南の風・各号後記(ぶんじん日誌)
3449号【2015年2月15日】
■≪別れの夜≫
13日夜、前号配信と入れ違いで、丸浜江里子さんより辺野古キャンプシュワブ前・新基地反対運動に「不当逮捕」情報が来信(上掲)。目取真俊さん「海鳴りの島から」によると、「…海上保安庁の職員が乗った車に抗議している際、現場のリーダーを沖縄県警が拘束した。それを止めようとした市民と機動隊がもつれ合って倒れたのを、公務執行妨害だとして現行犯逮捕した」と。名護警察前での抗議行動、市内デモが続く中、「…弁護士の接見や名護市会議員の申し入れがあり、逮捕された仲間は完全黙秘で頑張っている、みんなの声が取調室まで聞こえている、という報告を受けて激励のシュプレヒコールが続けられた」とのこと。
→■http://blog.goo.ne.jp/awamori777
名護での抗議行動に思いを馳せつつ、私たちの14日は韓国フオーラム(第54回研究会)。夜は「故伊藤長和さん一周忌・想い出をかたる会」でした。京都からのヤンビョンチャンさんは、おそらく最後の上京−23日に韓国へ帰国予定。この夜、ヤンさんの送別会でもありました。伊藤さん想い出の会(写真)のあと、今日の宿・風の部屋へ。残った4人で別れの古酒を汲みかわしました。
久しぶりに名護・古酒カメの蓋をあけ、いささかの量を汲み出し・・しかし、名残りは尽きず、禁を犯して、2度目の汲み出し。4人とも陶然と酔いました。
ヤンさんは朝鮮の♪鳳仙花「ポンソン花」♪を歌い、お返しにぶんじんも沖縄の♪鳳仙花「てぃんさぐぬ花」♪、♪やんばるの子守歌♪など。もちろん山口真理子さんも数曲のご披露。遠藤輝喜さんは島崎藤村の♪惜別の歌♪。「遠き別れに耐えかねて この高楼(たかどの)に登るかな 悲しむなかれ我が友よ 旅の衣をととのえよ」。
15日朝、真理子さんから来たメール(Sun, 15 Feb 2015 09:53)。「昨夜はお疲れさまでした。梁先生は、予定どおりお帰りになられたでしょうか。私は明大前発0:06の特急に間に合い、0:30前には帰り着きました。久しぶりの午前様、会も二次会も盛り上がって、これも長和さんのおかげでしょうか。」
▼伊藤長和さん(写真)を囲んで。前列右2人目にヤンビョンチャンさん。(西永福、20150214)
3449号【2015年2月14日】
■≪沖縄からの発信≫
思いもかけず本号は沖縄特集のような内容となりました。上平泰博さんから送っていただいたワーカーズコープ『協同の発見』265号(12月号).pdf版)を拝見すると、沖縄から思いのこもった発信。その目次・沖縄特集の部分は次の通り、興味深い内容です。加藤彰彦(前沖縄大学学長、野本三吉)さんは、昨年の「やんばる対談」に参加されました。
巻頭言:沖縄から子ども・若者の未来を考える 加藤彰彦(前沖縄大学学長) 特集「『命どぅ宝』今をいきる 明日をいきる 未来へいきる ということ」 T子ども・若者の未来への希望と不安(パネルディスカッション)−伊佐真次(「ヘリパッドはいらない」住民の会)、大橋文之(福島避難者のつどい沖縄じゃんがら会理事)、花井 正光(NPO沖縄エコツーリズム推進協議会長) U沖縄協同集会が提起したものはなにか 組原 洋(沖縄大学名誉教授)等。
組原洋さんは故洋子さん(おきなわ社会教育研究会)の連れ合い、懐かしいお名前です。上平さんの話から沖縄協同集会(実行委員長は真栄里泰山さん)に参加されたらしいことは聞いていましたが、沖縄大学を定年退職されたことは知りませんでした。私たちが初めて会って(1980年前後、沖縄大学に就職された頃)から、すでに35年。社会教育研究全国集会には何度も参加されました。いま名護で法律事務所を開設されている弁護士。
ことしの「やんばる対談」について、島袋正敏さんに日程など協力をお願いしたあと、名護市教委の比嘉ひとみ課長に依頼のメールを出していたところ昨日、島袋一平さん(係長)から返事あり。ひとみ課長はじめ社会教育主事など7人が出席とのこと。いい「対談」を成功させたいものです。次号に掲載予定。
3448号(2015年2月12日)
■≪パソコン修復、東京の研究フォーラム≫
前号既報のように、パソコンがダウンして、その修復に丸1日半の挌闘を強いられました。助っ人と電話を繋ぎっぱなし。指示に従って、あれこれ手を尽くしても、うまくいかない。一時は買い換えも含めて、お金の算段を始めたほど。しかし、八方手を尽くすというのはやはり大事。最終的にはあっけなく元に戻りました。バッテリーがブロックしている場合があり、これをはずして操作してみると、何事もなかったかのように、立ち直りました。ヤレヤレ!
というわけで、本号はもとのパソコンに戻って作業しています。幸い、古いパソコンが役に立ってくれて、よかった。年寄りもときに役に立つのです。風・前号の配信や、名護への「やんばる対談」依頼送信、故伊藤長和さん一周忌の連絡など、必要な作業に遅滞はなかったことが何より幸い。パソコン助っ人には迷惑をかけましたが
…。
故障前の本欄原稿には次のようなことを書いていました。「いくつか研究フォーラム史」の続き。TOAFAEC
のまわりの研究「フォーラム」の拡がりについて。あと一つ、「東京社会教育史研究フォーラム」の動きがありました。他より遅れて、2012年秋からの始動。今もっとも活発に動いています。『東京社会教育の歩み』(仮題)編集・原稿執筆が大きな山場へ。大学・研究者が中心でなく、社会教育行政や実践・市民活動メンバーが「研究フォーラム」を担っているところが面白い。その歩みはホームページ・サイトをご覧あれ。
→■ http://www004.upp.so-net.ne.jp/fumi-k/tokyoforumu2012.htm
これに「沖縄研究フォーラム」を加えると、待望の「東京・沖縄・東アジア」の五つの研究フォーラムが勢揃い!という果報な状況が、一時期あったのです。TOAFAEC
年報も、この過程で、号を追うごとに充実してきたことは衆目の認めるところでしょう。さて「沖縄研究フォーラム」については、やんばる対談との関連で別稿。
3447号【2015年2月11日】
■<故伊藤長和さん一周忌・想い出を語る会>
8日夜、「南の風」制作・配信に使ってきたパソコンが突然に不調となりました。いよいよ寿命か。気を取り直して、廃棄していたつもりの、一代前の旧パソコンを取り出し、埃をはらって応急の手当て、よぼよぼパソコンを励ましつつ、本号を編集しています。ところが古いパソコンの風配信アドレス帳は旧版。どうしようかと迷いながら、ままよ、出さないよりましさ、と原稿を送信箱に入れ、今から配信の作業に入ります。おそらく本号未着?の(この4〜5年、新加入の方などに届かない?)ミスが出るのではと心配ですが、お許しを。
前号本欄に「いくつかの研究フォーラム史」を書きました。その続き−韓国・中国の各フォーラムと並んで、東京社会教育史研究フォーラム・沖縄研究フォーラムのこと、ある程度書いたところで、パソコンは不機嫌となり中断。8日に書いたものをいま取り出せません。次の機会までお預け。本号は、暦がめくられ、久しぶりに三日目の風・送信。なんとか風を吹くことができて一安心。
さて本題。前々号に金侖貞さんの第54回韓国研究フォーラム案内を掲載しました。「
… 14日・研究会の後、昨年2月16日に亡くなられた故伊藤長和先生の一周忌を兼ねて、想い出を語る懇親会を持ちたいと思います。」小田切督剛さん「当日は伊藤長和さんのお写真を大判に引き伸ばし額に入れたものを持っていきます」のメール。カンネヨンさんも来るらしい。伊藤さん一周忌と聞いて来る人もいる?と思って、会場を予約しました。香港料理店「蘭」(新年会と同じ場所、井の頭線「西永福」下車3分、午後5時半より開始予定)。
急なご案内となり恐縮です。部屋は円卓の一室。人数に限りあり、研究会メンバー以外に参加ご希望の方あれば予めご一報ください(先着順?です)。
詳しくは
→■http://www004.upp.so-net.ne.jp/fumi-k/2006sinnenkai.htm
3446号【2015年2月8日】
■≪いくつかの研究フォーラム史≫
TOAFAEC の“F”はフォーラム(Forum)。その公開性や広場性、公開討論の意を愛用してきました。2003年頃から韓国(生涯学習)研究フォーラムの前身が胎動して『韓国の社会教育・生涯学習』を出版(2006年)。これが起点となって、「韓国生涯学習研究フォーラム」が誕生。正式発足は2007年初頭のことでした。事務局長は伊藤長和さん。伊藤さんが中国烟台へ赴任(2009年)のあとは金侖貞さん、韓国に向けての『日本の社会教育・生涯学習』(2010年)編集は李正連さん、のお二人が事務局長役。その後の韓国研究フォーラムの歩みは着実に続いています。いま新しい一冊『躍動する韓国の…』を編集中。
中国(生涯学習)研究フォーラムは、韓国フォーラムに刺激されるかたちで、2008年の暮れにスタートしました。翌年に上海「社区教育」調査団を組んで1週間のフィールドワークを敢行するほどの盛り上がり。代表は黄丹青さん、事務局長は上田孝典さん。そして、韓国と中国をつなぐかたちで「東アジア研究交流委員会」が活動を始めたのが同じ2009年(学会六月集会〜)でした。代表は石井山竜平さん。2010年秋には、日中韓「三国国際フォーラム」が上海で盛大に開かれる流れとなったことなど、今となっては懐かしい想い出です。
これに2005年から沖縄研究フォーラムが加わります(別稿)。事務局長は山城千秋さん。振り返ってみると、2005〜6年あたりから6〜7年間、TOAFAEC周辺には、東アジア・沖縄に関わるいくつもの研究“フォーラム”の花が開いていたことになります。
それぞれに転機あり、当時の代表や事務局長は、いま日本社会教育学会や公民館学会の事務局長、あるいは国際担当理事等へ。おそらく多忙をきわめ「中国」「東アジア」の二つはいま開店休業中。HP「韓国フォーラム」サイトに両フォーラムのページは残しています。活動が再起動したらまたHP表紙の右側「案内」に戻す予定です。
→■http://www004.upp.so-net.ne.jp/fumi-k/kankokukenkyukai07.htm
来る3月「やんばる対談」で上記の皆さんと数日一緒、これからのことなど新しい話ができれば幸いです。さて、沖縄研究フォーラムの歴史については…。
3445号【2015年2月6日】
■≪あれから1年≫
竹峰誠一郎さん(明星大学)から、4日前にいただいている「ビキニ事件・61年〜今みつめる核被害の拡がり」(2月21〜22日)の案内、本号に載せきれませんでした。次号では必ず!
