【南の風2014】3301号〜3350号・目次一覧

3301号【 5月20日】台湾臺北、中国福建、教育学部に吹く逆風、福井の公民館、伊藤長和エッセイ「生と死」
3302号【 5月21日】2014総会案内、風のコミュニティ、後藤新平の少年団思想、多摩、岐阜、学会六月集会
3303号【 5月22日】transnationalな学び、「もしも」(沖縄戦)、公民館-CLC国際会議(岡山)、沖縄戦5月22日
3304号【 5月24日】「基礎教育学会」構想への希望、竹富町の教科者採択問題、風の継続を、思わぬ吉兆
3305号【 5月25日】稲嶺市長米国より帰国、韓国忠清南道へ、年報19号予約、奈良、高知カツオの便りを!
3306号【 5月26日】和歌山大学・学長式辞、伊藤長和さんを語る会(5月30日)、韓国フォーラム(50回)の歳月
3307号【 5月28日】第19号編集会議(第5回)、台北市社会教育70年史、中国の市民運動、台湾との交流史
3308号【 5月29日】通信制中学ETV、民族学博物館東アジア展示、川崎沖縄県人会90年、東京竹富郷友会
3309号【 6月 1日】TOAFAEC総会に向けて、伊藤先生へ学生の追悼メッセージ、TOAFAEC 20周年への道
3310号【 6月 3日】名護から、韓国の生涯学習を学ぶ(和歌山大学)、谷川民俗学、古い酒ボトルを開ける夜
3311号【 6月 4日】7日総会ご案内(再掲)、TOAFAEC会計報告案など、和光「新しいアジア」、常任体制など
3312号【 6月 5日】東京研究フォーラム(15)6月案内、横浜の夜間中学PR活動、町田から、上海からの便り
3313号【 6月 6日】中国・生涯教育法草案、内モンゴル赤峰より、南の風に参加、やんばるからの贈りもの
3314号【 6月 8日】ユネスコスクール担当者募集(ACCU)、Dデーを想像できるか、古酒甕の並ぶ風景
3315号【 6月 9日】6月(207)定例研究会ご案内、外国人教員の権利擁護声明、お墓参り、梅雨空の横浜
3316号【 6月11日】「基礎教育学会」構想の懇話会、HPに基礎教育を、八重山のPTA、甘く豊かに香る
3317号【 6月13日】2014七夕の会ご案内、TOAFAEC 総会報告、 コザの物語は続く、梅雨の夜の月
3318号【 6月15日】成人教育学との出会い、「戦後奄美の社会教育」、辺野古で集会、維持会員への感謝
3319号【 6月17日】東京社会教育通史をどう書くか、町田、ブラジルの沖縄そば、『東京の識字実践・1994』
3320号【 6月19日】韓国フォーラム案内、東京社会教育史関連、高江上告棄却、東京“基礎教育”実践史
3321号【 6月22日】中国・終身教育法案−この間の経過、沖縄・戦争とどう向き合うか、くにたちビエンナーレ
3322号【 6月23日】東京社会教育史第15回研究会報告、具志頭村「空白の沖縄戦」、沖縄「慰霊の日」
3323号【 6月25日】アジア学習組織連盟成立大会@昆明、6月定例会(再掲)、慰霊の日、中国の招聘状
3324号【 6月26日】大田堯さん映画とトークの集い、平和と向き合う次世代、27日研究会場、梅雨の晴れ間
3325号【 6月27日】梅雨明け・沖縄の動き、二見以北住民の会、メッキの言葉・本物の言葉、東京史研究
3326号【 6月29日】夜間中学設置促進提言へ、6月研究会「市民アーカイブ多摩」開館、行く手は遠く見える
3327号【 7月 1日】やんばる「二見以北住民の会」怒りの拳、伊藤長和さんを語る会報告、 HP追悼ページ
3328号【 7月 3日】和歌山大学長、忠清南道「東アジア・フォーラム」、全国夜間中学校研究会、会計の驚き
3329号【 7月 4日】208回研究会案内、教育再生会議提言に夜間中学、パレスチナたより、東アジアの海
3330号【 7月 6日】公州の始祖に詣でる旅、沖縄「肝苦りさ」、ソウル市「ワーカーズ」上映、『N27』bR
3331号【 7月 7日】東京社会教育史研究会、夜間中学映画「こんばんは」,、犠牲者の願い、韓国フォーラム
3332号【 7月 9日】韓国フォーラム次回、町田、名護市源河沖で、パレスチナ〜言葉も出ない、台風見舞い
3333号【 7月11日】台風8号、川崎・石敢當の教え、楊碧雲さん国立訪問、やんばる対談、3ゾロ目の記念号
3334号【 7月13日】楊碧雲さん7月18日ご案内、パレスチナからのたより、鳩間島は豊年祭、七月は文月
3335号【 7月16日】中国アジア学習組織連盟成立大会欠席、木曜日パレスチナへ、小さな声、新宿で
3336号【 7月17日】基礎教育学会構想懇話会記録、国際人権規約A13条、パレスチナへ南の島の選挙
3337号【 7月18日】七夕の会ご案内(再掲)、鹿嶋からの報告、パレスチナからのたより、東京三つの集い
3338号【 7月19日】松本「大信州」七夕へ、、パレスチナからのたより3本、川崎より2本、国立から帰って
3339号【 7月21日】日韓生涯学習フォーラム、パレスチナ、沖縄原稿、辺野古浜通信、アートで平和をつくる
3340号【 7月22日】東京都社会教育史(16回)研究会、2014七夕の会、パレスチナ、暮らしに溶けこむ宗教
3341号【 7月24日】年報編集委員会、窒息しそうな沖縄、松川、パレスチナ、町田とびたつ会、私信いくつか
3342号【 7月27日】8月1日夜間中学等拡充をめざす国会院内シンポ、パレスチナから、年報19号編集会議
3343号【 7月29日】「基礎教育学会」(仮称)懇話会(9月)、「基礎教育」について、19号編集会議、パレスチナ
3344号【 7月30日】7月研究会報告、パレスチナ、8月1日国会シンポ 旧安井研究会『ひたすらに平和願えり』
3345号【 8月 1日】辺野古基地建設を止める台風、夜間中学をめぐる最新状況、パレスチナ、8月を迎えて
3346号【 8月 3日】パレスチナのたより、沖縄・お盆の迎え、「ひたすらに平和願えり」、エイサー太鼓の響き
3347号【 8月 4日】夜間中学等・国会院内シンポ(8月1日)報告、沖縄角力の生きる土地、パレスチナ・ガザ
3348号【 8月 6日】名護市議選・沖縄知事選、沖縄ジュゴン訴訟、町田とびたつ会、楊碧雲さん、和歌山大学
3349号【 8月 8日】韓国フォーラム、小さな資料館の小さな企画展、 ガザ古居さん、院内シンポ、議員連盟
3350号【 8月 9日】全国集会「この指」沖縄を囲む集い、八重山のアンガマ、パレスチナたより、国立公民館へ


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【南の風2014】発行リスト・3301号〜3350号
各号目次一覧・後記(ぶんじん日誌)




*南の風・後記・3101〜3150号→■
*南の風・後記・3151〜3200号→■

*南の風・後記・3201〜3250号→■
*南の風・後記・3251〜3300号→■

【南の風】3351号〜→■次ページ


南の風・各号後記(ぶんじん日誌)


3350号【2014年8月9日】
■≪夏の夜、国立公民館へ≫
 前号・全夜中研(須田登美雄副会長)からの院内シンポご報告、着信したばかりのメールを急ぎ収録したまでは上出来でしたが、その添え書(ぶ)2行が無残な?もつれよう、我が身を見る思い、たいへん失礼しました。この年この暑さ、やはり急ぎ仕事はいけません。
 前号を皆さまへ配信して、その足で、7分後には井の頭線の電車に乗っていました(8日夕)。東京社会教育史研究フォーラム(編集)事務局会議、国立公民館へ。暑い宵、5人の出席、まずまずの論議が出来たようです。ほんらいは夏の合宿を提案し、じっくりと集中的な作業をしたいところ。本づくりには昔よく合宿したものでした。深い議論ができるし、忘れがたい想い出も残っています。しかし今はそう簡単ではない。みなさん忙しい。パレスチナから帰ったばかりの人もいて、無理はできません。やむなく?勢いをつけて、一瀉千里の駆け足作業。最後のところまで捗って・・何よりでした。各位、ご苦労さま。
 風3339号に掲載した「和歌山大学・日韓生涯学習フォーラム」(8月29日)に関して、その後もメールが飛び交っています。同大学の村田和子さんからの連絡、、昨夜は珍しく岡幸江さん(九州大学)など。私信扱いなので、風に載せていませんが、渡部幹雄さんも間に入って楽しいことになりそうです。
 東京を中心の韓国研究フォーラム(10日午後、風の部屋予定)、いまヤンビョンチャンさん(公州大学、サバーティカルで和歌山大学へ)のお力も得て和歌山で大規模な企画(忠清南道から「平生教育士」グループが多数参加)が進行中です。社会教育研究全国集会(山中湖)の直後のスケジュール、やや忙しい日程ですが・・・あと一度「ご案内」を風に載せていただきましょう。その後の経過を含めて、村田和子さんから一文を頂ければ幸い。

3349号【2014年8月8日】
■≪夜間中学等の全国拡充−超党派の議員連盟(ぶ)≫
 全国夜間中学校研究会(須田登美雄・副会長、足立四中)から8月1日「夜間中学等の全国拡充に向けた国会院内シンポジウム」についてのご報告が届きました。あらためて読んでみると、これまでの夜間中学の苦節の歴史(かって行政管理庁(当時)から廃止勧告を受けたこともある)を知るものとしては、画期的と言うにふさわしい集会(大成功!)、感動をおぼえています。
 当日参加の国会議員(超党派・議連)は13氏(+秘書4氏)。文科省より6氏(課長、参議院文教科学調査室を含む)、報道関係17人、夜間中学教職員31人、札幌から福岡にいたる自主夜間中学関係者61人、総勢約200名の参加。
 「夜間中学等義務教育拡充議員連盟」会長の駆浩・衆議院議員(自民党)の挨拶は次の通り。「義務教育未修了者の学習権確保が目的。税金を使う以上は、実態を踏まえて、公的資金拡充の理屈となる立法が必要。ぜひ、全国の関係者の声を結集していただきたい!」(同氏ブログ)。また、同議連・事務局長の笠浩史・衆議院議員(民主党)は、「最後に全都道府県に夜間中学を開設することを目指すアピールを採択しました。また、このために仮称)義務教育等学習機会充実法案の制定に向けた要望も頂きました。全ての人の学習権を保障し義務教育未修了者の教育の機会を拡充するために、議員立法の成立を目指して引き続き頑張ってまいります。」(同氏ブログ)
 風3246号本欄に書いた「基礎教育学会」(仮称)構想に関心を示された議員さんは、宮本岳志・衆議院議員(共産党)でした。夜間中学関係者のこれまでの、永年にわたる苦労・努力が、このようにして実現の一歩を刻んでいくのだと嬉しくなりました。

3348号【2014年8月6日】
■≪風の御三家その後≫
 降り続く大雨(四国など)、連日の酷暑(関東など)、そして南からは強い台風のニュース。皆さん油断めさるな。お互い被害のないことを祈っています。
 7月末に定期の胃カメラ検診。2年前の手術その後に心配な症状はなく、いい結果の診断でした。しかし、このとき夏カゼをひいたらしい。冷房のよくあたるベッドにしばらく寝かされて、うとうとしている間に寒気とクシャミなど。翌日の「夜間中学拡充・国会院内シンポ」(8月1日)の壇上では、鼻水たらたらの状態でした。手にハンカチを持ち続けて、シンポ終了後の懇親会はとうとう失礼して帰宅。それから5日たつのに、まだすっきりしません。熱帯夜の毎日、冷房のある生活の中での夏カゼ。案外と健康管理が難しい。
 8月29日に和歌山大学(「日韓生涯学習フォーラム」、風3339号に村田和子さん「ご案内」)に出かけることになっています。このことで、最近の風にほとんど音信のない渡部幹雄さん(大学付属図書館長)から、久しぶりの電話・メールをいただきました。さきほどは、山本健慈学長からも「この度はお世話になります」とメール来信。有り難うございました。恐縮しています。
 一時期、南の風にはとくに寄稿が多い「御三家」が居並んでいました。そのお一人が渡部幹雄さんでした。いま多忙のためかほとんど音容見えず。伊藤長和さんはすでにこの世になく。岩本陽児さんは「モンゴル訪問記」などあまりに詳細すぎる記録なので当方で敬遠した経過あり。あの頃の御三家、いま無残?にも崩壊したかたち。現在は斉藤真哉さん「パレスチナたより」がひとり気を吐いているのはご承知の通り。本号は久しぶりに休んでいただきました。しかし未掲載「パレスチナ」5本。

