【南の風2015】発行リスト・3551号〜3600号
各号目次一覧・後記(ぶんじん日誌)



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南の風3501号〜■
  
【南の風2015】3551号〜3600号・目次一覧

3551号【 9月13日】第220回研究会案内、沖縄戦−ガマ、映画『ルンタ』、自治公民館の取り組み
3552号【 9月16日】編集会議会場、「基礎教育保障学会」名称確定、沖縄タイムス大弦小弦、糸満からの便り
3553号【 9月17日】『日本の社会教育』中国語版、夜間中学の見学、超党派議員連盟、ホームページ蘇生中
3554号【 9月20日】ある村への失望、下伊那テーゼ50周年フォーラム、安保法成立、九・一八の日に
3555号【 9月22日】編集会議(第6回)、維持会員お願い、府中市、沖縄問題・国連でシンポ、遅れて学会へ
3556号【 9月25日】翁長知事の挌闘、夜間中学〜その@ 議員立法、中国の研究者と、上原信夫さん自分史
3557号【 9月26日】辺野古学習会(武蔵野)、東京研究フォーラム(59)、夜間中学そのA、仲秋や月明かに
3558号【 9月27日】韓国編集会議報告、第38回大都市つどい、夜間中学そのA(続き)、東京で稲嶺進さんと
3559号【 9月29日】未来経営塾お誘い、まちだ市民自治学校、台風・記録的な瞬間風、東京は十六夜
3560号【 9月30日】辺野古アクション武蔵野、夜間中学その3文科省等方針、10月2日・220回研究会参集を
3561号【10月 2日】MBS「沖縄の新聞記者たち」、地域力を(琉球新報)、年報索引、20年の歳月はるか
3562号【10月 4日】東京社教史フオーラム・第220回研究会各報告、著者名索引」、エイデル研究所の歩み
3563号【10月 6日】国立公民館60年、坂本龍一・辺野古への思い、渋谷の体育会、 ハルピンのチブス事件
3564号【10月 9日】文科大臣就任会見、沖縄・落選運動のターゲット、町田・とびたつ会、安倍改造内閣
3565号【10月11日】10月定例研究会、伊藤寿郎氏の博物館研究、索引づくり、琉球新報コラム、十・十空襲
3566号【10月14日】埼玉自主夜中30周年・文科大臣講演、琉球新報コラム)、年報索引、どこまで続く泥濘ぞ
3567号【10月16日】月刊社会教育復刊に向けて、パレスチナ便り、県知事の決意、素知らぬ顔で風を吹き
3568号【10月18日】山原にサシバが、沖縄タイムス・コラム、済州島、国立公民館60周年御礼、私の国立時代
3569号【10月20日】くにたちシンポ御礼、くにたち公民館−台風の目、済州島 、八重山、久茂地文庫・分室
3570号【10月23日】夜間中学入門講座、パレスチナ、町田、県民大会20年(琉球新報社説)、古いアルバム
3571号【10月25日】古いアルバム礼、マウルづくり大会宣言、川崎・富川友好19周年、ホームページ別室
3572号【10月28日】下伊那テーゼ50年、久辺3区に振興費、やんばる対談原稿、弁務官のポケットマネ
3573号【10月29日】済州島・日韓セミナー参加、「法治国家と言えない」稲嶺名護市長、回想・伊藤寿朗さん、
3574号【10月31日】20号最終締切、基礎教育保障学会準備会・福岡、10月定例会報告・感想、つらい回想
3575号【11月 2日】「伊藤寿朗先生を語る会」余韻、沖縄県営「軽便鉄道」那覇駅、やんばる対談・修正稿
3576号【11月 3日】伊藤寿朗さん抜きには語れない、海老名ツタヤ図、八重山高校郷土芸能部、対談原稿
3577号【11月 5日】多文化共生研修会案内、日中学院より、伊藤寿朗さん満面の笑み、二人は同級生
3578号【11月 8日】シールズ抗議声明、座り込む市民の中に、町田とびたつ会、アーデルは 20号校正
3579号【11月10日】11月研究会案内、内モンゴル赤峰学院、ハイスクール70年、杉並、上海−張・朱夫妻
3580号【11月13日】第60回韓国研究フォーラム、市民ら500人(辺野古), 湘潭・広州の旅1、アーデルは今?
3581号【11月16日】年報掲載論文・執筆者総括、60韓国フォーラム報告、エジプト日本文献顛末、お祝い二つ
3582号【11月18日】東京社教史研究会案内、18人の鋭いまなざし、回想記録−湘潭の旅2、あの日「盲流」
3583号【11月21日】人権と教育、集落誌と図書館、辺野古座り込み500日、湘潭の旅(回想3)、HP引っ越し中
3584号【11月24日】第26回東京社会教育史研究会、薪で風呂を沸かし、黒豚物語、湘潭4、懐かしみの1日
3585号【11月25日】11月(222回)研究会ご案内(再)、少年M(豊後)、湘潭の旅(1999年-5)、16年前の記録
3586号【11月26日】北京師範大学の訪問団(早大)、郷里のMは、湘潭・広州の旅1999年(6)、20号完成へ
3587号【11月28日】島袋正敏さんを囲む研究会、名護展、辺野古結集700人、恩人列伝、社会教育がつなぐ
3588号【11月30日】222回研究会報告。年報20号発行へ、知の拠点、周東町書館など、12月定例研究会へ
3589号【12月 2日】ETV特集・奥共同店、夜間中学C全国動向・公開授業、12月研究会に参加、今年も師走
3590号【12月 5日】基礎教育保障学会準備会、「辺野古訴訟」−歴史を語ること、回想記録3−吉田昇先生、
3591号【12月 7日】川崎・憲法カフェ、「奥」共同店(ETV特集)をみて、琉球弧の若者が一堂に、やんばる「奥」
3592号【12月 8日】都立高校夜間定時制4校も廃止か、協同組合−明治史を、台湾社会教育法の廃止
3593号【12月10日】島袋正敏さんを囲む、町田とびたつ会、平良とみさん逝去、図書館の職場、「喜瀬武原」
3594号【12月12日】川崎いわれなき介入、銀座わした名護物産展、1966〜2015年沖縄の真実、川崎と沖縄
3595号【12月13日】九州教育学会@名護、オール和歌山の図書館家具、野坂昭如さん、23年なお熟成中
3596号【12月15日】島袋正敏さんを囲む報告、政府が夜間中学広報、密度の濃い一日、台湾研究の足どり
3597号【12月16日】トークマラソン・夜学で学ぶ、喜瀬武原、「はこべ」1月号、濃い一日(和歌山)、師走
3598号【12月18日】2016新年会、石巻へ 名護物産展終幕、黒豚とシマ酒、事務局166、古い酒と新しい思い
3599号【12月21日】第27回東京社会教育史研究会案内、台湾の動き、野坂昭如さん、事務局、年報20号
3600号【12月25日】夜間中学・フリースクール議連総会、町田、コザ暴動45年、島袋正敏氏、冬の夜の饗宴

*南の風3601号■

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南の風・各号後記(ぶんじん日誌)


3600号【2015年12月25日】
■≪冬の夜の饗宴、ホームページ移転作業≫
 冬なのに22日(火)は温かい夜でした。東京の社会教育史づくりにチャレンジしてきた研究会(編集会議)。集いしもの(ぶんじんを含め)6人。「終章をどう書くか」の議論をしました。歴史を想いながら、未来を考える。これからをどう展望するか。しんどいけれど大事な作業。行きつ戻りつしながら、このような議論ができる、幸せなひととき、と言うべきか。
 終わって、さらに残ったもの4人。酔いに任せて、とりとめもない話の続き、冬の夜の饗宴。時間を忘れ気がついて・・・皆さん脱兎のごとく帰途へ。ほとんど終電!間に合うかどうかの瀬戸際。お疲れ様でした。研究会の記録は次号にでも掲載できると思います。
 本号で3600号となりました。3000号からちょうど3年目の年の暮れです。はるばると歩み来し道の遠ければ、足腰萎えて行く山おぼろ、の心境。
 年末・師走、書かなければならない原稿もそっちのけに、新ホームページへの切り替え作業に励んいます。大きな幹と枝の移動はかなり進みましたが、細かいデータはまだそのまま。サイト内リンクの書き替えまでは手がのびていません。容量の関係で引き剥がしていた画像を復帰させたり、また新しくスキャンした「古い写真」入力も少し。これらは新サイト(HP第4版)へ。現サイトとの落差が少しずつ生じていますが、お気付きかな。
 現サイトとの契約をキャンセルして、新サイトへの切り替え宣言をいつにするか。できれば正月に、と考えていましたが、“急いてはことをし損じる”喩え。1ヶ月先に延ばした方が無難かなと思いはじめています。HPとの関係では、いましばらく「南の風」は生き延びる気配。
第27回東京社会教育史研究会・有志二次会、左より小林、山添、石川、井口の皆さん(風の部屋、20151222)


3599号【2015年12月21日】
■≪年報20号≫
 私たちの年報『東アジア社会教育研究』が20号を迎え、予定より2ヶ月余の遅れはあったものの、12月初旬にめでたく発行されました。全262頁の力作。毎年のことながら、出来たてホヤホヤの1冊、そのページをめくる感動は、風3592号本欄に書いた通りです。内田純一編集長はじめ、編集実務にあたった江頭晃子さん、会計・山口真理子さん(今年とくに20冊・総索引づくり)の快挙、皆さんの奮闘、お見事でした。読み応えある記念の1冊となりました。
 もともと「風」は年報編集の通信誌でもありましたが、いまは編集委員会独自のメーリングリストが機能している関係もあってか、かえって年報編集・発行の記事がきちんと「風」に載っていない?ことに気づきました。今年20号の経過・内容、維持会員のこと、頒布普及のお願い、定価等について、風に送っていただけませんか。またホームページに入れる「目次」一覧もお願いします。索引づくりの総括表(20年の国・地域別論文数、執筆者数−山口さん作成)はデータとしてすでに入力済み。ご了承ください。
→■
https://secure02.red.shared-server.net/www.bunjin-k.net/1-10kenkyu.htm
 台湾留学中の山口香苗さん(東大・院)より「台湾の社会教育・終身学習法の動き」レポートが届きました。海を越えて、打てば響く太鼓のリズム。ありがとうございました。「これまで見聞きしてきたものを、少しずつご報告させていただきたい」とのこと。楽しみです。論文調というより、お気軽にどうぞ。20号「この1年」に、これからの報告を重ねて、HPに新しいサイトをつくりましょうか。

3598号【2015年12月18日】
■≪名護の古い酒と新しい思いと−やんばる対談(ぶ)≫
 横山文夫さん(日本語フォーラム全国ネット)から東北・石巻レポートをいただきました(上掲)。有り難うございました。東京社会教育史(仮)執筆のお願いから、「南の風」ネットに参加いただいていますが、今回初めて?のご寄稿。私たちTOAFAEC 創設(1995年)の頃、東京識字研究・マップ調査の余韻が残っていた時期。TOAFAEC はその頃未発であったリテラシー研究を(沖縄研究と並んで)大事なテーマとして掲げていこうとしていました。
 久しぶりのセイビンさん上京。お疲れさまでした。風の部屋の三つの古酒カメの点検をしていただこう、そのまわりの古酒のビンをどう整理するか、まったく開けていないカメの診断など、指南を仰ぐ機会をと考えていましたが、また次の機会に。やや乱雑にカメの蓋をあけていた時期もあり、「23年もの」に新しい古酒43度の、たとえば「3年もの」を仕次ぎ風に入れていいのか、入れない方がいいかなど。先日の一掬いがまずまずの風味でしたので、なによりひと安心しています。
 さて、かんじんの「やんばる対談」。来年以降の展望を含めて、名護の若い社会教育主事の皆さんは、今年の「対談」をどう読んでいただいたか。自由な発言がほしい。そろそろ名護社会教育の、いわば「名護方式」を提示していく蓄積・課題が見えてきた?いやまだ見えないよ、など“ゆんたく”風に名護からのコメントを自由に寄せてもらえないか、とお伝えいただけませんか。
 昔ならば正月明けに必ず!訪問していた一時期がありますが、今はそれがかなわず、残念です。これまでの「対談」7回をベースに、ひと跳びしてみる時期とも思われ、いやあと一呼吸ほしい感じもあり、名護若い衆の思いや如何?

