【南の風2015】発行リスト・3451号〜3500号
各号目次一覧・後記(ぶんじん日誌)



*南の風3351〜3400号〜■

*南の風3401〜3450号→■
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【南の風2015】3451号〜3500号・目次一覧

3451号【 2月17日】日本公民館学会スプリングフォーラム、やんばる対談E、米軍幹部暴言、支配者の傲慢さ
3452号【 2月19日】夜間中学映画祭、町田、沖縄の自決権回復、やんばる対談の歩み、自由の侵害との闘い
3453号【 2月21日】閉門弟子・羊年ご挨拶、旧正大綱引き・黒島、最西端の島・与那国の公民館、春節の祝い
3454号【 2月23日】夜間中学映画祭お礼、夜間中学・日経新聞記事、与那国住民投票・自衛隊賛成が過半
3455号【 2月25日】フィリピン・レガスピ市の取組み信濃毎日新聞連載、辺野古2800人集会、沖縄の心と財産
3456号【 2月27日】韓国フォーラム、男女平等条例は、基地のはざまで、イーストビレッジ、台湾の終身学習法
3457号【 3月 1日】21回東京社会教育歩み研究会、韓国で在外研修、2月定例研究会報告、連夜の研究会
3458号【 3月 3日】台湾「社会教育法」廃止について、沖縄の自己決定権回復を、年報20号編集委員会
3459号【 3月 6日】3月定例会「やんばる対談」合流、町田とびたつ会、辺野古に響く三線、台湾関連ページ
3460号【 3月 8日】東京歩み研究会(21)、識字日本語学習研究集会、しまくとぅば、白樺のワインクーラー
3461号【 3月10日】20号編集・自由投稿、名護やんばる対談、報道の自由、最近HP更新、東アジア20年
3462号【 3月12日】日本青年館への惜別、沖縄の地域生年合同祝賀会、白樺、北海道置戸町・森林工芸館
3463号【 3月14日】夜間中学−北海道で進展、『マーシャル諸島』出版、農民一揆に県民重ね、3月の労作
3464号【 3月17日】城戸久枝さん講演会、政権のおごり極まる、沖縄に同行希望、白樺在庫、確定申告
3465号【 3月19日】3月定例会はやんばる、那覇の研究会交流、町田、目取真俊の闘い、ヤマトゥへの弾劾
3466号【 3月22日】今年のやんばる対談(第7回)の進め方、辺野古新基地阻止集会、沖縄のガンジー
3467号【 3月24日】辺野古ゲイト前で、沖縄から日青協会長、沖縄スケジュール、集落の公民館をまわる案
3468号【 3月25日】東京の日本語教育を考えるつどい案内、沖縄県知事・作業停止指示、テレビ朝日報道
3469号【 3月27日】自由投稿呼びかけ、米軍上陸70年、夜間中学を語る会・町田、名護社会教育の独自性
3470号【 3月30日】下伊那テーゼ50年、えんぴつの会支援ボランティア募集、やんばる対談御礼、奥の新茶
3471号【 4月 1日】学長退任挨拶、中央公民館へ(松本)、農相「無効」決定、夜間中学の宣伝、異動の季節
3472号【 4月 2日】韓国・大田大学校、十日町市、米軍本島上陸の日、や対談、名護市中央公民館工作室
3473号【 4月 3日】成果も課題もみえてきた名護社会教育、対談(215研究会)報告、いくつもの風が吹く
3474号【 4月 5日】内モンゴル赤峰学院、エイデル新刊、新報社説、夜間中学国会質問、ホームページ
3475号【 4月 7日】第55回韓国研究会(編集会議)、翁長・菅初会談、杉並にも公民館が、4月諸研究会
3476号【 4月 9日】第22回東京社会教育史研究会、「学び舎」の歴史教科書、南信州、面白い歴史教科書
3477号【 4月11日】東京多摩社会教育会館旧蔵資料、町田、辺野古新基地と爆笑問題、竹の子の季節
3478号【 4月14日】守口の近況(北海道置戸町より)、「学び舎」の快挙、辺野古区民の会解散、「北の風」
3479号【 4月16日】4月定例(第216回)研究会、城戸久枝講演会(再)、七転び転んで、民謡ひやみかち節
3480号【 4月18日】第2回基礎教育学会(仮称)設立準備会、シーミーで語る戦世、翁長沖縄県知事語録
3481号【 4月20日】東村20年ぶり村長選、座喜味公民館の朝市、歩み研究会(22回)、社会教育資料1万点
3482号【 4月22日】NHK・外国人の日本語教育、24日は4月定例会、沖縄の女子学徒隊、初ガツオ
3483号【 4月25日】転任挨拶、竹富島肩章とリゾート問題、回想20年@私たちの思い、年報20号編集
3484号【 4月27日】東京社会教育あゆみ(仮)編集、艦砲の食べ残し、回想TOAFAECA、20年ぶり村長選
3485号【 4月30日】やんばるにイジュの花、「屈辱の日」63年、若葉とそよ風のハーモニー、2015総会は
3486号【 5月 1日】基礎教育学会5月10日、東京八重山まつり、1998「南の海を飛びながら」、風薫る季節に
3487号【 5月 4日】東村山市で夜間中学のPR、また沖縄に、20年回想C、1998・あの懐かしき日々
3488号【 5月 5日】216(4月)研究会報告、20年回想D留学生と、地域にかすがい、「おきなわ短信15年
3489号【 5月 8日】2015総会日程、飯舘村ゆーとぴあ、20年回想E業余大学との合作構想、二人の留学生
3490号【 5月 9日】8日夜NHK「夜間中学」番組、20年回想F上海「文人図書室」、保谷「市民の学習権宣言」
3491号【 5月11日】全国夜間中学の実態、牛屋の母娘1、20年回想8、 保谷市・宣言、福岡・島原口之津へ
3492号【 5月12日】福岡に島袋正敏さん、辺野古「楕円」を描け、20年回想H2000号ご挨拶、小さな語らい
3493号【 5月14日】新しい夜間中学の再定義、鹿島から報告、川崎女性と富川男性の結婚式、戦没新聞人
3494号【 5月15日】はじめての東京暮らし、おきなわ短信(1003)、TOAFAEC 20年回想I、沖縄復帰の日
3495号【 5月17日】夜間中学6.4院内集会、夜中学級公開、東京社会教育史編集、100号アドレス帳整理
3496号【 5月19日】5月(217回)定例研究会、沖縄県民大会に3万5千人、6・4国会集い、竹富郷友会90年
3497号【 5月21日】2015総会、オホーツク社会教育研究会など、研究会初参加、社会教育主事の皆さんと
3498号【 5月23日】総会会場URL(修正)、伊那テーゼ50周年、風の継続を、事務局コーナー、五月も下旬
3499号【 5月26日】新基地ノー 国会包囲ヒューマンチェーン、プルム学校訪問、風の継続、宮良純一郎さん
3500号【 5月27日】名護の動き、ジョギング3542日、国立市公民館ビデオ、地域の寺子屋、3500号・御礼


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南の風・各号後記(ぶんじん日誌)


3500号【2015年5月27日】
■≪3500号・御礼≫
 前号に書いたTOAFAEC 事務局会議の席で、「事務局が自前の広報機能をもってくれたら、南の風は止めることができるのだ」とつぶやきました。この2年余りの間に、何度か「風の吹き納め」のご挨拶を書きかけた経過があります。しかし、その都度、面白いメールが舞いこんだり、東京社会教育史の本づくりや基礎教育学会(仮)の動きが始まったり、そしてTOAFAEC 活動の案内・報告の必要もあり・・・、というわけで、結局は3500号まで来てしまいました。3000号からちょうど2年半。あらためて皆さんのご愛顧に感謝!です。
 北九州・山下厚生さんのお便り(上掲)に驚きました。「 … 私は毎朝4時に起きて、早朝のジョギング … 今日で連続3542日になりました」と。風のライバル?登場。数字では風はジョギングに追い抜かれ、だんだんとその差が開いていくばかりか。これからお互いを励みとし、あとしばらく数を重ねていくことになりましょうか。どうぞよろしくお願いします。
 今年の「七夕の集い」の予告メールが来ました。江頭晃子さん。「・・・日程の報告が遅くなり、すみません。七夕の会は7月19日(日)の開催、別途案内を送ります。… ご予定を開けておいてください。」
 この間の皆様からのお便りたくさん、有り難うございます。岡山の美若忠生さんのメール、“不思議な体調不良”とのこと。お見舞申しあげます。しかし、「そんな時、しきりに『社会教育私史』を書きたくなります」と。ぜひ!ぜひ。まず「風」誌上で。いつでも連載のページをご用意します。
 3500号でお別れする方々、これまでのお付き合い、あらためて御礼申し上げます。

3499号【2015年5月26日】
■≪あと1号で3500号≫
 昨日(5月25日)午後2時半、関東地方に強い地震がありました。棚から本やDVD類がかなり散乱。東京の震度4。震源地は南茨城とのこと、鹿嶋や筑波の皆さんは驚かれたことでしょう。散乱物の片づけをしながら、4年前の大震災の揺れを思い出しました。テレビも緊急の地震報道に切り替わっていましたが、大きな被害はなかった模様。地震列島は、ときにグラリ!と揺れますね。
 話は前後しますが、24日・日曜日の午前、上京中の上野景三さん(日本公民館学会長、佐賀大学)の都合に合わせ、「風の部屋」で久しぶりのTOAFAEC 事務局会議。総会(6月6日夜)に向けて5人集まりました。皆さん、ご苦労さま。これからのTOAFAEC の運営体制や事務局問題、会計や年報発行などについて、あれやこれやの協議。代表交代のこともあり、故伊藤長和さん逝去後の副代表後任の懸案もあり、また事務局体制拡充の課題も。TOAFAEC も20年が歳月を経て、次のステージへどう脱皮していくかが問われています。今年の総会が新しいTOAFAEC へ向けてのスタートとなれば幸い。
 あと1号で3500号となります。本号は皆さんから頂いた「風」への返信、近況報告などをご紹介しました。珍しいお名前も出てきて懐かしい。日頃無音の皆さん、風・継続希望の方はご一報を。お急ぎください。
 ≪追録:宮良純一郎さんのこと≫
 新刊『月刊社会教育』(国土社)6月号−特集「沖縄からの発信」−。執筆者の一人、宮良純一郎さん(元校長、「八重山戦争マラリヤを語り継ぐ」)は、私たちの与那国調査(1998年)当時、同町教育委員会・教育課長でした。この調査には、たしか内田純一さんや山口真理子さんが一緒。その後に鷲尾真由美さんたちも同行された記憶。宮良純一郎さんには、お父上・宮良保全翁(与那国民謡・長老)とともに大変お世話になりました。
 純一郎さんとは、与那国・久部良の「日本最西端之碑」に座り、二人で台湾に落ちる夕陽を見ながら語りあった仲です。【南の風】第63号:与那国から台湾を望む(1998年7月31日)−はその記録。また「おきなわ短信」2〜7(小林「公民館の風」138、141、143、188号など、2001年)に当時のフィールドワークを書いています。ご覧いただければ幸い。→■http://www007.upp.so-net.ne.jp/bunjin-k/okinawatansin1999.htm

3498号【2015年5月23日】
■≪五月もはや下旬≫
 1週間前に頂いていた飯田・木下巨一さんの「下伊那テーゼ50周年を記念する学習会」報告、やっと上掲することができました。日本公民館学会のMLや内田「公民館の風」にも報じられていましたので、こちらはついつい掲載がおくれて、失礼しました。
 本号から、3500号を期しての風アドレス帳更新・継続ご希望のメールを載せ始めました。久しぶり、千田忠さん(もと酪農学園大学)の便り。半年くらい前の心臓手術、その後リハビリに取り組み、順調に回復、「かってと比べものにならない“がんばり”がきくように」なったとのこと。しかも「…体調と折り合いをつけながら、高齢者の地域での共同についての参加型調査を行っています(札幌、倉敷)」など。よかった、よかった!
 こちらは、昨日「東京社会教育史」づくりに向けて、2回目の集中編集作業(リライト依頼)でした。2時〜9時まで。皆さんの頑張り。小生は妻の介護(夕食等)のため、2時間あまり中座しましたが、会場と自宅を往復しながら、充実した気分。きっといい本に結実していくことでしょう。
 研究職でないメンバーが、本務をこなしながら、難しい研究・編集の課題に挌闘している風景。本の出来上りへの期待とともに、何よりこのプロセスの積み重ねこそ貴重だと思いました。歴史に取り組む作業が、苦しいけれども、次なる歴史を紡ぎだすことになるだろう、拡げて重ねていってほしいものです。
 「月刊社会教育」6月号が「沖縄からの発信」を特集しています。島袋正敏さんが巻頭に「名護社会教育―市民協働の地域づくり」を執筆。昨日、そのセイビンさんからの電話。会場ほかの事情あり、ぶんじん「トシビーユーエー」(生年祝い)は7月に早めたいと。いったい「トゥシビー」とは?「ユーエー」は「祝い」。