3347号【2014年8月4日】
■≪パレスチナ〜ガザから、号数訂正≫
 前号の続き。4日未明の斉藤真哉さんからの連絡。ガザに入ったフリージャーナリスト・古居みずえさんからメールが来たそうです。その一部を抜粋して「パレスチナからのたより〜ガザから」、本欄でご紹介。
 「…現在もガザにいます。ガザに入って一日だけ穏やかな日がありましたが、あとはイスラエル軍の攻撃があり、毎日、犠牲者、負傷者が出ています。特に停戦後の30日からは攻撃が激しくなり、夜10:00 から朝の5時までひっきりなしに爆撃音が鳴り響きました。今いるビルのそばにも着弾し、その衝撃音でビルのガラスの一部が割れ、爆風も感じました。
 ということで大変な日々です。ここは電気がありますが、発電所をやられて、ガザの一般市民は停電が続いています。おまけにパンがありません。みんな行列です。」(4 Aug 2014 02:49)ご無事を祈っています。
 話題はかわって、夜間中学をめぐる動き。超党派による「夜間中学等義務教育拡充議員連盟」と「全国夜間中学校研究会」(全夜中研)の共催による国会院内シンポ(8月1日)記録が関本保孝さんから寄せられました(上掲)。いつも精力的な寄稿を有り難うございます。関本さんは風3345号(8月1日)にも院内シンポ直前の夜間中学をめぐる「最新の状況」を送っていただきました。貴重な記録なので「基礎教育学会(仮称)構想・懇話会」サイトに収録、ご了承ください。→■ http://www010.upp.so-net.ne.jp/mayu-k/basicedu.htm
 【訂正】風3346号が2本ダブっていました。8月1日号は3345号の間違いです。次の8月3日号(前号)はそのまま3346号。号数のミス、申しわけありません。老化に暑さが加わって・・・、お詫びして訂正します。

3346号【2014年8月3日】
■≪エイサーの太鼓の響き≫
 8月に入って、沖縄のお盆行事、エイサーの話題が入ってきます。「やんばるの子守歌」のヤマトゥ口歌詞の一節に♪おきなわの想い出は、祭の笛太鼓♪とありますが、この季節、陽が落ちると「…どこにいても、蒸し暑い空気を通して太鼓の音が聞こえる。近づいていけば三線の音、やがて威勢のいいはやしも聞こえてくる。あちらこちらで若者たちがエイサー練習に汗を流している」と(上掲・沖縄タイムス[大弦小弦]8月1日)。
 九州でも旧盆が近づいて、油山のセミの鳴き声も遠くから響いてきます。今はなかなか東京を動けませんが、8月末にでも・・と考えています。
 さて、板橋区・斉藤真哉さんの「パレスチナからのたより」(上述)。7月上旬から「風」に毎号掲載してきました。無事に帰国した?らしいのですが、その後も「たより」は熱をおび、載せきれません。間を飛ばして、前号に「飛行機の席はあと一つ」を載せ、本号にようやく「宮仕えの身としては、残念ながらこれ以上パレスチナに留まるわけに」はいかないこと、フリージャーナリスト・映画監督の古居みずえさんが(一度は断念しながら)ガザに入ったニュース、を先に載せました。これまで「パレスチナたより」は15本を掲載し、それでもまだ5本が滞留しています。せっかく送っていただいた通信、一息ついて掲載することにします。ご了承ください。
 ガザの状勢はますます混迷をきわめ、一時停戦が崩れてイスラエルは大規模地上部隊を投入したニュース。ガザでは、すでに死者1600人をこえ、怪我人6000人に達したそうです。どうなることか、暗然たる思い。

3345号【2014年8月1日】
■≪8月を迎えて≫
 8月を迎えました。1日最初のメールは、名護・島袋正敏さんから。辺野古の海の様子。台風12号で波が高く、沖縄防衛局は「…基地建設のための浮桟橋を一時撤去をし」たそうです(上掲)。台風が味方に付いてくれるような。
 辺野古の陸では、「…沖縄防衛局がキャンプ・シュワブのゲート前に三角形の突起が並んだ鉄板を設置した。移設に反対し、座り込みを続ける市民らは抗議行動の排除を狙ったものだとして反発している」(琉球新報、7月31日・社説)。「国策に抵抗する者は負傷しても、死んでも構わないというのか。県民の生命を差し置いても普天間飛行場の辺野古移設を強行しようとする政府の手法に怒りを覚える」と。社説のタイトルは「辺野古・殺人鉄板、直ちに撤去し人命守れ」。見境いない基地建設の暴走が始まっているようです。
→■http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-229371-storytopic-11.html
 東京は暑い日でした。1日午後、「夜間中学等の全国拡充に向けた国会院内シンポ」が開かれました。衆議院第一議員会館(B1)大会議室、300席と聞いていましたが、ほぼ満杯の盛況。北は札幌から南は九州(福岡・北九州)まで全国からの「自主夜中」運動の皆さん。「夜間中学等義務教育拡充議員連盟」の議員諸氏は15人ほど出席され、夜間中学関係の集会では初めての光景か。文科省からも見えていたようです。
 ぶんじんは発言の機会があり、二つのことを話しました。一つは、超党派による議員連盟、全都道府県に少なくとも1校以上の夜間中学設置の方向で地方自治体への財政拡充の動き(上掲・関本メール)に拍手。他方でいま退潮著しい?生涯学習・社会教育の施策のことも。あと一つは、「基礎教育学会」(仮称)構想について。ある議員さんから「学会が発足したら参加したい」の声も寄せられました。
同じ壇上に並ぶ顔ぶれにご注目! 左より=敬称略=北川順子(和歌山自主夜中「岩橋夜間学校」学習者)、金喜子(大阪・天王寺中学・生徒)、笠浩史(衆議院議員・民主党、議連事務局長)、馳浩(衆議院議員・自民党、議連会長)、ベントゥー(墨田区文花中・卒業生)、秋元伸一(文花中・卒業生)、右方はシンポ進行役の皆さん(衆議院第一議員会館・大会議室、20140801)


3344号【2014年7月30日】

■≪『ひたすらに平和願えり』≫
 関本保孝さんからの上掲「夜間中学等義務教育拡充議院連盟と全国夜間中学校研究会の共催院内シンポ」の直前ご案内に添えて、「夜間中学増設で支援拡充=全都道府県に1校へ―文科省」(時事通信社、2014年7月28日)ニュースが舞いこみました。「来年度予算概算要求に助成増額を盛り込む」方向が実現に動いているようです。ニュースは長文で寄せられましたので、続きは次号に。
 7月21日(月)夜に開いたTOAFAEC 定例(第208回)研究会の記録→■ を石川敬史さん(いつも東京社会教育史研究会・記録でお馴染み)に書いていただきました。石川さんは通称・安井研究会メンバーでもあったのです。その記録末尾にご注目を。2005年〜2009年に「南の風」でも、ほとんど毎月報じてきた「原水禁運動(安井家)資料研究会」について、「・…自主独立の研究会の歩みは,ここで幕を閉じることとなりました」と。生まれる研究会もあれば、命脈を閉じる場合があるのは当然のこと。あらためて、いろんな想い出が去来します。
 安井節子さんからは、この1週間、何度か私信をいただきました。「これから私が調べようとしていることは、一市民として、どう杉並区立公民館を、公民館の役割など知らず、かつ、どんな建物だったかも知らない若い人たちに知ってもらうためです。どんな思いで杉並区の区長が、都内他区のように公会堂のような施設ではなく、地方の多くで今でも現役で役立っている公民館を先につくったのか、そこには杉並区長を突き動かした何かがあったと確信に近い気持ちがあります。…」(Thu, 24 Jul 2014 12:55)
 なお「原水禁運動(安井家)資料研究会」の記録、『ひたすらに平和願えり』(2009年)報告書は、安井家から若干の残部を送っていただきましたので、ご希望の方にお頒けできます(一部700円、送料別)。ご希望あればお寄せ下さい。
旧安井研究会報告書(データベース目録) 『ひたすらに平和願えり (2009年)

*「ひたすらに平和願えり」700円、「杉並にも公民館があった」カンパ500円程度。 

3343号【2014年7月29日】
■≪「基礎教育」ページ≫
 この間、「基礎教育」の学会構想について、準備の話し合い(懇話会・世話人会議)が開かれてきました。これまでは内々の集いでしたが、ようやく広く呼びかけ、ご参加の皆さんを拡げていこう、論議を活発に、という段階へ。次回9月21日(日)午後の「第2回懇話会」案内→■(下記サイト)が届きました。ご関心おもちの方々には、ぜひ予定に入れていただければ幸いです。場所はやはり東京での設定になりますので、6月8日の懇話会(第1回、横浜)にお出でいただいた関西の方々、ご都合は如何でしょうか。万障お繰り合わせの上ご参集くださいますよう、お願いいたします。
 岩本陽児さんの上掲メールにあるように、すでに「日本基礎教育学会」という学会が活動していることが分かりました。ただ同学会は、幼児教育・初等教育の「基礎的な体験の重要性」を再認識し、「乳幼児から青年前期の教育の在り方を実践的研究によって明らかにすることを目的とする」(会則2条)とのこと。「学びから排除された人々の学習支援と権利保障のあり方を探究」(添田祥史さん・上掲)しようとする私たちの関心とは重なりません。しかし学会名称をどうするかは次回・懇話会の大きなテーマとなりましょう。
 南の風3316号に予告したように、私たちのWeb サイトに「基礎教育」「学会構想」のページをアップしました。風に載った記事やコメント、そして今回の学会構想・懇話会の案内記録等を収録したものです。関係の方々に「掲載をお許しいただけるかどうか」とお伺いしましたが、とくに異論(修正希望1点あり)はなく、用意していたページを先ほど載せました。ご覧ください。→■ 
 関係各位、ご点検の上、何かお気づきのことがあれば、ご指摘ください。学会づくりへ向けての応援サイトのつもり。そのうち若い世代による魅力的なサイトが登場することを期待しつつ。

3342号【2014年7月27日】
■≪沖縄・東アジアを串刺しにして−年報編集会議≫
 26日は午後、TOAFAEC 年報「東アジア社会教育研究」19号(9/18発行予定)の編集会議でした。今年度は、昨年11月の第1回から数えて第6回会議。ご案内がちぐはぐになって失礼しましたが、執筆者各位からいただいた原稿を一括して確認し手にとって読むことができる嬉しい日。佐賀から上野編集長、高知から内田副編集長、暑いなかご苦労さまでした。
 ぶんじんは、編集会議では遠慮しないで、あれこれの話題・議論を口にすることにしてきました。しずかな編集会議なんて編集会議にあらず、ときには激論もあっていいい、と思っているからです。原稿読み合わ作業の(多少の)邪魔にはなりますが、せっかくの機会! 協働して本(年報)をつくる仲間同志、めったにない機会だがらです。
 昨日の話題を(思い出して)いくつか列記すると…、6月4日の韓国統一地方選挙、ソウルでは市長再選だけでなく、区長、市議会、教育長に進歩派陣営が勝利したこと、かっての東京の美濃部革新都政の登場に似ている、いや違う側面があるなど。あるいは沖縄「やんばる対談」に関連して、名護の稲嶺市政は社会教育主事を増員し地域(支所)に配置して3年、その若い世代の主事集団が対談の主役だったこと。名護・社会教育が提起するものはなにか。台湾では「終身(生涯)学習法」が改正され(6月18日)、TOAFAEC ホームページも更新しなければならないね、などなど。
 沖縄・東アジアを串刺しにした年報編集、“石の上にも3年”と言い交わして発行を重ねてきた歳月。来年で20号となります。これまでの蓄積を確かめながら、記念の面白い特集を組みたいもの、そんな話題も出ました。

3341号【2014年7月24日】
■≪私信いくつか≫
 南信州松川町の米山義盛さん、南の風への暑中見舞い(上掲)をいただきましたが、添付されたハガキ「暑中見舞い2014」によれば次の通り。新しい道を歩まれている様子。これから何を蒔こうかと思案している・・・楽しみですね。
 「…この3月で長野県の高校教員を退職して、国際家族農業年の今年、父親の農業を手伝いながら、親戚の不耕果樹園の野菜畑への転換開拓はまだ途上で、これから何を蒔こうかと思案している。他方「食事処・こころ」の開店で、掃除や買い物を手伝ったが、店主が慣れて一人で切り盛りしつつあるので、御客として応援していこうと思っている。夏から秋は梨やりんごなど果樹の収穫期、選果場勤務に初めて参加し、少しは現金収入を得たいと考えている。」(抄)
 風3337号「鹿嶋からの報告」について、町田の松田泰幸さんよりメール来信。私信なので一部だけ(松田さんご了承を)。「鹿嶋には、幼稚園前から住み始め、高校を出るまでいました。母は若い時は公民館利用者でしたし、父も50をすぎる頃から公民館に行っていたようです。母は森下松寿さんのことはよく知っています。」ぶんじんは鹿嶋の公民館胎動期・1970年代から折にふれて鹿嶋の公民館とのお付き合いがありました。泊まり込みのゼミ・フイールドワーク、学生たちと一緒につくった鹿嶋「Y字港のあるまち」と題するレポート集の想い出も。鹿嶋の地域開発と公民館についての調査記録でした。
 21日TOAFAEC (第208回) 研究会に見えた安井節子さんからの私信。これも冒頭の部分だけ(節子さん、ご了承を)。「昨晩はわざわざ貴重な研究会の時間を、私の原水禁運動(安井家)資料研究会の皆様へのお礼と謝罪の機会にして頂きまして有難うございました。」何よりもお元気になられて、よかったです。

