2019年以降〜東アジア社会教育・生涯学習研究(2)   
 *1993〜2000〜2017 東アジア社会教育・生涯学習研究(1)
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<本ページ・目次>
1、社会教育法70年と東アジア生涯教育法制(年報24号・特集のねらい、2019年)
2、私たちはともに歩いている−東アジアフォーラム2018・総括にかえて(年報24、2019年) 
3、
4、
5、




《降順》

1、社会教育法70年と東アジア生涯教育法制
   (特集のねらい・編集委員会)   小林文人
   年報「東アジア社会教育研究」24号(2019年)

 日本・社会教育法は戦後教育改革法制の一環として1949年に成立し、本年で70年の歳月を重ねてきた。この間には、法成立から2年後に社会教育主事に関する法制(第2章)が加えられ、あるいは1959年に社会教育関係団体に対する補助金を与えることができるよう第13条が改正されるなど、いろいろの法改正が行われてきたが、法の基本骨格は今日まで維持されてきたといえよう。戦前の国家主義下「勅令」体制を脱却し、国民主権に基づく民主主義的法制としての社会教育法の登場は画期的な意味をもつものであった。
 東アジアにおける「社会教育法」の歩みを略記すると、台湾政府において1953年に社会教育法が成立公布されている。韓国では1949年頃より社会教育法案試案の論議が始まっているが、実際に国会で社会教育法が成立し公布されるのは1982年のことであった。この間にはアメリカ占領下の琉球政府によって社会教育法(民立法四法の一つ)が施行されているが、一部の字句の修正を除き、内容的に日本の社会教育法と同一であった。
 韓国・社会教育法は、30年に及ぶ立法論議を経て、ようやく実定法として機能し始める経過であったが、現実には全斗煥・軍事政権下の窮屈な定着過程であり、台湾政府・社会教育法もまた蒋介石政権による一党独裁・戒厳令下の施行であって、いずれも政治的拘束のもとで不自由な展開を強いられてきた。

 韓国が軍事政権から脱却する民主化抗争、民主化宣言をかちとる1987年、奇しくも同じ年に台湾では戒厳令解除が実現し、政治的な民主化運動や多様な市民運動が胎動していく。1990年代は、中国の改革開放政策が進展する状況もあり、各国・地域の動きはもちろん同じではないが、それぞれに新時代への政治課題をかかえ、生涯教育政策が登場し、歴史的に新しい教育改革そして立法運動が展開していく時代であった。私たちの年報では『東アジア・教育改革から20年―1990年代の躍動』(20号、2017年)として特集に組んでいる。
 この時期、残念ながら日本はバブル経済崩壊後の「失われた10年」。新自由主義政策に圧迫されて社会教育の公的セクターは後退し、職員の削減や民間委託の影響がさまざま現れていく状況にあった。社会教育法も規制緩和や指定管理者委託などとの関連で部分的に改正されるが、それは全般的に“躍動”ではなく、低迷・後退の方向にあったことは否定できない。
 この時期、韓国「平生教育」の躍動はめざましく、社会教育法は全面改正されて新しく「平生教育法」が登場した(1999年)。今世紀に入り、拡充の方向でさらに全面改正され(2007年)、その後も、文解(識字)教育、障害者教育、平生学習館、平生振興院等について「豊富化」の努力が重ねられている。台湾でも新しく「終身学習法」が登場し(2002年)、社会育法は廃止された。中国では国家レベルの法制は未発であるが、2005年の福建省「終身教育促進条例」を先頭に、上海市、太原市、河北省、寧波市、成都市等において、終身教育や社区教育「促進条例」制定が相次いでいる。

 これらの東アジア関連法制の“躍動”に対して、残念ながら、日本・社会教育法の低迷は今世紀も続いている。国家政策のなかに社会教育・生涯教育が位置づいていないこと、市民レベルでも「市民の学習権」論議・運動が拡がっていないこと、学会研究者間では社会教育法の防衛論は根強いが、立法論は弱く、政策形成の仕組みに参画できていないことも課題であろう。東アジアの躍動から日本社会教育法にかかわる課題を教えられるところは多い。
 同時に、社会教育法70年の時点に立って、この歳月の重みをあらためて認識する必要を痛感する。国家法制は当然その法・規程がどのように現実に機能しているか、どのような内容として地域に定着してきたか。歳月の経過のなかで日本社会に社会教育・生涯学習の仕組みが地域的に実体化しているか、が問われる。自治体として国家法制の定着化への格闘の歴史があり、国家法制の不備を補う自治体としての努力があり、独自の取り組み(自治体法制)が地域的に内在化してきている。全国各地の自治体の状況は多様であるが、その多様性のなかに大きな可能性が蓄積され定着してきていることを発見していきたい。
 本特集で報告いただいた日本の三つの自治体(松本市、貝塚市、川崎市)について、個別の説明をする紙幅はないが、いずれも紆余曲折を経ながら自治体としての固有の蓄積と展開が重ねられてきた事例である。三つの自治体に限らず、多くの自治体で、自治的な地域創造の歩みが重ねられてきたことに注目したい。これからの日本社会教育の課題を考える上で、多くの発見があることに確信をもっている。