3597号【2015年12月16日】
■≪TOAFAEC の師走≫
 年末となると、なにか慌ただしい。「風」も心なしか師走の風の雰囲気になって、連日お騒がわせの配信です。ご容赦を。TOAFAEC スケジュールは今年12月定例研究会が月前半に終わって、そこで忘年・望年の会も済ませたかたち。しかも久しぶりに副代表・島袋正敏さんを迎えての賑やかな会でした。定例会翌日の(ぶ)日誌欄(3595号)に貼り付けた当夜の写真では、セイビンとぶんじんは大きく口をあげて、なにか歌っている表情。「汗水節」か「二見情話」か。
 TOAFAEC は、これまで副代表は3人でした。セイビンさんはまったくその自覚?がありませんでしたが、今年3人のうちの一人(佐賀・上野景三さん)が「代表」に昇格、次のお一人・伊藤長和さん急逝。その後任を6月総会では決められず、結果的に副代表はセイビンさん一人だけ。すべての重責?を担っていただくことになりました。その副代表をはるばる名護から迎えての忘年会となった次第。加えて年報「20号」お祝い会。そして当夜は、TOAFAEC「20年」の盛大な乾杯をかわす予定でしたが、これは1月の楽しみに。
 江頭晃子さんから、新年会「ご案内」が届きました(1月9日予定、次号に掲載)。そして新年の定例研究会は(上野代表、内田編集長を迎え)1月22日(金)となる見込みだそうです。
 昨年は、新年会の日程が合わない欠席メンバーが集まって、年末にささやかな忘年会を企画した思い出。今年はどうなりますかな?

3596号【2015年12月15日】
■≪台湾研究の足どり≫
 … さて、3592号本欄「台湾・社会教育法の廃止」の続き。山口香苗さんの「台湾の生涯学習・この1年」(年報第20号)は、社会教育法をめぐる歴史的な検討も含まれ、興味深い内容でした。台湾研究の確かな足どり。
 台湾は1987年まで戒厳令下にあり、1953年施行の社会教育法は当初から厳しい政治統制のもとにありました。日本社会教育法のように国民主体論や自治の発想に支えられるというより、守るべき規範や道徳が強調されていた。たとえば、社会教育の目的(第2条)としては「民族精神及び国民道徳を発揚」「国防知識を涵養」などの条項が冒頭に並んでいました。
 戒厳令が解除され、国際的な生涯教育の潮流も背景にあり、1990年代になると、楊国賜氏(台湾師範大学教授、教育部次長)などが生涯教育あるいは成人教育の新しい法制化に向けて積極的な発言。私の台湾ファイルのなかには1990年「成人教育五ヶ年計画」、1992年「社会教育法修正草案」、1995年「成人教育法草案」など。1998年「邁向学習社会」(教育部発行)では「終身学習法制」完成へ向けての課題が明示されています。そして2002年「終身学習法」成立へ。それから15年を経て、今回の「社会教育法の廃止」へという経過ですね。政策・法制の動きがくっきりと読みとれます。
 私たちが初めて台湾を訪問したのは1989年でした。戒厳令解除の直後。そのあと毎年のように台湾に行った一時期がありました。多分1996年に楊碧雲さん(台北市政府教育局専員)と出会いました。1997年1月、台北市政府・台湾師範大学主催「中日生涯教育学術シンポジウム」(日本より小林・末本誠・上野景三・内田純一参加)。このときの写真をホームページに掲げています。→■ あわせて本欄に楊国賜さんとの歓談の1枚も。大学の専門研究者が政府・教育行政首脳として政策編成・立法にあたっている姿が印象的でした。
左・楊国賜さん(台湾師範大学教授、政府教育部次長)と。(1997年1月9日、台北) 


3595号【2015年12月13日】
■≪23年、なお熟成中≫
 南の風は、あと5号で3600号となります。3000号をゴール!と考えていた時期(2012年末)、故伊藤長和さんたちの継続コールに圧されて、その後も吹き続けてきました。あれからまる3年。各年200号平均、ほぼ隔日の発行リズムをなんとか維持。お付き合いに感謝しています。
 恒例の100号おきアドレス帳整理・・・ですが、風の発行も終盤を迎えたいま、皆さんから「風・配信不要」の連絡をいただく以外は、特段の整理作業は控えることにします。現アドレス帳そのまま(約150人−ちょうど頃合いの規模)、あとしばらくは流れのままに吹いていきたい所存。しかしこの機会に(日頃は無音の方々の)近況などお寄せいただければ風も賑やか、まさに“望外の喜び”です。どうぞよろしく。また、まわりに風への参加ご希望あれば、どうぞご遠慮なくお申し出ください。
 いま12日深更、223回(12月定例)研究会から帰ったところです。島袋正敏さんも元気に登場。ひととき“ゆんたく”風の研究会(東京版・やんばる対談)を楽しみました。新刊「東アジア社会教育研究」第20号も輝いて机上にあり。11月に李正連さんからお祝いに戴いた特製アルバム2冊もご披露。
 風の部屋の琉球シマ酒・古酒カメ三つ。セイビンさんたち「やんばる島酒の会」指導による秘蔵の逸品、なお熟成中。今年で23年ものとなりました。お師匠に味をみていただきたく、少し汲み出して持参。この香りもただよい、また一段と幸せな夜でした。かなり酔いました。
左2人目に島袋正敏さん (イーストビレッジ、151212)


3594号【2015年12月12日】
■≪川崎と名護≫
 皆さんから活発なご寄稿、有り難うございます。風3591号収録の「川崎・憲法カフェ」の記事について、市民企画・平和学習の伸びやか発展を願う立場からの憂慮が寄せられました(上掲)。「南の風の読者のみなさん、…いわれなき議員からの介入のような事態、他都市の社会教育現場では起きていないのでしょうか、現状をお聞かせください」との問いかけ。
 関連して「これまで川崎で進められてきた多文化共生教育、外国人教育についても、右翼から街宣車でしつように狙われている」事態があり、最近これまでにない悪意はびこるような時代になってしまった…「良識はどこに行ってしまったのでしょうか」と。もしお気づきの動きがあればお寄せください。
 今日(12日)「島袋正敏さんを囲む−12月定例研究会」。銀座わしたショップで名護フェア「名護の魅力 丸ごと発信 銀座で物産や文化紹介」記事(琉球新報12月9日、上掲)。そこで「やんばる 手づくり」を手ほどきする正敏さんの写真、桑原重美さんから送られてきました。また那覇の鷲尾真由美さんからは名護・辺野古ゲート前の「全米規模の市民団体「Veterans For Peace(VFP 平和のための退役軍人の会)・10名の方たちも早朝抗議行動に参加し、彼らも機動隊による排除!を私たちと一緒に」とのこと。その写真(各1枚)を添付しました。鷲尾さん紹介のビデオ「1966年〜2015年沖縄の真実」が興味深い。

3593号【2015年12月10日】
■≪海勢頭豊「喜瀬武原」≫
 12月9日(水)午後より夜にかけて、東京・高円寺で映画「GAMA−月桃の花」上映と海勢頭豊コンサートが開かれました(藤原書店主催)。この映画は海勢頭豊さんの製作・音楽。主題歌「月桃」は私たちのゼミ・研究会でもよく歌ってきましたので、ご存知の方も多いと思います。
 久しぶりなので、夜のコンサートだけでも、と思って出かけました。ある方に留守をお願いして、時間ぎりぎりにすべりこみ。山口真理子さんが席をとっていて下さいました。竜宮信仰とジュゴンの結びつき、沖縄の伝統的な祈りと平和思想など独特の“海勢頭節”(話)のあと、「さとうきびの花」「喜瀬武原」等の絶唱、最後に「月桃」合唱。大声で歌いました。
 おわってロビーで東上線沿線の方々と会い、海勢頭の歌を愛した上福岡・故足立邦彦さんの思い出話。彼も天から降りてきて会場のどこかで聞いていたに違いないと。大勢の観客に囲まれていた海勢頭豊さん、その輪に割ってはいり固い握手。那覇のまちにライブハウス「パピリオン」が開かれていたころ、行けばいつでも会えたのに、いまはなかなか会えない。風の部屋には旧パピリオンゆかりの「おちょこ」があります。
 豊さんは、まわりの人に「この先生が“喜瀬武原”をひろめてくれた」と紹介していました。そういえば当時の小林ゼミの主題歌は「喜瀬武原」。朝日も毎日も「キャンパス紹介」などの小さなコラムで楽しい記事にしました。琉球新報は「戦後沖縄社会教育研究会」を5段抜きで取り上げました。30年前の新聞切り抜きが残っています。そのうちに「喜瀬武原」をまた歌いましょう。

3592号【2015年12月8日】
■≪この1年の動き−台湾社会教育法の廃止≫
 12月1日発行『東アジア社会教育研究』20号、3ヶ月遅れの難産の子、ようやく誕生しました。待ちに待った1冊、表紙をさすりながら、昨夜から東が白むまで読んでいました。さすが20号、重量感あふれる1冊。これに関わった皆さんとともに喜びあいたいと思います。
 5本の特集論文(東アジア社会教育における法制、地域、職員、識字、市民)は、まず大事にとっておいて、各「この1年の動き」に先に目がいきます。韓国が2006年から、中国は4年遅れて2010年から、そして台湾が2013年から毎号「1年の動き」を収録できるようになりました。東アジアの動きがダイナミックに伝わってくるぺージ(逆に日本の「この1年」がほしい−別の声)。今年の何よりの注目点は、台湾「終身(生涯)教育法」大改正にともなう「社会教育法」廃止(2015年5月6日)のニュース(山口香苗さん執筆)。
 かって東アジアには「四つの社会教育法」が動きましたが、いま日本社会教育法だけが屹然?として一つ残っている状況となりました。他方で日本の生涯学習振興整備法(1990)はほどんど話題にもならなくなった。
 20号のあと一つの目玉は、創刊号から20号までの総索引(著者名別、地域−国・自治体等−別)、全35頁のていねいな出来上がり(山口真理子さん作成)。山口香苗さんによる「台湾の動き」に登場する楊国賜氏(台北師範大学教授・当時)が「台湾の生涯教育法制について」本誌に執筆している(第2号、1997年)ことなど、真理子さんの総索引で瞬時に分かります。両山口さんに感謝!です

3591号【2015年12月7日】
■≪やんばる「奥」共同店≫

 5日夜、韓国研究フォーラムや今年の「やんばる対談」参加の皆さんに、こんなメールを送りました。「風3589号(山城メール)でご承知かと思いますが、今晩11時からNHK−ETV特集として、沖縄やんばる「奥」集落の共同店が放映されます。沖縄の伝統的な集落の共同体的な、いわば「マウル」の歩み。今年3月「やんばる対談」の翌日に訪問したところ。祈り・祭り(しぬぐ)にもご注目を…」と。百年余の歴史を刻む共同店の日常を中心に、豊穣・長寿を願う祭りも活写され、語りもよく、いい記録に仕上がっていました。
 3月末、名護「やんばる対談」後の短い日程で、一行は辺戸岬から奥を訪問しました。島田隆久さんのお話を聞き、共同店のユンタクの一角で、崔一先さん(慶煕大学校)とご一緒にカレーやサーターアンダギーをいただいた日の思い出。いつも変わらぬ奥の皆さんの陽気と頑張り、心に響くものがありました。
 久しぶりに奥文献(字誌『奥の歩み』1986、奥共同店『創立百周年記念誌』2008、など)を出して、ページをめくっています。いずれも600〜700頁の大作、小さな集落(と郷友会)の驚くべき迫力です。2006年・共同店百周年記念関連の集いがあり、記念式典の前に開かれた「共同店サミット」の資料袋も。当時、中村誠司さん(名桜大学)から戴いたいくつもの興味深い記録あり。
 その後、10年が経過しています。沖縄の共同店の現況や展望を誠司さんに伺いたいもの。共同店サミットの集いには、末本誠さんや山城千秋さんも参加し、私は生活クラブ生協・故石倉裕志さんと一緒てした。彼の車でやんばる共同店をいくつかまわりました。東村慶佐次の集落育英会の碑に並ぶ写真も懐かしい。→■
https://secure02.red.shared-server.net/www.bunjin-k.net/okinawaazakouminkan.htm
 首をながくして待っていた年報『東アジア社会教育研究』20号が完成、さきほど届きました。編集・江頭晃子さん、いい出来映え、ご苦労さまでした。

