2005 ドイツ訪問(6月15〜24日)記録
           −「南の風」記事ほか−

 *2000ドイツ訪問「短信」記録→■




ブランデンブルク門の60年、小林富美(2005年6月20日)



南の風1441号(2005年3月26日)
■<ドイツの市民社会文化活動の調査計画>
   −谷 和明、Wed, 23 Mar 2005 21:27−

 ハンブルク市アルトナ祭を中心にしたドイツの市民社会文化活動の調査―ご案内―
    2005年度アルトナ祭・社会文化運動調査団(準備委員会)
     (共催:社会文化学会 日本公民館学会・国際交流部)

 ドイツでは1970年代中期から社会文化センターという多機能的な地域文化センターを市民達が自力で開設し、自主管理運営する運動が進められてきました。この社会文化運動の経験は、日本の社会教育、福祉活動、地域市民NPO 活動のありかたを考える上で大きな刺激と示唆を与えてくれるものです。
 この社会文化運動が最も盛んな都市のひとつがハンブルクです。特に下町にあたるアルトナ駅周辺は、市民運動・NPO を担い手とする社会活動や文化活動のネットワークが発展し、行政もそのような市民の力を積極的に取り入れてまちづくりを進めています。このアルトナ地域を舞台に、6月17日〜19日の3日間、社会文化センター「モッテ」を中心に様々な分野で活動する市民NPO団体・施設が総結集し,「暮らし,働き,学ぶ」をスローガンにして、大規模な地域市民祭り「アルトナーレ die altonale」を開催します。これはドイツにおける社会文化運動、市民地域活動、およびそれと結びついた文化運動・生涯学習活動の広がりと到達点を一望できる絶好の機会といえます。そこで、このアルトナ祭の視察を中心にドイツ市民運動・文化運動の現状を調査し、その担い手である市民や職員との交流を行う調査・交流旅行を企画しました。
 今回の旅行では、以上に加えて、本調査団とハンブルク社会文化連盟との共催事業による「街づくり日独市民シンポジウム」をアルトナーレ企画のひとつとして開催し、それに参加します。さらにベルリン市を訪問し、文化政策協会(ドイツ社会文化運動の理論・実践を支える全国組織)が同市で開催する全国研究集会に参加するオプションもあります。
 社会教育、社会文化運動、市民によるまちづくり、地方自治への住民参加、NPO 活動などの問題に関心をもつ市民、自治体職員、研究者の方々が、積極的に参加されるよう、ご案内申し上げます。2005年3月20日
  概 要
1、旅行期間:2005年6月15日(水)〜6月26日(日)<途中帰国可能>
2、旅行日程概略
  6月15日午前東京(+関西空港)発
  6月15日夕刻−Hamburg空港到着−宿舎直行
      21時からコンサート(Motte広報職員ゲトケさんが属して
      いるバンド)(希望者のみ)
  6月16日午前 視察団現地結団式
          Motte館長Wendt氏によるアルトナーレ説明
      午後 市内社会文化施設見学
      夕刻 アルトナーレ前夜祭パーティー(アルトナ区役所)
  6月17日午前 市内社会文化施設見学
   午後 街づくりと文化芸術の役割をめぐる日独市民シンポジウム
   夕刻 アルトナーレ開会式 +アルトナーレ見学
  6月18日 全日 アルトナーレ見学
  6月19日14時頃まで アルトナーレ+アルトナーレパレード見学
       夕刻 アルトナーレ総括談話会(Wendt氏ならびにアル
          トナーレ実行市民を招待しての)
  6月20日 ハンブルク市自由行動
  6月21日午前Berlinへ移動 宿舎到着後自由行動
  6月22日Berlin市内社会文化施設見学+地域ボランティア活動従事
       市民と交流
  6月23日+24日 文化政策協会(Kulturpolitische Gesellschaft)主催の全国
   研究集会に参加(希望者のみ。参加しない場合は、市内自由行動など)
  6月25日午後 Berlin空港発
  6月26日午前 成田空港等に帰国
*往復の航空便はルフトハンザ航空あるいは全日空を利用する予定です。
 もっと価格の安い往復便(所要飛行時間は長くなります)もあるので、
 それを購入して、現地参加することも可能です。
3、旅行費用 26万円(概算)
  内訳 往復航空運賃 15万5000円
  ドイツ内鉄道運賃  5000円  
  宿泊費(一泊朝食込み7000円×11泊) 約77000円
  参加費10,000円(通信費、通訳謝礼など。実費精算後残金は返還)
 注1,1ユーロ=140円で計算してあります。
   2,これ以外に昼・夕食の飲食費や入場料などが必要になります。
    また旅行保険なども各自で掛けて下さい。
   3,参加費1万円を出発時点までに主催者に支払ってください。
    それ以外の費用は、往復航空運賃も含め、主催者が指定す
    る方法で、業者などに各自が直接支払って下さい。
4、申し込み方法・期日:4月15日までに主催者へ
5、申込先:ハンブルク市アルトナ祭・社会文化運動調査団・準備委員会事務局
  担当者 谷 和明 
  東京外国語大学 留学生日本語教育センター
  東京都府中市朝日町3−11−1
  TEL;042−330-5773 FAX; 042−330-5773 
  Email; sk-tani@tufs.ac.jp
6、その他(略)

