【南の風2018】発行リスト・3901号〜3950号  
各号目次・後記(ぶんじん日誌)
 
                               TOP
*南の風・発行一覧

*南の風3851号〜3900号→
*南の風3951号〜4000号→■(次ページ)



  
【南の風2018】3901号〜3950号・目次一覧

3901号【 1月24日】 1月定例研究会、日本ペンクラブ、協同総合研究所、西部邁と沖縄、年始め研究会
3902号【 1月25日】春節を祝う会、韓国公州、米国ポートランド図書館、東京そして松本へ、名護の闘い
3903号【 1月28日】
稲嶺ススムさん応援カンパ、1月研究会報告、 春「やんばる対談」日程・テーマについて
3904号【 1月29日】カンパ呼びかけ(2)、国会ヤジ、韓国研究フォーラムご連絡、稲嶺進さんのこと・画像 
3905号【 2月 1日】町田とびたつ会、野中広務と沖縄、社会教育・地域研究と高齢者支援の境界で
3906号【 2月 4日】2月定例会調整を、平昌オリンピックと社会教育、夜間中学増設を、名護市長選・接戦
3907号【 2月 6日】名護市長選、悔しく残念な結果、出口調査、247定例会案、名護の自治・抵抗の歩み
3908号【 2月 8日】23号編集委員会・韓国フォーラム、名護市長選(2)若者たち、沖縄タイムス・記者の視点
3909号【 2月10日】稲嶺市長離任、中頭青年団OB、応援カンパ報告、米軍再編交付金、やんばる対談日程
3910号【 2月14日】春節祝う会・再、神奈川県夜間中学ニーズ、沖縄とゴルバチョフ、稲嶺進とやんばる対談
3911号【 2月17日】稲嶺進OK 、韓国本書評・江頭晃子、石牟礼道子さん、2/18春節の会どうぞ、立春大吉
3912号【 2月20日】ソウルの風21、沖縄芸能・組踊、春節の会報告、春節・写真URL、復活の道を歩む幸せ
3913号【 2月22日】 2月研究会、松川町、町田とびたつ会、江東区報告、「奇妙な現実」、金子兜太氏永眠
3914号【 2月26日】年報編集会議(第1回)、現代生涯学習研究セミ、夜間中学飛躍(2)、2月研究会の賑わい
3915号【 3月 1日】年報23自由投稿、松本市公民館研究集会、ロンドンの風」CityLit訪問、三・一独立運動
3916号【 3月 4日】248定例会・やんばる対談案内、こんばんは・上映、軍事要塞化、やんばる型社会教育
3917号【 3月 7日】10月/名桜大学で学会、町田「こんばんは」上映、3月4日、おきなわ社会教育研究会
3918号【 3月11日】やんばる対談参加、資料・対談(1)、沖縄県夜間中学補助廃止、3・11大震災7年 
3919号【 3月15日】資料・対談2、「珊瑚舎スコーレ」問題、台湾「2・28事件」、年報「この1年」
3920号【 3月18日】79韓国フォーラム、やんばる対談(3) 珊瑚舎スコーレ問題、おきなわ研究会調整を

3921号【 3月20日】第2回編集会議、資料やんばる対談(4)、石垣市長選挙、石垣島「宮良の家」との別れ
3922号【 3月21日】
夜間中学講演会整理券、15の春、対談の歩み(5)、神道政治連盟、南の風20年
3923号【 3月23日】文科省へ、名護帰任、対談の歩み(6)、明治150年、遂に歌が出た、思わぬ出会い

3924号【 3月26日】珊瑚舎スコーレその後、石垣島市長選、対談の歩み(7)、やんばる型社会教育とは
3925号【 3月29日】
3月定例会、夜間中学(日本テレビ)、対談の歩み(8)、「太陽の子」、年度末の研究会
3926号【 3月31日】松本市異動、仙台、国立、沖縄戦始まりの日、名護へ帰任、3月定例会終わる
3927号【 4月 2日】第2回編集会議、3月定例報告、沖縄タイムス社説[ひめゆり次代へ]、弥生は過ぎて
3928号【 4月 5日】79韓国フォーラム、高知大学へ、町田とびたつ会、うるずん(八重山)、やんばる対談
3929号【 4月10日】
奄美沖縄の青年団資料、中村学園付属幼稚園、対談の歩み10、,新崎盛暉さんの訃報
3930号【 4月13日】やんばる対談・懇親会、珊瑚舎スコーレ、文科省義務教育制度改革室、稲嶺進さんへ
3931号【 4月16日】内蒙古民族大学、福岡・中島博さん永眠、やんばる対談(11)、棺に公民館「職協」の旗
3932号【 4月19日】4月研究会、風に参加、とびたつ会、名護・北部農林高、マチカンティー、黄色のバラ鉢
3933号【 4月22日】
23号編集、韓国フォーラム80回、東京の日本語教育、夜学生の問い、やんばる対談終る
3934号【 4月24日】蔓草庵、南信州、名護「やんばる対談」報告、 奥むらの戦世、年報自由投稿締め切り
3935号【 4月26日】夜間中学の集い御礼、珊瑚舎スコーレ、名護の社会教育と地域づくり、懐かしき人びと
3936号【 4月29日】23号編集、韓国フォーラム、風へ参加、『これが建築なのだ』、大竹康市の想い出
3937号【 5月 1日】韓国公州より、4月定例会報告、夜間中学(宮城県等)、4.28屈辱の日、あの頃の五月
3938号【 5月 4日】秋の韓国日程、ネパールを知る、朝鮮半島と沖縄、オホーツクの風、五四「青年節」
3939号【 5月 7日】トーカチ祝い、台湾大学五四集い、沖縄社会教育史料1集目次入力、紙資料データ化
3940号【 5月 9日】TOAFAEC事務局会議、6月集会、米うそ発言、『史料』目次(2)、5月予定、富美一周忌
3941号【 5月11日】5月定例会、東京学大九条の会、町田、加古里子、『史料』(3)第2集、史料共有の試み
3942号【 5月14日】5月研究会案内、『月刊』6月号、沖縄史料(4)、やんばるの森の歌声、納骨の旅
3943号【 5月16日】パレスチ大厄災、沖縄憲法番外地、史料(5)、事務局会議5/18、訃報井上すずさん
3944号【 5月18日】『九条俳句と公民館』刊行、ガザのパレスチナ人、史料(6)7集、あの10年そして30年
3945号【 5月21日】
ナクバ大厄災、油山文庫、史料(7)、町田とびたつ会、朝日新聞社説・公民館の役割
3946号【 5月24日】2018年総会案内、名護、油山文庫、史料(8)奄美、ナクバ大厄災(4)、250回定例会
3947号【 5月27日】250定例会報告、初参加、戦後奄美の社会教育(史料9)、近況、250回にふさわしい
3948号【 5月31日】総会案内・再、沖縄社会教育史料(10)宮古・八重山編、八重山毎日新聞、月桃の花
3949号【 6月 2日】新維持会員、史料(10)最終回、月桃・海勢頭豊コンサート、生き残った当事者として
3950号【 6月 4日】2018年度・総会報告、総会写真、米軍将校として(琉球新報コラム)、賑やかな総会


*南の風3951号〜4000号→■(次ページ)



南の風・各号後記(ぶんじん日誌)


3950号【 6月4日】
■≪賑やかな総会≫

 2日(金曜日)夜は、TOAFAEC 総会でした。東洋大学近くの中華料理屋、楽しい会となりました。上野さん(代表)、山口さん(事務局長)はじめ皆さんご苦労様。早速に総会の記録を作成いただき、有難うございました(上掲)。黄丹青さん(目白大学)からは、当夜の写真が送られてきて、ホームページ・関連ページへ。写真では宴会の雰囲気ですが、最初にはちゃんと会議をし、規約改正も行われました(上掲記事)。
→■
http://www.bunjin-k.net/03soukai2.htm
 当日は、少し余裕の時間もみて、地下鉄に乗りました。白山の駅で降り、会場へ。ところが目印の東洋大学正門がなかなか現れない。おかしいぞと思って、残念ながらタクシーへ。やはり土地勘がおかしくなっていたのです、逆方向へ歩いていたのでした。おかげさまで、この日は退院後もっとも多くの歩数を数えた日となりました(万歩計)。翌日はかなりの筋肉痛。
 脚力は相当に衰えていますが、(昨年総会と違って)座れば痛みはない。久しぶりに皆さんにお会いし、いい気分になって、少ししゃべり過ぎた?ような。失礼をお許し下さい。
 上野代表からは、秋の社会教育学会(10月5〜7日、名桜大学@名護)に向けて、年報に収録してきた「やんばる対談」(全11本)をまとめて1冊にしてはどうかの提案あり。当方は、大会初日(10月5日)夜、「トーカチ」(米寿)祝いの企画(風3939号)があることをご紹介しておきました。
2018総会・懇親会(東京・20180602)


3949号【 6月2日】
■≪生き残った当事者として≫
 『沖縄社会養育史料』全7集(1977〜1987)、総目次の入力作業が本号で完了しました。10回にわたる連載。最終的にはホームページにアップするのだから、風・誌上にわざわざ載せることもあるまい、と書いたことがありました。しかし消えかかっている史料、ちらりとでも人の目にふれさせる機会こそ大事かと思って連載したのでした。ご協力いただいた山口真理子・江頭晃子ご両人に感謝!です。『史料』現物はほとんど姿を消して、いまその保存・収蔵に力を入れる必要がありますが、「目次」をまずはネット上にデータ化できて一安心しています。→■http://www.bunjin-k.net/okinawasiryou.htm
 この作業のなかで、『沖縄社会養育史料』づくりの原型となった『社会教育法制研究資料』全15集(1969〜1973)を思い出していました。ようど半世紀前の『資料』づくりです。日本社会教育学会内に、故横山宏さんを中心に「社会教育法制研究会」が組織されて、社会教育法制に関する貴重史料を収集、その共有・保存の活動が重ねられ、15冊の『資料』として世に残されました。しかし、いま当時を知る人がほとんどいなくなり『資料』15冊そのものも姿を消した感じ。出版社による刊行物ではなく、学会内の小研究グループによる発行なので、図書館にもほとんど収蔵されていないのです。
 しかし収録している資料の価値は相当なもの。社会教育法原案やその後の法改正の経過資料、旧青年学級振興法の関連、法制の定着を調査した地域資料など。当時若々しく登場した故伊藤寿朗が収集した博物館法資料もこのシリーズに含まれています。歳月の経過とともに価値を放つ古い資料が少なくない。ただ社会教育法制史の中心部分は、横山宏・小林文人共編『社会教育法成立過程資料集成』(昭和出版、1981年)として出版できましたから救われますが、これに収録できなかった資料が大部分。
 「法制研究会」に参加したほとんどの人が物故した今、生き残った当事者として、暇をみて、目次一覧データ化の作業を試みたいと思っています。

3948号【 5月 31日】
■≪月桃(サンニン)の花≫
 5月25日(金)定例研究会の出席者記録(3948号)に、栗山究さんのお名前が抜けていたそうです(松尾さん・上掲)。追加メール感謝!早速ホームページを修正しました。山口真理子さん、戦後沖縄社会教育史料の入力、最終作業(第6集−宮古・八重山編)ご苦労さまでした。これで宿題となっていた7冊の目次一覧がデータ化できました。目次は史料項目だけでなく出典を加えた詳細なもの。本号は全部を収録できず、その半分だけです。
 江頭晃子さんからは研究会当夜の写真3葉送っていただきましたので、そのうち2枚を定例研究会ページに掲載、有難うございました。いま私のカメラが不調で申しわけなし。→■
 南の風には沖縄やんばるから「月桃」の花の便り(島袋正敏さん、前々号)。台湾でも月桃が咲いているそうです(八重山毎日新聞・松田良孝さん、本号上掲)。皆さん、月桃(サンニン)の花をご存知ですか? かぐわしい葉は餅を包み、茎の繊維では月桃紙。「風の部屋」の古酒カメの蓋は月桃紙(防菌効果?)でくるまれています。この季節、沖縄戦の年も月桃が咲いていたと。海勢頭豊の歌には6月23日「月桃の花、散りました」の歌詞がありましたね。村のはずれ、一家全滅の屋敷跡に月桃の花だけが揺れていたと。いつぞや鷲尾真由美さんが月桃の花を手土産に風の部屋に見えたことも思い出しました。
 その時の1枚を含めて、私の沖縄アルバムには数枚の月桃の写真があります。竹富島で撮った道端の月桃の可憐さも捨てがたいのですが、どなたからか頂いた豊潤なサンニンを本欄ページに掲げました(下掲)。先端が紅色をおびた白色の花、それが房状に下垂して、開いた花には黄色がひそむあでやかさ。
 あと2号で3950号、次の「ぶんじん日誌」収録(50号おき)ページをホームページに作成中。この花を飾って、ぜいたくな気分で6月を迎えることにしましょう。*南の風3951号〜4000号→■(次ページ) 1月初旬に退院して150日、この間に55本の風を送り出すことができました。皆さんにご心配かけましたが、足はなんとか動いています。しかしやはり杖は必要なようです。