3590号【2015年12月5日】
■≪吉田昇先生と沖縄≫
 前号で、関本保孝さんからの長文資料「夜間中学〜そのC全国の動向・公開授業他」を収録。加えて本欄で「そのB、は既にいただいたのでしょうか。当方の見落としかな?」などと書きましたが、こちらの勘違い、たいへん失礼しました。9月末に「そのB」は確かに拝受し、風3560号(9月30日)に「文科省等方針」を掲載していました。夜間中学をめぐる最近の激しい動きがよく分かる貴重な動向資料、あらためて感謝!です。
 10日ほど前、早稲田大学(院)新保ゼミにゲストスピーカーとして参上したことは風3584号本欄に書きました。中国からの留学生が多いゼミ生の皆さんから、思いがけなく当日の感想をしたためたカードをたくさん頂きました。当日は小生が遅刻したこともあり、時間に追われて不充分な話となったこと、日本と中国をめぐる大きな課題に応えきれず、申しわくなく思っています。一つのカードには「75才の私には“生きる力”“元気”を戴きました」とあり、驚きまました。どなたが75才なのか、あらためて写真のなかに年寄りの顔を探しましたが、ぶんじん以外には見当たらず。皆さん、有り難うございました。
 いま新ホームページへの引っ越し作業中です。この機会にページ構成の整理、写真補充などにつとめていますが、何よりパソコン(ワープロを含む)以前の文章入力ができず、気になっていました。たとえば吉田昇先生(社会教育学会々長、社全協委員長など歴任、お茶の水女子大学教授、現職で1979年1月急逝)を偲ぶ一文は未入力のまま。ご恩になった先生に申し訳ないと、思い立って昨夜、データ化し新ページに入力しました(現ページは写真のみ)。回想記録(3) として本号に収録。このことはまた次号にでも書きます。→■
https://secure02.red.shared-server.net/www.bunjin-k.net/archives.htm

月刊社会教育・1974年7月号・200号記念座談会にて吉田先生(司会) 撮影・小林

3589号【2015年12月2日】
■≪今年も師走≫
 12月となりました。早いものです。皆さん、お変わりありませんか。気温もたしかに下がってきましたが、報道によれば、はるか遠く南米ペルー沖には大きなエルニーニョ現象、暖冬の予想とか。しかし単純な暖冬というよりはむしろ異常気象のおそれ。日本では「南岸低気圧」が発生しやすく、雨が多くなり、これに寒波が重なると首都圏でも大雪となるそうです(朝日、12月1日)。 
 そう言えば例年より温かく雨の多い11月でした。その昔、九州から東京へ移るとき、ある人から「関東は“空っ風”にご注意を」の言葉を頂きました。しかし最近、どこに行ったか“空っ風”、むしろ湿っぽい風が吹いている印象。世の中も湿っぽい?
 最近各地に店舗をひろげているある系列のワイン・ショップは、「雨の日は10%引き」がウリ。1滴でも降ったら10%引き、どうぞ、と誘われています。先日は店員が「雨の日が多い」とぼやいていましたが、当方は降った日はつい1本多くなるのが気の弱み。いい商売をしているようです。
 閑話休題。関本保孝さんより長文の「夜間中学」の動き−そのC、を拝受していました。ありがとうございました(上掲)。そのB、は既にいただいたのでしょうか。当方の見落としかな、お伺いいたします。それにしても、文科省広報(11月号)が「夜間中学特集」→■ http://www.mext.go.jp/b_menu/kouhou/、毎日新聞・北海道版(11月22日)は「公立『夜間中学』設立へ」の大見出し(添付)。印象深く読みました。

3588号【2015年11月30日】
■≪11月〜12月定例研究会へ≫
 27日・定例研究会の報告、上掲のように瀬川理恵さん(横浜市)が書いてくださいました。詳細な記録、有り難うございました。研究会当夜は、黄丹青さんから「国際バカロレア」「上海市教育科学研究院」について資料が用意されました。また会の終盤に上田孝典さんから発言もあり、中国の生涯学習都市フェスティバルの流れ、中国「継続教育」システム図が出されました。年報20集には「中国生涯学習−この1年の動き」も収録される予定。あわせて別の機会に、中国・生涯教育−継続教育の動きをどうみるか、について研究会を企画しようという話になりました。2009年からスタートした中国生涯学習研究フォーラム(最近は開店休業)の再生につながれば・・・の期待も。
 さて、12月の研究会企画は、年報20号発行(あわせてTOAFAEC 20年)お祝いと、来年に向けての編集委員会体制づくりの協議などが予定されるところですが、日本公民館学会が和歌山大学で開催(12〜13日)されることもあり、上野景三(佐賀大学)代表、内田純一(高知大学)編集長の多忙もあり、来年1月の研究会で・・・ということに(日程未定)。
 12月は忘年会中心の企画かと思っていたところ、折良く名護から島袋正敏さん(名護物産展に帯同)の上京あり、セイビンさんを囲んで「やんばる対談・東京版」−そして忘年会(12月12日夜、前号に案内)の開催!が決まりました。皆さん、お楽しみに。お誘い合わせの上、ご参加ください。12月9日(水)には、海勢頭豊コンサート(座・高円寺2,藤原書店主催、18:30〜20:00)も開かれる予定。問い合わせは→03-5272-0301。

3587号(2015年11月28日)
■≪社会教育がつなぐもの≫
 ながく「風」に無音が続いていた渡部幹雄さん、この1ヶ月、ほとんど毎号のような寄稿。ご苦労さま。おかげで「風」が賑やかです。本号所収メールでは、懐かしいお名前(吉田嗣義さんなど)と久しぶりお会いしました。大分県の自治体リーダーの話になると、かっての青年団運動や社会教育の歴史と重なっていて興味深い。なかなか会えない臼杵の中野五郎市長(元社会教育主事)の顔も浮かんできました。九州各県のなかでも大分は独自の地方史か。青年団運動の存在感としては沖縄と似ているところがありますね。
 吉田嗣義さんの兄上は、南方同胞援護会を引き継いだ沖縄協会の専務理事として活躍された吉田嗣延氏。私たちの沖縄社会教育研究の初期、声援をおくっていただきました。日本社会教育学会の研究会に、法制・地方史のテーマでお出でいただいたこともありましたし、こちらから事務所に訪ねた想い出も。やはり元「社会教育主事」(沖縄県)として、私たちの沖縄社会教育研究に同志感をもっていただいたようでした。吉田嗣義氏も同じく社会教育の仕事から社会福祉事業へ入られ方。人間的な施設運営の哲学に打たれたことがありました。
 さて昨夜(27日)11月定例研究会、ご参加の皆様、お疲れさまでした。イーストビレッジでの話がはずんで終電に急いだ人もあったような。間に合ったかしら。当夜の黄丹青さんのお話に関連して登場した上海の張・朱夫妻の写真がフッと出てきました。二人が湘潭から上海へ出てきたばかりの頃(2003年秋)、閘北区の袁允偉さんたちと一緒に会食した折の1枚。     
張・朱夫妻(上海閘北、20031124)


3586号【2015年11月26日】
■≪年報20号完成へ≫
 ことしのTOAFAEC 年報『東アジア社会教育研究』第20号、ようやく印刷に入ったそうです(上掲・編集担当・江頭晃子さんより)。編集委員会の奮闘によるもの、とくに編集長・内田さん、担当の江頭さんなどの頑張り、ご苦労さまでした。12月10日頃までには出来上がる見込み。楽しみです。上掲の江頭さん連絡への編集長・内団純一さん(高知)メール(Thu, 26 Nov 2015 09:10)。
 「毎号そうですが、本誌が発行出来るのも原稿を寄せてくださる方々の協力と江頭さんをはじめ事務局メンバーの尽力があってのことです。とりわけ20号は企画編集が大幅に遅れてしまった中にあって、江頭さんの編集者としての粘り強さと責任感にあらためて感銘いたしました。心より感謝申し上げます。」
 山口真理子さんのメール(Thu, 26 Nov 2015 05:02)。「…“最後の最後まで”は、江頭さんです、本当にお疲れさまでした、ありがとうございます。送付数と予約者のリストは12月初めにはお送りするようにします。表紙が上等になったのですね、楽しみです。すると、18号,19号に見られるようなブツブツもできないのかしらね。」
 石の上に3年座って、「十年ひとむかし」を2回重ねた20年の歳月、特別に嬉しい20号。今年の12月忘年会では盛大な乾杯をいたしましょう。

3585号【2015年11月25日】
■≪16年前の記録≫
 明後日27日の研究会企画は、黄丹青さんの中国行きの土産話から始まりました。「…すでにご報告したように、韓民さんと電話で話すことができ『日本の社会教育・生涯学習』(大学教育出版)中国版の出版に取り掛かろうとしています。…(略)…」 そして前(風3579号)にも書きましたが、東京学芸大学(院)を卒業した張ジェイさんのこと、上海教育科学研究院の副院長として活躍中と。HPをみると、5研究所・15研究センターを内包する大規模「研究院」→■http://www.cnsaes.org/homepage/
 張さんは「ぜひまた小林先生とお目にかかりたいと言っていました」とのこと。懐かしくなって、16年前の「湘潭への旅−1999年」(回想記録・上掲)を探索。当時の「南の風」(第238号など)を拾い出して読み直し。ぶんじん自身も忘れていたことが蘇り、心に躍るものがありました。初期からの「風」メンバーは別にして、大部分の現メンバーには初めての文章か?とも思い、ビデオ作品:河殤のことや、湖南省湘潭「劉少奇記念館」についても再録しました。
 あのころの「風」は、毎号末尾に拙い歌を数首。恥ずかしい限り。とくに旅に出ると、日記代わりの歌記録をメモしていたものです。お目障りですが、関連するところをいくつか収録しましたので、ご笑覧いただければ幸いです。

3584号【2015年11月24日】
■≪懐かしみの1日≫
 今日(23日)休日の午後、早稲田大学・新保(現姓・小林)ゼミへ。出がけに急なことあり、約束の時間に30分余り遅れて、皆さんを待たせてしまいました。申し訳ありません。中国からの留学生が多いゼミ(写真)。久しぶりの院ゼミの雰囲気を楽しみました。新保さんの学生時代を知る者として、勘定してみると、すでに老教授の域に入ったはずなのに、,いつまでも若い新保先生でした。いろいろお心配りに恐縮、有り難うございました。
 先月の定例研究会・故伊藤寿朗さんへの想い出をきっかけに、最近「風」に渡部幹雄さん(和歌山大学)の投稿が相次いでいます。本号には少年Bが登場。少年Bも多感なころ、おぞましき「生体実験」報道を知らないはずがありません。戦時下−狂気の時代の象徴的な事件。大学は組織的関与を否定し罪を問われませんでしたが、首謀?の教授は自殺と記憶しています。
 それにしても新著の校正、故郷の我が家で「薪で風呂をこれから沸かすところ…」とは羨ましい。
 本号には岩本陽児さん(和光大学)の「黒豚」物語が並びました(上掲)。かっての風「御三家」と“尊称”した頃を思い出しています。HPの風「発行一覧」を検索してみると、2835号(2012年3月2日)に「御三家」のことを書いています。この二人と、あとお一人は、言うまでもなく伊藤長和さん(「烟台の風」発行)。新保ゼミでは故横山宏さんのことを語り、懐かしみの1日となりました。
早稲田大学・新保ゼミ(14-807教室、151123)


