感を楽しんだものでした。もっとも、崩落したのは、私たちが座り込んだ北側の城壁ではなく、東側の今泊川?に面する側のようですが、やはり台風はいろいろお土産を残すものですね。今帰仁の皆さんにお見舞い申しあげます。
 南の風は4000号に近ずいて、ようやく終幕かと思っていましたが、載せるニュース・記事が拡がって、むしろ忙しくなってきました。本号よりご覧の通り【断章・ひとこと】と【学会など案内】の二つの欄を設け、折にふれて掲載することにしました。しかし収録ミスも増えて面目なし。李正連さん(年報編集長)のお名前を一字ミスしたり、7月57日など、とんでもない暦をつくったり・・・。ホームページにも(ときどき更新・点検)ミスあり、見つけては慌てて急ぎ修正しています。もしお気づきのことあれば、ぜひ教えてください(人助けです)。修正や写真のご意見もどうぞ。米寿の年齢でホームページを運営するなど、もってのほか!と自らを叱っていますが、ま、ないよりましだろうと、のんびり続けることにしています。

3958号【 7月 1日】
■≪海を越えての研究対話10年≫
 韓国へ帰国する日程を延ばして私たちの研究会にヤン先生(公州大学)が参加くださいました(6月29日、第251研究会)。銘酒・安東焼酎などお土産ご持参。懇親のイーストビレッジでは安東の芳香がただよい、それだけで酔った気分。酔いの中でこれまでのこと、あれこれ思いおこしていました。
 ヤンさんが私たちの研究会に初めて参加(わざわざ公州から、まったく個人的な負担での来日)されたのは、2009年5月。たしか日本社会教育法60年記念の研究会(第150回記念の定例会)でした。その翌日、川崎で中国研究者を含めてヤンさんを囲む昼食会。この場で画期的な「東アジア(生涯学習)研究委員会」(日中韓の研究交流ネット)をスタートさせたのでした。ただし、いまは残念ながら開店休業中。
 その翌年に上海で日中韓(三国)国際研究シンポ(於・上海外語語大学)を開催する運びとなり、ホテルで深更まで、今後の日韓両国の日常的な研究交流を定着させていきたいと語りあった思い出。この上海フォーラムの反省もふまえて、2016年に再び上海で、そして昨年の佐賀「東アジア」研究フォーラムが開かれてきました。今秋はヤンさんのご努力で、公州での東アジア研究フォーラム開催が準備されています。
 この10年、私たちは確かな足取りで歩んできた、という実感。研究会でも親しい研究仲間としての語り合い、遠慮のない論議もできて、思い出深い夜となりましたね。ヤンさんの心意気、李正連さんのさりげないご配慮、カムサハムニダ!
 本号には久しぶりに山本健慈さん(国立大学協会)からメールをいただき、有難うございました。日本の教育政策とくに社会教育政策の貧困・退行の憂うべき状況について、どう脱皮への論議をつくっていくか。そのうち折をみて、私たちの研究会で山本健慈さんのお話をお願いしたいものだと話しあっています。ご多忙でしょうが、話にのってください。
6月定例会。黄・林・山口(香)・瀬川さんなど退出後、左2人目にヤン先生(イーストビレッジ、20180629)


3957号【 6月30日】
■≪明日は6月定例研究会≫
 TOAFAECでは 毎月最終金曜日夜に定例の研究会を開いてきました。すでに23年の蓄積、明日は第251回めの定例会を数えます。韓国からヤンビョンチャン先生(公州大学教授)を迎えてお話をうかがいます。新しい文在寅政権の誕生、この1年にどんな展開がみられるのか、お話が楽しみです(再案内・上掲)。
 ヤンさんとは、昨年8月に『躍動する韓国の社会教育・生涯学習』(エイデル研究所)の出版祈念会(相模原)でお会いして、ほぼ1年ぶり。あの時期は当方まだ入院前でしたが激しい腰痛。この間に佐賀で開かれた東アジア生涯学習研究フォーラム(昨年12月)に来日され、しかし当方は入院中で参加できず。そう言えば、佐賀の帰りには福岡油山(主のいない)書庫に寄っていただいたのでした。1月にお見舞い・退院祝いメールも拝受。ありがとうございました。なんとか復帰の努力を重ねています。積もる話がいろいろ。
 私の退院からもすでに半年が経過、早いものです。この間、花の季節が過ぎ、緑の風をうけながら、今は梅雨から早や夏の季節。もとのような、走り回れる体に戻ることは出来ませんが、なんとか(杖をつきながら)近場の研究会には、皆さんに伍して参加できる程度に恢復いたしました。明日の研究会には、再会を喜び、乾杯いたしましょう。
 とここまで書いてサッカーを見てうたたね、朝起きてみたら、島袋正敏さんからメール拝受(上掲)。「文人先生のトーカチ祝いも市民有志の小さな実行委員会で楽しみながらやります。26日夕方、名護博物館にて文人先生トーカチ祝い実行委員会をもち、10月5日(金)夕方6時30分(会場・城公民館)を決めました」と。冥利に尽きるとはこのこと。
 もともと本号は「明日29日は6月定例会ですよ!韓国からヤン先生が見えます、皆さん、お誘いあわせの上お出かけくださ〜い」(上掲・再案内)の呼びかけ号でした。