3497号【2015年5月21日】
■≪若い社会教育主事集団とのユンタクを≫

 本号も長文、恐縮しながらの配信です。風「継続希望」各メールも長文が多く、掲載をあとまわしにしています。皆さんからの相次ぐメールに感謝!風の隔日リズムを維持すれば、どうしても長くなってしまいます。ご容赦を。
 年報編集委員会の次回スケジュール案が来ました。次の日程を確定しないまま別れてしまった先回編集委員会の失敗・反省。4日夜こちらの都合は大丈夫です。20号編集について、各執筆予定者あて、特集企画をそえて、執筆依頼・枚数や期限など編集長からの一文がほしいところ、如何でしょうか。 
 南の風は創刊からすでに17年の歳月、参加メンバーの全般的な高齢化は避けられませんが、おそらく最も若い世代と思われる松田弥花さん(東大・院)から「今月末(29日)に行われるTOAFAEC定例会、ぜひ、参加させて頂きたい」旨の来信(上掲)。お出でになるとすれば、研究会に“初参加”。研究会終了後の交流会では初参加・歓迎の乾杯をする慣わしです。ご予定ください。
 名護・島袋正敏さんから(上掲していませんが)いつもの辺野古・新基地とめよう!の訴えでなく、ぶんじんの「トシビーユーエー(生年祝い)をやろう」とのご提案。有り難く涙こぼるる思い。セイビンさんも羊(ひつじ)年生まれ、合同生年祝いのイメージか。「… 突然のお願いですが、名護・山原の気持ちをお汲み取りいただき、先生の日程調整をお願いします。近々に実行委員会を持ちます」と。8月8日、会場(名護)屋部公民館の企画案だそうです。
 とつぜんのお知らせ。ウチナンチュになったような気分です。有り難うございます。この機会に若い社会教育主事の皆さんと、ゆっくりユンタクする機会があれば、と思っています。

3496号【2015年5月19日】
■≪竹富島・東京郷友会90周年≫
 もうすぐ「南の風」は3500号。風を“双方向”に吹きあいたい、各方面からの風が集まる「ひろば」づくり、そんな思いで「南の風」発行を重ねてきました。恒例100号おきアドレス帳更新をお知らせしたところ(前号)、折り返しの「継続希望」が寄せられ始めました。加えて、夜間中学に関する超党派議員連盟による立法に向けての6・4集いのご案内、飯田市の木下巨一さんメール(未掲載)、またTOAFAEC 総会や研究会お知らせ、それに本号では17日の沖縄「止めよう辺野古新基地!沖縄県民大会」のレポート3本。有り難うございました。いま当方の受信箱は満杯の盛況。あらためて皆さんの活力を実感しています。本号も長文となりましたが、お許しください。
 風に寄せられた各位の近況・活動の報告は、ひと呼吸して、順次、掲載していくことにします。いつもは頂いた次の号あたりに載せてきましたが、今回はそうもいかず・・・ご了承ください。
 八重山の竹富島、その東京郷友会が1925(大正14)年創立から今年で「九十周年」を迎えたそうです。「ふるさとを遠く離れて、交通情報も不便な時代に肩を寄せ合って語り継いできた」郷友会の歳月。上勢頭芳徳さん(竹富島喜宝院蒐集長)から「記念公演」お誘いを頂きました。鶴見や川崎の沖縄県人会の歴史も大正期から始まるようですが、一つの小さな島だけの郷友会としては稀有の歴史と言えましょう。
 90周年記念公演(6月7日午後、王子駅北口「北とびあ大ホール」)では竹富島の芸能(国指定・重要無形民俗文化財)の数々が上演される予定。あいにく日本社会教育学会六月集会の2日目ですが、ぶんじんは竹富島芸能に惹かれています。ご関心の方はご一緒しましょう(観覧料2,500円)。ご一報を。

3495号【2015年5月17日】
■≪恒例100号おきアドレス帳更新≫
 16日(土)夜、美女3人が“風の部屋”に来室。素晴らしい週末となりました。横浜と多摩と韓国公州の・・・と書けば、自ずとお名前はお分かりでしょうか。こちらは、仕入れていたカツオを冷蔵庫の氷室に入れて、なかばルイベとなった片身、これを刺身にして、失礼ながら、一人ビールを飲みながらの開会。皆さんからの頂き物も並び、活発な語り合い(テーマ・社会教育と市民−東アジア20年)。当日論議は月末金曜日(29日)第217回定例研究会へと拡がる予定。楽しみです。当日のご案内、お待ちしています。
 前号に山本健慈さん(前和歌山大学長、5月より国立大学協会専務理事)の「はじめての東京暮らし」ご挨拶を載せました。いちど私たちの集まりにもぜひ!「ヤマケン先生、歓迎の集い」など企画したいものと書いたところ、折り返しメール来信。「山本健慈です。小林先生、南の風同人のみなさん。お誘いありがとうございます。「お知らせ」を見て、また参加させていただきます」とのこと(Date: Fri, 15 May 2015 17:16)。追信あり・省略。
 ところで、あと5本で「南の風」は3500号。あの「3000号・騒動」(伊藤長和さんがお元気だった!)から数えて、早くも2年半が経過しています。まだ少し風は続くようです。恒例の100号おきアドレス帳更新作業をいたします。「風」無用の方、最近まったく音信ない方で引き続き風・継続配信をご希望の方々、その旨のご一報をいただければ幸いです。皆さんに紹介する近況もそえてくだされば有り難い。
 TOAFAEC 事務局へ。6月6日「総会ご案内」どうぞよろしく。また24日午前予定(総会へ向けての)事務局会議−風の部屋、結集をお願いします。

3494号【2015年5月15日】
■≪沖縄復帰の日に≫
 5月15日は沖縄「復帰の日」。今年すでに43年。昔(東京学芸大学)研究室で集いを企画したこともあり、TOAFAEC 定例研究会で何度も「復帰」をテーマに語り合ったこともありました。私たちが沖縄研究にたずさわり、関心をもつようになったのは1976年、復帰後4年目のことでした。それからこの日を特別な日として意識するようになって40年が経とうとしています。
 この日、沖縄各紙は社説で「復帰」について書いています。琉球新報は、復帰当時の沖縄県知事・屋良朝苗の言葉を引いて「圧政はね返す正念場」の訴え。
 「復帰運動の先頭に立った屋良朝苗主席の『復帰措置に関する建議書』前文にはこうある。『沖縄は余りにも国家権力や基地権力の犠牲となり、手段となって利用され過ぎました。復帰という一大転換期に当たって、このような地位からも、沖縄は脱却していかねばなりません。』 …(略)… 現状はどうか。国は日米安保を重視する手段として沖縄を相変わらず利用し、県民は基地の重圧にあえいでいる。新基地建設は今後も沖縄を利用し続けるとの宣言」だと。*全文→■http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-242954-storytopic-11.html
 沖縄タイムスはとくに「子どもを振興の柱に」の社説。「1人当たり県民所得や1世帯当たりの消費支出、高校進学率、大学進学率は全国最下位。一方、完全失業率や離職率、離婚率、母子世帯の割合、新規の高校・大学卒業者の無業者比率は全国一。(略)全国一と最下位が目立つデータが示すのは、個人の努力だけでは乗り越えることができない厳しい現実である。中谷元・防衛相との9日の会談で翁長雄志知事が『他の都道府県のように子どもやお年寄り、まちづくりのために全力を尽くしたいが、基地に時間が割かれすぎる。知事になって約5カ月、仕事の8〜9割は基地・・』と嘆く場面があった。…(略)…
 子どもへの視点が乏しかった沖縄振興策の反省とともに、例え貧困であっても未来に希望を持ち健やかに育つよう、子どもに特化した『未来振興計画』が必要だ。」
*全文→■http://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=115538

3493号【2015年5月14日】
■≪六月「総会」に向けて≫
 風雨から一夜明けて、13日の東京そして今日14日も、まったくの夏日となりました。不順な気候が日常となりつつあるような昨今ですね。
 それでも季節は順調に移りかわっていく。夏も近づく八十八夜、新茶の季節となりました。福岡・八女から一袋を頂いて楽んでいます。今年は、3月「やんばる対談」の折に、沖縄・奥の新茶を入手する機会があり、これで二度目の新茶の香り。季節と言えば、いま魚はやはりカツオが旬。いい色の刺身がなんとも美味しい、いい季節なのです。
 ご多忙の氏岡真弓さん(朝日新聞・編集委員)から、夜間中学についてメール拝受(上掲)。5月9日の朝日社説「夜間中学・どの県にも学びの灯を」は好論でした。凝縮した課題提起。メールでは「…新しい夜間中学の役割の再定義が必要」かとの指摘もあり、みんなで一度お話を伺いたいもの。
 本号には加えて「鹿嶋からの報告」(森下松寿さん)、「川崎・富川高校生フォーラム・ハナで一緒に活動してきた川崎の女性と富川の男性の結婚式」慶事のニュース(小田切督剛さん)、有り難うございました。
 TOAFAEC 事務局の皆さんへ。6月6日(日本社会教育学会・六月集会初日)予定の「総会」まで3週間となりました。当日の池袋会場は決まりましたか。風への「総会ご案内」をお待ちしています。風3489号に総会スケジュール予告を載せましたが、5月24日(日、午前10時〜12時)は「総会へ向けて事務局会議」(風の部屋)。これも大事な会議、事務局の皆さん、あわせてご予定ください。5月29日の定例(第217回)研究会のご案内もどうぞよろしく。

3492号【2015年5月12日】
■≪小さな語らい―お誘い≫
 5月も半ば、皆さんお変わりありませんか。5月だというのに、南から思わぬ台風、列島づたいに、時速65キロで北東に進んでいるとのこと。宮古島で停電さわぎが報じられましたが、沖縄気象台は、朝(12日)には発令していた暴風警報を解除。いま(12日昼)東京でも風が強くなっています。逃げ足のはやい台風のようです。
 月が変わった日に、ホームページ表紙の写真を、沖縄やんばる・マングローブ(慶佐次)風景から、福岡油山・エビネ蘭に変えました。9日夕、隠れ家にたどりついて、真っ先に庭の隅のエビネをのぞいてみましたが、残念なが今年の花は終わっていました。しかし群落は(藪の中)したたかに拡がって、これからが楽しみ。ことさらにHP・エビネの変わらぬ可憐さが目に鮮やかです。
 いくつか予定の打合せ(七夕の会など)メールのなかに、小さな研究会の相談がありました。年報20号記念特集(風3488号)編集キーワードの一つ、「市民」について、東アジア20年をどうみるか、小さな研究会をしようという提案。江頭晃子さん「…5月の定例会ですが、金ボラムさんOKとのことです。江頭とボラムさんでTOAFAEC 20号の試案を皆さんに議論してもらえるように話題提供したいと思います。16日(土)夜に2人で打ち合わせをします。…
 もし、先生のご都合がよろしいようでしたら、16日の夜ご一緒していただきアドバイスいただけると有難いですが・・・風の部屋に伺います、いかがでしょうか」(Mon, 11 May 2015 22:29)と。もちろん歓迎!です。
 風の部屋(西永福)で16日午後6時〜6時半から。加えて黄丹青さんが来てくれると、中国「市民」の動きを話題にできます。黄さん、ぜひ! また関心ある方、お気軽にお出かけ下さい。研究の小さな語らいは大きな規模の研究会にない面白い論議の可能性を秘めています。お待ちします。勝手なお誘い。

3491号【2015年5月11日】
■≪福岡にて・・島原口之津へ≫
 前号に記した「保谷市民の学習権宣言」(1995年10月)について、野々村恵子さんより早速「入手」のご連絡をいただきました(上掲)。安心しました。
 当方も福岡「油山文庫」に入って、現物にたどりつけませんでしたが、関連資料・コピーで確認することができました。春・はなみずき、夏・けやき、秋・もくせい、冬・さざんか、そして木立に躍るしじゅうから−いずれも旧保谷市の木・花・鳥−に言寄せて、情感豊かに「市民ひとりひとりが生涯を通して学ぶ」自由と権利を宣言したものです。関連して『月刊社会教育』同年10月号に、奥津とし子さんが「市民主体の豊かな学習の発展を−保谷市の社会教育の蓄積を生かした生涯学習計画づくり」を執筆されています。あのころは、社全協・常任委員会も「町まち、村むらに『住民の学習権宣言』をつくりだそう」と呼びかけていたこと(1992年)も思い出されます。
 さて9日の福岡、ご存知・農中茂徳さんが迎えてくれました。時計の針が12時をまわるのも忘れて積もる話。10日(日)は島原「口之津」へ行こうと(衝動的に)決定。島原半島めぐりは、雲仙の全国集会以来20年ぶり。
 口之津は、有明海の入口に位置し、江戸時代から南蛮船・唐船が来航。明治期には大牟田・三池炭鉱の石炭積み出し港、与論島からの労働力受け入れ(与論長屋)、そして石炭船にかくれて「からゆきさん」が出た港です。「ドラマチックな歴史をもつ町・口之津」(原田建夫・口之津歴史民族資料館長)。港を見渡す旧税関に設置されている資料館は、見応えのある地域博物館でした。
 帰路は、暮れなずむ頃に久留米へ。生家に立ち寄り、その足で古賀皓生さん宅を急襲。油山に帰着したのは深夜12時ちかく。終日、農中茂徳さんの車に感謝!まことに充実した1日となりました。