月桃の花(八重山、200705)

3947号【 5月 26日】
■≪250回にふさわしい研究会≫
 久しぶりに赤崎隆三郎さん(名護在住)より「近況報告」(上掲)がとどきました。与論島で初めてお会いした時は、韓国・黄宗建先生をご案内した旅でした(1998年)。あれからちょうど20年。いま希少記録として風誌上に入力中の「戦後奄美の社会教育」証言について誤字の指摘。「奄美大島の貴重な資料の数々…すごいですね。証言・復帰から復興への前田信三氏(奄連青事務局長、大島新聞取締役)、前田信一では?確認なさっては」と。有難うございました。さすが!ご指摘の通り入力ミスでした。早速(ホームページ)修正いたしました。本号で奄美関係史料の掲載がようやく終わり、あとは「宮古・八重山編」(第6集)を残すのみとなりました。ホームページは順次入力しています。ご覧下さい。→■→http://www.bunjin-k.net/okinawasiryou.htm
 さて、昨日(25日)の5月定例会は、250回記念にふさわしい充実した研究会となり、ご出席の皆さま、有難うございました。とくに最新の動きを含めてご報告いただいた文科省・井口啓太郎さん、ご苦労さま。研究会には新しいご参加2人。日本公民館学会の山本直樹さん(帝京大学)、台湾から留学の林忠賢さん(東大院、博士課程)。本号より「南の風」をお送りします。新しいメンバーが加わると、南の風もなぜか元気がでます。ときどき、そちらからの風を吹いてください。お待ちしています。
 松尾有美さんから早速の研究会「ご報告」(上掲)。ありがとうございました。日韓を同じ視点で論じ合う課題がいくつも出て、これからが楽しみ。障害をもつ人々の学び・活動をどう支援し拡げていくか。日本(東京)の半世紀に及ぶ実践と理論の拡がり、韓国のフレッシュな法制・改革論。半年か1年後に同じ課題でまた研究会をもちましょう。研究会記録もすべて(第1回から)ホームページに掲載済み。→■http://www.bunjin-k.net/kenkyukai2016.htm
第250回研究会・懇親会(イーストビレッジ・高井戸、201805250) 江頭晃子さん撮影


3946号【 5月 24日】
■≪25日・定例研究会、韓国フォーラムからもぜひ!≫
 今年度のTOAFAEC総会ご案内が上野代表名で届きました(上掲)。6月2日(土) 日本社会教育学会六月集会の初日プログラム終了後(18:45〜21:00)の日程です。例年、同時間帯には学会・理事会が開催されますから、総会の会場はできるだけ六月集会の会場(東洋大学)近くに設定する習わし。理事・幹事の方々も(理事会終了後に)お出でいただけるようにとの算段です。事務局長(山口真理子さん)は何度も白山(東洋大学)通りに会場探しをされた由。ご苦労さまでした。→■http://www.bunjin-k.net/03soukai2.htm
 ところで明日・金曜日は、5月定例研究会。TOAFAEC としては記念すべき第250回の例会です。この4月から文科省(生涯学習推進課・障害者学習支援推進室)に出向している井口啓太郎さん(国立市公民館)に報告をお願いしています。いま文科省では夜間中学とならんで障害者支援の施策が胎動している由、当日の話が楽しみです。
 一方、韓国では積極的に平生教育法を改正して(2016年)、国・地方自治体レベルの障害者の平生教育、支援センター・事業が大きく展開しはじめている様子。当夜、韓国フォーラムからもぜひご出席くださいませんか。井口さんと並んで、韓国のうごきについてどなたかご紹介いただければ更に有難い。かねて「韓国・障害者の平生教育動向と東京研究との交流・発展に向けて」(井口報告・副題)の課題もあり、この機会に障害者支援という視点から、日韓の動きの接点が見えてくれば嬉しいのですが、いかがでしょう。→■ http://www.bunjin-k.net/kenkyukai2016.htm

3945号【 5月 21日】
■≪朝日新聞社説−公民館の役割(ぶ)≫
 前号にエイデル研究所(山添路子さん)より、「5月18日(金)の東京高裁判決に合わせて,『九条俳句訴訟と公民館の自由』(佐藤一子・安藤聡彦・長澤成次編著、A5判176頁、本体価格1800円)を刊行」のご案内。また「南の風」読者には予約特価扱い(税込1500円、送料込み)、山添さん(yamazoe@eidell.co.jp)までご一報を、とのこと。ご配慮感謝!
 昨日(20日)の朝日新聞・社説が「9条俳句・高裁裁判」につて書いています。「住民が学び、生活や文化を豊かにする場」としての公民館の役割に注目。「人々が学び、意見を交わし、考えを深めることが民主主義の基本である。そして、その根底を支えるのが表現の自由だ。もちろん、他者の人権を侵すヘイト行為などは、厳しく批判されなければならない。だが、そうでない活動は最大限保障するのが、憲法の説くところだ。自治体は市民と対立するのでなく、自由を守る道を一緒に歩んでもらいたい」と。まったく同感!
 さて、6月2日(土)学会六月集会初日夜のTOAFAEC 総会に向け、18日に事務局会議、久しぶりの「風の部屋」でした。とくに規約改正とか難しい問題があるわけではないのですが、佐賀から上野代表、東京の斎藤副代表、23号編集長の李正連さん、もちろん事務局長の山口真理子さん、ついでに顧問のぶんじん、総揃いでした。皆さん、ご苦労さま。
 TOAFAEC の個別課題いろいろ。加えて、混迷している日本社会教育の大きな政策形成の構図をどう描いていくかとか、現場・社会教育主事だけでなく学会・社会教育研究者集団のこれからとか、全国レベルの研究資料ネット形成の構築など、なにか大きな課題について(酔いながら)話がはずんだような記憶。さわやかな5月の風、いい夜でした。

3944号【 5月 18日】
■≪あのときの10年、そして30年≫
 前号に書いたように「沖縄社会教育史料」(1977年〜1987年)の第7集・目次一覧(江頭晃子さん作業)を本号に載せることができました。この第7集の編集を担当したのは長浜功さん(東京学芸大学・当時)、久しぶりに「はじめに」末尾の「解題」「あとがき」を懐かしく読み返しました。
 まだ第4集(奄美特集)、第6集(宮古・八重山特集)の目次作業が残っていますが、振り返ってみて思い出たくさん。なにより「史料」集・全7冊の発行は、10年の歳月を要した仕事であったこと。多くは手弁当での取り組み、よく続いたものです。一部(第3集など)は科研費を活用したものの、資料刊行の特別経費が用意されていたわけでなく研究室経費をやりくりしての発行でした。希少の資料を調査収録できただけでなく、この過程で東京・沖縄をつなぐ研究交流のネットワークが拡がり蓄積されてきたことが大きな収穫でした。それから30年が経過した現在でも(高齢化しながら)今なお機能しています。
 10年の作業のなかでは、横山・小林共編の2冊の『資料集成』(社会教育法・1981年、公民館・1986年)に沖縄・奄美の関連資料を盛り込むことが出来ました。とくに前者編集過程では綱渡りのような経過でした。そして全7集をまとめるかたちで、小林・平良共編『民衆と社会教育−戦後沖縄社会教育史研究』(1988年)が世に出たのです。充実した10年だったといえるでしょう。しかし(史料7冊だけでなく)公刊された3冊の書籍がともに、古本市場でもなかなか入手できなくなったのが残念。

3943号【 5月 16日】
■≪沖縄社会教育史料・ホームページへ≫
 5月15日、沖縄復帰の記念日、この日「沖縄、今も憲法番外地」(沖縄タイムス社説)。そして、パレスチナ人にとっては「ナクバ(大厄災)」の日(上掲、斎藤真哉)。斎藤さんからは相次いで、The great return march of Palestine. が届いています。(次号へ)
 私たちの「沖縄社会教育史料」全7集(1977〜87)について。ぶんじんがまず第1集の史料(項目)入力作業に励み(風3939号)、その後山口真理子さん・江頭晃子さんの協力を仰ぎ、(順不同ながら)難物の第5集(アメリカ占領下の社会教育・文化政策−真理子さん担当)も入力され、前号に掲載できました。加えて本号には、江頭晃子さんからも第7集「戦争と社会教育」(1987年)一覧が送られてきました(次号掲載予定)。お二人それぞれに(総会準備など)忙しいなか、ご苦労さまでした。ホームページに揃えてアップする予定なので、南の風掲載は省略していいかな?とどの号かに書いた記憶がありますが、やはり、こうなれば「南の風」にも記録として刻印しておきたい。直接に沖縄研究に関心ない各位には押しつけがましいのですが、40年前にどんな記録が収集され、注目されたか、サッと目を通していただければありがたい。
→■
http://www.bunjin-k.net/okinawasiryou.htm
 本号に「史料」第3集(戦後沖縄社会教育に関する証言集、これは貴重本)を掲載できましたから、残りは、奄美(第4号)と宮古・八重山(第6集)の2冊だけとなりました。難物も、声かけあっていけば、なんとかなるものですね。5月18日夜、TOAFAEC 総会準備をかねて事務局会議。上野景三さん(代表、佐賀大学)も上京されて、TOAFAEC の運営・活動・今後を語り合います。事務局と自認されている方はもちろん、関心おもちの方も含め、皆さんご参集ください(18:00〜、風の部屋)。

3942号【 5月 14日】
■≪納骨の旅から帰って≫
 久しぶりに山本健慈さん(国立大学協会、もと和歌山大学長)からメール拝受(上掲)。前川喜平さんとの対談(月刊社会教育6月号)まだ読んでいませんが、楽しみです。「すべての人に『学習権』を」という同じテーマで、現今の日本社会教育政策の失速状況をどう脱皮していくか、考えあいたいもの。一方で「リカレント教育」への注目あり。地域の自治・再生の課題と結んで、社会教育の再創造への道を模索・追及していく論議が待たれるところ。いちど私たちの研究会で(日本教育政策の貧しさ・構図をよく知る)山本さんにお話を聞きたいと思っています。たとえば活況にある韓国・平生学習の動きをふまえて韓国研究フォーラム・メンバーとの「対談」など企画できないでしょうか、などと“山本節”との再会を夢見ています。
 山本メールでは、福岡の社会教育・公民館の蓄積を担ってきた川崎・光安など古い友人の名前も出てきて、驚きました。当方のホームページには、故川崎隆夫(福岡県社会教育課長・当時)を追悼する一文「わが友の死」を載せています。写真も。なんと40年前の月刊社会教育(1978年10月号)。→■http://www.bunjin-k.net/archives.htm
 杖をつきながら福岡・油山に泊まり、昨晩戻りました。のびのびになっていた妻・富美の納骨(一周忌)を終えることができ、ホッとしています。老々介護のあと小生の入院騒ぎ、油山には2年ぶりか。この間、いたちの住処にもなっていた天井張り替えなど修築工事。埃まみれ・どろどろの「油山文庫」に韓国グループがお出でになった由(昨年12月)。案内役の農中茂徳さん「急な話、お茶も出しませんでした」と恐縮していました。当方がもすこし恢復して、元気にお迎えする機会があるかどうか。油山を資料ネットの拠点にする夢を語りながら、久しぶりに二人で古い酒をのみあいました。油山の寓居は、もともと富美との「終の棲家」構想でしたが、人生思う通りにはならぬもの。昔の話をたどり、しみじみと酔いも深まりました。
◇富美・納骨(前夜に骨壺に俗名を書き、当日は寺で法名の位牌。2018/05/12)
○壺を開け俗名記せし五月の夜 ○君連れて故郷の墓に納めけり
在りし日の富美、ハンブルク市庁舎前のカフェにて (2005年6月、アルトナーレ)  *関連写真


3941号【 5月 11日】
■≪沖縄社会教育史料・共有の試み≫
 本号は亡妻・富美の納骨の旅から帰って配信する予定でしたが、5月定例会(最終金曜日・25日)準備のメール、斎藤・井口両氏のやりとり(上掲)も載せたくなって誌面満杯となり、旅の前に急ぎ出すことにしました。慌ただしい編集作業、こんなときミスがあるんじゃないかと気になりながら、えぃままよ、と送信します。
 前々号から、「戦後沖縄社会教育研究会」(1976年創設、東京学芸大学)編集・発行の『沖縄社会教育史料』(全7集)の目次・復刻版も収録しています。いまやっと第2集が終わったところ。資料名のみ並べただけの、何とも無味乾燥の記録。せっかく入力したので、お目にかけたくなるのです。お許しください。ホームページ掲載の枠も用意しましたから、第3〜7集は、もう風には掲載しなくていいかなとも思っています。山口真理子さん、江頭晃子さんの助力に感謝。
→■ http://www.bunjin-k.net/okinawasiryou.htm
 全7集は、1977年から87年にかけての10年にわたる作業でした。この後に県の記録や市町村史、なによりも沖縄では字(集落)誌の編集・刊行の時代に入ります。その前のやや古びた感じの「史料」7冊ですが、記録・証言のなかには貴重なものが含まれているのです。こんな史料もあったのかと(入力しながら)元気を出しています。
 とくに第2集、第3集は、東京「沖縄社会教育研究会」だけではなく、那覇「おきなわ社会教育研究会」の協力を得ました。編集後記は、那覇メンバー(2集・当間ふじ子、3集・平良研一)が書いている。ちなみに「戦後」沖縄社会教育研究会という名称は、東京の研究会と那覇の研究会の両者を合わせて活動する意味を含んでいました。この時代を経て、ぶんじんは南(与那国、竹富など)へ、東アジアへ、そして北の「やんばる」へ、と研究交流の旅は続いてきたのです。

