◆韓国関連・講演記録(1999〜2009〜2014)
               *韓国研究ページ(一覧)→■


<目次>
1,1999年・第10回韓国文解教育協会年次大会
  「東アジアにおける識字教育運動の研究・交流・協力」(1999年4月29日、水原市)
  
*TOAFAEC『東アジア社会教育研究』第4号(1999年)収録→■

2,2005年・第4回韓国平生学習フェスティバル(光明市)国際学術シンポジウム・講演
  「市民たちはどのように学んできたか−日本の社会教育・公民館の歩みを通して−」
  *2005年9月23日(金)−於光明市平生学習院

3−1,2009年・第8回全国平生学習フェスティバル(九里市)平生教育国際学術会議・基調講演
    「平生学習都市・共同体の新しい動向とパラダイム―地域主義的立場からの問題提起−」
    *2009年 10月 8日 、会場:京畿道九里市・ウォーカーヒルホテル
動画:http://www.kocw.net/home/search/kemView.do?kemId=149331&lid=149332→■

3−2,同・第8回全国平生学習フェスティバル:韓国平生学習都市最高指導者研修特講(九里市)
     「日本の平生学習都市の過去、現在、未来」(講演レジメ) *2009年 10月 9日、同会場

4,2009年・第49回社会教育研究全国集会(下伊那・阿智村、2009年8月23日夜)
  「黄宗建氏との出会い、日韓研究交流史とこれから」(日韓研究セミナー)
未刊
  *関連報告・「韓国社会教育への旅−韓国・社会教育法10年(1980〜1992)」→■

5,2013年・第53回社会教育研究全国集会(課題別部会・日韓交流20周年記念・日韓セミナー)
  社会教育と平生学習との交流、その課題−日韓交流の水路が拓かれてきた20年を振り返りる
  (2013年8月3日、千葉大学)


6,2014年・和歌山大学地域連携・生涯学習センター:日韓研究・実践交流会

  「日韓の社会教育の歩みと課題−職員問題に着目して」(2014/08/29 講演記録)






第8回韓国平生学習フェスティバル(九里市)平生教育国際会議・基調講演(2009年10月8日)




1, 1999年(第10回)韓国文解教育協会年次大会
   「東アジアにおける識字教育運動の研究・交流・協力」 
(1999年4月29日、水原市)
   *TOAFAEC『東アジア社会教育研究』第4号(1999年)に収録→■





2,2005年(第4回)韓国平生学習フェスティバル(光明市)国際学術シンポジウム・講演
  「市民たちはどのように学んできたか−日本の社会教育・公民館の歩みを通して−」
(原稿)
  *2005年9月23日(金)(於光明市平生学習院)


 1,はじめに−市民社会のなかで
 いま市民たちはどのように学んでいるのだろうか。歴史的には、国家的支配や政治的統制のなかで自由に学ぶことを制限されてきた時期があった。その拘束から解放されて、教育・学習・文化のさまざまな機会を享受することが出来る時代となっても、真に市民自らが自由に主体的に学ぶことになっていない状況がみられる。市民は教育・学習サービスを
与えられる客体であり、あるいは商品としてそれらを購入する消費者でしかない。
 日本では、地域で、市民社会のなかで、市民(住民ともいう)たちが学び活動をしていく領域を社会教育と呼んできた。古い統制的な社会教育の時代を経て、ようやく戦後改革の社会教育の制度が機能してきて60年。しかしなお多くの課題をかかえている。市民社会の社会的装置としての社会教育が、いま市民を主体とする新しい学びの場へ脱皮しているのかどうか。この20年、生涯教育・生涯学習という潮流が動いてきたが、市民にとっていかなる状況を生み出しているか。おそらくいま、大きな転換点にあるように思われる。
 日本の社会教育とくに日本特有の公民館の歩みと現段階の分析を通して、いま市民はどのように学んでいるか、こんごの課題は何か、について報告したい。

 2,戦後日本の社会教育の特徴
 まず最初に1945年以降の日本社会教育の歩みについて、主題に引きつけて、いくつかの特徴をあげておこう。
 第一に、戦後日本の社会教育は、戦前日本の国家主義・軍国主義的な国民統制の社会教育への痛切な反省から出発した。戦後教育改革の一環として、民主主義、平和主義、地域復興の理念に基づく社会教育の新しい方向が求められた。(戦後理念)
 第二に、新しい憲法に続いて教育基本法(1947年、第7条・社会教育)が制定され、さらに2年間の立法準備過程を経て、社会教育法(1949年)が成立した。続いて図書館法(1950年)、博物館法(1951年)が制定された。その後の展開にとって、これら社会教育関連の近代的法制化の意義は大きい。(社会教育法制)
 第三に、社会教育法では、「すべての国民が、あらゆる機会、あらゆる場所を利用して、自ら実際生活に即する文化的教養を高める」(第3条)活動、つまり国民主体の学習(国民の自己教育)、機会均等、生活主義に根ざす社会教育活動の基本がうたわれた。行政の基本的なあり方としては、これを奨励・援助する「環境醸成」(条件整備)の任務を規定し、旧来の上意下達の命令・干渉・統制を戒めた。(国民主体性と非権力的助長行政)
 第四に、地方分権・住民自治の原則が打ち出された。国・都道府県の役割はもちろん重要であるが、社会教育活動の本質は地域的なものであり、基礎自治体としての市町村を第一とする社会教育行政及び施設設置が推進されることとなった。(地域主義、市町村主義)
 第五に、市町村が設置する基幹施設として公民館についての法制が規定され、さらに自治体教育委員会におかれる専門職としての社会教育主事制度が出発した。大学等における専門職養成についてもも定められた。(施設主義、専門職制度)

 これらは戦後日本社会教育の新しい理念・原則として歴史的意義をもつものであったが、その後の具体的な展開は、どうであったのだろう。法制の諸規定が必要な基準や義務的規定を充分に整備していなかったこともあって、理念は豊かであっても、現実の展開は概して貧しい状況であった。市町村の行財政的条件の差異によって、市町村間の格差は大きく、歳月の経過とともに、その格差は解消されるというよりも、むしろ拡大し定着してきた傾向がみられる。
 とりわけ重要な特徴は、理念として国民主体、自己教育、住民自治の新しい考え方が提唱されながら、とくに戦後改革の初期においては、国家集権、行政主導、上からの指導の流れで推移していく側面があったことである。市民たちはそれを受けるかたちで社会教育への参加が始まった。当時としては、地方自治体の条件も整備されず、活動主体としての市民の側の、いわば下からの社会的意識や運動的力量も未だ貧弱であったのである。市民の自主性や自治性が、行政セクターによって上から唱導されるという矛盾、また市民が求める公的施設や職員体制の諸条件の整備が、実態として行政セクターの強化につながり、市民の自主的な学習・文化活動の伸びやかな展開を阻害する一面もあった。そういう矛盾のなかで、戦後社会教育は歩んできたのである。
 その後の地域的な展開は多様なものであった。1960〜70年代の経済高度成長期における農村・都市の変貌過程は、社会教育活動の地域基盤をも大きく変容させた。同時にこの時期あたりから、青年・女性の共同学習やサークル活動や、社会問題に取り組む市民の学習や運動がみられ、また公的社会教育に向けての自治・参加の取り組みが、一つの潮流として、胎動していくことになる。

 3,公民館制度の蓄積と停滞
 日本社会教育の中心的施設に公民館制度がある。市民のさばざまな学習・文化活動も主要には公民館を拠点に展開してきた地域が多い。ここでは公民館の歩みをふりかえり、市民の学びと公民館の関わりに焦点をあてて、いくつかの具体的な事例を含めつつ、検討を深めることにしたい。 
 前述した日本社会教育法の中心部分は公民館に関する条文となっているが、この法規定を基礎として、各市町村は公的社会教育施設として公民館を設置してきた。図書館・博物館等の諸専門施設と対比して、公民館は市町村のみが設置する地域施設であり(国立・都道府県立はない)、機能的には多面的な総合的施設の性格をもっている。公民館の実態はその地域の社会教育ないし生涯学習の状況を象徴しているような側面がある。自治体がどのように公民館を設置しているかによって、その自治体の社会教育施策の方向と水準を知ることができるともいえよう。
 戦後教育改革のなかで公民館構想が登場してすでに半世紀をこえた。紆余曲折の道程をたどり、多くの課題に呻吟してきた歩みであったが、日本各地における公民館の施設と活動は、総体的には全国的に広く定着し、地域それぞれの蓄積を創り出してきた。  文部科学省の最新統計(「平成14年度・社会教育調査報告書」2004年)によれば、全自治体(区市町村3,241)のうち91%が公民館を設置し、その総数は全国で18,819館(類似施設を含む)にのぼる。この規模は、義務教育機関である小学校に次ぐ教育施設であり、全国の中学校の総数をはるかに凌駕している。ちなみに小学校10校あたりの公民館数は平均 7.6館に達する。他方で、公民館をまったく設置していない自治体9%(291自治体,
大都市部に多い)は公民館空白地帯となっているが、社会教育会館等のいわゆる公民館類似施設の設置がみられ、それらを含めて考えれば、地域間格差を含みつつ、農村・都市ともに相当水準の社会資本として整備されてきたということができる。
 問題は、義務教育機関に匹敵するこれらの公的施設が、市民にとってどのような施設として存在しているか、市民に広く開かれ、自由な学習・文化活動の実質的拠点として機能しているかどうか、であろう。
 
 全国的規模で定着をみせてきた公民館は、その量的普及の点では、注目に価いする規模となったが、質的な面では、いくつもの課題を内包している。施設面においても、多くの地域的格差を含み、なかには狭小な地域集会施設と変わらない事例も含まれている。
 まず主要な問題点をあげてみよう。その第一は、公民館の施設機能の“あいまい性”である。いったい公民館は、いかなる社会教育施設であるのか、一般集会施設やコミュニテイ施設に対比してどのような独自性、専門性を有するのか、という問いである。制度的に公民館は「社会教育機関」(地方教育行政の組織及び運営に関する法律、第30条)であるが、地域的・総合的な施設という性格からくる機能の雑多な拡がりが、独自の施設イメージを不明確にしてきた。
 この問題に関連して、第二に、公民館に配置される職員の体制とその専門性のあり方が
問題となってきた。文部科学省統計(前出)によれば、公民館に配置されている職員数は全体で57,907人、うち専任職員は14,075人(24.3%)にとどまっている。1施設の専任職員数は平均1人に達しない。さらにそのなかで、専門的な職務にあたる(と考えられる)
公民館主事数は18,591人、うち専任は6,546人(35.2%)という実態である。公民館の専門職体制はきわめて不充分な水準にとどまってきた。
 第三には、経済低成長時代に入って、1980年代以降は公民館をめぐる行財政的な環境は大きく変化し、条件整備水準が後退していることである。公民館建設についての国庫補助が廃止され、自治体の行財政「改革」「減量経営」によって、公民館の予算削減、職員体制縮小、経営合理化等がはかられてきた。最近では民間的経営手法の導入や「指定管理者」制度による公民館の民間委託の方向が出され、公設公営を原則とする公民館の制度的骨格を大きく揺さぶられる事態となっている。さらにいま大規模に進行している市町村合併(現有自治体数を半数以下にする)がもたらす影響も大きい。行政セクターによって設置されてきた公民館にとって、このような行政機構の変更や財政的条件の後退は、そのまま公民館活動の水準低下につながってくる。