3583号【2015年11月21日】
■≪ホームぺージ・引っ越し中≫

 旧ホームぺージ(1997年〜)から現ページ(2004年〜)へ、たどたどしい手作業ながら、吹き流れる「風」の記録・資料・写真等をストックする努力を重ねてきました。なんの因果で、こんなつまらない仕事を・・と思うこともしばしば。案外と時間を費うのです。しかし、ときに「継続は力なり」を実感することもありました。なんとか続けてきて15年余が経過したという次第。 
 いつぞや書いたように、HPはすでに契約容量いっぱいとなって、止める何よりの口実、いい潮時だと喜んでいた矢先、広いスペースへの切り替えを薦められて、あとひとふんばりすることに。悲しい性(さが)、小さな文章も棄てきれないのです。目下、新ホームぺージへ引っ越し中。指南役は木村雅俊さん、いろいろと有り難うございます。
 現サイトをそのまま残し、その裏側に新サイトを(まずは同じ構成で)構築中。まだ混乱はありませんが、そのうちに現サイトを契約解除し、写真が消えたり、サイト内リンクがつながらなかったり・・いろいろ不細工が生じてくると思います。大目に見てやって下さい。風・標記のURL、当分は現行のままで。
 昨夜(20日)は東京社会教育史研究フォーラムの集い、「最終章をどう書くか」の議論でした。皆さん勤務を終えての集合ですから、秋の夜長とは言うものの、時間不足が惜しまれるところ。それでも項目・言葉を出し合い、分担もまずまず決まってヤレヤレ。ご苦労さまでした。遠慮のないやりとりがなにより。きっといい本に結実することでしょう。

3582号【2015年11月18日】
■≪あの日の「盲流」≫
 岩本陽児さん(和光大学)の母堂ご逝去のこと(上掲)、知りませんでした。ひとり息子はいつも親元を離れて(我が家もそう)、お寂しかったのではないかと案じるときも。葬儀・納骨つつがなく終えられたそうですが、たいへんだったことでしょう。謹んでお悔やみ申し上げます。
 ところで、前々号から載せ始めた【回想記録2】について。次の研究会(11月27日)へ向けて、南の風の初期記録(1999年)「湘潭への旅」を抄録していますが、広州への旅がからんでいました。この際一緒に回想記録に入れておくことに(上掲)。振り返ると、中国との付き合いは、華南・広州行きが案外と早かったのです。「南の風」がまだ出ていない1992年からのこと。何度も広州へ、そして広州からの訪問団(TOAFAEC が招聘状を出してビザ取得)を何組も受け入れてきました。すべて留学生(当時)李偉成さんが“架け橋”の役割を果たしてきました。この記事、いま李偉成さんは読んでいるかしら。
 旅に出ると当時は日記がわりに拙い歌をノートする慣わし。上掲・南の風には1994年広州訪問の古い歌を付していました。ついでに本欄に写しておきます。
◇二度目の広州訪問、広州駅にて−1994年11月(歌ノート)−
・駅前に群れし「盲流」臭気満つ なかに書を読む若者ありき
  *盲流は内陸から沿岸大都市へ移動してきた膨大な農民工の流れ
    広州駅周辺には当時100万近くの盲流が蝟集していた
・人民の手あかまみれし二角幣 「来々々」と叫ぶ女にくれし
◇広州を流れる珠江ほとり−1994年11月−
・珠江の電彩まぶしき飯店の 美食を前に盲流を想う
・広場への放水激し農民を 蹴散らす都市の権力かなし
広州市訪問団、李偉成さん(左)と王小強・団長(右) −第69回研究会、2001/11/13−
sa

3581号【2015年11月16日】
■≪お祝い二つ≫
 前号から載せはじめた【回想記録】<湘潭・広州への旅−1999年>(その2)は次号にまわすことに。本号は、週末から寄せられた話題二つで、いつもの予定紙数がいっぱいとなりました。
 一つは、遅れていた年報第20号がもうすぐ刊行される見通しです(祝!)。その中に収録予定の「総索引」。根気のいる作業に取り組んだ山口真理子さんから、国・地域別論文数、同執筆者数の総括表が届きました(添付)。20年間の論文(報告・資料を含む)総数386本、そのうち日本関連(沖縄を除く)はわずか27本、あとは沖縄を含む「東アジア」への拡がり。執筆者は総数で276人(+3団体)。日本人による執筆は5割に達していまません。半数以上は、中国人(台湾・モンゴル族を含む)・韓国人でした。このような雑誌・年報は類書がないように思います。記念となる総括表、まことにご苦労さま。
 あと一つの話題は、昨日(15日)午後〜夜の第60回韓国生涯学習研究フォーラム(風の部屋)のこと。同フォーラムは2006年『韓国社会教育・生涯学習−市民社会の創造に向けて』(エイデル研究所)出版を契機に発足しましたが、この本の誕生まで約4年の歳月、ほぼ毎月集まって編集会議(事務局長・伊藤長和さん)を開いてきた経過があります。合計・実質100回目の研究会を迎えたも同然。そのつもりでお祝いの乾杯をしました。2003年から実質10年あまりの歳月に3冊の本を刊行し、いま新しい本(改訂版)の準備中。皆さん、よく頑張ってきました。拍手!
 この席で、ぶんじんは皆さんから84歳のお祝いをしていただきました。心のこもったお祝いの数々(上掲)、ありがとうございました。7月は名護で85歳(数え年)の祝い、この数ヶ月で1歳若返ったような誕生祝いの気分。
韓国研究フォーラム(第60回)、机上にバースデーケーキ、感謝! (風の部屋、20151115)


3580号【2015年11月13日】
■≪日本アーカイブづくり構想は?≫
 風・前々号(3578号)に渡部幹雄さんが「アーデルは何処」を書いています。エジプトに日本アーカイブづくり・日本文献センターを、というカイロ大学・アーデル氏の構想(TOAFAEC 第165回研究会、2010年5月)を受けて、その後の渡部さんの並々ならぬ協力の経過が明らか。いま残念ながら、南の風はアーデルに届いていません。どなたかアーデル君と連絡できる方は、この渡部メールを伝えていただけませんか。
 数年前からアーデルへの風は戻ってくるようになりました。その前の彼の来日の際(風の部屋に宿泊)、小さな齟齬がありましたが、理由はよく分からないまま、風の配信を停止しています。その後、エジプトを訪問した斉藤真哉さんにカイロ大学へ問い合わせてもらった経過もありますが、とくに異変はなさそうで、その時は「日本に行っている?」ような返事だったそうです。本欄はHPに載せる慣わし。もしアーデルが本文を読む機会があれば、ぶんじん宛ご一報を。ご希望であれば、南の風の再配信をいたします。
 風・前号(3579号)に内モンゴル・赤峰学院のトクタホさんから来信。副教授昇進(内定)おめでとうございます。上記・渡部メールに関連して(風に載せませんでしたが)「以下は小林先生にご相談」として次の一文がありました。
 「前掲・渡部さんが言うエジプト・カイロ大学のアーデル氏へ本を贈るとの話ですが、もし本当にだめな場合は、モンゴル赤峰学院へということにはなりませんでしょうか。詳しいことはよく分からないですが、勝手にそう思いました(笑い)」と。あえてご紹介に及びました。

3579号【2015年11月10日】
■≪11月の定例研究会−張・朱夫妻のこと≫
 今月の定例(第223回)研究会「ご案内」を上掲しました。黄丹青さん(目白大学)に最近の中国訪問・土産話を気軽に話していただこうという企画です。「中国」をテーマに取り上げるのは、なんと!2年4ヶ月ぶりのこと。第193回(2013年3月)に華東師範大学・陸素菊さんに、また第197回(2013年7月)に筑波大学・上田孝典さんに報告いただいて以来のことになります。私たち研究会の日中関係も冷えていたようです。
 ご記憶でしょうか。南の風3556号(9月25日)に黄さんから訪中についての短いメールをいただきました。北京の韓民さんのこと、また上海の呉遵民さんに加えて、張・朱夫妻のこと。「…なんと!東京学芸大学(院)を卒業された張ジェイ(王ヘンに玉)さんとお会いすることができました。現在、上海教育科学研究院の副院長ですが、とても立派な研究院です。確か10年?ほど前に奥さんの朱榴芳さんと上海で会いましたが、本人とは初対面です。〜」
 張・朱夫妻は、日本留学を終えて(1997年?)中国湖南省・湘潭工学院に勤務。その後は2002年頃から上海へ。張さんは上海教育科学研究院、朱さんは同じ上海の立信会計学院(外国語学部・日本語研究室)。一夜、閘北区・袁允偉さんたちと食事をしたこともありました。
 その頃「南の風」が届いていましたが、返信はいつも文字化け。いつの間にか切れてしまっていたのです。今回、黄さんの便りで当時を思い出し懐かしい。張・朱さんたちが湘潭にいたころ、はるばると訪ねたことがあり、その記録もいま探し出したところです。
上海教育科学研究院・副院長 張ジュエ(zhang jue)氏、(150924黄丹青さん撮影)


3578号【2015年11月8日】
■≪20号校正作業≫
 SEALDs「辺野古新基地建設をめぐる一連の政治的手続きに関する抗議声明」。その一方、辺野古では警視庁・動隊の導入。機動隊増派は「琉球処分で派遣された軍隊や警察を思い起こさせる。…あえて力を見せつけ恐怖で支配する意図が見える」(沖縄タイムス・大弦小弦 2015年11月2日−上掲)。
 目取真俊さんブログ「海鳴りの島から」(11月6日)。「…機動隊による強制排除が進むさなかに、誰ともなく「沖縄を返せ」の歌が始まった。スクラムを組み「かたき土を破りて 民族の怒りに燃ゆる島…」と声をあげる女性たちにも機動隊が迫る。屈強な彼らに滑り止めがついた軍手で握られるだけで腕には青あざができ、指や手首、肩を痛める。それでも必死の抵抗が続いた。…」
→■http://blog.goo.ne.jp/awamori777/e/5351e28c1c62866175d9c4877710b620
 ゲート前の座り込み、機動隊による「暴力的弾圧」の動画が、三上智恵監督の映画「戦場ぬ止み」(いくさばぬとぅどぅみ)」とも重なって体震える思い。
 さて、11月7日の私たちは終日、『東アジア社会教育研究』第20号の集中校正作業でした。内田純一さん(編集長)は高知から。江頭晃子さん編集ゲラが目にまぶしい。ご参加の皆さん、お疲れさまでした。この席で、先日上海を訪問した李正連さん(東京大学)を介して、呉遵民さん(華東師範大学)の新著『基礎教育公平論』(上海教育出版社)を拝受。立派な本を有り難うございました。また馬麗華さん(同・華東師大)からは老酒の銘酒一瓶。何よりのもの、感謝です。その席でまず試飲賞味。今ちびりと楽しみながら、本欄を書いています。心身ともに暖まる思い。
*呉さんとの出会いは20年あまり前、当時のデジタル写真なし。馬さんとの出会いは2009年頃か。
【記録】 左2人目に馬麗華さん、4人目に韓国・ヤンビョンチャンさんも (日中韓合同昼食会@溝の口、20090509) 写真移動

3577号【2015年11月5日】
■≪二人は同級生≫
 最近、音信がなかった和歌山大学(付属図書館長)渡部幹雄さんから、故伊藤寿朗さんとの関わりについて、連日のメール。渡部さんは学芸大学(院)を出る際、自らの進路をギリギリまで模索していたことを思い出しました。国立市の平林正夫さんや伊藤さんと温かいやりとりがあったよう。1990年3月の年度末、私たちはエジプトへの旅中にあり、ナイルの流れを見ながら彼から進路の相談をうけた想い出。その慌ただしさに「丸木端を渡る自転車」とアダ名を付けました。いつ落ちるか心配でした。
 その後、どうしてどうして!感嘆に価するチャレンジ。郷里の大分・緒方町から森山町(長崎)、飛躍して愛知川町(滋賀)へ。二つの個性的な町立図書館を建て、見事でした。晴れて同町・教育長へ、しかしサッと辞職。そして、いま大学の付属図書館長への人生。余人の及ばぬ運命を切りひらくセンスと活力を秘めていることは明らか。ふらふら?人生と見えた生き方は、迷いながらも決断し、未知の境地に踏み込む勇気と確かな足どりを実証してきたのです。
 渡部さんの学大院・同級生に胡興智さん(メール・上掲)。こちらは天津出身の留学生。画に描いたような着実人生。大学院修了後は一すじに日中学院の教師。日本固有の文化に分け入り、最近は生け花をたしなみ、短歌は長足の進歩と見受けました。添付されてきたお花と短歌数首を選んでご紹介します。
◇夕闇に紛れず吾の立つ影を慰めるごと月また昇る
◇夕暮れに蝉鳴き響(とよ)み身に沁むは父の面影母の微笑み
◇天津の陥落の碑をしみじみと眺めて聞けり靖国の「知丁(せみ)」
 ちなみにこの時期の小林ゼミには、梶野光信(東京都教育庁)、森田はるみ(北海道置戸町教育委員会)、内田純一(高知大学)など賑やか。半数以上が留学生(研究生を含む)でした。
【記録】 学大・小林ゼミ・春合宿 (後列右より胡、渡部、その間に内田各氏−湘南、19880515) 


