◆じんぶんヒストリー・記録◆(その2)ぶんじん 
 
(2022年4月・第7回〜 2025年 月・第 回      TOP

第1〜6回(2018〜2021
 関連・研究史ノート→■

 <目次>
 1, 少年Bが米寿を迎えるまで (2018/7/7実施・スタート)
 2,少年Bから青年Bへ:時代の転換点に考えたこと
 (2019/1/25実施)
 3,研究者を目ざす青年B・その源にあったもの(2019/7/26実施)
 4,社会教育・公民館研究への登場(2020/5/29実施)
 5,沖縄研究への道、沖縄からの提起(2021/3/26実施)
 6,
学芸大学・社会教育研究室物語(2021/9/実施)   以上・前ページ→■ 


20161113 85(風の部屋)

<メモ(テーマ案)> 
7,三多摩テーゼと沖縄の集落公民館(1970〜1980〜)   *2022/4/29実施
8, 留学生との出会い、東アジア研究への道(ー1982, 1995〜)
9, 韓国研究ー黄宗建・日韓セミナーなど(1980〜)
10,中国研究ー横山宏、韓民など、上海閘北区 (1982〜)
11,台湾研究・交流(1987〜)
12,TOAFAEC創設と「南の風」発刊(1995〜)
13,和光大学・第ニの青春(1995〜2002)
14,識字調査と学会創設への歩み(1990〜)
15,名護・字史づくり、字公民館、象グループの刺激(1980〜)
16,南西諸島(与那国・竹冨島)フイールドワーク(1980〜)
17,韓国・中国の本づくり(1980〜2015)
18,東アジア研究フォーラムの開幕(上海など、2010〜2017〜)
19,辞典編集・出版(2002〜2012)
20,現代公民館研究ー地域創造型公民館をめぐって(1995〜2022)
21,大都市社会教育研究の集い(1978〜2016)
22,東京研究、原水禁運動(安井家資料調査)の取り組み(2005〜2016)
23,発見のフィールドワークー総括
24、



 じんぶんヒストリー(第7回)
■ (7) 2022・
4月定例(第291回)研究会・記録

       *江頭晃子(2022/04/08(金) 21:32)
 <じんぶんヒストリー第7回、 TOAFAEC4月定例(第291回)研究会ご案内>
 7回目となる「じんぶんヒストリー」は、2年2か月ぶりに対面(オンライン併用・予定)で開催します。皆さんと直接お会いできる機会となり楽しみです。
 さてじんぶんシリーズでは、第4回(2020/5月)で東京・三多摩テーゼ、第5回(2021/3月)で沖縄研究へ、と話は進んで来ましたが、今回はとくに先生の研究テーマの中心である公民館論に焦点をあてて、三多摩から沖縄へとフィールドワークが展開することによって、どのような公民館像が転換・発展してきたか、ご一緒に考えてみようということになりました。日本各地に広範に機能している「自治公民館」の評価にもかかわり、あらためて公立公民館の役割・あり方を問う論議にもつながりましょう。
 「三多摩の社会教育・公民館」については、二三区(杉並区・安井構想を除いて)に公民館の歴史がほとんど未発であったのに対して、三多摩では1970年代の美濃部都政下に大きな進展がみられました。住民の公民館づくり運動、専門職としての職員配置、多様な学級・講座編成、若者のたまり場、公民館保育室づくりなど、全国的にも注目をあつめます。文人先生が重要な枠割を果たされた「東京の新しい公民館像を求めて」(1973年、いわゆる三多摩テーゼ、来年で半世紀)の構想が、大きな役割を果たしました。
 70年代の後半から東京学芸大学グループを中心として、沖縄研究が開始されますが、戦後アメリカ占領下の社会教育資料収集を第一の課題としつつ、フイールドワークは沖縄独自の「集落・シマ公民館」、そしてそれを土壌として個性的な地域文化が蓄積されてきたことに注目が移っていきます。三多摩の都市型公民館、そして沖縄の集落公民館、それぞれの地域性・独自性を生かした公民館の在り方について、論議も重ねられてきました。これからの自治体の公民館論をどのように構築していくか、ご一緒に考え合いたいと思います。
〇関連資料は、ホームページに多彩に収蔵されていますが、とくに三多摩テーゼについては、
 拾遺「三多摩テーゼ」ー40年回想→http://www.bunjin-k.net/tokyo3tamateze.htm
 集落公民館については
 「沖縄の集落公民館」→http://www.bunjin-k.net/okinawaazakouminkan.htm

