【研究会の前史】(T)
1,前史・戦後沖縄社会教育研究会記録(1) →■
2,前史・戦後沖縄社会教育研究会記録(2) →■
3,東京学芸大学・小林研究室・留学生特別ゼミ(アジア・フォーラム)→■
【研究会記録】(U)
◆TOAFAEC定例研究会記録(1)−1995年〜1999年→■
◆TOAFAEC定例研究会の記録(2)
−第48回・2000年1月〜第70回・2001年12月−
−記録者:内田純一、石倉祐志ほか
*記録(3)−第71回・2002年1月〜第 93回・2003年12月→■
*記録(4)−第94回・2004年1月〜第113回・2005年12月→■
*記録(5)−第114回・2006年1月〜第135回・2007年12月→■
◆第48回:小林文人「与那国調査」報告 −この1年の計画、自由放談
<案内> 2000年の幕開けをいかがお迎えになられましたか。TOAFAEC研究会も、今年の誕生日(6月)で5年目に入ります。来るべき21世紀をめざして更なる飛躍の年にしたいと思います。ご支援・ご協力のほどお願いいたします。 今年最初の定例会を下記の通り行います。…
にちじ:2000年1月18日(火)18:30〜
20:30 ばしょ:高井戸区民センター3F
なかみ 訪沖・与那国報告(小林文人)、今年の研究計画−台湾・韓国訪問スケジュール
(終了後)駅改札横・グルマン亭で新年交流会
<報告>
参加者:少数精鋭?(氏名・記載なし)
今年最初の研究会は、1月18日(火)第48回として開催しました。三日前15日恒例の「新年会」の余波もあってか、少数精鋭でした。
内容は、小林文人先生による「与那国調査・経過報告」。与那国には、祖納、久部良、比川の三集落があり、祖納に東、西、嶋仲の三自治公民館、久部良、比川の各自治公民館、合わせて五つの公民館があります。小林先生から紹介された「公民館行事実績」をみると、驚く無かれそのほとんど全てが祭事と芸能でした。
圧巻は、25日間にわたって島の三集落まわりながら続く、久部良マチリ、ウラマチリ、比川(ンディ)マチリ、嶋仲(ンマナガ)マチリ、帆安(ンダン)マチリの五つの祭事と、そのマチリの終わりとしてのマチリアンタドゥミ、です。
1980年前後に当時の社会教育主事・与那覇仁一氏が撮影したというビデオを観ながら、先生の説明を受けました。司(かぁぶ、神女)が島の拝所と、集落の始祖と考えられる特定の家々を回り、祖霊神に祈りを捧げる、そこに五人の公民館長がそれぞれ付き添っていました。とても刺激的な映像でした。とはいえ、誰もが参加できる民衆的な祭りをイメージしていましたが、それらは豊年祭(ウガンフトゥティ)や「種取祭」だそうで、マチリは、いわば少数の中心的な人々による祭事であるという点に、与那国独自の歴史と伝統があると感じました。おそらく宮古のウヤガン(祖霊神)祭りなどと共通するところがあるのでしょう。
調査は多くの課題を残しているとのこと。小林先生「仮説・研究課題」にも提起がありましたが、国境の島としての性格、最も近くの台湾との関係をどうみていくかなど今後の課題でしょう。
(内田純一、1月21日)【TOAFAECニュース(No.10)】【南の風】第416号(年1月21日)
◆第49回:桑原重美「沖縄の祭り、その原風景−映像を通して」
<案内> 春寒の候、みなさまには日々ご健勝のことと存じます。北海道からは零下度二十度、沖縄からは桜の便りと、こんなにも違うものかと思います。去る1月13日に丸木俊さんが亡くなられました。「沖縄戦の図」展示する佐喜眞道夫さんが沖縄タイムス(1/18)に追悼文を寄せていらっしゃいます。ご冥福をお祈りします。定例研究会を下記の通り行いますので、お誘い合わせのうえご参加ください。
にちじ:2000年2月15日(火)18:30〜
20:30 ばしょ:高井戸区民センター3F
テーマ:沖縄の祭りその原風景 映像を通して 報告者:桑原重美さん(もとNHKカメラマン)
※当日は、青森県総合社会教育センター社会教育主事の山田順一さんと小山内さんも参加される予定です。(終了後)駅改札横・グルマン亭で交流会
<報告>
参加者:トウトウカク(モンゴル留学生)、はしだ新菜、黒沢(和光3年)、田中伸一(和光4)、豊田伸彦、関口、遠藤輝喜、棚原秀幸、齋藤尚久、桑原重美、山田順一(青森)、小林文人、張果汗、石倉祐志、村井光恵、工藤、内田純一
事務局のパソコンが故障し、長らくご迷惑をお掛けしました。その間に、第49回と第50回の
TOAFAEC研究会が開かれました。順次、様子をご紹介します。
報告者は桑原重美(もとNHKカメラマン)さん。毎年旧暦7月19日〜25日あたりにかけ13の字で奉じられる本部町のシヌグの解説と、ご自身が撮影された4箇所(辺名地、具志堅、備瀬、伊野波)のシヌグの映像を見せていただきました。それぞれに特徴があるシヌグ舞いの神秘さと豊かさと面白さにたいへん興味を惹かれました。映像も”さすがにプロ”。その美しさと分かりやすさに感動しました。
