【南の風2015〜6】発行リスト・3601号〜3650号
各号目次一覧・後記(ぶんじん日誌)

                                           

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*南の風3551号〜3600

  
【南の風2015年】3601号〜3650号・目次一覧

3601号【12月27日】東京研究フォーラム報告、クリスマスの茶番劇、年報・第20号目次、風の部屋の写真
3602号【12月29日】年報20号合評会(224定例会)ご案内、第20号頒価など、年末の九州、この1年
3603号【12月31日】小山台高校定時制の教育を語る会、台北の風、名護、長崎より、台湾の社会教育館
2016年
3604号【 1月 3日】台湾高雄、広東省、内モンゴル、大分、韓国、上海、自己決定権、アジアの海に初日の出
3605号【 1月 5日】竹富島NPOたきどぅん、東亜同文会編『福建省全誌』、奈良、2016新年会、新年会思い出
3606号【 1月 8日】夜間中学施策、新年会に魚沼の酒、沖縄子どもの貧困率、沖縄からの新年ご挨拶、写真
3607号【 1月10日】
都立定時制存続・共同声明、上海、新年会に信州地酒を、鶴ヶ島より、今年の始まり
3608号【 1月12日】
中日韓シンボ提案、台湾の社会教育館補足・台北の風(4)、どんど焼き、台北の風サイト
3609号【 1月13日】
上海からの提案について、台湾の選挙情勢(台北5)、逆風に強い凧を揚げよ、政権動向
3610号【 1月16日】
共同声明記者会見、「中国における日本語景観」、陸上自衛隊配備反対、台湾正名運動
3611号【 1月17日】台湾選挙結果(台北の風5)、沖縄ムーチーの日、2016新年会・記録 台湾人で決める
3612号【 1月19日】1月研究会・20号合評会(再)、第61回韓国研究会、夜間中学D、十日町の雪祭り
3613号【 1月21日】雪少ない十日町、町田・嘱託員募集、悩むべきは市民ではない、歩み来し道の懐かしき
3614号【 1月24日】宜野湾市長選挙、オホーツク地方の暴風雪、東京の日本語教育つどい、道は拓かれた
3615号【 1月25日】224研究会報告、宜野湾市長選現職当選、 基礎教育保障学会世話人会、韓国研究会
3616号【 1月27日】東京社会教育史研究会(1〜2月)、夜間中学自主教材研修会、専門職化への道・宣言
3617号【 1月29日】台北(6)社区大学、2月研究会、忘れない誓いを、ホームページ引っ越し・パソコン落命
3618号【 2月 1日】第28回東京社会教育史研究会、北の大地と南の島と、子どもの貧困(沖縄)、喪失感
3619号【 2月 4日】
韓国研究フォーラム報告、東京弁護士会会長声明、最南端の出版社、フアイル救い出し
3620号【 2月 7日】
トクタホ囲む、ベトナム学習振興会、ワーカーズコープ、離島の子どもたち、やんばる対談
3621号【 2月 9日】囲む会案内、春節挨拶(広州)、子の教育費・沖縄、対談日程、新HP・寝不足の夜
3622号【2月11日】2月研究会−台湾、29東京フォーラム、基礎教育学会準備会、コザ暴動45年
3623号【2月13日】心に灯がともる宣言文、都立高校定時制4校存続署名、町田、ホームページご挨拶 
3624号【2月17日】福岡・公民館の動き、沖縄県知事尋問、やんばる対談予定、トクタホさん囲む・馬頭琴
3625号【2月18日】3月華東師大一行東京へ、公民館学会研究会、トクタホさん囲む会報告、3国間シンポ
3626号【2月20日】
26日・定例研究会へ(梁炳賛)、福建より、台湾「2・28事件」勝訴、ヤンさん歓迎!
3627号【2月21日】『月刊社会教育』復刊、伊藤長和さん三回忌、介護を愛し共に生きる、祝「月刊」復刊!
3628号【2月23日】21号編集会議予定、社会教育の深い森の中へ、国会大包囲、「おきなわ短信」の歳月
3629号【2月27日】
台湾研究、町田とびたつ会、国会を最多包囲、26日研究会写真、3月〜4月の日程
3630号【2月29日】新ホームページ、住民主体で自立(名護)、回想記録6−横山宏、小さな林の藪の道
3631号【3月 2日】稲嶺進さん激励、辺野古代執行訴訟傍聴記、4月やんばる対談、春三月・花粉症
3632号【3月 4日】夜間中学関連講演、やんばる対談(1)、「オール沖縄」の空気感と、回想記録7、新URL
3633号【3月 6日
えんぴつの会ボランティア、辺野古訴訟−政治休戦で終わらすな、和解案を受け入れ
3634号【3月 7日
30回東京社会教育史研究会、国のストーカー行為、やんばる対談参加、川崎H.R.N
3635号【3月 9日】3月研究会案内、2月研究会記録、寄り添う心忘れず、公民館・社会教育法「資料集成」
3636号【3月11日】2011年を忘れない、30東京社会教育史報告、沖縄辺野古、町田、無事帰国、風の部屋

3637号【3月13日】日刊まにら新聞、4月異動、『全国夜間中学ガイド』 、韓国研究会、3月研究会26日に
3638号【3月15日
3月研究会日時変更、東京・ユースソーシャルワーカー、琉球新報、呉遵民さんと再会
3639号【3月16日
62韓国フォーラム報告、飯舘村の母ちゃんたち完成、夜間中学ガイド出版、21号へ期待
3640号【3月19日】夜間中学校と教育を語る会講演会、じぶんのあたまで、21号編集会議、グーグル話題
3641号【3月21日年報自由投稿呼びかけ、沖縄戦国賠訴訟、回想記録7黄宗建氏、4月スケジュール

3642号【3月23日とびたつ会・「月刊社会教育」復刊、名護シークヮーサー、回想記録8、嵐の1日

3643号【3月26日2月14日基礎教育保障学会準備会、国立公民、広州来日、やんばる対談へ向けて
3644号【3月28日】21号編集会議記録、緩んだ地盤・琉球国、やんばる対談参加、26日研究会・春の夜の宴
3645号【3月30日
やんばる対談企画案、3月研究会記録、安保法に反対する学者の会、広州李偉成さん
3646号【4月 1日4月2日夜間定時制を語る集い、花の季節に、やんばる対談ー地域の元気と学校の活力
3647号【4月 3日東京で全国集会、基礎教育保障学会準備会@札幌、毎日新聞・余禄、地域と学校2
3648号【4月 5日夜間定時制高校問題、日本語教育考える会、目取真氏拘束、おきなわ社会教育研究会
3649号【4月 7日31東京社会教育史、63韓国フォーラム、 年報21編集会議、「日露戦争と東葛の人びと」
3650号【4月 9日】東アジア研究交流委員会(再開)、札幌遠友塾より参加、 町田、ヤフー・普天間・風20年

*南の風3651号〜■


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南の風・各号後記(ぶんじん日誌)


3650号【2016年4月9日】
■≪「南の風」20年≫
 本号は3650号。もし「風」が日刊であればちょうど満10年。最近ほぼ隔日で吹いていますから、満20年の記念号ということになります。この数字にあらためて歳月の経過を実感しています。
 「風」の実際の創刊は1998年2月6日でした。それから18年2ヶ月で3650号。連日配信を間にはさんで、すこしハイスピードで走ってきたようです。最近息切れが多いのはそのせいか。ちなみに折り返し点の1825号は2007年4月22日の配信。この時点で、すでに1年近く早めに10年分を発行していた勘定。よくもまぁ、飽きもせず続いてきたものです。→■https://secure02.red.shared-server.net/www.bunjin-k.net/kazeitiran2.htm
 今晩はとっておきのワインの一瓶をあけて、一息入れるつもり。誰か来ないかなと期待しているところですが・・・人影なし。そうだ!こんなメールを頂いていたのでした。風・前号に寄せて小田切さんから。「文人先生、おだぎりです。さっそく第63回韓国フォーラムの案内を掲載していただき、ありがとうございました。それにしても、これだけ(風の部屋の案内が)並ぶと、先生があまりにもお忙しすぎるのでは、と心配になります。」(Thu, 7 Apr 2016 09:21)お心遣い、ありがとうございます。
 明日10日は終日の「風の部屋」会議・フォーラム、せまい部屋ですが、皆さんのお出でをお待ちしています。いい議論をしたいものです。午後6時からの夜の部(再開した東アジア研究交流委員会)は夕食時、香港料理「蘭」を予約しておきました。午後の部・韓国フォーラムから夜に参加する人もいるかと思って、丸いテーブルの部屋にしました。

3649号【2016年4月7日】
≪春のにぎわい、「日露戦争と東葛の人びと」≫
 4月はじめ、「風の部屋」に集う各研究会・編集会議のご案内が並びました(順不同)。嬉しい春のにぎわい、お揃いのお出でをお待ちします。
 前号本欄の桜・花見・・の拙文をみていただき、小さな言葉だけなのに、鳥塚義和さん(歴教協)から、千葉・東葛の戦争記念碑研究、「日露戦争と東葛の人びと」と題する大きな報告を送っていただきました。ありがとうございました。丹念なフィールドワーク、感服しながら拝読しています。「桜とナショナリズム」「おわりに」も読みました。上掲メールにある「小金井橋のたもとにある柏屋」には驚きました。
 お父上ご逝去のこと、お悔やみ申しあげます。私は数歳年少ながら、空襲など同世代の戦争体験。お父上の手帳の記録にも通じるところあり。戦争がわれわれの人生にさまざま影を落としていること、同感です。鳥塚論文の最後の数行(お許しをいただき)紹介させていただきます。
 「…日露戦争以後の戦争の連鎖はおびただしい惨禍をアジアと日本の人びとにもたらした。私の父母の戦争体験もそうした無数の「惨禍」のひとつであった。この夏は、「政府に戦争をさせない」という戦後の原点をかみしめながら、私は国会前にも足を運んだ。父は11月25日に亡くなった。上記の手帳は父の遺品整理の中で見つけたものである。本稿を亡き父母にささげたい。」(歴史教育者協議会・千葉県歴史教育研究集会(東葛)「日露戦争と東葛の人びと ―北部(松戸・流山・柏・我孫子・野田市域)を中心に―」(2016,1,16))

3648号【2016年4月5日】
■≪那覇・おきなわ社会教育研究会≫
 東京は満開の桜に春の雨が降りました。今日(4日)午後は陽射しもあり花が美しく映える一方で、散りはじめた樹もいくつか。こうして春が過ぎていくのでしょう。この季節、昔は研究室で盛大な花見の催しを楽しんだもの。いまはその遠い回想を楽しむ世代となりました。
 住んでいた国立も、勤めていた小金井も、いま住んでいる永福も、幸いに桜が美しいところばかり。花の季節、やはり心さわぐ何かがあって、その何かを求めて動き出したい気分にもなります。しかし現実はそう簡単ではありません。
 やんばる対談スケジュールに関連して、那覇(名城ふじ子さん)に電話しました。4月23日(土)「おきなわ社会教育研究会」交流会、次のように会場が決まったそうです。店名「ぶながや」〒900-0014那覇市松尾1-1-2 レグザリウボウ2F、098-860-9898。県庁北口(国際通り交差点)角の2階。7時からのご案内とのこと。一昨年(昨年?)もこの店で集まった記憶(写真)。
 「ぶながや」とは大宜見の「キジムナー」(木の精、赤髪のおかっぱに赤顔イメージの小妖怪?)の意。
 →■http://loco.yahoo.co.jp/place/g-6RojPc02yXo/
 今回参加される見城慶和さんからお電話をいただきました。夜間中学の関係やお知り合いの方々も、那覇や名護の交流会にどうぞお誘いくださいとお話しました。短い滞在ですが、沖縄の旅をご一緒できること、楽しみです。
2014年「おきなわ社会教育研究会」と交流、右端に平良研一代表。東京・川崎・北海道から参加。(那覇・ぶながや、140411)