などをご参照ください。どなたも、どうぞご自由にご参加ください。参加予定の方(対面、オンラインとも)は、前日までに一報ください。

東京「新しい公民館像をめざして」(初版、1973)


TOAFAEC 定例(第294回)研究会ーじんぶんヒストリー7
 
日時:2022429()18:302030(開場1815
会場:杉並区高井戸文化センター第4集会室(終了後・イーストビレッジ)
テーマ:「三多摩テーゼ」と沖縄の集落公民館、発見のフィールドワーク

 (当日小林レジメ)
1,東京・三多摩の社会教育・公民館の胎動(196070年代)―制度定着過程
  ・くにたち公民館の誕生(市民による公民館づくり運動、1956)と徳永功の役割
 ・自治体としての(格差を含みつつ)公民館制度の創設・職員の配置、市民の参加と運動
 ・「三多摩社懇」による「公民館三階建論」(小川利夫と徳永、1964)、そして「三多摩テーゼ」(公民館・四つの   役割、七つの原則、197374)への展開
 ・公民館づくり市民運動、改築・増設運動  *図書館・文庫運動からの刺激
 ・三多摩テーゼ・全国各地への拡がり(東村山公民館、山口県豊浦町中央公民館の事例)
 ・「教育機関」としての公民館の理論化、*小林編『公民館館・図書館・博物館』1977
 ・新しい学級・講座」づくり(東京都1976)、講師派遣制度、グループ援助
 ・職員論、「励まし学ぶ」主事たち(福岡1978)、立川社会教育会館・セミナー方式研修
 ・史資料の共有化・資料シリーズ刊行、「社会教育ハンドブック」出版(1799〜)
2、戦後沖縄・社会教育史の“発見”と集落(字)公民館との出会い(1980年代〜)
 ・アメリカ占領下沖縄の社会教育史、軍事支配下の文化政策(琉米文化会館)
    *小林・平良編『民衆と社会教育―戦後沖縄社会教育史研究』1988
 ・集落再建(地域おこし)と字公民館の“発見”(読谷村宇座区「残波の里」1974
 ・公民館「設置奨励」策(1953)と琉球社会教育法(1959)、読谷村公立公民館(1970
 ・復帰(1972)後の「中央公民館」設置動向、字公民館の広範な展開
 ・自治体(今帰仁村等)「総合計画」における「集落公民館」の位置づけ(別資料)
 ・字(集落)史の運動―名護市教育委員会『字誌づくり入門』(市史編纂室)1989
3,沖縄型公民館の評価と「自治公民館」論争について
   *宇佐川満編『現在の公民館』(1964)―倉吉、久美浜「自治公民館」批判(小川利夫)
 ・「三多摩テーゼ」をめぐっての沖縄(例・外間政氏)からの批判
 ・字公民館による地域基層文化、祭祀芸能・伝統行事、地域連帯活動等の保持機能
          *現代都市の災害救難・生活相扶にとっても地域共同は重要!
 ・「個の自立と民主主義」の追求(徳永)における「地域共同・連帯」の課題
 ・「三多摩テーゼ」の近代主義と地域視点欠落の問題を沖縄「集落」公民館から考える
参考・4,第五世代の公民館論ー地域創造型の公民館 月刊社会教育ほか、1996他→■

記録 ……内田純一(高知大学) 2022/5/1(日) 14:18
・参加者(敬称略):対面)小林文人、江頭晃子、森田はるみ、安井節子、山口真理子
 オンライン)石川敬史、大前哲彦、祁暁航、栗山 究、武田拡明、手打明敏、中村文昭、
        包聯群、持田(中村)津希子、内田純一

