1,沖縄青年運動史研究会の胎動・2005
*【南の風】(小林)記事・抜粋
◆<沖縄研究、次の一歩を>
(1553号:2005年11月1日)
今年も残すところ、あと2ヶ月。振り返ってみて沖縄研究の作業が中断された1年となった反省あり。…(中略)… 沖縄のテーマは熱く私たちを待っているように思われます。研究費がなくても(これまでもそうだった)、少しづつ地道に沖縄研究を継続し、せっかくの蓄積を一歩進めていく姿勢を持ち続けたい。
当面いま考えていることは二つ。一つは宝の山「字誌」を研究的視点から読み解くこと。何が見えてくるか。中村誠司さんによる貴重な字誌「目録情報」データーベースもあり。一昨年と昨年に、字公民館法制と集落育英会についての字誌記録をまとめた経験からいっても、これまでにない地域史料が字誌として発掘され資料化されていることを実感してきました。字誌を横断的に分析するテーマはいろいろあります。
あと一つは、かねて懸案になっている本土復帰前後の沖縄の民衆運動、とくに沖縄県青年運動(いま資料的に空白)の聞き書きと資料復元に取り組むこと。この時期は他に類を見ない貴重な運動史。東武さんとも相談し、11月26日〜27日あたりを第一候補として、いま日程調整中です。関係の方々に集まっていただき、ゆっくり回想をお願いし、史料を読み合うという計画。山城千秋さんも積極的に参加いただけるとのこと。関心ある方、ご都合がつく方々、ぜひお知らせ下さい。…(後略)…
◆<半年ぶりの沖縄−沖縄青年運動史研究会の試み>
(1567号:2005年11月27日)
11月25日夜、那覇に到着。南の風1553号・1558号に書いたように、私なりに思いを新たにしての沖縄。半年ぶりです。…(中略)…
那覇では、先に帰っていた山城千秋さん(熊本大学)と合流しました。26日午後、浦添・当山の田場盛順さん(1972年復帰当時、沖縄県青年団協議会々長)のお宅、「復帰前後・沖縄県青年団運動の軌跡」について興味深い話を伺いました。同席は、東(あずま)武さん(1975年〜1976年、キセンバル闘争当時の同・会長)。
戦後日本のどの地域にも類を見ない沖縄の(復帰運動の激動を闘った)地域青年団運動の歴史。この機会に「沖縄青年運動史研究会」(仮)といった取り組みを立ち上げ、証言聞き書きと資料収集の継続的な作業を始めてはどうか、山城さんに事務局をお願いをしよう、そんな協議をしました。早速、この12月に青年団OB諸氏に呼びかけて、忘年会をかねた顔会わせの集いの企画も。この日の集いが、いいきっかけになればと期待しています。
ビールと泡盛を飲みながら約5時間。土曜日だからか、普天間基地に乱舞するヘリの爆音もなく、庭からは浦添ヨードレを望む田場さん宅に静かなときが過ぎていきました。東さんが勝連の浜で釣ってきたグルクンやエーガァの皿が卓上に並んで、海人(うみんちゅ)の手料理、とくにエーガァマース(塩)煮が美味しく、思わぬ馳走に舌鼓。
写真:東武さん(20051126)
写真:田場盛順さん
◆<中頭からやんばるへ>
(1568号:2005年11月29日)
26日の余韻さめやらぬ中、27日は沖縄市中ノ町・中根章さんのお宅を訪ねました。中根さん(田場さんとの写真・下掲)は1932年生まれ、沖縄県青年団協議会がいち早く復帰問題を提起した当時の常任理事(1955年〜)、1958年には(仲宗根悟氏を継いで)事務局長、その前後より沖縄原水禁運動に参加、環境問題(川を蘇生させる運動)にも取り組んできた典型的な沖縄青年団運動のOBです。東武さんと照屋雄健さん(東会長時代の事務局長)が一緒でした。
短い時間ながら、アメリカ占領の厳しい圧政下、勢いよく活動された当時の雰囲気、とくに中頭青年団の独特の活気、を語っていただきました。12月中旬過ぎにOB諸氏に呼びかけ、まず忘年会の集いを計画しよう、そのときにまたお会いしましょう、と約して別れました。忘年会の日程は、12月17日(土)あたりが第1候補。この日は、戦後初めて沖縄青年連合会(沖青連)が結成(1948年)された記念日だそうです。…(後略)…
◆<沖縄県青年団運動との出会い>
(1569号:2005年12月1日)
…(前略)…風1567号に書いたように、今度の訪沖でやや唐突に「沖縄青年運動史研究会」(仮)が登場しつつあります。この機会に、その経過を少し書いておきます。
私たちの沖縄研究の開始(1976年〜)当時、沖縄県青年団協議会関係者との印象深い出会いがありました。復帰後の厳しい時代に会長をつとめた田場盛順・東武、事務局長の照屋雄健、あるいは常任理事の玉那覇正幸、棚原正和などの皆さんです。中頭郡の関係者が多い。
媒介のキーパースンは宮城英次・新城捷也の両氏(沖縄県教育委員会社会教育主事・青年担当)。さらに松田政弘、安谷屋幸勇、仲里千代子他の次の世代の会長・事務局長等の皆さん。懐かしい顔ぶれです。
田場さんは、沖青協からはじめて社会教育研究全国集会に参加した人(第17回、福岡集会)。東さんたちは、私たちをはじめて南部戦跡へ案内、復帰後の基地問題や金武湾・CTS問題、そして海勢頭豊「喜瀬武原」等に出会わせてくれた・・・と書きはじめると長くなりそう。
◆<沖縄青年運動史研究への思い>
(
1570号:2005年12月3日)
前号の続き;
そういえば、11月28日夜(那覇)旧「おきなわ社会教育研究会」との久しぶりの交流会には、病後リハビリ中の新城捷也さん(元・県教委社会教育主事)が見えました。痩せておられましたがお元気です。2002年・名護の全国集会以来のこと。この席でも、かっての中頭・青年団の話題になりました。
玉那覇正幸さん(宜野湾市役所)は「おきなわ社会教育研究会」事務局長でしたし、東武さんともこの30年近く、間断なく会う機会がありました。中頭「ひろば」活動に関連して、また金武湾問題その後、あるいは平敷屋エイサー、パピリオン、などなど。上京の折り、国立や“風の部屋”に泊まってもらったり、また勝連の東さんのお宅に転がりこんだこともある仲。
最近では、2003年10月の屋慶名(金武湾闘争をめぐる公民館分裂)調査、2004年5月の平敷屋(集落育英会)調査など、東さんは休暇をとって車で案内の労をとっていただきました。その折々に、復帰後・沖縄青年団運動のいろんな話、問わず語り。たとえば、「南の風」1275号(2004年5月29日)本欄には、次のように書いています。
「…勝連への道中、東さんとの語らいは、どうしても当時の青年運動のことになります。そのうちに資料を前におきテープを回しながら、ゆっくりと話を聞く必要があります(約束しました)。」
沖縄の青年団運動は、祖国復帰運動の大きな潮の流れのなかで大きな役割を担ってきました。また地域のなかでは集落の青年会活動。本土のどの地域にも見られない独自の歴史を刻んできました。運動それ自体に、また関わった青年たちにも、多くのドラマがありました。しかし初期の『沖縄県青年団史』(沖青協編、1961年)を除いて、歴史・資料がきちんと残されて(公開されて)いません。私たちの『おきなわの社会教育』(小林・島袋編、2002年)の記述も青年運動史については充分ではない。資料の散逸・風化も進んでいる。青年団OBの元気にも励まされながら、私たちにどんな取り組みが可能なのだろう、そんな話がこの間に重ねられてきました。
「沖縄青年団運動史研究会」(仮)を立ち上げようではないかという思いは、こんな経過から具体化し始めたのです。
◆<年末の沖縄行き>
(1576号:2005年12月15日】
沖縄青年団運動の歩みについての証言・資料収集へ向けて、一歩動き始めた感があります。年内に関係者(とくに中頭地区)にお会いする機会が話し合われ、ポンと“跳躍”して中頭青年団OB諸氏の忘年会企画へ。いまのところ12月24日夜、沖縄市・クラウンホテルを会場に開かれることが確定したそうです。
この動きのなかで、沖縄青年運動史研究会も登場。事務局の山城千秋さん(熊本大学)からの連絡に応えて、小林平造さん(鹿児島大学)から次のようなメール(Wed,
14 Dec 2005
11:37)を頂きました。
「 … 沖縄青年運動史研究会の件ですが、24日は無理すれば出席できます。その際は23日に出発して、25日に帰宅かというところです。以上は、航空券が取れればという条件付。25日は、午後に院生の結婚を祝う集いがあり、帰宅しておく必要があります。」
山城千秋さんは24日に向けての帰沖は無理とのこと。ぶんじんはこれまでの経過から出席する責任があると考え、すでに東京−沖縄の航空券も確保済みですが、当初の日程案が変更されたこともあり、いま年末・東京の先約との調整に難航中。昨日の電話で、東武さんにもこの事情を話しておきました。
あと数日お待ち下さい。もし行ける場合は、忘年会だけでなく、その前後に1両日のスケジュールをつくって(少なくとも12月21日には沖縄入り、22日〜23日の両日等)都合のつく時間帯で、中頭青年団OBたとえば仲宗根悟氏や中根章氏等の証言聞き取り、資料閲覧の機会をお願いしたいと考えています。東武さんにも、その際は、時間の調整等についてご相談したいと伝えてあります。せっかくの訪沖ですし、忘年会出席の機会を活用したいのです。
◆<沖縄県立図書館・郷土資料室>
(
1580号:2005年12月23日)
12月20日夜から那覇に滞在中です。着いた翌朝、久茂地の「1フィート」運動事務局へ。新しい『沖縄戦の証言』(DVD版、風1578号に紹介)を求めました。早速、ホテルに帰って観てみました。子どもたちに向けた新版、いい出来あがりです。研究会でも一度機会をつくって感想など出し合ってはどうでしょうか。
今回の訪沖は、戦後沖縄の青年団運動についての証言収集。とくに中頭の青年団OB・長老の皆さんにお会いするのが主な目的。24日夜に計画されている忘年会にも出席する予定です。
準備のため、22日は終日、沖縄県立図書館にこもって、仲宗根悟さん(元沖縄県青年団協議会副会長、沖縄県祖国復帰協議会事務局長)や中根章さん(同・沖青協事務局長、初代原水爆禁止協議会理事長)に関わる資料を読んでいました。決定版『沖縄県祖国復帰闘争史』(資料編1430頁、写真編
205頁、1982年刊)は、仲宗根悟さんが編集責任者。あらためて祖国復帰運動のなかで果たした「沖青協」の組織的な役割を実感させられます。
沖縄県立図書館の郷土資料室に座って、ゆっくりゆっくり、収蔵資料を読むひとときは至福の境地。まったく知らない沖縄出版物も多く、沖縄独自の地域史資料の豊かさに圧倒されます。しかし、沖青協関連の資料はほとんどない。
私たちの『沖縄社会教育史料』(全7集)は、第3集を除いてすべて収蔵されています。第1集は4冊も。しかしなぜか第3集は、いまは亡き関係者の貴重な証言集なのに、欠本になっています。
…(後略)…
◆<コザ(沖縄市)の夜−クラウンホテル>
(
1581号:2005年12月25日)
本欄で数回書いた「沖縄青年運動史研究会」のこと。中頭青年団OB忘年会は、12月24日夜・嘉手納l基地ゲート前・クラウンホテルで開かれ、印象的なひとときとなりました。25人ほどの皆さん、もちろん旧知の顔もありましたが、大半は初めての方。青年団運動史料の収集と語り継ぎ(杉並・安井資料データーベース化の例も出して)を訴えることが出来てよかった。再会を約して別れました。
夜の会に先立って、この日午後、仲宗根悟さんを中心に青年団運動と復帰運動“自分史”とも言うべき証言を聞きました。いままで活字で読んできたことを、その当事者から直接に話していただくと、また格別に歴史が蘇ります。
…(後略)…
◆<青年団運動が刻んできた独自の歴史>
(
1582号:2005年12月28日))
沖縄は思いのほか寒い毎日。ところが帰りついた東京も、26日はとくに冷たい風が終日吹きすさんで、疲れもあったのか、少し風邪気味です。
昔の沖縄行きは、学生を連れていくときなど責任もあり、ぐったり疲れたものですが、いまは気楽なもの。思い通りにスケジュールを組んで自由に歩きまわり、その点で疲れは全くありません。しかし体力はたしかに劣ってきているのでしょう。
私はもともと農村社会学のなかでフィールドワークの訓練を受けてきました。調査というものは集団的な共同研究が多く、お互いの信頼を築きあって、収集してきた証言や資料を共有し、ときには激しい議論もして、そのなかで鍛えられてきた、疲れるのは当り前。そんな調査活動を懐かしく思い出しています。
今回の調査ではどんな収穫があったのか。簡単ではありませんが、要点だけ少し書いておくと・・・。
沖縄の祖国復帰運動は、日米安保体制・アメリカ極東戦略を背景とする現代史の激動のドラマ。そこに沖縄の青年団運動が(沖縄教職員会とともに)果たしてきた大きな役割。1950年代の復帰への先駆的な活動が注目されてきましたが、1960年(沖縄県祖国復帰協議会の結成)以降の本格的な展開のなかでも、政党や労働組合に伍して、青年団運動が並々ならぬ比重をもったこと。沖縄県青年団協議会は類をみない独自の歴史を刻んできたのです。
ところが、その運動的な展開や具体的な事実は、あまり“記録”されていない。沖青協から復帰協に入って、復帰(1972年)まで事務局長として運動を中心的に担ってきた仲宗根悟さんはその象徴的な存在。復帰後も『復帰闘争史』の編集責任者。貴重な証言を聞くことが出来ました。たいへんお元気ながら78才。中根章さん(原水協・初代理事長)はじめ当時の若者たちもいま70代、復帰時点の沖青協関係者もすでに60才前後。その証言や資料をどのように記録していくことが出来るか。若い世代へどう語り継いでいくか。これからの課題がはっきり見えてきたように思いました。
