沖縄社会教育研究フォーラム(2)20162019  
                     TOPページ

関連

A,(戦後)沖縄社会教育研究会1(1976〜1985年)→■
  
沖縄社会教育研究会2
(1986〜1995年)→■
  
アジア・フォーラム
(留学生ゼミ・1989〜1995年)→■   
B,1995年〜1999年
(TOAFAEC)スケジュール記録→■
   2000年〜2003年・スケジュール記録→■
  2003年〜全スケジュール(月別)、南の風・ぶんじん日誌・全記録→■
C、
沖縄社会教育研究フオーラム(1)2005→■

   沖縄社会教育研究フォーラム(2)2016−やんばる対談など〜
本ページ 
  沖縄社会教育研究フォーラム(3) 2019■
次ページ
  やんばる対談・解題・別冊「対談集」→■
  戦後沖縄青年団運動の証言(2018→■

<目次>
24、2016年4月・やんばる対談  南の風3645〜47号〜(2016年4月1日〜5日〜)
25、2016年・やんばる対談終わる 南の風3662号ほか
26, 同上 やんばる対談・まとめ「解題」→■
27, 全国集会(第56回・明大)「この指とまれ−「沖縄を囲む」」 内田純一(南の風3714号)
28, 八重山を語る(第234回(2016/12/16)定例研究会) 山口真理子 (南の風3771号)
29, 2017年3月・やんばる対談企画  南の風3795号〜 (2017年2月16日〜)
30, 那覇「おきなわ社会教育研究会」との交流(3月22日) 南の風3812号
31, 2017年・やんばる対談(第10回)の記録 南の風3813号
32, 「沖縄のビデオと証言」(TOAFAEC6月定例研究会・第240回)案内、南の風3844号
33, 2018年・やんばる対談(第11回) 南の風3916号
34, やんばる対談・事前学習会(TOAFAEC/248回・3月定例会)→研究会記録■
35, やんばる対談・記録 山口真理子 *南の風3934号
36, 記録・最終稿へ *南の風3970号(8月18日
37, 『やんばる対談集』(合冊本)刊行 *南の風3981号(9月17日)
38, 文人先生のトーカチ祝い(10/5)ご案内   *南の風3982号(9月20日)
39, トーカチ祝い、台風25号のため中止  *南の風3986号(10月3日)
40, 戦後沖縄青年団運動を担ってきた人たち 沖縄社会教育研究フォーラム編、2018年12月
41, 2019年やんばる対談・ぶんじんトーカチ祝い 南の風4024号・20190210 写真
42. 沖縄の基地問題と地方自治のゆくえ(辺野古を考える) 263定例研究会 2019年6月28日

第7回「やんばる対談」。右より2人目に島袋正敏さん、4人目に韓国・崔一先さん(慶煕大学) - 蔓草庵,、20150328-



                        TOP




24、2016年やんばる対談・企画  南の風3645〜47号(2016年4月1日〜5日)
         島袋セイビン、黙々100年塾蔓草庵(名護・底仁屋) Wed, 30 Mar 2016
 <今年の「やんばる対談」企画案> 南の風3645号
 ここ蔓草庵の周りではウグイスが本調子でさえずっています。遠くでアカショウビンの鳴き声も。夜は側の老松の枝でアオバズクが。
 さて、やんばる対談のこと連絡遅れお詫びします。対談の柱「学校と地域」と題しての企画、次のようなトピックスがあげられましょう。社会教育、地域とのかかわり(例えば 4小学校1中学校統合の小中一貫教育校・緑風学園の総合的学習などへのPTA・エコツーサイト・地元漁業組合などの支援など)。
蔓草庵もかかわる、市内幼小中校への名護民話の会による紙芝居、読み聞かせ(宮城孝子会長を中心に)の動きなど。名護市教委・文化課(市史編纂係)と博物館が、毎年慰霊の日を中心に、北部の高等学校生徒たちの「やんばるの戦争」で戦跡などの現地学習と企画展を何十年も続けていることも。
 社会教育側から地域と学校を結ぶコーディネーター配置や諸事業事など報告が。他に二見以北の公民館と道の駅(わんさか大浦パーク)の動きも話題にしても(運営費を字公民館が積み立てて出資など・久志地域交流推進協議会や同地域エコツーリズム推進協議会の活動なども?) 
 見城先生から夜間中学校のこともお聞きしたい。など等ですが如何でしょうか。対談後は夕方から中央公民館工作室で交流会を楽しく、と考えております。ご意見とアドバイスをお願いします。当日を楽しみにしております。

 日程 4月23日(土)〜25日(月)
 1、4月23日(土)午後7時〜 おきなわ社会教育研究会との交流
   場所:「ぶながや」〒900-0014那覇市松尾1-1-2 レグザリウボウ2F、098-860-9898。
   県庁北口(国際通り交差点)角の2階
 2,4月24日(日)午後2時〜5時 
(第8回)
やんばる対談
   場所:名護東海岸・底仁屋「蔓草庵
   終了後・名護市内へ戻って交流会。名護市中央公民館工作室 宿・山田荘

 <地域の元気と学校の活力と> 小林ぶんじん 南の風3646〜47号
 やんばる対談は、名護市長・稲嶺進さんの登場(2010年)を契機としています。辺野古の新基地問題だけでなく、名護の地域づくり、とくに社会教育の独自の歩みと課題・展望を自由に語り合っていこうという構想。小林と島袋正敏が企画・進行を担い、スタッフとして山城千秋・山口真理子(敬称略)など参加。第1回対談はこの4人でした。第2回以降、場所を東海岸・底仁屋のセイビン自由空間(蔓草庵)に移し、名護社会教育の実践・運動の蓄積、在来資源・生きもの復活、琉球アユを呼び戻す運動、祭りや民話採集の取り組み、字誌づくり運動、そして稲嶺市長の施策として地域配置された社会教育主事集団の若い世代の登場、その“地域を元気に”する実践の模索・格闘が語られてきました。
 今年は、夜間中学の見城慶和・関本保孝お二人、それにカメラ・小林チヒロさんも参加されるという話も伝わり、前号・島袋正敏メールにあるように「学校と地域」をテーマにおいて、これまでの対談を活かしつつ、地域の元気と学校の活力について語りあることになりました。(南の風3646号)

 「やんばる」と出会い、通うようになったのは海洋博後の1978年頃。やんばる型の独特の集落の風景が実に印象的でした。集落に寄り添って設置されている小さな学校のたたずまい。学校を取り囲む塀もなく、そのまま地域に開かれ、地域とつながり、同時に地域の拠点となっている様子が景観として見えてくるところがありました。
 しかし、その後は学校の管理のこともあり、地域から遊離していく傾向が生まれてきたのでしょう。さらに過疎化・少子化の流れのなかで(上記・セイビンさんメールにあるように)学校自体が統廃合されていく地区も出てきました。いまあらためて地域と学校のつながりを、双方の元気と活力がどう結んでいくか、課題として問われているように思われます。手さぐりの、さまざまな努力が重ねられている、そんな動きに社会教育がどう関わっていくか、“ゆんたく”の語りあいが楽しみです。(南の風3647号)

 <「やんばる対談」(ユンタク会)楽しみに>島袋正敏(4月19日)南の風3656号(4月20日)
 親戚の祝い事で、14日から石垣市へ出かけていましたが、ホテルに戻ると熊本地震のニュースを見て、その猛威と被災状況に驚きました。まだ余震が続いている報道、被害の深刻さに驚いています。再稼働した原発も気になります。
 やんばる対談ユンタク会のことですが、これまでの最大規模20名超えそうですね。何とかこちらの人数を減らそうと努力しているのですが、それでも10名越えそう。
 テーマは名護版「地域づくりと社会教育」で、「地域と学校」を軸に社会教育が取り組んでいる「学校・家庭支援活動」、「市青少年育成協議会各支部のこれまでの動き」、読み聞かせ、紙芝居、語りの活動を長年続けてきた「名護民話の会」(宮城孝子さん日程調整中)の報告など。
 また見城先生と関係者から夜間中学校、フリースクールのこと、珊瑚舎スコーレのことを学びたい。
 それに久志地域の「二見以北10区(公民館)とわんさか大浦パーク」(道の駅)の取組みを話題(公民館が出資・花街道への取り組み・民泊・モノづくり)など。内容が盛沢山になりそうです。文人先生のリードで乗り切りよろしくお願いします。
 晴れればテントの下、雨の折は蔓草庵屋内になります。夕方から(市内に戻って)中央公民館工作室にて交流会をもちます。楽しみにしております。

 <ゆんたくを楽しみに> 小林ぶんじん 南の風3656号(4月20日)
 ・・・今年もまた「蔓草庵」にお邪魔しますが、初めて参加の方々の期待もあり、どうぞよろしくお願いします。大きな1石カメに注ぎ入れる43度古酒を3本ほどご用意いただけないでしょうか。本来は私たちがさげていくべきですが、島酒のこと。例年のように甘えて・・ご用意いただければ幸いです。
 当日は“ゆんたく”を楽しみましょう。お話がいろいろ出るようなので、もし関連して何か資料でもあれば助かります。初めて参加の方には名護の地図があれば理解が深まると思います。見城先生から(短い時間でも)夜間中学や自主夜間中学の運動についてお話しも伺いたい、との希望が寄せられていますので、どうぞおろしくお願いします。

 <那覇で会いましょう>  小林ぶんじん 南の風3657号(4月22日)
 熊本の山城千秋さんから元気なメール「今日は余震に大雨です」が届きました(上掲)。「やんばる対談」にも参加できるとのこと。よかった! 折り返し千秋さんに出した返事(Thu, 21 Apr 2016 16:30)をそのままご紹介します。
 「メールありがとうございました。熊本の大揺れ、いろいろ大変なことでしょう。23日からの沖縄(やんばる対談)、山城さんが参加できるかどうか心配していましたが・・・福岡に移動して沖縄に飛べるようで何より、助かりました。やんばる対談は“ゆんたく”で進めましょう。
 見城先生たち夜間中学関係者は23日昼前に那覇着。その日午後は珊瑚舎と連絡、生徒さんも出てくれて、珊瑚舎で交流だそうです。おきなわ社会教育研究会との交流会は7時から「ぶながや」(国際通り・県庁角)ー小林は午後6時半に空港着。ちょっと遅れます。できれば、ここで24日〜25のこと、相談できればと思っています。見城先生たちの帰りは、25日18:35那覇発、小生はそのあと20時・那覇発です。では23日ぶながやで会いましょう。」
 さきほど来た千秋さんの返事(Thu,21 Apr 2016 20:11:17)。「…ご心配おかけしております。22日夜、沖縄にひとまず帰ります。…土曜日は、ぶながやに直行します。あまり役割を担えず、申し訳ございません。沖縄でがんばります。」