申しわけありません。
斉藤真哉さんの「2014 Decイスラエル・パレスチナ・ボスニア報告」は本号でひとまず終了。昨年末、風3420号(12月23日)収録の「ナザレにて」で始まった現地ルポ・全24本(連載)、ご苦労さまでした。これまでの蓄積に加えて、フットワークさらに充実、筆も冴え…、先日(1月30日)研究会での話も聞きごたえがありました。現職の社会教育主事の激務をかかえながらの中東問題研究。皆さんご声援を。あまり無理をしないように、と祈っています。
3月末の沖縄訪問・やんばる対談に向けて、メールがいくつも届くようになりました。今年は“初めて”の沖縄訪問メンバーあり、また呼応して韓国の崔一先さん(チェイルソン−南の風メンバ−)の特別参加。この機会に<2015・
やんばる対談・記録>欄を設けることにしました(上掲)。これまでの経過を含め、事前学習的にいくつか書いておきたいこともありますので。なお沖縄訪問・やんばる対談に参加ご希望の方があれば、ご一報を(お急ぎください)。
今朝は「東京は雪」の予報でした。ところが見事にはずれ、寒風ながらいいお天気で助かりました。そう言えば、昨年も東京は2月に大雪。ちょうどこの時期、ぶんじんは3週間の入院を強いられていたことを思い出しました。そして旧2月16日に伊藤長和さん逝去の報せ。通夜の席で追悼の杯を捧げたいと退院を許してもらった記憶。早いものです、あれから1年。
3444号【2015年2月5日】
■≪「時の眼−沖縄」批評誌『N27』4号≫
2月4日の琉球新報・社説は「海上保安庁の市民に対する暴力行為」を激しく批判しています(上掲)。沖縄タイムス記事では、「辺野古新基地:シュワブゲート前、抗議続く」の見出し。大浦湾にコンクリートブロック投入作業をする大型作業船の写真、市民の抗議行動と県警の衝突のなかで60代の女性が全治1週間の負傷を負ったニュース。また「市民が設置しているテント前で、辺野古の現状に関心を持つ韓国の旅行者約20人が訪れ、交流する場面もあった」とのこと。韓国からどんなグループかしら。いつぞや本欄(3432号)で書いた済州島・江汀(カンジョン)に関わりのある人たちかも。
沖縄をみつめる「時の眼」−批評誌『N27』第4号が刊行されました(1月31日発行)。編集人・比嘉豊光さん(読谷村都屋431)より送っていただきました。総特集:「われわれ」とは誰か?今こそ琉球・沖縄文化の底力を。「琉球の島々文化連絡会」設立(昨年10月)をめぐる講演(高良鉄美さん)や安里英子さん等のトークセッションが並んでいます。同連絡会・設立趣意書の一節。「…戦後69年間継続する軍事植民地状態から脱して琉球・沖縄の精神的自由を回復する」のは、政治的な局面だけの問題でなく、「辺野古強行移設は重要な文化問題でもあります」と。
やんばるからは比嘉ひとみさん(名護市教育委員会社会教育課長)が「わがまち・わがむら−名護」を執筆。名護には55の集落「共同体」が地域と暮らしの基礎単位となっていること。それぞれの集落活動(年中行事)、共同の祭祀を司る「神人(カミンチュ)」の役割、55の集落のうち29集落が「字誌」を刊行(11集落が取り組み中)。17年にも及ぶ辺野古移設問題が名護市民の心的エネルギーを消耗していることなど、興味深く読みました。
3443号【2015年2月3日】
■≪研究会の画像記録≫
1月30日(第213回)研究会の記録(上掲)をまとめて下さった佐治真由子さん、有り難うございました。当日の斉藤さんの「イスラエル・パレスチナ問題」、ゲスト伊藤武彦さんの「東日本大震災の語りと支援」、それぞれのお話が交わって刺激的なひとときでしたが、佐治さんの記録からも、あらためて教えられるところがありました。中東問題と国際的なイスラエイド(IsraAID
)支援活動について新しい知見を得ることができ、また歴史と政治の「重層的構造の下で、精神を病み、トラウマの回復を必要としている」人たちに心理学が果たしている役割を知ることが出来ました。研究会記録はHPに収録しています。
→■http://www004.upp.so-net.ne.jp/fumi-k/kenkyukai2013.htm
デジカメ初期のカメラを愛用してきましたが、最近はカメラを持参しないことが多く、当日は持参しながら、記録を撮ることを失念しました。2002年以降(第71回〜)の研究会からは、ほぼ全部の画像を残してきた思いもあり、お詫びに1年前の斉藤さんの写真と、ゲストの伊藤・井上両先生については、一緒に旅した内モンゴル訪問(2006年8月)の写真一枚を切り取って再録しました(下)。一周忌が近い故伊藤長和さんの元気な顔も並んでいますので…。
昨日(2 Feb 2015 16:17)、斉藤真哉さんから来たメール。ご紹介します。「後藤健二さんが無事に解放されることを求めて世界に向けてメッセージを発していた日本の著名なフリージャーナリストの団体・JVJA(日本ビジュアルジャーナリスト協会)の会員の方から話を聞きました。ヨルダンに収監されているサジダ死刑囚との交換のためにIsis(イスラーム国)は後藤さんをシリアのトルコ国境の人質の交換場所まで連れてきていたこと。後藤さんとの人質交換については、Isisで内部抗争があり、処刑された人がいること。…」
▼2006内モンゴル訪問団。前列右端・伊藤武彦(和光大学)、後列中央・井上孝代(明治学院大学)、その左に
故伊藤長和の皆さん。(フフホト、2006年8月27日)
3442号【2015年2月2日】
■≪沖縄訪問・やんばる対談の準備≫
3月末の訪沖・やんばる対談スケジュール(風3437号・掲載)に向けて、宿の手配などがすすんでいます。私たちの沖縄訪問は「南の風」で広く呼びかける慣わし。石井山竜平さん(東北大学)メールを紹介させていただきます。今回はとくに初めて沖縄を訪問する方を中心に日程が組まれています。関心ある皆さんにはご遠慮なく、石井山さんか内田純一さんにご希望をお寄せください。
「3月訪沖計画、前半の那覇の宿(3月26日〜28日)、内田先生との相談の上、国際通り「ホテルニューおきなわ」をおさえました。お一人2泊
9700円。…(略)…また、今後メンバーが増えたときのために、残室のある宿を選びましたが、しかし残りわずかです。もしご一緒していただける方がおられる場合は、お早めにご連絡ください。(略)」E-MAIL:ishiiyama@hotmail.com
「ホテルニュー沖縄」は、私たちの沖縄研究のスタート・1976年から1995年頃までの定宿でした。末本誠さんなどがまだ院生の時代か。その後このホテルはインターネットへの対応が遅れ、ぶんじんは90年代後半に他のホテルへ定宿移動。しかしその宿も閉じられたという経過でした。偶然のこととは言え、久しぶりに懐かしいホテルに泊まることとなり、感謝!です。
名護の定宿「山田荘」も、1980年頃から三十有余年、断続的に泊まってきました。粗末なシングルの部屋、それに学生ゼミ合宿もできる大部屋あり、小林ゼミは毎年お世話になってきた宿。名護十字路からすぐ、名護博物館(旧名護市役所)まで5分。途中の「ひんぷんガジュマル」小広場には、徳田球一や宮城与徳の頌徳碑(建立に島袋正敏さんや中村誠司さんたちが奮闘)があり、ぜひお立ち寄りください。
3441号【2015年1月31日】
■≪新春第1回の研究会≫
連載中の「2014 Dec斉藤真哉レポート」はいまボスニア編(上掲) あと数回続きます。年末からの主報告は、もちろんイスラエル・パレスチナ問題、全24本。その斉藤さんに直接お話を聞こうと、昨日(30日)夜、新春第1回の定例(第213回)研究会が開かれました。
昨日の東京は朝から雪、午後に雨となりましたが、あいにく雪解け泥道、足元の悪い中、参加者は多くありませんでした。しかし新春第1回研究会にふさわしい充実した定例会。JISP(日本イスラエイド・サポート・プログラム代表理事の伊藤武彦(和光大学)、井上孝代(明治学院大学)両先生(心理学)もお出でいただきました。
斉藤さんのお話は、「イスラエル・パレスチナ問題」についての基礎知識を含め、1ヶ月前のフィールドワークのホットなレポート。南の風にも登場する「ラップグループDAM」や「フリーダム・シアター」(風3427号など)の映像も流されて、まことに刺激的。多くのことを考えることのできた研究会。終わって、いつものイーストビレッジでの懇親会も一段と賑やか、暖かな夜となりました。いずれ報告が寄せられると思います。お楽しみに。
2月定例会(最終金曜日・27日予定)は、3月末「やんばる対談」の事前学習会として、沖縄なんでも講座(仮)を企画してはどうか。初めて沖縄・やんばる訪問予定の方々、多くの皆さんのご参加をお待ちします。
「月桃」(1月28日・琉球新報コラム・上掲)について、ひとこと書くつもりでしたが、余白がなくなってしまった。
3440号【2015年1月29日】
■≪小魚の煮付け≫
昨夜(28日夜)は、ひどく冷えました。渋谷で小さな魚を仕入れて温かい煮付けをつくることに。秋田のハタハタとカワハギ、合わせて10尾ほど。正月前に大牟田の農中茂徳さんが送ってくれたカツオ菜(雑煮用)の箱に里芋や人参がいくつか残っている。近くのスーパーで買ったインゲン豆は、なんと沖縄産、と並べただけで、ちょっとぜいたくな気分です。
まずまずの味加減に仕上がりました。身の柔らかなハタハタの姿もくずれず、カワハギもしっかり煮えて案外の風味。お師匠さんの評価は「芋・人参・豆の下茹でが不充分」と。料理人としては、茹でが少ないから、それぞれの味が残っていて悪くない、とひとり満足。妙にワインと合いました。ひと鍋をほとんど平らげて・・・冬の夜が更けていきました。
ご連絡が遅くなりましたが、2週間前の「南の風」3431号(2015年1月13日発行)は一部(サーバー・BIGLOBE
関係)の方に届かなかったようです。説明によれば、「メールウイルスチェックサービスは、お客様が送信されたメールのウイルスチェックができなかったため、送信を停止しました。添付ファイルをご確認の上、再度送信してください。」(BIGLOBE)
この号には添付ファイルはなく、原因はよく分かりませんが、BIGLOBEの方々、ご点検の上、もし欠号の再送ご希望であれば、ご一報ください。ちなみに同号は、「韓国より、事務局長あいさつ、ビリン村での夜回り(斉藤レポート21)、「館外事業」論の試み(三多摩テーゼ回想H)、新年会おわる」でした。
明日(30日)は本年第1回の定例研究会です。報告者・斉藤真哉さん、ゲストは伊藤武彦さん、テーマ「イスラエル・パレスチナ問題を考える」。中東問題に関心ある方々にも案内をまわすそうです。普段なかなか取り上げないテーマ。皆さんお揃いでお出かけくさい。終了後は定例会として「新春の懇親会」の予定です。
→■http://www004.upp.so-net.ne.jp/fumi-k/kenkyukai2013.htm
3439号【2015年1月28日】
■≪70年前のあの日≫
沖縄タイムス社説(1月27日)は、70年前の沖縄「全島要塞化・住民動員し15の飛行場」を書いています(上掲)。少年Bも70年前の回想をひとつ書きます。
当時14歳、旧制中学2年。学帽でなく戦闘帽をかぶり、国防色のよれよれの制服に巻脚絆(ゲートル)をつけて通学。しかし1945年になると、「勤労動員」で陸軍需品廠の荷役に従事することになりました。日本陸軍の軍事労働組織の末端に組みこまれたのです。太刀洗陸軍飛行場の穴掘り作業にも通いましたが、主には久大線・善導寺駅から耳納山中へ、空から見えない需品集積場までの荷物運びが毎日の仕事。せまい飯場に押し込められていた朝鮮半島からの青年たちと一緒に働く日もありました。アリランやトラジの歌を知っているのは、この時代の彼らとの交流の名残りです。
沖縄の70年前、米軍の本島上陸は4月1日。その日のうちに北(読谷)飛行場・中(嘉手納)飛行場は制圧され、日本軍が破壊した伊江島飛行場も2日で修復し、本土空襲の出撃基地となりました(上掲社説)。九州各地は、この時期からほとんど毎日の「空襲」に苦しみました。都市を焼き尽くした大型爆撃機B29ではなく、小型の戦闘機グラマンとか双胴のロッキードなどが、突然に低空で現れてバラバラと機銃掃射をはじめる怖さ、今でも忘れません。
山中の陸軍需品廠では、松林に逃げ込んだ私たち小隊を目がけての機銃掃射、5メートル先の陸軍伍長が即死。駅では列車がねらわれ、そばにいた学友二人が被弾したことなど、忘れられない少年の記憶。
風3432号本欄で紹介した目取真俊さんブログ「海鳴りの島から」も「70年前に大浦湾であったこと」(1月23日)を書いています。当時14歳の中学生・鉄血勤王隊のお父さんの記録。敗残の日本兵と逃げ回ったこと、脱出をはかり筏で大浦湾を渡ろうとした日本兵との関わり。九州の少年Bと同じ14歳でも、比較にならない過酷な戦争体験に驚かされます。
→■ いま、大浦湾の波高し。
3438号【2015年1月26日】
■≪歴史を記録し未来を発見する≫
いま編集中の『東京社会教育の歩み』(仮)「最終章」をどう書くか、23日夜の研究会(東京社会教育史研究フォーラム、第20回)は面白い議論ができました。寒風のなか、出席者は少数でしたが、報告者3人、それぞれに意欲的な発言、ある熱気を感じるひととき。当夜の記録(上掲)は、ホームページにも収録しましたので、その雰囲気を読みとっていただければ幸い。いつも詳細なレポートを送ってくれる石川敬史さん(十文字学園女子大学)に感謝。