3940号【 5月 9日】
■≪富美の一周忌≫
 本欄は個人的な話を書くことになります。お許しください。上掲・江頭さんメールにある通り、昨年5月の富美永眠から1年がめぐってきました。葬儀後の私の入院騒ぎも重なって、なんとも慌ただしい、重苦しくつらい1年。しかし皆さんのお見舞い、叱咤激励!をいただいて、なんとかやり過ごしながら、再び自分の足で回復の道を歩いています。この年になって、もとのような足腰にもどるはずはありませんが、幸いに認知症の兆候はなく、皆さんに伍して、八十路のよちよち歩きを楽しみたいと思っています。この間の皆様へのご迷惑いろいろ、お許しください。ご激励!まことに有難うございました。
 5月12日に息子たちと一緒に故郷・久留米に帰り、富美納骨と一周忌の法要を催す予定です。近場ではありませんので親族だけで集まることにしています。賑やかなことが好きだった富美には不満?でしょうから、親しかった農中茂徳さん(大牟田)にだけ友人知人を代表してお出でくださいとお願いしました。その夜は、1年半ぶりに福岡・油山に寝たいとぶんじんは希望。きっと!車で送ってくれるに違いない、農中さんには大迷惑。一緒に泊まることになりましょうか。申し訳ありません。
 名護「やんばる対談」後の懇親会でも言ったことですが、この年になると、人はだんだんと衰えていくはずなのに、新しい関節をリセットしたおかげか,むしろ回復して“発達”していくような思いになるのがなんとも不思議。しかし、まわりにいろいろとご迷惑をおかけすることになることだけは残念ですが。
 上記・江頭さんメールのお尋ね。「5/25の定例会の1時間前に、高井戸の1階で」のご提案、承知しました。この日は編集会議はありません?から、18:00〜ですね。文中「どうぞ引き続きのバランスの良い食事と早寝早起き、適度な散歩を」は、なかなかできません。福岡・横山孝雄さんより書簡。名護「やんばる対談」に参加した長文のレポート(福岡県自治体問題研究所の所報・6月号原稿)拝読しました。いいご報告、ご苦労さまでした。

3939号【 5月 7日】
■≪紙資料のデータ化、トーカチ(数え88才)祝い
 前号「五四運動」に関連して、台湾訪問中の新保敦子さん(早稲田大学)より、メールを頂きました。「昨日、台湾大学を訪問した時に、丁度、五四運動100年の記念集会を開催していました。その写真をいくつか添付で送らせていただきます」(上掲)。その中の1枚を本欄に付して、下掲させていただきました。五四運動・百年の歴史をあらためて実感しています。ありがとうございました。
 また、年報『東アジア社会教育研究』の欠号(創刊号、第3号)が、楊碧雲さん(台北市教育局、年報編集委員)から恵与されたとのこと、嬉しくなりました。日本で刊行した東アジア・年報が希少となり、台湾を経由して、再び日本へ、早稲田大学図書館に収蔵されるストーリーは、私たちの小さな研究ネットを励ましてくれます。
 『東アジア社会教育研究』の前史として『沖縄社会教育史料』(戦後沖縄社会教育研究会編、1977〜87年)全7集が、ほとんど保存されていないことを再発見。当時は、記録を調査・収集し資料集をつくることに情熱を注ぎながら、それを後世にきちんと残す努力を怠ってきたことに気づきました。山口真理子さん(事務局長)が欠号部分を個人所有のもので補い、7冊揃いにして国会図書館にまず収蔵してもらうよう努力中。当時の研究会メンバーの中には全号をお持ちの方がありましょうが、いずれ散逸・廃棄されていくことも予想されます。今のうちに大学図書館等の公的機関に移すことをお願いします。研究室保存のかたちでは、やはり散逸し、後世に残らない恐れあり。
 当方は、まず第1集(1977年)目次を入力して、本号にようやく一覧を載せることができました(上掲)。刊行当時、まだワープロ・パソコンの時代ではなく、データ化されないまま紙資料が40年眠っていたのです。なんとか目次一覧7集揃いでデータ化する作業が緒についたことになります。つづいて7集・全目次を入力したい。この「史料」的価値については、いずれ研究会等でご報告いたしましょう。何よりも記録・資料に関わる当事者からの関連証言をお願いし、資料とセットにして各ページにちりばめたところが注目点。今やその証人のほとんどの方はすでに物故されたと思われます。調査・証言に協力いただいた当時(私たちも奄美・鹿児島・鎌倉・東京等を飛び回った)を懐かしく想起しつつ歳月の流れを悲しんでいます。
 本号配信の直前、名護・島袋正敏さんから、ぶんじんの「トーカチ」(米寿、沖縄では数え88才)祝いのご提案を頂戴しました(上掲)。秋の日本社会教育学会(名桜大学、10月5〜7日)訪沖に合わせて企画したいとのこと。85歳祝い(1985年夏)の“果報”を思い出し、ただただ恐縮しています。
台湾大学・五四運動100年の記念集会(20180504、新保敦子さん提供)


3938号【 5月 4日】
■≪五四(ウースー)「青年節」≫
 世は連休。南の風もすこし余白がありそうなので、かねて宿題にしていた『沖縄社会教育史料』(東京学芸大学・沖縄社会教育研究会編、1977〜1987年)全7集の目次一覧・入力作業を始めました。遡ること40年、情熱を燃やして、希少な資料(アメリカ占領下の沖縄社会教育・文化資料)を集めていた当時を思い出していました。その後の東アジアへの関心、TOAFAEC の活動、「南の風」創刊など、この沖縄資料収集と刊行10年が重要な契機だったのだなぁと感慨深いものがあります。森田はるみさんや山口香苗さんからのメールをいただいて(上掲)、この「沖縄社会教育史料・目次一覧」は次号か次々号にまわすことにします。本欄も急ぎ書き換えた次第。
 今日は五月四日、中国では五四(ウースー)「青年節」です。1919年5月4日,北京大学の学生を中心に取り組まれた反日デモ行動の記念日。中国では、第一次世界大戦後の山東半島問題をめぐり、全国的な規模で日本帝国主義への反対運動が拡大していきました。故横山宏さんが「その後も五四の日、北京大学の一隅では学生たちが“松花江上”をうめくような響きで歌っていた」思い出を語っていました。私たちが(中国語でなんとか“松花江上”を歌えるようになって)明るい調子での歌い方をたしなめられたのでした。中国國歌(前進・前進!)といい、中国「青年節」の由来といい、また“松花江上”の歌そのものが、東アジアの近代史・民衆史のなかで、日本の帝国主義的支配・侵略の歴史を語り歌い継いでいること、五四「青年節」は1世紀にわたってもなお現代に鋭くつきささっていることに思いを至す必要がありましょう。

3937号【 5月 1日】
■≪あの頃の五月の東京≫
 暦は早くも五月、風薫る季節となりました。この時期、昔の大学では、4/28沖縄デーや5/1 メーデーなど学生運動のデモ・スケジュール。若い教師としては、とくに新入生が心配でした。「沖縄を返せ」など歌い、ピクニックにでも行くような楽しい気分でデモに出かけていました。初めて参加するデモの高揚感。しかし中には、ヘルメット組の激しいデモ隊列に巻き込まれ、当局に拘束される場合もあり得る。ある女子学生は(新入生のデモ体験が契機となって)政治的なセクト活動に参加するようになり、2年生になる春、火炎瓶を抱いて韓国大使館に乱入、逮捕されるという事態となりました。風薫るどころか、緊迫の対応、厳しい思い出の5月。あれからすでに半世紀近くの歳月が経過しています。いつまでも忘れられない若者たちの躍動、“美しき五月の東京”でもありました。
 さて、本号には韓国・公州大学のヤンビョンチャンさんより秋の東アジアフォーラム企画(11.2(金)-5(月)予定)へのお誘いメール。島袋正敏さんからは「やんばる」の山々に白いイジュの花が咲き始めたこと、「対談に参加された方々には、蔓草庵の古酒を味わう権利?」ありとの嬉しい便りも。また一昨日の4月定例研究会について、小田切督剛さんのなが〜い報告。盛り沢山の「風」、皆さん有難うございました。
 昨年末の東アジアフォーラム(佐賀)は、今年の年報23号の特集テーマとなりました。いま編集・執筆が鋭意進行中です。ヤンさんお誘いの秋の韓国・東アジアフォーラムに行けるかどうか。これからの課題です。

3936号【 4月29日】
■≪大竹康市さんの想い出≫
 前号「懐かしき人びとよ」続き。那覇1年ぶり4月20日夜、おきなわ社会教育研究会との交流が終わったあと、6〜7人で久茂地の「苗」に「かつお飯」を食べにいきました。私たちがやんばるへの旅を始めた頃(1980年前後)、たしか安里英子さんが誘った店。その後、那覇の夜はこの店に立ち寄って、象グループ大竹康市さんの想い出話をしてきたものです。
 風3924号(3月26日)本欄「象グループとの出会い」に書きそびれましたが、大竹康市さんは1983年サッカー試合中に心臓発作で倒れて急逝。惜しい人を亡くしたものです。当時の沖縄社会教育研究会(東京学芸大学)では「大竹康市さんを偲ぶ」(1984年2月24日、第61回研究会)集いをもち、末本誠さんが「地域主義の思想」、内田文雄さんに「象グループと沖縄」を話してもらった記録が残っています。
 その10年後、大竹康市さん没後記念の本,『これが建築なのだ−大竹康市番外地講座』が出版されました(1995年)。中村誠司さんからその書評を頼まれて書いた記憶。「沖縄タイムス」に載った拙文が出てきましたので【おきなわ資料】として、本号に収録しておくことにしました(上掲)。当夜も「苗」の主人が、「かつお飯」を「うまい!」と誉めたのはジュニャー(大竹康市さん)が最初だった、と昔を懐かしんでいました。
 さて、4月27日の韓国研究フォーラム・編集会議・4月定例研究会は、韓国と北朝鮮の両首脳が会談した歴史的な日と重なりました。研究会を進めながら両首脳の「思わぬ出来事に歓声と拍手が沸き起こりました」(李メール・上掲)。現地の動きが同時通訳されながら、編集会議がすすめられるという忘れがたい1日。夜の定例研究会には、そこに飛び入るかたちで、北海道置戸町の森田はるみさんが登場。驚きました。聞けば、教育委員会からの突然の人事異動で、4月から地域福祉センター(介護保険)へ。思わぬことがあるものです。しばらく辛抱して頑張ってほしい。2
 別れ際に、置戸町の山野に自生する「山ぶどう」からつくった、燃えるような赤ワイン「おけと」をいただきました。懇親会は散会後なので、結果的にひとりで楽しむことになりそう。ありがとうございました。
23号編集会議・第249回定例研究会(10180427、高井戸、小田切さん撮影)


3935号【 4月26日】
■≪懐かしき人びとよ≫
 前号・山口真理子さんの「やんばる対談ご報告」の通り、那覇でも名護でも(その途中でも)久しぶりの友人との再会、また新しい方との出会いがありました。何人かの方を、忘れないうちに本欄に書いておきます。
 島福善弘さん(前名護博物館長)。源河川にリュウキュウアユを呼び戻す運動に取り組んだ当時の若者(今はすでに定年)、「やんばる対談」第3回(2011年)の語り手です。名護・交流会でお会いましたが、「元気なお姿、安心と勇気をもらいました」とメール拝受。「私信」とありますので、風に載せていませんが、いつの間にか「南の風」配信が止まっていることに気づかず、この機会に再び配信リストに復活させていただきました。
 上地武昭さん(沖縄大学、地域福祉論)。これまでのゼミ訪沖の折、読谷のご案内をお願いしてきた長い歴史。そんな話題から昔のメモにあった携帯に電話、突然なのに読谷・波平の自宅に上がりこむことになりました。お連れ合い(読谷村議員)も在宅、積もる話となりました。武昭さんは「南の風」の古いメンバー。そういえば、2005年5月には約1週間、ご一緒に台湾を旅(社区大学調査)したことも。内田純一さんや鷲尾真由美さんんなども同行メンバーでしたね。かなり詳細な記録がホームページに残っています。
→■http://www.bunjin-k.net/200505taiwan.htm
 喜納勝代さん(久茂地文庫主宰、女流歌人)。私たちの沖縄研究・交流には旧久茂地文庫にたいへんお世話になりました。もともとは、ぶんじんが「月刊社会教育」編集長時代、同誌「働くものの短歌」ページに喜納さん歌集『おなり神』を取り上げた経過があり、お礼状をいただき、1976年初めての沖縄訪問の折にお会いしたのが始まり。それから40年余りの交流。糸満の自宅に久茂地文庫が移ったあと、一時は特別職として糸満市中央公民館長をつとめられたこともあります。最近は那覇「おきなわ社会教育研究会」ではお会いできず、今回は偶然に辺野古基地反対ゲート前の座り込みのなかで再会。江頭さんが撮った写真あり(了承を得ていないので掲載控え)。こちらは「あ、喜納さんだ」とすぐ分かりましたが、喜納さんはぶんじんの老いぼれを直ちには識別できず、まじまじと4〜5秒。この間の永い歳月を実感させられました。ああ、歳月は花とともに過ぎ、されど懐かしき人びとは去ることなし。
 今回の沖縄行きでは愛用の古いカメラ持参、記念の画像は確かに撮影できましたが、これを取り出す装置がなかなか動いてくれず、ホームページへのアップに手間取っています。
恒例・夜の懇親会(名護市中央公民館・迎賓?工作室、20180421)

