【南の風2012】発行リスト・2951号〜3000号
各号目次一覧・後記(ぶんじん日誌)



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南の風・各号後記(ぶんじん日誌)


3000号【2012年12月15日
■<3000号の歩みに参加された皆様へ−感謝のご挨拶>
 本号は「南の風」15年マラソンのゴールイン記念号です。この間、3001号以降への期待を含めて、皆様からの便りは受信箱にあふれました。本号にすべてを収録したいところですが、とても無理。多くの(とくに長文の)メールを3001号以降にまわすことになります。ご容赦下さい。それでも風の歴史で、もっとも長い特別号となりました。
 多忙のなか、ヤマケンさん(山本健児・和歌山大学長)から貴重なメッセージ(上掲)が寄せられ、たくさんの方々から「南の風」に過分の言葉を頂戴しています。心にしみる励まし、暖かい声援、を胸にきざんで、次の歩みに踏み出したいと思います。
 南の風は、吹き始めた15年前は10人前後、親しい仲間だけのネットでした。だんだんと拡がって人数が増え、東アジアの海をこえる友人たちにも繋がり、多様多彩な顔ぶれへ。留学生たちも中国(もちろん台湾を含む)、韓国、モンゴルなど、ときにはエジプトの留学生も、この風に吹かれながら、巣立っていきました。日本各地の地域・自治体の関係者もこのネットに参加いただき、かけがえのない出会いが続いています。これまでの歩みを振り返って、参加された皆さんとの交流・友情に感謝あるのみ。
 仲間うちのネットからスタートしただけに、ときには不躾な、遠慮のない言葉がとびかって、失礼な号もあったと反省しきり。以前の風を読み直すと赤面するときがあります。ご寛恕ください。
 本号でお別れの方も少なくありません。お付きあい頂き有り難うございました。次々号あたりから新アドレス帳に切り替わります。さらに継続ご希望の方があれば、今後も遠慮なくお申し出ください。

2999号【2012年12月12日
■<風トラブル大騒ぎ、臨機の対応>
 前号「風・継続しますか?」を出したあと、たくさんのご返事が舞い込み始めました。10分おきのような間隔。各地からのメール、到着順(上掲)に並べかけたとたん、一転して、サーバー間のトラブル判明。hotmail 関係者にはすべて風が届いていないとのクレームです。きっかけは上海の呉遵民さん「最近8日、風が来ない」の連絡からでした。大騒ぎとなりました。この1週間には4本もの風が出ているのに、です。
 調べてみると、こちらのサーバー(so-net)とhotmail の間に何らかの障害があり,so-net のメールはブラックリスト?によりすべてブロックされている模様。hotmail からのメールはこちらに入ってくるのですが…。
 南の風メンバーのうちhotmail 関係者は約25人。応急措置として、早稲田大学・呉世蓮さんにお願いして(風2995〜2998号を早稲田大学に送り,呉さんのhotmail で転送していただく)、遅ればせながら各位に配信できたようです。呉さんのあざやかなお手並み。有り難うございました。もし欠号ある方はご一報ください。
 この間の通信には、12月21日の定例研究会の案内(2997号)も含まれています。今回は190 回研究会、韓国・中国・東京など各研究フォーラムによる合同研究会の企画です。各フォーラムからの短いご報告を期待しています。終了後は合同の忘年会。皆さんのお出でをお待ちしています。
 最後に今日の呉世蓮さんメール(Tue, 11 Dec 2012 18:12、抄録)。「…セヨンです。送っていただきました南の風を、hotmail アドレスの方に送ることができました。…先週から「風」が届いていなかったので、不思議に思いました。 … パソコンについて詳しくないですが、私でよろしければトラブルが解決出来るまで,hotmail の方々にお送り致します。…」

2998号【2012年12月10日
<3000号以降「風」配信リストを一新>
 5月入院から6ヶ月を経て、先日、その後の半年後診断のため胃カメラを呑みました。今年は当たり年(手術は別にして)6本目の胃カメラ。幸いに患部は順調に完全快癒。術後アルコール厳禁の2ヶ月半も幸いしたのか、肝臓γGTP の価が正常値。お酒すべてOK!のドクター再確認もいただきました。加えて『社会教育・生涯学習辞典』刊行の慶事もあり、今年の12月はルンルン気分。
 南の風3000号のゴールもこれに重なるはずでした。毎日のパソコンから離れて生活する夢を見て、(近年は自重気味の)やや長い旅の計画も考え始めていたのでした。しかし思いもかけぬ「風」継続への強い期待を受けて、やっと訪れる“定年”気分は、しばし延期?となった感じ。
 2996号「風の行方」末尾に書いたように、3000号を区切りとして、新しく風・配信リストを作成させて下さい。すでにご連絡をいただいた方もありますが、風・継続の要請をされた各位は別にして、引き続き3001号〜配信を希望される場合は、その旨を(必ず!)ご一報ください。
 あと数日で3000号。しばらく休止したい気分でいたのに・・・風を吹き続ける以上は(溜まった記事あり、年末・年始の集い連絡等もありますので)、そのまま引き続きの送信となる予感。ご意向はお早めに願います。
 『社会教育・生涯学習辞典』(朝倉書店)はお手元に届いたでしょうか。(風メンバーではありませんが)藤岡貞彦さんから辞典出版の快挙・お祝いメッセージを頂戴しました。懐かしい“藤岡節”。ご紹介したいところ。しかしEメールではなく、転記しなければなりませんので・・・お許しを。

2997号【2012年12月8日
■<12月定例研究会、訃報あり>
 本年納めの定例研究会(第190 回、12月21日)ご案内=上掲、が遅くなりました。11月研究会の報告記事(未着)を待って、その次にと予定していましたが、当日まで2週間を切りましたので、先に掲載することにしました。11月記録は追っかけて載せるようにしましょう。どうぞよろしく。
 当夜は、おそらく中国(上海、洛陽など)からの新参加、韓国からの年末帰国、古いメンバーとの再会など、新しい出会いが期待されます。お楽しみにお出かけください。
 12月となって、「喪中・年賀欠礼」のお知らせをいただく季節となりました。例年より多いような…。なかにこの11月14日に急逝した小林ゼミ卒業生(東京学芸大学、小学校教師、享年60歳)の訃報あり、暗然たる思い。せめてお悔やみをと思い、電話で伺ったところ、食道ガンだった由、悲報というべきハガキでした。
 昨日(7日)はまた、山口県長門市の中原吉郎さん(社会教育主事・市議・長門新時事聞社設立、俳人)が亡くなられた由、お知らせをいただきました。ご記憶の方もあると思いますが、2010年4月『そよ風−長門の社会教育私史』(私家版)を上梓され、ぶんじんも「刊行に寄せて−ひとすじの道に学ぶ」を書き、南の風(2422号)でも紹介した経過があります。→■http://www010.upp.so-net.ne.jp/mayu-k/essay2010.htm
 享年87歳。晩年の療養生活を除いて、活発・多彩な人生を歩まれた方でした。私蔵「月刊社会教育」バックナンバーの寄贈をうけ、和光大学図書館に収めたことなど懐かしく思い出しています。50年にわたるお付きあいでした。心からご冥福をお祈りします。

2996号【2012年12月7日
■<3000号後のこと−風の行方>
 南の風の初心は三つ。一つは沖縄(南)研究の再開とネットワークづくり。二つに留学生や研究マイノリティとの連帯、当方に舞い込む研究情報の惜しみない共有。三つには、「東京・沖縄・東アジア」の出会いと交流、ひろばづくり。思うに任せない歩みではありましたが、少しの役割は果たせたかな、そろそろここらで店仕舞い…というのが正直なところです。この15年の間に毎年のTOAFAEC 年報が発刊され、中国・韓国での出版を含めて10冊あまりの本を世に出すことができました。折良く3000号の節目。
 まだ(心意気だけは)元気だと言いながら、パソコンをたたく指の誤作動、視力の衰え、など如何ともし難く、文章のもたつきもご覧の通りです。来る3000号の本欄で、これでおしまい、風ネットに参加していただいて有り難う、皆さん、お元気で!・・・とご挨拶する日を夢見てきました。
 しかし思い通りにいかないのが世の習いか。この間に寄せられた「風」継続を!の声に押し倒される心境です。ご期待への大いなる感謝と当惑と。
 前号本欄に書いたように、TOAFAEC の活動は“継続”というより、むしろ“高揚”する側面もあり、なんらかのかたちで、その広報機能を維持する必要があります。TOAFAEC 事務局機能の活性化が課題となってきます。そのことを念頭に、いましばらく自由なリズムでの風・発行を継続すべきか、と思うに至りました。ただし誤字、脱字、変換ミス等を許容いただく。あわせてミスは見逃さず、お気づきの方で訂正していただければ幸い。
 あと一つのお願い。あらためて風の配信リストを新しく作成したいと思います。リセットの思い。3000号以降も(勝手気ままな)「南の風」を引き続き受け取ってやろうとのご奇特な方は、E-メール・アドレスをお送りください。この機会に新しく参加ご希望の方があれば、お誘いください。

2995号【2012年12月5日
■<15年マラソン・あと5号>
 あと5号で、ようやく3000号のゴールとなります。ラストスパートの余力なく、いまはむしろゆっくりと、これまでの15年マラソンの疲れを癒す思いで12月を迎えています。気軽に、スローに吹く風は気持いいものです。
 この間、南の風を惜しむ声をいろいろ寄せていただき、有り難うございました。面映ゆいものあり掲載省略お許しください。また風を配信していない方からも(たとえば上掲・朝倉書店の野島薫さん)「…時折HPを覗かせていただいて,とても身近な存在になっていただけに寂しいです」など。恐縮しました。HPには、風(ぶ)欄のみ記録として収録してきましたが、この欄が案外と読まれていることを再確認して、嬉しくなりました。
 こちらは煩悶の1ヶ月余。とくに海をこえて「風やめないで!」コールは痛く心に響いてきました。若い世代からも、3000号は一つの通過点だ!あと少し頑張れ!など。こちらが激励役のはずなのに、と妙な気分になり、しかし年寄りが若者から激励される心地よさを味あう機会ともなりました。
 TOAFAEC としては毎月の定例研究会はじめ、来年に向けての年報編集の企画が始まりつつあり、「風」はそれらの広報機能を担ってきた経過があります。これをどうするか。「辞典」は刊行されましたが、東京社会教育史研究フォーラムなど新しい胎動もあり・・。活動があれば「風」の役割に期待されるところが残ります。年甲斐もなく悩んでいるのです。次号あたりで(煩悶を打ち切って)何らかの方向を書くことにいたします。

2994号【2012年12月3日
■<『社会教育・生涯学習辞典』>
 12月師走、東京も急に寒くなりました。北の大吹雪、中央道トンネル崩落事故など変事ニュースがあいついでいます。皆様お変わりありませんか。
 11月30日のTOAFAEC 研究会、12月1〜2日は日本公民館学会(第11回)研究大会と続き、やや疲れて先ほど帰宅したところです(2日夜)。
 前号本欄に記しましたが、待望の『社会教育・生涯学習辞典』(同・編集委員会編)が予告通り30日に刊行されました。誕生ホヤホヤの新刊1冊、朝倉書店から急送していただき、当夜の研究会で皆さんにご披露。同じ本を翌日の学会々場にも運んで見本展示することができました。手打明敏さん(筑波大学、学会会長)は学会総会・冒頭挨拶で、新辞典を手にかざしながら、刊行成る!の朗報を。会場には編集委員・執筆者も少なくなかったからです。
 約700 ページの重量感あふれる1冊。いい出来映えです。値段も重量級(18000円+税)。個人で買うのはなかなかたいへんですが、もしご希望の方があれば、送付先を含めてご一報ください。小林扱い(15%の著書割引き)として朝倉書店につなぎます。編集委員・執筆者への献本・特別割引きについては、直接に朝倉書店よりご連絡があるはずです。
 辞典づくりの10年は、ちょうど日本公民館学会創立(2003年)からの歩みと重なります。言うに言われぬ達成感に酔っています。ご協力いただいた皆様にあらためて御礼申しあげます。
 本邦初の社会教育・生涯学習辞典、まわりの図書館、行政機関、諸公的施設、大学・研究室などで購入いただくようご喧伝いただければ幸いです。
日本公民館学会・懇親会 (法政大学多摩校舎・エッグドーム、20121201)