  ハンブルク・社会文化センター「モッテ」(2005年6月16日)



南の風1466号(5月15日)
■<ドイツ訪問計画>
 谷和明さん(東京外国語大学)がハンブルク市「アルトナ祭を中心にしたドイツの市民社会文化活動の調査」旅行の呼びかけをされたのは3月末(風1441号)。もう締め切りは過ぎていますが、ドイツ行きを決断するかどうか。悩んできました。
 今年の調査団の呼びかけには社会文化学会だけでなく、はじめて日本公民館学会(国際交流部)も加わっています。プログラムもアルトナーレ(市民祭、6月17日〜19日)参加や社会文化施設見学などとともに、今回とくに「街づくりと文化芸術の役割をめぐる日独市民シンポジウム」(6月17日)も行われる予定。
 まだ和光大学につとめていた2000年に、2ヶ月ほどドイツに滞在。その翌年にハンブルク「アルトナーレ」に参加しました。その後アルトナーレがどんな展開をとげているのか、興味も有り。また日本の公民館のあり方を考える上で、ドイツの社会文化運動の示唆するところは多く、迷うのであれば、思い切って久しぶりに行ってみようか、という気持ちなのですが・・・。
 実は去年は航空券・ホテルすべてを用意していたところに思いもかけぬ妻の事故、そして入院、出発直前にハンブルク行きを断念した経過があります。それからちょうど1年。行くとすれば一人でなく二人でという約束めいたこともあって、エコノミー席で大丈夫かな?といってビジネスでは出費がかさむし、などなかなか決断に至りませんでした。しかし台湾に一人で出かけた批判?もなくはない。
 というわけで、数日前からドイツ行き航空券の準備をはじめたところです。まだ充分に空席はあるようです。妙な迷いの一文になりました。

■南の風1484号(6月14日)
(1)≪谷 和明、Mon, 13 Jun 2005 14:48≫
 <ハンブルク・アルトナーレ(アルトナ市民祭)>
 出発直前となりましたが、アルトナーレ情報です。
 今回の社会文化学会(ドイツ交流委員会)と日本公民館学会(国際交流委員会)の共催により計画されたドイツ社会文化調査・視察旅行ですが、計画責任者であった谷の急病にともなう参加辞退者もあり、視察団としての組織的な行動は、残念ながらむずかしくなりました。
 今回参加される方は結局以下の5名です。
森井久美子(6月16日にハンブルク着、20日にBerlin移動、25日にBerlin発)
森井暁子(同上)
小林文人(6月15−23日 Berlin滞在。アルトナーレの期間日帰りでハンブルク訪問)
山本俊哉(6月17日−20日 ハンブルク滞在)
畔柳千尋(ハンブルク在住 Berlinも訪問予定)
 これらの方々が、いわば勝手連的に連携して、ドイツ社会文化調査と日独交流の実を挙げてくださることを期待いたします。
 以下に行動の節目となる催し物を挙げておきます。
6月16日 18:00アルトナーレ夏祭り 会場:アルトナ区役所
    (altonale sommerfest 16. Juni, 18 Uhr Altonaer Rathaus) 