3340号【2014年7月22日】
■≪暮らしに溶けこむ宗教≫
 「パレスチナからのたより」が届くと、風は忙しい。お手柔らかに・・と書いた記憶がありますが、容赦のない「たより」の到来。こちらも負けてなるかと配信に励んでいる次第です。連日の風、お許しください。
 本号収録のたよりは「ラマダーンの生活」、ほっと一息の内容。ぶんじんもエジプトへの旅で、ラマダーンの数日を過ごしたことがあります。旅人としても「日の出から、日の入りまで」飲食を控え、しかしスケジュールをこなして歩き回り、くたくたになりました。そして日が落ちて、夜の食事の豪勢なこと。帰路のエジプト航空でも、日が落ちるまでドリンクさえ出してくれませんでした。日常の生活を貫く戒律と節制、暮らしに溶けこむ宗教・信仰の厚み。葬式だけの仏教徒としては深く考えさせられたものです。
 昨日の本欄に書いた「アートで平和つくる」の著者、佐喜真道夫さん(美術館長)は、高校時代から仏教に深く帰依し浄土真宗「正信偈」の勤行もしていた人と知りました。ぶんじんの家も祖父が強度の仏教信者で、寺に多くの寄進 をし、家では毎朝「正信偈」の「お勤め」を欠かしたことがない家に育ちました。殺生を禁じて、たとえば夏休みの昆虫採集を許さず、生きている貝類が食卓にのぼることはありませんでした。ぶんじんは、今でも「帰命無量寿如来」で始まる「正信偈」を唱えることができるほど。しかし幼少期から「お勤め」を強制されてきた少年は、むしろ反撥を憶え、暮らしのなかに信仰が溶けこむどころか、いまそんな生活から遠く離れて老後を迎えているのです。
 おっと、本題を忘れるところでした。18日(東京社会教育史研究フォーラム→■)、20日(七夕の会→■)両日の記録が早速に届きました(上掲)。それぞれの雰囲気を活写していただいた報告、有り難うございました。ところで、昨夜(21日)のTOAFAEC 研究会(第208回)報告は、どなたか書いていただけるかしら。出席メンバーの顔ぶれでは、やはり、石川さんにお願いできませんか。

3339号【2014年7月21日】
■≪佐喜真道夫「アートで平和をつくる」≫
 上掲・鷲尾真由美さん(那覇)から転送いただいた「辺野古浜通信」によると、20日未明、辺野古(新)基地建設へ向けて大量の資材搬入(40台のトレーラー、米軍基地キャンプシュワブ新ゲートへ)が強行されたニュース。「沖縄へ、辺野古へ、集まってください」(辺野古浜通信)の呼びかけ。
 ご本人は東京滞在中、20日午後の「七夕の会」に出席されました。八重山・宮良の別宅の島バナナを手土産に。可愛いバナナ、その場の参加者で一口ずつ賞味、思わぬ「南」の味でした。あと一つの頂きもの。佐喜真道夫著『アートで平和をつくる−沖縄・佐喜真美術館の軌跡』(岩波ブックレット、今年7月新刊)。いや、実は・・・真由美さん愛読中の一冊を、無理におねだりしたのです。奪いとったような結果となりました。申しわけありません。
 七夕の会は、今年は参加者が少なく、静かな語らいで終わるのかと思っていたら、予想に反して、賑やか過ぎるほどの集いとなりました。どなたか風にご報告をお願いします。
 深酔いもせず、家に帰って、『アートで平和をつくる』を一気に読みました。佐喜真さんご本人から断片的に話を聞いてきましたが、丸木位里・俊夫妻と出会い、「沖縄戦の図」を沖縄の地へ、の思いから自ら美術館を創りあげる経過は、実に感動的。この本も加わって、今年の七夕は忘れがたい会となりました。
 真っ先に書くべきこと。松本・村田正幸さんからお送りいただいた「大信州」(風・前号)、みんなで飲みました。美酒!有り難うございました。いつもながらのご配慮に感謝!です。江頭晃子さんはじめ世話人の皆さん、ご苦労さまでした。幸せな七夕の会となりました。
2014七夕の会、会場「蘭」の前で(西永福、20140720)


3338号【2014年7月19日】
■≪国立(くにたち)から帰って≫
 パレスチナに行った人あり、七夕の会にお酒を送る人あり、また作業中「やんばる対談」リライトを戻す人あり、この数日、風・編集箱は、いただいたメールであふれています。加えて8月29日「日韓生涯学習フォーラム」(和歌山大学)案内も届いて、本号には載せきれず(次号まわし)、風は連日発行です。 いま19日「午前零時の針」がわりました。国立での東京社会教育史フォーラム(第16回)研究会から帰って、一息ついて・・・皆さんからのメールを開きはじめたところ。会終了後に国立駅前で楽しんだビールの交流、やや酔いが残っています。ここまで書いて・・・何を書くか・・危なくなって、休憩。
 明けて19日昼、そのまま書き続けます。昨夜の研究会には、台湾の楊碧雲さんがお見えになりました。すでに還暦?のはずなのに元気そのもの。執筆中の『台北市社会教育70年発達史:1945〜2014』もかなり書き上がっている様子です。単著らしい。「目次」を拝見すると、最終章に「高齢者教育発展」。私たちの東京社会教育史構成案に「高齢者」がないことの指摘をいただきました。
 また昨夜は、前号本欄に書いたとおり、酒匂一雄さんも出席いただきました。ビールの席にも参加され、久しぶりに話がはずみました。楊さんを交えて、こんな顔ぶれは「二度とないだろう」など冗談を言い合いながら写真1葉(HP)。
 テルアビブに到着した斉藤真哉さんからは、2時間おきのメールが届きはじめています。空港到着直後からのレポート3本、並べて上掲。ジャーナリストとしての社会教育主事の新たなイメージ。くれぐれも無理はしないように。
右から2人目酒匂一雄さん、一人おいて中央に)楊碧雲さん(台北市教育局)−国立駅前、20140718−


3337号【2014年7月18日】
■≪東京、三つの集い≫
 風・前号の斉藤真哉メールによれば、「…学びの仲間の想いと一緒に木曜日からパレスチナに入ります」とのこと。いま金曜日、そろそろ現地に着いた頃か。無事に帰ってきてほしいと祈っています。本号に収録した斉藤メールは発信日時をご覧になるとお分かりのように、出発前に当方・編集箱に届いていた「パレスチナからのたより」です。この機会に一括して載せました。
 この数日、いくつかの行事・集いが(7月定例研究会の日程変更も重なって)一緒にやってきました。まず今晩(18日・金)は、東京社会教育史研究会(第16回、国立市公民館)。台北から楊碧雲さんがお見えになる予定。また酒匂一雄さん(もと東京都社会教育主事、その後福島大学へ)も出席されるそうです。願ってもない顔合わせ。楊さんからは「台北市社会教育70年史」構想を、酒匂さんからは、東京の社会教育職員集団と専門職(社会教育主事等)の形成について、当事者としての証言をお聞きしたいと楽しみにしています。
 20日午後は恒例・七夕の会(第29回、西永福「蘭」)、本号冒頭にご案内を再掲しました。暑気払いをかねて、皆さま、お誘い合わせの上お出かけ下さい。
 その翌日、21日(月)夜は、TOAFAEC 7月定例研究会(報告・竹峰誠一郎さんのご都合で月曜日に日程変更)。2005年から続いてきた原水禁運動(安井家)資料研究会のメンバーが集まります。竹峰さんの報告テーマは「ビキニ60年をマーシャル群島で迎えて」、会場は(高井戸ではなく)永福地域区民センター(京王線「永福町」から徒歩3分)です。初めての方もぜひご参加ください。
 思えば1年前、伊藤長和さんは「七夕の会」に会わせて中国から帰国、そのまま入院され、闘病生活をおくられたのでした。

3336号【2014年7月17日】
■≪南の島の市議選≫
 前号本欄の続き。15日午後の新宿の集い(仮称・基礎教育学会構想・懇話会の世話人4人)の記録が届きました(添田祥史さん・上掲)。集いの翌日に速報的な記録が届くのは嬉しいことです。諸研究会もこうありたいもの。ありがとうございました。
 実は別に岩本陽児さんからも、岩本節の詳細な当日メモが出ています。「メモを・・ご斧正のうえ南の風に掲載していただけないでしょうか?」と。“斧正”(オノで正す)だから、岩本メモはほとんど別文?に修正なのか。それとも岩本メモを前提の添田記録か。とりあえず添田記録だけ載せましたが、岩本メモの扱いについてご指示下さい。
 さて南の島・八重山の選挙の話。今年9月初めに石垣市議会議員選挙が行われます。南の風メンバーの新垣重雄さんが立候補の構え。新垣さんは元社会大衆党書記長、いま石垣市役所前の「島そば一番地」経営。東京・小金井時代には私たちの研究会の賑やかな席のサンシン担当、笛もほれぼれするほどの名手です。今日(17日)の八重山毎日新聞は次のように報じています。
 「任期満了に伴う石垣市議会議員選挙(定数22)は16日までに、28人で争われることがほぼ確定した。すでに多くの立候補予定者が、事務所開きを済ませ、支持者へのあいさつ回りなどに奔走している。…」
 新垣重雄さんは、革新系、市長との関係では野党系の「新人」立候補、期待する人は少なくありません。また白保の青年団活動家だった現職の宮良操さんも立候補予定。ぶんじん歌碑(平久保)建立お祝い会での(同じく)サンシン担当でした。それぞれのご健闘を祈ります。必勝間違いなし!

3335号【2014年7月16日】
■≪新宿で≫
 早くも7月後半に入りました。大学の授業歴ではそろそろ夏休みを迎える頃でしょうか。ということは、各位の夏の諸行事準備、TOAFAEC では年報第19号の編集作業が最盛期を迎えるということ、皆さんの頑張り、どうぞよろしく。
 そのなかで、この2週間、連日のように「パレスチナからのたより」を寄せてきた斉藤真哉さん(板橋区大原社会教育会館)が「木曜日からパレスチナに入ります」とのこと(上掲)、驚いています。あえて紛争の地に飛び込もうとする気迫、かっての「べ平連」にも似た「パレスチナに平和を!」への思い、に打たれるものあり。しかしその一方、まわりはみな(おそらくご家族も)心配しています。くれぐれも無理をしないように、硝煙からはひたすら「逃げる」努力を願います。一路平安!何より無事の帰国を祈っています。
 東京で、かって街頭に火炎瓶が飛び交っていた時期(1960年代末)、新宿伊勢丹前の交番に過激派がクリスマスツリー爆弾を仕掛け爆裂、その現場に出くわしたことがあります。地下道にも硝煙が流れ、突然の火薬臭。一緒に歩いていた横山宏さん(中国戦線で軍歴あり)が、大声で「逃げろ!」と叫んだ場面を思い出しています。修羅場で身を守る臨機の対応を学びました。
 昨日(15日)の新宿では、仮称・日本基礎教育学会づくり準備(事務局)の話し合いが開かれました。福岡から添田祥史さんがわざわざ上京、ご苦労さまでした。学会名称、どう呼びかけるか、その段取りなど、いろいろな語り合い。日程が1日変更となり、老老介護の身、夜のケアー手配がつかず、ビールを一口飲んだだけで皆さんと別れました。

3334号【2014年7月13日】
■≪七月は文月≫

 七月と言えば「七夕」の行事。いろんな願い事を五色の短冊に書いて笹の葉に飾る習わし。昔の想い出が懐かしく、また行事はいまも残っています。週に一回、デイサービスに通う富美も、先週ある日、自作の小さな笹竹飾りを持ち帰りました。◇年老いて七夕竹の文字うすし(ぶ)
 昔の想い出は、この日、裁縫や文筆の上達を願う祭りでもあったこと。天からの恵みの水を汲んで星に願いごとをする、誰かが言った記憶も。家の裏にひろがっていた蓮田に兄弟で出かけ、蓮の葉にころがる玉の露をすくいとって持ち帰り、硯にたらし墨をすって、短冊を書きました。幼い頃、何を願ったかは忘れましたが、この日は(母よりも)妙に父の顔が蘇ってきます。
 先日の朝日夕刊に「七夕に想う−本を読む女の誕生」(高階秀爾)の一文が載っていました。「…平安時代には、七夕の夜に詩歌の書を供える習わしがあったらしく、七月をまた“文月”と呼ぶのはそのためだという説がある。…中略… 歳時記をひもといてみれば、正岡子規にも『文月や硯にうつす星の影』という句も見える。」(7月9日夕刊)  *文月は「ふみづき」、また「ふづき」とも。
 今年の私たちの七夕の会は7月20日午後→■。書や詩歌への願いなどは忘れ、ただ会って、飲んで、語り歌うだけの集い。しかし年に一度、この日だけ会うことが出来る故事にちなんで続いてきた会です。初めての方もどうぞお出かけ下さい。
 この数日、斉藤真哉さんから「パレスチナからのたより〜」が相次いで届いています。本号には、そのうち2本を並べましたが(上掲)、まだ3本も残っています−お手柔らかに。イスラエルのガザ空爆・黒煙あがる写真や、今朝の記事「空爆継続、死者127人、イスラエル地上戦準備も」(13日)を読むと胸が痛くなります。