前日・那覇の夜、おきなわ社会教育研究会との交流会(ぶながや、20180420)

*左より(後列)上田孝典、石井山竜平、嘉納英明、(前列)上平泰博、組原洋、平良研一、小林文人
 右側・左より佐久本全、桑原重美、名城ふじこ、鷲尾真由美、武田拡明、江頭晃子、山口真理子、黄丹青 (敬称略)


3934号【 4月24日】
■≪自由投稿の締め切り・4月25日!≫
 名護・島袋正敏さんからのメール、TOAFAEC事務局長・山口真理子さんの対談「ご報告」(上掲)ありがとうございました。真理子さんの、なが〜いご報告、最後の方は息切れ寸前?まことにご苦労さまでした。2回に分けようかと思いましたが、せっかくの記録、そのまま掲載→■。報告送り状の前文あり(これは省略)、その中には「あと、正敏さんの「物づくりは、ただ物を作るだけではない。物づくりを通しての共同作業が大事なのだ」や、「博物館づくり、図書館づくりには市民参加で10年をかけた」など大事なのですが、もううまく入れる場所を整理できなくて・・・」と。そのまま本欄に記しておきましょう。いずれテープ起こしの記録が年報23号に収録されますから、正確にはそれをご覧いただくことにしましょう。終日の作業、ほんとにお疲れさまでした。
 4月27日の韓国研究フォーラム、年報編集会議の会場(高井戸区民センター第5集会室)、夜の定例研究会の会場(第3集会室)とは別の部屋で確保いただいた旨の遠藤メール(上掲)、有難うございました。編集会議は時間的に途中で部屋を移動することになります。ホームページには書き入れましたが、編集委員会の皆様、休憩のつもりでご了承を。→■http://www.bunjin-k.net/yotei1801.htm
 そして、年報23号「自由投稿」の申し込み期限が、いよいよ明日に迫りました。まわりに迷っている方があれば、ぜひ積極的に応募してほしい、とご喧伝ください。この拡がりが年報を賑やかにします。長文でも短いものでも可。まずテーマと短い概要の申し込みを。投稿要領、ご覧ください。→■http://www.bunjin-k.net/20gou.htm
申し込み先は、李正連(東大)編集長あて →jylee@p.u-tokyo.ac.jp  
年報の編集方針・編集委員会等については→■http://www.bunjin-k.net/1-10kenkyu.htm、

3933号【 4月22日】
■≪やんばる対談を終えて≫
 予定通り4月20日の「おきなわ社会教育研究会」交流(那覇)、21日の「やんばる対談」(名護)を終えて、22日夕刻、羽田にたどり着きました。前号に書いたように退院後の初めての、杖をついての旅。大丈夫かな、皆さんの迷惑にならないかと気にしながら、サポートを得て、なんとかスケジュール通り日程を終えることができました。一息ついているところです。
 那覇の名城ふじ子さん、名護の島袋一平さんには、それぞれ交流会のていねいな準備をいただき、有難うございました。思い出にのこる楽しい集いとなりました。訪問側の会計は山口真理子さん、丹念な心配り、いつもながらお疲れさま。
 今回の「やんばる対談」(11回)の語り手は稲嶺進さん(前名護市長)、まさに主役登場のかたちです。ゆんたくの雰囲気を大事にして、自由に話していただき、訪問側(15名)も遠慮のない質問・発言をさせていただきました。聞きたいことはたくさん、しかし時間は限りあり。山城千秋さんにテープ起こしと原稿化をお願いできた由、どうぞよろしく。いい記録にまとまること間違いなし。
 蔓草庵の庭では山羊3頭も対談を聞いていました。さわやかな風に吹かれ、後半はやんばるの雷と雨も私たちを歓迎してくれました。終了後は名護市中央公民館工作室での盛大な懇親会。夜だけ参加の古い友人も少なからず。皆さん、ご苦労さまでした。最後には稲嶺進さんの「二見情話」と「でんさ節」(八重山)。「二見情話」は以前に聞いたことがありますが「でんさ節」は初めて。情愛・哀切きわまりなく、酔いがまわりました。東京側からは、山口真理子さんの「tomorrow」、また明日へ!がんばろうの思い。
 ご参加の皆さん、二日間の感想・こぼれ話・言い残したことなど、風にお寄せください。4月27日の第249回定例会には、「やんばる対談」報告の時間も用意しています。ご都合のつく方はぜひご来会を。土産話はたくさん。初めての方も歓迎です。
蔓草庵の庭(中央・稲嶺進さんに年報22号を謹呈、右は中村誠司さん) 20180421、撮影・江頭晃子さん


3932号【 4月19日】
■≪黄色のバラ鉢ひとつ抱えて≫
 明日(20日)から「やんばる対談」、1年ぶりの訪沖です。1月に退院して、この日をめざしてリハビリに励んできました。2〜3月は花粉症の季節、どうしても閉じこもりがちとなり、脚力は思うに任せませんが、何とか皆さんに伍して「やんばる」まで動くことができそうです。お世話になると思いますが、同行の皆さん、よろしくお願いします。
 堀尾先生から人工関節のこと「何かとご不自由とは思いますが」(上掲メール)とお気遣い下さって恐縮しています。股関節と言えば人間のいちばん大きな関節、それを人工にして埋め込んでいるわけですから、異様な体験です。少しづつ同化していくのかと思っていましたが、動作がひろがるにつれて、新しい関節の機能を意識させられる、むしろ異物感が増していくような感じの毎日です。新しい(手術を受けたもののみが知る)稀有な経験。この老年者が、歩き始めの幼児にも似た“発達感”を味わえるとは!まことに有難いことだと思うときがあります。
 まだ杖をついて歩いています。ときに杖を忘れることも。ほとんど物を持つことが出来なかった身がゴミ出しができるようになりました。数日前、近くの花屋に黄色のバラの鉢があり、大輪と蕾が4,5つ。手招きをしているような風情なので、一鉢を求めて帰りました。杖をつきながらもバラを抱いて歩いている楽しさと充実感。笑っている富美の写真に花を添えることができました。

3931号【 4月16日】
■≪棺に公民館「職協」の旗をかけて≫
 福岡市の公民館制度の拡充、とくに公民館主事の正職員化運動を中心的に担われた中島博さんが亡くなられました(4月12日朝)。横山孝雄さんからの知らせ(上掲)。享年95歳、大往生とのこと。中島さんは一度も「南の風」に登場されたことはなく、実際に最近はお会いする機会もありませんでしたが、いつまでも忘れることができない公民館主事の生涯。お元気な頃の写真を探し出してホームページに掲げ、心からご冥福をお祈りいたします。
 その棺には「公民館職協」の旗がかけられたそうです。ジーンときました。公民館職協とは「福岡市地域公民館職員協議会」(1964年結成)のこと。当時私はまだ福岡(九州産業大学)にいましたから、地域にバラバラに配置されていた職員の皆さんの、画期的な横の連帯の組織づくり、興奮のひとときをよく覚えています。
 小川利夫さん編集の本に「励まし学ぶ主事たちの動きーその苦闘と創造を」を書いたことがあります(1976年)。その具体的な自治体の事例として、福岡市「公民館職協」(あと一つは松本市公民館主事会)の動きを取り上げました。その中心にいつも中島博さんの顔が。普段は寡黙ながら、公民館主事の教育専門性と労働者性を論じるときの舌鋒は激しいものがありました。いわゆる下伊那テーゼに対する福岡からの「疑問」(日本社会教育学会年報『現代公民館論』所収)は、その議論を反映したものでした。あの頃は、よく激しい言い争いをしたものだ(今は仲良し論だけ)、しかしそんな“苦闘”から、かけがえのない連帯・友情が生まれてきた(“創造”)、私の研究者としての在り方を問われたこともあったな、など想い出いろいろ。当時を懐かしく偲んでいます。中島博さん、「公民館職協」の旗に包まれて、安らかにお休みください。
写真:前列左より門田見昌明、松田武雄、小林文人、中島博ほか各氏。後列に小林富美や横山孝雄氏も。(福岡・20030614)


3930号【 4月13日】
■≪稲嶺進さんへ「風」を≫
 4月のこの時期、新入生だけでなく、在校生との新しい出会いが始まっていることでしょう。新年度のゼミ集団の形成もこの時期からスタート。まさに新しい出会いです。振り返って、学生・教師ともども終生の付き合いに結実する出会いもある得る。始まりの始まり、大事な季節です。東京の街の花は、桜からハナミズキへと移り、新しい緑が増えて、何よりも花粉症から解放される季節です。
 3日前「南の風」は、名護・稲嶺進さんとの出会いがありました。ぶんじんとの個人的なお付き合いとしてはすでに35年余り。その後、進さんは教育委員会から市長部局の要職へ。南の風の発行(1998年2月)以降も、時折にお会いしてきましたが、なぜか「風」をお送りしてきませんでした。多分お忙しい毎日、煩わしい風になっては申し訳ないと思ってのことでした。
 6日前(6 Apr 2018 22:37)に島袋正敏さんからメールあり。「文人先生 稲嶺進へやんばる対談「稲嶺進を囲んで」の主な内容について伝えました。メールアドレスも確認しましたので南の風の配信をお願いします」と。アドレスのドットとコンマの間違いなどあり、若干手間取りましたが、風・前号よりお手元に確かに届いたようです。進さんよりメール来信(11 Apr 13:10)。「こんにちは。お元気ですか。名護市の稲嶺進です。【南の風】3929号受信いたしました。来る4月21日のやんばる対談でお会いできるのを楽しみにしています。」 当日、どうぞよろしくお願いします。
 南の風としては「新しい出会い」ですが、TOAFAEC ホームページの中では、この15年来、進さんの写真がいろいろと登場してきます。たとえば、2001年和光大学・小林プロゼミ歓迎→■http://www.bunjin-k.net/kazeitiran2.htm。 2002年の社会教育研究全国集会・初日「ヒージャー会」→■http://www.bunjin-k.net/albumokinawa.htm。あるいは博物館中庭での満月の集い(2007年7月1日・写真)→■http://www.bunjin-k.net/okinawaseinen.htm  などなど。この機会に、これまでの無断掲載のお詫びと掲載許諾のお願いを一括して申しあげます。

3929号【 4月10日】
■≪戦後奄美の復帰運動資料≫
 花粉症の後遺症か、老いぼれの故か、春だというのに体調不良。お送りしなけばならない「南の風」記事もたまっているのに、なんとなく指も動かず、風・送信が間延びしてしまいました。今号は5日ぶりの風。(4月、それでも通算すれば3回を送信、お許しを。)
 本号には、戦後(復帰前・復帰後)沖縄青年団運動史資料・証言を追っかけている山城千秋さん(熊本大学)から、それに奄美戦後史のテーマに取り組み始めた農中至さん(鹿児島大学)も加わって、福岡油山(ぶんじん)文庫・収蔵資料の調査をしたい旨の申し出が寄せられました(上掲)。何よりのこと、直ちに対応可能との返報(電話)をしました。
 とくに戦後奄美研究・青年団運動(復帰運動)への着目。私たちが「戦後日本社会教育史における奄美の発見」と命名して、『沖縄社会教育史料・第4集―戦後奄美の社会教育』(1983)に苦労してまとめた奄美調査記録のへ評価もあってのことでしょう。小林のほか古賀皓生、上野景三、園田(平井)教子等との共同労作。油山文庫には、上野収集の奄美資料も大事に収められています。
 山城メールによれば、奄美では崎田実芳さん(旧特攻隊員、戦後青年団運動リーダー、アメリカ占領軍に対峙しながら復帰運動に取り組む、復帰後は名護市議会議員など)が亡くなられたとのこと。当時の関係者(前記・沖縄社会教育史料に登場)の中では崎田さんはむしろ若い世代に属します。私たちの調査時点(1980年代初頭)では、戦後奄美教育運動の関係者がまだほとんどご存命でした。たとえば竜野定一さん(戦後教育改革資料をもとめた密航教師が頼った旧大島中学長、戦後東京で北区公民館長、全公連会長)の証言も第4集には収録しています。多くの若者が青春を炎に投じた奄美の復帰運動。崎田実芳さんのご冥福を祈ります。