当日は、遠く青森から、県総合社会教育センター社会教育主事の山田順一さんが参加してくださり、また、杉並区社会教育主事の齋藤尚久さんも初めてでした。社会教育分野への就職を求めて集まった和光大学の学生さんも含めて総勢17名。近年にない参加者数でたいへん盛り上がりました。
研究会終了後は、いつものグルマン亭で交流会。山田順一さんから”じっょぱり”という地酒の差し入れもあり、時間を忘れて楽しいひとときでした。
(内田純一、3月23日)
【TOAFAECニュース NO.12】【南の風】第446号(2000年3月24日)
◆第50回:フフバートル「モンゴルの識字問題と教育改革」
日時:2000年3月21日(金)18:30〜21:00
於:杉並区高井戸社会教育会館
ゲスト:フフバートル(和光大学講師、「私が牧童だったころ」著者)
<報告>
参加者:トウトウカク(モンゴル留学生)、石倉祐志、遠藤輝喜、小林文人、内田純一
フフバートルさんのご報告は、T歴史と文化的背景、U近代教育の導入と識字問題、V教育改革と文字改革、Wモンゴル民族の教育と言語における今後の課題として、「外モンゴル」と「内モンゴル」の状況がそれぞれにきめ細かくなされました。
その中で、識字問題(「文字改革」)は、常に民族的、政治・政策的な問題と関係が深く、非識字者の再生産というきわめて現代的な課題であることをあらためて認識しました。また、民主化以降のモンゴルおよびモンゴル民族が、市場経済浸透の中で、遊牧が続けられない状況にあることや中途退学者が増加していることなど、多くの苦悩に直面していることも報告されました。それでもフフバートルさんの視野は、50年後、100年後、200年後の世界を見つめており、モンゴル民族の強さを感じました。
また、1997年に作製され福岡アジア映画祭にも参加した「新文字先生」という外モンゴルのビデオを見せていただきました。1950年代後半の「すべての人に読み書きを」という文化攻勢のなかで、小学校を卒業してきた少年が自分の草原のゲルに帰り、人々に文字を教えていくという映画です。ところどころ早送りの映像でしたが、ほのぼのとしたいい映画だと思いました。出来れば、ゆっくり最後まで観賞したいと思いました。
研究会終了後は、浜田山駅前の居酒屋で、50回記念の交流会を開きました。
(内田純一、3月25日11:41)【TOAFAECニュースNO.13】【南の風】第448号(3月26日)
◆第51回:「東アジアからの留学生は語る」
<案内> 春たけなわ 新年度を迎え皆さまには、日々ご健勝のことと存じ上げます。沖縄問題や識字問題、総じて東アジアの社会教育を探求している私たちにとって、石原知事の言動には心底怒りを感じます。
今回の研究会は、アジアからの留学生がゲストです。知事発言への批判も含め、おおいに語り合いましょう。留学生のお友だちがいらっしゃいましたら、ぜひお誘い下さい。
にちじ:4月21日(金)18:30〜20:30
ばしょ:高井戸区民センター3F
テーマ:@『東アジア社会教育研究』第5号案
A
アジアからの留学生は語る〜この1年の計画
ゲスト:
張林新(立正大院)、
烏龍陶麗(内モンゴル、和光大)、
套図格(和光大学研究生)ほか
会場:高井戸区民センター(第三和室)(井の頭線「高井戸」下車3分)
<報告> 参加者:(下記)
<第51回TOAFAEC研究会〜新たな一歩>
(内田事務局長多忙のため、石倉が感想を交えて内容紹介します。)
時や春、2000年のTOAFAECは若々しい息吹に満ちて歩みを進めようとしています。当日、少し遅れて高井戸区民センター和室へ行けば、いつもと違って真新しい顔がずらり。この日の自己紹介が始まっていました。当日の参加者は、小林先生を初めとして、姜ミン政(カンミンジョン=釜山出身、ミンは日へんに文という字、中央大学・院)、套ト格(トウトカク=内モンゴル、トは、くにがまえに冬という字)、烏雲陶麗(ウユントウリ=内モンゴル、和光大・研究生)、張果汗(チャングハン=上海)、劉劃(リュウカク=湖南省長沙、いずれも和光大学生)、それに沖縄出身の棚原秀幸君に加えて、山口真理子、遠藤輝喜、田中伸一君(大田区社会教育指導員)、石倉と、国際性豊かな面々。自己紹介とこれに対する「質疑応答」で話が弾み、時間となってしまいました。
小林先生はモンゴル民族の言語問題についても紹介され、印象に残りました。内田事務局長は多忙のため出席できず残念。
