◆じんぶんヒストリー・記録◆(その2)
(2022年4月・第7回〜 2024年) TOP
第1〜6回(2018〜2021)
1, 少年Bが米寿を迎えるまで (2018/7/7実施・スタート)
2,少年Bから青年Bへ:時代の転換点に考えたこと (2019/1/25実施)
3,研究者を目ざす青年B・その源にあったもの(2019/7/26実施)
4,社会教育・公民館研究への登場(2020/5/29実施)
5,沖縄研究への道、沖縄からの提起(2021/3/26実施)
6,学芸大学・社会教育研究室物語(2021/9/実施) 以上・前ページ→■
▲20161113 85(風の部屋)
<本ページ・目次>
7,三多摩テーゼと沖縄の集落公民館(1970〜1980〜) *2022/4/29実施
8, 東アジア生涯学習研究フォーラムin名護(2023/11)の経過と課題 *2024/1/26実施
9,
<メモ(テーマ案)2022年12月>
9, 韓国研究ー黄宗建・日韓セミナーなど(1980〜)
10,中国研究ー横山宏、韓民、上海閘北区など (1982〜)
11,台湾研究・交流(1987〜)
12,TOAFAEC創設と「南の風」発刊(1995〜)、留学生との出会い
13,和光大学・第ニの青春(1995〜2002)
14,識字調査と学会創設への歩み(1990〜)
15,名護・字史づくり、字公民館、象グループの刺激(1980〜)
16,南西諸島(与那国・竹冨島)フイールドワーク(1980〜)
17,韓国・中国の本づくり(1980〜2015)
18,東アジア研究フォーラムの開幕(上海など、2010〜2017〜)
19,辞典編集・出版(2002〜2012)
20,現代公民館研究ー地域創造型公民館をめぐって(1995〜2022)
21,大都市社会教育研究の集い(1978〜2016)
22,東京研究、原水禁運動(安井家資料調査)の取り組み(2005〜2016)
23,発見のフィールドワークー総括
関連・研究史ノート・略年譜→■
7, じんぶんヒストリー(第7回)
■ (7) 2022・4月定例(第291回)研究会・記録
*江頭晃子(2022/04/08(金) 21:32)
<じんぶんヒストリー第7回、 TOAFAEC4月定例(第291回)研究会ご案内>
ー「三多摩テーゼ」と沖縄の集落公民館、発見のフィールドワーク
7回目となる「じんぶんヒストリー」は、2年2か月ぶりに対面(オンライン併用・予定)で開催します。皆さんと直接お会いできる機会となり楽しみです。
じんぶんシリーズでは、第4回(2020/5月)で東京・三多摩テーゼ、第5回(2021/3月)で沖縄研究へ、と話は進んで来ましたが、今回はとくに先生の研究テーマの中心である公民館論に焦点をあてて、三多摩から沖縄へとフィールドワークが展開することによって、どのような公民館像が転換・発展してきたか、ご一緒に考えてみようということになりました。日本各地に広範に機能している「自治公民館」の評価にもかかわり、あらためて公立公民館の役割・あり方を問う論議にもつながりましょう。
「三多摩の社会教育・公民館」については、二三区(杉並区・安井構想を除いて)に公民館の歴史がほとんど未発であったのに対して、三多摩では1970年代の美濃部都政下に大きな進展がみられました。住民の公民館づくり運動、専門職としての職員配置、多様な学級・講座編成、若者のたまり場、公民館保育室づくりなど、全国的にも注目をあつめます。文人先生が重要な枠割を果たされた「東京の新しい公民館像を求めて」(1973年、いわゆる三多摩テーゼ、来年で半世紀)の構想が、大きな役割を果たしました。
