【ぶんじん日誌】Ⅱ(新・2022年5月~) TOPページ

   *「南の風」最終4311号→■ 
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 <目次・2022>
 1, 「東アジア社会教育・生涯学習50年」座談会-年報27号企画を前にして(5月17日)
 2, やんばるの山々にイジュの花が咲く頃(6月2日)
 3, ぶんじん・ホームページ(6月25日)
 4, 中国に「躍動する韓国の生涯教育」出版(8月22日)
 5, 今年のTOAFAEC年報27号完成!(9月23日)
 6, 四半世紀前、年報4号編集の頃・回想 ー 九月研究会記録を読んで(10月16日)
 7, 19日ご参加御礼、久しぶりにアワモリ古酒を汲む(11月21日)
 8, 「南の風」暖簾をおろした年ー暮れの解放感(12月28日)
2023年
 9,



 
 新【ぶんじん日誌】Ⅱ
 
第1号(2022年5月17日):
 「東アジア社会教育・生涯学習50年」座談会(年報27号企画)を前にして

  「南の風」の歴史を閉じ、その最終号を配信(4311号、4月10日)して1か月。24年余り、平均1日おきの隔日刊、配信に追われるような歳月から解放されて、いまリタイヤ―の解放感を楽しむ毎日・・・でもないが、「いつまでも続ける」ものではない!という判断は間違いではなかったと、ひと安心の毎日。山口真理子さん(事務局長)が新「TOAFAEC通信」を創刊していただき、順風の発行が始まっていて心強い思い。すでに5号が配信された。拍手!
 TOAFAECは毎年、この5~6月は繁忙期。毎年発行が着実に続いてきた年報『東アジア社会教育研究』刊行、加えて毎月末(最終金曜日夜)の定例研究会、そして恒例の「総会」開催(年次計画、会計報告など)、事務局は大忙しの毎日。その苦しみ・喜びは、やったものしか分からない。ご苦労さま。例年の仕事に加えて新「通信」発行が重なったのだから、負担が大きくなり心配。ガンバレ!
 せめてものお手伝い。いま年報編集のなかで準備が進んでいる「東アジア社会教育・生涯学習50年」座談会への話題(資料・写真)提供を一つ。東アジアの社会教育・生涯学習あるいは「成人教育」等の新しい歩みが始まるのは1980年代、それも後半から。韓国・軍事政権への民主化抗争、台湾・将政権による戒厳令が解除されるのは、奇しくも同じ1987年、その後の民主化への自由な歩みが重要であった。中国大陸での改革開放政策が進展をみせ、「成人教育」の名称が登場して新しい展開が見られるのもこの時期に重なる。
 1980年代の中国では、文化大革命収束後の復興・改革への取り組みは並み並みならぬもの。その頃、日本社会教育教育学会へ、中国教育部「成人教育司」から初めての公式訪問あり。中国成人教育局関係者は、雷亨、朱清萍、呉素蓮の三氏。横山宏さん(学会理事、国立教育研究所・当時)が取り持つ縁。学会の主要メンバーが勢揃いして一行を迎えたときの記念写真。5月22日・座談会への話題になれば幸い。

中国政府・教育部「成人教育局」(前段・中央3人、その右隣は新保敦子さん・通訳)を囲んで。(1985年4月4日、東大会議室)
日本側参加者は、
後列左より(3人目)宮坂広作、藤田秀雄、室俊司、小川剛、山口真、朝倉征夫、大槻宏樹ほか.、
前列左より小林文人、横山宏(中国教育部三氏をはさんで)新保敦子、駒田錦一、倉内史郎の各氏(敬称略)