3490号【2015年5月9日】
■≪保谷「市民の学習権宣言」資料≫

 南の風は連日配信をできるだけ少なくし、まして同日に吹く「風」は(これまで)例がありませんでした。ところが、今日(8日午後)前号を出したあと、上掲の添田祥史さん(福岡大学)メールや、神戸の草京子さん、東京の関本保孝さんなど夜間中学校関係者からのご案内が飛び込みました。本日(8日)夜のNHK番組(「文科省・夜間中学全国調査結果」発表について、8日夜11:30〜NHK NEWS WEB「夜間中学の現状と課題」)。急遽「風」3490号を(明日9日の日付で)配信することにいたします。
 当方は、あいにく9日に福岡へ行く用事あり、慌ただしい準備のなかの本号編集、もしや見苦しい誌面が残っている?のではと気になりながら・・・何か不充分なところがあっても、ご寛恕ください。
 本(ぶ)欄、珍しく半分ほど空きスペースが出てきました。いま当方の受信箱には「東京社会教育の歩み」(仮)編集関連のメールがあふれています。今日の着信のなかでは、風・誌面にこれまでほとんど登場されなかった野々村恵子さんのメール、この機会に紹介させていただきます。私的なお知らせですが、お許しください。「9日午後1時〜西東京市柳沢公民館にて・・・話し合いの会を持ちます。K先生、原稿を書いてくれそうです。無理なら、私が話しをまとめます。・・・保谷の学習宣言のことは(保谷の関係の方々も)ご存じありませんでした。」(Fri, 8 May 2015 12:29)
 ぶんじんの記憶では、1995年前後の保谷市民(計画策定審議会?)による取り組み。幸い久しぶりの福岡「油山文庫」、資料を探し出典を正確にして、次号にでも書くようにします。短い滞在(わずか2日)、うまく原資料にたどりつけるかどうか。

3489号【2015年5月8日】
■≪上海・二人の留学生≫
 かって1990年代から2000年代にかけて、早稲田大学を事務局として「日中教育研究交流会議」が活発に動いていました。会長は太田堯先生、その後に故横山宏さんなど。いつの間にか「会議」は姿を消して・・? なにか学会が出来たような情報が迷い込んできた記憶がありますが、その後とくに連絡なく、どうなったのかしら?などと思っています。
 同「会議」は『研究年報』を発行してきました。2004年・第14号には、小林「留学生との出会いと交流−この20年、上海への道」が収録されています。中国留学生との忘れがたい思い出、とくに「20年回想」前号〜本号「上海閘北区・業余大学との合作学院づくり−構想実らず」に登場する二人の留学生、袁允偉と羅李争のことは忘れることができません。とりわけ在野を貫いて生きている羅さん、この数年は会う機会がありませんが、元気かしら? 久しぶりに積もる話をしたいもの。しかし、当面は会う機会もなさそうですね。
→■
http://www010.upp.so-net.ne.jp/mayu-k/tyugokureport97.htm
 10年前に二人と撮った写真(2005年10月)がありました(下掲)。また、「日中韓(三国)国際交流・学術フォーラム」(2010年11月、上海外国語大学)の夜、北京から韓民さんも来て、一緒に会食した折の写真も懐かしい。→■http://www010.upp.so-net.ne.jp/mayu-k/3kokusinpo2010.htm
 ところで、2015年TOAFAEC 総会の日程がほぼ決まりました(上掲)。例年のように日本社会教育学会六月集会の初日夜。会場(東京池袋・立教大学)近くの場所を準備中です。関係の皆さんご予定を。学会理事・幹事の方々も、遅れてぜひ!ご参集を。また初めての方も歓迎です。
2005年10月、上海・二人の留学生、左・袁允偉さん(業余大学副学長・当時)、右・羅李争さん(上海、20051023)


3488号【2015年5月5日】
■≪おきなわ短信・15年≫
 南の風は、沖縄各新聞の小さなコラム欄を散策・逍遙するのが楽しみ。そのなかで面白い記事に出会うと、風の「おきなわ短信」シリーズに紹介する作業を重ねてきました。今日は、子どもの日に関連して琉球新報・コラム「金口木舌」“地域のかすがい”を拝借したところ、「短信」は本号でちょうど1000号となったことを発見!
 この機会に沖縄各紙、ジャーナリストの皆さんに、あらためての御礼を申しあげます。15年前後にわたる恩義、多くの叡智、フィールドワーク精神、正義と反骨の思想、平和への思い、などたくさんのことを教えられてきました。
 この「短信」を重ねてきたことには二つの理由がありました。一つは「南」の風なのに、沖縄メンバーからの寄稿が(名護・島袋正敏さんなどを除き)あまり多くないこと。毎号に何かひとつ、沖縄の話題を載せたいという風のひそかな願いがあり、空きスペースがあれば、そのつど沖縄(八重山を含む)各新聞コラム諸氏のお仕事を頼りにしてきたという経過でした。ほぼ15年の歳月。
 あと一つ、「南の風」を追っかけて創刊した「公民館の風」(1999年9月〜)には、当初ほとんど寄稿がありませんでした。その穴を埋めたいと、「シリーズ・沖縄の公民館」を書き始めたのが1999年11月。毎号かなりの長文、20回シリーズを終えて「おきなわ短信」と改名。公民館以外のことも話題に。少しずつ新聞記事を引用するようになっていきました。「短信」の初期の30本ほどは小林の文章になるもの、読み直してみて案外と面白い記録。いまの「おきなわ短信」のかたちになるのは2002年あたりからです。「短信」1000本の記録はすべて残っていて、ぶんじんにとって、いま大事な資料源です。
○おきなわ短信→■http://www007.upp.so-net.ne.jp/bunjin-k/okinawatansin1999.htm
○公民館の風→■http://www004.upp.so-net.ne.jp/fumi-k/kouminkankaze2.htm

3487号【2015年5月4日】
■≪1998年−あの懐かしき日々≫
 TOAFAEC 創設から20年。この機会に折々の歩み記録をいくつか再録しておこうと始めたシリーズ。本号(回想その4)でようやく「南の風」創刊(1998年2月6日)にたどりつきました。「パソコン通信」の言葉が目新しい頃、この通信を「とりあえず『南の風』と名のる」ことは咄嗟の思いつき、深い思慮があってのことではありません。もちろん“南”は沖縄の意。当時はこんなにながく続くとは思いもよらず、歳月の経過とともに“南風”は韓国や中国でも関係の方には、少し知られる名称となりました。
 初期は、「沖縄・東アジア」研究の仲間うちの通信、同報メンバーは10人たらずか。勝手気まま、書きたい放題。読み直して懐かしくもあり、しかし中に失礼となる話題や表現もあった?に違いありません。遠慮しないで率直に書くのが持ち味でもあり・・また「戯れ歌」コーナーに驚いた人もありました。
 風がスタートした1998年の記録を読むと、当方の年齢はすでに70才近くなのに、よくもまぁ、いろいろと動きまわっていたもんだ!と自ら驚いています。国立大学の(管理職を続けたせいもあり)勤務の拘束や海外旅行の手続き制限と比べ、定年後の和光大学時代が総じて自由闊達に動けました。この年、正月に「南の海を飛びながら」(前号)名護へ。2月に上海へ。5月は韓国の畏友・黄宗建さんを迎えて鹿児島・与論・沖縄へ。7月は最西端の島・与那国調査を開始。9月に再び「やんばる」交流。11月に再び上海(閘北区業余大学と合作学院づくり協議−次々号予定)など。沖縄・東アジア各地への研究交流を背景に、毎月の定例研究会も活発に動いていきました。
 この年は、科学研究費(沖縄地域史研究)の援助がありましたが、できるだけメンバーに分けて、自分のすべての海外旅費、2ヶ月おき沖縄行き経費、広州や上海からの訪問団受け入れ経費その他もろもろの活動費は、すべて自己負担、よく続いてきたものです。

3486号【2015年5月1日】
■≪風薫る季節に≫
 本号は、5月10日予定「基礎教育学会」(仮)設立準備会(第2回)案内、既報日時に誤記あり、急ぎ訂正記事が送られてきましたので、連日配信となりました。ご了承ください。収蔵庫にしまっていたホームページ「基礎教育学会」(仮)構想・設立準備会サイトも、この際取り出して、5月10日のこと、書き入れました。
→■http://www010.upp.so-net.ne.jp/mayu-k/basicedu.htm
 誌面は大きく拡がっています。三日前の新しいニュースと、17年前の古い記録が混在する紛らわしい構成。古い記録は、年報「東アジア」20号(今秋・刊行予定)に「TOAFAEC 20年」を書くことになったので、この際いくつかの記録を載せておこうと思いたったからです。本号で回想はその3。1995年からのTOAFAEC 史に関する折々の拙文、あといちど光をあてて…。とくに本号所収の一文は、1998年正月に那覇・名護・八重山を旅して「南の風」発行の契機となった旅の記録。「南の海を飛びながら−沖縄研究再開への思い」TOAFAEC ニュース第13号所収(1998年1月30日)。この1週間後に「南の風」を始めたのです。
 この旅の名護訪問・中央公民館工作室の記念写真は、HP「南の風発行一覧の扉に飾っています。小林・島袋共編『おきなわの社会教育』(2002年)にも収録。墨筆大書された「東京・沖縄・東アジア社会教育研究会 in なご」の流麗な文字は、島袋正敏さんの筆になるもの。同行の群馬の懐かしい顔も並んでいて、TOAFAEC 史にとって思い出深い1枚です。→■http://www010.upp.so-net.ne.jp/mayu-k/kazeitiran3.htm
 5月連休、皆さんのご予定は如何?ですか。楽しいスケジュールで動いている方々へのお願い。お裾分けに、若葉薫る季節の風を、ぜひ当方の「風」にお寄せください。

3485号【2015年4月30日】
■≪2015年・TOAFAEC 総会は・・≫
 昨日(29日)は、午後から夜まで、『東京社会教育の歩み』の集中編集作業(リライト依頼など)でした。休日なのに、はるばる「風の部屋」までご参集の皆さま、お疲れさまでした。はじめてご来室の野々村恵子さんは、なんと!昼と夜の軽食(数人分)ご持参、恐縮しました。当方は例によって、オケクラフトと氷と飲み物だけの用意。作業の後半は、ちびりちびりと・・。軽く酔いながらの楽しい論議、終日しゃべりあって過ごし充足感のこる1日となりました。メーデーを終え、エイデル・山添路子さんも駆けつけ・・・春の宵はゆっくりと更けていきました。
*置戸・森田はるみさんへ。その後、オケクラフト・白樺ワインクーラーの在庫は如何でしょうか。酔ったなか
  で、希望が出されました。お伺いまで。
 ところで、先日の4月定例研究会(24日)では、今年度のTOAFAEC 総会の持ち方が話題になりました。開催日をどうするか、会計上の報告だけでなく運営体制についても協議する必要あり、また事務局の活性化についても昨年総会で話しあったことでした。亡くなられた伊藤長和さん(副代表)のあとをどう埋めるかの宿題も残されています。
 開催日は、やはり学会六月集会(初日)の夜に開く案でしょうか。学会理事会と重なりますが、昨年秋の福井学会のことを思い出すと、理事・幹事の方々も(理事会終了後に)多数駆けつけていただいた記憶。あわせて編集委員会の次回日程についても包聯群さん(大分大学)からお尋ね(上掲)が寄せらています。ご検討頂ければ幸です。
 4月が終わり、5月連休へ。九州油山にも行く必要がありますが、いま簡単に家を空けられず、思うに任せぬ連休です。

3484号【2015年4月27日】
■≪20年ぶりの村長選≫
 本の企画・出版は、個人的な業績発表と考えられる場合もありますが、基本的には社会的な研究運動、世の中へのプレゼンテーションとして位置づくものですから、南の風では、その編集中の取り組みも、できる範囲で公開し、風の誌上に動きを紹介(上掲−集中編集会議の案内)してきました。
 「南の風」のまわりでは、いま『東京社会教育の歩み』(仮題)編集と『躍動する韓国の社会教育。・生涯学習』(同)の2冊の編集作業が進行中。両書ともに本づくりは今“佳境”に入り、苦しい作業が続いています。来るべき刊行の日の喜びを夢見て、皆さん頑張っているところです。ご声援ください。
 昨日の日曜日(26日)は、統一地方選挙(第18回)の投開票日でした。東京の場合、昔は都知事選も重なり、一大選挙イベントでしたが、今回は区議会議員選挙のみ。幸いに投票した人は中位で当選していました。まずまずです。
 沖縄では、北部米軍演習地問題とかかわる「東村」の村長選、20年も無投票が続いてきた注目の選挙は、わずかの差で、新村長の誕生には至らなかったようです。今日の琉球新報(2015年4月27日)記事、次の通り。
 「【東】任期満了に伴う東村長選が26日に投開票され、現職で3期目を目指す伊集盛久氏(74)=無所属=が742票を獲得し、元村役場職員で新人の當山全伸氏(66)=無所属=に133票差をつけて再選を果たした。伊集氏は「2期8年でやってきた全てが認められた結果だ。公約実現のために村民一丸となって頑張っていきたい」と述べた。米軍北部訓練場一部返還に伴い、高江地域にヘリコプター着陸帯を移設する計画については「従来通り、日米特別行動委員会合意に基づいて進めていく」と移設容認の立場を貫く考えを示した。」