3956号【 6月25日】
■≪73年目の摩文仁≫
 6月23日・沖縄「慰霊の日」。摩文仁の「沖縄全戦没者追悼式典」式典では、「平和の詩」を読み上げた(というより叫んだ!)中学生の声が印象的。「鎮魂歌よ届け、悲しみの過去に。命よ響け、生きゆく未来に」と。参列者のなかには涙する人もあったようです。
 久しぶりに姿を現した翁長県知事は、闘病生活・病み上がりの故か痩せて見えました。しかし「平和宣言」の声は力強い。とくに「東アジアをめぐる安全保障環境」が大きく変化していること。緊張緩和に向けた平和への動きが始まっている、それだけに辺野古新基地建設が、民意を顧みない工事というだけでなく、東アジアの平和の動きに逆行していることを強調。まったくその通り!
 私たちの沖縄研究。振り返ると1978年から毎年「沖縄を知らない学生たち」を連れて、ほぼ毎年(年に数回)沖縄に旅してきました。近年は必ずしも学生ゼミではなかいけれど、中国人(華東師範大学など)も韓国人(黄宗建氏など)も、初めての訪沖者には摩文仁を案内したものです。まず「魂魄の塔」でお線香をあげ、ひめゆり・健児の塔などをまわりました。昔の旧平和祈念資料館で沖縄戦「証言」を読みあった年もありました。
 新聞各紙を開くと「慰霊の日」前後には沖縄戦に関連する新しい記事。今年の朝日新聞は、鉄血勤皇隊に動員された沖縄男子師範学校、その校長・野田貞雄氏(摩文仁海岸で死亡)と軍司令官・牛島満中将(摩文仁丘で自決)、それぞれの遺族(いずれも孫の世代)が沖縄に通っていることを報じていました(6月20日記事等)。
 摩文仁に林立する慰霊塔、ひときわ目を引く「島守の塔」があります。1945年1月、死地に赴くようなかたちで最後の沖縄県知事に赴任した島田叡(あきら)氏の慰霊碑。神戸の出身、旧制三高・東京帝大では野球部、その後は内務官僚の道へ。人生の最後に沖縄県知事。沖縄戦では「生きろ!」と呼びかけながら自らは摩文仁海岸で死亡。このたび、島田県知事の顕彰事業の会では、島田氏が行方不明となった6月下旬を「島守忌」と季語に位置付け作品を募集したそうです(琉球新報6月18日記事)。600人近くから俳句が寄せられ、最高賞には「島田忌の御霊へ灘の生一本」(古波蔵里子さん、83)。高校生の部「島田忌や叢雲(むらくも)は雨出しきつて」(興南高校3年・安里恒作さん)が選ばれたとのこと。

3955号【 6月21日】
■≪農中『だけど だいじょうぶ』出版≫
 故郷・久留米。生まれた家は、戦時下の強制疎開で(日本陸軍により)引き倒されましたが、その後(1944年、旧制中学に入った年から)住んでいた自宅が、まだ残っています。明治時代の古民家、いまも妹(4歳下)が居住。亡父の古い蔵書を含め、今後どうするかなど相談の要あり、次の妹(東京浅草)とも日程を合わせて帰久してきました。18日の地震当日、こちらは空を飛んで大きな遅れはありませんでしたが、飛行機に乗らない次妹は新幹線、ほとんど動かず、久留米に着いたのは午後9時だったとか。こちらは、夜は福岡油山に移動していましたので、とうとう会わずじまい。
 農中茂徳さんが車で運んでくれて助かりました。仕上がったばかりの新著『だけど だいじょうぶ−「特別支援」の現場から』(福岡・石風社)を拝受。2年前『三池炭鉱、宮之原社宅の少年』(同)を上梓したばかり、あいついでの執筆活動、あざやかなお手並みに敬服しています。昨日(6月20日)の朝日新聞・広告欄(1面下段)の冒頭に農中本が登場。出版社の力の入れようも相当なもの。曰く「障害のある子どもたちと、くんずほぐれつ心を心を通わせていった一教員の実践と思考の軌跡を、生き生きと綴る」とあります。
 帰りの飛行機の中で読み始めました。一部は福岡県人権・同和教育研究協議会の季刊誌で既読のものもあり、楽しみながらページめくり。教師の実践記録の枠をこえたユニークな1冊、独自なメッセージあり、なによりも「障害」をもつ子どもたちとともに生きる思想がしみじみ伝わってきます。ウナギのかばやき、ハマチのさしみ、ゆでダコづくりなどの授業に驚きます。一緒に旅したベルリン、ケーテ・コルヴィッツの話も出てきて懐かしい。1冊(本体)1800円。次回の定例会に数冊持っていきましょう。

