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2002・モンゴルの子どもたちの未来のために
       −フフ・モンゴル・オドムの取り組み
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フフ・モンゴル・オドム
代表 トッグタホ(東京都立大学・大学院・博士課程) 
副代表 ショウグン(東京大学・大学院・博士課程)
顧問 小林文人(東京学芸大学名誉教授)・TOAFAEC顧問  
            Email: bunjin-k@js4.so-net.ne.jp
郵便振替 00171−1−122917   口座名: フフ・モンゴル・オドム

■フフ・モンゴル・オドムとは・・・
 フフ・モンゴル・オドムとは、モンゴルで尊い色とされている青色(フフ)と、
子ども・子孫(オドム)の意味から、「尊いモンゴルの子どもたちへ」という
メッセージを込めた、在日モンゴル人留学生による文化交流や教育支援
などを目的とした活動です。 

■ご協力のお願い
 私たちは、内モンゴル自治区において、経済的理由で教育を受けられな
い子どもたちを少しでも減らし、将来への夢や希望を育むための教育支援
に取り組み、郷土のモンゴル民族小学校に図書室を作ることなどを目標に、
支援金(1口1000円)の積み立てを進めています。趣旨にご賛同いただき
上記口座にご寄付をお願いいたします。
 民族をこえた文化交流や相互親善の活動などにもぜひご参加下さい。

ヘシグテン草原、はるか向かうのゲルに泊った日(2002年9月7日) 写真移動



(1) 内モンゴルに暮らすモンゴルの子どもたちの現状

 中国・内モンゴル自治区は、世界の中でもモンゴル族が多く暮らす地域ですが、砂漠化によって土地の荒廃が進み、草原を生活の糧にする遊牧民に深刻な影響を及ぼしています。さらに中国語を標準とする社会の仕組みの中で、モンゴル族は漢民族との経済的な格差に苦しんでおり、経済的な優位性を見越した教育の習得を重視するようになってきました。
 その結果、多くのモンゴル人夫婦は、自分の子どもをモンゴル民族学校に通わせるよりも、漢民族の学校に入学させる傾向にあります。
 そこでは教育のすべてが、中国語によって行われており、将来を担う子どもたちから、モンゴル語が確実に失われていく傾向にあります。

 このような状況のなかで、草原地域で生活する遊牧民の子どもたちは、経済的な理由から、教育を受けることが益々困難になる一方、街に暮らすモンゴル人たちは、経済的な安定を確保することと引き換えに、モンゴル民族の言葉や文化が手放されようとしています。
 私たち在日モンゴル人留学生は、日本の皆さんとの文化交流を通して、将来にわたる友情を育んでゆくことを望んでいます。そして、次世代を担うモンゴルの子どもたちが、希望を見失うことなく成長していけることを願い、日本で学んだことを郷土の教育や発展に生かし、モンゴルの文化、歴史、言語を継承していきたいと考えています。そこで私たちは2001年春から「フフ・モンゴル・オドム」の取り組みを始めました。
庫倫旗・草原の小学校、歓迎の歌と踊りの子どもたち(2002年9月9日)- 写真→→こちら■

■フフ・モンゴル・オドムの活動
1,文化交流の推進
 日本の多くの皆さんに、モンゴル民族の暮らしや伝統文化を紹介する取り組みを進めています。これまでに学校教育関係者、社会教育機関、市民団体などのご協力をいただきながら、小学校の総合学習や公民館、イベント会場などで、馬頭琴などの民族楽器の演奏、草原の住まい“ゲル”の組み立て、モンゴル料理などをご紹介してきました。要請があれば、留学生がご説明にお伺いいたします。

2,内モンゴルの子どもたちへの教育支援
 郷土で学ぶモンゴル民族の子どもたちへの教育支援を進めるために、留学生を中心に支援金の積み立てを行っており、賛同者を広く募っています。
 支援を実施する取り組みとして2002年9月にフフ・モンゴル・オドムのメンバーとともに、宋慶齢基金会日中共同プロジェクト委員会、東アジア社会教育研究会の総勢20人が、内モンゴル・通遼市の小学校を訪問し、日本の小学生から託された絵やメッセージと教材をお渡しするとともに、現地の子どもたちや教育関係者との交流をおこなってきました。

3,在日モンゴル人留学生の相互交流
 モンゴル人留学生が、日本での暮らしや勉学を支えあうために親睦を図り、地域住民の方々との交流もあわせて、毎年モンゴル祭りなどのイベントを開催しています。また、内モンゴル自治区の社会・教育問題等について理解を深め、フフ・モンゴル・オドムへの参加を呼びかけています。

