【南の風2017】発行リスト・3851号~3900号  
各号目次・後記(ぶんじん日誌)
  

*南の風・発行一覧

*南の風3801号~3850号→
*南の風3901号~次ぺ―




  
【南の風2017】3851号~3900号・目次一覧(進行中)

3851号【 6月29日】前川喜平氏講演、私塾「福島駅前自主夜間中学」、北海道、ホームページ20年史
3852号【 7月 2日】やんばる対談10記録、鉄腕・稲尾とひめゆり、240回(6月30日)研究会
3853号【 7月 4日】
6月定例研究会報告、八重山の戦争マラリア、年報22号台湾寄稿、『資料集成』構想
3854号【 7月 6日】第5回編集委員会 南の風に参加、劇団「石川ひまわりキッズシアター」、編集会議へ
3855号【 7月 8日】ソウルの風.11、韓国大統演説演説、町田、ミサイル配備反対4公民館、富美を偲ぶ会
3856号【7月11日】七夕会 動画とスナップ、小林富美・略年譜、沖縄・残したい香り、北海道から沖縄まで
3857号【7月13日】国立大学協会専務理事、国際シンポ(12月開催・佐賀予定)台湾参加,、奄美研究展望
3858号【7月15日】7月研究会、日本の平和博物館運動も、新外交イニシアティブ(ND)、信念を貫いた生涯
3859号【7月17日】76韓国フォーラム、ソウルの風12、 7月16日(原爆・爆発実験の日)、名護、南北交流
3860号【7月21日】第5回編集委員会、「東アジアの教育改革20年」資料、「肝苦りさ~」、町田、夏ばて?

3861号【7月23日】76韓国フオーラム報告1990年代論、出版記念会等、 ソウルより、1990年代の興奮
3862号【7月26日】「沖縄社会教育史料」3号、「東アジアの教育改革20年」資料2、22号原稿デッドライン
3863号【7月28日】赤峰より、広東より投稿、「東アジアの教育改革20年」3、戸籍公表、夏の夜の研究会
3864号【7月30日】平和博物館国際会議(第9回)報告、故大田昌秀さんの県民葬、7月終る(年報原稿を)
3865号【8月 2日】ソウルの風 No.13、町田とびたつ会、「東アジア・教育改革から20年」4,祭りの笛・太鼓
3866号【8月 5日】渡嘉敷島「空とぶ図書館」、登校拒否・不登校問題全国のつどい、1976~1989年記録

3867号【8月 9日】韓国本出版記念会、空とぶ図書館、勝連城、「東アジア教育改革20年」5、柳田国男忌
3868号【8月11日】韓国本出版記念会案内、九条俳句訴訟10月13日判決、オスプレイ、長崎市長平和宣言
3869号【8月15日】夜間中学卒業生スピーチ大会、沖縄社会教育史、沖縄県民大会、8月15日・煌めく夜
3870号【8月18日】22号校正、名護から全国集会、韓国本出版会参加、上海より、日韓自治体間交流を
3871号【8月22日】22号最終校正・構成決まる、「愚かな戦争」伝える(金口木舌)、22号最終校正終わる
3872号【8月25日】基礎教育保障学会(第2回、大阪)、町田、沖縄豊年祭・エイサー、諸集会へ参加できず
3873号【8月28日】『躍動する韓国』出版記念会、ソウル、和歌山橋本、上田は不参加、賑やかな一夜

3874号【9月 1日】ソウルの風14、韓国本出版記念会コメント、八重山毎日新聞・不連続線、暦は9月
3875号【9月 5日】夜間中学開設のために~その①.、年報22号出稿、橋本、カメジロー、林えいだい訃報
3876号【9月13日】三国フォーラム、協同総研、夜間中学②、町田、沖縄「うらそえ織」、林えいだい追悼1
3877号【9月17日】9月定例研究会、映画「海辺の生と死」、ハンドブック第9版、年報22号、年報誕生の日
3878号【9月19日】日本社会教育学会は名護、学会ラウンドテーブル、福岡の署名活動、竹富島、病室から
3879号【9月21日】教育勅語を考える2、『ハンドブック』第9版の特別価格、高知、皆さんからの風を頼りに
3880号【9月23日】『沖縄社会教育史料』、筑後平野、たちかわ市民大学、チビチリガマ、林えいだい追想2
3881号【9月29日】松本・意見書、九大・公州大国際交流、上田市、文人先生病室日誌①、風しばしお休み
<共同編集・発行 (江頭晃子、山口真理子、小林ぶんじん)>
3882号【10月 8日】10月例会、松戸自主夜中3000、島袋文子88歳祝い、お見舞い、病室日誌②、共同編集
3883号【10月13日】海勢頭豊、台湾(許)韓国(ヤン)のたより、ソウル風.15、ロンドンから、緻密なデータ整理
3884号【10月22日】22号合評会、各地からお見舞い、松本・国へ要望書、映画「こんばんは」、石垣島を訪ねて
3885号【10月29日】友兼清治さん卒論、夜間中学入門、ソウルの風.16、法政大学と沖縄、「公民」意識の違い
3886号【11月 4日】243研究会報告、やんばる地域博物館宣言、ソウル17、泡盛の里帰り、病室日誌③、青空
3887号【11月11日】11月研究会、お見舞い、東亜日報」に「わいがや」、ソウル18、27度線の分断、空白時間
3888号【11月18日】稲嶺名護市長3期目へ、四國五郎とガタロ師弟展、ソウル風19、青い空、足腰を取り戻す夢
3889号【11月 日】











南の風・各号後記(ぶんじん日誌)


3890号【2017年12月 日】



3889号【2017年11月 日】





3888号【2017年11月18日】
■≪足腰を取り戻す夢(ぶ)≫
 最初の手術が済んで、リハビリ中心の病院へ一時転院(3週間)。数日前そこから再びいまの病院に戻ってきました。次の手術(本手術)の準備に入っています。術後のリハビリなど考えると、少なくともあと1ヶ月半はかかる? 
 病院暮らしも2ヶ月を越えました。もとの足腰を取り戻す希望だけを頼りに、ひたすら耐えています。ご存知・故伊藤長和さんが「烟台の風」連載(全309本)後に書いた「私の闘病生活」(12本+4本)を改めて読みました。長さんにとっても闘病とは耐えること。亡くなられる直前までの健筆に感服の他なし。→■
 病院では“歌ごころ”どころではありませんが、日誌がわりに戯れ歌数首を。
◇(10月3日)手術(1回目)の夜、麻酔さめかけて-
・ナースコール手にもたされて混濁の 痛みの砂漠ひとり彷徨う
・朦朧のなか「この手術は失敗だ!」うわごと叫びし記憶かすか
◇ (11月11日)一時転院、病窓から見る青空-
・雲流る「おいでおいで」と晩秋の 樹々のざわめき風のささやき 
・油山 やんばる 公州(コンジュ)上海へ 吾が足で行くその日めざして

3887号【2017年11月11日】
■≪人生初の空白の時間に(ぶ)≫
 その後、小康状態が続いています(あと4日でもとの病院に戻り本手術へ)。こんな空白の時間をもつのは人生で初めて。ただ自分の意志で自由に動くことができない。ベッドで仰向けに寝て、軽いパソコンを片手にもって、片手でTOAFAECホームページの修復・補充をするのがいい時間つぶし。また再起への思いにもつながります。かって撤収・移動した写真をもとに戻したりして、皆さんの笑顔に励まされています。

3886号【2017年11月4日】
■≪病室から見える青空(ぶ)≫
 10月はじめ1回目の手術(内部感染症・壊れた股関節摘出)が済んで、今月末予定の2回目の手術(人工関節を入れる)に向け、いま小康状態。皆さんにご心配をおかけし、恐縮しています。ひとまず順調に経過しているようです。
 病室から見る青空はことさらに美しく、鳥も飛び、風もさわやか(らしい)。南の風も吹き続けることができ、何より嬉しいことです。いま、寝ながら片手でパソコンを打っています。

