■東アジア生涯学習研究フオーラム・交流略史(2010〜2021)
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1,東アジア研究交流委員会1(日本・上海 2009)→■
2,東アジア研究交流委員会2(日本 2017)→■
3, 東アジア研究交流委員会3(日本 2020)→■
 

≪石井山竜平  <「東アジア生涯学習研究フォーラム」について>2021年2月≫ *南の風4222号
 石井山です。「東アジア生涯学習研究フォーラム」は、2019年度の北京開催を経て、2020年度は日本がホストとなり、日本公民館学会研究大会と時期を重ねて松本で開催する予定でした。しかし、このコロナ禍の事態。今年度のフォーラムは中止という判断もありましたが、何人かで協議を重ねるなか、ささやかでも、これまで集ってきた仲間が交流し合う機会を、年度内にオンラインでつくろう、となり、2月27日(土)10:00?(日本時間)開催予定で準備を進めています。
 そのための協議を、12月27日(日)は韓国の方々と、1月24日(日)には中国の方々と持ちました。当初、中国はZOOMの活用が困難との話でしたが、それを越えて本日2月7日(日)、中国そして台湾からの参加も得てZOOMで繋がりあい、プログラムの具体を確認しました。
 テーマは「新型コロナと生涯学習研究」と題し、各国・地域から、この一年のコロナ禍に社会教育・生涯学習がいかにむきあってきたのかを披露しあいます。 なお、このかん、他の国や地域と比べての日本側の研究資金・事業資金の乏しさが課題となっておりましたが、このたび、石井山が計画研究代表者の一人として加わって応募いたしました学術変革領域研究(A)「生涯学―超高齢社会における発達・加齢観の刷新」(代表:月浦崇(京都大学))が採択されました。この研究計画に、この東アジア生涯学習研究フォーラムを進めていく資金も計上したことから、これから数年は比較的安定的に研究交流をすすめることができます。そうした資金を活用しながら、いかなる国際共同研究を進めていくかについての協議も、当日の後半に行います。
 言語は、日本語・中国語・韓国語の三カ国語のフォーラムとなります。単一言語の際の3倍の時間を使っての交流となります。将来的には、リモートで三カ国語のコミュニケーションをより円滑にすすめる方法を確立したいと思いますが、ともかくこのたびは、まず一度、これらの国・地域の関係者が集い交流することをやってみよう、という、試験的なフォーラムとなります。
 申込を頂いた方はどなたでもご参加いただけるようにいたします。ご希望の方は、以下のフォームより、2月24日(水)までに登録ください。追って、参加URL等をお送りいたします。
https://docs.google.com/forms/d/1np9mFmx9f9IGkJwfAYfZu7cPYnIp_VnLMP-p0vhQYVA/edit
◆<「東アジア・フォーラム」オンラインへのお誘い>
・2月27日(日)タイムスケジュール 10:00 開会  
 10:10〜10:30 主催である日本を代表して小林文人先生のスピーチ
 10:30〜11:10 報告@日本  11:10〜11:50 報告A韓国
 13:30〜14:10 報告B中国  14:10〜14:50 報告C台湾
 14:50〜16:00 全体討議   Tea Break
 16:30〜 今後のフォーラムを進めるにあたっての協議
・2021年の開催計画について
・科研を活用しての共同研究ついて ほか
連絡先:石井山竜平 東北大学大学院教育学研究科  〒980-8576 宮城県仙台市青葉区川内27-1 
      TEL/FAX 022-795-4777 E-MAIL ishiiyama@hotmail.com





●2010上海国際(東アジア)フォーラム前夜の晩さん会(日中韓の友人たち、20101125)