 <那覇にて>(4月22日)
 いま(23日夜)那覇のホテルで書いています。夕刻に空港着、「おきなわ社会教育研究会」との交流会が終わってホテル・ルームに戻ったところ。昨年の7月に「85祝い」で名護に参上した際も、台風騒ぎで那覇の皆さんには失礼しましたので、なんと2年のご無沙汰。沖縄とのお付き合い40年のなかでも、こんなこと初めてです。懐かしい顔ぶれにお会いでき、昔を想い出して一気に元気をとりもどしました。
 交流会では、見城慶和・関本保孝・小林チヒロ・豪華3氏より、資料を添えて本格的な夜間中学のお話があり、一同ともに印象深い夜となりました。ぶんじんは、私たちの沖縄社会教育に関する研究が今年40歳を迎えることを申しあげました。喜納勝代さん「久茂地文庫」も同じ1976年のスタート、同じ年の誕生でした。しばし昔話のひととき。
 明日(24日)は、名護・蔓草庵「やんばる対談」へ。山城千秋さんが熊本から参加、玉那覇正幸さんも当夜誘われて、お二人の車に乗せてもらって北上します。そして鷲尾真由美さんの車も。名護よ、晴れてほしい!
おきなわ社会教育研究会との交流(那覇、20160423)



25、2016年やんばる対談終わる  南の風3659号〜(2016年4月27日〜)

 <やんばる対談ご苦労様でした> 蔓草庵 島袋正敏 (Tue, 26 Apr 2016 09:52)
 文人先生、やんばる対談ご苦労様でした。見城先生、夜間超学校のみなさんはじめてのやんばる対談ご参加ありがとうございました。いかがでしたでしょうか。山城千秋さん震災で大変な中参加ありがとうございました。毎回参加のみなさんにも感謝。
 私たち名護メンバーも勉強させていただきました。
 翌日は名護民話の会宮城孝子さん(写真)との聞き取りに時間を割いていただた文人先生、山口真理子さんご苦労様でした。テープお越しなど大変な作業になりますがよろしくお願いします。学校支援事業のまとめ資料は社会教育課から文人先生宛お送りします。みなさんありがとうございました。



 <やんばる対談、ありがとうございました。23〜24日の記録> 見城慶和、Tue, 26 Apr 2016
 この度は第8回「やんばる対談」に参加させていただきまして、ありがとうございました。2泊3日の沖縄での充実した学習旅行の余韻にひたりながらお礼のメールを書かせていただいたおります。
 1日目の23日には、珊瑚舎スコーレ・自主夜間中学校を訪ねました。休日にもかかわらずスタッフの星野人史さんや遠藤知子さんが迎えて下さり、出席して下さった10名ほどの高齢生徒さんたちとの懇談会を持つことができました。14年前に映画「こんばんは」の上映を企画して、自主夜間中学の開設を後押ししてくれた、沖縄映画センターの本村初枝さんも駆けつけて下さって、実り多い話し合いとなりました。夜は「ぶながや」で「おきなわ社会教育研究会」の交流会があり、小林先生をかこんでの「ゆんたく」に時間を忘れました。
 24日・25日の両日、私たち夜間中学関係の3人は大変な地震災害の最中にもかかわらず、熊本大学の山城千秋先生にお車で基地や史跡見学の案内をしていただきました。
 待望の「やんばる対談」には圧倒されました。語り合うこと、記録し続けること、それを世代から次の世代へとつないでいくことの大切さを痛感させられました。蔓草庵の島袋正敏さんご兄弟は、生き方や風貌なと、現代の李白か寒山拾得かと私には感得されました。
 こここそはまさにしたたかな平和の砦であると感動しました。 そして、沖縄では人徳のある人を「あの人はジンブンがある」という言うそうですが,まさにすばりで今度から小林先生のことを小林文人-人文先生と呼ばせていただこうと思いました。重ねて心からのお礼を申し上げて失礼します。              

*小林(やんばるの雨暖かく)南の風3659号(2016年4月27日)→

やんばる対談の夜、交流会(名護市中央公民館、20160424) 山城千秋提供


 <今年(2016)のやんばる対談について>
         武田拡明(Sun, 1 May 2016 11:53) 南の風3662号      
 小林文人先生、山口真理子さんそして島袋正敏さん他名護の職員の皆様、熊本から駆けつけてくださった山城先生、南の風の皆様へー今年もご一緒にやんばる対談に参加させていただき、文人先生始め名護の皆様と楽しいゆんたくができ、名護の社会教育から元気をもらえたことに感謝を申しあげます。ありがとうございました。 
 今年は、「学校と地域」というテーマのもとで名護ではどんなスタンスで学校支援が取り組まれているのか、地域社会教育主事はどんな関わりをしているのか関心があり参加させていただきました。もうひとつは、大浦わんさかパークに配置された、名護市地域コーディネーターの地域おこしの仕事と社会教育との連携・協働がどう展開されているのか見てきたいと思っていましたが、後者は実現できず次回に持ち越しとなりましたが、前者は島袋一平さん等の説明によって学校支援の姿が具体的に見えてきました。
 私の予想では、総合学習の時間でものづくりの仕事や昔あそび等を地域の先生として実演してもらったり、学校側のリクエスト・ニーズに対して求めに応じて紹介・派遣したりする業務をしているのではないかと想像していたのですが、名護市では国の地域・学校連携事業を活用し、コーディネーターを配置して地域と学校をつなぐ連携業務を行っているとの説明があり、この事業は毎年継続して利用し、定着していることが翌日の名護民話の会の宮城孝子さんからの詳しい説明からも理解することができました。コーディネーターを窓口として子ども達に民話を語ってほしい時間・場所等の依頼があるということで、A小学校では毎週金曜日の朝のクラス時間に、読み聞かせの時間が15分間毎週組まれている様子もわかりました。
 驚いたのはその規模で1〜6年生までのほぼ全クラスで、民話の会メンバーが教室に入り、紙芝居を使って読み聞かせをしている様子が資料によって理解できました。20名もの会員が各クラスに一斉に入り子ども達に読み聞かせをして聞かせている様子はさぞ壮観と想像され、名護ではこのようにして学校支援を続けられているのだなあ!と感心しました。しかもこのような読み聞かせ活動を支援しているのは博物館であることに驚きましたが、違和感を感じることもなく、むしろこの形が名護市ならではの独自な取り組みと感心して聞いておりました。通常本土では読み聞かせ活動の支援は、社会教育の中でも図書館の活動と守備範囲が決められていて、市民の読み聞かせ活動の支援、ボランティア人材育成を博物館が担っている姿は考えられないのですが、名護では博物館活動の一環として積極的に支援をしているのです。その理由は正敏さんや比嘉久さんの話から読みとれました。
 地域の民話を掘り起し、語りつぐ活動は地域の大切な無形文化財で、博物館の仕事だという認識が名護の社会教育職員に共通理解としてできているのです。宮城孝子さんの話では、学校に読み聞かせに出ていく時の民話の会の名刺まで博物館職員である比嘉久さんに作ってもらったとうれしそうに語っていました。この市民との協働の活動が切れ目もなく長年継続し、市民との繋がりを強く保ちつづけて支援できていることこそが名護の社会教育の強さ、力になっているのだと改めて確認できた今年のやんばる対談でした。在来の生物種の保存・収集・記録にとどまらず、字誌に代表される無形の生活文化の保存・収集・記録も社会教育の仕事だという強い信念があり、民話の会の活動をビデオやデジタル記録に保存し、出版までするのも職員の仕事だとの責任感が強く感じとれました。そしてこのような活動が何故名護で盛んなのかが比嘉久さんの話から納得。ご自身の学生時代の遠藤庄冶先生との出会いから始まり、民話の話者としての山本川恒さんとの出会い、そして行政の民話調査の相談窓口だった中村誠司さんとの出会いがあり、この出会い、きっかけが民話採取・収集の仕事を社会教育の仕事として続けていく力となっていくことが理解できました。(※TOAFAEC17号P124~135参照)。
 本土では類をみない民話採取・保存活動の展開が、地域で、学校で、そして各団体の活動に幾層にも立体的につながっていく姿が見られます。本土の社会教育部門が廃止ないしはリストラされ縮小されていく現実を知れば知るほどに、字を単位としてこれまで築きあげてきた名護社会教育の底力を思いしらされ、研究対象としても奥深いものがあることを再確認することができました。
 さらにひとつ感動したことは、やんばる対談終了後の交流会席上で紹介された源河地域の字誌の完成です。島福さんが紹介していましたが20年かかったとのこと。このようにして名護の社会教育活動は時間をかけてゆっくりと流れてきたのですね。活動成果をあせらず、急がせないでじっと完成するまで待つというスタンスで成果が出てくるまで待っている姿勢が大切なことを知らされ、中村誠司さんが交流会でおっしゃっていた「(住民の)記憶を記録する」ことが重要だ!という一言と共に、名護社会教育の精神が表されているのだと思えて忘れることができません。 

名護民話の会による紙芝居(昔話を聞く子どもたち、100222)