4,これまでの文化交流の取り組み経過(2001年〜2003年6月)
  −主な訪問先、参加、交流先−
 平方小学校、落合小学校、徳丸小学校、板橋第三中学校、青柳小学校、代沢小学校、菅生小学校、東柿生小学校、川中島小学校、西菅小学校、南菅小学校、井出小学校、上溝小学校、、中原小学校、向小学校、坂戸小学校、小茂根福祉園、花さき保育園、板橋区ボランテイアフェスタ、赤塚梅まつり、徳丸桜まつり、沖縄研究交流会、八王子教研集会、心をつなごう音楽交流会、相模原市海外支援講演会、21世紀川崎教育フオーラム、“大草原モンゴルの音楽”チャリテイ・コンサート、モンゴル語講座(相模台公民会)、愛知川図書館、など。



(2)フフ・モンゴル・オドム支援(2003年)

From: "toku.2" <toku.2@green.ocn.ne.jp>
To: 小林ぶんじん <bunjin-k@js4.so-net.ne.jp>
Subject: 9月21日の件(第三回モンゴル祭りの開催)
Date: Mon, 4 Aug 2003 10:27

 先生、今日は!
 套図格です。先日はありがとうございました。達さんも喜んでました。
さて、9月21日(日)10時〜16時・第三回ナダーム(モンゴル祭り)の開催を計画し
ましたことを御報告いたします。

場所:板橋区平和公園(常盤台4−3−1)
    東武東上線上板橋駅北口  イトーヨーカドの隣
主催:フフ・もんごる・オドム(サークル)
共済:板橋区大原社会教育会館
   NPOボランティア市民活動学習推進センターいたばし
   
 も一件はフフ・モンゴル・オドムのパンフレット作りについては川村さんにお願い
してありますが、内容は「故郷の学校に図書室」を作ることにしたいです。今まで
学生一人当たりに1300円を援助金としてあげていたのが、その一人の生徒に限
られるから、それを止めて、次々と生まれてくる貧しい子たちを全体に考え、図書
室を作ってあげる方がみんなのためになるし、支援してくださる皆様の目にも見え
ることにしたい。
 川村さんは良い考えですと言ってくれたことについては、先生のご意見は如何
でしょうか。教えてください。

*図書室構想、賛成です。(小林ぶんじん



(3) フフ・モンゴル・オドム
 1、フフ・モンゴル・オドムの主旨
 (フフ・モンゴル・オドム)とは青い(モンゴルに尊敬される色)モンゴルの子どもたちや子孫、末裔の意味で、モンゴルの子供達の教育を支援する会です。
 フフ・モンゴル・オドムは2001年5月から活動し始まって以来、東京都板橋区を中心に地域の様々なボランティア活動や市民祭りに参加しモンゴルの生活や居住、言葉と風俗習慣等について説明しながら日本の小中学校との文化交流、モンゴルの話と音楽、踊り、子どもの遊び、馬頭琴の演奏等と東京都を中心にモンゴル人留学生と地域の住民を含むモンゴルの(祭り)ナーダムやコンサート企画し、板橋区のボランテイア活動に参加する等幅広く交流活動を続けております。 そして、これらの活動を通じて得た収益金で故郷のモンゴル族小学校に通う子どもたちの教育に支援することを目的として行われてきました。
 お蔭様で2002年5月11日まで実に52万円弱の収益金と御カンパを集められました。また、宋慶齢基金会日中共同プロジェクト委員会(jcc)と三年間の契約を結び、2002年9月から2004年まで毎年20万円を150人の子どもに(一人1300円)学雑費として援助することになりました。援助対象となるのは内モンゴル自治区通寮市ホルチン後旗と庫倫旗にあるモンゴル族小学校になります。実施するに当たって、またより良い支援活動を続けるために、2002年7月13日にかけて宋慶齢基金会日中共同プロジェクト委員会(jcc)副会長須藤さんや顧問安部先生(元東京学芸大学学長)と東アジア社会教育研究会(TOAFAEC)会長フフ・モンゴル・オドムの顧問小林文人先生(元学芸大学教授)小軍(ショウグン)、ナラ(学芸大学大学院歴史学専攻)套図格(トクタホ、東京都立大学大学院教育学専攻)フフ・モンゴル・オドム代表らを含む20人のメンバが現地の学校を訪問し、遊牧民の生活にふれあい、子どもたちと交流が行われました。2004年3月28日宋慶齢基金会日中共同プロジェクト委員会(jcc)の定例会にて、内モンゴル自治区通寮市ホルチン後旗と庫倫旗にあるモンゴル族小学校の支援対象になった子ども達の名簿と家族(親の名前)、支援された理由等が書かれた報告書や感謝の手紙を読みあげ三年間の契約結んだ支援活動が無事成功したことをご報告いたしますと共にここでご支援、ご指導してくださった皆様や留学生諸君に心から感謝する次第でございます。

