南の風・各号後記(ぶんじん日誌)
3300号【2014年5月18日】
■≪風・3300号の峠に立って≫
3296号本欄に書いた「林えいだい」さん(記録作家)への見舞い。昨日いつもの万年筆、元気な文字で林さんからのハガキ来信。「…先日は遠路はるばる“ありらん文庫”までお出でいただき、恐縮しています。抗ガン剤の副作用で、1日のうち半分は二階で過ごし、お出でになったとはつゆ知らず、誠に残念でした。お許し下さい。
昨年4月に突然、声が出なくなり、検査でガンが転移していることがわかり、昨年10月、今年4月、食道ガン2ヵ所を手術して、その後の後遺症がひどく困っています。何とか歩行はできますが、あと残り少ない命なので、最後の原稿に取りかかっています。会いたかった。…」(5月15日)
恐るべし、その気力。濃いインクの力強い文字を何度も読み返しています。同世代人の執念と頑張り、1枚のハガキから元気をもらいました。
話かわって…。1週間前に韓国・公州から届いたメール。ご紹介します。「…
サプライズにしようと思ってましたが、やっぱりお伝えします。5月30日。定例研究会、伊藤長和さんを偲び、語る会、参加します。6月1日に親戚の結婚式があるので日本に行きます。お目にかかれるのが楽しみです。」(瀬川理恵、Fri,
9 May 2014 23:57)
本号で3300号の峠に立ちました。あえぎつつ歩いてきた道、ようやく辿りつきました。本来はこのあたりで“おしまい”のつもりでしたが、伊藤長和さんの声がまだ耳に残っていて、(いつぞや書いたように)あとしばらく風を吹いていこうと思います。新しくご参加の方がある一方、本号でお別れの方々もあります。これまでの風へのお付き合い、ご愛顧に改めて感謝申しあげます。もし「風」再送のご希望があれば、いつでもご一報ください。
3299号【2014年5月16日】
■≪5月15日・沖縄復帰の日≫
沖縄返還(1972年)から42年。私たち(東京学芸大学社会教育研究室)が沖縄フィールドワークを始めたのはその4年後でした。当時、沖縄の風景はまだアメリカ占領下の雰囲気を色濃く残していた時期。とくに米軍基地のなかに沖縄の人々が暮らしている状況は、強烈な思い出として残っていますが、しかし、その基本構図は今なお変わることなく・・・。
この日、上掲・島袋正敏メールにあるように、稲嶺ススム名護市長は米軍普天間飛行場の辺野古移設反対を訴えるため、米国に出発しました。那覇空港で稲嶺市長は、出発日が復帰記念日となったことについて、「基地被害を県民が抱え込んでいる状況は何も変わらず、悲劇だ。この状況から早く解放してほしい」と記者団に語ったと。(琉球新報5月15日・速報)
あまり背が高くないススムさん、大男揃いのアメリカ政界・言論界のなかで、堂々と名護辺野古問題を語ってほしい、多くの市民の期待を背にうけて頑張ってほしい。一路平安!
旅の成功を祈ります。
明日(暦の上では今日)16日は、東京社会教育史フォーラム・第14回研究会です。前号にプログラム詳細を再掲。皆さん、お出かけ下さい。これからしばらく毎月・第三金曜日夜は東京フォーラム研究会、最終金曜日夜はTOAFAEC
定例研究会のパターン。ご予定下さい。
季節は「目には青葉」。すでに暑い日も。魚屋の店頭には連日カツオが並んでいます。いつぞや本欄に書いた「カツオの刺身」も珍しくなくなりました。那覇・久茂地「カツオめし」の店「苗」が懐かしい。
風は次号で早や3300号(アドレス帳整理)、無音の方の継続希望、お急ぎください。
3298号【2014年5月14日】
■≪東京都社会教育史料・約50点≫
先日の福岡滞在の折、農中茂徳さんから甘夏いくつか頂き、バッグの中に収めきれず、ダンボールをつくり宅急便へ。ついでに東京社会教育史料を50点ほど箱に詰めたという経過。資料が主ではなく、甘夏が先。さきほど永福に届きました。甘夏の美味しい風味。さて、東京社会教育史料の味はどうか。ご参考になればと思い、代表的なものタイトルのみ、以下に記しておきます。一部を除き東京都の発行になるものです。