→■http://www004.upp.so-net.ne.jp/fumi-k/tokyoforumu2012.htm
社会教育の歴史を綴ることは、とくに東京の場合、この20年来の激変した社会教育の状況をどう記録するか、そしてこれからの新しい再生と創造の契機をどう生み出せるかが課題です。歴史書だから、過去の事実と回想を集めるだけというのでなく、未来に向けて出来るかぎりの展望をえがいてみる、不充分でもいい、仮設的であっていい、これからへの提言を積極的に試みようと語りあってきました。
いくつか大事な言葉が飛び交いました。語り継ぐべき歴史的事実を記録する、未来に向けて歴史を風化させないために。これまでに慣れ親しんだ発想から脱皮していこう、新しい視点をさぐっていく姿勢が求められている。公的セクターとしての社会教育を一元的ではなく、多元的にとらえる認識が大事なのではないか。社会教育の拡がりと新しい可能性をえがいていく方向性など。
かって沖縄で、若い建築家集団「象グループ」が「発見的方法」を提起したことを思い出していました。「創造の契機は“発見”にあり、発見は着目を変えることから始まる」と。その中心にいた故大竹康市さんの笑顔も。象グループは今帰仁村中央公民館や名護市役所を構想、その建築は私たちに強い刺激を与えました。
3437号【2015年1月24日】
■≪年寄の冷や水≫
日本「基礎教育学会」(仮称)の創設に向けて、昨年いささかの努力をしてきました。学会づくりへの思いは変わりませんが、年末より、記録づくりなど、つまらぬことで困惑。何より・・・「年寄の冷や水」を自覚させられた1ヶ月となりました。「老人が差し出たふるまい」の意、若い世代にお任せすべき仕事なのです。こちらの思いが強ければ、それだけ恋は深くなる?のでなく、むしろ遠くに消えていく。
振り返ってみると、人生の大半、いくつかの学会に関わって、理事会や事務局や出版物編集など、断続的に学会と挌闘してきたような半生でした。ある意味で充実感や名誉を味わうこともありましたが、多くは苦しい作業。当方すでに八十路、やや疲れもあるのでしょう、このあたりで学会に苦しむことはお仕舞いにしたい、と考えるに至りました。出来ることはやってきたつもり。せめてTOAFAEC
と(いつまで続くか分かりませんが)「南の風」発行に専心したい、我が儘をお許しいただこうと思います。
新年会の記録について、山口真理子さんからの訂正記事。「…大失敗しています。新年会の乾杯の音頭は森山丈順さんだったそうです。ホームページに記録があるのを見て、やはり訂正せねば、と思った次第です。白井さんの「声が大きいので指名されたのでしょう」が頭に残っていて、勘違いしてしまいました。白井さんは、2度目かの乾杯の音頭だったそう。すみませんでした
。」
ご連絡に感謝。ホームページの乾杯は「雪国から来た森山丈順さん」と訂正しました。昨夜23日は既報「東京社会教育の歩み研究会」(第20回)。いくつかの感想は次号に書くことにします。これも年寄の冷や水かも。
3436号【2015年1月22日】
■≪明日23日、東京社会教育歩み研究会≫
名護のセイビンさんから励ましのメール来信(上掲)。有り難うございました。3月「やんばる」の風を浴びながら、両手を高くあげて、深呼吸したいと思います。楽しみです。対談日と翌日の日程案(辺野古→蔓草庵、夜の交流会、翌29日の国頭村「奥」集落訪問→東村高江ヘリパッド現場を経て名護)、魅力的な2日間になりますね。参上する人数は10人前後?まだ少し増えるかも知れません。レンタカーでの移動となる見込み。セイビンさんのご案内、どうぞよろしくお願いします。この案を盛り込んで内田さんの風・寄稿、お待ちします。
それにしても驚き。「辺野古への新基地建設、そして東村高江のヘリパット建設の動きとその阻止の闘いは緊迫」、そして大浦湾は「海保の巡視船9隻と防衛局の警戒船など数十隻、日本軍が沖縄を包囲している様相、異様です。」
いま届いた山口真理子さんの別便。「1月25日、私も20号編集会議、と手帳に書いていたのですが、まだ連絡がないところをみると、この日はないと思っていいでしょうか。この日「辺野古に基地はつくらせない!」国会包囲ヒューマンチェーンがあるので、そちらに参加してきます。」(Thu,
22 Jan 2015)
斉藤真哉さんのパレスチナ報告が前号でようやく一段落。未掲載のボスニヤ報告が9本残っています。本号はひとやすみ。次号から9回の連載となります。
明日23日夜は、東京社会教育歩み研究フォーラム(第20回研究会、国立公民館)、ご報告の事務局の皆さん(斉藤さんを含む)、どうぞよろしく。いよいよ「最終章をどう書くか」の議論となります。面白い展開となるに違いありません。ご関心の皆さん、ご出席をお待ちします。
→■http://www004.upp.so-net.ne.jp/fumi-k/tokyoforumu2012.htm
3435号【2015年1月21日】
■≪3月の沖縄訪問・やんばる対談≫
今年の「やんばる対談」日程案がほぼ確定しました。3月28日午後、2011年「対談」から定着してきた名護東海岸・底仁屋「蔓草庵」(島袋正敏氏主宰)にて。さきほど(20日夜)セイビンさんと電話で相談しました。明日にでも名護市教育委員会の各位(比嘉ひとみ課長、島袋一平係長)にお願いする予定です。内容は昨年(年報第19号)の続き。やんばるの若き群像、社会教育主事の皆さんの実践をどう発展させるか、の課題で企画を進めたいと思っていす。
私たちの沖縄研究・フィールドワークの40年ちかい歴史は、今世紀に入って『おきなわの社会教育』(エイデル研究所、2002年)の出版、2005年あたりから「沖縄研究フォーラム」として継続されてきました。戦後青年運動史・復帰運動史の証言収集、字誌・字公民館研究、やんばる対談(2010年〜)へ。その主要な記録は『東アジア社会教育研究』沖縄ページに収録。概略メモはTOAFAEC
「沖縄研究フォーラム」ページをご覧ください。
→■http://www004.upp.so-net.ne.jp/fumi-k/okinawaseinen.htm
ぶんじんとの「沖縄の旅」企画が一昨年から宿題でした。今回ようやく実現しそう。東北大・東大・筑波大などの主要メンバー、韓国から崔一先さん(慶煕大学校)もご参加とのこと。グループの日程は3月26日〜30日案で準備が始まっています。内田純一さん(高知大学)が旅の幹事長。昨年の参加者(武田さん、桑原さんなど)からすでに同行希望が出されています。人数が増えると思いますが、「風」に幹事長から3月スケジュール案(対談の翌日は、名護から北上、奥集落を訪問する案、セイビンさんの案内−依頼済み)を寄せていただけませんか。なお2月・定例研究会(東京、27日夜)は事前学習会「沖縄やんばる講座」を準備中です。訪沖予定者ならびに関心ある方のご参加を。
3434号【2015年1月19日】
■≪20歳の定例研究会≫
すでに本欄に書いたように今年はTOAFAEC 20年。実質的には月に1度の研究会が定例的に開かれるようになって20年、という意味です。その翌年に年報『東アジア社会教育研究』が創刊され、今年で第20号が刊行される予定。21世紀に向けて、沖縄から東アジア(中国・韓国・台湾など)への研究交流が拡がり始めました。規約・役員体制や総会が動き始めるのは5〜6年後のこと。韓国研究フォーラムらしきものが胎動するのは8年後、そこから韓国・平生教育をテーマとする本づくが取り組まれました。出版は11年後のことでした。
「南の風」発行は3年後(1998年)。同じ頃にホームページを開設、しかし実際にHPが記録集積・公開の機能をもちはじめるのは7年後のこと。歳月が蓄積されてくると、風も記録も吹いて流れて消えていく運命。それをストックする役割をホームページがしっかりと担ってくれました。思いつきで、面白がって始めた手仕事が集積されて、今では掛け替えのない収蔵庫。しかしこれも満杯状態、「南の風」が続いている間はなんとか維持していきたい。
さて今年の1月(第203回)定例研究会は、上掲のように(東アジアから離れて)「イスラエル・パレスチナ問題を考える」(報告:斉藤真哉、ゲスト:伊藤武彦の両氏、1月30日
→■)で幕開け。
2月の定例研究会は、3月26〜30日予定の沖縄フィールドワーク(やんばる対談を含む)の事前学習会的な企画を考えています。日程は最終金曜日=2月27日(金)夜が第一案。3月はどうするか。沖縄に出かける前の週の金曜日(20日・金)案で開くか。年報20号編集会議の日程とも関連して、TOAFAEC
事務局で調整していただければ幸いです。
3433号【2015年1月17日】
■≪新年会報告、1月もはや後半≫
今年の新年会(12日午後)の記録が山口真理子さんから届きました(上掲)。長文の記録、ありがとうござました。写真と一緒にHにも載せました。
→■ http://www004.upp.so-net.ne.jp/fumi-k/2006sinnenkai.htm
新年会について、江頭晃子さんからいただいたメール(13 Jan 2015 22:48)。「新年会にご参加くださった皆様(&欠席連絡をくださった皆様)、ご参加くださり、ありがとうございました。にぎやかに新しい年の幕開け。それぞれの話を聞き、心に響く歌を聞いていたら、“私もがんばらるぞ〜”と元気が出てきました。例年のことですが、木村雅俊さんが写真を撮ってアップしてくださっています。…(略)…」
さて、年末にパレスチナ・ボスニアを旅した斉藤真哉さん(板橋区大原社会教育会館・社会教育主事)のレポート。ナンバーをつけてみると全24本。旅先からのホットな記録は臨場感あり、さすがに読み応えがあります。そのナンバーが、5号前の「風」から急に10本ほどジャンプしたことにお気づきでしょうか。実はボスニアからの10本を飛びこして、これは後回し。イスラエル・パレスチナ問題のレポートをまとめて掲載中。本号「エルサレムBible
Museum」 は23本目。月末の定例研究会(第213回、1月30日予定、斉藤さん報告)の前に載せておきたかったからです。研究会ご案内は、次号に掲載できると思います。
風の配信について。前号に幾つか混乱がありました。一部の方に届いていないことが分かって、念のため他メンバーを含めて再配信。重複して風が舞いこんだ方もあったに違いありません。煩わしく、ご容赦を。また前号には本欄2行目に誤字(変換ミス)。他にもあるはず。HP記録はすぐに修正できますが、一度吹いた風は取り返しがきかず・・・すぐに諦めることにしています。
3432号【2015年1月15日】
■≪辺野古と江汀(カンジョン)≫
寒空・雨天のなか、1月14日、名護辺野古では米軍キャンプ・シュワブゲート前で、市民ら約
100人による座り込み・新基地強行への抗議と資材搬入阻止行動。名護市長も激励に訪れたとのこと(上掲記事)。
芥川賞作家・目取真俊さん(今帰仁村出身)のブログ「海鳴りの島から」は、連日のように辺野古の動きを伝え、その厳しさは胸をえぐります。タイトルを並べると、たとえば「沖縄戦から70年の年に新基地建設を強行する腐りヤマトゥ政府にウチナンチューはどう行動するのか」(1月5日)、「安倍首相の器はペットボトルの蓋くらいしかないようだ」(同8日)、「深夜の資材搬入に強く抗議する」(11日)、「大浦湾の荒波に負けず警戒活動」(12日)、「資材搬入、ゲート前に結集を!」(14日)など。
→■http://blog.goo.ne.jp/awamori777
14日午後のキャンプ・シュワブ・ゲート前の様子。「…集会は各地から集まった人たちの発言と歌で盛り上がった。現場はいつも明るい雰囲気に満ちていて悲壮感はない。ウチナーの先達たちもこうやって明るくしたたかに、長い反戦・反基地闘争の歴史を作ってきたのだろう。…」(同氏・ブログ)
辺野古を報じる写真をみていると、2012年11月・韓国済州島・江汀(カンジョン)村の光景を想い出します。大規模な海軍基地を造成中。「村(700戸)の95%が反対。運動は内外支援を集めながらも、基地建設工事は強行され、村民に逮捕者を出し、多額の罰金…」「ゲートでは、工事トラックを阻止しようと座り込み、抵抗を続ける人々の叫び声。それを排除する警察・・」(風2986号)。この日の江汀のことは、同行の故伊藤長和さんも「烟台の風」268号に書いています。
→■http://www007.upp.so-net.ne.jp/bunjin-k/itouentai2012.htm
年賀状に「年明け、辺野古ですわりこみをしてきました」と書いてきた人もあり。
3431号【2015年1月13日】
■≪新年会おわる≫
1月12日・成人式。この日、東京はよく晴れていました。私たちの2015年の新年会でした。そう言えば、1980年代には成人式の休日に新年会を開く慣わし。自治体関係者とくに社会教育担当は、成人式業務のため動けない人が多く、その点でも夜の会を開く必要があったのです。終日我が家は人であふれていました。1990年代になると、自宅での開催は無理となって、近所のレストランで開くことに。そして、そろそろ20年。
この日、韓国からヤンビョンチャンさん(京都滞在中)が初めての来会。これまでにない賑わいとなりました。新年会が終わって、席を移し、ヤンさんを囲んで、久しぶりに自宅(風の部屋)での二次会。夜までたくさんの方が残ってくださり、有り難うございました。新春の喜びの気分にあふれて、泡盛古酒カメの蓋を開きました。ヤンさん持参の名酒「安東焼酎」と琉球古酒(クースー)の呑み比べ。呑ん兵衛各位の評価は如何?