 今回の活動を通じて、今後一人でも多くの子どもたちを支援するために頑張ろうという気持ちが更に強くあります。今後も皆様、是非ご支援をよろしくお願い致します。最近までに八王子市、川崎市、板橋区、文京区の学校や図書館、障害者施設、図書館などにて(スーホの白い馬)というモンゴルの話を入り口にしたモンゴルの遊牧生活、モンゴル人の食べ物や服装、モンゴルの学校教育や子どもたちの遊び、言葉、日常生活についての紹介と馬頭琴の演奏等で交流を深めております。

 2、活動内容 

 板橋区赤塚梅祭り、板橋区徳丸桜祭り、板橋区ふれあい祭り、板橋区民祭りに参加しながらモンゴル人留学生を中心とした地域の子供達と住民が自由参加し共同に行われるモンゴル祭り(ナーダム)を企画開催、留学生によるチャリティコンサートとモンゴル人留学生達や地域の人たちとの親睦を図る新忘年会等の活動は毎年毎にお行われております。

菅生小学校    平成15年1月28日   板橋区成増ヶ丘小学校  平成14年3月4日
東柿生小学校  平成15年2月6日     王禅寺小学校      平成16年3月3日
川中島小学校  平成15年2月13日    生田小学校       平成16年2月24日
西菅小学校    平成15年2月12日    川中島小学校      平成16年2月26日
南菅小学校    平成15年2月12日    梶ヶ谷小学校      平成16年2月9日
生田小学校    平成15年2月21日    有馬小学校       平成16年2月23日
愛知川図書館  平成15年2月23日    坂戸小学校       平成16年2月18日
板橋第三中学校 平成15年2月24日    川崎小学校       平成16年1月18日
中原小学校    平成15年2月25日    久本小学校       平成16年1月21日
向小学校      平成15年2月28日    菅小学校         平成14年2月16日
坂戸小学校    平成15年3月4日     
 
「多文化ふれあい交流会  平成14年2月24日
文京区青柳小学校平成15年3月11日       東柿生小学校       平成14年2月25日
世田谷区代沢小学校平成15年4月19日      板橋区赤塚小学校    平成14年3月8日
板橋区赤塚梅祭り平成15年3月2日         板橋区赤塚梅祭り     平成16年3月7日
板橋区徳丸桜祭り平成15年4月19日        板橋区徳丸桜祭り     平成16年4月11日
板橋区平和公園ふれあい祭り平成15年5月18日 板橋区徳丸桜祭り    平成16年4月11日
板橋区区民祭りにモンゴル料理出店 平成15年9月19、20日(第三回目)
                    (予定)平成16年9月18,19日 (第四回目)   

 以上平成15年度と16年度の活動内容(活動予定)をご報告させてもらいました。
 今後とも皆様のご指導とご支援宜しくお願いいたします。
  平成16年4月8日     フフ・モンゴル・オドム


(4)フフ・モンゴル・オドム支援(2002年)
 モンゴルへの旅
    −この1年余の経過、私たちの思い−

         *『モンゴルの草原と子どもたちに出会う旅(2002年9月)』序文   
                             小 林 文 人 (TOAFAEC代表)

 モンゴル留学生との出会いは、1997年であった。もう5年が経過している。最初に私の研究室(当時、和光大学)にやってきたのは、ボヤンバートル(現在、内蒙古師範大学助教授)だ。よく酒を飲み、歌をうたいあった。いっしょに鹿児島や沖縄へ旅をしたこともある。忘れられない交流、その間のエピソードは数え切れない。
 彼との縁で、97年夏にはゼミ生を中心に、初めてモンゴル草原(内蒙古自治区)へ出かけた。そのときの訪問団メンバーは15名ほど。記録は「広州から内モンゴルへ−1997年夏・茘枝の籠をさげて」と題して、『東アジア社会教育研究』第2号(TOAFAEC編、1997年)に収録されている。
 ちなみに今年の旅では、久しぶりにボヤンバートル夫妻と再会した。ただしフフホトではなく、北京までわざわざ二人が会いにきてくれた。酒豪のボヤンバートルは、同夫人の忠告を入れてのことであろう、酒をやめていた。久しぶりの乾杯は私はモンゴル酒で、彼は多分お茶だったかと思う。限りなく懐かしいひとときであった。
 