26、2016年やんばる対談・まとめ解題→■

27,全国集会(第56回・明大)「この指とまれ−沖縄を囲む」
                内田純一(Wed, 24 Aug 2016 02:40)
 年も沖縄・名護市から社会教育課長の佐久川純さんと社会教育主事の大城重浩さんの2名が全国集会に参加されるとのこと。あるいは名護以外からも沖縄からの集会参加があるやもしれません。海を超え、遙々お見えになるウチナチュを歓迎し、交流の機会を持ちます。
 名護市では、稲嶺進市長誕生以来、各地区支所に社会教育主事を新しく配置し、教育委員会を含めると7名の若い主事集団が活躍してきました。彼らは区の祭事(例えば4月の「虫払い」など)に参加することから始まり、子ども会や青年会、婦人会や老人会、農業や福祉、保健や安全といった地域活動を「字公民館」で共にするなかで、「地域に暮らす誰もが元気に」をモットーに、懸命に地域づくりを支援しています。
 当日は、こうした名護市の社会教育について、「ゆんたく風」に学び交流する予定です。またオール沖縄に代表される現代の情勢に関しても、東アジア・東南アジアの躍動を視野に入れながら、語り合えればと思います。「この指とまれ」はどなたでも参加できます。皆さま、奮ってご参加ください。
にちじ:8月28日(日)18時〜20時
ばしょ:明治大学駿河台キャンパス・リバテイタワー1086教室 連絡:内田純一090-9973-6179
★報告 内田純一(Mon, 29 Aug 2016 23:17)
 社会教育研究全国集会2日目の夜、沖縄・名護市から参加された佐久川純さん(社会教育課長)と大城重浩さん(社会教育主事)を歓迎し、交流の機会を持ちました。参加者は、札幌、群馬、栃木、東京、長野、高知などから、総勢15名。常連の方もいれば、新しい方もいらっしゃいました。
 お二人が持参された2本の泡盛と群馬の稲葉さん手づくりの漬物とお赤飯が加わって、時間も忘れて語り、歌いました。泡盛の1本は2002年沖縄集会時のもの、14年ものの古酒は、なんともまろやかな味でした。この「スリサーサー」ラベル古酒は名護でも希少だそうで、今回も島袋正敏さんの蔓草庵からだそうです。
 さて内容は、「ゆんたく風」にひととおり自己紹介を兼ね沖縄との関わりや思いを語り合ったのち、お二人からお話をいただきました。佐久川さんからは、社会教育との出会いは市立図書館設置準備室にあること、選挙管理委員会事務局時代はちょうど市長選挙と重なり、マスコミ対応等が大変だったこと、稲嶺進市長誕生以来、5つある各地区支所と本庁に7名の社会教育主事を新しく配置し、55の字(字公民館)を基層に地域づくり・社会教育を進めてきていること、などが語られました。
 大城さんからは、社会教育主事として最初に久志地区(辺野古を抱える)を担当してきたこと、いつも心で悩みながらやってきたこと、今は教育委員会で各地区と全体の支援を考えていることなどが語られました。
 会場に沖縄の地図を貼ったこともあって、自然とその前での会話が弾みました。参加者のなかには、泊まり込みで稲嶺選挙の応援を続けていた方や、沖縄の全国集会に一緒に参加した後輩が、そのまま名護の人と結婚し、現在名護市教育委員会で仕事(岸本久美子さん・社会教育主事)をしている話や、BEGINの歌に魅せられ「一五一会」(楽器)を購入した大学生、お連れ合いが昨年の県民総決起集会取材し、地元テレビで放映したその反響の大きさから逆に沖縄のテレビ局から取材を受けたことなども紹介されました。
 終わりの時間が迫るなか、大城さんの三線で我らが歌姫、山口真理子さんを中心に♪てぃんさぐぬ花♪ ♪二見情話♪などを歌いました。最後に全員でカチャーシーをと思ったのですが、それは小林文人先生たち(『大都市・東京の社会教育』出版の祝い)との合流に取っておこうということで、会を閉会しました。

28,八重山を語る(第234回(12/16)定例研究会)
      TOAFAEC事務局長 山口真理子(Sun, 18 Dec 2016 08:38)
お話:黒島安央(やすちか)さん(「学びリンク」八重山毎日新聞通信員)
    (1) 八重山と私、八重山の新聞や出版文化など
    (2) TOAFAEC と八重山」(小林ぶんじん)
参加者:小林文人,ハスゲレル,横山文夫,山口真理子,遠藤輝喜(忘年会)
内容:先ずは例によって、文人先生がホワイトボードに、さらさらと八重山諸島の地図を書かれて、島々の位置関係を確認。
・黒島さんの自己紹介は、ご両親の出身が同じ石垣島でも間切り(村、字)が異なることから始まりました。間切り単位の地域が、その人の拠り所(アイデンティティー)なのですね。父上の(自分の)出身地は石垣市の新川、お母様の出身は宮良(メーラ)。秘祭と言われる宮良の「アカマタクロマタ」のこと。「宮良には480の唄があり、それを全部唄えることが若者が一人前になること」(小林)など、地図も見ながら、八重山独自の話題となりました。
・通信員を務めている『八重山毎日新聞』のこと。『琉球新報』と『沖縄タイムス』が、いわば沖縄“全国紙”ならば、こちらは八重山の地域紙。別に『八重山日報』も出ているが、八重山地方で多く読まれているのは八重山毎日新聞。いま八重山地方で最も問題になり、記事として大きく取り上げられているのは自衛隊配備の問題だそうです。
・東京には八重山出身者の「郷友会」が12。石垣・竹富の前述の「間切り」(集落)毎に活動しているそうです。親睦の集まりというだけでなく、強い共同体意識に支えられ、親島(出身地)の人口が少なくなっているところでも親島の祭りも郷友会によって成り立つなど、親島をサポートする独特の役目も大きいようです。
・参加者・横山文夫さんの質問により、八重山の言葉はユネスコが消滅の危機にあるとする国内8言語(アイヌ語、八丈語、奄美語、国頭語、沖縄語、宮古語、八重山語、与那国語)であることが説明されました。
・小林先生からは、東京学芸大学の「戦後沖縄社会教育研究会」時代から現在のTOAFAEC まで振り返ると、40年間の沖縄(社会教育)研究・八重山との交流に関わってきたこと。八重山については竹富島・与那国のフィールドワークが重ねられてきたが、地域・文化の古層には奥深いものがあり、完結した報告にはいたっていないことが話されました。
・忘年会(イーストビレッジ)には遅れて遠藤さんも駆けつけました。黒島さんは、八重山の写真集『来夏世(クナチィユ)』(小森一也、南山舎、2014年)を紹介、「世は稔れ」について独特の節回しの唄も披露されました。少人数ながらもいい忘年会となりました。黒島さんの更なるご活躍を期待いたします。
TOAFAEC/234研究会、右・黒島安央さん(高井戸161216)


29,2017・やんばる対談・企画
■島袋正敏(Thu, 9 Feb 2017 11:50)やんばる対談・日程−3月23日(木)午後2時〜
 やんばる対談の日程は、3月23日(木)午後2時〜で伊是名村・伊平屋の民俗資料館、本部町・今帰仁村・東村・恩納村・宜野座村・名護市の博物館のすべての連絡を今朝済ませました。東村だけは、中心スタッフの渡久山さんが産休後の育児休暇中ですが、参加をと言づけてあります。今回は、直接博物館活動に関わり全体を把握しているスタッフの参加を考えております。先ずは日程などの連絡まで。 
■小林文人:2017「やんばる対談」のお誘い *南の風3795号〜 (2017年2月16日〜)
 名護市に稲嶺進市長(もと社会教育主事)が登場したのは2010年。辺野古の新基地問題をかかえ、厳しいスタート(いまも多難)でした。この機会に、政治・基地問題だけでなく、地域づくり、産業おこし、集落活性化、そのなかでの社会教育の果たす課題・役割を自由に語らう場をつくる、そんな願いから「やんばる対談」はスタートしました。
 とりわけ沖縄独自の集落(字)公民館や、地域にねざす祭祀や文化のもつ意味、アメリカ占領下にも屈しなない住民自治のエネルギーと、そこで活躍してきた社会教育主事たち、博物館・図書館・市史編纂などの取り組みについて自由な“ゆんたく”を重ねてきました。今年で第10回。貴重な回想を含め、毎年の記録は年報『東アジア社会教育研究』に掲載してきました。各回「解題」(山城・小林)は、ホームページに収録されています。ご覧ください。→■
 島袋正敏さん(名護市の社会教育主事、社会教育課長、博物館長、図書館長等を歴任、TOAFAEC 副代表)と相談をして、今年の対談は「やんばるの地域博物館」をテーマに掲げることになりました。名護市だけでなく、初めて周辺の町村にも呼びかけ、「やんばる」地域で取り組まれてきた各博物館の思いや課題を交流しつつ、あらためて「地域博物館」の役割・可能性を考えあってみようという企画です。
 また前日には、那覇「おきなわ社会教育研究会」との交流会を予定しています。研究会の皆さんは1970年代からの沖縄社会教育研究の仲間。今年の年報・第22号・編集会議もかねた語らいとなりましょう。
 すでに栗山究・武田拡明・石川敬史(下掲)他の皆さんから参加の意向が寄せられていますが、今のうちだと割引の航空券もとれますので、ご関心ある方々の(早めの)参加ご計画をお待ちしています。なお関連資料(送付依頼)を手にして、事前学習会(日程案・3月17日夜)を開催してはどうかと検討中。
 <やんばる対談・関連の日程>
○日時:2017年3月23日(木)午後2時〜5時 場所:名護市・底仁屋「蔓草庵」(島袋正敏・主宰)
*終了後、懇親会予定(連絡先・島袋正敏さん:09097884727)
○前日(3月22日・夜午後7時〜)、那覇「おきなわ社会教育研究会」との交流会(連絡先・名城ふじ子さん:09045877934) 会場:国際通り入り口(県庁北口)角「ホテルロコアナハ」2階「ぶながや」予定
○やんばる対談・事前学習会(東京) 3月17日(金)午後7時前後から、風の部屋にて。