実は、ぶんじんはこの4〜5日、咽を痛め、セキあり、ときに喘息的な発作も。初めて喘息対応の吸入薬も試みましたが、はかばかしくありません。新年会では咽(声)がおかしい程度、しかし二次会では、酔いもあって、ひととき激しくせきこみ、まわりから背をさすっていただく始末。カラ元気もここまで。一座の皆さんに不快な思いをさせたようで、申しわけありませんでした。
江頭晃子さんはじめ世話人の皆さん、お疲れさまでした。富美も数日前から不調でしたが、皆さんに囲まれて元気を取り戻し、いい気分で終日過ごしたようです。お世話になりました。当日のレポート
→■。
新年会が終わって、やっと新しい年がスタートした感じ。前日に岡山の美若忠生さんより「都市型公民館批判のこと」をいただきました。待望の三多摩テーゼ論。本号は前に用意していた拙文(40年回想H「館外事業」論の試み)を載せ、次号に掲載させていただきます。
▼2015新年会、中段左・「夜間中学映画祭」ポスターを掲げる関本保孝氏、その右・ヤンビョンチャン氏(西永福、20150112)、
3430号【2015年1月10日】
■≪TOAFAEC 20歳≫
「南の風」は今年で18年目。TOAFAEC はちょうど20年の節目を迎えました。年報「東アジア社会教育研究」は“20年特集”を組む予定、楽しみです。
「南の風」はTOAFAEC の公式の機関誌ではありません。ぶんじんが個人的に発行してきたパソコン通信、メ−ルマガジンです。もともとは沖縄研究に参加してきた人たちの通信、仲間の自由なひろば。しだいに東アジアの留学生に輪が拡がり、研究マイノリティの留学生に少しでも役に立つ情報ネットの役割もと考えてきました。そして社会教育や市民、夜間中学の皆さんなどへの拡がり。
当然のことですが、TOAFAEC の活動案内・記録、また中国・韓国に向けての本編集や、その過程で生まれた各研究フォーラムの広報機能も担ってきました。この間に日本公民館学会や辞典編集の動きも載せてきた歳月でした。最近では東京社会教育史研究と「歩み」編集についても力を入れています。
あえてキーワード風に言えば、「東京・沖縄・東アジア」の、社会教育の研究交流“ひろば”として、「風」ならではの役割を果たしていこうとの思い。
「南の風」の活力は、何より参加する皆さんからの自由な寄稿。ときに小林の個人的なことを載せて脱線しますが、自由闊達こそ何よりの信条かと考えてきました。年末からは、ご存知のように、イスラエル・パレスチナ・ボスニアについての斉藤レポートを連載しています。あと十数本が未掲載。これはやや拡がりすぎ、の声がないわけではありませんが、そろそろまとめの一文をいただけるものと期待しています。
フランス新聞社襲撃。パリ東部でそれに続いて関連のテロ事件も。市民の追悼集会に10万人の人波、フランス社会の嘆きと怒りを見ました。
3429号【2015年1月8日】
■≪1月研究会・パレスチナ報告≫
新年の新しい企画がいくつも届き始めました。前号では「下伊那テーゼ50周年記念事業実行委員会」発足と第1回学習会(1月27日午後・飯田市鼎公民館)のご案内=木下巨一メール。ご同慶のいたり。
本号では、夜間中学校映画祭(2/7〜13、ポレポレ東中野)企画(上掲)。@“幻の映画”とされてきた「夜間中学」(本多猪四郎監督、1956年)、Aドキュメンタリー映画「うどん学校」(1976年)、Bご存知・山田洋次監督「学校」(1993年)、C森康行監督・ドキュメンタリー映画「こんばんは」(2003年)の4本一挙上映。毎回終了後にイベントあり、森康行、松崎運之助、見城慶和などの皆さんが交代で出演。またとない機会、楽しみです。
私たちの1月定例(第213回)研究会(1月30日18:30〜)企画について、斉藤真哉さんから意欲的なメールが来ました。風・前々号(3427号)収録「フリーダムシアター」(ヨルダン川西岸地区のジェニン・難民キャンプ)で上演された映像「Suicide
Note of Palestine」(風・次号に掲載予定)を観る企画案。上映時間が1時間ほどだそうです。英語のドキュメント(粗筋)あり、どなたかに翻訳をお願いしたいとの依頼も。
年末の風3423号本欄に書いたように、当日は、斉藤レポートに関心をもって心理学者・伊藤武彦さん(和光大学)がゲストとして見えます。「JISPとイスラエイドの簡単な報告も準備していきます」(Tue,
30 Dec 2014)。
全体の時間配分からみて、1時間の映像上映は無理か。またドキュメントの翻訳も簡単ではないと思われます。どこか別の場を設けて、本格的に取り組むべきテーマかと思いました。斉藤報告の持時間は1時間あまり(伊藤先生30分前後か)の案でテーマを再考いただければ幸いです。遠藤事務局長、当日の会場確保をよろしくお願いします。なお2月研究会は、3月やんばる対談に向けて、沖縄をテーマとする研究会企画(2月28日・金)を組む予定です。
3428号【2015年1月7日】
■≪せめて風の吹きこむ片隅を≫
お気づきでしょうか、昨年後半より、南の風は(よほどのことがない限り)連日配信にならないよう努力してきました。慌ただしい風は、忙しい皆さんになかなか読まれないからです。しかし、お正月のご挨拶がたくさん寄せられただけでなく、何より斉藤真哉さん「パレスチナ報告」が押し寄せ、それに小林「三多摩テーゼ40年」回想も重なり、皆さんからの年始めのご連絡・報告などが本格的にはじまって嬉しい悲鳴。本号は本年初の連日配信となります。斉藤レポート・小林「三多摩テーゼ」回想、すべて後回し。ご容赦ください。
斉藤レポートは、これからボスニアへ動き、再びエルサレムに戻ってのレポート、あとまだ十数本が残っています。1ヶ月ほどかかる勘定ですが、掲載していく予定です。思わぬ愛読者がいて、割愛できそうにありません。「三多摩テーゼ」回想は、あと数回で終わる予定。しかし先号に書いたように、関心ある方からの寄稿もお願いしたく、そうなれば、これもすこし長引きます。
昨日、大前哲彦さんから来たメール。「美若忠生様 三多摩テーゼに内包される都市型公民館の「悪しき施設主義」について早く提起をお願いします。私も別の視点から議論に参加したいのですが、美若さんが書きにくくなってはいけないと思って、待っています。大前」(Tue,
06 Jan 2015 14:56)
ところが美若さんには、風・前号は届かず、戻ってきました。しかし前々号(3426号−予告)は届いているので、寄稿を予定されているかも?と期待しています。前号は再送、再々送しましたが、うまくいかず。本号は届くかしらと心配しています。ときどき「風」が戻ってくる常連の方が数人あります。願わくば「風」が吹き込むだけの受信箱の片隅を空けておいて下さい。
3427号【2015年1月6日】
■≪1月の研究会スケジュール案≫
年末に頂いた大吟醸、元旦祝いの屠蘇酒に。実にいい酒なので、すぐに屠蘇袋をはずし、楽しんで飲みました。まともな酔い。その故か、正月早々「風」に、いくつか誤記・脱記があったようです。申しわけありません。
新年「初興し」3425号の発行日が、一部の方に1月3日と誤記。正しくは2日でした。3日に出すつもりで用意していた風タイトルがそのまま残っていたようです。次いで前号3426号、やはり冒頭タイトル欄で福井市円山公民館「最優秀賞」を、なんと“最終終章”と誤記。本文の見出しは間違いないので、ホッと安心したものの、せっかく送稿くださった松井章江さんにお詫びします。
この理由はすぐ分かりました。いま編集中『東京社会教育の歩み』(仮称)「最終終章」の見通しが、いまだ不透明だからです。年末年始の休みを活用しでパレスチナ・ボスニヤを旅している斉藤真哉さん、同企画の事務局長。しかし、まだ心は日本に戻っていない?のかも。
話の流れで、1月の定例研究会スケジュール(予定)ご案内。まず第4金曜日(23日夜、会場:国立公民館)は「東京社会教育の歩み・最終章構想」について。最終金金曜日(30日夜、会場:高井戸・予定)は、TOAFAEC
(1月定例)研究会。テーマ案「2014年冬・イスラエル・パレスチナの旅レポート」。いずれも斉藤さん報告への期待。二週続いての重責、大丈夫かしら。
1月24日午後は、川崎で「夜間中学を語ろう川崎のつどい」(会場:東海道かわさき宿交流館4階−風3424号既報)。この集いについて、川崎市役所の小田切督剛さんからメール。「本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。1月24日のつどいをお知らせいただき、ありがとうございました。運悪く私は仕事上の出張で山口におり、出席できません。周囲の川崎メンバーに参加を呼びかけます」とのこと。
3426号【2015年1月4日】
■≪東アジアからのメッセージ≫
皆さんから年頭のご挨拶、ありがとうございます。前号は韓国から、本号は中国からの賀状が巻頭を飾り、モンゴルの皆さんも並んで、東アジアへの拡がりを大事にしてきた「南の風」として嬉しいこと、いい幕開けです。
初期からの風メンバー、南の広州・李偉成さん(広州市教育局研究所・当時、東京学芸大学・院修了、小林ゼミ“閉門弟子”)、1年ほど前から風が戻ってくるようになりました。やむなく配信停止中でしたが、やはり正月はいいもの、李偉成さんからの年頭の挨拶が届きました。「小林先生:謹んで新年のお慶びを申し上げます。お体にお大事に!」と短いメール。新しいアドレスが分かりましたので、風・配信を再開することにします。
李偉成さん、その後お元気ですか? ぜひ近況をお知らせください。まだ「広州市教育局研究所」に勤務していますか。李さんや広州市関係者との記録はHPに幾つか収録しています。たとえば、「広州から内モンゴルへ−1997年夏・茘枝の籠をさげて」(TOAFAEC『東アジア社会教育研究』第2号、1997年、所収)など。広州市とはなじみ深く、最初に「中日文人学院」を開校できないかと模索した街でした。しかし実現せず、上海から烟台へ、と移動していったのです。
→■http://www010.upp.so-net.ne.jp/mayu-k/tyugokureport97.htm
年賀状を拝見して気づいたこと。12月から連載中の「拾遺・三多摩テーゼ記−40年の回想」を興味をもって読んでいる、とのコメントいくつも。そういえば、斉藤パレスチナ・レポート(本号8,しかし滞留すでに10本余)に押されて、年末〜年始にかけて休載していました。忘れていたわけではありませんが,お許しを。本号もかなり長くなりましたので、「続き」を次号に載せるようにします。あと数号は続く予定。岡山・美若忠生さんなどの「三多摩テーゼ」批判の一文をいただければ・・・と次号に書いています。他の方からのご批正も、もちろん歓迎です。これもHP余白に「拾遺「三多摩テーゼ」記・回想」として収録中。
→■http://www004.upp.so-net.ne.jp/fumi-k/tokyo3tamateze.htm
3425号【2015年1月2日】
■≪2015年・初興し≫
2015年のはじまり。南の風の皆様、明けましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いいたします。大晦日から息子たち一家もやってきて家族揃って元旦を祝いました。HPの表紙(右下)に顔を出している孫娘が、この1月に高校入試を控える年頃になりました。かっての“入試地獄”と一味違った雰囲気、案外と呑気な顔をしていて、救われます。
大晦日のNHK紅白番組を観ながら、彼女のお気に入りグループが出てくると、キャ!と騒いでいましたが、演歌になると、単語カードなどめくって、このときは受験生の表情。一晩泊まって、早々に帰っていきました。