 だから今回のモンゴルへの旅は私にとって2回目。そしてこの計画は、トッグタホ(套図格、和光大学研究生を経て東京都立大学研究生)がいなければ実現しなかった。トッグタホは、ボヤンバートルの教え子である。二人ともモンゴル族の、それも牧民の出身だ。ボヤンバートルは帰国に際して、自分の意志を後に託すかのように、数人のモンゴル留学生を私の研究室に引き合わせ、思いを残して(と私は推測している)去っていった。その一人がトッグタホ、彼の愛弟子なのだ。
 もう2年ちかく前のこと、研究室のゼミが終わって、いつものように大学前の「のむぎ」で飲んでいた。トッグタホが語り始めた。モンゴルの留学生たちは、厳しいバイト収入の中から毎月千円の貯金を始めたこと、小学校にも通えない故郷の子どもたちへ学資支援をしたい、ときには馬頭琴や歌・舞踊のコンサートを開催し収益を得たい、東京で「モンゴルの子ども支援の会」を立ち上げる、東京だけでなく在日のモンゴル留学生相互のネットワークもつくっていきたい、力になってもらえないか、などなど。短い話であったが、胸をうつものがあった。
 その後、和光大学在籍の研究生だけでなく、在京のモンゴル留学生たちと会う機会が増えた。トッグタホやチャガンボルグ等を介して、新しい出会いが拡がっていったのである。昨年7月には東京都板橋区で、彼らが開いたナーダム(「みんなあつまれ モンゴル祭り inとくまる」)が盛大に開かれ、私たちのTOAFAEC(東京・沖縄・東アジア社会教育研究会)もこれに協賛した。私は挨拶を求められ、光栄にもモンゴル相撲の勝者に賞品を渡す役を仰せつかった。8月には海を知らない6人のモンゴル留学生を連れて沖縄の旅を実現し、名護湾で一緒に泳いだ。
 その間には、ショウグン・ナラ夫妻(ともに東京学芸大学院生)との出会いもあった。今年1月(第71回)TOAFAEC定例研究会では「モンゴルの子どもたちの未来のために」を主テーマに「支援の会」と運動の進め方について語り合った。研究会が終わった後の交流会(高井戸駅前「グルマン亭」)で、二人がモンゴルの草原の歌を熱唱したことを憶えている。ショウグンやトッグタホたちは“モンゴルの子どもたちの未来のために”「フフ・モンゴル・オドム」(当初は「蒙郷会」という案であった)を立ち上げ、活動を開始することになった。私たちの研究会もこれに協力しようと話しあった。

 毎年1月15日前後に、東京学芸大学や和光大学の卒業生たち、またTOAFAECの関係者がつどう恒例の新年会がある。昨年の新年会にはモンゴル留学生も参加して馬頭琴を演奏してくれた。また7月初旬の七夕の会では、来日したばかりのダフラがお得意の四胡を弾いた。どちらかに出席していた古川夫妻(東京学芸大学・子ども会サークル「麦の子」OBG、二人とも小学校教師)がこれに感動して、勤務先の小学校にモンゴル留学生を招き、生徒たちに馬頭琴を聴かせた。そして板橋区立徳丸小学校の校庭でのナーダム開催(先述)にも力をかしたのである。
 これが縁となって、今回の旅では、徳丸小学校の生徒たち全学年が絵をかいて、トッグタホはモンゴル草原の小学校へこれを持参した。子どもたち相互の新しい交流を期待してのことである。東京の子どもたちの絵をモンゴルの子どもたちはどのように受け止めただろうか。モンゴルの草原の子らの絵は東京に届いただろうか。
 その他にも、いくつかの波紋が拡がった。川崎の伊藤長和さん(川崎市生涯学習振興事業団)は、川崎で開かれる会合で、もう何度も馬頭琴の演奏の場を用意していただいた。沖縄の関係者も、そのうち馬頭琴演奏の会を開こうと話しあっている。また思いがけなく滋賀県愛知川町の図書館でも同じような企画が始まっているそうだ。