グルマン亭へ移動しての懇親会ではまさに「第五次歌声運動」。烏雲陶麗さんのモンゴル「お母さんの歌」に始まり、中国の3人と小林先生による「大海」、山口真理子さんと棚原君の息のあった掛け合いで「十九の春」、姜ミン政さんのさわやかな歌声で「ほうせんか」、棚原君の「えんどうの花」には遠藤さんも聞き惚れた様子。套ト格さんの「草原の恋人」は広大な平原に響き渡るような歌声。劉劃さんの小さい頃の思い出の歌もよかった。山口真理子さん久々の「百万本のバラ」に続く「乾杯」にはみんなで声を合わせ、「花(〜すべての人の心に花を)」の大合唱でフィナーレとなりました。
次回(5月20日(土)16時〜)は、和光大学の新装成った小林研究室で夕日を見ながらの研究会とのこと。平井(旧園田)教子さんの話も楽しみです。
(石倉祐志、4月22日)【TOAFAECニュースbP6】【南の風】第464号(4月23日)
◆第52回:平井教子「自治体の教育改革−鶴ヶ島市の試み」
<案内>
すがすがしい若葉の季節となりました。… 憲法・教育基本法の改正を視野に入れた教育改革国民会議が発足しましたが、国の改革がそのまま自治体の改革にになるわけではなく、自治体の取り組み方に応じて改革の実態は豊かなものにもなり、また貧弱なものにもなります。今回の研究会は、自治体レベルで教育審議会を設置し、市民自治を基本とした地域からの教育改革を進める鶴ヶ島市の試みに学びたいと思います。みなさまお誘い合わせのうえ、ご参加ください。なお今回は、和光大学新館研究室のお披露目も兼ねています。綺麗な夕日がみえるそうです。それゆえ、開催日時、会場に変更があります。ご注意ください。詳しくは、事務局まで。
にちじ:5月20日(土)16:00〜18:00
なかみ:自治体の教育改革ー鶴ヶ島市の試み ゲスト:平井教子さん(鶴ヶ島市教育委員会)
ばしょ:和光大学新館(A棟)9階・小林研究室(N916室)
044-989-7777+5916
(終了後)大学前「のむぎ」で交流会(18:15〜)
<報告>
参加者: 荒井容子(法政大学)、久田邦明(神奈川大学)、石倉祐志、内田純一、遠藤輝喜、小林文人、染谷美智子、棚原秀幸、張果汗、野村千寿子(大田区教委)、平井教子、山口真理子
○鶴ヶ島市の教育改革
第52回TOAFAEC研究会は、「自治体の教育改革ー鶴ヶ島市の試み」をテーマに、平井教子さん(鶴ヶ島市教育委員会)から報告をいただきました。
「夕日をみながら、日本で先進的な自治体の話をきこう」と、5月20日の定例研究会には、社会教育学会の関係者も参加され、有意義な会となりました。あいにく雨で、夕日を拝むことはできませんでしたが、報告内容がたいへん刺激的で、夕日のことは、いつの間にかどこかへいってしまいました。
鶴ヶ島市では、この6月から「教育審議会(仮)」を設置し、自治体独自の教育改革に乗り出します。ゲストの平井教子さん(鶴ヶ島市教育委員会)からは、この審議会設置の基本となる「鶴ヶ島市教育審議会検討委員会」(昨年度)の経緯と報告書、そしてそれを可能とする市政の動向について話がありました。
総じて、この15年、急速に人口が増大し、それまでの旧体質を含みながらも、情報公開や市民参加、行政評価制度と行政の民主化、女性施策の充実や環境条例の制定、中央図書館長の公募など、自治体づくりに奔走(チャレンジと実験と失敗と)してきた「若い自治体」の姿を見ることができたように思います。そうした中で、人事・予算・計画において自立性が確保できる教育委員会、市政とリンクする社会教育行政、社会教育と学校教育の相互乗り入れなどを背景に、「教育審議会」のような新しい実験が始まっているとこのとでした。
鶴ヶ島市教育審議会検討委員会では、学校教育の苦悩なども含め「多様性の中の連帯の場」として実質的な検討が行われ、その成果を反映させた「報告書」には、子どもの最善の利益に立った教育改革、子どもたちを豊かに育む環境づくり、教育の公共性及び公的保障の重視、地域共同の子育て、審議会の一定権限と条例化など、教育審議会の理念や目的、役割が主体的・積極的に示されています。
報告後、社会教育主事不当配転闘争期前後の状況から今日へと至る経過についてや教育審議会検討委員会での論議などについて質疑がありました。どこの職場でもそうだと思いますが、実際には、さまざま局面で矛盾や葛藤があり、しかしその中で次の一歩をどう踏み出していくか。終始、平井ぶし(園田ぶし)に圧倒されながらも、有意義な研究会でした。
終了後、大学前の「キッチンNOMUGI」で交流会。鯛の塩蒸し、マグロとイカと鯖のちらし寿司など、とても美味なオリジナル料理がいくつも登場し一同感激。途中から原始技術史研究所主幹で和光大学講師の関根秀樹先生と江藤くん(和光大学4年)が飛び入り参加。口琴や原始楽器の演奏などもありました。また、一九の春(平井・山口のデュエット)、りんけんバント(棚原)、西部門哀歌(山口)など、楽しいひとときでした。