*アルトナーレ夏祭りは、アルトナーレの前夜祭的パーティーで、招待が必要です。参加可能な森井、小林、畔柳の4名の方に関しては招待者リストに加えてもらいましたから、ぜひ参加してみてください。
 Wendt氏はもちろん何人かの旧知の市民にも会えるはずです。
6月17日14:00 文化による街づくりをめぐる日独対話(仮称) 会場 モッテMotte
6月18日 アルトナーレ見学
6月19日 アルトナーレ見学、18 時頃からWendt氏と懇談・夕食
       (希望するなら17日に決定してください)
6月20日 Berlinへの移動
6月21〜22日 Berlin観光+社会文化施設見学
6月23日+24日 文化政策協会主催会議
 …(以下、略)…

(2)<ドイツへの旅>
   同・南の風
1484号(6月14日)
 私たち夫婦は連れ添ってはや45年になりますが、二人揃っての旅行というのはほとんどありません。いつも別行動でした。昨年珍しく、谷和明さんが中心になって呼びかけてきたハンブルク・アルトナーレ(アルトナ市民祭)に、彼女も興味有りというので、同行の旅を計画しました。ところが(1ヶ月前の風にも書いたように)、彼女に直前の事故あり、骨折の診断が遅く(医療ミス?)、結果的に長期の入院を強いられて、二人揃って、ドイツ行きを断念した経過があります。
 あれからちょうど1年。辛抱の甲斐あってほぼ恢復し、杖も手放して(用心しながら)1人前に動くようになりました。この間にお見舞いの言葉などかけていただき、有り難うございました。
 というわけで、今年のアルトナーレに二人で参加しようということになりました。彼女はある種のリベンジ?の思いもあり、何よりも長距離の旅に挑戦して復調の証明を!と張り切っているところ。
 美談?を一つ。ヨーロッパまでの長旅、エコノミー席で大丈夫か、しかしビジネス席はもったいない、などと悩みながら、同じ便に一人だけビジネスを奮発して(貧乏性の悲しさ)、15日から出かけます。あいにくリーダーの谷さんが休養しなければならなくなり、毎日一緒に飲むビールの楽しみは消えましたが、久しぶりのドイツの6月を二人でのんびりと遊ぶことにしたいと思っています。
 パソコンは持参しますが、「風」を吹くことになるかどうか。それは、“成り行き風まかせ”といったところです。

シベリヤの大地−LH機上より(6月15日)



南の風1485号(6月24日)
■<無事帰国>
 さきほど(24日昼)予定通りドイツより無事帰国しました。ご心配かけた同行の妻・富美も10日間を頑張って、元気に日本にたどりつきました。皆さまのご声援によるものと深く感謝しています。(本人弁)
 ベルリン・ツオ(Z00)の駅近くに投宿したホテルは、どこに出かけるにも至便のところ。しかしホテルの部屋からのメール送受信がうまくいきませんでした。すこしフロントなどへも動いてみたのですが、結果的には成果なし。というわけで、「ベルンの風」開局に至らず、まことに申し訳わけありません。ちょうど10日間のご無沙汰となりました。
 風10日の空白というのは、1998年に送信を開始して以来はじめてのことか。これまでだと意地になって、あれこれと動き回り、無理にでも「風」を吹かせたもの。しかし今回はすぐに断念。私的な旅でもありますので、ほとんど努力せず、怠慢というか、気楽というか。この間にいただいていたメールも拝見せず・・・、いい気分で旅を楽しんでおりました。お許し下さい。
 留守中にいただいた山のようなメール、いまから選り分けて、風の送信を再開いたします。まずは出発前に着信していた沖縄・島袋正敏さん、中村誠司さんのメール。名護からの二つの風は、できればベルリンから吹いておくべきものでしたが、10日遅れとなって、いつものように永福からの送信、申しわけなし。
 本日夜は、第109回(6月)定例研究会、与論からの赤崎隆三郎さんを囲む会です。はるばる海を越えてのご出席、これに間に合うように帰国した思いもあり。ドイツはちょうどいま白いアスパラ(シュパーゲル)の季節、毎日、一度は食べました。実は…(略)…シュパーゲルを、交流会後のレストランで料理してもらおうと企んでいるのですが、うまくいくかどうか。まずは帰国ご挨拶の風をお送りします。