 前日(428)高知で降った大雨が、杉並の会場に向かう皆さまにご迷惑をおかけしたとのこと。加えて今回初となるハイブリッド開催の環境設定にご尽力いただきましたことにあらためて感謝申し上げます。遠くに暮らしていても参加できる喜びとともに、途中、最も大事なところで音声が途絶えたことなど、対面会場にいらっしゃる方々への羨ましさを感じる場面もあって(笑)、「まずは大成功」というところでしょうか。
 前置きはこれぐらいにして、簡単で恐縮ですが、研究会の報告と、小林先生のお話(又はお話なさらなかったこと)から自分なりにもう少し考えてみたい点について記したいと思います。
 小林先生による今回の「じんぶんヒストリー(7)」のメインは、沖縄の集落(字)公民館との出会いが、本土(ヤマト)の社会教育、具体的には「三多摩テーゼ」に代表される都市型公民館の狭さや弱さについてあらためて考えるきっかけをもたらしたこと。さらにこのことが所謂『自治公民館論争(宇佐川-小川論争)』に新たな視点を加えることになるというものでした。レジュメの小見出しは「1.東京・三多摩の社会教育・公民館の胎動(196070年代)」「2. 戦後沖縄・社会教育史の“発見”と集落(字)公民館との出会い(1980年代〜)」「3. 沖縄型公民館の評価と『自治公民館』論争について」となっています。とはいえ当日は、「個の自立と民主主義」を求めて国立公民館で都市型公民館の中核を担われてきた徳永功さん(元国立市教育長)が過日他界されたこともあって、思いのほか「1」についての話が詳細となり、「2」についても本土復帰50年まで視野に入れれば短時間にお話できるべくもなく、「3」についても後日またじっくりお話を伺いたいと思いました。それでも「1」に関連しては、私なりに「三多摩テーゼ」は社会教育界の隠れたベストセラーだと以前から思っていて、小林先生の70年代の研究(教育機関論、学級講座論、職員論“励まし学ぶ”、史資料の共有化)全体がそうであったように、全国の社会教育・公民館づくり(運動)に大きな影響を与えたものと思います。そうした中で「2」にあっては、沖縄における公民館の生成過程が本土とは大きく異なる(「集落(機能)の再建」から共同的に生成されてくる。それゆえに基層の文化を含め集落を維持していく機能を全て備えている。「ムラヤー」と呼ばれ「公民館」という名称はむしろ後から付される)こととの出会い。アメリカ占領下に抗する人々の共同と連帯、地域おこしのその只中に文字通り集落ごとの公民館が存しているという衝撃から、あらためて1980年代以降の研究がはじまる。そして「3」では冒頭、沖縄で「三多摩テーゼ」の話をされた際の痛烈な批判(「むやみに公立公民館で系統的な学習をするものではない」といった外間政彰氏による批判)が紹介され、「三多摩テーゼ」(広く「社会教育」と言ってもよいかもしれない)の近代主義と地域視点の欠落を含め、いよいよといったところで突然音声が途切れ、時間の関係もあって、残念なことにその先ヘは進めませんでした。
 とはいえ、私なりには、それこそ意見交換の場で出された「都市型」か「農村型」かといった二項対立を乗り越え、秩序を強化する動きへの警戒心を持ちつつ「差異」に注目していく。それが近代主義を超えていくことでもあるわけですが、小林先生はこうした視点を一貫して提起されてこられたのだと思います。「いかに違うか」「地域・集落から考える」「〇〇型」というのは、東アジアを視野にいれたTOAFAECにおいても常に大事にしている視点です。ですが、単に「差異」に注目する、「多様性」を主張するといったことだけでは、それこそ現代の情報操作社会のなかで巨大なものに取り込まれ(包摂され)てしまう。上記、外間氏の批判は、沖縄戦の経験から国家や権力というものに対する強い不信感と警戒心の現れそのものであるわけですが、この批判は現代においても同様というか、巨大なものが一層見えづらく、さらに自主独立した公的教育機関の機能が低下(狭い系統的学習の盲目的手段化)しつつあるなかで、事態はより深刻だと言えます。その意味からも、小林先生たちが沖縄研究で著された『民衆と社会教育』というこのタイトルは、現代においてとても魅力的であり、実に多くのことを考えさせられます。