 第2号(2022年6月2日):
■<やんばるの山々にイジュの花が咲く頃>
 新「TOAFAEC通信」にときどき便りを、と事務局長・山口真理子さん(新「通信」発行人)に求められていたことを思い出し、6月に入ったことでもあり、催促される前にとの思いもあって、2号を書き始めている。今年の「やんばる」は時に豪雨とのこと。季節的には恐らく「イジュ」の花が咲いているだろう、今年も「やんばる対談」は開けなかったが、先日のオンライン・座談会(年報27号巻頭、テーマ「東アジア生涯学習・社会教育50年」も賑やかだったし、書きたいことはいろいろ。
 沖縄との付き合いが深くなって、本土では知らなかった食べ物や魚・花などに出会ってきた。当初は「グルクン」という大衆魚さえも知らなかった。山の花では「イジュ」を知らなかった。5~6月の「イジュの花の咲く頃」に・・・という会話をよく耳にした。どんな花だろうと出会いが楽しみだった。白く小さく可憐な花が群れて群落で咲いている。花が盛りになると山々は一面の白い景色に変わる。季節は5月から6月にかけて。新「ぶんじん日誌」を書き留めておく本ページの標題下に、この花を飾った。イジュの花言葉はなんだろう。写真は15年ほど前に名護城(なんぐすく)で撮ったもの。梅雨空だったが雨ではなく、たしかセイビンさんが一緒だった。いまちょうどその季節、懐かしい一枚だ。
 「イジュの花の咲く頃」で思い出すのは、島福善弘さん(名護博物館長・当時)の「シーカヤックで古宇利島を一周しましょう」のお誘い。ちょうど梅雨どき。「沖縄の梅雨はたいしたことない」「台風も来る季節ではない、晴れ間も多い」と海遊びの誘い。当方は初めての経験、面白そうですぐに誘いに乗った。一人ではもったいないので「南の風」に紹介すると、手打明敏(筑波大学)と故石倉裕志(生活クラブ生協)のお二人が乗ってきた。名護市役所のシーカヤック同好会メンバーから2艇を出してもらって、島福さんのと合わせて3艇。島袋セイビンさんも一日同行していただいた(心配だったのかも)。さすがに古宇利島一周は外洋に出るので無理、屋我地島の浅瀬をまわり、羽地内海の旅ということになった。あいにく雨模様、しかし温かい小雨、何よりも波が静かで、終日、約18キロ余を漕いだと記憶している。下の写真は、島福・小林艇から手打・石倉の両艇を撮ったもの。カヤックから投げた釣り糸が見えるが、釣果はなかった、体は濡れながら心は快適、素晴らしい1日となった。終わって公民館「迎賓室」でのビールがうまかった。至福の一日。やんばる「イジュの花咲く頃」のとっておきの想い出。
 島福善弘さんは源河の人、「琉球アユを取り戻す」運動のリーダー、「やんばる対談」で貴重な証言を語っていただいている(年報16号、2011年)。源河集落の前は東シナ海が拡がり、シーカヤックの1艇ももちたくなる気持ちは良くわかる。「また楽しみましょう」とのお誘いがあったが、実現していない。
シーカヤックの一日・・・釣り竿の島福・小林艇から前・手打艇、後・石倉艇を撮る (屋我地島、20060628)