3483号【2015年4月25日】
■≪年報20号編集≫
 昨日(24日)は、年報20号の編集会議(第3回、午後)、そして4月定例研究会(第216回、夜)でした。高知からは内田純一さん(年報編集長)がはるばる上京、ご苦労さまでした。案内が行き届かなかったところもあるのか、また編集委員以外の皆さんは遠慮されたのか、参加者は少なく、せっかくの記念号編集なのに、いささか心残り。欠席連絡が相次ぐなか、上田孝典さん(筑波大学)からはご息女誕生のおめでたニュース。「急遽すべてキャンセルして帰省しております」とのこと。なによりの慶事!上掲させていただきました。まことにおめでとうございます。
 編集会議の主要課題は20号記念の特集をどう組むかの論議。構想をぜひ実現してほしい、楽しみな年です。今年は同時に、TOAFAEC そのものが満20年の年輪を重ねた年でもあります。定例研究会は来る5月研究会(第217回)で満20年となります。毎年11回の研究会を20年間、着実に開催してきたことになります。これは拍手!と自賛。
 ちなみに「南の風」は、20年前の研究会創設時には発行されていませんでした。2年半後の2008年2月の創刊。この機会に本誌上に「回想:TOAFAEC 20年」の文書記録を4〜5回、載せておきたいと思っています。本号にまずその1。年報創刊を含めて「私たちの思い・1996年」を(上掲)。その頃にホームページも毎月の主要スケジュールを掲載し始まますが、写真記録は2000年代に入ってからのこと。当初はさしたる価値もないような記録でも、歳月が重なると、それなりの価値が加わるように思います。
 この夜の研究会には、思いがけなく、1995年に学大院を修了した夏鵬翔さん(現・首都師範学院・北京)が現れ、驚かされました。あれからまさに20年が経過したのです。
第216回研究会終了後のイーストビレッジ。北京・夏鵬翔さん参加(左より2人目) −20150424−


3482号【2015年4月22日】
■≪初ガツオの季節≫
 本号は明日あたり配信の予定でしたが、上掲のように、明日未明・放送予定のNHK総合テレビ「視点・論点:外国人の日本語教育を考える」(宮崎里司氏・早稲田大学大学院日本語教育研究科・出演)のお知らせが舞いこみましので、風としても急ぎ編集・発行することにしました。本号が皆さまのお目にとまって、放送に間に合えば幸い。「夜間中学の全国への拡充」の動きも話題にされるそうです。しかし「視点・論点」放送時間は、なんと明け方の4時20分から。教育テレビ午後1時50分からの再放送もあるそうですが…。
 というわけで、手もとの風・受信箱から、普段はあまり誌面に載せない編集会議の内部連絡やその会場手配のことまで、ついでに載せてしまいました。まずは目につく食材で、お手軽料理をつくる類い、お許し下さい。
 ちょうど1年前のこの季節、「初カツオ」の話題を風に書いた記憶があります。この時期から、家の食事をたどたどしく手作りし始めたのでした。あれから1年、初カツオは記念の魚です。昨日・渋谷の魚屋店頭には初鰹が並び、若い衆が伊勢よく「初ガツオだよ」と声をかけてくれました。季節は確かにめぐってくるもの、カツオたちも赤い身を躍らせて回遊してきました。
 やはり美味い!冷凍しない魚のみずみずしさ。那覇・久茂地「苗」の「カツオめし」を思い出して、刺身の残りをそれらしく工夫してみましたが、これはうまくいきませんでした。しかし元気を与えてくれる魚です。あらためて、あまりにも有名な素堂の一句。「目には青葉 山ほととぎす 初松魚」(カツオは松魚とも書く)。

3481号【2015年4月20日】
■≪社会教育資料1万点!≫
 戦後史のなかで、それぞれの自治体・社会教育行政が世に出した関係資料が約1万点、姿をかくしていましたが、このたび新リスト化され、再び日の目をみることとなりました。風3477号に添付された「東京社会教育行政資料」。岩本陽児さんメールによれば、「先年、多摩社会教育会館から廃棄!され、和光大学の図書館でレスキューされた、行政刊行物の一覧です。ようやっと、新しいリストが上がってきました。ほんと、宝の山だと思います。…」
 この資料の救出には、「アンティ多摩」江頭晃子さんたちが尽力。すこし古い記録を探してみたら、2004.11.4 日付で「東京都立多摩社会教育会館・資料室を活かす連絡協議会」の記録が出てきました。「お知らせ−みなさまとご一緒に取り組みを進めて参りました都立多摩社会教育会館の市民活動資料の問題について、ようやく社会教育行政資料の移管先が決りました。」「多摩地域・23区・東京都・文部省発行のもの(約12600冊)→和光大学図書館(東京都町田市)」と。1万点余の稀少資料群を廃棄する不届き者、それを救う側の懸命の努力、奔走した人たちの叡智があったのです。
 今回、蘇った資料リスト数は1万点には充たないようですが、それにしても救われたのは資料たちだけでなく、人の心も救われました。この間の十年余のストーリー、歳月の経過とともに光を放つものがあります。さて、これをどう活用していくか。資料リストは、箱ごとにナンバーが付され、資料名・発行者・発行年の3項目が入力されています。データーベースとしては動かないようです。まず数ページをペーパーに打ち出し“宝の山”を実感しています。

3 480号【2015年4月18日】
■≪翁長沖縄県知事・語録≫
 上掲「おきなわ短信」の「シーミー」とは“清明”祭のこと。旧暦三月に親族を中心に行われる祖先供養。日本本土ではほとんどみられませんが、中国伝来の行事を沖縄では各地で大事に受け継いできました。親族相い寄って墓参をし、お墓の前で重箱などご馳走を開いて、先祖の霊とともに語り楽しみあう集いは、門中(ムンチュー)と呼ばれる同族組織や門中墓への興味とも重なってきました。今年のシーミーには、きっと翁長県知事と日本政府(首相、官房長官)とのやりとりが話題になっているのでしょうか。それとも、そんな政治の話などは出ないのかも・・・と思ったり。
 安倍首相と翁長知事の初めての会談が首相官邸でもたれました(4月17日)。翁長知事はメモを出しながら、静かに、しかし激しい表現で、沖縄の思いを吐露。翁長知事のいくつかの語録を拾います。
 「絶対に辺野古に新基地は造らせない」「(前知事の)県外移設の公約をかなぐり捨てた埋め立て承認」「戦後、銃剣とブルドーザーで強制接収された」「土地を奪っておきながら、老朽化したとか、世界一危険だからとか、嫌なら代替案を出せというのは、こんな理不尽なことはない」「固定観念に縛られず、まずは辺野古への移設作業を中止することを決断してほしい」「辺野古の新基地建設に反対する沖縄の声をオバマ大統領に伝えてほしい」など。(沖縄タイムス社説2015年4月18日「翁長・安倍会談−「辺野古」新たな段階へ」)
 17日夜、私たちは「東京社会教育史研究フォーラム」研究会(第22回、高井戸)でした。いま本の執筆・編集はk佳境に入っています。会は9時に終わり数人で「イーストビレッジ」へ。「お休み」の張り紙あり、珍しく飲まないで、そのまま帰宅しました。店のマスターの3月入院(上掲事務局コーナー)のこともあり、いささか(24日夜が)心配です。

3479号【2015年4月16日】
■≪沖縄民謡「ひやみかち節」≫
 前号・本欄に催促がましいことを書いて失礼しました。折りかえし年報・第20号編集委員会(24日午後3時〜)、あわせて、第2部:TOAFAEC4月定例(第216回)研究会(午後6時半〜20号編集に向けて、[やんばる対談」こぼれ話など)「ご案内」が届きました→■。春の夜のひととき、高井戸・神田川ほとり(桜は終わり、どこかに花水木が咲いて・・)にお出かけください。年報編集に関連して、各研究フォーラム(韓国・中国、東京社会教育史など)の動きもお聞かせください。3月末の沖縄訪問、出会った人々など「やんばる対談」こぼれ話も訪沖メンバーからご紹介いただきたいもの。
 本号に紹介した【おきなわ短信】(991)は、沖縄タイムス[コラム]大弦小弦。「七転び転でぃ/ひやみかち起きり」(上掲)を面白く読みました。取り上げられている沖縄民謡「ひやみかち節」は、はや弾きのサンシンの調子がいつも絶妙、心に響くものがあって、大好きです。昨年の沖縄県知事選では翁長陣営のテーマソングとなったもの。曲に何度も出てくる♪ヒヤミカチウキリ♪とは、「ヒヤ(エイッ)と起き上がる」意味らしい。YouTube で「ひやみかち節」とさがせば、いくつも出てきます。「我らのこの沖縄 宝島だ!心をひとつにして 立ちあがるんだ」♪ヒヤ ヒヤ ヒヤヒヤヒヤ♪
 翁長雄志沖縄県知事の中国訪問のニュース。4月15日に北京・人民大会堂で李克強首相と面談しました。知事は、中国と沖縄の交流の歴史を語り、福建省と沖縄の経済特区や、那覇―福州の定期便開設などを要望。李首相が就任後に日本の知事と面談するのは初めてだそうです。
→■
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-241811-storytopic-4.html

3478号【2015年4月14日】
■≪ときには「北の風」も≫
 日本列島にそって不連続線が走り、東京は終日(13日)の雨。14日も雨が続いて夜も雨、天候不順です。あるクリニック(阿佐ヶ谷)にMRI検査予約があった富美には冷たい雨。幸いその往復時は小雨で助かりました。車椅子には「春雨じゃ、濡れていこう」のセリフは通じませんね。
 来る4月24日(金)は、TOAFAEC 4月定例研究会の予定。あと10日と迫りましたが、まだ「ご案内」が届きません。風として本号にも余白を用意して待っていたのですが・・・。前号は「事務局コーナー」で研究会予告記事をつくったつもり。3月定例会は「やんばる対談」で東京をパス、空白があってはならじ!と少し気を引き締めています。本文も、研究会予告ご案内として、各位の予定に入れておいて下さい。会場はいつもの高井戸。
 さて、空きスペースをどう活用したものかとメール受信箱をのぞいていたところ、北海道置戸・森田はるみさんのメールを発見しました。社全協・全国委員のメーリングリスト(最近とくに活発!)に出た通信です。守口市の「いよいよ厳しさがまして・・・」ニュースへのコメント。ときには「北の風」も登場してほしい。本号に転載させていただきます。森田はるみさん、ご了承ください。あわせて守口市中央公民館・志鎌克巳さんのメール、「厳しさ」を報じる6〜7行を紹介させていただきました(上掲)。
 いま二つの本づくり(韓国と東京社会教育史)が進行中。これに関するメール相次ぎ、読むのにたいへん。その中に「15日(水)の夜にお時間をいただくことができれば…」のお誘いあり、承知しました。時間と場所をご連絡下さい。

3478号【2015年4月11日】
■≪竹の子の季節≫
 最近はよく小魚を煮ます。やはり炊きたてがよろしい。だんだんとコツをおぼえて、「お上手!」などと誉められ(おだてられ)、いい気になって、また次の魚をさがしたりしています。わが家は朝食はパンが多く、味噌汁はほとんどありませんでしたが、昔を思い出し、いま自己流・味噌汁をつくるようになりました。案外と好評。木綿豆腐に三陸わかめを添えて、ありきたりですが自分でつくる汁はすべて美味しい。失敗をおそれず、サッと手早く仕上げます。
 ところが数日前に大失敗。弱火にしていた煮物の鍋を忘れ、パソコンを開いている間に(南の風のせい!)、鍋は黒焦げとなりました。焦げた鍋ほど悲しいものはない。「棄てなさい」と家人。そのつもりでいたところ、いま旬(しゅん)の筍(たけのこ)、朝掘りの感じの1本に手を出し、皮をむき米糠(アク抜き)も用意して、黒焦げ鍋でゆがきました。この「黒と白」の組み合わせは絶妙。黒焦げ鍋でも棄ててはなりません。筍の柔らかな芽の部分は味噌汁に、サクッとした胴体は魚煮付けの添え物に。自分流に楽しんで、いい1日でした。
 その昔、少年Bは母に命じられて、よくインゲン豆の筋とりや筍の皮むきを手伝ったもの。今のようなガスは(都市もプロパンも)なく、薪を用意して火をおこし、火吹き竹でふ〜ふ〜して、煙が目にしみたもの。残り火は火消し壺に入れ、その消し炭で七輪をおこし、イワシなど焼いたのでした。筍をゆがきながら、湯気のなかに、戦時中の少年時代を懐かしく思い出していました。山口青邨(せいそん)に「ここらしずか筍を煮るにほひのみ」という句がありました。久しぶりに歌の工房、戯れ歌ふたつ。
○筍(タケノコ)をゆがく匂いに蘇る 春の夕餉の母の横顔
○薪を割り竈(かまど)に燃やす思い出の 焔の紅き少年の日