■(1)≪「東アジア・フォーラム」交流史・その1(小林)≫ *南の風4222号
 TOAFAEC ホームページ、毎月の活動予定記事など、この間ほとんど記載がありませんでしたが、ここにきて石井山さんの積極な動きにより「東アジア生涯学習研究フォーラム」関連の会合が三つほど。ただしZoomによる会議。それでも久しぶりに7日、北京の韓民、上海の呉遵民などの皆さんと顔を合わせました。「しばらく」と声をかわしました。韓民・高峡夫妻には、一昨年11月、北京で八十八歳のお祝いをしていただきましたが、そのお礼を言ういとまもないほど・・・挨拶のみでした。
 上掲のように、石井山さんが「東アジア生涯学習研究フォーラム」の去年から今年への経過を書いていただいたので、当方は少し遡って、「東アジア」フォーラムの大すじの流れ、その思い出し作業を試みておきます。
 振り返ると、東アジアでは中国の文化大革命や、韓国の軍事政権、台湾の戒厳令など、厳しい政治状況が続いて、自由な交流はずいぶんと制限されてきた歴史でした。私たちの研究室に留学生がポツポツやってくるのは、やっと1980年代になってからでした。1990年代になると東西冷戦の終結もあり、ようやく中国・韓国そして台湾にも招聘・訪問・交流の機会が増えてきました。TOAFAEC の創設(1995年)もそういう時代状況を反映しているところがありましょう。
 今世紀に入ると、活発な相互交流が広がり、留学生の架け橋としての役割も注目されるようになります。中国・韓国それぞれの交流史については、ホームページに詳細に記録していますのでご覧くださいhttp://www.bunjin-k.net/tyuugokuhyousi.htm
 しかし多くは二国間の交流が主で、これが三国間に、つまり交流が多角的に広がって、いわゆる多国間の訪問や会議が開かれるようになる動きが注目されます。社会教育・生涯学習の分野では、たとえばTOAFAEC の呼びかけで、沖縄に中国(華東師範大学教授団)と韓国社会教育関係者が集う機会がありました(2008年)。その翌年、日本・社会教育法60年を論議する研究会に、韓国・ヤンビョンチャンさんが来日。この機会に日本「東アジア研究交流委員会」が活動を始めました。韓国と中国の両研究フオーラムが動き始め、それをつなぐかたちでの委員会活動、委員長は石井山竜平さん(東北大学)、2009年のことでした。そして翌2010年には、上海外国語大学を会場に「中日韓・生涯学習国際シンポジゥム」が開かれました。ホームページに久しぶりに大規模の集合写真を掲げておきましょう。
●東アジア(中日韓)生涯学習国際シンポジウム(上海、2010年11月)


■(2)≪「東アジア・フォーラム」交流史・その2 ≫ *南の風4223号
 (前号に続く)上海で開催された東アジア「国際シンポ」(2010年11月)については、その頃、山東省で活躍されていた故伊藤長和さん(TOAFAEC 副代表)が、上海まで駆けつけ参加。集会の最終プログラムで「まとめ」のコメントを求められた小林の発言を印象的に書いていただきました。ホームページ・大会記録2010年・7。「中国の発展、韓国の躍動、そして日本の混迷、脱皮への模索」はこのときの総括。→http://www.bunjin-k.net/3kokusinpo2010.htm
 また内田純一さんも年報「東アジア」16号(2011年)「ひろば欄」に「日中韓・上海国際シンポ」概要を記しています。この「三国シンポ」は、最後に「第二回生涯学習フォーラムは、暫定として2012年に韓国で実施する」ことを確認し、文書サインを交わして別れました。つまり2年おきの開催案。韓国側では具体的に第2回シンポへの準備が金南宣さんを中心に進められました。ところが尖閣列島問題をめぐって中日間の関係がギクシャク、中国成人教育協会は不参加の意向を表明するにいたり、第2回国際シンポ(韓国開催)は実現にいたらず。日本側の参加予定者は済州島に遊び、韓国側の皆さんと楽しい集いをもった記憶があります。
 それから数年が経過。2016年にいたり、中国上海の華東師範大学(上海終身教育研究所)黄健さんが中心となる中国内の生涯教育シンポジウム(第4回生涯教育上海フォーラム)と平行して、中日韓・三ヵ国国生涯教育国際シンポ開催の動きが始まったのです。2010年国際シンポ(上海)は葉忠海さんが中心でしたが、今回は韓民・呉遵民お二人が中心となって、大規模シンポではなく、こじんまりした集いとして企画が進行。この記録は年報「東アジア」第22号(2017年)の第2特集として、中国から黄健、韓民、呉遵民など、韓国からやんビョンチャン、日本から末本、上野、石井山など各氏の報告が収録され、興味深い内容です。
 小林は、この時期すでに病妻の状態が(介護だけでなく)予断を許さず、上海に参加することはかないませんでした。
日本側メンバー・韓国・済州島に遊ぶ(2012年11月)