2993号【2012年11月29日
■<朝酒の楽しみ、など>
 本欄に何を書こうか、と毎回楽しみでもあり、ときに苦しんでもきました。いま(3000号を前にして)書くことがありすぎて、困っています。書きかけた文章もいくつか。消してしまうのも惜しいので、本号は(断片的になりますが)二つ三つの話題を並べることにします。
 前号収録の呉世蓮さん「(済州の旅で)普段できないこともできたのでとても楽しかったです。それは朝からビール…(笑)」に関連して。「朝酒の楽しみ」と題して次のようなことを書いていました。
 よく歌われる民謡「会津磐梯山」の囃しに「小原庄助さん」が登場します。実在する人物かどうか定かではありませんが、♪小原庄助さん なんで身上つぶした 朝寝 朝酒 朝湯が大好きで それで身上つぶした ああもっともだ もっともだ♪ と歌われます。いい調子、なるほど …という気分。…などと続けて、温泉慰安旅行などでは朝湯、朝酒となるのは当たり前。しかも私たちは失うべき身上(財産)さえもたないのだから「朝酒」こそ旅の楽しみだ・・・と強調したあたりで中断。少し反省?して前号「済州八策」に切り替えたのでした。
 昨日は、ある人と昼のビール。別れて・・・上映時間も折良く、神保町「岩波ホール」のアンジェイ・ワイダ監督「菖蒲」を観ました。「地下水道」(1956)などから最近では「カティンの森」(2007)を撮った老監督。どんな作品だろう、80才代の仕事は気になるのです。かっての反ナチス・反ソビェトの政治路線とはまったく離れて「あまりにも遅く訪れる恋、あまりにも早く訪れる死」など、生のはかなさと死への不安をテーマに、三重(原作物語、女優の独白、撮影現場ドキュメント)の構成。最初のところをビールの酔いでウトウトして、追いつくのに一苦労しましたが。
 さて、いよいよ「辞典」が姿を現します。朝倉書店・野島薫さんから連絡が来ました(上掲)。ちらしや割引のことなど、お願いしました。明日(30日)の定例研究会に見本現物が間に合えば有り難いのですが・・・。

2992号【2012年11月27日
■<済州八策>
 今回の済州への旅の折々、(公式の)三国フォーラムが中止となった経過もあり、これからの東アジア研究交流の集いについて、いくつか考えることがありました。とりとめのない語り、その断片を思い出して、メモにしてみました。仮に「済州八策」と題して記録にしておくこととします。
○海を越える「東アジア生涯学習研究フォーラム」のイメージ;
1,規模の大きな集会をいたずらに求めず、有志的な交流と友情の繋がりを大事にする。
2,国家を背負わない。個人・マウル・都市・大学研究室等の、それぞれの自主的な参加を基本にする。
 台湾の友人たちにも呼びかける。
3,有志・連帯の思いをもって、海を越える民主的な運営組織をもつ。財政的には個人負担・寄付を基本
 とし、積極的に公費(科研費等)を活用する。
4,研究者だけでなく実践家・市民・行政関係者等の参加を拡げていく。
5,地域と交流し楽しく遊ぶプログラムと、共に語り論じ学びあい、真剣に討議していく企画を組み込む。
6,フォーラムの主要な内容を記録化する。集いのメッセージ(気づき、総括、宣言など)を発信していく。
7,協力・共同・創造の精神。関連諸学会、国際的なNGOなどと多元的なレベルで協働し連携していく。
8,海を越える研究共同体を夢見る。
 これらは済州の夜の語らいなどで、誰かが発言した言葉を綴ったものです。同行の皆さん、補足・追加などお願いできれば幸いです。新しい発想も加えて下さい。
 済州・3日目のエクスカーションの写真を1枚。碧い空と蒼い海、南の(やや寒い)風が頬を撫でていきました。一行のうち韓国のヤンビョンチャン先生はイカ焼き待機中、チェイルソン先生と日本の上野景三さんは、この朝すでに帰路につき、写真には顔が見えません。
済州島の旅一行 (島東端の岬にて 、2012/11/18)  撮影・李相Yさん


2991号【2012年11月25日
■<中国研究フォーラム、済州の旅の余韻>
 一昨日(11月23日)は久しぶりの中国研究フォーラム。『東アジア社会教育研究』第17号の「中国の生涯学習・この1年」(力作!)に目を通して出かけました。休日の午後、最近の中国「生涯学習・地方条例」の動きなどを議論、充実したひとときでした。これから1ヶ月に1回?開催の気配を感じました(次回は12月15日の開催案)。ぜひ定例化してください。楽しみです。当日の記録もすでに丁健さん(東大・院)から届いています。ご苦労さま。到着順掲載として(やや長文でもあり)次号まわしとします。ご了承ください。
 この会で初めて陸素菊さん(華東師範大学)にお会いしました。終わって、茗荷谷駅近くの店で有志によるささやかな歓迎会(写真)。早速、「風」にご挨拶を頂戴しました(上掲)。これから1年間の東京生活とのこと(東京大学・客員研究員)、いい1年となるよう祈っています。
 風はこの数号、済州島の旅の報告が続きました。まだ旅の余韻が残っています。4日間にいろんな課題が語られました。これからの三国・国際フォーラムについてどう考えるか、非公式でも心のかよう研究交流を拡げていきたい、済州の旅のような企画を、次回は沖縄で実現できないか、台湾の友人たちにも呼びかけていきたい(幸いに沖縄は近い)などなど。
 済州の旅のなかで例によって戯れ歌あり。座の賑わいに2首ほどご紹介。
【歌の工房】−済州島の旅(2012年11月17日) 
◇風わたる海辺の道を駆けてくる 乙女のありて天女のごとし −呉世蓮さん・ビールをかかえて−
◇済州の南の海に月照りて ブランコ揺らし“旅情”を歌う −宿の庭先は海。鄭賢卿さんと「知床旅情」−
陸素菊さん(右から2人目)を囲む (茗荷谷、20121123) - 撮影・呉迪さん


2990号【2012年11月24日
■<済州 四・三事件>
 前号本欄「江汀(カンジョン)村の悲しみ」に書きそびれたこと。同海軍基地反対運動について、上掲・米山義盛さんの「風」寄稿(2817、2867号など)がきっかけでした。また、沖縄の米軍基地問題と闘う皆さんたちも、いちはやく江汀・海軍基地闘争への連帯を掲げて、それに刺激されて本欄も「済州島・反基地闘争と沖縄」(2868号)を書いた経過があります。たとえば、沖縄「辺野古浜通信」ブログには、『済州海軍基地建設の中断と東アジア平和を求める世界市民の声明』(3月20日、平和と自然を愛する韓国、日本、米国、カナダ、ドイツの市民一同)が収録されています。→■http://henoko.ti-da.net/e3891421.html
 今回の旅では、あらためて「済州四・三事件」についての認識を新たにしました。上掲「烟台の風」でも重く書かれていますが、多くの人が知らなかった(今も知らない?)こと。これほど悲惨な現代史があったとは!の思い。故盧武鉉大統領が「国家の犯罪」として公式に謝罪、その後、ハルラ山麓に壮大な「済州四・三平和公園」(写真)が建設されています。同財団発行「平和の風」(日本語版)から、その一部を抄録します。
 1947年3・1発砲事件に始まり、1948年4・3武装蜂起から「武装隊と討伐隊との間での武力衝突と鎮圧過程で、2万5000〜3万名の島民を犠牲にし,7年7ヶ月でようやく幕を下ろした」、「…済州4・3事件は、国家公共力による集団犠牲により帰結し、以後半世紀を超えて真相究明運動により、名誉回復を通じ、和解と相生の解決過程を歩んでいる」と。
 参考文献として、金石範『火山島』1〜7(文藝春秋)1986〜2007。あるいは、藤永壯(大阪産業大学)「済州四・三事件と私たち」(1998)など。
 →■http://www.dce.osaka-sandai.ac.jp/~funtak/papers/introduction.htm
済州4・3平和公園「4・3平和記念館」(済州市、20121116)


2989号【2012年11月21日
■<江汀(カンジョン)村の悲しみ>
 誕生日のこと、いくつもお祝いメール(上掲など)をいただき、有り難うございます。実は本人はあまり自覚なく、妻と同年同月の生まれ、二人あわせて11月のどこかで(あるいは孫たちが来たときに)ささやかな乾杯をする程度。ところが今年は、済州島滞在の2日目、日本・清州の両グループ交歓会の席上、どなたかが音頭をとって、盛大なお祝い乾杯をしていただきました。待望の済州、故郷・九州の隣の島で、韓国の皆さんともども祝っていただくとは・・望外の幸せ!とはまさにこのこと。そして、もうすぐ「辞典」刊行が予定され、風も3000号に到達・・・と、一足先に正月が来るような気分になっています。
 さて済州島のレポート。済州島はハルラ山(1950m)の噴火による火山島です。その南側の海岸・江汀(カンジョン)マウルには、いま韓国海軍基地が建設されています。村(700戸)の 95%が反対、内外支援を集めながらも、基地建設工事は強行され、村民に多くの逮捕者を出し、多額の罰金が累積中。
 今回の旅で、私たちはその現場に少しでも接したいと、2日目に江汀村に車を走らせました。幸いにその模様を伊藤長和さんが「烟台の風」268号(上掲)に書いて下さいました。海岸の岩礁でぶんじんが5回も転んだことも→■。足腰が弱くなって情けない。ゲートでは、工事トラックを阻止しようと座り込み抵抗を続ける人々の叫び声。それを排除する警察側(若者たち)の無表情が対照的。現代の悲しみを味わったひとときでもありました。
 南の風では、江汀マウルの闘争について、何回か集会や現地新聞などを収録してきました。今年に入って、2816号(2月7日)、2868号(4月20日)などご覧ください。当日(17日)江汀村の写真を1枚、下に。
座り込み抵抗を排除した機動隊に守られ、工事車両は動き出す。(江汀、20121117)


2988号【2012年11月20日
■<東アジアの研究交流−友情が結ぶ済州島ツアー>
 これまで(1990年代以降)、欧米との比較研究だけでなく、東アジアへの関心をふくらませて、北京・上海・福建あるいは台北、そしてソウルや公州など、各地との研究交流に努力してきました。いま科研費による海外出張が頻繁に行われるようになって羨ましい限り。近年までは海外への旅費はなかなか認められず、(一部の招聘を除けば)経費はほとんど自費でした。TOAFAEC もよく頑張ってきたものです。
 しかし、これらの多くは日中、日韓など二国間の関係でした。さらに多角的な視野から三国間・東アジアの拡がりをもって、いま胎動している社会教育・生涯学習の新しい研究・交流を創り出そうと夢見てきました。日・韓・中あるいは台湾から、集いあい、ともに語らい、友情を深めていこう、そんな“ひろば”づくりへの道のりです。
 この間いくつか面白い動きがありました。2008年春の華東師範大学(上海)の沖縄訪問、韓国からも数名の参加あり、思わぬ三国交歓の場となりました。
 →■
http://www004.upp.so-net.ne.jp/fumi-k/shanhaiokinawa0803.htm
 そして2010年の上海・三国国際フォーラム(第1回)開催の流れへ。
 →■http://www010.upp.so-net.ne.jp/mayu-k/3kokusinpo2010.htm
 また2011年には福建の皆さんが日本・韓国への視察訪問を実現されました。
 →■http://www010.upp.so-net.ne.jp/mayu-k/tyugoku200912.htm
 今年は三国国際フォーラムの第2回が韓国・済州島で開催される予定でしたが、日中の政治的緊張関係のなか、中国の参加が取りやめとなり、公式の国際フォーラムは中止。その空白に、有志による日韓の交流・友情が結ぶ済州島への旅が実現しました(上掲)。昨夜遅く帰ってきたところです。経過はHPにも収録しましたので ご覧いただければ幸い。→■http://www010.upp.so-net.ne.jp/mayu-k/higasiasia0905.htm

2987号【2012年11月14日
■<北方系の弥生顔>
 前号に琉球新報・コラム「しょうゆ顔とソース顔」(11月8日)を紹介しました。いわゆる「弥生顔」と「縄文顔」のこと。沖縄の友人たちや東アジアからの留学生と付き合ってきたなかで、折にふれて考えてきたことです。私たちは自らの歴史・国家や言語にそれぞれ固有の違いをもちながら、人類学的にルーツに遡って悠遠の流れをふりかえってみると、案外と近い繋がりをもっているようです。自分のつまらない「しょうゆ顔」を鏡で見ながら、生まれが北九州ということもあるのか、典型的な北方系の弥生顔(しょうゆ顔)だと知るのです。
 同コラムは次のように書いています。「日本本土やアイヌ、沖縄の人たちと中国人らのDNAを比べたら、アイヌと遺伝的に最も近いのが沖縄…。本土は韓国、中国人とも近いことが分かった。」「…もともと1万数千年前から縄文人が住む日本列島に、大陸から3千年前に弥生人が渡来。混血が進んだが、北海道と沖縄はそれが少なく、縄文系が数多く残った―という学説を裏付けている」と。
 はじめて韓国を一人旅したとき(1980年)の想い出。慶州の古城、早春の丘にたたずんでいると、ぶらぶらと韓国青年が近づいてきて「ソウルから来たのか」と話しかけてきました。韓国人と思っているのです。たどたどしく応答し、そばの茶店で、声をかけてくれた感謝の乾杯をしました。
 そのとき思ったこと。沖縄に長い歳月を通いましたが、一度もウチナンチュ(沖縄人)と間違われたことはありません。すぐにヤマトンチュ(大和人)だと分かるのです。北方系ののっぺりした弥生顔だからでしょう。
 ときに不躾にジッとお顔を見つめる癖がありますが、その際の非礼はお許し下さい。