 4,市民の活動拠点として公民館への脱皮−あと一つの潮流
 1946年以降の日本公民館史をたどってみると、初期の胎動期、それに続く前半の躍動期、後半に見られる停滞期、最近の転換期、といった経過が一般的な流れであろう。もちろん地域・自治体によって一概には言えないが、全般的に施設数の量的拡大に対応して、その活動や機能の質的発展がみられるという楽観的評価は慎まなければなるまい。最近の新保守主義的政治動向やいわゆる「構造改革」路線のなかで、公民館はいま逆風の中にあり、職員体制や予算等の停滞の中で、市民から“公民館は元気がない”とみられている。
 しかし、公民館をめぐる状況は、それだけではない。概括的にではなく地域的に細かく、また行財政的観点からではなく市民の目で点検してみると、別の潮流が動いてきたことを発見できるのではないか。上からの「改革」「合理化」「委託」等の動きに対して、下からの市民の側からの新しい取り組みが見えてくる。
 一つには、市民による自主的な学習や文化活動、地域の課題に取り組む市民運動等が、地域的にさまざま動いてきた。健康・福祉、まちづくり、環境保全、人権擁護等、さらに社会教育に関わる市民団体に法人格を付与する「特定非営利活動促進法」(NPO法、1998年)施行も大きな契機となっている。二つには、それらを背景として、公民館を利用する市民層が拡大し、公民館の利用や事業参加をめぐる市民ネットワークも広がりをみせてきたことである。戦後半世紀を超える蓄積のなかで公民館に対する市民の期待は定着してきている(もちろん地域的な違いはある)。三つには、そのような地域において、自らの活動拠点として公民館を積極的に活用していく動き、参加、要求、運動等の多様な市民の取り組みがみられる。市民たちは自らの活動のなかで学びの重要性を自覚し、その固有の場として公民館を認識してきている。
 次のように言うこともできよう。つまり、公的社会教育機関としての公民館を、市民自らの学習・文化活動の実質的拠点として脱皮させていく動き、公民館事業サービスの受け手としての市民から、学習・活動・実践の主体・担い手として自らを位置づけていこうとする取り組みである。たとえば、市民の主体的な学習の拠点として公民館が機能していくために、公民館の公的制度や条件整備を弱体化させてはならないとする運動があり、事業への市民参加、学級講座の自主編成、運営審議会への応募、市民による施設づくり運動など、多くの事例がみられた。行政制度的な面での公民館の停滞状況が進行する一方で、市民の立場から、新たな公民館の可能性を“再発見”する努力があった。その道程は地域的にさまざまであるが、1970年代から80年代へ、さらに1990年代から2000年代へ、と間断を含みながら、流れは継承されてきたとみることができる。

 ここでは、それらの典型的な事例をいくつか紹介してみたい。いずれも、上からの国家的な施策としてでなく、地域からの動きであり、市民の下からの実践・運動に支えられ、またそれを支援し伴奏する公民館職員(集団)との協働の関係があったことに注目しておきたい。地域的であるということは、それぞれに多様な展開であるということでもある。
 まず、公民館が市民の学習・活動の拠点であることを明確にしていこうとする「公民館像」「公民館イメージ」づくりの運動があった。東京都(三多摩)公民館連絡協議会は、首都東京に(行政、都民ともに)公民館の施設イメージが定着していない現実に挑戦して、「新しい公民館像をめざして」(1973年)を構想した。公民館の四つの役割と七つの原則が提起されている。四つの役割とは、公民館は「住民の自由なたまり場」「住民の集団活動の拠点」「住民にとっての自らの大学」「文化創造の広場」であり、七つの原則とは「自由と均等」「無料」「学習文化機関としての独自性」「職員必置」「地域配置」「豊かな施設整備」「住民参加」の諸原則であった。この構想は公民館に関する「三多摩テーゼ」と呼ばれ、全国的に注目を集めた。公民館未設置の地域において「公民館づくり市民運動」を呼び起こし、運動のテキストとして活用された。たとえば、神奈川県茅ヶ崎市では市民による「公民館をつくる会」が、東京「新しい公民館像をめざして」を基礎に7項目にわたる「市民の公民館」像を打ち出し(1980年)、市内全域に公民館・図書館の施設網を完成させる導因となった。
 岡山市は、当初は職員が配置されない貧弱な公民館の体制であったが、市民の中から委嘱された嘱託職員と教育委員会当局、自治体職員労働組合が協力するかたちで、全市に中学校区1館配置の活発な公民館と「意欲と専門的能力のある職員」配置を実現する道を拓いてきている。その基礎となった岡山市公民館検討委員会答申「二十一世紀の岡山の公民館」(2000年)は次の6項目であった。
 (1)地域住民のふれあいの場(気軽なサロン)−人々のふれ合いと結びつきの場となる
 (2)地域の文化創造の拠点−ゆたかなくらしを築く学びと文化活動を展開する
 (3)自分自身と地域の未来を切り拓く力(課題解決の力)を身につける場となる
 (4)時代を拓く共生のまちづくりの拠点となる
 (5)地域づくりの多様なネットワークのかなめとなる
 (6)新たな行政課題に対応する拠点として位置づける
 答申本文には、このような公民館像を実現していく具体的な提言や必要な条件整備の課題(七つの提言)が含まれている。その後の岡山市の展開は「市民の要望に応えられる職員体制」の整備など、注目すべき答申の現実化の動きがあり、市民の学習拠点として脱皮していく公民館の、一つの到達点を示しているとみることができよう。

 5,学びの深化と市民ネットワークの形成
 旧来の固定した成人教育機関や社会教育施設の場合、それぞれに運営上の工夫があるとしても、事業(たとえば学級講座)の企画・編成・実施の主体は機関・施設側にあり、市民はそれを受ける対象であり客体の位置でしかなかった。行政主導の公民館の多くはそうであった。しかし以上の例にみられるように、市民主体の公民館に脱皮する努力が重ねられていく場合、公民館の事業編成や方法が、多様・多彩に変化し、柔軟に発展していくことになる。例をあげてみると、伝統的な講座方式にとどまらず、たとえば実習、ワークショップ、フイールドワーク、集い、たまり場づくり、障害者の喫茶コーナー、保育室活動、自分史サークル、あるいはビデオ・パソコンの活用、文庫活動、地域通貨支援など、伝統的な学習形式では考えられなかった実践が拡がってきている。生活を営み、地域を担い、さまざまの問題をかかえている市民の要求や期待を反映して、公民館の事業・運営の質も、必然的に変わっていくのである。市民の学習の質は、単なる知識習得型ではなく、問題解決型の力量形成につながるものに転化していく。
 とくに大きな変化は、公民館と市民(グループ・団体)との関係に現れる。公民館と市民団体相互の間に、共同企画、共催、委託、支援などの事業形態が工夫され、また施設面でも、市民主体の空間(ロビー、たまり場、団体交流室など)の比重が大きくなる。市民参加(あるいは公募)による運営審議会、各種委員会、実行委員会、広報編集委員会等も多重に組織されてくる。
 ここであと一つの自治体を紹介したい。貝塚市は、大阪市の近郊都市であるが、公民館の歴史と市民の学習活動の拡がり、そこからの市民ネットワークの形成という点で典型的な歩みをたどった事例である。公民館はもともとわずか1館の配置(1953年発足)であったが、公民館活動の蓄積のなかで1980年代には職員の専門職制度を実現し、1990年代には2館から3館への公民館体制へ、という経過であった。それでも施設の量的体制はむしろ小規模の自治体である。
 しかし1970年代の意欲的な学級講座の開設を契機として、80年代以降になると公民館で学ぶ市民は着実に拡がりをみせる。子育て、教育、老後などの市民の切実な生活課題に応えようとする公民館活動の質的深化によって、そこに参加し、活動に習熟していった市民たちは、地域のなかで課題に取り組む自主的な学習グループを次々と誕生させた。1990年前後には、それらグループ相互の連絡組織が結成されることになる。たとえば、1988年の「子育てネットワーク」、1991年には「豊かな老後をめざす会」、1992年の「学習グループ連絡会」等の登場である。
 たとえば、「子育てネットワーク」には、子どもに関係するグループが公民館の呼びかけで集まった。地域ぐるみの子育てをめざし、ひとりぼっちのお母さんがいない地域へ、子どもたちが生き生きと輝く地域へ、お父さんも子育ての担い手になるような地域へ、そのために、幅広い年齢層の人たちとの仲間づくりとグループ間の交流・学習を深めていこう、という目的が掲げられている。現在「子育てネットワーク」として、乳幼児部会、幼稚園部会、小学生部会、中高生部会の4部会があり、それぞれ年間の集い、交流会、講座等の諸活動を開いている。貝塚市中央公民館はこれらをほとんど共催し、物的・人的・財政的支援にあたっている。
 ここには公民館を拠点とする市民たちの自己形成の歩みと、地域的拡がり(ネットワーク)、その蓄積が鮮やかである。同時に市民の切実な生活課題に向き合って、これと格闘しつつ、公民館活動の質を深めを拡げてきた職員集団の継続的な努力がみられる。職員たちは、上から教え指導するのでなく、市民の学習や活動に寄り添い、「伴奏者」としてともに歩んできたと言えるだろう。市民と職員の相互の協働と継続的な努力が重ねられることによって、地域のなかに多重の市民ネットワークがつくられ、それがさらに新たな地域づくりにつながっていくことになる。
 
 6,集落自治と自治公民館の可能性
 自主的な学習グループの拡がりと市民ネットワークの形成の事例は、これに止まらない。公民館の活動が蓄積されていくと、そこで学び育った市民たちとそのグループは地域に拡がり、地域づくりの活力となる可能性をもっている。
 しかし地域は、このような新しいネットワークだけで成り立つものではない。もともと地域は、そこに暮らす住民の伝統的なネットワークともいうべき集落の住民自治組織で支えられてきた歴史があった。そこには生産・生活の共同組織があり、祭りや年中行事の地域活動が営まれてきた。日本では、1960年代の都市化・工業化にともなう急速な地域変貌によって、これら伝統的な地域共同体的な組織は、変容あるいは解体の方向をたどっていく、というのが一般的な理解であろう。たしかにそういう動向は否定できないが、同時に地域は変貌しつつ、地域に生きる住民の暮らしのなかで、地縁的なつながりによる近隣の自治組織が再生されていく側面をもっている。集落、町内、あるいは自治会等と呼ばれる地域住民組織がそうである。
 日本の公民館の初期の段階では、公立公民館と並んで、このような地域住民組織を基盤とする集落の公民館が独自の歩みをたどってきた。公立公民館の普及とともに、これら集落公民館は退潮の傾向をもつが、1960年代の経済成長と地域変貌過程のなかで、地域再生の視点から、逆に住民自治組織を基盤とする「自治公民館」の積極的な奨励策をとる自治体が少なくなかった。都市部より農村部に多くみられるが、たとえば長野県松本市のような地方中核都市においても、約30(ほぼ中学校区)の公立公民館とともに、380前後の集落単位の自治公民館(松本市では町内公民館)が存在し、福祉、環境、健康、文化等に関わる独自の地域活動を営んでいて注目させられる。
 自治公民館についての国の公式統計はないが、全国公民館連合会の調査によれば、総数76,883自治公民館が計数されている。膨大な数である。その実際の形態はまさに多様であって、なかには形式化し有名無実の実態も否定できないが、しかし、公立公民館にはみられない住民自治的な地域活動を展開している自治公民館の事例も少なくない。
 典型的な歩みとして、日本・南西諸島の沖縄についてみてみよう。周知のように、沖縄は第二次世界大戦末期において激烈な戦場となり、沖縄全島がほぼ壊滅的な打撃をうけ、多数の犠牲者を出し、集落のほとんどが焼き払われた。沖縄の戦後史は、アメリカ占領下において、自分たちの集落と生活を復興するところから始まった。主権を奪われたなかの住民自身による自力建設の「ムラおこし」は集落の自治組織と相互協同(ユイマール)による取り組みであった。琉球政府(当時)は戦後日本の公民館構想を1953年に導入するが、それは集落(ムラ、字)の住民自治組織を基盤とする「自治公民館」という形態であった。財政的条件が貧しいため、公立公民館の設立は日本本土復帰(1972年)まで実現しなかった。
 その後、沖縄型の自治公民館(字公民館と呼ぶ場合が多い)は次第に全島に拡がり、調査によれば、2003年現在、976自治公民館(公立公民館は53館)を数える。沖縄では公民館といえば、主要には公立公民館ではなく、集落を基盤とする自治公民館をさす。その活動は、地域によって一様ではないが、基本的には住民の自治活動であり、たとえば、集落自治、祭祀、子育て、生産・生活の協同(ユイマール)、環境問題、米軍基地問題、集落育英会活動など多岐にわたる。
 簡単に一つだけ事例を紹介しておこう。沖縄北部に源河という戸数301(人口784人)の
小さな集落がある。集落を基盤にする源河公民館は自治公民館である。この公民館では、20年来、自ら環境問題に取り組み活動を重ね、清流を復活し琉球アユを呼び戻すという成果をあげ、注目を集めている。
 集落を流れる清流・源河川には、かって琉球アユが群れていたが、環境悪化と水質汚染のためアユは姿を消した。「昔、この川にはアユがたくさん上ってきた」という古老の話を聞き、高校教師等を通して学習を始めたのはムラの青年会。彼らが火付け役になって「源河川にアユを呼び戻す会」が組織された(1986年)。会長は集落の公民館長、公民館を構成する全世帯が「呼び戻す会」の会員となり、行政当局への働きかけや川沿いの養豚場への移転要請、学習会やアユを再導入するための資金活動など、集落あげての運動が積み重ねられてきた。多くの困難を乗り越えて、アユの孵化、稚魚の放流、海からのアユの遡上に成功し、源河川のみでなく、いま他の河川にもアユの姿が見られるようになった。
 集落の古老たちが回想し、若者たちが学び、女性たちが応援し、子どもたちがアユの放流に目を輝かせ、行政や教師が支援する、という一連の情景のなかに、生涯学習とは何かの基本型を発見できるように思われる。自分たちが住む郷土への愛着、環境問題についての学習、地域あげての協同、世代から世代への語り継ぎ、という営みが自治公民館を舞台に展開してきたのである。