2、私たちはともに歩いている―東アジア・フォーラム2108・公州ー総括にかえて
                年報「東アジア社会教育研究」24号(2019年)  小林文人


1、枯れ木も山の賑わい
 2018111~5日、韓国(公州・世宗市等)で開催された「東アジア生涯学習研究フォーラム」に参加することが出来た。二日目の国際シンポジウムだけでなく、全日程を通して、集会のすみずみまで心の行き届いた集会であった。準備・運営にあたっていただいた韓国関係者の皆様に、あらためて深く感謝申し上げたい。個人的な事情(亡妻の看病、自らの長期入院)のため、2016年上海、2017年佐賀の両集会ともに出席できず、それだけに今次の韓国フォーラム・全日程に参加できたことは殊更に嬉しいことであった。しかし身体に故障をかかえ、杖をつきながらの移動等、まわりの方々に少なからぬ迷惑をかけ、特別の配慮を煩わすこともあり、お詫び申しあげなければならぬ。   
 「枯れ木も山の賑わい」の譬え、これまでの経過をすこし想起し、今次集会の意義やいくつかの感想・課題を記すこととする。なかに不確かな記憶もあり、個人的かつ不充分な記述となっている部分もあり、各位のご指摘を得て、正確な記録としていきたい。まず小林の1990年前後の回想から、今日にいたる歩みを振り返ってみる。

2、 海を越える研究交流への足取り
 東アジアにおいて、社会教育・生涯学習の分野で、日本・中國や日本・韓國の交流・集いが動き始めて(個人的な交流は除き)まだ30年の歳月しか経っていない。米ソを軸とした東西の冷戦構造が融解し、グローバルな国際関係が活発化する1990年前後からであった。日韓間においては、ソウル、大阪、大邱、川崎(19911993年)を会場に4次にわたって重ねられた「日韓社会教育セミナー」[i]がその嚆矢と言うべき試みであった。韓国側では金信一(敬称略、以下同じ)、日本側は笹川幸一の役割が大きかった。小林も第2回の邱集会から参加し、課題論義だけでなくともに「アチミスル」をうたい、日本側は「友よ」を歌いあった思い出が懐かしい。日中間については、小林の関係で言えば、1994年前後から上海・成人教育関係者との交流が始まり、とくに閘北区「業余大学」(現在は社区学院「行健職業学院」)と研究交流を重ねた経過があった。この間には「東京・沖縄・東アジア社会教育研究会」(以下TOAFAECという)創設(1995年)が一つのステップとなって、閘北区「業余大学」とTOAFAEC の間で日中合作による社会教育的学校づくりの協議が進められ、合作学校の定款案も作成された。しかし学校づくりは最終段階で実現しなかった。[ii] 台湾の社会教育・生涯学習の関係者とは、1995年頃から台北市政府(楊碧雲)、1997年に台湾師範大学とTOAFAECとの研究交流が始まった。さらに2000年代に入ると、東アジア各都市(広州市、湘潭市、福州市など)への訪問と交流が増えていった。かっての文化大革命(中国)、軍事政権(韓国)、一党独裁・戒厳令下(台湾)の状況と比べると、歴史的に夢のような自由訪問の時代がやってきたのだ。さらに今世紀に入って日本と中国、日本と韓国との交流が増大していく動きについては、上海閘北区の学校合作への経過を含めて、TOAFAECサイト(http://www.bunjin-k.net/)関連ぺージに詳記している。[iii]