3647号【2016年4月3日】
■≪地域の元気と学校の活力と-2≫
 久しぶりに上田幸夫さん(日本体育大学)から社会教育研究全国集会(今年は第56回、東京で開催)についてのメールを頂きました(上掲)。ご苦労さまです。全国集会については当方も書きたい思いがありますが、まずは前号の続き「やんばる対談」ー地域の元気と学校の活力とー2、について。
 対談は“ゆんたく”風に。前号でこの大事な言葉に誤記あり、読み直し不十分のまま送信し文章も乱雑、失礼しました。最近は指も頭も劣化、申しわけありません。ホームページ書き入れ文は訂正・リライトしました。ご了承下さい。
 さて本題に。「やんばる」と出会い、通うようになったのは海洋博後の1978年頃。やんばる型の独特の集落の風景が実に印象的でした。集落に寄り添って設置されている小さな学校のたたずまい。学校を取り囲む塀もなく、そのまま地域に開かれ、地域とつながり、同時に地域の拠点となっている様子が景観として見えてくるところがありました。しかし、その後は学校の管理のこともあり、地域から遊離していく傾向が生まれてきたのでしょう。さらに過疎化・少子化の流れのなかで(前々号・セイビンさんメールにあるように)学校自体が統廃合されていく地区も出てきました。いまあらためて地域と学校のつながりを、双方の元気と活力がどう結んでいくか、課題として問われているように思われます。
 手さぐりの、さまざまな努力が重ねられている、そんな動きに社会教育がどう関わっていくか、“ゆんたく”の語りあいが楽しみです。

3646号【2016年4月1日】
■≪地域の元気と学校の活力と(1)−今年の「やんばる対談」≫
 私たちの年報『東アジア社会教育研究』、ともすれば大学や学会の研究紀要のような、面白くない(その道の研究者以外には難解な)研究論文だけ並んでいるような冊子にはしない、そんな思いから“ゆんたく”「対談」企画は始まりました。専門外の人でも関心がある人ならば気軽に、面白く読んでくれるページを創りたかったからです。しかしこの対談は長文なのでホームぺージ収録はできていません。「竹富島憲章と公民館」対談はなんとか全文収録、やんばる対談は「沖縄研究フォーラム」の流れの中で経過を記録しているのみ。すでに7回を重ね、一冊の本にまとめたいほどの面白い内容・展開になってきました。
https://secure02.red.shared-server.net/www.bunjin-k.net/okinawaseinen.htm
 やんばる対談は、名護市長・稲嶺進さんの登場(2010年)を契機としています。辺野古の新基地問題だけでなく、名護の地域づくり、とくに社会教育の独自の歩みと課題・展望を自由に語り合っていこうという構想。小林と島袋正敏が企画・進行を担い、スタッフとして山城千秋・山口真理子(敬称略)など参加。第1回対談はこの4人でした。第2回以降、場所を東海岸・底仁屋のセイビン自由空間(蔓草庵,)へ移して・・・。取り上げてきたテーマは、名護社会教育の実践・運動の蓄積、在来資源・生きもの復活、琉球アユを呼び戻す運動、祭りや民話採集の取り組み、字誌づくり運動など。そして稲嶺市長の施策として地域配置された社会教育主事集団の若い世代の登場、“地域を元気に”する実践への模索・格闘が語られてきました。
 今年は、夜間中学の見城慶和・関本保孝お二人、それにカメラ・小林チヒロさんも参加されるということになり、前号・島袋正敏メールにあるように「学校と地域」をテーマにおいて、地域の元気と学校の活力について語りあうことになりました。(以下、次号)

3645号【2016年3月30日】
■<広州・李偉成さんとの再会≫
 東京学大・安保反対有志の会(上掲)からの『戦争法発動反対!戦争する国許さない 3・29閣議決定抗議!国会正門前大集会』案内は当日の朝でしたが、これまで「風」に載せる余裕がなかったこともあり、大事な“動き”として1日遅れで収録しておきました。「民進党」結成のニュースも伝わり、衆参同日選挙の争いも見えてくるなか、大いに関心をもちたいものです。
 昨29日夜、中国広州の李偉成さん夫妻と親戚の方3人が、永福まで来て下さいました。風3643号既報の通り、桜の季節に8日間の日本遊覧の優雅な旅。私にとっては東京学芸大学時代の最後の院生。彼は自らを「閉門弟子」(師が門を閉じる際にすべてを伝授される光栄の教え子)と称し、1995年以降の永い付きあいが続いてきました。この夜、直前の電話の行き違い、場所・時間の確定ができず、風の案内に至りませんでした。お許しください。李さんからのメール。「こんばんは。東京に来ております。お宅にも携帯電話にも何回もかけましたが、連絡が取れなく焦っております」と。ようやく永福駅改札で待ち合わせ。彼も山手線の逆まわりなどあり、会えたのは夜8時半過ぎ。駅前の寿司屋で久しぶりに旧交を温めました。聞けばすでに60歳、広州市教育局の部長、いま顧問格だそうです。この夜、連絡できた山口真理子さんが遅れて参加、黄丹青さんは結局来れませんでした。
 TOAFAEC としても広州は何度も出かけたところ。「広州から内モンゴルへ−1997年夏・茘枝の籠をさげて」を想い出しながら、再訪できるかなぁ?と思ったり・・・。これからの歳月、お互いの“一路平安”を期待しましょう。→●https://secure02.red.shared-server.net/www.bunjin-k.net/tyugokureport97.htm
 名護・島袋正敏さんから4月「やんばる対談」(第8回)の企画案をいただきました(上掲)。これまでの対談をふまえて、今年はどんな展開となるか。ご参加の皆さんから提案・希望などもお願いします。次号本欄で「学校と地域」案について書くことにします。

3644号【2016年3月28日】
■≪春の夜の宴≫
 3月26日の第226回研究会は、小田切督剛さん(川崎市を退職するにあたっての記念講演、@高井戸)。日程変更にもかかわらず、たいへん賑やかでした。川崎市の仕事だけでなく、また公務員としてはユニークな日本と韓国にかかわる独自の交流・交友の実践・運動の積み重ねが、思わぬ顔ぶれを集め多くの人を引き付けたのでしょう。さきほど当日の報告(松尾有美さん)が寄られましたが、長文でもあり、次号にまわすことにします。ご了承を。
 終わったあと、イーストビレッジでの懇親・小田切さんご苦労さん会も盛況でした(HPに写真)。ぶんじんもかなり酔って・・・別れたあと、小田切さんを含む一団の皆さん、別れがたく去りやらず、ワイン持参で「風の部屋」へ。三次会とはまことに愉快! これで足もふらつくほど酩酊したのでした。
 TOAFAEC 定例会も20年を越えて、ここまで歩いてきたのか、故伊藤長和さんが元気でいれば、きっと大きな声をあげて一緒に歌ったに違いない、など感慨さまざま。
 当日の研究会に桑原重美さんが出席され、今年の「やんばる対談」には不参とのこと。同じ常連の武田拡明さんからは参加のメール(上掲)。ぶんじんは、やんばる対談日程の初日は夕刻にやっと那覇にたどりつく便ですが、24日対談から25日いっぱいは参加できる見通し(最終便で羽田帰着)となりました。
後列・左より4人目に小田切さん、大半は韓国研究フォーラム (高井戸イーストビレッジ、20160326)


3643号【2016年3月26日】
■≪4月・やんばる対談に向けて≫
 今年の第8回「やんばる対談」、あと1か月となりました。風3629号そして前々号に書いたように4月下旬の日程。4月23日(土)夜は那覇、おきなわ社会教育研究会との交流、翌24日(日)名護へ、午後「やんばる対談」(名護東海岸ー辺野古の北ー底仁屋・御神松下「蔓草庵」にて)、夜(おそらく)名護の皆さんとの交流会、25日(月)は自
活動、それぞれ帰路へ。
 今年はとくに夜間中学関係者(見城慶和・関本康孝・小林チヒロ3氏)の参加希望が寄せられ(上掲)嬉しい限り。見城先生と名護・島袋正敏さんとは、30年ほど前に東京学芸大学かどこかで出会いの記憶あり、久しぶりの再会か。第1回から記録担当の山口真理子さん、そして山城千秋さん(熊本大学)も都合つけて参加頂くことになり、ありがとうございます。那覇からは常連の鷲尾真由美・国吉多美子の常連お二人も。他にもご参加希望あればもちろん歓迎!ご連絡ください。
 ぶんじんは昨年7月「85歳祝い」以来、十か月ぶりの訪沖です。いま外泊ままならず、なんとか留守の体制をつくって遅れての参加、23日夕刻までには那覇入り。25日も早めに離沖するスケジュールとなりそう。夜間中学の皆さんはじめ諸対応には山城千秋さんにご活躍願いたいと思っています。よろしくお願いします。第8回「やんばる対談」の焦点をどのあたりにおくかなど正敏さんとご相談してきましたが、最終企画案のようなもの、お待ちしています。

3642号【2016年3月23日】
■≪嵐の1日−老友の頓死を悼む≫
 昨日(22日)は嵐のような1日でした。妻には訪問リハビリの先生と入浴サービスのヘルパーさんが来ていただき慌ただしい日。加えてパソコンクラッシュ後の“救いの神”木村雅俊さんが新機種のパソコンを抱えて来宅。新しいパソコンに古いソフトを載せてもらって、老いぼれの手でもなんとか作業出来るように仕立てて頂きました。神さまを長時間酷使し、申し訳ありませんでした。お借りしていたパソコンから離れ、本号は新パソコンで配信する第1号の風です。うまくお手元に届いているでしょうか。
 1月末、あっという間のパソコンクラッシュ。老友の頓死にも似て、哀惜尽きぬものがあります。苦楽をともにしてきたパソコン、本来はその寿命が終わる頃、ホームページも順調に容量を満たし、おそらく南の風も静かに吹き止むことになるだろう、そんな筋書きを描いていたのでした。そこに救いの神が現れて、新しく踏み出す道が見えてきた、そんな1〜2ヶ月。今後が楽しみ?
 さて「月刊社会教育」が4月号で復刊、町田「とびたつ会」ニュースに添えて松田泰幸さんから知らせていただきました(上掲)。これからの「月刊」着実に伸びていってほしい。紙面も充実していくに違いない。古い読者の呼び戻しだけだけでなく、まわりに新しい購読者を増やす必要あり。大事な雑誌です。
 3月研究会はいつもの定例金曜日ではなく、26日(土)午