30,那覇・おきなわ社会教育研究会との交流
 東京では冬服、那覇ではそれを脱ぎすてて、シャツ姿になって「おきなわ社会教育研究会」交流会へ。平良研一、玉那覇正幸、佐久本全、名城ふじ子さんなど、いつものメンバーだけでなく、田場盛順・東武のお二人(いずれも元沖縄青年団協議会々長)の思いがけない参加があり、久しぶりの再会に話がはずみました。東京からは、小林文人、山口真理子、武田拡明、桑原重美の常連に加えて、初参加の栗山究、石川敬史のお二人。皆さん、有り難うございました。
 その席で東(あずま)武さんが詠んだ即興の琉歌。「今日の夕暮(ゆまんぎ)や 心(くくる)友(とむ)揃てぃ研究会 心うちとけてぃ語る嬉しゃ」 まさにその通り、1976〜77年の出会いからすでに40年の歳月、変わらぬ交流を確かめた一夜となりました。私たちの「沖縄社会教育研究会」(東京学芸大学社会教育研究室)創設が1976年。那覇「おきなわ社会教育研究会」はその翌年のスタート。これまでの研究会の記録を年報22号に寄稿していただくようお願いできました。執筆予定者は平良研一会長(沖縄大学名誉教授)。嬉しゃ!
 ホテルに入って、やっと受信できたメールのなかに悲報あり。竹富島ゆがふ館の阿佐伊拓さんから(Wed, 22 Mar 2017 17:15)。「病気療養中の上勢頭芳徳さんが本日(3月22日)、お昼頃逝去されました。享年75歳でした。告別式は、3月24日(金)11時30分〜12時30分、喜宝院(竹富町字竹富108)にて執り行います。芳徳さんとの縁のある皆様方へ、取り急ぎお知らせいたします。」 竹富島へ弔問に行きたい思いを抑えて、やんばる対談そして東京への帰途についたのです。(ぶ)


31,2017やんばる対談の記録

 山口真理子(Mon, 27 Mar 2017 11:34) *TOAFAEC (事務局長)
 <やんばる対談の記録>
  *きわめて断片的な報告です。発言者も全員を書ききれず。宜野座の学芸員の方が、たくさん、それも生き生きと発言されているのですが、長いので、割愛させていただきました。
(1) 那覇からヤンバルへ
 23日(木)朝、雨模様の中、今回の東京メンバー6名(前号ぶ日誌)は沖縄青年会館に集合し、2台のレンタカーに分乗して出発しました。今回は高速道ではなく、国道58号線(西海岸)をひたすら北上し、読谷を経てまず中泊へ。新館となった恩納村博物館に寄りました。アポなしでしたが、宮城利旭館長(もと沖縄市博物館長)は快く応対してくださいました。元々安い観覧料だったようですが、無料原則の図書館と一体化したこともあって、博物館も無料となったそうです。館(2階)に入ると、パーッと東シナ海が目の前に拡がりました。事務室からも海が見え、館長席は正に特等席、皆うらやましがることしきり。常設展示室も面白そうでしたが時間がなく、シアター「神々が護る村(シマ)」を見せていただいて、お暇しました。
 万座毛を過ぎた辺りで右折・県道へ、海勢頭豊が歌った喜瀬武原(キセンバル)を経て、東海岸(国道 329号)に入り、宜野座村立博物館に向かいましたが、残念ながらちょうど「お昼休み休館」中。こちらも昼食をと、辺野古を通って名護・西海岸「大浦わんさかパーク」へ。沖縄そば(てびち、そーき)を楽しみました。底仁屋の蔓草庵に到着したのはほぼ定刻。
(2) やんばる対談10(テーマ:地域博物館)
   
 記録:TOAFAEC年報『東アジア社会教育研究』第22号(2017年)所収
参加者
-―敬称略
 いつものように島袋正敏さんに迎えていただきました。山城千秋さんは熊本から既に到着。最近2年はテントでの「やんばる対談」でしたが、この日は雨の心配があり、蔓草庵・室内が会場。まわりは島酒が並び、中は人がぎっしり。
 いやぁ、参加者の多いこと。やんばる各博物館の面々−恩納村(後藤法宣)、宜野座村(田里一寿),今帰仁・歴史文化センター(石野裕子),東村(渡久山尚子),本部町(非常勤・国場さん)。名護博物館(比嘉久館長など4人)。加えて名護から中村誠司。また(栗山さんのお知り合い)子ども時代に名護博物館に参加した日高さん(滋賀・平和資料館)。国頭村・奥集落からは島田隆久夫妻。
 サプライズ参加は、協同総合研究所・上平泰博のお誘いによる組原洋,島袋(沖縄大学),野里寿子(児童文学者),村上了太(沖縄国際大学)など各氏。東京から−小林文人,石川敬史,栗山究,桑原重美,武田拡明,山口真理子。蔓草庵に入りきれず、帰っていただいた方も3人ほどおられたとか。
(3) 自己紹介、それぞれの博物館・参加者からの報告。
・恩納村−学芸員は1人。同じ建物内の図書館(情報センター)との協力、常設展示のほか、バーキ(竹かご)作りの講座等を実施。恩納村は細長い自治体、中泊の施設1館だけ、利用には立地的な難点がある。
・宜野座村−学芸員は1人。文化財と博物館の両方を担当。歴史・民話の紙芝居(30本あり)を使っての普及事業が特徴。1人では大変だが、逆に何でもやれて良かったと思うことが多い。「楽しくて楽しくて・・・」
・国頭村(島田隆久)−奥で使ってきた民具の収集を中心に民具資料を集め、名護の専門的な助力を得て、区で施設を持っているが、担当者はいない。中村誠司:奥には「共同店」を含め100年の積み重ねがあるのがすごい。 
・今帰仁村(歴史文化センター)−今帰仁城跡と共通の観覧料のこともあって観光客が多い。今帰仁城跡の紹介も、行けない人には便利、興味深い報告。 
・名護市−新博物館構想が7年くらい前に出た。現博物館の中庭の居心地の良さ。(中村:ぶりでぃを感じる,正敏:縁側と同じ,小林:拠点・たまり場・広場の役割など、この蓄積を活かしてどう新しく作っていくか。)
・東村−担当は1人・非正規。文化財を兼務している。生物(イノシシ、ハブ)の管理もある。利用者が少ないので、祭りの時などにチラシを配るなどの努力をしている。民泊の児童もくるので、何かお土産になるものが欲しい。     
・本部町−退職後に非常勤として赴任。その後東京の講習会で学芸員資格を取得。町制を記念して建設され、建物の歴史だけは古いが、当初内容の検討はなかった。名護ができた頃、参考にさせてもらった。 
(4) 参加者からの熱い論議

上平泰博−小林先生に呼応「住んでいる人がそのまま博物館・学芸員になる」。
野里寿子−住民と一緒に・子ども達も一緒に,空き共同売店の利用など。
島袋正敏−資料は元々使っていた物、触ることが大事。人手不足の厳しい状況にある。それをカバーするのがネットワークではないか。市町村立だけでなく、個人の蒐集や、建物もないようなものも含めて。
小林文人−暮らしの中の“地域博物館”の大切さ(地域的なもの、小さな施設の価値)“ぶりでぃ”市民参加(みんなで作る)の思想,横につながること。
後藤法宣(恩納):博物館が地域にとって大切な事を実感した。全ての地域に学校があり教師がいる。教師を地域に引っぱりこめないか。
田里一寿(宜野座):子どもと教師を巻き込む、博物館を学校教育につなげる。
(5) 感想:名護博物館以外は、ほとんど1人で、それも非正規の方もおられる
なかで、がんばって活動が拡がっていることが印象的。職員の多い名護市にアドバイスを求めたり、個々での繋がりはあるものの、このように一堂に会するのは初めてだったとか。今帰仁村の石野さんは、非正規や余所からの人も多いという事情もあり、3年前に始めてしばらく中断していた「女子会」を復活したい、と話されました。これを機会に、ネットワークを構築してはどうか、というのが今回の対談の中心テーマになったように思います。
 以上のご報告はきわめて断片的ですので、詳しい対談の記録は、秋に刊行予定:TOAFAEC 研究会年報『東アジア社会教育研究』第22号〈やんばる対談10〉をご期待下さい。(2017.9.18刊行予定)
(6) 湧き立った交流会

 お馴染みの市民会館(中央公民館)工作室での、恒例の交流会。飲食禁止の公民館で、唯一アルコールの飲める場所。谷正明さんのドイツ地域センター施設のお話を思い出しました。「飲食できる機能は必須」の条件に合致。 通りすがりの一般の利用者がしげしげと眺めていかれました。歓迎の横断幕は昨年の再利用、来年も使うことになるか?
 やんばる対談後、交流会に参加せずに帰った方が少なくありませんでしたが、この会にのみ参加の方も。那覇での交流会に来られた嘉納英明(名桜大学)、島福善弘(前博物館長)、佐久川純(市教育委員会・社会教育課長)、島袋一平(市教育委員会・社会教育)、名護博物館の田畑、田仲、社会教育主事の大城ほかの皆さん。
 挨拶と発言が相次ぎ、午後の対談の余韻から交流会でも熱気をもって論議が続いた感じ。やんばる博物館の今後に向けて、「やんばる博物館アッピール」「宣言」(仮称)のまとめが提起されました。7項目が黒板に書かれました。1、ネットワーワーク、2、地域個性…それぞれの館の個性、3、ぶりでぃ(みんなの手、住民参加)、4, 次代へつなぐ・子どの博物館、5、動く(活動的)博物館、6、生活者とつなぐ・くらしに根ざす、7、仕事は楽しい…無理はしない・やらされる仕事よりやりたい仕事を、など。
 文人先生が打ち上げ、正敏さんが補強し、宜野座の田里一寿さんも積極的に発言・解説しました。「顔の見える関係」ということも話されたような。この夜の沸き立つ議論を、どう整えまとめていくか、今後の課題となりました。やんばるの博物館の皆さんに期待しています。
名護市・底仁屋「蔓草庵」にて「やんばる」対談始まる(20170323)