 7,日本の生涯学習をめぐる動向と課題
 最後に、日本の生涯教育・生涯学習の展開について、いくつかの課題を考えて、本報告のまとめとしたい。1960年代後半から1970年代にかけての、ユネスコ等による生涯教育あるいは学習社会論の影響は、日本の旧来の社会教育に新鮮な刺激を与えた。これを受けて、1980年代以降になると、国の中央教育審議会は「生涯教育について」本格的な答申(1981年)を出し、臨時教育審議会は「生涯学習体系への移行」を提唱した(1987年)。 このような経過をみると、生涯学習は新しい概念・施策の登場と考えられるが、決してそうではない。一つには、「生涯を通して学ぶ」「人みな生涯発達の主体」という考え方は、古来からの先人の教えであり、また民衆の暮らしのなかの智恵でもあった。二つは、日本の教育基本法(1947年)や社会教育法(1949年)は生涯にわたる教育・学習の思想を内包していた。三つには、これまでの地域における市民の学習活動は、生涯学習そのものの実践につながる側面があった。
 日本では1980年代に生涯教育ないし最近は「生涯学習」が公的用語として定着してくる。しかし生涯学習施策は、上からの行政主導の流れで地方に下ろされてきた傾向が強い。
この点は、日本「生涯学習」の不幸な出発というべきであろう。同時に、行財政改革(小さな政府論)を背景に民間セクターへの委託論と連動していた。戦後の社会教育の蓄積を発展する方向でなく、たとえば公民館等の地域施設については生涯学習施策のなかに充分に位置付かず、大型「生涯学習センター」「生涯情報ネットワーク」等ががむしろ唱導された。何よりも地域における市民主導の学習活動や市民ネットワークの拡がりと結びついていくという方向性において弱かった。
 1990年には「生涯学習振興整備法」が制定された。この法では、営利的な民間企業を含む広域の生涯学習市場づくりが主に標榜され、逆に公共的な生涯学習の体制や地域の施設づくりについては何らの規定も用意されていない。この法でも、市町村行政の役割や公民館については全く触れていない。その後のバブル経済崩壊とともに、法の目玉である「地域生涯学習振興基本構想}(第5条)を活用する動きはなく、現在はほとんど空文化されてしまっている。
 本来は、このような生涯学習法制において、職業能力開発や地域福祉施策と連結していく仕組みに挑戦すべきであったが、縦割り行政の枠に阻まれて、実現しなかった。その後の韓国「平生教育法」(1999年)や台湾「終身学習法」(2002年)の本格的立法に学びつつ、日本でもあらためて体系的な生涯学習法の立法化をすすめることが課題となる。
 しかし1990年代以降、日本では市町村レベルの自治体生涯学習計画が数多く策定されてきた。国際的な生涯教育や学習権思想を自治体計画理念として位置づけ、従来の社会教育の蓄積を活かし、市民の積極的な参加や討論を経て、内容豊かな計画が登場してきている。たとえば川崎市「生涯学習推進基本計画」(1993年)、松本市「学びの森づくりをめざして」(1994年)など。これらの自治体側計画化の地下水脈が、地上にこんこんと泉になって湧き出し、合流して、市民の学習を支援していく大らかな計画本流となっていくことが期待される。

追記:日本社会における市民の「主体形成」の視点と課題について
 補足的に四つのことを追記しておきたい。
(1)単なる言葉(訳語)上の問題かもしれないが、日本の社会教育関係者の間では、「人的資源開発」「人的能力開発」という概念をあまり使わない。それは1960年代における高度経済成長政策に従属した「人的資源」「マンパワー」開発への反省があるからだ。
 人間の発達や教育は、政治的目的や経済的利用のための“手段”としてあるのではなく、それ自体の“目的”として固有の価値を有している。すべての人間の生存権と発達可能性を重視し、「発達する権利」「学ぶ権利」を実現するために、日本の社会教育は何をなすべきかを追求してきた。このような視点にたって、地域や社会を担う「市民の主体形成」という概念がキーワードとなってきた。
(2)エドガー・カーン博士の「経済の中心核(Core Economy)」の発想や、具体的な「時間銀行制(Time Banking)」「タイムダラー(Time Dollar)」の運動には大いに刺激をうけ、
学ぶところ少なからず、その情熱に敬服している。日本でも、各地で「地域通貨」の取り組みがあり、(円ではない)新しい通貨として、地域社会を担う市民たち相互をつなぐ力となっている事例に教えられている。
(3)これからの市民社会を担う「市民」の「主体形成」の実践は、同時に(単一ではなく)多様な方法と内容によって構築していく必要がある。地域さまざまの市民活動や実践に共通するものは、(1)市民相互のネットワークをどう再生するか、(2)社会的な「学び」をどう創造するか、(3)一人ひとりの主体的な学びとエネルギーを、地域づくり、社会発展にどう結びつけるか、(4)それらを援助し協働する公的セクター(行政・施設・職員等)の役割をどう活性化するか、ということであろう。
(4)本論では、日本の公民館の歩みに焦点をあてて、古い体質の公的セクターのもつ形式性や硬直性から脱皮し、新しい挑戦をしている事例を具体的に紹介したつもりである。
日本各地の公民館のなかには、停滞に沈む事例もあり、多くの課題を内包しているが、みずみずしい市民の主体形成と運動に出会うことによって、大いなる可能性を秘めていることをまた再発見している。
 




3ー1,2009年・第8回全国平生学習フェスティバル・平生教育国際学術会議・基調講演:
    「平生学習都市・共同体の新しい動向とパラダイム
    ―地域主義的立場からの問題提起−」
(原稿)
    
*2009年 10月 8日 、会場:京畿道九里市ウォーカーヒルホテル



第8回全国平生学習フェスティバル:韓国平生学習都市最高指導者研修特講 (2009年 10月 9日)

◎講演ライブ・映像
  →20091009
動画:http://www.kocw.net/home/search/kemView.do?kemId=149331&lid=149332→■


1,はじめに

 このたび韓国・第8回全国平生学習フェスティバルに参加し、平生教育国際会議の基調講演の機会を与えていただいたことは、たいへん光栄なことと感激しています。関係の皆様に御礼申しあげます。
 私がはじめて韓国の社会教育関連の会議に出席したのは1980年2月のことでした。黄宗建先生のお誘いがあり、当時の社会教育法の立法論議の集いに招聘され、日本社会教育法について報告をする機会がありました。その後は、1990年代に断続的に韓国を訪問する機会に恵まれ、1995年5月「教育改革方案」については、当時の教育改革委員長・金宗西先生より直接にお話をうかがったことなど、いま懐かしく思いおこしています。ほぼ15年前のこと、今から考えると、この時期がその後の韓国平生教育改革への出発点だったのです。
そして1997年・教育基本法等の制定、1999年・平生教育法の成立、今世紀に入ってからの平生学習都市造成の施策、平生学習フェスティバルの取り組み、毎年のフェスティバルの盛大な盛り上がり、さらに2007年の平生教育法・全面改正にいたる経過などを大きな関心をもって見つめてきました。昨年に引き続き、今年も7月に始興市や清州市などいくつかの平生学習都市を訪問する機会を得て、新しい平生学習施設や活発な実践団体の活動にふれることができました。韓国平生教育のこの15年来の新しい発展の実像にふれることができて、たいへん印象的でした。

2,韓国の平生教育の胎動
 韓国平生教育のこの間の動向について、関心をもって見つめてきた者として、冒頭に三つのことを申しあげたいと思います。一つは、15年とくにこの10年の韓国の平生教育・平生学習の目をみはる動向は、まさに躍進と言うにふさわしい展開、飛躍的な発展として実感しているということです。おそらくその過程にはいろんな問題や曲折を含んでいることでしょう。いま平生学習都市の指定・造成事業の施策は、昨年より停止されていると聞きました。しかし2007年改正の平生教育法には、平生学習都市の施策が法的基礎をもち、その指定は基礎自治体の三割をこえる水準にまで拡がっていると聞きました。各都市それぞれに(おそらく課題や格差を内包しつつ)平生学習の施設が登場し、条例等が整備され、新しい事業・活動や実践団体が活発に動き始めていることなど、やはり画期的な10年の歴史が刻まれてきたのです。各国の成人教育や(日本の場合)社会教育の歩みには独自の発展過程がありますが、韓国平生教育はいま、後世に記憶される躍動の10年の歳月を歩んでこられたと思います。
 二つめは、社会教育法から平生教育法への移行、さらに平生教育法それ自体の全面改正にみられる法制面での整備が進められてきたこと、その間の平生学習についての政策論・立法論が積極的に構築されてきたことに注目させられます。日本では社会教育法が成立して今年で60年になり、一定の蓄積がありますが、前政権による社会教育法改正の方向に批判が多く、この間、立法論というより現行法の防衛論というかたちで推移してきたのが実態です。中国政府でも、また上海等の大都市でも、生涯学習法の立法論議が活発に取り組まれていて、東アジアでは、生涯学習の制度・法制をどう構築していくかという新しい世紀を迎えていると言えますが、韓国はいまその先頭を切って牽引者の役割を担っていると考えられます。
 法制に関しては、平生学習都市の造成事業とも関連して、基礎自治体の平生教育関連条例が新しく創出されていることに注目させられます。私たちは東アジア社会教育研究会(TOAFAEC)として研究年報(「東アジア社会教育研究」)第14号を刊行しましたが、そこには、ソウル特別市、清州市等の平生教育振興条例、同平生学習館運営条例や、うる山市の文解教育支援条例などが紹介されて興味深いものがありました。日本には識字教育に関する自治体条例など皆無であって、教えられるところが少なくありません。
 三つめは、韓国の平生学習がいま"地域""自治体"を基盤に新たな展開をとげていることに大きな関心をいだいています。10年前に平生教育法が登場したときの率直な感想は、日本社会教育法にないその多面的な構図に敬意をもつと同時に、地域性への志向が少ないことに一つの疑問をもったことを憶えています。多面的な構図とは、たとえば旧平生教育法・第4章「社会教育施設」の拡がり、つまり学校形態、社内大学、遠隔大学、事業場附設、市民社会団体附設、言論機関附設、知識・人材開発事業関連、といった平生教育施設の拡がりなどです。他方で、地域的施設としては、平生教育センターの条項の中に「地域住民を対象」とする「平生学習館」の規定(旧第13条)が用意されているものの、法制的な比重はきわめて小さい、という印象がありました。義務教育の学校と並ぶ規模で、全国的に設置されてきた日本の公民館制度のイメージから大きく異なるものでした。
 しかしその後の韓国の平生学習の動きは、具体的に地域的な展開として動いてきた側面が注目されます。2007年の法全面改正では、平生学習館の設置・運営について1条が設けられ、これを当該地方自治体は「条例で定める」ことを求めています。そして平生学習都市の指定・造成の積極的施策によって、(地域的に状況は異なるでしょうが)その蓄積によって、韓国の平生学習はいま"地域主義"の道を歩み始め、その実像が創り出されつつあるように見受けられます。