3641号【2016年3月21日】
■≪4月スケジュール≫
 新年度・4月が目の前に迫りました。とくに行政・自治体関係の皆さん、それぞれに多忙のことでしょう。さきほど新ホームページ「4月スケジュール」の補修・更新をしました。書き入れながら、いずれも3月までに終わっておきたかった日程・内容ばかり。それでも辛抱づよく取り組んでいることにご注目ください。概要のみ拾えば次の通り。
1,TOAFAEC年報「東アジア社会教育研究」21号編集会議(第2回):
 日時:4月10日(土) 11:00〜14:00、場所:風の部屋(杉並・西永福)
2,韓国生涯学習研究フォーラム(第63回):4月10日(土)15時〜18時 場所:風の部屋
3,東アジア研究交流委員会:4月10日(土)18時から、風の部屋
4,東京社会教育史研究フォーラム(第31回):4月15日(金)19:00〜 場所:「風の部屋」、
 内容:東京社会教育「あゆみ」最終検討
5,2016(第8回)やんばる対談:日程−4月23日(土)〜25日(月)
 (1) おきなわ社会教育研究会との交流(23日夜・那覇)
 (2) やんばる対談(24日午後・名護「蔓草庵」)予定
   *TOAFAEC・4月(第227回)定例研究会を兼ねる−
 TOAFAEC とその周辺の活動は、すべて開かれた集いとして、初めての方を含めてのご参加を歓迎してきました。しかしお気づきのように、この4月の会場はいずれも、せまい「風の部屋」(杉並・西永福)と、はるかに遠い名護・底仁屋。TOAFAEC の歩みのひとこまとして本欄に書きとめておきます。 

3640号【2016年3月19日】
■≪グーグルの話題≫
 昨日(3月18日)夜、編集会議(年報21号)は少人数でしたが、特集テーマをどう設定するかをめぐって、まずまずの議論・検討が出来たかと思います。親しい仲では脱線の話題もいろいろ。年報編集だけでなく、TOAFAEC 運営体制、事務局の問題なども出ました。当夜の報告、いずれ風に届くことでしょう。
 2月末に旧(ソネット)ホームページを解約して20日経ちます。グーグル等で検索すると、TOAFAEC ・小林の旧データが消えてしまい、すっきり。他方で新ホームページのファイルが顔を出し始めています。一時は撤収していた写真もかなり復元。サイト内リンクのブランクなど補修、気づいた折りに処理していますが、まだ大半残っている勘定です。
 思わぬ収穫が一つ。デジタル化できていなかった1990年以前の論文・報告類が検索にヒットし始めたのです。今までは旧ソネット・HPのデータに隠れていたかたち。それが取り払われて、たとえば、CiNii(学術情報)小林関係データ約40点を“発見”しました。PDFでアップされています。中には学会発表レジメの手書き“古証文”も出てきました。赤面ものです。
 小林文人・平良研一共編『民衆と社会教育―戦後沖縄社会教育史研究』(エイデル研究所、1988年)書評。「久しぶりに読み応えのある沖縄の研究書に接した」に始まる上沼八郎氏の好意的な一文。『教育学研究』(55巻3号、1989年)収録のもの、ネット公開は2009年1月です。しかし今まで気づきませんでした。→■https://www.jstage.jst.go.jp/article/kyoiku1932/55/3/55_3_273/_article/-char/ja/
『民衆と社会教育―戦後沖縄社会教育史研究』(エイデル研究所、1988年)


3639号【2016年3月16日】
■≪「東アジア」年報21号・編集委員会への期待≫
 私たちの年報『東アジア社会教育研究』が今年で第21号を迎えます。成人式を終えて、晴れて一人前の歩みを踏み出す第1号、期待大!です。しかし昨年の流れを引きずって、編集会議のスタートが遅れています。いつものリズムだと今頃は特集テーマが確定し主要論文の依頼等が進んでいる時期。そして期待の18日・編集会議は、編集委員各位に都合つかない人が多いとのこと。ちと心配ですね。
 いま東アジアの状況をどうみるか、各国・地域の社会教育・生涯学習をめぐる動き、その課題はなにか、どんなテーマが求められるか・・・など編集委員各位で自問しながら、今年の第21号・特集テーマの設定について構想・意見を編集長あて寄せ合ってはどうでしょう。それをもとに、編集長の構想と重ねて、21号「特集」方向を確定する会議となれば・・と期待しています。
 編集委員各位よ、18日夕刻まで(実質あと2日)、内田編集長あてボランタリーに意見を出しあっていただけませんか。編集長としての算段も別にあるかと思いますが・・・取越苦労お許しを。
 風3635号に書いた『社会教育法成立過程資料集成』について、上記・瀬川理恵さんを含めて3人の方からご希望が寄せられました。いま手元に3冊は現認できましたので、お会いする折りにお持ちします。いずれも新本同様・函つき。重い本なので、研究会などご参加の折、前もってお知らせ下さい。他にもどこかに10冊ほどあるはずですが見あたらず。福岡に運んだのかな?と思ったり。古書市場では2千〜4千円で出ていますから、TOAFAEC 資料部としては2千円の値札をつけましょう。送金はTOAFAEC 会計へ。


3638号【2016年3月15日】
■≪呉遵民さんとの再会≫
 話は前後しますが、3月10日夜は華東師範大学訪日団の歓迎会でした。訪日メンバーは、国際交流を担当する副学長・任有群教授、教育学部長・袁振国教授、呉遵民教授ほかの各氏。歓迎会は華東師大の日本同窓会によって開かれ、王智新さんが幹事役で活躍。袁振国氏は北京の中央教育科学研究長から転じた人だそうす。呉さん以外は初めてお目にかかる方々でした。
 招待された日本側の大学からは、学習院大学の佐藤学、東京学芸大学関係で小林文人、東京大学・李正連、筑波大学・上田孝典、早稲田大学関係で鈴木慎一などの皆さん。というわけでHPに掲げた4人の写真となった次第です。佐藤学さんはかなり酩酊、小林は花粉症でお酒が美味しくない季節なので、あまり酔わず。佐藤さんと日本教育学会のことその他についてやや率直な話の交換。
 呉さんはいつものように賑やかで忙しく、肝じんの9月(予定)中日韓国際シンポ企画の相談はほとんど出来ず。こんご日本側より積極的に提案していく必要もありそう。この機会に、石井山竜平さん(東北大学)の上京の機会に合わせ「東アジア」研究交流委員会を開いて・・・ということになりました。
 14日、東京は寒い1日でした。寒風吹き氷雨降りしきる冬日、しかし春はすぐそこです。金侖貞さんからは12日の韓国研究会「報告」、斉藤真哉さんから「映画・飯舘村の母ちゃんたち」お知らせが届いていますが、次号まわしとなります。ご了承を。
左より小林、李正連、上田孝典、呉遵民(華東師大・教授)各氏(東京・錦糸町、20160310)


3637号【2016年3月13日】
■≪3月定例研究会、26日に変更見込み≫
 前号・堀尾先生:カレンダー企画「2011年を忘れない」のご報告に添付すべき「最終報告」ファイル、添付失念しました。申しわけありません。1号おくれで本号に。足かけ5年の取り組み、丁寧なご報告、ご苦労さまでした。あのカレンダーを今でも掲げている方(複数)を私も知っています。「このような活動は5年以後もますます重要であると思います」とのこと。ユニークな次の企画が動くことを期待しています。
 あわせて飯田市・木下巨一さんの興味深いフィリピン・レガスピ市との交流記事(上掲)、唯一の邦字新聞「日刊まにら新聞」を(忘れずに)並べて添付。この邦字新聞もちろん初見。面白く読みました。有り難うございました。
 9日の東京「あゆみ」研究会、10日の華東師範大学(副学長、呉遵民教授等)歓迎会、12日の韓国生涯学習研究フォーラム、・・・と3月行事が忙しく動きました。南の風記事が追いつかないほど。それぞれの写真記録をせめて1枚ずつでもHPに載せていこうと努力しています。
 3月25日(金)の定例研究会・日程を(当日の小田切報告に関心をもつ韓国研究グループの皆さん、都合つかない方がほとんど)1日繰り下げて26日(土)へ変更することを急ぎ相談しました。TOAFAEC 事務局には遠藤事務局長以外の方に相談する余裕なく、申し訳ありません。委細は次号で。
第62回研究会(風の部屋、160312)  小田切督剛・撮影


3636号【2016年3月11日】
■≪風の部屋≫
 東京社会教育史研究フォーラム・第30回研究会の報告(上掲→■)、石川敬史さん(十文字学園女子大学)いつもご苦労さま。韓国研究フォーラムと比べて写真記録が少ない、今回はとくに参加者が10人(若い世代の新参加もあり)とにぎやか、せまい「風の部屋」ぎっしりの写真を撮っておこうということに。石川さん撮影、本人の顔はありませんが、風3601号の添付写真−右から2人目に石川さんがいます。
 「風の部屋」はもともと自宅からはみ出した本や雑品の物置。近所のアパートの1室を借りていました。その後、和光大学を退職(2002年)した際、研究室の小さな冷蔵庫や記念の土産物・各種資料など私物を棄てきれず、同じマンション3階・2LDKに移し、またある事情があってベッドも持ち込まれ、宿泊可能の“たまり場”となりました。誰言うとなく「風の部屋」と。今回の写真は、もともと物置だった雰囲気がよく出ている1枚。その空間が自由なたまり場・議論の場ともなり、(もちろん)お酒の座にもなってきたのです。
 この夜、卓上のワイングラスはほとんど空になって、会はほとんど終盤。画面には出ていませんが、琉球シマ酒(泡盛)のカメが三つ鎮座していたり、世界あちこちの酒瓶が転がっている一角もあります。雑然として整理できていませんが、掃除だけは案外としているつもり。機会をみて、いちどお出かけください。
第30回東京社会教育史研究会(風の部屋、20160309) 石川敬史・撮影


3635号【2016年3月9日】
■≪公民館と社会教育法の「資料集成」≫
 『公民館史資料集成』(横山宏・小林文人共編、エイデル研究所、1986年)が若い世代には幻の本となりました。ほとんど古本市場にも出ませんし、出ても高価で手が出ないと。どなたか安い値段でお譲りいただく方はいらっしゃいませんか。TOAFAEC 資料部(仮、担当・ぶんじん)で斡旋役を担います。そんな希望が寄せられました。
 この本(全800頁)は1945年から1973年(三多摩テーゼ)までの公民館基本資料を選りすぐって収録したもの。「戦前における公民館構想の系譜」(末本誠・上野景三)も付され、上田幸夫氏はじめ若い世代(当時)を含め10人が関わった本づくりでした。
 同じ二人の共編として『社会教育法成立過程資料集成』(昭和出版、1981年、全750頁)があります。布張りの表紙、資料的価値も高いのに、こちらは古本市場に安い価格でたくん。社会教育法にかんする基本資料(1945年〜1970年前後)を「集成」した兄弟本です。当方に数部あり、安価でお頒けしましょう。
 社会教育法といえば、本号に収録した2月定例研究会記録にあるように、報告者・山口香苗さんは台湾の社会教育法の顛末に触れ、「1942年に大陸で出されていた草案」のことなど興味深い歴史を指摘しています。ぶんじんは関連して「四つの社会教育法」(日本、台湾、琉球、韓国)について発言しました。いまや世界に残っている社会教育法は日本だけ。東アジア「社会教育法物語」を書いてみたいもの。26日の山口さんと小林の写真を貼り付けます。
2月定例研究会、左・報告者・山口香苗さん→右・小林(小田切督剛さん提供、160226-2)


3634号【2016年3月7日】
■≪川崎・H.R.N研究会≫
 東京は今日(7日)、しとしと春めいた雨。しかし濡れていくにはまだ冷た過ぎる。雨の日はワイン10%引きの店があって、夕食の買い物の足を延ばして4,5本仕入れて帰りました。傘をさしてのワイン荷物はちと重い・・・しかし、「風の部屋」の会合にはワインタイムが楽しみ、という人もあって、安いワインを小さな冷蔵庫に並べておく慣わし。
 1年ほど前までは、駅前に主にオーストラリヤ、・ニュージランド産を揃えていた仲好しワイン屋がありました。値段も手頃なものを、そこから直送してもらう付き合いが続いてきましたが、去年(採算があわないのか)転業してしまったのです。残念、しかしお酒の店は、どこかに湧いて出る感じ。
 閑話休題。今月の定例研究会(3月25日・予定)の報告予定者・川崎の小田切督剛さんからメール来信(上掲)。添付あり、川崎の研究会「HRN」ちらし。「H.R.N.(Human Rights Network)とは、人権について様々な事例に学びながら、市職員や市民と幅広い立場から意見を交換し合い、人権に関心を持つ人の輪をつなぎ広めていく自主学習会を開催しています。川崎市人材育成センターに登録している自主学習グループです。どなたでも参加できます」と。
 今回の研究会で、なんと!128回とのこと。TOAFAEC 定例会(3月で226回)のライバルですね。そのうちお互いを励ましあう合同会を企画してはどうでしょう。