32,「沖縄のビデオと証言」(6月定例・第240回)研究会−ご案内
       山口真理子(Tue, 6 Jun 2017 18:14) 南の風3844号
 夏日のお天気が続いておりますが、梅雨も近い空模様、皆さまお元気でお過ごしでしょうか。
 さて、6月と言えば(8月6日,8月9日,8月15日とともに)忘れてはならない沖縄慰霊の日(23日)の月です。この日は、日本軍の組織的抵抗が終わった日とされ(諸説あり)、復帰前の沖縄ではは公休日でした。今も地域限定の公休日として、沖縄県内各自治体の官公庁や学校は、休日となっています。
 その6月の研究会では、元NHKカメラマンの桑原重美さんに来ていただき、所蔵されているビデオを見せていただきながら沖縄についてのお話を伺います。
 桑原さんは「NHK 市民大学1984年10〜12月期 沖縄の歴史と文化」で、講師の故外間守善(ほかま しゅぜん)先生の映像部分を担当されました。外間先生と一緒に沖縄を巡るうちに、沖縄に魅せられ、個人でも頻繁に沖縄に足を運ばれるようになりました。小林先生とは(東京ではなく)名護市で島袋正敏・中村誠司など皆さんを通じての出会いがあり、その後、親しくお付き合いされるようになったということです。沖縄への旅も「やんばる対談」などよくご一緒させていただいています。
 共著書として「沖縄の祖神アマミク」(外間守善文・桑原重美写真)、ご著書として「南島の聖地と祭りー写真とエッセイによる聖地巡礼―」「続・南島の聖地と祭りーニライカナイをもとめて―」を出しておられます。
 定例研究会としては久しぶりの「沖縄」のテーマ、願ってもない貴重なビデオ記録と証言、ご関心ある皆様のご参加をお待ちしています。
日時:6月30日(金)19:00〜21:00
内容:@DVD「歴史みつけた 学童疎開」「仲宗根政善 浄魂を抱いた生涯」等を見ながら  
             お話・桑原重美さん(元NHKカメラマン)
A戦後沖縄社会教育史への証言・仲宗根政善先生(回想)  お話・小林文人先生
会場:杉並区高井戸地域区民センター第5集会室 03-3331-7841
    京王井の頭線「高井戸」駅下車3分(環八歩道橋を渡ってすぐ)
終了後(21:00〜)懇親会「イースビトレッジ」 03-5346-2077
当日の連絡先:山口真理子(TOAFAEC事務局) 090-1548-9595


33,2018年やんばる対談  南の風3016号(2018年3月4日)
 <「やんばる対談」、那覇(おきなわ社会教育研究会)、東京(事前学習会)>


 今年の「やんばる対談」について、この間「風」誌上で何度か(名護・島袋正敏さんと小林のやりとりを)載せてきましたので、関心をお持ちの方は大凡の経過をご承知のことと思います。これまでに確定した日程・内容等について、以下まとめてご案内いたします。
 今年度「やんばる対談」の大きなポイントは、日程が4月下旬となったこと、内容は名護市長選の経過をふまえ稲嶺進さん(前名護市長)を囲む集いを企画、東京では3月定例研究会として「やんばる」事前学習会を開催、などです。関心をお持ちの方で4月下旬の名護行き・対談への参加ご希望の方は、小林あてご一報ください。なお学生の参加は歓迎しません(2015年対談への不作法参加を想起して)。
 4月21日の当日までまだ余裕がありますが、フライト予約の関係もあり、やや早めのご案内となりました。那覇と名護の二日間のスケジュールは下記の通り。その前後の日程や企画、フライトや宿泊は各自でお進めいただければ幸いです。なにかご希望ご意見などあればお気軽にお寄せください。
◆3月定例(第248回)研究会・「やんばる対談」事前学習会ご案内
 日時:2018年3月30日(金) 19:00〜20:50
 内容:日本(東アジア)社会教育における「やんばる」の位置(仮)
         ―私たちはなぜ「やんばる」に注目するか
 話題提供:小林ぶんじん(TOAFAEC)、ゲスト・仲宗根禎さん(名護市教育委員会)、
 会場:杉並区高井戸地域区民センター第1集会室
     *京王井の頭線「高井戸」駅下車3分(環八を渡ってすぐ)
〇終了後(21:00〜)懇親会・仲宗根さん激励会:イーストビレッジ 03-5346-2077
 当日の連絡先:山口真理子さん(TOAFAEC 事務局長)TEL090-1548-9595
◆2018・やんばる対談(日程:4月20日(金)〜21日(土))
1、4月20日(金)午後7時〜「おきなわ社会教育研究会」との交流
  場所:「ぶながや」 県庁北口(国際通り交差点)角の2階
     〒900-0014那覇市松尾1-1-2 レグザリウボウ2F、098-860-9898
  当日の連絡先:名城ふじ子 090-4587-7934
2,4月21日(土)午後2時〜5時(第11回)やんばる対談
  内容:稲嶺進さん(前・名護市長)を囲む
   ―これまでの社会教育との関わり、8年間の奮闘、これからのことなど―
  場所:名護市・底仁屋「蔓草庵」(島袋正敏・主宰)
     *辺野古・二見を経て東海岸を北上、旧天仁屋小学校の前
 *終了後、名護市内へ戻り懇親会(予定)
  当日の連絡先・島袋正敏さん:090-9788-4727

34,2018年やんばる対談東京・事前学習会)
   
(TOAFAEC/248回・3月定例会)→研究会記録■
   南の風3927号・記録

35,2018・やんばる対談・記録   

○4月20日(土)午後7時〜 おきなわ社会教育研究会との交流
4月21日(土)午後2時〜 (第11回)
やんばる対談
 
 
内容:稲嶺進さん(前・名護市長)を囲む
  場所:名護市・底仁屋「蔓草庵」(島袋正敏・09097884727

◆やんばる対談を終えて(南の風3933号、ぶ)

 予定通り4月20日の「おきなわ社会教育研究会」交流(那覇)、21日の「やんばる対談」(名護)を終えて、22日夕刻、羽田にたどり着きました。前号に書いたように退院後の初めての、杖をついての旅。大丈夫かな、皆さんの迷惑にならないかと気にしながら、サポートを得て、なんとかスケジュール通り日程を終えることができました。一息ついているところです。
 那覇の名城ふじ子さん、名護の島袋一平さんには、それぞれ交流会のていねいな準備をいただき、有難うございました。思い出にのこる楽しい集いとなりました。訪問側の会計は山口真理子さん、丹念な心配り、いつもながらお疲れさま。
 今回の「やんばる対談」(11回)の語り手は稲嶺進さん(前名護市長)、まさに主役登場のかたちです。ゆんたくの雰囲気を大事にして、自由に話していただき、訪問側(15名)も遠慮のない質問・発言をさせていただきました。聞きたいことはたくさん、しかし時間は限りあり。山城千秋さんにテープ起こしと原稿化をお願いできた由、どうぞよろしく。いい記録にまとまること間違いなし。
 蔓草庵の庭では山羊3頭も対談を聞いていました。さわやかな風に吹かれ、後半はやんばるの雷と雨も私たちを歓迎してくれました。終了後は名護市中央公民館工作室での盛大な懇親会。夜だけ参加の古い友人も少なからず。皆さん、ご苦労さまでした。最後には稲嶺進さんの「二見情話」と「でんさ節」(八重山)。「二見情話」は以前に聞いたことがありますが「でんさ節」は初めて。情愛・哀切きわまりなく、酔いがまわりました。東京側からは、山口真理子さんの「tomorrow」、また明日へ!がんばろうの思い。
 ご参加の皆さん、二日間の感想・こぼれ話・言い残したことなど、風にお寄せください。4月27日の第249回定例会には、「やんばる対談」報告の時間も用意しています。ご都合のつく方はぜひご来会を。土産話はたくさん。初めての方も歓迎です。