PTAひとすじ(水江八千代遺稿集、1989)、東京都社会教育長期計画(1965)、社会教育施設の基本構想(1963)、青年館への提言(1966)、青年学級のあゆみ(1968)、市民集会施設実態調査報告(1974)、社会教育行財政資料(1963)、青少年教育基本研究会報告(1972)、社会教育関係団体補助金資料(1976)、社会教育主事の制度(1968)、社会教育主事制度に関する資料(1985)、生活学校調べ(1972)、都民生活大学(1970)、杉並の新生活運動(1970)、市民活動資料集(1972)、サークル活動の前進のために(1970)、都民自治大学構想(1972)、市民講座(1972〜74)、東京・自治体行政と都民の社会活動における市民教育のあり方についての答申(1973)、社会同和教育研究会のまとめ(1976)、派遣社会教育主事問題検討委員会答申(1974)、立川社会教育会館十周年記念誌(1978)、同職員セミナー実施経過報告(1992)、都民カレッジ(パンフ、1993)ほか。
必要(テーマ)に応じて、東京社会教育史フォーラム・研究会や執筆者会議などに持参するつもり。この種の史資料は各地・各所にまだ残っていると思います。いまのうちに掘り起こし、保存していきたいものです。
3297号【2014年5月13日】
■≪100号おきアドレス帳整理≫
12日午後、多忙の梶野光信さん(東京都教育庁)が、「風の部屋」へ。いま進行中の『東京社会教育史』企画、「通史」部分の執筆協議のためです。分担予定のあとお一人は都合がつかず、残念!でした。
今日は職場に戻らないつもり、と聞いて、早速ワインクーラー「白樺」の登場。いま風の部屋では、新しい来訪者があると、「白樺」が出番を待っています。これを間にして話をはじめると、難しいテーマも楽しく進んでいくから不思議。終わって、富美も連れ出して、前の店へ。梶野さんとは彼が院生時代からの旧知の間柄、お互いに懐かしそうでした。
さて、「南の風」(1998年2月創刊)は、あと1週間で3300号を迎えます。2年半前、風3000号に到達のとき、一つの区切り、休刊予定でしたが、故伊藤長和さんはじめ皆さんの、風・継続コールに抗しきれず(マンネリ化を怖れつつ)その後も出し続けてきました。やや長すぎる道のり。しかし故人の遺志は深く胸に残り、また幸い体調も回復してきましたので、あとしばらくは、皆さんにも風にお付き合いいただこうと願っています。
というわけで100号おき恒例のアドレス帳更新をいたします。この100号の間、いちども「けえーし風」(返し風)のない方にはお引き取りいただく仕組み。またこの間に新しく風に参加された方で、自己紹介など頂いていない方は、この機会にそちらからの「風」をお願いします。3301号で新アドレス帳に更新予定です。なお私信の場合は、その旨を付記下さい。風・誌面への掲載を控えますので。
3296号【2014年5月11日】
■≪東京へ≫
前号に続いて年報編集・対談聞き書き作業の、ナマの記録をそのままご紹介しました(上掲)。記録者・山口真理子さん、ご苦労さま。これを受けて、ぶんじんの小見出し・縮小・リライトなど編集作業が加わり、各発言者にいちど原稿を戻して最終稿に仕上げていこうという段取り。関係の皆さま、ご協力どうぞよろしくお願いします。
今年のやんばる対談(4月12日)は、既報(3281号)の通り、新進気鋭の社会教育主事集団を主役に、名護の社会教育関係者が勢揃い、これに東京のワーカーズコープ各位、前沖縄大学長(野本三吉さん)、熊本・川崎・那覇そして北海道など各地からの参加者が語り合うという豪華版でした。こもごもの発言を連ねて、新しい胎動・可能性を発見していきたいもの。
昨夜(10日)の最終便で東京に戻りました。今回の福岡は、油山「空き家」管理と隣家への修復ご挨拶、植木剪定の打合せなど。それと書庫に運び込んでいた東京社会教育史料をダンボール1箱だけ東京へ逆送作業。処分すればよかった資料を棄てきれず、福岡まで運んだ因果がいまめぐって、複雑な心境です。折良く、福岡に移った添田祥史さんが油山まで来てくれて「基礎教育学会」構想をゆっくり話しあうことが出来ました。これは収穫。夜の語らい、その酒のサカナは農中茂徳さんの魚の手料理。いつもながらの見事な包丁さばき。一同(横尾成臣さんを加えて)堪能しました。
最終日(10日)、入院療養中と聞いていた旧友・林えいだい(記録作家、アリラン文庫主宰、旧戸畑市社会教育主事)を見舞いに筑豊・飯塚病院へ。しかし幸いに退院していて会えず。そのまま農中茂徳さんの車を走らせて自宅・アリラン文庫へ。残念!不在でした。板付空港へ急ぐ帰路、まずまず元気な声がケイタイに届きました。術後「声を失った」と聞いていただけに、一安心。八十路の同世代、お互い頑張ろう!