3576号【2015年11月3日】
■≪地域の芸能文化が人を育てる≫
 4日前の「伊藤寿朗さんを語る」研究会、その後も「伊藤寿朗さん抜きには語れない」(渡部幹雄さん、上掲)などの追想が続いています。おかげさまで南の風も忙しい。
 南の島、八重山毎日新聞のコラム「不連続線」に興味深い一文が載りました。八重山高校郷土芸能部50周年の歩み。「風」に収録しておきたいと思いながら、上記・伊藤寿朗さんを語る研究会記事など相次ぎ、パソコン「風」編集箱に入れたまま1週間以上も棚ざらし。やっと本号に収録することができました。
 固有名詞がたくさん。その中に「南の風」メンバーの新垣重雄さん登場。当初は女生徒が多い舞踊習得の部活動から、「翌年、部長を務めた新垣重雄さんが高校生色、郷土色を強く打ち出そうと八重山民謡の三線、笛、太鼓のできる男生徒を募って奔走」したと。当時のこと、ご本人から聞いたことがあります。
 私たちが東京学芸大学で「戦後沖縄社会教育研究会」を立ち上げた初期、彼は小金井市で仕事をしていました。東京で「八重山文化研究会」を担い、研究会で「八重山の歴史と文化・教育を語る」(1979年4月、第25回)記録も残っています。なにより驚いたのは、三線を弾き、笛を奏し、歌の名手でもあったこと。その源流は八重山高校郷土芸能部であったのです。私たちの研究室が賑やかに動いたのも、彼の三線や笛のおかげでもありました。その後は国会議員秘書、沖縄「社会大衆党」書記長として活躍した人。いま石垣「しまソバ一番地」亭主。
 体にしみついている八重山芸能・文化、もともとは出身の「宮良」集落の祭や行事のなかから受け継いできたに違いありません。「ムラに480の歌がある、それを歌えなければ一人前ではない」と話をしてくれたことがありました。 【記録】 左・新垣重雄さん、右は渡慶次賢康・美智子夫妻(石垣、20130318)上勢頭芳徳さん撮影写真移動

3575号【2015年11月2日
■≪今年の「やんばる対談」≫

 今年3月末の「やんばる対談」から半年余りが経過してしまいました。年報20号に向けての「やんばる対談」修正原稿、皆さんのご協力、今年もありがとうございました。おかげさまで関係各位からの送稿がほぼ出揃い、それを最終稿ファイルに移す作業を一夜楽しんでいました。李正連さんからの写真も拝受。感謝です。
 テントの全体写真だけでなく、全部は無理としても、発言者の顔写真、表情がほしいところ。しかしそれだけスペースをとるわけだし、バランスもあり難しいかも。対談中に登場する名護地名のマップもほしい…もちろん辺野古も入れて。名護市教育委員会に面白い地図作品がないかしら。辺野古の沖にジュゴンが泳いでいるような・・・もちろんこれも全体のスペースに関係します。
 いまから最後の一絞りをして(別掲コメント5本分のスペースはみ出し)どれだけ成功するか、明日のお楽しみ。編集の江頭さん、遅れて申しわけありません。これから編集・レイアウトが大変!ご苦労さまです。
 先日30日研究会の余韻が残っています。本号には当日登場の栗山さんから、また昨夜深更、氏岡さんからメールをいただきました。氏岡さんメールはやや私信の感じですが、あえてご紹介に及びました(上掲)。お許しください。「関係者のみの会かな、伺うのは失礼だなと思って・・・」とありますが、予めご都合を聞くなどしないまま、失礼しました。「南の風」に載せる集い・研究会はどなたにも開かれた、すべて大歓迎が基本ですので、今後ともご都合がつくときは、ぜひ息抜きにお出かけください。写真もまたお断りもなくHPに掲げさせていただく慣わし。ご了承ください。
有志二次会左3人目に氏岡真弓さん イーストビレッジ、20151030小田切さん撮影


3574号【2015年10月31日】
■≪つらい回想≫
 10月30日夜、故伊藤寿朗氏・博物館研究の歳月を語る対談(TOAFAEC 第221回研究会)。氏岡真弓さん(朝日新聞)もお出でいただき、忘れがたい夜となりました。信州下伊那から米山義盛さんの参加。イーストビレッジ交流会でも話は尽きませんでした。ご参加の皆さん、お疲れさまでした。
 当日、栗山究さんとの対談に備えて、1969年(伊藤寿朗との出会い)からの数々の記憶を想い起こしていました。なんとはなくつらい1日。研究会の前にはお弔いの気分にもなり、ビール1缶“弔い酒”にして会場へ。時間に追われたせいもあって急ぎ足。不謹慎にも顔は酔っていたようです。お許しください。(写真、頭は酔っていない・・・)
 歳月の経過はあれど、忘れがたいこと、皆さんに言っておきたいこと、いろいろ。その昔、遠慮しないで言い合った仲。当夜も記憶のまま、おぼろになっている部分もかまわずに…。彼の(私にとっては)最初の労作「博物館法成立史関係資料集」(学会・法制研究資料14集、1973)解題文が「肩に力が入って読みづらい、生硬だ」など。伊藤寿朗はどこか天上で聞いていて、反論したかったに違いない。しかし1970年代後半からの文章は鋭く切れがあって、多くの読者を得たことは言うまでもないこと。言い忘れたので、補足しておきます。
 早速に江頭晃子さん、小田切督剛さんから当夜の記録・感想(上掲)、小田切さんからは写真も。有り難うございました。
 名護市教育委員会・島袋一平さんより「やんばる対談」最終稿を拝受。約束の日を忘れずに、有り難うございました。コメントを寄せて下さる諸氏、どうぞよろしく。鶴首の思いでお待ちしています。
伊藤寿朗・博物館研究について対談、左・小林、右・栗山究さん(20151030)


3573号【2015年10月29日】
■≪故伊藤寿朗さん回想≫
、明日(10月30日)は、TOAFAEC 第221回(10月定例)研究会です。南の風3565号に掲載した当日のご案内は次の通り。(呼びかけ文・省略)
・日時:2015年10月30日(金)19時00分〜21時00分
・テーマ:伊藤寿朗さん、博物館研究の歩み
・対談:小林文人(いくつかの回想)・栗山究さん(聞き手) 
・場所:杉並・高井戸地域区民センター 第3集会室
・終了後(21:10〜)交流懇親会「イーストビレッジ」Tel 03-5346-2077
詳細→■https://secure02.red.shared-server.net/www.bunjin-k.net/kenkyukai2015.htm
 当夜の主役は栗山究さん(博物館研究)。その詳細は、風・同号「10月30日・研究会に向けて」に書かれています。栗山さんの企画提案により、小林がいくつかの「回想」を語るかたち。また当日の参加者からも、関連して当時の想い出やその後のことについてご発言があればと期待しています。
 しかし伊藤寿朗さんが亡くなってすでに四半世紀ちかくが経過し、その名をあまり知らない若い世代も少なくないと思われます。パソコン記録のなかから「伊藤寿朗氏を悼む」(月刊社会教育1991年6月号)を【回想記録】として収録(上掲)、歳月の間隙を少しでも埋めることになればと願っています。
 高井戸での開催は3ヶ月ぶり。研究会終了後の懇親交流会も再び馴染みの「イーストビレッジ」予定。皆さん、お誘い合わせの上、ご参集ください。HPに在りし日の伊藤寿朗さん遺影一葉を掲げました。
【記録】 在りし日の伊藤寿朗さん(東京学芸大学社会教育研究室、1987年6月24日)


3572号【2015年10月28日】
■≪弁務官のポケットマネー≫
 名護・東海岸、「久辺3区」(辺野古、豊原、久志)の3字(あざ)の区長たちが東京永田町・首相官邸によばれて「振興費」(約3千万円)を−名護市を通さず−直接に支給されることになったニュース(10月26日)。
 各字は、人口からみても辺野古1900、豊原400、久志400 程度の小さな集落異例のことです。辺野古基地問題への政策協力費、基地反対の世論のなか明らかに政治的懐柔策・分断策の臭いが強く、基地問題に対するいわゆる「アメとムチ」手法そのもの。かってアメリカ占領下「沖縄の帝王」=高等弁務官のポケットマネー「弁務官資金」の手法とまるで同じ、と沖縄タイム社説は揶揄しています。(10月27日、上掲)。
 戦後沖縄のアメリカ占領は軍政として始まりますが、民政へ移行(1950年)。しかしアメリカ民政府(USCAR)の長たる高等弁務官は現役の高級将校(陸軍中将)が任じられ実質的には軍政。高等弁務官を「沖縄の帝王」と位置づけたのは太田昌秀氏です(同書、久米書房、1884年)。「現地軍司令官としての膨大な軍事権限に加えて、行政・司法・立法の権力を一身に集め、文字通り琉球政府の頭上に君臨」したのです。そのポケットマネーとして恣意的に支出されたのが弁務官資金。まさかアベ政権は沖縄自治体に君臨する帝王でもあるまいに。
 TOAFAEC の前身、沖縄社会教育研究会には「沖縄の帝王」に関するいくつかの資料研究があります。たとえば『沖縄社会教育史料』5−占領下沖縄の社会教育−1985年。USCAR・年次報告のあるページ。1966年の高等弁務官資金は44件、20万ドル。その半数近くは集落の公民館(Community Hall)補助でした。
【記録】 戦後沖縄社会教育研究会編『沖縄社会教育史料』全7集(1977〜1987) 写真移動

3571号【2015年10月25日】
■≪ホームページ・別室≫
 お気づきでしょうか、風3566号「どこまで続くぬかるみぞ」に書いたホームページの移転、まず1歩を踏み出しました。少し経過を書いておきます。
 TOAFAEC +ぶんじんホームページ、せまい部屋を継ぎ足しながら、この15年あまり運営してきました。部屋は三つ、しかし容量少なく満杯となり、挌闘してきました。「南の風」を休止すれば、悩みすべて解消!いい潮時だ!といつぞや書いた通り。ところが、新年・七夕の会でご存知の木村雅俊さんの思いがけない専門的助言あり、手をとるようなガイダンス。so-net「レンタルサーバーHS」の、広い容量のサイトを確保することになりました。ひろびろとした別室です。
 この10月下旬、収蔵のファイル・写真などデータの移転作業に取りかかっています。老いた眼をまた酷使することになりますが、心は妙に張り切るところあり、活力も蘇って・・・手はじめにスケジュールや「ぶんじん日誌」一覧を別室へ。混乱があってはならず、ゆっくりと作業するつもりです。
 見通しがついたところで現ホームページを撤収することになりますが、しばらくは今のままで。ただサイト内のリンクの不具合とか、写真のブランクなどの個所が出てくると思います。ひとときの不自由、ご容赦くだい。
 木村さんは毎月の定例?日に富美の激励にお見えいただきます(感謝!)。その縁で、思いがけない学芸大学卒の後藤(旧姓)伸子さん、北風(同)容子さん−写真−と再会。麦笛(人形劇サークル)との関係もあり、とくに北風さんは卒業以来40年ぶり。こんな写真を自在に載せる余裕のご報告です。
昼のワインのあと。左端・北風容子さん、4人目に後藤伸子さん、右端・木村雅俊さん(西永福・レストラン、20151022)