ドイツ・ハンブルク市庁舎前の広場は市民デモで賑やか、白アスパラを注文した富美(20050616)





南の風1487号(6月28日)
■<ハンブルク・アルトナーレの印象−2005ドイツ報告bP>
 ドイツから帰ってきて、アルトナーレ(市民祭)参加の皆さんへ出したお礼のメール(6月27日夜)。小さな印象に過ぎませんが、ご参考までに。肩書きのみカッコで追記しました。
 「皆さま;私たち二人も先週、無事に帰国しました。
 今回ドイツへ出かけるかどうかについて、谷和明さん(東京外国語大学)などにご心配をおかけしましたが、なんとか彼女も頑張って、思いのほか快調・快適に旅することが出来ました。アルトナーレは、結局、16日の前夜祭のみの参加でした。久しぶりにヴェント氏(モッテ館長)にお会いしましたし、また森井久美子さん(社会文化学会)と再会し、畔柳千尋さん(ハンブルク音楽芸術大学、院生)にもお会いでき、お世話になり、有り難うございました。
 楽しみしていたトールマン氏(2000年秋、彼の向島訪問のあと一緒に沖縄に旅して、水納島で泳いだり・・・)とは会えず、まことに残念!17日は参加する余力なく、山本俊哉先生(明治大学理工学部建築学科)にも失礼してしまいした。
 前夜祭だけの印象ですが、2001年アルトナーレとは少し違うところがありました。当夜ビールを飲みながら、畔柳さんにその感想を話した経過もありますので、ひとこと。2001年の際は、モッテの若者たちや外国籍の人々など多彩な参加があり、演し物もあり賑やかで(その意味で)活気があったようでした。今回はもちろん(ラットハウス中庭ぎっしりの)多数の参加、同じようにビールも美味しかったけれど、紳士淑女?が初夏の夕べにあい集うパーテイの感じ、市民祭の性格が少し変わったのかな、と思ったのでした。Altonale のパンフをみても、芸術・文化プログラムの傾向が強くなっているような。もちろん肝心の街頭の祭りに参加していませんから、単なる印象にすぎませんが・・・。
 その後、山本先生の17日ミニシンポについてのヴェント報告(アルトナーレは過去最大級の規模になったこと、今回初めて黒字に、党派を超えてのアルトナーレ評価、など)を拝読して、たいへん参考になりました。畔柳さんのベルリン(旧・東)社会文化施設レポートも興味深く、有り難うございました。7月、日本に帰られたら、またどこかでお会いしたいもの。日本公民館学会に興味をおもちとのお話もよく憶えています。気ままな参加でしたが、皆様に御礼申しあげます。」

アルトナーレ前夜祭・ヴェント氏(モッテ館長)の挨拶、ソーセージ焼きの煙
               −6月16日夕、ハンブルク市アルトナ区役所中庭ー


左前より畔柳千尋さん、森井暁子さん、(右後)森井久美子さんと(同会場)