2986号【2012年11月12日
■<懐かしのメール>
 先月の韓国研究フォーラムで再会した文孝淑さんから、普通のリズムでメールが来るようになり(上掲)、懐かしい思い。こういうとき、あらためて「風」の効用を実感します。「個人的にはぜひ風を続けてほしいなぁと思います」との一文も拝読しました。いつぞや本欄に書いた表現を使えば、待ちかねた“家出娘”の戻りが嬉しい。しかし、入れ違いに「風」の今後がどうなるか、戻り風を吹かせることが出来るかどうか煩悶の時期と重なって、皮肉なことです。
 文さんと同じ時期の東京学芸大学・研究室メンバーだった全英さん(アメリカ在住)から懐かしのメール来信。「ご無沙汰しております。実は私は11月17日と18日に日本に一時滞在して北京と大連に帰る予定ですが、もし可能なら・・・お会いしたい」(Sat, 3 Nov 2012 01:15)。折悪しくこの両日は都合がつかない、米国への帰路に日本に寄れないかと返事しました。「…相変わらずお元気で、活躍していらっしゃるようで、…先生は過去の事を懐かしく思うより、いつも前向きで、現役の人生を楽しんでいるよう…」(Sun, 4 Nov 2012 00:01)。自分でもそうありたいと思っているだけに、まさに励ましの一文。しかし帰路は日本には寄れないそうで残念。
 全英さんは北京師範大学の出身、1990年頃に日本の公民館(「寺中構想」を含む)について意欲的な修士論文をまとめた人。その後のアメリカ生活について「風」にレポートが送られる模様ですが、3000号に間にあうか心配。これも皮肉なこと。

2985号【2012年11月10日
■<石蕗(つわぶき)の花>
 7日夜、東京研究フォーラムの帰路、高井戸駅前の階段で、井上恵子さんの姿がフッと消え、ゴツンと音がしました。軽ろやかなステップだったのに、足がすべったのか転倒されたのです。もちろん突然の出来事、心配でしたが、帰りの電車は幸いに佐藤進さんと同じ方向、ご一緒だと聞いて、私たちは安心して二次会を楽しんだのでした(前号・写真)。
 佐藤進さんから来たメール(Fri, 9 Nov 2012 14:34)。「… 今朝ほど(井上さんから)電話があり、大丈夫とのことでした。…」 そしてご本人からも「ご心配をおかけしました」(上掲)とメールをいただきました。いろんなことがあるもの。大事なくて、ほんとによかった。
 2ヶ月ぶりの博多。今回は、70才代の従兄弟たちが集まって、積もる話をしました。ぶんじんだけが80才代、文字通りの長老です。1945年の博多大空襲、戦後の川端・寿町あたりの賑わい。いま博多座近くの川端通に父の生家(呉服屋)があったのです。歳末・売出しの繁忙期には、呉服屋の店頭に立って、丁稚どんの手伝い(学生バイト)をしたことなど思いだしました。昔の町並みはまったく消え失せて、案外と七月の山笠・祭組織(大黒流)だけが元気に生きている、そんな感じ。
 油山の陋屋、庭にはいま石蕗(つわぶき)の花が咲き競っています。ほとんど枯れ果てた白樺の根もとに、黄色の可憐な花々が寄り添っているかのよう。石蕗の花は、あるかなしかの、かすかな香りがします。季語としては石楠は冬。これから油山も冷えてくることでしょう。
老いた白樺に寄り添う石蕗の花、油山(2012/11/10) 写真移動

2984号【2012年11月8日
■<福岡へ
 私だけのことでしょうか、なにか師走に入ったような、慌ただしく時間に追われる数日が続いています。いまから福岡・油山へ向かいます。
 昨夜(11月7日)は、新しく活動が始まった東京社会教育史研究フォーラムでした(第2回)。上掲・井口啓太郎さん報告の通り、思いのほか多数の参加。“東京研究”というテーマに関心を寄せる人が少なくないことをあためて知りました。「東京社会教育史の全体像をとらえる視点」というテーマで話をさせていただきましたが、例によって尻切れトンボ。秋の夜長といいますが、やはり夜の日程は時間が短かすぎて、あっという間に会場を閉じる刻限となってしまいました。
 終わって疲れを癒す(いつもの)「イーストビレッジ」に先客グループあり、別の高井戸駅横の店へ。馴染みのないところでしたが、珍しい顔もあり、賑やかな交歓となりました(写真)。皆さま、お疲れさまでした。
 忙しい思いの一つは、朝倉書店「辞典」づくりの最終段階で、野島薫さんからメール来信(6日夕)。「…昨日,索引が出校しました。印刷所のほうでだいぶ苦労したようで,予定より大幅に遅れてしまいました。が,欧文索引18ページ,和文索引28ページの大作になりました。ページがかさんでしまいましたが,掲載項目数を重視ということで、このボリュームでよしとしたいと思っております。…」 
 最終的に確認して欲しいと、50ページ近くの索引ゲラが送られてきました。1両日で・・・とのことで、これに目を通しながらの福岡入りです。
 福岡の、もっとも親しかった従兄弟が亡くなったのです。明日は、幼い日、ともに遊んだ海辺の道をひとり歩いてみようと思っています。
東京社会教育史研究フォーラム・二次会、高井戸駅近く、撮影・金ボラムさん (20121107) →関連記事・写真


2983号【2012年11月6日
■<社会教育統計・中間報告>
 先月末、社会教育に関する国の指定統計(1955年以降〜)の新しい数字(2011年度)が中間報告されました(10月31日)。確定値の公表は来年3月とのこと。前回(3年前・2008年度統計)から、状況はどう推移しているのか。とくに公民館の施設・職員の動向が気になるところです。
 公民館ピーク時(1999年)1万9千館を超えていた数字が、今回調査では15,400館へ。3年前(前回調査)よりさらに1千館余りの減少。この数字は「類似施設」(社会教育会館・センターなど、*自治公民館ではない)を含んでいて、公民館のみに限定すれば14,681館。1万5千の大台を割ったのです。図書館・博物館を含めて他の社会教育施設は、一貫して漸増傾向にあるのと対照的。そして「指定管理者」導入の公民館が8.5%(1,315館)。他方で前回統計から登場した「生涯学習センター」は、今回調査では409館に。
 本欄ではあまり数字を書きたくないのですが、ことのついでに職員数の推移について。公民館の職員数はピーク時より約8千人減少し、48,257人。しかも退潮傾向にあった専任職員の割合がさらに落ちています。今回調査では全公民館職員に占める専任の割合はわずか18.4%(9,080人)となりました。兼任(約1万人)非常勤(約2万5千人)指定管理者委託(約4,300人)という構成。公民館制度創設65年の蓄積の実態です。この水準は(発展ではなく)明らかに衰退傾向にあります。
 もっとも職員体制の弱体化はすべての社会教育・体育施設についても言えること。専任職員の占める割合は図書簡・博物館を含め、大きく減少傾向にあります。あらためて施設職員の“専門職化”運動の必要を痛感させられます。今回統計のさらに細かな分析・課題を提起していきたいもの。
 詳細データは、文科省ホームページ→統計情報→社会教育調査。

2982号【2012年11月4日
■<秋の月・三国間の交歓>

 11月2日未明、沖縄県読谷村で酒に酔った米兵が民家に侵入し、寝ている中学生の頭を殴るいう事件が起きました。先月の米兵集団強姦事件で夜間外出禁止が発令されている中の出来事。「沖縄はもはや無法地帯だ」と断ずる琉球新報社説(11月3日・上掲)。その結びは「…空には頻繁に墜落している欠陥機が飛び交い、外を歩けば米兵に性的暴行を受け、自宅で眠っていても米兵に襲われる世界はどう考えても正常ではない。」
 全く!まったく! 実は本欄は、秋の月の光が澄みわたっている下での楽しい集い(下記)を書きはじめていました。沖縄・読谷の月もきっと澄んでいたはず。その下で起きた事件、なんともやりきれない。「見る人の心にまかす秋の月」(乙二)という名句がありますが、同じ夜をさまざま照らす秋の月、というところ。
 私たちの11月2日は渋谷「ロゴスキー」で上海・呉遵民さんの歓迎会でした。この店は古くからのロシヤ料理店。ここで本づくりの編集会議をしたり、甥・姪を集めて親戚の寄りをしたり、かなり大がかりな中国要人歓迎会を催したり…。東側に窓が開いていて、窓際の席は、JR渋谷駅の上にゆらゆら昇ってくる季節の月を楽しむ格好の月見の席。しかし、この夜は窓際の席がなく、奥まった一角。月はなくとも、積もる話に花が咲く賑やかな会となりました。
 呉さんと同行の二人は、華東師範大学の教授・朱益明、副教授(高校校長)周彬の両先生(副学長・任友群氏の来日ならず)。初対面ながら、すぐに心では“老朋友”の間柄に。この夜なによりの話題は、華東師範大学側から垂涎の逸品「御製耕織図」(創立六十年記念)を頂戴したこと。大学図書館秘蔵財の見事な復刻版。家に帰って開く1枚ごとの名画・名筆に心は躍り、終夜眠りませんでした。
 呉さんと旧知の文孝淑(韓国)さんもかけつけ、それに黄丹青さんと孫佳茹さん(上掲)二人の中国人が加わり、日本人は小生と山口真理子さんの二人。少人数ながら思わぬ三国間の交歓会となりました。

華東師範大学の3先生(後列右より朱益明、周彬、呉遵民の各氏)を迎えて(渋谷、20121102)


2981号【2012年11月1日
■<11月〜12月のスケジュール>
 いつも訂正・お詫び記事から本欄が始まるのも、つらいところ。前号本欄2行目(一部の方に)「大きな」の「大」の字が抜けていました。行数を縮める作業で、うっかり消してしまい、更にそのミスを見逃したのです。
 気を取り直して。急なご案内になってしまいましたが、2日来日の上海・呉遵民さんを歓迎する(夕食)会を開きます(上掲)。ご本人は少し遅れて参加か。11月中旬の三国国際フオーラム(済州島・予定)中止のことを含めて、積もる話ができましょう。歓迎会の時間・会場等について、ご案内はHP(2日夜)をご覧下さい。慌ただしい案内で申しわけありません。→■ http://www004.upp.so-net.ne.jp/fumi-k/2006sinnenkai.htm
 11月の新しいカレンダー。新しくスタートした「東京社会教育史研究フォーラム」が7日夜に開かれます。9月の第187回定例研究会に続く第2回目(実質的には第1回)。皆さま、賑やかにご参集ください。案内はこちら→■http://www004.upp.so-net.ne.jp/fumi-k/tokyoforumu2012.htm
 11月の定例研究会(第189 回)は月末・最終金曜日の30日夜。日本公民館学会の前日です。「東アジア社会教育研究」第17号の合評と第18号に向けての協議か。上野景三編集長(佐賀大学)も参加できる日程での企画です。
 そして12月の定例研究会(第190回)は、先日(10月21日)韓国研究フォーラムでの提案もあり、関連諸研究フーラム合同研究会(韓国・中国・東京)を企画する方向となりました。12月21日(金)の予定(上掲・事務局長記事)。(HP・詳細案内はまだですが)会場もそれぞれ決まりました。
 →■
http://www007.upp.so-net.ne.jp/bunjin-k/yotei1210.htm
 東京社会教育史研究フォーラムの発足、南の風3000号達成、『社会教育・生涯学習辞典』(朝倉書店)刊行など、まわりにお祝いごとがたくさん。おそらく忘年会も兼ねて、盛大な190回定例会となることでしょう。

2980号【2012年10月31日
■<辞典づくり10年・回想(5)−東の空は茜に映えて>
 伊藤長和さん「南の風の継続を!」、(迷いましたが)上に掲載しました。大きな声が聞こえるよう文面。瀬川理恵さんからも、同趣旨の「やめないで!」メール、激励文の趣き。こちらは紙面の関係で掲載割愛、お許しください。皆さんからのご意見もどうぞ。当方の考えは近く書きます。
 「辞典づくり」回想について。辞典の実物がまだ世に出ていないのに回想とは・・・奇妙に思われる方もありましょう。確かに早すぎ!です。しかし11月末(予定)出版の頃は「風」3000号に向けての最終コーナー、終幕を見越して一足先に書いておこうという算段です。本号も長くなりますが、書き溜めていた「辞典づくり10年・回想」(5)を載せることにします。