3954号【 6月18日】
■≪石川敏さんを偲ぶ会≫
 今回の台風6号は、沖縄にたくさん雨を降らしたそうで、やんばるの大地も少し潤ったようですね。本土の気象報道ではしきりに被害を心配していましたが、「世果報の雨タボーり」(3952号)の願い、きっと皆さん笑顔なのではないかと想像しています。嘉納英明さんからは早速に絵本『82さいの中学生 はっちゃん』のメール(上掲)をいただき、有難うございました。16日の珊瑚舎スコーレ(星野さん)とのトークイベント、台風で流れるかも?とありましたが、無事に開かれたでしょうか。
 群馬笠懸の石川敏さんが亡くなられて、5月13日「偲ぶ会」が開かれました。その記録を石原照盛さん(邑楽町)から送っていただき感謝!です。昨年末の「ビンさん」訃報は入院中のベッド上で聞き、今回の「偲ぶ会」はあいにく亡妻の納骨(九州・久留米)と重なって、葬儀にも偲ぶ会にも失礼してしまったのです。ビンさんを偲ぶメッセージを送る機会も逸し、申し訳ない思い。ぶんじんとは1931年生まれの同年生、ちょうど半世紀にわたるお付き合いでした。書き残しておきたいことがいろいろありますので、そのうちに本欄に書き、ホームページ追悼欄に載せることにいたしましょう。
 送られてきた「石川敏の公民館論」(偲ぶ会)には20枚ちかくの写真が掲載されていますが、冒頭の1枚(p1)は、ぶんじん撮影になるもの。1971年の第11回社会教育研究全国集会(東京・読売ランド)の会場近く、吉田昇、福尾武彦、横山宏、野呂隆などの社全協メンバーとのスナップ。左端の精悍な顔(石川敏)が、近年の温容あふれるビンさんと重ならず、本人に確かめて、キャプションに名前を書き入れたのでした。血気あふれる情熱といつも笑顔のやさしさを持ち合わせた人でした。(写真はホームページ「古いアルバム」5に収録)→■http://www.bunjin-k.net/albumhoridasi.htm
左・石川敏、野呂隆、福尾武彦、吉田昇(社全協委員長)、佐久間章、横山宏、酒匂一雄の皆さん


43953号【 6月15日】
■≪韓国の統一地方選挙、名護からの便り≫
 上掲の韓国研究フォーラム・メンバーからはやや興奮気味のメール。6月12日・世界が注目した米朝首脳会談。そして翌13日は韓国の統一地方選挙の日。首脳会談に多くを占められて地方選挙の結果は小さな記事ですが「革新(進歩)与党の圧勝、保守系代表辞任」(朝日15日記事)。ソウルはもちろん朴元淳市長の3選、保守系が強かった第2の都市プサンでも「共に民主党」呉候補が勝利(1995年に始まった地方選挙で初めて)。同じく慶尚南道の知事も接戦の末、革新派が制したと。同時に行われた国会議員補欠選挙では、12選挙区のうち11を革新系が勝利したそうです。韓半島では何かが始まっている。
 さて、名護・島袋正敏さんから、前号(3852号)の記事、数字の訂正あり。「文人先生 すみませんが「2022年には12,000万人」は、1200万人の間違いでした、訂正願います」と。当方(編集)も気づきませんでした。
 あと一つ、名護・名桜大学(今年10月の日本社会教育学会の会場)嘉納英明さん(教授)の「絵本づくり」ニュース。「戦中・戦後の混乱期で学校に十分通えなかった女性が、80歳にして学ぶ機会を得て学校に通い、義務教育終了の証書を受け取った物語が絵本になった」(琉球新報、6月11日記事)。「主人公となったのは沖縄市に住む嘉納初子さん(85)、タイトル『82さいの中学生 はっちゃん』(沖縄時事出版)。嘉納さんの息子の英明さん(55)が作者」。お二人の大きな写真入りの記事です。ご存知の通り、嘉納英明さんは南の風メンバー、ぜひ絵本づくりご紹介のメールをいただけませんか。