3295号【2014年5月7日】
■≪エビネ蘭の迎え≫
昨年7月末、本欄に「筑紫次郎のほとりで」と題して、ふるさと久留米のこと、旧知の懐かしい面々との再会、青く若い日の回想、などについて書いたことがありました(風3131号)。この席に妻・富美が救急車で運ばれた連絡が東京から飛び込み、翌朝早く、あわただしく帰京した記憶。
油山に泊まったのは、あのとき以来のこと。すでに9ヶ月が経過しています。いつも主が留守の住居ながら、盆や正月はもちろん折々に帰って寝泊まりしてきた40年の歳月。こんなに長く無人にしたのは初めてです。寂しそうな佇まいの家に詫びながら、鍵を開けたのでした(7日夕)。
久しぶりの我が家。ある方に掃除をお願いして、家の中はまずまずの状態でしたが、外まわりが問題。植木が茂ってお隣に迷惑をかけ、庭は草ボウボウの荒れ地と化していました。いちばん気がかり−期待もしていたのは、枯れたシラカバのその後。残った株に「ひこばえ」の緑があったのです。わずかな望みをもって、暗がりのなか庭にまわると・・・残念!緑はむなしく消えていました。しかし横には今を盛りのエビネ蘭の群落、傷心の主を迎えてくれたのでした。(写真)
話かわって・・・風3292号収録の島田和代さん(学芸大学OG)の便り。川崎の小田切督剛さんが間をとりもってくれたようです(上掲)。いつぞやの朝日・氏岡真弓さんが風に登場される経過と似ていますね。ありがとうございました。5月30日「伊藤長和さんを語る会」(5月定例研究会)にぜひお誘いください。
▼夜のエビネ蘭(カメラを忘れ、4年前の画像、油山 20100505) →表紙へ
3294号【2014年5月7日】
■≪旅はまだ終わらない≫
「中頭(なかがみ)郡青年団OB会を訪問しました」など沖縄レポート(斉藤真哉さん、上掲)が届きました。着信したのは5月6日、てっきり連休中の再訪沖か、いつもの果敢なフットワークだ、と思って読んでみたら、4月やんばる対談の際の沖縄市訪問記と推察。文末の沖縄市長選挙については、すでに結果が分かっています(保守候補の当選)ので、当方で相応の補筆をしました。ご了解ください。もちろんご寄稿については感謝、遅れ記事(これからも)歓迎!です。
ところで、6月の日本社会教育学会(六月集会)の折、私たち TOAFAEC は「総会」を開く慣わし。しかし、いま事務局諸氏は、それぞれに多忙をきわめ、去年は6月総会の準備整わず、遅れて8月にやっと開催という経過でした。今年はどうなるか?
TOAFAEC はもともと小さな研究集団、仲間たちのインフォーマルな集まりです。規約や総会などフォーマルな組織は煩わしい感じ。しかし中国との対外的関係の中で一定の“組織”を求められ(1999年前後)、また内部的にも年報発行等の財政運営が必要でもあり、経理的な報告や承認の場として総会を開いてきました(2000年以降)。はや15年の歳月です。
小さな集団の大きな志。しかし見果てぬ夢かも。はるかな道はまだ続きそう、だが、どれほどの意味をもっているのか。ふと中島みゆきの世界へ。
♪語り継ぐ人もなく 吹きすさぶ風の中へ、紛れ散らばる星の名は 忘れられても、
ヘッドライト・テールライト、旅はまだ終わらない。・・・
♪行く先を照らすのは まだ咲かぬ見果てぬ夢、はるか後ろを照らすのは あどけない夢、
ヘッドライト・テールライト、 旅はまだ終わらない ・・・〜♪
(中島みゆき(詩・曲)「ヘッドライト・テールライト」抄)
3293号【2014年5月5日】
■≪伊藤長和さん追悼のページ≫
4月の諸行事(案外と忙しかった!)、風としての記録づくりが一段落、福岡行きも連休明けとなり、のんびりとHPの修繕・リライトに励んでいます。文字通り5月の薫風に吹かれながらの作業。昔のスケジュール記録を読むと、伊藤さんが参加してきた2000年前後は、中国(上海)そして台湾、内モンゴル、ハンブルク、エジプト、韓国と、よく動いていたものでした。折々に皆さんの懐かしい写真(2002年以降)も出てきて、まざまざと当時が蘇ります。HPの記録もまんざら捨てたものではない。
伊藤さんとの交流・友情は40年余にわたりますが、とくに今世紀に入ってから、TOAFAEC
への参加は並々ならぬものがありました。直接には2000年晩夏のエジプト、翌2001年のハンブルク・アルトナーレ(市民祭)への旅が大きな契機となりました。このあたりから毎月の定例研究会の記録に伊藤さんの名前が出るようになり、とくに2003年になると、川崎・富川(韓国)交流や、「平生教育」の胎動についての報告が活発に記録されています。私たちの共編『韓国の社会教育・平生学習』編集作業もこの時期に始まりました。TOAFAEC