 風2973号本欄の続き。辞典の執筆依頼からすでに6年が経過しています。いろんなことがありました。一部には予定の原稿が入らず、あるいは校正ゲラの戻りがなく、催促の言葉も尽きて・・・まわりの助っ人メンバーに急ぎ対応をお願いする場合もありました。水面下の見えないサポート、あらためて縁の下の力持ち集団の皆さんに深い感謝!です。とりわけ特記したいのは、終盤のほぼ1年、辞典収録・全項目について外国語表記を完成させた、末本誠さんを中心とする神戸大学研究室の皆さんのご尽力!
 今年は辞典出版の確たる見通しがつき、小さな作業も苦になりませんでした。たしか9月はじめの暑い日、朝倉書店から重い包みが届きました。辞典原稿をアイウエオ順に並べた最終のソート校。それまでは個別の原稿を読み、あるいは執筆者別のゲラを見てきました。初めてア〜ワまでの辞典構成で綴じられた全原稿ゲラの包みを手にしたのです。あの日の感激は忘れられません。「辞典」だ! 暑さを吹き飛ばす一瞬でした。
 9月はこの最終ゲラを通覧する毎日。600頁余、1500項目、完全ではありませんが、ほぼ全部に目を通しました。ほれぼれするような文章もあれば、なかに手を加えたくなる原稿も(ジッと我慢!)。苦しい最終作業を覚悟していましたが、項目が進むにしたがって、なんとも言いようのない幸せな気分、充実感、達成感に満たされていく日々でした。私たちが悪戦苦闘している「社会教育・生涯学習」という領域が、これほどの「ことば」の拡がりに、多彩な概念や方法のこれほどの豊かさに、充たされているのだという感動を味わうことができました。
 10年の歳月は短いものではありません。この間にある方は結婚され、ある人は就職し、あるいは定年で退職されました。前にも書いたように鬼籍に入られた長老もあります。ともに苦労した末本誠さんは、昨年秋に入院、私も付き合って今年5月に同じ病の治療をしました。二人とも経過は良好。退院すると朝倉書店・野島薫さんの連絡メール・送付ゲラが山積みになって待ち構えていたことも、今は懐かしい想い出となりました。
 ノートの切れ端から、例によって拙い歌を二つほど。
 【歌の工房】6月20日未明(退院・経過良好、酒はまだ控えるべしと。)
◇思いを残し逝きし人の絶筆ならん 襟をただして校正をする
◇病癒え筆とり直しゲラを読む 東(あがり)の空は茜(あかね)に映えて

2979号【2012年10月29日
■<古居みずえ監督>
 10月26日定例研究会には既報(風2976号)の通り、いま多くの人が注目している古居みずえ監督がお見えになりました。未公開の飯舘村ドキュメンタリー記録を特別に観せていただき、興味深い話を伺いました。
 古居さんは、20数年前よりパレスチナを取材され、現地に通いながらの映画づくり。今回の飯舘村の記録も、パレスチナ・フイールドワークと同じ姿勢で、福島に通っておられるようです。シリヤで銃口に倒れた山本美香さん(ジャーナリスト)とも親しい間柄だとか。飾らない語り口のなかに、激しい思いを秘めておられることが伝わってきました。板橋区の社会教育が、なぜパレスチナに、また今回の飯舘村に・・・出会ったのか、その秘密も古居監督の登場でよく分かりました。*188回(10月定例)研究会報告→■
 当日の研究会は折悪しく参加者が少なく、いつも多くの人に囲まれる監督には失礼な夜となりました。しかし出席者は、制作途上の作品を見ながら直接にお話しを伺うという幸運なひととき。古居みずえ監督、そして斉藤真哉(司会)、佐治真由子さん(報告)、まことに有り難うございました。
 前号本欄 、「3000号、静かに終幕を迎えたい」について、烟台・伊藤長和さんから長文の「南の風の継続を!」と題する檄文が届きました。大袈裟な論議になるのは好みませんので迷っていますが、無視することも失礼ですので、次号に抄録・掲載して、他の皆さんのご意見も承ることにいたしましょう。
 東北大学(院)を終えられた李智さん(中国へ帰国)から、いまメール拝受。お久しぶり。日本留学を終えられ、まずはおめでとうございました。別途ご連絡します。
左より2人目に古居みずえ監督(イーストビレッジ、20121026)   *関連写真→■


2978号【2012年10月26日
■<風3000号を前にして>
 前号・お名前のミス。文孝淑(Moon Hyosook)さんは、正しくは「ムンヒョスク」さん。お詫びして訂正します。文さんには失礼しました。
 ところで「辞典づくり10年回想5」、書いたまま編集ボックスに滞留しています。本号に載せる予定のところ、風3000号を前にして伊藤長和さんから次のような提案が回っていますので、このことを先に書きます。
 「…南の風について、小林文人先生がそろそろ閉じたいというようなお話をなさった時に、私がぜひ“3000号まで続けて下さい”と申し上げたことがありました。それが間もなく実現するのです。… このままのペースで発信していただきますと、だいたい12月10日前後の頃には到達すると思われます。… そこで先生からありがたくも、「御三家」の美称(称号・異名)をいただいた岩本陽児、渡部幹雄、伊藤長和の3人で3000号発信を祝う、ネット鼎談を行う企画を提案をさせていただきます。風・掲載依頼:2997号〜2998号(3回)。…」(要旨)など具体的なご提案です。
 南の風はかって「公民館の風」と併行発行していましたが、1000号到達の折(2003年)「南」だけに一本化。2000号の目標達成(2008年)で休止予定のところ、伊藤さんの挑発に乗せられて3000号まで歩んできたという経過です。そしていま、3000号を前にして、当方はウキウキの気分。その記念の鼎談のご提案など、まことに有り難うございます。
 しかし、おそらく最終号近くの風には、お別れのメッセージなど(日頃返信のない人からも)いろいろ寄せられる予感がいたします。ご提案の気持だけ有り難く頂戴し(もともと御三家は数多くの寄稿をいただいた馴染みの仲でもあり)、他の方々に余白を残していただき、静かに終幕を迎えことができればと思っています。

2977号【2012年10月24日
■<白いビール>
 本号には公州からヤン・ビョンチャン先生、そして10年ぶりに戻ってきたムン・ヒョスクさん(仁川出身)のメールを掲載することができました。嬉しい号です。8月のヤン先生一行の歓迎会を催した神田「放心亭」、21日には久しぶりのムンさんと‘白いビール’(ヴァイスビヤ)を飲みました。もっともご本人はあまりビールを好まないようでしたが・・・。
 ドイツのビールはとりわけ白いビール、ヴァイチェン(Weizen)が美味しいのです。伝統的な小麦ビール、ホップ風味は弱いけれど、小麦独特の味わいと酸味、また泡立ちが見事。細いグラスに注ぐと泡の美しさが引き立って酔いが深まります。香りも微妙な移ろいがあって、必ず!次の1杯が欲しくなる。その頃には飲む仲間の心も溶けあうのです。
 神田三省堂地下の放心亭は、気取らないドイツ料理の店、当然ヴァイチェンが自慢(ただし樽でないのが残念)。40年近くの馴染みの店です。昔は故横山宏さんたちとよく行きました。最近では10年前の日本公民館学会創設の語り合い、発足後の理事会など、帰路は必ずここに寄って白いビールで疲れを癒したものです。社全協・名護全国集会準備に島袋正敏さんが上京した折、会議を抜け出して飲んだ記憶も。たしか町田・松田泰幸さん(とびたつ会ニュース配信、上掲)も一緒。このこと一度書いたことがあります。
 いま韓国研究フォーラムの定例会が秋葉原で開かれるときは、二次会はきまって放心亭です。若い世代も白いビールの味を知るようになって、だんだんと酒量がふえ、それに比例して・・・研究も一段と迫力を増しつつある?のです。ご同慶のいたり。21日の写真一葉を下に掲げます。
ヴァイチェンを飲み干す金ボラムさん、呉世蓮さん撮影(20121021)


2976号【2012年10月22日
■<充実した日曜日>
 昨21日は、充実した日曜日となりました。2号前「二つのプログラムご案内」の通り、午後は学会など3団体共催による「学びあうコミュニティ」シンポジウム(早稲田大学)、夜は韓国研究フォーラム(首都大学東京サテライト秋葉原)。忘れがたいこと、いくつかを記しておきます。
 学会の特別シンポは、「第2期教育振興基本計画・審議経過報告」をめぐっての活発な議論。これからの生涯学習社会をになう専門職制度のあり方への提言が主なテーマでしたが、(おそらく学会史でも初めて)文科省社会教育課長(伊藤学司氏)がコメンテーターとして登場。発言内容にも力があり、印象に残りました。学会ならではのこういう意欲的な企画をこんご継続してもらいたいもの。期せずしてTOAFAEC 第17号も「東アジア」の視点から「〜を担う専門職員と市民」を特集テーマとして掲げています。あわせてご覧おきを。
 会場には全国各地からの参加、現場の社会教育職員も見られ、関心の深さを知りました。ぶんじんは机上に年報17号を開いて(夜の韓国フォーラム準備に)読んでいたところ、二人ほど関心をもつ人あり、しめた!とばかり「維持会員」への誘い。あと一押しで参加してくれそう。会計・山口真理子さんに連絡先を伝えます。
 終わって珍しい方とビールを一飲み、韓国研究フォーラムにはやや遅れて参加。当夜の記録は別に報告が寄せられると思いますが、終了直後、別の珍しい(10年?ぶりの)人が現れ、驚きました。神田放心亭へ移動、当夜の喜びを何度もなんども乾杯しました。TOAFAEC 創設第1回研究会の報告者(1995年6月2日)、その人の名は、2号前本欄、小田切さんの記事をご覧下さい。(小田切さんのお名前に誤記あり、この場でお詫びして訂正。正しくは「督剛」さんです。) HPには当日の写真2葉。やや遠くからの学会シンポ、近くからの放心亭の一枚。
日本社会教育学会等共催シンポ・司会(左端)は末本誠さん (早稲田大学、20121021)


韓国研究フオーラム終了後の歓談、いつものメンバーに加えて、10年?ぶりの参加も (神田・放心亭、20121021)


2975号【2012年10月20日
■<「東アジア社会教育研究」17号の合評を>
 東京は雨でしたが、今日(19日)は晴れ。心配していた21号台風は太平洋上を速度をはやめて過ぎ去りました。秋の空、夜の散歩はほどよい冷気、気持よく歩きました。
 領土問題で荒れている日中関係。11月に済州島で予定されていた日中韓・三国フォーラムも中国不参加で延期(中止)となりました。日本の市民アピールとして「領土問題の悪循環を止めよう!」(上掲)が反響を呼んでいます。こんなときこそ、草の根の交流を絶やしてはならない、TOAFAECはこの17年間、私たちなりの海を越えるささやかな努力を重ねてきたのだ、そんな思いを新たにしています。
 嬉しい便りが届きました。この春、東京大学で学位をとられた馬麗華さんの就職確定。「…幸運にも華東師範大学・教育科学学院の職業教育・成人教育研究所に採用が決まりました」とのご報告。TOAFAEC では3月に182 回研究会として馬さんの学位お祝いと送別の会を開きました。その後のこと、気がかりでしたが、結果的には順調に就職が決まり、心からのお祝いを申しあげます。日中をつなぐ架け橋がひとつ増えました。
 年報「東アジア社会教育研究」17号が発刊されて、そろそそ半月。お読みいただいているでしょうか。馬さんも寄稿されています。日本と韓国と中国、もちろん台湾を含めて、東アジアをつなぐ一冊。20日予定の韓国研究フォーラムでもぜひ合評の時間をつくってください。そろそろ中国研究フォーラムの例会も企画してほしいところ。

2974号【2012年10月17日
■<宮古島の神歌>
 11日の琉球新報コラム(金口木舌)が取り上げていた映画「スケッチ・オブ・ミャーク」(上掲)はまだ観ていません。東京では、恵比寿(東京都写真美術館ホール)と吉祥寺(バウスシアター)で上映しているようです。いずれもJRの駅から5分程度の距離。どなたか一緒に行きませんか。一見の価値ある作品に仕上がっていること間違いなし! 高い評価が聞こえてきます。
 「ミャーク」とは沖縄「宮古島」のこと。「風」では3年前の夏「宮古島の神歌と古謡」(2250号)「立ち上がった宮古のおばぁたち−日本文化の古層から」(2260号)として書いたことがあります。オーケストラや電子音楽などが主役の東京音楽祭に、宮古島の“おばぁ”(実は集落古来の祭祀を司る「ナナムイ」、神司)たちが初めて登場したのです。映画では島のドキュメントだけでなく、東京公演の模様も収録されているとのこと。
 これまで外に出なかった宮古島狩俣の神歌や古謡(アヤグ)は、CDにもなっています。神と民との交差する世界、祭祀のなかで神女たちが伝えてきた神歌・古謡は、なんとも言いようのない安らぎの調べ。(その直後に会った)韓国ヤン先生に差し上げた記憶あり。そのあと韓国訪問の折、ヤンさんの車からその調べが流れてきて、これもまた想い出。
 3000号を目前にして、各位から興味深いメールを頂戴しています。川崎の小田切督剛さんが文孝淑さんに会った話。そのうちに文さんの便りを風に掲載したいもの。文さんはTOAFAEC と「風」の初期・有力メンバーでした。伊藤長和さん「烟台の風」260号(上掲)、おめでとうございました。

