【南の風2018】 3951号〜4000号  
各号目次・後記(ぶんじん日誌)
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【南の風2018】3951号〜4000号・目次一覧(進行中)

3951号【 6月 8日】韓国フォーラム(81)、町田、七月集会、おきなわ短信1335、あれから29年
3952号【 6月12日】名護より、勝連・上江洲安吉氏逝去、第81回韓国研究フォーラム、風に参加
3953号【 6月15日】ヤン先生を囲む6月定例会、那覇珊瑚舎スコーレ補助、韓国の統一地方選挙
3954号【 6月18日】七夕会ご案内、『82さい中学生はっちゃん』、爬龍船競漕、石川敏さんを偲ぶ会

3955号【 6月21日】学会要望、町田、日本語学級設置請願、鉄血勤皇隊、『だけど だいじょうぶ』
3956号【 6月 日】




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南の風・各号後記(ぶんじん日誌)


3956号【 6月 日】




3955号【 6月21日】
■≪農中『だけど だいじょうぶ』出版≫
 故郷・久留米。生まれた家は、戦時下の強制疎開で(日本陸軍により)引き倒されましたが、その後(1944年、旧制中学に入った年から)住んでいた自宅が、まだ残っています。明治時代の古民家、いまも妹(4歳下)が居住。亡父の古い蔵書を含め、今後どうするかなど相談の要あり、次の妹(東京浅草)とも日程を合わせて帰久してきました。18日の地震当日、こちらは空を飛んで大きな遅れはありませんでしたが、飛行機に乗らない次妹は新幹線、ほとんど動かず、久留米に着いたのは午後9時だったとか。こちらは、夜は福岡油山に移動していましたので、とうとう会わずじまい。
 農中茂徳さんが車で運んでくれて助かりました。仕上がったばかりの新著『だけど だいじょうぶ−「特別支援」の現場から』(福岡・石風社)を拝受。2年前『三池炭鉱、宮之原社宅の少年』(同)を上梓したばかり、あいついでの執筆活動、あざやかなお手並みに敬服しています。昨日(6月20日)の朝日新聞・広告欄(1面下段)の冒頭に農中本が登場。出版社の力の入れようも相当なもの。曰く「障害のある子どもたちと、くんずほぐれつ心を心を通わせていった一教員の実践と思考の軌跡を、生き生きと綴る」とあります。
 帰りの飛行機の中で読み始めました。一部は福岡県人権・同和教育研究協議会の季刊誌で既読のものもあり、楽しみながらページめくり。教師の実践記録の枠をこえたユニークな1冊、独自なメッセージあり、なによりも「障害」をもつ子どもたちとともに生きる思想がしみじみ伝わってきます。ウナギのかばやき、ハマチのさしみ、ゆでダコづくりなどの授業に驚きます。一緒に旅したベルリン、ケーテ・コルヴィッツの話も出てきて懐かしい。1冊(本体)1800円。次回の定例会に数冊持っていきましょう。

3954号【 6月18日】
■≪石川敏さんを偲ぶ会≫
 今回の台風6号は、沖縄にたくさん雨を降らしたそうで、やんばるの大地も少し潤ったようですね。本土の気象報道ではしきりに被害を心配していましたが、「世果報の雨タボーり」(3952号)の願い、きっと皆さん笑顔なのではないかと想像しています。嘉納英明さんからは早速に絵本『82さいの中学生 はっちゃん』のメール(上掲)をいただき、有難うございました。16日の珊瑚舎スコーレ(星野さん)とのトークイベント、台風で流れるかも?とありましたが、無事に開かれたでしょうか。
 群馬笠懸の石川敏さんが亡くなられて、5月13日「偲ぶ会」が開かれました。その記録を石原照盛さん(邑楽町)から送っていただき感謝!です。昨年末の「ビンさん」訃報は入院中のベッド上で聞き、今回の「偲ぶ会」はあいにく亡妻の納骨(九州・久留米)と重なって、葬儀にも偲ぶ会にも失礼してしまったのです。ビンさんを偲ぶメッセージを送る機会も逸し、申し訳ない思い。ぶんじんとは1931年生まれの同年生、ちょうど半世紀にわたるお付き合いでした。書き残しておきたいことがいろいろありますので、そのうちに本欄に書き、ホームページ追悼欄に載せることにいたしましょう。
 送られてきた「石川敏の公民館論」(偲ぶ会)には20枚ちかくの写真が掲載されていますが、冒頭の1枚(p1)は、ぶんじん撮影になるもの。1971年の第11回社会教育研究全国集会(東京・読売ランド)の会場近く、吉田昇、福尾武彦、横山宏、野呂隆などの社全協メンバーとのスナップ。左端の精悍な顔(石川敏)が、近年の温容あふれるビンさんと重ならず、本人に確かめて、キャプションに名前を書き入れたのでした。血気あふれる情熱といつも笑顔のやさしさを持ち合わせた人でした。(写真はホームページ「古いアルバム」5に収録)→■http://www.bunjin-k.net/albumhoridasi.htm
左・石川敏、野呂隆、福尾武彦、吉田昇(社全協委員長)、佐久間章、横山宏、酒匂一雄の皆さん