70年代の後半から東京学芸大学グループを中心として、沖縄研究が開始されますが、戦後アメリカ占領下の社会教育資料収集を第一の課題としつつ、フイールドワークは沖縄独自の「集落・シマ公民館」、そしてそれを土壌として個性的な地域文化が蓄積されてきたことに注目が移っていきます。三多摩の都市型公民館、そして沖縄の集落公民館、それぞれの地域性・独自性を生かした公民館の在り方について、論議も重ねられてきました。これからの自治体の公民館論をどのように構築していくか、ご一緒に考え合いたいと思います。
〇関連資料は、ホームページに多彩に収蔵されていますが、とくに三多摩テーゼについては→■、沖縄・集落公民館について→■ などをご参照ください。どなたも、どうぞご自由にご参加ください。参加予定の方(対面、オンラインとも)は、前日までに一報ください。
▲東京「新しい公民館像をめざして」(初版、1973)
TOAFAEC 定例(第294回)研究会ーじんぶんヒストリー7
日時:2022年4月29日(金)18:30〜20:30(開場18:15)
会場:杉並区高井戸文化センター第4集会室(終了後・イーストビレッジ)
テーマ:三多摩テーゼ」と沖縄の集落公民館、発見のフィールドワーク
(当日小林レジメ)
1,東京・三多摩の社会教育・公民館の胎動(1960〜70年代)―制度定着過程
・くにたち公民館の誕生(市民による公民館づくり運動、1956)と徳永功の役割
・自治体としての(格差を含みつつ)公民館制度の創設・職員の配置、市民の参加と運動
・「三多摩社懇」による「公民館三階建論」(小川利夫と徳永、1964)、そして「三多摩テーゼ」
(公民館・四つの 役割、七つの原則、1973〜74)への展開
・公民館づくり市民運動、改築・増設運動 *図書館・文庫運動からの刺激
・三多摩テーゼ・全国各地への拡がり(東村山公民館、山口県豊浦町中央公民館の事例)
・「教育機関」としての公民館の理論化、*小林編『公民館館・図書館・博物館』1977
・新しい学級・講座」づくり(東京都1976)、講師派遣制度、グループ援助
・職員論、「励まし学ぶ」主事たち(福岡1978)、立川社会教育会館・セミナー方式研修
・史資料の共有化・資料シリーズ刊行、「社会教育ハンドブック」出版(1799〜)
2、戦後沖縄・社会教育史の“発見”と集落(字)公民館との出会い(1980年代〜)
・アメリカ占領下沖縄の社会教育史、軍事支配下の文化政策(琉米文化会館)
*小林・平良編『民衆と社会教育―戦後沖縄社会教育史研究』1988
・集落再建(地域おこし)と字公民館の“発見”(読谷村宇座区「残波の里」1974)
・公民館「設置奨励」策(1953)と琉球社会教育法(1959)、読谷村公立公民館(1970)
・復帰(1972)後の「中央公民館」設置動向、字公民館の広範な展開
・自治体(今帰仁村等)「総合計画」における「集落公民館」の位置づけ(別資料)
・字(集落)史の運動―名護市教育委員会『字誌づくり入門』(市史編纂室)1989
3,沖縄型公民館の評価と「自治公民館」論争について
*宇佐川満編『現在の公民館』(1964)―倉吉、久美浜「自治公民館」批判(小川利夫)
・「三多摩テーゼ」をめぐっての沖縄(例・外間政彰氏)からの批判
・字公民館による地域基層文化、祭祀芸能・伝統行事、地域連帯活動等の保持機能
*現代都市の災害救難・生活相扶にとっても地域共同は重要!