2973号【2012年10月16日
■<「社会教育・生涯学習辞典」づくり10年(4)>

 2969号本欄「回想」(3)の続き。辞典の編集作業、当初はまず「編集幹事」(3人→7人)による論議から始まりました。2003年から2004年にかけて約1年。30人の編集委員会が発足するのはその後のこと。2005年に大きな展開となりました。この時期は、ちょうど日本公民館学会が発足・始動したころ。辞典づくりと学会づくりの二つの歴史に関わることができた幸せ(そして多忙)を噛みしめていたことを想い出します。
 事(こと)典でなく辞(ことば)典なのだから、なにより第一の作業は、収録すべき「ことば」、概念・語句・用語をどう拾い出すかがポイントです。幹事集団で当初500〜700を目標に、社会教育・生涯学習に関する重要項目の拾い出しが始まりました。大事な語句をどう確定するか。関連する領域への拡がりを意識しながらの作業は、思いのほか楽しいゼミ。
 そのうち語句の羅列ではなく、領域(実践領域)を縦軸に、分野(組織過程)を横軸に設定して、いわば項目群の体系・構造表が作成されました。縦と横が交差する各欄に語句を落していく作業(そんな記憶)。この表は完璧なところまで仕上がりきれませんでしたが、その後の辞典編集を進めていく土台となったように思います。ゆっくりと時間をとって、朝倉書店には迷惑をかけました。
 30人編集委員会が動きはじめて項目数は1500となり、幹事集団の拾い出し語句を加えて2000を超える水準へ。その調整と精選、新しい追加等を含めて、最終的には約1500項目が確定。各領域ごとに執筆者への交渉がすすみ、正式の執筆依頼(2006年1月)へ、という経過でした。320人の執筆者一覧(エクセル)、朝倉・野島さんの奮闘、それぞれの執筆依頼状の発送。そのとき「辞典」への道程がくっきりと見えてきた思い。ひと山越えた!という実感でした。たしかどこかで乾杯したような…。
【歌の工房】古いノートにメモがわりに残していた戯れ歌から二つほど。
◇新しき本を編まんと気負いつつ 今なお断崖を登らんとするか  −2004年1月6日、辞典づくり−
◇山や谷越えて便りは届きけり 花咲く丘への道あかあかと −2006年1月20日、朝倉より執筆依頼状−
後記<断崖について>
 上掲・一首目の歌は、南の風1195号(2004年1月6日)ぶ欄に載せました。なぜ「断崖」なのか。戦後の歌人・宮柊二に寄せて、同欄にこんなことを書いていましたので、蛇足ながら、再録しておきます。
 「…ところで宮柊二の語っていたこと。若いころは、<断崖>に手をかけて必死でよじ登るように歌を追求するけれど、そのあとは<草原>を歩くようにゆっくりと自由に歌を作ればいいと(岩波文庫・宮柊二歌集「解説」岡野公彦)。宮柊二の歌風には、<草原>を悠然と歩いている感じ、<断崖>を登ったあとの余裕ある歌つくりの時期があるのでしょうか。断崖から草原への道、生き方として、そんな道をゆったりと歩いてみたいものです。」  『宮柊二歌集』に触発されて、その年の正月に拙い歌をいくつか詠んだうちの一首でした。あの頃は恥ずかし気もなく風に載せていたのです。

2972号【2012年10月14日
■<松本の公民館実践事例集>

 「社会教育・生涯学習辞典」づくり10年の回想(4)、のつもりでしたが、またしても訂正・お詫びです。前号本欄の中段で、伊藤長和さんメールを引用した文中“農業は大寨に、工業は大慶に学べ”について、うっかり後半「工業は大慶に学べ」を省略。たいへん失礼しました。このミスを指摘しのは包聯群さんです。次の通り(Fri, 12 Oct 2012 18:55)。
 「お久しぶりです。お元気で南の風を流しつつけているのを存じ安堵しています。(“工業は大慶に学べ”に関して)…鉄人・王進喜という人は典型人物だった。1950年代末から60年代初めにかけ、中国の経済はきわめて困難な状況下にあった。このときに大慶油田が発見された。黒竜江省は今寒いですね〜。大変だ〜。私の故郷〜。そこで(チチハル市)高校卒業するまでいました。…“農業は大寨にに学べ”は陳永貴(山西省昔陽県大寨の人民公社大隊書記)でした」とのご指摘。有り難う!
 12日、松本の村田正幸さんから「松本市公民館活動実践事例集」を送るとのご連絡(上掲)拝受。前後して宅急便で、同事例集、関ブロ公民館大会資料・速報がドサリと届きました。今年の高知・全国集会でも速報は出ませんでしたので・・・さすが!松本!皆さんの張り切った表情が目に浮かびます。速報3号と号外。カラー版も。加えて白戸洋さんの(関ブロ大会)基調講演のレジメ・資料も。興味深く拝読しています。
 松本の公民館活動実践事例集は、村田さんメールのように、1991年『松本の学び〜根っこワーキング』(その重さ、みな驚いた!)に始まり、2005年『自治の力ここにあり−学びと“ずく”のまちづくり』など2作が続き、そして今回の『地域・くらしと学びをつくる』へと集積。全108 事例の大作(A4版、450ページ)。松本の変わらぬエネルギーに敬意を表します。
 一部1000円で頒布可とのこと。申し込み先:松本市中央公民館(〒390-0811 松本市中央1-18-1、0263-32-1132、FAX0263-37-1153) E-mail:gakusyu@city.matsumoto.nagano.jp
 「辞典づくり10年」回想(4) は次号おくりとします。

2971号【2012年10月12日
■<上海・烟台・東京>
 この一両日に届いた(上掲していない)メールをいくつかご紹介。まず上海の呉遵民さん。華東師範大学副学長の東京訪問について(承前・風2964号)。
 「…先生並びにTOAFAEC の皆様に歓迎の意を表して頂き感謝申し上げます。…(東大への表敬訪問の関係などから)予定の2日夜から4日に変更してよろしいでしょうか。もしご迷惑をおかけすることであれば、許していただきたいです…。」(Thu, 11 Oct 2012 20:37)
 11月連休のスケジュール、いま連絡中ですが、もともと2日案の調整をした経過あり、あるいは日程的に無理かも知れません。追って別便にて。
 烟台の風(258)に付された伊藤長和さんの前文。「東アジア社会教育研究17号の発刊をお喜び申し上げます。烟台もだいぶ寒くなりました。中国は広大ですね。“農業は大寨に、工業は大慶に学べ”と1970年代のスローガンに掲げられていた黒竜江省の大慶は、最低気温は零下1度で、最高気温は7度。海南島の海口は24〜30度Cで、烟台は過ごし良く15〜22度Cです。」
 朝倉書店の野島薫さんから(Thu, 11 Oct 2012 16:36)。「…HPに掲載されているものをたまに拝見させていただいておりまして、今回の“辞典づくり10年”も、「おっ」と思い、拝読させていただいておりました。… 先生の思いのこもった回想に、一刻も早く完成した辞典をお手元に届けたい、と気持ちを新たにしました。」
有り難うございます。
 9日夜のNHK「にっぽん紀行」は、東京・スカイツリー周辺の人間模様がえがかれ、心温まるひととき。「えんぴつの会」の皆さんが登場され、見城慶和先生とも久しぶりにお会いしたような気持になりました。いい番組でした。お知らせ(風2966号)がなければ見逃すところでした。御礼。

2970号【2012年10月11日
■<「東アジア社会教研究」17号の刊行>
 多くの方々の参加・協力をいただき、今年度TOAFAEC 年報17号が完成。世に出て、まだ旬日を経たばかりですが、そろそろ出来映えについての反響・評価が聞こえてくるころか。お手にとられた方々、ぜひ感想などお寄せください。
 新年報は総ページ 300頁の大作.これに関わった「執筆者・訳者」一覧をみると、編集後記を含め日中韓の51名。維持会員(26名)の財政的な支援も有り難く、今年もまた確かな一歩を刻むことができました。
 山口真理子さんは(例年のように)学会会場まで出張販売(上掲記事)。ご苦労さまでした。今年は会場が僻東の釧路でしたから、個人的な負担もたいへんだったと思います。ただ一人、会場の書籍資料・販売コーナーに座る姿は、いまや学会大会の風物詩となりました。
 HP「研究年報」サイトに年報編集の規約・方針・投稿要領・各号定価・委員会など、そして創刊号からの「目次一覧」を掲載しています。第17号目次も江頭晃子さん(副編集長)からデータを送って頂き、加えました。→■http://www004.upp.so-net.ne.jp/fumi-k/1-10kenkyu.htm
 毎号、いくつかのミスは付き物、今年はどうか。ただ、大きなミスのないことを祈るのみ・・・の心境。手元のメモでは今のところ小さなミスが6ヶ所ほど。福建省の李斗石さん報告(もともと日本語論文)に、上海閘北区・行健職業学院報告の訳者名が混入していました(目次、170頁)。武田拡明さんからもご自分の旧所属の訂正が寄せられました(上掲)。川崎市は「公民館」でなく「市民館」が正しい(297。300頁)ことのご指摘。
 そのうち風に正誤表を載せましょう。

2969号【2012年10月9日
■<辞典づくり10年(3)>
 だんだんと視力が弱ってきました。前号の「東京社会教育史研究フォーラム」を(一部の方に)「・・フォーム」と書いて配信、他にも脱字あり。これは(寄稿者でなく)編集上のミス、見落しました。お許しを。
 さて、2966号本欄の続き。2006年からの辞典原稿執筆の過程では、いろんなドラマが待っていました。いま脳裏をかけめぐるのは、原稿の遅れと督促作業、校正ゲラの回収も容易ではなかったこと。もちろん一部の方のことですが…。月刊誌等の原稿だと執筆する側に期限への意識があり、督促も急をつげる迫力があるのでしょうが、辞典だとそうもいきません。加えて執筆者は320人を超える陣容、やはり、たいへんなことです。朝倉書店担当(野島薫さん)の奮闘にあらためて感謝あるのみ。(いろいろ有りすぎて・・・このことはこれ以上書かないことにします。)
 関連して、頂いた原稿のリライトのこと。学会の年報・紀要類では原稿の修正はむしろ控えるのが基本です。辞典では“てにをは”を含めて、用語・訳語の統一や調整の必要あり、編集委員会としてリライトへの努力が求められます。書き方として概念・意義を確定する文章も期待されます。リライトをお願いして、不快な思いをされた執筆者もあったと思われます。
 また訳語をどう調整するか。たとえば「フォルクスホッホシューレ」について。国民高等学校、国民大学、民衆大学あるいは市民大学などの訳語いろいろ。そしてデンマークやドイツの歴史事情の相違もあります。訳出の歴史的な流れも大事ですから無理な統一は避けましたが、一部リライトをお願いした経過がありました。
 この10年、何よりも忘れられないのは、執筆者のなかに病に臥された方があり、なかに亡くなられた方もあったことです。お見舞にうかがった病室にパソコンを持ちこんで原稿執筆をされていた姿。その原稿は文字通り絶筆となりました。心をこめて校正にあたった思い出も鮮烈です。

2968号【2012年10月8日
■<釧路の二日目>
 釧路の気候は概して冷え冷えとしています。前号に書いたように個人的にはつらい想い出もあって、南の島に旅立つときのワクワク感はありません。自分でも注意していたつもりなのに、案の定、着いた翌日には風邪気味。ホテルフロントで風邪薬をもらって夜の「東アジア交流委員会」に出かけました。
 交流会と言っても飲み会のようなもの。いつもの調子で(体を温めようと)グイグイと飲み始めたところまではよかったのですが、薬と重なって異様な酔い。視力おぼろ、微熱も少々、顔もほてって、皆さんから帰るように促され(初めてのこと!)、先に席をたちました。不覚!とはこのことか。中国と韓国の二人に腕をとられて、ホテルまで送ってもらったのが思わぬ儲けもの。呉迪さん、金宝藍さん、お世話になりました。
 本号には久しぶりに伊藤長和さんの「烟台の風」が届きました。約1ヶ月ぶり。もっともこの間には、尖閣諸島問題・反日デモなどを報じる10通ちかくの“速報”が来信。ご苦労さまです。お元気のようで何より。
 また藤田美佳さん(奈良教育大学)からは長〜いメールが届きました。韓国でのハングル修練、研究、交流の奮闘記。前後を割愛して抄録しましたが、これでもまだ書ききれないそうで、「…お会いする際にお話しできればと思います…」とのこと。
 学会二日目(7日)、午前中は大事をとって(熱も下がったので)午後から。山口真理子さんが「東アジア社会教育研究」第17号を販売中。売れ行きは芳しくないような表情。ご苦労さまです!
 総会が終わって懇親会、そのあとの二次会は学会会長(ご苦労さま!)を囲んで賑やかに飲みました。
 本号も「辞典づくり10年」(続き)を書く紙数がなくなりました。学会々場で配布された朝倉書店「ちらし」(表紙)を添付しておきます。