元旦の朝、沖縄・名護の辺野古の浜では、初日の出を拝みなが「基地のない沖縄」を祈願したそうです。沖縄タイムス(1月1日)記事。「米軍普天間飛行場の返還に伴う新基地建設予定地とされる名護市辺野古の浜で1日早朝、稲嶺進市長や市民ら約200人が新年を祝うセレモニーを行った。… 稲嶺市長は「昨年花開いたみんなの思いが実を結ぶ年にしたい。辺野古の問題を終結させたい」と語り、埋め立てに反対していく決意を新たにしていた。」
市民たちは、まだ薄暗い午前6時ごろから浜に集まり、辺りが明るくなった7時過ぎ、辺野古の海に向かって手を合わせ祈願。県内各地から集まった有志による三線演奏や、かぎやで風も奉納されたとのこと。稲嶺市長が挨拶している写真には、中央に大書された「初興し」の文字があざやか。早朝で冷えるのか、稲嶺進さんは珍しくコート姿。平和に向かって頑張りましょう。
当方の“初興し”は、何よりまず「南の風」本号の編集。そして例年の通り、頂いた賀状を拝読、こちらからの年賀状を書き始めること。ご了承ください。
2015年
3424号【2014年12月31日】
■≪寄り添って1年≫
29日夜、日頃あまり会うことがない人たちの「有志忘年会」でした。飲むもよし、歌うもよし、ひたすら食べる人あり、語りづくめの人もあり。自由気ままな楽しいひととき。新春の新年会(1月12日)に出席できない八朔友二さんの呼びかけ、今年最終の集いとなりました。拡げ過ぎると、新年会の参加に影響しそう、同世話人に申し訳ないと、やや秘めやかな会でもありました。
かっての小林自宅の新年会(1980〜90年代)、その思い出をもつ人たち9人。積もる話に花が咲きました。集まった人たちの青春。同時にあの頃もう若くないぶんじんにも、まだ“青春時代”でした。皆さん、お疲れさま。
2014年が過ぎ去ろうとしています。さまざまな思いをもって、年の瀬を迎えておられることでしょう。ぶんじんにとっては、結婚して50数年を経て、今年ほど二人びったりと寄り添って暮らしたことはない、そんな年でした。お互いそれぞれの仕事をもっていましたから、今まではバラバラの生活。いろんな旅も別々が多く、亡くなった伊藤長和さんから「もっと同伴の旅をなさい!
腕を組んで!」とたしなめられたことも。寄り添うことなんぞ、なかったのです。
そしていま、80路を歩んで、新婚のような共同生活。いくつかの学会や講演で数日の外泊、(あれほど通っていた)沖縄も「やんばる対談」の4日間だけ。それ以外は、1年ほとんど毎日一緒でした。どこかに神様がいて、別々の道を歩んできた二人にも、寄り添う1年を用意してくれたような、年の暮。
「南の風」も、思いのほか長い道のりを歩んできました。お付き合い、ありがとうございます。いま吹き止むきっかけが見つからない、といったところです。皆さま、よいお年をお迎えください。
3423号【2014年12月29日】
■≪イスラエル・パレスチナへの関心≫
もともと南・沖縄の研究・交流の“ひろば”として発行してきた「南の風」。17年の歩みのなかで、東アジアにネットが拡がり、いま斉藤真哉レポートに見るように、イスラエル・パレスチナの風が吹いています。これに思いのほか多くの関心が寄せられています。杉並・安井節子さんの別件メールの添え書きから。
「 … 南の風、今となっては、私に取って素晴らしい情報源です。いちいち個人的にメールを差し上げたい程の時もありますが、なかなか時間がなくて出来ません。パレスチナ記事は知らない事ばかり、読むのを楽しみにしています。
友人の友人の女流画家が難民キャンプにいるパレスチナの子どもたちに絵を描く楽しさを体験してもらおうと、もう何年にも亘って活動しているので、パレスチナはどうなっているのか気になっていました。クリスマス(前号)の事などとても興味深かったです。」(Sat,
27 Dec 2014 18:39)
久しぶりに心理学者・伊藤武彦さん(和光大学)からのメール。「… ご無沙汰しております。南の風で、それまで見過ごしていた、斉藤さんの記事をバックナンバーで読み始めております。現在は、JISPというNPO
に関わり、そのご縁で、来年4−5月の連休にイスラエルに行くこととなりました。斉藤さんの現況や連絡先など教えていただければ・・・。」(Thu,
25 Dec 2014 11:02)
JISP(日本イスラエイド・サポート・プログラム)は「心のケアや専門性のある教育を通して東日本大震災で被災されたコミュニティの復興と発展をサポートする復興支援団体」。国際NGO イスラエイドのサイトにはこんな記述がありました。「イスラエルという国は、様々な歴史的な出来事のため心のケアを必要としている人が非常に多く、心のケアに関して世界的に最先端の研究や実施が行われている国であります。…」
→■ http://jisp.org/about_israaid/
1月定例研究会(30日予定)は、斉藤真哉さんや伊藤武彦さんにお出でいただき、イスラエル・パレスチナのホットなお話を聞く企画を組みましょうか。
3422号【2014年12月27日】
■≪旧・御三家の消息≫
年末にはいろんなメール(風に載せない)が飛び込みます。数年前まで風への寄稿が多い“御三家”に列したこともある渡部幹雄さん(和歌山大学)。最近は多忙のためか、ほとんどお名前が出ませんが、短いメール。「いつも有難うございます。この度12月31日をもちまして“特任”が終了することになりました」とのこと。1月からどういう身分になるのか、和歌山大学を離れることなのか、聞いてみたいと思います。
同じ御三家の岩本陽児さん(和光大学)、「久方ぶりの博多」から。「岩本@地下鉄天神駅です。昨日はありがとうございました。昨晩、親の留守宅になんとか無事にたどり着きました。… 午後から、博多駅周辺で用足しと、駅ビルの牡蠣食堂で遅い昼食を済ませたところです。エレベーターに乗り合わせた人の背丈が、小田急線沿線よりも若干、高いような印象を受けています。これから、福岡大学に添田祥史さんを表敬。それから、北九州に向かいます」と。おそらく「基礎教育学会(仮)」準備への打合せをしてくれるのでしょうか。
旧・御三家のあとお一人は故伊藤長和さん。2月の悲報。年末にあらためて“在りし日”を偲んでいます。あの日から、はや1年が経とうとしています。
いまもっとも寄稿が多いのは斉藤真哉さん。イスラエル・パレスチナからのレポート。数日おきに数本まとめて届きます。さきほど届いたメールのなかに「クリスマス」の話題がありましたので、先着メールを飛び越えて、本号に載せました(上掲)。ご了承ください。いますでに5本滞留中。
文孝淑さんから、前号本欄を受け、折り返しのメール・年末のご挨拶も上掲。ありがとうございました。
3421号【2014年12月25日】
■≪20年の歳月、40年記念の集い≫
年末になって、ふりかえり・しめくくり・かけこみ?などのメールが舞いこみ、冬休みのつもりの「南の風」はかえって忙しくなります。この1両年はとくに斉藤真哉さん「パレスチナ便り」が舞いこみ、お手柔らかに!とお願いしているほど。なんとか連日配信をさけ、隔日配信リズムを堅持!しようとすると、各号ともにメールあふれ、長文となってしまいます。いま連載中のシリーズ「拾遺・三多摩テーゼ−40年の回想・証言F」も、本号からはみだし、またしても次号おくりへ。ご了承ください。
さて、本号には TOAFAEC(本年最後の)研究会・第212 回の記録が届きました。1995年6月から始まって、ほぼ毎月1回の足取りで開いてきた研究会が20年目を迎えた年末。感慨深いものがあります。少し難しい記録になっていますが、当日の皆さんは何より20年の歳月を祝う気分で、語り合っていたような、また終了後の忘年会の杯も賑やかでした。この間に研究会に参加してきた多くの方々、そして事務局メンバー、ご苦労さまでした。さらに来年以降の、次のステップをどう刻んでいくことになるのか。
23日(火、祭日)午後は、吉祥寺で社会教育推進全国協議会「23区支部」40周年記念のつどい「明日の東京を語り合おう!」が開かれました。盛会でした。20代の若者から、80代の長老まで。大げさに言えば、40周年どころではない、それ以前の付き合いまで含めると、50年来の知己との遭遇あり、懐かしい顔ぶれに出会って、心は弾んでいました。若い世代との感激の握手も。たとえば社全協・創設期の事務局をひとりで支えた故野呂隆さん(ぶんじんと同じ世代)の息子さん。そのご息女、つまり隆さんのお孫さんが当日の受付に座っていました。栗橋優気さん、法政大学で文孝淑先生にハングルを教わっているそうです。
▼年報第19号合評、第20号へ向けての12月(第212回)研究会、撮影・呉世蓮さん (東京大学、20141213)
3420号【2014年12月23日】
■≪年の暮れのニュース≫
師走も20日を過ぎ、街は一気に歳末の風景です。今年もあと1週間あまりでおしまい、早いものです。皆さん、それぞれに忙しそう。ニュースいろいろ。
今年の年末も、イスラエル(→パレスチナ)に飛んだ斉藤真哉さん(板橋区)からレポートが届き始めました。1日に2通も。ご苦労さま。何しろ現職の社会教育主事、休暇をすべてパレスチナ問題に集中しての独自レポート。その思いには打たれるものがあります。これからどんな展開になるのか。
今年「三多摩テーゼ」40年、ということもあり、その後のことなど拾い集めて、「風」でいくつかの回想を綴っています。前号E「三多摩テーゼ10年の事業論」について、岐阜の益川浩一さんから折り返しのコメント、ありがとうございました。日本公民館学会編『公民館・コミュニティ施設ハンドブック』(エイデル研究所、2006年)「館外事業論」(伊東秀明氏)や、同学会『年報』第10号−特集・公民館事業研究−(2013年)に、益川さんがこの問題を論じておられたことなど、前号に記述すべきでした。失礼しました。
同『公民館・コミュニティ施設ハンドブック』では、その冒頭「公民館の現代的課題」の章で、注目すべき公民館の典型事例として、貝塚市、松本市、岡山市等と並び、鶴ヶ島市(埼玉)の公民館を特記しています。「自治体の教育改革と地域づくりの拠点」としての公民館への評価。この12月、その鶴ヶ島市公民館条例が廃止されることになりました。来年4月からは「公民館が廃止され、市民センター」になるとのこと(上掲ニュース)。公民館学会としてもショッキングなニュースですね。
12月23日昼、今から社全協二三区支部・40周年の集い−明日の東京を語り合おう!−に出かけます。
3419号【2014年12月21日】
■≪個人的なこと、二つ≫
小保方晴子氏のSTAP細胞問題。理研は「実験打ち切り」表明の記者会見(19日午前)。2時間近い会見が終わり、退席しかけた実験総括責任者の相沢慎一特任顧問は立ち止まり、「モニター監視や、立ち合いをおいた小保方さんの検証実験は、科学のやり方ではない。そういう実験をしてしまったことに検証実験の責任者としておわび申し上げるとともに、深く責任を感じる」と謝罪しました(朝日19日夕刊)。この場面を見て、少し救われるところがありました。実はぶんじんは、相沢慎一氏を「しんちゃん」と呼び、彼は「ふみと・」と呼びあう、少年時代からの親しい間柄です。
個人的なことのついでにあと一つ。1号休んた「三多摩テーゼ」回想(シリーズE)について、1980年代当時のぶんじんの個人的な事情がありました。しかし長文、上掲の本文からはずしていましたが、東京社教育史の関連もあろうかと思い直して、本欄に収録しておくことにします。