3885号【2017年10月29日】
■≪「公民」意識の違い(え)≫
 昨日の『東アジア社会教育研究』第22号合評会は、韓国・台湾・中国・日本のメンバーが参加し、自由で熱い議論が行われました。政治(立法)への学会や市民組織との関わり、行政から市民組織へのお金の流れ、文化行政と教育行政の管轄の違い…などなど話しているうちに、そもそもそれぞれの「国政」に対する信頼・期待度と、「国民」意識の違いが浮き彫りになってきました。公民館の役割は、まさに「公民」意識を育てることだったのに、と思います。
 「手の届く範囲が50センチ四方も広がる“孫の手”の威力に助けられています。(ぶ)」

3884号【2017年10月22日】
■≪憲法アレルギー(え)≫
 10月13日、埼玉地裁での九条俳句訴訟勝訴1! 判決文の「掲載されるとの原告の期待が侵害」され、背後に職員の「憲法アレルギー」があったとのこと。裁判官の知恵か苦肉の策か。ネットに感化された思春期の改正論者が我が家にも一人いて、日々格闘中。憲法改正を問う選挙は明日。文人先生も病院で不在者投票を済ませたそうです。
 「闘病とはよく言ったものです。毎日病と闘っています。(ぶ)」

3883号【2017年10月13日】
■≪緻密なデータ整理(え)≫
 もう四半世紀前になりますが、大学院の修士課程にすすんだ私は、先生や先輩方の研究に取り組む際の「緻密さ」に触れ、大雑把な自分は研究者になれないと早々に足を洗いました。風発行にあたり、病室で文人先生から講義を受けた際にPC内のデータ整理を見て、当時を思い出しました。入院以来、身体をほとんど動かせず、寝たままPCを持ちあげる不安定な姿勢ながらも、メールやデータをここまで分類・整理し、保存するのか…と舌を巻きました。文人先生の早めの復帰を切に願う一人です。
 共同編集・発行への応援もありがとうございました。(え)
 「韓国(ヤン先生)・台湾(許さん)はじめ、各地からの皆さまのお見舞いに励まされています。ありがとうございます。(ぶ)」

新南の風3882号【2017年10月8日】
■≪南の風・しばし共同発行(え)≫
 前号の「南の風」で、「しばしお休み」という案内にびっくりしたのは、TOAFAEC事務局でした。定例会や年報の広報も兼ねている「風」が出ないのでは困るねぇ…。ということで、しばし発送代行を勝手ながら申し出て、文人先生・山口真理子さん・江頭の3人での編集・発行体制になります。「風」発行の趣旨・分量・バランス・注意点など先生からご講義いただいたものの、しばしヨチヨチとお送りするのが精いっぱいですが、お付き合いをよろしくお願いします。お便りなどは、これまで通り文人先生にお送りください。皆様からのメールはとても楽しみに読んでいらっしゃいます。今号、分量がいっぱいで、案内を先に掲載させていただきました。ソウルの風、そして新たなロンドンの風!、海勢頭豊さんからのコンサート案内などなど、次号に掲載予定です。少しお待ちください。メール受信の不都合等ありましたら、お知らせください。
<共同編集・発行 (江頭晃子、山口真理子、小林ぶんじん)>
 江頭ringox@nifty.com、山口izk07252@nifty.com、小林bunjin-k@js4.so-net.ne.jp



3881号【2017年9月29日】
■≪南の風・しばしお休み(ぶ)≫
 入院してすでに10日あまり。高齢、血栓症の既往症あり、さまざまの諸検査が続き、疲れ果てました。昨日午後、医師団の方針が決まったようです。明日、家族を含めて、説明頂けるとのこと。小生の希望は「あと一度、自分の足で歩きたい」「フィールドワークの現場に立ちたい」こと。
 その願いを汲んで(さきほど麻酔科の教授より激励あり)、医師団の治療方針としては、まず股関節の損壊部分に悪く作用している感染症の治療(骨を洗う?手術)、その後(2~3ヵ月?おいて)股関節に人工関節をセットする手術。すでに点滴も24時間途絶えることなく始まりました。第一の手術の準備に入ったのです。「南の風」もひとまずお休みにします。 
 1998年2月から平均2日おき、海外出張中を含めて「お休み」なく配信してきた風、残念ですが、止むをえません。ベッドの状態がいいときに、また吹き始めたいと思います。ご了承ください。(皆さんからのメール大歓迎! ときどきパソコンを開くこともありましょう。)
 「週刊金曜日」9月29日号、表紙のマルクス顔写真に迫力あり。今年は「資本論」第1巻の刊行から150年目だそうです。

3880号【2017年9月23日】
■≪林えいだい追想2≫ -承前・3876号「林えいだい追想」1-
 戸畑市(現北九州市)教育委員会時代(1960年代)の林えいだいは、公害問題に取り組み、孤独に奮闘していた姿が思い出されます。筑豊から戸畑に出てきたお子さんが小児ぜんそく症状になり、休みに田舎に帰るとすぐに治る、戸畑に戻ってくるとまた咳き込む。地域の婦人会活動でも、大気汚染、戸外に洗濯物も干せない、海のよごれ、などの生活問題があり、これらが「公害」問題として共有され、学習から問題に取り組む地域運動(地域婦人会)へと展開していきました。企業城下町としてはいろいろ圧力もあったようです。この間の活動記録は「月刊社会教育」に書いてもらいましたし、全国集会(湯河原)での報告も注目をあつめました。
 『これが公害だ 子どもに残す遺産はなにか 林えいだい写真集』北九州青年会議所(1968)が最初に出した刊行物(3年後に『八幡の公害』林栄代 朝日新聞社 1971)。『これが公害だ』出版は実際は自費出版、苦労がありました。今年になって「新評論」が復刻版を出したことは「南の風」既報の通り(風3819号、西恵美子さん・西日本新聞記事)。『これが公害だ』の林えいだいは、記録作家というより、むしろカメラマンの風貌でした。
 その後、彼は社会教育の職場を追われ、同和行政の事務担当となります。地域と市民から離れての毎日。自らの将来をみつめての煩悶、模索が続きました。公務員を棄て、フリーランス・カメラマン・記録作家の道への決断(1970年)。夫妻間には葛藤があったようです。当時、東京にいたぶんじんは「えいだい」にいささかのカンパを送りましたが、後年、夫人からは激しい手紙を戴いた記憶が残っています。

3879号【2017年9月21日】
■≪皆さんからの風を頼りに≫
 風・前号に「病室からのご報告」を書いたところ、折り返し、たくさんのメールを戴き、恐縮しています。
 一つ二つご紹介。「・・先ほど南風で入院されたことを知り、大変驚きました。学会で真理子さんと話した時には、そのような話がなかったので、なおさら驚きです。ただ、相変わらず南風を送っていただき、一安心しました。ゆっくり静養され、一日も早く全快されますようお祈りします」(李正連さん)。「文人先生 緊急入院のこと心配、驚いています。お見舞いにも行けませんが、一日も早い快方へ向かうことを祈っております。」(島袋正敏さん)などなど。
 皆様からのお見舞い、励まし、ありがとうございます。入院した病院については、状態が一段落するまで、あえて(前号にも)書きませんでした。しばらくご来院・お見舞いはお控えくださいますよう、お願いいたします。そのうち楽しくゆっくりお話できるようになったところでお知らせします。
 皆さんからのメールは大歓迎! いまのところ「南の風」送信とホームページの最低のメインテナンスは可能のようです。発行人は動きがとれませんので、そちらからの風だけを頼りにして、「南の風」を吹き続けたいと念じています。北からの風、川崎の風、韓国や上海の風、松本や鹿嶋の風、福岡や竹富島の風などなど、どうぞよろしく!期待しています。