2967号【2012年10月6日
■<釧路にて>
 5日夕、釧路に入りました。日本社会教育学会は6日から。しかしその日の飛行機には席がなく、1日早めの便になりました。釧路港を望む機上でちょうど陽が落ちました。茜(あかね)に暮れる北の大地。
 東京学芸大学に大学院が設置されて、私の最初の院生(教育社会学専攻)は釧路公立大学に勤めました。彼から招かれ数日滞在して以来の釧路です。あのとき、私は大学で講義をし、根釧地区の社会教育関係者の集いに出たあと、彼の車で湿原や高原の湖をめぐりながら、置戸まで連れていってもらったのでした。
 その直後、元気だったのに、ある朝の急逝。悲報を伝える電話が忘れられません。早すぎる落日。西の空の夕焼けを見ながら当時を想い出していました。彼と一緒に食べた寿司屋を訪ねて夕食。今回はひとりだけで…。
 あのとき置戸行きは、もちろん森田はるみさんに会いに行ったのでした。森田さん(同じく学芸大学・院修了、いま置戸・図書館勤務)については、高知の社会教育研究全国集会第二全体会で菊池一春さん(訓子府町長)が話題にしていました。そう言えば、ながく会っていないな、今回は会える?と楽しみにしていたところ、昨夜おそくメール来信。その一部。
 「…ずっと気になりつつ、でも結局地元…での事業等諸々の事情により、ご挨拶に伺うのは難しい状況です。…置戸から駆けつけることがままならない、そのちょうど裏表の状態で、釧路までいらしたのですからぜひ置戸へもお立ち寄りください、と申し上げるには近くて遠い距離です。…せめて帯広でお目にかかれるならとも思いましたが、9日は勤務日でどうにもなりませんでした。(略)」(Fri, 05 Oct 2012 00:19)
 そのうち、またいい機会がめぐってくるでしょう。いま当方のHP・今月スケジュール欄に飾っているのは、、いつぞやオホーツク研究会の皆さんから頂いた置戸の白い器=オケクラフトです。→■
http://www007.upp.so-net.ne.jp/bunjin-k/yotei1210.htm
釧路港の上空より、北の大地に沈む落陽 (20121005)


2966号【2012年10月4日
■<辞典づくり10年(2)>
 2962号本欄「辞典づくりの自分史」の続き …。2002年9月の内モンゴルの旅から帰って、阿部猛先生はすぐに朝倉書店に小林のこと、社会教育辞典構想のことを話してくださったようです。朝倉書店編集の笠間敬之さん(常務・当時)から電話がかかってきて、新宿でお会いしたのが(記録によれば)10月9日、丁度10年前になります。
 「…何かいい話をお持ちとのこと、阿部先生から聞きました。」そんなご挨拶から始まりました。その前年に出版した『世界の社会教育施設と公民館』を持参していた記憶あり。「事典」ではなく「辞典」をつくりたいこと、本格的な社会教育辞典は本邦初!などとお話しました。熱心に聞いていただき、それから頻繁なメール往復。構想企画書を出したり。また末本誠さんなどに相談を始めたり…。笠間さんも2ヶ月あまり猛勉強。
 12月に入って朗報。「…弊社の企画検討会議があり、辞典の件を提出いたしました。結果は、新しい分野だが、社として正式にお願いしようということになりました」と。スタート地点に立ったわけです。凸凹道が待っているとも知らず・・・、張り切って2003年からの作業が始まりました。
 ほぼ毎月、朝倉書店に集まってあれこれの議論。担当・野島薫さんの速射砲のようなメールが入るようになりました。最初は数人で、そのうちに「編集幹事」7人が確定。2004年になって、ぞれぞれの専門分野から30人の編集委員をお願いすることになり、9月の日本社会教育学会(同志社大学)会場で「社会教育・生涯学習辞典」編集委員会が開催されました。いろんなエピソードがありますが、省略します。
 取り上げる項目の検討・精選、執筆者の選定・調整、約1500項目について約300人の専門家に「辞典ご執筆のお願い」状を発送したのが2006年1月のことでした。すでに足かけ4年が経っていたことになります。
 この間ぶんじんはギックリ腰 ふくらばぎの肉ばなれ=断裂など思わぬ怪我に悩まされていました。(続く)

2965号【2012年10月3日
■<オスプレイの普天間配備−マグマが噴出し始めた!(ぶ)>
 年報「東アジア社会教育研究」17号が出来上がりました。特集2本(@東アジアの社会教育・生涯学習を担う専門職と市民、A沖縄復帰40年)、それに中国・韓国・台湾からの諸報告。力作が並んでいます。
 加えて、東日本大震災後の社会教育の課題、少数民族ダグル人の民族教育、パレスチナの文化抵抗運動の特論、「東アジアのひろば」などを含めて300頁の厚み。販価2,000円。6〜8日に釧路で開かれる日本社会教育学会々場で販売予定(上掲)です。編集委員会の皆さん、ご苦労さまでした。合評をかねて、どこかでお祝い・乾杯の企画をお願いします。江頭晃子さん、目次一覧をHP入力データとして送ってください。
 さて本題。現政権の内閣改造が報じられた同時刻(10月1日)、「オスプレイ」の普天間配備が強行されました。普天間基地ゲート前では、26日からこれまでにない抗議行動が続いているそうです。「沖縄タイムス」社説(30日)は「マグマが噴出し始めた」と書いて注目されます。
 「…ゲート前抗議は、沖縄の反基地運動が新たな段階に入ったことを実感させられる」「特定の党派や団体が前面に出ていない」「強固な信念と覚悟をもつ個人が主体的に集まっている。県民の命を守る闘いとして非暴力を貫く姿勢も共感を集めている」と。筆に迫力あり、血が騒ぐ思いです。
 「…県民のマグマに火を付けたのは、対米従属の呪縛にはまり、沖縄の民意を踏みにじる日本政府だ。それを黙認してきた多くの国民ももう人ごとでは済まされない。そう気付く日が刻々迫っている。」 全文>→■http://article.okinawatimes.co.jp/article/2012-09-30_39617
 同紙10月1日の社説「民意は踏みつぶされた」より。「…普天間飛行場の主要ゲートでは連日、市民団体の抗議行動が続いている。…現場には張り詰めた空気が漂い、日を追うごとに緊迫感が高まっている。座り込み行動に参加した作家の目取真俊さん(51)のコメントが28日付の朝日新聞朝刊に載っている。「抗議もむだ、県民大会もむだ。私たちにはもう選択肢がないんです。」沖縄の切羽詰まった訴えは、本土に住む人びとに届いているだろうか。」 全文>→■http://article.okinawatimes.co.jp/article/2012-10-01_39652

2964号【2012年10月2日
■<東京社会教育史研究フォーラムのページ>
 前号に斉藤峻さんの写真を添付・配信しました。誰もその風貌を知らない歳月が経過して・・・しかし斉藤峻さんに強い関心をもつ人(上平泰博さん)もあり、古い画像を発見し衝動的に「風」に添付したくなりました。泉下の「しゅんさん」、きっと苦笑されていることでしょう。あるいは肖像権を主張されるのかも。古い写真を出すときはいつも気になることです。
 上平泰博さん(NPO ワーカーズコープ・全国子育て運営委員会)からのメール(Mon, 1 Oct 2012 08:36)。「… 先日は定例研究会に参加させていただき、ありがとうございました。…斉藤峻さんの写真もありがとうございました。小林先生提供で、学会発足60年史に転載させてください。確認できた『月刊社会教育』の斉藤峻執筆原稿は、まだ半分しか集められていません。詩集3冊も、これから読み解くところです。これで、斉藤峻の全貌を知るのはとても無理なことなのですが。…」
 添付した写真のキャプションが不充分でした。写真の右側が斉藤峻さんです。となりに横山宏さん。お二人とも当時の日本社会教育学会理事として福岡入り。実はこの場面のすぐ横には宮原誠一(前会長)ほか数人の方がいらっしゃいました。ぶんじんは、会場校の助手として案内役。まだ教育社会学講座の所属でした。この3日間の学会との出会いが社会教育研究へ転じるきっかけの一つ。HP「古いアルバム」最初の1枚(小川利夫さんと飲んでいる)→■は、この日の夜、博多中洲でのひとこまです。
 斉藤峻さん(写真)との再会を祝して、HPに「東京社会教育史研究フォーラム」ページをつくりました。資料・写真などを載せていきまょう。→■http://www004.upp.so-net.ne.jp/fumi-k/tokyoforumu2012.htm

2963号【2012年9月30日
■<斉藤峻さんの資料>
 前号に続いて「辞典づくり10年・回想」を書くつもりでしたが、28日の9月定例会報告「東京社会教育史研究フォーラム・発足」(上掲)が届きましたので、関連して当夜のことをいくつか…。辞典づくについては、折をみて(何回かに分けて)書くことにしましょう。
 「東京社会教育史研究フォーラム」がスタート、こんご定例的に集いを開いていく、比較的に若い世代で事務局が動いていく、ことなどが確認できて、嬉しい夜になりました。事務局長の斉藤真哉さんはじめ、井口啓太郎さん、江頭晃子さん、加えて石川敬史さんなど、どうぞよろしくお願いします。カメラに3人(フォーラム呼びかけ人)の楽しそうな1枚があり、記念として下に掲げました。
 戦後東京の代表的な社会教育主事として、斉藤峻さん(1903〜1968)のことが繰り返し話題になりました。みな親しみをこめて「しゅんさん」と呼んだ方。しゅんさんを直接知っているのは、当夜の出席者ではぶんじんだけ。在職中に「全国社会教育主事協会」を提唱(1951年、実現せず)。約700 点の貴重な「斉藤峻資料」が残されました。資料リストは作成されていますが、現物は廃棄同然の運命に・・、これを取り戻すことも新「研究フォーラム」の課題でしょう。しゅんさんは詩人(詩集に「夢にみた明日」など)。退職後は日本社会教育学理事や、1960年から3年間「月刊社会教育」編集長など活躍された方でした。
 しゅんさんの写真を探し出しました。1960年に九州大学で開かれた社会教育学会大会(第7回)の折、福岡・西公園に遊んだときの1枚。となりは横山宏さん。このお二人や吉田昇・碓井正久・小川利夫など各先生とご一緒に渋谷のヤキトリ屋(井の頭線旧ガード下)でよく飲んだことを思い出しています。*しゅんさんの写真→■
左より斉藤真哉((東京研究フォーラム事務局長)、江頭晃子、井口啓太郎の皆さん(イーストビレッジ、120928)


2962号【2012年9月29日
■<辞典づくりの自分史>
 昨夜(9月28日)の定例研究会は賑やかに開かれました。初めてご参会の方もあり、東京社会教育史研究フォーラムの立ち上げも確認されました。当夜の報告は近く「風」に届くと思います。まず下に写真だけ1枚。
 前号に書き始めたこと、『社会教育・生涯学習辞典』(朝倉書店)の刊行(11月末の予定)が確定しました。編集委員30名、執筆者約320名、収録した項目は約1500、出来あがりは 600頁の大著となる見込み。南の風メンバーからも多くの方が執筆に参加くださり、有り難うございました。これまで刊行が遅れたこと、まずお詫びを申しあげます。
 ある程度の覚悟はあったのですが、これほどの難事業とは思いもしませんでした。かなりの歳月を要することは予想していましたが、10年にわたる取り組みになろうとは想像していませんでした。
 この機会に簡単に辞典づくりの歩みを(南の風の歴史とも重なりますので)振り返っておくことにします。「辞典」づくりの話が具体化するのは、なんと内モンゴル草原での、とりとめない世間話からでした。
 2002年9月の内モンゴル行き。この旅では和光大学ゼミ学生など一行と、宗慶齢基金による訪中団(日中友好協会など)一行が、北京から赤峰への寝台列車で乗り合わせた偶然、そして4日間ほど草原の旅を一緒に過ごした(ゲルにも川の字で寝た)奇遇がありました。前者の引率者は小林、後者の代表は歴史学者・阿部猛氏(元東京学芸大学学長)。阿部学長の時代に小林は同大学の学生部長。1980年代初頭にまだ残っていた学生運動に対峙して苦楽をともした仲(4年間)でした。
 草原の旅は、ゆっくり時間が過ぎていきます。二人で問わず語りに昔の苦労話を楽しみました。そのなかで「社会教育の辞典をつくりたい」という当時1980年頃)の小林の宿望を憶えていてくださったのです。「その後、沖縄研究は進んでいる?」「辞典づくりはどうなったの?」など。「学会30周年事業でも辞典編纂はできなかった」、「なんとか辞典づくりを実現したいものです」。そんな会話が続いたのです。(つづく)
研究会後「イーストビレッジ」にて、なにか歌っている? 金ボラムさん撮影 (20120928)
 写真移動→■(第187定例研究会記録)