ところで、仲宗根悟さんにお願いして『沖縄県祖国復帰運動史』(資料編・写真編−2セット,特価8,500円)を2部ほど頒けていただくことが出来ました。復帰運動資料の決定版、ご希望の方はご一報を。
▼仲宗根悟氏:1953〜1958年・沖縄青年連合会(のち沖青協)事務局長、1966〜1975年・沖縄県祖国復帰協
議会(復帰協)事務局長等を歴任。復帰後10年『沖縄県祖国復帰闘争史』1982年・編集責任者、1927年生れ)
2,沖縄青年運動に関する文献資料
3,2006・沖縄青年運動史研究記録
−
南の風・記事、山城千秋ほか−
◆<3月1日の熊本−沖縄青年運動史研究へ向けての話し合い>
(南の風1617号・2006年3月12日、山城千秋)
小林先生とは、何度も沖縄でお会いするものの、私の新しい本拠地・熊本でお会いするのは今回がはじめて。3月1日夕刻、昨年11月の沖縄以来の再会でした。早々に話は「沖縄青年運動史研究会」のことに。『沖縄県祖国復帰闘争史』に収録された座談会のことや、これからの研究会のあり方など、研究会の構想を練る話が続きました。まずは、基礎的な資料の確認・収集と、聞き取り調査の記録づくりに取り組むこと、小さな研究会でもよいのでメンバーを集め、研究会をスタートさせることになりました。
この機会に、お隣の県・鹿児島の小林平造先生も来熊するとの連絡を頂きました。研究会で最も中心になってくださる人。ようやく三名で話し合える場面が整うことになったのです。
夜は、文人先生の昔からの友人である、熊本学園大学の岩永久次、市来努、宮里六郎の各先生との懇親会。文人・岩永・市来先生との関係は、九大の学生時代にまでさかのぼり、また私の大先輩にあたることなどから、初対面ながら親しくさせていただきました。
さらに、文人先生が大学院生時代に、久留米で調査をされたインフォーマントで、当時は中学生だった山浦さん(旧姓前田)と約半世紀ぶりの再会も。地域調査でお世話になった方々と、調査終了後も親交を深め続けてこられた先生の新たな一面をかいま見た宴となりました。
この席に、鹿児島大学の卒論発表会&懇親会を終えて、小林平造先生が新幹線で駆けつけて下さいました。鹿児島も本当に近くなったと、平造先生を迎えて実感し、懐かしい鹿児島のかすたどんに舌鼓。二次会は、市来先生行きつけの「矢部町」(通潤橋の町)に寄り、日付が変わる頃にお開き。
▲<左より> 小林(平)、市来 山城、<後列>:宮里、岩永、小林(文)、山浦夫妻 (熊本、2006/3/1)、
その後、小林両先生とホテルのロビーにて、研究会についての話し合い。平造先生が『民衆と社会教育』(1988年)所収「祖国復帰と青年運動」執筆のために、調査・収集した資料やテープが残っていることを確認し、それらを記録化することに。平造先生によると、その当時の調査時においても60年代後半からの記録がない、「シロアリに食われた」説もあり、資料収集が非常に厳しいとのこと。まずは、3名ができるところから始めること、この先5年ほどかけて、証言と資料収集に取り組み、まずは中頭郡青協の運動史をつくることを目標にしてはどうかなどが話し合われました。
(当日の記録・下記)
そして、早速3月中旬には、東武さんを通して、沖縄(旧コザ市)で仲宗根悟さんらからの聞き取り(2回目)が実現する運びになったのです。
深更の話し合いは、ゆうに4時間を超えました。終わるころに、酒を飲みながらでもよかったのではと気づくほど、集中したものでした。午前4時にようやくお開き。翌朝、文人先生は東京へ、平造先生は鹿児島へ、とそれぞれ帰路につかれました。
早朝、自宅近辺では、この時期としては珍しく雪が舞いました。
<沖縄青年運動史研究会をどうすすめるか>
2006年3月1日(水)@サンパレス熊本
話し合い記録−研究会・事務局長 山城千秋
1.視点
○沖縄青年運動史は「類をみない貴重な歴史なのに、その事実が消えていくことを惜しむ」(小林文人)。
特に1960年代後半から70年代の青年団運動についての資料収集に努力する必要がある。
○研究会は、資料空白の歴史を復元し、実体が消えかかっている「虚像から実像をつくる」作業でもある。
いまその作業は急がなければならない。
○運動や路線の上で厳しい立場にある人たちをつなぐのは、研究者の役割であろう。
○ステップを一つずつ重ねていく。後のためになる仕事をする。
2.研究会で取り組む課題
(1)『沖縄県祖国復帰闘争史』(沖縄県祖国復帰闘争史編纂委員会編、沖縄時事出版、1982年)の分析。
特に「座談会」の章参照。→復帰協成立前の沖青協の先駆的役割だけでなく、復帰協(1960年)後の運
動における沖青協関係者の固有の役割を明らかにする(典型的に仲宗根悟氏、中根章氏ほか)。復帰協
資料から青年運動関係の資料拾い出し作業。
(2)沖青協所蔵資料のリストづくり(山城)。
(3)仲宗根悟氏〜中根章氏〜田場盛順・東武氏世代までの関係者の聞きとり作業。
(4)最近刊行されている各地の字誌に記載された青年会の記録を通覧する作業。
(5)小林平造氏が所蔵する仲宗根悟氏らのテープ起こし作業。
○資料収集と証言集めを重ねる。まずは中頭郡青協の運動史を明らかにしていく。→その過程で沖青協も
見えてくるだろう。
○今後5年をめどに作業をすすめる。
3.これからの予定
(1)仲宗根悟氏と小林先文人氏の対談(2005年12月24日)テープ起こしと、TOAFAEC第11号への掲載。
(2)3月19日(日)午後2時、仲宗根悟氏の聞き取り予定(東武氏からの連絡)。
(3)研究グループをどうつくっていくか(参加要請・案)。
沖縄側(田場盛順、東武、鳥山淳、當山均ほかの各氏)、
本土側(小林文人、小林平造、上野景三、内田純一ほかの各氏)。
(4)メーリング・リストによる情報交換の場を設けたい。
◆<3月18日−沖縄青年運動史の証言(仲宗根悟氏−その2)
沖縄訪問<スケジュール>
3月16日(木)東京発 ANA995 羽田13:20〜那覇16:10着 ホテル・サンワ(泊)098-868-9041
17日(金)14:00〜国頭村奥「共同店サミット」 奥(泊)
18日(土)名護 夜・大国林道 山田荘(泊)0980-52-2272
19日(日)沖縄市へ 14:00〜中頭青年運動史聞き取り (仲宗根悟氏、東武氏)
20日(月)那覇発→東京ANA124便
▼左・仲宗根悟氏(20060319)
◆<5月31日−中根章・田場盛順両氏の証言>
*南の風1658号
(2006年6月1日)
今回の沖縄滞在の後半は、沖縄青年運動史の証言収集のため中頭(浦添・旧コザ市)を歩きました。沖縄はあいにくの梅雨、とくに今日(5月31日)は、台風襲来かと思うほどの風雨。幸いに田場盛順さんの車で送ってもらい、助かりました。田場・中根ご両人の証言を聞き書き。
田場さんは沖縄の日本復帰(1972年)前後の沖縄県青年団協議会(沖青協)常任理事そして会長をつとめた人。地域(集落→村→郡)の活動をへて沖県協の運動を担い、職場(琉球大学)でも労働組合の役員、ほとんど休む日なしの連続。地域の青年活動にとどまらず、反基地闘争・平和運動・復帰運動という大きな政治課題に挑戦した沖縄ならではの証言、あらためて記録化の重要性を痛感しました。
中根章さんは、1955年より沖青協の常任理事、日本青年団協議会(日青協)青研集会にも参加、1958年の原水爆禁止沖縄県協議会の結成に努力し、初代・理事長(当時26才)。平和行進や辺戸岬の焚火集会などの立て役者です。沖縄の原水協運動は世代的に青年たちが担ってきたのです。1960年の沖縄県祖国復帰協議会(復帰協)にいたる激しい対米抗議行動や当局交渉に取り組み、日本の他地域の原水爆禁止運動には見られない展開。その後、中根さんは旧コザ市の市会議員、復帰時点からの沖縄県議会議員、のち副議長。いま74才、ラジオ番組をもち、比謝川を蘇生させる会を主宰し、実にお元気。
事務所には、日本原水協(初代)理事長・安井郁の揮毫「平和はかちとらなければならない」の色紙が飾られていました。辺戸岬ではじめて焚火集会を企画したときには「安井先生と無線で相談した」とのこと。
中頭地区を中心に、青年団運動を担った群像の証言収集を重ねていきたいとお話しておきました。山内徳信氏(もと読谷村長、沖縄県出納長など)もかっての青年団運動の活動家。しかし次期の沖縄県知事選の候補者の一人として名があがって、当分は忙しく無理のようですが、そのうちにぜひ!
那覇への帰路、田場さんと宜野湾市民図書館へ。この4月に玉那覇正幸さん(1973年・沖青協常任理事、おきなわ社会教育研究会事務局長)が館長に就任。あいにく不在で残念。お祝いメッセージを残しておきました。
▼中根章さん(左)、田場盛順さん(右)、沖縄市中の町・中根事務所にて(20060531)
4,2006年12月・沖縄青年運動史証言聞取り
−
南の風・記事、山城千秋ほか−
★<12月下旬・沖縄青年運動史調査>
*南の風1764号
(2006年12月21日)
中国から帰ってすぐだというのに、沖縄行き(12月23日〜26日)を予定しています。昨年に続いて、戦後沖縄の青年団運動史についての証言を収集する計画。
ちょうど1年前、仲宗根悟さん(もと沖縄青年団協議会事務局長、その後、祖国復帰協議会事務局長)の貴重なお話を聞くことが出来ました。山城千秋さんの努力ですでにテープ起こしが済んでいます。「東アジア社会教育研究」第11号に収録する予定でしたが、残念ながら締切に間に合わず。今年もそれに引き続く企画として、東武さん(復帰後・1975年当時の沖青協会長)等にも相談、復帰前の関係者にお会いして、証言記録を残していこうというわけです。
しかし、この時期は忘年会の季節、1年納めの諸行事もあって、皆さんなかなかお忙しい様子です。すでに飛行機もホテルも予約していますし、ささやかな調査活動を継続していきたいという多少の意地もあって、(中止するのでなく)23日からの訪沖スケジュールを予定通り、と思っています。沖縄青年会館の沖青協・書庫をのぞいてみるのも楽しみ。帰路は福岡に寄って油山へ。
今晩の伊藤長和さんメールによれば、同じ時期にやはり沖縄訪問とのこと。まったく偶然、ご一緒に那覇ででも飲めるかな?と嬉しくなりましたが、よく読むと、ご同伴で離島への楽しい旅らしい。お邪魔虫になってはならじ。今回の沖縄行きは、山城千秋さんにお任せすることにしましょう。
★<沖縄青年運動史・外間喜明氏の証言>
*南の風1768号
(2006年12月28日)所収
山城千秋(Tue, 26 Dec 2006 11:32)
小林先生、福岡に、そろそろお帰りでしょうか。年の瀬のお忙しい時期に、沖縄へお越し下さり、また充実したクリスマス・イブを過ごすことができて、大変感謝しております。
24日午前に聞き取りした外間喜明さんは、私が沖青協に入った1991年から青年会館の理事長としてご活躍され、昨年から顧問をなさっています。理事長のご出身、東風平町富盛の青年会が継承する「唐人行列」を青年ふるさとエイサー祭りにご紹介くださったり、青年隊との関係をつなぎ、また沖青協第7代会長として、沖青協の10年史に携わった方です。
今回、初めて伺う話も多く、外間さんのことをさらに深く知ることができました。仲宗根悟さんと同じく、台湾に派兵され、戦後は宮崎で復員し、その後沖縄に帰り、まずは字の青年会長、東風平(こちんだ)村の会長、そして糸満地区の会長を経て沖青協に入り、会長を努められました。外間さん自身は、戦前に東京の工手学校に入り、昭和19年に予科練へ入隊していたため、戦前の沖縄の青年会活動については経験がありません。それは、安座間磨志さんや仲宗根悟さんとも共通しています。終戦間際の青年たちが徴兵動員されていたことなのかもしれません。
戦後、沖縄に帰り、青年たちが始めたことは、戦後復興の活動でした。東風平は、八重瀬岳に日本軍の陣地があったため、激しい戦闘によって全てが灰燼と化した地でもあり、戦後は、遺骨収集をおこない、緑を取り戻す植樹が中心的な活動でした。その一方で『我らの友』という文集を作成するなど、文化活動も盛んに行われていました。
戦後の沖縄では、まず字の青年会が結成され、市町村団、そして沖青連が昭和23年に結成されます。東風平では昭和22年に村青連が結成され、青年としての初代会長に、外間さんが就任しています。
復帰問題は、終戦直後からあったといいます。一貫して復帰を唱えたのは青年団でしたが、基地を抱える中部と、南部・北部とはその復帰問題への対応について対立していたそうです。中部はまず基地返還が先であると主張し、南部・北部は復帰が先だと意見の相違が見られました。沖縄の基地問題は、基地をもつ地域ともたない地域との間に、今日もなお格差をもたらしています。
外間さんがご活躍した時代の記録は、『沖縄青年団史』(沖縄県青年団協議会発行、1961年)としてまとめられていますが、その後の資料については、全体像が把握されていないのが現状です。
沖青協の書庫(倉庫)を小林先生にご覧頂きましたが、とにかく資料以外の物品が多くて、どのような資料が残されているのか、実態はまだ把握できておりません。しかし「宝の山」であることは間違いなく、少しずつデータベース化して整理することを確約しました。そのためには、仲間が必要。昔の青年を呼び集めて整理しようかと思案中です。
私が沖青協に携わった約10年間は、沖青協の歴史から見るとほんの表層にしかすぎません。しかし、その根っこには外間さんのように同世代の青年として考え、実践し、また戦いの歴史があります。それを少しずつ明らかにし、今日の復帰後生れの青年会員に語り伝えていくような運動を起こしたいと考えています。そして2008年12月17日、沖青協は、結成60周年を迎えます。