3928号【 4月 5日】
■≪うりずんのやんばるで≫ 
 「うりずん」は沖縄独特の季節語、八重山地方では「うるずん」と言うらしい(上掲・八重山毎日新聞)。広辞苑にも出ています。「沖縄地方で、初夏をさす語。夏作を始める頃で、麦の収穫期。古くはのろ(祝女)祭りが行われた」と。しかし日本の単なる初夏の意だけでなく、独特の響きがあるような。春から夏への躍動、ほどよい雨も降り大地の豊穣をイメージさせる語感。万物生気に充ちる陽春、八重山では、死んだ馬の骨も動き出すという言葉もあるそうです。
 うりずんの季節、もうすぐ(4月21日)「やんばる対談」がやってきます。今年はどんな参加状況か、と島袋正敏さんから問い合わせメール(上掲)。3月末から4月に日程がのびたこともあり、1週に1人づつ参加希望が増えています。いまのところ本土側から9〜10人の参加予定。那覇からは1〜2人程度でしょうか。山口真理子さんが名簿をつくっていますので、お送りするように依頼します。
名護側には準備など毎年いろいろとご面倒をかけます。例によって古酒(珊瑚礁?)2本をお願いします。はじめて「蔓草庵」参上の人もあり、古酒カメにご挨拶する儀式?を楽しみにしています。昨年来(一昨年?)の私たち歓迎の垂れ幕、今年の再会を期待していると一平くんによろしくお伝えください。

3927号【 4月 2日】
■≪弥生は過ぎて≫
 今朝(4月2日)の朝日歌壇に「・・・残りの花の離れいく音」(佐竹弥生)が紹介されていて、花びらが散る音を聞きとる歌人がいるのだ、その感覚の豊かさを想いました。こちとらは風の音で、どうにか花の散り具合を推し量るのがせいぜい。今年の東京の桜は満開が早く、その後は幸いに強い風が吹かず、桜たちはまだ残っているところもあるような。しかし花吹雪で神田川は白く流れていることでしょう。
 「さまざまの事思い出す桜かな」(芭蕉)。ちょうど1年前の三月弥生では、まったく桜のことを書く余裕がありませんでした。本欄には素知らぬ顔で(昨年の)「やんばる対談」のことなどを賑やかに書いていましたが、実は妻・富美の状態がかなり絶望的な状態に入っていたのでした。桜のことなど心に残っていない。病院はその名も嬉し「桜上水」の駅近く。見舞いの道すがら桜に包まれて往復したはずななのに、花のふくらみも、咲き競う爛漫も、残りの花の散り具合も全く覚えていない。ただ病院近くの若い桜が実に豊かに咲き誇っていた、その白い塊のような花たちを憎らしく思ったこと、人の運命の無常と花の無限の生命を実感したことなど思い出します。あれから1年。
 東京から解放されて弥生31日、沖縄への帰途についた名護・仲宗根禎さん。羽田へ向かう途中よりメールあり。「(略)年度末のこの時期は、あまり良い思い出がなく・・・・、しかし、東京のサクラが綺麗なこの時期は、大好きです!またこのサクラを見たいと思ってしまいます。やんばる・名護でお待ちしています。文人先生をはじめ皆さまに感謝しております。ありがとうございました。」(31 Mar 2018 15:38)
 実はさきほど呉世蓮さんから30日「韓国生涯学習(第79回)研究フオーラムご報告」も着信しました。しかし本号すでに満杯。「資料・やんばる対談の歩み10」などとともに次号にまわします。お許しください。

3926号【 3月31日】
■≪3月定例会終わる≫
 昨夜(30日)の定例会は、文字通り年度末3月の最終日。ご参加の皆さんにはそれぞれにご無理をお願いしたのではないかと恐縮しています。ご来会予定の仙台・石井山さんや国立の井口さんからは欠席のご連絡拝受(上掲)、残念でした。とくに東京(文科省)出向中、今日中に沖縄へ帰る仲宗根禎さん(名護市教育委員会)は、役所の仕事の締めくくりだけでなく引っ越し作業があり、大変でしたね。研究会の報告をお願いしご心労を煩わす結果となり申し訳なし。昨日と今日(31日)早朝に「参加できない」旨の長文のメールをいただき(上掲)、こちらこそ恐縮しています。昨夜の研究会(「やんばる対談」事前学習会)は、ぶんじんが仲宗根さんの分を含めて、少し長めの報告をしました。ご休心を。「屋我地」についての報告は、またいずれかの機会に。楽しみにしておきます。
 昨日は、4時から始まって三つの会議、イーストビレッジ懇親会を含め午後11時すぎまでの長丁場。ご参加の皆さん、お疲れさま。ぶんじんも、何とかこの長時間を元気な皆さんに伍して最後まで楽しい時間を過ごすごとができました。皆さんのお気遣い、ことさらにありがたく、感謝!です。三つの会議の記録・報告、どなたからか寄せられるものと楽しみにしています。どうぞよろしく。
3月定例会、上平泰博さん、山口香苗さんは退出後(20180330)


3925号【 3月29日】
■≪年度末の研究会、高井戸周辺≫
 私たちのTOAFAEC/定例研究会の会場は、この20年来、東京・高井戸・区民センターに定着してきました。電車の便は京王井の頭線(高井戸下車)。電車からも見えますが、井の頭公園から流れ出る神田川。井の頭線は吉祥寺発の渋谷行き電車が、しばらくは川に沿って走り、「高井戸」駅からも、すぐ横に神田川がみえるほど。駅から降りて、環八を越え、ガード下をくぐり、神田川を渡れば、すぐに(徒歩2分)イーストビレッジの店。横の川沿いの夜桜がいま実に見事です。この桜並木は、川に沿って浜田山から永福の住宅地を大きく迂回して、明大前の駅近くで線路をくぐるあたりまで続きます。元気なころのぶんじんの散歩コース。
 この季節になると、数号前にも書いたように、小金井(東京学芸大学)キャンパスの花見の宴(社会教育研究室主催)を思い出します。新入生歓迎も含めて賑やかでした。1995年以降は、高井戸に研究会場が移って、一度は杉並善福寺川畔・公園で花の季節に集まった記憶がかすかに残っていますが、その後、花見の会としては開かれず。TOAFAEC 定例会は20年あまり続いて、3月の会はいつも思い出に残る会です。花見の会はなくでも、3月はやはり行く人あり、来る人あり、心で花を見る思いでした。
 明日3月30日定例会ご案内が再掲されました(上記)。研究会(「やんばる」学習会)が終わると、例のように神田川を渡ってイーストビレッジに移動して懇親会。今年は賑やかです。3月の盛り沢山の花の集い。まず東大(院)松尾有美さんのソウル留学を終えて帰国のお祝い、そして文科省出向の1年が終わり晴れて名護へ帰る仲宗根禎さんの送別、国立・井口啓太郎さんは逆に文科省へ出向する激励の会など。9時頃からおそらく11時頃までは続いていることでしょう。遅れてもお出かけください。店から30秒歩けば夜桜、桜を楽しみながら盃をかわしましょう。行く春を惜しみつつ新しい歩みを語りあいましょう。

3924号【 3月26日】
■≪象グループとの出会い
 3月最終金曜日の定例研究会(第248回)が近づいてきました(30日夜、19:00〜20:50、なぜ「やんばる」かー4月21日「やんばる対談」事前学習会、会場:杉並区高井戸地域区民センター第1集会室)。「やんばる対談」(2010年〜)の経過については、いま風の埋め草に【資料】として、ホームページ・やんばる対談・解題の抄録を連載中。本号で第6回です。*全文は→■ http://www.bunjin-k.net/yanbartaian2010.htm
 当夜は「ゆんたく」風に進めたいと思っています。ぶんじんと仲宗根禎さん(名護市教育委員会)の二人で、いくつかの話題提供をする予定です。TOAFAEC はなぜ「やんばる」に注目するのか。やんばる型社会教育をどうとらえるか。皆さんと深めていきたい。
 私たちの沖縄へのフィールドワークは、当初は那覇が中心(戦後アメリカ占領下の社会教育・文化政策の調査)。はじめて「やんばる」に足をのばしたのは(おそらく)1978年か。今は亡き新城捷也さん(沖縄県教委・社会教育主事)の車で、案内役は安里英子さん。その頃、若い建築家集団「象グループ(設計集団)」(代表・大竹康市)の名護・今帰仁等での目覚ましい活動があり、それと出会う忘れ難い旅となりました。自治体の総合計画(逆格差論など)、今帰仁村中央公民館(赤い柱と緑の広場)、さまざまの集落調査、「やんばる型土地利用」分析、地域の祭祀・文化・暮らし・自治と共同への暖かいまなざし。多くのことを教えられました。今回の「やんばる対談」の取り組みの源流です。
 象グループが作成に実質的にかかわった名護市や今帰仁村の自治体基本構想、その主要な計画拠点に「集落公民館」が大きく登場します。沖縄全域で「字(あざ)公民館」と呼ばれる住民自治による集落公民館の実像。その日常的な展開と公的セクターによる博物館・図書館・中央公民館(ホール等)や福祉施設が協働するかたちで「やんばる型社会教育」は蓄積されてきました。集落公民館を拠点にしている「やんばる型社会教育」は、いわゆる「三多摩テーゼ」にえがく公民館像の対極にあると言っていいでしょう。
 象グループ・大竹康市さんは、その後、東京学芸大学社会教育研究室にも遊びに見えるようになりました。しかし親しくなった頃、惜しくも急逝。那覇・久茂地に「苗」という「かつお飯」がうまい飲み屋がありますが、大竹康市(ジュニア)の想い出をさかなに島酒を飲む店です。

3923号【 3月23日】
■≪思わぬ出会いこそ!≫
 暑さも寒さも彼岸まで、という言葉がありますが、なかなかそうはいかない。春の彼岸だというのに、東京は冷たい雨が降って、それが一時は雪にもなり、奥多摩の山では遭難者も出るほどでした。ようやく今日は朝から陽がさして、桜の季節に入るようです。今週末は東京は花見の宴が始まることでしょう。その昔、小金井キャンパス(東京学芸大学)社会教育研究室で盛大な花見を催していたものです。近隣の市民も参加し、馴染み「ふるさときゃらばん」のスターたちがギターかかえて飛び入りで来てくれたことなど思い出します。来週の高井戸(横の神田川の花が見事!)の研究会まで、花はもってくれるかな。
 本号は、この1年(名護から)文科省に出向していた仲宗根禎さんが故郷へ帰るご挨拶(「サクラ咲く頃に上京し、サクラ咲く頃に帰任します」上掲)と、この4月から文科省出向の井口啓太郎さん(国立市公民館)のメールが並びました。ともに任期は1年、同じ
枠での「出向」なのか、少し違うようにも思われますが、ご苦労様!(でした)。新しい井口さんの所属は「生涯学習政策局生涯学習推進課、昨年度からそこに新設された障害者学習支援推進室」とのこと。いま障害者学習支援の法制や施策で最も注目されるのは言うまでもなく韓国。2016年「平生教育法」改正(第9条:国家レベルの障害者平生教育政策、同19条の2:国家障害者平生教育振興センターの設置)など大きな展開に驚かされます。→■ www.bunjin-k.net/kankokuhou2017.htm
 3月30日の定例研究会には、ソウルから帰ったばかりの松尾有美さん(東大・院)が韓国の新しい「第4次平生教育振興基本計画(2018ー2022)」をもってきてくれそうです。当夜のイーストビレッジ(神田川ほとり)で、仲宗根さん送別、松尾さん「お帰りなさい」に加えて、井口さん激励の宴を催しましょう。思わぬ出会いから歴史は始まるものです。→■ http://www.bunjin-k.net/yotei1801.htm


3922号【 3月21日】
■≪南の風20年≫
 沖縄・東アジアの社会養育・生涯学習の研究交流“ひろば”として「南の風」を吹き始めたのは1998年2月6日でした。今年でちょうど20年の歳月。“成人”となった大事な誕生日、うっかり見過ごしていたようです。1ヶ月半を遡ってみると、今年の2月6日には【南の風】3907号「名護市長選、悔しく残念な結果に」を発行していました。稲嶺進さん三選を実現できず悔しい思い。風の誕生日など、どこかに吹っ飛んでいたのでした。
 単純に計算してみると、この20年間、毎年平均195本の風を発行してきた勘定。隔日(正確には1.9日おき)発行のリズムは、なかなか大変なことだと思われていますが、当人はさして苦痛には感じていません。最近は3〜4日おきのゆっくりした発行。しかし最盛期は連日発行が2週間も続いたことなどありました。今から思えば、これはたしかに異常。受け取る側こそむしろ苦痛だったのではないか、そんな乱暴な編集もあったのかと反省しています。20年の歩みは、皆さんの忍耐・寛容あってのこと、と感謝!の思いです。思い出・エピソードはいろいろ。忘れないうちに書いておきたいこともあり、いずれ折をみてー。
 「南の風」誕生の3年前にTOAFAEC が発足しています。この年(1995年)は東京学芸大学の定年でした。停年63歳は普通には引退・リタイヤの節目。しかし幸いに和光大学という自由な職場にも恵まれて「沖縄・東アジア」研究をスタート出来たことは幸運でした。科研費等の支援があったわけでもなく、ただひそかな思いだけ。その小さな泉に流れを拓き、歳月をつないで、海を越えて拡げてくれたのが「南の風」。ときに激して連日発行が続くときもあったのでしょう。お許しください。本号は久しぶりの連日発行、「20年」に少し興奮しているようです。