3,平生教育・学習のパラダイム
 さて、平生教育・平生学習の枠組や体系をどう考えていくか。振り返ってみると、私たちはこれまで大きく二つの視点、課題をもって考えてきたのではないでしょうか。やや単純化して言えば、一つは近代的な学校教育制度、フオーマルは教育体系との相関や連携、あるいはその補足や拡張としての平生教育・学習の体系化の方向です。たとえば大学の公開講座、あるいは単位の相互互換や学習口座制、卒業認定の工夫などはそれにあたります。必要な知識や技術の習得、その体系的な学習が、生涯を通しての教育の枠組として蓄積していくことが課題とされてきました。そこでは学校教育が創り上げてきた教育、いわば学校型教育がモデルとなり、平生教育のフオーマルな教育体系上の位置づけが課題となってきました。
 これに対して、あと一つは、教育・学習の概念をもっと多様に社会的に拡げて考えていく、既成の教育のあり方をむしろ批判的にとらえる方向です。ともすれば画一化し硬直化していくフオーマルな教育のあり方を見直し、学校型の教育モデルからむしろ脱皮して、現実の社会問題や切実な生活課題と切り結ぶかたちでの学習を重視していく。学校教育の制度的な枠組みではみられない、学習の自由な実践を追求していく潮流が創り出されてきました。国際的な成人教育・生涯学習の動向をたどってみると、そのような新しい学習の思想が一つの流れとして鮮明に読みとれます。
 たとえば1985年のユネスコ「学習権宣言」にみられる思想や、1996年のユネスコ「21世紀教育国際委員会」(ドロール委員会)による「学習・秘められた宝」は、私たちに刺激的な学習論の拡がりを教えてくれました。ドロール委員会報告は、学習の「四つの柱」として、知ることを学ぶ(Learning to know)、為すことを学ぶ(Learning to do)、他者とともに生きることを学ぶ(Learning to live together)、人間として生きることを学ぶ(Learning to be)をあげています。知識や技術を習得する学習だけでなく、社会的に実践し共生していく、そして人間として生きていくことを含めて「学習」の「宝」を掘り出そうというのです。
 このような「学習」論の拡大は、これからの平生学習を進めていく上での、いくつかの重要な視点を含んでいます。項目のみあげれば、(1)旧来の学校型教育モデルからの脱皮、(2)社会的現実的課題への視座、(3)課題に取り組む行動的市民の実践、(4)社会的マィノリティを含む共生の思想、(5)地域・共同体づくりの運動、などです。
上述した韓国の「平生教育における"地域主義"の実像」の動きのなかに、これらの具体的な実践が胎動しつつあるのではないでしょうか。"地域"は、新しい学習が生み出される舞台、あるいは広い海のようです。その意味で、韓国の平生学習は歴史的にいま重要な跳躍台に立っているのではないかと思われます。

4,日本・社会教育における地域主義
 ところで日本の社会教育は、制度的にも実践的にも"地域主義"に立脚してきたということができます。今年60歳を迎えた社会教育法の基本理念は、戦前日本の国家主義・軍国主義を反省して、社会教育における国家の役割を制限的に規定し、地方分権の立場にたって基礎自治体としての市町村の役割を積極的に求めている法制です。その意味で"社会教育における市町村主義"という場合もあります。
 日本社会教育の地域主義的な体制は、その拠点施設として全国各地の各市町村に「公民館」を普及していくというかたちで積み重ねられてきました。しかしその実態は順調に進んだのではなく、さまざまの地域格差、公民館の条件整備(とくに職員体制)の不備、古い教育モデルに拘束された実践、全般的な上からの行政主導の流れ、などに呻吟してきた歴史でもありました。1970年前後から国際的な背景をもって生涯教育思想の導入があり、1980年代には社会教育から「生涯学習体制への移行」施策が進行します。生涯学習の施策もまた行政主導の流れから無縁ではなく、それはまた、社会教育の地域主義からの遊離、広域の生涯教育センターが設置される一方で公民館等の地域施設の振興策は放置されるという側面をもっていました。それに加えて、最近10年の新自由主義の政策は、市場主義原理の導入、公的セクターの削減、規制緩和、民間委託などが唱導され、大規模な自治体合併にともなう地方行政組織の改変も重なって、地域の社会教育そして生涯学習をすすめる諸条件は停滞し、大きく後退した事例も少なくありません。いま日本の地域は"傷んでいる"状態にあります。先日登場した新政権がこれからどのような恢復・再生の政策を打ち出すことができるか、期待が少なくありません。
 このような政策動向から見ると、日本の地域社会教育・生涯学習をすすめる体制は全般的に厳しい状況にあります。しかしこれまでの自治体社会教育の一定の蓄積もあり、また民間の市民団体(NPO)や学習サークル等がさまざまな市民活動・地域運動を展開している側面も見逃すことはできません。一方で公的社会教育の退潮があり、他方で民間市民活動の登場があり、複雑な構図をもって地域の社会教育は動いている、その意味で、いま転換点にあるということができましょう。
 日本の社会教育における地域実践の歩みをふりかえると、地域的に一様ではなく、それぞれの屈折や矛盾を多く含んでいますが、そのさまざまな実践事例や運動の軌跡のなかに、これから進むべき道筋、その課題が見えてくるように思われます。真実は細部に宿るといいます。地域の小さな実践に光をあてることによって、時代の大きな生涯学習の方向をさぐるヒントをつかみとり、ささやかな歴史の歩みをふりかえる作業のなかから、未来への展望を拓く勇気を得たいと考えています。

5,生涯学習実践・運動の課題
 以下、まとめにかえて、生涯教育・学習を発展させていくにあたって、"地域主義"の立場から、これから考えてみたい課題を5点ほどとりあげてみます。日本の地域生涯学習が当面する課題として提起させていただきますが、韓国の専門家の皆様、あわせて中国の指導者にもお聞きいただき、新たな論議や示唆をいただければ幸いです。
(1) 自治体の社会教育・生涯学習計画づくり
 日本では1990年「生涯学習振興整備法」が制定されますが、公的セクターの充実の視点がほとんどなく、民間企業・事業を活用する施策に傾斜し、地域の生涯学習の発展に有効な振興法とはなりませんでした。しかしこの法制化は自治体(市町村)の生涯学習計画づくりを誘引するという別の効果をもっていました。1990年代、各地の自治体によって水準の高い生涯学習計画が策定されました。たとえば、川崎市、松本市、保谷市をはじめとして、多くの自治体で生涯学習計画がつくられました。その後の大規模合併・自治体改編や行財政条件の悪化によって、計画が失速していく事例も少なくありませんが、国家主導ではなく自治体の独自計画として、地域・自治体の生涯学習の跳躍につながるものがあったと言えるでしょう。
 たとえば松本市「学びの森づくり」(1994年)と題する生涯学習計画は次のような特徴をもっています。1)「はじめに住民の学習ありき」、地域内在的な学習活動からの出発、2)住民の暮らしの諸領域と結びつく、とくに福祉活動との接点(福祉ひろば)、3)地域の「宝」として学習とその拠点として公民館を位置づける、4)住民を主人公とし、その積極的参加による自治的な計画づくり、5)行政の支援と条件整備の任務、などをあげることができます。
(2)住民活動の拠点としての地域施設と専門職員の役割
 広域の生涯学習センターよりも、住民が日常的にアクセスできる学習拠点として地域施設が重要な役割をもっていること、その施設が住民に開かれ活発に機能していく上で専門的職員の配置が不可欠であること、さらに施設と職員が有機的に結合し実践を蓄積していくことの重要性は、日本社会教育の実践史が教えていることです。
日本では戦後教育改革期より小学校・中学校の校区規模で公民館が地域配置されてきました。大都市部に空白がありますが、全国の9割以上の自治体において公民館が設置されています。しかしその現況は、全般的に停滞状況にあることは先述した通り。とりわけ公民館の専門的職員(社会教育主事、公民館主事などの)体制が後退し劣化しつつある状況が憂慮されます。すぐれた公民館実践には、その施設的条件よりも、むしろ専門的職員の力量と情熱に負うところが大きく、その蓄積が後退しつつある流れをどう克服し脱皮していくかが課題となっています。その関連で、いま韓国の各地に登場している平生教育士の皆さんの意欲あふれる実践的な取り組みと輝く眼差しに大きな期待を抱いています。
(3)住民の暮らしと集落自治活動への着目
 生涯教育・学習が、「現代人の挑戦」(P.ラングラン)や地球規模の諸問題を視野にいれて進められるのは当然のことですが、同時に地域に暮らす住民の暮らしや生活課題から遊離することがあってはならないと思います。人々が生まれ育ち、若者たちが青春をおくり、大人たちが生計をたて、さらに祭りや芸能を楽しみ、年寄りたちが老後をおくる、そのような「生活」の小宇宙は「集落」(むら、まち、しま)が舞台となってきました。歴史的にはこのような集落の共同体的な機能は衰退する方向にありますが、現代においてもなお住民自治組織として位置づき、地域文化を担う住民組織として機能する側面があります。現実に地域福祉や保健、防災や防犯、生活相扶やゴミ環境問題等の集落機能は重要な意味をもっています。このような住民の暮らしと自治活動に生涯学習の実践はどのように関わっていくのか、問われる必要がありましょう。
 日本では約1万8千の公立公民館と平行して、集落レベルに住民自身によって組織されてきた自治公民館が少なくとも5万以上は存在し、地域でさまざまな活動を営んできました。名称もさまざま(たとえば上述・松本市「町内公民館」。沖縄「字公民館」)、実態も千差万別、社会の高齢化によって「限界集落」の事例も存在します。しかし共通して住民の日常の暮らしの場であり、住民自治の基礎組織として機能し、また機能する可能性をもっているのです。集落の個性的な自治活動と共同体的な活力を再生していく視点をもって、小さな地域・集落に根ざす生涯学習のあり方を追求していくことは大事な課題です。
(4)地域課題と共同学習
 教育・学習が、現実の諸問題とどのように向き合うか、その問題を自覚的に認識し、問題解決の意識と行動につながる学習をどう組み立てていくか、そのような学習論の展開がいま求められています。生涯「学習」とは、個々の問題解決の能力を培い、実践し行動していく活力を発展させていくことでもありましょう。
 現実の諸問題という場合、個別の生活課題にとどまらず、人々が暮らす地域の諸課題とも関連してきます。自分の生活課題を考えていくと、地域に共通する諸問題との結びつきが認識されることになります。たとえば、子どもの子育ては地域の子どもを包むネットワークの問題につながり、年寄りの老後や介護は地域の高齢者福祉の仕組みや活動と連動してくるのです。その意味で学習とは、住民自らの課題をとりあげると同時に、共通の地域課題としてとらえ、その課題を地域の中で共有し、問題解決のために共同で取り組むことにつながってきます。地域のなかでの学習は「共同学習」の方向をもつことになるのです。
 「共同学習」は、日本では1950年代において、地域青年運動のなかで提唱された概念でした。青年たちの活動は、地域の「仲間」との語らい、小集団による活動、上から与えられる流れではない自主的な学習、地域の課題との取り組みから地域づくりの運動へ、という方法論が全国的な規模で「共同学習」運動として拡がりました。いま現代諸課題に向き合う生涯学習の方法論として、「共同学習」の意味が再び注目されています。
(5)学びあう共同体と地域づくり
 今年9月に東京で開かれた日本社会教育学会では、「学びあう共同体」という言葉が一つのキイワードとなりました。日本語では「学びあうコミュニティ」、そのコーディネーターとしての社会教育職員の役割が論議されたのですが、ここでは「共同体」という言葉を使っておきたいと思います。つまり、場としての地域にとどまらず、人々の「学びあう」関係による自治と連帯の「共同体」をどうつくっていくか、それらの横の連鎖によって住民の力に支えられた下からの「地域づくり」の道が開かれてくるのではないでしょうか。
 これまで生涯学習との関連で「まちづくり」のテーマがさかんに取り上げられた経過があります。その実質において、住民の手による学習と住民自治の取り組みに支えられているかどうかが問われる必要があります。なかにはスローガン・イベント主義や精神主義、トップダウンの流れによる生涯学習・まちづくりが喧伝され、地域に根付きませんでした。
 "傷んだ地域"を直視し、克服すべき地域課題を明らかにし、住民相互の「学びあいの共同体」を住民自治的につなぎながら、下からの「地域づくり」実践を各地に拡げていきたいものです。いま私たちはともにその出発点に立っていると思います。



第8回韓国平生学習フェスティバル(九里市)平生教育国際会議・基調講演(2009年10月8日)


3ー2,第8回全国平生学習フェスティバル
     
*2009年 10月 9日 、会場:京畿道九里市ウォーカーヒルホテル
  韓国平生学習都市最高指導者研修特講:
  日本の平生学習都市の過去、現在、未来(講演レジメ)

はじめに ・2005年・光明市(第4回)全国平生学習フェスティバル参加
 ・韓国訪問(2009年・始興、清州、江南区等)、『韓国の社会教育・平生学習』出版など
 ・韓国平生教育、法の全面改正、平生教育都市造成など、いま東アジアで最も躍動!