 正確な日時はいま定かに覚えていないが、トッグタホ等の和光大学関係者にショウグン等も加わって、フフ・モンゴル・オドムのこれからの活動を話し合ったことがある。たしか「のむぎ」だったと思う。彼らがこうして心をこめて蓄え、また私たちもささやかながら協力してきた基金を、モンゴルの子どもたちに直接に“手渡す”旅を計画しようというのである。スケジュールの調整が始まった。日程は沖縄(名護)で開かれた第42回社会教育研究全国集会と重ならないように、9月10日前後。同席の「のむぎ」主人の鈴木荘一さんもぜひ参加したいという。まったくの手弁当の旅、同行者が何人集まるか。他に誰もいなくても、その場で「小林と鈴木の二人」は必ず行くことを約束して、旅の計画は具体化し始めたのである。
 約1ヶ月の検討が重ねられて、TOAFAECのパソコン通信「南の風」に案内を出したのは6月26日(895号)のことだ。記録として、以下に「呼びかけ文」を再録しておこう。

◆モンゴルの草原と子どもたちに出会う旅・お誘い(-2002/06/21-)
主催:フフ・モンゴル・オドム
共催:東アジア社会教育研究会(TOAFAEC)
 私たちは、かねてより困窮にあえぐ「モンゴルの子どもたち」(フフ・モンゴル・オドム)援助のために、毎月の貯金をし演奏会を催し寄金を募るなどの活動をしてきました。今回、初めての試みとして、モンゴルの子どもたちへ私たちの心を届け、直接に奨学金を手渡すために、次のような旅の企画をいたしました。
 主な目的地は、モンゴル自治区東部の通遼方面の草原です。小学校を訪問して奨学金を渡し、さらに砂漠にふれ、草原体験をし、旧知の友人たちを訪問します。また初めて中国に行く人のために、北京に三泊し、万里長城や北京市内の観光を用意いたしました。参加者の希望により、さらに内容を面白く修正していくことも可能です。
 これまでのモンゴル観光ツアーでは経験できない、まったく新しいルートの旅です。現地の教育機関や関係者の積極的な協力も得て、このような旅の企画が、今後も息ながく継続されるよう、第1回の試みが成功するために全力をつくしたいと考えています。
 私たちの活動にご賛同の上、ぜひご参加下さいますよう、ご案内申しあげます。
日程:2002年9月10日(火)〜9月17日(火)、7泊8日
参加人員:10名前後(予定)*申し込み(第1次集約)7月15日
経費:17万円前後
予定スケジュール:
 <月日> <交通> < 内 容 > <宿 泊>
9月10日(火)飛行機 東京(成田)空港→北京 化美倫ホテル
9月11日(水)飛行機 北京→通遼(軽食)→庫倫旗、庫倫旗ホテル
 専用車 (夜、関係者による歓迎・交流会の予定)
9月12日(木)専用車 午前・草原の小学校へ。奨学金の手渡し式
 午後、ホルチン砂漠へ、乗馬体験など
 夜、ダフラ氏(和光大学研究生)宅。夕食、庫倫旗ホテル
9月13日(金)専用車 朝、庫倫旗を出発、次の手渡し式の小学校へ
 途中、チャガン氏(和光大学研究生)自宅訪問
 モンゴル家庭料理。午後3時頃、小学校到着。
 地域の人たちと交流、通遼へ向かう。通遼ホテル
9月14日(土)専用車 モンゴルで有名なホルチン草原の観光(乗馬、
 モンゴル包で馬頭琴演奏、モンゴル歌、モンゴル料理、夜は通遼へ
 通遼ホテル
9月15日(日)飛行機 草原を離れ、北京へ、夜・自由行動
9月16日(月)専用車 北京観光、万里長城、故宮、天安門広場等
9月17日(火)飛行機 北京→ 東京(成田)
*申し込み・問合わせ:套図格(東京都立大学研究生)090-4247-4497、03-3936-0707 
 小林文人(TOAFAEC代表、フフモンゴルオドム顧問)03-3324-7816、Bunjink@cup.com

 この呼びかけの後、航空便やその他の関係で、旅程や宿泊地等はいくつも修正された。実際の行動は本報告集に記録されている通りである。
 私たちの呼びかけに応えて、参加していただいた皆さんに感謝している。10代の若者から60代以上までを含む面白いメンバーの旅となった。
 今回の旅でお世話になったモンゴル留学生諸氏ならびに北京の旅行社はじめ多くの関係の方々に御礼を申しあげたい。 おわりに、今後のためにいくつかの課題を記しておこう。