3333号【2014年7月11日】
■≪3のゾロ目の記念号≫
 いま(11日夕)永福から見ると、新宿のビル街から渋谷にかけて、大きな虹が二つ。異様なほどの見事さ。その先には、まっ黒な暗雲が立ちこめ、激しい驟雨の模様。しばらくして虹も消え、なにか象徴的なひとときでした。気候不順な台風明けです。
 各地を荒らしてきた台風8号、東京周辺にやってきて(11日未明)、ほとんど風も吹かず、雨もさしたることなく、沖を通り過ぎていきました。すでにそのエネルギーを使い果たしたかのようでした。拍子抜け。
 琉球新報・コラム[金口木舌]が、川崎駅頭に建立されている「石敢當」の由来を書いています(上掲)。1959年に宮古島を襲った台風12号の被害、1966年の第2次宮古台風、募金活動の中心となった古波津英興さん(川崎沖縄県人会の事務局長・当時)のことなど。故伊藤長和さんが「石敢當」の由来に詳しく、誇らしげに語ってくれたものでした。ぶんじん自身は、鹿児島との関係で、沖永良部島を襲った台風被害の救援活動を思い出していました。
 いま「やんばる対談」(今年4月)の原稿修正作業が進行中です。名護関連の発言者については島袋一平さん(社会教育係長)に責任者となってもらって、順調に作業が進んでいるとか。有り難うございます。メールの最後2行が目をひきました。「追伸:8月23日から開催される、第54回社会教育研究全国集会に名護市から3名参加予定です」(島袋一平・上掲)。全国集会では、かって2日目夜「この指とまれ」に、TOAFAEC として「沖縄を囲む」企画を20年ほど続けてきたものです。しかし「韓国交流」と時間が重なり、いま沖縄企画は4〜5年ほど中断。この機会に再開してはどうでしょうか。経過に詳しい内田純一さんあたりが、一肌ぬいでくれる?のかな。
 町田・松田泰幸さんより「次号は3333ですね。楽しみにしています」とメールをいただきました。おかげさまで(パソコン不調−しかし破綻に至らず)何事もなく、3のゾロ目が並びました。皆さんのご声援、有り難うございます。
永福<風の部屋>より新宿方面を望む−暗雲の中、副都心ビル街にかかる虹の橋。 (20140711・日没前


3332号【2014年7月9日】
■≪台風襲来お見舞い≫
 大きな台風(8号)が琉球列島のど真ん中を通り過ぎていきました。宮古島・沖縄本島・久米島の間を貫通して東シナ海へ、いま九州をうかがう位置。中心気圧はやや衰えつつあるようですが、日本列島を縦断する勢いか。沖縄では、建物倒壊や街路樹がなぎ倒された映像、大規模停電のニュースも入ってきましたが、皆様のまわりに被害はありませんでしょうか?お見舞い申し上げます。
 これまでの沖縄訪問のなかで、私たちも何度となく台風に遭遇してきました。とくに思い出すのは、ゼミ学生(和光大学・10名余)を連れた旅。一人旅と違って気がもめます。宜野座の豊年祭に襲来した台風の折は、とにかく那覇まで帰ろうと字(あざ)のバスを出してもらって、58号線をひたすら南下。他に1台も走っている車なく、烈風に車体がなんども傾いた記憶、こわい思い出です。
 2日ほど飛行機は飛びませんでした。しかし那覇の皆さんから宿に思いがけない差し入れ!食べきれないほど。学生たちは感涙にむせんだようでした。夜は、海勢頭豊「パピリオン」になだれこんで、特別メニューのライブを堪能し、忘れられない一夜となりました。しかし今すでに「パピリオン」はなく…。
 昨日は、豊さんからご案内の一通。「文人先生、お元気ですか。東京でイベントです。よろしければ・・。」 コンサートのご案内かと思いきや、驚きました。2014年度「後藤新平の会」シンポジウム−今、日本は何をなすべきか−第一次世界大戦百年記念、2014年7月19日(土)13:00〜、日本プレスセンター10階ABCホール(千代田区神田内幸町2-2-1)。5人のパネリストのお一人、沖縄からの発言を期待されてのことでしょう。ご活躍で何より。

3331号【2014年7月7日】
■≪韓国研究フォーラム≫
 6日は韓国生涯学習研究フォーラム(第51回)。風の部屋がひととき賑わいました。最近はだんだんと畳の空間が狭くなって、10人ちかくになると、さすがに窮屈感は免れず、ホストとしては申し訳ない思い。
 「韓国平生学習・この1年の動き」(年報第19号収録予定)原稿の検討会、最近の韓国の新しい動きいろいろ報告いただき、いい勉強会となりました。 
 この日の富美は、前のカフェで1人で待っている慣わし。案の定、まだ終わらないの?と催促の電話がかかってきて、会は終了。そのあと、皆さんで富美の車椅子を押してもらって、馴染みの香港料理の店へ。皆さんに囲まれて、いつになく幸せそうな表情でした。ご参会、ご報告の皆さま、ご苦労さまでした。
 前号本欄「N27」記事について、伊藤武彦さん(和光大学)から問い合わせメール。「比嘉豊光さん発行『N27(時の眼−沖縄・批評誌)』第3号、はどうしたら入手可能でしょうか?大変関心あります。できれば定期購読もしたいのですが、よろしくお願いいたします。」
 他にも関心ある方があるかと思いますので、本欄に書いておきます。
○「N27」編集室(比嘉豊光さん):〒904-0305 沖縄県読谷村都屋431 電話090-8292-1398 
○発行所:新星出版株式会社 〒900-0001那覇市港町2−16−1 電話098-866-0741
 (次号−予告では12月発行とのこと。)
 山口真理子さん(TOAFAEC)からお知らせ。「…ご存知かもしれませんが,丸浜江里子さんが『市民の意見』(市民の意見の会・東京)144(2014.6.1)に書いておられました。…}
 本日は七夕。1937年7月7日は日中全面戦争が勃発した日。ぶんじんは小学校1年生でした。今年の私たちの「七夕の会」は7月20日(日)となりました。→■
http://www004.upp.so-net.ne.jp/fumi-k/2006sinnenkai.htm

3330号【2014年7月6日】
■≪『N27』bR≫
 本号は3330、あと3号で3のゾロ目となります。おめでたいような、そうでもないような?何かが起こりそうな気配。昨夜、愛用パソコンがそろそろ寿命らしく、突然の不機嫌、何度も立往生しました。とくにホームページのビルダー操作がうまく動かない。いくつか更新・入力が滞っていました。「7月〜8月スケジュール」欄だけをやっと入力。しかし、ずいぶん時間がかかって他の作業は割愛しました。
 さて、沖縄・読谷の写真家、比嘉豊光さん発行『N27(時の眼−沖縄・批評誌)』の第3号、6月末に出ました。豊光さんから送っていただきました。
 意欲的な編集、さすがに収録の写真が輝いています。特集1「沖縄の精神世界」には、稲嶺進さん(名護市長)、島袋正敏さん(ススム後援会事務局長)が揃って登場。それぞれ「やんばるの思想が生きる自治を」、「農を基盤にしたやんばるの生活文化が原点」を語っています。読み応えあり。ちょうど私たちも今年の「やんばる対談」原稿を練り上げているところ。テープ起こしの第一次原稿を、発言者(27人)全員で原稿チェック中。9月18日に刊行予定です。
 「N27」とは何か。同誌「特別寄稿・思想としての27度線」(新川明)は次の通り。「2014年、支配意志をあらわに沖縄の軍事化をめざす日本政府に対して、沖縄の抵抗は歴史上かってないというべき強度の局面に達している。1972年、“日本復帰”を目指したあの時代、沖縄が越えようとした北緯27度線とは何だったか。そしていま沖縄が守ろうとしている27度線があるならば、それは何か」(p41)など。安里英子、宮城晴美、島袋マカト陽子さんなど懐かしい名前も。執筆者は26人、全122頁。
左より小橋川共男、小林、中央島袋正敏、中村誠司、右端比嘉豊光の皆さん(名護・底仁屋・蔓草庵、2008年7月6日)


3329号【2014年7月4日】
■≪東アジアの海をめぐって≫
 1980年代まで、私たちは東アジアの海を自由に渡れませんでした。1980年に初めて金浦空港に降り立ったとき、激しいボディチェックを受け、旅行ケースの持ち物を洗いざらい調べられた屈辱を忘れません。韓国社会教育協会(当時)の招聘状を見せても許してもらえず。中国への旅も、北京−西安などの観光地のみ。一人旅の自由はありませんでした。
 そういう体験をしてきた世代にとって、この数日の「風」メールにみる中国−韓国−日本の間の交流・再会の便りは嬉しいニュースでした。2011年秋に来日した福建省の皆さん、関西での出会い(大前哲彦さんコーディネート)、今回は韓国での再会(前号・村田メール)。福建師範大学・李斗石さんからも韓国訪問・祖先の墳墓を詣でた感激の便りが届きました(次号に掲載予定)。
 台北の楊碧雲さんが来日されたそうです。李正連さんからの連絡。「7月1日から2ヶ月間台湾の楊碧雲さんが来日しています。宿舎は東大のゲストハウスですが、2ヶ月間日本の生涯学習と高齢者教育や支援などについて調査されるそうです。楊さんは7月18日(金)の東京社会教育史研究会にも出席したいとおっしゃっているのですが、同日研究会が始まる前に国立市公民館に行って国立市の社会教育についても話を伺いたいそうです。」
 国立市公民館の井口啓太郎さんに対応を依頼しました。了承です。当日は午後2時からの会合もあるそうで、委細は別便で連絡します。これで中国−韓国から台湾への、東アジアの海をめぐる話題が拡がりました。楊さんも「風」メンバー、再会を楽しみしています。

3328号【2014年7月3日】
■≪会計の驚き、感激!≫ 
 TOAFAEC 会計・山口真理子さんから、今朝の便でこんなメールが舞いこみました。「おはようございます。研究会報告(風・前〃号)を送信する際、一緒にご報告するつもりが、落としていました。遅くなってしまい、申し訳ありません。下記のやり取り(略)のように、…多額のの寄附がありました。びっくりしたままのメールです・・・」という経過も添えられて。いずれ会計からご報告されるべきこと。ここでは、心からの御礼のみを申しあげます。
 これも私的なお知らせのようにも思われますので、本欄でのご紹介にします。和光大学・岩本陽児さんからのメールです。(Tue, 1 Jul 2014 16:49) 「下村文相の義父が夜間中学に関する本を書いているらしい」との情報で和光大学図書館にレファレンスをかけていたところ、最近、その本を特定してもらいました。「紳士録」経由でお名前が分かったそう。石井昭示『近代の児童労働と夜間小学校』 明石書店 1992)。なんと夜間中学でなく、国民学校令以前の夜間小学校の歴史研究。幸い和光に収蔵があり、すぐ一読できました。巻末の二、三行に、夜間中学への言及があります。http://www.akashi.co.jp/book/b63432.html
 奥付に松戸の住所があったのを頼りに、104で調べてもらった電話を入れたところ、令夫人とお話しできました。ただ、ご本人は昨年11月に脳梗塞で倒れ、今はホームに滞在中。耳も遠くなって面会・聞き取りできる状況ではないそうで、実に残念です。ご自宅に残部もあると教わりました。」 思わぬ本の発見お知らせ、有り難うございました。
 7月定例研究会は、参加予定者のご都合により、金曜日でなくその週の月曜(21日)となりました。夜のいつもの時間、しかしまだ場所が確定していません。次号で。