3878号【2017年9月19日】
■≪病室からのご報告≫
 「故林えいだい追想2~」や、韓国研究フォーラム・学会ラウンドテーブルの論議(上掲)、TOAFAEC9月定例研究会(9月29日・金)案内など、関連して書きたいことがいろいろ。ところが残念ながら、緊急入院(16日)の事態となり、しばらく病院暮らしを強いられることになりました。
 簡単な経過を書いておきます。5月初め、富美が重篤となった頃から腰の激しい痛みがあり、告別式も車イスでした。その後、少し快方に向かう時期があり(富美を偲ぶ七夕の会など)、次第によくなるだろう、と(痛みに耐えながら)希望を捨てずに過ごしてきました。定例研究会や韓国本のお祝い会(全国集会)も、小田切さんや山口さんのサポートを得て参加してきたのはご承知の通り(風・記事)。
 ところが9月に入って、だんだんと左足が立たなくなりました。単なる老化・ギックリ腰だけではないな、なにかあるぞ、という感触。通ってきた整形外科医院(鍼灸院にも4~5回通う)のドクターから紹介状を書いてもらって、大きな病院へ。初日は検査いろいろ、そして帰宅・・・と思っていたところ、その場で入院という事態。少し長引く病院暮らしとなりそうです。この間、皆さんの期待に添えず、あまりご心配をかけたくないので、素知らぬ顔で「南の風」を出してきました、お許しください。
 風・前号(9月17日発行)も病室からの配信でした。その後、パソコンのご機嫌わるく、メール送受信ができない時間もありましたが、いつもの救いの神・木村さんに病院にお出で願って、パソコン環境を整えていただきましので、無理のない範囲で、「南の風」を継続していきたいと考えています。

3877号【2017年9月17日】
■≪年報誕生の日≫
 この20数年来、毎年必ず9月18日(前後)、TOAFAEC 年報が刊行されてきました。年報誕生の日は、ぶんじんの心の正月。予定日を指折り数え、年報が届けばすべてを忘れて終日ページをめくり、夜の更けるのを忘れてきました。
 今年の22号は編集長を仰せつかりましたので、総論を書き、二つの対談にかかわり、全体の構成に責任がありましたから、とくに興奮の1日。全体としていい仕上がり! 編集の江頭晃子さん、事務局の山口真理子さん、ご苦労さまでした。校正段階で大半に目を通していましたが、はれて1冊となった重量感、未読の論文・報告をまとめて通覧してみての充実感。なにか心さわぐものあり、久々にときめきのような気分を味わっています。内容的に、これまでの年報のなかでも多彩な1冊となったのではないでしょうか。
 特集「東アジア教育改革から20年」、上海の国際シンポ、ドイツについての対談、各国の「この1年」(連載)、なんと!沖縄(奄美を含む)からは5本、自由投稿の8本。執筆者そして翻訳者の皆さん、ありがとうございました。

3876号【2017年9月13日】
■≪故林えいだい追想(1)≫
 前号を配信して1週間が過ぎました。「風」の歴史としては異常事態。ご心配の声も聞こえてきました。申し訳ありません。治療・リハビリに専念していますが、すでに老廃の身、なかなか結果が出てきません。いろいろ重なって風を出す余裕を失ってきています。また逆に、先日車イスで参加した全国集会では「まだ!風が出ている!」との励ましの声も耳にしました。いろんな反響があるもの。皆さんの声を支えに、無理をしないで(出来る範囲で)風を出していきたいと思っています。どんな経過となるか。当の本人もわかりませんが・・・ご声援下さい。
 本号はすでに長文になりましたが、故林えいだい(敬称略〉追悼(9月1日没)を何回かに分けて書くことにします。前号に朝日「天声人語」(9月3日)を取り上げましたが、幾つかの反響あり。また、驚いたのは毎日新聞「記者の目」記事(9月7日、中部報道センター・山衛守剛記者)が、「体の痛みを訴えながらも、特攻隊への思いを紙に綴っている林えいだいさん(福岡県内の病院にて、8月30日)」の写真を載せていたこと(山口真理子さん提供)。この2日後に亡くなったのです。痩せてはいるが確かに「林えいだい」。これほど苛烈に人は生きるものか!と襟を正して見入りました。
 私との出会いは、彼が(現北九州市)戸畑市教育委員会で社会教育の仕事に取り組んでいた時期、1964年(当方は九州産業大学)頃か。それ前の採銅所・香春町時代はまだ出会いの機会なし。北九州市合併前の戸畑市は5人の社会教育主事の精鋭を擁し、彼は婦人会の皆さんとすでに公害問題に取り組んでいたと思います。(次号に続く)
 農中至さん(鹿児島大学)から「林えいだいさんの訃報を聞いて」(上掲)を頂きました。有り難うございました。同じ筑豊に生きて、おそらく半世紀の世代の違いがあるなかでの林えいだいとの貴重な出会い。ぶんじんんは同じ世代ですから、かなり議論もしました。しかし1967年には東京に異動しますから、それ以降は東京での再会となります。

3875号【2017年9月5日】
■≪「林えいだい」さんの訃報≫
 9月1日午後、畏友・林えいだい永眠の報(肺ガン、享年83歳)が伝わりました。最後は声をうしない、動かない指に愛用の万年筆を巻きつけて執筆を続けていた由。その姿をはるかに想像すればするほど、お弔いに駆けつけたいところ。だがいまの足腰ではそれもかななわず。
 朝日新聞・天声人語(9月3日)は、林えいだいの戦時下の体験(当時・小学生)を書いています。ぶんじんも当時のなまなましい証言を直接に聞いた記憶あり。「・・・神主だった父親に連れられ神社を掃除していたら、床下に人の気配がした。炭鉱の過酷な労働から逃れてきた朝鮮人だった、みなが素足で、けが人もいた。父は彼らをかくまった。しかし、そのために警察の拷問を受け、命を落としてしまう。(林『筑豊・軍艦島、朝鮮人強制連行、その後』)作家としての原点にある体験であろう・・・.」と。
 小池東京都知事が、関東大震災で朝鮮人大虐殺あったかどうか問われ、明言しなかったことと対比して、「それが事件の無視につながるなら、死者は再びないがしろにされる。」と政治家としての歴史認識を問うています。
 林えいだいさんは、とくに冨美さんと仲良しでした。折をみて鎮魂の想い出の記を書くことにしましょう。(本欄には余白なし)
 和歌山橋本の阪辻博文さん、折り返しのメール、本号にも頂き有り難うございます。「南の風」は、風メンバーから頂くメールによって構成・編集されています。もし掲載を控えるべき私信であれば、その旨、注記下さい。引き続き「南の風」をお送りしますが、配信ご不用の際には、ご一方いただければ幸い。

3874号【2017年9月1日】
■≪暦は9月≫
 最近は本欄冒頭でいつも訂正お詫び記事、申し訳なし。前号出版「記念会」を祈念会と誤記(変換ミスに気づかず)。お詫びして訂正です。ホームぺ―ジはすぐに修正しましたが、出した風は戻らず、残念。
 さて、暦は9月となりました。東京は洋上を北上中の台風15号の影響もあり、どんよりとした曇り空。まだ風はありません。今年の夏、東京はほとんど晴天なく明らかに異常気象。松尾さん「ソウルの風」No.14(上掲)によれば、ソウルは「快晴、爽やかな秋晴れ」とのこと(上掲)。「ソウル大学では新学期になると大学内のオーケストラ団体の新学期演奏会が開催されます。今学期は今日の夜」とあり、急いで9月1日発行の本欄冒頭記事としました。
 実は10日ほど前に関本保孝さん(基礎教育保障学会事務局長)から、「夜間中学開設のために」シリーズ:その1パンフ『夜間中学~重要事項Q&A』、その2「積極的夜間中学ニーズ調査」を頂いていました。4回シリーズだそうです。韓国本「出版記念会」等の記事のため掲載が遅れていたもの。ようやく載せる手筈のところ、ソウル「9月1日」の風が来ましたので、差し替えさせていただいたという次第。「夜間中学開設のために」(関本さん)は次号冒頭に掲載予定。ご了承ください。
 『躍動する韓国の社会教育・生涯学習』出版記念会の余韻、本号にも続いています。懇親会の最後にヤンビョんちゃんが「今後のこと」としてとくに発言されたことも、妙に頭に残っています。 