 第3号(2022年6月25日):
<ぶんじん・ホームページ>
 「南の風」発行の重荷から解放され、いまTOAFAEC事務局内での仕事は、ホームページの保守・更新作業。しかし加齢ととともに「目が薄くなる」とはよく言ったもの。小生の場合もともと乱視があり、最近とみに症状が進行している自覚もあり。年号を読み違えたり、パソコン入力の際の変換ミス、誤字・複字などいろいろ賑やか。暇があればホームページの、古いファイルを含めて再点検作業につとめている。誰かに頼んだ覚えもあるが、皆さん、ホームページ上のミス発見の節は、小さなものを含めて、ぜひご指摘いただければ幸い。書きたいことはこれだけ!だけど、ついでに・・・。
 画面・表紙indexの右下に短く「ホームページ史」を載せている。1997年のアップからすでに四半世紀を重ねている。ぶんじんHPにTOAFAECページを載せる混用型。古いファイルも棄てず、原則としてそのまま保存する方針を堅持し、いま(正確ではないが)500ちかくのFileを内臓、その数倍の写真・ロゴ等をアップ(全2,500前後か)。情報・資料というだけでなく、今や「史料」的な意味合いも加わってきたと自負している。初めて作った初版ページも記念史料として保存。
 今世紀になってデジカメを使えるようになり、ホームページ表紙・中央に写真をおく慣わし。下の写真がその第1号。ゼミ学生(和光大学)と一緒の旅、本部半島の先端・備瀬の集落・福木並木とともに忘れがたい1枚。ホームぺージ表紙は、写真の左側に収蔵の保存資料を並べ、右側に新しい「案内」「記録」等を配置、下方にTOAFAEC定例研究会と東京・韓国・中国・東アジア・沖縄の各フォーラム(開店休業もあり)記事を揃えるかたち。この配置図、10年あまり変わっていない。
 当初はホームページ・ビルダーを使わず、学生ゼミ告知だけの家庭用ページで文字通りの手作り。その拙劣さを憐れんでか、当時担当していた中央大学・院ゼミ(近藤さん、小林茂子さんなど)の皆さんからHPビルダー・ソフト一式をいただいた(あらためて御礼!)。その威力で外部リンク、サイト内リンクも縦横に張りめぐらし、写真も多数アップ。容量の大きいものは敬遠してきたが、広容量のドメインを使えうるようになって、今はアップ要請のすべてを収録。沖縄研究フォーラム(いま「やんばる対談」)の記録も歳月を重ね、興味深い経過記録となってきた。しかし残念ながら「対談」はコロナで休会中。
 ホームページ表紙(index)中央の写真は、折々の移り変わりのなか気ままに更新してきた。沖縄「やんばる」や竹富島等の写真が多いが、5月の中旬、新宿ビル街を昇る朝日の輝きを撮ったので、嬉しくなって珍しく東京写真。6月になると見飽きてくる・・・再び「やんばる」東海岸・東村慶佐次のヒルギ(マングローブ)林へと更新。故石倉裕志(生活クラブ生協)との懐かしい二人旅。さらに変わって、今は伊江島から名護へ帰る豪華ヨット、和光大・沖縄ゼミ最後の旅スナップ。→http://bunjin-k.net/index.htm
沖縄本部町・備瀬の浜、画面では見えないが小さな熱帯魚も。左方の岩影には伊江島。(2003年1月)


第4号(2022年8月28日夜):
<中国に「躍動する韓国の生涯教育」出版>
 八月は少年Bの鎮魂の月。これまで「南の風」になんども八月の回想を書いてきた。広島・長崎に続いて、11日は故郷・久留米がB29大空襲で焼かれた日である。ホームページ「自分史メモ」に移しているので、お読みになった方もあろう。→http://www.bunjin-k.net/jibunsi.htm
 1945年は明治維新(1868年)から77年目、そして今年はそれから77年にあたる。明治・大正から悲惨な敗戦までと同じ歳月が、戦後の昭和・平成・令和と過ぎてきたことになる。当時14歳、少年Bは若者の入口に立っていたが、いま老境を終わろうとしている。
 「南の風」配信を終わっても、ホームページは生きているので、月に数回は折々の記録を書こうと本欄を用意したが、8月は年報(TOAFAEC)27号(特集・東アジア社会教育・生涯学習50年)の「記念座談会」の発言整理や修正そして校正に忙しかった。終わりの作業となって、副編集長として突然「巻頭言」も書くことになった。Zoom編集会議もあり、時間に追われ、気が付けば、8月が終わろうとしている。
 今日はモンゴル・フフホトより、トクタホ君メール来信。「小林先生へ、こんにちは・トクタホ(内モンゴル民族大学)です。大変にご無沙汰しておりますことを誠に申し訳なく存じます。先生におかれましてはご健康でおられますことをお祈り申し上げます。ここは、元気で頑張っております、人類社会は恐ろしい変化を見せているが、先生も私たちも、中国も日本も人類も全てが良くなり、平和な日々を向かいますことをお祈り申し上げます。」 今回の年報には、はすげれるさん(東京都立大学)が、トクタホたちのことを書いている。読んんでほしい。
 今年の夏、中国に(遅れていた)新しい本が出た。かって2017年夏、私も編集に参加して韓国の諸先生の労作を編集し、『躍動する韓国の社会教育・生涯学習―市民・地域・学び』(梁先生・李さんなど編者4人)が出版された経過あり。これを底本にして小林・梁・小山田3人が新編者となり、韓国「生涯教育」を初めて中国に紹介する本が出版された。中国語普及版(344頁、2022年8月) 書名:『躍動する韓国の生涯教育』(清華大学出版)。訳者:王国輝、楊紅(いずれも温州大学教授)、序文:韓民氏。韓民はかって東京学芸大学大学院→名大院に学んだ人、いま中国教育界のリーダー。温州・王国輝さん、刊行おめでとう! そして李正連さ、ご苦労さまでした。