3327号【2014年7月1日】
■≪HPに追悼ページ≫
 遅れていた「伊藤長和さんを語る会」(TOAFAEC 定例会・韓国研究フォーラムの合同開催、5月30日)記録を掲載できました。心のこもったレポートを有り難うございました。亡くなられて、もう5ヶ月近くになりますが、伊藤さんの、あの大きな声が、あの笑顔と一緒に、また眼前に現れてくるような感じです。伊藤さんも、この報告を読んで、きっと喜んでいるに違いありません。韓国研究フォーラムの皆様、そして報告づくりのボラムさん、ご苦労さまでした。 まだ完成の域に達していませんが、非公式ながら(目立たないように、そっと)、HPに「伊藤長和さん追悼のページ」を掲載しています。修正すべきところ、お気づきのこと、またご意見ご感想などをお寄せいただければ幸いです。今回の「語る会」記録や、今年の年報第19号収録予定の追悼記事などを追加して、一応の完成版とする予定です。
 →■http://www010.upp.so-net.ne.jp/mayu-k/itoutuitou20140216.htm
 追悼ページ・扉の伊藤さんの写真はどんな印象でしょうか。みなさんが伊藤さんに会いにくるたびに、ご挨拶される大事な顔ですから、たくさんの写真をいろいろ並べて、どれにしようかと悩んだ末の1枚です。なごやかに微笑んでおられて、いい表情。実は数人の女性(韓国を含む)に囲まれてご機嫌なのです。しかしビールをかなり飲んでいて、原画は赤い顔。編集ソフトで普通に近い顔色に修正したもの。その作業で、フラッシュの影の部分が黄色に変わって、頭に後光がさしているように見えます。かえって風格ある写真になったような…。
 7月定例研究会の準備をしています。2009年に発行した貴重資料『ひたすらに平和願えり』(70頁)を送っていただくことになりました(上掲・安井さんメール)。ご関心の皆様にお渡しできます。お楽しみに。7月研究会は最終金曜日ではなく、7月21日(月・休日)となる見込み。追ってご案内します。

3326号【2014年6月29日】
■≪行く手は遠く見える≫

 6月27日(金)夜の第207回定例研究会は、大事なテーマの報告でしたが、なぜか?参加者が少なく、がっかりしました。内容(旧立川社会教育会館「市民活動サービスコーナー」から「市民アーカイブ多摩」開館への歩み)は、東京社会教育史に直接関連し、当事者(江頭晃子さん)の苦渋の歩み証言だっただけに興味深く、その奮闘の数々が淡々と語られて多くのことを考えさせられました。ぶんじんも2005年〜2009年の「原水禁運動(安井家)資料研究会」の歩み、その中断の経過を思い出し、少し発言させていただきました。
 いま突然、「行く手は遠く見える」という言葉が脳裡に蘇りました。韓国の希望製作所のたしか創立宣言文の一節。南の風(1844号)本欄にも紹介し、定例研究会(129回、2007年5月)ではゲストを招いて日本希望製作所のことをお聞きする機会がありました。この日本語訳はどなただったかしら。
 「…行く手は遠く見えます。しかし、絶望の淵から希望は始まります。希望 は落ちてくるものではありません。私たちが自ら作っていかなければなりません。上からの掛け声ではなく、生に根ざした小さいけれども知恵のある考えと願いがまさに希望の源泉です。…少数の専門家たちだけが良い政策を作るものでもありません。至るところで小さな希望の火種を作り、育む大切な人たちの存在を私たちは信じています。このような人たちこそ、私たちの大切な財産であり、良い政策の基礎なのです。…」
 当日の研究会報告を早速送っていただき(上掲、山口真理子さん)感謝です。5月研究会の記録(入れ違いに到着)と順序が逆になりましたが、お許しください。夜間中学の設置施策について一歩前進?の動きあり、関本保孝さんからお知らせを頂きました(上掲)。メールには添付フアイルが付されていますので、ご希望の方はご一報ください。また名護・島袋正敏さんの「二見以北住民の会ー怒りの拳をあげて」。本号も長文、次号におくります。ご了承ください。

3325号【2014年6月27日】
■≪いま大事なとき≫
 「月刊社会教育」(国土社)7月号巻頭「かがり火」に、稲嶺進・名護市長が「社会教育は“今ある私”の原点」を寄稿されています。社会教育との出会いについて、「1979年頃『月刊社会教育』と当時の東京学芸大教授・小林文人先生とのご縁で始まり・・」とあり、1982年全国集会(富士見市)や2002年・名護集会の熱気を含めて、当時のあれこれを懐かしく思い出しました。名護集会では、島袋正敏さんが実行委員会事務局長、そして当時、市収入役だった稲嶺進さんと小林は、夜のヒージャー(山羊)屋のホスト役をつとめたのでした。この回想は、いつぞや「風」に書いたような…。
 本号は、久しぶりに沖縄特集のような構成。正敏さんの便り(上掲)にある「二見以北10 区」について、「ヘリ基地いらない二見以北10区の会」Webサイトから一部抄録しました。これと「辺野古・大浦湾に新基地いらない二見以北住民の会」は、同じ団体とみていいのでしょうか。
 さて、東京「社会教育の歩み」研究・編集の進め方について、斉藤真哉さん(同事務局長)の連絡を上掲しました。編集委員会の内部資料というべきメールですが、動きを「風」の皆さんと共有していきたいので、あえて掲載しました。お許しください。依頼した各執筆予定者から「原稿のレジュメが揃いつつあります」から、これにきちんと対応する必要があります。「指定管理者」の動きは、コラムどころではなく、通史のなかできちんと触れるべきテーマでしょう(打合せ済み)。この段階で期待されるのは、まず事務局レベルでの各レジメ検討、課題の整理と調整。皆さん、忙しい立場ですが、本づくりとしていま大事なとき、事務局としての対応をお願いします。

3324号【2014年6月26日】
■≪梅雨の晴れ間に≫
 上記・遠藤さんメール。明日27日・研究会の会場訂正(第2和室)、有り難うございました。前にもご指摘あったこと、うっかりしていました。幸いHP案内は正しく「第2和室」の記載、安心しました。これも山口真理子さんではなく、案内再掲の小林ミス。今こういう小さなミスが気になる思老期の年頃です。今年二月入退院後、いろいろと思い悩むことが多くなりました。
 有り体に書けば、いま手はたどたど(思わぬ変換ミス)、足はもつれて(静脈血栓の後遺症も)、目はかすみ(誤字ミスの見逃し)、頭もの忘れ(皆さんも思い当たる?)の毎日。ただ、口だけまだ達者、つい余計なことをしゃべりすぎて、反省しきり、というのが最近のぶんじん。大目にみてやってください。
 この訂正メール(遠藤)を受けて、岩本陽児さん「遠藤さま、お知らせをありがとうございました。参上します」と。山口真理子さん「…会場の件、最初に私が間違えてしまったため、何度も申し訳ありません。… 明日は私が廊下にいて、迷いそうな人がいたら、お声をかけるようにします。」
 年報編集委員会(上野景三編集長)からは、年報第19号に向けて力作が届きはじめたニュース。こんな作業を20年近く(「風」は16年余り)も繰り返してきたことになります。皆さん、ご苦労さま!
 町田市の松田泰幸さんから、「とびたつ会−10周年記念日」のCD記録を送っていただきました。有り難うございました。懐かしく拝見。その10年ほど前から(つまりTOAFAEC と同じく20年ぐらいの年輪で)「わかそよ」コンサートなど前史あり、和光ゼミの学生たちも参加していた当時を想い起こしています。

3323号【2014年6月24日】
■≪中国からの招聘状≫
 まずお詫び。前号「東京社会教育史研究フォーラム・第15回研究会の報告」の「序論について」7行目、「修論の組み立て」は変換ミス、正しくは「終論の…」。筆者・石川さんでなく、補筆した小林のミス。お詫びして訂正します。
 上海の馬麗華さん(華東師範大学)から久しぶりの便り(上掲)。内容は葉忠海さん(もと華東師範大学教授)等からの「アジア学習組織連盟成立大会」への招聘状。8月22日―24日に雲南省昆明市で開かれるそうです。当方に「日本の学習社会」についての講演も求められています。突然のこと、どなたか経過などご存知の方があれば、教えていただけませんか。
 TOAFAEC はもともと沖縄をテーマとし、さらに「東アジア」に視野を拡げてきました。韓国研究フォーラムが胎動(2007年)、刺激されて中国研究フォーラムが活動をはじめ(2008年)、それを横につなぐかたちで「東アジア研究交流委員会」も誕生(2009年)。話はとんとん拍子に進んで、上海で「第一回・日中韓生涯学習国際フォーラム」(上海外国語大学)が開かれました。3ヶ国から集まった国際会議は2010年11月、この企画の上海側の中心が葉忠海さんでした。この大会では日中韓の国際フオーラムを2年おきに開こうと「協議書」も交わされたのでした。この経過はTOAFAEC/HPをご覧ください。
 →■ http://www010.upp.so-net.ne.jp/mayu-k/higasiasia0905.htm
 しかしその後、日本では東北大震災(2011年)、また日中韓の政治的なギクシャクあり、第2回予定の韓国・国際フオーラムは,(準備会が開かれながら)実現に至らず。私たちは有志で済州島に遊んだ想い出。この流れと今回の「アジア学習組織連盟」は?・・・関係があるような、なさそうな?

3322号【2014年6月23日】
■≪きょう沖縄「慰霊の日」≫
 20日の東京社会教育史研究会について、石川敬史さんから、詳細かつ長文の報告が寄せられました。大きなテーマ、多数の論議、まとめに苦労?したあとがありあり。ご苦労さまでした。添えられた前文に「…通史部分は,各執筆者の皆様がどのような時期区分をされるのか,注目していると思いましたので,少し詳細に記述いたしました」と。詳しいだけでなく、1両日後の敏速なレポート、熱い“記憶”そのものの“記録” 有り難うございました。
 「風」記事として(簡潔さが何より)やや長いので、すこし短くし、また当日の報告者として多少の補筆をさせていただきました。ご了承ください。本欄も、うっかりすると、すぐに長文そして理屈っぽい文章になりがち。自ら20行!と心に言い聞かせて書いています。1行はみだすたびに、誰かにお詫びして…。(ぶ)欄だけ、読んでいる、という方もあり、恐縮しています。
 石川さんの前文、さらに続けて曰く、「…次回以降,私ではなく,別の方に順番で報告記事を書いていただいた方が良いと思います。私ばかりですと,同じような,真面目なトーンでの文体が続いてしまい,,,どうも研究会の息遣いが聞こえないような気がしました。。。」 ま、そう言わないで・・・続けてください。研究会の記録として、丁寧な内容紹介、出色の出来映えです。
 きょう6月23日、沖縄は「慰霊の日」。69年前の今日、軍の組織的戦闘が終わり沖縄戦が終結したとされる日。沖縄の各新聞は、祈りの記事にあふれています。本号は「沖縄タイムス」特集記事と「琉球新報」コラム“非戦の誓い”を紹介させていただきました。両紙の社説ともに読み応えあり。

3321号【2014年6月22日】
■≪くにたちアートビエンナーレ≫

 20日・東京社会教育史研究会(第15回)、本号にすこし余白がありましたので、江頭晃子さんの欠席連絡を掲載、記録としてご了承を。当夜は盛会でした。
 東京では小田急線が脱線して終日の運休(九州はひどく降って指宿の観光列車が脱線したニュースも)、そのせいか、研究会場・国立に出かける途中、井の頭線も(線路点検とかで)遅れました。第15回研究会もやや遅れて開会。東京社会教育「通史をどう書くか」の報告(小林・梶野)、そして議論、どなたか報告を寄せて頂けると期待しています。→■
 研究会が終わったあとの楽しみ。国立駅近くの店で、思いのほか盛大なビール・ワインの歓談となりました。待っていてくれたのは平林正夫さん(もと公民館主事、現・くにたち文化スポーツ振興財団事務局長)、10人ほどの愉快なひとときでした。平林さんと久しぶりに積もる話。公民館「わいがや喫茶」の初期のころや、「七夕の会」が生まれたいきさつなど(平林さんは生みの親)。
 ぶんじんは、1967年から1980年まで13年間「くにたち」に住んでいました。平林さんが国立公民館で障害者の皆さんと肩を組んで“たまり場”づくりに励んでいた頃のことをよく知っています。その後、公民館から異動し、いま、くにたち文化・スポーツ振興財団を担う立場、張り切って頼もしい感じでした。
 国立は、ちょうど1年後の6月「くにたちアートビエンナーレ2015」を催すそうです。第1回の試み。駅前から一橋大学前の通りで「野外彫刻展」の全国公募(テーマ“祝祭”、大賞200万円)。平林さんは、これから1年にわたるビエンナーレ運営委員会の委員長とか。活躍を祈ります。

3320号【2014年6月19日】
■≪東京の“基礎教育”実践史≫
 前号本欄で1990年代「東京・識字調査」報告について書きましたので、その続きを…。1990年「国際識字年」が一つの契機となって、日本でも社会教育学会等で“識字”研究の課題が強く意識されるようになりました。学会年報35集『国際識字10年と日本の識字問題』(1991年、東洋館)はそのあらわれ。地域的には、読み書きの基礎的な教育を受ける機会を(戦争などで)奪われた人たち、差別にあえぐ人たた、日本の植民地支配が残した「在日」コリアン、あるいは1980年代後半から急増する新渡日(ニューカマー)外国籍住民、そんな時代状況を反映して、それぞれの識字実践・日本語教育の新しい潮流が、1990年代の東京各地で動きはじめました。もちろん東京だけのことではありません。
 前号に書いた東京学芸大学「東京の識字実践」調査は、3次にわたって取り組まれ、これら新しい実践・運動の基礎データを記録しています。いまとなっては貴重な資料。まず夜間中学(8校、かって立川三中にも設置されていた)の奮闘、自主夜間中学の運動。そして1990年代以降に躍動しはじめた日本語教室やそのボランティア養成講座や、地域からの国際交流の動きなど。
 あと一つは、“内なる識字問題”への社会教育の取り組み。公民館では福生市松林分館の「ことばの会」(故加藤有孝さんの実践、1986年から18年間)や、町田市や東久留米市の公民館による障害者支援の学級・教室。あるいは「日の出舎夜間小学校・ふきのとう学級」の事例など。またこの時期は7区3市に中国帰国者対象の日本語教室が活発でした。しかし東京では部落解放運動による識字教室は、いまひとつ定かな記録になっていません。これらは東京社会教育史における“基礎教育”実践というべき動きでした。