3921号【 3月20日】
■≪これから何を始めるか≫
 年年歳際、花相似たり、しかし人は同じからず、去っていく人あり、そして新しい出会いの季節につながる。皆さん、年度末でそれぞれにお忙しい時期をお迎えと思います。当方は70歳で卒業式や最終講義などの行事から解放され、すでに16年が経過。とくに人生の別れや自ら旅の衣をととのえる心境にはありませんが、それでも3月はやはり何かしら特別な思い。別離や出で立ちの思いや歌が聞こえてくるような。そして、東京も花の便りがちらほら、開花宣言も。
 お馴染みホームページの隅に顔を出していた幼な子も、今年で高校を卒業し、どこか大学へ進むらしい気配。いつまでも幼童のままでは申しわけない、思い立って写真撤収。4月「やんばる対談」に登場いただく名護・稲嶺進さんの(十数年前の)お顔に登場願いました。あわせてHP表紙中央の富士山遠望の1枚も。もともと新年向けの写真だったことを思い出し、同じ頃の「ぶんじんゼミ―社会教育ゼミをどう進めるか」(和光大学)回想の一コマに。これからなにか始めようの気持ちが潜在しているのかもしれません。
 閑話休題。やんばる対談の前日・那覇の交流会(4月20日夜)についてj山口真理子さんからのメール(Mon, 19 Mar 2018 15:27)抄録。「・・C 4月20日おきなわ社会教育研究会との交流会の会場について、那覇・名城ふじ子さんと話しました。やはり個室は無理?なので、同じお店「ぶながや」で、以前も使ったことのあるテーブル席にしましょう、ということになりました。今のところ来沖縄側が7名、在沖縄側が7名の計14名ですね。」 了解しました。山城千秋さん(熊本大学)や嘉納英明さん(名桜大学)もカウント済みですね。上平泰博さん(協同組合研究所)たちは名護だけか。もし那覇に現れても大丈夫ですね。

3920号【 3月18日】
■≪那覇「おきなわ研究会」との交流・会場調整を≫
 本号は長くなりました。那覇「珊瑚舎スコーレ」県補助打ち切り問題については、南の風として前々号に琉球新報社説(おきなわ短信1309)「学び直しの場を守ろう」(3月7日)を載せましたが、前号に関西からの黒川優子さんメール、本号には関東の澤井留里さんメールが相次いで着信、夜間中学に関する運動の熱気を感じました。内容の一部重複もそのまま掲載させていただき、ありがとうございました。続報があれば、どうぞよろしくお願いします。
 4月20〜21日の那覇「おきなわ研究会」交流・名護「やんばる対談」参加について。その後に福岡・横山孝雄さん(電話)の問い合わせもあったそうで、人数は本土側だけで10人?前後になりそう。那覇の交流会「ぶながや」会場の個室(10人定員)は、那覇側を含めるとあふれることになりますね。山口真理子さんより那覇・名城ふじ子さんに調整をお願いしていただけないでしょうか。
 資料「やんばる対談の歩み」(3)の後半部分、いつもの「おきなわ短信」(1311)、さきほど頂いた鷲尾真由美さん「石垣島・宮良の家との別れ」等は次号におくることにし、本号はこのあたりで失礼します。

3919号【 3月15日】
■≪「この1年」の動き≫
 3月は雛祭りに始まって桜が咲き始める春・弥生のいい季節。しかし花粉症の症状が出るようになり、しかも3月15日が納税・確定申告とあって、例年イヤな月となってしまいました。数日前から源泉徴収票や入院・医療費等の資料を集め、作業を始めましたが、一部に見当たらないデータ(不注意でゴミにしたか)あり、細かな数字の計算もイヤになり、それに辞任した国税庁長官の顔もちらついて、今年は申告しないことに。特段に別収入があるわけじゃなし(入院5ヶ月となればむしろ還付金あり?)、脱税の誹りを受けることもあるまい、解放された気分です。14日深更、作業を放棄し、入院お見舞いに頂いたワインの栓を開ければ、やはり3月はいい季節!です。
 3月末の金曜日は年報編集会議・定例研究会。いま年報22号を見ながら書いています。韓国「この1年」の動きが実に面白い。新しい政権のもと平生教育士たちが中心となって「光化門1番街」プラットホームを稼働し、平生教育の予算確保(教育部予算の7%)、平生教育士の採用拡大、公的領域に平生教育士の正規職化を、等の施策が提起されています。簡単な道ではないでしょうが(日本の社会教育、大学の社会教育体制の現状からみて)、いま政策形成・施策提起がどんなに大事なことか・・・と酔いながら、考えさせられたひととき。
 今年への「この1年」、どんな展開が動いているのでしょうか。東アジアの躍動から日本は何を学べるか。22号では盛り込むことができなかった日本の「この1年」もまた23号ではぜひ実現したいもの。

3918号【 3月11日】
■≪3月11日、大震災7年≫
 東日本大震災7年。関連死を含め2万2千人以上、避難今も7万3千人、原発賠償・心に痛み抱え、しかし原発避難の慰謝料はこの3月まで。復興の長い道は続く。心痛みます。
 さて、やんばる対談まで、まだ1か月半の余裕があるのに、宿の予約が(上掲・山口真理子メールのように)案外とたいへんです。武田さんによれば「那覇は4月20日・宜野湾花火大会や団体観光客の予約が殺到している」という事情もあるらしい。
 これまでの(40年にわたる)沖縄通いには、私たちには定宿がありました。1970年代から90年代前半までは、国際通り(松尾)ホテルニュウ沖縄。部屋からメールをとる必要があって、久茂地のオーガストインなどへ移動。その後、沖縄青年会館ちかくのホテルサンワへ。馴染み深いホテルでした。おきなわ社会教育研究会の集合場所もこれらのホテル・ロビー。しかしホテルサンワが古くなり休業。そのころから観光客もふえて那覇では宿に難儀するようになりました。今回も、ぶんじんは名城ふじ子さん(もと那覇市役所、おきなわ社会教育研究会)にお願いして久茂地川ちかくにようやく1室、山口さんや江藤さんはまた別のホテル1室予約とのこと。名護では、いつも(この40年間)山田荘が定宿です。いろいろと思い出あり(省略)。沖縄行き、ご参加の皆さん、ご苦労さまです。
 やんばる対談は2010年に始まりました。名護市長選に稲嶺進さんが勝利した年。辺野古の基地問題だけでなく、地域づくりと社会教育について名護市を中心にこれまでの蓄積を振り返り、日本を含めて、これからの課題について自由な「ゆんたく」を重ねていこうという試み。毎年の記録は年報「東アジア社会教育研究」に収録。読み返してみて、なかなか面白い。この機会に対談の歩み・記録を資料シリーズとして、いくつか採録しておくことにします。本号は第1回の対談「解題」(山城千秋)から。まだ「蔓草庵」ではなく名護青年の家が会場でした。

3917号【 3月 7日】
■≪那覇「おきなわ社会教育研究会」≫
 俳人・故金子兜太への追慕しきり。また石牟礼道子を偲ぶ歌も。たとえば、昨日(3月5日)の朝日歌壇。「不知火の海は水銀の毒に泣き石牟礼道子を喪いて哭く」(三鷹・山室咲子)など。歌壇にはまた「亡き妻」への挽歌もいくつか。「亡き妻がつきしあかぎの杖を突く我にはすこし短かけれども」(福島・古川利意)。そう言えば当方も「亡き妻がつきし杖」をたよりにいま歩いているのでした。「杖ついて春節集いに復活す」(ぶ)
 那覇の名城(当間)ふじ子さん(おきなわ社会教育研究会)より電話あり。4月20日夜の那覇交流会の会場は、ご案内(風・前号)通り「ぶながや」(国際通り角)に予約しましたとのこと。→■http://www.bunjin-k.net/yanbaru2016.htm
 毎年お馴染のところです。ぶんじんはいま畳には座れない、椅子でとお願いしたところ個室には椅子の席がないそうで・・・「椅子席に変えますか」「やはり個室がいい」などといろいろ無理難題、申しわけありません。
 この機会に那覇「おきなわ社会教育研究会」について。私たちが東京で「沖縄社会教育研究会」(当初は「戦後」を冠していた、TOAFAEC の前身)を始めたのは1976年9月でした。1年後の1977年11月に那覇でも社会教育研究会が発足。両者は兄弟のような関係で四十年の歳月を歩いてきました。東京で先に漢字「沖縄」を称したので、那覇の研究会は「おきなわ」と平仮名の名称になったという経過です。今年の年報23号にその「歩み」を書いてほしいと依頼中(昨年からの宿題)です。
 ことのついでに、上述の朝日歌壇から、名護の歌と(最近少なくなった)相聞歌を各1首。「何ごともなかったように日は昇り名護市長選報道される」(横浜・田中廣義)、「春きみと駅の階段降りるときふうわり揺れるスカートを買う」(横浜・岡田紀子)

3916号【 3月4日】
■≪やんばる型社会教育とは≫
 本号に改めて今年の名護「やんばる対談」(4月21日、その前日20日・那覇「おきなわ社会教育研究会」交流)のご案内を載せました。稲嶺進さん(前名護市長)を囲み、1980年代の社会教育との関わりを含め、もちろん2010年代の名護市長としての8年間の奮闘、これからのことなど、ゆっくりとお話をお聞きしようという企画です。上記したように、参加ご希望の方は小林あてご一報ください。日程(予定)はホームページにもアップ。→■http://www.bunjin-k.net/yanbaru2016.htm
 
これまで名護・やんばる対談のあとは、国頭・奥の集落をまわったり、あるいは南へ飛び、石垣・竹富島に渡ったり、いろいろと企画したものです。しかし今はその余裕なく、ぶんじんは大事をとって、翌日には帰京することにしています。申しわけなし。今年は10月に日本社会教育学会が同じ名護(名桜大学)で開催される予定です。名護の当り年ですね。
 私たちはなぜ「やんばる」に関心をもつのか。日本社会教育のなかで、あるいは東アジアの拡がりの視点をもって、沖縄そして「やんばる」のもつ意味はなにか。この機会に「やんばる」型社会教育とでも言うべき展開とその特徴を考えてみたい。3月定例研究会(3月30日、東京・高井戸)では、やんばる対談の事前学習会として、いくつかのことを話題提供し、皆さんと一緒に「やんばる」を考えるひとときをもちたいと計画中です(→■)。幸い名護市教育委員会・仲宗根禎さんがこの日まで東京に滞在中。名護・屋我地の出身なので、具体的に集落(字)の活動等について少しお話いただければと期待しています。

 <「名護の逆格差論、再評価を」(朝日新聞 3/2)>
 
関連して。3月2日の朝日新聞・社説「余滴」が名護市の総合計画「逆格差論」について書いています。まず、稲嶺進・前市長の退任式の様子を「いまも忘れられない」と。「稲嶺氏は、集まった大勢の市民から「名護の市民でよかった」「進さん、ありがとう」と声をかけられ、抱えきれない花束に埋もれ、最後は胴上げまでされて市役所を去った。」
 その上で、1973年の名護市「総合計画」の「逆格差論」の理念に注目。日本復帰の翌年、この計画は「一次産業や地場産業を重視し、自然に囲まれた暮らしこそ真の豊かさだ、と説いた。本土や都会との格差は、創意工夫で逆に自立した豊かさになるのだと。・・・改めてこの総合計画をめくると、地域への深い愛情と自立経済を求める熱い思いがあふれている。新市長誕生を受け、政府はさっそく再編交付金支給の準備を始めた。そんな時だからこそ、市民の手でもう一度、この理念を検討し直してみてはどうだろうか。(野上隆生)」