副代表をお願いしたのは、2002年度の総会(会場・渋谷ロゴスキー)でした。懐かしい思い出。
いつぞや予告したHP「伊藤長和さん追悼のページ」を編集、先日開かれた「偲ぶ会」記録も加えて、アップしてみました。まだ「略年譜」など未完成の部分が残っていますが、まずは伊藤さんに会いにお出でください。不充分なところ、訂正すべきところなどあれば、ご教示いただければ幸いです。
→■
http://www010.upp.so-net.ne.jp/mayu-k/itoutuitou20140216.htm
▼激論中の伊藤長和さん、隣は石倉裕志さん、二人ともいまは亡く。(第83回研究会 2003年1月17日・永福)
3292号【2014年5月3日】
■≪憲法記念日≫
施行から67年の憲法記念日。改憲・集団的自衛権に「突き進む」阿倍首相(朝日記事)、状況は緊迫度を強めています。沖縄各紙は、この日の社説にこぞって憲法とくに第9条をめぐって書いています。上掲「岐路に立つ憲法・戦争の足音が聞こえる」(沖縄タイムス、抄録)、そして八重山毎日新聞は「憲法9条が骨抜きに・安倍政権で平和主義、立憲主義が危機」、琉球新報「9条を平和外交に生かせ 解釈改憲は法治の否定だ」など。朝日の声欄には、「沖縄から“初原の命”示し続ける」と題して、旧知の真栄里泰山さん(元那覇市役所)が投稿しています。
「私は憲法を夫より愛して?るのです…」と書いてきたのは、44年前の学生。突然のメール、驚きました。自学科の学生ではないのですが、読んでいくうちに、おぼろげに顔も浮かんできました。「…縁あって川崎に越して来て32年。川崎の市民館で開いてきた様々の平和・人権講座に育てて頂いた・・・」とのこと。いま幸市民館の運営審議会のメンバーでもあるらしく、「見えない力で小林先生が私を市民館に誘って下さったのかも…、感謝しています」と。長文の便り、その一部を抄録して上にご紹介しました。この編集、教師冥利につきるひとときでした。
ながいご無沙汰の福岡・油山に数日出かけます。連休や博多ドンタクの混雑を避けて、連休明け7日から。風・前号の添田祥史さんメールに関連して書いたように、9日夜は楽しい集いになりそう。お近くの方でご都合つけば久しぶりにお出かけください。「基礎教育学会」構想について少し語りあいたいと思っています。
3291号【2014年5月1日】
■≪美しき五月の東京に・・・≫
昨日の東京は終日の雨でした。今日の5月初日(メーデー)は快晴、爽やかな風が窓を通り抜けます。「美しき五月のパリ」という歌がありますが、近年の東京の五月も空気が澄んで(連休でなくても)どこかに出かけたくなる気分。いまベランダの捨て鉢に君子蘭が見事に咲き始めています。厳しい冬を越し、肥料も寒さ対策もしなかったのに、あっぱれ。さきほど富美の手を引いて、3階ベランダ・君子蘭の花見に出かけました。昨年11月退院後、はじめての「風の部屋」だったようです。
心ならずも催促ふたつ。東京や韓国や沖縄や「伊藤長和さんを語る会」などの案内・記録が入り乱れるなか、本家本元のTOAFAEC
年報編集委員会の便りが滞りがち。4月18日の編集委員会・巻頭座談会の報告を待ち続けています。「南の風」はもともと年報編集・発行の“ひろば”として出し続けてきました。その思いも伝わらなくなったのかと寂しい五月でもあります。
あと一つ、中国研究フォーラムの動きが待たれます。先日、上海の馬麗華さん(華東師範大学)からの中国老酒、上田孝典さんを介して確かに拝受。有り難うございました。上記・年報座談会が終わったあとの懇親の席で、みんなで美味しく頂きました。香気たとえようもない美酒。そのことを含め、次回研究会の企画・案内をぜひ! 期待する人(天国の伊藤長さんだけでなく)少なからず。中国「今年の1年」の話も聞きたい。
ことのついでに。今年もTOAFAEC 総会準備の季節となりました。例年のように六月集会にあわせて開くのであれば日程・場所など動き始める必要がありましょう。五月の風に載せて、取越し苦労でなければ幸い。
3290号【2014年4月30日】
■≪メーデーの思い出≫
4月も終わり、世は連休。昔だと5月メーデーを迎える高揚期です。労働組合だけでなく、学生の小さな(学部)自治会も旗など用意して、気分も盛り上った時期でした。いま大きく様変わりして、ただ“連休”の毎日。