3873号【2017年8月28日】
■≪出版記念会・賑やかな一夜≫
 NTT・光ファイバーのごたごたで、風の送受信に混乱あり。とくに一部の方々に風3871号の送信漏れ、たいへん失礼しました。数日後になりましたが、再信させていただきました。他のグループの方々には、おそらく同じ風が重複したに違いない。恐縮しています。もしこの数号、欠号があればお知らせを。
 さて、新刊『躍動する韓国の社会教育・生涯学習』の出版記念会(全国集会二日目この指とまれ)、本との語らいだけでなく、今後に向けても、充実した時間となりました。韓国からヤンビョチャン先生、イギュソンさん(平生教育実践協議会々長)、同事務局長など4人のゲスト。日本側は、北は北海道から森田はるみさん、関西は和歌山橋本の阪辻博文さん、九州は福岡・横山孝雄さん・西恵美子さんなど福岡社会教育研究会の皆さん、そして南は沖縄・名護の比嘉真椰さんなど、各地からのご参加があり(写真)、終わっての交流会もたいへん賑やかな会となりました。ぶんじんは車イスでの参加、小田切さんの車に迎えられ送られて、これは初めての経験。有り難うございました。(当日の論議、その一端でも、どなたか風に紹介していただけませんか。)
 今年の全国集会では「沖縄を囲む」集いを企画できず、ただひとり(初)参加の比嘉真椰さん(名護市教育委員会)は、韓国本・出版記念会に合流、ご苦労さまでした。名護と韓国との思わぬ出会い。韓国側からは「沖縄行き」の関心も出されましたし、「比嘉真椰くん、これを機会にハングルの学習を始めてほしい!」と期待してビールで乾杯。さてどうなりますか、これからが楽しみ。
第52回全国集会この指とまれ「『躍動する韓国の社会教育・生涯学習』の出版記念会」、8月27日夜、撮影・呉世蓮さん 


3872号【2017年8月25日】
■≪諸集会へ参加できず≫
 高知の内田さんから「・・・今夏は、主事講習や入試業務(8/28)が重なり、社会教育研究全国集会(8月26~28日)へは参加できません」(上掲)との連絡あり、残念ながら、「沖縄を囲む」(この指とまれ)集いを開くことができなくなりました。名護から初めて、一人で、参加する比嘉真椰さん、会場・分科会等で見かけたら、声をかけてあげてください。
 さきほど名護へ電話しました。島袋一平さん(名護市教育委員会)へ。事情を話し、ぶんじんも「韓国本出版記念会」(27日夕)のみの参加(小田切さんに送迎していただきます、感謝!)。ぜひ、この出版記念会に参加してほしい、沖縄と韓国との出会いにもなるし、そこで会いましょう、と伝えてもらうことに。比嘉真椰さんは、やんばる(字)の豊年祭の中心メンバーだそうです。
 昨年8月に創設された「基礎教育保障学会」第2回研究大会が今年は大阪教育大学で開かれます(上掲・関本保孝メール、9月3日)。これにも参加できません。お問い合わせをいただきながら、欠席連絡もせず、申しわけありまん。
 文科省前事務次官・前川喜平さん(福島駅前自主夜間中学で活動中)が基礎教育保障学会に入会、大阪の研究大会にも参加されるそうです。いいニュース。
 本日(24日)なぜかパソコンのWIFIへの接続が悪く、四苦八苦。ようやく本号を送信します。うまく届くでしょうか。エイデル研究所・山添さんから、新刊・韓国本の表紙カバー画像を送っていただきました。HPの韓国研究ページなどにアップ。



3871号【2017年8月22日】
■≪22号、最終校正終わる≫
 本日(21日)、TOAFAEC 年報22号編集委員会・執筆者による最終校正作業でした。午前から午後6時まで終日の取り組み。11名のご参加、皆さんおつかれさまでした。ぶんじんは午後から参加。最後の6人で、久しぶりにワインを飲み、楽しい夜となりました。
 2日前、すべての予定原稿のレイアウトを終えた江頭晃子さん(編集担当)から来たメール(Sat, 19 Aug 2017 18:03)。「お疲れ様でした。原稿全部そろい、302頁です。なかなかの読み応えのある号です。値段を真理子さんと相談しないと、と思います。」270ページあたりが頃合いの厚みか、しかし力作が揃い、300頁を超える大作。嬉しい悲鳴とはこのこと。事務局長(会計)山口真理子さんとの協議で22号定価2,000円となったそうです。さきほご江頭さんから届いた目次・校正・執筆者一覧を、すこし長文になりますが、そのまま
載せました。一覧しただけで(ページ数だけでなく)内容的に豪華版であることがお分かりでしょう。完成(918刊行、日本社会教育学会々場)お楽しみに。
 来日中のトクタホさん(内モンゴル・赤峰学院)が校正作業を抜け出して永福の自宅へ、富美の写真に会いに来てくれました。有り難う。富美のことを22号に載せてはどうかの案(江頭さん)がありますが、公私混同になってはいけませんし、控えたいと思います。 

3870号【2017年8月18日】
■≪日韓の自治体間交流を≫
 第57回社会教育研究全国集会(8月26~29日、相模女子大学)が近づきました。今年は沖縄からの動きがない感じでしたが、さすが!名護・社会教育から新人・比嘉真椰さんが参加する、どうぞよろしく!と島袋一平さんからメール来信あり(上掲)。嬉しいことです。しかし「この指とまれ」の時間帯で永年続いてきた「沖縄を囲む・語る」企画は今年は用意がない?ような。高知の内田純一さんはじめ例年の常連メンバー、よろしく対応をお願いします。
 ぶんじんは車イスでの参加、それも「この指とまれ-韓国本・出版記念会」の時間帯だけ(風3868号)。沖縄「この指とまれ」がなければ、この韓国本・出版祈念会に合流してもらえれば、会えますね。
 横山孝雄さん(福岡社会教育研究会)、「富美・偲ぶ会」に鹿児島の銘菓を送っていただき有り難うございました。全国集会には、韓国本を通読して出版記念会(風3368号)に参加とのこと。そう言えば、福岡社会教育研究会の皆さんと韓国を訪問した旅を思いだしました。日韓の交流が、大学・研究者間だけではなく、自治体職員・市民間に拡がってほしいという願いが、今回の韓国本には込められています。福岡と(たとえば)釜山との交流が始まってほしい!などの夢をあの旅で語りあいました。そんな一歩が始まらないものか。
 さて、年報22号がいよいよ大詰め。編集委員会・執筆者による校正作業が8月21日(月)永福和泉地域区民センター(東大から変更)で開かれます。ぶんじんの車イスへのご配慮あってのことらしい。感謝!ガンバリます。