(内田純一、5月21日)【TOAFAECニュースbP8】【南の風】第483号(5月21日)
◆第53回:棚原秀幸「6・23からの55年、浦添の戦争と戦後史」
<案内> 雨にぬれたあじさいの花がいちだんと鮮やかさを増す今日この頃、みなさまには、いかがお過ごしでしょうか。おかげさまで95年6月の第一回研究会からまる5年が経過し、研究会も53回目を迎えました。
沖縄では、サミットに対抗し、沖縄平和文化イベントへの呼びかけが盛んです。TOAFAECもささやかながら協力しています。さて、今回は、和光大学沖縄文化研究会と合同で、戦後55年目の6・23を考え合います。若いうちなんちゅの熱き思いが語られることでしょう。みなさまお誘い合わせのうえ、ふるってご参加ください。
にちじ:6月23日(金)18:30〜20:30
ばしょ:高井戸区民センター第5集会室
なかみ:6・23からの55年
〜浦添の戦争と戦後史〜はなし:
棚原秀幸(浦添市出身、専修大学生)
<報告>
参加者:川島みゆき(和光大学2年)、丸山直美(和光大学2年)、瑞慶覧勤子(和光大学4年 棚原くんの幼なじみ)、棚原秀幸、小林文人、石倉祐志、内田純一、遠藤輝喜
戦後55年目の「沖縄慰霊の日」、TOAFAEC研究会を下記のとおり開催しました。
(1)報告:棚原秀幸さん(浦添市出身、専修大学生)「沖縄戦と平和教育〜浦添高校放送部の取組〜」、(2)ビデオ:「戦後23万人の碑」(NHKスペシャル
1995.6.)
棚原くんは、日米地位協定の見直しと基地の整理縮小の賛否を問うたあの「県民投票」(96年9月8日)当時、浦添高校2年生でした。TOAFAEC研究会でも米軍による少女暴行事件をはじめ、基地撤去県民総決起集会、橋本首相による代理署名の代行、普天間基地返還と名護沖移転案など、その間の動きに注目してきていましたが、今回の棚原くんの報告は、高校生による県民投票(9/4)の盛り上がりやその中で自らが感じ、考えたことなど、たいへんリアルで貴重な話でした。自ら所属する放送部では、それまでの平和教育の「マンネリ化」の課題を積極的に捉えなおし、牧港の又吉榮長さん(明治41年10月21日生まれ)からの沖縄戦当時の聞き取りを行うなかで「命どぅ宝」の意味するところ、自らの目と耳で正しい判断をしていくことの重要性について仲間たちと確認しあったということでした。
続いて「平和の礎」が建設されるに当たって、関係者のさまざまな取り組みや思いを特集したNHKスペシャル「戦後23万人の碑」を見ました。犠牲となった沖縄住民のみならず、米国や韓国などへの取材もなされており、国籍や軍人、非軍人の如何を問わない幅広い編集で、あらためて「礎」建設の意義と平和の尊さを考えさせられました。
研究会終了後は、いつものグルマン亭へ。今回報告の棚原くんの慰労と和光大学沖縄文化研究会として参加した川島さんと丸山さん、そして、棚原くんの幼なじみという瑞慶覧さん(初めて参加)と交流しました。
(内田純一、6月24日)【TOAFAECニュース20】【南の風】第508号(6月26日)
◆第54回:「戦争と東アジア」、ビデオ「映像の証言 満州ニュース映画」をみる
日時:
2000年8月11日(金)18:30〜21:00
会場:杉並区高井戸社会教育会館
<報告> 参加者:遠藤輝喜、内田純一、山口真理子、石倉祐志の4人
55年目の8.15を前に、TOAFAEC研究会を行いました。テーマは「戦争と東アジア」。ビデオ『映像の証言 満州ニュース映画』(テンシャープ)を見て語り合うというもの。
今回見たのは全10巻のなかの第10巻−号外−で、半世紀ぶりにロシアで発見された1931年から1945年までの実写映像。上海、南京、ハルハ河(ノモンハン)、ソ連参戦などの様子を生々しく見ることができました。
停戦交渉のテーブルに案内される関東軍将校の疲れた表情や赤軍兵からタバコをもらってほほえむ日本兵捕虜の姿など、ソ連側から撮影された日本軍人たちの姿は印象的で、レニングラードで映画を学んだ亀井文夫の作品(『戰ふ兵隊』など)を思い出しました。また、「8月9日午前1時のクレムリン」という映像はソ連参戦の瞬間を切り取ったもので、ぶんじん先生の<ポッダムから原爆投下命令が・・>(【ドイツ短信】(8)公民館の風第80号)を思い起こしました。
ほとんどはソ連側の撮影、一部ロシア語ナレーション・日本語字幕で、無声部分もありました。軍事的な映像が多くまた日本での編集が今ひとつさえない感じのビデオでしたが、こうした映像をシリーズとして残していく仕事は大変重要だと思います。
内田さんがたまたま手に入れることができた第10巻でしたが、案内チラシによると8、9巻には以下のような内容を含み、興味を引きます。
(石倉祐志、8月12日)【TOAFAECニュース22】【南の風】第531号(8月12日)