 最後に、話が拡散するかもしれませんが、小林先生は「三多摩テーゼ」の近代主義とおっしゃっていますが、1960年代後半から1970年代の時代を考えても、私はむしろ「三多摩テーゼ」の脱近代的側面(「たまり場」「私の大学」「自由な文化活動」)にもっと光が当たってよかったのではないかと思っています。そのような「三多摩テーゼ」をつくられた小林先生だからこそ沖縄との出会いを成立させ得たのではないか。
 こんなふうに思うところもあります。むしろ社会教育(関係者)の方が(「市民」と「行政」の二項対立的発想から抜けられず)それについて行かれなかった。そして結果的には「新しい社会教育」を見出しきれないまま、「生涯学習(政策)」に取り込まれていく。2000年代に入っていまや脱ポストモダンとも言われるなかで、沖縄・東アジアの視点からどのように「新しい社会教育」を再構築していくことができるか。それ自体は「社会教育とは何か」という永遠の問いを問い続けることでもあり、一方で、そのための環境や条件自体が破壊された厳しい状況ではありますが、だからこといまとても重要な局面にあると思います。私自身、高知(いわゆる公的社会教育条件がほんとに貧しい)において、いつも「『社会教育』は新しいのだ!」ということをあちこちで言い続けていて、今回の研究会もまた自分たちの立ち位置をあらためて考えさせてくれるひとときとなった次第です。
感想U ・・・中村文昭 (長野県上田市公民館) 2022/4/29 21:45
 本日は研究会に参加させていただき大変ありがとうございました。また、最後には発言の機会をいただき、恐縮です。
 今日お話をお聞きして、一番なるほどと思って、感銘を受けたのは、三多摩テーゼの4つの役割が、集会の権利、表現の自由、学問の自由、そして生存権のことと結びついていて、その具現化である、という部分でした。三多摩テーゼを、都市型公民館の枠内だけで見ていては、狭いのだと、気づかされました。実際、戦後の歩みの中で、集落の活動の中においても、三多摩テーゼの四つの役割は、憲法価値の具現化という観点から、大切になってきたのだと思います。例えば、長野県では、多くの集落公民館は、分館と称されており、それが自治会とも併設されています。公民館活動としての分館活動においては、本館において三多摩テーゼの4つの役割が掲げられていることを、その分館活動の運営の中で「参照」することで、集落においても憲法価値が「取り入れられる」という様子が見られます。戦後の歩みでは、封建的な地縁組織にどう戦後民主主義の価値を反映させていくか、そのことの一つの場面として、公民館分館、集落公民館があり、松本や飯田の公民館研究の中で、あきらかにされてきたことなのだと思います。また、多くの長野県の公民館では、そのような歩みをたどっていると、私は思っています。一方、都市の公民館で行われていた系統的な学習、三階建て論の「私の大学」的な学習の部分は、長野県の中でも都市化が進んだ地域に立地する公民館ではがんばって取り組んでいますが、一方、そういう公民館では、地縁組織が薄く、分館活動が弱いのが実態です。

 『公民館60年ー人と地域を結ぶ「社会教育」』(月刊社会教育1996年12月号→■)の冒頭で、文人先生が、第五世代公民館論として、地域創造型の公民館、を提起されておられました。その観点は有効性を保ち続けていると思います。農村・集落型と都市型を対立的にとらえるのではなく、地域崩壊と憲法的価値の凋落に対応すべく、両方を総合して追及して公民館を創造し続けていくべきなのだろうと、私は思います。ただ、言葉に含まれている歴史的イメージの強さは大きく、社会教育、生涯学習、公民館という「言葉」を使うなかでは、新しさを打ち出しにくいと多くの人が思っているのではないか、と思っています。これも、7~8年前、松本の市民芸術館で小林文人先生が講演されていたとき、社会教育法を素直に読めば地域づくりのこともすべて入っているのだから、どうどうと「社会教育=地域づくり」なんだと言っていけばいい、とおっしゃっていたことを、思い出しました。
 とりいそぎ、本日の研究会、Zoomでの運営という、大変なご苦労の中、こうして参加させていただけたことに、大変感謝申し上げます。
久しぶりイーストビレッジ。左・江頭、森田(北海道)、安井(杉並)、店ご夫妻と小林 (山口カメラ、0429)





















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