・「個の自立と民主主義」の追求(徳永)における「地域共同・連帯」の課題
・「三多摩テーゼ」の近代主義と地域視点欠落の問題を沖縄「集落」公民館から考える
参考・4,第五世代の公民館論ー地域創造型の公民館 月刊社会教育ほか、1996他→■
記録 ……内田純一(高知大学) 2022/5/1(日) 14:18
・参加者(敬称略):対面)小林文人、江頭晃子、森田はるみ、安井節子、山口真理子
オンライン)石川敬史、大前哲彦、祁暁航、栗山 究、武田拡明、手打明敏、中村文昭、
包聯群、持田(中村)津希子、内田純一
前日(4・28)高知で降った大雨が、杉並の会場に向かう皆さまにご迷惑をおかけしたとのこと。加えて今回初となるハイブリッド開催の環境設定にご尽力いただきましたことにあらためて感謝申し上げます。遠くに暮らしていても参加できる喜びとともに、途中、最も大事なところで音声が途絶えたことなど、対面会場にいらっしゃる方々への羨ましさを感じる場面もあって(笑)、「まずは大成功」というところでしょうか。
前置きはこれぐらいにして、簡単で恐縮ですが、研究会の報告と、小林先生のお話(又はお話なさらなかったこと)から自分なりにもう少し考えてみたい点について記したいと思います。
小林先生による今回の「じんぶんヒストリー(7)」のメインは、沖縄の集落(字)公民館との出会いが、本土(ヤマト)の社会教育、具体的には「三多摩テーゼ」に代表される都市型公民館の狭さや弱さについてあらためて考えるきっかけをもたらしたこと。さらにこのことが所謂『自治公民館論争(宇佐川-小川論争)』に新たな視点を加えることになるというものでした。レジュメの小見出しは「1.東京・三多摩の社会教育・公民館の胎動(1960〜70年代)」「2. 戦後沖縄・社会教育史の“発見”と集落(字)公民館との出会い(1980年代〜)」「3. 沖縄型公民館の評価と『自治公民館』論争について」となっています。とはいえ当日は、「個の自立と民主主義」を求めて国立公民館で都市型公民館の中核を担われてきた徳永功さん(元国立市教育長)が過日他界されたこともあって、思いのほか「1」についての話が詳細となり、「2」についても本土復帰50年まで視野に入れれば短時間にお話できるべくもなく、「3」についても後日またじっくりお話を伺いたいと思いました。それでも「1」に関連しては、私なりに「三多摩テーゼ」は社会教育界の隠れたベストセラーだと以前から思っていて、小林先生の70年代の研究(教育機関論、学級講座論、職員論“励まし学ぶ”、史資料の共有化)全体がそうであったように、全国の社会教育・公民館づくり(運動)に大きな影響を与えたものと思います。そうした中で「2」にあっては、沖縄における公民館の生成過程が本土とは大きく異なる(「集落(機能)の再建」から共同的に生成されてくる。それゆえに基層の文化を含め集落を維持していく機能を全て備えている。「ムラヤー」と呼ばれ「公民館」という名称はむしろ後から付される)こととの出会い。アメリカ占領下に抗する人々の共同と連帯、地域おこしのその只中に文字通り集落ごとの公民館が存しているという衝撃から、あらためて1980年代以降の研究がはじまる。そして「3」では冒頭、沖縄で「三多摩テーゼ」の話をされた際の痛烈な批判(「むやみに公立公民館で系統的な学習をするものではない」といった外間政彰氏による批判)が紹介され、「三多摩テーゼ」(広く「社会教育」と言ってもよいかもしれない)の近代主義と地域視点の欠落を含め、いよいよといったところで突然音声が途切れ、時間の関係もあって、残念なことにその先ヘは進めませんでした。