2961号【2012年9月27日
■<9月の慶事、長寿のカボス>
 中国・烟台(伊藤長和さん)からの定期便、この1週間余り風が吹いてこないので、気になっていました。昨日夕、ようやく元気なお知らせ(上掲)。安心しましたが、案の定、パソコンは遮断?された様子。単純な環境ではありませんね。それをかいくぐっての送信、さすが!です。
 なにか通じるところがあるのか、ほぼ同時刻に、御三家のひとり岩永陽児さん(和光大学)からの「草原(モンゴル)の風」(13)も届きました。忘れたころにやってくる・・・これも、さすが!「…新学期の繁忙で、間が空いてしまいました。入学試験、オープンキャンパスに学外会議が重なり、先週日曜には多摩自治体問題研究所の年報刊行の記念講演ということもありました。明日(28日)の研究会、参上します」と。
 御三家のあとひとり、和歌山住まいの君はまことに多忙の様子。先日は電話で話すことができました。豊後の母上から見事なカボスを送っていただきました。ひそかに“長寿のカボス”と名付けて、いつものように、まわりにお裾分けする慣わし。どうぞ御礼をよろしくお伝えください。
 数号前(2958号など)本欄でお気づきかと思いますが、例年にない九月の慶事。いま(お正月を待つような)楽しい気分です。3年前の韓国での講演が動画で紹介されたこと(突然のお年玉?)も驚きでしたが、もうすぐ年報「東アジア社会教育研究」第17号が出来上がります(上掲・事務局コーナー80号)。それに加えて、10年越しの難事業「辞典」づくりが最終段階を迎え、11月には刊行される見通しがはっきりしたことです。9月24日は朝倉書店で最後の(であってほしい)「編集幹事会」でした。本号はすでに紙数なく、次号に書くことにしましょう。

2960号【2012年9月26日
■<「沖縄の社会教育」について>
 気候不順、南からはまた台風。それでも季節の移ろいは目に見えて進んでいますね。夜の風はめっきり涼しくなりました。9月も終わりが近づいて、28日(金)夜はTOAFAEC 定例(第137回)研究会、「東京社会教育の歩み・再発見」研究へのお誘いを再掲しました。ご多忙の皆様も、ご都合をやりくりいただき、ぜひご出席ください。お待ちしています。
 ちょうど10年前、TOAFAEC 沖縄研究グループは『おきなわの社会教育』(エイデル研究所)を出版しました。名護で開かれた社会教育研究全国集会(第42回、2002年)に向けて編集発行。苦労した本です。編者は島袋正敏と小林のコンビ。やんばるを中心に「自治・文化・地域おこし」についての独自の諸報告、執筆者は70名前後、懐かしい想い出です。類書にない貴重な報告が並び、だんだんと評価が拡がってきたところで、版元も在庫切れ、入手できなくなりました。嬉しくもあり、残念でもあり。
 上掲のように、沖縄研究を始めている社会学者から当方に本の注文がくるようになりました。まずは保存分の1冊をお頒けしようと思っていますが、これに替わる新しい「沖縄の社会教育」本をどう創るか、具体的に考える時期になりましたね。
 とくに山城千秋さん(熊本大学)はこの本をテキストとして最も活用してきた功労者。次の本の企画について、昨年「やんばる対談」の折、相談した経過もあります。その後、構想は進んでいますか・・・。釧路の学会の折でも話しあえる時間があれば、いいのだけれど。

2959号【2012年9月24日
■<大都市社会教育研究と交流のつどい>
 日本公民館学会編『公民館のデザイン』(エイデル研究所)がハングル訳され、延世大学より出版されたニュースは既報(風2950号)。あらためて金宝藍さん(東京大学・院)に紹介をお願いしました(上掲)。詳細な長文をありがとうございました。訳者のイヨンスク教授のこともよく分かりました。伝えられるところでは、同学会編『公民館・コミュニティ施設ハンドブック』(2006年刊)も翻訳中とか。嬉しい動きです。
 22日から23日にかけて開かれた大都市社会教育研究と交流の集い(第35回、会場:大阪市・城北生涯学習センター)。本日(23日)昼に終了、その足で新幹線へ。東京・自宅に帰り着いた丁度その時、日馬富士と白鵬の大熱戦でした。いい試合!思わず拍手!疲れも吹き飛んだような気分になりました。新横綱の誕生、間違いなし。
 大阪では、維新の会で話題の大阪・橋下市長による「教育改革」と社会教育行政の厳しい状況、について詳しい報告を聞きました。大都市を襲った“津波”にも似た「見直し」施策−民間委託や廃止やスリム化や統合・再構築など。これからどう取り組んでいくか・・・についても話し合われました。今回はとくに集い論議の緊急「まとめ」案が出され、「月刊社会教育」最新号へ掲載もお願いすることになりました。これまでにないこと。
 大都市教育支部側も学会関係者も主要メンバーがほぼ集まって、印象に残る第35回の集い。皆さんお疲れさま。写真は最後に残った人たち。
大都市社会教育研究と交流の集い(第35回、大阪市・城北生涯学習センター)20120923


2958号【2012年9月22日
■<Facebook>
 この半年、編集会議等を重ね、みんなで挌闘してきた「東アジア社会教育研究」第17号がようやく印刷に入ったとのこと、担当の江頭晃子さんより報告をいただきました。お疲れさまでした。メールは編集事務局あて内々のものですが、関係各位に本欄でご紹介したくなって掲載(上掲)。ご了承ください。「東アジア」1996年創刊からの蓄積、今年も新しい一歩を重ねることが出来ました。拍手!
 本欄はFacebook について。かねて「友達になりませんか?」「いいね!と言っています」などの文化に妙な違和感があって、友達リクエストにも反応しないことにしています(ご容赦ください)。しかし「お知らせがあります」と飛び込んでくるFacebook、その優しさ?に誘われて、開いてみることも。活発な投稿エネルギーにひそかな敬意も抱いてきました。
 韓国・平生教育振興院のInjong Park (朴仁鐘)さんの投稿は、ハングル版、ほとんど読めませんが、その頻度に圧倒される毎日。たまたま昨日のメッセージの中に「小林文人」の名前を発見して、びっくりしました。
 2009年10月に京畿道九里市で開かれた第8回「韓国平生学習フェスティバル」の動画。招かれて講演をしている声が約30分。自分の姿をまさか、Facebook で見ることになろうとは夢にも思いませんでした。もちろん拙い講演、恥ずかしさに終日なにも手につかず。朴仁鐘さんに御礼!
 この講演の原稿は、当方のHPに掲載しています。4本のうちの3本目。日本の社会教育と公民館、そして韓国「平生学習」への期待について話したものです。→■
 http://www004.upp.so-net.ne.jp/fumi-k/kankokukouen.htm
いまから大阪(大都市社会教育研究と交流の集い・第35回)です。

2957号【2012年9月20日
■<沖縄−祭りの笛・太鼓>
 先日の台風16号は、沖縄やんばる各地に思わぬ被害をもたらした様子。島袋正敏さんの話(電話)では、名護東海岸・太平洋側は橋など3ヶ所の崩落?があったそうです。台風は名護の真上を通過、当日は台風の目に入り嘘のような静けさもあったとか。しかし、けーしかじ(返し風)は強かったらしい(目取真俊さん「海鳴りの島から」)。
 沖縄のこの時期は、台風と重なって、村祭り(豊年祭など)の季節でもあります。前号は琉球新報からコラム<金口木舌>「宝箱のような豊年祭」を紹介しましたが、本号は竹富島の結願祭の記事を載せました。
 集落ごとにさまざまの祭り。豊作を感謝し来年の五穀豊穣を祈る、祖霊を迎え村の繁栄を祈願する。祭りは(観るものでなく)ひとりひとりが参加し楽しむ、笛を吹き太鼓をたたく、子どもも主人公、若者も躍る、そんな祭りの風景を、私たちはとっくの昔に失ってしまいました。
 この季節になると、ゼミで名護など祭りの日程を聞き、それに合わせて、沖縄行きのスケジュールをつくったものでした。宜野座村宜野座区の豊年祭には、ご縁があって、毎年大勢でお邪魔した一時期がありました。私たちも祭りに参加して元気を頂いていたのです。
 ちょうど20年前、沖縄「復帰」20年にあたって「沖縄の社会教育が問いかけるもの」を書いたことがあります(「月刊社会教育」1993年1月号)。この書き出しは「祭りのひろばへ」、名護市博物館近くの東江(あがりえ)区の豊年祭に参加した喜びを書いています。見てやってください。→■
http://www004.upp.so-net.ne.jp/fumi-k/okinawa93toikake.htm
 この秋は、まだ沖縄行きの日程をつくることができないでいます。

2956号【2012年9月18日
■<九・一八と「松花江上」>
 ぶんじんが生まれる約2ヶ月前の9月18日(1931年)、いわゆる「満州事変」が勃発したのです。15年戦争の始まり。私の少年時代は15才まで戦争の時代だったことになります。
 中国では、9月18日の屈辱と悲しみをうたった歌(「松花江上」)があります。広く歌い継がれてきました。私たちの研究室でもよく歌ってきました。毎年この日になると、本欄でつい書きたくなります。
 旧満州・東北に流れる大河、松花江のほとり。そこは豊かな大地。森林茂り、大豆・コウリャン実り、老いた父母が暮らす故郷。しかしあの日から、故郷を追われ、無尽の宝を棄て荒野に彷徨う。流浪、流浪の毎日。いつまた故郷に帰ることができるだろうか。いつの日、老いた父・母と一堂に会することができるのか(大意)と歌は続きます。
 こう書きながら、福島原発で故郷を追われた人々の暮らしが、「松花江上」の歌詞とそのまま重なることに気づきました。あの日から「無尽の宝を棄て去り、荒野に彷徨う」、その恨みと悲しみ。
 私たちに「松花江上」の歌を教えたのは、30年前の留学生・韓民(現中国教育部)でした。このことは『旧満州国教育史研究』2(1994)に書いたことがあります。→■(2)−8
 http://www004.upp.so-net.ne.jp/fumi-k/archives.htm
 今年の九・一八は、尖閣諸島(釣魚島)問題を引き金とする中国各地の反日デモの高揚となり、国交正常化後の日中関係では最悪の日となりました。福建省・李闘石さんから心温まるメール(上掲)、救われる思い。

2955号【2012年9月17日
■<暴れる愛国>
 大型の非常に強い台風16号は、沖縄本島を通過。いま(17日00時)九州西方海上を北上中、韓国を直撃する進路です。中心気圧は、935 hPa というから驚き。沖縄北部の国頭村・奥集落では、16日朝、55メートルの最大瞬間風速を観測したそうです。名護市東海岸の国道(3月訪沖メンバーで通った道路)が高波で崩壊したとのこと。約5万戸余停電のニュースも。
 この「風」が皆さんに届くころは、台風は済州島あたりから韓国南部に上陸の気配か。被害のないことを祈っています。
 中国の反日デモのニュースについて、本号にも伊藤長和さんから特報来信。日本各紙もすべてトップ記事、大きな活字が並んでいます。見出しを列挙してみます(朝日、9月16日朝刊)。
 日系企業襲われる、デモ50都市に拡大。反日・暴れる愛国、政権移行期・デモ容認、リスク抱えても対日攻勢。デパート「店ごと燃やせ」、看板はがして焼く、警官は黙認。日本政府「打つ手なし」。工場やスーパー標的、「日本企業はもう不要なのか」、略奪被害のイオン「従業員は全員中国人なのに」。在留邦人・嘆きと不安、日本の中国人も心配など。17日朝刊では、デモ・警察と衝突、共産党施設にも矛先、当局・恐れる弱腰批判、と。
 まことに残念な事態となりました。日中双方に大きな亀裂。折しも「九・一八」(1931年、柳条湖事件)を迎える時期ですから、反日デモのこれからが心配です。北京では当局の規制がかなり強化されたとの報道も。
 さて、今年度TOAFAEC 年報(第17号)編集は、順調?に仕上がった模様(上掲)。編集事務局の奮闘、お疲れさまでした。執筆・翻訳そして支援の皆さま、ありがとうございました。今日はいまから韓国研究フォーラム(第36回)に出かけます。