3633号【2016年3月6日】
■≪代執行訴訟・和解案を受け入れ≫
 雛祭りの翌日、「え、まさか」(沖縄タイムス・コラム)と驚くニュースが報じられました。名護・辺野古の新基地建設をめぐる代執行訴訟、安倍首相が工事中止の和解案を受け入れたと。那覇では新聞号外も出たとのこと。
 今回の「代執行訴訟」では、「国が敗訴するリスクは高い」ことを沖縄2紙ともに書いています。沖縄タイムス社説(3月5日)を上掲しましたが、裁判所の和解案が、そのことを強く示唆しているようです。司法の立場から警鐘を鳴らしたかたち。思わぬ展開です。同日の琉球新報・社説も次の通り(抄録)。
 「福岡高裁那覇支部の多見谷寿郎裁判長がこの和解案を示した時点で、結論は必然だったとも言える。国と県の対立に決着を図る上で最も強権的な手法が代執行だ。他の手段を経ず、いきなり最終手段たる代執行を求めた国に対し裁判長は代執行以外の手段を勧めたわけである。「このまま行けば国敗訴だ」と警告したのに近い。」
 目取真俊さんのブログ(海鳴りの島から)は次の通り(3月4日、抄)。「あくまで一時的な工事中止であり、国が辺野古新基地建設を断念したわけではない。それでも国がこのような対応をせざるを得なかったのは、ゲート前と海上で粘り強くくりひろげられてきた阻止・抗議行動があったからだ。・・・海とゲート前での体を張ったたたかいがあってこそ、司法と行政の場での成果も生み出されたのだ。」

3632号【2016年3月4日】
■≪新URL≫
 前々回の「風」で、ホームページ切り替えをお知らせしました。2月末日をもって、これまでのソネット・ホームページをすべて解約、せいせいした気分。というわけで、いまグーグルやヤフーで検索しても、小林もTOAFAEC や南の風も、ソネット関連で出ていたデータは、すべて「見あたりませんでした」とブランクになります。他方、あたらしいドメイン「bunjin-k.net」では、これまでにない小さな記事、たとえば表紙の「天狗のお面」などキャプションまで、一瞬にしてWebサイトに顔を出しました。こわくなるような反応です。
 新ホームページURLは、→■http://www.bunjin-k.net/。あるいは、bunjin-k.net で検索すると「東京・沖縄・東アジア社会教育研究会」が登場します。少しでも見応えのある内容にしていきたい。引き続きのご愛顧、どうぞよろしくお願いします。
 今回のホームページの切り替えは、これまで入力してきた記事・資料等の点検・再編集の機会となりました。大半は2000年以降の文章・写真等です。そのなかから「回想記録」として、伊藤寿朗、吉田昇、小川利夫 横山宏など各氏にまつわる文章を抄録してきました。本号には、その7として、韓国の黄宗建先生との出会い「1980年“春”」を載せています。系統だったシリーズではありませんが、感想などいただければ幸いです。

3631号【2016年3月2日
■≪春三月・花粉症≫
 前号・本欄で「TOAFAEC 創設の2年後、1997年(旧)ホームページ@を立ち上げたときの来訪者カウンター約2万」と書きましたが、誤りです。最初は当然ゼロ、その後6年経って「ホームページA」スタート時点が約2万人でした。お詫びして訂正します。HP入力分は修正しました。
 本号は沖縄に関する記事で埋めることができました。南の風としては嬉しいかぎり。鷲尾真由美さんからは、29日の那覇・裁判所前での稲嶺進名護市長(最後の証人)激励集会の模様が伝えられました(上掲)。「満開の桜を背にまるで“花道”を通り抜けるように登場」、市民からは歓声が上がり「裁判所に向かう市長に『進!ススム!』コールと手拍子が続きました」とのこと。進さんのいい写真も送っていただきました。添付します。
 「やんばる対談」(4月24日予定、風3629号)について、久しぶりに山城千秋さん(熊本大学)からのメール。参加できるそうです。山口真理子さんからは早速に名護「山田荘」予約のご連絡。日程について無理な調整をお願いしてすみません。今年の対談内容−ポイントをどのあたりにおくか。島袋正敏さんと電話でなんどか相談しました。双方からいくつか案を出し合って・・・そのうちにメールをいただけることでしょう(期待!)。
 3月に入りました。春は弥生。しかし「春は名のみの 風の寒さや、谷の鶯・・・声も立てず」(早春賦)。春一番、春二番と吹いて、花粉舞う季節となりました。楽しくありません。同症の方々にお見舞い申しあげます。
代執行訴訟・稲嶺進・名護市長の激励集会(那覇・裁判所前、20160229) ・・鷲尾真由美さん提供


3630号【2016年2月29日】
■≪小さな林の藪の道−新ホームページB≫ 
 一ヶ月遅れていた TOAFAEC・小林・ホームページの切り替え、2月末をもって現ページを解約する運びとなりました。3月より新しいページ(天狗のお面)に完全に移行して運用することになります。どうぞよろしくお願いします。あらためての新サイト・URLご案内は上掲の通りです。
 この間、1月末の突然のパソコン・クラッシュ、データーの救い出し、新しいサイトへの切り替え作業など、“救いの神”木村雅俊さんにオンブにダッコのかたち。いまキイをたたいているパソコンも木村さんからの当座の借り物です。すっかりお世話になりました。ありがとうございます。
 サイト間のデータ移動は、根幹部分はほぼ完全?に置換したつもり。しかし新サイト内リンク(枝葉の部分)は、実は煩瑣にあり過ぎて(反省!)URLの書き換えが大半残っています。→■をクリックしても、ブランクとなる箇所があちこち出てくる?と思います。追々に補修いたします。
 この機会に、撤収していた古い写真を復帰させています。あえて大項目は変更していませんが、中小項目は再整理、少し手を加えました。古い記事は削除するつもりでしたが、今世紀初期の記録など案外と面白く、廃棄することができませんでした。相変わらず、煩雑なまま。小さな林なのに、どこを歩いているのか分かりにくい藪の道、お許しください。
 TOAFAEC 創設の2年後、1997年(旧)ホームページ@の立ち上げ。その6年後、ホームページAスター時点の来訪者カウンターは約2万人でした。いま23万人余。そのうちある部分は発行人(ホームページ更新作業等)の数字ですが、それにしても多くの方にお出でいただいたことになります。感謝! 今後とも新サイトをよろしくご声援ください。

3629号【2016年2月27日】
■≪3月〜4月の日程≫
 「風」が数日吹き止んで、何事もなかったかのような感じ。実はいろいろあって・・・ 本欄でのお知らせを1日延ばしにしていました。2月26日夜、第225回定例研究会。終わりの時間で、ご参加のみなさんに(大急ぎで)ご相談し本欄を書いています。
 まず2月定例研究会、みなさまお疲れさまでした。研究会としては久しぶりの台湾報告、新しい動きがたくさん。韓国からヤンビョンチャン先生も帰国の日程を延ばしてご参加。台湾と韓国を横につなぎ、東アジアの現在の躍動をあらためて実感した夜となりました。報告者は山口香苗さん(東大院)、当夜の報告データを頂きましので、早速「台北の風」サイトに載せることに。→■
https://secure02.red.shared-server.net/www.bunjin-k.net/taiwanyamaguti.htm
 3月〜4月の日程について。ひとつは今年度の年報(21号)編集会議について。高知・内田純一さんから「編集会議予定」3月18日(金)夜の案(風・前号)。佐賀・上野景三さんもこの日だと都合がつくとのこと。お二人が揃うのであれば、この日程で決まり!ですね。そして3月定例研究会(最終金曜日・25日)も予定通り。忙しい年度末ですが、ぜひご参加を。ご案内はいずれ…。
 関連して、今年の「やんばる対談」(第8回)について。風3620号等に書いたように、夜間中学の見城慶和・関本保孝ご両所から名護行き希望が寄せられ、4月下旬の日程案が浮上しました。記録・山口真理子さんはご無理とのこと。なんとか調整していただけないかのお願い。4月23日(土)〜25日(月)「やんばる対談」は24日(日)−の線で、名護・島袋正敏さんとも電話で相談しました。内容・企画案についてもご検討をと。日程としては、この第一次案で進めることになりました。熊本・山城千秋さんの都合はいかがでしょうか。今年はぜひ!と期待しています。帰郷日程に合わせて来てください。
 3月予定としては、東京社会教育史研究フォーラム・3月9日、10日に上海・呉遵民さん東京へ。韓国生涯学習研究フォーラム・12日、と続きます。賑やかなスケジュール。関係の皆様、ご関心ある方々、ご予定お願いします。
2月研究会。左2人目に山口香苗さん、3人目ヤンビョンチャンさん。(高井戸・イーストビレッジ、160226)


3628号【2016年2月23日】
■≪「おきなわ短信」の歳月≫
 南の風は、もともと「沖縄」の風。しかし沖縄からの来信は、島袋正敏さんや鷲尾真由美さんなど折々の風を除けば、多くを期待できず。最近では宜野湾メンバーへ送る風も戻ってくるようになりました。宜野湾市長選の動静など寄稿を期待していたのですが・・・残念! ご存知・那覇「おきなわ社会教育研究会」メンバーも、皆さん揃ってパソコン通信をお好みではないらしくEmail アドレスをお持ちでない。南の風そのものが届いていません。
 しかし風としては、毎号になんらかの沖縄の話題を載せたい思い。当初はぶんじんが書く「おきなわ短信」を始めたのでした(1999年11月スタート)。当時「公民館の風」(小林)の記事も少なかったせいもあり、「沖縄の公民館」レポートを「やんばる」から竹富・与那国まで約50本書いたという経過でした。そして今世紀に入って、しだいに沖縄タイムス・琉球新報ときに八重山毎日新聞の社説・コラム等を紹介する方向へ。この3誌には深い恩義を感じています。いま「おきなわ短信」は次号で<1099号>を数えます。
 本号には「辺野古埋立て阻止国会大包囲」「稲嶺進さんとも、しっかり握手」(山口メール)が届きましたので、用意していた「短信」は次号へ。その穴に前号に続き、「月刊社会教育」編集長に関する「回想記録」(5)を収録。故小川利夫氏との交流・思い出を書いたものです(抄録)。全文はTOAFAEC・Webサイト「小川利夫氏追悼ページ」→■「社会教育の深い森のなかへ(小林)」までお散歩を。