とはいえ、私なりには、それこそ意見交換の場で出された「都市型」か「農村型」かといった二項対立を乗り越え、秩序を強化する動きへの警戒心を持ちつつ「差異」に注目していく。それが近代主義を超えていくことでもあるわけですが、小林先生は、こうした視点を一貫して提起されてこられたのだと思います。「いかに違うか」「地域・集落から考える」「〇〇型」というのは、東アジアを視野にいれたTOAFAECにおいても常に大事にしている視点です。ですが、単に「差異」に注目する、「多様性」を主張するといったことだけでは、それこそ現代の情報操作社会のなかで巨大なものに取り込まれ(包摂され)てしまう。上記、外間氏の批判は、沖縄戦の経験から国家や権力というものに対する強い不信感と警戒心の現れそのものであるわけですが、この批判は現代においても同様というか、巨大なものが一層見えづらく、さらに自主独立した公的教育機関の機能が低下(狭い系統的学習の盲目的手段化)しつつあるなかで、事態はより深刻だと言えます。その意味からも、小林先生たちが沖縄研究で著された『民衆と社会教育』というこのタイトルは、現代においてとても魅力的であり、実に多くのことを考えさせられます。
最後に、話が拡散するかもしれませんが、小林先生は「三多摩テーゼ」の近代主義とおっしゃっていますが、1960年代後半から1970年代の時代を考えても、私はむしろ「三多摩テーゼ」の脱近代的側面(「たまり場」「私の大学」「自由な文化活動」)にもっと光が当たってよかったのではないかと思っています。そのような「三多摩テーゼ」をつくられた小林先生だからこそ沖縄との出会いを成立させ得たのではないか。
こんなふうに思うところもあります。むしろ社会教育(関係者)の方が(「市民」と「行政」の二項対立的発想から抜けられず)それについて行かれなかった。そして結果的には「新しい社会教育」を見出しきれないまま、「生涯学習(政策)」に取り込まれていく。2000年代に入っていまや脱ポストモダンとも言われるなかで、沖縄・東アジアの視点からどのように「新しい社会教育」を再構築していくことができるか。それ自体は「社会教育とは何か」という永遠の問いを問い続けることでもあり、一方で、そのための環境や条件自体が破壊された厳しい状況ではありますが、だからこといまとても重要な局面にあると思います。私自身、高知(いわゆる公的社会教育条件がほんとに貧しい)において、いつも「『社会教育』は新しいのだ!」ということをあちこちで言い続けていて、今回の研究会もまた自分たちの立ち位置をあらためて考えさせてくれるひとときとなった次第です。
感想U ・・・中村文昭 (長野県上田市公民館) 2022/4/29 21:45
本日は研究会に参加させていただき大変ありがとうございました。また、最後には発言の機会をいただき、恐縮です。
今日お話をお聞きして、一番なるほどと思って、感銘を受けたのは、三多摩テーゼの4つの役割が、集会の権利、表現の自由、学問の自由、そして生存権のことと結びついていて、その具現化である、という部分でした。三多摩テーゼを、都市型公民館の枠内だけで見ていては、狭いのだと、気づかされました。実際、戦後の歩みの中で、集落の活動の中においても、三多摩テーゼの四つの役割は、憲法価値の具現化という観点から、大切になってきたのだと思います。例えば、長野県では、多くの集落公民館は、分館と称されており、それが自治会とも併設されています。公民館活動としての分館活動においては、本館において三多摩テーゼの4つの役割が掲げられていることを、その分館活動の運営の中で「参照」することで、集落においても憲法価値が「取り入れられる」という様子が見られます。戦後の歩みでは、封建的な地縁組織にどう戦後民主主義の価値を反映させていくか、そのことの一つの場面として、公民館分館、集落公民館があり、松本や飯田の公民館研究の中で、あきらかにされてきたことなのだと思います。また、多くの長野県の公民館では、そのような歩みをたどっていると、私は思っています。一方、都市の公民館で行われていた系統的な学習、三階建て論の「私の大学」的な学習の部分は、長野県の中でも都市化が進んだ地域に立地する公民館ではがんばって取り組んでいますが、一方、そういう公民館では、地縁組織が薄く、分館活動が弱いのが実態です。