第5号(2022年9月23日夜):
<今年のTOAFAEC年報27号完成!>
 今夏の台風は、大型でのろのろ、八重山・先島諸島に滞留しながら北上する。「波の高さ10メートル」と報じられ、お盆のような竹富島など海に吞み込まれるのではないかと心配。被害のないことを祈るのみ。数日前の超大型は福岡油山の隠れ家真上を通過したらしく、一晩まんじりともせず。瓦がとんでいないか、見に帰ろうかと思ったり。
 そんななか、今年のTOAFAEC年報27号編集・校正が進められた。沖縄「やんばる対談」もコロナ禍で中止が続き、なんとか再開の機会を待ちかねながら、年報特集には「沖縄本土復帰50年」そして「日中国交回復50年」を記念するテーマ、「東アジア社会教育・生涯学習」半世紀を総括する作業に取り組んだ。編集実務・江頭晃子さんが奮闘。当方も久しぶりにほぼ全ページのゲラ校正に励んだ。主要な依頼原稿が各国・地域から揃い、記念座談会も話題満載(ぶんじんは例の通りしゃべりすぎ!)。重みのある一冊が誕生。本文を書いている時点ではまだ現物を見ていないが、一仕事した余韻が残っている。確定した目次一覧をホームページにアップ。ほぼ300ページの大著、ご期待を。目次→■
 編集長依頼により久しぶりに「巻頭言」を書いた。わずか3000字弱の字数、その枠で沖縄復帰について、東アジア・日本の社会教育・生涯学習の50年の歩みについて、また東アジア各国・地域の躍動と日本の対照的な低迷、どう脱皮していくかの課題など。書ききれず、「課題は重く、海をこえて思いはひろがる」と・・何とかしめくくった。
 一か所訂正があるが、もう間に合わない。本欄に書いてお詫びしておこう。「日中国交正常化」(1972年)を9月25日と書いたが、「9月29日」とすべきであった。25日は周恩来・田中角栄の中日両首相が初めて固く握手した日。周恩来の人柄を思わせる熱い表情と、強いマオタイ酒の乾杯に唇がふるえていた田中角栄が忘れられない。この日の会談により毛沢東と会見(27日)した後、日中共同声明が発表され国交樹立(29日)という経過であった。あと数日で50年記念日がやってくる。
 巻頭言末尾に信州「松本モデル」について書いている。しかしわずか一行。巻頭言を書き終わったところに松本・手塚英男さん「東々寓だより」62号をいただいた。7月に松本で開かれた第64回全国自治体学校での現地分科会の記録、手塚さんの「公民館活動が広げた住民自治ー松本モデルを現地に学ぶ」報告が興味深く、なんとか1行もりこんだのである。「松本モデル」については本号でも紙数がなくなり、いずれ別稿で。
 年報27号(9月18日刊)