3627号【2016年2月21日】
■≪祝「月刊社会教育」復刊!≫
 昨年7月、出版取次店倒産の余波を受け民事再生法の適用を申請した国土社。「月刊社会教育」発行も停止されていましたが、このほど再刊の日程が決まり、嬉しいニュース! 同編集委員の野々村恵子さんより「4月号より復刊、ご支援を!」を送っていただきました(上掲)。この半年余「月刊」が出なくなった空白感。そこから脱して、こんご順調な発行が持続され発展していくためには、何より一人でも多くの定期購読者を増やす必要あり。皆様のご助力、まわりへの「月刊社会教育」喧伝・普及、どうぞよろしくお願いします。
 いくつかの回想。「月刊」読者になったのは創刊から数年たった1960年、遅れて入った青年でした。30代後半に編集委員会に参加し、40代前半の多感なときに編集長をつとめました。2年余りの“苦しみと喜び”を今でも忘れません。当時の編集長は、特集テーマ・構成・執筆依頼など一人で担当し(毎号102頁)、その力量と責任が問われる立場。1970年代の前半、社全協運動の高揚にも支えられ、部数も上昇傾向にある時期でした。月刊誌編集者としての経験は貴重、言い知れぬ“喜び”を味わうことができました。
 編集委員会は、吉田昇、三井為友、横山宏、福尾武彦、田辺信一、奥田美穂、室俊司、野呂隆などの皆さん、論客揃い。激しい論戦もありました。各先輩はすでに故人となられましたが、教えられたこと少なからず。たとえば(理論だけでなく)実践と運動の息づかいを、大きな論文でなく小さな記事を、雑誌の「雑」を大事にする、編集長が書くような雑誌はつぶれる、などなど。すべて「月刊社会教育」をどう拡げていくかの課題につながる言葉でした。
 200号記念特集が力作だと評価された思い出。盛大なパーティ(1974年の夏)も懐かしい。野々村さんが会計・アルバムを担当された記憶あり。この記録、今どこかに保存されているでしょうか。

3626号(2016年2月20日)
■≪韓国・ヤンビョンチャンさん歓迎!≫

 前号・上海からの便りに続き、昨日は韓国・ヤンビョンチャンさん(公州大学)のメール来信(上掲)。懐かしく拝見しました。昨年2月、日本での1年の「安息年」を終え帰国されて、ちょうど1年ぶり。来日のお知らせです。今回は、帰りの日程を1日延ばし、私たちの2月定例研究会にご参加とのこと。ありがとうございます、大歓迎です。
 2月26日(金)の定例研究会は、久しぶりに台湾のテーマ。台湾留学を終えて帰国したばかりの山口香苗さん(東大院)からレポートして頂きます。台湾の話に加えて韓国からのゲストを迎えるかたち。文字通り「東アジア」研究会として豪勢な夜になりますね。山口さんを含め、お互いの再会を祝して、盛大な乾杯!をいたしましょう。初めての方も、この機会にぜひご来会ください。
 いま編集中の『躍動する韓国の社会教育・生涯学習』(2006年出版の改訂版)編集会議を(わずかの時間でも)開けないかしら。編者4人揃っての会議をもつことができれば何より・・・と書いたところで、あ、そうだ、川崎・小田切督剛さんが出席できないこと(風3623号)を思い出しました。残念です。
 韓国では社会教育法を大改正するかたちで「平生教育法」(1999年)が登場しました。台湾では昨年、社会教育法を廃止し「終身学習法」が大きく改正されたことも山口レポートに詳しい(年報・第20号「台湾・この1年」)。いま二つの国(地域)は、内容にはもちろん違いがありながら、大きな躍動がみられる点で共通している。東アジアはいま、政治も民衆意識も、若者も生涯学習も、大きく動いていますね。日本は・・・?

3625号【2016年2月18日
■≪中日韓・3国間シンポの企画≫
 今年に入っての新しいニュース。華東師範大学・呉遵民さんより、中日韓三国間の生涯学習・社会教育に関する国際シンポジゥムの企画・提案をいただきました(南の風3608号など)。3月10日・華東師範大学副学長一行が東京に見える由、その際の親睦会にご招待いただき、誠に有り難うございます。
 私たちには、2010年11月に同じ上海で開催された三国間シンポに参加した経過あり、先日、当時のメンバーで呉提案について協議しました。石井山竜平さん(東北大学)の上京の機会に数人集まり、今回の企画は2010年国際シンポとは別企画との理解のもと、当面の日本側の対応について話し合いました。韓国側の動きはまだ伝わってきませんが、日本側としては(5月or9月案のうち)日本社会教育学会大会後の、9月下旬の線が参加しやすくなること、いま大きな動きを見せている台湾からの参加を求められないか、形式ばった会議ではなく、実質的な討議と連帯を確認しあえるような国際シンポを企画してほしい、などの意見が出されました。
 3月10日・華東師範大学一行の来日の際、日程のなかで適当な時間をみて、直接に呉さんを交えて具体的な実行案を相談できれば幸いです。連絡メールの労をとられた華東師大・馬麗華さん、ありがとうございました。
2月13日、アンギリちゃん0トクタホさん愛娘)の馬頭琴演奏(20160213)


3624号【2016年2月17日】
■≪トクタホさんを囲む会−馬頭琴の響き≫
 石川さんからの連絡(上掲)、承知しました。ご指定の時間、風の部屋でお待ちします。若い世代と話すのは楽しみ。年をとったせいでしょうか。別件で上平泰博さんのメール(17日午後4時頃とのご連絡)、久しぶりの再会、風の部屋でお待ちします。少しお話しして近所で食事しましょう。最近は当方の外出がままならず、いろんな方々にお出でいただき恐縮、お許しください。せまい「風の部屋」空間も、所を得て喜んでいます。しかし福岡・油山の寓居は主を失ってしまいました。
 13日夜「トクタホさんを囲む会」。モンゴルからの一家を迎え、思い出にのこる一夜となりました。上掲・山口真理子さんメールにあるように、なにより愛娘の馬頭琴演奏(実は年下の愛息も弾くらしい、馬頭琴の時間に寝ていた)。モンゴルの皆さんは歌ごころ豊かです。いくつか「母」の歌が出たので、ぶんじんんも昔を想い、「父」の歌を口ずさみました。♪死んだ親があとに遺す宝ものは何ぞ、力づよく男らしいそれは仕事の歌♪と。昔の「うたごえ運動」でよくうたったロシヤ民謡「仕事の歌」の一節。当夜の記録をお待ちします。
 年報『東アジア社会教育研究』第20号にトクタホ「TOAFAEC への想い」が載っています。日本は「第二の故郷」、その土台に「TOAFAEC こそ第二の故郷」だと。ありがとう。中国の大学もなかなか大変らしい。苦節の中で頑張ってほしい。今日(2月16日)は、伊藤長和さんの命日でした。トクタホさんを囲む会でも伊藤さんの思い出話が出ました。あらためて献杯!
中央に(ぶんじんをはさんで)トクタホさん家族(イーストビレッジ、20160213)


3623【2016年2月13日】
■≪ホームページご挨拶≫
 2003年以来、毎日のように更新してきた TOAFAEC・小林ホームページの表紙(写真−富士山)に、次のような「ご挨拶」を書き入れました。
 「本サイトは容量満杯となり2月末をもって撤収、下記・新サイトへ引っ越します。→■https://secure02.red.shared-server.net/www.bunjin-k.net/
 永年のご愛顧、有り難うございました。新サイトもほぼ同じ構成で、内容的には更なる充実を目指します。引き続きのご来訪をお待ちします。」
 1月末に切り替え予定のところ、思わぬパソコン・クラッシュのため撤収を1ヶ月延期しました。これまで同サイト内(増量)3ページで運営してきましたが、実は2003〜05年の1版(Bunjin-k)はすでに解約。U版(Fumi-k−写真・富士山)とV版(mayu-k)の両サイトが残っています。これを新サイトへ1本化して、今後はのびのびとウンイグを広げていきたい、と年齢不相応なことを夢みています。
 韓国(京畿道)「平生教育士・価値宣言」(風3616号・本欄に紹介)が、信州の公民館(上田市西部公民館・中村文昭さん)の眼に留まりました。さすが!「心に灯がともる宣言文」とコメントをいただき(上掲)、嬉しくなりました。
 これに相当する日本の諸「宣言」(テーゼ等)より、熱き思い、文学的な表現が心を打ちますね。いま躍動する韓国「平生教育」を象徴するところあり、類似のもの(宣言・呼びかけ)を10本ほど集めて、近刊(やや遅れている)予定の韓国本に収録しようと、鋭意努力中です。ご期待を。
 本日今から、内モンゴル赤峰学院・トクタホさんを囲む会(高井戸イースト・ビレッジ、18:00〜)、久しぶりの再会が楽しみです。ご都合つく方、ぜひ!

3622号【2016年2月11日】
■≪コザ暴動45年≫
 春節を祝うメッセージを数通(前号・李偉成、上記・胡興智の各位ほか)いただき有り難うございました。こちらも、出しそびれていた賀状を“春節”に向けて書けばよかったと思いつき・・・しかし後の祭り。あらためて本年のお祝いと失礼のお詫びを申しあげます。来年は春節を忘れないことにしよう。
 『N27』(「時の眼−沖縄」批評誌)bU(2016年1月30日・発行)が比嘉豊光さん(同誌発行人)から送られてきました。ありがたく拝受。総特集は「土地の記憶・時の実り」とくに「コザ暴動から45年」記録・写真が出色の内容です。。
 昨年12月20日、45年前の「暴動」と同じ日にコザ一番街の空き店舗で開かれた「あれから45年」シンポジウム記録を興味深く読みました。米兵・MP関係の車(約80台)を焼く炎は天を焦がしたこと。あれだけの「暴動」だったにもかかわらず、死者は一人もいなかった。リーダーや組織による動きではなく偶発的な米軍MPによる交通事故処理への民衆の怒り。一見暴力的ではあるが非暴力的な何か。占領支配下にあった沖縄民衆のウチナンチュ意識の表出。復帰を目前にした時期に日米両政府に衝撃を与えたことなど。
 コザは今の沖縄市。嘉手納基地ゲートに通じるコザ十字路から歓楽街・中の町あたりの「軍道24号線」が現場。当時、私たちはまだ沖縄研究に入っていませんでしたが、「コザ暴動」のニュースを聞いて、心騒ぐものがあったことを憶えています。あれから45年。

3621号【2016年2月9日】
■≪新ホームページ、寝不足の夜≫
 台湾南部の大地震、お見舞い申しあげます。南の風メンバーでは、高雄の葉0淑華さん(高雄第一科技大学教授)。ご家族の皆さま、大丈夫だったでしょうか。被害のないことを祈っています。夫0000000000000君の陳東園さん(空中大学教授)もさぞかしご心配のことでしょう。そう言えば、高雄や台南在住の何人かの留学生(旧小林ゼミ)の顔が浮かんできます。皆さん、きっと元気だと思いますが。
 本号には、首都大学東京・ハスゲレルさんからの、内モンゴル・トクタホさん「囲む会」案内をあらためて掲載(2月13日・夜@イーストビレッジ)。また東大・李正連さんより、2月定例研究会・案内も届きました。ありがとうございました。山口香苗さん報告「台湾留学あれこれ」(2月26日・夜)、次号に掲載することに。。
 ホームページ2月スケジュールの更新が、パソコン・トラブルのため滞っていたことにいま気づきました。まずこの2行事のこと大急ぎで書き入れました。→■
https://secure02.red.shared-server.net/www.bunjin-k.net/yotei1601.htm
 新しいサイトへの引っ越しもあり、このページだけでなく、HP各ページについても、誤記その他お気づきのことあればご指摘ください。ご意見も歓迎!
 1台のパソコンのため、この1週間は寝不足が続いています。やっと動いてくれた(使い古し、捨てなかっただけの・・・)旧パソコン。のろのろと立ち上がるさまは、我が身を見る思い。さすがに時間的なロスが大きく“救いの神”木村雅俊さんのご好意で、新しい1台を借り受けてキーをたたいています。新しい機種、まだ指の運びがままなりません。 ◇うたた寝に浅き夢見し冬の夜