蔓草庵の庭(中央・稲嶺進さんに年報22号を謹呈、右は中村誠司さん) 20180421、撮影・江頭晃子さん


◆やんばる対談ご報告−思い出すままに(南の風3934号山口真理子
 <那覇・名護「やんばる対談」のご報告>
(1)那覇の夜
 2018年、今年も「やんばる対談」に行ってまいりました。沖縄に着いた夜・20日は那覇市で「おきなわ社会教育研究会」との交流会。おきなわ側は4人に対し、訪問側は10人プラス沖縄在住のお二人(名桜大学・嘉納英明さんと沖縄大学<名>組原洋さんを加えて、総勢16人の賑やかな会となりました。幹事の名城ふじ子さん、大変お世話になりました。
 自己紹介では、それぞれの沖縄社会教育に接するようになったきっかけや深い思い、長い歩みが語られました。語り尽くせぬ方もいらっしゃったのではないでしょうか。親しいお付き合いの中でも初めて伺ったお話しがありました。
 佐久本全(まさ)さんは那覇市に社会教育課ができたばかりの時に就職され、那覇市社会教育主事の最初のたったお1人だったこと。名城ふじ子さんからは、ふじ子さん(とその上司)の判断と決断が、若狭公民館を現在の地に建設されることになったという興味深い裏話。“裏話”ですが、どこかに書いてほしいですね。
(2)名護への移動
 翌21日、一行は名護市に向かい3台に分かれて出発。途中経路は車によって様々。文人先生は横山孝雄さん(福岡)の車に乗られ、「やんばる対談」は初めての横山・黄丹青・江頭晃子さんにガイドしながらの道中。江頭さんが沖縄に対して、ひいては社会教育研究そのものに興味を持つきっかけになった読谷村をまわって、以前から交流があった沖縄大学・上地武昭さんのお宅に寄って、その後の積もる話をされたそうです。
 大浦わんさかパークを具体的な事例として名護市の地域おこしを研究テーマとする武田拡明さんの車には、外間守善先生のNHK市民大学講座で映像を担当なさった桑原重美さん、「やんばる対談」2度目の石井山竜平・上田孝典さんが同乗。同じ読谷村の残波岬、やちむんの里などを回って北上。那覇市在住・環境ネットワークの鷲尾真由美さんの車には山口が同乗して、名護市天然記念物「嘉陽層の褶曲」を見、辺野古に回りましたが、何と座り込みの最前列に喜納勝代さんを発見!その時は車を止められず、夢中で手を振りました。
 すぐに先生に連絡。先生は車をとめて勝代さんとお話しができたそうです。沖縄来訪の初期の頃には毎回のようにお世話になっていた勝代さんとの、偶然のうれしい再会でした。
(3)蔓草庵・やんばる対談
 底仁屋「蔓草庵」に到着。さわやかなお天気にテントが用意され、島袋正敏さんと中村誠司さん、東京でもお会いした名護市教育委員会の仲宗根禎さんのお迎えを受けました。
 山城千秋、嘉納英明、上平泰博(協同総合研究所)の皆さん、上平さんが誘われた初めて参加の西谷修(フランス哲学)、昨年も参加の組原洋、野里寿子(児童文学)、島袋隆志(沖縄大学)の皆さんが参集。そして主役の稲嶺進さんも到着されて、21名による対談が始まりました。
 先生のご挨拶と参加者全員の簡単な自己紹介の後、正敏さんからは歓迎のご挨拶、本題の進さんのお話し。自分史的なことから、社会教育主事時代、市長時代に心掛けたことなど、適宜入る質問にもお答えいただきながら、時に先生からの解説的なお話を交えて対談は進みました。
(4)稲嶺進さんの職員時代
 1972年就職後6年目に社会教育課に配属。1982年に社全協全国集会・富士見集会に参加したことが大きな契機となり、「(社会教育とは)何と面白い仕事だろう。給料をもらいながら勉強ができる」「社会教育は自治体職員の原点」。先生のホームページに登場する進さんにはひげがありますが、これは青年団結成を企画、青年たちに年下に見られないようにひげを蓄えたとのこと。
 進さんはその後、総務、企画、収入役、教育長という役所の要職に就き、市長も8年を含めて、社会教育時代が下地になった、と述べられました。
 名護市は1973年に自治体・総合計画基本構想に出てくる「逆格差論」が有名ですが1970〜80年代の自治研究会(岸本建男、東一彦、島袋正敏、象グループ・メンバー、中村誠司各氏など)の、組織の垣根を超えた自由闊達な雰囲気があったことが大きかったようです。
(5)市長時代
 合併(1970年8月に1町4村が合併して名護市誕生)して48年になるけれど、未だに「合併しなければよかった」と格差を感じる人がいる。辺野古基地問題だけでなくバランスを持った政治が必要だった。 
 地域を元気にする方向を大事にした。たとえば新入職員には「消防団員になれる人!」と呼びかけ、各支所には社会教育主事と保健師を配置した。机の前に座っているだけではいい仕事にならない。この姿勢は各区の区長さんには喜ばれた。「大浦わんさかパーク」に見られるように「金」ではなく「人」をつけた。金で解決すると、その時だけで終わる。前代の市長時代に2000万円の予算を用意したが、市長として人をつけ活発な取り組みにより、今はその効果が出てきていて、ほぼ自立できるまでになったそうです。
 島袋隆志さんの質問「8年間交付金をもらわないでやったことに、職員は自信をもってきたのではないか」「職員が頑張りました」。交付金では建物に使われてしまい、福祉や教育には使えない。交付金は未来永劫あるものではない。“身の丈”を知ることが大切だ。
 石井山さんの質問「どう職員を鍛えていったか」「例えば部長会のやり方も変えた。自分の領域だけでなく、全体で課題を共有し、自由に意見を述べるようにした」。
 やはり、辺野古問題は重く大きい8年間だった。「基地問題には保守も革新もない」との信念で立候補し、反基地で1点共闘、市長になって縛られないよう政策協定は結ばなかった。
(6)今回の市長選挙について
 「人格識見共に立派な政治家」と仲宗根勇氏(『琉球新報』2018.2.8論壇)、職員を育て、地域を元気にし、交付金に頼らぬまちづくりを目指してきた市長でも、国・政党が総がかりで繰り広げた異様な選挙、基地問題・政策論争もなかった「奇妙で異常な選挙」に敗れたことは事実。具体的に相手方のやり方の醜さも伺いました。どれだけ実績があって、子どもたちの未来のためにがんばってきても、選挙結果ではこうなるという現実をつきつけられたという思いでおられます。
 しかし、進さんは意気軒昂。投票日翌日からは日課の自宅近くでの小学生交通安全指導に立ち、辺野古の座り込みにも参加し、「名護市東海岸漁業協同組合」相談役顧問に就任されています。個人的には新しい仕事に励むべく軽トラック購入、この日もこの軽トラで会場に来られました。
(7)恒例の懇親会
 この後は、名護市中央公民館工作室での懇親会に。市長が変わっても工作室は使えるだろうか、と若干不安を感じていましたが、佐久川純さん(課長・館長)「大丈夫ですよ」の心強い言葉もあり、例年通り盛大に行われました。旧知の比嘉久さん,島福喜弘さん,宮城満さん,島袋一平さん等の懐かしいお顔がありました。進さん市長時代の秘書室・宮城さんの巧みな司会、大いに盛り上がったことは『南の風』3933にあるとおりです。この席でも、たくさんのことが語られましたが、書ききれません。
恒例・夜の懇親会(名護市中央公民館・迎賓?工作室、20180421)


前日・那覇の夜、おきなわ社会教育研究会との交流会(ぶながや、20180420)

*左より(後列)上田孝典、石井山竜平、嘉納英明、(前列)上平泰博、組原洋、平良研一、小林文人
 右側・左より佐久本全、桑原重美、名城ふじこ、鷲尾真由美、武田拡明、江頭晃子、山口真理子、黄丹青(敬称略)

36,2018
やんばる対談・最終稿へ
 
*南の風3970号(8月18日)
李正連(編集長)・江頭晃子(編集担当)
稲嶺進・島袋正敏ほか「やんばう対談」参加の皆様
 ようやく「やんばる対談」最終稿(一歩前)をお送りする段階となりました。今年は山城千秋さんがテープ起こし(ご苦労さま!)。対談の大部分は、稲嶺進・島袋正敏お二人のご発言ですから、早速、名護にお送りし、お二人で修正作業をお願いしました。
 残りの本土側(一部沖縄側を含む)発言と全体の流れ・構成等について、小林がザックリと作業をしました。当方の個人的な事情もあり、思わぬ時間がかかり、すこし遅れましたこと、お許しください。
 添付の「最終稿(一歩前)」について、最終のチェックをお願いします。江頭晃子、武田拡明、横山孝雄、石井山竜平、黄丹青の皆様、ご発言の加除訂正、よろしくお願いします。とくに上平泰博さんには、哲学者・西谷修、沖大・島袋隆志お二人の発言につ
いてもチェックお願いします。当方に両氏のEメイル・アドレスなく、また残りの時間も少ないので、親しさに甘え、協同総研のつながりもあり、上平さんに骨を折っていただきたいのです(小林も全体的にみていますが)。
 セイビンさん、進さん、ご面倒ですが、あと一度、最終稿へ向けて、再度、手を入れてください。ご遠慮なさらないで修正・追加してくださって結構です。もちろん削除も可。
 新しく加除訂正いただいた箇所は、当方の最終チェックのため、緑か青でお願いします。(あるいはページと行数を別メールで)できれば(誠に申しわけありませんが)8月20日までお送りいただければ幸いです。これに写真等を加え、江頭さんの方でレイアウトをお願いし、8月31日の編集委員会・校正作業に間に合わせていただきます。
 今年の社会教育学会(名桜大学・10月)に刊行の年報「23号」に収録予定です。また、対談・bP〜bP1(23号)の「やんばる対談」合本(約250ページ)を刊行予定。セイビンさん、上野(代表)、江頭(編集)と山口の皆さんとで協議中。この経過については、南の風をごらんください。残暑のなか、ご自愛の上、ご協力のほど、よろしくお願いします。

37,
『やんばる対談集』(合冊本)刊行   
*南の風3981号(9月17日)
 風3981本号・冒頭記事(江頭晃子メール)のように、年報23号に続いて取り組んできた『やんばる対談集』(合冊)の編集作業が終わり、見事!印刷所に入稿とのこと、皆さん、お疲れさまでした。とくに江頭さんの奮闘に感謝!です。昨日(16日夜)、島袋正敏さんに出したお礼のメール、ご参考までにそのままここに転載します。
 「島袋正敏さま(Date: Sun, 16 Sep 2018 22:29)「やんばる対談集」(合冊)は皆さんのご協力により、10月初旬の日本社会教育学会(名桜大学)までに間に合う見通しとなりました。300ページに近い大作となりそうです。
 この間、名護側との打ち合わせ・調整など全く不充分で、申しわけありません。電話で急にいろんなことをお願いするかたち、快く対応してくださって感謝です。江頭さんが最終ゲラとして送ってくれた、目次一覧・小林「対談をどう読むか」・中村誠司(小年表ー山城年表と若干重複するところあり、しかし経過を考え加えて掲載)を添付して、ご報告とします。小林「どう読むか」は、セイビンさんと連名で書きたいところでしたが、時間の関係で、当方のみで慌ただしく書きました。ご了承ください。・・・以下・略」
 『やんばる対談集』(合冊)に向けて書いた、小林「名護・やんばるの地域と社会教育、その水脈をたどる−「やんばる対談」記録(2010-〜2018)をどう読むか−」、早速ホームページにアップしました。お暇の折、ご覧いただければ幸いです。「やんばる対談」「解題」を並べたページの最後に入れました。→■