三多摩テーゼ(1973〜74年)作成当時、ぶんじんは東京都社会教育委員(4期)。その最初の仕事は画期的「都民の社会教育における市民教育のあり方」答申(1973年)、そして「新しい公民館像」作成への参加でした。70年代の後半は、立川社会教育会会館運営審議会委員も委嘱され、三多摩で張り切っていた時期です。しかし1980年になると、東京学芸大学「学生部長」に選出され自治体「委員」との兼職禁止、実際に学生運動や学寮問題が残っている激務。国立や小金井を含めて、すべての公的な「委員」を辞めなければなりませんでした。それをかいくぐって始まったのが、1980年11月からの上掲・立川社会教育会館・公民館「事業論」構築作業だったのです。
事業論構築は、「三多摩テーゼ」の質的な充実をめざす思いで取り組みました。社会教育委員とは違って、この種の「研究員」(とくに辞令なし、経費もなし)は自由な資料分析活動。委員会への参加は、大学に拘束されていた身には、公民館実践に触れる貴重な時間となりました。
3418号【2014年12月19日】
■≪太刀魚の鋭さ≫
北国だけでなく、日本各地の雪の嵐、お見舞い申しあげます。東京は雪ではありませんでしたが、ひどい寒さ。風も強く、冬本番の季節となりました。
さて、いつぞや「かつお」や「さわら」、「ぶり」や「はたはた」など魚の話題を書いたところ、いくつもの反応をいただきました。「…新鮮な魚を手に入れて料理をされたお話。味付けは富美さんに聞きながら、という説明が付いて。食べ物の嗜好は、長年のこれぞ夫婦の歴史ですから、お二人の会話まで想像してしまいました。煮汁に“里芋クン”を入れたのも食いしん坊の知恵、思わずヨダレが出そうになりました。このようなお話をもっと載せて・・」など。
本欄はときに「何を書こうか」と迷うことがあり、思いつかないと、ついつい食べものの話を埋め草風に書くことに。お目にとまって恐縮。この一両日は、海が荒れて、魚屋は冷凍ものが多く、活きのいい近海の魚の姿がありません。そういえば、数日前の太刀魚が美味かったな、と思い出しました。ときに遠い海から運ばれてくる太刀魚もあり、どこの太刀魚?と聞くことにしています。近海ものは銀色の肌の艶が光っています。切り身を三つ仕入れました。焼いてよし煮てもよし。近頃はだんだんとコツを憶えて煮ることに。小魚を食いあさる鋭い口の割には、柔らかな白身の上品な味、なかなかのものです。
ところで太刀魚を刺身で食ったことがありますか?その昔(1970年頃)同じ食いしん坊仲間の故横山宏さん(国立教育研究所、当時)に自慢したものです。この話をある小雑誌に書いたこともあります。大学院時代、ぶんじんは九州の農漁村のフィールドワークに動いた数年がありますが、天草の漁村でカタクチ鰯の地引き網調査。集魚灯に群れるイワシに切り込んでくる太刀魚の鋭さは今も目に鮮やか。しかしイワシの網に太刀魚は外道(げどう)。未明の水揚げ作業後の朝食は、その太刀魚の刺身でした。漁師の包丁さばき。生きている魚の、鋭い繊維が残っているような白身の輝き。「太刀魚のレシピ
407品」サイトにも載っていないようです。こんな話になると、長くなって、いけません。
3417号【2014年12月17日】
■≪腕を組み「沖縄を返せ」歌う≫
12月16日午後、沖縄各紙のウエッブ版速報が感動的な記事を伝えています。まず沖縄タイムス記事。
【名護】衆院選で沖縄の四つの小選挙区で当選した、赤嶺政賢氏(66)、照屋寛徳氏(69)、玉城デニー氏(55)、仲里利信氏(77)が、そろって名護市辺野古の米軍キャンプ・シュワブゲート前を訪れた。ゲート前の市民ら約70人に拍手で迎えられた4氏は、市民らとがっちり握手。4氏それぞれが「新基地建設反対に向けこれからも共に頑張りましょう」とあいさつすると、市民らは指笛やカチャーシーで喜んだ。写真(略)キャプション。「ゲート前で座り込みをする市民らと腕を組み、「沖縄を返せ」を歌う衆院選で当選した4氏。16日午前11時40分、名護市辺野古」
17日の様子。「辺野古座り込み 寒さと風の中、抗議続く」*琉球新報記事。
【辺野古問題取材班】 名護市辺野古の米軍キャンプ・シュワブゲート前では、17日午前、米軍普天間飛行場の移設に伴う新基地建設に反対する市民ら約30人が集会を開くなどして抗議行動に取り組んだ。
時折北風が吹く寒さの中、集まった市民は温かい飲み物を用意しながら厚手の上着に身を包み、辺野古移設反対の意志を示した。翁長雄志知事が16日の県議会で初答弁し、辺野古移設について明確に反対の意志を示したことを受け、沖縄平和運動センターの山城博治議長は集会で「やったぞ!私たちが選んだ知事だ!」と声を上げると、参加者は拍手で応えた。沖縄防衛局による海上での作業は17日午前現在、確認されていない。【琉球新報電子版2014年12月17日】
3416号【2014年12月15日】
■≪沖縄のマグマ、地上に流れ出した!≫
12月14日・衆院選の当日。名護・島袋正敏さんから「辺野古新基地を止める重大な審判を!」のメール来信(上掲)。この夜の選挙速報、最後(未明)まで見ていました。何より沖縄の結果がどうか。選挙区では4区ともに自民党候補がすべて敗退!驚きました。明けて15日、沖縄タイムス社説、次の通り。
「移設反対派全勝・揺るがぬ民意を示した(2014年12月15日 05:30)。1月の名護市長選、11月の県知事選に続いてまたも、歴史的な選挙結果が示された。第47回衆院選が14日、投開票され、沖縄選挙区では、「ひやみかち・うまんちゅの会」の支援を受けた4人の候補が、翁長雄志知事を誕生させた余勢を駆って、県内4選挙区のすべてで自公候補などを破り、劇的な完全勝利を収めた。
米軍普天間飛行場の辺野古移設に反対する沖縄のマグマは、衆院選でも噴火し、溶岩流となって地上に流れ出したのである。
自民前職の強固な支持基盤を崩した1区の赤嶺政賢氏(共産)、準備期間ゼロの超短期決戦を強いられた4区の仲里利信氏(無所属)の当選は、この陣営の勢いが知事選だけの一過性のものでないことを物語っている。…」
沖縄4区の仲里利信氏(元沖縄県議会議長)については、風3413号・本欄に取り上げました。保革共闘の民意にかつぎ出されての選挙戦。老いの一徹。結果は、71,227票を得票、西銘恒三郎氏(自民党前職)に約5,500票差をつけての見事な勝利でした。こちらもカチャシーをいっしょに踊りたくなったほど。
書くスペースがなくなりましたが、13日(土)は本年最終の定例研究会・年報編集委員会(19号合評、20号へ向けて)でした。この20年をふりかえる論議のなか、来年に向けていくつかの大事なポイントも出たような…。記録をお待ちします。この夜、上野(佐賀)・内田(高知)両氏も残って、本郷の九州料理屋で忘年会。たくさんのお祝いや慰労の乾杯をしました。
▼年報第19号合評、第20号へ向けての12月(第212回)研究会 (東京大学、20141213) 写真→上掲・3421号へ
3415号【2014年12月13日】
■≪“誇りある豊かさ”を!≫
12月12日の沖縄県議会。翁長雄志・新知事の就任演説、全文を琉球新報で読みました。「ハイサイ、グスーヨー」(こんにちは皆さん)に始まり、「ニフェーデービル」(有り難うございます)の締めくくり。
「うやふぁーふじ(先祖)から受け継いだソフトパワーを生かし、三つの視点から、沖縄を拓き、うまんちゅ(御万人)の笑顔が輝く沖縄を創る」決意。三つの視点とは、沖縄の経済を拓く、沖縄の幸せを拓く、沖縄の平和を拓く。
「普天間飛行場の辺野古移設問題につきましては、この度の県知事選挙の結果を受けて、公約の実現に向けて全力で取り組んでまいります。国においては、現行の移設計画をこのまま進めることなく、わが国が世界に冠たる民主主義国家であるという姿勢を示していただきたい」と。
「未来を担う子や孫のために、“誇りある豊かさ”をいかに創りあげ引き継いでいくか。県民すべてが生き生きと活躍できる協働のまちづくり」の理念掲げ、その実現に邁進する覚悟を披瀝、心に響くものがありました。
久しぶりに朝倉書店・野島薫さんからメール(上掲)。『社会教育・生涯学習辞典』(2012年刊)の編集実務を担当された方。その後の『辞典』の普及・売行きは?と聞きました。気になっていたのです。「…さすがに当初の勢いはないものの、まだ毎月、堅実に注文が入っている」とのこと。少し安心しました。大学・研究関係では活用されているものの、行政・実践関係では『辞典』を知らない人もあり、「南の風」でときに話題を拡げていきたい。時代は動いている、『辞典』の再販・改訂版を視野に入れて・・・。辞典クリテイークをお寄せください。
3414号【2014年12月11日】
■≪有志忘年会の企画≫
2015年(1月12日)新年会の「ご案内」が届きました(江頭晃子さん、上掲)。早いものでもう1年がめぐってきたかと感慨しきり。今年1月の新年会は、新しく参加の方あり、他方で永年の常連の方が出席されたあと、2月には亡くなられるという出来事あり、この1年がぐるぐると頭をかけめぐっています。
新年会は、昔はまず福岡・油山で正月、その足で沖縄へ飛んで名護あたりでやんばる正月、帰京して成人式前後に東京永福の新年会、というぜいたくなスケジュールでした。東京・新年会は、15年ほど?前までは自宅で開き、昼頃から深夜まで飲み続けでした。昼間の子どもたちまで含めると50〜60人の来客。さすがに接待役(世話人)がたいへん。深夜になると酔っぱらいが寝込んで帰らず、私たち二人はホテルへ泊まりに行く始末。楽しい?想い出です。今から考えると、ウソみたいな話。
その頃の常連の一人、仕事の関係で最近は新年会当日に来れなくなりました。そのかわり、彼の都合に合わせて年末に会うことに。すこし会話がはずんで有志の忘年会にしよう(風3412号)ということになりました。12月29日(月)夜6時半から。場所は新年会と同じ、西永福の香港料理「蘭」で確定。幹事は八朔友二とぶんじん。他の方のご参加も歓迎!です。ご希望の方は、前日までに一報いただければ幸い。
いつも月末・金曜日の定例研究会、12月は(風・前号ご案内・再掲)12月13日(土)午後に開催することになりました。場所も高井戸でなく、本郷・東大、お間違えのないように願います。このため佐賀・高知から上京の編集長と副編集長お二人、ご苦労さまです。
3413号【2014年12月9日】
■≪沖縄の保革共闘≫
衆院選も終盤に入りました。今度の日曜日(14日)が投票日。那覇の鷲尾真由美さん(私信)から沖縄の動き、動画など教えて頂きましたので、ご紹介。仲里利信候補の街頭演説など興味深い。
→■http://iwj.co.jp/wj/open/archives/210665
保守と革新が対決してきたこれまでの選挙の構図、沖縄では大きく変わっています。今回の衆院選では、沖縄に新しい軍事基地を造らせない、普天間基地の辺野古移設を許さない、公約を守れ!を合言葉に、沖縄の全選挙区から「保革共闘」の候補者が立つことになりました。
とくに注目を集めているのは沖縄4区。かつて沖縄県議会議長を務めた元自民党沖縄県連顧問の仲里利信氏が、(自らが後援会長をしたこともある)自民現職候補を向こうにまわして、無所属で立候補。同氏は、自民党沖縄県連が公約を破棄し辺野古移設容認に転じたことで、同党を離党。先の名護市長選では稲嶺進氏を、県知事選では翁長雄志氏を応援し、今回「うまんちゅの会」(沖縄社会大衆党、日本共産党、社民党、生活の党、県民ネットの5政党・会派で構成される−翁長雄志県知事候補を支援した革新系の選挙母体)に推されての立候補です。本人は正真正銘の保守の立場を貫く、77歳の高齢政治家。