1,日本の社会教育・生涯学習について(概要)
 ・社会教育法(1949年)、生涯学習振興法(1990年)―生涯学習政策の不幸な出発
               *民間活力路線、公的社会教育の体制振興に結びつかない
 ・「公民館」制度(1946年)公立公民館→全国約18,000館(小学校10校に7館余)、
       約9割の自治体が設置、地域格差あり、とくに大都市部に空白(東京・横浜等)。
  *公的セクターの削減、予算縮小、職員削減、民間委託等の施策により停滞状況
    生涯学習振興策は広域、民間活力論、公民館等の公的体制の奨励施策は欠落。

2,二つの典型事例  *近刊『日本の社会教育・生涯学習』(学志社)所収予定論文 
  A 長野県松本市「公民館と地域福祉」(手塚英男=元図書館長、公民館長)
      *1994年「学びの森づくり」(生涯学習計画)、公立民館・町内公民館
  B 沖縄県名護市「集落自治と集落公民館」(島袋正敏=元博物館長、教育次長)
      *アメリカ占領下・苦難の地域づくり、集落共同体の住民自治

3,自治体生涯学習の現在と未来−これからの課題を考える
1) 歴史の積み重ね:A松本事例「はじめに住民の学習ありき」 <地域・内発的発展論>
          公民館七つの原点、その発展と曲折、地域・住民の「宝」を創る
2) 活動拠点の地域配置:住民の日常生活圏域=例・学校区の計画 <身近な地域主義)>
          施設の住民自治による運営、施設のネットワーク
3) 専門職の役割と住民リーダー:「やる気と力量のある公民館主事」<生涯学習専門職論>
          住民の自己教育活動・自治的リーダーシップとの結合
4) 集落共同体・自治公民館:B名護「共同体のエネルギーは脈々」<地域共同体の再生>
          住民自治による「自治公民館」(全国約5万以上)の役割
5) 地域課題に取り組む:日常の生活課題と身近な地域課題からの学習<地域課題の発見>
          名護市源河公民館「琉球アユを呼び戻す運動」事例、環境問題
6) 地域福祉との結合:A松本「住民が主役の地域福祉計画づくり」<地域福祉との結合>
          住民の計画参加、公民館に「福祉ひろば」、*防災・子育て・保健等
7 ) 学習共同体づくり・地域づくり:「学びあいの共同体」を横に拡げる<地域づくり論>


金宗西先生(ソウル大学名誉教授)との再会(撮影・石井山竜平氏、091009)








第49回社会教育研究全国集会(阿智村)二日目夜・日韓セミナー(20090823)



4,2009年(第49回)社会教育研究全国集会(下伊那・阿智村)
  「黄宗建氏との出会い、日韓研究交流史とこれから」
−2009年8月23日夜−
  記録・江頭晃子(未完)

                 
 TOAFAEC 第154回定例研究会は、第49回社会教育全国集会(伊那・飯田集会)の2日目「この指とまれ」で、社全協、韓国生涯学習フォーラム、東アジア交流研究委員会と共催で行われました。
 参加者は韓国から15人(平生教育連合会チェ・ウンシル会長や平生教育振興院パク・インジュ院長、ヤン・ビョンチャン先生など研究者やイ・ギュソンさんなど平生教育士の皆さん)、日本からは社全協の上田幸夫委員長や長澤成次さん、韓国生涯学習フォーラムの李正連さんや浅野かおるさん、東アジア交流委員会の石井山竜平さんや、福岡・社会教育研究会の横山孝雄さん、社会教育研究者や市民、留学生など、日韓合計40人近い参加がありました。
 第一部「日韓研究交流史とこれから」では、小林先生が1980年代に黄宗建先生と出会って韓国の社会教育法制定論議に参加したこと。そして現在の平生教育法制定・改正や自治体における平生教育の発展までを、人との出会いや新たな交流の広がり、さまざまな思い出を交えながら語られました。最後に日本が韓国の平生教育から学ぶものとして、基礎教育研究の重要性、「生涯学習」をどうダイナミックに捉えられるか、専門的な職能集団形成の必要性などをあげられました。黄先生と小林先生とのつながりを聞きながら、研究交流の基本は出会いをどう大切にできるかだと感じました(司会:浅野かおるさん、通訳:李正連さん)。
 第二部では、チェ・ウンシル会長による乾杯の後、発足したばかりの「東アジア交流委員会」について石井山さんから報告がありました。そして、参加者それぞれから日本や韓国との出会いや生涯学習への思いが語られました。韓国の皆さんからは、全国集会に参加しての感想や、専門性を高めていきたいこと、日本に学びながら法案を出していきたいこと、どう若い世代で交流を継続していけるか、肥後さんが黄宗建研究をしたように韓国の人が小林研究をする必要がある、などなど話は尽きませんでした。最後に皆で記念撮影をして終了しました(司会:横山孝雄さん、通訳:肥後耕生さん)。 
 *【南の風】2289号(2009年9月8日)掲載


****<講演記録>*******************************************  写真→■
■第154回定例研究会(社会教育全国集会「この指とまれ」)
                            記録・江頭晃子(未定稿)

 参加者:チェ・ウンシル(韓国平生教育総連合会会長)、パク・ソンギョン(同連合会事務次長)、パク・ヨンジュ(同連合会)、パク・インジュ(平生教育振興院院長)、パク・インジョン(同院)、チェ・イルソン(同院)、イ・ファヨン(同院)、ヤン・ビョンチャン(公州大学校)、イ・ジェシル(亜洲大学校)、キム・チョンホ(ソウル特別市江南区庁)、イ・ギュソン(平生教育実践協議会)、イム・ジョンヨン(ソウル特別市江南区女性能力開発センター)、ホン・ミギョン(同)、チョン・エニ(同)、ヤン・チャンヨン(ソウルベンチャー情報大学院大学校)、キム・ジョンエ(京畿道始興市庁)。
 浅野かおる、姉崎洋一、李正連、李相Y、石井山竜平、上田幸夫、上原裕介、内田純一、江頭晃子、小林文人、坂田一九夫、瀬川理恵、添田祥史、孫冬梅、高橋正教、竹中かおる、長澤成次、西恵美子、長谷裕之、樋口正、肥後耕生、藤田秀雄、横山孝雄(敬称略、日本人は五十音順)不明な人2-3人います。
 
■報告:「黄宗建氏との出会い、日韓研究交流史とこれから」小林文人
 (1) 1980年代・黄先生との出会いから
 今回のテーマは学会レベルの研究テーマでもあり、きちんと話せば長時間かかるものです。ヤン先生と浅野さんが相談して考えてくださいました。私からできるだけ短く話題提供をして、その後、いろいろな方からのそれぞれ話題を出して欲しいと思っています。
 私が韓国とどう出会って、韓国の平生生教育の動きをどう見ているかを中心に話したいと思います。
 初めて韓国に行ったのは1980年の2月でした。その前の年に朴正煕大統領が亡くなりました。次の大統領が誕生するまでの数ヶ月、“ソウルの春”と呼ばれる民主化の一時期、民主主義とは何かを考える時代でした。黄先生が突然東京に来たのが1980年1月。九州大学で一緒だった諸岡和房さんが黄先生を連れてきました。黄先生と諸岡さんはマンチェスターで留学していた当時からの親しい友人でした。黄先生は韓国で社会教育法を実現したい、いまその資料を集め、取り組みを拡げているという話でした。
 当時、日本では社会教育法が成立して30年。1970年代から国立教育研究所の横山宏さんを中心に社会教育法研究グループをつくって、ようやく『社会教育法成立過程資料集成』をまとめようとしていた時期(1981年出版)。上田幸夫さんなどの協力もいただいて(上田さんも若かった)、たくさんの資料を集めていることなど、日本の社会教育法のことをお話ししました。黄先生は・・・(未完)
※この後、パソコンがフリーズしてしまい、データ残っておらず・・・・。(江頭晃子)

*関連報告:「韓国社会教育への旅−韓国・社会教育法10年(1980〜1992)」→■


 【当日レジメ】
第49回社会教育研究全国集会 <交流の歴史と展望を語りあおう!>  −2009/08/23−
日韓社会教育・生涯学習の交流の歴史と展望−回想、これからへの思い−
                                 小林 文人(東京学芸大学名誉教授)
1,韓国・社会教育との交流史から
(1) 社会教育法・立法運動
  1980年2月 扶余「専門家会議」(1月・黄宗建先生との出会い) 
     *韓国社会教育協会(総務理事)“迷惑有難”
     *横山・小林共編『社会教育法成立過程資料集成』1981
  いくつかの回想−1)NGO、諸団体を含む参加、2)創造の精神、3)「国家」の問題
(2)日韓/韓日社会教育セミナー(1990〜1993) *ソウル→大阪→大邱→川崎 
     *黄宗建・小林・伊藤共編『韓国の社会教育・生涯学習』2006、所収の笹川論文
  韓国社会教育法10年調査(東京学芸大学、1992)
  日韓文化交流基金による韓国訪問(1994〜和光大学ゼミ1996、1997)
  社会教育研究全国集会(1993木更津、1994雲仙〜)→韓国社会教育協会大会への参加
     *金信一・李宗満、*鄭址雄、朴仁周等の各先生
  黄宗建先生の日本社会教育学会講演(1993)、鹿児島大学・佐賀大学等への招聘、沖縄
 ○TOAFAEC (東京・沖縄・東アジア社会教育研究会)1995年5月創設
   定例研究会、フィールド調査、研究年報「東アジア社会教育研究」14号、南の風
(3)平生教育法以降、2000年代の同全面改正(2007)、平生学習フェスティバル(2005)
   2008〜2009、基礎自治体の平生教育施設、事業、職員(平生教育士)との出会い
   平生教育の公的体制・平生学習(市民団体による)の実践と運動
2,日本の社会教育・生涯学習と韓国の平生教育・学習との対比
(1) 文解(識字)教育の研究・実践 *金宗西「韓国の文解教育の考察」(1996)「研究」1
(2) 市民活動としての平生学習  *「学習ひろば」「マウル」「教育共同体」運動の実践
(3) 市民活動を援助する平生教育士の役割、職能団体としての平生教育士協会の取り組み
(4) 政策提言と立法運動 *社会教育法(1982)→平生教育法(1999)→全面改正(2007)→?
(5) 「社会教育」との関連で「生涯教育」「生涯学習」をどうとらえるか
    *小林・伊藤・『日本の社会教育・生涯学習』(学志社)近刊
3、これからの研究・交流への期待
(1) 大学・研究者の役割と自治体実践・市民的交流(多元化への期待)
(2) 大都市研究と都市間交流の可能性
(3) 東アジアの視点 *韓国・中国「研究フォーラム」と両者をつなぐ「交流委員会」








第53回・社会教育研究全国集会初日・課題別部会・日韓交流20周年記念「日韓セミナー」 (千葉大学、20130803)



5,
社会教育と平生学習との交流、その課題
   −日韓交流の水路が拓かれてきた20年を振り返りつつ− 2013年8月3日
  (第53回社会教育研究全国集会(課題別部会・日韓交流20周年記念・日韓セミナー)