3915号【 3月 1日】
■≪三・一独立運動
 三月弥生を迎えました。東京では朝から春の嵐、と騒がしく予報が出ていましたが、風雨たいしたことなく、その雨も確かな春の気配。ようやく寒さが和らぐ日々となったようです。故障の身は、ことさら季節の移ろいを感じます。そして花粉症の到来も。
 本号は今年の「やんばる対談」ご案内を書いて、配信寸前のところ、年報編集委員会(編集長・李正連さん)より、『東アジア社会教育研究』第23号への自由投稿呼びかけが届きましたので、急ぎ差し替えました(上掲)。とくに正連さんの添え書きに「今日は3月1日、1919年植民地「朝鮮」で「三・一独立運動」が起こった日」とあり、この呼びかけ文は「3月1日」に出さなければならないと思ったのです。
 小林ゼミ(東京学芸大学・和光大学合同)は、1995年をはさんで、数年「日韓文化交流基金」の援助を得て、韓国への旅をしました。年度末で春休みということもあり、また「三・一独立運動」への留意もあって、3月1日を含む日程を組み、一行毎回15人前後の賑やかな研修旅行。学生・院生が中心でしたが、末本誠(神戸大学・当時)や島袋正敏・比嘉久(名護)などの皆さんが同行された年も。今は亡き黄宗建先生たちに迎えていただき、金宗西先生から教育改革のお話を伺った年も。懐かしい写真はホームページ「古いアルバム」に収録しています。ああ!両先生とも亡くなられました。→■ http://www.bunjin-k.net/hwang.htm
 滞在中、3月1日にはソウル「タプコル公園」(三・一独立運動の発祥地)へ。熱烈なおじさんが朝鮮民衆の独立運動の話を聞かせようと待ち構えているのです。この日をはさんで、プサンで「創氏改名」や「いまなぜ文解運動に取り組んでいるか」の話を聞いた年もあり、光州で「希望学校」(識字実践)を訪問したことなど、今ふりかえってまことに印象的な「3月1日」の旅の思い出。

3914号【 2月26日】
■≪2月定例研究会の賑わい≫
 あっという間に2月も終わりが近づきました。退院してちょうど1か月半、2月定例研究会(2月23日夜、高井戸)へ出席。この日まだ杖をついていましたが、(タクシーではなく)電車で会場まで。会が終わってイーストビレッジ・懇親会も最後までお付き合いできました。退院後初の1月定例会の時より動きが自由になってきている実感。少しづつ回復し、そろりそろり皆さんの仲間入りをさせてもらっています。こうして“復帰”していくのでしょう。
 しかし2月は大きな傷(手術)を負った身には厳しい季節、極寒に加えて大雪もあり。転んではたいへん!と3日ほど閉じこもった日もありました。1日動かないと1週間のリハビリがもとに戻るような錯覚を覚え、いま鎮痛剤から解放されているせいか、チクリチクリと古傷が痛む日も。外出の時間がながくなると、さすがに疲れてしまいます。23日夜・イーストビレッジの店を出て、前に停まっていたタクシーに倒れこむように乗り込んで帰りました。まだ1人前ではないのです。
 2月研究会(年報23号編集会議)は賑やかでした。名護から仲宗根禎さん(文科省に出向中、初参加)、久しぶりに高知から内田純一さん(TOAFAEC 初代事務局長)の顔も。今年の年報『東アジア社会教育研究』(23号)編集は新しく李正連さん(東京大学)が編集長。早速に当夜の記録が寄せられました(上掲)。今年の編集作業はやや遅れてのスタートですが、充実した年報に結実する予感。皆さん、お楽しみに。ご執筆・翻訳など各位のご参加・ご協力どうぞよろしくをお願いします。
 松尾有美さん(ソウルの風、東大院)から「帰国のご挨拶」、小田切督剛さん・呉世蓮さんからは当夜の写真を送っていただきました。有難うございました。
2月23日・研究会後「イーストビレッジ」、後列左より内田純一さん・仲宗根禎さん・李正連編集長ほか(20180223)


3913号【 2月22日】
■≪俳人・金子兜太さん逝去≫
 春節を祝う会や、今年の「やんばる対談」企画をどうするかなど、その時点のスケジュールを追うかたちで本欄を埋めていくと、ままに大事なことを見過ごして風が流れていく反省があります。
 1月から不調であった俳人・金子兜太さんが亡くなられました(20日、享年98歳)。この間、朝日俳壇に「金子兜太選」の十首が載らなくなって、寂しい思いをしてきました。その人がいない空白感。その復活を祈る句があちこちに。たとえば、19日の朝日俳壇「冴え返れ兜太戦後を終はらすな」(鹿児島・青野迦葉)など。隣の朝日歌壇にも。「『アベ政治を許さない』人病みたまうアベ政治なお続く厳冬」(水戸・中原千絵子)「兜太選休みの月曜ものたりぬ木の芽ふくらむ春待ち遠し」(鎌倉・谷本邦子)など。
 従軍の厳しい戦争体験をもつ世代。敗戦後に捕虜として復員する船の中で読んだ句。「水脈(みな)の果て炎天の墓碑を置きて去る」。このような痛切な句は次世代では詠めない戦争詠。大きな世界と厳しい歴史を重ねて多くの思いを湧かせてくれた骨太の俳人の死、心からご冥福を祈ります。
 南の風メンバー・長岡智寿子さん(基礎教育保障学会)からネパール研究の単著(『ネパール女性の社会参加と識字教育』明石書店、2月11日刊)を送っていただきました。1990年・国際識字年を契機とするフィールドワークから、すでに30年ちかい蓄積。力作を有難うございました。TOAFAEC研究会で、あらためて話をお伺いしたいもの。その節はどうぞよろしくお願いします。

3912号【 2月20日】
■≪復活の道を歩む幸せ≫
 2月18日の春節祝いの会、ご出席の皆さま、有難うございました。常連メンバーに加えて、はるばる奈良市(生涯学習財団)から稲富(阪口)和美さんや、思いがけなく名護市教委の仲宗根禎さん(文科省に出向中、4月帰任、やんばる島酒の会)の顔も見えて、嬉しくなりました。ご苦労さまでした。懐かしい皆さんと久しぶりにお会いでき、当方もまずまず恢復した姿で参加できました。身体的には杖をついて必ずしも完全とは言えませんが、心では自立(自分の脚で立つ)への思い、復活の道を歩んでいる幸せを、あらためて噛みしめる1日となりました。
 想い起せば、永福の新年会は1980年前後から。ほぼ40年が経過しています。当日も短く触れましたが、当時20歳の若者がいま60歳になった勘定。この間休むことなくよく続いてきたものです。在外研究で正月を留守した年(1987年)や入院騒ぎの今年は2月開催となりましたが、思い出つきず。1995年頃まで自宅を終日開放して、入れ替わり立ち返り(子どもたちまで含めると)なんと!50〜60人の参加。深夜に及ぶと酒の酔いも深まって、主二人は寝る場がなく、ホテルに泊りに行く始末。さすがに無理があって、近所の店で開催するかたちとなりました。しかし夜の会は変わらず自宅・風の部屋。最初の頃から田中美奈子さんなど、その後は江頭晃子さんや山口真理子さんなどスタッフが加わって奮闘いただいた歳月でした。その真ん中に小林富美が座っていました。この1日、あれこれ亡妻を偲ぶ機会に。ぶんじん自慢?の新しい股関節(人工関節)を見せたいものですが、それもかなわず。
 久しぶりの松尾有美さん(東大院)「ソウルの風」No.21(上掲)拝受。興味深く読みました。韓国で「東アジア」平生教育研究会が軌道にのった様子。松尾さんはいよいよ帰国とのことですが、余韻、書き残したこと、ぜひ続編もお願いします。
2018春節の会(西永福・蘭、20180218)



3911号【 2月17日】
■≪立春大吉≫
 2月18日(日)春節の会の当日、京王井の頭線は始発から「渋谷・明大前」間の運行がとまるようです。小田急線と交叉する下北沢駅の大工事、井の頭線の架橋とっかえ。ただし午前11時には動き始めるそうですから、1時開会の私たち「春節の会」に影響はないと思いますが、多少の乱れがあるかも。会場「蘭」は明大前の二つ先「西永福」駅(急行は停まらない)からすぐのところ。皆様のお越しをお待ちしています。
 本号は、春節にふさわしく、おめでたい(立春大吉)記事がならびました。まず4月「やんばる対談」は、前名護市長・稲嶺進さんを囲み語る企画が実現することになりました(上掲、島袋正敏さんメール速報)。明日の春節の会には先約あり参加できないそうですが、小田切督剛さんが出たばかりの「月刊社会教育」に『躍動する韓国』本の書評(江頭晃子さん執筆)を発見、「本当に嬉しい!」と。江頭さん「書評」は、韓国本から学んで「夢を語ろう・法をつくろう」と呼び掛けています。「日本も韓国同様、次の時代の共通した夢を、社会教育全体で大きな夢・理想像を持ちたくなった」との期待。風・編集ボックスにその原稿データが届いていたことを思い出し、小田切メールと並んで、書評・抄録をのせることにしました。(上掲、江頭さんご了承を!)
 見城慶和さん(夜間中学)から、墨痕あざやかな「立春大吉日」のおめでたいお札を送っていただきました。退院して、これから「大吉」の人生を創っていこうとする身には、なによりの慶事。お札揮毫に添えて15首の「立春詠」も。「立春の清新の気を充たさんと夜明けを待ちて外に出でつつ」に始まり、「きらめける光の中に彫るごとく立春大吉筆を運びぬ」までの連作。ありがとうございました。見城先生は明日の春節の会にお出でになるそうです。私たちの新年会は飛び入りも歓迎します。お気軽にどうぞ。
http://www.bunjin-k.net/2016sinnenkai.htm →■

3910号【 2月14日】
■≪稲嶺進さんと語る−やんばる対談企画≫
 南の風メンバーに毎年ご案内してきた恒例の新年会。今年は、ぶんじんの退院を待っていただき、2月・春節(旧正月)を祝うかたちでの開催となりました。世話人のご配慮に恐縮・感謝。「参加される方は2月14日までにご連絡を」(江頭晃子さん「ご案内」)を上掲しました。よろしくお願いします。→■
 大前哲彦さん(大阪体育大学)さんから「復帰早過ぎはしませんか。あまり無理をしないでください」とのメール、拝読。ありがとうございます。充分留意してまいります。当人は(寒さや雪もあり)むしろリハビリ的な努力が不十分、少し“頑張ろう”と考えているところもあり。ご注意を受けて、ややのんびりと動いていくことにします。
 一つの目標であった「やんばる対談」沖縄行き。前号に書いたように3月下旬ではなく4月下旬へ変更。それだけ無理をしない日程となりました。「対談」のテーマ・内容について、今日(13日)島袋正敏さんと相談しました。稲嶺進さん(前名護市長)が激務から解放された経過もあり、この機会に、1980年代の社会教育主事時代を含めての回想、いまの名護、これからの課題、などをお聞きする企画。参加者と「ゆんたく」的に語り合う「対談」を組んではどうか、という案になりました。日程は4月21日(土)午後(夜は懇親会−名護市内?)を予定。
 早速、正敏さんから進さんに依頼していただくことに。例年のようにその前日(20日)夜は、那覇で「おきなわ社会教育研究会」との交流会も開かれましょう。ご関心ある方はご予定を。スケジュールが確定したら、あらためてご案内を載せます。ご意見・ご要望(事前学習会など)あれば、遠慮なくお寄せください。

3909号【 2月10日】
■≪今年の「やんばる対談」企画・日程≫
 早くも名護では「稲嶺進市長の離任式」(2月7日)。花束をかかえ笑顔の稲嶺進さんの写真(現地新聞)を見ると、すがすがしさを感じますが、当日の市役所には市民500人があふれ「悔し涙、惜しむ涙あり」だったとのこと(上掲・島袋正敏メール)。なにかジンとくるものがあります。
 想い起せば稲嶺市政誕生の2010年、私たちは「やんばる対談」を始めました。辺野古基地だけの問題ではなく、名護の地域づくり、産業・暮らし・文化、つまり社会教育の視点から「ゆんたく」を重ねていこうと。毎年のTOAFAEC 年報に収録してきました。今年「対談」をどう進めるか。http://www.bunjin-k.net/yanbartaian2010.htm
 名護から帰った山口真理子さんより「やんばる対談」別メール。(10 Feb 2018 11:27) 「やんばる対談の第1回は2010年5月30日、テーマは“やんばるの地域活動・社会教育と2010年名護市長選”でした。その後8年間で全10回の対談が行われ、名護からやんばる地方に拡げてのテーマが語られてきました。(中略)今年の対談日程については、年度末や年度始めを避けて(3月24・25日頃ではなく)4月中旬以降に企画する案が出されました。テーマについては「自然と人」「やんばるの環境問題」など出されていますが、今回の市長選の経過もあり、いま少しお待ちくださるようお願いいたします。」(抄)
 日程変更案は名護側の意見。これを尊重して、4月21〜22日あたりの線か。市長選が終わったところで、テーマ・内容をどうするかを含め改めて「やんばる」と相談し、今年度「対談」企画を確定していくことにいたしましょう。