立候補の第一声。「新人の私が一番年上。なぜこのような隠居した年寄りまで引っ張り出されたのか。『うまんちゅの会』で、皆さんが勝手に議論し、勝手に私に絞ったんです。全会一致で君に決めた!NOとは言わせんぞと。」
選挙を彩る人間ドラマ。大勢の市民たちが応援に駆けつけているそうです。応援演説の一節。「…これ以上沖縄に基地を押しつけられる事に我慢ができません。辺野古の海は珊瑚も元気で、透明度の高くとてもきれいな海。自然破壊をしてはならないと国内外の環境団体からも物言いがついている。とてもすばらしい海です。その海を埋め立てて、海面から海抜10メートルの新基地、日本政府はいろんな手を使って沖縄になんとしても基地を作ろうとしています。」
3412号【2014年12月8日】
■≪今年の公民館学会大会≫
6日から7日にかけて、千葉・木更津へ。日本公民館学会(第13回大会)でした。港ちかくのホテルの部屋は幸い東向き。明け方にふっと目がさめ、カーテンが紅にそまっていました。房総丘陵からの日の出。みごと! 普段は朝焼けに出会うような生活ではないので、いい1日をもらったような感じ。そして午後、会場を早めに抜けて、いま永福の自宅。西の窓に陽が沈みかけています。茜(あかね)に暮れる初冬の1日。遠くに富士も。
話題いろいろ。1週間前・土曜日の仙台(日韓学会交流研究大会)から、ヤンビョンチャン先生は大活躍。公民館学会でも「住民自治力をたかめる学びー住民自治センター」についての報告。聞き応えある二つの学会報告と「対談」一つ(風・前号)。いま、間違いなく日韓研究交流を結ぶ大事なキイパースン。有り難うございました。1月予定の新年会にもご参加の意向と聞きました。
課題研究「公民館構想の研究」は、今年“三多摩テーゼ”のテーマ。「歴史的に検討」の視点から、いくつか質問もあり、少し発言しました。なぜ“テーゼ”と呼ぶのか。公民館三階建て論との異同。歴史的にどう評価するか、構想の狭さも。コミュニティセンター施策との関係は?など。しゃべり過ぎました。
“三多摩テーゼ”について、作成に関わったものとして、いくつか(批判的検討を含めて)書いたものがあります。「三多摩テーゼ20年−経過とその後の展開」(1994年)など。今年はテーゼ40年、書き足しておく必要も感じました。
→■ http://www004.upp.so-net.ne.jp/fumi-k/tokyou23ku.htm
日本公民館学会の新しい会長に上野景三さん(佐賀大学)。事務局長4年と会長4年をつとめた手打明敏さん(筑波大学)、大役ご苦労さまでした。
3411号【2014年12月5日】
■≪エイデル研究所≫
師走の4日、東京は冷たい雨が降りました。久しぶりのエイデル研究所の会議室では熱気あふれる「躍動する韓国の生涯学習」についての対談(風3409号ご案内)。その夜に「ご報告」が届きました(上掲)。皆様、お疲れさま。
本に収録予定の対談は、活発な論議となり、出席者も発言する座談会へと拡がって・・・。このような議論を重ねていきたいもの。韓国側の主役・ヤンビョンチャンさん(公州大学教授)は、日韓学会交流の仙台から東京へ、そして6日の木更津(日本公民館学会・第13回研究大会)へと疲れもみせず、まことにご苦労さまです。今晩まで「風の部屋」住人。
エイデル研究所とは、1980年前後の同社創業以来のお付き合い。あまり売れない本を出していただき、頭が上がりません。しかし私たちの最初の企画、同社刊『社会教育・生涯学習ハンドブック』(社会教育推進全国協議会編、初版1979年、ぶんじんは1995年・第5版までを担当)は、着実に版を重ね、5年おきの刊行、いま第8版を数えています。そろそろ次の第9版編集に取りかかる時期か。激動著しい時代、次の力作が楽しみ。
この日、かって『ハンドブック』編集を担当した入沢充さんも偶然にエイデル研究所に姿を現しました。いま大学教授のかたわら、同社・取締役も兼ねているとか。入沢さんとは苦労をともにした仲ですが、とくに『公民館史資料集成』(横山宏・小林共編、1986年)出版を実現してくれた人。この本は、いま古本市場にもほとんど出ない稀少本です。本が出来上がった当日の思い出など、杯を重ねながら、懐旧談を楽しみました。
▼「躍動する韓国の生涯学習」対談、左よりヤンビョンチャンさん・長沢成次さん、右は小林(エイデル研究所、20141204)
34110号【2014年12月2日】
■≪20年の歳月≫
久しぶりに文孝淑さんからの来信(上掲)、ありがとううございました。思い起こせば、1995年6月に始まったTOAFAEC、その歴史的な第1回研究会の報告者は文孝淑さん(当時・一橋大学院生)。「韓国社会教育法をめぐる近年の動向」について、先駆的なテーマ。当時はまだ「平生教育」という言葉は公式になく、現在の「平生教育法」が成立(1999年)する前、旧社会教育法(1982年〜1999年)を取り上げた発表でした。ほぼ20年前のこと。記録はHPを。
→■http://www004.upp.so-net.ne.jp/fumi-k/00kenkyukaikiroku.htm
翌年には『東アジア社会教育研究』(TOAFAEC)が創刊されます。すでに本欄で書いたことがありますが、巻頭論文は、金宗西先生「韓国の文解(識字)教育問題の考察」。先生はソウル大学名誉教授、当時の韓国「教育改革委員会」会長でした。今年7月に亡くなられたそうです。同じ世代の黄宗建先生「追悼ページ」アルバムの中に、黄先生が踊るように歌い、金先生とぶんじんが聞き入っている写真(1997年3月)があります。2009年ソウルでお会いしたのが最後。あのとき二人で撮った写真もHPのどこかにアップしたような?しかし今さがし出せません。
→■http://www010.upp.so-net.ne.jp/mayu-k/hwang.htm
あれからほぼ20年。韓国と日本の平生教育・社会教育両学会が交流する研究大会が今年で第6回(東北大学)。韓国からの学会関係者とお会いして、今年の参加世代がぐんと若くなった印象をもちました。懇親会の席に、石井山竜平さんが「アチミスル」「友よ」の歌詞を用意。その機会に飛び入りで、日韓の学会関係者が、この歌をともにうたいあうようになった物語を語ったのでした。この夜、崔一先さん(慶煕大学)の「珍島アリラン」が一段と冴えていました。
TOAFAEC も来年で20年。韓国の教育改革・平生教育構想と同じ歳月を歩んできたことになります。
▼日韓学会交流懇親会にて−後列左3人目に済州大学・金明浩・学会長、5人目に慶煕大学・崔一先さん
(仙台、141129)
3409号【2014年11月30日】
■≪戦後多摩「市民活動史」≫
11月28日夜、定例研究会(高井戸)のあと、いつもの二次会・イーストビレッジへ。江頭晃子さんの姿が消えたあと、思いがけなくバースディケーキが現れました(上掲、斉藤メール)。江頭さんの配慮によるもの。有り難うございました。私たちの子ども時代は、戦時下、バースディケーキなどなく、ときに母親が赤飯を炊いて祝ってくれる程度。ろうそくを灯す文化にも慣れず、タイミングをはずして、吹き消しました。お許しを。実に美味しいケーキでした。
当夜の江頭報告は、これまでにない刺激的な内容。発言・意見が相次ぎ、これを深めていけば、面白い戦後多摩「市民活動史」となりましょう。多摩の歴史は、日本の激動を象徴するところがあり、これからが楽しみ。ご参加の皆さん、ご苦労さまでした。当日の記録、よろしくお願いします。
明けて29日、仙台の日韓・両学会交流研究大会(第6回)へ。久しぶりの東北大学。韓国からの旧知の皆さんとお会いきました。この記録は次号におくることとし、「躍動する韓国の生涯学習」座談会について、急ぎのご案内を。
日時は早くに決まっていましたが、場所や細部が決まらず、慌ただしいお知らせになって申しわけなし。上掲のように、12月4日午後、市ヶ谷駅近く、エイデル研究所(会議室)で開くことになりました。同社・山添路子さんにお願いしました。内部企画ですが、面白い対談が予想されますので、ご関心ある方はどうぞお出かけください。詳しくは、韓国生涯学習研究フォーラム・HPを。
→■ http://www004.upp.so-net.ne.jp/fumi-k/kankokukenkyukai07.htm
さきほど(30日夕)仙台から一足先に帰京しました。東北大学各位、学会国際交流担当の理事・幹事の皆さん、お世話になりました。
▼江頭晃子さん、瀬川理恵さん撮影(141129)
3408号【2014年11月28日】
■≪ブリ・はたはた≫
八重山・白保の「たこ採り名人」の話題(上掲・おきなわ短信940)。こちらは東京・渋谷の魚屋店頭。カツオ(鰹)が少なくなって、いまブリ(鰤)が主流、昨日は「はたはた」が顔を出しました。初冬の寒さにブリも美味そう、まずブリ「カマ」に手が出て、横の生きのいい「はたはた」へ。肌のよさ、目の輝きに思わず一皿(6尾)を。私には今年の初物です。いずれも安い、いい買い物です。加えて銀のサワラ(鰆)切り身をひとつ。さて、どう食べようか。
ブリカマとサワラはさっと塩をふって焼きました。はたはたは鍋だと簡単だ、しかし煮付けにしました。お酒に少し醤油とみりんを垂らし、ひと煮炊きしたところに、どさりと6尾を泳がせ(富美さんに聞きながら)火を弱めに、ゆっくり味つける。鷹の爪もちょいと加えて、なかなかの出来上がりでした。ただし衝動的な男料理、添えものがなく、煮汁に「里芋くん」を十個ほど入れただけ。白ワインが案外と合いました。こんなことを書くと、昔は必ず伊藤長和さんが反応してくれたもの。今年も大事な人を亡くしました。
今日(28日)から忙しくなります。夜の高井戸で11月定例研究会。そのあといつもの「イーストビレッジ」か。となると仙台(第6回日韓学術交流研究大会)は翌朝に。しかし早起きは苦手の身、きっと午前のプログラムはパスして午後からの参加。お許しください。1泊だけで帰京しなければなりません。
12月師走に入ると、4日午後は編集中の『躍動する韓国の社会教育・生涯学習』に収録予定の対談企画。ヤンビョンチャンさん(公州大学)と長沢成次さん(千葉大学)、ぶんじんは進行役の予定。会場が決まり次第、ご案内します。
そして6日〜7日は日本公民館学会第13回研究大会(木更津市中央公民館)です。ここも1泊だけ。この学会季節となると、亡くなった奥田泰弘さん(初代事務局長、2006年12月没)を毎年思い出すことになります。
3407号【2014年11月25日】
■≪28日夜は11月定例研究会≫
早いものです。あと1週間たらずで12月に入ります。気候もだんだんと冬の冷気を感じるようになりました。皆さん、お変わりありませんか。
私事ながら、本欄に書いた「小林姉妹展」最終日(日曜日)に、甥や姪の子どもたちも大阪など各地から集まってきて、20人ほどの「いとこ会」。ゼロ歳より高校生まで(それに80代まで加わって)の賑やかな一夜でした。
今週28日は、TOAFAEC 第211 回・11月定例の研究会。東京社会教育史研究フォーラム(第19回研究会)と合同開催です。会場は(東京研究フォーラムのいつもの会場・国立ではなく)、TOAFAEC 例会の会場・高井戸となります。ご予定ください。報告は、江頭晃子さん(NPOアンティ多摩)。東京「社会教育史」とかかわって、市民運動、NPO 活動の歩みについて「通史」執筆中の構想や課題をお話しいただく予定。皆さん、ご予定ください。多数のご参加をお待ちしています。詳しい案内(風3398号に既報)は次のサイトをご覧ください。
→■http://www004.upp.so-net.ne.jp/fumi-k/kenkyukai2013.htm