ぶんじんは学生時代、メーデー・5月1日に初めて博多の目抜きをデモ。街頭でそれを見かけた叔父(博多・呉服商人)に「旗など持たないで勉強しろ!」とガミガミ言われた記憶があります。しかしデモで快い汗を流したあと、初めて生ビールを飲んだ感激!が忘れられず、それから終生のビール党となりました。メーデーはビールなのです。
60年の歳月、さまざまのメーデーにまつわる思い出があります。先日も「伊藤長和さんを偲ぶ会」のあと、かっての自治労・教育支部の猛者たちと、1989年(天安門事件の年)「国際労働節」を北京で迎えた思い出話が出ました。労働組合訪問団として、北京メーデーに参加したかったのです。ところが厳戒態勢のため天安門広場にはパレードの影もなく肩すかし。翌日に西安に移動、そこで激しい学生デモと遭遇したことなど。
さて、上掲・岩本陽児さんからの定例(205回)研究会3−横山文夫報告を頂きました。3回にわたる「東京の識字教育と実践」の詳細な報告、有り難うございました。研究会記録としては異例のこと。詳細な速記メモがベースにあって、やはり丁寧な報告となるのですね。ご苦労さまでした。
当日の質疑の時間に、当方は東京学芸大学社会教育研究室で取り組んだ(先駆的!)「東京識字マップ」(1991〜1992)調査を短く話題にしました。マップ・コピーと文献もご紹介。東京の識字実践は、それから20年余りの歳月を経て、どのような流れなのでしょうか、興味あるところです。
3289号【2014年4月29日】
■≪ワレサ・連帯の男≫
1995年夏、1週間ほどポーランドを歩きまわったことがあります。国立大学の拘束から脱して、私立大学(和光大学)の自由を満喫した夏。ドイツに滞在し、ベルリンの定宿からの小旅行でした。ワルシャワ、クラコフ、そしてアウシュビッツへ、強烈な印象の一人旅。1995年は「連帯」のワレサ大統領の時代だったのです(この年、再選を闘って僅差で敗れる)。
いま岩波ホールは「ワレサ・連帯の男」(アンジェイ・ワイダ監督)を上映中、やっと時間をつくって観てきました。映画は1970年から1989年までの(大統領になるまでの)ワレサを画いています。その不屈の生きざま、燃え上がる労働運動と「連帯」、あらためて胸に深く響くものがありました。また、90才に近い老監督が(「カティンの森」に続いて)、これほどまで活力に充ちた作品を創るのか、と励まされる思い。当日のパンフ、目についた批評の一つ。「ワレサ・連帯の男」は、ポーランドを愛する映画作家が、ポーランドを愛する政治家を、愛を込めて描いた(宇波彰)と。ワレサ(1943年生れ)は私より一まわりも年下であることも知りました。1980年「連帯」結成時、彼はまだ30代、若いリーダーだったのです。
あの頃の「連帯」は、ベルリンの壁崩壊や、東欧・ソ連解体の、10年も前のポーランドの先駆的な民主化・改革運動。「独立自主管理」労組の登場によって、遠く離れて社会主義体制へのロマンを抱いていた我々の幻想をコナゴナに打ち砕いてくれたのでした。今回とくに家庭のなかのワレサ、妻ダヌタ(ワレサの代理としてノーベル平和賞を受け取る)と紡ぐ家庭的「連帯」もまたしみじみと興味深く・・・。
3288号【2014年4月27日】
■≪4月研究会−忘れがたい夜≫
25日の4月定例研究会は、大げさに言えば、「史上稀にみる」「空前の贅沢」な研究会(岩本陽児、上掲)となりました。テーマ「夜間中学の歩みと東京の識字実践」、東アジア各国・地域に共通する重要な“識字”のテーマ。しかし、私たちの研究会も夜間に開いてきたので、夜間中学を訪問することはあっても、当方に来ていただくことは出来ませんでした。
今回は、これまで「風」に頻繁に情報を送っていただいた関本保孝さんの定年退職の機会に、また20年来の日本語ボランティア・ネットづくりに取り組んでこられた横山文夫さんもご一緒に快諾いただき、贅沢なプログラムが実現したのです。あふれる内容・資料、これほど短い時間を実感したことはありません。
参加者が少なかったことが何より残念。“もったいない”とはこのこと。ただ久しぶりに、夜間中学に関心をもつ若い世代の参加が救い。関本さんのお話も、なかば南角建人くん(筑波大学4年)に向けて語られていたような…。TOAFAEC
としても(留学生だけでなく)日本人学生へのメッセージを忘れてはならないこと、かって和光大学ゼミ生が多数参加していたことを思い出していました。