『公民館60年ー人と地域を結ぶ「社会教育」』(月刊社会教育1996年12月号→■)の冒頭で、文人先生が、第五世代公民館論として、地域創造型の公民館、を提起されておられました。その観点は有効性を保ち続けていると思います。農村・集落型と都市型を対立的にとらえるのではなく、地域崩壊と憲法的価値の凋落に対応すべく、両方を総合して追及して公民館を創造し続けていくべきなのだろうと、私は思います。ただ、言葉に含まれている歴史的イメージの強さは大きく、社会教育、生涯学習、公民館という「言葉」を使うなかでは、新しさを打ち出しにくいと多くの人が思っているのではないか、と思っています。これも、7~8年前、松本の市民芸術館で小林文人先生が講演されていたとき、社会教育法を素直に読めば地域づくりのこともすべて入っているのだから、どうどうと「社会教育=地域づくり」なんだと言っていけばいい、とおっしゃっていたことを、思い出しました。
とりいそぎ、本日の研究会、Zoomでの運営という、大変なご苦労の中、こうして参加させていただけたことに、大変感謝申し上げます。
▼久しぶりイーストビレッジ。左・江頭、森田(北海道)、安井(杉並)、店ご夫妻と小林 (山口カメラ、0429)
じんぶんヒストリー(第8回)
■ (8)2024年1月26日 (TOAFAEC第310回)定例研究会・記録
ご案内……江頭晃子(アンティ多摩、January 5, 2024 10:07 PM)
1年半ぶりの「じんぶんヒストリー」第8回となります。この間、何度も開催をお願いしてきていて、その都度「しゃべりすぎる」と固辞されてきた小林先生ですが、11月に開催した「東アジア生涯学習研究フォーラムin名護」の振り返りも含めてお願いすることができました。
第7回までのじんぶんヒストリーから一転して、1980年代に東アジアからの留学生との出会いを端緒に韓国・中国・台湾への訪問・研究が始まります。1995年には「東京・沖縄・東アジア社会教育研究会(TOAFAEC)」を創設、HPや『南の風』配信による情報収集・発信・記録化、月例定例会の開催、年報は28号を数えます。2010年から東アジアのフォーラムが始まり、対面での開催は名護で第6回となりました。
文人先生は、東アジア研究を「第二の人生」とも言われます。今回のじんぶんヒストリーは、現時点の名護でのフォーラムの振り返りを含めた東アジア研究の共通の課題から、これまでの出会いと歩みについて語っていただく予定です。
・日時:1月26日(金)18:00〜20:00
・会場:杉並区高井戸地域区民センター第4集会室(オンライン同時開催)
・テーマ:じんぶんヒストリー第8回 「東アジア生涯学習研究フォーラムin名護の経過と課題」
・報告:小林文人先生(TOAFAEC顧問)
・申込:当日直接会場へどうぞ。(井の頭線高井戸駅すぐ)
*オンラインに参加ご希望の方は、25日(木)夜までにご連絡ください。
山口 IZK07252@nifty.com 090-1548-9595
・終了後は懇親会(自由参加・実費負担)
記録(当日配布ぶんじんメモ)
ー公民館研究の歩みと「東アジア生涯学習研究フォーラムin名護」の課題ー
1, じんぶんヒストリー 1〜7経過(本サイト)
2, 三多摩テーゼ(1973・4)、沖縄(字公民館)研究、TOAFAEC創設(1995)以降
・公民館の展開過程―「地域創造型公民館」(月刊社会教育、1996/12)→■
・集落(町内、字、自治)公民館の再評価 →■
*公民館学会「公民館コミュニテイ施設ハンドブック」(2006)
・「小地域 ・自治公民館」研究交流(社全協・分科会8記録)→■(2002〜08)
3,大都市・東京研究(1978〜)、杉並研究(1980〜)、東京・出版(2016)→■
4, 「東アジア生涯学習フオーラム in名護」で考えたこと