3476号【2015年4月9日】
■≪面白い歴史教科者−『学び舎』の挑戦≫
 千葉の鳥塚義和さん(高校教員)から、久しぶりの嬉しい便り。こういうメールが舞いこむのは、まさに「南の風」冥利。7日から8日にかけていくつもの新聞も大きく『学び舎』歴史教科書づくりを報じています。7日に中学校教科書の検定結果が報道されましたが、『学び舎』教科書も合格したのです。
 『学び舎』は、現場の教員(元、現)が金を出し合って設立した会社。「手弁当で会議、学習会を重ね、5年がかりで作った」教科書(上掲)。鳥塚さんもその一員だそうです。送られてきた三つの新聞記事(東京新聞、沖縄タイムス、韓国ハンギョレ新聞)のうち、沖縄タイムスを添付させていただきます。
 鳥塚メールが届いたとき朝日新聞夕刊(4月8日)を開いていました。「南の風」メンバーでもある氏岡真弓さん(同・編集委員)が社会面4段の記事を書いておられます。「届けたい面白い歴史教科者−教員らの『学び舎』検定合格−ダメおし400件・6年越し挑戦」の見出し。こういう記事は筆が躍る感じです。鳥塚さん「いずれ市販本を出しますので、ぜひ手にとって読んでみてください。これまでの教科書との違いは、はっきりしていると思います。」
 これからのこと。『学び舎』の歴史教科書について、「…採択に向けて、この教科書をひろめる活動に移ります。ぜひお力を貸していただきたい」(鳥塚)とのこと。歴史教科書の新しい時代がやってきてほしい。
 昨夜(4日8日)夜は、「風の部屋」で東京社会教育史研究フォーラムの事務局会議でした。ぶんじんを含め、主要メンバーにいろいろ事情があり、お互いに励ましあって(「アルコール,少量を口に含めながら」石川)、今後のことを協議。石川さんから4月17日(金)研究会ご案内(上掲)。早速の作業、ご苦労さまでした。


3475号【2015年4月7日】
■≪4月の諸研究会はじまる≫
 
昨年末、杉並・安井節子さんから、ウェッブサイト「すぎなみ学倶楽部」へ杉並公民館の歴史を投稿する旨お知らせがあり、またその素原稿が送られてきました。すでに「すぎなみ学倶楽部」との調整がすすみ、加除修正についての細かな作業が進行済み。小生から「市民執筆の力作、これ以上何も申し上げることはありません」と返事しようと思いながら、そのままに。たいへん失礼しました。安井さんからは、「実は、載せる過程でページの制約などいろいろあって、なかなか思うようには書けませんでした。そして色々な意味で大変疲れました」(上掲)と。お疲れさまでした。あらためて拝見します。
→■
http://www.suginamigaku.org/corner/history/h-community-center/
 4月スケジュールの第1弾。久しぶりの韓国研究会(編集会議、5日)、ご参加の皆さん、ご苦労さまでした。少人数でしたが、本づくりに向けて一歩前進の実感。何しろハングルで提出される原稿が多く、普通の本づくりに加えて翻訳作業がたいへん。韓国研究グループの体制あってこその本づくり。見通しはたしかです。さらにひとがんばりしましょう。完成の日を楽しみに。李正連さんから当日の写真数葉。そのうち一枚を下掲。「自撮り棒」で撮る写真は、みな独特の表情をしていますね。期待と不安と。あたかも本づくりのそれに似て。
 4月8日(水)東京社会教育史編集会議(事務局会議・風の部屋)。4月17日(金)同・第23回研究会(高井戸)。そして4月24日(金)「年報20号編集会議」(4月定例・第216回研究会をかねる)予定。風に「案内」をお待ちしています。3時から編集会議(風の部屋)、同6時半・定例研究会「20号編集に向けて」(高井戸)の線で如何でしょうか。ご検討ください。

韓国研究会(編集会議・参加者6人)−自撮り棒による撮影、前に白樺ワインクーラー。(風の部屋、20150403)


3474号【2015年4月5日】
■≪HP−4月スケジュール準備中≫
 本号収録・関本保孝さん「国重徹議員〜夜間中学国会質問会議録」は、ぶんじんの沖縄滞在中に届いていたもの(Sat, 28 Mar 2015)。錯綜するメールに、うっかり見逃していました。1週間遅れの本号収録たいへん失礼しました。削除予定の欄から拾い出せて、よかった。
 他方、昨日4日午前に急ぎお知らせメールが来ました。那覇・鷲尾真由美さんから。真喜志好一さんの[転送歓迎]テレビ番組ご案内。「テレビ東京のBS(7チャンネル)4月4日(土)13:30〜14:05。沖縄がいま、直面している辺野古の問題をスタジオから生放送するそうです。3月31日夕方ビデオ取材を受けました。番組中で使われるか分かりませんが、ご覧になれる方は…真喜志好一」。時間になんとか間に合うように編集・発行を用意し始めましたが、結局作業が間に合わず、スミマセン。記録として本欄に書いておきます。鷲尾さん、ありがとうございました。
 ホームページについて。各号「ぶんじん日誌」(本欄)収録を含めて、ひとまず順調、ほとんど毎日の更新を重ねていますが、4月からの「主要スケジュール一覧」がまだ準備中。沖縄訪問・やんばる対談などに追われて、うっかり作業を忘れていました。最近は“うっかり”が多くなりました。
 それでもHP表紙の写真などは、沖縄訪問に対応して、名護市役所のシーサーや、やんばる慶佐次湾のヒルギ林(国指定天然記念物)を順に掲げてきました。先日の奥集落からの帰路、皆さんとひと休みしたところ。当日は日曜・休日を楽しむカヤックがたくさん動いて賑わっていました。

3473号【2015年4月3日】

■≪いくつもの風が吹いて≫

 今日あたり月齢14か、ほぼ満月。そして東京はいま桜満開。世は満ちて花見宴(うたげ)の懐かしき。春うらら、春の宵は一刻千金の価がするほどの貴重な季節。研究室で毎年盛大に催してきた「花見の会」を思い出していました。
 ところが今朝未明から、東京は激しい南風が吹いています。まさに花散らしの憎き「南の風」。月に群雲(むらくも)、花に嵐、のたとえ通り。ゆっくりと花見を楽しむことさえ、気ままを許してくれぬのかぇ、とぼやいています。
 「やんばる対談」の話題が続いています。こちらの「南の風」も連日吹いて(ご迷惑の方もある?)、しかし柔らかないい風です。名護から比嘉ひとみさんのやさしいコメント来信。対談では「成果も課題もみえてきました」と。山口真理子さんの「研究会報告」では、詳細を年報20号にゆずるとして、「社教主事に対する期待が非常に大きくなってきている」「地域の中に入って信頼を得られ」「その素晴らしさを地域の活力に還元」「"地域力"を感じることが多い」などの対談レポート(上掲)。
 名護4地区のうち、今回の対談には2地区の社会教育主事が事情あって参加できませんでした。それぞれの地域で頑張っている2人の社教主事さん、昨年夏の山中湖(全国集会)にも参加した有力メンバー。「成果と課題」について誌上参加していただこう、と島袋一平・係長に相談しました。ゆんたく風に。
 訪問者側では、(日韓それぞれの)学会有力メンバー。対談でも発言が相次ぎましたが、それは簡潔な記録にとどめて、むしろ名護社会教育への「期待と展望」に向けた別稿コメントを寄せていただいてはどうか(対談記録・末尾に載せる案)と勝手に考えていますが、如何でしょうか。

第7回「やんばる対談」。右より4人目に韓国から参加の崔一先さん(慶煕大学)- 名護・蔓草庵,20150328−


3472号【2015年4月2日】

■≪名護市中央公民館工作室≫

 前号に添付した「やんばる対談」名護市関係者との交流会(@名護市中央公民館工作室)の写真。思いのほか皆さんの目にとまったらしく、何人かの方からメールも。たとえば「やんばる対談の写真、皆さん楽しそうでいいですね」(新保敦子さん)。上記・呉世蓮メールにもある通り、セイリ棒・自撮り棒による撮影、これまでにない記念写真がたくさん送られてきました。撮る人も撮られる方も、珍しい「自撮り棒」に表情豊か。
 実はこの名護市中央公民館「工作室」は私たちにとって忘れがたい部屋です。語り飲み歌いあった思い出たくさん。名護社会教育の皆さんは、ぶんじんゼミの学生たち(東京学芸大学、和光大学)をいつもここで歓迎していただきました。「琉球アユを呼び戻す運動」の話を聞いたり、戻ってきたアユたちを焼いて舌鼓みを打ったのもここ。福岡社会教育研究会メンバーと名護訪問の折に、同行していた九大院生・石井山竜平さん(現・東北大学)にも、ここで琉球アユを食べた思い出が残っているそうです。
 TOAFAEC ホームページ「南の風」発行一覧の扉を飾る写真「東京・沖縄・東アジア社会教育研究会 in なご−1998年1月7日」(題字・島袋正敏書)も工作室で撮ったもの。
→■
http://www010.upp.so-net.ne.jp/mayu-k/kazeitiran3.htm
 そこに並ぶ20人ちかくの顔ぶれのうち、7人は今回(前号添付)の写真にも登場します。みなそれぞれの17年を歩いてきたことになります。敬意を表してお名前を掲げておきます(敬称略)。当時・名護市教育委員会の島袋正敏(現「蔓草庵」主宰)、中村誠司(名桜大学名誉教授)、照屋秀裕(名護市消防長)、比嘉久(名護市博物館長)の各位。東京側は、内田純一(高知大学)、山口真理子(TOAFAEC 会計)そして小林ぶんじん。1998年頭の名護訪問、その1ヶ月後の「南の風」創刊(2月6日)につながる旅でした。(1998年頭・南の海を飛びながら−沖縄研究への思い)→■http://www004.upp.so-net.ne.jp/fumi-k/Toafaec-Okinawa.htm

3471号【2015年4月1日】
■≪4月・異動の季節≫
 春3月から4月へ、異動の季節です。山本健慈・和歌山大学長から退任ご挨拶(上掲)。学長としてユニークなご活躍、社会教育や地域への“まなざし”豊かな国立大学長でした。もっと学長職を続けてほしい!と願う声は少なくないはず。「南の風」としても、多忙のなか折々にいただいた「学長の風」は有り難く、いつも新鮮なメッセージにあふれていました。御礼申しあげます。管理職のお疲れもおありでしょう、ご苦労さまでした。
 今回の「やんばる対談」では、名護市社会教育課長・比嘉ひとみさんが図書館長へ栄転されることを知りました。わずか1年の課長職、心残りもおありかと思いますが、できれば「やんばる対談」の感想を含めて、ひとこと頂ければ幸い。松本市の高橋伸光さんは、同市・中央公民館の要職へ異動されるとのこと(上掲)。こんな異動ニュース、差し支えのない範囲で、お知らせいただければ「風」も賑やかになります。
 昨夜(31日)おそく、東京・夜間中学の宣伝(4月4日午前11時より、立川駅)ご案内を頂きました。掲載が異動挨拶の末尾となりましたが、お許しください。
 やんばるの風に吹かれた余韻が残っています。本人はよろよろと・・歩いてやっと名護の地に立てた気分。しかし写真をお送りいただいた鷲尾真由美さん(正敏さんとの1枚、HPに収録・下掲)などの印象では、ぶんじんは昨年より元気だったそうです。1年ぶり訪沖の昂揚からでしょうか。早稲田大学の呉世蓮さんより訪沖の写真・感想が寄せられていますが、本号も長文、次号おくりといたします。やんばる対談後の交流会(公民館工作室)写真1枚のみ風に添付します。
島袋正敏・小林ぶんじん (撮影・鷲尾真由美 名護・蔓草庵にて、20150328)