3319号【2014年6月17日】
■≪『東京の識字実践 1992、1994』≫
 東京学芸大学・社会教育研究室−沖縄研究グループ(TOAFAEC の前身)が発行した『沖縄社会教育史料』(全7集、1977〜1987)は、今や貴重な史料群となりました。今回の注文(風・前号)第4集−戦後奄美の社会教育−を含め発行からすでに30年余を経過、古本市場にも出ない稀少・貴重刊行物です。
 奄美資料収集、当時まだお元気だった関係者の証言聞き書き、ぶんじんだけでなく、院生諸氏も手弁当で奄美に通いました。奄美の方々には高齢化がすすみ、なかに物故された方もあり、2度と聞けない証言が少なくありません。  
 私たちは、すべての収集資料・証言を(私蔵するのでなく)できるかぎり複刻し社会的に再生する!という意気込みで、『沖縄社会教育史料』7冊を編集発行したのでした。奄美のあと、宮古・八重山にも渡り、その特集号も編みました(第6集、1986年)。ついでながら、TOAFAEC 財政に寄与するために頒布価格をすこし値上げしてはどうでしょう? 
 このあと研究室でつくった資料としては、『東アジアの社会教育・成人教育法制』(1993、在庫なし)、これをはさんで『東京の識字実践』調査報告(第2次−1992、第3次−1994)があります。識字調査報告書はまだきっと在庫あり。やはり高知大学の保管でしょうか。
 6月16日午後、久しぶりに識字実践報告2冊をかかえて国立公民館へ。「東京の識字実践・日本語教室・夜間中学」(東京社会教育史)執筆のレジメづくり打合せ。横山文夫(日本語ネット)、関本保孝(夜間中学)、伊東静一(福生市)各氏とぶんじん。そこに折よく学大識字調査リーダーだった梶野光信さん(東京都)が顔を出し、20余年前の識字調査の苦労話・回想となりました。

3318号【2014年6月15日】
■≪TOAFAEC 維持会員への感謝、ご支援を!≫
 今年の総会(前号に報告)が終わり、TOAFAEC にとっての2014年が始まりました。上掲「事務局コーナー(119)」(山口真理子さん)をご覧ください。
 最近は学会理事会の会議が長時間(昔はそうでもなかった)、理事会か終わってTOAFAEC 総会に流れるパターンがなくなり、こじんまりした総会。六月集会の理事会の夜にかぶせて開く案は、見直した方がいい?と思いました。総会は、うちうちのメンバーだけでなく、やはり外への拡がりがほしい。
 総会の大きな議題は、なんといってもTOAFAEC 財政に関すること。もちろん役員・運営体制のこと(今年は「常任委員」活性化が新しい課題)や、定例研究会・各研究フォーラムなど研究活動に関する課題もありますが、経費的な条件が整わなければ、充実した年報発行もできなくなるのです。
 旅費費目など全くなく(各自負担)、人件費・謝金の手当もない(みな手弁当)。そのなかで編集会議を積み重ね、いまやバックナンバー19冊の年報発行を蓄積してきたのは、ひとえに維持会員の支えあってのこと。あらためての御礼と“今年度もどうぞよろしく!”のお願いを申しあげます。
 年報『東アジア社会教育研究』はTOAFAEC の創設(1995年)の翌年に創刊されました。第7号(2002年)までの刊行経費は個人の負担・寄付に頼ってきましたが、2003年総会で規約改正、「維持会員」制を導入し、第8号より集団的な支えで発行されるようになりました。当初の維持会員は10名前後、主として
TOAFAEC 事務局中心でしたが、その後徐々に参加が拡がり、2014年現在、26名+1団体(おきなわ社会教育研究会)の皆さん。有り難うございます。
 維持会員には会費相当分の年報(10冊前後)をお送りする仕組み。いわば買い取り予約をお願いし、年報をまわりに普及していただければ!の思い。ご参加大歓迎!ご支援をお願いします。

3317号【2014年6月13日】
■≪梅雨の夜にここにいるよとお月さま≫
 東京には社会教育史がない。まったくないわけではありませんが、その編纂の体系的な事業は、完結しないまま、放置されてきました。その背景には、悲しむべき社会教育行政の解体動向がありました。生涯学習という別の施策が複合して混迷を生み、この20年の間に、それに先立つ50年の、つまり半世紀にわたる挌闘や蓄積の努力はいま忘れ去られようとしています。全国的に注目されてきた東京の社会教育実践も風化が進み、遠い過去の話となりつつある? 
 こんな危機感から、2年前から(「風」の熱心な読者はご記憶の通り)「東京社会教育の再発見」を呼びかけ、この1年あまり、編集委員会による活発な議論が重ねられてきました。「東京社会教育史研究フおーラム」のWebサイトを。→■http://www004.upp.so-net.ne.jp/fumi-k/tokyoforumu2012.htm
 いま編集作業は佳境に入っています。40人ちかくの執筆(予定)者への依頼も(ほぼ)順調に進み、レジメ提出の期限が6月10日。リライトを含めて今年度中には執筆を終わり、来年夏の刊行にこぎつけよう、そんなスケジュールで編集事務局の(エイデル研究所・山添さんも)格闘が続いています。
 ぶんじんも担当分レジメを(2日おくれで)仕上げ、いま古い酒を横において、ちょっとした充実感。東京は梅雨空ながら、今晩(12日)の満月は実に見事でした。陽が西に落ち、暮れなずむ東の空にくっきりと冴えわたる月。終日の雨が続きましたから、湿気もあるのに…、梅雨の月がこんなにも輝くのかと驚いたほど。梅雨の夜に、ここにいるよとお月さま。しかし、夜が明けて13日、昼頃になると、雷さんゴロゴロ、驟雨ひとしきり。そして梅雨の晴れ間。七夕の会−7月20日−の案内が届きました(上掲)。皆さん、ご予定下さい。
→■
http://www004.upp.so-net.ne.jp/fumi-k/2006sinnenkai.htm

3316号【2014年6月11日】
■≪甘く豊かに香る≫
 この間、折にふれて話題にしてきた「基礎教育学会」(仮称)の構想。振り返ってみれば、もともとTOAFAEC 創設(1995年)以来、「識字」「基礎教育」は私たちの大事なテーマでした。年報『東アジア社会教育研究』編集でも、常に忘れてはならない課題として位置づけ、毎号必ず識字実践や少数民族・言語問題などを掲載してきました。バックナンバー目次を数えてみると、創刊号は巻頭の韓国「文解教育」についての金宗西論文からはじまって、日本の夜間中学や台湾の補習学校などを含め、第18号までに実に40本の報告・資料タイトルが並んでいます。何冊か本が出来るほど。→■
 前号に書いたように、6月8日夜、横浜で「基礎教育学会(仮称)についての構想・懇話会」が開かれました。学会創設を夢見ながら、一歩を踏み出したかたち。しかしまだ海とも山とも定かでなく、小さな集いとしての企画、「風」の(広く呼びかける)ご案内は控えてきました。ご了承ください。関心をお持ちの方々には申し訳ない思い。これから来年にかけての歩み、準備の動きや集いなど、できるだけ「風」にご紹介・ご案内していく所存です。
 この夜、韓国のヤンビョンチャンさんが「韓国文解教育協会」のことを短く話されました。同協会は1989年の創設、それから25年が経過していることになります。その創設者・黄宗建先生に当時の話を聞いたことなど思い出しました。→■ http://www004.upp.so-net.ne.jp/fumi-k/koreahwang.htm
 いま年代もののウイスキーを飲みながら書いています。この上ない贅沢な気分。古いウイスキーは甘く、豊かに香ります。今日もいい1日が終わりました。

3315号【2014年6月9日】
■≪梅雨空の横浜≫
 梅雨模様の横浜に2日通いました(日本社会教育学・六月集会、会場:神奈川大学)。初日(7日)の夜はTOAFAEC 総会。そして2日目は同年報「東アジア社会教育研究」第19号の編集委員会、同夜は「日本基礎教育学会」(仮称)の構想を語る集い。ご参集の皆さん、ご苦労さまでした。
 それぞれの報告が「南の風」に寄せられるものと期待しています。風は吹きすぎるだけのように見えて、できる範囲での諸記録“ひろば”として機能してきたつもり。この種の記録は軽ろやかに、敏速に書いていただくのが肝要。力が入りすぎると、かえって鈍重な内容となり、時間の経過とともに記録性も劣化していきます。どうぞよろしくお願いします。
 学会の集まりでは、研究的な新しい動きに刺激を受け、心はずむ思いをしてきましたが、ときにセクハラ事件とか、処分・提訴とかの新しい?情報を耳にします。新聞情報の伝え聞き、軽々しく言えませんが、楽しくありません。他方、今回は若い世代(誰でしょう?)の結婚のニュース。これはまさに慶事。ビールの席となって、何度もなんども乾杯しました。オメデトウ!
 帰途は京都からのヤンビョンチャンさん(韓国・公州)、金ボラムさんと一緒でした。ヤンさんはそのまま永福へ。3階「風の部屋」へお泊まりです。
 最近はカメラを持参しないことがあり、7日・総会は画像記録を残せませんでした。今まで毎年記録してきたのに残念至極。2日目夜の集いは、カメラを忘れず、うまく記念の1枚が撮れました。ただ李正連さんの顔が見えず、席を離れていたらしい。李さんに失礼しました。
第1回基礎教育学会(仮称)についての構想・懇話会」終わる (横浜・20140608) 写真移動→■

3314号【2014年6月8日】
■≪古酒甕の並ぶ風景≫

 前号のつづき。中村誠司さん編集『焼酎・泡盛・用語集』(2013年8月)「まえがき」を(最初の部分だけ)紹介させていただきます。「ぼくはずっと“島酒=泡盛”がすきで、青年〜壮年期にはよく飲んだ。10数年前、やんばるの古酒を深く愛着し、先輩の指導を得て、山川酒造「珊瑚礁」(5年、43度)を古酒甕4っに仕込んだ。たしか1999年だった。以後、廊下の隅で熟成する甕を見守ってきた。最近、5月にやっと開け、… その美味しさにおどろいた。
 7月中旬、35年住んだ名護市大東から羽地の源河に引っ越した。ひとつ40s余る古酒甕をほくは運べず、妻の弟が運び、小部屋の納戸に配置してくれた。座卓から振り返り、毎日古酒甕をチラリと眺める。しかし、まだ飲まない。仕次ぎがたいへんだが、そろそろ開けてみよう。小瓶につめて知人におすそ分けしようと思っている。こんな美味しい古酒を味見しないのは古酒にすまない。」
 ぶんじんは、2002〜03年にかけて、山原島酒之会にお願いして、同じ「珊瑚礁」(43度)を三つの甕に詰めました。誠司さんより先が短いので、10年もの。「風の部屋」の(誰もが目につく)玄関脇に安置。同じ頃、別に「瑞泉」古酒甕を送ってくれた人あり、これを加えて4っの甕でスタートしました。
 島袋正敏さん上京の折、仕次ぎをして頂きました。たしか(東京滞在中の)島袋一平くんも来てくれました。古い酒に新しい酒を入れる、ゆっくりと熟成を待つ、ときに愛をこめて甕を揺らす。汝が妻の胸を揺らせることもなく古酒甕のみを揺する男よ、そんな戯れ言を言いかわしながらの10年余です。
 新年会や七夕の会には、甕から古酒少量を汲み出す慣わし。昨年七夕で一つの甕(5升ガメ)が終わりました。仕次ぎがしっかり出来ていないのです。文化運動としての古酒づくりにはほど遠く、甕ほんらいの豊かな持続性に課題を残して…。しかし、風の部屋でもっとも輝いているのは、この古酒甕たち。
 7日夜、TOAFAEC の2014年総会(横浜)でした。末本誠、内田純一ほかの皆さんとご一緒でした。