3、2010年・上海「中日韓・生涯学習国際シンポジウム」への道
 2016上海、2017佐賀、2018公州で開かれた「東アジア生涯学習研究フォーラム」の前史と言うべき国際会議として、2010112628日、上海外国語大学で開催された「中日韓・生涯学習国際シンポジウム」を想起しておく必要があろう。準備にあたったのは、上海側は主として葉忠海(華東師範大学)、日本側は黄丹青や小林文人(TOAFAEC)、韓国側は李正連(東京大学)を介して梁炳贊(公州大学)が連絡役となった。この上海国際会議は、国家レベルの「中国成人教育協会」が主催するかたちとなり、当日の記念写真には100名を超す参加者が並ぶ大集会であった。もちろん開催国・中国からの参加者が多数であったが、規模は異なるものの、今次の「東アジア生涯学習研究フォーラム」の起点となった三国間の集会であった。
 
2010年に至る経過については、今世紀に入って中国や韓国の生涯学習・社会教育に関する出版活動[iv]、そしてTOAFAECの年報刊行[v] によって、「東アジア」の研究交流の輪が徐々に拡がりを増してきた。私たちは年報の号数が加わるごとに、二国間から三国・地域間交流への手応えを實感してきた。

4、多元的な交流のひろがりへ
 2010年・上海「国際シンポジウム」(日中韓)が開かれる前年(2009年)の動きを想起してみると、小林の周りでも日中韓のこれまでにない活発な研究交流が連続していた。「東アジア」研究交流ネットのうねり、新しい潮の流れ、とでも言えようか。
 まず日本側有志による上海「社区」教育調査(3月)、伊藤長和(TOAFAEC副代表)中国山東省煙台へ赴任(4月)、中国国務院(教育部・韓民が副代表として帯同)日本考察団との協議(4月)、韓国・梁炳贊のTOAFAEC定例研究会への参加(5月、定例会150回記念の集い)、梁炳贊を囲む昼食会で日本「東アジア研究交流委員会」構想、ここには黄丹青、李正連、小田切督剛、内田純一、上田孝典、馬麗華(当時・東大院)、小林などTOAFAEC主要メンバーが顔を揃えていた。この委員会は6月に発足(委員長・石井山竜平、後記)する。
 さらにTOAFAECの韓国訪問(故黄宗建墓参、7月)、韓国関係者の社会教育研究全国集会への参加(8月)、小林の韓国(8)全国平生学習フエスティバル講演(10月)、上海・華東師範大学(呉遵民など)メンバー来日(10月)、上海関係者訪日団(団長・葉忠海、11月)来日。上海訪問団は、訪日のあとその足で韓国を訪問、平生教育関係者との出会いがあり、三国間交流の歩みが一歩具体化した。

5、「新しい地平」への追求
 TOAFAECの関連では、すでに述べたように、2007年初めに韓国生涯学習研究フオーラムが、翌2008年暮れに中国生涯学習研究フオーラムが始動していたが、両者をつなぐかたちで上記「東アジア研究交流委員会」(委員長・石井山竜平、事務局長・上田孝典)がスタートしている。この日本「東アジア」委員会は、その後の国際的「東アジア」生涯学習関連フォーラム等を受けとめる組織としての役割が期待されてきた。しかし財政的な基盤もなく紆余曲折の苦しい運営が続けられている。
 さて、200年上海「中日韓・生涯学習国際シンポジウム」についての内容論議については、同会場内(最終日)において各國から発言があり、小林も8点ほど発言し、伊藤長和がそれを聞き取って「煙台の風」にメモした経過を記憶があるが、いま直ちに取り出せない。むしろ重要なのは、TOAFAEC年報第16号(2011年)が2010年上海国際シンポジウムについて特集を組み、李正連・上田孝典による「東アジアに於ける研究と交流の新しい地平」について意欲的な検討が注目される。そこで取りあげている課題は重要であって、「東アジア研究交流」の在り方について「新しい地平」への提言が試みられた。
 具体的提言・試案を要点のみあげてみる。(1)巨大イべント型の国際フォーラムを脱皮し精力的な議論ができる小規模の交流を重ねる、(2)日常的な情報ネットワークの構築による問題・課題の共有、(3)研究者のみでなく実践に携わる職員との連携、研究と実践の両面性をもった交流、(4)研究と交流の記録化、(5)多国間の、一方通行にならない多面的な研究交流など。[vi] 

