内モンゴルへの旅・交流 記録(2002) topページ
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▲ヘシグテン草原、はるか向かうのゲルに泊った日(2002年9月7日)
1,1997年7月・広州より内モンゴルへの旅(第1回)
*小林文人「広州からモンゴルへ−茘枝の籠をさげて」(2007)
TOAFAEC「東アジア社会教育研究」第2号(2007)所収
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2,2002年9月・内モンゴルへの旅(第2回) −旧(Justnet HP)に収録
モンゴルへの旅−この1年余の経過、私たちの思い−
*『モンゴルの草原と子どもたちに出会う旅(2002年9月)』序文
小林 文 人
(TOAFAEC代表)
モンゴル留学生との出会いは、1997年であった。もう5年が経過している。最初に私の研究室(当時、和光大学)にやってきたのは、ボヤンバートル(現在、内蒙古師範大学助教授)だ。よく酒を飲み、歌をうたいあった。いっしょに鹿児島や沖縄へ旅をしたこともある。忘れられない交流、その間のエピソードは数え切れない。
彼との縁で、97年夏にはゼミ生を中心に、初めてモンゴル草原(内蒙古自治区)へ出かけた。そのときの訪問団メンバーは15名ほど。記録は「広州から内モンゴルへ−1997年夏・茘枝の籠をさげて」と題して、『東アジア社会教育研究』第2号(TOAFAEC編、1997年)に収録されている。
ちなみに今年の旅では、久しぶりにボヤンバートル夫妻と再会した。ただしフフホトではなく、北京までわざわざ二人が会いにきてくれた。酒豪のボヤンバートルは、同夫人の忠告を入れてのことであろう、酒をやめていた。久しぶりの乾杯は私はモンゴル酒で、彼は多分お茶だったかと思う。限りなく懐かしいひとときであった。
だから今回のモンゴルへの旅は私にとって2回目。そしてこの計画は、トッグタホ(套図格、和光大学研究生を経て東京都立大学研究生)がいなければ実現しなかった。トッグタホは、ボヤンバートルの教え子である。二人ともモンゴル族の、それも牧民の出身だ。ボヤンバートルは帰国に際して、自分の意志を後に託すかのように、数人のモンゴル留学生を私の研究室に引き合わせ、思いを残して(と私は推測している)去っていった。その一人がトッグタホ、彼の愛弟子なのだ。
もう2年ちかく前のこと、研究室のゼミが終わって、いつものように大学前の「のむぎ」で飲んでいた。トッグタホが語り始めた。モンゴルの留学生たちは、厳しいバイト収入の中から毎月千円の貯金を始めたこと、小学校にも通えない故郷の子どもたちへ学資支援をしたい、ときには馬頭琴や歌・舞踊のコンサートを開催し収益を得たい、東京で「モンゴルの子ども支援の会」を立ち上げる、東京だけでなく在日のモンゴル留学生相互のネットワークもつくっていきたい、力になってもらえないか、などなど。短い話であったが、胸をうつものがあった。
その後、和光大学在籍の研究生だけでなく、在京のモンゴル留学生たちと会う機会が増えた。トッグタホやチャガンボルグ等を介して、新しい出会いが拡がっていったのである。昨年7月には東京都板橋区で、彼らが開いたナーダム(「みんなあつまれ モンゴル祭り
inとくまる」)が盛大に開かれ、私たちのTOAFAEC(東京・沖縄・東アジア社会教育研究会)もこれに協賛した。私は挨拶を求められ、光栄にもモンゴル相撲の勝者に賞品を渡す役を仰せつかった。8月には海を知らない6人のモンゴル留学生を連れて沖縄の旅を実現し、名護湾で一緒に泳いだ。
その間には、ショウグン・ナラ夫妻(ともに東京学芸大学院生)との出会いもあった。今年1月(第71回)TOAFAEC定例研究会では「モンゴルの子どもたちの未来のために」を主テーマに「支援の会」と運動の進め方について語り合った。研究会が終わった後の交流会(高井戸駅前「グルマン亭」)で、二人がモンゴルの草原の歌を熱唱したことを憶えている。ショウグンやトッグタホたちは“モンゴルの子どもたちの未来のために”「フフ・モンゴル・オドム」(当初は「蒙郷会」という案であった)を立ち上げ、活動を開始することになった。私たちの研究会もこれに協力しようと話しあった。