3313号【2014年6月6日】
■≪やんばるからの贈りもの≫
 名護から、面白い資料3点が届きました。送り主は中村誠司さん(名桜大学)。久しぶりのお手紙もあり、懐かしく・・・有り難うございました。いま羽地の源河(琉球アユを取り戻す運動の集落)にお住まいです。
 「…源河の暮らしは、実にのんびりしています。週に2回、名護に出ます。1回は名桜大学で講義(院生1人)と小仕事をして、午後は名護市史編さん室か名護博物館にまわって、ゆんたく。話し相手がいなくてボケそうです。…」
 送って頂いたのは「昨年仕事した成果」、いずれもこの3月に刊行されたものです。まず『名護・やんばる地方史料所在目録』(名護市史編さん室−名護市史研究資料97)。「この情報がないと、“通史”が論議できません」と。約1400点の所在目録。私たちがいま取り組んでいる東京社会教育史について、この種の基礎情報が不充分なまま、執筆に入ろうとしている慌ただしさ?を振り返り、強く打たれるものがありました。
 2番目は、中村誠司(コピー・編集)『焼酎・泡盛 用語集』(日本酒造組合中央会 Weblio辞書より)。私家版とも言うべき用語集「はしがき」が面白い。まず「仕次ぎ」項目を引いてみると、次の通り。「泡盛の古酒(くーす)熟成法。荒焼のかめ数個に年数を経た順に古酒を貯蔵し、最も古いものから、1番の古酒、2番の古酒、3番の古酒…・と称する。古酒を取り出すとき、その取り出し分だけ順次補充していくことを“仕次ぎ”といい、…」など。
 3番目は『新大宜味史』です。「シマジマ・ビジュアル版、わーけーシマの宝物」(大宜味村史編纂委員会・シマジマ専門部会)。大宜味村はすでに30年前に村史を出していますが、新しく「村民・シマ(集落)が主体」の新企画。17シマすべての、それぞれの歴史・祭り・暮らしのなかの“宝物”に光をあてた記録。各集落の扉の写真がすばらしく、各戸すべてが地図に落とされている村史。みな読みたくなるに違いない。終日あかずページをめくっていました。
2013年3月・退職祝いの会・中村誠司さん、胸に貫花。(名護、120314)


3312号【2014年6月5日】
■≪上海からの便り≫
 7月の恒例「七夕の会」について、今年の日程をどうするか、世話人の間でメール交換が始まっています。いまのところ、7月20日(日)午後の線が有力か。確定次第、いずれ「ご案内」が出ることでしょう。メールの中に「…七夕の会といえば昨年、帰国したばかりの伊藤さんを思い出してしまいます」(江頭晃子、Tue, 03 Jun 2014 23:42)。まったく!いつまでも忘れられません。
 先便のあと、山口真理子さんからの連絡。「いま送信したばかりですが、お伝えすることが一つ抜け落ちていました。本日、伊藤君江さまから、長和さんがお持ちだった年報『東アジア社会教育研究』が送られてきました。その中には、在庫が少ない16号も6冊含まれていました。このことは、金額としては現れませんが、会計報告の寄贈の項目に入れます。2012年度に末本さんからいただいた時も、そのようにいたしました。…」(Wed, 04 Jun 201416:16)
 上海の呉遵民さん(華東師範大学)から久しぶりの便り。「大変ご無沙汰しております、…4月の中旬に名古屋と東京へと行きましたが、ただ大学6人の体制で、東京が一泊しかおられませんので、どうしても先生とお会いする時間は取れませんでした。残念ですが、お許しください。」(Wed, 04 Jun 2014 16:16)
 昨年からの論文など6点(中国語)の添付つき。とくに注目されるのは、中国教育部から上海市教育委員会に委嘱された「中華人民共和国・終身教育法草案」を送っていただきました。呉さんが最後の修正案をまとめ(終稿修改完成)北京に提出されたそうです。ご活躍、何よりのこと。この法草案は、日本語訳をして、私たちのTOAFAEC 年報に掲載することが可能でしょうか?
 お便り主文は(少し文字化けあり、判読して)次号に掲載いたします。

3311号【2014年6月4日】
■≪TOAFAEC「常任」体制のことなど≫
 既報の通り、6月7日夜は私たちの「総会」です。TOAFAEC のフォーマルな組織・体制や会計について年に一度の会議。会計担当の山口真理子さんから、いつもの丹念さで会計処理報告や予算案が寄せられましたので、事務局内通信の一部を「事務局コーナー」としてご紹介しました(上掲)。
 いつぞや書いたように、TOAFAEC は小さな研究交流のグループ。フォーマルな規約や組織にはなじまないところもあります。実質的な活動は、それぞれの担当(定例研究会、年報編集など)により、日常的に担われてきました。すでに20年近くの歳月。TOAFAEC 規約は「1995年6月2日から施行する」とうたっていますが、実際に成文化したのは、活動が始まって数年後のことでした。フォーマルな規定と実際の活動の間には、いつも“ずれ”がありました。*規約など→■http://www004.upp.so-net.ne.jp/fumi-k/toafaec.htm
 たとえば一つの例に「常任委員」制度があります。規約には、常任委員会は「総会で決定された方針を実現していく執行機関」「必要に応じて開催する」(規約第4条)とうたっています。15名前後の「常任」体制。しかし、記憶をたどってみて一度も常任委員会が開かれたことはありません。規約上の「常任」体制は形式化し、他方で、活動はそれなりに活発に持続されてきました。
 5月31日の事務局会議では、常任委員のうち、上海、広州、台湾、韓国等からの「常任」は「顧問」に移っていただき、新たに若い世代に参加をお願いして、「常任」体制を少しでも実質化しようという案を話し合いました。末本誠代表に論議の経過を事務局長から報告し、総会の当日に論議を深め方向を決めていくことになりましょう。新しい「常任」候補にも事前のお願いをしたところです。

3310号【2014年6月3日】
■≪古い酒のボトルを開ける夜≫
 極上の銘酒ボトルが、押入れの暗がりから現れた話(風3304号本欄「思わぬ吉兆」)。Rare old、Aged 12 years などのお墨付き(43度、未開封)が、さらに30年熟成されて現れたかたち。欣喜雀躍の思い。オークションに出しても、ビンを含めて、値がつくという人もあり。しかしこれを開けない愚か者ではありません。1本を人参酒の仕次ぎに注いで、すでに3本目の封を切りました。
 この機会に裏話を一つ。1本目はフランス皇帝の名を冠したブランディ。これは問題ありませんでしたが、2本目の Munro・King of Kings は、栓のコルクの劣化が激しく、大部分は取り出しましたが、一部は崩れて、悲しや、スコッチの中に落ちてしまいました。仲好しのワイン屋は、ガーゼで濾しなさいとアドバイス。しかし芳香までも濾過する?おそれあり、そのままにして、グラスに浮かぶコルク砕片をちょいと掬えばいいさ…と。ただ客人の杯に注いで失礼があってはならじ・・・すべて自分一人のグラスに確保する口実です。
 次のビン(CREST 12年もの+30年)はどうか?と3本目も開けました。こちらは水晶のようなガラス栓、大丈夫だ! そんな夜が続いています。
 古い酒の、たわいない話に反応してくれたのは名護・島袋正敏さん(上掲)。さすが「山原島酒之会」。セイビンさんは10年ほど前に「島酒通信」を長期に連載いただいたこともあり。その後の島酒運動のこと、蔓草庵の新しい古酒づくり、名護十字路「大国林道」に林立していた古酒カメのその後の行方は、などお暇の折に「風」に書いていただけませんか。
 島袋正敏さんはTOAFAEC 副代表です。5月31日の事務局会議では「副代表」「常任委員」等の運営体制のことが話題に。本欄はそのことを書くつもりでしたが、つい古い酒の話に流れてしまいました。次号にします。

3309号【2014年6月1日】
■≪TOAFAEC 20周年への道≫
 いつも、こじんまりしたTOAFAEC 定例研究会。しかし5月30日(金)夜の第206 回研究会は、「伊藤長和さんを偲び・語る」会とあって、20人の賑やかな集いとなりました。終了後の「イーストビレッジ」では椅子が足りないほど。
 この日のため韓国公州から瀬川理恵さんが帰国され、また中国山東省烟台での教え子・ロク秋月さん(首都大学東京・留学生)からは学生たちの追悼メッセージが披露されました。切々と胸を打つものばかり(上掲)。すぐれた行政マン・社会教育主事・研究者であると同時に、教師としての伊藤さんの豊かな人間像がくっきりと浮かびあがるひとときでした。ご参加の皆さま、終電ちかい時間まで有り難うございました。どなたか(韓国研究フォーラム?)、記録を「南の風」に送って下さい。下に当夜の記念写真を掲げました。
 今日(31日)午後は、TOAFAEC 総会(6月7日予定)準備のための事務局会議(風の部屋)。TOAFAEC は1995年創設から来年で20周年を迎えます。事務的な準備に加えて、新たな活動に向けての運営体制、副代表・伊藤長和さん逝去による空白を埋めていく課題、年報(今年で19冊)の蓄積を活かし「東アジア」出版を構想できないか、などいろんな話が出ました。総会でも楽しく賑やかな議論となれば幸い。
 TOAFAEC は創設以来、固い組織体制をさけ、緩やかなつながりを大事にして、多様な拡がりを模索してきました。スタートの時点では、ぶんじんを除き若い世代による取り組みでしたが、あのころの若者も当然20歳の年令を加えることになります。新たなステップをどう刻んでいくか。
 研究会だけでなく、総会でも、新しいご参加を歓迎しています。ただ会場予約の関係で、遠藤事務局長(Eアドレス:0146076101@jcom.home.ne.jp)まで出席の事前連絡(上掲)をいただければ幸いです。TOAFAEC の歴史・組織・活動等については、こちら→■。
伊藤長和さんを偲び語る会 (韓国研究フォーラム50回記念) .ー高井戸、20140530−


3308号【2014年5月29日】
■≪川崎沖縄県人会と東京竹富郷友会≫
 川崎の沖縄県人会が90周年を迎え、25日に記念の芸能公演が盛大に開かれたそうです(上掲、沖縄タイムス「大弦小弦」5月28日)。琉球新報も90年の歳月について「川崎県人会は1924年、関東大震災で被災した県民同士が助け合ったことがきっかけとなり発足。…」など報じています(5月26日記事)。
 かって和光大学では、沖縄大学・名桜大学と共催するかたちで、那覇と名護で「和光移動大学」を開催したことがあります。1996年のこと。その翌年には、「沖縄から川崎への旅」をテーマに、川崎沖縄県人会と共催して、和光移動大学を実現しました。ほとんど1年、川崎に通いました。県人会の皆さんへの聞き書き。当日(会場:教育文化会館と沖縄県人会館)、プログラム・第1部は証言と講演、第2部は県人会の皆さんによる華麗な沖縄芸能。すばらしい1日。
 折悪しく大雨の日となりましたが、学生も多数参加して大成功。この日のこと、いつまでも忘れません。記録は小林「沖縄との出会い、そして移動大学」(和光大学『エスキス97』1998年)としてまとめ、HPにも収録しています。→■ http://www004.upp.so-net.ne.jp/fumi-k/okinawakawasaki98.htm
 今日(5月28日)の八重山毎日新聞は、東京竹富郷友会・第89回総会の記事を大きく載せています。島から東京に出て奮闘してきた第一世代、今年はじめて2世の会長が誕生したこと、来年の創立90周年事業への取り組み、祝宴は竹富独自の芸能、種子取祭(重要無形文化財)さながらの舞台となったことなど。
 90年にわたる郷友会。郷土を同じくする親睦や郷愁だけでなく、苦しい歴史を生き抜いてきた強い仲間意識、そして文化的アイデンティティとしての芸能、大事な問いかけがあるようです。下の写真は、私たち(岩本陽児さん、山口真理子さんなど)も参加して楽しんだ第82回(2007)竹富郷友会総会の芸能。
 明日「伊藤長和さんを語る会」、皆様、お誘い合わせの上お出かけください。→■
2007年の東京竹富郷友会総会、合言葉は「かしくさや うつぐみどぅ まさる」、うつぐみ−打つ組む・協力すること。 (20070819)


3307号【2014年5月28日】
■≪台湾・社会教育との研究交流史≫

 台湾の社会教育、とくに台北市「社区大学」構築の牽引役を担ってきた楊碧雲さん(Yang, pi-yun、台北市政府・専員)。風3301号に続いて、論文添付のメールをいただきました(上掲)。早速、年報19号編集長へ回送しました。前号で、韓国研究フォーラム10年、を書きましたので、この機会に台湾との研究交流についても、思いつくまま、いくつか記しておきましょう。
 東アジアのひろがりで、国と国との“国際”関係論だけでは、台湾は除外されがちです。それだけに、TOAFAEC の交流活動や年報編集等では、いつも台湾の動き、その独自のアイデンティティを見失わない、むしろ“発見”の努力をしてきました。東アジア「四つの社会教育法」のうち、日本に次いで制定された台湾・社会教育法(1953年)や韓国と並んで登場した終身学習法(2002年)も、TOAFAECとして、いち早く紹介してきたこと、ご存知でしょうか。→■ http://www004.upp.so-net.ne.jp/fumi-k/taiwanhyousi.htm
 その立法や制度形成の過程を調べようと、初めて台湾へ渡ったのは1989年。板橋文夫さん(東邦大学)と一緒。陳東園(空中大学)葉淑華(高雄第一科技大学)夫妻にお世話になりました。楊碧雲さんは東京大学・院に学んだ人、しかし東京ではなく、台北で1996年に初めてお会いしました。ゼミ卒業生・楊恵芳の結婚式に招かれて訪台、夜の歓迎夕食会の席でした。そのあと識字・補習学校を見学した憶えがあります。忘れられない2005年の充実した旅(上地武昭、内田純一、鷲尾真由美など皆さんと一緒)は、楊碧雲さんのご配慮によるものでした。→■ http://www007.upp.so-net.ne.jp/bunjin-k/200505taiwan.htm
 次から次へと想い出が蘇ります。楊碧雲さんはすでにTOAFAEC 研究会にお出で頂いたことがあります。下の写真は昨年7月の定例研究会、中央に楊碧雲さん。右端には伊藤長和さん(8月手術の直前)の元気な顔も見える貴重な1枚。
TOAFAEC第196回研究会、東アジア交流委員会と合同開催、中央に楊碧雲さん(高井戸、20130726)