終わっての「イーストビレッジ」は楽しいひととき。皆さん、よくしゃべりました。そして見城慶和さんのハーモニカ、聴くたびに奥行きある音色。神戸からご参加の草京子さん、写真をたくさん送っていただいた澤井留里さん、有り難うございました。忘れがたい夜となりました。
▼左・関本保孝さん、右・横山文夫さん(高井戸、20140425)
3287号【2014年4月25日】
■≪初カツオの季節≫
前号にお名前の誤記がありました。「町田泰幸」氏はもちろん町田市の「松田泰幸」さんの間違い。たいへん失礼しました。あと一つ「南の風」ナンバリングの誤記。数日前の32834号と32835号の2本、正しくはそれぞれ「3284号」「3285号」です。他にときどき誤字・脱字の類が散見されますが・・・いちいち訂正するのも煩わしく、ご寛恕を願います。
さて、気分を変えて・・・。東京は五月(さつき)を思わせる爽やかな風が吹くようになりました。「目には青葉 山ほととぎす はつ松魚(カツオ)」(素堂)の季節。いま江戸は(花粉もほとんど収まって)若葉が薫りはじめ、魚屋に並ぶカツオが美味しい時期となりました。
新鮮なカツオは、濡れたような色あい、赤身に透きとおる深みあり、品のいい香りがします。魚屋では刺身にした皿は敬遠して、赤身のかたまりのまま買って、素人ながら刺身にひく楽しみを味わいます。ワサビでなく新しいショウガも添えて。カツオ豊漁の日には、魚屋に並ぶカツオは驚くほど安い値段。ぶんじんがつくったカツオ刺身を、魚好きの富美は美味しそうに平らげてくれます。
2月に緊急入院した「静脈血栓」の症状はほとんど治まっていますが、その後も、いわゆる血液さらさらの薬を飲まされています。出血しないよう要注意、歯の治療やヒゲ剃りは禁止、料理に包丁など使わないよう(料理バサミを使いなさいと)言われているのです。それでも初カツオの魅力、新鮮な赤身に包丁をいれる感触は棄てがたく、あまり切れない包丁で腕をふるっている次第。・・・ここまで書いたところで、岩本陽児さんの速報「夜間中学等義務教育拡充議員連盟」設立総会ニュース(上掲)着信。感謝!
3286号【2014年4月23日】
■≪韓国生涯学習研究フォーラム、50回へ≫
最近、「南の風」には新しく参加された方が少なくありません(自己紹介がまだの方はお送りください)。とくにメンバーを増やす努力はしていませんが、出会い・ご希望により風をお送りしています。風の継続を強く求めてきた伊藤長和さんが亡くなって、当方も張り合いをなくし、今はいつ終幕を迎えてもいい心境にありますが、その反面、伊藤さんへの思いあり、しばらく継続の努力を続けなければなるまいと言い聞かせています。
あらためて(お尋ねもあり)TOAFAEC(東京・沖縄・東アジア社会教育研究会、略称:東亜社会教育研究会)の概要を少し紹介しておきます。定例的な活動は大きく二つ。一つは毎月の研究会(この4月で205回)、そして年報「東アジア社会教育研究」の編集・発行(今年は第19号)。その都度の案内やニュースを「風」に掲載してきたことはご存知の通り。
TOAFAEC のまわりには、いま4つの研究会が動いています。活発に動いている(勝手な判断)順に、東京社会教育史研究フォーラム、韓国生涯学習研究フォーラム、中国生涯学習研究フォーラム、(定例活動をもたない)沖縄社会教育研究フオーラム。いずれもTOAFAEC
ホームページ内にそれぞれのサイトを開いていますので、ご覧いただければ幸い。(「東アジア社会教育・生涯学習研究交流フォーラム」は残念ながら目下休業中。)
→■ http://www004.upp.so-net.ne.jp/fumi-k/
5月予定の韓国生涯学習研究フォーラムは50回を迎えます。2007年創設から7年余。実はその前史(2006年「韓国の社会教育・生涯学習」編集)として(充分の記録が残っていませんが)15回ほどの編集会議の歩みがありました。これらの事務局長は伊藤長和さん。50回記念の集いを企画しては如何でしょう。韓国フォーラムの立場で伊藤長和さんを語る会など。
3285号【2014年4月22日】
■≪夜間中学の立法運動≫
北海道置戸の森田はるみさん、今回の「やんばる対談」への参加、驚きました。旅費負担も(東京より)たいへんだし、ご苦労さまでした。いつもながらの熱い思い、来年「やんばる対談」に早くも参加宣言(上掲)。