3470号【2015年3月30日】
■≪日本でいちばん早い奥の新茶≫
 3日間の沖縄滞在、いま帰りの羽田へ向かう飛行機の中で書いています。連日のスケジュール、毎夜の楽しい酔いが続いて「風」を出す余裕なし。久しぶりの訪沖に興奮気味の毎日でした。これから、桜満開の(しかし花粉が飛んでいる?)東京へ。今年の「やんばる対談」も盛会裡に終わりました。
 ご参加の皆さんも今日(30日)それぞれの便で予定通り帰路につかれたことでしょう。幹事役・内田純一さん、皆さんお疲れさま。とくに韓国・崔一先さん(ソウル・慶煕大学)は、帰国したその足で夜の講義とのこと。日本は春休み中、しかし韓国はすでに新学期が始まっているのです。厳しい日程のなか、よくお出でくださいました。辺野古キャンプシュワブ・ゲート前では、抗議座り込みの人たちの前で、“珍島アリラン”を絶唱。これに和して呉世蓮さん(早稲田大学)は優雅に舞いました。上掲・鷲尾真由美さんメールによれば、「あの場に居合わせた人々への最高の贈り物」となりました。
 今回の「やんばる対談」もまた、島袋正敏さんはじめ名護・社会教育の皆さんに歓迎していただき、誠に有り難うございました。毎年のことながら、このような出会いと「対談」が続いていること、あらためて感謝!です。
 翌日には国頭村「奥」集落へ。短い時間でしたが、初めて沖縄訪問の人にも、印象的なひとときとなったのではないでしょうか。同道して下さった中村誠司さんご夫妻、有り難うございました。終わって東村「高江」で会いましょうと別々の車に乗り、結局は会えず残念。
 奥の共同店では、昼のカレーをご馳走になり、日本でいちばん早い新茶「奥みどり」を頒けていただきました。帰ったら、まず新茶を楽しむ、という豪華な旅の終わり。那覇、宜野湾、名護、そして奥の皆さん、再会を楽しみに・・・有り難うございました。
左・崔一先さん(慶煕大学)、右・呉世蓮さん(早稲田大学)、カメラ・鷲尾真由美さん(名護・辺野古、20150328)


3469号【2015年3月27日】
■≪名護社会教育の独自性≫
 本号はTOAFAEC 年報『東アジア社会教育研究』編集委員会MLより、自由投稿の呼びかけを掲載することができました。編集長・編集事務局揃っての登場(上掲)、嬉しい号となりました。自由投稿の応募期限は4月23日(木)、老いも若きも・・・積極的な投稿をお待ちしています。
 昨日(26日)から沖縄訪問スケジュールが動いています。各地―韓国・仙台・筑波・東京・高知などから、参加メンバーが那覇へ集合。ぶんじんは1日遅れの参加を許していただき、本日夜には合流します。昨夜は国際通り・県庁北口の店で、「沖縄」社会教育研究会(東京)と「おきなわ」社会教育研究会(那覇)の、年に一度?の交流会が開かれたはず。新しい出会いも目に浮かびます。
 28日(土)の名護「やんばる対談」に向けて、あらためて名護・社会教育の歩み、その独自性を考えています。名護の社会教育・公民館は、東京「三多摩テーゼ」構想の対極的な位置にあるように思われます。名護には大きなホールを備えた市民ホールと併設して中央公民館が1館。しかし公民館活動の実像は、55集落(辺野古もその一つ)ごとの字公民館が主な舞台です。各集落の住民自治組織や祭祀を含む地域諸行事が重なり合って、多様な字公民館活動が展開されてきました。その意味では公的セクターというより、住民セクターとしての公民館活動が主流です。
 稲嶺市政は発足して間もなく、この住民自治・公民館活動のさらなる活性化をめざして、5地区に新しく社会教育主事を配置(昨年の年報19号参照)。今年も、この若い主事集団との「対談」、話がはずむことでしょう。

3468号【2015年3月25日】
■≪25日・テレビ朝日「報道ステーション」ご案内≫
 南の風・発行が連日とならないよう、留意してきました。昨年末からの“嵐”の「パレスチナ報告」連載が一段落して以降、隔日の風、ときには2日の間をおいての、リズムのいい?配信が続いてきたことはご存知の通り。できれば週に2通程度の風を吹いて、ゆったり・・・と参りたいものです。
 ところが、3月19日・風3465号本欄の鷲尾真由美さん案内―テレビ朝日「報道ステーション」沖縄基地問題の、第二弾ご案内(上掲)が飛び込んできました。今日(25日)夜21:54〜番組。第一弾・案内を風に載せきれませんでしたから、今回はぜひ!というわけで、連日の風・配信に及んだ次第です。
 気合いのこもった制作でしたから、今晩も期待したいところ。第一弾を見過ごした方は、下記You Tube でご覧になれます」(鷲尾)とのことです。
 →■https://www.youtube.com/watch?v=0pRPcN85tQ0&feature=youtu.be
 翁長雄志・沖縄県知事が大浦湾の海上作業を1週間以内に停止するよう沖縄防衛局に指示(23日、上掲・沖縄タイムス)。辺野古問題は新しい局面を迎えました。琉球新報も「新基地停止指示 安倍政権は従うべきだ 知事判断に正当性あり」と題する痛烈な社説(3月24日)を書いています。たとえば、その一部(抄)。
 沖縄の基地負担軽減を担当している菅義偉官房長官「全く問題はない」発言について、「…この日も硬い表情で断定調の「全く」を再三口にした。強気一辺倒の物言いには、沖縄を敵視する響きがある。見たくない現実から目を背け、都合のよい事情だけ取り入れて強がり、恫喝する。仲井真前知事による埋め立て承認にすがりつき、沖縄の民意を問答無用で組み敷くことしか打つ手がないことの表れだ。子どもじみた心性が際立つ。民主主義の価値を損なう政権の低劣な品格が映し出されている。」

3467号【2015年3月24日】
■≪集落の公民館をまわる案も≫
 3月26日(木)からの沖縄訪問、いよいよ間近になりました。ご参加の皆さん、ご準備と出発までの調整など、気ぜわしい思いをされていることでしょう。ぶんじんはいま老々介護で奮闘中。外泊はひと苦労。1日遅れの参加となりますが、お許しを。3泊4日の留守中をどうするか、その対応に追われています。
 3月26日夜の那覇「おきなわ社会教育研究会」との交流会は欠席です。皆様によろしくお伝えください。貴重な交流の機会に今まで欠席したことなどなく、さすがに歳月の移り変わりに抗しがたいものを感じています。
 27日夜は訪沖ご一行と同じホテル(国際通り・ホテルニュー沖縄)にたどりつく予定(空港着 20:00)。翌日のスケジュールがありますから、夜遅くならないよう、韓国からご参加の崔一先さん歓迎の乾杯が出来ればいいな、と勝手に考えています。私たちの沖縄の旅に韓国から参加された“貴賓”。これまで黄宗建(1998)、金済泰(2008)、魯在化(同)に続いて4人目か。
 戦跡・摩文仁の丘では、平和祈念堂のすぐ横に「韓国人慰霊塔」があります。韓国から運ばれた石がはめこまれた丸い石塚。刻まれた矢印は故国の方角を指しています。朴正煕大統領の揮毫になる「韓国人慰霊」、これに違和感を示された黄宗建先生「なぜ“朝鮮人”ではないのか」の言葉が想い出されます。
 28日は朝から中頭を経て「やんばる」へ北上予定。午後1時に辺野古ゲイトで島袋正敏さんと落ち合う手はずです(上掲・正敏メール)。その途中に佐喜眞美術館に寄る案が出ていますが、いくつかの集落の公民館をのぞき見しながら北上する案もありますね。たとえば宜野湾・玉那覇正幸さん(おきなわ社会教育研究会)に案内を(前夜の交流会で)頼むのも良案か。沖縄のすべての集落(字、マウル)にそれぞれ独自の公民館が機能していることを垣間見る機会になりましょう。

3466号【2015年3月22日】
■≪「沖縄のガンジー」と称された人≫
 昨日(3月21日)名護・東海岸−瀬嵩の浜で開かれた「止めよう辺野古新基地建設!美ら海を守ろう!」県民集会の記事を二つ並べましたので、本号は沖縄特集号となりました。一つは「翁長知事は近々必ずや最大の決断をする時期になろう」という沖縄県副知事の発言(琉球新報記事)、あと一つは伊江島の米軍による土地強制接収に非暴力の抵抗を貫き「沖縄のガンジー」と称された故阿波根昌鴻さんが集会に参加したニュース。彫刻家の金城実さんが木彫り像を抱いて登場した写真が掲げられています(沖縄タイムス)。たまたまこの日は亡くなられて13年目の命日だったそうです。かって和光大学・小林プロゼミで伊江島に渡り阿波根昌鴻さんとお会いしたのは1996年のこと、島袋正敏さんのご案内によるものでした。「古いアルバム」ページに写真一葉、貴重な想い出となりました。→■http://www010.upp.so-net.ne.jp/mayu-k/albumokinawa.htm
 「やんばる対談」(3月28日)を前にして、島袋正敏さんと比嘉ひとみさん(名護市社会教育課長)のお二人から、対談のもち方について連絡をいただきました(上掲)。事前の打合せをして下さり、ありがとうございます。
 もともと「対談」は、“ゆんたく”(とりとめのない自由な語らい)の企画、その雰囲気を大事にしながら、昨年・対談(年報第19号に記録)からどのように一歩前進していくかの試み。名護市社会教育の独自な蓄積に重ねて、今年は子どもたちの育ちの環境への取組み、公民館の子どもを対象にした活動、に一つの力点をおく対談になりそうですね。
 ユンタクを楽しみながら、新しいステップを刻む対談になれば幸い。ご参加の皆さん、当日、どうぞよろしくお願いします。

3465号【2015年3月19日】
■≪ヤマトゥに住むものへの弾劾≫
 16日の夜に風・前号を編集・配信しましたが、那覇の鷲尾真由美さんから届いていた次のお知らせを収録することができませんでした。着信していたことは確認していましたが、開いて読む余裕なく、編集済みをそのまま送信。申しわけありませんでした。
 鷲尾さんのメール。「3月17日の報道ステーションで辺野古、高江、伊江島(16日、21:53)・・「環境ネットワーク」の世話人、建築家の真喜志好一さんが、テレビ朝日「報道ステーション」の米軍基地、オスプレイ問題で取材を受けたそうです。明日(17日)の夜、放送される予定。是非ご覧いただきますよう真喜志さんからの情報を転送します。」
 真喜志好一さんは取材班を辺野古、高江と案内されたそうです。番組は迫力ある内容でした。キャスター・古舘伊知郎。辺野古・新基地が単なる普天間基地の移設ではないこと。戦後の米軍基地の老朽化を一新し、大浦湾に面して新しく海軍基地が造られること、北部「やんばる」のアメリカ軍機能が高江・伊江島とも結んで、辺野古“新”基地−永久基地が出現すること、などがよく伝わりました。
 本号所収の【おきなわ短信】(979)は、芥川賞作家・目取真俊さんについての、東京新聞・コラム「大波小波」(2月15日・夕刊)を収録させていただきました。「…反基地カヌー隊活動とブログでの表現活動とを見事につなぎ、近年死語化していた「行動する作家」を鮮烈に蘇らせた目取真俊」。その激烈な文章「沖縄に米軍基地の負担と犠牲を押しつけて、ヤマトゥに住む自分たちは平和と安全を享受する。そういう欺瞞を続けるつもりか」(個人ブログ「海鳴りの島から」2月8日)と。本欄もこんな文章を書き綴りたいと思いながら…。

3464号【2015年3月17日】
■≪確定申告−イヤな1日≫
 東京は春の気配、夕方より雨となりました。今日16日は、年度の所得税等の確定申告・最終日。花粉症とも重なって、毎年、イヤな1日です。年金生活者としては、わずかの「雑所得」が加わる程度。申告するまでもないのですが、昨年2月の入院(半月余り)に要した医療費負担があり、領収書など拾い集めて、夜遅くまで。結局寝たのは朝未明、楽しくない作業の1日。富美もこれまでになく「訪問看護」を受ける身、この経費は「医療費」に含まれるので、二人分の申告書を作成したのでした。
 杉並税務署へ。最終日とあって雑踏はげしく、目指すコーナーには長蛇の列、その群れに加わりました。なんと従順な納税者よ。“沈黙の羊たち”には会話も笑顔の一つもなく、1時間ちかく花粉の風に吹かれていました。パソコン入力コーナーで若い職員の指示に従って数字を打ち込むと、アッという間に、確定した税額が並ぶのです。1晩の夜なべ仕事にほぼ似合ったアルバイト賃ほどが戻ってきました。もっと期待していた?のですが、まずまずか。帰路、安売りの花屋に寄って、盛り過ぎた洋蘭小鉢を一つ。2014年度も終わった実感です。
 3月末の沖縄訪問・やんばる対談の旅に参加希望あり(上掲)、内田純一さん(幹事長)、若い学生の意欲に応えて頂ければ幸い。宿や車など、一人増えて大丈夫でしょうか。自分で手配しているかも知れませんね。置戸からは森田はるみさんより「白樺ワインクーラー」在庫!のお知らせ(上掲)。ありがとうございました。風メンバーで追加のご希望あれば、こ遠慮なく。実物イメージは、本欄・風3460号・日誌の写真をご覧ください。