1,モンゴルの子どもたち支援の活動が、何らかの組織や機関を通して行われるだけでなく、小さな集団であれ心のこもった活動として、自らの思いを“顔の見える”直接的な関係で“手渡し”しようというのが、フフ・モンゴル・オドムの初心であり、それに協力する私たちの課題であった。これから、この“初心”をどのように継続し具体化していくことができるか。
2,今回のモンゴルへの旅(前半)では、宗慶齢基金関係者と同道の旅程であった。それと関連して、内蒙古自治区・行政組織や学校関係者の協力(案内や接待)をいただいた。 そのことに感謝しつつ、しかし同時に、草の根からの、一粒の麦が芽吹くような、心がかよいあう人間的な出会いと交流を創り重ねていくことが課題となろう。
3,東京都板橋区徳丸小学校の創意により、モンゴルの子どもたちへ向けて絵が制作され、 トックダッホを通してその作品が訪問した小学校に届けられた。このような東京とモンゴルの、学校と子どもたち相互をつなぐ親善友好の関係づくりをこれから蓄積していけるかどうか。同じことは双方の社会教育と成人教育・社区活動の交流についても考えていく必要があろう。
4,数日を過ごしたモンゴル草原は極めて広大、しかもその砂漠化や環境問題、牧畜の将来、牧民の生活問題、子どもたちの就学事情、少数民族の言語・識字問題等、多くの問題について、さらに認識を深めていく必要を痛感した。
5,今回の旅は、一つの大きな実験、挑戦の試みであった。まだわずかな知見に止まるけれども、それぞれに興味深い発見があり、これまでにない新たな体験もあった。今後にむけて息長く、継続的な取り組みを続けていきたい。フフ・モンゴル・オドムの運動も 厳しい現実にめげることなく、志を維持して努力してほしいし、私たちも出来る範囲での支援を考えていきたい。

モンゴル留学生 初めての沖縄訪問(那覇・あんつく 20010808)





(5)TOAFAEC・第98回研究会報告(2004年5月21日)
 中国黒龍江省ドルブットモンゴル族自治県モンゴル人学校            
 
                          包 聯群(東京大学・院)


1.ドルブットモンゴル族自治県概要
 黒龍江省は地理的位置から言えば、中国の最も北、東にあり、面積は46万平方キロメートル、人口は3,689万人である。その中、モンゴル族の人口はおよそ14万人にのぼる。『杜爾伯特モンゴル族自治県志』(1996)によると、ドルブットモンゴル族自治県モンゴル人の人口は42.676人で、黒龍江省に居住するモンゴル人の30%にあたり、ドルブットモンゴル族自治県総人口(22.3万)との割合では18%にとどまる。
 「ドルブット」という名前の由来:『元朝秘史』では、チンギスカーンの後代11世代であるドブンウルガンの兄ドウアソホルは、子供が四人いた。ドウアソホルがいなくなった後、子供四人が伯父と合わないため、独立をし、"ドルブン(四つの意味)姓"になったという。"ドルブン"(dorben四つ)は今の"杜爾伯特"(dorben+d (複数形))を指している。モンゴル語では"四つ"の意味を表わす。10世紀頃、杜爾伯特部族は主にフルンベルを中心として遊牧をし、13世紀の初め頃から、「嫩江」(NEN JIANG)と「通肯河」の間に移住してきたという。1648年、杜爾伯特部族は杜爾伯特部旗に変わり、1956年に、中国中央の許可を得て、現在のドルブットモンゴル族自治県が設立されたという。
 ドルブットモンゴル族自治県は黒龍江省における唯一のモンゴル族自治県である。地理的位置から言えば黒龍江省の南西にあり、東南が大慶市(石油)、西北はチチハル市と隣接している。南北の長さは平均して102.9キロメートルであり、東西の長さは平均して60キロメートルである。総面積は6.176平方キロメートルである。
 『杜爾伯特ゴル族自治県志』(1996)によると、1686年、清朝政府がドルブット旗内に三つの"駅"を設立し、駅員(漢民族の役員)が固定した地域に居住し、限定した地域を超える移動は許さなかった。1772年から清朝政府はドルブットをはじめとする多くの"蒙旗"(モンゴルの地域)を閉鎖する政策を取った。その一は、中国人がモンゴル人の土地を買うかモンゴル人が中国人に土地を売ることが禁止された。その二は、モンゴル人と中国人との結婚を禁止する。その三は、中国語の運用を禁止する。あらゆる文書を中国語で書くのを禁止し、人名さえ中国語を使用してはいけない。違反したものが処罰されたという。にもかかわらず、モンゴル人と中国人との間に闇関係が続き、ないし結婚した人もいるとのことである。1862年から1874にかけて清朝政府が内外の混乱に追いかけられている状況を利用し、モンゴル人が闇に土地を中国人に借りていたことがある。1904年"蒙旗地開放"以来、多くの漢民族がドルブットに移住してきた。それにより、漢民族との接触環境がさらに整え、その頻度も大幅に増え、親密関係も一層深くなってきた。1910年にあらゆる禁止命令が撤去され、一切の禁止がなくなったため、モンゴル人も中国語を学び始め、中国語の名前をつけるようになった。
 1946年以後、その関係がさらに密接になり、共産党の民族政策が導入され、民族団結を重視し、1955年の合併化運動中にモンゴル人と中国人が自由に結びつき、43個の聯合社を設立した。1956年にドルブットモンゴル族自治県が設立された時点ですでに新しい民族関係が確立されたという。