南の風1490号(7月4日)
■<ベルリンの六月−2005ドイツ報告bQ>

 毎号のこの日誌欄、いろいろ書きたいことがあって、訪独レポートになかなかたどりつけません。忘れないうちに少し書き留めておくことにします。
 かねてよりドイツへの関心あり、10年前にようやく訪独。谷和明さんの道案内に恵まれて「社会文化運動」に出会ったのが5年前。「東アジア」を対象化してみていく上で、あるいは日本公民館制度の比較研究としても、フレッシュな視点を発見できた思いがあります。
 社会文化学会にはドイツ交流委員会の活動があります。毎年のアルトナーレ(ハンブルク・アルトナ市民祭、毎年6月、今年7回目)訪問が重ねてられてきました。今年は社会文化学会に伍して日本公民館学会も名を出し、日独市民シンポジウムの企画などが進められてきましたが、谷さんの急病のため、組織的な取り組みとしては中断。それでも6,7名の参加あり。
 今回の私たち夫婦の訪独は、アルトナーレ日程に合わせたものの、実は当初から遊びの計画をもっていました。谷さんに申しわけない。それに至る経過については前にも書きましたので、ここでは省略。同行の妻はドイツ訪問は初めてみたいなもの。ベルリンを中心に動きたい希望あり、ホテルもハンブルクでなく、ベルリン・ツオの駅近くに予約したのでした。
 ドイツの六月は、実にいい季節です。初夏の風そよぎ、陽光さんさんとして、夜10時になってもまだ街は明るい。しかしいまベルリンは新しい中央駅建設をはじめとして各所で改造中。ウンター・デン・リンデンの通りも、フンボルト大学正門前の広場もまったく工事中で雰囲気なし。あの白い空洞のナチス焚書の穴の上にも何か別のテントが設営されていて違った風景でした。夜の空洞の光に接したくて、着いた当日(15日)、わざわざ暗くなって出かけたのに、まったく失望しました。
 二人でゆっくりとルリンを歩いたのはようやく20日、100番バスバスを乗り継ぎながらの1日でした。

ベルリン・ブランデンブルク門、戦後60年、壁崩壊から15年 (20050620)



南の風1491号(7月6日)
■<ホロコースト記念碑 in ベルリン−2005ドイツ報告bR>

 今年は、第二次世界大戦でベルリンが廃墟となって60年。ブランデンブルク門の東側広場には、門と平行して「ベルリン陥落」大パノラマ写真が展示されていて、驚きました。いまTOAFAECホームページの表紙写真に掲げています(上掲)。
 ご承知のようにブランデンブルク門はかって東西を分かつ「ベルリンの壁」が走っていたところ。門のすぐ北側にはいま統一ドイツ連邦議会議事堂(最上階に高級レストランあり)が威容を誇っていますが、すぐ南側、歩いて5分ぐらいのところに、この5月「虐殺されたヨーロッパのユダヤ人のための記念碑」が新しくオープンしています。これにも驚きました。首都ベルリンの象徴的な中心部にかっての「ホロコースト」を忘れない広大な石碑空間が出現したのです。
 すべて横約1m、縦2.5m、高さはいろいろ、灰色のコンクリート石碑が全部で2711基、約2万へーべの空間に並んでいる。ただそれだけ。私にはすべて犠牲になったユダヤ人の棺のように見えました。さまざまの虐殺の形を示すかのように、石碑の高さや傾斜角度が微妙に異なっている。文字ではとても表現できない、しばし立ちつくしました。
 ジャーナリスのトレア・ロッシュによる「見過ごされることなき警告の記念碑」提唱(1989年)から始まり、1995年のコンペ、連邦議会による建設決定(1999年)、2003年建設開始、そして2005年5月12日に一般公開、という経過だったようです。
 南東の一角には、地下に「記念館」がかくされていて、昼間は観光客や生徒たちの長い行列(350人限りの入場制限)、出直して午後6時過ぎにやっと入れました。15人のユダヤ人家族の運命をテーマにした展示あり、充分に読めないけれど、興味深い空間。摩文仁の沖縄県立平和祈念資料館のかっての戦争証言を読む部屋と共通するイメージを感じました。
 首都・東京の靖国神社、首相の参拝問題が問われている日本の戦後60年と対比して、ホロコースト記念碑をつくった歴史認識の違いを、しばし白夜のベルリンで考えさせられたひとときでした。

東側より西方を望む 背景の森はティーア・ガルテン(6月20日)