3869号【2017年8月15日】
■≪8月15日・煌めく夜≫
 8月15日を迎えました。九州では旧盆です。皆さん、お盆をいかがお過ごしですか。我が家は今年はいわゆる「初盆」。郷里久留米であれば盆の提灯がゆらゆら揺れるところでしょうが、東京では略式をお許しいただいて、マンションでもあり、迎え火も送り火もありません。しかし心は初盆。
 今日(14日)盆の中日ということもあるのでしょうか、ご来客二人。久しぶりに富美を偲ぶ話となりました。活発な頃の富美のれこれ、はじめて聞くこともあり、こちらも思わぬ昔話をいたしました。明日は孫2人も来てくれるらしい。
 ご丁寧に富美を悼むメールもいただきました。本号に載せたいところですが、冒頭に「私信」のお断り、控えます。実は「私信」には面白い話もあり、、載せたいところ。考えてみれば、風(ぶ)欄は「ぶんじん」私信のようなもの。
 少年Bの8月、とくに11日から15日のこと、風20年史のなかで何回となく書いてきました。歳月が過ぎると忘れるのでなく、思い出がむしろ蘇ります。
 2年前の風。「70年前の今日8月15日は、高い青空でした。虚脱感・敗北感とともに、言いしれぬ解放感がありました。食糧に餓え、窮乏にあえぎ、一時期は裸足(はだし)で外出していたことも。しかし日常化していた「空襲警報」発令はなく、「灯火管制」で真っ暗だった夜が、この日から明るく輝いて、その煌めきと高揚感はいつまでも忘れません。高い青空と煌めく夜は、少年Bのひとつの出発点となりました。(南の風3538号・抄録 2015年8月15日)

3868号【2017年8月11日】
■≪長崎市長の平和宣言≫
 少年Bは、1945年8月9日11時過ぎ、久留米の街角で遠くから「ド~ン!」と地鳴りに似た響きを記憶しています。長崎の原爆だったのです。当時14歳(旧制中学2年)、ほとんど少年兵の格好で、足にはゲートルを巻いていました。
 今年の8月9日、田上富久・長崎市長の平和宣言は強く心に訴えるものがありました。被爆者の願い「ノーモア ヒバクシャ」の思いが「核兵器禁止条約」に結実したこと。「私たちはヒバクシャの苦しみや努力にも言及したこの条約を「ヒロシマ・ナガサキ条約」と呼びたいと思います」と。
 日本政府への抗議も。「日本政府に訴えます。(中略)核兵器禁止条約の交渉会議にさえ参加しない姿勢を、被爆地は到底理解できません。唯一の戦争被爆国として核兵器禁止条約への一日も早い参加を目指し、核の傘に依存する政策の見直しを進めて下さい。日本の参加を国際社会は待っています。
 また、二度と戦争をしてはならないと固く決意した日本国憲法の平和の理念と非核三原則の厳守を世界に発信し、核兵器のない世界に向けて前進する具体的方策の一つとして、今こそ「北東アジア非核兵器地帯」構想の検討を求めます。私たちは決して忘れません。1945年8月9日午前11時2分、今、私たちがいるこの丘の上空で原子爆弾がさく裂し、15万人もの人々が死傷した事実を。」
 少年Bは、その2日後の8月11日、米B29による久留米大空襲に遭い、故郷は焼失、多くの友人・隣人を喪いました。辛うじて焼け残った生家には「焼け出され」の親戚・知人22人が身を寄せ、まだ焼け跡の臭いが残っている路地で8月15日の放送を聞くことになりました。

3867号【2017年8月9日】
■≪柳田国男忌・8月8日≫
 お気づきではない?かと思いますが、前号の発行日が7月のまま、空欄になっていました。8月5日です。失礼しました。そして、本号は8月8日の日付で出したかったのですが・・・取り紛れて1日おくれに。8月8日は柳田国男忌でした。柳田の最晩年の著作に『海上の道』(1961年)、ぶんじんの大学助手(当時)時代に世に出た本。当時はまだほとんど沖縄に関心なく、読み過ごしていた記憶。しかし今、必読の本になりました。
 琉球新報・コラム「金口木舌」は、柳田の忌日に次のように書いています。「民俗学者の柳田国男は「日本人とは何か」を問い続けた。やがて日本文化の源流を沖縄に見いだし、研究を進めた。きょう(8月8日)は柳田の忌日。柳田は、沖縄本島の西海岸と東海岸との文化系統の違いを指摘した。那覇・首里中心の西側を「浦添文化」、東側を「勝連文化」と呼んだ。・・・」(上掲)
 いま柳田が生きていれば、どんな風に書くのだろう、と思ったりします。沖縄の地上戦やアメリカ軍基地の歴史をくぐってきた現代。南部・中頭(なかがみ)そして「やんばる」文化に打たれて、「やんばる対談」(年報22号)の最終チェックをしながら、考えたことでした。

3866号【2017年8月5日】
■≪1976~1989年~記録≫
 石川敬史さんの沖縄県立図書館「空飛ぶ図書館」(渡嘉敷島)、まさに爽快なニュース(上掲)、有り難うございました。お返しに、八重山の「海を渡る図書館」記事を載せようと、当時の記録を捜しましたが、うまく顔を出してくれない。アメリカ占領下の沖縄、八重山「琉米文化会館」が動かしていた船の図書館の話。最西端の島・与那国にも渡ってきたそうです。
 いつぞや話題になった『沖縄社会教育史料』(戦後沖縄社会教育研究会編)の第5集(占領下アメリカの文化政策、1985年)か、第6集(八重山の社会教育、1986年)のいずれかに収録したつもりでしたが・・・、記憶違いか、目がうすくなったか、最近は捜し物に時間を費やすことが多くなりました。
 戦後沖縄社会教育研究会(東京学芸大学、『資料』7冊刊行))記録については、ご存知でしょうか、ホームページに(奇跡的!に)収録できています。1976~1995年まで→■。また関連してアジア・フォーラム(東京学芸大学・留学生ゼミ)記録も。1989~1995年→■、当時の写真数葉もアップしています。何かの機会にご覧いただけれ幸い。珍しい顔ぶれ、すでに30年近くが経過しています。

3865号【2017年8月3日】
■≪夏の豊年祭-祭りの笛・太鼓≫
 本号所収の「おきなわ短信(1267)」は、八重山の夏、豊年祭の喜び、輝きを伝える八重山毎日新聞・コラム「不連続線」(8月2日)を紹介させていただきました。「心打たれるのはお年寄りとその子ども、さらに孫たちが同じ奉納芸能を演じる。地域の人々が一体化し、心を一つに伝統文化を継承している姿は感動的である」と(上掲)。
 ぶんじんは少年時代の故郷の祭りの思い出があり、いわゆる見る祭りでなく、(子どもながら)自ら祭りの一員である経験をかすかに残しています。しかし戦時下の道路疎開、空襲によ地域離散によって、古い地域共同体は解体し、戦後(青年時代の)思い出としては何も残っていない。その後、沖縄と出会って、名護のいくつかの豊年祭、宜野座の豊年祭などに、学生たちと一緒に毎年お邪魔した一時期を想い出します。自分の集落のあゆみのなかで、自分の祖父・父の代から演じられてきた芸能を、次の世代、自分が演じていく、まさに地域文化の伝承の真髄を知った思い。いま八重山では、各地の集落で、その豊年祭が催されているのです。歌ひとつ。やんばるの子守歌の節で歌ってください。「この酒飲めば、八重山想い出す、八重山の思い出は、祭りの笛太鼓・・・」
 東京・TOAFAEC では、祭りの笛も太鼓も響いて来ませんが、年報22号の原稿・最終デッドラインを告げる激しいメールが飛び交っています。心の中では、癒しの笛・励ましの太鼓が聞こえてくるような。