毎年1月15日前後に、東京学芸大学や和光大学の卒業生たち、またTOAFAECの
関係者がつどう恒例の新年会がある。昨年の新年会にはモンゴル留学生も参加して馬頭琴を演奏してくれた。また7月初旬の七夕の会では、来日したばかりのダフラがお得意の四胡を弾いた。どちらかに出席していた古川夫妻(東京学芸大学・子ども会サークル「麦の子」OBG、二人とも小学校教師)がこれに感動して、勤務先の小学校にモンゴル留学生を招き、生徒たちに馬頭琴を聴かせた。そして板橋区立徳丸小学校の校庭でのナーダム開催(先述)にも力をかしたのである。
これが縁となって、今回の旅では、徳丸小学校の生徒たち全学年が絵をかいて、トッグタホはモンゴル草原の小学校へこれを持参した。子どもたち相互の新しい交流を期待してのことである。東京の子どもたちの絵をモンゴルの子どもたちはどのように受け止めただろうか。モンゴルの草原の子らの絵は東京に届いただろうか。
その他にも、いくつかの波紋が拡がった。川崎の伊藤長和さん(川崎市生涯学習振興事業団)は、川崎で開かれる会合で、もう何度も馬頭琴の演奏の場を用意していただいた。
沖縄の関係者も、そのうち馬頭琴演奏の会を開こうと話しあっている。また思いがけなく滋賀県愛知川町の図書館でも同じような企画が始まっているそうだ。
正確な日時はいま定かに覚えていないが、トッグタホ等の和光大学関係者にショウグン等も加わって、フフ・モンゴル・オドムのこれからの活動を話し合ったことがある。たしか「のむぎ」だったと思う。彼らがこうして心をこめて蓄え、また私たちもささやかながら協力してきた基金を、モンゴルの子どもたちに直接に“手渡す”旅を計画しようというのである。スケジュールの調整が始まった。日程は沖縄(名護)で開かれた第42回社会教育研究全国集会と重ならないように、9月10日前後。同席の「のむぎ」主人の鈴木荘一さんもぜひ参加したいという。まったくの手弁当の旅、同行者が何人集まるか。他に誰もいなくても、その場で「小林と鈴木の二人」は必ず行くことを約束して、旅の計画は具体化し始めたのである。
約1ヶ月の検討が重ねられて、TOAFAECのパソコン通信「南の風」に案内を出したのは6月26日(895号)のことだ。記録として、以下に「呼びかけ文」を再録しておこう。
◆モンゴルの草原と子どもたちに出会う旅・お誘い(-2002/06/21-)
主催:フフ・モンゴル・オドム
共催:東アジア社会教育研究会(TOAFAEC)
私たちは、かねてより困窮にあえぐ「モンゴルの子どもたち」(フフ・モンゴル・オドム)援助のために、毎月の貯金をし演奏会を催し寄金を募るなどの活動をしてきました。今回、初めての試みとして、モンゴルの子どもたちへ私たちの心を届け、直接に奨学金を手渡すために、次のような旅の企画をいたしました。
主な目的地は、モンゴル自治区東部の通遼方面の草原です。小学校を訪問して奨学金を渡し、さらに砂漠にふれ、草原体験をし、旧知の友人たちを訪問します。また初めて中国に行く人のために、北京に三泊し、万里長城や北京市内の観光を用意いたしました。参加者の希望により、さらに内容を面白く修正していくことも可能です。
これまでのモンゴル観光ツアーでは経験できない、まったく新しいルートの旅です。現地の教育機関や関係者の積極的な協力も得て、このような旅の企画が、今後も息ながく継続されるよう、第1回の試みが成功するために全力をつくしたいと考えています。
私たちの活動にご賛同の上、ぜひご参加下さいますよう、ご案内申しあげます。
日程:2002年9月10日(火)〜9月17日(火)、7泊8日
参加人員:10名前後(予定)*申し込み(第1次集約)7月15日
経費:17万円前後
予定スケジュール:
<月日>
<交通> < 内 容 > <宿 泊>
9月10日(火)飛行機 東京(成田)空港→北京 化美倫ホテル
9月11日(水)飛行機
北京→通遼(軽食)→庫倫旗 庫倫旗ホテル
専用車 (夜、関係者による歓迎・交流会の予定)
9月12日(木)専用車