TOAEAFC ホームページ、先日、ある方から「年令の割にはよく出来ている」と評価?されました。所詮は手づくり勝手気ままな編集、あれこれ詰め込んで容量いっぱい、探しに入っても分かりにくいページだ、と大方は悪評が多いのです。制作本人としては、ページ開設2000年以降の関係データであれば、10秒から15秒あれば、すべて取り出すことができると豪語しているほど。昨日、日本公民館学会から送られてきた「学会10周年記念事業記録集」、初代会長としての記念講演(2013年七月集会)記録も早速入力。楽しい夜なべ作業でした。
→■ http://www004.upp.so-net.ne.jp/fumi-k/kenkyusi2012.htm
3406号【2014年11月23日】
■≪「旧師故情・昭和青春私史」≫
長野県北部に強い地震(22日夜)、松本や上田なども大揺れだったのではないでしょうか。東京もゆらり・・・と揺れました。各地の皆さんにお見舞い申しあげます。被害のないことを祈っています。
前号後半に、ぶんじんの私的なことを書きました。最後の行に「長兄の誕生日」とうっかり書いたところ、いくつもお祝いメールを頂戴し(上掲)、恐縮しています。この夜の席は、私たち2人を囲んで6人の老女(失礼!)の集まりとなりました。姉妹たちだけでなく、普段なかなか会わない亡弟の連れ合いや従姉妹など、合計して600歳を超えるメンバー。とりとめのない話ばかり、日本の高齢社会を映しだして、壮観でした。
ところで皆さん、「大音寺一雄」という話題の作家をご存知ですか。出たばかりの新作『一塵四記 下天の内・第二部』(藤原書店)を一気に読みました。帯封に「激動の昭和を生きた自伝的小説!」「…老いて人生を振り返ったとき、身に沁みたのは師から受けた恩と、友との交わりのかけがえのなさだった」とあります。冒頭「一、旧師故情・昭和青春私史」に登場する人物の大半は、ぶんじんにとっても旧知の人々。昨年2月に出版された『下天の内』(藤原書店、−人の世と人間存在の曼陀羅図)の続編となっています。
この作家は、本名・北田耕也さん(明治大学名誉教授)、1928年生まれ。社会教育専攻の先達、国土社の雑誌『教育』創刊や『月刊社会教育』の初期の編集にも携わってきた方です。ぶんじんより3歳年長、しかし旧制高等学校の世代を生きて「わずか数年の差で、教養の点で大きなひらき」(本書82頁)を実感します。個性的で深みのある、ほれぼれする文章にいつも敬服してきました。
3405号【2014年11月21日】
■≪ユネスコ・ダッカ、銀座の姉妹展≫
ユネスコ・ダッカ事務所の大安喜一さんから、「一昨日、バングラデシュのノンフォーマル教育法が議会で成立しました」とのホットニュース(上掲)。これに付されたコメントも興味深いものがあり、ありがとうございました。私たちの『東アジア社会教育研究」19号には、アジアの「コミュニテイ学習センター」(CLC)に関わる動きを、大きく俯瞰する大安論文が掲載されています。今年は岡山で開かれた公民館-CLC会議の成果もあり、新たな刺激を得て、日本の公民館研究もこれまでにないステップをきざんでいくのではないかと期待されます。時期よく今年の日本公民館学会プログラムが届きましたので、あわせて添付させていただきました。
さて、個人的なことになりますが、息抜きに挿話お許しください。この数日、東京銀座「ギャラリーエルビス」(東京福音センター・銀座教会、中央区銀座4-2-1)で「小林姉妹展」が開かれています。私の妹たち(4人)が、刺し子、パッチワーク、人形、スウェーデン織など、手づくり作品を並べてささやかな展示会。2年おきに開いてきて、今年で第8回となります。地下鉄「銀座」駅からすぐ、23日(日)まで。わざわざお運ぶいただくほどのものではありませんが、ついででもあれば、のぞいてやって下さい。
4人とも70代、年令合計は300歳をこえる世代。まずまず元気に、素人ながら銀座で1週間の“姉妹展”とは大胆不敵!と、長兄としては脱帽しているところです。ちなみに私を含めて姉妹みな15年戦争下で生まれ、すぐ下の次兄が13年前に病没したほかは息災に過ごしてきました。手仕事・針仕事が好きなのは、きっと亡母の影響だろうと思われます。たまたま21日は長兄の誕生日。というわけで、今晩は揃ってお祝いの会をしてくれるそうです。
3404号【2014年11月19日】
■≪風ネット・パソコンの寿命≫
その昔、南の風は100号おきにメンバーの一覧を載せていました。どんな人が風メンバーなのか、闇夜に鉄砲?では吹く風も吹きにくいと。お名前や所属、Eメール・アドレスなど一覧にして掲載。しかし、だんだんと人数が多くなり、何より個人情報のひろがりも気になって、6〜7年?前に「一覧」配布は控えることに。そのかわり「風・継続しますか?」への返信メールなど、小さなメッセージでも載せて、お互いに「顔が見える」ネットをめざしてきた歳月。
いつ風が吹き止むか、本人にも分かりませんし、風ネットはあまり拡げないようにしています。しかし、ご関心ある方の参加は、もちろん歓迎。ゆるやかにメンバーは増加していきますが、無音の方と交代(100号おき)していただくことで、常時、ほぼ150〜160人の規模で動いています。加えて、いくつかのローカルネット・転送グループあり、おそらく200人ぐらいの方に届いている勘定です。直接配信の風メンバーは、今回のアドレス帳更新により、小計158人(大学・研究関係:48.留学生−元留学生を含む−海外向け:36,自治体・市民ほかの皆さん:74)。
5年あまり愛用してきたパソコンが、いよいよ寿命が近づいたのか、使いづらくなりました。和光在職中から、旅行にも携帯便利な、気に入ったサイズのソニー・バイオを何台か使ってきましたが、ソニーがパソコン市場から撤退し、次の機種にどう換えるか、など迷っています。パソコンをなだめ励まし、我が身の寿命にも思いやって・・・どうしたものかと思案投げ首。
同年生れ、同県出身の名優・高倉健が亡くなったニュース。粛然として合掌。
3403号【2014年11月17日】
■≪県知事選・沖縄のアイデンティティ≫
11月16日・沖縄県知事選の投開票。午後8時の時点でマスコミ速報は、翁長雄志氏(前・那覇市長)「当確」のニュース。名護・島袋正敏さんからは同じ時点で「オナガ当選」の喜びの電話を頂きました。翁長バンザイ会場では名護市長・稲嶺進さんがニコニコ顔でカチャシーをおどる姿も(BS-TBS)。
選管最終得票数(23時25分)。当選・翁長雄志360,820票、仲井真弘多(現)261,076票、約10万票の大差。下地幹郎69,447票、喜納昌吉はわずか7,821票。
沖縄タイムスの速報記事。「…米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設が最大の争点となった知事選で、辺野古新基地は絶対に造らせないと主張した翁長氏が当選し、普天間飛行場辺野古移設への反対の県民意思が示された。」
今回の保革党派をこえた知事選では、「新基地を絶対につくらせない!」争点とともに、「オール沖縄」「(イデオロギーより)沖縄のアイデンティティ」「自己決定権」といった、これまでにないキーワードが深い思いをもって主張されたことが印象的でした。
16日深夜、いくつものメールが飛びこんできました。「南の風の配信、ありがとうございます。・・・継続をお願いしたいです。沖縄県知事選挙、歴史的な翁長氏の勝利の夜に。上田市真田中央公民館 中村文昭」
「やったーっ! 優勢、とは報道されていても、足を引っ張られるのではと、一抹の不安を抱いておりましたが、やはり沖縄の方々は惑わされることはなかったのですね。… しかし、知事としての辺野古新基地阻止の本番はこれから。こんなに何度も何度も、沖縄の方々が強い意思を示しているのに、何故、政府は聞こうとしないのか。山口真理子(TOAFAEC)」
3402号【2014年11月15日】
■≪韓民との語らい≫
13日夜(渋谷ロゴスキー)久しぶりに北京・韓民さんと、ゆっくりと歓談しました。学生時代ともに沖縄を旅した白井健二さん(法務省大臣官房・広報室長)も姿を現して、当時の写真をたくさん持参。あのとき名護市博物館は準備室時代、島袋正敏さん(同室長)が山海珍味を用意し、心こめた歓迎の席。故伊藤寿郎(博物館研究者)もいて、一行10名あまりの賑やかなフイールドワークでした。あれからちょうど30年。
当日、愛用のカメラを忘れ、写真を撮ることができませんでした。新保敦子さんから送っていただいた当夜4人組(韓民のほか、山口真理子、黄丹青、ぶんじん)の1枚を本ページに頂きました。新保さんのメール。
「本日(13日)…・・久し振りに韓民に会うことができまして本当にありがたく存じております。北京に行くことはあるのですが、いつも時間に追われていて、なかなか連絡出来ずにいました。文人先生のおかげです。日中韓の生涯学習の著作の件も実現させたいですね。写真添付で送らせていただきます。…」
韓民とは積もる話がありました。日本の社会教育・生涯学習を中国・韓国へ、つまりアジアに向けて、体系的に紹介するいい本をつくろうと。10年ほど前に「北京会談」。個別の研究・報告は散見されるが、総合的・本格的な本づくりの必要があると…。韓国へ向けてハングル版の出版は2010年に実現(ソウル・学志社刊)。その日本語版(原文リライト)を昨年出版−『日本の社会教育・生涯学習−新しい時代に向けて』(小林・伊藤・李共編、大学教育出版、2013年)の1冊。この夜、ようやく韓民に渡すことができました。この種の本が出来たら、中国語に翻訳して出版する企画を話し合ったことがあったのです。
関連ページ→■http://www010.upp.so-net.ne.jp/mayu-k/kankokusyuppan2010.htm
▼左2人目に韓民さん、撮影・新保敦子さん(渋谷・ロゴスキー、141113)
3401号【2014年11月13日】
■≪竹富・種子取祭はじまる≫
新保敦子さん(早稲田大学)から頂いた上記メールの中に、「北京・韓民の来日」を報じた南の風3400号(前号)が届いていない・・・との連絡がありました。もしかすると一部の方(大学関係者)への配信がうまくいかなかった?おそれあり、当方のミスかと、あわてて12日夕刻に(1日遅れ)再送いたしました。もし重複であればご容赦を。ちょうどアドレス帳更新の大事な号です。そして、本号から新アドレス帳による初めての配信となります。
南の竹富島では、国の重要無形民俗文化財の指定をうけている種子取祭が始まったとの報道(八重山毎日新聞記事・上掲)。1週間をこえる日程のうち今日13日は、祈願・幕舎張り。圧巻の奉納芸能は今年は15・16の両日。シマの祭りの日程は「NPOたきどぅん」を。
→■http://takidhun.org/wordpress/?p=1609
四半世紀前(東京学芸大学の)研究室で、当時は竹富小中学校の教頭をされていた渡慶次賢康さんのご案内により、二日間の奉納芸能を堪能したことがありました。夜の行事「世乞い(ユークイ)」(主だった家々を深夜まで回る)を含めて、ムラ総出の、各地の郷友会の皆さんも加わっての、ムラ共同体の迫力に出会った実感。そのあと西表島の集落をいくつかまわり、石垣本島に戻って、北端の平久保へ。そこで米盛三千弘さん一家との交流が始まり、ぶんじん歌碑の建立(2003年)につながることになりました。
今(13日夕)から、北京・韓民さんの歓迎夕食会(渋谷)に出かけます。急なお誘いに応えて、上掲・新保敦子さんなど6〜7人が集まります。久しぶりの再会が嬉しい。
*南の風3351〜3400号→■
TOP