■(3)≪「東アジア・フォーラム」交流史・その3≫ *南の風4224号
 さて本題(前号の続き)。2016年「東アジア・フォーラム」が上海で再開されたあと、翌1917年は日本が担当して佐賀で開催。2日目のエクスカーションは福岡・筑後へ。その記録は年報23号・第一特集として詳細に報告されています。残念ながら小林は、この年5月に妻を亡くし、9月から自らの股関節・大手術、長期入院を強いられ、無念の思いで2年続きの不参となりました。
 中国から参加した韓民・呉遵民・黄健・馬麗華の皆さんが帰路わざわざ病院に見舞っていただいたこと、恐縮し感激しました。韓国から参加の各位には、福岡・油山の拙宅文庫に来訪されたそうです。これにも驚きました。長期の留守宅、まったく整理も掃除もできておらず、案内役の農中茂徳がひたすら恐縮していました。しかし年報23号の諸報告では、佐賀の公民館訪問をはじめ、きわめて好評だったようでご同慶の至り。上海から日本への「東アジア・フォーラム」のステップが一歩前進したことになりました。台湾より参加の方々と、北京・上海の皆さんが一緒に合唱されている写真を拝見し、病院ベッド上で感動したことを想い出します。→http://www.bunjin-k.net/albumhigasiasia.htm
佐賀集会ー北京・上海・台北からの参加者、ともに「ジャスミンの花 (茉莉花 molihua)」合唱 (佐賀、2017年12月12日)
                        *右端は黄丹青・TOAFAEC副代表(日本・目白大学教授)


■(4)≪「東アジア生涯学習研究フォーラム」交流史・その4≫ *南の風4225号
 2018年・東アジア生涯学習研究フォーラムは、韓国で開かれました。小林は大手術を経過して初めての海外への旅。切れていたパスポートを新しく取り直し、杖をついて、同行の李正連さんや呉世蓮さんなどに見守られての旅。こんな日が蘇るのを夢にみてきましたので、終始感激の4日間。全体テーマは「学校と社会教育の関係を考える」、韓国からの報告はもちろん、中国・日本そして台湾からの報告が並び、また始興(シフン)市(チャミスル学習マウル)や牙山市(松岳マウル教育共同体)の実践交流の機会も用意され、充実した内容でした。詳しい報告は『東アジア社会教育研究』24号(2019年)に収録されています。前年の佐賀で開かれたフォーラムに来日された李揆仙さんの「全国平生学習実践協議会」本部(始興市)を訪問する機会も得て、手づくりの食事で歓迎いただきました。一連の写真をホームページに収録しています。→http://www.bunjin-k.net/albumhigasiasia.htm
 そして2019年の東アジアフォーラムは北京市で開催されました。2010年の上海フォーラムから数えると第5回、2016年の上海フォーラムを起点とすれば第4回。東アジアをぐるりと一回りしてきたことになります。東京学芸大学と名古屋大学で学んだ韓民さん(中国教育発展戦略学会)が中心となって運営されたことも印象的なこと。諸報告は『東アジア社会教育研究』25号(2020年)に収録されています。
 この旅では同行の山口真理子・江頭晃子のお二人に支えられて、上海まわりで中国入りしました。かってTOAFAEC と「合作学院」の試みがあった(結果的に実現せず)上海市閘北区や華東師範大学の旧知の皆さん、また同じく東京学芸大学で学んだ張・朱夫妻(張さんは上海市教育科学研究院・副院長)と再会したかったのです。上海の報告は同じく『東アジア』25号に山口真理子さんが書いています。
 たまたま上海到着の日が88歳誕生日、皆さんで(翌日の北京でも)お祝いをしていただく僥倖に恵まれましたが、ちょうどその頃、武漢では新型コロナ・ウイルスも誕生してたようで、思わざる歴史のひとこまに驚いています。
●韓国に集う、秋は深まり、集う日中韓・友人たちの交流も深まった(韓国・2018年11月)