3864号【2017年7月30日】
■≪7月終わる≫
 28日研究会の報告者・佐治真由子さんに「南の風」記録をお願いしました。いつもながらの詳細なまとめ。付された前文、次の通りです。「報告の機会をいただき、ありがとうございました。拙い記録で恐縮ですが、送付させていただきます。板橋の実践に関わり始めて10年近く、市民によるその豊かな学習と実践の歩みを伝えていきたいと思いながら、力量不足ゆえできてきませんした。歩みはとても遅いですが、これからも諦めず、伝える術を持てるよう努力していきたいと思います」とのこと。栗山究さんからも当夜の論点など「感想記録」、お二人ご苦労さまでした。
 例によって関連メール。来日した内モンゴル赤峰のトクタホさん。「昨日の研究会に行きたかったのですが、ぎっくり腰で身動きつらい状態ですので、治り次代先生にお会いに行きます。いま携帯もちませんので、メールで連絡ください。すみませんでした。」(Sat, 29 Jul 2017 08:43) おやおや、小生のが伝染?したのかな。暑い東京、さぞかしたいへんでしょう。お互いお大事に。
 ソウル大学に留学しているいる松尾有美さん(東大院)の、シリーズ「ソウルの風(No.13)」,実は佐治・栗山両レポートの前に届いているのですが、本号は研究会報告・感想にしぼり、次号にまわします。お許しを。
 あと1日で7月が終わります。年報22号関連の原稿、鶴首の思いでお待ちしています。最後のご奮闘、どうぞおろしく。

3863号【2017年7月28日】
■≪夏の夜の研究会に向けて≫
 本日は7月定例会。メールが飛び交っていますので、その紹介欄といたしましょう。
まず、トクタホさん(内モンゴル自治区。赤峰学院)が来日(上掲)。元気そうでなにより。昨晩のこと、折り返し、次のようなメールを返しましたが、来れるかしら。「東京へようこそ。たまたま28日・金曜日は、高井戸で7月定例研究会です(南の風・前号参照)。ぜひ出てきて下さい。少人数だけでも、貴君の歓迎会をいたしましょう。」たまたま大分から包聯群さん参加のメール。「7月28日の夜の研究会に参加することになっております。当日大分から行きますので、お目にかかれることを楽しみにしております」と。
 他方、瀬川理恵さん(横浜)、「突然ですが、(事情あり)28日のTOAFAEC定例会は、参加できそうもありません。残念です。」また江頭晃子さん「残念ながら私も、子どもの付添予定があり、参加できません。申し訳ありません。」
 石川敬史さんさんからは、丁重なメール。「暑い暑い毎日が続いておりますが,いかがお過ごしでしょうか。本日の研究会・栗山さんのご発表ですが,大学の会議があります関係にて,大変残念なのですが参加することが難しく,またの機会に参加させていただければと考えております。」とのこと。
 おそらく、参加者は少人数になるかと思われますが、楽しい研究会にいたしましょう。小生も、足腰の痛みは癒えず、苦しい夏ですが、なんとか駆けつけて、元気を取り戻したい。

3862号【2017年7月26日】
■≪22号原稿・デッドライン≫
 夏は「夏休み」といきたいところですが、そううまくいかないのが現実。それが楽しみで大学の職についた身には、せっかくのフィールドワークの機会を奪われ、稿料のない原稿に苦しみ、被害感さえ生じてくる。しかし自らが選び、あるいは人に選ばれて仕事が来た経過もあり、多くは自嘲し諦めてきた夏でした。亡き妻は多く無関心、ときに軽蔑していたような顔の想い出。
 いま年報『東アジア社会教育研究』22号関連の対談原稿、総論などの仕事に忙殺されています。6月までのテープ起こし(山口真理子さんや山城千秋さん)、8月からの原稿レイアウト・割付など編集作業に苦しむ江頭晃子さんへの感謝もあり、編集長の身としては、決してボヤいてはならじ、と自戒しています。
 関係の皆さん、22号原稿「最終締め切り(リライト、翻訳含む)」7月末日まで1週間を切りました。このデッドラインに向け、どうぞよろしく!苦しんでください。多忙を乗り切ってご奮闘願います。
 あと一つ、明後日(28日)夜は7月恒例の研究会です。再度の案内を本号冒頭に掲載しました。テーマ「平和のための博物館国際会議(第9回)報告」を中心に栗山・佐治ご両人が、めったにない報告を用意されます。まわりの方をお誘いの上、積極的なご参加を。博物館が主要テーマだけに参加者が少なくなるのではないかと心配していますが、TOAFAEC 定例会はいつも少人数が持ち味。それでも懐かしい方、とくに初参加の方が見えると、会は一段と活気づきます。いつもの常連もどうぞよろしく。7月の会は終わって「暑気払い」の慣わし。→■

3861号【2017年7月24日】
■≪1990年代の興奮≫
 23日・風の部屋は、久しぶりに賑わいました。韓国研究フォーラム(第76回)、瀬川理恵さん(横浜市栄区役所)から早速の研究会報告(上掲)、李正連さん(東大)からは当夜の写真(HPに掲載)、追っかけて呉世蓮の次スケジュール等も届きました。日曜日なのに皆さん、ご苦労さま。小生の体調を気遣って何やら効き目がありそうなサプリをいただいたり、ちょっとご挨拶に出た孫(真由香)は美味しそうなチョコレートを頂戴し、ありがとうございました。
 この日、研究会の話の流れから、1990年代論となり、その場の座興に、ぶんじん思わず昔のことをしゃべり始めていました。こういう話はもっと正確にしなければならないのに、大ざっぱな「三つの興奮」。驚いたことに、瀬川さんからは間髪をいれない勢いで記録が届き、誤解があってはならないので、文献名など含めて文章をすこし補足させていただきました(お許しを)。興味をもっていただいたことは嬉しく、しかし、こうして記録になると、すこし面映ゆい。性懲りもなく、その続きを少し・・・。
 1990年代は、ぶんじんにとっては定年退職(1995年)、リタイヤ―して仕事から離れていく10年のはず。ところが、この時期に青年のように「興奮」して新しい活動が始まったのです。ぶんじんの幸運は、1990年代をバブル崩壊後の「失われた10年」としないで、東アジアの発見、新しい友人・留学生との出会い交流、TOAFAEC の創設など、青春時代のように興奮しながら60歳代を過ごしたこと。そのまま70歳代へ続きます。長くなります、このあたりで。 *李正連さん送付の写真、容量大きくアップできません。

3860号【2017年7月21日】
■≪すでに皆さん、夏ばて?≫
 前号3859号を配信して、ようやく「梅雨明け宣言」。北九州豪雨の傷あとも心痛むものがありますが、さあ夏だ、というわけで、皆さんから元気な夏の投稿が舞い込む?と期待したのがこちらの夏呆け。投稿など・・・まったく音沙汰無し!の4日間。皆さんすでに夏ばてか。
 前号を出して今日をのがすと、すでに5日おくれの古い「風」になってしまう。隔日配信=20年の実績を誇る「風」としては残念至極。あてのない投稿には期待しないことにして、勝手に本号誌面をつくり始めました。いま佳境に入っている年報第22号「特集:東アジア・教育改革から20年」関連記事です。
 この時期(1990年代)、日本はバブル崩壊後「失われた10年」というフレーズで呼ぶのが一般的、しかも「新自由州主義」の跋扈があり、公的セクターの社会教育は縮小への10年。たとえば東京都の社会教育はむしろ「解体」の道をころがり落ちていく、そんな10年です。
 ところが目を「東アジア」に転じてみると、韓国も中国も台湾も、これまでにない躍動、誰の目にもあざやかな歴史的な「教育改革」が進行している時期なのです。新しい法制化が実現し、社区(地域・マウル)づくりへの取り組み、社区大学の創設、国家レベルの平生学習祭り、など新しい道を拓き初めている。
 TOAFAEC もこの「東アジアの教育改革」の時期にスタートしました(1995年~)。東アジアの躍動を記録するために、毎年「年報」を刊行。さしあたりこの時期の各号「巻頭言」から、「東アジアの教育改革」躍動につながる小さな文章を資料として、並べてみることにしました(上掲)。
全文ホームページ→https://secure02.red.shared-server.net/www.bunjin-k.net/kantogen.htm →■
 と書いたところで、まちだのまつださんから、とびたつ会ニュース2017年7月23日号が着信。さすが!暑い中ご苦労さまです。南の風はできるだけ添付をしない方針なので、とびたつ会ニュース2017年7月23日号に関心ある方は直接まつださんにアクセスください。