3620号【2016年2月7日】
■≪今年のやんばる対談≫
 本号は「南の風」ネットの常連ではない、珍しいメンバーからの便りが並びました。嬉しいことです。ベトナム学習振興会の話題も久しぶり。
 横山文夫さんのパソコン・ダウンへのお見舞い、有り難うございました。ご教示のように、外付けHD(ハードディスク)が2000年前後からの多くの記録・資料をすべて救ってくれました。しかし、活動中の作業ファイル(南の風・発行、ホームページ更新、二つの本−韓国、東京社会教育史−編集の4本、その他メール・メモ類)は、パソコンの上に載せたままでした。消えたファイル、結果的にはその大部分を救い出すことができたものの、今なお混乱が続いています。
 横山さんからは、いつぞや私たちのホームページ(TOAFAEC・小林の併用)について評価いただいたことがあり、励みとなって、年齢不相応に頑張って、蓄積してきた諸ファイル、救出できたときは大喜び。考えてみればサーバーからダウンロードも出来たのに、騒動中は考え及ばず、おかしなものです。
 ところで、今年の「やんばる対談」の日程をどうするかの話が始まりました。5日・風の部屋来訪者(関本保孝さんなど)から沖縄訪問の希望が出され、名護・島袋正敏さんとも相談する時期となりました。日程だけは早めに決めておきたい。4月下旬の線が浮上しています。毎年のことながら、記録・山口真理子さんのご都合も大事。そして、年報21号編集作業もそろそろスタートする必要あり。編集委員会の各位、どうぞよろしくお願いします。

3619号【2016年2月4日】
■≪パソコン・ファイルの救い出し≫
 悪夢の数日が過ぎて、やっと少し落ち着いてきました。今回のパソコン・ダウン、1995年あたりからの(ワープロ時代以降の)ぶんじんパソコン史にとって初めてのこと。ほとんど予兆なく、愛用のパソコン1台が瞬間死したのです。すでに買い換えの時期ではありましたが、あと少しは大丈夫?の感触あり。それだけに、あまりも突然のこと。当夜は気も動転し・・・原因は当然あったに違いありませんが。
 パソコン内に格納していた、南の風・ホームページ関連の最新ファイルの応急の取り出し。すでにお蔵入りしていた古いパソコンの埃をはらって、なんとか送受信に対応。HP(FFFPT)とインターネットへの接続。普段のリズム=隔日での風(3617号)発行が出来たことは、自分ながら驚いています。
 救いの神・木村雅俊さんの努力で、「消えたファイル」は90%ぐらいは復旧された感じ。一部損傷あり、いま調べてみて、微妙なところで亡くなったファイルがあるようです。この間、「パソコンのお見舞いを申し上げます。私は前に、マザーボードが壊れた折り、パソコンのデータを大学のスタッフに取りだしてもらったことがあります。万一、木村さんのレスキューが不調だった場合、ご希望あれば遠慮なくお申し付けください」(岩本陽児さん)など、お心遣い、ありがとうございました。
 しかし、お約束していた他の仕事は、この1週間すべて中断、お許し下さい。

3618号【2016年2月1日】
■≪喪失感、ヤケ酒では癒えない≫
 28日夜のパソコン・ダウンから悪夢のような3日が経過しました。とりあえず「南の風」(前号)発行、HP更新、が可能となったので、ますは一息。
 ところが、諸MLやいろいろメールを頂いて、それらを格納してきたフォルダが消えたこと、とくに編集中の二つの本(韓国・生涯学習、東京・社会教育史)経過資料・拝受していた原稿、それにTOAFAEC 関連記録など、パソコンに載せていたデータが、すべて失われたことにあらためて驚き、ガクゼン!喪失感が増幅、ヤケ酒では癒えません。
 外付けハードディスクに移していた諸資料・画像は(もちろん!)残っていますから、そう嘆くことはない、と自ら言い聞かせつつ、いま現在、取り組んでいる活動中の記録・資料、パソコンの上で躍動していた!それが一瞬で消えたのです。諸原稿は編集事務局で共有しているので、まずは大丈夫。しかし一人だけでもっていた自原稿、レジメ類、私信メール、諸データ、画像など、取り返しのつかないもの少なからず! いまは救いの神・木村雅俊さん(前号)のパソコン解体による「拾い出し」に期待するのみ。
 31日夜、先日の上海・呉遵民さんからの「中日韓三国シンボ開催の提案」(3608号)について数人で協議しました(風の部屋)。前向きに受けとめる方向。そのうちに「風」誌面でご紹介することになりましょう。呉さんからの添付、さらにご丁寧に馬麗華さんと煩わしての再送、すべて読めました。有り難うございました。ご面倒かけて申し訳ない。

3617号【2016年1月29日】
■≪ホームページ引っ越し・愛用パソコン落命≫
 1月も終わりの夜(28日)、下掲のようなホームページの切り替え・引っ越しの最終作業。本欄を書き始めたところで、永く愛用・酷使してきたパソコンがあえなくダウン。突発的なことで(なかば予期?)ガックリきました。
 深夜にお助けマン、ご存知・木村雅俊さん(農工大学OB)に“HELP!”連絡。29日午後お出でいただき、ダウンしたパソコンから本号や作業中の原稿などのデータを取り出していただき、ホームページ関連のファイルも救出できて、ほっと一息。地獄に仏とはこのこと。いつものパソコンは解体?されましたので、いま本号は更に古いパソコン(のろのろと、なんとか動いてくれている)のお尻をたたいて送信しています。
 以下、書きかけ、中途ダウンの「ホームページ引っ越し」記事。
 いま毎号・風の見出し欄(上から4〜5行目)に二つのURLを併記していることにお気づきでしょうか。昨年11月に新しいウエッブサイトを契約。この2ヶ月余り、従来のソネット・ページから主要データの引っ越し作業に努めてきました。このほど、ようやく根幹部分の移し替えが完了しましたので、1月末で現行ホームページを解約、2月から新サイトへ切り替える予定。
○TOAFAEC ・小林ホームページ。
 現HP:http://www004.upp.so-net.ne.jp/fumi-k/ (1月末で解約予定)
 →■新HP:https://secure02.red.shared-server.net/www.bunjin-k.net/
 と言っても、今年に入ってすでに二つのページを同時並行で動かしてきましたので、ご存知の方もあったかと思います。急な切り替えのお知らせとなりましたが、混乱はほとんどないものと期待しています。さきほど新しいサイとの.表紙写真を、アッと驚く“天狗”のお面に更新しました。のぞいてやってください。表紙・収録データの構成は、ほぼ現行の枠組みのまま。内容はかなり充実。かって削除した写真の復帰、新しいページの増幅など鋭意更新中。・・・
*追記:突発的なトラブルのため、新ページへの切り替えは1ヶ月延期します。

3616号【2016年1月27日】
■≪専門職化への道・宣言≫
 前号の続き。TOAFAEC 年報20冊のなかに、いや各号それぞれに、ピカリと光る論文・報告があります。第15号(2010年)所収の李揆仙(イギュソン)さん「共に生きる共同体を夢見る人々−平生教育実践協議会の設立と活動を中心に」(李正連訳)はまさにその一つ。韓国「平生教育士」の専門職化運動にかかわる“夢見る”レポート、貴重な記録です。韓国では全国レベルで「平生教育士協会」が成立(日本は「社会教育主事協会」組織化に失敗した)。いま地方レベルの平生教育士協会が各地で始動中。京畿道「平生教育士協会の創立の際に提唱」されたのが「平生教育士協会価値宣言」(2015年)です。データを送って下さったのは金ボラムさん(感謝!)。日本語訳はどなたかしら? 
 「平生教育士価値宣言文:学習を通した市民の成長を共に喜び、地域の小さな変化にも感動する私たちは、平生教育士です。
 私たちが夢見るのは、だれでも夢をかなうため、知ること(学)ができ、それを身につける(習)ことができることです。学習を通して成長した市民が地域を変えていくことです。私たちが夢見る世界は、誰でも共にいきられる温かい共同体が生きているところです。学習を通して自ら未来をつくっていく持続可能なところです。
 私の夢を実現するために、我々は次のことを絶えず考え、実践していきます。
・地域の問題を平生学習で解決していけるよう地域住民と共に呼吸します。
・市民が地域社会へ参加できる活動の場をつくっていきます。
・学習と労働をつなげるため、多様な領域と疎通します。
・熱い愛情を持ち、学習者と地域の痛みを我々の悩みとして受け入れます。
・平生教育現場をつくってきた先輩と研究者の経験から学び、同行します。
 −我々は平生教育士として魂をこめて使命を尽くすことを宣言し、心に深く刻みます。2015年京畿平生教育士協会の創立の際に提唱」

3615号【2016年1月25日】
■≪韓国研究会のスナップ≫
 22日の定例研究会、23日の韓国生涯学習研究フォーラム、連日の写真を金ボラムさん(東大・院)から、たくさん送っていただきました。有り難う!そのうちの1枚ずつ、本欄及び研究会ページにアップしました。23日、みんなが写っている1枚(フラッシュなし)は、部屋の電灯のあかりが微妙に影響し、明るいところの顔・表情が白くなっていて残念。窓よりに座っているのは金侖貞さん(首都大学東京)、立っているお二人は、山添路子さん(エイデル研究所、左)と李正連さん(東京大学)。この写真、自撮機なしの自撮りです。*研究会記録→■https://secure02.red.shared-server.net/www.bunjin-k.net/kankokukenkyukai07.htm
 せまい部屋いっぱいの賑やかな集まり。この日、ぶんじん宅には大阪の妹など見舞客あり、大忙しでした。3階と5階を往復、出たり入ったり。雪かも知れないとの予報もあって、遠い皆さんは(いつもより)早めに帰宅。あとに残った5人は、いつもの通り、楽しく飲んで、愉快に語り、酔いがまわりました。皆さん、お疲れさま。
 この日は、韓国・京畿「平生教育士協会」創立の際の「価値宣言」(2015年)が資料として紹介されました。年報20号「韓国の平生教育・この1年」にも短く抄録されています(p121)。22日の研究会でも話題になりましたので、本欄でも紹介しようと思っていましたが、本号すでに長文、次号にまわすことにしましょう。金ボラムさん、日本語文のデータを送っていただけませんか。
 宜野湾市長選、現職に及ばす、まことに残念でした。
第61回韓国生涯学習研究フォーラム(風の部屋、160123)



3614号【2016年1月24日】
■≪20年の歳月・道は拓かれた
 1月22日(夜)は本年最初の定例研究会、23日(午後)は韓国研究フォーラムと続きました。両日ともに楽しい語らいあり、また美酒?の酔いが残って・・・・酔いのままでの風・編集は禁物。(最近ただでさえ多い誤字・脱字に加えて)間違いのもと。「風」(本号)編集・発行が予定より1日遅れてしまいました。上掲・名護から届いた「勝たねばならない!宜野湾市長選挙−宜野湾市民お知り合いの方へのシムラ候補支持の呼びかけお願い」(島袋セイビンさんメール)が選挙当日の配信となる結果に−。申しわけありません。
 22日・年報20号合評会は、主要メンバーが揃って、20年の蓄積を実感させるものでした。21号へ向けての体制づくり協議がやや時間不足となったことが惜しまれますが、20号をベースにして、きっと充実した方向で歩みが始まるに違いありません。研究会後「イーストビレッジ」のとりとめのない話のなかにも、これまでにない活力を感じました。(研究会の記録をお待ちしています。)
 20号の巻頭言、最後の部分を再録しておきます。「私たちは自主・自由の研究共同体でありたい。東アジア各国・地域の研究共同体との同志的な連合に参加し、民主主義の発展に寄与したい。… 東アジアの海は広く、行く道は遠く遙かであるが、20年の歳月でその道は拓かれた。」
224研究会・残った有志(高井戸イーストビレッジ、160122)