■(5)≪「東アジア生涯学習研究フォーラム」交流史・その5≫ *南の風4226号
  ―前号に続く、2020年度・日本開催、2月27日(オンライン)―
 北京フォーラムより帰国して、2020年が明けました。予定される東ア)フォーラムの日本開催について、準備・協議の機会がないまま、1月早々に松本で日本公民館学会受け入れについて、松本市や松本大学を含めて旧知の方々の集いがもたれる話が聞こえてきました。矢久保学さんと電話で話しているなかで、久しぶりに松本に遊びに行きたいな、そんな気分で出かけることになったのです。私的な旅、もし可能ならば東アジアフォーラム開催の話も聞いていただけるかも?と期待してのこと。その経過や写真は「南の風」(風4123号ぶ欄など)記録やオームページなどに残されている通り。
→■http://www.bunjin-k.net/albummatumoto.htm
 ほぼ1年前のこと。そして2月のコロナ騒動へ。いろんな計画や協議もすべて吹ッとんだかたち。そして明日(2月27日)、オンラインによる「東アジアフオーラム」が開かれることになりました。韓国・中国との事前オンライン準備をへて当日を迎えることになります。4号前の風(4222号・2月 8日)に載せた石井山竜平さん(東北大学)の「お誘い」を再録しておきましょう。

■付記 ≪オンライン「東アジアフォーラム」1日・ドキュメント≫ *南の風4227号
 2月27日(土)「東アジア生涯学習研究フォーラム」日本開催(コロナ禍でオンライン会議)、ご参加の皆さん、終日お疲れさまでした。オンライン会議は、ぐったり疲れますね。手もとに正確な数字はありませんが、日本・韓国・中国あわせて60人前後の参加か。最後はすべての参加者が自己紹介風に発言しましたから、時間はかかりましたが、新しい方のお話は興味深い。中国から韓民さん(中国教育発展戦略学会)関係の皆さんの参加がもっとも多く、日本は地元?なのに案外と少数、韓国もいつもの毎年メンバーが主だったような。以下、当日の混乱のドキュメント。
 朝10時からの開会、なんとか間に合ってパソコンを開く。石井山さん(東北大学)からメール(2/27 (土) 9:43)。「みなさま いよいよ本番ですね。様々しんどい場面もありましたが、皆様のご尽力があって、今日が迎えられます。本当にありがとうございます。9:50ごろに、ZOOMは立ち上げます。本日、一日長丁場になりますが、どうぞよろしく・・・上田先生(筑波大学)、総合司会、どうぞよろしくお願いいたします!」と。いよいよ始まるな、と当日オンライン参加の入口・URL を探すが分からない。それらしきものをクリックしても「2月7日Zoom」とでる。しまった!小生は当日スピーチ・ご挨拶の予定なので、当然、大丈夫だと思って申し込みしていない? 甘かったか。あわてて石井山さんの既着メールを調べ始めても、もう遅い。頭真っ白になって・・・さてどうしよう?困惑していたところに、李正連さん(東京大学)からメール来信。「李です。Zoom URLは到着していますでしょうか。念のため、私の方からもお送りします。どうぞ・・!」と。地獄に仏さま。有難や。横の山口真理子さんが用意してくれた私のスピーチ要旨を前に、ようやく話を始めることが出来たのです。あとで当日の配布資料など送って送って下さい。
 お昼休み、午前に日本側の報告をこなした江頭晃子さん(アンティ多摩)から,前日の福岡訪問の写真がパソコンに届く。こちらは余裕あり。「油山の写真、添付しました。大変貴重な資料群で、とても刺激を受けました。活かす方法をご一緒に考えたいです」と。午後の部へ、韓国、中国そして台湾からの報告。質疑の時間は参加者の自己紹介。ながく続く。そして一休み。まだ終わらない。次の課題へ。今後の東アジアフォーラムのもち方、研究の進め方について意見交換。歴史に残るオンライン・東アジア会議だ。そんな1日でした。
 12時間ほどの長丁場。終わりに「乾杯を」と提案しましたが、みな疲れ果て乾杯の気分ではなさそう。実は1年余り前、前回の北京フォーラムで、韓民夫妻から「88歳祝い」祝宴をして頂きました。せめてお礼の乾杯でもと思ったのですが、手元には「お茶しかない」(韓民)と。味気ない終わり。以上、長い1日の報告です。
北京の集い、日中韓の交流・乾杯!(北京、2019年11月)





*2023東アジア生涯学習研究フオーラム in 名護の取り組み→■




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