外間さんの聞きとりは、こちらでテープ起こしします。先生のICレコーダーのすごさを知って、私も今回初めて使ってみましたが、無事録音されているか、まだ未確認、操作が逆に複雑ですね。データベースについても、今後ともご教示くださいますよう、よろしくお願い申し上げます。
沖縄青年会館常務に相談したところ、おそらく多くの物品は、地下倉庫に移動すると思います。正月3日から5日にかけて、沖青協の役員とできるところから資料の入力をします。来年の沖縄青年運動史研究会は、今年以上に充実させたいと思います。それでは、よいお年をお迎え下さい。このたびは、ありがとうございました。
▼外間喜明氏(沖縄県青年会館にて、2006年12月24日)
5,2007年2月 沖縄青年団運動史・資料と証言
−
南の風・記事−
★<沖縄県青年団協議会(沖縄県青年会館)の資料>
*南の風1774号
(2007年1月10日)所収
山城千秋(Wed, 10 Jan 2007 11:41)
本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。この正月は、久しぶりに暖かい沖縄で過ごしました。家族親戚一同が揃い、ありがたさを実感した正月でした。
この間に、沖青協=沖縄県青年団協議会(沖縄県青年会館)の資料を整理してみましたが、あまりの乱雑さにどこから手を付けてよいのか悩みました。まずは奥の棚にある資料から始めることに。
ほとんどが市町村青年団の総会関係資料ばかりでしたが、『石青協5周年のあゆみ』(1964年)や、『羽地村青年幹部研修会』(1962年)など貴重な資料がありました。一つ一つ手にとって読み始めると膨大な時間がかかってしまい、意外と作業は進みませんでした。わずか本棚一段だけの作業でした。
今後時間をかけて、保存方法なども考えながら整理しようと思っています。中(中頭)青協の資料も多く残っていることも分かり、これからの聞き取りに少しでも役立てるのではないかと考えています。
…(略)…
今年は、9月30日に沖青協が派遣したブラジル移民青年隊の着伯50周年式典があり、沖青協をはじめ沖縄から総出でブラジルに行く計画を立てています。また、来年は沖青協結成60周年を控えており、先生との青年団運動の掘り起こしに力を注ぎたいと考えています。
どうぞ本年もご指導の程よろしくお願い申し上げます。
★<沖縄青年運動を担った群像> 南の風1791号(2007年2月15日)
今回の沖縄調査行の第2のテーマは、戦後の地域青年運動を担った方々の証言収集。2月12日〜13日は、那覇市と沖縄市を歩き、次の3人の方から、興味深いお話を聞きました。戦後復興期から復帰運動にかけての燃えるような時期の群像たち。皆さん今なお若々しく、それぞれの貴重な証言から教えられるところがありました。
お一人は、平田嗣功さん(1962〜63年当時の沖縄県青年団協議会事務局長、現沖縄県青年会館理事長)、そして富田哲さん(1950年代前半の竹富島青年会→竹富町連合青年会の結成、教師、元那覇市教職員組合委員長)、最終日は山内徳信さん(1958年より読谷村青年会活動、その後読谷村長、沖縄県出納長)。このような“群像”の証言を集めていけば、貴重な歴史を再生し復元させていく作業につながりましょう。2月欄に写真を数枚アップ、ご覧下さい。
山内徳信さんは、ご存知のように次の参議院選挙への出馬を決意。13日夜、沖縄市内で「山内徳信さんを励ます中頭OBの集い」が開かれ、インタビューは、その直前の忙しい時間を割いていただき行われたものです。新垣重雄さん(元社会大衆党書記長)と石垣で会ってきた話もしておきました。
集いは参会者150名をこえる盛大な激励会となり、中頭青年活動のかっての主要メンバーがみな集まっていたような感じ。東武さん(1975年当時の沖青協会長)に紹介してもらって、ぶんじんも(候補者のように)名刺を配って歩きました。会場では伊波洋一さん(宜野湾市長)や久しぶりに福地昿昭さん(沖縄戦記録フイルム1フィート運動の会代表)の顔も。ぶんじんは「神出鬼没、幽霊のようだ」と福地さん。
おわって大嶺自吉さん(元具志川市教育長、『おきなわの社会教育』共同執筆者)や田場盛順さん(復帰当時の沖青協会長)、玉那覇正幸さん(宜野湾市立図書館長)たちに“拉致”されて、具志川の酒場へ。そこに宮城英次さん(もと沖縄県教委社会教育主事・青年担当、現うるま市史編さん委員会委員長)も自宅から顔を出され、30年前の回想など。ぶんじんにとっては沖縄研究の同窓会のような一夜となりました。
▼左・平田嗣功氏(沖縄県青年会館理事長)、右・安谷屋孝勇氏(同常務理事) 20070212
▼右・山内徳信氏(「山内徳信さんを励ます中頭OBの集い」当日
−2007年2月13日、沖縄市・かりゆし園にて−)
★<那覇から東京へ> 南の風1825号(2007年4月22日)
4月17〜19日・竹富訪問。
竹富から那覇に戻って、20日には長嶺徳助氏(沖縄県青年団協議会第18代会長、糸満市在住)を訪問。青年団リーダーとして激烈な復帰闘争を担った当時の興味深いお話を聞きました。ご案内は、安谷屋孝勇さん(沖縄青年会館・常務理事)。往復の車中は、いろいろ積もる話も。(以下、略)
▼長嶺徳助さん(糸満市武富の自宅にて)
6,2008年7月 沖縄青年運動史・証言聞き取り計画
−
南の風・記事−
★<沖縄青年団運動史の聞き取りについて> 南の風2051号(2008年6月25日)
山城千秋(Tue, 24 Jun 2008 10:10)
6月23日「慰霊の日」の沖縄は、静かな朝でした。
梅雨明けした沖縄は、もう初夏を超えて真夏ですので、来沖の際は、日差しに気をつけて下さいね。さて、帰省中に安谷屋・常務(沖縄県青年会館)と聞き取り調査の件で相談してきました。候補としては以下の方々です。
・渡具地裕徳さん(第8代会長・元名護市長)
・伊礼清助さん(第11代会長・佐敷町):947-0311
・比嘉正儀さん(第16・17代会長・北中城村):933-0787
渡具地さんについては、文人先生もご存じかと思いますが、伊礼さんと比嘉さんについては、常務の方から連絡を入れておくということです。
…
(以下、略)…
▼元名護市長・渡具知祐徳氏(元沖縄県青年団協議会会長、080707)
7,2009年2月 沖縄青年団史資料調査
*南の風2169号(2月17日)、2171号(2月23日)・風2173号(2月26日)記事
★<沖縄青年運動史研究> 小林文人(南の風2169号・2月17日)
… 沖縄青年運動史研究を提唱したのは2005年のことでした。地域の青年団運動だけでなく、沖縄県青年団協議会が深く関わった「沖縄祖国復帰運動」を含めて、証言を聞き、字誌を調べ、資料を収集していくなどの作業は急がれる必要があります。ホームページにもそのサイトも設けて、この4年余のささやかな歩みを掲載。また『東アジア社会教育研究』(第12号〜13号)には、すでに7人ほどの証言聞き書き記録(小林・山城)が収録されています。
今年は山城千秋さん(熊本大学)を中心に、沖縄県青年団協議会・関係史料の整理分析が本格的に開始されています。いちど一緒に・・・と思っていたところ、九州グループの沖縄調査と当方の沖縄逃避の日程を(部分的に)調整することができました。それに名護・島袋正敏さんの琉球新報賞を祝う会にも参加するという計画がうまく接合。スケジュールは、2月20日〜21日午前:那覇・沖縄県青年会館・資料整理作業、21日夜:名護博物館(中庭)島袋正敏さんお祝い会、22日:名護から那覇へ(夜)、23日:那覇(24日朝・東京へ)の予定。…
★<那覇・名護の夜> 小林文人(南の風2171号・2月23日)
那覇から名護へ、そしてさきほど(2月22日午後)那覇へ戻ってきたところです。沖縄は夜などやや肌寒い感じ、それでも心は熱い人たちとの再会あり、新しい出会いもあり。
沖縄県青年会館が所蔵していた貴重な青年団運動資料は雑然としたままでしたが、この間に進められた研究者グループ(山城千秋、圓入智仁、野依智子などの皆さん)共同の分類整理作業により、すべてダンボールに仕分けされていました。個々の資料について(パソコン入力による)データーベース化が開始されたところ。これからが楽しみ。安井家資料研究会の4年の作業も紹介しておきました。
この日(20日)夕刻には、会館常務・沖青協OBの安谷屋幸勇さんと、たまたま出会った懐かしい高嶺朝勇さん(もと県社会教育主事、現在は南城市教育長)とともに熱い語らい。ことさらにビールは美味い。積年の課題・沖縄県青年団運動史をどうまとめていくかについて、これまでにない具体的な提案も。テープにとっておけばよかった。…
★<沖青協資料整理> 山城千秋(Wed, 25 Feb 2009 12:01)、南の風2173号
沖縄滞在はいかがでしょうか。天気の悪い熊本で、また寒さに震えています。さて、先週の沖青協資料整理について、多くのご助言をいただきありがとうございました。
2月23日から4日間、沖青協・青年会館のご協力を得て、沖青協の積年の課題でありました資料整理を何とか分類してダンボールに詰める作業まで終えることができました。全部で169
箱となり、今後は記号ごとに箱を出して、細分類する作業が待っています。
沖青協資料をはじめ市町村青年団、青年隊、日青協、復帰協、県公文書など重要な資料がたくさん出て参りました。まず、手始めに定期大会資料を整理してみましたが、細分類でとまどうことも多く、課題も見えてきました。安井家資料研究会の分類表を参考に、今後、沖青協版を作成したいと考えております。
昨年の9月に続き2度目の作業でしたが、青年会員の助っ人もあったことから意外と早く片づけることができました。こんな時に限って、腱鞘炎となり、野依さんや圓入くんには、ご心配かけました。
また、青年会館の安谷屋常務には、多くのご支援をいただき、本当に感謝しております。私どもは、5年後をめざして60年史をつくろうと考えておりましたが、常務から「3年後だ」との心強いお言葉をいただき、今後、沖青協現役・OBを含めた執筆者集団についても、早めに検討する必要が出てきたように思います。
次回からは、部屋にこもって資料とにらめっこする作業となります。今のところ、九州・沖縄六月集会が6月27、28日に沖縄で予定されていることから、その辺で一度集まりたいと考えております。ぜひご関心のある方々のご参集を期待しております。
今回、写真資料については、全くの手つかずの状態でおいておりましたが、沖青協の又吉正明事務局長から、写真の電子化を少しずつやっておきたいとのご協力の申し出がありました。現役の青年にも関わってもらう一歩にしたいと思います。しかし、私の写った古い写真などもあり、あまり記録にしてほしくないなぁ、と個人的に思った次第です。
… 次年度もどうぞよろしくお願い申し上げます。お礼まで。
8,戦後初期の沖縄青年団・女性リーダー 南の風2464号(2010年7月4日) 小林文人
私たちの「東アジア社会教育研究」(TOAFAEC
年報)には、毎号に貴重な“証言”を収録しています。沖縄の日本復帰運動、竹富島の住民憲章、青年団運動などについて、当事者から生(なま)の事実を聞き書きする、その細部を含めて記録していく。「東アジア」の前身「沖縄社会教育史料」(東京学芸大学・社会教育研究室発行)から受け継いできた手法です。学会や大学の研究紀要、諸教育雑誌などでは、出来そうで出来ない作業。“証言”は歳月が経てば経つほど、その価値がくっきりと見えてくるのです。
戦後沖縄の青年団運動についての証言は、今年の「東アジア社会教育研究」15集で、第8回となります。昨年の秋に聞き書きした戦後初期の女性リーダーたち(84〜79才)の体験と活動の証言を、山城千秋さんがテープ起こし、解説や注記を付して原稿化。この一両日、その校正作業をしています。お話を聞いたときには気づかなかった証言の価値と迫力。読みながら、圧倒されて、昨夜は眠ることが出来ないほど。たとえば、
「
…
戦後の青年団では、遺骨収集をしていました。方言でカマジイってご存知ですか、袋です。これを一つずつ渡されて・・・遺骨を見て、当時は涙も何も出ません。今は、骸骨を見せられたら、“アキサミヨー、恐い”ってするんですけど、あの時はカマジイを開けて、そこに遺骨の足から入れて、たくさん積めて、一番上に骨のチブル、頭ですよ、それをたくさん重ねて、袋の紐をもって、もう睨みつけるようにして、一歩一歩、南部をを歩いてきました。…」(伊狩典子さん、1951〜53年・沖縄青年連合会・副会長)の証言・一部抜粋。
▼右・伊狩典子さん 左は諸田キク子さん・沖青連初代副会長
(沖縄県青年会館、20091021)
9,やんばる対談T 小林文人 *南の風2444号〜2445号(2011年5月)
★沖縄・屈辱の日 *南の風2444号(
2011年5月29日)
5月28日、「辺野古移設」の日米共同声明が出された日、沖縄は激しく雨が降っていました。ちょうど那覇空港に着いた頃、那覇では日米合意を糾弾する県民集会(県庁近くの県民広場)が、名護では緊急市民集会(市役所中庭)が開かれていました。街角には琉球新報の号外「辺野古移設を日米発表」の大見出し。
投宿したホテルの部屋に入ってテレビをつけると、稲嶺進・名護市長が雨に打たれながら、怒りに紅潮した顔で激しく訴えていました。