(1) あらためて「集落公民館」、「地域創造型」公民館の実像を知る
*「三多摩テーゼ」は地域論を欠く
* 名護・基本構想「逆格差」論に通じる視点 *竹富公民館「竹富島憲章」
(2) 図書館・市史編纂室・博物館の地域的役割(例:字誌編纂、民話研究など)
*社会教育主事・職員の独自な役割(例:島袋正敏氏の指導的役割など)
(3) 集落の祭祀・行事・芸能・伝承など地域「文化」の意義、発達論的な意義
*名護フオーラムも沖縄独自の文化に包まれた。→エイサー、太鼓、「月桃」など
(4) 東アジア各国・地域間の論議は未発。問題を共有する工夫が必要。
*韓国「平生教育法」改正(2023→24実施)「邑・面・洞」平生学習センター」設置
同「自発的学習会の支援」(第21条3,4)法改正の動き(李正連訳)→■
(5) あらためて大都市・地域(町内)研究の要。格差・空白状況をどう埋めていくか。
*東京研究の課題 *松本市など信州「町内公民館」研究の意義。
*『大都市・東京の社会教育』研究への課題。
横浜・小地域の活動(かって磯子区・伊藤秀明氏の仕事)が記録されている。→■
(6) 名護市社会教育行政の再生の課題。
(7)「名護テーゼ」(素案でも)無理だろうか。
報告 ……金亨善(韓国生涯学習研究フォーラム)
〇日時:2024年1月26日(金)18:15〜20:50 オンライン同時配信
〇参加者:李正連、江頭晃子、遠藤輝喜、王操、金亨善、小林文人、山口真理子
オンライン参加:内田純一、祁暁航、沈明明、包聯群, 森田はるみ(敬称略・五十音順)
〇テーマ:じんぶんヒストリー第8回「東アジア生涯学習研究フォーラムin名護の課題と意味」
〇内容:
今月の研究会は、約1年半ぶりの「じんぶんヒストリー」第8回となりました。ちなみに、じんぶんヒストリーで言う「じんぶん」とは、文人先生の名前を逆にしたものだと思っていましたが、沖縄では「知恵」を意味するそうです。単なる知識ではなく、リーダーシップを含め判断力を持つ知恵を意味します。今回は、これまでの第1回〜第7回の内容を踏まえ、1973年三多摩テーゼと去年の名護フォーラムを交差しながら、文人先生の第二の人生についてお聞きしました。
1872年の学制により日本の学校教育が始まり、その100年後に、『日本近代教育100年史』の10冊が出版されます。その中で7,8巻が社会教育に関する内容で、当時のことを横山宏先生や文人先生ほかの皆さんが執筆されました。戦前の天皇制のもとでの「公民教育」から、戦後の寺中構想による「公民館」の創設、まだ学会も研究の蓄積もなかったけれど、公民館を社会教育の「施設」として社会教育法に位置づけた歴史は、日本の戦後社会教育のスタートでもありました。そして当時、東京にも公民館の動きがあり、とくに1970年代には北多摩、西多摩、南多摩など東京の近郊住宅地「三多摩」に公民館ができてきて、文人先生も国立に住み、「三多摩」公民館研究をしてきました。文人先生にとってはここから社会教育研究の歩みが本格的に。社会教育法ができてからも、実際には都市と農村の間で、また地域的に公民館の定着に大きな格差がありました。大都市の中心部では公民館の定着はほとんどなく、三多摩でも遅れて活動が始まり、その発展を求めた「三多摩テーゼ」が出るのは1973年。各地に公立公民館の歴史が始まります。他方、全国各地(農村部、自治体としては長野県など、そして沖縄)では小さな集落を基盤として、町内・字・自治公民館の活動が拡がりました。例えば、長野県松本市では、地域レベルの公立公民館があり、それに加えて400をこえる集落公民館(町内公民館)が暮らしの基本単位・集落に基づいて共同体的な活動を展開してきました。
去年11月の東アジア・フォーラムが開かれたで伺った沖縄・名護もそうです。名護は55集落があり、それぞれが自分たちの自治と共同の生活を作っています。芸能を通して独自の文化、自治組織を持ち、「われわれのしま」だというアイデンティティーが沖縄でははっきり見えています。文人先生の「小地域・自治公民館」における長年の研究交流からは、このような集落の共同体を形成している社会教育の姿を見つけてきたのだと思います。