3463号【2015年3月14日】
■≪3月に光る労作二つ≫
 3月に入ると、年度末の報告や科研費のまとめ、出版物など頂きます。南の風で、御礼を兼ねて「紹介コーナー」を設けたいと思いながら余力がありません。労苦がしのばれる資料・力作を、そう簡単にクリティークできるはずもなく、筆無精の身、きちんとした御礼を差し上げることもせず、失礼を重ねています。お許しください。
 本欄ではとくに二つの(南の風メンバーの)労作をご紹介。一つは、先日の公民館学会スプリングフォーラム(3月8日)会場で頂いた浅野平八さん(日本大学生産工学部教授)の“いぶし銀”のような『公民館建築小史』(2015年1月、私家版)。建築研究振興協会『建築の研究』に5回にわたって連載されたものだそうですが、知らないことがたくさん。多くのことを教えられました。沖縄については、象グループによる今帰仁村中央公民館−「まさに近代建築の崩壊を指し示すかのような建築」として取り上げられています。『月刊公民館』昨年12月号(「公民館のデザイン」特集)にも「記録に残したい公民館建築−公民館建築史ノート」が長文掲載され、示唆に富む論考となっています。
 あと一つ、本号に著者本人から寄せられた力作『マーシャル諸島−終わりなき核被害を生きる』(2015年3月、新泉社)ー上掲。お送り頂いた新刊が今日届きました(3月13日)。手にとってみて驚きました。ずしりと重い(450頁を超える)大作。奥付に著者・竹峰の「和光大学4年生の1998年からマーシャル諸島に通い続け」「2004年、グローバルヒバクシャ研究会を創設」などの歩みが記されています。マーシャル諸島研究・フイールドワークもすでに15年をこえたのです。思いのこもった記念碑的な1冊。
・総目次→■http://www.shinsensha.com/detail_html/04shakai/1411-2.html
 待望の出版、何より、おめでとうございます。送っていただいた添付ファイルのうち、東京新聞(2月16日)記事1点を付します。横の同「大波小波−目取真俊・日々の闘い」にも思わず目がいきました。

3462号【2015年3月12日】
■≪置戸町・森林工芸館≫
 前々号「白樺のワインクーラー」を受けて、森田はるみさん(北海道置戸町中央公民館)から早速のご返事(上掲)、ありがとうございました。お尋ねへの返事。風の部屋「白樺」は、高さ23p、直径20p前後の作品、頃合いの大きさです。もちろん幅をもっていただいて結構。本欄では「一つ」と書きましたが、「2つ希望」の方と同一人。もし他にも希望者があれば、追って…。
 森田さんのメールにある「森林工芸館」は「オケクラフトセンター」。置戸町が公的に設立した社会教育施設です。「1983年に誕生した置戸町の地域ブランド・オケクラフトの中心施設として、1988年に開設」。次の3つの機能を持つと紹介されています。「1,クラフトの作り手を育てる。2,町内の工房から生産されたオケクラフト製品を提供する。3,どま工房と一体となって日本の手仕事道具・秋岡コレクションを通じて、日本の手仕事文化の歴史やすばらしさ、モノづくりの楽しさを伝える。」独自の社会教育施設として注目されます。
→■
http://www.town.oketo.hokkaido.jp/kougeihp/index.htm
 オケクラフトの作品は、もちろんワインクーラーだけでなく、風の部屋でも、小皿・大皿・木サジなど生活雑器も。置戸町の学校給食の食器はオケクラフトと聞いています。森林工芸館には、多彩な作品、試作品が展示され、ショップの役割は本格的、驚きます。「山村文化資源保存伝習施設」の名称をもつ「どま工房」は、どこの農家にもあった“土間”が持つ機能を大切にする思想、公民館の施設論として示唆的。一度は訪れてみたい社会教育施設です。
 置戸の「社会教育」は手仕事、ものづくり、職業技術教育、地場産業、への視角をもち、「生産教育」を重視する「社会教育5ヶ年計画」はすでに第9次(2010〜2914)を重ねています。2015年度は第10次計画に入ったのでしょうか。→■http://www.town.oketo.hokkaido.jp/files/syakaikyouiku5kanen.pdf

3461号【2015年3月10日】
■≪東アジアの20年≫
 3月1日が過ぎて、今日は10日、明日は11日。私たちの3月の歴史はつらい記念日が続きます。昨日から東京は冷たい雨の1日。また全国的に風雪の嵐の予報。しかし氷雨の中にも、なんとなく春の(名のみの)息吹きを感じる頃にもなりました。
 金曜日の夜(東京歩み研究会)の記録が届き、前号に収録。本号には土曜日の年報20号編集会議の記録、ならびに一般「自由投稿」の呼びかけを載せることが出来ました(上掲)→■。投稿呼びかけは、例年、春の便りの気分。「東アジア」をキーワードに、皆さんの(とくに留学生の皆さんの)積極的な応募をお待ちしています。編集委員各位への詳細な報告は「…連絡不行き届きをお詫びしつつ、別途、詳細な記録を送る予定」(内田純一・新編集長)だそうです。
 今年の6月2日は、TOAFAEC 創設・第1回研究会からちょうど20年目の記念日となります。この20年は、東アジアにとって歴史的な激動の20年でもありました。沖縄では、米兵少女暴行事件から名護基地問題をめぐる曲折の、そして「オール沖縄」への20年。韓国は「平生(生涯)教育」へ向けて「教育改革方策」(大統領諮問教育改革委員会)、文民政治と自治体躍動の20年。中国は言うまでもなく市場経済の導入と単位社会から社区建設への改造、台湾もまた政治的な民主化と教育改革の画期的な20年、に違いありません。私たちの「東アジア」への眼差しも、これらの激動の歴史と重なって、刺激的な研究・交流の歳月だったと言えるのではないでしょうか。
 『東アジア社会教育研究』第20号が充実した1冊となること間違いなしと確信しています。皆さんのご支援、とくに若い世代の積極的な投稿をお願いします。 →■

3460号【2015年3月8日】
■≪白樺のワインクーラー≫
 TOAFAEC 年報の編集委員会としては、久しぶり「風の部屋」での会議でした(3月7日)。風の部屋の集いでは、どの時間帯かにワインクーラーが出る慣わし。議論が佳境に入っていればその勢いを増し、ときに疲れた雰囲気であれば勢いを取り戻す、など理由は勝手気まま。もちろんワインは高級ではありません。ワインクーラー(オケクラフト)が見事な逸品、これに投げ込めばワインはすべて高級な味わいとなります。
 この日は3時から始まって4時過ぎにワイン登場となりました。司会者には、いつもやや遠慮がち。しかし「白樺のワインクーラー」が初めての人あり、この日は遠慮しないで、会議たけなわに卓上へ据えました。紹介したかったのです。
 オケクラフトとは北海道置戸町に誕生した木の器、エゾマツ・トドマツなどを使用した木肌が美しい。その上、歳月とともに風格が増してきました。置戸町教育委員会・森田はるみさん(東京学芸大学・院修了)がとりもつ縁で、20年ほど前に艶やかな曲線のマツ材ワインクーラー。これに加えて、一昨年に頂いた「白樺」材の名品。この経過はいつぞや本欄(風3197号2013年11月24日)に書いたことがあります。下の写真はそのときのもの。
 「私も白樺ワインクーラーが欲しい」という人あり。無理もありません、雰囲気に酔うのです。ネットで探してもたどりつけなかったとか。置戸では、その後「白樺ワインクーラー」制作は順調でしょうか。たしか若手気鋭の職人さんと聞いた記憶あり。森田はるみさんへ。「風の部屋で評判!」とお伝えください。もし作品があれば一つ確保してください。
東京社会教育史編集事務局会議(第11回)の夜(風の部屋、2013年11月22日)


3459号【2015年3月6日】
■≪台湾関連ページ≫
 ホームページ、久しぶりに「台湾」サイトの更新作業を楽しみました。今回、山口香苗さん(台湾師範大学へ留学中)の台湾「生涯学習法」改正と「社会教育法」廃止についてのニュース(風3458号)の入力。何しろ、2007年前後からHPはそのまま。気になっていました。削除する勇気までなく、死んでいたようなサイト、ようやく蘇りました。山口香苗さんに感謝です! →■http://www004.upp.so-net.ne.jp/fumi-k/taiwanhyousi.htm
 旧「終身学習法」も残し、新しい改正法を加えました。主要な改正条項やその意味、関連する動きについては、年報「東アジア社会教育研究」第19号の山口論文「台湾の生涯学習・この1年」をご覧ください。
 小林は台湾「社会教育法」を含めて、東アジアの「四つの社会教育法」について書いたことがあります。東アジアに注目する意義を論じた小論(1993年)。
→■
http://www004.upp.so-net.ne.jp/fumi-k/eastasia93housei.htm
 すでに20年余が経過したことになります。ここで、台湾の社会教育法が廃止されることになれば、日本のみ社会教育法が残ることに。詳細について書く余裕なく、日をあらためて経過など振り返ることにしましょう。
 明日7日は年報「東アジア」20号の、実質的には今年第1回の編集会議。今回の編集委員会案内には、若干の混乱があったようです。「南の風」の短い記載が少し役に立った模様。あえて編集委員各位の出欠連絡を載せておきます。
 3月20日予定の東京・定例(3月)研究会は準備がととのわず、3月28日の名護・やんばる対談に合流することにしました(上掲)。ご了承ください。

3458号【2015年3月3日】
■≪3月7日・年報第20号編集委員会≫
 今年はTOAFAEC 年報『東アジア社会教育研究』として第20号の記念すべき企画・編集が始まります。1996年に創刊号を出した当時、編集実務を担ってきた内田純一さんが(20年の歳月を経て)いま編集長。活躍が期待されます。
 当時、日中韓台沖から、つまり海を越えて、編集委員会(「創刊の辞」下段)が組織されましたが、応急の取り組み、実質的には東京で小林(代表)と内田(事務局長)コンビの挌闘で創刊号は世に出たのでした。財政基盤も(今のような)研究ネットも蓄積もない、あるのは心意気だけ。なんとか3号まで出そう!というのが合言葉でした。「東アジア」など周囲にあまり馴染みなく、広報は「南の風」だけ。しかし今や類書のない独自の定期刊行物として一定の評価を得てきたように思います。これに、どんな歩みを重ねるか、新たな歴史を創っていくことができるかどうか、注目されるところでしょう。
 一昨日、内田さんより届いた「編集委員会」案内(上掲)。“20号記念”と張り切っている割には、素っ気ない。熱い思いを抑えてのことでしょう。編集会議開催は例年より遅れていますから、当日は編集長として積極的な提案をお願いしたいところ。依頼原稿の作業も急ぐ必要がありましょう。
 TOAFAEC の諸会合は、編集会議を含めて、関心ある方の参加をひろく歓迎してきました。ホームページには「新参加」の方への一文を書き入れました。ご了承ください。 →■ 
 終わって(おそらく)夕食会。いつもの香港料理「蘭」の一室を予約。もし不要であれば折り返しのご連絡を。
 「やんばる対談」に向けて名護市教育委員会から「羽地」、「やがじ」(屋我地)、「心」(名護)、「久志間切」、「虹」(屋部)、の各広報誌(地域ニュース)を送っていただきました。感謝!です。27日の研究会に間に合わず残念。3月7日の編集委員会で回覧しましょう。

3457号【2015年3月1日】
■≪連夜の研究会・事務局会議≫
 一昨日夜は、TOAFAEC2月定例研究会(第214回)、昨夜は東京社会教育史研究フォーラムの事務局会議。それぞれに(疲れながら)充実したひととき。まだ冬の夜、連日続くと八十路の身には、ちとつらいものがあります。とくに留守を強いられる富美には連日だと微妙な影響があり、家を出ようとする直前に用事を持ち出し、両夜とも大幅に遅刻する始末。お許しください。
 二つの会ともに、翌日には詳細な記録が届けられました。こうでなくてはなりません。意気込みが伝わってきます。それぞれに添え書きが長文(上掲していない)一部を紹介しましょう。まず山口真理子さん。「2月27日研究会の報告、このように書いてみました(今日1日かかってしまいましたーこれでも)。内容で不確かな箇所、その他長すぎるところは削ってください。短くしたつもり、やっぱりA4で1枚分になってしまいました。予算に関わる頭の痛い問題2件。@昨日の研究会で判明したこと。会場費が…(略)。Aクロネコメール便・・。(略)」
 昨夜の「歩み」編集事務局会議、石川敬史さん。「昨日は長時間,そして遅い時間の開催になりましたが,お疲れさまでした。…内容は、添付ファイルにて各リライト担当やコメントを整理しました。・・・事務局会議の記録・場所,参加者:国立市公民館(小林,野々村,山添,石川)…。」
 それぞれに事情があって、出席わずか4人だったのです。しかし編集作業として格段の捗り。エイデル研究所・山添路子さんも見えて、帰路、国立駅前の店で遅くまでもろもろ積もる話。お互いにお疲れさまでした。
 台湾留学中の山口香苗さんより、風・前号本欄に応えて「台湾・社会教育法廃止について」を拝受。長文なので、次号におくります。お楽しみに。
第214回定例研究会「沖縄」、撮影:桑原重美さん(高井戸、20150227)