38,
文人先生のトーカチ祝い(10/5)ご案内   *南の風3982号(9月20日)
 小林文人先生は、今年数えで88歳になられます。沖縄では数え年「米寿」祝いの年です。
 昨年、股関節の手術をなさって、歩くには少々不自由なさっていますが、頭の冴えは相変わらずで、今年も、研究会年報23号、急遽発行することになった「やんばる対談集」にも精力的に取り組み、編集メンバーを鼓舞し続けてこられました。
 『南の風』3957で島袋正敏さん(名護)、3974で島福義弘さん(名護)がご案内くださったように、名護の皆さんが相集って実行委員会を組み、城(ぐすく)区青年会長さんなども加わって(実行委員長:島福善弘、事務局長:佐久川淳)、トーカチ祝い(88歳)が計画されています。海勢頭豊さん(歌手)、平良研一さん(沖縄大学)も見えるそうです。
 沖縄のトゥシビー祝いを経験するいい機会にもなりましょう。祝宴は、テーブルの上だけでなく、ステージ上での琉球芸能・お祝い演舞が見ものです。どなたでも、当夜(日本社会教育学会初日・名桜大学)でも大丈夫、とおっしゃってくださっています。
 沖縄にお住いの方はもちろんのこと、学会に参加された方々も、お時間がおありでしたら、お誘いあわせの上、どうぞご参加ください。皆さまで、文人先生のご長寿をお祝いし、その果報にあやかりましょう。会場は、名護市の中心的な場所にあります。(
山口真理子、Wed, 19 Sep 2018 10:54)

39,トーカチ祝い、台風25号のため中止(10/3)*南の風3986号(10月3日)
 文人先生 2日夕方のトーカチ祝い実行委員会で台風25号の来襲で5日の先生のお祝いを中止せざるを得ないと判断しました。学会は5日は取りやめで6日7日の日程は予定通り行なうと嘉納先生からの連絡がありました。が台風のことですからまだよく判りません。
 余興やあいさつなどのプログラム、飲食の手配、そしてトーカチの衣装などの準備も整えてきたのですが、ここにきて台風です。参加予定の皆様にご迷惑をおかけしますがお知らせいたします。でもお祝いはあらためて来春のやんばる対談に合せて実施しようと話し合いましたので提案します。先生のご意見もお聞かせください。
 立派な「やんばる対談集」を受け取りました。手に取って皆さんが難儀されたことが肌身で感じました。ありがとうございました。刊行費用も大変だと思います。ボクたちも購入しようと話し合いました。急ぎ連絡まで。(島袋正敏 Wed, 3 Oct 2018 01:08)




40,
沖縄社会教育研究フオーラム編、TOAFAEC発行
 
『戦後沖縄青年団運動の証言ー復帰運動とアイデンティティ』(2018)
 はじめに 戦後沖縄青年団運動を担ってきた人たち(小林文人)

 日本各地の地域青年団が全般的に低調傾向にあるなかで、沖縄の青年団は元気だ。とくに若者たちがエイサーを演じる風景に出会うと、その熱気・エネルギーに驚かされる。“わったーシマ”への思い、郷土の文化と誇りを背負っているからであろう。サンシン・太鼓のリズム、その躍動感と乱れぬ演舞、心に深く響くものがあって、ときに胸にジンときた思い出もある。
 戦争が遺したむごい傷痕、戦後に生きた苦難の道、復興・復帰への取り組み、沖縄の戦後史には若者たちの力が不可欠であった。沖縄がたどった戦後史を思いえがくと、エイサーの躍動はまた違った響きをもって迫ってくる。厳しい時代にもおそらく太鼓は響き、人々の心を励まし、わがシマへの愛着、自らのアイデンティティを確かめることになってきたのだろう。

 沖縄戦後史初期において、各集落の青年組織の役割(保安、自治、祭祀、生活相扶など)は重大であった。アメリカ軍政下においてようやく全琉球規模の「沖縄青年連合会」が結成される(1948年、1958年「沖縄県青年団協議会」へ改称)。巨大なアメリカ極東戦略に対峙するかたちで土地収奪・基地問題への闘い、環境浄化、生活と権利を守る活動、村おこし運動、平和運動、日本復帰運動などへの取り組みが始まった(沖青協編『沖縄県青年団史』、1961年)。沖縄県青年団運動は、戦後沖縄が抱えている諸課題(生活・文化だけでなく)とくに政治的課題に対して果敢に取り組んできた。この歴史は戦後沖縄史だけでなく、戦後日本史として注目すべきであり、社会教育史・青年運動史のなかで、いつまでも記憶されるべき光彩を放つ展開であった。
 アメリカ支配下にあった戦後沖縄の最大の政治課題は、言うまでもなく占領からの解放、日本復帰運動であった。沖青連・沖青協の取り組みは、他団体(政党や労働組合を含めて)に先んじて課題を提起し、人々の意識を掘り起こし、運動の展開のなかで全体をリードする役割を果たしてきた側面がある。1957年「祖国復帰促進県民大会」(沖青連主催)の壇上で手を組みあっている青年たちの高揚した表情(写真)は今も私たちに訴えるものがある。1960年に沖縄県祖国復帰協議会が結成されるが、沖青協はこれに参加することはもちろん、むしろ復帰運動の中心的な役割を担ってきた。復帰協の事務局長は結成当初より沖青協が担い、1963~65年・労働組合(官公労)による時期を除いて、1966年から復帰後1975年まで沖青協出身の仲宗根悟さんが事務局長(専従)として奮闘した(「沖縄県祖国復帰闘争史」資料編、1982年)。仲宗根悟さんは中頭・美里の単位団活動を経て、1950年代に沖青連(当時)の事務局長・副会長を各2〜3期つとめた人である。

 私たち(戦後沖縄社会教育研究会、東京学芸大学)は、もともとアメリカ占領下沖縄の社会教育・文化政策や活動の資料収集を志して沖縄調査に入った。復帰後4年を経過した1976年のことである。当時、沖縄県教育庁社会教育主事(青年教育担当)宮城英次さんを介して、復帰時の沖青協会長・田場盛順さんや、1976年からの同会長・東武さんと出合った。その頃、東さんは米軍による県道越え実弾演習反対の闘い、いわゆるキセンバル闘争の渦中にいた。お二人との交流はいまもなお続いているが、この間に玉那覇正幸(宜野湾市青年会長、おきなわ社会教育研究会)、そして中根章(原水協理事長、元沖縄県議会副議長)、上記・仲宗根悟の皆さんとの出会いが始まるのである。コザの街の中心部にある中根章事務所を拠点に中頭青年会OBたちが集まり、かっての青年会活動の資料収集を始めていることも知った。数回開いた聞き取りや座談会では、全軍労委員長(友寄信介さん)、沖縄教職員組合中頭支部委員長(有銘政夫さん)、読谷村長・参議院議員(山内徳信さん)など多彩な顔触れが登場された。各分野での活発な活動は、若い頃の青年会活動から胎動したと言ってよい。青年会・地域青年団は活動を通して社会正義の意識を育て、尽きることのないエネルギーを培ってきたのであろう。

 仲宗根悟さんや中野章さんは、実に多くのことを語って頂いた。日本復帰という大きな政治課題と格闘してきた意識からは、「いまの青年団はエイサーだけだ」と容赦はなかったが、その眼は若者たちへの期待と愛着に充ちていた。
 私たちの沖縄青年活動史・証言を聞く活動は、もちろん中頭青年会にとどまるのではない。名護で元市長・渡具知裕徳さん(1959年、沖青協会長)との出会いは島袋正敏さん(葛草庵主宰)を介して実現した。沖縄県青年会館・常務理事として活躍した安谷屋幸勇さん(現糸満市教育委員会教育長)が証言収集を進めていく上で重要なキーパースンであった。竹富島調査の途次、那覇滞在の私の動静を知って、日程を調整し、青年団リーダーOBのお宅まで車であちこち運んで頂いた。沖連青の初期・女性リーダーとの貴重な鼎談は安谷屋さんの企画によるものである。

 この証言収集活動を始めてまだ10年余りしか経っていないのに、本書に登場された方のうちすでに4人の方が逝去された。仲宗根悟さんは2015年(享年88歳)、あとを追うように中根章さんも2016年(享年84歳)亡くなられた。地域青年運動・日本復帰運動をはじめ沖縄戦後史を担った当事者・リーダーの退場は惜しみてもあまりあることである。「また続きの話をお聞きしたい」「記録や資料を探し出してください」などとご挨拶して別れたことが昨日のことのように想い出される。貴重な証言・回想・記憶をさらに深く汲み出し、関連する記録・資料と重ね合わせ、歴史を復元し再発見していく課題が残っている。沖縄の地域青年団活動史、アメリカ支配から脱する復帰運動史、各地の地域史、さまざまの民衆史、を掘る作業は次のステップを刻む必要があるだろう。歴史を記録していくことは、必ずや歴史を創ることにつながるはずである。
 本証言集に登場された各位、連絡調整など努力いただいた皆様に心からの感謝を申し上げたい。

仲宗根悟さん(沖縄青年連合会・沖縄県祖国復帰協議会・各事務局長を歴任、2015年没)


41,2019やんばる対談・トーカチ祝い
       山口真理子(Sat, 9 Feb 2019 12:34)
 この日曜日、東京は 5〜10pの大雪情報に戦々恐々といったところでした。雪国の方々にはどのように思われていることでしょうね。
 さて、暖かい沖縄での企画、『南の風』4022と4023にもお知らせのとおり、今年の「やんばる対談」と加えて「文人先生トーカチ祝い」の日程が確定しました。トーカチ祝いは、昨年秋の日本社会教育学会に合わせて予定されていましたが、台風の影響で延期となっていました。今回「やんばる対談」と同日に行われることになったものです(下記)。
 名護では実行委員会を2つに分けての準備となるそうで、忙しい思いをおかけすることになってしまい恐縮ですが、訪沖側もその思いにお応えするよう、感謝と積極的な気持ちで参加したいと思います。なお「やんばる対談」前夜の恒例・那覇「おきなわ社会教育研究会」との交流会は、「トーカチ祝い」に合流ということになりました。
・やんばる対談(第12回) 
 日時:2019年4月13日(土)午後1時〜
 会場:名護博物館1階展示室  
 テーマ:やんばる地域青年運動の歩み、今、そしてこれから(仮)
 *備考 名護博物館は2022年に新博物館が開館の予定。それに伴い、現博物館での常設
      展示公開は2019年3月末で終了、2020年4月に完全閉館となる。

            
2019やんばる対談、左端に島袋正敏氏 (名護博物館、20190413)
2019やんばる対談、左端に稲嶺進氏 (名護博物館、20190413) 鷲尾真由美さん撮影