2954号【2012年9月15日
■<孤島の嵐−伊藤長和さん特集>

 本号は中国山東省・烟台に滞在されている伊藤長和さんのメール特集号としました。11日から毎日、尖閣諸島(釣魚島)問題について特報が届きます。「…私の中国生活を心配していただいている皆さまに配信させていただきました。日本とは情報に温度差が有ると思ったからです。…この釣魚島に現在台風16号が襲いつつあり、なにか象徴的な出来事のように私は感じています。主権問題は“孤島の嵐”とでも言えそうですね。…」(Sat, 15 Sep 2012 11:02)
 「烟台の風」とは別に、連日のレポート、有り難うございます。伊藤さんは、心の強い人ですから心配はしていませんが、かなり緊迫した現地の状況。これから事態がどう沈静化していくか、気になるところです。ご無理のないよう、安全・平然を祈っております。
 あと一つ、当方の「南の風・あと50号」(2951号)には、伊藤さんから折り返し丁重なご挨拶(Tue, 11 Sep 2012 21:58)を頂きました。(伊藤さんはときに大袈裟な表現なので)こちらの方は気恥ずかしい思い。私だけに頂いたメッセージにして、ここには載せません。年長への心やさしき激励!と拝読しました。
 その末尾には「…そこで、慶事“3千号を祝う祝賀会”に合わせ、御三家(渡部幹雄、岩本陽児、伊藤長和)による、紙上<ネット上>鼎談を企画したらどうかと提案させていただきます。」
 御三家にも栄枯盛衰?あるは世の無常、毀誉褒貶もまた世の習い。そのうち揃って、いいお酒を飲むときを楽しみにしておきましょう。
伊藤長和さん@七夕の会(明大前、20120715)


2953号【2012年9月14日
■<受信箱あふれて>
 いま当方のパソコン・受信箱は、「風」に載せないメールで連日あふれています。一つは、TOAFAEC 年報(今年第17号)の印刷直前の諸連絡、目次や執筆者一覧の校正、表紙の色はどうする? 印刷部数は?などの問い合わせ。忙しい毎日ですが、これも毎年の年中行事、冷静に考えてみれば、お目出度い嬉しい作業です。編集事務局の(江頭晃子さんはじめ)皆さん、ご苦労さま。あと一息です。第17号は予定通り、釧路で開かれる日本社会教育学会で頒布できる見込み。
 次に多いのは、11月に刊行が確定した『社会教育・生涯学習辞典』の最終打合せや編集幹事の集まり連絡など。版元の朝倉書店・編集担当(野島薫さん)からのメールも心なしか軽やかな文面。予定より遅れに遅れましたが・・・。いつも原稿催促や校正ゲラが戻らないとか、苦しいメールが相次いだ歳月でした。神戸大学・末本誠さんの研究室では、辞典収録項目のすべての外国語(英語)表記を担当(ほぼ1年の取り組み)。これまでの苦しい作業が終わって最終段階を迎えたのです。
 あと一つは、中国山東省・烟台の伊藤長和さんからのメール。「烟台の風」は上掲のようにほぼ毎号に掲載していますが、それとは別に、尖閣諸島(釣魚島)関連の騒動の続報。近くの威海で起きた反日デモ(前号本欄に紹介)のあと動きあり、大学では緊急会議も開かれたそうです。在中の日本人(日本語担当教師)として連日緊張のご様子。続報メールを「風」に載せると、伊藤さん関連記事だけでページが埋まるほど。考えあぐねて、結局は普段の「烟台の風」だけで配信いたします。

2952号【2012年9月12日
■<尖閣諸島問題>
 烟台(中国・山東省)の伊藤長和さんから、連日の「風」が舞い込んでいます。心配二つ。一つはご本人の「胆石」の痛み(上掲)。それと「尖閣諸島」騒ぎ(下記)です。本欄に収録することにします。
 「皆さまへ。今日9月11日、在青島日本総領事館と烟台日本人会より通達を受けました。烟台より高速バスで1時間の隣り町の威海で、日本政府の「尖閣諸島(中国では釣魚島)」の国有化をめぐり、本日(11日)抗議デモが発生したとのことです。
 来る9月18日の柳条湖事件の日には、尖閣諸島国有化への抗議デモが中国各地で全国的規模で予定されているので、十分に注意して外出を控えるようにとの通達でした。今日のTVニュースは、朝・昼・番とも長時間を割いて、尖閣諸島の特集番組を組んでいます。両国政府の今後の動向が気にかかります。特に今年の9月は日中国交正常化40周年にあたるだけに、民間レベルの交流が心配になります。私も参加予定の11月に企画されている「日中韓の生涯学習研究フォーラム」(済州島大会)は、無事開催されるのでしょうか。」(11 Sep 2012 21:09)
 本号には、期せずして夜間中学関連の記事(北海道・東京)が並びました。釧路・添田さん、東京・関本先生、有り難うございました。いまから当日の盛会を祈ります・・・などと書いたところへ、添田さんから、電話あり、釧路のホテル(日本社会教育学会)についての確認電話でした。ご面倒かけました。飛行機の都合で、前日から釧路入りしますので、美味しい魚の店、寿司屋などを教えておいてください。

2961号【2012年9月10日
■<あと50号>
 「南の風」は前号で2950号の大台にのりました。あと50号でゴール3000号となります。1998年2月に創刊して以来、なんと15年間、毎年200号平均(1.8日に1号)のリズムで発行してきたことになります。終息過程に入ったのに、最近はむしろ皆さんの熱心な寄稿が相次ぎ、創刊記念日(2月8日)の前に、おそらく今年中に目標達成の日を迎えることになりそうです。この間(1999〜2003年)には、「公民館の風」約400号を併行して吹いていた時期があり、自分ながら、よくやるわ〜と呆れているところ。今年は入院もしたのに、病院から抜け出て、そしらぬ顔をして、風は吹くことを止めませんでした。“風”症候群の症状?か。
○南の風→■ http://www004.upp.so-net.ne.jp/fumi-k/kazeitiran2.htm
○公民館の風→■ http://www004.upp.so-net.ne.jp/fumi-k/kouminkankaze2.htm
 近頃は、とくに風への勧誘はしていません。ことの成り行きで少しずつメンバーが増えているのが、妙な現象。御三家など連載・寄稿者もきわめて活発。風・発行人として、その熱意には応えるべきとの悲しき性(さが)は失せず、ついつい発行頻度が多くなっていきます。他方、この1両年は、アドレス帳整理を厳密にしていませんので、迷惑メールとなっている方があることも重々承知、どこかで区切りをつける必要があります。
 3000号達成後のTOAFAEC など研究・出版・交流活動の、連絡・案内・広報などをどう維持するかについては悩ましい課題。ぜいたくな煩悶をかかえながらのラストコーナーとなります。お知恵を貸してください。
 先月末の高知・全国集会時の写真紹介が遅れ、何枚も手もとに残っています。せめてその1枚。集会初日の二次会、楽しいひとときを思い出しながら・・・。
全国集会初日夜、韓国・ヤン(中央)、現地世話人・内田(その右)両氏を囲み、四万十の川エビで飲む。(高知、20120825)




南の風・日誌2901〜2950号

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【南の風2012】2951号〜3000号・目次一覧
2951号【 9月10日】夜間中学の公開授業ご案内、烟台の風253、沖縄・怒!のレッドカードを、あと50号
2952号【 9月12日】北海道・夜間中学フォーラム、東京・夜間中学校入学説明会、烟台の風254、尖閣諸島
2953号【 9月14日】
韓国フォーラム・大都市つどい案内(再掲)、星のや竹富島、オスプレイ阻止、烟台255
2954号【 9月15日】伊藤長和・特集号(尖閣諸島国有化、緊急会議へ、ヒートアップの中国、孤島の嵐)
2955号【 9月17日】ついに暴徒化、横浜・赤峰から、第17号、竹富島・テードゥンムニ大会、暴れる愛国
2956号【 9月18日】韓国研究フォーラム、福建省、暴力や破壊は許されない、豊年祭の季節、松花江上
2957号【 9月20日】国連識字10年最終年の集い、松本市公民館活動実践事例集、竹富島結願祭、笛太鼓
2958号【 9月22日】平和博物館・平和学習の文献、故岡崎嘉平太氏、年報第17号印刷へ、Facebook
2959号【 9月24日】「公民館のデザイン」韓国出版、学校教育と公民館、大都市社会教育研究と交流の集い
2960号【 9月26日】9月28日は定例研究会(再掲)、橋下氏・信念も哲学もない? 「おきなわの社会教育」
2961号【 9月27日】烟台より−荒んだ心と温かい心、草原(モンゴル)の風13、9月の慶事・長寿のカボス
2962号【 9月29日】三国(日中韓)フォーラム延期? 公州の風10、草原の風14、第17号、辞典づくり自分史

2963号【 9月30日】東京社会教育の歩み再発見(187定例)報告、草原の風14、打倒小日本、斉藤峻資料
2964号【10月 2日】上海訪日、赤峰より、東アジア委員会の釧路会場、草原15、東京社会教育史フォーラム
2965号【10月 3日】
大連に無事帰国、横浜中華街へ、名護市史「芸能」編、オスプレイ配備−マグマ噴出か
2966号【10月 4日】えんぴつの会(NHK放映)、横浜夜間中学の再生を・自主講座、町田、辞典づくり10年(2)
2967号【10月 6日】10月研究会ご案内、上海生涯教育研究院、国体の動き、八重山のカタツムリ、釧路にて
2968号【10月 8日】
東京社会教育史研究フォーラム案内、韓国研究・交流、烟台の風256、釧路二日目
2969号【10月 9日】内モンゴルの民族教育、烟台257、心の中の解放区、販売コーナー、辞典づくり10年(3)
2970号【10月11日】北海道置戸町より、帯広図書館、年報販売報告、「東アジア社会教研究」17号の刊行
2971号【10月12日】日中韓三国フォーラムの延期、十月十日(那覇空襲)、烟台の風258、上海・東京
2972号【10月14日】58回全国夜間中学校研究会案内、刑務所の中の中学校、松本市公民館実践事例集
2973号【10月16日】10月韓国研究フォーラム、福建の動き、烟台259、年報12号、辞典づくり10年・回想(4)
2974号【10月17日】10月21日企画ご案内、烟台の風260慶祝、和光大学、映画「スケッチ・オブ・ミャーク」
2975号【10月20日】就職ご報告、領土問題の悪循環を断とう! 沖縄・米兵強姦事件、年報17号の合評を
2976号【10月22日】10月26日研究会に古居みずえ監督、烟台の風261、あれから17年、充実した日曜日
2977号【10月24日】公州より、町田市生涯学習センター、南風原町・75年ぶり上演、21日参加、白いビール
2978号【10月26日】岡山市公民館の複合化案、烟台の風262、菊酒に願いを、事務局、3000号を前にして
2979号【10月29日】第188回(10月定例)研究会ご報告、元写真家の戒め、烟台の風263、古居みずえ監督
2980号【10月31日】南の風の継続を! 年末前に沖縄へ、その後の近況、中国へ帰国、辞典づくり回想(5)
2981号【11月 1日】急告!呉遵民さん(上海)歓迎会、風は私にとって宝、竹富町青年団、11月〜12月日程
2982号【11月 4日】上海・呉遵民さん歓迎会、第17号、沖縄もはや無法地帯だ、烟台の風264、三国間交歓
2983号【11月 6日】東京研究フォーラム、夜間中学の文化祭、離島の潜在力、社会教育統計・中間報告
2984号【11月 8日】東京社会教育史研究フォーラム(第2回)報告、烟台の風265、第17号正誤表、福岡へ
2985号【11月10日】中国研究フォーラムご案内、上海より、琉球・中国交渉史、東京・西多摩の研究、石蕗
2986号【11月12日】多文化共生・子どもの貧困・分科会、風との再会、琉球新報コラム、懐かしのメール
2987号【11月14日】第17号合評会(189研究会)ご案内、烟台の風266、風・前号を読んで、北方系弥生顔
2988号【11月20日】韓国・済州島への旅、烟台の風267−悲劇の島・済州島、友情が結ぶ日韓交流
2989号【11月21日】済州への旅・余韻、烟台の風268−済州島A、名護全国集会から10年、江汀の悲しみ
2990号【11月24日】訃報・外間守善先生ご逝去、烟台269、江汀村の海軍基地反対問題、済州四・三事件
2991号【11月25日】中国フォーラムに参加、済州訪問記事に寄せて、30日定例会欠席、済州の旅の余韻
2992号【11月27日】
中国研究フォーラムご報告、まちだ市民自治学校、済州の旅に感謝、済州八策
2993号【11月29日】30日・定例研究会(再掲)、いよいよ「辞典」刊行、映画「ひまわり」、朝酒の楽しみ
2994号【12月 3日】韓国の大統領選挙、烟台の風270、沖縄の米軍基地問題、「社会教育・生涯学習辞典」
2995号【12月 5日】『社会教育・生涯学習辞典』購入希望、大宜味村・旧役場、15年マラソン・あと5号
2996号【12月 7日】地域の自然エネルギー、辞典希望、烟台271、京畿道・フォーラム、3000後・風の行方
2997号【12月 8日】12月定例研究会ご案内、中国研究フォーラムご案内、初雪や若人らとの雪見酒、訃報
2998号【12月10日】南の風・継続について、烟台の風272、草原の風16、3000号後の配信リスト一新
2999号【12月12日】風の継続を−信州上田、名古屋、伊予、福井、福岡、沖縄、神戸、上海、風配信トラブル
3000号【12月15日】3000号記念号:大学、沖縄、夜間中学、自治体、中国留学生、感謝のご挨拶


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