 木更津集会(1993年)
 20年前の木更津集会(第33回社会教育研究全国集会)ほど記憶に残っている集会はない。その前日に台風襲来、千葉あたりで電車が止まり、社全協委員長として責任があった私は、風雨のなか、通りすがりのトラックに便乗して木更津に駆けつけた。この日、韓国から初めて集会に参加される金信一先生一行(韓国社会教育協会、李宗満、高淳風シ氏も)は大丈夫だろうか、全国各地からの参加者はどうか、など心配は尽きなかった。 
しかし集会は無事開幕し、2日目に参加者数が1000名を越えたとき、金信一先生の驚きの顔と、「皆さんの力だ!」というお祝いの言葉をいまでもよく憶えている。
 この全国集会に韓国から初参加された経緯には、1991年から93年にかけ4回にわたって開催された「日韓社会教育セミナー」があり、双方の熱意と友情の拡がりが背景にあった。日本側の中心となったのは笹川孝一氏(法政大学)。当時、国際交流にいまだ消極的であった社全協常任委員会に対して、笹川さんの日韓交流の水路を拓こうとする熱い信念、その強い働きかけがあった。受入れの具体的な対応は笹川さんにすべてお願いするかたちで、初めて韓国社会教育協会の正式参加が実現したのである。     
これが1990年代からの日韓社会教育・平生学習交流の新たなスタートとなったことは疑いない。翌年の雲仙集会(第34回全国集会)には、韓国社会教育協会から鄭址雄、朴仁周等の各氏が来日され、同じ年の韓国社会教育協会年次大会(第19回、京畿道・利川)には社全協三役(委員長・小林文人、副委員長・大串隆吉、事務局長・長沢成次)が揃って参加した。   *日韓社会教育セミナーについては、笹川浩一「試行錯誤で拓いた日韓教育交流」(黄宗             
建他編『韓国の社会教育・生涯学習』エイデル研究所、2006)に詳しい。
 1980年「社会教育法」をめぐる研究交流
 時代は13年さかのぼるが、1980年に韓国「社会教育法」立法をめぐって日韓双方の忘れがたい研究交流の前史があった。1980年1月、いわゆる"ソウルの春"の一時期、韓国社会教育協会関係者は「社会教育法」立法運動に取り組み、日本社会教育法に関する資料を求めて、黄宗建氏(韓国社会教育協会・総務理事、啓明大学校教授)が来日された。当時、日本社会教育学会では「社会教育法制研究会」(横山宏、小林文人など)が組織され、記録収集、全15集の資料集刊行のあと、まとめとして『社会教育法成立過程資料集成』出版にとりかかっていた時期であった。黄先生と東京でお会いし、研究室収蔵のすべての法制資料を持参して、成立過程を含め日本社会教育法の全貌をお話しした経過がある。
その翌2月に韓国社会教育協会は忠清南道・扶余において社会教育法「専門家大会」(1980年22 ~24日)を開き、小林はここに招聘されて「日本・社会教育法」について講演した。この間のことは4年前の全国集会(第49回、信州・飯田下伊那集会)で報告したことがある。韓国社会教育法は1982年に成立した。私たちの研究室ではその10年後「韓国社会教育法10年の定着過程」について調査旅行(1992年春)を試みたことがある。*この間の経過は短く記録されている。
→■
http://www007.upp.so-net.ne.jp/bunjin-k/korea1992.htm

 研究交流の多元的な拡がり
 東西の冷戦終結後、1990年代以降の日韓(社会教育・平生学習)交流は徐々に拡大してきた。全国集会への韓国側からの参加は、いくつかの間断を経て、2000年代に入ると、活発な参加となってきた。全国集会の歴史から考えても、日韓交流という新しいプログラムが定着してきたことになる。とくに2007年「平生教育法」改正以降、韓国の新しい動きが伝えられ、新しい友人との出会いも増えて、大いに刺激を受けてきた。この間の韓国側の積極的な研究交流エネルギーに敬意を表したい。私自身もも韓国「平生学習フェスティバル」に何回か参加し(2005年・光明、2009・九里など)、日本の公民館等について講演する機会を与えられ、この場をかりて御礼を申しあげたい。
日韓の相互交流は、量的な増加だけではなく、質的に多元的な拡がりをもってきている。
大学間の研究提携がその数を増し、日本の韓国研究も少しづつ幅を拡げ、日本語による韓国研究論文を見る機会が増えてきている。日本社会教育学会と韓国平生教育学会による公式の「日韓学術交流研究大会」開催もいま第4回を数えている。
 私たちの「東アジア社会教育研究会」(TOAFAEC)も、その多元的な交流の拡がりに参加してきた。従来の沖縄研究を発展させ、東アジアに視野を拡げて(1995年創立)すでに18年の歳月を歩んできた。毎月開催の研究会(2013年7月現在)197回。年報17冊刊行、そこに収録した韓国関連論文・資料紹介は90本余、創刊号の巻頭論文は金宗西先生「韓国の文解(識字)教育問題の考察」であった。黄宗建先生や梁炳賛先生と共同編集による『韓国の社会教育・生涯学習』(エイデル研究所、2006年)や日本研究(ハングル版、学志社、2010年)出版など。研究通信「南の風」(1998年〜2013年7月)配信はいま3120号を越えた。これらの詳細は、「東アジア社会教育研究会」(TOAFAEC)ホーメページを見て頂きたい。→■

 これからどのように研究交流を発展させていくか
 この10年余りの韓国・平生教育の躍動は、韓国教育史上において画期的な歳月であろう。
国際比較的にみても、この展開に注目している人は少なくない。新しい「平生教育」制度創出に向けての立法(1999年)と改正(2007年〜)運動、国家法制だけでなく基礎自治体の自治的な制度(条例等)づくり、平生学習館等の施設計画、平生教育士の専門職化と実践力量形成に向けての取り組み、基礎(文解)教育への継続的な挑戦、住民自治センターや地域福祉館などとの連携、マウルづくりの市民運動などなど、韓国の(おそらくいろいろの課題をかかえ挌闘しながら)それぞれに躍動的な展開は私たちの心を強く惹きつける。
 日本の全国集会や韓国の平生学習フェスティバル等を通しての出会いや交流を主軸にしつつ、さらにお互いに刺激しあい、高めあい、友情を深めていくために、どんな方向や課題が考えられるか。夢にみていることを4点ほど書いておきたい。
1、日韓の社会教育と平生学習の関係者の間で、共通課題(例:識字実践、小さな地域(マウル)づくり、学校と地域、文庫運動、地域史運動など)による研究交流グループはスタートできないだろうか。
2,川崎と富川(プチョン)の間で結ばれてきた市民レベルの友好都市(1996年締結)に学んで、社会教育・平生学習・市民運動を主題とする自治体交流の取り組みを増やしたい。たとえば同じ海(玄界灘・南海)に面している福岡と釜山(2008年に出会いが始まっている)、すでに市長間の交流がある松本の公民館と始興(シフン)平生学習、古い都の公州と奈良、基地問題をかかえる名護と済州島等。
3,いま大学関係者・研究者間の日韓交流はある程度の拡がりをみせているが、社会教育・平生学習に携わる実践家や市民グループ間の出会い・交流がこれからの課題ではないか。経費(たとえばホームステイ)やプログラム等を工夫し、先例に学びながら、楽しい交流ツアーなどを始めるなど。
4,イルボンマル(日本語)とハングルを活発に併行させながら、相互交流の「なかま」通信と資料「ひろば」を(たとえばネット上に)スタートさせていくなど。(2012年7月)








6,2014年・和歌山大学地域連携・生涯学習センター:日韓研究・実践交流会
   「日韓の社会教育の歩みと課題−職員問題に着目して」(2014/08/29 講演記録)



【講演記録】  
日韓社会教育のあゆみと課題−職員問題に着目して

                               小林 文人(東京学芸大学名誉教授)


 はじめに−韓国・平生教育の躍動
小林文人と申します。忠清南道からいらっしゃいました韓国の皆様、アンニョンハシムニカ。どうぞよろしくお願いいたします。
 忠清南道と和歌山の皆様が初めて出会う研究フォーラムの場で、こうしてお話をする機会を与えていただき、ほんとうにありがとうございます。今日は私にとって忘れがたい日となりました。山本健慈学長がリードしてこられた全国の大学の生涯学習センター。その中でもとくに地域連携を積極的に目指しているセンターが、今日は韓国の「地域」で活動されている「平生教育」の方々とご一緒に、韓国と日本の、これからの課題を考えあう集会、記念すべき日となりました。
 ご承知のように、韓国では軍事政権の厳しい歴史があり、それから1980年代の民主化抗争の歳月があって、今日にいたる平生教育への改革が動き始めるのは1990年代の後半からでした。韓国の皆様はもちろんご存じのことですが、1999年にそれまでの社会教育法を「平生教育法」へ全面的に改正して新しい法律によるスタート。1990年代には、私たちと韓国の学者たちとの研究交流も一つの流れとなり、とくに今世紀に入って本格化してきました。梁先生をはじめとする皆さんたちと、心を開いて研究交流を重ねてくることができました。
 しかし、やはり大学関係者相互で、研究会をするとか学会に参加するとか、そういう研究レベルの交流が主でありました。日本で言えば社会教育、韓国で言えば平生教育の、行政現場の方々や実践家の皆さんが、こうして実践レベルで交流するということは初めてではないでしょうか。和歌山の地で、田辺市や海南市、そして橋本市などの実践と、忠清南道からの実践報告が、一堂に会して、双方の実践的交流がきょう始まったのではないか、そう思われます。
韓国「平生教育法」は1999年に新しくスタートして、その後、10年も経過していないのに、2007年に全面改正されました。おそらく世界的規模で見ても、水準の高い法律が国家法制として実現し、それから7年の歳月が蓄積されてきたことになります。
 この法に基づいて、韓国の各自治体では、忠清南道の基礎自治体もそうでしょうけれども、自治体レベルで新しい平生学習館ですとか、それぞれの基礎自治体の条例づくりとか、あるいは平生教育士の配置など、またいろんな新しい「平生学習」事業が開始されてきています。
もちろん忠清南道の平生教育振興院の大きな役割があるわけですけれども、それらの動きは、特にここ10年の動きとして考えますと、私は「躍動」という言葉がぴったりする、そんな新しい動きです。毎年毎年新しい動きが湧き出ている、まさに躍動する韓国の平生教育、という言葉がふさわしい。私たちは、今、韓国の平生教育に関する新しい本をつくっていますが、その本のタイトルにも「躍動」を掲げようと思っております。

 日本社会教育の停滞
 日本はどういう状況か。日本は戦後改革期の1949年に「社会教育法」ができて、既に60年余。この社会教育法を法制上の基礎にして、半世紀以上にわたって公的な社会教育が蓄積されてきました。韓国の「この10年」の躍動と申しましたけれども、1990年代からの日本と韓国の動きを比べてみますと、極めて対照的です。日本の社会教育は、いま躍動している、と言うことはできません。それぞれの自治体でもちろん違いがありますが、またたとえば田辺市や橋本市や海南市など、それぞれに地域的な蓄積があることはもちろんですが、全体的な状況、その統計的な動向を見ますと、日本社会教育の憂慮すべき・・・何と言いましょうか、「停滞」といわざるを得ない実態が見えてくる。躍動に対して停滞、上向きではなくて、いろんな側面での下向きの動き。統計的な数字からは驚くべき「非躍動」的な動向が、はっきり見えてくるように思います。
 国の統計について、細かな数字は後で確認していただければいいと思いますが、大づかみに言いますと、この1990年代末の統計から2011年段階の社会教育統計の数字への変化は衝撃的です。大震災ではありませんが私は"2011ショック"と言っているほど。文部統計の数値を比べてみますと、この10年余りの間に、施設数では公民館の総数で2割減っている、公民館職員数で2割5分の減、公民館主事とくに専任の公民館主事では4割減、社会教育主事については、なんと6割減。統計を見るまでもなく、とくに職員体制の弱体化は実感していたのですが、あらためて国家統計によって、これほどの凋落事態が進行しているのかと、憂慮すべき事実をつきつけられた思いです。   
 繰り返すようですが、自治体によって違いはある、しかし多くの現場にはさまざまの痛みが現れている。戦後の教育改革以降、積み重ねられてきた自治体社会教育の蓄積が明らかに壊れつつある。そういう「停滞」に対してどう対処していくか。地域にとって社会教育がこのように衰えていっていいものか。これからの社会教育をどういうふうに再生・発展させていくか、そういう課題を深刻に考えなければならない。いま日本の社会教育は大きな転換点に当面していると思います。
 今日は「日韓の社会教育の歩みと課題」という大きなタイトルを掲げ、特に「職員問題に着目して」というテーマを、これは和歌山大学からいただいたテーマですが、私なりに受けとめて、日本の社会教育主事をはじめとする職員問題と韓国の平生教育士の問題の双方をにらみながら、おたがいに共通する視点をさぐり、これからの課題を幾つか申し上げてみたいと思います。