2.文化活動やメディアなど
 一方、黒龍江省では、モンゴル語によるテレビ局やラジオ放送局、新聞社などは設けられていない。ドルブットモンゴル族自治県では、1962年からモンゴル語による有線放送が行われている。中国の文化大革命のとき、十年ほど停止されたが、モンゴル人の歌、舞踏、文芸などを中心とした民族色豊かな番組が再び放送されるようになったという。筆者の2003年の調査によると、ドルブットモンゴル族自治県では、2003年の元旦からモンゴル語によるテレビ放送番組が放映されている。土曜日と日曜日の夜、中央テレビのニュースが終了後(19時30分)、10分程度のモンゴル語による放送が行われている。内容はニュースや「草原文芸」などである(内モンゴルから募集した男性アナウンサが一人、編集員が二人、合わせて3人のスタッフ)。
 文化活動としては、経済的にもプラスになるよう、旅行者を増やすために、積極的にドルブットモンゴル民族の伝統、文化を周辺へ宣伝し、またモンゴル人の伝統的なナダム―祭りが行なわれ、内モンゴルからも歌手などが招かれる。財政などの支援が足りないとき、何年かに一回開催される。
 
3.ドルブットモンゴル人の教育現状
 ドルブットモンゴル族自治県では、今まで、モンゴル語の教育が様々な形で、異なるレベルで行なわれてきた。中国全土と同じカリキュラムを実施している一般学校が多数を占めるが、「モンゴル族××学校」という、モンゴル人を中心とする民族学校も設けられている(小・中・高等学校)。ドルブットモンゴル族自治県における一般学校と民族学校の2003年の割合は次のとおりである。
(ドルブットモンゴル族自治県教育局による2003年4月の統計資料)

学校種別    一般学校     モンゴル族学校        合計
       学校数    人数   学校数   人数     学校数    人数
小学校      68   10438     32    6690       100   17128
中学校      15    5399      7    4540        22    9939
高校数       2    1653      1     412         3    2065
合計        85   17490     40   11642       125   29132