3859号【2017年7月17日】
■≪南北交流の動き≫
 名護・島袋正敏さんからのメール(上掲)ありがとうございました。名護4人衆、東京「七夕・偲ぶ会」にお出でいただき、あらためて御礼申し上げます。お疲れがあったに違いないとひたすら恐縮しています。
 当方はその後、杖をもって一進一退、なかなか東京を離れることができません。富美の納骨に九州・久留米に出かけなければなりませんが、まだ日程を決めかねています。親族との法事など済んだら、まずは「南」へと思っていますが、いつになりますか。蔓草庵のサガリバナの季節には当然間にあいませんが、もしかするとホタルはまだ飛んでいるかもしれませんね。
 ソウルからの便り(No.12、松尾有美さん・上掲)が届いて、早くも3日近くが経とうとしています。この間に(さきほどのニュースでは)、韓国・文政権の「南北交流」についての積極的な動きが伝えられています。板門店で南北の軍関係当事者による会談(7月21日)の提案。また南北離散家族の再会事業についても具体的な動き。これからどう展開していくのか、目が離せませんね。
 日本の安倍政権の支持率が下落し、今回の世論調査では30%を割ったニュースや、アメリカの大統領支持率が歴代大統領支持率のなかで最低となった数字などよりはるかに興味深い。これから、北の金正恩政権はどう対応するのだろう、暑い夏の歴史ドラマ。

3858号【2017年7月15日】
■≪果敢な人生、信念を貫いた生涯≫
 中国・劉暁波氏の訃報が伝えられました(13日夕)。「劉氏は北京師範大学講師だった1989年、北京で学生らが民主化を求めた天安門事件で、デモに加わり、ハンストを指揮。軍による介入と弾圧の危機が加わると、軍幹部との交渉に臨み、学生らを広場から撤退させた。・・・」(朝日記事、7月14日) 
 「90年代、劉氏は自転車をこいで広大な北京を東奔西走し、民主化を求める仲間と語り合った。盗聴の恐れがある電話は使えなかった。手書きの原稿は国内で発表できず、大使館などのファクスを借りて国外に送った。
 それがネットの普及で一変した。あっという間に文書は世界中に掲載され署名活動は数千人集まるようになった。・・・ネットを武器にした運動は08年12月、劉氏を中心に起草した“08憲章“に結実した。だが、当局も危機感を強め、劉氏は国家政権転覆扇動罪に問われ、10年2月に懲役11年の実刑が確定した。」(毎日新聞、7月13日)
 南の風では、2009年のある号で、劉暁波氏と08憲章について書いたことがありました。中国へ送ったその号はいくつか戻ってきた(数か月続いた、問題なく届いた人もあった)ことを思い出しています。いまも劉暁波氏関連記事はカットされているニュース、さて今回はどうなるか。
 劉暁波氏の果敢な人生、信念を貫いた生涯、紡ぎ出されてきた言葉には心打たれるものがあります。

3857号【2017年7月13日】
■≪9日夜の風の部屋-失敗とスタート≫
 国立大学協会・専務理事の山本健慈さん(前・和歌山大学長)、2017年度以降も再任された由の「ご挨拶」をいただきました(上掲)。並々ならぬお仕事、「度量も越え忍耐にも越えるところ」などのご苦労、そのうち、お話を伺いたいものです。
 9日夜の富美「偲ぶ会」、終わってもまだ熱気・余韻が残っています。久しぶりの方がたくさん見えたのに、ゆっくりお話しするかたちにならず、悔いも残りました。告別式をお知らせできなかった近い親戚も。積る話、富美の想い出などさまざま。そのうちに何か機会を見つけたいと思っています。
 さて9日夜「風の部屋」にお泊りの名護4人衆へのお詫び。1週間ほど前に山口真理子・江頭晃子ご両人が押し入れのフトンを干し、前日には真理子さんが奮闘して畳の間の空間を広げ(本・資料を整理)、掃除・準備怠りなく万全を期したはずでした。しかし当夜、押し入れのフトンのご案内を失念。ぶんじんも疲れて自室へ(失態!)。皆さんは結局、フトンなしの夜となり、まことに申し訳ありませんでした。
 風の部屋・秘蔵のアワモリ古酒(クースー)カメは、島袋正敏さんの「仕次ぎ」をお願いできました。新しく瓶詰め古酒(2瓶)も注ぎ込み、三つのカメが落ち着きました。これまで少し乱雑に蓋を開けていたのです。次はどの時点で、25年もの古酒を(秩序正しく)汲み出すか。新しいスタートにたち、これからが楽しみ。

3856号【2017年7月11日】
■≪北海道から沖縄まで≫
 七夕「富美さんを偲ぶ会」(7月9日)には、北は北海道から南は沖縄まで多数の方々にご参加いただき、有り難うございました。沖縄・名護の皆さんは朝未明に出発、お昼前には小林宅へ。やんばるで朝摘みの洋蘭の大束をかかえて会場へ。会場では日中学院の胡興智さんが富美鎮魂の別の生け花を制作中。富美の遺影は文字通り花々に包まれました。
 たくさのメッセージかよせられました。ぶんじんと富美夫妻は、振り返ると数えることが出来ないほど、仲人・媒酌人・立ち合い人などの役を仰せつかってきましが、その第1号(1972年)は山本(旧姓・原)千恵子さん。「富美さんの想い出」(抄)(上掲)は、国立市富士見台に住んでいたころの話(1970年代)。「卒業後は先生より富美さんとのお付合いが多かったと思います」と。
 ご参加の皆さん、お疲れさまでした。夜の「風の部屋」だけの方まで加えると、多分50人を超えていた?ような。お話、歌、ギター、トロンボーン、踊りと賑やか。「偲ぶ会」は静かに湿っぽくなりがちですが、天の風になった富美が、いつもの「七夕の会」を求めていたのでしょう。
 ご出席の方だけでなく、村田正幸(松本)、横山孝雄(福岡)、玉那覇正幸(宜野湾)、滝沢博子(東京)などの皆さんから、お酒、かるかん、田いもパイ、紹興酒など。どなたから戴いたか分からない菓子折も数箱。ここでまとめて御礼申しあげます。しかし失敗談もいろいろ。名護の皆さんは「風の部屋」にお泊まりでしたが、用意のフトンを使われず(東京側の大失態)、当夜はほとんど徹夜気味か。10日は名護へ。さぞかしお疲れになったことでしょう。終わりの集合写真、木村さんメールからダウンロードして掲げました。当日の記録、どなたか「風」にお願いします。
2017七夕会「富美さんを偲ぶ会」(170709,西永福)


3855号【2017年7月 8日
■≪明日9日、七夕の会・富美を「偲ぶ会」≫
 久しぶりにソウルからの風(松尾有美さん)。有り難う! 間があいていたので、調子でも悪い?かなと少し心配していました。お元気そうで何より。
 同じ日(7月7日)、韓国の文在寅(ムンジェイン)大統領が訪問先のベルリンで行った外交演説、とくに南北関係を主題にした包括的な方向が伝えれました(朝日新聞7日記事、上掲)。興味ふかし。
 北朝鮮によるミサイル挑発(ICBM発射)を「無謀な行為だ」と批判しつつ、「北朝鮮の崩壊を望まず、吸収統一を推進しない」「北朝鮮の体制を保障し、半島の非核化を求める」などの姿勢。かってベルリンの壁が壊され、東西ドイツの統合が進められた地で、「吸収統一を推進しない」の演説。
 しかし「演説内容は、盧武鉉(ノムヒョン)政権など過去の政権で打ち出した考え方や、これまでに南北間で進めた事業がほとんどで、新味に欠ける」との評価です(上掲)。そうかな。政権交代前の朴槿惠大統領の北への強硬姿勢と比べると、「条件が整えば、いつどこでも金正恩委員長と会う用意がある」など新鮮な演説として心に残りました。