「今日、私たちは屈辱の日を迎えた。… 私たちの心は怒りの頂点だ。沖縄はまたしても切り捨てられた。(日米の)発表は、地元への説明もなく、市民県民の民意をないがしろにし、地元の頭越しに行われている。許されるものではない」と。
この日、早くも沖縄防衛局は米軍普天間基地の辺野古移設を明記した日米共同声明を持参して名護市等へ説明に訪れたそうです。稲嶺市長らは「まだ閣議決定されていない中で伝えらるのは手順がおかしい」として拒否(琉球新報、29日記事)。辺野古、久志、豊原のいわゆる久志三区、隣の宜野座村にも説明に。
この日の深夜番組「朝まで生テレビ−激論・鳩山政権」では9月12日予定の名護市議選挙に向けて、すでに切り崩しの動きが始まっていることが話題になっていました。舞台裏にいろんな動きが始まっている模様。
ところで、南の八重山からは、松田良孝さん(八重山毎日新聞記者)の新しい本が出たニュース(上掲)。松田記者は、与那国戦後史についても貴重な連載の仕事があり、また2003年10月の石垣・平久保「ぶんじん歌碑」建立を報じてくれた人でもあります。
★やんばるのホタル *南の風2445号(
2011年6月1日)
沖縄はいま梅雨。ときに激しく降り、たまに陽がさす、不安定な空模様。さきほど名護から那覇のホテルに帰ってきたところです。
30日・名護では「やんばる対談」(県立青年の家)の第一弾。主として島袋正敏さんに話を聞くかたちで進められました。ご参加の山城千秋さん(進行)、山口真理子さん、お疲れさまでした。1970年・名護市の誕生から40年。70年代の基本構想「自立」「逆格差」論、80年代の住民運動、90年代後半からの普天間−辺野古問題、今年の稲嶺進・市長選等を含めて、貴重なお話。「東アジア」第15号に向けて、うまくまとまるかどうか。
終わって、名護城(なんぐすく)の山を下り、東海岸・底仁屋旧小学校前・正敏さんの遊び小屋(手作り建築中)敷地へ。やんばるのホタルを見るためです。日が暮れてくると、松の老木(御神松)に巣をつくっているらしいコノハズク、近くの森からはアカショウビンなどの鳴き声、せせらぎの蛙の合唱にも包まれて、ちらほらとホタルがまたたき始める。心洗われる夜を楽しみました。
沖縄の童謡「じんじん」(蛍)を口ずさみ、仲宗根政善先生歌集「蚊帳のホタル」を想い出していました。やんばるの自然のなかに当たり前のようにとびかうホタル。そのすぐ近くに日米合意で巨大な軍事基地を造ろうとする政治の醜悪さ、怖さ。
大国林道の山城秀夫さんたちも合流。(3月に引き続く)日曜休みの店を特別に開いてもらって夜遅くまでの島酒懇談。お世話になりました。
▲やんばるの月。前列左より稲嶺進、島袋正敏、小林文人、比嘉久ほか、中列に宮城満など、
後列に島福義弘、中村誠司ほかの皆さん。中天に月さま。(名護市博物館中庭、20070701)
10,2010・沖縄研究フォーラムの立ち上げ構想
山城千秋(Sun, 19 Dec 2010 17:40) 南の風2556号(2010年12月21日)
私たちのこれからの沖縄研究の進め方、またTOAFAEC 年報第16号への取り組みも視野に入れて、「沖縄研究フォーラム」立ち上げの構想をまとめてみました。勝手な私案ですが、検討頂きますようお願い申しあげます。
この数年来の韓国そして中国の研究フォーラムのように、明確な出版企画や国際シンポなどの具体的な計画があるわけではありませんが、これまでの「沖縄社会教育研究会」の経過を活かし、研究蓄積をさらに発展させていく楽しみもあります。私の関心ですと、どうしても青年会や基地問題に傾斜しがちですが、皆様のご意見も頂戴したいと思っています。私に「見えない沖縄」もあるかと思いますので。
雑案ではございますが、ひとまず第一回の沖縄研究フォーラムについてもご提案申し上げます。
○沖縄研究フォーラム立ち上げの構想・案 −2010.12.17−(山城千秋)
1.趣旨
(1) TOAFAEC 研究活動の一つの柱である沖縄社会教育研究を深めるため、沖縄でフィール
ドワークを実施する。
(2) この間の沖縄研究・継続テーマである「戦後沖縄青年運動史の証言」(第12号〜)および
「やんばる対談」(第15号〜)を開催する。
(3) 喫緊の沖縄の基地問題・普天間基地移設問題について、社会教育や字公民館活動、地
域青年運動からの観点を含め、課題を深めていくようなフォーラムを企画する。
(4) 『おきなわの社会教育』(小林・島袋編、2002年)に続く出版構想を具体化していく。2012
年の刊行をめざす。
2.沖縄研究フォーラム(第1回)の日程案
(1) 2011年2月10日(木)沖縄集合−(那覇泊)
夜:おきなわ社会教育研究会、沖縄県青年団連絡協議会との交流
2月11日(金・祝)名護へ。島袋正敏氏などとの「やんばる対談」
夜:社会教育関係者との交流会 (名護泊)
2月12日(土)「戦後沖縄青年運動史の証言」沖青協OB聞き取り
字公民館の訪問
*自由行動(海洋博、万座毛、佐喜真美術館など)那覇泊
2月13日(日)自由行動(沖青協資料整理など)現地解散
(2) 第2案として、2月17日(木)〜スケジュール案。
3.検討事項(当面、第1回フォーラム開催に関して)
・日程の確定、飛行機の手配(連休前なので、早めの手配が必要)
・参加者の宿泊先、移動手段などの手配
・那覇・名護との調整
・自由行動の持ち方、基地問題を考える企画を設けるか、その他
★沖縄研究・第3サイクルへ 小林文人 南の風2556号(2010年12月21日)
南の風は、もともと沖縄からの風。1998年に沖縄研究再開の呼びかけメールとして「南の風」は始まりました。この数ヶ月、新しく風に参加された方々もあり、あらためて経過を書いておきます。
まず、1976年秋の「沖縄社会教育研究会」の出発。東京学芸大学研究室が拠点でした。戦後アメリカ占領下の沖縄社会教育、その資料調査や証言収集に取り組み、同『史料集』全7冊、『民衆と社会教育−戦後沖縄社会教育史研究』等が刊行されました。私たちの沖縄研究の第1サイクルです。
その後も沖縄調査は断続的に続けられましたが、とくに米兵少女暴行事件(1995年)を契機とする反基地闘争や、集落(字)の公民館活動・字誌づくり・青年会活動等の新たな展開を背景として、第2サイクルの沖縄研究が動いていきます。東アジアへの関心も加えて、TOAFAEC (東京・沖縄・東アジア社会教育研究会)がスタートし、「南の風」が吹き始めたのでした。当時の思いは、ホームページに載せています。→
■
宮古・与那国・竹富など南の島々も旅してきました。字公民館とのさまざまな出会い、地域史研究の拡がり。そして『おきなわの社会教育−自治・文化・地域づくり』の刊行。名護で社会教育研究全国集会(2002年)が開催されたことなど懐かしい思い出。
そして、新しい世代の登場による「沖縄研究フォーラム」の立ち上げ構想(上掲・山城千秋メール)。沖縄研究のいわば第3サイクルがいま始まろうとしています。関心ある方々のご参加を!
★沖縄フィールドワーク(2月日程)案 山城千秋 (Fri, 31 Dec 2010) 南の風2564号(2011年1月2日)
新年からは新しい沖縄研究フォーラムを始動します。昨年のメールでお知らせしたように(風2560号)、第1回は2月10日からの日程で実施いたします。
つきましては、参加者の方々には連休ということもあり、早めの飛行機確保をお願いいたします。なお、宿についてはこちらで一括で予約いたしますので、ご連絡ください。文人先生とご相談した一応の日程案は以下の通りです。
○2011年2月10日(木)沖縄集合−夜:おきなわ社会教育研究会などとの交流
2月11日(金・祝)名護へ。「やんばる対談」夜:社会教育関係者との交流会
2月12日(土)字公民館の訪問(名護市内、国頭村奥など検討)
*自由行動−読谷村波平区、あるいは佐喜真美術館など、「戦後沖縄青年運動史の
証言」沖青協OBの聞き取り
2月13日(日)自由行動(沖青協資料整理など)、現地解散
しかし、石井山さんからのメールによると、この日程では李正連さんも参加不可能ということで、心配になってきました。それで急ぎ電話でご相談したところですが、予定通りと確認しました。その場合、韓国からのご参加(風2560号・本欄)がある場合、どのような対応が必要か、ご教示頂けると幸いです。その他の手配については、沖青協には私から連絡しておきます。今年も何卒どうぞよろしくお願い申し上げます。
★沖縄フィールドワーク・ご案内 山城千秋 (Tue, 25 Jan 2011) 南の風2579号(2011年1月26日)
2月の日程案については、新春の風2564号に記しましたが、あらためてご案内申しあげます。
初日(10日)夜のフォーラム懇談会では、沖縄の社会教育関係者の方々に呼びかけます。平良研一(沖縄大学)、上地武昭(同)、嘉納英明(名名桜大学)の各先生にも案内をいたします。また、県生涯学習振興課をはじめ、社会教育指導者友の会(社会教育主事OBの会、高嶺朝勇先生が会長)などとも懇談ができるよう努力しています。沖縄県青年団協議会(会長)も出席予定。
2日目(11日)の名護への移動は、私の車を用意いたします。宿泊の予約は山田荘でいかがでしょうか。名護・島袋正敏さんたちとの「やんばる対談」の進め方についてもご検討頂けると幸いです。正敏さんとは近々打ち合わせします。
3日目(12日)の沖青協OBへの聞き取りですが、名護在住の永山研次さん(沖縄青年開発協会・元理事長)にまずはお願いしようと考えております。今日は連絡が取れておりませんが、後日お知らせします。あるいは那覇で、城間健さん(復帰協・初代事務局長、沖青協社会部長)など沖青年協OBの方にお願いします。
日程について、以下のように、ひとまずご提案申し上げます。詳細は沖縄側と相談して進めて参りますので、どうぞよろしくお願いします。
○沖縄研究フォーラム・第1回フィールドワーク
1.趣旨:
(1)沖縄の社会教育関係者とのネットワークづくりを図る。
(2)TOAFAEC・沖縄研究の柱である「戦後沖縄青年運動史証言」と「やんばる対談」を実施。
(3)時間の範囲内で字公民館サーベイを試みる。(那覇⇔名護の途次)、
2.日程
2011年2月10日(木)午後:沖縄集合
18:00:おきなわ社会教育研究会、社会教育関係者との交流会
会場:沖縄県青年会館 (那覇・ホテルサンワ泊)
第2日:2月11日(金)午前:名護に移動
午後:島袋正敏さんたちとの「やんばる対談」
夜:社会教育関係者との交流会 (名護・山田荘泊)
第3日:2月12日(土)午前:那覇へ移動
午後:「戦後沖縄青年運動史の証言」沖青協OBへの聞き取り
夜:未定 (那覇・ホテルサンワ泊)
3.具体的内容(略)
(1)交流会・懇親会(10日夜)の持ち方
(2)第2回「やんばる対談」について
(3)「戦後沖縄青年運動史の証言」の聞き取りについて
11,やんばる対談U (2011) 2011年2月
(小林文人・島袋正敏・山城千秋・山口真理子)
★やんばる対談の企画 小林文人*南の風2580号(2011年1月28日)
昨年の年報第15号では、島袋正敏・小林文人「やんばる対談」(1)が案外と好評でした。やんばるの風に吹かれながら、これまでの地域活動・社会教育の歩みを振り返り、2010年の名護市長選への流れを語りあいました。もちろん正敏さんが主役、ぶんじんは聞き役、進行・記録として山城千秋・山口真理子のお二人が介添役。
気楽な「ゆんたく」の気分。話の成り行きに任せて、自由な語りを大事にする。遠慮のない話にはもちろん脱線あり、また難しい問題も出てくる。行き詰まりそうになると、さらりと次の話題に移る、そんな調子。あとで読み返し加除修正、注なども加える余裕がありますから、気楽なものです。なにより終わったあとの「大国林道」の古酒が楽しみ。
今年も対談<その2>を企画しています(2月11日午後・名護)。昨年のテーマは「社会教育と市長選」でしたが、いわば総論みたいなもの。今年の対談はどんなテーマですすめるか。「ゆんたく」だからテーマはなくてもいい? いや、むしろ大きなテーマは用意した方がいいのです。
昨年の対談記録を読み返してみると、正敏さんの話の中に課題はたくさん出ています。沖縄の在来家畜(アーグー等)保存、古酒運動、村の芸能(祭り)、集落の共同(字公民館)、青年エイサー、字誌づくり、環境を守る運動、基地問題への取組みなどなど。具体的な事実のなかから、そこに生きる人々の学びと地域づくりの活力を浮き彫りにしていく。やんばるの地から、日本の社会教育の停滞に矢を放つような対談にしたいもの。できれば本にもできないか、など思いは弾みます。いま27日深更、机上に古酒壺あり。
★島袋正敏さんへのたより 小林文人(Fri, 28 Jan 2011 12:45)
2月11日にお世話になります。
沖縄の字公民館と、韓国のマウルの共同体運動の出会いを夢見て、韓国のヤンビョンチャン研究室(公州大学)を誘っていましたが、こちらの日程での誘いですから、韓国側はやはり無理のよう。
また東北大学など数人の人たちも参加する気配でしたが、最終的には来れなくなりました。おそらく、また去年のメンバーで参上することになります。
11日午後、新山ソバあたりで昼食を済ませて、電話します。1時半前後に。またどこか場所を用意していただけないでしょうか。山の青年の家は絶好でしたが、底仁屋の御神松下の小屋でも結構です。当日の進め方について、今朝出した「南の風」2580号に当方のイメージ(上掲)を少し書いています。
正敏さんのご意見で、テーマを大きくしぼり、ゆんたくをお願いしたいと思いますが如何でしょうか。関連する人で、ご一緒できる方があれば、ぜひ、お誘いいただけませんか?