3570号【2015年10月23日】
■≪古いアルバム≫
 20年前の10月21日、米兵による少女暴行事件に抗議する沖縄県民集会が開かれました。約10万人の結集。この20年の歴史を振り返り、沖縄各紙は「尊厳守れぬ現実の直視を」(琉球新報・上掲)など印象深い社説を掲げています。
 あの年、県民集会の10日前に私たち和光大学(小林プロゼミ)一行は沖縄を旅していました。名護では、島袋正敏さんが「東京へ帰るな、今度の集会は歴史的な集いだ、参加!」と学生たちを誘惑したことを思い出します。フライト予約は棄てきれず、みな東京へ帰りましたが。
 当時は年に5〜6回の頻度で沖縄を回っていました。一人旅はほとんどなく、いつも5人、10人を誘っての旅。ゼミ旅行となると20人をこえることもあり、安い宿を探すのにたいへん。名護の泊まりは稲嶺進さんに紹介してもらった時期もありました(1980年代に現市長は社会教育主事)。
 久しぶりに“古いアルバム”を開いてみると、この年の2月には韓国の黄宗建さんを初めて沖縄にお連れしています。文孝淑さんなどが一緒。翌96年には和光ゼミ一行に石間資生さん(小平市)などが同行。それに神戸大学の末本誠さんと学生たちが合流、宜野座の豊年祭へ。台風に見舞われましたが、那覇では「久茂地文庫・沖縄社会教育研究会二十周年記念祝賀会」。平良研一さんはじめ多数の参加、東京からは山口真理子さんの顔も見えます。
 来年は私たち研究会の「40周年」となります。当初は「戦後沖縄」社会教育研究会と称していました。いま、40年前を知る人も少なくなってしまいました。HPにかなり詳細な記録を収録しています。ご覧頂ければ幸い。
→■
https://secure02.red.shared-server.net/www.bunjin-k.net/1976toafaeczennsi.htm

3569号【2015年10月20日】
■≪久茂地文庫・分室≫
 くにたち公民館60周年記念事業。風メンバーではありませんが、実行委員長(山家利子さん)からメールをいただき“記念”に冒頭に掲げました。また同会場で目が合った?岡幸江さんからのメール、有り難うございました。(上掲)
 さて前号の続き。1970年代、躍動期の国立公民館と関わり、また勤めた大学が小金井ということもあって、三多摩各地の公民館、それを担う(当時の若き)群像と多彩に出会うことができ、振り返って、充実した歳月となりました。しかし「公民館」を国立を通して、あるいは「三多摩テーゼ」イメージでとらえる偏りもあったように思います。1976年秋から冬にかけて沖縄研究への道に入り、東京を離れて研究フィールドは南へ。その道すがら沖縄各地の集落・字(アザ)公民館との新しい出会いは、まさに鮮烈なものがありました。公民館研究の視野の拡がりを実感。沖縄を通して国立・三多摩の公民館をとらえかえす中で、いろんな課題が見えてくる、そんな“発見”を重ねてきました。
 当時、沖縄行きの経費がたいへん。逆に沖縄からヤマトゥへの旅も負担が大きい。国立に設けていたセカンドハウスに、沖縄からの来訪者を歓迎し、いつでも泊まれるようにしようと・・・名付けて「久茂地文庫・分室」。マンションの一室に小さな看板を掲げて門戸を南に開いたつもり(1977〜1980年)。
 久茂地(くもじ)とは那覇中心の町の名。歌人・喜納勝代さんの私設「久茂地文庫」は、私たちの沖縄フィールドワーク初期の拠点でした。「別室」はそのお返しの思い。と言っても沖縄からの客人(東武さんほか)はそう多くなく、福岡ときには名古屋からの泊まり客など。普段は学生・市民(ぶんじんは当時PTA会長)のたまり場でした。この流れが今「風の部屋」へとつながります。
 17日・くにたち公民館60周年シンポ後の交流会写真1葉、下掲しました(井口啓太郎さん提供)。
終了後の交流会、前列右2人目に徳永功さん、後列左2人目に山本健慈さんの顔も (国立駅前ロージナ、20151017)


3568号【2015年10月18日】
■≪私の国立時代≫
 くにたち公民館60周年の集い(10月17日)。徳永功さん(初代職員、のち公民館長、教育長)はじめ懐かしい顔ぶれとお会いできました。1970年代に国立に住んで、同公民館運営審議会委員のころ20周年の集いが開かれたことあり、それから40年も経過したことになります。当時、木造の旧公民館から現公民館に改築され、40年経ったのに、見掛けは案外と新しい(感じの)ままの公民館。メインテナンスがいいのかしら。人は老いていくのに・・・の感想。
 当日の話にA4レジメ1枚用意して配布いただきました。しかし徳永さんなどの公民館創設や初期の証言を聞くうちに、自らの国立住まいのころが諸々懐かしく思い出され、私の番がきたとき(やや衝動的に)レジメから離れて話を始めてしまいました。企画の皆様に申しわけない思いです。
 国立に住んだのは、1967年から1980年の13年間。ちょうど美濃部・革新都政の時代です。社会教育・公民館にとっては、国立も三多摩も躍動の時期にあたります。面白いことがいろいろ走馬燈のように浮かんできました。そして国立の団地から沖縄通いも始まったのでした(1976年)。
 会場には、大前哲彦さん(大阪)や山本健慈さん(いま東京)の顔があり驚きました。お顔を見ませんでしたが岡幸江さん(福岡)も来ていたらしい。桑原重美さん(もとNHKカメラマン)がつかつかと近づいてきて、写真を撮っておきましょうと嬉しい声。有り難うございました。そのうちの1枚をHPに掲げます。井口啓太郎さんからも長文(上掲)と交流会の写真、この1枚は次号に紹介します。
国立公民館60周年記念シンポ、桑原重美さん撮影(同公民館交流ロビー、151017)


3567号【2015年10月16日】

■≪素知らぬ顔で風を吹き≫
 この間のこと、いろいろあって、筆が乱れてしまいます、なかなか大変そうだというわけで、葡萄が飛んできたり、大きな梨の箱が届いたり。突然に珍しい人が−こちらは名前も忘れるていたような−昔の学生が「お見舞に…」と登場したり・・・。皆さん、ありがとうございます。
 妻・富美は元気だけが取り柄だったような人ですが、身体的にも認知的にもいろいろ故障が重なって(いま要介護度4)動きがとれません。誰かが薦める収容施設に入れば、おそらくすぐに“寝たきり”になるのが目に見えているような状態。なんとか自分の家で、せまい空間ながら、すこしでも動いて(車椅子)・・・人間らしい“生活”を継続していこうというのがいまの切なる願い。食事をはじめ、すべてに介護・付き添い・励ましが必要なのです。
 ぶんじんは、いますべての活動を停止しています。しかし「南の風」だけは素知らぬ顔で出しているかたち。泊まりはすべてダメ、九州の油山にも久留米にも今年は出かけることが出来ません。いつぞやの名護「85歳の祝い」1泊が関の山でした。
 進行中の2冊の本づくり(韓国と東京社会教育史)は、申しわけないことですが、編集委員の方々にお越し願って(風の部屋)なんとか継続できていますが、岩手の全国集会も、大都市社会教育研究・交流の集い、日韓学会間交流等その他もろもろの集いは、留守を守る体制が出来ない以上、すべて失礼しなければなりません。ある○○実行委員長の就任打診の電話が深夜かかって気も動転、思わず怒声に。失礼を重ねています。
 いろんなことが気になりながら、多くの方々の期待に応えきれず、ここでまとめて失礼のお詫びを申し上げる次第です。     【記録】 左・富美と2番目の孫 (西永福、2004年3月6日)


3566号【2015年10月14日】
■≪どこまで続く ぬかるみぞ≫
 年報『東アジア社会教育研究』全20号の総索引づくりが、山口真理子さんの努力でほぼ完成(上記)、まことにご苦労さまでした。研究会としてもちょうど20年の歳月。定例研究会はこの10月で220回をめでたく迎え、当日の参加者でささやかな「20年!ご苦労さま!」の乾杯をしたことはご存知の通り。ここらで一区切りか、とどなたかに話した経過もありました。
 「南の風」のことです。いつまでも終わらないで、大事な記録だ、もっと続けよ、など励ましの声も聞こえてきます。しかし現ホームページのスペースが(やりくりしても)満杯となってしまいしました。南の風に収録している諸研究会の案内、後記「ぶんじん日誌」、毎月の主要スケジュール、そして重い写真など、それなりに他にない記録もあります。一部の重いフアイル・画像を撤収して空きスペースをつくり、新しいスケジュール記録を収録するなど涙ぐましい作業。もうやめよう!ここらが潮どきだ!
 ところが“星の王子様”ならぬ、いかつい巨人が現れて、サーバー・ソネットの新しい情報をもたらしてくれました。「 So-net レンタルサーバーHS」のこと。オリジナルドメインによるWeb ページやメールアドレスの新サービス。従来の狭い部屋を維持しつつ、別のかなり広い部屋を確保する案です。その誘惑に心動いて、この数日、新ドメイン(bunjin-k.net)の取得、接続が始まって一部の引っ越し作業を始めています。現ホームページのすみに、新ページ準備中のリンクもはりました。いま助走のかたち、そのうち正式に登場します。
 少年時代に歌った軍歌「討匪行」の「どこまで続くぬかるみ(泥濘)ぞ」を 思い出しています。この作曲はオペラ歌手・藤原義江。

3565号【2015年10月11日】
■≪十・十空襲≫
 1944年10月10日、沖縄「十・十空襲」の日。那覇だけでなく名護ほか港湾施設が米機動部隊の大攻撃を受けました。那覇市街は9割が焼失したとのこと。
 仲宗根政善先生『ひめゆりと生きて』(2002年)には次のような回想(日記)があります。「…敵機は編隊を組んで一日中波状攻撃をかけ、壕から一歩も出られない。夕刻になって漸く飛行機が去り、那覇全域は炎につつまれ燃えるにまかしていた。天も焦げ、地上天上一切が燃えている。私はその炎の中に飛びこんで行った。燃えさかる火の中を飛びこえ飛びこえ我が家をさがした。…」
 いま、つらいときに『ひめゆりと生きて』を読むことがあります。戦火をくぐり、多くの生徒を亡くし、自らは九死に一生を得て、厳しい戦後を生きてこられました。これほどの苦しみ、悲しみがあったのかと涙がでます。仲宗根政善先生歌集『蚊帳のホタル』(1988年)から「風」に載せた歌を再録します。
◇二十人にただ四人生く、百九十四人の教え子帰らず
◇教え子を壕に残して出づる夜の闇をつんざき砲声うなる
◇いやはての巌に追われて粥炊きて我に与えし教え子のあり
◇いたづける我をかばいし教え子とふけゆく夜の蛙を聞けり

 お便り(私信)いろいろ頂き、ありがとうございます。岡山・鏡野町羽出の美若忠生さんメール(抄)。「ご無沙汰ばかりしております。…とはいえ、社会教育一筋の習い性か、あちらに口を出し・こちらに手を出して、福祉の村づくり組織の会長、毎週開設の高齢者デイサービスのNPO理事長等で地域の中を走り回っています。…」 お元気でなにより!