3306号【2014年5月26日】
■≪韓国研究フォーラム(50回)の歳月)≫
 韓国生涯学習研究フォーラムは、5月30日の研究会(TOAFAEC・206回研究会と合同開催)で50回を迎えます。記録をみると、第1回は2007年2月、亡くなられた伊藤長和さんが「ご案内」を書いています。伊藤事務局長の尽力がなければ、その後の韓国研究フォーラム・50回にわたる歳月はありませんでした。→■
 実は、同研究フォーラムが発足する前に4年間の韓国本編集の歩みがありました。日本に初めて韓国社会教育・平生学習の全体像を紹介した本格的な出版です(黄宗建・小林文人・伊藤長和共編『韓国の社会教育・生涯学習』エイデル研究所、2006年)。この本の出版が契機となって、2007年からの韓国フォーラムが発足したのでした。この前史を加えると、今年でちょうど10年、同書の編集会議(約20回)と合算すると、韓国フォーラムも約70回を数えることになります。この間の経過は、詳しい記録をHPに収録しています。→■
 韓国本編集は本邦初の苦難の作業、それだけにいつまでも忘れることができない懐かしい歳月。韓国社会教育界の長老・黄宗建さんを編者に迎えて、2003年に川崎で編集会議。翌2004年には日本側(小林・伊藤など)が韓国に出かけ、安養市で韓国側執筆者にも集まっていただいた編集会議。その頃から、黄さんは中国に赴任され、黄・小林の二人は烟台で会って、協議した記憶もあります。
 しかし、韓国本が刊行される直前、黄宗建さんは中国で倒れ、ソウルに運ばれて、間もなく亡くなられました(2006年)。私たちは黄さんの墓前に新しい本とお酒を捧げました(2008年)。このときの案内役が、金済泰さんとヤンビョンチャンさんでした。→■
 この後、ヤンさんと小林・伊藤の共編で、日本・社会教育を韓国に紹介する『日本の社会教育・生涯学習』を出版(2010年)。その日本語版が2013年に日本で出版(大学教育出版)されたことはご存知の通り。そしていま(2014年)、韓国本の新改訂企画が進行中。こうして振り返ると、韓国研究フォーラムはこの10年、4冊の本を世に出すことになります。写真は、初めての韓国本(2006年)出版記念会・黄先生追悼の集い、奇しくも今年4月20日「伊藤長和さんを偲ぶ会」と同じ会場でした。
2006年10月。前列中央に黄先生の遺影、その右に伊藤長和さん (川崎・武蔵小杉・ホテル精養軒、20061014)


3305号【2014年5月25日】
■≪名護市長の帰国、高知のカツオは?≫
 前号の見出し(上から2行目)にまた1字の誤字。本文(ぶ)欄は間違っていないので、各位ご判読いただいたとしても、読み直すたびにミス発見!とは残念無念。見出しなので一言お詫びを。(HPは修正)
 HP・前々号の本欄記事に鷲尾さん「月桃」の写真を載せました。11年前の画像。花は消えても写真は残る…。あの日、鷲尾さんは「風の部屋」お泊まり、その手土産に八重山・宮良の自宅から月桃の一枝をご持参いただきました。東京に月桃は珍しく、昨日のことのように覚えています。
 さきほど(24日夜)、その鷲尾さんより「稲嶺名護市長、訪米から無事帰国」ニュース(上掲)と那覇空港での稲嶺ススムさん写真(6枚)を送っていただきました。有り難うございます。うち1枚を添付しました。お裾分け。花束を抱えたススム市長の快心の笑み。この笑顔から、今回の訪米の手応え・成果が読みとれるようです。ススムさん、拍手!お疲れさまでした。
 今日(24日)の朝日「天声人語」は「初鰹」(はつがつお)のことを書いています。江戸では、初鰹は案外と高値だったらしい。それでも先を争って食べたそうです。今年はカツオの不漁が報じられ、売値も高く、「東京にある土佐料理の店では、高知らしい豪快な切り身を薄くすることもできず弱った」とのこと。低海水温の影響か。高知の今年のカツオはどうですか?
 TOAFAEC 年報・編集委員会、今年第19号・副編集長は高知。カツオの話題に寄せて、高知からの豪快な便り(編集委員会記録、6月8日の次回案内)をお待ちしています。あと2週間に迫りました。

3304号【2014年5月24日】
■≪思わぬ吉兆≫

 「風の部屋」に、まだ泡盛古酒の瓶(5升カメ三つ)を並べていないころ、洋酒類を好んで飲んでいた時期がありました。先日、押入の暗がりから、その頃の古いボトルが、5〜6本も出てきました。皇帝の名を冠したものなど名ある銘酒。すでに30年以上の古酒に醸成された勘定です、思わぬボーナスをもらったような・・・これは吉兆!と喜んでいます。
 今年4月、韓国から見事な人参酒の1ビンを頂戴しました。夜が楽しくなると1カップを注ぎ出し、残りが少なくなっていたところ。そこに、押入の拾い酒を新しく注ぎ込んで「仕次ぎ」とし、これが今、ぶんじんの活力。
 強い精の酒がもたらす独特のゆっくりした酔い、残醺ともいうべき気分。夜はいつまでも更けないのです。規則正しい生活を心がけているのに、リズムはゆっくり?と壊れていき、東の方が白んできても(いま夜明けが早い)、新しい着想も浮かんできたりして、だんだんと眠りたくない…。
 この機会に、その後の体調のことを書いておきます。2月20日、伊藤長和さんの通夜の日に退院して、ちょうど3ヶ月が経ちました。今回は(一昨年の胃ガン術後と違って)お酒を禁じられることはありませんでした。しかし、あのときより妙な“病後感”の状態がいまでも続いています。左下肢の症状(浮腫)はほとんどなくなりましたが、足の運動機能は明らかに減退。年令不相応にスタスタと歩いていた身が、いまは八十路のヨタヨタの感。2週間に1回の通院が続き、5月にようやく4週間ごとの通院へ。「治験」(治療の臨床試験)への協力を求められ、そのせいか採血やCT・エコーなどの諸検査は多いようですが、経過は良好との診断。恢復のペースは案外とゆっくりとしか動かない病気なのですね。この間、お見舞いや励ましなど頂き有り難うございました。

3303号【2014年5月22日】
■≪沖縄戦の5月22日≫
 アドレス帳の更新ほぼ終了。前号から新アドレス帳です。この機会に、日頃はなかなか頂けない便りがたくさん届きました。有り難うございます。今年はなぜか長い「私信」がいくつもありました。南の風のながい歳月を想いました。
 本号には立柳聡さん(福島県立医科大学)からの「世界の60以上の国々から人類学者、民族学者」が集った国際学会レポート。内田光俊さん(岡山市)は「ESD推進のための公民館-CLC国際会議」のお誘い。いずれも長文。実は(前号末尾の)「基礎教育」学会・構想に関連して、庄司匠さん(夜間中学校と教育を語る会)からも長文の意見を頂いています。本号すでに満杯のため、次号まわしとします。ご了承ください。
 南・沖縄からの風。稲嶺ススム名護市長の訪米(5月15日〜24日)について琉球新報・社説(5月21日)が書いています。普天間飛行場代替施設の名護市辺野古への移設に反対する行動。「…市長の要請行動は米政府の壁の厚さを認識させたが、一方で沖縄世論を米側に伝え、支持を拡大させてもいる。その意義は非常に大きい。…稲嶺市長が米国で訴えた「移設に反対する私が2度にわたり市長選で当選した。結果を受け止めてほしい」との言葉は、日本政府こそ真剣に聞くべきだ。」 全文→■ http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-225677-storytopic-11.html
 沖縄はいま梅雨です。1945年5月から6月、沖縄戦の末期、日本守備軍が首里城の軍司令部を棄てて、南部に撤退する悲惨な逃避行も梅雨の中でした。首里城地下の陣地壕で南部撤退の方針を決めたのは 1945年5月22日だったとのこと(琉球新報「金口木舌」上掲)。軍人だけでなく、多くの住民・学徒兵たちが命を落としました。一家離散のあと、家の石垣に「月桃」の花は咲いていたのでしょうか。
                                ♪月桃ゆれて 花咲けば 夏のたよりは南風
東京に咲く月桃。鷲尾さん持参(風の部屋、2003/04/17)   緑は萌えて うりずんの ふるさとの夏♪(海勢頭豊)


3302号【2014年5月21日】
■≪TOAFAEC 総会・年報編集委員会≫
 5月下旬となりました。6月に入ると日本社会教育学会・六月集会、これに合わせて開くTOAFAEC 総会の季節。今年はどうなることやら、と案じていた総会の案内が届きました(上掲・6月7日夜)。昨年は六月集会には開けなかっただけに、ご同慶の至り。事務局の皆様、準備どうぞよろしくお願いします。
 代表・末本誠さんも、今年は学会々長が終わり総会出席が可能とのこと。学会理事・幹事と重なっている皆さん、全国理事会の終了後(ぜひ!)TOAFAEC 総会に駆けつけていただければ幸い。学会会場(神奈川大学)からすぐ近く、白楽駅への道筋に総会々場も用意できたそうです。
 六月集会第2日(6月8日)午後は、年報「東アジア社会教育研究」第19号編集委員会が横浜駅近くで開かれる予定。追って「ご案内」が出ることでしょう。これまで同編集委員会は、関心ある方はどうぞ! と開かれたかたちをとってきました。今年で19年の蓄積、毎年の執筆者も増え、楽しみです。4月の編集委員会・巻頭座談会も活発でした。執筆予定(自由投稿を含む)の皆さんも順調に作業が進んでいることでしょう。ぶんじんは「やんばる対談」編集、伊藤長和さん「追悼」文を書く予定。5月30日「伊藤長和さんを語る会」をもとに書くつもり。→■http://www004.upp.so-net.ne.jp/fumi-k/kenkyukai2013.htm
 あと一つ、第2日の夜に仮称「日本基礎教育学会」の構想を語りあう会が開催される見込み。これまで折にふれて(夜間中学関係の集いなどで)話題になってきましたが、今回は参加を広く呼びかける前の、その前の段階。まずは少人数で集まって「…自由に想いや夢、アイデアを出しあう」呼びかけ。その経過はいずれ報告されると思います。

3301号【2014年5月20日】
■≪エッセイ「生と死」≫
 アドレス帳の更新作業。一部の方に(失礼ながら)「風・継続しますか?」と確認メールを差し上げたり、その返事が一部未着もありそうなので、本号は、まだ旧アドレス帳による配信です。ご了承ください。
 この一両年、どこかで風を「おしまい」(お詫び−前号にうっかり誤字)にしたい秘願。お気づきかどうか、「3」の数が来ると、なぜか心騒ぐのです。3000号到達のとき、今回の3300号も一つの区切りと想定していた日がありました。次は「3333号」、なんと魅力的なゾロ目のナンバ−!
 それにしても、この数日は、日頃あまり便りのない方から「けぇーし風」がたくさん舞いこみ、風・発行人としては冥利につきる思いです。台北から、福建から、国内の各地から…。とくに福建・李斗石さんのメールでは、故伊藤長和さんの最終論文?についてのコメント(上掲)。昨年5月のこと、烟台から福建へ送稿された(届かなかった)模様。帰国を前にして書かれた労作は「日本における高齢者教育の現状について」のタイトルか。ぶんじんにも送っていただいた記憶あり。しかしいま探し出せません。「烟台の風」304・305号の記事「東アジア国際学術研討会」(山東工商学院主催)で発表されたテーマ。ちなみに「風」あて絶筆は「祝賀名護市長選」(2014/01/20)。
 伊藤さんが書いたものを探索しているうち、還暦のエッセイ「生と死、そして還暦」(峰岸雑誌、2005年)が出てきました。鎌倉の海辺で、あの世の先輩諸氏と対話する場面など、伊藤さんらしい語り口。そのまま、HP・伊藤「追悼ページ」に、大事に、収録しました。→■
http://www010.upp.so-net.ne.jp/mayu-k/itoutuitou20140216.htm


*南の風・後記:3251〜3300号→■


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