◆第55回:谷和明「ドイツの社会文化運動に学ぶ」
<案内> 初秋の候、皆さまには日々ご健勝のことと存じます。「東アジア社会教育研究」第五号もなんとか予定通り発行の運びとなりました。ご協力に感謝申し上げます。
さて、7月10日よりドイツへ在外研究に行っていらした小林先生がまもなく帰国されます。その間の経過や成果については、「南の風」や「公民館の風」を通じてご承知かと存じますが、今回は、ドイツの社会文化運動をテーマに取り上げ、長年研究活動を続けて来られた谷和明先生のお話を伺いながら、この運動の意義と可能性について学び合いたいと思います。みなさまお誘い合わせの上、ふるってご参加ください。また、恒例となりましたが「九・一八」を中国をはじめとするアジアからの留学生のみなさんと一緒に歌いましょう。(PS)10月半ばに東京でハンブルグの社会文化運動の方々とTOAFAECとの交流会を予定しています。
にちじ:9月29日(金)18:30〜20:30 ばしょ:高井戸区民センター第4集会室
なかみ:ドイツにおける社会文化運動の現状と課題
ゲスト:谷和明氏(東京外国語大学) 報告:小林文人(和光大学)
(終了後)駅改札横・グルマン亭にて交流会
<報告> 参加者:小林文人、谷和明、栄星、方玉順、張果汗、劉劃、棚原秀幸、萩原敬子、染谷美智子、山口真理子、遠藤輝喜、内田純一、石倉祐志、以上13名
第55回研究会は、高井戸区民センター第4集会室にて開催しました。今回は、東京外国語大学谷和明先生の、ドイツの社会文化センター・社会文化運動についての報告と、7月から2ヶ月間ドイツ在外研究に行っていらした小林文人先生の報告という充実した内容でした。
谷先生の報告はビデオを交えて社会文化センター・社会文化運動の概要と、主にハンブルク市のオッテンゼン地区文化センター《モッテ》の事例を中心に語られました。小林文人先生は在外研究中の調査内容の一端を披露されたうえ、社会教育、成人教育・継続教育のアジアにおける固有性を「アジアモデル」という枠組みで見ながら、「ヨーロッパモデル」という枠組みについても示唆されました。
東アジアからの視線を持ちながら、ドイツの社会文化運動の意義と可能性について学び合う会となりました。また、今回に続いて行う以下の講演会への参加呼びかけをおこなっていくことも確認し合いました。(内田純一、9月30日【TOAFAECニュース
bQ4】)【南の風】第552号(9月30日)
◆第56回:M.ヴェント「ドイツ社会文化運動の現状を聞く」講演会
日時:2000年10月21日
会場:セシオン杉並(杉並区立社会教育センター)
講演:ミヒャエル・ヴェント(ハンブルク市アルトナ区《モッテ》館長)
参加者:約30名
<ドイツ社会文化運動−新しい出会い>
10月21日午後1時30分からにて「ドイツ社会文化運動の現状を聞く−グローバル時代における地域センター型施設の可能性−」と題して、これまでにない日独交流と経験交換の集いが催されました。参加者は市民、社会教育職員、研究者、学生など30名ほど。川崎市、東京など自治体の社会教育関係者だけでなく、社会文化学会の研究者やTOAFAECメンバー、関心ある学生など、これまでにない多彩な人々の出会いの場となりました。
呼びかけ人の小林文人氏(和光大学)の挨拶の後、谷和明氏(東京外語大学)がドイツの社会文化運動についてビデオ上映を交えて解説。続いてハンブルク市アルトナ区オッテンゼン地区文化センター《モッテ》所長のミヒャエル・ヴェント氏の講演。また、写真家、メディア教育家でもあるリッター女史から、シュテルンシャンシェの新たな社会文化センター建設の経過の報告がありました。
ヴェント氏は、70年代から始まった新たな社会運動としてのまちづくり運動の経過と現状を報告。ハンブルク市の社会民主党(SPD)政権が市民参加を促したことを背景に、多くの市民グループや個人が、ボランティアで多様な文化的社会的事業を組織してきたなかで、空き家となっていた工場を利用して、社会文化センター《モッテ》を作った経過について述べられました。その中では、まさに今動きつつある市民のまちづくり運動のその当事者たちが抱える財政や職員体制、民主的運営、行政との関係等の課題を率直にまた具体的に報告されました。
あくまで基本は商業主義的運営を排し、市民による市民のセンターを自ら組織し、国家からはびた一文もらわずに運営するとのことでした。
また、リッター女史は、難民問題を背景に麻薬の売人が出没するようになったシュテルンシャンシェ地区の変化の中で、そこに居住する市民として「よい街をつくりたい」という端的なスタンスで、地域テレビの活動をしつつ新たなセンターづくりへ取り組んでいく思いを語られました。