3564号【2015年10月9日】
■≪安倍(第3次)改造内閣≫
 前号の続きで、相沢夫妻の戦後史も書いておこうと思っていましたが、安倍内閣(第三次)改造が報じられ、予定変更。馳浩文科大臣のユニークな記者会見、「私たち夜間中学関係者にとって大変心強い」(須田登美雄・全国夜間中学校研究会事務局)感想を岩本陽児さんより紹介いただきました(上掲)。
 他方、沖縄選出の島尻安伊子参議院議員は沖縄・北方担当大臣に起用されました。島尻議員は、もともと米軍普天間飛行場の「県外移設」を公約に掲げ当選、しかし、その後に公約を覆して辺野古容認に転じた人。記者会見では辺野古に一言も触れず、記者からの質問に対しても、型どうり「沖縄振興」「基地負担軽減」の弁、辺野古問題から逃げている印象でした。
 大臣就任のニュースが流れる前に、八重山毎日新聞(コラム・不連続線10月03日)が来年の参議院選挙での「落選運動のターゲット」として島尻安伊子氏を名指ししていたことを思い出し、「おきなわ短信」(1055)として収録。
 8日の琉球新報・沖縄タイムス両紙ともに社説で島尻・大臣就任について書いています。琉球新報は「安倍改造内閣 失望の二文字」のタイトル。「沖縄にとっては不安な布陣としか言いようがない。…沖縄から中央に直接通じるパ
イプができたことは喜ばしい。ただ島尻氏の過去の発言を見ると、懸念も禁じ得ない。島尻氏は…辺野古移設阻止を掲げる稲嶺進名護市長に対して「権限の乱用」と中傷し、辺野古での市民の反対運動を弾圧するかのように政府に対策を促した」。→■http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-250122-storytopic-11.html
 沖縄タイムス社説。「島尻氏の動向 注視する」として「…島尻氏が安倍首相や菅義偉官房長官と同じ目線で辺野古移設を推進し、そのために沖縄振興策を束ねる大臣としての立場を利用すれば、振興策はゆがめられる。振興策と基地をリンクさせたり、市町村長を振興策で縛るようなことがあってはならない。…沖縄振興の原点を肝に銘じてほしい。」 全文→■http://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=136262

3563号【2015年10月6日】
■≪旧ハルピン高等女学校のチブス事件≫
 前号に、ちらりと叔父夫妻のことを書いたので、ついでに記憶を少したどっておくことにします。できれば資料を調べて・・と思っていたのですが、その余裕もなさそうですから。
 つぎはぎの記憶を思い出しながら…。叔父・相沢要は東京外語・ロシヤ語の専攻。旧「満州日報」記者となり(関東軍と折り合いがよくなく)終戦時には東京支社(通信部長)へ。戦後は京王線・烏山に古本屋を開業しました。社会主義文献も置いて「赤い本屋」と言われ、やがて新本も扱う書店「京王書房」へ。ぶんじんは学生時代(1952年春休み)に九州から遊びに来て、本の運びや店のペンキ塗りを手伝ったことがあります。1ヶ月の滞在、大きな刺激でした。
 この本屋は、色川大吉「ある昭和史(自分史)」にも登場します。なにかの集いのあと京王書房のせまい食堂で、色川さんとスキヤキを食った想い出。叔父はジャーナリストとしての意欲から「烏山新聞」「世田谷新聞」を出していましたが、市民派から推され世田谷区議会議員(1967年〜、のち副議長)へ。
 話を戦前に戻します。旧満州ハルピン。叔母(父の妹)は旧奈良女高師を出ましたが、国内に就職がなく、旧ハルピン富士高等女学校の国語教師として赴任。そこで満州日報記者をしていた叔父と出会い、物語が始まります。叔母が私たちのTOAFAEC 研究会に出席したのは、第20回(1997年9月)山辺悠喜子さん「七三一部隊・毒ガス兵器について」。ハルピン高等女学校に起きた「チブス騒動(1940年)を知ってもらいたい」と。教師・舎監として忘れがたい衝撃的な事件だったのです。七三一部隊が撒いたとみられるチブス菌で寄宿舎の生徒・教師が多数罹病し、教師を含め22名もの犠牲者がでて合同慰霊祭へ。証言として『すずらん』ハルピン富士高等女学校創立五十周年記念誌(1984年)「チブス事件の頃」(相沢よし)があります。
 叔母には悲愴な体験としか言いようがない数ヶ月。ただ当人にチブスが発症しなかったのは「事件の夜、たまたま叔父さんがデイトに誘ってくれて寮の食事をとらなかったの。命の恩人。」と打ち明けたことがありました。

3562号【2015年10月4日】
■≪エイデル研究所の歩み≫
 本号には、相次いで開かれた二つの研究会・報告を載せることができました。一つは東京社会教育史研究フォーラム(第25回)、あと一つはTOAFAEC 定例研究会(第220回)。石川敬史さん・松尾有美さん、早速の記録づくり、ご苦労さまでした。記念の220回定例研究会は(開催が定例日ではなかったためか)TOAFAEC 事務局メンバーは少なく、しかし久しぶりの珍しいお顔も並んで賑やか、嬉しいことでした。
 エイデル研究所の山添路子・遠藤紀彦お二人の話は、いまの社会教育出版や事業に関わる内容が中心でしたが、1983年・エイデル研究所創業にも話が及んで、あらためて歳月の経過を実感。その4年前に旧「総合労働研究所」から刊行した社全協編『社会教育ハンドブック』初版や、同・改訂版(エイデル研究所刊、1984年)など当時を思い出し、回想のひととき。
 研究会終了後、席を移して西永福「蘭」(香港料理)へ。ここでは小田切督剛さん(川崎市)から、小生の叔父(相沢要)についての思いがけない記録をいただき、驚きました。叔母(相沢よし)はTOAFAEC 研究会に出席したことがあり、HPに写真も(第20回、1997年9月)。旧満州「七三一部隊・毒ガス兵器」、チブス菌事件禍の体験者。何かの機会に書きたいと思っています。
 →■http://www010.upp.so-net.ne.jp/mayu-k/albumtoafaec.htm
 昨夜の研究会写真は、金宝藍さんのカメラから。「本日も貴重な学びの機会を与えて頂きまして本当にありがとうございました。写真をお送り致します。」(Sat, 3 Oct 2015 01:00) 5枚のうち1枚をHPへ載せました。
 当方は最近ズボラになって、カメラを持参しないことが多く、助かりました。話題の自撮り写真。それなのに撮り手の松尾さんは顔が半分かくれて申しわけない。
220回研究会、中央お二人が山添・遠藤両氏=エイデル研究所 (永福区民センター、151002)


3561号【2015年10月2日】
■≪20年の歳月はるか≫
 10月となりました。しかし、荒れる地球。秋涼の青空・・・といったイメージはなく、昨晩(1日)から激しい低気圧が北へ動き、北海道は台風同然の暴風とか。東京も強風騒然とし、窓外はヒューヒューとうなっています。
 今日夜(前号・参加呼びかけのように)記念すべき220回定例研究会です。この20年間、断続もなく定例化し、よく続いてきました。1995年6月に第1回。初期の数年は案内文だけですが、数年経って第45回(1998年)前後から、すべての回の参加者・報告・論議が記録され、2001年頃からは画像も残すことができました。懐かしい面々、議論だけでなく、飲んだり、歌ったり。
→■http://www004.upp.so-net.ne.jp/fumi-k/00kenkyukaikiroku.htm
 ぶんじんは、54回と80回の(多分?)二つの研究会をのぞいて、他はすべて出席してきました。前者は在外研究でドイツ滞在中、後者は身動きできぬ急なギックリ腰−今も忘れられない激痛でした。
 この間に、今はまったく音信の絶えた人も含め、たくさんのメンバーが研究会を通り過ぎていきました。海を越えて、中国、韓国、モンゴル、台湾そして沖縄など東アジアからの若者が多数参加。時にはエジプト等の異色の人も。社会教育の世界のなかで一つの歴史をつくってきたのではないでしょうか。
 韓国研究フォーラムからの呼びかけに呼応して、昨日は東京社会教育史研究フォーラム・石川敬史さんより「ぜひ皆様ご参加を!」の檄文あり。ただし本人は仕事のため来れなくなったとのお詫び。皆さん、ご苦労さまです。 ◇群像の相貌うかぶ秋の風  ◇消息の絶えし若者いまいちど腕組みあって歌うたいたし

3560号【2015年9月30日】
■≪10月2日(220回研究会)にぎやかな交流を≫
 9月のTOAFAEC 研究会は、もともと最終金曜日が定例日でしたが、ゲストのご都合で1週間先に延ばし、既報・上記の通り10月2日(金)夜の開会となりました。
→■
http://www004.upp.so-net.ne.jp/fumi-k/kenkyukai2015.htm
 年報第20号の編集・刊行が順調に進んでいれば、新刊・年報を前において、1995年6月スタートしたTOAFAEC「20歳の祝い」を合わせて企画する予定でした。この「20年祝い」は、12月(おそらく忘年会と合わせて−日程未定)にご案内することになりましょう。
 10月2日・220回研究会のお話は、エイデル研究所の山添路子さん。いま「躍動する韓国」本の、また平行して「東京社会教育の歩み」(仮称)の編集作業に奮闘されています。韓国と東京は、それぞれ独自の企画、違ったリズムで動いてきたのですが、いま競いあうように両編集会議が佳境を迎えています。本の完成が楽しみ。当夜、二つの研究フォーラム・編集グループが出会ういい機会になれば幸い。韓国グループ(上掲・李正連メールで呼びかけ)だけでなく、東京グループも都合のつく方はご参加を。初めての方もちろん大歓迎!
 ところで、風・前号はおそらく添付ファイルが重かったからでしょうか、いくつもの風の戻りがありました。添付をはずして再送いたしました。ご了承を。

3559号【2015年9月29日】
■≪台風・記録的な瞬間風速、東京は十六夜≫
 強烈な台風が八重山地方・与那国島を襲いました。今日(29日)の琉球新報記事。「台風21号は28日未明から夜遅くにかけて八重山地方を暴風域に巻き込んで通過した。午後3時41分、与那国町祖納で観測史上国内で4番目、県内で2番目の強さとなる最大瞬間風速81・1メートルを観測。県内では、85・3メートルの最大瞬間風速を観測した1966年の第2宮古島台風以来、49年ぶりに80メートル超を観測した。」 同じく沖縄タイムス記事「記録的暴風の影響で電話やインターネットの接続が不能となり、全戸停電が続くなど住民生活がまひした。同日午後9時現在、復旧の見通しは立っていない。…」
 被害が気になります。徐々に分かってくるのでしょうが、少しでも軽微であることを祈っています。
 「南の風」は、いま与那国に届いていません。2000年を挟んで数年フィールドワークに通った時期あり(HPに未完の調査報告アップ)。与那国のあと、2005年あたりから竹富島へ。前本多美子さん(学芸大学卒)のご縁あり記録いろいろ。→■ http://www004.upp.so-net.ne.jp/fumi-k/taketomi2007.htm
 いま南の風ネットは竹富島が南限です。ご存知の上勢頭芳徳さん(喜宝院蒐集館長)や阿佐伊拓さん(ゆがふ館、NPOたきどぅん)などの皆さんに届いています。折にふれて竹富島ブログを紹介(親しさに甘え、いつも無断でスミマセン)してきたことはご承知の通り。竹富島もさぞかし激しく吹いたことでしょう。また老木が倒れたのでしょうか。
 東京の夜(28日)は申し訳ないようないい月夜でした。ときに雲もかかって風情ある十六夜(いざよい)。暦がかわる頃に月はかくれてしまいましたが。◇十六夜に誘われひとり鮎を焼く(ぶ)

3558号【2015年9月27日】
■≪東京で稲嶺進さんと≫
 南の八重山には、又しても強い台風(21号)が近づいて心配です。折しも今夜(27日)は旧暦8月15夜。竹富島のホームページを覗いてみると、「今年の十五夜の式典は中止となりました。しかし集落ごとの旗頭への祈願は執り行います。龍の旗頭を司る西集落では、11時30分を祈願の時と定めて住民が集い、旗頭への参拝と、旗頭を担ぎ集落を練り歩きました。儀式を執り終えると、捧げられた供物を皆でいただき余興を愉しみます。時間程度の十五夜となりましたが、集う島民の笑みは今年も変わりません。十五夜の儀式を終えると、台風21号がもたらす豪雨と暴風に備え、台風対策が始まります」(9月27日)とのこと。→■
 昨夜(26日)の東京は雲がひろがり、お月さまは顔を出してくれませんでした。韓国研究会では、心に月を仰いで、ひとしきり論議のあと(上掲・小田切メール)愉快な月見の宴。「月ぬ美しや」などいくつか歌も出て、楽しく酩酊(最近は弱くなった?ような)。
 今日(27日)、前号に載せた武蔵野公会堂での辺野古学習会へ。広いホール(350席)はぎっしりと人で埋まり立ち見も。遅れて当初入れてもらえませんでしたが、やっとのことでホール階段に座ってお話(沖縄大学名誉教授・桜井国俊さん、稲嶺進・名護市長)を聞きまた。稲嶺進さんとは、先月の「85歳祝い」のお礼を申し上げて握手だけ。沖縄へトンボ帰りだそうです。ご苦労さまでした。夜、やっと仲秋の名月が姿を現しました。