第6号(2022年10月6日):
■<四半世紀前、年報4号編集の頃・回想 ー 九月研究会記録を読んで
 農中至(鹿児島大学)の九月研究会(年報27号合評会)記録を読んで、四半世紀前の想い出を書きたくなった。当日参加者の一人、張鼎甲くん(筑波大学・院)について。彼の幼少期、忘れがたい私との出会いを思い出したからだ。
 農中くんも張くんも、半世紀前の、そして30年前の、当時の小林ゼミ・メンバーの愛息だ。教師にとっては、二人はいわば孫のような存在。いまTOAFAEC という小さな研究会で「孫」二人と再会することになろうとは・・・奇跡にちかいことではないか。
 張鼎甲くんは、三月(第290回)定例会にも参加していたが、残念ながらZoomによる研究会、対面で言葉を交わしていない。まだほんとに会った気がしない。いずれ対面の研究会で、再会の乾杯をしたいもの。
 想い出は1999年4~5月連休に遡る。10日ほどの日程で、韓国ソウル・水原(韓国文解教育協会年次大会・講演) → 中国上海(閘北区・学院合作について協議) → 湖南省湘潭(3大学・講演) →広州(電視大学・講演)へとまわった。当初は韓国から上海だけの、ゆったりした旅計画だったが、メール通信「南の風」に載せたところ、強い訪問要請があり、上海から内陸の湖南省湘潭へ、さらに南の広州へ、慌ただしく移動する強行日程にひろがった。ほとんど毎日の講演が組まれ、厳しいスケジュールとなった。当時、当方は和光大学教授、日本社会教育学会及び社会教育推進全国協議会の前会長・委員長の肩書き。
 張くんの母上は朱榴芳さん(東京学芸大学大学院・社会教育専攻)、父上は張 王玉さん、同じ大学院・学校経営専攻。現在は上海市教育科学研究院の要職にあり。帰国後、お二人は湘潭の大学に勤務していた。私の講演の通訳すべてを張さんに担っていただいた。鼎甲くんは両親留学中の日本生まれ、まだ3歳の幼な子を記憶している。「我是日本人、君は?」問えば眉あげ「我是中国人!」と応へり(ぶ)、などの幼い姿が目にうかぶ。
 湘潭には毛沢東の生家があり、劉少奇(文化大革命で死去、後に名誉回復)の生家も近い。この旅の記録は、拙い歌も含め初期「南の風」に散記していたが、後年(2015年)なんとかつなぎ合わせて「湘潭・広州の旅」としてホームページ(中国交流ページ)にアップ。お目にとまれば幸い。http://www.bunjin-k.net/tyugokureport97.htm
 まさに東アジアの旅、「東アジア社会教育研究」年報第4号(1999年)取材・編集・依頼の毎日でもあった。疲れたけれど充実した10日間。当時まだデジカメを持たず、記録の写真を載せられないのが残念。4年後2003年11月(上海)の張・朱夫妻