参加者からは質問が活発に出され、報告しきれないほど。ちなみに、「モッテ(MOTTE)」とは布地を食べて育つ“衣蛾(いが)”のことで、古い社会システムを蚕食して新しいものをつくりだすという意味を含んでいるとのこと。興味深い討議でした。会は呼びかけ人の一人、川崎市の藤長和氏(川崎市教育委員会)が感謝の挨拶をして閉会となりました。
その後、場所を移して行われた懇親会(当然、ビールで乾杯)でヴェント氏は、アルトナ区で今年8月から10月にかけて行われたばかりの市民主導によるカーニバルや多様な催しを含む地域祭り‘アルトナ祭り’についても熱っぽく語られました。10万部を配布したというそのパンフレットに掲載されていたプログラムの充実ぶりにも一同目を見張ったものでした。なによりも《モッテ》という施設を拠点としつつ、そこから地域へ出て、自らの都市づくり、まちづくりへの果敢な取り組みが印象的。‘アルトナ祭り’のポスターのタイトルには
Leben-Arbeiten-Lernen(暮らし-働き−学ぶ)と掲げられており、幾人かはポスターをいただいて帰りました。
同時代の都市地域ハンブルクで暮らす市民の生き生きとした姿が見えてきて大変刺激的であったと思います。行政や企業をも使いこなしつつ市民の主導によるまちづくりを発展させた力量がどのように形成されてきたのか、地域の生活、文化の営みと自治や政治との関係など、これからも交流を深めていく必要を強く感じました。
来年の‘アルトナ祭り’(6月上旬)への興味(《モッテ》25周年、ファブリック30周年)、あわせてドイツ文化運動との今後の交流、など話題はもりあがって終わりました。
(石倉祐志、Sun, 22 Oct 2000 ) 【南の風】第563号(2000年10月23日)
◆第57回:朴容琳「韓国(新)平生教育法の成立をめぐって」
−「東アジア社会教育研究」第5号・合評−
日時:2000年11月24日(金)19:00〜20:30
於:高井戸区民センター
第5集会室
参加者:(記載漏れ
)
今回の研究会は、事務局長の怠慢から開催案内が不十分で、内容がとても充実していただけに、報告者の朴容琳さん(御茶ノ水女子大学・大学院)さんにはたいへん失礼なことをしてしまいました。聞くところによると、朴さんは大事な通訳の仕事をキャンセルしてまで準備してくださったとのことで恐縮の極みです。
それでも開催日程は早くから TOAFAECホームページに掲載されていたこともあって、常連の精鋭が集いました。
朴さんの報告は、1999年に成立した韓国平生教育法を韓国社会教育法(1982年制定、1990年改正)との比較において、その特徴を捉えたもので、たいへんよく整理されていました。
1980年当時、日本から韓国社会教育法成立に関わるワークショップに招聘された小林先生からは、1953年以降の法案段階、79年の朴大統領暗殺、全斗換政権下での社会教育法の成立、慮政権下での法と実態の格差(法成立後10年目の訪韓調査)など、韓国社会教育法に関わる基本的理解のポイントが示されました。その上で、1996年に誕生した金泳三政権下での平生教育法制化の動き(1997年6月法案、『月刊社会教育』98.4号参照)、当時の経済危機、1998年『平成教育白書』(東アジア社会教育研究・第4号参照)、その後の地方分権化の胎動、そして金大中政権の誕生から1999年・平生教育法の制定という一連の動向が整理されました。
小林先生からは、この新しい平生教育法の特徴として、@多元的、多面的な構成、A単位・資格付与を中心とする学校型イメージ、Bマイノリティの視点の欠落、C職業大学、社内大学、有給学習休暇制度の可能性、D平生学習館、平生教育情報センターなど地域施設論、E平生教育士(専門職制度)、F市民社会団体(NPO)附設平生教育施設の法制化、G法理念と実像の乖離の問題、などが指摘され、内容的には今日の東アジア圏における生涯教育法制の動向の中で、最も豊かな構成をもった法律と言えるのではないか、などが語られました。
加えて最後に、1993年に発行した東京学芸大学小林研究室編『東アジアの社会教育・成人教育法制』(今では希少価値の冊子)の続編を、10年後の2003年を目途に作成していく計画が事務局長等その場にいた参加者で確認?されました。
終了後は、いつものお店で交流会。通訳のお仕事を断ってまで参加してくださった朴さんにいつもより少し多めのビールを注ぎつつ、日頃の疲れも吹き飛ぶ実り多いひとときでした。
…略… 次回は、12月15日(金)の予定です。
(内田純一、Sat, 25 Nov)【TOAFAECニュース bQ6】【南の風】第581号(11月26日)
◆第58回:ビデオ「徳田球一・獄中18年」をみる
今年度研究会を振り返って