5〜6回の企画を考えるとすれば、だんだんと参加する人が増えていくような流れになる、懐旧談だけでなく、若い世代も加わってくる、名護以外の人にも拡がっていく、そんな流れになると嬉しいのですが、まず中村誠司さんに呼びかけできないでしょうか。誠司さんがボソボソと、しかし大事なことを語る姿を思い出しています。
今回の「対談」(2),どのあたりにテーマを設定するか、あらかじめご意向をお示しください。当方の心づもりもありますので。
山城秀夫さんなどによろしくお伝えください。当夜は山田荘泊まりですと。
★山羊刺身か猪の焼肉で
*島袋正敏(Sat, 29 Jan 2011 11:11) 南の風2581号(2011年1月30日)
名護は今日29日から第49回目の桜祭りです。文人先生ご一行来訪のころが満開でしょうか。11日(やんばる対談A)は、もし天気がよければ底仁屋の畑で、焚き火でもしながらユンタクできないかと考えています。テーマはアーグー保存活用や古酒づくり、モノづくりなどの取り組みの真意と、40年間の名護の社会教育活動とどのようにつながってきたか等で、気軽に少し飲みながらやりましょうか。山羊刺身か猪の焼肉でも準備しましょう。
寒さが気になりますが、20度を超えたら決行です。大国林道・山城秀夫さんや、若者にも声をかけます。
防衛施設局が名護市長と教育長に対して(辺野古新基地建設を前提とした環境調査を拒否したとして)異議申し立てをしている問題で、市民の怒りのボルテージはさらに上がるでしょう。(瓶)
★沖縄・やんばる対談へ 小林文人*南の風258号(2011年2月13日)
2月10日午前、旅先(橋本)から風・前号を出したあと、3日が経過しました。旅の続き、関西空港から飛んで、いま沖縄の3日目。ようやく時間をつくって本欄を書いています。
日本列島が寒波に襲われるなか、沖縄も冷たい毎日です。滞在の初日は沖縄らしく暖かな日射しでしたが、翌11日の名護は冷たい雨、風も強く吹きました。島袋正敏さんの「はたけ」で、私たちを歓迎する心づくしの焚き火が有り難い。ヤンバルで焚き火を囲む風景など、めったに見られることではありません。本来は脱ぎすてるコートの襟をたてながら、「やんばる対談」Aの幕開け。ご参加の皆さま、お疲れさまでした。朝から準備して下さった正敏さん、山城秀夫さん(大国林道)など、たいへん有り難うございました。
たまたまこの日、「地域再生大賞」(第1回、全国の地方新聞社と共同通信社の創設)が発表され、「琉球在来豚アグー保存会」(アグー=黒豚)が特別賞に選ばれました(各紙報道)。保存会の会長は正敏さん。2年ほど前の琉球新報賞に続く快挙、おめでたい日と重なりました。
沖縄初日(10日)の那覇「沖縄研究フォーラム」親睦会も盛会。二日目「やんばる対談」Aの始まり、三日目の沖縄青年団運動史証言の聞き取りと合わせて、それぞれ次号以降に報告が寄せられる予定です。
この間、三日おきの「風」、いいリズムの発行となりましたが、当方の編集ボックスには、頂いたメールがいくつも滞留中。2月26日午後第170回TOAFAEC
研究会の案内も掲載を待っています。記念すべき研究会、皆様、ぜひ!ご予定下さい。
★沖縄研究フォーラム・親睦会のご案内 *南の風2586号(2011年2月6日)
沖縄社会教育関係 各位 東京・沖縄・東アジア社会教育研究会 (小林文人・山口真理子・山城千秋)
軽暖の候、皆様におかれましてはますますご健勝のこととお慶び申し上げます。
さて、ご承知のように、私ども東京・沖縄・東アジア社会教育研究会(TOAFAEC)
は、沖縄の社会教育研究に長年携わってきました。さらなる発展をめざし「沖縄研究フォーラム」として、新たな意欲をもって、フイールドワーク、証言収集、資料整理等を進めていく計画です。このたび、別紙(略)のとおり第1回のフィールドワークを実施いたします。
そこでその初日に、沖縄の社会教育関係者皆様方との情報交換、研究交流および連絡提携をはかるため、下記のとおり親睦会を催すことといたしました。
つきましては、皆様方にはご多忙とは存じますが、ご参加いただきますようお願い申し上げます。
記
1.日時 2月10日(木)午後7時〜
2.場所 (財)沖縄県青年会館 住所:那覇市久米2-15-23 電話:098-864-1780
3.内容 これからの沖縄研究ついて:小林文人「沖縄研究のこれまでとこれから」
4.会費 3,000円
5.問い合わせ:山城(熊本大学)電話 096-342-2624
★沖縄フォーラム・親睦会の記録 山城千秋 *
南の風2602号(2011年3月4日)
2月10日の沖縄研究フォーラムから、あっという間に3月。この間、無精しており大変申し訳ございません。遅くなりましたが、先日フォーラムの記録として、初日の親睦会についてご報告します。
沖縄研究フォーラム初日の2月10日(木)、沖縄県青年会館にて沖縄の社会教育関係者との懇親会を開催しました。沖縄側からご出席いただいたのは「おきなわ社会教育研究会」の玉那覇正幸さん、名城ふじ子さん、鷲尾真由美さん、佐久本全さん。県社会教育指導主事「友の会」の波平眞允さん、上原美智子さん。沖青協からは前会長の玉城徳智さん、日青協常任理事の照屋仁士さん。沖縄県青年会館の安谷屋幸勇さん。研究者として平良研一、上地武昭(沖縄大)、鳥山淳(沖国大)の各先生、
東京・熊本からは小林文人、山口真理子、山城千秋の3人。総勢15名の会となりました。
懐かしい方々との語り合いでは、これまでの沖縄の社会教育の歩みを振り返るとともに、皆様のご活躍の足跡を確かめる機会となりました。1977年「おきなわ社会教育研究会」の設立会場が青年会館であったことや、それぞれが出会ったきっかけに小林先生がいつもいらっしゃったこと、様々な立場の方々が沖縄の社会教育に関わっていたことなど、懐かしい話題に尽きることはありませんでした。
自己紹介や話題提供をいただいた後、小林先生より「沖縄社会教育研究のあゆみ、これから」という演題で小講演をいただきました。1976年に始まる沖縄研究・第一サイクルの時期には、東京で沖縄社会教育研究会、那覇で「おきなわ社会教育研究会」が発足、後に『沖縄社会教育史料』そして『民衆と社会教育』を発刊する等の成果を生み出されました。
第二サイクルとも言える1995年からの沖縄研究では、TOAFAEC が発足し、2002年『おきなわの社会教育』刊行、名護での社全協・全国集会を経て、沖縄から東アジアへと活動は展開し、韓国及び中国についての研究フォーラム、東アジア研究交流委員会が発足することになりました。
そして第三サイクルとも言える今回の「沖縄研究フォーラム」の胎動、これまでの蓄積の上に、さらなる研究の深みを求めて、次のような視点をもって研究会を進めていきたいことなどが語られました。
(1) 沖縄社会教育史への注目、(2) 沖縄型字公民館の発見、(3) 琉球文化を掘る、(4)
県及び市町村の社会教育行政のネット、(5) 新たな出版構想、(6) 日本・東アジアの躍動との連携。小講演は、時間が足りなかったために、二次会でも熱く議論が続きました。
なお、今回の親睦会開催にあたり、会場や呼びかけなどにおいて、沖縄県青年会館の安谷屋常務には大変お世話になりました。改めてお礼を申し上げたいと思います。そして、今回お集まりいただきました皆様とは、今後も沖縄研究フォーラムで議論できることを心より期待しております。ご多忙のところ、ご参集いただきました皆様に御礼申し上げます。
★2・11「やんばる対談」A顛末記 *山口真理子、*
南の風2602号(2011年2月16日)
2月11日(金)那覇から名護へ。午後2時頃、冷たい雨、強い風の中、山城千秋さんの車で名護・底仁屋の島袋正敏さん「はたけ」へ。そこは「底仁屋の御神松」に見守られているような場所です。
いま「はたけ」は“小屋”が建設中です。廃材を利用した全て手づくりの建物、完成した暁には古酒甕の貯蔵庫や「ものづくり塾」の拠点となる予定だそうです。昨年5月に続き2度目の訪問ですが、ブロック積みの壁がほぼ出来上がり、屋根の骨組は張られているものの、あまり進行していない?感じ。昨年は名護市長選、市議会議員選、知事選など相次ぎ、小屋づくりどころではなかったとか。今年7月には完成させるとの意気込みを聞きました。そうなれば私たちにとっては名護の訪問先が増えることになります。
さて、到着しますと、大国林道の山城秀夫さんがブルーシートを屋根,壁に取り付けの奮闘中。正敏さんは猪肉を焼き始めておられるところでした。焼きあがるまでに、山羊肉の刺身、輪切りのきゅうり(おいしかった)。傍らには焚火が赤々と燃えて、寒さで震えながらも、気持とお腹はほかほかと暖かい。因みに、この猪は正敏さんの弟さんが仕留められたものとか。
参加者は正敏さん,山城さん,文人先生,千秋さん,私、そこに名桜大学の嘉納英明さん,読谷から沖縄大学・上地武昭さん、名護市広報の平良さんが揃い、賑やかな会話がはずみました。
平良さんは刷り上がったばかりの広報誌「市民の広場」2月号を持参。1ページ目は稲嶺進市長の写真と「再編交付金にたよらないまちづくりに邁進します」という名護市財政状況が紹介されています。上地さんは読谷村長選の残念な結果からほぼ1年。文人先生によれば「前より若々しくなった!」と。嘉納さんに、それとなくTOAFAEC
会員のお誘い。
そこに正敏さんの携帯電話に「地域再生大賞」(第1回、全国の地方新聞社と共同通信社の創設)特別賞のニュース(「南の風」2588既報)。受賞の正敏さんは肉を焼くのに忙しく、私たちはそれを食べるのに夢中になり、皆さんは酔いがまわってきて…。千秋さんと何度か「対談は?」と顔を見合わせ、リコーダーを出しかけるものの、また引っ込めて・…。対談は幕を開けたものの、本番は次回へ。4月頃なのでしょうか。
正敏さん、山城さん、素敵な場とおいしい肉を、ありがとうございました。上地さん、嘉納さん、平良さん、またお目にかかりましょう。千秋さん、長時間の運転ありがとうございました。今回の沖縄の旅、運転だけではなく、全てにお世話になり、ありがとうございました。
12,「ヤンバル対談A」−ようやく本番 南の風2616号【2011年3月20日】
ヤンバル対談とは、2010年の名護市長選挙・稲嶺ススム市政の出発を契機に、ヤンバルを語ろう、という思いから始まりました。辺野古問題だけでなく、自然・環境・生きもの・祭り・集落・文化など本来豊かな地域の可能性を、社会教育の視点をもって“ゆんたく”していこう、日本の社会教育の再生にむけても発言していこう、と意気盛ん。4〜5回重ねていく構想です。
その第1回(2010年)の記録は、『東アジア社会教育研究』第15集に収録されています。思いのほか好評。主要メンバーは島袋正敏、山城千秋、山口真理子、ぶんじん。徐々に若い世代にも拡げていこうという思いをもって、今年は「沖縄研究フォーラム」(2月10日・那覇)を呼びかけて懇親会(風2602号に報告)を、その翌日「ヤンバル対談・その2」を企画したことはご承知の通り(上記)。当日は8人も集まり、正敏さんの猪肉のもてなし。楽しく飲み語らいましたが、対談とはならず、プロローグのみ。第1楽章?は始りませんでした(2590号に顛末記)。
3月17日(木)、ようやく本番の日。ヤンバルの風に吹かれて・・・とはいうものの、この日も底仁屋の「はたけ」は寒い1日でした。対談の二人(島袋正敏、ぶんじん)は、ジャンバーの襟を立て、冷気に包まれて、やや急ぎ足の話。稲嶺市政のこの1年、地域づくり、農業の建て直し、黒豚(アグー)の保存、博物館の役割、琉球アユの呼び戻し、集落の取り組み、などと話題はいろいろ。なんとか第4楽章までいったと思っています。
ただし「琉球アユ」復活の運動は、源河集落の当事者である島福善弘さん(名護博物館長)から直接に話を聞こうということになり、第3楽章が残っているかたち。島福善弘さんは夜の大国林道には姿を現しましたが、翌日は時間がとれず、近い機会によろしく、とお願いをして別れました。山城千秋さんの春休み帰省の折にでも、1時間ほど島福証言を聞く時間をつくって、「対談」をまとめていただけませんか。
▼ヤンバル対談・島袋正敏さんー建築中の「蔓草庵」、冷雨雨のなか対談(底仁屋、20110211)
13,2012年・沖縄研究フオーラム
■3月沖縄訪問の日程案 (山城千秋、Mon, 13 Feb 2012 16:51)南の風2823号
沖縄行きの日程について、当方の都合でご確定くださいまして恐縮でございます。あまり飛行機も安くない時期で失礼しました。さて、南の風で既にお知らせ済みですが(風2815・2821号)、2012年・沖縄研究フォーラムは、祖国復帰40年をメインテーマに、@おきなわ社会教育研究会との交流、A中頭郡青年団OB座談会、Bやんばる対談について、実施したいと考えております。今回は旅の同行者が多くなりそう?ですので、それぞれのご希望も伺いたいと存じます。
勝手な私案ではございますが、皆さまのご希望も含める上で、ひとまず上述の事案について予定を(企画案として)示しておきたいと思います。
3月26日(月)各自沖縄入り 夜:おきなわ社会教育研究会(那覇市泊)
鳥山さんにミニ講演をいただけないか。
3月27日(火)午後〜夜:中頭郡青年団OB座談会(那覇か沖縄市泊)
3月28日(水)午後:やんばる対談(名護市泊)
3月29日(木)自由行動・現地解散(もしくは八重山へ?)