3456号【2015年2月27日】
■≪台湾・終身(生涯)学習法の改正≫
 本号は3456号です。これから更に・・・次の一歩を、と誘いかけている数字。また、これまでの歩みを想うひととき。いろいろと(一杯飲みながら)想い出にふけっています。まずは健康で、よくぞここまで歩いてきたもの。
 3号前に、閉門弟子・広州の李偉成さん“春節”ご挨拶を載せました。懐かしい顔−HPに2002年の写真−、何人もの方から反応あり。黄丹青さん(目白大学)は近く広州訪問の計画があるらしい。ぜひ会ってきてください。李さん、開門?弟子の黄さん(文革後、初期の国費留学生)をどうぞよろしく。
 広州・華南から東に目を転じると、日本の南西諸島との間に浮かぶ台湾。最近「南の風」にほとんど台湾の記事がありません。記録をたどると、2005年まではなんども台湾を訪問し、独自の社会教育・生涯学習・社区営造などの動きに大きな関心をもってきた経過あり。台北の楊碧雲さんとも出会い、数々の思い出が蘇ります。
→■
http://www004.upp.so-net.ne.jp/fumi-k/taiwan07.htm
 昨年の『東アジア社会教育研究』第19号には、いま台湾留学中の山口香苗さん(東京大学・院)「台湾の生涯学習・この1年−終身学習法改正を中心に」が掲載されています。貴重な報告です。昨年6月に台湾「終身学習法」の大規模改正がおこなわれたこと、日本社会教育法に続く台湾「社会教育法」(1953年)の「廃止を準備するためのもの」とも指摘されています。
 かって東京学芸大学社会教育研究室では、台湾「社会教育法」を日本語訳し、TOAFAEC では、これと平行して成立した2002年成立「終身学習法」をHPに収録しています。そのまま十数年、いまや古いデータとなってしまいました。→■ http://www004.upp.so-net.ne.jp/fumi-k/taiwanhyousi.htm
 その後の台湾「社会教育法」の運命やいかに? 動きがあれば山口さんに教えていただきたい。新しい改正「終身学習法」(山口訳)、当方のHPに載せたいのですが、よろしいでしょうか。

3455号【2015年2月25日】
■≪「沖縄の心や財産を取り戻す闘い」≫
 2月22日の名護・辺野古の新基地建設反対を訴える集会は「これまでにない一体感であふれていた」そうです(上掲・沖縄タイムス記事)。配信された動画、稲嶺進さん(名護市長)ご挨拶も力強い調子。集会に足を運んだ親子づれや、子や孫のために参加したという68歳の男性の声・・・よく見ると初老の東(あずま)武さんの顔でした。東さんは「おきなわ社会教育研究会」メンバー(もと沖縄県青年団協議会長)。薩摩の琉球支配から話を始め、明治の「琉球併合」に触れたあと、「沖縄の土地が米国に強制的に接収された歴史や、ベトナム戦争、湾岸戦争、イラク戦争時に嘉手納基地が出撃、中継の拠点となってきたたこと。これ(基地建設反対)は、沖縄の心や財産を取り戻す闘い。自分たちの子や孫につらい経験をさせたくない」と訴えていました。
 国立に住んでいた頃、マンションの別室に「久茂地文庫分室」と小さな看板を掲げ、沖縄から上京した人たちの宿を提供していた一時期あり。1977年から1980年頃。東さんも泊まったことがありました。ぶんじんも東さんの勝連のお宅に泊めていただいた仲。私たちの「沖縄研究フォーラム」が中頭青年団OBと出会い、仲宗根悟さん(復帰協事務局長・当時)等の貴重な青年運動・復帰運動の証言を記録してきましたが、その架け橋をつくってくれたお一人。勝連の平敷屋エイサーの踊り名手でもあります。
 ちなみに「久茂地文庫」とは、1976年から歌人・喜納勝代さんが那覇・久茂地に開いた文化空間。ほとんど同じ時期に東京「戦後沖縄社会教育研究会」もスタートし、沖縄現地フイールドワークの拠点でした。その分室を名乗り、東京の沖縄交流“たまり場”としたのでした。ウチナンチュウだけでなく、たとえば名古屋大学院生グループ(松田武雄さんなど)が泊まった記憶も。この分室の流れが「風の部屋」につながっていると言えましょう。
10年前の東武さん(浦添、20051126) *沖縄研究フオーラム→■


3454号【2015年2月23日】
■≪与那国の住民投票・自衛隊配備賛成票が過半≫
 「南の風」はまずまず順調?に継続しています。3000号ゴールに到達しようとしたとき、風を止めるな!の声がかかり、逡巡しつつ、その後も吹き続けてきたという経過でした。あれからすでに2年2ヶ月。
 その後、どの時点で吹き止むことができるか、泉下の伊藤長和さんもにっこり笑って許してもらえそうな、そんなポイントを探してきました。一案は3333号、次の候補が「3456」号。あと2号でその数値に到達します。ところが、この数字の並びは、もっと先があるよ、のニュアンス・・・あと少し継続すべき流れ。誤脱字にめげず、指はなんとか動いていくようです。
 前号に日本最西端「与那国」の公民館のことを書きました。二つの調査報告を収録しているページ URLが(数字が一つ)間違っていたようです。失礼しました。
 正しくは→■ http://www004.upp.so-net.ne.jp/fumi-k/yonaguni1.htm
 与那国の陸上自衛隊配備の是非を問う住民投票(2月22日)の結果は、賛成票が上まわったとのニュース。賛成が632票、反対443票。投票率は85・7%。賛成票は過半数の58・7%。基地建設を許すな、自衛隊に支配される要塞の島にしないぞ、と運動してきた反対派にとっては、残念な結果となりました。
 次回のTOAFAEC 定例(第214回)研究会は27日(金)夜(会場・高井戸地域せンター)。その翌日、東京社会教育史フォォーラム事務局会議が国立公民館で予定されています。ところが事務局長にご不幸があった由、他の事務局メンバーだけで開きますか?それともひとまず延期の線か。事務局の判断をお待ちします。

3453号【2015年2月21日】
■≪羊年大吉−春節の祝い≫
 前号の発行日(2月19日)は春節、旧暦元旦、アジアのお正月でした。「羊年大吉」を書き始めましたが、和歌山大学「日韓研究・実践交流会」の記録が届き、御礼を書くうちに余白がなくなって、いま2日遅れの「春節ご挨拶」となりました。月齢と重なる旧暦の最重要のお祝い日、今年もどうぞよろしくお願いします。
 最近の「風」には中国留学生からの寄稿が少なく、寂しい思いをしてきました。19日に幸い広州の李偉成さんから懐かしい年頭メッセージ(上掲)、南の風もようやく春節の賑わい。皆様とともに「羊年大吉」をお祝いする気分となりました。書きながら心で爆竹をならし、秘蔵の酒を酌み、李偉成と乾杯!
 李偉成さんは東京学芸大学の私の最後の院生です。1995年3月、研究室を閉じる作業を手伝ってくれて、一緒に大学を去りました。彼は広州へ、私は和光大学へ。別れ際に「私は先生の閉門弟子です」と。日本ではほとんど使いませんが、検索してみると、中国語ネットでは盛んに出てきます。「門派として最後の正式な弟子」といった意味あい。私には門派などありませんが、閉門にあたって、師はすべての教えを最後の弟子に託すのです、と彼は案外と真面目な顔で言ったことを憶えています。
 1992年から広州に一時期通うようになったのは、全く李くんとのご縁でした。上海に出かけ、帰路の虹橋空港で、成田に飛ばず広州行きに乗ったことを知った上海人たちは、ぶんじんは広州に恋人がいるらしいと言いはやしたほど。2000年代になると、広州市や広東省関係の訪問団が相次いで来日(TOAFAEC が招聘状を出すかたち)、この動きも李偉成がつなぐ縁でした(写真)。広州そして華南への関心を書いた当方の文章もいくつか、HP上に掲載しています。ご覧いただければ幸い。
 →■http://www010.upp.so-net.ne.jp/mayu-k/tyugokureport97.htm
 あらためて羊年大吉!を祝いましょう。羊年生まれのぶんじんは、今年きっといいことがあるに違いない・・・と、酔いながら、つぶやいています。
懐かしい顔が並ぶ・・・後列左から6人目に李偉成さん(広州市番禺区・成人教育訪日団) −高井戸、20021115−


3452号【2015年2月19日】
■≪「自由の侵害」との終生の闘い≫
 昨日、和歌山大学地域連携・生涯学習センターより「日韓学術交流の歩み・2014」が送られてきました。昨年8月に同センターで開かれた「生涯学習フォーラム−日韓研究・実践交流会」の記録です。山本健慈学長のご挨拶、小林の「日韓社会教育の歩みと課題−職員問題に着目して」講演、田辺市・海南市・韓国忠清南道(泰安郡)からの実践報告、村上博光さん・ヤンビョンチャンさんの総括コメント、それに参加者の声や写真など(A4版62頁)。小林の講演記録は(不充分なものですが)当方のHP記録に加えました。ご覧いただければ幸い。→■http://www004.upp.so-net.ne.jp/fumi-k/kankokukouen.htm
 この企画では、同センターに1年滞在されたヤンさんが(和歌山と忠清南道との)架け橋の役割を果たされたもの。和歌山大学(村田和子・センター長等)は6月に忠清南道を訪問され「東アジア国際フォーラム」に参加。8月には忠清南道から17名の方が和歌山フォーラムに参加されました。研究者間だけでなく、行政・実践者間の本格的な日韓交流が、初めて実現したのではないかとの印象をもちました。
 和歌山大学からの袋には、同センターの『紀要・年報』第13号と、「和歌山大学生涯学習ニュース」43号(1月1日発行)が同封されていました。その巻頭言は山本学長の「生涯学習の自由への闘いを・・・決意を込めて」。京大・滝川事件についての末川博(立命館総長)講演を回想し、「18歳の私(山本)は大学で学ぶことの意味、学問というものの社会的責任を胸に刻んだ」と。
 その感動を思い起こしつつ、巻頭言は「終生“自由の侵害”との闘いに参加することを決意する」と結ばれています。その思いの強さに打たれました。
 新著『地方国立大学・一学長の約束と朝鮮』(高文研)−風3445号に既報−もいま拝読しています。大都市(政令指定都市)研究会での講演や、図書館長・渡部幹雄さんの仕事ぶりなど、いろいろ興味がつきません。ヤマケンさん!もうすぐ学長から解放される日がやってきますね。まずは、お疲れさま!でした。
和歌山大学・日韓研究・実践交流会 中央に山本学長・右に1人おいてヤンさん(和歌山大学生涯学習センター、20140829)


3451号(2015年2月17日)
■≪植民地支配者のような米軍の傲慢さ≫
 沖縄の米軍幹部の暴言が相次ぎ、沖縄タイムスは15日の社説で「沖縄は軍事植民地か」と書き(上掲)、琉球新報はその1日前の14日社説で「海兵隊暴言続発 ご都合主義の隣人は退去を」と厳しい論調、文面に激しい怒り。
 琉球新報は「3人に電話、電子メール、直接会うなどして発言の真意を確認したが、3人とも回答していない。発言に自信を持っているのなら、堂々と説明すべきだろう」と。「米軍は・・・米軍駐留に賛成する住民に対しては「良き隣人」として振る舞うが、駐留に異議を差し挟む住民には敵意をむき出しにする「悪しき隣人」にすり替わるのが実情だ。ご都合主義の「隣人」は県民にとって迷惑だ。この際、沖縄から出て行ってもらった方がいい。」→■http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-238864-storytopic-11.html
 最近、本欄でなんども紹介した目取真俊さんのブログ「海鳴りの島から」は、ネトウヨ(ネット右翼)との関連を指摘しています。たとえば2月15日ブログ。興味深く、その一部を引用させていただきます。
 「…沖縄には(略)ネトウヨがいて、沖縄の反戦・反基地運動やマスメディアに対するデマをたれ流し、不信煽りを熱心にやっている。最近は米軍との交流も活発なようで、そのせいもあってか米軍幹部のネトウヨ化が進んでいるようだ。米軍に媚びる沖縄のネトウヨと県民への宣撫工作を進めたい米軍幹部が互いに利用しあい、知性、品性ともに劣化が進んでいるといったところか。」
 敗戦から70年の沖縄の歴史は米軍支配とのたたかいの歴史、多くの住民が反基地運動に参加してきたこと。植民地の支配者でもあるかのような米軍の傲慢さを、ウチナンチューは誰よりも知っている、と指摘しています。→■http://blog.goo.ne.jp/awamori777/e/0021d01290419fbd54af698199fda9eb



*南の風3401〜3450号→■


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