3613号【2016年1月21日】
■≪研究会20年・歩み来し道の懐かしき(ぶ)≫
 1月は早くも下旬に入りました。東京にも寒波襲来、道路は月曜日の雪がまだ残っていて、いますっかり冬の風景。道行く人もみな寒そう。 
 前号配信の一部に、冒頭タイトルの部分で1行空きがあったり、本欄の文章に文字の乱れがあったり、失礼しました。送信したあと、(ぶ)日誌としてホームページに入力する作業で気づいて・・・しかし、後の祭り。文章を少し手直しして収録しました。ご了承ください。
 沖縄から派遣された教員お二人を十日町の雪まつりに連れ出した旅、懐かしい雪の夜の語らいの思い出。早速に同市中央公民館・小川清貴さんからメール(上掲)。今年の十日町は雪が少ないそうです。
 さて、明日夜は今年最初のTOAFAEC研究会、20年の歳月を重ねて第224回を数える定例会です。はるばると歩み来し道の厳しさよ。いや、振り返ってみて、20年も継続して新しい課題にチャレンジしてきた充実感、その道のりの懐かしき、といったところ。
 年報20号はお手元に届いているでしょうか。20年の歩みの一つの集大成となる記念の1冊。各論文・報告だけでなく、20冊の総索引(著者名別、国・地域別)もまた力作、全32ページに及びます。冒頭の巻頭言に書いていますが、全20冊に収録された論文・資料等は全386本、執筆者総数279人(うち日本137人、中国・台湾・モンゴル97人、韓国41人など)。類書のない東アジアへの拡がり。価格・バックナンバー在庫・申し込み等はTOAFAEC まで。→■

3612号【2016年1月19日】
≪ウチナーンチュにとっての雪−十日町の雪祭り≫
 今日(1月19日)の沖縄タイムス・コラム「大弦小弦」は次のように書き出しています。「雪が降ると、沖縄の子はすぐ分かる。窓の外ばかり見てぼんやりしてますからね、と県外の大学教員から聞いたときは頬が緩んだ。ウチナーンチュの雪に対する憧憬を凝縮している。」
 まだ沖縄から東京への旅にパスポートが必要だったころ、東京学芸大学へ1年間派遣(留学)されてきた二人の現職教員。小林「社会教育基礎論」を受講中、窓に初雪を見て外に飛び出して歓喜!人生初めての雪だったのです。この姿に打たれ、ぶんじんはスキー部に頼んで、キャップ、手袋、ヤッケ、靴など冬装備二人分を借り受けて、十日町の雪祭りの旅に連れ出しました。横山宏さんの別邸があり、田村達さ夫ん(社会教育主事・当時)にも歓迎して頂き、夜は2mの積雪のなか、一軒屋の温泉宿に泊まって語り明かした思い出。國立の徳永功さん、国分寺の進藤文夫さんなどもご一緒でした。
 その夜、沖縄戦の話になりました。地上戦に巻き込まれた少年Gは「護郷隊」に動員され、さらに選ばれて「大本営特務機関諜報員」として辛酸をなめた戦争体験をポツリと語られました。「初めて明かす、だれにも話したことはない」と。雪がしんしんと降る忘れがたい夜。その戦争体験を含めて、私家版『昭和・平成歩み来し道』を30冊つくり、その1冊を送っていただいたのです。具志堅興将さん、その後は教師生活一すじ。指導課長、校長、教育事務所長など歴任された方。私たちが全沖の自治公民館調査を手がけたときは那覇教育事務所長。協力頂いたことをいま懐かしく思い出しています。
 この記録を拝読して、具志堅さんが名護東海岸「底仁屋」(やんばる対談@蔓草庵の集落)ご出身と知り、驚きました。

3611号【2016年1月17日】
■≪台湾のことは台湾人で決める≫
 今朝未明に届いた2016新年会・報告(上掲)。ハイリャン(海量)飯沢美樹さんの送信タイムは、なんと!午前4時半。「お待ちしています」などと催促気味に書いたので(前号)、無理をされたのではと恐縮しています。
 台湾の総統選挙の結果については、早速に山口香苗さんから(「台北の風」6として)民進党・蔡英文候補の快勝を報じていただきました。立法委員(国会議員)選挙も民進党が過半数以上を獲得したとのこと。安定政権か。
 台湾総選挙については、投票日(16日)当日より、日本のテレビもさかんに取りあげ、今朝の新聞も一面トップで「台湾総統に蔡英文氏」を報じています。たとえば朝日。「台湾では戦前から住む人たちと、戦後に国民党政権とともに中国から移った人たちとの間でアイデンティティの対立が続いてきた。だが、中台分断から66年。台湾で生まれ育った世代が増え、その対立軸は意味を失いつつある。共通するのは『台湾のことは台湾人で決める』との思いだ。」など(1面・解説)。そして、これから台湾の教育政策、とくに「終身」学習施策がどのように動いていくか。その躍動的側面に注目していきたい。「台北の風」どうぞよろしくお願いします。
 新年会にお出でいただいた夜間中学・関本保孝さんより、「夜間中学〜そのD 2015年到達点」を頂戴しました。長文なので次号にまわします。

3610号【2016年1月16日】
■≪夜は白み、人は生きる≫
 9日・新年会の記録をお待ちしています。あるいは、こちらで見落としているのかな? 予定しているスペースが空いたので、2002年・台湾(回想)記事を入れました(上掲)。2002年・台湾「正名」運動について。台湾のアイデンティティを問う今回の総統選挙、どんな結果が出るのか。興味しんしんです。
 3807号・本欄に書きましたが、新年会の二次会は長老級の皆さんが残っていただき、思い出にのこるひときでした。そのお一人、堀尾正靱先生から写真を送っていただきました。「9日は楽しい新年会、ありがとうございました。奥様も頑張りましたね。先生とのツーショット、初めてかもしれません。送ります。ますますお元気で」とのこと。有り難うございました。
 ホームペーに掲げた二次会の写真(3607号)、左端が堀尾先生。たまたま右端上方にちらりと見える天狗のお面は、堀尾先生から「喜寿の会」の折に頂いた記念の逸品です。天狗の鼻のように元気に!とのメッセージ。実は、写真には見えませんが、その下方に(一緒に頂戴した)お多福のお面が楽しく微笑んで・・・風の部屋の私たちの活動・語らいを見守ってくれています。早や8年余り。
 お正月に親戚とわずかの方々に年賀状を出しました(多くの方々には欠礼して申しわけありません)。沖縄に出した方のお一人から、少年時代・沖縄戦下に護郷隊・大本営特務機関諜報員として「やんばる」の山野に辛酸をなめた実録(私家版)を送っていただきました。私の数歳上の同じの世代。読んで終夜眠れませんでした。3月に新著を出そうという農中茂徳さんのゲラ刷りも届き、夜を徹して読んでいます。夜は白み、陽の昇るごと、人は生きてきたのです。
堀尾正靱先生(左)とぶんじん(風の部屋、160109)


3609号【2016年1月13日】
■≪政権動向と生涯教育政策≫
 台北からの山口香苗さんの便りが快調です。「台北の風」と名付けて、すでに第5回。前号の「台北の風」に初めてナンバー(4)をふりましたが、(1)〜(3)については、HP・山口サイト(前号に紹介→■)をご覧下さい。
 今回の風は、総統選挙を前にして終盤の選挙情勢。台湾の政権動向については、社会教育・生涯学習の政策展開と大きく関係してきた経過があり、これまでも関心をはらってきたつもり。たとえば年報『東アジア社会教育研究』第5号(2000年)の巻頭言に「東アジアの社会教育、21世紀に向けての胎動」と題して、次のようなことを書いたことがありました。16年前のこと。
 「私たちのこの1年は、前年にもまして、刺激的な道のり、その連続であったと言えるだろう。いま東アジアは激しく動いている。中国は・・(略)。韓国では・・(略)。台湾では辛亥革命以来の伝統をもつ中国国民党の長期一党支配が崩れ、民主進歩党(民進党)の政権が誕生した。『指導者の死を待たずに民主的な直接選挙によって実現する政権交代は、中華世界では有史以来最初の出来事』(中嶋嶺雄)と言われている。」
 →■ https://secure02.red.shared-server.net/www.bunjin-k.net/kantogen.htm
 さて、今次の選挙でも、国民党政権から民進党への政権交代の可能性が予想されています。台湾の終身(生涯)教育政策は今後どう動いていくのか。日本の社会教育・生涯教育については、国家レベルの政策が鈍磨し、政策それ自体が劣化・放置されている現状にあるだけに、対照的に台湾の動きが大いに気になるところです。

3608号【2016年1月12日】
■≪三国シンポの提案、「台北の風」サイト≫
 新しい年の、仕事始めのようなメールが上海の呉遵民さん(華東師範大学)から舞いこみました。生涯教育についての中日韓三国間・国際シンボ開催についての提案です。韓民さんとも相談(合意)し、華東師範大学と中国教育部の連合で開催(日韓から招聘学者等の経費は中国側で負担)する企画だそうです。
 2010年に上海で三国間シンポが開かれた経過あり(中国側の主催・企画者は今回と全く違います)、そのときに取り組んだ日本側の関係者(東アジア社会教育交流委員会)に転送しようと考えましたが、いずれ公開されること、直接に「南の風」に掲載することに(上掲)。
 ぶんじんは、ご承知のように老々介護の身、中国行きなど無理(当面の連絡役程度は可能か)。意見を求められていますので、ご関心の皆様のご意向をお寄せいただければ幸いです。呉遵民さんも韓民さんも「南の風」メンバー、永いお付き合い、心を開いて課題に取り組む機会ではないかと思います。
 あと一つ。南・台湾から温かい風が吹いてきました。台湾師範大学に留学中の山口香苗さん(東大・院)からの便り。貴重なので、TOAFAEC ホームページに新しいサイト(名付けて「台北の風」ページ)を開いて、これから折にふれて、台湾「終身学習」の動きについてレポートを寄せていただく予定です。
 →■ https://secure02.red.shared-server.net/www.bunjin-k.net/taiwanyamaguti.htm
 いま台湾は総統選挙の終盤。その選挙情勢についても興味深いレポートが先ほど届きました(山口香苗さん有り難う!次号に掲載予定)。新年会・八朔「三本締め」に興味が寄せられ、写真一葉をホームページに載せました。ぶんじんカメラの1枚、どなたが撮ってくれたのかしら?
新年会・八朔(写真・右)「三本締め」(西永福、160109)