まずは、沖縄の関係者の方々に日程のご都合を伺います。ご参加の皆さまには、26日沖縄入りで飛行機の確保をお願いいたします。宿と車の手配については、人数が確定してまたご相談申し上げます。まだまだ未熟な案ですが、皆さまご検討いただきますよう、お願い申し上げます。
最後に、先般NHK(沖縄)で放映された番組(沖縄復帰40年「変わろう沖縄、残そう沖縄」、毎週木曜日)DVDを送らせて頂きました。3月訪沖の際には、池島さん(NHK担当ディレクター)にもご連絡しようと思います。ひとまず、お礼と素案の提案まで。
■八重山・竹富島訪問案 (小林文人、南の風2823号)
3月沖縄訪問の日程・企画案が山城千秋さんから届きました(上掲)。ご参加予定、これからの方、ご検討ください。ご意見・希望をお寄せください。受入れ側(那覇、中頭、名護)のご都合もお聞きし、できれば1週間ほどで確定したいと思います。上述のように、3月26日(夕刻までに)那覇集合、29日を最終日として現地解散の線。飛行機は各自で、宿泊・車はまとめて手配しようという計画です。
ぶんじんは、これに加えて、3月30日〜31日、八重山行き(1泊)を提案したいと思います。目的は、竹富島での聞きとり・対談。シマ共同体と「赤瓦リゾート」企業との新しい展開(風2806号「竹富島の動き」既報)についての調査です。3月29日から八重山に入り、31日に離沖(帰京)できるように日程を組む案も可。ぶんじんは一度那覇に戻ってゆっくりと4月1日に帰京するスケジュールを考えています。参加ご希望の方があれば一報ください。もし時間があれば、ぶんじん歌碑(平久保)にもご案内したい。これは案外と面白い旅かも。中頭青年団OB座談会と竹富島調査は、いずれも「東アジア社会教育研究」第12号(2007年)の続編となりますので、いちど目を通していただけると、いちだんと興味も深まりましょう。
■3月末、竹富島訪問計画は断念(小林文人、南の風2825号)
復帰前後からの本土資本による土地買い占め、それに抗する島民の運動、住民憲章づくりなどの歴史をもつ竹富島のその後(風2806号に既報)について、3月30〜31日の訪問調査を計画し、公民館長・上勢頭芳徳さんに相談しました。あいにく3月31日が公民館総会の当日、その準備のため、当方のスケジュール案はは最悪、公民館側としては対応できない日程となってしまったようです。3月初旬訪問案の段階では、積極艇に迎えていただく意向だっただけに残念。今回は断念せざるを得ないようです。第17号への原稿づくりのためには、4月以降の早い時期に訪問スケジュールを考える必要がありますが、うまくいくかどうか。まずはご報告まで。
14,2012年3月・沖縄訪問スケジュール(山城千秋、Tue, 20 Mar 2012 12:03)
3月26日(月)19:00 おきなわ社会教育研究会と。 テーマ:それぞれの「祖国復帰」
場所:沖縄県青年会館 珊瑚の間 那覇市久米2-15-23 TEL 098-864-1780
3月27日(火)14:00 中頭郡青年団協議会OB座談会。復帰40年・青年団運動(仮)
場所:中根章氏・事務所(沖縄市中の町)
3月28日(水)15:00 「やんばる対談」その(14:00集合)場所:底仁屋「蔓草庵」
18:00) ミニ講演会(小林文人)・市民フォーラム「社会教育・博物館と地域づくり」
会場・名護博物館中庭 名護市東江1-8-1 TEL 0980-53-1342
3月29日(木)午前・午後 準備中
18:00 那覇に戻る 末本誠先生と夕食会
15,風の音に耳を傾けよ 小林文人・南の風2857号(2012年4月4日)
今回の沖縄の旅は、私たちの年報(第17号)小特集「沖縄復帰40年」についての取材・原稿依頼が大きな目的でした。これまでの諸報告(風2853号〜2862号→■)でお分かりのように、まずまずの成果。なかでも復帰運動を青年団として取り組み、また1960年以降「沖縄県祖国復帰協議会」に積極的に参加してきた中頭郡青年団OBの皆さんに証言していただきました(27日午後)。本音の語り合い、あらためて復帰の歳月を思い、多くのことを考えた1日でした。
座談会では「復帰40年」を安易に取り上げることについて、強い異議が出されました。たとえば有銘政夫さん(もと青年会長、教職員会専従、中部地区労議長)の発言。「現在も(基地問題など)復帰前が続いているし、復帰しても癒されないものがある。琉球への薩摩侵略、明治の琉球処分そして戦後の軍事占領と4・28(1952年)以降へとアメリカ支配が続いてきた。1972年復帰はワンステップに過ぎない。復帰問題を40年で帳消しにしては話せない。僕らの青年期を帳消しにするようなものだ」など。
いま中頭郡青年団OBでは<碑文>「…屈辱的な米国支配の鉄鎖に繋がれた」4月28日(いわゆる沖縄デー)に向けて、この日に辺戸岬「祖国復帰闘争碑」前に立つ企画が進行中です。そのうちにご案内があるでしょう。
本号には同「闘争碑」の碑文をあえて収録しました。全国そして世界の友人へのメッセージとして、「吹き渡る風の音に耳を傾けよ…」と始まり、この碑が「…喜びを表明するためにあるのでもなく、ましてや勝利を記念するためにあるのでもない」ことが強調されています。
私たちの沖縄日程の4日目、辺戸岬の闘争碑に正座して、<碑文>「吹き渡る風の音に耳を傾け・・打ち寄せる波濤の響きを聞」く岩本陽児さん。
写真→■ http://www007.upp.so-net.ne.jp/bunjin-k/minami2851.htm
▲名護(東海岸・底仁屋)蔓草庵(島袋正敏氏主宰、20120329)
16,中頭座談会・やんばる対談に参加して
金宝藍(東京大学・大学院)(Wed, 11 Apr 2012 11:53) 南の風2862〜63号(2012年4月)写真→■
<公州から東京へ>
こんにちは。金宝藍(キム・ボラム)と申します。今年2月に韓国・公州大学校教育学科大学院を卒業して3月22日に東京にまいりました。学部2年生の時、鹿児島大学・地域社会教育学科で交換留学生として1年間勉強しながら、日本の社会教育に対して興味を持つようになって、その時から日本への留学を目指して来ました。
4月からは東京大学の社会教育・生涯教育研究室で学ぶことになりました。昨日から授業が始まって、明日は入学式が行われます。いまは、家具の組み立てや、いろんなオリエンテーションや手続きなどで、まだ落ち着いてない状況ですが、すこし落ち着いたら、すぐついていきますので、なにとぞよろしくお願いいたします。
<TOAFAEC 研究会>
私は小林先生をはじめ、皆様のおかげで、東京に3月22日に着いた直後から、充実した時間をすごすことができました。24日は東アジア社会教育(TOAFAEC)定例会や編集会議に参加させていただき、王国輝さんと馬麗華さんの博士論文のご発表をお聞きすることができました。中国の社会教育にたいして、少しずつ知り始めたことももちろん意味深いですが、先輩たちが厳しい状況のなかでも、どれほど論文に力をこめたのかがわかってきて、非常に大きな刺激を受けました。そして研究会の家族のような皆様が集まって、お互いに御祝いしあい励まし合う、あまりにも美しい場面で、心があたたかくなりました。あらためて研究会の皆様にお祝いしながら、心より感謝申し上げます。
<沖縄フィールドワーク>
3月26日〜29日の沖縄への訪問を通して、胸がさらにあつくなりました。旅のあいだずっと胸に響いて、帰って来てもその余韻がひびきますね。先月にも沖縄に行ってまいりましたが、小林先生と沖縄に行くと、きっと違うことが見えてくるはずだと思いましたので、まだ引越しもできていないところ、“軽率”に参加させていただきました。昔、朝鮮時代のある文人は、”愛すれば知ることになり、知れば見えることになり、その時見えるのは、その前と違うだろう”と述べたそうです。今回の沖縄への旅は、その話をまったく全身で実感させてくれました。
沖縄の歴史、伝統文化、食べ物や飲み物(ソーキそば、あんだき、やぎのおさしみ、さんぴん茶、泡盛など等)、大自然、琉球語…すべてに深い感動を受けました。しかし、その中でももっとも印象に残ったことは、やはり´人´でした。
´イチャリバチョウデ´という素敵なことば、まったくそのとおり、すべての方々が、何十年ぶりにお会いした友のように、親近であたたかくしてくれました。そのうえ、自分たちが生きているところの歴史や伝統文化を守り、次世代に継承しようとする色んな取り組みや、自らの力で地域に根ざした多様な活動をされている様子のなかで、真剣でありながら愉快な沖縄の力が感じられました。私にもなぜか、使命感さえ伝わってきた気がしました。
<復帰運動を闘った人々と>
そして、その沖縄の方々から学ぼうとし、話に耳を傾けられながら、お互いに力を取り交わしあい、関係を何十年も作ってこられた小林先生を見て、研究者のあり方にたいしてあらためて真剣に考えてみるきっかけになりました。
“沖縄をめぐる周りの状況や現実が変わらないかぎり、復帰記念日というのは意味がない。…周りの状況が変わらないなら、変化を待つだけではなく、その前に、沖縄が先に変わらないといけない。…沖縄はだんだん変化の取り組みが広がっている…”などの中頭青年会の大先輩たちのお話は、私には衝撃的な学習そのものでした。
復帰というのをいろんな視点から考えてみることができました。本当に来てよかったと思いながら、記録の重要性、記録をきちんと伝えることの大事さについてもあらためて感じました。
<ヤンバル、名護博物館>
いままで本を通して接していた名護市、地域に根ざした社会教育実践活動が行われているその名護市を訪ねたこともすごい経験でした。ヤンバルの島酒研究会、ヤンバル学研究会、民話発掘への取り組み、地域における大学の役割などなど、’地域’をキーワードにしながら、生活に密着した多様な活動を展開することを直接見る事ができ、非常に大事なことをたくさん学ばせていただきました。教育の役割をもっとも大事に考え、自ら地域の宝物や資源を発見する目を持ちながら、地域住民がともに作り出す博物館、地域そのものがfield
になる博物館に向けて、常に新しい工夫を模索している名護博物館の様子を見ながら、社会教育施設のあり方に関しても大きな感銘を受けました。
´ものづくり、ひとづくり、次の世代につなぐ´がスローガンでありましたが、やはりそれを作っていくのは、社会教育職員たちの魂と住民たちの力でありましょうね。奥の集落にも行きました。100年前からつくられ、生協の原型であり、共同経済生活の典型である共同売店を見たりしたことも、現在の社会的経済について考えるきっかけとなりました。
<沖縄と韓国>
那覇の夜、末本誠先生と名城ふじ子さんから、小林先生の沖縄研究と交流の36年の歴史と友情について伺いましたが、その痕跡がつけられているところを、あちらこちら行かせていただいたことで、なんとも不思議な感じがしました。
特に復帰闘争碑(辺戸岬)についた時、仲宗根悟先生が書かられた碑文を見た瞬間の気持ちというのは、なんとも言い表せないものでありました。沖縄は中国との関係、アメリカとの関係、そして内地との関係など、いろんな視点から見る事ができ、韓国とは基地問題を共有し、歴史的にも関係するところが多く、沖縄が持っている意味は言い尽くせません。その沖縄で貴重な経験をさせていただき大事なことを学ばせていただいて、私にとってはありえない光栄でありました。
<皆様に感謝!>
やはり沖縄は´おおきなわ´だと私は思っております。この場をかりて、島袋正敏先生や山城秀夫さんをはじめとする名護の皆様、熊本大学の山城千秋先生、そして(同行の)岩本陽児先生、山口真理子さん、井谷泰彦さん、武田拡明さん、那覇の鷲尾真由美さんに心より感謝のお礼を申し上げたいと思っております。たいそうお世話になりました。
小林先生と岩本先生の教えと心遣い、激励も絶対忘れません。本当にありがとうございました。
名護市から那覇市まで帰ってくる車中は、夕焼けの空を見ながら色んな歌が思い出されて、歌いたかったんですが、小林先生がずっと歌いまして、とても止めて自分が歌うのはできませんでした。残念だと思っております。
<ブリディとキムタカ>
私はfieldworkができる背景知識や複雑なことを見抜く洞察力や眼目は、まだ持っていません。しかし、現場にたいする研究者としての心とフットワークはきちんと持っていると思っております。あつい心臓と健康な足を、まず持っていますので、頭と目はこれから少しずつ発達させていきます。私も沖縄のブリディ(群り手。皆の手で、皆の力を合わせて、皆で作り出そう)と、キムタカ(肝高、高いこころざし)の精神を身につけて厳しい留学生活のなかでも、心と精神だけは豊かに生きていきたいと思っております。留学生活を本格的に始める前に、沖縄に行ってエネルギーとちからをどっさりといただきましたので、きっとこれからの学びと留学生活の弾みになると確信しております。