西側より写す それぞれの石碑は微妙に傾いている



南の風1493号(7月9日)
■<都市に刻まれた現代史−2005ドイツ報告bS>

 富美さんは歩くのに不自由はありませんが、長い時間は無理、少し歩いてはしばし休む、階段は厳しいので昇降機をさがす、そんな工夫が必要でした。ハンブルク・アルトナーレを前夜祭だけで失礼したのも、祭の雑踏は歩けないし、パレード見学も無理だという判断からでした。
 ベルリン・ツオの駅、10年前に初めて着いたときは重い荷物で苦労したものです。いまはエスカレーターが整備されていることを確認して、DB(ドイツ鉄道)の列車へ。乗ればこちらのもの。ユーレイル・パスを活用して目的地まで行き、タクシーを頼んで動きまわる、という計画。
 ベルリンを起点によく動きました。まずポツダムへ。駅から1945年の会談が行われた旧宮殿(いまホテル、5年前に谷さんと泊まった)までタクシー。駅への帰路はバス。このレストランで食べたシュパーゲル(白アスパラガス)がなんとも美味でした。
 次の日はドレスデン、その翌日はニュールンベルク、そしてハノーファー、ワイマールへ。この季節、レストランではまずシュパーゲルを注文し、ヴァイツェン・ビアーで一杯、という幸せな毎日。遠出の合間をぬってベルリンを(100番バスで)歩く、という日程でした。
 ヨーロッパの都市は、街を歩くと(古い歴史だけでなく)現代史に出会う実感があります。とくにベルリンはそうです。ホテルのすぐ近く、ベルリン芸術大学前の小公園の一角に「1933−1945・犠牲者」慰霊碑、その横に「スターリニズム犠牲者」碑、新しい花が捧げられていました。散歩のひととき、粛然とさせられました。
 ポツダムへのSバーンの途中に「グリュネヴァルト」という駅があります。美しい「緑の森」の小さな駅、その17番ホームは、戦時中にアウシュビッツなど強制収容所にユダヤ人を「積み出し」たところ。ホームの鉄板にその歴史が刻まれています。誰もいないホーム跡に二人でしばし佇みました。

ベルリン芸術大学前の小公園、スターリニズム犠牲者への慰霊碑(6月20日)


グリュネヴァルト駅17番ホーム「アウシュビッツへユダヤ人 1000人」の刻字(6月17日)



南の風1499号(7月19日)
■<ブッヘンバルト強制収容所跡−2005ドイツ報告bT>
 ドイツから帰って早や3週間あまり。旅の印象や記憶も次第にうすれてきましたが、それだけに書き残しておきたいことはいろいろ。旅はたしかに疲れますが、心にはずむものが残り、余韻少なからず、旅の効用というものでしょうか。
 今回は、連れの体調も考えて、やや慎重なスケジュール(珍しいことです)。駅前のタクシーで動くとしても、帰路の便があるか、どこで休むか、食事・トイレをどうするかなど。少しでも土地勘があるところを選ぶ結果になりました。
 2000年夏、和光大学の在外研究の経費をもらってドイツに2カ月ほど滞在していたことがあります。この年はちょうど末本誠さん(神戸大学)もフランスに在外研究中。というわけで、ドイツとフランスを横断する旅の計画が浮上して、8月後半の約10日(うちドイツ滞在4日)、農中茂徳、上野景三(家族)、内田純一、萩原敬子ほかの皆さんが渡欧してきました。フランス日程には当時イギリスにいた岩本陽児さんも合流し、総勢10名あまりの、思えば面白い一行でした。
 このときの案内経験が残っていて、今回もベルリンやヴァイマールなど同じところをいくつか動くことになりました。先号に書いたグリュネヴァルトもその一つ。あのホームに佇んで、2000年の一行のことを懐かしく想い出しておりました。
 ヴァイマールはゲーテの家や国民劇場など観光スポットで有名ですが、駅に降りて、その反対側・北方にはブッヘンバルト強制収容所跡(記念館)があります。車で30分あまり。5年前にはみんなと一緒にバスで行ったところです。5年ぶりのヴァイマール、なんとかその慰霊碑の前に立ちたい思いで、今回はタクシーで往復。収容所跡は広大で、中に入って歩くことはできませんでしたが。
 ノートの切れはしから、メモがわりの歌二つ。
 <歌のコーナー>
    −ヴァイマール・ブッヘンバルトへ、6月21日−
◇ゲーテ・シラー並びし像にほど近くガス室備う収容所あり
◇囚われの人ら倒れしその道をタクシー飛ばす60年後の夏
                