午前・草原の小学校へ。奨学金の手渡し式
午後、ホルチン砂漠へ、乗馬体験など
夜、ダフラ氏(和光大学研究生)宅。夕食 庫倫旗ホテル
9月13日(金)専用車 朝、庫倫旗を出発、次の手渡し式の小学校へ
途中、チャガン氏(和光大学研究生)自宅訪問
モンゴル家庭料理。午後3時頃、小学校到着。
地域の人たちと交流、通遼へ向かう。 通遼ホテル
9月14日(土)専用車 モンゴルで有名なホルチン草原の観光(乗馬、
モンゴル包で馬頭琴演奏、モンゴル歌、モンゴル料理、夜は通遼へ
通遼ホテル
9月15日(日)飛行機
草原を離れ、北京へ、夜・自由行動
9月16日(月)専用車 北京観光、万里長城、故宮、天安門広場等
9月17日(火)飛行機 北京→ 東京(成田)
*申し込み・問合わせ:套図格(東京都立大学研究生)090-4247-4497、03-3936-0707
小林文人(TOAFAEC代表、フフモンゴルオドム顧問)03-3324-7816、Bunjink@cup.com
この呼びかけの後、航空便やその他の関係で、旅程や宿泊地等はいくつも修正された。実際の行動は本報告集に記録されている通りである。
私たちの呼びかけに応えて、参加していただいた皆さんに感謝している。10代の若者から60代以上までを含む面白いメンバーの旅となった。
今回の旅でお世話になったモンゴル留学生諸氏ならびに北京の旅行社はじめ多くの関係の方々に御礼を申しあげたい。
おわりに、今後のためにいくつかの課題を記しておこう。
1,モンゴルの子どもたち支援の活動が、何らかの組織や機関を通して行われるだけでな く、小さな集団であれ心のこもった活動として、自らの思いを“顔の見える”直接的な 関係で“手渡し”しようというのが、フフ・モンゴル・オドムの初心であり、それに協 力する私たちの課題であった。これから、この“初心”をどのように継続し具体化して いくことができるか。
2,今回のモンゴルへの旅(前半)では、宗慶齢基金関係者と同道の旅程であった。それ と関連して、内蒙古自治区・行政組織や学校関係者の協力(案内や接待)をいただいた。 そのことに感謝しつつ、しかし同時に、草の根からの、一粒の麦が芽吹くような、心が かよいあう人間的な出会いと交流を創り重ねていくことが課題となろう。
3,東京都板橋区徳丸小学校の創意により、モンゴルの子どもたちへ向けて絵が制作され、 トックダッホを通してその作品が訪問した小学校に届けられた。このような東京とモン ゴルの、学校と子どもたち相互をつなぐ親善友好の関係づくりをこれから蓄積していけ るかどうか。同じことは双方の社会教育と成人教育・社区活動の交流についても考えて いく必要があろう。
4,数日を過ごしたモンゴル草原は極めて広大、しかもその砂漠化や環境問題、牧畜の将 来、牧民の生活問題、子どもたちの就学事情、少数民族の言語・識字問題等、多くの問 題について、さらに認識を深めていく必要を痛感した。
5,今回の旅は、一つの大きな実験、挑戦の試みであった。まだわずかな知見に止まるけ れども、それぞれに興味深い発見があり、これまでにない新たな体験もあった。今後に むけて息長く、継続的な取り組みを続けていきたい。フフ・モンゴル・オドムの運動も 厳しい現実にめげることなく、志を維持して努力してほしいし、私たちも出来る範囲で の支援を考えていきたい。
<アルバム記録>
▲庫倫旗・草原の小学校、歓迎の歌と踊りの子どもたち(2002年9月9日)
▲通遼の夜(2002年9月8日)
▲庫倫旗・中心の小学校、歓迎の子どもの列(2002年9月9日)
▲モンゴルの旅終わり、北京への移動、通遼空港にて(20020910)
▲北京・長城に遊ぶ(20020912)
▲北京ダッグ店、韓民(中国教育部)と。(
20020910)
3,和光大学・小林研究室(TOAFAEC研究会)の留学生たち
4,2006年8月・内モンゴルへの旅(第3回)
モンゴル草原への旅・記録・写真→■
▲内蒙古師範大学を訪問(フフホト、20060827)
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