<案内> 師走 いよいよ今世紀も残り一ヶ月を切りました。… TOAFAECは、「戦後沖縄社会教育研究会」(1976年〜1995年、通算128回)、「アジアフォーラム」(1989年〜1995年)、「社会教育理論研究会」の蓄積を発展的に継承して、1995年5月に発足し、現在に至っています。
20世紀最後の研究会でもある今回は、これまでさまざまにかかわって来られた方々にもお声をお掛けし、
これまでをふりかえりつつ、今後の研究会のあり方を中心とした研究・交流の機会にしたいと思っおります。
皆さま、お誘い合わせの上、ふるってご参加ください。
日時:12月15日(金)18:30〜20:30
会場 :高井戸区民センター3階 第四集会室
内容:今年をふりかえりつつ、第6号編集へ向けて、来年への望年会など
ゲスト:鷲尾雅久氏(八重山・宮良在住)「石垣新空港問題のその後、白保の動き」
<報告>
参加者:沖縄の棚原さん、石垣からは鷲尾さん、中国の劉劃さん、韓国の朴容琳さん、久々参加の宇田さん、そして小林先生、山口、内田、遠藤の各氏の参加。東京・沖縄・東アジアの面々がうちそろった研究会でした。
20世紀最後の研究会となりました。始めに、小林先生が持参の徳田球一のビデオ「獄中18年」を一部早送りで見ました。戦後初期の日本、朝鮮半島、中国、…東アジアの激動の中で苛烈に生き抜いた政治家が沖縄・名護の郷土の偉人として評価され、名護市立図書館での展示企画が数千人の入場者を集めたということが印象的でした。画面では島袋正敏氏が徳田球一のデスマスクを受け取るシーンが映し出されたのと、2秒ほどその場に列席していた小林先生と内田純一さんが見えました。今度ダビングしたものをじっくり見ようと思います。NHKがよくこれを全国放送したものだと思いました。
鷲尾さんの石垣新空港問題の話には、これから白保が、石垣が、どうなっていくのかという思いが沸いてこずにはいられませんでした。今年の学会での山城千秋さんの報告に見られる、地域のアイデンティティへの視角や、この間の沖縄研究での地域の生活史への注目といった点から見ると、白保での地域の歩み、特に、この20年余りの展開についてはきちんと見ていく必要はあるのではないでしょうか。私自身は当面、生活クラブ生協の活動の中で、まちづくりに関連するとりくみに注目していきたいと思ってるところです。沖縄の集落のあり方、あるいは「アジアモデル」として見たときの「地域」の存在様式(ないし形成の様式)は、大都市状況での地域づくりを展望していく視角との関連でも何らかの示唆を与えてくれるような気がします。
(石倉祐志、Sat, 16 Dec 2000 01:12)【南の風】第595号(2000年12月17日)
2001年
◆第59回:「沖縄の集落と地域史・生活史に関する研究」
(文部省・科学研究費による研究集会と合同)
日時:2001年1月27日〜28日
於:名護市中央図書館AVホール
特別見学会:遊びと創造の森図書館・島宇宙展望博物館
報告:小林文人、小林平造(鹿児島大)、上野景三(佐賀大)、松田武雄(九州大)、平良研一(沖縄大)、島袋正敏(名護市中央図書館)、末本誠(神戸大)、中村誠司(名桜大学)ー発表順
参加者:内田純一、萩原敬子、張文科、張淑珍、山城千秋ほか
○末本 誠(Mon, 15 Jan 2001 08:34)<沖縄研究会>
沖縄研究会の確定したプログラムを、お送りします。
<沖縄社会教育研究会21名護>
◎21世紀の初年度、沖縄研究会の課題を改めて検討し、出版や集会開催へのステップとする。科研費での研究は3年目が終わるところであり、すでに一定のまとめも印刷に付されている。今回は、そうした成果を基にして今後の課題や展望を議論する会にしたい。この会は、科研費の研究会を拡大してTOAFAEC(沖縄・東アジア社会教育フォーラム)例会(第59回)としても位置づけ、多角的な観点から課題に迫りたい。
◎ 2001年1月28日(日) 午後2時〜6時
◎ 名護市中央図書館AVホール
◎ 挨拶 沖縄研究のこれまでとこれから(小林文)
報告T 各自の中間まとめについて(小林平)(上野)(松田)
報告V 中間まとめを読んで(平良)(島袋)
報告W 沖縄社会教育の特殊と普遍(末本)
報告X 集落実践と字誌づくりの現状と課題(中村)
特別見学会 遊びと創造の森図書館、島宇宙展望博物館(比嘉)
※ 各自の報告は、討議の時間を含めて30分程度とする。
※ 夜は、交流会。
【南の風】第614号(2001年1月17日)掲載
○小林文人(2001年1月29日)<名護・沖縄研究会>
研究会は沖縄研究グループの総揃い、小林文人、小林平造、上野景三、松田武雄、平良研一、島袋正敏、末本誠、中村誠司ー発表順ーの長い報告が続いて、みな疲れましたが、内容的にはいい会でした。隣の島、与論町からの特別報告(赤崎氏)も加わって、花を添えました。