本当に夢のような旅でしたが、夢にとどまらず、その大事な経験を私の留学生活と研究活動に活かし、過去の歴史と現在の問題意識と、未来の課題を、東アジア的な視点から見られる目を持ちながら、これからも楽しく、逞しく、ねばり強く、頑張っていきたいと思っております。
これからもどうぞよろしくお願い申し上げます。本当に本当に、心より、ありがとうございました。
17,「4.28平和の旅」へ参加
(山城千秋、Mon, 30 Apr 2012 22:00) 南の風2875号
先般の編集委員会(27日)は欠席し、失礼いたしました。実は、先般の沖縄研究フォーラムで、中頭青年団OB会の方々にお誘いいただいた復帰40年を検証する「4.28平和の旅」に参加して参りました。おそらく事務局長の玉那覇正幸さんからもお便りあるかと思いますが、ひとまず私の見聞をお伝えしたいと思います。
4.28は、60年前に祖国から捨てられた「屈辱の日」でありますが、52年前(1960年)に、沖縄県祖国復帰協議会が結成された日でもあります。つまりいずれの4.28からも、沖縄の青年団による復帰闘争が始まったと考えられ、その闘争は、今日に至るまでまだ終わっていないと印象をもった集会でした。
辺戸岬の海上北緯27度線では、かつて復帰協が主催した海上集会が再現されていました。
中頭青年団OB会の皆さまの他に、沖縄市の現役青年会を含む総勢55名のツアーで、海勢頭豊さんも同行され「沖縄を返せ」「がんばろう」「喜瀬武原」「月桃」など全員で合唱し、拳を振り上げました。
仲宗根悟さんは、自らが筆を取った復帰闘争碑の前で、「平和憲法の日本に復帰すれば、沖縄も変わると思った。しかし、復帰しても1609年の薩摩侵略から一向に変わっていないことを認識すべきだ。日本が変わらないといけない。闘争碑は、本土を背にして沖縄の人々、アジアに人々に訴えている。日本を背にして訴えている碑であることも認識して欲しい」、そういう旨のお話をされました。
沖縄の民意を蔑ろにする日米政府のあり方、未だに解決できない普天間問題。福地廣昭さん(沖縄人権協会)、山内徳信参議院議員もお見えになり、そのお話では、「平和憲法に帰るための運動を青年団運動にしようと中根章さんらが青年を組織して動いたり、仲宗根さんたちが沖縄の人権を守るためには、平和憲法に戻るしかないとして復帰協を組織したりした。
今でも沖縄の人はジンブンがあるから、この16年間、辺野古の海に杭一本も打たせなかった。先輩たちががんばったように、今の若者もその運動を引き継いで欲しい」と、訴えていました。
1960年度の中青協総会資料の運動方針には、次のように書かれています。「祖国復帰実現のために闘うサンフランシスコ条約第3条の無効を宣言して即時祖国復帰を勝ちとるために、あらゆる機会をとらえ先頭に立って闘う。4月28日に結成される沖縄県祖国復帰協議会を全面的に支持し、その中枢体となって働く。」
青年団と復帰協がともに民族闘争の先頭に立っていたことを表しています。仲宗根さんにとって、祖国とは「ウチナー」であって、今の日本ではない。戦後66年を経ても、未だに沖縄差別の象徴である基地問題さえ解決できない。日本こそが変わるべきだと、何度もおっしゃっていたのが印象的でした。
今年の4.28は、海上集会を遠くに見ながら、復帰闘争碑の意味を仲宗根悟さんの言葉から知る貴重な日になりました。NHK
の池島さんも仲宗根さんに同行取材しており、近々全国ニュースで放映する予定だとおっしゃっていました。皆さんにもぜひご覧いただきたいと思います。
4.28の次は、復帰の日である5.15がやってきます。今年は、数年ぶりに5.15平和行進に参加し、15日まで様々な復帰に関する集会に参加します。復帰とは何だったのか。考えを巡らす日々が続きます。
18,2013年3月沖縄訪問、「やんばる対談」「竹富島」日程ご案内
小林文人(2013年2月10日・春節)
南の風3032号
かねてご相談していた3月の沖縄行き、「やんばる対談」などの日程がほぼ確定しましたので、ご案内します。同行ご希望の方があれば、ご一報お願いします。それぞれのご都合でフライトなど各自で予約いただき、もし宿泊(5000円以下)について、ご一緒の意向であれば、その旨お知らせください。当方でまとめて同泊の手配をいたします。
3月中旬の日程提案(風3023号、3030号)について、とくに他案・修正の声は聞こえてきませんでしたので、この線で先方のご都合について相談・調整をしてきました。名護の島袋正敏、比嘉ひとみ(「風」に記載)、宜野湾の玉那覇正幸、那覇の名城ふじ子、竹富島の上勢頭芳徳の皆さま、煩わしく電話など失礼しました。ご配慮、有り難うございました。大筋の調整日程案は次の通りです。
1,3月13日(水)夕刻、那覇に集合。夜「おきなわ社会教育研究会」と交流会の予定(場所な
ど詳細は別報)。<那覇泊>
2,3月14日(木)名護へ移動。午後「やんばる対談」。名桜大学・中村誠司氏(名護市史編さ
ん・字誌づくり運動など)を中心に“ゆんたく”予定。夜は同氏「定年を祝う」集いの開催か。
<名護泊>
3,3月15日〜16日−未定(自由)。青年運動史聞き取り等。 <那覇泊>
4,3月17日(日)八重山・石垣へ移動。竹富島へ。上勢頭芳徳氏(前公民館長、喜宝院蒐集
館長)に「竹富島のいま」について話を聞く。とくに昨年開業した「竹富島リゾート」の現況など。
<竹富島泊>
5,3月18日(月)石垣へ。渡慶次賢康氏(沖縄県元社会教育主義)との再会。平久保「ぶん
じん歌碑」ほか(予定)。<石垣泊>
6,3月19日(火)新石垣空港より帰京(東京直行便)。
大きくは、@沖縄本島、A石垣・竹富島、の二つのスケジュール。八重山(石垣・竹富)訪問は特別メニューです。多少の変更はあると思いますが、日程ほぼ確定。沖縄本島だけではなく、A石垣・竹富島行きについても(負担が増えますが)ご希望があれば、遠慮なくお申し出ください。
19,那覇、名護、竹富、石垣・平久保(2013年3月3〜19日 南の風3048−54号)
★那覇 南の風3049号
…午後4時すぎ那覇に着きました。ホテルに投宿してパソコンをつないでみると、名護から島袋正敏の上掲メール。あわせて「やんばる対談」について次のご連絡(メールの続き)。有り難うございます。
「…14日の対談は蔓草庵2時ですが、少し前に来られて、近くの底仁屋公民館で区民の写真展、クラシックカメラ、少しですが手づくり工芸品など、小さな展示会が1日から20日まで行なわれていますので、覘いてください。コスモス畑も満開です。過疎の小さな集落に少しずつ元気の芽生えが…。」また夜の中村誠司さん「退職激励会」についてのご案内(アルコールの方3000円、飲まない方2000円。30名ほどの参加予定、など)。
13日夜の那覇「おきなわ社会教育研究会」との交流会はは賑やかでした。東京の「沖縄社会教育研究会」が1976年。その翌年に那覇の研究会が発足したのでした。すでに35年余の歳月。この間、亡くなられた方もありますが、出席者はみな元気。研究会の曲折はもちろん、しかし継続してきたことは事実。
→■
研究会発足当初からの主要メンバーの顔が並んで、感慨深いものがありました。この間に何が出来たのかなどの盛んな論議。しばし若者になった気分に。東京での花粉症は、那覇の暖かい空気に触れて、1時間ごとに回復していきました。
★名護 南の風3050号
14日。…1年ぶりの沖縄の旅、予定通り、いや予定より忙しく、賑やかに続いています。思いがけない再会、新しい出会い、嬉しいことです。
前号(那覇)のあと名護へ。まず14日午後は「やんばる対談」。中村誠司さん(名桜大学)を囲んで、たっぷりと話を聞きました。参加者は、東京4人(小林・山口・上平泰博・武田拡明)のほか、岡幸江(九大)、山城千秋(熊本大学)、鷲尾真由美(那覇壺屋)など。
夜は誠司さんの「定年を祝う会」。親しい皆さんが集まりました(写真)。市史編さんや字誌づくりに関わってきた仲間・後輩たちからの遠慮のない回想を聞きながら、名護で仕事をしてきた誠司さんの幸せを思いました。市長の稲嶺進さんからも型にはまらない心温まる挨拶。末本誠さん(神戸大学)も出席。
★比嘉ひとみ(19 Mar 2013 18:14)*名護市教育委員会 文化課
南の風3051号
文人先生はじめ皆様、先日(14日)は名護まで足を運んでいただき、ありがとうございました。本島北部から八重山まで沖縄縦断された(らしい)文人先生の体力には改めて脱帽です。
先生方がいらした時は、ちょうど久志の二見以北十区では「フラワーフェスティバル」が開催されていて、「蔓草庵」のある底仁屋区もコスモス満開(沖縄ではコスモスは年中咲きます)、公民館では区民による写真展が開かれていました。そういう中で、異風空間である島袋正敏さんの蔓草庵にて「やんばる対談」。正敏さんのチーイリチャーと島酒をいただきながら、当日の主役である中村誠司さん(ご存知の方も多いかと思いますが、沖縄の地域史を先導してきた人)を囲んで、文人先生のリードのもと、中村先生のお話しを伺いました。
名護市の胎動期(名護市史の発足も入る)の頃のお話しを、深く関わった中村先生の人生・青春と絡めてお聞きする事ができました。
そして、夜は中村誠司さんの名桜大学退官祝い。文人先生、山城千秋さん、山口真理子さん、上平泰博さん、武田拡明さん、そして末本誠先生もご参加くださり、多くの人でにぎわいました。奥さまの愛子さん、息子の省吾さん、娘のかなさん(ドイツから)らご家族のほか、名護関係者(懐かしい顔がいっぱい!)もたくさん参加して、稲嶺進市長(議会で多忙な中)を筆頭に、皆で中村先生に言いたい放題・・・同窓会のような楽しい会となりました。…
▼中村誠司さん(3月14日)
★武田拡明(もと川崎市・市民館長、Wed, 20 Mar 2013 12:21) 南の風3051号
今年も名護で様々な出会いがあり、私の生涯の中で忘れられない旅となりました。小林先生とご一緒できて様々な栄養分をまた仕込んできた気がします。小林先生の体調が以前と変わらずに、いや沖縄の自然と人との出会いでますます元気が復活したように見えました。
昨年以来、沖縄の旅に同行させていただき、名護の地域づくりがどのように進展しているのか、社会教育の役割は何か確かめたいと思ってやってきましたが、明確なイメージができてきた感じがします。それは1973年の名護市基本構想が提起した“逆格差論”に基づいた自力建設思想の具現化であり、ものづくり・ひとづくりが一体となった地域づくりであり、ものづくり・人づくりにコミットする社会教育活動です。このような活動を保証して制度を維持している自治体は他には無いのではと思われる程です。
キーワード・逆格差論の復活で、稲嶺進市長が「逆格差論が見直される、復活される時代が来た」と宣言されたのです。そして、昨年配置されたまちづくり・まちおこしを進める地域コーディネーター深谷さんとの取材で、支所配置の社会教育主事と協働で地域づくりの仕事を推進している現状も確認でき、感激して帰ってきたところです。
象グループが議論した「苗」(那覇)にも連れて行っていただき、上平さんや、おきなわ社会教育研究会の皆様との出会いもあり、さらに刺激をもらいました。ありがとうございます。
★15日は那覇に戻り、夜は久茂地「苗」(35年来の付き合い居酒屋)へ。田中治彦さん(上智大学)が合流して、話は尽きず。…
16日午後。平良親徳氏(1950年代に沖縄青年団運動、その後に教員、琉球政府時代の社会教育行政担当、高等学校長など歴任)の聞き取り。夜は東町「山海」(25年来の付き合いヒージャー屋、黄宗建先生を案内したこことも)へ。和光大学ゼミに囲まれたている15年前の写真に再会。17日から石垣・竹富島の予定です。
★八重山訪問(石垣・竹富・平久保) 南の風3051号
南の風3045号など)に書いてきたように、久しぶりの石垣そして竹富島でした。何よりも嬉しかったのは、私たちの八重山研究(最初のフィールドワーク1979年以来)の水路を開いて下さった渡慶次賢康さんと再会できたこと。戦後八重山の社会教育資料調査はもちろん、その後の与那国調査、あるいは平久保「ぶんじん歌碑」を含めて、そのきっかけをつくって下さった方です。しかし倒れられて闘病・リハビリの毎日、お会いする機会がありませんでした。ところが今回はお元気な姿で、石垣港にご夫妻で迎えていただき、昨夜(18日)は上勢頭芳徳さんもご一緒の食事会。
この2日間の記録を一通り書いておきましょう。17日「南ぬ島(ぱいぬしま)石垣空港」に降り立ち、渡慶次ご夫妻とお会いした港から竹富島へ。いろいろと新しい風景。喜芳院蒐集館には梵鐘と「あそびに学ぶ ムーヤマの島 語りきわめて 未来ひらきし 上勢頭亮翁」の碑。午後6時には鐘をつかせて頂きました。夜の集いは阿佐伊孫良さんと拓さん、竹富滞在中の前本多美子さん。テーップにとっておきたいほどの“ゆんたく”。
18日は再び海を渡って石垣へ。芳徳さんに運転していただき北上、平久保へ。ところが警報が出たほどの集中豪雨(短い時間に死者が出た)、雷鳴もとどろき、南の島の激しさを実感しました。帰路に白保(「安里屋ユンタ」歌碑)、宮良(「宮良公民館憲章」碑)の両公民館をまわり、ホテルでの(上述)夕食会へ。終日の運転をしていただいた芳徳さん、見事なハンドルさばき、細かなご配慮、たいへん有り難うございました。