3952号【 6月12日】
■≪勝連・上江洲安吉氏ご逝去≫
 久しぶりに風の部屋で韓国研究フォーラム(6月10日)。日曜日なのに、皆さんご苦労さまでした。新しいメンバー金亨善さん、南の風にも参加(上掲)歓迎です。韓国フォーラムとくに若いメンバ−には酒豪が多い、将来が楽しみです。ワインとともに、話題は多岐にわたり、寺中構想のこと、鈴木健次郎の公民館普及の役割、さらには下村胡人の煙仲間や「白鳥蘆花に入る」などにも及びました。歌はなんと!美しきパリの五月。
 席上ご紹介されたこと、6月末に公州より梁炳賛先生が来日されるとのこと。6月の定例研究会は「梁(やん)先生を囲む会」を企画することにしようということになりました(上掲)。願ってもない機会、「ご案内」(李正連さん?)風にどうぞよろしくお願いします。6月29日(金)、定例会の前に編集委員会も予定されていますね。
 ところで、旧勝連の教育長・上江洲安吉さんの訃報、TOAFAEC 総会(6月2日)の席で岡幸江さん(九州大学)よりお聞きしました。9日の沖縄タイムス・コラム[大弦小弦]が追悼記事、本号「おきなわ短信」(1336)に載せました。何度か勝連で教育長室や「肝高ホール」でお会いしました(写真)。ご存知の方も少なくないでしょう。伝統的組踊に逆臣と描かれてきた郷土の豪族「阿麻和利」のイメージを、肝(心、志)の高い、民に慕われ、地域が誇る英雄として蘇らせ、現代版組踊を構成(平田太一・和光大学卒)、若者たちが躍動的に演じてきたのです。東(あずま)武さん(復帰時・沖青協会長、勝連・平敷屋エイサー保存会)のことも思い出しました。勝連城跡をライトアップし、そこで演じられた「肝高の阿麻和利」の感動は(若者たちだけでなく)地域の皆さんがいつまでも忘れないことだそうです。
左・上江洲安吉氏(勝連町教育長・当時)と小林、同教育長室にて(20031002)

「肝高の阿麻和利」公演、前列でスピーチするのは平田太一さん(さいたま市、20031002)


3951号【 6月8日】
■≪あれから29年≫
 6月4日に風(3950号)を出したのに、TOAFAEC 総会の記事であふれ、天安門広場「六・四」事件については何も書かずじまい。1989年、中国共産党の改革派指導者・胡耀邦の死去(4月)、その追悼のため学生たちは天安門広場に集まり、これが大規模な民主化要求へと発展。6月3日夜から武装の軍部隊が出動し、4日には武力で制圧。当局発表では死者は319人と。しかし「昨年に機密解除された英国の外交文書には、北京にいた大使の電報として、少なくとも1万人という記載があるが、真相はなお不明」(朝日新聞記事、6月4日)。そして29年、当時のことをなまなましく思い出します。
 あの年、1ヶ月前の5月「国際労働節」(メーデー)をはさんで、私たちは中国にいました。川崎・大阪など大都市教育支部労働組合の皆さんと、故海老原治善さん(東京学芸大学教授・当時)やぶんじんなど大学関係者による訪中団。若い世代では上野景三さんも加わって、一行15名前後か。訪問先の瀋陽(川崎の姉妹都市)では師範大学寮で学生に取り巻かれたり、騒然たる西安では市中に入れず、肝心の天安門広場は厳戒体制、メーデーのパレードなどもちろんなし。帰路は上海。まだ「業余大学」の時代でした。古い建物を憶えています。
 帰国して(多分?)5月20日前後に、研究室では恒例の春合宿(勝沼)でした。緊迫している天安門の毎夜の様子を中国留学生たちは固唾をのんで報道(香港経由?)に聞き入っていた姿、みな真剣でした。あの頃、小林研究室はたくさんの中国留学生が群れていた。その後、アメリカに渡った牛剛など、どうしているだろう。合宿では、翌日に大菩薩峠を経由して帰った記録あり。3年後の春合宿、同じ峠で撮った写真1枚が出てきましたので下に掲げます。夏、林、朱、金、許など(中、韓、台)留学生の皆さん、梶野、内田、吉田など日本人院生。若いころの顔々、懐かしの1枚です。
東京学芸大学・研究室・春合宿 (大菩薩峠、1992/05/17、ぶんじん撮影)



*南の風3901〜3950号(前ページ)→■

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月桃の花(八重山、200705)