3908号【 2月 8日】
■≪勝者は安倍政権、敗者はこの国の民主主義≫
 名護市長選から4日が経ちました。名護(島袋正敏さん)はじめ、メールいろいろ。たくさんのことを考えさせられた4日。本号も「名護市長選」特集として編集し、発行寸前のところ、待っていた今月の定例研究会「案内」(李正連さん)、加えて同日その直前の韓国研究フォーラム開催お知らせ(呉セヨンさん)が届きましたので、急ぎ組み直して本号をお送りします。宜野湾からのメール、名護市長選カンパの報告などは次号おくりに。
 「名護市長選の陰の勝者は、安倍政権だった。そして陰の敗者は、この国の民主主義だった」と沖縄タイムス「記者の目」(2月5日)は書いています(北部報道部・阿部岳)。傾聴すべき一文。「稲嶺氏自身は公約を守り、民意を体現して阻止に動いてきた。日本が民主主義国家であるなら工事は当然止まるはずだった。」 「稲嶺氏の2期目が始まった2014年に辺野古の工事に着手。抗議行動を鎮圧するため本土から機動隊を導入し、16年の東村高江では自衛隊まで使った。」「安倍政権は名護の選挙の構図自体を4年かけて変え、市民から選択の余地を奪った。大多数の国民がそれを黙認してきた」と。
 「民意を背負えば、小さな自治体でも強大な権力に対して異議申し立てができる。沖縄に辛うじて息づいていたこの国の民主主義と地方自治は、ついにへし折られた。」

3907号【 2月 6日】
■≪自治・抵抗の歩み≫
 名護市長選、皆さんそれぞれにご苦労さまでした。思わぬ結果となり、まことに残念です。選対事務所を担った島袋正敏さん、わずかながら私たちのカンパを届けてくださった山口真理子さん、お疲れのなか選挙戦の実相や4日当日の緊迫・悔しい思い、を早速にお寄せ下さいました(上掲)。ありがとうございます。
 当日の朝日新聞「歌壇」には、こんな一首が選ばれていました。「私の一票が役に立てるなら行きて投じたし名護市長選」(所沢市・風谷 蛍)。名護から遠く離れて私たちは何ができるだろう。選者(永田和宏)は、選挙の結果も大事だが「注目し続けることが大事」と評しています。正敏さんの上記報告を読みながら、即興の拙歌ひとつ。「ドロドロの選挙闘い8年の 自治抗いの道われら忘れじ(ぶ)」。
 名護市では1973年『名護市総合計画・基本構想』が作成されました。ときどき引用される「逆格差論」と並んで、自治体「計画の原則」が示唆的。(1)美しい自然を守る、(2)生活・生産基盤の確立、そして (3)市の将来を市民の手で握ること(住民自治の原則)。集落の自治・字公民館の役割にも注目しています。
 辺野古の新基地計画は、単なる普天間ヘリ基地移設にとどまらず、軍港を含む新しい軍事基地への機能拡大。つまり「子や孫」世代にわたる将来が(市民の手ではなく)外から軍事基地として押しつけられようとしている。その重大な局面で稲嶺進市長は8年間格闘されてきたことになります。その歩みを忘れず、これからどのように取り組んでいくかが問われる。
 前号本欄に書いたホームページは、数日中に「予定」「案内」など更新できるよう努力しています。ご寛恕を。

3906号【 2月 4日】
■≪名護市長選・接戦、緊迫の夜≫
 前号の発行日は「1月31日」として出しましたが、実際には日をまたいで「2月1日」でした。ご訂正願います。さて本号(2月4日)は名護市長選の投開票日、厳しい様子、どうなりますか? 固唾を呑んで吉報を待ちながら、本欄を書いています。
 小生のパソコン「27日午後に突然トラブルあり。きっと病院ベッドの上での酷使・乱用に疲れ果てたのでしょう。再び木村雅俊さんに・・・」(風3903号)と書いた経過があります。南の風は木村さんのパソコをお借りして、この数号を配信しています。パソコン修復には少し時間がかかるようです。あわせてホームぺージの更新のため、HPビルダー・ソフトも用意していただきましたが、一部のHPファイルが文字化け、とくに本欄ぶ日誌の記録や各月スケジュールの更新ができず、1月27日のまま。上記2月定例研究会の案内も十分に書き込めません。ご了承ください。幸いに風の発行は(木村さんの配慮により)続けられそうですので、風・誌面をウオッチしてください。
 松本の村田正幸さんから退院祝いの信州地酒「明鏡止水」吟織、をいただきました(上掲)。ありがとうございました。2月18日の「文人の復活!と春節を祝う会」をまたず、早速に栓を開けて、ひとりでちびりチビリと楽しみ始めています。明鏡止水・実にいいお酒です。接戦の名護市長選のススム勝利を信じていますが、緊張の夜、なぜか酔いはまわりません。名護の現地には山口真理子さん(東京)・鷲尾真由美さん(那覇)がつめています。名護も寒いそうです。(4日午後10時)

3905号【 2月 1日】

■≪「社会教育、地域研究と高齢者支援の境界で」≫
 「名護市長選・稲嶺ススムさん応援カンパの呼びかけ」の送金先については、二つミスがあったということですね(風・前号、本号)。時間的にあわただしい「呼びかけ」作業、皆さん、関心をもっていただき、ありがとうございました(怪我の功名?)。山口真理子さん、ご苦労さまでした。しかも4日の投開票日には名護まで行かれるとのこと。何より稲嶺進さんの当選を期待し、島袋正敏さんはじめ選対事務局の皆様によろしくお伝えください。ぶんじんは(残念ながら行けまんが)初当選のとき(2010年)の選挙事務所テントの興奮を今でも忘れることができません。大前哲彦さんが小生のこと、心配してくださったことを改めて思い出しました。
 なお、TOAFAEC ホームページには、事務局ページあり、銀行口座・郵貯番号など記載していますが、この機会に点検・確認してみたところ、まったく間違いはありませんでした。 
https://secure02.red.shared-server.net/www.bunjin-k.net/jimukyoku.htm→■
 前号に関連してあと一つ。北海道・千田忠さんのメールを収録していますが、頂いたタイトルは「社会教育、地域研究と高齢者支援の境界で」でした。文中の「高齢当事者の組織づくりや学習活動をテーマにした韓国の研究者」を誰か知らないかとのお尋ねに気をとられて、こちらで勝手にタイトルをつけました。お詫びして追加補足、意味深い「境界」を記しておきます。お尋ねに関しては、やはり崔一先(チェイルソン、慶煕大学校教授)さんにお聞きするのが一番でしょう。昨年刊行した「躍動する韓国の平生学習」(エイデル研究所刊)の「高齢者」章を執筆された方、「南の風」メンバー、日本語は「風」が読めますから、大丈夫?と思います。

3904号【 1月29日】
■≪稲嶺進さんのこと≫
 昨日公示の名護市長選に3選を期して立候補した稲嶺ススムさん、TOAFAEC としても心ばかりの応援カンパの呼びかけを、というわけで昨夜送信した「南の風」3903号。寄金をお願いする銀行の「支店」記載が抜けていたそうです。「大ポカやりました。調布支店です。福岡の横山さんから指摘いただきました」と山口真理子さん(上掲)。あわせてパソコンの神様・木村雅俊さんから、稲嶺進さんの画像URL記載の誤りについてご教示あり、連日送信になりますが、急ぎ本号編集を思い立ちました。
 稲嶺進さんとは、1982年年の出会い(社会教育研究全国集会、富士見市)。40年近いお付き合いです。彼は当時まだ若い社会教育主事。小林研究室・沖縄ゼミの名護宿舎担当?をお願いしてきた。金のない学生・留学生に、名護でもっとも安い宿を手配していただく役。ずいぶん助かりました。その後は市長部局へ。総務部長、収入役など要職を歴任、再び教育委員会(教育長)へ。その後に市長へ。
 私たちとは沢山のエピソードがあります。「名護直送“丸焼き豚”を賞味する会」の前号の話。名護・全国集会(2002年)ではヒンプンガジュマル横ヒージャー屋で「山羊を食べる集い」(8月30日、幹事は進と文人)、それぞれに写真が残されています。0ヒージャー屋の写真は横に竹富の上勢頭芳徳さんの顔。
http://www.bunjin-k.net/2000schedule.htm→■
 沖縄研究フォーラムのページだけでも、稲嶺進さんの写真が何枚も。中秋の名月に博物館中庭で撮った小林歓迎の夜の写真(2007年7月1日)、二見情話を弾き語りするススムさん(2014年4月12日)などなど。
http://www.bunjin-k.net/okinawaseinen.htm→■
 和光大学プロゼミ生を歓迎していただいた図書館(館長;島袋正敏さん)での1枚は特に大事。「南の風一覧」表紙に7飾っています。学生とぶんじんは50歳の年齢差、このとき進さんは収入役か。
http://www.bunjin-k.net/kazeitiran2.htm→■

■≪別記1月定例研究会(1月26日・第246回)記録→■
   
写真・上(小田切督剛さん撮影)、下(呉世蓮さん提供)




3903号【 1月28日】

■≪春の「やんばる対談」≫
 寒い日が続いていますが、皆様お元気にお過ごしでしょうか。東京に積もった雪は、まだ消えず、道の両側に氷りついて残っています。杖をつく身には厳しい環境。何より転倒だけはしないように病院から注意されているので、つい閉じこもりがちに。沖縄は「ムーチービーサー」(お餅の季節の寒さ)というらしい(上掲・山城千秋さんメール)。
 春の「やんばる対談」日程は一応3月下旬の線、「たとえば24〜25日あたり」を第一候補に考えていますが、千秋さんは都合がつかないらしい。武田さん、桑原さんなどご参加予定各位のご都合はいかがでしょうか。他に参加希望の方があれば一報願います。今年の日本社会教育学会大会が予定されている名桜大学・嘉納先生のご意向もお聞かせいただければ幸い。テーマについて「自然と人」「やんばるの環境問題」をめぐる歴史・運動・社会教育について、島袋正敏さんと相談(第一次)しましたが、まだ決定ではありません。日程ともども名護市長選・投開票後に確定することになります。ご遠慮なくご意見、ご希望をお寄せください。ぶんじんは((あと2か月ちかくあるので)頑張って、沖縄行きを実現したい思い。
 本号冒頭に「名護市長選・稲嶺ススムさん応援カンパ呼びかけ」(山口真理子さん)を載せました。ススムさんの必勝を期して、皆さんのご協力、ご賛同をお願いします。
 小生愛用のパソコン、27日午後に突然トラブルあり。きっと病院ベッドの上での酷使・乱用に疲れ果てたのでしょう。再び木村雅俊さんに2度も来訪いただき対応中。本号は木村さんのパソコンをお借りして配信しています。脱字・誤字などご容赦を。研究会の写真を呉セヨンさんや小田切さんから送って頂いたのですが、まだホームページにまで手がまわっていません。

3902号【 1月25日】
■≪やんばる・名護の闘い≫

 「南の風」はもともと「沖縄の風」。しかし沖縄の皆さんの「ゆんたく」はなかなかメールのかたちに至らず、沖縄の気配がない「風」になりがち・・・そうなってはならじと、【おきなわ短信】シリーズ(いま1294号)を組んできました。「南の風」には毎号必ず「沖縄」が登場する!との評価を得てきたところです。
 ところが本号、各地(韓国、北海道、和歌山など)からの便りがあふれて嬉しい悲鳴。【おきなわ短信】は休載(武田拡明さんの上掲「やんばる対談」の期待が沖縄テーマ、だから許していただこうと)。にもかかわらず本号なお長文。しかもその上に連日の風・配信となってしまいました。
 そよそよと吹くのが風の身上、連日の激風では煩わしく、かえって読まれないよ、との苦情を承知の上、皆さん元気、ぶんじんも復活しつつある証(あかし)として、どうぞ読んでやってください。
 さきほど名護に電話しました。南城市長選65票差のような激戦になるだろうとセイビンさん。ちかくに稲嶺ススムさんもいたらしく、電話に出てくれました。久しぶりの市長「闘っていきますよ!」と大きな声。気迫が伝わってきました。ぶんじん「みんながススムさんに期待してるよ!」
 今年の「やんばる対談」日程は3月下旬(たとえば24〜25日あたり)の線、テーマは「自然と人」にかかわる運動など市長選後に決めることになりました。

3901号【2018年1月24日】
■≪年始めの研究会≫
 前号に書いた「社会復帰」の次の一歩は、金曜日(26日)夜、私たちの定例研究会です(上に案内再掲)。この夜が来ることを楽しみにしてきました。昨年7月の研究会(第241回)以来のご無沙汰、すでに半年。この間、佐賀で開かれた「東アジア(日中韓台)生涯学習国際フォーラム」(12月)についての報告をまとめて聞けるとのこと。願ってもない機会です。
 この話題は、今年のTOAFAEC 年報23号の編集構想、とくに特集テーマをどう設定するかにも関連してきますね。23号編集長(東大・李正連さん)は韓国出張中らしい。この夜は参加者で自由に意見を出し合って、それを編集長に伝え、2月以降の編集会議で具体化していくという段取りでしょうか。
 ここまで書いたところで、玄関のブザーが鳴りました。やっと起きあがって杖ついて出てみたら、上掲・上平泰博さん(協同総合研究所)の顔。銘酒(石川酒造)「無濾過」持参での来訪でした。「ほのぼのと味わい」恐縮しつつ拝受。玄関先だけで失礼しました。次回はゆっくりと。元気そうで何よりです。
 韓国からヤンビョンチャンさん、川崎の武田拡明さん、江頭晃子さん「春節祝いの会」ご案内などの便りが届いていますが、本号も長くなりますので次号おくりといたします。



*南の風3851号〜3900号→
                         TOP