 韓国・平生教育士の法的特徴
 韓国の「平生教育士」については、もちろん私は梁先生の論文@を読んだり、今日の通訳・金ボラムさんたちの報告Aを聞いたりして、私なりの理解を申し上げるのですが、不充分なところもあると思います。平生教育士が法制的に成立(平生教育法・第3章、1999年)して15年、さらに具体的に大きな法改正を経て(改正法・第4章、2007年)、今年で7年です。平生教育法は平生教育士について、さらに施行令・規則による詳細な細則が設けられています。その職務は「平生教育の企画・振興・分析・評価及び教授業務を遂行する」(第24条A)という積極的な"教育専門職"規定が注目されます。特に以下の話に関連して、2つほど大きな制度的な特徴を申し上げたいと思います。
 1つは、「平生教育機関に平生教育士を配置しなければならない」(第24条A)とする強い法的要請(第26条@)。平生教育士の法制基礎はまことに明確です。
日本の場合も教育委員会に社会教育主事を置くことを社会教育法は求めております。小さな町村を含めて各教育委員会に社会教育主事は置くことになっておりますが、置いていない自治体も一部にあります。その設置率だけでなく、実質的な体制はこの間大きく下降傾向にあり、1990年代から比較すると、社会教育主事数だけて言えば、現在は当時の半数以下であることは先ほど申した通り。細かな数字は別にして、大きく衰退していることは間違いありません。もちろん公民館等の施設に社会教育主事の有資格者が配置されている事実もありますが、韓国の場合は全ての「平生教育機関」に平生教育士を「配置しなければならない」と規定している。そこに制度的に大きな落差があるわけです。
 もちろん、韓国の平生教教育士制度はまだ発展途上、その実状はさまざまでしょうが、統計的には着実に上向き、躍動がみられる。約4000の平生教育機関に「平生教育士」配置率は2013年現在で7割程度のようですが、制度的にすべての平生教育機関への専門職配置の方向は重要な意味をもっていると思います。
 もう1つの韓国の大きな特徴は、平生教育機関をどう考えるかという点についてです。日本では、社会教育機関といえば公民館、あるいは図書館、博物館というような公的機関を社会教育機関と考えてまいりました。韓国の場合の平生教育機関は、公的な施設、例えば平生教育センターや平生教育振興院、あるいはそれに準じる公的な機関、そしてもちろん基礎自治体が置いている平生学習館など、公的な機関が考えられますけれども、決してそれだけではない。今日の私のレジュメの中にちょっと書いておりますが、まず学校。学校が平生教育を実施する場合がある。あるいは学校付設の平生教育機関。あるいは遠隔大学形態の機関、放送大学にあたるのでしょうか。それに加えて社内大学や事業所付設の平生教育機関。あるいは市民団体、マスコミ・言論機関、人材開発等の付設の平生教育機関、というふうに法律は幅広くうたっています(平生教育法第29条〜38条)。そこに「平生教育士を配置しなければならない」(同法第26条)と規定している点が注目されるのです。
 日本の場合は、社会教育機関や職員体制について、いわば公的なセクターが中心、その意味で、一元的といっていい。そこには公的な機関を充実していこうという、そういう理論や課題が今まで中心となってきました。韓国の場合には、言葉に誤解があってはいけませんが、日本の一元的な公的セクター中心主義に対して、多元的なセクターに拡げて、民間的な平生教育機関を含めて「平生教育」体制の構築をめざしている。この点は両国の比較や課題を考えていく上で、留意すべき重要な点だと考えております。

 平生教育士配置の状況
 これらに関する正確な統計は、韓国については、私は今ここで資料として用意できませんけれども、これも梁先生にお聞きすることにしましょう。金ボラムさんなどが「韓国・平生教育・この1年の動き」に統計資料を付されていて、『東アジア社会教育研究』(TOAFAEC、第19号)に収録されています。それを見ていただきたい。B
 実際の平生教育士配置の状況は、制度発足からまだ10年余り、多元的なセクターへの拡がりがあるだけに、複雑な展開と考えられます。もちろん、配置の実態は100%ではなくて、ようやく今、平生教育機関の6割から7割ぐらいのところで進行している。いったい何人の平生教育士が実際に仕事をしているかということについても、ここで数字をきちんと申し上げることができません。しかし、多元的な拡がり、そして発展途上にあること、その実態は複雑な展開、課題を含んでいることは疑いないことでしょう。
 平生教育士の中で公的セクターでの配置、つまり公務員という位置づけをもっている人たちは何%かという数字も、正確に申し上げることはできませんが、少なくとも半分はいない、そういうふうに見ています。あとで梁先生からコメントをいただきたい。この点は日本の社会教育主事制度と大きく異なるところです。平生教育士は多様な平生教育機関で仕事をしている。学校や遠隔大学や、大半は公的なセクターではなく民間セクターの、事業所や文化センターなどの小機関の中で、また市民団体の付設機関の場合もありましょう。そして、現実の契約条件や職務形態は必ずしも安定的ではない場合がある。そういう現実の問題を抱えていると思います。たとえば5年任期の契約条件、なかなか継続的な仕事にはならない、不安定な身分です。しかし平生教育士の皆さんとお会いして思うことに、そのミッションに従事する輝く顔や、使命感あふれる表情に接する場合が少なくありません。
 そういう現実の厳しい実態の中から、雇用条件を少しでも安定的な方向に改善していくとか、あるいは公務員としての「職列化」運動と梁先生は書いていますが@、公務員の人事体系の中に平生教育士をきちんと位置づけていく、そういう取り組みや専門職化に向けての運動が重ねられてきました。日本は、社会教育主事制度がそもそも公的セクターを前提としていて、公務員「職列化」はある意味で実現しているとも言える。しかし、それが今いろんな意味で発展・充実する方向ではないという課題を抱えているわけです。掘り下げていけば、基本的なところで。日本と韓国の専門職化の問題や、職員がかかえている現実の状況や課題は、深いところで共通するところがあるのではないかと考えています。