43953号【 6月15日】
■≪韓国の統一地方選挙、名護からの便り≫
 上掲の韓国研究フォーラム・メンバーからはやや興奮気味のメール。6月12日・世界が注目した米朝首脳会談。そして翌13日は韓国の統一地方選挙の日。首脳会談に多くを占められて地方選挙の結果は小さな記事ですが「革新(進歩)与党の圧勝、保守系代表辞任」(朝日15日記事)。ソウルはもちろん朴元淳市長の3選、保守系が強かった第2の都市プサンでも「共に民主党」呉候補が勝利(1995年に始まった地方選挙で初めて)。同じく慶尚南道の知事も接戦の末、革新派が制したと。同時に行われた国会議員補欠選挙では、12選挙区のうち11を革新系が勝利したそうです。韓半島では何かが始まっている。
 さて、名護・島袋正敏さんから、前号(3852号)の記事、数字の訂正あり。「文人先生 すみませんが「2022年には12,000万人」は、1200万人の間違いでした、訂正願います」と。当方(編集)も気づきませんでした。
 あと一つ、名護・名桜大学(今年10月の日本社会教育学会の会場)嘉納英明さん(教授)の「絵本づくり」ニュース。「戦中・戦後の混乱期で学校に十分通えなかった女性が、80歳にして学ぶ機会を得て学校に通い、義務教育終了の証書を受け取った物語が絵本になった」(琉球新報、6月11日記事)。「主人公となったのは沖縄市に住む嘉納初子さん(85)、タイトル『82さいの中学生 はっちゃん』(沖縄時事出版)。嘉納さんの息子の英明さん(55)が作者」。お二人の大きな写真入りの記事です。ご存知の通り、嘉納英明さんは南の風メンバー、ぜひ絵本づくりご紹介のメールをいただけませんか。

3952号【 6月12日】
■≪勝連・上江洲安吉氏ご逝去≫
 久しぶりに風の部屋で韓国研究フォーラム(6月10日)。日曜日なのに、皆さんご苦労さまでした。新しいメンバー金亨善さん、南の風にも参加(上掲)歓迎です。韓国フォーラムとくに若いメンバ−には酒豪が多い、将来が楽しみです。ワインとともに、話題は多岐にわたり、寺中構想のこと、鈴木健次郎の公民館普及の役割、さらには下村胡人の煙仲間や「白鳥蘆花に入る」などにも及びました。歌はなんと!美しきパリの五月。
 席上ご紹介されたこと、6月末に公州より梁炳賛先生が来日されるとのこと。6月の定例研究会は「梁(やん)先生を囲む会」を企画することにしようということになりました(上掲)。願ってもない機会、「ご案内」(李正連さん?)風にどうぞよろしくお願いします。6月29日(金)、定例会の前に編集委員会も予定されていますね。
 ところで、旧勝連の教育長・上江洲安吉さんの訃報、TOAFAEC 総会(6月2日)の席で岡幸江さん(九州大学)よりお聞きしました。9日の沖縄タイムス・コラム[大弦小弦]が追悼記事、本号「おきなわ短信」(1336)に載せました。何度か勝連で教育長室や「肝高ホール」でお会いしました(写真)。ご存知の方も少なくないでしょう。伝統的組踊に逆臣と描かれてきた郷土の豪族「阿麻和利」のイメージを、肝(心、志)の高い、民に慕われ、地域が誇る英雄として蘇らせ、現代版組踊を構成(平田太一・和光大学卒)、若者たちが躍動的に演じてきたのです。東(あずま)武さん(復帰時・沖青協会長、勝連・平敷屋エイサー保存会)のことも思い出しました。勝連城跡をライトアップし、そこで演じられた「肝高の阿麻和利」の感動は(若者たちだけでなく)地域の皆さんがいつまでも忘れないことだそうです。
左・上江洲安吉氏(勝連町教育長・当時)と小林、同教育長室にて(20031002)

「肝高の阿麻和利」公演、前列でスピーチするのは平田太一さん(さいたま市、20031002)


3951号【 6月8日】
■≪あれから29年≫
 6月4日に風(3950号)を出したのに、TOAFAEC 総会の記事であふれ、天安門広場「六・四」事件については何も書かずじまい。1989年、中国共産党の改革派指導者・胡耀邦の死去(4月)、その追悼のため学生たちは天安門広場に集まり、これが大規模な民主化要求へと発展。6月3日夜から武装の軍部隊が出動し、4日には武力で制圧。当局発表では死者は319人と。しかし「昨年に機密解除された英国の外交文書には、北京にいた大使の電報として、少なくとも1万人という記載があるが、真相はなお不明」(朝日新聞記事、6月4日)。そして29年、当時のことをなまなましく思い出します。
 あの年、1ヶ月前の5月「国際労働節」(メーデー)をはさんで、私たちは中国にいました。川崎・大阪など大都市教育支部労働組合の皆さんと、故海老原治善さん(東京学芸大学教授・当時)やぶんじんなど大学関係者による訪中団。若い世代では上野景三さんも加わって、一行15名前後か。訪問先の瀋陽(川崎の姉妹都市)では師範大学寮で学生に取り巻かれたり、騒然たる西安では市中に入れず、肝心の天安門広場は厳戒体制、メーデーのパレードなどもちろんなし。帰路は上海。まだ「業余大学」の時代でした。古い建物を憶えています。
 帰国して(多分?)5月20日前後に、研究室では恒例の春合宿(勝沼)でした。緊迫している天安門の毎夜の様子を中国留学生たちは固唾をのんで報道(香港経由?)に聞き入っていた姿、みな真剣でした。あの頃、小林研究室はたくさんの中国留学生が群れていた。その後、アメリカに渡った牛剛など、どうしているだろう。合宿では、翌日に大菩薩峠を経由して帰った記録あり。3年後の春合宿、同じ峠で撮った写真1枚が出てきましたので下に掲げます。夏、林、朱、金、許など(中、韓、台)留学生の皆さん、梶野、内田、吉田など日本人院生。若いころの顔々、懐かしの1枚です。
東京学芸大学・研究室・春合宿 (大菩薩峠、1992/05/17、ぶんじん撮影)



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月桃の花(八重山、200705)