ブッヘンバルト強制収容所跡・記念館前にて(2005/06/21)



南の風1512号(8月11日)
■<青木さんのレストラン−2005ドイツ報告bU>

 ベルリン・ブランデンブルク門の近く、青木さん(オーナー・シェフ)の店「ポルタ」があります。青木さんは五十数歳、伊・仏でながく料理修行を重ね、十年?前に念願かなって店をオープン、PORTAとはイタリー語で「門」。いいレストランです。
 青木さんの店を知ったのは、5年前の夏。フンボルト大学のシェフター教授夫妻に谷和明さんと二人で夕食をご馳走になったとき、「ブランデンブルク門の近くに日本人のいいレストランがありますよ」と話題になりました。店を探し出しました。市の中心部、まわりは官庁・大使館・ホテルなど一等地。
 ベルリン滞在中、さびしい夜に何度か青木さんの店で夕食。ドイツのレストランでは珍しく新鮮な魚やエビが並んでいて(決して安い値段ではありませんが)いつも期待を裏切られることなし。風・1499号に書いた農中茂徳・上野景三・内田純一など訪問団一行(8人)もここで豪勢な夕食をした一夜がありました。
 今回のベルリン滞在の最後の夜、懐かしい店を訪ねてみました。同じ場所にレストランあり。しかしどうも雰囲気が違う。経営が変わったのかな?と心配しつつ、尋ねてみたところ、調理場から青木さんが現れました。久しぶり、元気でよかった!
 聞けば、2年ほど前に大病(甲状腺)を患い「四肢が不自由になりダルマさんのように寝ていた」とのこと。丸1年、完全に店を閉じていた、昔の記憶もかなり喪失、自由を取り戻すきっかけは東洋医学(鍼・灸)、などたいへんな苦労話。ようやく再起して、店の看板も内装も一新、ピヤノも入れて、いま体調はすっかり恢復、経営も順調だそうです。お祝いの乾杯をしました。
 首都の中心部、かってのベルリンの壁のすぐ横(旧東ドイツ側)、レポートbR(風1491号)でご紹介した新「ホロコースト記念碑」からも歩いて5分ぐらいか。もしブランデンブルク門やホロコースト記念碑などに行く機会があれば、ぜひ青木さんの店に寄って下さい。注文する前に「青木」を呼んでほしい、お好みに応じて自慢の海鮮を料理する、とのことでした。
 最寄りの駅は、地下鉄Uバーン2「MOHRENSTR.」下車、徒歩2分。200番バスも店の前(ヴィルヘルム通り)を走っています。
 PORTA:WILHELMSTRASSE 87, 10117 BERIN-MITTE
      TEL(030)20623926、FAX(030)20623927

青木さんの店「ポルタ」(ベルリン・ミッテ、ヴィルヘルム通り87)



南の風151?号(8月30?日)
■<ドレスデン・聖母教会−2005ドイツ報告bV>


 *ドレスデン、数日後のニュールンベルク、ハノーファ等DBのんびり
小旅行記事。「南の風」に載せる余裕なく(社全協・全国集会等のニュ
ースいっぱい)、パソコンのどこかに紛れてしまいました。まずは写真
のみ。記事発見後、再開します。(2005年8月30日)


 *あとで調べてみると、ドレスデン・レポートなどは、結局、記述不充分、
補充して書く余裕がないまま、歳月は経過してしまいました。申し訳あり
ません。写真のみの掲載でお許しください。(2010年5月7日)


10月に再建・完工が期待されるフライエン(聖母)教会 (ドレスデン、20050619)


ドレススデン・旧王宮の壁画「君主の行列」、前は小林富美(2005/06/19)



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ハンブルク市役所前の市民デモ  河畔レストランでスパーゲルを食べていた (20050616)
 移動(上掲写真)


ハノーフアーの露店・スパーゲル(白アスパラ)売り (20050618)


ハノーフアー市庁舎よこのレストラン(20050622)



ハノーフアー市庁舎前の庭、この時期・博覧会で市内は混雑 (20050622)






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