2010年から、東アジア各国・地域間で「東アジア生涯学習フオーラム」が開かれ、2023年11月には沖縄・名護で第6回フォ−ラムが開かれました。親しい研究仲間として会えるようになり、みんなで心を開いて語り合える集会を目指してきました。東アジアフォーラムでは、各国がそれぞれ独自の歴史を歩みながら相互に共通する課題を持っていて、生涯学習の法律も似ているけれど、いかに違うかを発見する機会になりました。各国・地域から興味深い報告があり、今後さらに現状を踏まえてお互い自由に語り合い、深め合って、共通する課題をまとめる作業をしたいという先生の思いも語られました。これまでの活動を記録化することも大事であることを改めて確認しました。
教科書の中で見た人物の名前がどんどん出てきて、聞いているだけでも興味津々となる研究会でした。特に、寺中作雄さんとの出会いに関してまた色々お聞きしたいです。
終了後は(オンライン参加者の方々も多かったですが)、いつものイーストビレッジで乾杯。いつも笑顔あふれる会でホッとします。
▼じんぶんヒストリー第8回、対面参加者(カメラ:江頭晃子さん、会場にて)、下段右・金亨善さん
■じんぶんヒストリー(8)・第310回研究会 感想 ……内田 純一(高知大学) January 29, 2024 8:29 AM
過日(1/26)の定例研究会、お世話になりました。翌日に学生たちによる実習報告会があり、残念ながら対面での参加が叶いませんでした。TOAFAECが大事にしている参加者全員からのコメント・感想の時間がなくなるほどの小林先生の迫力に敬嘆しつつ拝聴しておりました。ということで、まとまりませんが参加しての感想です。
一つは、私自身も高知大学で「地域」と名の付く学部の創設と教育・研究に身を置く者として、小林先生からの教えをそこに重ね、あらためて学部の在りようを考えておりました。現在、国立大学で「地域」という名称を持つ学部は、知る限り「岐阜大学地域科学部」「高知大学地域協働学部」「佐賀大学芸術地域デザイン学部」「鳥取大学地域学部」「福井大学国際地域学部」「宮崎大学地域資源創成学部」ですが、その立ち位置、あらゆる概念を「地域から考え直す」自覚を促すものでした。
二つは、地域や集落の基礎的な機能や構造が最もよく見える「名護」という地で、東アジア生涯学習フォーラムを開催したことに関してです。今回の小林先生のお話は、公民館近代化論や世代論、大都市と農村の格差を含む社会教育諸条件の定着・非定着過程など、時間の限りもあって、比較的ヤマトにおける研究との関連で地域・沖縄研究の意義が語られたように思います。小林先生は、TOAFAEC創設にあたって、ヨーロッパ・モデル(近代・合理主義)に対し、社会教育のアジア・モデル(地域・共同)の創造を掲げてこられ、その中核に沖縄研究があります。当日のご発言でも、各国・地域が、個別の問題性を持ちながらも、儒教的倫理と共同の歴史と文化性にあって、どこが異なるかを大事にしていくとおっしゃっていましたが、躍動する東アジアの生涯学習の実相がこれまでも大都市、政策、市民に偏りがちななかで、だからこそ、まず地域や集落があって暮らしが成立している沖縄、さらにその中でも、歴史的にも現代的にも実践的にも公的にも様々な問題提起をしてきている名護という地(知)をフォーラムの会場に選んだ思いや当日の論点、今後の方向性などについてもう少し伺いたかったというのが正直なところです。とはいえ、それらを考えていくのは、もちろんフォーラムに参加した私自身です。
■じんぶんヒストリー(第9回)
(9)2024年 月 日
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