その後、新垣重雄さん(島そば一番地、もと社大党書記長)、さらにその後に上地武昭さん(沖縄大学)が姿を現して、びっくり。上地さんは平久保に歌碑を訪ねて、数時間前にぶんじんも来た、ことを知ったそうです。
忘れがたい1日。来し方を想い、これからを語りあった八重山訪問となりました。19日に1週間の旅を終へて石垣空港から帰京しました。
▼左より上勢頭芳徳氏、小林、渡慶次賢康・美智子夫妻(石垣、20130318) *撮影:新垣重雄氏
★阿佐伊 拓(特定非営利活動法人「たきどぅん」、Wed, 20 Mar 2013)
南の風3052号
<3月の竹富島>
17日の夜は大変楽しいひと時を過ごさせていただき、まことに有難うございました。先生の強い意志と堅固な責任感に直接触れることができ(巷の若者は“オーラ”と云う表現をするそうですが…)、お陰で僕もますます意気軒昂となりそうです。
3月の竹富島はとにかく多忙です。各支会による役員選出や年度末による事業の執行、公民館定期総会準備のバックアップ。勿論、Npoの事業執行や事業報告書の提出期限の月でもあります。(学校PTAに所属するようになると、その忙しさが2〜3倍に増加します。)
そのため、3月に入ると毎日がジェットコースターに乗っている感覚で過ぎていきます。僕は今年度は役職に就いていないため、例年ほどではありませんが。
『竹富島憲章』の件では大変失礼いたしました。先生の仰る通り、本来ならばNPOがデータベース化すべきところです。…(略)…
父の面倒も見ていただき、こちらも重ねて有難うございました。“意志の強さと堅固な責任感”は、先生と重なるところが多々あります。父も先生の迫力に刺激を受けたことと察します。またの竹富島へのご来島を心よりお待ち申し上げます。『南の風』の投稿も是非ともさせていただきます。
★公民館の憲章(ぶ) 南の風3052号
…「東アジア社会教育研究」編集について、先日の那覇で山城千秋さんと協議する機会がありました。第18号についていくつか案を出しあいました。八重山では、竹富島の上勢頭芳徳さんと話をしながら、年報づくりにどう具体化できるか、とくに特集構成に関わって、いいアイデアがないかといま考えているところです。
前号に紹介した『このまちに生きる−成功するまちづくりと地域再生力』(2013年、彰国社)、竹富島についての上勢頭芳徳、西山徳明(九州大学)両氏の報告とそれをめぐってのパネルディスカッションが面白い。歴史に生きてきた島の自治と共同、社会組織と精神風土、文化の刷り込み、竹富島憲章と公民館の果たす役割など。
沖縄の字公民館では、それぞれの集落自治と共同を言語化したとも言える「公民館憲章」づくりがあります。ホームページに7事例を収録しています。
→■ とくに竹富島憲章の経過が私たちの心を引きつけてきました。島の土地を買い占めてきた本土資本の跳梁に抗して、「売らない、汚さない、乱さない、壊さない、生かす」(1986年)の5原則。そのモデルとなった「妻籠宿を守る住民憲章」(1971年)は、「売らない」「貸さない」「こわさない」とうたっていますが、「貸さない」原則について、竹富島でも検討を要する新しい事態が生じています。
★3本の祝い酒(ぶ) 南の風3053号
…竹富島の夜(17日)いただいた3本の祝い酒。一つは「竹富町立竹富小学校創立120周年」記念(式典・6月30日)の30度「請福」。石垣の銘酒です。何より佐賀から上京の編集長・上野景三さんへの感謝の乾杯。竹富小学校には20年前の創立百周年記念誌『うつぐみ』の大作があります(B5版861頁、1993年刊)。そして昨年に120周年を迎えたのです。
竹富島の離島の苦しみは、1950年以降に人口流出を招き、一時 250人まで減少。しかし1990年以降はむしろ人口増に転じ、いま350
ん前後に増加してきました。2007年には小さな村に5人の赤ちゃんが生まれて、地元紙もこれを報じた写真が自慢。自分たちのシマづくりが“離島の人口増”を呼び学校も賑わいを見せ、120年の歴史を祝う酒はことさら美味なのです。
あと一つの祝い酒は、阿佐伊孫良さんからいただいた「南ぬ島・石垣新空港開港記念」の1本、これは27日・定例研究会(中国研究フォーラム)で開けさせていただきました。「請福」8年古酒の逸品。イーストウッドのマスターにもお裾分けしました。
そして最後の1本は、昨年12月1〜2日の種子取祭(たなどぅい)の祝い酒、これはまだ大事に封を切らないで、出番をまっています。いずれも山口真理子さんが石垣空港から大事に持ち帰っていただいたもの。皆様にあらためて感謝!です
★旅の失せ物(ぶ) 南の風3054号
…旅には必ずや失せ物あり。その被害の少ないことを祈るのみ。
今回の八重山の旅の最終日。新石垣空港から(宮古にも寄らず)羽田への直行便。もちろん初めてのフライト。嬉しくなって、前の方のゆったり席にチケット変更。ビールも買い込み、2時間半を楽しみました。途中で5年使ってきた野帳(フィールドノート、沖縄調査の全記録、折々の歌の下書きも)の整理を始めました。、しかし、すぐビールの酔いでぐっすり。
羽田近くのアナウンスに目をさまし寝ぼけ頭で降りました。このノートこそ何にも代えがたい宝物!を機内に置き忘れたのです。帰宅し一段落したところで失せ物に気づきました。翌早朝にJALに連絡、この宝物は見事に戻ってきたのでした。失せ物はときに戻ることありという話。今回は他に旅の失せ物はなく、お祝いの乾杯を重ねた次第。
■2014年
20, 今年の「やんばる対談」企画 南の風3262号(2014年3月13日)
・島袋正敏(黙々100年塾「蔓草庵」主宰 (名護市底仁屋)
<名護の社会教育主事集団と稲嶺ススム市長とのユンタク>
文人先生 4月12日(土)「やんばる対談」は午後2時頃でよろしいでしょうか。稲嶺ススムの日程も対談後に取れましたので、そのまま蔓草庵で古酒泡盛を飲みながらユンタクの場にしましょう。
社会教育主事を各支所に配置したのは稲嶺ススムの地域づくりに向ける思いから実現したもの。若い社教主事たちが今、地域とどのようなかかわりで動いているのか、気軽にユンタクしましょう。また、対談後のススムを交えてのその思いを聞き、地域づくり、地域を元気にする社会教育の仕事について交歓できたら、と思っております。
僕は世話係に回ります。いつもの先生のリードでお願いします。資料は近々お届けします。
・小林ぶんじん 願ってもないプログラム、セイビンさんの調整さすが! 有り難うございました。参加ご希望の方は当日(4月12日)午後1時半あたり、名護・東海岸・底仁屋(御神松の下)の「蔓草庵」にご参集ください。午後2時〜午後5時過ぎの予定で、若い社会教育主事の皆さんと「やんばる対談」。そのあと、稲嶺ススム市長を囲む“ゆんたく”の豪華プログラム。
この夜は名護泊りとなりましょう。また、前日(11日)夜は那覇の「おきなわ社会教育研究会」との交流会となる公算大。いまから連絡をとります。関心ある方のご参加歓迎です。ご連絡ください。
21,歓迎交流会・名護の夜 南の風3282号(2014年4月16日)
4月12日午後、私たちの「やんばる対談」(東海岸・底仁屋)と同じ時刻、西の海に浮かぶ伊江島では、第22回島一周マラソン大会が開かれていました(上掲・コラム)。名護市長・稲嶺進さんはこれを走って、その足で私たちの歓迎交流会(名護市中央公民館工作室)に駆けつけて頂きました。
稲嶺ススムさんと私たちとの出会いは、すでに風3241号本欄に書いたことがあります。この夜ススムさんは疲れもみせず多弁。とくにこの歓迎会を準備した名護側の若き社会教育主事たち(育休中の人を含めて9名)に語りかけていたように思います。「社会教育こそ私の原点」「素晴らしい仕事だ」「1982年・富士見集会(社会教育研究全国集会)に参加した想い出」など。先輩である島袋正敏さんの社会教育の思想(たしか“セイビンイズム”と表現)に学ぶところが大きかったこと。
いま全国的に社会教育主事の体制が弱体化しているなか、名護では逆に社会教育主事への期待が語られ、その地域配置による体制充実が進められています。稲嶺市政(2010年)は、名護市中心部だけでなく、周辺4地区(久志、屋部、羽地、屋我地の4支所)に社会教育主事を新しく配置。その若き群像たちは、集落支援や地域おこしの活動など「地域を元気に」と奮闘中です。今年の「やんばる対談」は、その苦労話から話が始まりました。夜の交流会では、稲嶺市長自ら市長旅費の一部をまわして社会教育研修を応援したい・・・と若者たちを激励していました。
30年前の全国集会の夜、ススムさんは私たちの研究会で「二見情話」を披露したことがあります。この夜もリクエストに応えて三線を弾きながら情話絶唱(写真)、会場も合唱。久しぶりに聞くススム節の「二見情話」、酔いも深まりました。
▼稲嶺ススムさんの「二見情話」 (名護市中央公民館工作室、20140412)
22,2014・やんばる対談・参加者(年報19号)
日時:2014年4月12日(土)午後2時〜5時
場所:名護市底仁屋「黙々100年塾・蔓草庵」(島袋正敏・主宰)
進行:小林文人(TOAFAEC 顧問)、
記録:山口真理子(TOAFAEC 会計)
参加者T・名護市:島袋正敏(「山原ものづくり塾」塾長),中村誠司(名桜大学)
座間味法子(教育委員会教育長),比嘉ひとみ(社会教育課長),比嘉久(博物館館長),
島袋一平(社会教育係長),田畑晶吾(博物館係長)、糸数幸司(社会教育係・羽地支所),
伊波寿々歌(同係・屋我地支所)、大城重浩(同係・久志支所),岸本久美子(同係・育休中),
比嘉祥子(同係 新人)、,大嶺真人(市史編さん係),,
参加者U・訪問側:小林文人(TOAFAEC顧問)、桑原重美(元NHKカメラマン),
武田拡明(元川崎市教育委員会),斎藤真哉(東京都板橋区教育委員会大原社会教育会館館長)
佐治真由子(川崎市役所 NPO学習推進センターいたばし)、山城千秋(熊本大学准教授)、
鷲尾真由美(おきなわ環境ネット)、森田はるみ(北海道置戸町教育委員会社会教育主事)
加藤彰彦(沖縄大学名誉教授,前学長、ペンネーム野本三吉)
藤田徹(日本労働者協同組合ワーカーズコープ連合会センター事業団理事長)
上平泰博(協同総合研究所専務理事補佐)、宇加治哲朗(同九州沖縄事業本部事務局長)
仲兼久周子(同 名護地域福祉事務所ゆらりの里所長)
山口真理子(TOAFAEC会計)
▲蔓草庵「やんばる対談」(20140412)
■2015年
23,3月の沖縄訪問(やんばる対談)計画 南の風3437号(2015年1月24日)
*高知大学・内田純一(Sat, 24 Jan 2015 11:28)
TOAFAEC 『東アジア社会教育研究』第20号に掲載予定「やんばる対談7」収録に合わせる形で、3月26日〜30日案で訪沖計画を進めています。今回は、韓国慶煕大学校の崔一先先生を含め、はじめて沖縄を訪れるメンバーも参加することから、次のような訪問日程・内容を考えています。
まず沖縄本島南部からスタートし、基地フェンスの脇を北上しつつ中部を通って名護へ、辺野古を経由し、「やんばる対談」に参加した後、本島最北部国頭村の奥集落を訪ね歩くです。TOAFAEC
では前身「戦後沖縄社会教育研究会」時から「魚眼マップの思想」「発見の方法」(象設計グループ)に学んで沖縄を真ん中において世界を見つめ、新しい創造の契機を発見する努力を続けてきました。
今回も沖縄の過去と現代、人と地域と語らいながら、社会教育をめぐる東アジアの未来が展望できる旅になればと思っています。なお、2月27日(金)夜に事前学習会(TOAFAEC定例−第214回−研究会、東京高井戸・予定)の企画を準備中です。訪沖希望の方や関心ある方は奮ってご参加ください。
<沖縄訪問スケジュール>
・3/26 那覇集合(同夜、那覇「おきなわ社会教育研究会」と交流予定)那覇泊
・3/27 南部戦跡(南風原・ひめゆり・魂魄・摩文仁など) 那覇泊
・3/28 AM:北上 佐喜眞美術館、辺野古へ、28PM:14:00〜17:00 やんばる対談(名護東海岸・
底仁屋「蔓草庵」、夜は名護の皆さんと交流会)名護(山田荘)泊
・3/29 名護より北上、辺戸岬→「奥」集落フィールドワーク、東村高江を経て名護→那覇泊
・3/30〜 帰路
毎回のことですが、那覇「おきなわ社会教育研究会」の皆さん、そして名護の島袋正敏さんをはじめ名護市教育委員会の皆さんにはたいへんお世話になります。年度末の慌ただしい時期に恐縮ですが、昨年「やんばる対談」に登場し、夏の社会教育研究全国集会(山中湖)でもお会いした若き社会教育主事さんたちとの再会を楽しみにしております。
▼第7回「やんばる対談」終了、テントの下で参加者の記念撮影。
右2人目に島袋正敏さん、4人目に韓国から参加の崔一先さん(慶煕大学) -名護・