文中の“沖縄病”は、ある種の熱病にも似て、一過性の症状、そのうち冷める?というニュアンスを含みます。小生の場合は、すでに35年を過ぎて体質化。それがいま転換(ドクターチェック)を求められている状況です。こんどいつ八重山(竹富島)に遊ぶことができるか、自信はありませんが、あらためて森田さんの思いを受けて、精進いたしましょう。
さて,ビッグニュース。夜間中学関係の積年の運動は、4月24日「義務教育拡充法案」実現に向けての超党派・議員連盟の結成へと具体化しました。全国夜間中学校研究会(事務局長・須田登美雄氏)より、公立夜間中学・自主夜間中学関係者へのご連絡を「南の風」にも送っていただき、本号に収録することができました。
文中に「全国夜間中学校研究会が第1回大会から要望をしてきた夜間中学校の法整備へ向けての動きが現実となってきました」の一文、深い感慨をもって読みました。第1回大会は1954年、京都で開催され、「中学校夜間学級の法的整備に関する陳情書」が出されています。積年の課題が、いま「夜間中学等義務教育拡充法案」となり、議員連盟の発足というかたちで、これまでにない一歩を踏み出すことになったわけです。夜間中学の立法運動は厳しい道を歩み続けて、いま一つの地平に立ったことになります。
当日の様子は、その翌日予定・TOAFAEC(205回)研究会「夜間中学の歩みと東京の識字実践」(お話・関本保孝さん、横山文夫さん)で伺うことが出来ましょう。楽しみです。
→■
3284号【2014年4月21日】
■≪伊藤長和さんを偲ぶ会≫
18日夕から20日夕にかけて研究会、編集会議、年報収録に向けた座談会等が続きました。それぞれに言いしれぬ余韻あり、毎夜遅くまで語らいがあり(ほとんどパソコンに座る時間なく)風の発行が4日も滞っていました。久しぶりに休日明け・・のような、しかい休む間もなく風の配信に追われる心境でもあります。
それぞれの方から各集いの報告が順次届くものと期待しています。本号にはまず18日夜「東京社会教育史研究フォーラム(第13回)」の詳細な記録を収録できました。編集の事務的協議だけでなく、内容を含めた論議もさかんに交わされた夜でした。
同じ時刻に開かれた韓国生涯学習研究フォーラムからも記録が届いています。韓国本の新版編集「構成案の最新バーション」に到達したとのこと。
何よりでした(ぶんじんは欠席)。ヤンビョンチャン先生ご出席。HPを。
→■http://www004.upp.so-net.ne.jp/fumi-k/kankokukenkyukai07.htm
さて翌19日の年報編集・座談会をはさんで、20日午後は、川崎で「長さん、ありがとう! 伊藤長和さんを偲ぶ会」が開かれました。川崎の方々や学会関係者などに個別の案内が出された経過あり、会場の関係もあって、「南の風」での(広く呼びかける)案内掲載は控えてきました。ご了承を。
海を越えて韓国からの参会者も少なからず。国内は北から南まで、広いホールがぎっしり。中国には、まだ訃報が届いていないように思いました。伊藤さんの、あの大きな声、満面の笑い顔が、あたかもお盆のように、会場に戻ってきたような。これだけ伊藤さんと親しい人が集まれば、本人がいないはずはない!のです。いつまでも私たちのまわりから去らないでほしい。
▼「長さん、ありがとう!伊藤長和さんを偲ぶ会」 (川崎・武蔵小杉・ホテル精養軒、20140420)
3283号【2014年4月17日】
■≪花水木咲く≫
4月も後半、東京は花水木が咲きはじめました。新しい年度のスタート。皆さんのまわりも多忙な毎日でしょうか。TOAFAEC 関連では(沖縄「やんばる対談」が終わって)一段落・・・と思いきや、明日(18日)からの3日間に、5つの研究会・編集会議・偲ぶ会の日程、過密スケジュールです。委細はHP「4月スケジュル」一覧をご覧ください。
→■ http://www004.upp.so-net.ne.jp/fumi-k/yotei1404.htm
スケジュール・時間帯が重ならないように努力したつもりでしたが、18日夜は韓国本編集会議と東京社会教育史研究フォーラムがダブってしまいました。残念! ◇身二つになりたや春の浮かれ草(ぶ)
桑原重美さん(もとNHKカメラマン)から、やんばる対談当日の写真をたくさん送っていただきました。有り難うございました。添え書き(抄)。「…普段はひとり細々と旅をするものですから(今回は)修学旅行のような高揚した気分になってしまいました。…
しかし一方、4/14TVで辺野古の九つの区長さんが条件付きで辺野古埋め立て承認申し入れを報じており、基地問題の難しさを感じました。」(書簡、4/17着)