3607号【2016年1月10日】
■≪今年の始まり≫
 昨日(9日)の新年会、ご参加の皆様、銘酒を送っていただいた森山・村田のご両所、世話人の皆さん、とりわけ呼びかけから最後の二次会まで(酔わずに)動いていただいた江頭晃子さん、お疲れ様でした。有り難うございました。ぶんじんは一次会の終わり頃から、かなり酔っていました。二次会(風の部屋)への移動で忘れもの。それに二次会の設営がなにも出来ておらず、富美の移動のこともあり、皆さんにお世話になりました。申しわけありません。
 この日の話題は、なんといっても上海から駆けつけてきた蘇鶴鳴さん。東京学芸大学研究室時代から数えると23年ぶりの再会。「南の風」は届いていない旧留学生。新年会はホームページで知ったらしい(手づくりサイトも馬鹿になりませんよ)。短い時間にギター・歌もあり、先回に続き八朔の三本締め名調子に迫力あり。
 今回の出席者は、和光大学ゼミメンバーが少なく、平均年齢はかなり上昇しました。常連メンバーも必ず1歳ずつ年をとります。二次会への出席も(写真・前列左より)堀尾正靭、見城慶和、関本保孝、桑原重美、真壁繁樹など長老級の各位、お疲れさまでした。
 この集いが終わると、いよいよ今年が始まります。お互い元気に歩み始めましょう。帰ってパソコンを開いてみると、台北から山口香苗さん、上海から呉遵民さんなどからメール来信。次号にご紹介することにします。
2016新年会・二次会。前列は上記。後列左より松岡研一、田中美奈子、八朔友二、山口真理子、蘇鶴鳴、江頭晃子の皆さん。
 (風の部屋、20160109)



3606号【2016年1月8日】
■≪新年会の写真など≫
 9日の新年会について、世話人・江頭晃子さんから来た「お誘い(再)」メール。「皆様 今年もどうぞよろしくお願いします。2016新年会が今週土曜日に近づいてきました。現在の申し込み数17人です。やや少な目なので、ゆっくり話すにはぴったりの会。20年ぶり?のサプライズ参加の方もいらっしゃいますよ! ご参加お待ちしています。ご一報くださると助かります。」 詳細は風・前号、またはホームページを。ご連絡は江頭さん・山口真理子さんへ。→■https://secure02.red.shared-server.net/www.bunjin-k.net/2006sinnenkai.htm
 この間、HP整理・移転作業のなかで、バラバラに収録していた「新年会・七夕・歓迎会など」写真をこのページにまとめました。一度ご覧ください。デジタル画像になって以降(2003年〜)の記録が分かります。常連あり、珍しい顔もあり。故伊藤長和人さんや石倉裕志くんの元気な姿も見えて懐かしい。
 風・前号で「ぶんじん自宅での新年会は1981年に始まりました」と書きました。あらためて記録(「2008年新年会ご報告−新年会の自分史」)をたどってみると、1984年が正しいようです(修正済み)。1981〜83年の新年の集いは、現役ゼミ生が中心・、まだ今のように開かれた新年会ではなかったようです。
 上海の華東師範大学・呉遵民さんからのメール。「小林先生 改めて新年おめでとうございます。これまでのメールアトレスは壊れたため、今年1月1日から受信ができませんでした。いま新しいメールアトレスに切り替えましたので、今後は新アトレス(→wzmwzm5263@163.com )に送信してください。なお、最近もし送信したことがあれば、是非もう一回、送信して頂きたいです。よろしくお願いします」と。呉さん、風・本号が届いたでしょうか。欠号あればお知らせを。

3605号【2016年1月日】
■≪新年会−懐かしい思い出≫
 東京の正月、温かい日が続いています。今日(4日)はご用始め、しかし街はまだお正月気分か。今年の新年会は1月9日午後2時から。「月刊社会教育」復刊に向けての新年会と重なりましたが、それぞれの都合で決めたこと、ご容赦ください。昨年12月・風3598号に載せた私たちの新年会「ご案内」を再掲しました。6日までに、ご参加の連絡をお願いしたいとのこと。「初めての方も、久しぶりの方も、どうぞお気軽に、お腹を空かせてご参加ください。」(上掲)
 ぶんじん自宅での新年会は1984年に始まりました。数えて今年は33回目。この間、さまざまのエピソード。自宅・新年会の最盛期は、昼頃から始まって深夜まで。(子どもたちまで含めると)のべ50人をこえる皆さんが集まる盛況。嬉しい悲鳴とはこのこと・・ですが、あまりの混雑に私たち二人は寝る空間がなく、急遽ホテルに部屋をとって泊まりに。田中美奈子さんはじめ世話人・スタッフもくたくたに・・・。この顛末は前に書いた?
 そこで20?年ほど前に近くの店で開くようになったのです。1999年にこんな記録が残っています。「新年会(永福)−例年の通り。1月15日午後1時より5時、会場:西永福・グランメール。5時以降は、残党が小林邸で飲む。」この年にはまだ“風の部屋”はありませんでした。夜だけに来るメンバーもいて・・・懐かしい思い出。その後この店はつぶれて?いまは姿を消しました。
 福建省の李石斗さんから年賀メールをいただきました(上掲)。昨年の秋に福建師範大学・福清分校に戻られたそうです。現職は外国語学院・常務副院長。おめでとうございます。福建省とのお付き合いについては、いずれ次の機会に。

3604号【2016年1月3日】
■≪アジアの海に初日の出≫ 
 今年の元旦、富士などの“初日の出”は見事だったそうです。晴れわたるアジアの海に初日の出。歴史的に…政治的に…重く複雑なアジアでも、海はどこまでも広くおだやか、そこにひとつ初日が輝く日。昇る太陽(ティダ)を仰ぎながら、やはり去年今年を思い、なにかを祈る気持になるのでしょう。
 ぶんじんは、初日が出る頃はぐっすり眠っていました。大晦日から息子たち一家がやってきて、久しぶりに三世代の賑わい。いい年越しとなりました。除夜の鐘を聞いて・・・夜が白み始める頃まで飲んでいたような。1年のヤケ酒の故か、酒量があがったとたしなめられるほど。
 東アジアの各地から年賀のメール。中国は南の広東、そして上海、台湾の高雄、北は内モンゴル、そして韓国の皆さんから。アジアの海を越えてきたメール、有り難うございました。
 元旦には、もちろん年賀状も拝受。まだよく拝読していませんが、まずはEメール便の新春挨拶をご紹介(本号)。10年ほど前までは、東アジアの各国・地域からはそれぞれに美しい賀状をいろいろ頂戴したものでしたが、いま(私の場合)は、すっかりメール便、時代の速さを感じます。
 上海・呉遵民さんからの年賀メールは、生涯教育についての中日共同研究と、3月以降・中日国際シンポ開催のお誘い(上掲)。ぶんじんはもはや中心になる世代ではなく、学会を担う現役世代の方々に主要な役割をお願いされては如何でしょうか。別途、直接にメールいたします。

2016年 明けましておめでとうございます!

3603号【2015年12月31日】
■≪台湾の社会教育館≫
 年の暮れ、案外と「風」は吹きやまぬもの。吹いてくる風あれば、こちらも喜び勇んで・・・吹き返すことになります。毎年のこと。とくにこの数年、斉藤真哉さん(東京板橋・社会教育主事)が正月休みにパレスチナまで出かけて、現地からの激しい風を送り続けてきたことを思い出します。今年は東京にいるのかしら? 静かなので、かえって気になっています。
 台北からの風が届きました。山口香苗さん(東大・院)、前回「台湾の社会教育・終身学習法の動き」(3599号)に続いて、今回は「社会教育館」の歴史が興味深い。私が初めて台湾「社会教育」を訪問した折(1989年)、最初に案内されたのは台北市、そして高雄市の「社会教育館」でした。職員体制もしっかりしている大型の社会教育施設の印象。しかし台湾全体で4館、地方の「社会教育工作站」には行く機会がありませんでした。台北市社会教育館の館長さんが、日本社会教育法を激賞したことを憶えています。その折「東アジア」の「社会教育」について海を越えて考えていく視点を刺激されたように思います。
 上掲・山口さんによれば、「社会教育館は2007年に生活美学館と名称を変え」たとのこと、知りませんでした。台湾からの風、折にふれて、どうぞよろしく。楽しみです。
 本号には、「全国高校生平和集会in沖縄」が「辺野古訪れ新基地いらない」琉球新報記事(12月28日)を用意していましたが、長くなりますのでタイトルご紹介だけ。
→■ http://ryukyushimpo.jp/news/entry-195491.html
 今年も「南の風」へのお付き合い、有り難うこざいました。「捨てきれぬものに囲まれ年の暮れ」(松原純子)の心境。皆様、いい年をお迎え下さい。

3602号【2015年12月29日】
■≪この1年≫
 2015年が暮れていきます。寄る年波は争えず、年相応の歩調となりました。それでも、まずまずの健康に感謝した1年。7月に名護で生年(数え年)「85歳の祝い」を催して頂き、稲嶺進さん(市長)も舞って下さって“望外の喜び”。加えて11月に韓国研究フォーラムで満「84歳・誕生日」の祝い。記念の特製アルバム2冊(済州島と沖縄)を頂戴し、バースデーケーキの蝋燭がともる特別の年となりました。あらためて御礼申しあげます。
 しかし丸1年、介護に明け暮れた年でした。両親の介護体験がなく、今年が人生初めての経験。福岡・油山の山裾でゆっくりと暮らす老後の生涯設計などふっとび、東京・永福のせまい部屋で元気?に車椅子を押す毎日です。介護は被介護者が主人公。介護人のスケジュールなど自己決定できないことがつらい。どうやりくりして“自己”を保つかが工夫のしどころ。さて、来年はどうなるか、確たる予定をたてられない、そのこと自体が新しい経験なのです。
 前号で新年報「20号」の目次一覧を載せました。本号では頒価等のご案内(一部2000円)あり。「研究会参加等で足を運んでいただいた方には、1割引き1800円…」とのこと。ぜひ1月研究会(1月22日予定−上掲)にてご入手ください。佐賀や高知から上京のご都合にあわせて、いつもの月例−最終金曜日の日程ではありませんが、定例研究会(第224回)に位置づけて、20号の刊行と、TOAFAEG「20年」のお祝い乾杯を盛大にいたしましょう。合評には、どなたか、発題・話題提供をお願いしては如何でしょうか。

韓国フォーラム(第60回)でバースデーケーキを頂く。(風の部屋、20151115)


3601号【2015年12月26日】
■≪風の部屋・写真≫
 22日・東京社会教育史研究フォーラム(第27回)の報告−上掲−に付された石川敬史さん(十文字学園女子大学)の一文、次の通り。東京・研究会記録は、この1年(その前からも)石川さん奮闘。ご苦労さまでした。
 「皆様 前回の第27回の研究フォーラムは遅くまでありがとうございました。余韻が残るうちに急ぎ報告を,と思っておりましたが・・・遅くなってしまいました。東京社会教育史研究フォーラムは,これまで写真を十分に撮ってこなかったことに気がつきました。最後まで「風の部屋」に残ったメンバーの写真を添付します。本年は大変お世話になりました。ここまで積み重ねた研究フォーラム,待望の本発行に向け、来年は!と思います。」
 11月の韓国研究フォーラムなどでは賑やかな写真が残っていますが、確かに東京・研究会の記録は文章だけ。久しぶりの写真、前号(ぶ)欄に添付しました。
→■https://secure02.red.shared-server.net/www.bunjin-k.net/minami3601.htm
 本号には、TOAFAEC 年報『東アジア社会教育研究』第20号・目次一覧を抄録しました。この1年、年報づくり〜と騒いできましたが、南の風メンバーでも実物を手にとったことがない方も(案外と)いるかも知れない、と思ったからです。「東アジア」のテーマで、よくぞ20年も続いてきたもの。創刊に関わったものとして「巻頭言」を書きましたが、「20冊を並べてみて、あらためて“継続は力なり”を実感」。全20冊の総索引(執筆者別、国・地域別)も作成されています。お手もとにぜひ記念の1冊を。次号に頒価・バックナンバー等の“営業”記事も寄せていただく予定。
第27回東京社会教育史研究会・有志二次会、
 左より小林、山添、石川、井口の皆さん(風の部屋、20151222)→3600号




*南の風3551号〜3600


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