 自治県の学校の数は全部で125校である。児童・生徒の数は合わせて29,132人である。そのうち、モンゴル族学校は40校があり、児童・生徒数は11,642人である。そのうち、小学校は32校(児童数は6690人)、中学校は7校(4540人)、高校は1校(中学校と一貫する高校:412人)がある。その内、モンゴル族学校としても、すべてがモンゴル族とは限らない。または、モンゴル人の子供はすべてがモンゴル族学校に通うことになるとも限らない。(なぜかというと、地域周辺に、中国人が少数である場合と、町に居住している一部の保護者たちが自分の子供の将来を考え、一般学校(中国語)へ入学させる人も少なくないと言える。)
 以上のようなモンゴル族学校では、中国語主体カリキュラムの中で、週4回(一コマ45分)程度のモンゴル語の読み書きを教える選択科目が設置されている。選択科目のモンゴル語以外は、中国語カリキュラムと同じである。
 杜爾伯特蒙古族自治県教育委員会の「文件」(政府から発行した書類のことを言う。)(杜教字(84)42号)によると、1984年の後期から、比較的にモンゴル人が多数住んでいる地域、即ち敖林西伯郷の敖林小学校、阿木宮小学校、□□小学校と胡吉吐莫郷の第一小学校、第二小学校、好田小学校でモンゴル語主体のカリキュラムを実施し、この六つの小学校に学校ごとにクラスを一つずつ設け、モンゴル語主体カリキュラムを実験的に始めたという。
 かつて、モンゴル語主体カリキュラムを実行させるため、特定の地域に居住する児童・生徒を強制的にモンゴル族学校に通わせ、モンゴル語主体カリキュラムを選択させることがあったが、一部のモンゴル人がこのようなカリキュラムに興味を持ち、自主的に児童を通わせるようになったこともあるという。以上のようなモンゴル語主体カリキュラムを選択するのかそれとも中国語主体カリキュラムを選択するのか、あるいは中国語カリキュラムを選択するのか、モンゴル人には、三つのタイプの選択肢がある。どれを選ぶかはあくまでも児童・生徒及びその保護者が自由に決めることになる。
 ドルブッドモンゴル族自治県においては、唯一の高等学校を含む少数民族の学校としては、「ドルブットモンゴル族中学校・高等学校」がある。モンゴル族中学校では、モンゴル語主体カリキュラムの場合、八十年代以前は外国語を教える時間に中国語を教えていたため、生徒たちは、英語などの外国語を勉強するチャンスがなかったが、八十年代頃から、科目が増やされ、外国語を教えるようになった。(現在の「ドルブッドモンゴル族中学校・高等学校」のモンゴル語主体カリキュラムのクラスでは、日本語:日本語に関する教材、練習問題などがほとんどないと生徒たちが言っていた。もし日本語の勉強に関しても、何らかの支援ができればと思っている。しかも2年ぐらいの支援しかできないという。)
 要するに生徒全員が中国語と外国語の二つの科目を同時に学ぶことになる。中国語主体カリキュラムの場合、選択科目としてのモンゴル語と必修科目の外国語を同時に学ぶことになる。
 モンゴル語主体カリキュラム教育を受けている生徒の中学校と高校を受験する成績が毎年上がっていく傾向をみせている。筆者の2000年の調査によると、すべての授業をモンゴル語で受けることを希望する児童数は少なくなったため、「モンゴル族小学校」では、モンゴル語主体カリキュラムをやむをえず中止するに至った。(実際にその経緯をみると、いろいろな原因がある、これ関して別の論文に収める)。
 2003年8月下旬の調査によると、モンゴル語主体カリキュラムを履修している生徒の最低学年は高校1年である。これらの生徒が卒業すると、モンゴル語主体カリキュラムをとる生徒がいなくなり、モンゴル人児童・生徒は選択科目としてモンゴル語を学ぶ程度のモンゴル語教育しか受けられなくなる。
 モンゴル語による授業を受けている生徒がいる「ドルブットモンゴル族中学校・高等学校」は、ドルブットモンゴル族自治県における唯一のモンゴル人全日制中学校・高等学校を含む学校である。中国語、モンゴル語、英語、日本語を教えている。中国語とモンゴル語の二つの言語による授業を行い、即ち中国語カリキュラムとモンゴル語主体カリキュラム教育が実施されている。ドルブットモンゴル族自治県に属する重点中学校・高等学校である。1956年9月に創立され、学校は四回の移転と3回にわたる名前の変更を経て、1980年9月に再び農村から町へと戻った。
 現時点で、23個のクラスがあり、中学校は10個のクラスがあり、高校は13個のクラスがある。学生は全部で951人、宿泊をしている生徒は638人である。教職員は116人。そのうち、モンゴル人教職員は89人である。今まで、一万人近くの中学校卒業生と高校卒業生が巣立ち、1980年以来、500人以上が大学・短大に進学し、600人以上が専門学校などに進学した経過がある。40名以上の高校生が公務員として県政府機関に勤めている。学校側も自治県政府からの60回以上の表彰を受けた。

4.ドルブットモンゴル人の言語運用
 『杜爾伯特蒙古族自治県志』(1996)によると、以前は、モンゴル人コミュニティでは主に一つの言語、モンゴル語しか話せない状態であり、モンゴル人の中には、中国語のできる者はごく少数であった。筆者の2000年の調査によると、現在のモンゴル人の子供達は中国語が圧倒的に多く使われる環境の中で暮らしているため、思考言語は中国語であり、モンゴル語を使うときでさえ、まず中国語で考え、モンゴル語に変換する者が多くなっている。多くのモンゴル人学生は中国語で授業を受けており、モンゴル語があまりできない。特に都市部では、モンゴル語を使う機会があまりない。黒龍江省では、モンゴル語による雑誌は一つ(『モンゴル語』)しかない。ラジオ・テレビの普及により、マスコミの影響がますます強くなってきた。一方、ドルブットモンゴル族自治県には今でもモンゴル語による新聞、雑誌などが刊行されていない。ドルブットモンゴル族自治県政府機関では、中国語が公用語として使われているため、あらゆる文書が中国語によって書かれている。各種類の認定試験や公務員の募集試験も中国語によって行われている。このように市場経済、社会環境などの影響により、ドルブットモンゴル人が自分の母語を次第に失いつつある。


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