風・前号にご紹介した全英さん(東京学芸大学・院卒)からの再メール。「
…先生の5月29日のスケジュールが決まりましたら、教えてください。どこかで夕飯をご一緒できたら,うれしいと思います。お元気で。」 全英さんは北京師範大学からの留学生。中国留学生としてはおそらく初めて日本の初期公民館史とくに寺中構想をテーマに修士論文をまとめた人。旧知の方々、ご予定ください。再会が楽しみです。
3282号【2014年4月16日】
■≪歓迎交流会・名護の夜≫
4月12日午後、私たちの「やんばる対談」(東海岸・底仁屋)と同じ時刻、西の海に浮かぶ伊江島では、第22回島一周マラソン大会が開かれていました(上掲・コラム)。名護市長・稲嶺進さんはこれを走って、その足で私たちの歓迎交流会(名護市中央公民館工作室)に駆けつけて頂きました。
稲嶺ススムさんと私たちとの出会いは、すでに風3241号本欄に書いたことがあります。この夜ススムさんは疲れもみせず多弁。とくにこの歓迎会を準備した名護側の若き社会教育主事たち(育休中の人を含めて9名)に語りかけていたように思います。「社会教育こそ私の原点」「素晴らしい仕事だ」「1982年・富士見集会(社会教育研究全国集会)に参加した想い出」など。先輩である島袋正敏さんの社会教育の思想(たしか“セイビンイズム”と表現)に学ぶところが大きかったこと。
いま全国的に社会教育主事の体制が弱体化しているなか、名護では逆に社会教育主事への期待が語られ、その地域配置による体制充実が進められています。稲嶺市政(2010年)は、名護市中心部だけでなく、周辺4地区(久志、屋部、羽地、屋我地の4支所)に社会教育主事を新しく配置。その若き群像たちは、集落支援や地域おこしの活動など「地域を元気に」と奮闘中です。今年の「やんばる対談」は、その苦労話から話が始まりました。夜の交流会では、稲嶺市長自ら市長旅費の一部をまわして社会教育研修を応援したい・・・と若者たちを激励していました。
30年前の全国集会の夜、ススムさんは私たちの研究会で「二見情話」を披露したことがあります。この夜もリクエストに応えて三線を弾きながら情話絶唱(写真)、会場も合唱。久しぶりに聞くススム節の「二見情話」、酔いも深まりました。
▼稲嶺ススムさんの「二見情話」 (名護市中央公民館工作室、20140412)
3281号【2014年4月14日】
■≪12日「やんばる対談」新しい展開へ≫
12日「やんばる対談」は第6回。予想以上の新しい(嬉しい!)展開となりました。セイビン・ぶんじんの二人対談で始まった企画(2010年)は、今年は若い世代が中心となり、全国各地からの参加、積極的な課題提起など思わぬ賑わいでした。名護側では、地域の社会教育を担う若い社会教育主事が勢揃い、これに4月に異動があった課長・館長クラス、またOBの方々(中村誠司さんなど)、それに教育長さんも駆けつけてくださいました。
外からは北海道置戸(森田はるみさん)、ワーカーズコープから理事長はじめ4人(上平泰博さんも)、ご一緒に野本三吉さん(沖縄大学前学長・加藤彰彦先生)、熊本の山城千秋さん、那覇・川崎・東京等のTOAFAEC
メンバー7名、総勢30名近く。会場・蔓草庵の庭にはご自慢のテントが張られました(写真)。鳥のさえずり、鶏(琉球在来種)の羽ばたき、若葉をわたる風のそよぎ、まさに「やんばるの風」に吹かれた1日。大きなカメに新しい酒をそそぎ、そのかわりに二十年の古酒をご馳走になりました。
これからテープ起こし(山口真理子さん担当)、どんな記録にまとまるか楽しみです。発言の全部は収録できませんから、難しい作業となることは確か。しかし、これからの新しいシリーズの幕開けを予感させるものがありました。
そのあと場所をかえて、中央公民館工作室へ。私たち一行の歓迎会。稲嶺進市長もお出でいただきました。素顔のススムさん、三線を弾き「二見情話」も。ご参加の皆さん、いろいろご感想などお寄せください。
名護の皆さん、いい一日を準備下さって、有り難うございました。これからの「名護の社会教育」独自の展開が楽しみです。お互いに力を合わせて、日本そしてアジアに発信して参りましょう。
今日(13日)の沖縄タイムスが大倉直著『命の旅人―野本三吉という生き方』(現代書館、2014年2月刊)を取り上げていますので上掲。著者の大倉直さんは1966年生れ、ノンフィクション作家、和光大学の出身。この日、野本三吉さんご本人から直接ご本を頂くという幸運にも恵まれました。