3557号【2015年9月26日】
■<仲秋や月明かに≫
 本号も長文、関本保孝さん(元夜間中学教員)の「夜間中学をめぐる動き」についての詳細な情報提供によるもの。前号「その@−議員立法」に続く「そのA−国会議員質問」に関する記録、感謝です。字数が多く、後半部分「二、国会議員の積極的質問・行動につながる流れ(全国夜間中学校研究会の取り組み)」は割愛して次号へまわしました。ご了承ください。
 もともと「9月30日・第25回東京社会教育史研究フォーラムご案内」(石川敬史さん)を冒頭に掲げて本号原稿をつくっていたところ、昨日(25日)夜、那覇・鷲尾真由美さんから「27日、東京・武蔵野公会堂で辺野古学習会」のお知らせが舞いこみました。急ぎ冒頭記事を差し替え。名護・稲嶺進市長も参加されるとのこと。東京新聞(9月24日)がこの集いを記事にしていますので、「おきなわ短信(1051)」として掲載しました(上掲)。
→■http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyo/20150924/CK2015092402000146.html
 なにしろ明日(日曜日)午後2時から開催という慌ただしいお知らせ、風も連日配信、大忙しです。実は、今日午後は(風に「ご案内」していませんでしたが)「韓国生涯学習研究フォーラム(第59回)」。ホームページには日程だけ書き入れておきました。しかし、表紙(index)に「9月25日」と誤記していたようで、申しわけありません。恐縮して訂正。
 明日は旧暦8月15日、お月さまは満ちて“仲秋の名月”です。雨の多い昨今、せめて夜は晴れてほしいもの。パソコンを棄てて月見の宴でも催したい思い。
◇仲秋や月明かに人老いし(高浜虚子)

3556号【2015年9月25日】
■≪風の拡がり−上原信夫さんの自分史≫

 本号は長くなりました。「南の風」ネットの歳月と拡がりを実感しています。便りや連絡や資料など編集箱にあふれ(載せきれない!)、連日配信といきたいところですが、余力なく、日付としては3日目の風となりました。
 黄丹青さん・中国の旅からの報告(上掲)は、懐かしい名前が出てきて、驚きました。上海教育科学研究院の張ジェイさん(副院長)そして朱榴芳さん−いずれも東京学芸大学院卒−には、いま「風」が届いていません。東京から帰国した当時、夫妻は「湘潭工学院」(中国湖南省)に勤めていた時期あり、多分1999年に招ばれて1週間ちかく講義・講演に行ったことがあります。その頃の「南の風」には幾度となく「湘潭からのメール」が寄せられました。
 山口真理子さんから3日前に来たメール。「…3月に沖縄に参りました際、カツオめしの店「苗」でバッタリお会いした上里佑子さんから、「上原信夫さん−88年の自分史を語る」(『人民の力』2012年1月〜2013年4月、16回にわたる連載)のコピーが送られてきました。…上原信夫さんは、研究会でも何回かお話しいただきましたが、あの時のお話、テープにとっておけばよかったと後から思ったことでした。この時点で88歳ですから、今は90歳になっておられるのでしょうか、この記事の写真ではお元気そうなご様子…。(後略)」
 小林の手元には『人民の力』が毎号送られてきました。上原信夫さんは、やんばる・奥のご出身。満蒙開拓青少年義勇軍→関東軍→宮古で終戦→戦後の沖縄民主同盟結成に参加→1950年に中国へ密航→日中国交回復後に奇跡的に帰国、「沖縄・東アジアを駆け抜けた」人生。私たちの研究会でのお話は、故石倉裕志等の努力で記録化、ホームページにアップしています。
→■
http://www004.upp.so-net.ne.jp/fumi-k/okinawauehara.htm
【記録】 上原信夫さん(TOAFAEC 第113回研究会−20051209) 写真移動

3555号【2015年9月22日】
■≪遅れて学会へ≫
 関係する学会や研究集会などの会合に、おおげさに言えばこれまで半世紀?ほぼ皆勤の精励ぶりでしたが、今年は(外泊が難しくなって)失礼することが多くなりました。それでも日本社会教育学会研究大会は、会場が東京でもあり、1日だけの参加(9月19日)、続いてTOAFAEC第6回編集会議(20日、上掲記事)に出て、明けて21日の日本公民館学会「構想」研究会にも出席しました。ただし大幅な遅刻、なかなか思う通りにはいかないものです。
 上野景三さん(学会長)の「新たな公民館ビジョンを求めて」の話は聞くことが出来ませんでした。予想以上の参加者の故か配付資料も入手できず。松本や飯田からも参加あり賑やかな顔ぶれ。会終了後の交流会(茗荷谷の居酒屋)には20人近くが残って、久しぶりにいろんな話が聞けました。皆さん、ご苦労でした。交流会の写真(下掲)は、惜しいことにピンボケ。撮影は店のスタッフに頼みましたが、彼らも忙しく手もとが充分定まらないのでしょう。そういえば、昨年の福井大学・学会終了後の交流会写真も似たようにぼけた画像だった記憶。まぁそれでも(細かな表情はおぼろでも)誰がいたかはわかりますから、お許しいただきましょう。
 この日、東京の夜の旅はまだ続きました。公民館学会の準備段階から、疲れを癒しに寄った店、神田(三省堂地下)「放心亭」へ、久しぶりに有志で車を走らせました。ところが連休のせいか、あいにく早めの店仕舞いの様子。あきらめて岩波ホール近く、こじんまりした上海料理の老舗へ。ここでまた新しい人と出会って・・・夜が更けていきました。
公民館学会有志の交流会(顔が隠れている方は誰だろう・・・) 残念ながらピンボケ −茗荷谷・150921−


3554号(2015年9月20日)
■<九・一八の日に≫
 いま9月18日(九・一八)から19日へ、午前零時の針がまわったところです。十五年「戦争」が始まった日(1931年)に合わせるかのように、新「戦争法案」の無理矢理採決、歴史の皮肉を感じます。
 法案そのものの違憲性、暴力的な特別委員会審議打ち切り、地方公聴会(横浜)報告無視などの手続き瑕疵などなど、何たることか。深夜のテレビはいま参議院本会議を映し出していますが、福山哲朗議員(民主)の怒りの発言「これからが始まり!」の力説に迫力あり。その後(午前3時)国会前の路上に出て、学生団体「シールズ」メンバーの前で、「この一瞬を忘れない!」と語ったそうです。
 小さなことですが、同じ18日に TOAFAEC(小林) ホームページのカウンターに 「222,222」の数字が刻まれたようです。旧HPから現ページへの切り替えが2003年6月。その後の12年・146ヶ月余りの歳月に、概算してみると(HP更新や小林自身のアクセスを仮に3分の1と多く見積もって)、拙いページに1日平均30人強の訪問者を迎えた勘定となります。この歳月、見知ら人を含めて、皆様のご愛顧に深く感謝します。
 18日から日本社会教育学会研究大会(会場・首都大学東京)が始まっています。老々介護の重責?を担って、18日は留守体制が組めず欠席。今日19日は少しでも参加したいと、出かけました。久しぶりの皆さんにお会いし、ぶんじんがいかに老いを迎えているかを語ってきました。

3553号【2015年9月17日】
■≪ホームページ蘇生中≫
 16日夜、東京は断続的な雨。その雨に打たれながら「戦争法案」阻止の若者たち。深夜のテレビは国会内の模様も伝えて、心わじわじ、眠れない夜です。
 TOAFAEC ホームページの入力が一部うまくいかない(前号本欄)理由が分かりました。HPの受け入れ容量がいっぱいになっていたのです。ついに予想される事態が来た!との思い。他方、FFFTP のソフトも年代ものパソコンも一応は生きながらえて機能していることを確認できました。いま、別に新しくHPサイトを開く元気はありませんから、まずは現ページのファイル・写真のうち容量の大きい順から適宜削除を始めたところです。
 重い二つのファイル・下方部分が切れていたものが、220回研究会ご案内を含め、読めるようになりました。既載の記録を削りながら、新しいデータを加え、あと少し生き延びる算段。自分ながら涙ぐましい取り組み。
 前号・喜納勝代さん(久茂地文庫)「糸満の便り」を読んで、おそらく三十数年前に出会った新保敦子さん(早稲田大)から次のメールが寄せられました。
 「…喜納勝代さんからのお便り、懐かしく拝読させていただきました。隠岐の全国大会(短歌)に歌が入選されたとのこと、素晴らしい活躍ぶりですね。海士町は大学院生や中国人留学生とともに数年前に訪れましたが、人々の心の温かさに感激しました。また、隠岐の魅力に惹かれたゼミの卒業生が現在、海士の隠岐國学習センターで働いています。嬉しいお便りに、思わずメールを送らせていただきました。いつも、本当にありがとうございます。」

3552号【2015年9月16日】
■≪糸満からの便り≫
 ホームページ不調です。この一両日、HP原稿(htm文書)を「FFFTP」を通して入力する作業が一部うまくいきません。九月・スケジュールのページ、最後の部分が入らず、10月2日予定「220回研究会」案内のところが切れてしまいます。ぶんじん日誌「記録」では、同じくページの下方部分(3501〜03号)が読めません。一昨日に新しく加えた風3551号〜のページは、容量が小さいせいか、何とかアップできましたが・・・。どなたかご助言いただければ幸い。
 無理もありません。いま酷使中のパソコンはすでに7年目、賞味期限切れの年代もの。FFFTP ソフトも明らかに使い過ぎました。よぼよぼの老いぼれを、励まし励まし使ってきました。我が身を見る思い。というわけで、第220研究会「案内」は、「スケジュール」ページでなく「TOAFAEC 定例研究会記録(9)」をご覧下さい。→■http://www004.upp.so-net.ne.jp/fumi-k/kenkyukai2015.htm
 糸満の喜納勝代さん(久茂地文庫、女流歌人)から久しぶりの便り。「大雨、お見舞い申し上げます。ご無沙汰していますが、ご健勝のことと思います。戦後70年の企画がメジロ押しで大変です。毎日の炎天下、傘をさして歩いています。今年も6・23の平和行進(摩文仁まで)に参加せせていただきました。
 島根県の隠岐の全国大会(短歌)に歌が入選しましたが、気候の異変で足がにぶっています。海士の島旅ははじめてですので、心細いです。」(ハガキ)

3551号【2015年9月13日】
■≪自治公民館の取り組み≫
 いま有名な「やねだん」(鹿児島県鹿屋市串良町柳谷集落・自治公民館)について、同自治公民館長・豊重哲郎氏によるNHK Eテレ「東北発 未来塾 地域づくりのチカラ」が始まっています。
 →■http://www.yanedan.com/
 「過疎や高齢化に悩む小さな集落をよみがえらせたカリスマリーダー。彼が掲げる“行政に頼らない地域づくり”とは…?」として、4週シリーズの放送。@2015年9月7日(月)23時00分〜23時20分、A9月14日(月)、B9月21日(月)、C9月28日(月)同時間。総合チャンネルでも再放送するらしい。第1回放送のタイトルは「未来塾・74歳熱血カリスマリーダー登場」。
 「1996年に当時55歳で自治公民館長に就任」とのこと、20年の蓄積はさすがに傾聴に値するものがありますが、「カリスマ」的な取り上げは、自治公民館の思想としては、どこか違和感を感じますね。「やねだん」ホームページを開いてみると、石破(地方創生)大臣や小泉信次郎(内閣府)政務官など有力政治家の画像が躍っています。また「霞が関ナレッジスクエア(KK2)」(文化庁と同じ霞が関コモンゲート(合同庁舎7号館)の”デジタル公民館”)とも関わりをもつとのこと。なにか特別な?自治公民館のイメージ。
 もちろんリーダーの役割が重要であることは当然ですが、「やねだん」の事例は、むしろコミュニティ企業・社会的企業の事例として興味をもちました。自主財源を稼ぐ、地域経営学、芋焼酎「やねだん」の取り組み(いずれも同HP)など、自治公民館ならではの独自の発想と展開。これからどのように発展していくか注目されるところでしょう。


南の風3501号〜■

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