6、新しい歩み・内包される課題
 2010年上海国際シンポジウムからすでに10年近くが経過している。これをステップにして、2016上海・2017佐賀・2018公州フォーラムへの歩みには、いくつかの重要な軌跡が刻まれてきた。上掲・提言に関連していえば、国際会議にありがちなイベント的なプログラムを脱し、心の通う語り合いの小集会を実現してきた。研究発表だけでなくリアルな実践・運動に出会うフィールドワークは多くの刺激を与えてくれた。私たちのTOAFAEC年報は上海・佐賀のフォーラムを記録し、いま2018公州の記録をつくろうとしている。[vii]
 國・地域をこえて集う参加者たち。わずか数日の出会いで親しい友人となり、生涯学習・社会教育を共通のテーマとする、いわば「研究共同体」が芽生えてきているのではないか。海をこえてともに歩む仲間の集い、このイメージは記憶し共有していきたいものだ。
 しかし同時に、この過程で克服されるべき新しい課題も見えてきた。集いが小規模となり、親しい仲間の関係づくりが重視されることによって、集会参加者は固定的となり、集いの性格は相対的に閉鎖性を帯びてくるのではないか。研究交流の親しい仲間づくりが同時に伸びやかな開放性をもち、拡がりと躍動性を失わないために、どのような工夫をしなければならないか。

7、いくつか考えてみたいこと
 冒頭に書いたように、私は2010上海(国際シンポジウム)に参加して、2016上海・2017佐賀に参加できず、ようやく2018公州フォーラムに再参加できた。知見に偏りがあるかもしれず、しかしあえていくつかのことを書き添えることにしたい。
 まず一つは、国際的なフオーラムは、どうしても国家的な背景から自由ではあり得ず、逆に国家論を自由に取り上げにくい。政策批判も鈍くなりがちではないか。國・地域の違いをもったメンバーによるフォーラムだからこそ、豊かに国家を論じ、政策を批判しつつ、お互いに政策形成の力量をつけていく場となるに違いない。政策批判の自由度がない生涯学習はレベルの低い学習に堕してしまう。国家の枠に拘束されず、自由な議論が許される場であってほしい。歴史的にみて、東アジアの軍事政権・戒厳令時代が終結して、はじめて「生涯教育」制度は登場してきた経緯も忘れないようにしたい。
 第二は、以上に関連して、民主主義と人権について、また地域の自治と文化創造の視点をもって、生涯学習・社会教育の在り方を追求していく必要があるだろう。国家・公権力・行政の流れからだけでなく、主体としての市民の視点を重視して「東アジア・フォーラム」は歩き続ける必要があるだろう。
 あと一つ、東アジア・フオーラムでは、2017年のまとめとして「佐賀宣言」が表明された。[viii]「宣言」はその年のフォーラム記録であるが、単なる記録にとどまらず、「記憶」して共有されるべきメッセージであろう。その宣言を年度ごとに積み重ね、活動のテーマ、運動的な課題として、ともに歩いていきたいものだ。
 年報20号(2015年)巻頭言に次のように書いたことがある。「東アジアの海は広く、行く道は遠く遙かであるが、20年の歳月でその道は拓かれた」と。[ix]いま25年を前にして、また新たな道が見えてくる。私たちはともに歩いている。

[i] 笹川孝一:試行錯誤で拓いた日韓教育交流−「日韓社会教育セミナー」の回想,
黄宗建・小林文人・伊藤長和共編『韓国の社会教育・生涯学習』エイデル研究所、2006
[ii] 小林文人:留学生との出会いと交流−この20年・上海への道、日中教育研究交流会議「研究年報」第14号、2004年、TOAFAEChttp://www.bunjin-k.net/shanhai2001.htm
[iii] TOAFAECホームページ(http://www.bunjin-k.net/)とくに中国・韓国のページ参照を。
[iv] 小林文人・末本誠・呉遵民共編『現代社区教育の展望』(上海教育出版社、2003年)中国語版。呉遵民・末本誠・小林文人共編『現代生涯学習論−学習社会へ向けての架橋』 (上海教育出版社、2008年)中国語版。黄宗建・小林文人・伊藤長和共編『韓国の社会 教育・生涯学習−市民社会の創造に向けて』(エイデル研究所、2006年)日本語版など
[v] TOAFAEC年報『東アジア社会教育研究』は1996年創刊、毎年次着実に刊行し、2019年で第24号を迎えた。
[vi] 小林文人・李正連・上田孝典:東アジアにおける研究交流の歩みと新しい地平をさぐる、TOAFAEC年報『東アジア社会教育研究』16号、2011年、pp.2728
[vii] 『東アジア社会教育研究』22号(2017年)は2016上海フォーラムを、同23号(2018年)は2017佐賀フォーラムを記録している。
[viii] 石井山竜平:東アジア生涯学習の課題に協働して挑戦する「佐賀宣言」、『東アジア社会教育研究』23号、2018
[ix] 小林文人:TOAFAEC20年の歳月、いくつかの回想『東アジア社会教育研究』20号、2015,巻頭言





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