 明日9日午後は、私たちの七夕の会(第32回)。今年は5月に亡くなった妻・富美を「偲ぶ会」となりました。皆さま、お出かけください。https://secure02.red.shared-server.net/www.bunjin-k.net/2016sinnenkai.htm
 沖縄・名護からは、ご存知の島袋正敏、中村誠司(名護市史編纂)、島福善弘(前博物館長)、比嘉久(現博物館長)の各位がお出でになります。その他各地から多数のご参加。富美も幸せです。4人のお歴々は「風の部屋」に雑魚寝していただく予定。夜の部は、名護を語り、島酒を楽しむ会となりましょう。せまい部屋ですが、お気軽にご参加を。この機会に沖縄を語りあいましょう。


3854号【2017年7月 6日】
■≪6月7日夜・編集会議へ≫
 台風3号が東の海に姿を消して、ひと安心と思いきや、九州に「これまでにない」豪雨が流れこんで、特別警報相次ぎ、各地に大きな被害。お見舞い申しあげます。終日豪雨ニュースばかり見ていました。
 報道される地域は若い頃のフィールドワークでよく知っているところなのです。筑豊・添田、筑後の甘木・宝珠山・浮羽、その上流の日田など。そして生家がある久留米。筑後川流域に住む民は、昔から大水・水害にはさして驚かず、やり過ごす知恵があるのですが、最近の「これまでにない」異常気象には驚かされるものがあります。生家は幸いに大水には大丈夫の位置にあり、雨漏りは
別にして、申し訳ないほど気楽な1日。油山もとくに被害なさそう。
 さて、明日(7日)夜は、TOAFAEC 22号編集委員会(第5回、上掲ご案内)。6月末の原稿締め切り、日程的に余裕があるのが分かっているのか「少しお待ちを」などのメールも来ていますが、皆さん、それぞれに鋭意奮闘中。力作も提出され、襟を正して読みました(おきなわ社会教育研究会長・平良研一「戦後沖縄社会教育―今に問いかけるもの」など)。
 私たちの編集会議は、関心ある方々に開かれた運営をしてきました。編集作業は興味深いもの、自由闊達の議論もあり、お気軽にお出かけください。
6月(240回)定例研究会・懇親会(瀬川理恵さん提供、イーストビレッジ、170630)


3853号【2017年7月4日】
■≪回想・『資料集成』構想≫
 ただいま台風3号が九州に上陸し、日本列島を横断する予報。ご用心を。東京は夜に荒れるとのこと。足が不自由だと、買い物難民の心境が分かります。
 さて今回(240回)の研究会では、1970~80年代に収集した沖縄社会教育資料を再発見する機会となりました。とくに新保敦子さんからいろいろとメール(一部・上掲)をいただき、ありがとうございました。
 ひとつ思い出すことがあります。沖縄・奄美の社会教育関係「資料集成」を企画した時期があったこと。「社会教育法」と「公民館史」に続く、3冊目の『資料集成』構想です。しかし当時は沖縄社会教育史料の価値確定や、とくに占領者アメリカ側の資料が充分でなく、また先島(宮古・八重山)の調査が進行中でもあり、出版構想にまで具体化しませんでした。
 歳月が経過して、その都度に刊行した資料集7冊がかなり散逸している、きちんと主要図書館に所蔵されていない、国会図書館にも納本していなかった反省(今から駄目かしら?)、など考えると、不十分でも、思い切って『沖縄・奄美社会教育史資料集成』(仮題)構想に踏み出す蛮勇が必要だったのかも知れません。
 なお、『沖縄社会教育史料』(全7集)の編者は「戦後沖縄社会教育研究会」(東京学芸大学)です。まず、事務局(高知大学)に残されている部数を確定し、バラ売りをやめて、今後のこと、いちど相談しましょう。→■
https://secure02.red.shared-server.net/www.bunjin-k.net/06okinawa.htm

3852号【2017年7月 2日】
■≪6月30日・研究会≫
 7月に入りました。梅雨模様、九州西日本は豪雨のところも。さきほど(1日深更)北海道と九州に震度5の地震相次ぎ、テレビは一時騒然。しかし心配な被害はなかった?ようですね。本日、東京は話題の都議会議員選挙。投票終了の時点(午後8時)で、すでに結果大勢が報道される模様(NHK)。
 6月30日の定例研究会(第240回)は、6月沖縄慰霊の思いもあって久しぶりに「沖縄」をテーマに開かれました。新しい若い参加もあり賑やかな顔ぶれ。ご参加の皆さん、お疲れさまでした。ビデオと資料の準備にあたられた桑原重美さんと山口真理子さん、いろいろご準備・配慮、有り難うございました。
 桑原さんに伍して、この日、小林も久々に東京学芸大学時代の戦後沖縄社会教研究会のこと、沖縄研究の経過、『沖縄社会教育史料』(全7集、1977~1987年)についてお話しました。とくに仲宗根政善先生とのインタービュー、そのこぼれ話《回想・仲宗根政善先生を偲ぶ》『南の風』3845号・3847号)も。
 ご指摘を受けるまでもなく、今や『沖縄社会教育史料』は希少史料。すでに第3集は、TOAFAECにもどこにも在庫なく、「証言」された(戦後琉球政府時代の)社会教育関係者はすべて物故されています。
 発行当時は、研究会参加の皆さんの大学・研究室に所蔵?したはずなのに、大学図書館へのきちんとした受け入れとなっていなかったことが反省点。研究室内部資料や個人資料としての所蔵は、歳月の経過のなかで散逸していくのです。もちろんホームページの時代ではなく、本サイトには資料の一覧名だけ。→沖縄研究■https://secure02.red.shared-server.net/www.bunjin-k.net/06okinawa.htm
 研究会当日の記録・写真が、瀬川理恵さん(横浜)から、さきほど届きました。有り難うございました。本号はすでに満杯、次号にまわします。お許しを。

3851号【2017年6月29日】
■≪ホームページ20年史≫

 本号は夜間中学関連の特集号となりました。いま注目の前川喜平氏(前文部科学省事務次官)の夜間中学・自主夜中運動に関わる講演記録を草京子さんから送っていただきました。講演記録添付。また東京新聞「ふくしま便り」が前川さんについて、いい記事を書いていますので、そのままご紹介しました。福島へ週2回のボランティアへ。前川さんの人柄がにじんで見えます。
 さて、本号・ぶんじん日誌からホームページは(50号おき)新しいページとなります。この機会に「ホームページ20年史」を書いておきます。実は記録をたどってみると、本ページは1997年6月にアップ。今月は記念すべき20年目の月だったのです。はじめは全くお粗末なぶんじんの個人サイト、当初(ときに行方不明の)ぶんじんのスケジュール・居場所や「沖縄に行こう!」などの呼びかけなど。相手は主に和光大の学生たちでした。
 ほぼ5年が経過したころから、TOAFAEC関連の記事を載せるようになります。TOAFAECの規約や運営、年報や研究会案内、日程スケジュールなど。文字通り公私混同のかたちです。このままではよくない。TOAFAECの若い世代に「早く誰かホームページを始めてほしい」「TOAFAECの独自サイトをスタートさせよう」と呼びかけてきましたが実現せず。20年経っても「ぶんじんサイト」がそのままTOAFAECホームページとして妙に定着してきました。
 20年前のエピソードやその後の経過のなかで書きたいことは山ほど。手探り・手作りのホームページとの格闘は並々ならぬものがありました。しかも当方はいま指の動きもよたよたの85歳。多少でも皆さんのお役にたっている実感なきにしもあらず、まだ何とか頑張っているかたちです。ただ「公私混同」の謗りだけは早く免れたいと思い続けてきました。




*南の風3801号~3850号→■
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