第7号(2022年11月21日)
■<19日ご参加御礼、久しぶりにアワモリ古酒を汲む>
 ご無沙汰しました。「南の風」終刊後、のんびり気分で本欄は忘がち、失礼しました。
 11月19日(午後)「ぶんじん91歳をを祝うつどい」にご参加いただいた皆さま、コロナ第八波にもかかわらず、有難うございました。江頭さん、山口さんなどの「呼びかけ」の方々、資料・当日の運営その他、ご苦労さまでした。資料「欠席の方々からの近況」によれば、見城慶和さん(もと夜間中学、えんぴつの会)は「・・・なんとコロナウイルスにとりつかれてしまい、連れ合いにも感染・・・」とのこと、驚きました。ハーモニカが聞けず残念至極、ご回復を祈っています。
 昨年の「つどい」にも顔を見せた「うそまこと」(人形劇団「はてな」)と、ぶんじんも久しぶりに「プーク」の歌、♪アイうえ大人のお人形~ カキくけ子どもの~♪を合唱。金沢からはるばるやってきた八朔くんのギターも懐かしく、皆さんから励ましをいただき、果報者のぶんじん、また若返りしました。帰宅したら(仕事が重なって来れなかった)胡興智さん(日中学院、華道家)がやってきて、見事なお祝いの生け花、目の前であざやかな制作。横山文夫さんから頂いたお花とともに、マンションのせまい部屋はいまお花でいっぱい! 
 楽しくなって、久しぶりに三階「風の部屋」の島酒・古酒(クースー)の甕からすこしばかり汲みました。胡くんを含めて5人で乾杯、ちびりちびりと「30年もの」の馥郁たる香りを楽しみました。皆さん帰ったあとも、ひとりで、♪この酒飲めばヤンバル思い出す♪と歌いながら、秋の夜が更けていきました。ハイリャン(海量)なのに酔って帰った飯沢美樹さんに忘れ物あり(保管していますよ)。
 当日はコロナ第八波蔓延のニュース。「ウイルス接種を拒否する」派をふくめて精鋭が集まった感じ.。恒例の終わりの集合写真、皆さんのお元気なお顔が並んだ。写真でいっしょに参加した故富美も楽しく笑っている。このページの下段にその集合写真をセットして、編集を終わり、ホームページにアップしたところ、どうしても写真画像が現れない。いろいろ四苦八苦の努力をくりかえしたが、ぶんじんの技術力ではダメのよう。救いの神・木村さんのレスキューをおねがいすることにしよう。
 写真のみ、待機中の「TOAFAEC通信」次号編集・山口真理子さんへ別送することに。残念無念!ご容赦を。(下部7行のみ急ぎ書き換え。冴えない日誌になってしまった。) ---→無事復旧!



第8号(2022年12月28日)
■<「南の風」暖簾をおろした年・・・暮れの解放感>

 今年も暮れていく。年末は毎年なんともいえぬ感慨しきりーたとえば焦燥感、切迫感(が多い)、ときに高揚感・充足感また敗北感や無力感もー共通して疲労感に圧されてきた感じ。しかし今年は心はればれの解放感! 「暖簾をおろす」「店仕舞い」といった言葉を夢見てきたが、今年はその実感を味わっている。皆さんの声援?をうけながら、なんとか一つの峠にたどりついたような実感でもある。おそらく『南の風』終刊(全4311号、最終号は今年4月10日)のおかげだろうか。あらためて各位に感謝の思い。
 メール通信『南の風』は1998年2月6日の創刊。計算してみると「2日に1通」のリズムで約四半世紀を発信し続けたことになる。押しつけがましい「風」もあったに違いない。最盛期メンバー約170人をつなぐ研究通信として(自分で言うのもおかしいが)お役にたった「風」も少しはあったのかも。国内・沖縄はもちろん、ソウル・北京・広州・上海・台北等にも飛び、カイロ・ジュネーブ・ニューヨークに吹いていた一時期があった。この間には、日本公民館学会創設を前にして「公民館の風」も創刊、計395号が加わった(1999~2003年)。このとき故伊藤長和さん(川崎→山東省)が私を諫めて「南の風」一本にしぼったことも懐かしい思い出。
 「風」の各号全文は、著作権の関係あり、そのままホームページにアップしていないが、すべての発行記録を収録済み。今では、ぶんじん自分史の貴重な実録となった。目次一覧の検索で、お読みになりたい号があれば、一報いただき、当該号配信のサービス思案中。→■
 この数年、同世代の友人たちが相次いで世を去った。その追悼記事や「偲ぶ集い」の折、さして健康保持に真剣でないわが身が、「不思議に命ながらえて」なんとか元気で過ごしていることを不思議に思うこの1年。5年前の長期入院・股関節大手術は、その後まったく痛みなく、杖を片手にしながらも、まずまず生活自立できていることが有難い。九十の坂を越えて、毎年少しづつ元気になっていく錯覚あり、頭も鈍麻しつつどうにか維持している。ただしお約束の最終著作づくりは、ほとんど進行せず申し訳なし。「略年譜」はこちら→■
 以上、今年の歳末ご挨拶まで。

2023年

第9号(2023年1月31日)
■<
 新しい年を迎え、ゆっくりと正月の賑わいを眺めている間に、春節も過ぎ、はや月の終わり。極寒大雪がやってきて、











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