 共通課題として考える
 日本と韓国の社会教育・平生教育に関わる職員問題は、当然のこと歴史も違えば、状況も違う、抱えている問題も同じではありません。しかし法律や制度の、ある種の類似性もないわけではなく、我々はお互いに共通する課題を、それぞれの固有の事情や展開の中で、相似の課題を共有し始めているのではないか。そういう問題意識から、きょうは5つほど、我々が共通に課題として考えていく視点を提起してみたいと思います。お互いにどのように問題を検討していくか、どう取り組んでいくか、いかなる展望をもつことができるかなど、レジュメにその項目を挙げております。
1,職員・専門職化の課題
 第1は、言うまでもなく職員の専門職化の課題について。韓国の平生教育・日本の社会教育の分野において、専門職(プロフェッション)制度を社会的にどう実現していくかの課題です。プロフェッションとして、こういう専門的な職業が歴史の中に登場し、そして社会の中で定着していくという方向を、ヨーロッパの成熟した市民社会は、我々に、興味深い事実と可能性を教えているように思います。
 例えばフランスの場合。先月刊行された日本社会教育学会の機関誌『社会教育学研究』の中で、岩橋恵子さんというフランス研究者がこのことを書いていますC。フランスでは法律によって専門職が登場するわけではなく、実際の民衆運動、教育運動、アソシエーションの中で「アニマトゥール」という専門職制度が社会的に少しずつ普及してきました。1970年代ぐらいからそれが着実に定着してきて、2000年に入ってさらに大きな変化が見られる、ということを岩橋報告は書いていて大変おもしろい。アソシエーションつまり民衆教育団体が専門職を求めていく、社会的に位置づけていく、そういう歴史の中から、2000年代にはさらに地方公務員としての採用が一つの流れになってきているという報告です。地方自治体がアニマトゥールと契約し、地方公務員としてのアニマトゥールが増えていると。ほぼ2対1ぐらいの割合かな。アソシエーションの雇用が14万5千人に対して、市町村のアニマトゥール雇用が8万3千人ぐらいと報告されています。全体として20万人を超える数で社会的にアニマトゥールが活躍している。そういう形でいまフランス社会の中の民衆教育、われわれの言う平生教育、そして社会教育の領域に、専門職制度が定着してきているというのです。
 ドイツではどうか。ドイツについては、ご存じの方も多いと思いますが、奈良教育大学の生田周二さんや東京の大串隆吉さんという学者が、数年前にドイツの『青少年育成・援助と教育』という本を書いておられますD。その中でゾツィアール・ベダゴーゲという専門職のことが詳細に紹介されています。日本語で言えば「社会教育士」ですね。もちろん日本と歴史も制度も違いまして、特に青少年の育成・援助という領域に強く傾斜したゾツィアール・ベダゴーゲの職種が、生田さんの表現を借りれば、「小学校教諭なみに社会教育士が存在」しているという。社会的に青少年育成を中心とする専門職として機能し、社会的に期待され、定着してきている。ドイツの専門職制度の歴史とその展開として、そういう事実を大変興味深く読みました。
 イギリスには固有の成人教育にかかわって、アダルトエデュケーターなど、名称はいろいろでしょうけれども、類似の専門職の人たちが社会的に役割を果たしていると思います。
 さて、アジアではどうか。アジアでは今、韓国が15年前から平生教育士の専門職制度を発足させ、歴史のなかに登場してきている。日本では60年前から社会教育法に基づき社会教育主事が自治体に、つまり公的セクターに配置されてきた。これまで社会教育専門職として定着してきた歴史をもちながら、それがいま大きく停滞し、地域によっては制度的に揺らいでいる状況です。日本の社会教育専門職制度の歴史はいま一つの転機に立たされていることを自覚しなければなりません。
 それだけに、これら専門職についての法制的な充実、行政上の位置づけ、力量形成の実践、総じて専門職化の運動の課題を深めていく必要があると思います。時間が迫ってきて、細かなことを申しあげる余裕がありません。
2,職員集団の視点
 第2の視点は、職員をとりまく"集団"論の重要性について。社会教育職員とその専門職制度は、社会的に形成され、集団的に機能してきた歴史をもっています。社会教育職員は個々の存在でありながら、それを取りまく社会教育の職員集団、そして職員だけでなく市民やスタッフの集団の拡がりのなかで取り組んでいく視点が問われてきました。
 日本の場合は、とくに主要な社会教育施設である公民館が各市にありまして、公民館施設を拠点とする「公民館主事集団」の歴史的な形成がみられました。もちろん自治体によって水準はさまざまです。社会教育法はとくに公民館主事の専門職的な位置づけを用意していませんので、自治体の条例や規則で、また実際の任用のなかで、専門職的な位置づけへの自治的な努力がありました。公民館主事集団みずからによる実践的な専門力量形成の歩みもまた注目しておく必要があります。
 公民館という施設が社会教育機関として機能していく上で、職員集団としての役割分担、職場会議、公民館にかかわる市民・ボランティア組織との連携など、つまり公民館主事をめぐる職員相互の集団論と、市民との関係を含む同じく集団的な取り組みのなかで、実践が取り組まれてきました。そのような歴史をたどりつつ、職員"集団論"の視点から問題を深めていきたいと考えてきました。
 いま日本社会教育の停滞という場合、単に統計的な衰えではなく、歴史的に蓄積されてきた職員の集団的なつながりが壊れつつある、と考えられます。しかし、自治体によっては、それをしっかり守っていこうとしている。そういう"職員集団"の視点を、韓国の躍動のなかで考えてみたい。韓国では今どのように専門職集団が形成されているか。どのような定着をみせているか。共通の視点で、お互いに考えあってみたいと思うのです。
3,基礎自治体の可能性
 少し話を急ぎますが、3番目に社会教育・平生教育の職員たちは、具体的に基礎自治体のレベルで、地域を基盤として、実践的な役割を果たしいくはずです。自治体行政への位置づけは日本と韓国では事情が異なるのは当然ですが、基礎自治体との関係、つまり地方自治との関わりが、大きな意味をもっているのは共通していると思います。
 韓国の基礎自治体は、私には日本の市町村よりもちょっと広いようなイメージがありますが、その下部組織、いわゆる邑・面・洞(ウン・ミョン・ドン)のレベルでの、平生教育の地域的な展開に注目したい。それは日本の最近の大合併前の旧自治体、あるいはその下部組織の規模ではないかと勝手にイメージしているのですが、韓国ではそこに住民自治センターが活発に機能してきた歩みがあるし、また新しく「幸福学習センター」をつくっていこうという施策が動いているそうで、注目すべきことだと思います。基礎自治体でそういう地域実像が動いていく。国家法制だけでなく、住民の生活に密着し地方自治と関わって地域平生学習が息づいていく、その実像こそが現実の歴史をつくっていくのです。
 韓国では、軍事政権下では地方自治は死んでいたようなもの、それが復活・再生していくのは1990年代。それから20年を経過して、いま地方自治の発展の歩みと併行して平生学習の躍動がつくり出されてきたのではないか。地域の"自治"と住民の"学習"の歩みは強く結びついてきたに違いありません。
日本の場合も、戦後改革から半世紀をこえる地方自治の歴史のなかで、社会教育は歩んできました。地方自治体は社会教育の中心機関として、紆余曲折をへながら公民館の体制をつくり、そこに公民館職員を配置し、もちろん教育委員会にも社会教育主事等の職員体制が整備されてきましたが、公民館ではとくに自治的な運営が求められてきました。歳月の蓄積とともに、注目すべき事例がたくさんあります。「たくさん」の表現は少し甘いかもしれませんが、忠清の皆さんが訪問された貝塚の事例とか、あるいは信州の松本や飯田の公民館、東京の国立とか、あるいは千葉県の木更津や君津とか、レジメにいくつか、注目すべき公民館をつくってきた自治体を挙げています。共通して自治体としての計画や住民自治の関わりが重視されてきました。自治体によっては国の法律を乗り越える勢いで、地方自治体としての独自の水準で、条例・規則をつくり、公民館の職員集団を形成してきたのです。
 もちろん事例はこれに尽きるわけではありません。他方で、自治的な蓄積が壊れていく経過もこの10年、15年の間にたくさん見えてきた。例えば、私が住んでいる東京の社会教育はいま明らかに解体しつつあると言わざるを得ません。例えば東京都の社会教育主事がかつて80名いたのが、今は15名前後かと思われます。社会教育主事の存在がほとんど見えなくなりつつあるとか、東京都立の社会教育施設がほとんどなくなって委託されてしまったとか、大都市社会教育の実態は危機的な状況にあると言ってもよい。大阪も似た状況があるようです。日本では共通して大都市の社会教育の問題が深刻です。それに対して、韓国のソウルが、6月の地方選挙の結果を見ても大都市・自治政府への胎動が明らかで、協同組合やマウル共同体などの新しい市民セクターの奨励施策が打ち出されて注目されますE。そういう動きが伝わってきて大きな刺激を受けています。
東京については、戦後改革期からの大都市社会教育の歴史を、あと一度掘り起こして、再生のための『東京社会教育の歩み』の本づくりを始めています。何とか乗り越えていきたい。そのためにも、ソウルよ頑張れ、ソウルから我々は力をもらいながら、日本の大都市の社会教育を自治的に再生していきたいという思いでいます。
4,キーワードとしての"地域"
 4番目の視点として、3の基礎自治体の問題と重なりますが、あらためてキーワードは「地域」ということを申し上げたいと思います。
 平生教育・社会教育の職員・専門職制度が具体的に動いていく舞台は地域。職務内容は多面的でいろんな拡がりがあるに違いありませんが、共通する活動の基本は「地域」にあるという視点。地域の再生・活性化、地域を元気にする、総じて地域づくりとその発展という課題を共通にもっている、そういうふうに考えてきましたし、考えていきたいと思います。
 1つの事例を申し上げます。沖縄県名護市のここ数年の動きについてです。名護市には今、日米安保・アメリカ極東戦略の中で大きな軍事基地が辺野古につくられようとしています。名護市の市長は、元社会教育主事・稲嶺進という人ですが、「軍事基地はつくらせない」を公約に掲げて2010年に市長当選、そして今年は2度目の当選を果たしました。しかし日本政府は、美しい珊瑚礁の海を埋め立てて基地工事に踏み出す作業を始めました。大きな反対運動が巻き起こっています。そういう基地反対という政治的な争点とともに、名護にとっての大きな課題は、地域をどう活性化するか、農業をはじめとして地域産業を発展させていく、地域を元気にする、などの課題をこそ実現していきたい。地域づくりにむすびついて社会教育の独自の役割が期待されているのです。 
 名護市は、5つの地区に分かれていますが、中心の旧名護町と周りに4つの旧自治体、そこは韓国でいう、いわゆる「ウン・ミョン・ドン」に当たる地域と考えられます。地域に伝統的に「マウル」のような地域共同・地域文化の歴史があるのですが、稲嶺市長は当選後そこに1人ずつ社会教育主事を配置しました。施設をつくるのではない、専門的な資格を持った、若いエネルギーあふれる職員を配置、4人の社会教育主事を増員したのです。
 彼らは何をしようとしているか。配置されて3年たちますが、地域にはりつて「地域を元気にする」を合言葉に、地域づくりにむけた社会教育活動に取り組んできた。韓国の言葉で言えば「マウルづくり」、模索しながら、おもしろい仕事が始まっています。
 レジメに少しポイントだけ書いております。地域を歩く、地域を知る、そして地域の活動に参加する、地域ネットワークをつなぐ、地域と外とをつなぐ、地域の課題をみんなで確認しながら、住民たちの学ぶ場をつくっていこう、そういう格闘をしています。なかなかうまくいかない面もあるけれども、そこには社会教育職員の仕事のめざす方向が、"地域"をキーワードにして、はっきり見えてくるものがあります。私たちも彼らの取り組みを応援しているわけですF。先日の山中湖の社会教育研究全国集会にも3人の社会教育主事が参加してくれて、みんなで応援の拍手を送りました。
5,専門職制度の社会的定着と発展
 残りの時間がなくなりましたが、あと1つ課題を申し上げたいと思います。
 日本と韓国のそれぞれの歴史と状況の違いをふまえながら、社会教育・平生教育に関わる専門職の制度と集団を社会の中にどう定着させていくか、そういう共通の課題を、日韓それぞれの立場で考えてみたい。韓国では平生教育士の皆さんが、この制度が誕生した直後から平生教育士「専門職」化をめざす団体をつくる取り組みがありました。2002年の歴史的なスタート。平生教育に関わる職員の自律的な運動体、最初はネット上での呼びかけと聞いていますが、25人前後の人たち。「韓国平生教育士協会」と一体となって「平生教育実践協議会」が設立されました。単なる制度要求をこえて、自らの実践的な力量を自己形成していこうとする運動体です。そのリーダーである李揆仙(イギュソン)さんの「共に生きる共同体を夢見る人々」報告Gは、胸をうつものがあります。今は5,000人、あるいはもっと多い、その数は梁先生がご存知でしょう。実践的な事業と運動は、韓国の躍動する平生教育を反映して、大きな拡がりを見せているようです。
 日本でも社会教育主事制度が法制化された1951年の直後に、東京で全国社会教育主事協会をつくろうとする動きがありました。規約案もできて、最初の集会の呼びかけも記録として残っていますがH、この構想は結果的には実現しませんでした。公民館の全国組織である全国公民館連合会も、いろいろ工夫してやっておられると思いますが、公民館主事の専門職化運動体として、自律的な職能集団への全国的な取り組みにはなりきっていないのではないでしょうか。
 日本では図書館関係者が日本図書館協会をつくって機関誌『図書館雑誌』を出し、役員を自主的に選び、政策に対しても提言をするなど、自律的な団体として活動をしてきた歴史があります。社会教育職員・公民民館主事集団の職能団体への1つのモデルとして、これまで学ぶところがありました。たとえば図書館関係者は図書館協会として1979年「図書館の自由に関する宣言」を出しております。ここで読み上げる時間はありませんけれども、1980年「図書館員の倫理綱領」と並んで、専門職集団としての「倫理綱領」−自己宣言と言えましょう。
 東京の公民館関係者は、これに学んで、私も参加しておりましたけれども、公民館のイメージを「新しい公民館像をめざして」としてまとめました。1974年「三多摩テーゼ」と通称されています。その中の「公民館主事の宣言」は、図書館「自由に関する宣言」に学んで練り上げた提案です。しかし、実際にはあまり注目されてきませんので、あえてここで申し上げたわけです。
 韓国では、平生教育士の皆さんが、専門職的な立場からこのような倫理綱領的なものを追求しておられるでしょうか。
おわりに
 これまで韓国の皆さん方は、日本の社会教育・生涯学習の歴史や実践に学ぶところがあるとおっしゃって、この間、日本にお出でになりました。しかし今、私たちは韓国の動きに、その躍動に学ぶ必要をひしひしと感じています。以上のようなお話をしながら、日韓それぞれの状況は違うけれども、いま共通した課題をともに共有し始めている、ということを実感しています。これから日本と韓国と、お互いに問題を出し合いながら、課題を追求しあいながら、一緒に社会教育、平生教育の諸課題を、たとえば今日のテーマである職員問題、専門職運動などについて論議を深めていきたい。お互いに一歩前進していけれればいいなと思います。先ほども申し上げたように、ヨーロッパの国々が歴史的に模索し、いま定着してきた専門職制度を、アジア的な状況の中で登場させ発展させていきたい。日韓の努力を出し合って専門職制度の創造を夢見たい、そういう共通課題を申し上げて終わりにしたいと思います。
 私の不十分な話は、通訳をしてくださったキム・ボラムさんの力で、韓国・忠清南道の皆さんにも伝わったかと思います。どうもありがとうございました。(拍手)

文献・注
(1) 梁炳贊(訳:肥後耕生)「韓国における平生教育士配置の新たな課題―公務員職列化運動を
 中心に―」TOAFAEC『東アジア社会教育研究』第16号、2011年  
(2) 呉世蓮,金宝藍,郭珍榮,松尾有美「韓国の平生教育・この1年」、同『東アジア社会教育研究』
 第19号、2014年                       
(3) 同『東アジア社会教育研究』第19号所収、「韓国の平生教育・この1年」
 −参考資料「平生教育士・関係統計」(88頁)
 韓国・平生教育機関別平生教育士配置現況(2013年〉
  平生教育機関・施設区分       平生教育士配置現況
                        総機関数  配置機関数  配置比率%
  総計                    3,965    2,764      69.7
  学校付設 幼稚園・小・中学校付設    8       2      25.0
    〃   大学(院)付設         405     286      70.6
        小計                413     288      69.7
  遠隔形態                   876     613      70.0
  事業所付設 流通会社付設       340      323      95.0
    〃     産業会社付設        35      23      65.7
          小計             375      346      92.3
  市民社会団体付設            524      347      66.2
  マスコミ機関付設             703      449      63.9
  知識・人力開発形態           687      451      65.6
  平生学習館                 387      270      69.8

(4) 岩橋恵子「フランスにおけるアニマトゥールの地方公務員化と専門職性」、日本社会教育学会
 『社会教育学研究』第50巻第2号(2014年),所収
(5) 生田周二、大串隆吉、吉岡真佐樹『青少年育成・援助と教育−ドイツ社会教育の歴史、活動、
 専門性に学ぶ』有信堂、2011年
(6) TOAFAEC年報19号・特集座談会「マウルづくり事業の展開と平性学習−ソウル市マウル共同体
 づくり事業を中心に」(主報告・梁炳贊)、『東アジア社会教育研究』第19号、(2 014年)所収
(7) TOAFAEC年報19号・やんばる対談「名護の社会教育を担う若き群像−社会教育主事集団の
 合言葉"地域を元気に!"」、同『東アジア社会教育研究』第19号所収
(8) 李揆仙(訳:李正連)「共に生きる共同体を夢見る人々−平生教育実践協議会の設立と活動を
 中心に」 『東アジア社会教育研究』第15号、(2 010年)所収 
(9) 東京都立多摩社会教育会館『戦後三多摩における社会教育の歩み』第X集、(1992年)
 斉藤峻資料目録、(所蔵・東京都立教育研究所)p.121

総括コメント・発言
【小林】 もうこれ以上、加えることはないかと思っておりましたが、1つだけ。
 私は、きょう、非常に印象的にお聞きしたことは、崔英姫さんの泰安郡と、それから特にソウォン町の、地域の具体的なご報告です。これまでの韓国との研究交流では、どちらかと言えば理論的な、比較的大きな話が多かったのですが、今日のご報告は、特に被災地の問題、それもたいへん詳細に、コミュニティが崩壊した話、その中で住民たちの横のネットワークと平生学習の取り組みなどが、地域の実像として話されたことが強く印象に残りました。最後のほうでは「地域共同体形成のための学習活動」について3つのことを提起されました。提案をされていることは、住民主体の学び合い、行政と住民の協力、学習の日常化、それを通してのマウルづくり・地域をどう創り出していくかということ。具体的な流れの中での課題提起をされましたが、その前の田辺や海南からのご報告と重なって、テーマは違いますけれども、共通の地平で課題を考える機会となりました。地域の住民主導の学び合い、その中における社会教育主事なり平生教育士なりの役割というような課題について、お互いがいかに違うかではなくて、何が共通かということをしみじみと考えさせていただいた、そういう集いだったように思いますね。大事なことがわかった。理論だけではなくて地域の実像を語り合うことを通して共通の課題を考えあう、私にとってはとても大事な、今後の交流のあり方としてとても示唆をうける機会になったように思いました。そのことだけ1つ申し上げて、あとは控えます。(拍手)





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