・トーカチ祝い 
 日時:2019年4月13日(土)午後6時〜
 会場:城公民館(tel.0980-52-3982) 名護市城2-16-19(名護博物館近く)
 会費:3000円
*毎年「やんばる対談」前夜に開かれてきた恒例・那覇「おきなわ社会教育研究会」
 との交流会は、今年は「トーカチ祝い」に合流ということになりました。
「トーカチ」(米寿)祝い座開き「かぎやで風」を踊る城青年会と稲嶺進前市長(右)ー名護市城区公民館、20190413


拍手に包まれ (杖をもたず) トーカチ衣装で入場 (城区公民館、20190413、鷲尾真由美さん撮影)。
 手前に新垣重雄(八重山)、武田拡明(川崎)、末本誠(神戸)、喜納勝代・佐久本全・名城ふじ子・玉那覇正幸など「おきなわ社会教育研究会」各位、後方に比嘉久など名護の皆さんの顔々。


カチャーシー、稲嶺進さんと踊る。右は島袋正敏さん、左方に城青年会(城区公民館、190413、鷲尾真由美さん撮影)



42,
2019年6月定例(第263回)研究会
ご案内  山口真理子(Tue, 4 Jun 2019 12:03)
 <6月(第263回)定例研究会−辺野古に積み重ねられた記憶について>
 5月24日の研究会に初めてご参加くださった明星大学・熊本博之さんが、早速、私たちの研究会にゲストとしてご登場、沖縄・辺野古についてのお話をしてくださいます。『南の風』前号(4054号、5/31)に自己紹介を書いてくださっていますので、ご覧ください。
 熊本さんは地域社会学のご専攻。2004年来、名護・辺野古について丹念なフイールドワークを重ねてこられました。沖縄についての著作も少なくありませんが、最近はとくに辺野古についての報告が注目されている方です。(「カギ括弧を取り外した辺野古を描き出す」『現代思想』2017年11月号、「辺野古に積み重ねられた記憶について」『世界』2019年4月号など。) “カギ括弧付きの辺野古”つまり基地反対運動やその周辺で語られる辺野古だけではなく、カッコをはずした辺野古、そこに暮らしてきた住民の具体的な生活の歩み、その地域の実像、日常の辺野古に目をそらしてはいけない、という観点から書かれています。カギ括弧を取り外した辺野古を描き出す作業から、最新の状況―2019年2月24日実施の県民投票―を加えて、最新のご報告、丹念なレポートに迫力を感じました。
 私も辺野古新基地問題については、反対の立場から国会前行動を初めとして種々の集会に参加している1人です。熊本さんが「辺野古に積み重ねられた記憶」に書いておられる経過―1996年4月12日 普天間基地の全面返還(ただし県内移設が条件)発表から23年、キャンプ・シュワブと後に名付けられる演習地使用要請が起こる1955年からの64年、この長い歳月、地元の方々が米軍基地に如何に向き合ってきたかは、反対,容認の立場を越えて知らねばならないことだと思いました。
 当日は文人先生に聞き手をお願いしました。お二人の沖縄研究、熊本さんの最新の辺野古についてのご研究、充実したお話が聞けるものと期待されます。6月の定例研究会、皆さまお誘いあわせの上、多数ご参加ください。
〇日時:2019年6月28日(金)19:00〜20:50(開室は18:50) 
 テーマ:私の沖縄研究、辺野古に積み重ねられた記憶について
 ご報告:熊本博之さん(明星大学・教授)   
 聞き手:小林文人(TOAFAEC 顧問) 
 場所:杉並区高井戸地域区民センター第3集会室
 〒168−0072杉並区高井戸東3−7−5 TEL 03−3331−7841
  *京王井の頭線「高井戸」駅下車3分(環八を渡ってすぐ)
〇終了後(21:00〜)懇親会:イーストビレッジ 03-5346-2077
  *京王井の頭線 高井戸駅下車。すぐ陸橋(環八・歩道橋)を渡り、左にガードをくぐり、
    神田川を渡る。大きな茶色のマンションの裏1F。駅より徒歩3分。
熊本博之さん


報告 
入江優子 Sun, 30 Jun 2019 12:07
・テーマ:沖縄の基地問題と地方自治のゆくえ−本土が問われているもの
・報告者:熊本博之先生(明星大学・教授)   
 参加者(敬称略、順不同):小林文人、武田拡明、竹峰誠一郎(明星大学)、坂口朱音(明星大学生)、富澤由子、モモさん、山口真理子、入江優子 計8人 記録者:入江優子(東京学芸大)
◆報告概要
 6月定例会は、基地問題を抱える沖縄社会について、名護市辺野古区に深く入りながら、主に地域社会学、環境社会学の観点から考察を重ねる熊本先生のご報告でした。
「現代の防人」。
 冒頭、2014年発表の国土計画『国土のグランドデザイン2050』(国土交通省)に記されたこの表現に触れ、「国防への貢献を事実上義務付けられた沖縄」を表す同計画の基本性格と辺野古移設問題の関係性に着目するところから報告は始まります。
 次いで、1996年の普天間飛行場返還合意から現在に至る移設問題の経緯について、県政と名護市政の関係にも触れながら概観した後、辺野古が応答してきた「条件つき受け入れ容認」の背景、今日の辺野古の置かれた状況を捉え、わたしたちに何ができるか、を問いかけていきました。紙面の都合上、ここでは熊本先生の指摘する構造的問題を中心に記述します。
〇「報奨金的」振興事業(熊本氏による定義)を通した地方自治への介入
 「報奨金」とは、功労・善行を為そうとする者にのみもたらされ、何が功労・善行たるかは与える側が決定するという性質を持つ。この「報奨金的」振興事業の事例として、
・「米軍再編交付金」…辺野古移設反対=米軍再編計画への「未貢献」に伴う、稲嶺市政下での未交付(2018年市長選前の渡具知氏当選の場合の交付対象発言と当選後の交付)
・「沖縄振興予算」…対前年比15.3%増閣議決定後の2013年仲井眞知事辺野古埋め立て申請承認(翁長県政以降の減額)などを挙げながら、冒頭挙げた「防人」「国防への貢献」が構造的に埋め込まれ、実質的な地方自治が侵されていく過程を指摘。
〇辺野古区「条件付き受け入れ容認」の背景 
 1956年の「島ぐるみ闘争」下での苦渋の選択としてのキャンプ・シュワブの受け入れ以降、基地関連雇用の創出、米兵との婚姻関係・その子や孫である住民の存在、辺野古11班(隣人としての名誉班)としてのシュワブ、軍用地料収入など、長期にわたる関係性の中で、「沖縄でもっともうまく米軍とやってきた地域」が反対の声をあげる難しさ、政権交代や反対派県政・市政をもっても止められなかった諦め、しかし軍用地増もなく交渉しなければ補償も得られない葛藤の存在を指摘。
〇今、辺野古が置かれている状況
 政府の交渉先は稲嶺市政下においては久辺三区(辺野古・豊原・久志)だったが、容認派市長誕生後は名護市に移ったことにより三区の重要性が低下。防衛省の「個別補償」不可能通達により「条件付き(容認)」が無に帰す恐れの中で、建設強行・既成事実化が図られようとしている。こうした状況下で補償を求めれば「金目当て」言説を呼び、かといって反対の声をあげるのも「今さら感」がある。その結果、県内における辺野古集落の孤立化が強まっていると指摘。
〇わたしたちに何ができるのか
@政府を翻意させる
・消極的安倍政権支持層(特に辺野古建設工事反対割合の高い女性)への訴求
・本土による沖縄の「自分ごと」としての理解(沖縄は恵まれている、基地による収入がある
という本土の意識ギャップの改善)
A辺野古を理解し、支える:辺野古を孤立させないために
 長期的には不合理な行為である条件交渉を辺野古区民がせざるを得ない構造的問題を捉える視点の重要性を指摘。
 このまま新基地建設が進めば、辺野古が戦犯扱いされてしまう恐れもある。個別補償も無くなり、辺野古にとっての短期的合理性が揺らぐ今、辺野古区民を理解し支えること、つまり長期的合理性の実現=移設計画阻止、反対の声をあげられる環境づくりが必要である。辺野古区民への非難は、辺野古区民の反発を呼び、益々孤立化に繋がるに過ぎない。
◆文人先生より
 従前より大浦湾は、重要な軍事基地としての着目が米軍にあり、韓国済州島のカンジョン村にも韓国海軍基地の港が完成するなど、アメリカ極東戦略という大きな軍事的構造と軍需産業の動向の中に、日本の政権や辺野古の問題があるということは見ていかなければならない。他参加者からは、辺野古の地域の意思決定に係る質問などが出されました。
◆感想
 6月初旬、名護十字路界隈の居酒屋で、熊本先生とゆんたく対談をしました。この重く、長く、難しい問題に外から向き合う方はどんな方であろうと思いつつ。沖縄は、長年何層にもわたって大きな構造的な不利や痛みを埋め込まされていきながら、それに向かい、より良い生を希求する人々の豊かな営みの息づく場所。その最も大きな構造的問題が圧し掛かっている辺野古に向き合われていることに、改めて心から敬意を表します。
 本定例会で熊本先生が掲げた「本土が問われているもの」という重い問い。構造的問題の中に、社会の矛盾を知る、問うという営為そのものが欠落した教育の問題も大いに含まれていると感じます。沖縄の人々の長年の経験に積み重ねられ、生活に埋め込まれざるを得なかった基地問題が、更なる選択可能性の制約となって自己決定力が剥奪されていく過程、その「蓄積」をどう学び、理解し、問うていくのか、教育の問題としても引き取りながら考えていきたいと思います。
◆終了後
 いつもの「イーストビレッジ」で懇親会。文人先生からどうやら毎度酒豪の称号が与えられている?私めですが、そんなにいただいていないはず・・・笑。昨日は明星大の学生さんも来て、皆さんで二見情話を唄って和やかな空気を楽しませていただきました。


◆辺野古関連写真(熊本博之さん提供) ・辺野古集落 ・中心部、・旧社交街、・子どもたちの相撲大会











   沖縄社会教育史研究フォーラム(3) 2019■ 次ページ


                              TOPページ