ときあたかも名護の町は「桜まつり」。夜、名護四つ角の「大国林道」で交流会。宴はてて、「ひんぷん・がじゅまる」の徳田球一碑にみんなでビールを注ぎにいきました。そのあとまた宮城満さんの案内で「てびち」を食べたり。ホテルに帰ったのは深夜一時半。
今朝(29日)三々五々に別れて帰りますが、小林は八重山へ。
【南の風】第621号(2001年1月29日)掲載
○内田純一(Wed, 31 Jan 2001 01:35)報告1
<沖縄社会教育研究会21 in 名護>【TOAFAECニュースbQ8】
1月28日(日)午後2時30分〜6時30分 、名護市立中央図書館AVホールにおいて「沖縄社会教育研究会21
in 名護」が開かれました。この研究会は、これまでの沖縄研究の蓄積をふまえ、次世代研究として、1998年より「戦後沖縄社会教育における地域史研究」(文部科学省科学研究費補助3年間)としてはじまったもので、今回は、昨年の研究成果(中間まとめ:『東アジア社会教育研究』第5号に掲載)をもとに、今後の課題や展望を論議する話題が報告されました。TOAFAECとしても新世紀第1回、1月の定例研究会(通算第59回)と位置づけました。参加者は総勢20名を数えました。プログラムは以下のとおりです。
報告T 挨拶:沖縄研究のこれまでとこれから(小林文人)
報告U 中間まとめの紹介と補足(小林平造)(上野景三)(松田武雄)
報告V 中間まとめを読んで(平良研一)(島袋正敏)
報告W 沖縄社会教育の特殊と普遍(末本誠)
報告X 字誌づくりの現在と可能性(中村誠司)
報告Y 「与論島美術展2001」実施計画について(赤崎隆三郎)
報告Tでは、これまでの沖縄社会教育研究の視点と方法、そのあゆみを踏まえ、1998年からの今研究が「第三期」に位置づけられること、沖縄から日本の、アジアの、そして世界の今後のありようを自己発見し、内発的に考え直していくうえで、あらためて集落の自治とその可能性を探求していくことの意義などが語られました。また、USCAR資料をはじめ今後続々と公開されてくる文書への期待も寄せられました。
報告Uでは、まず小林平造氏(氏は二本の論文を掲載している)より、名護市屋部集落を事例に、祭りや芸能といった活動とそれを基盤とする人々の関係性のなかに沖縄集落(「シマ社会」)における教育的機能を具体的(例えば、伝承・熟達の発達的構造として)に見いだすことができること、それが各年代を超え多様な相互交流として展開してきていることが報告されました。さらに、字誌(特に『辺野古誌』)を手掛かりに「ムラヤー」の位置づけと変遷を紐解くとき、そこには民衆統制的機能を民主化、民衆化していく過程、集落公民館の自治と運営についての発展史を読みとることができるという報告がなされました。
次に上野景三氏からは、まず産業構造や生活構造が大きく変化してきている現代社会においても厳然と「シマ社会」が人々の心の拠り所となり、その機能が自ら積極的に継続発展してきている、その力はいったいどこにあるのかという氏の問題意識が話されました。その上で、南風原町喜屋武集落における綱引き行事に着目して、それが子どもや青年が地域社会との関係を創造するものであること、相互の関係可視化させていく機能を持つものであることなどが報告され、また、集落公民館のもつ固有の役割に注目して、基本的問題である地域のありようまでたちもどって、地域社会と社会教育との関連が問い直されるべきこと、アイデンティティの確立の場としての集落公民館の位置づけ、地域再組織化の機能を可能にする要因と分析の課題などが示されました。
松田武雄氏からは、昨年度の報告(那覇市石嶺公民館の事例)並びに今年度執筆予定の金武町並里公民館の事例を中心に報告がありました。両者に共通する問題意識は、沖縄の共同性と近代化・現代化についてであり、共同体機能を活かしながら近代化すること、その過程を通して社会教育の可能性を見いだそうというものです。石嶺では、自治会組織が弱体してきている都市部にあって、言わば「思い出としての集落意識や共同体意識」を基盤に旗頭を誕生させる地域ぐるみの運動を展開させ、それを通して、中学校区以上の範域で組織された新しい地域組織(ボランティア団体)が、公民館を拠点に地域活動を行っている。並里では、集落公民館の活動を中心にシマ社会の自治的組織から独立した社会教育機能が確立していたり、一方で公民館からシマ社会の再創造に向けた積極的な働きかけなどもある。また並里地区は、軍用地収入の割合が比較的高いが、軍用地の返還にともなう収入の変化が今後どのような影響をもたらすか心配であるといった報告でした。(つづく)
【南の風】第623号(2001年2月1日)掲載
○内田純一(2月9日 23時25分)報告2【TOAFAECニュースbQ9】
<沖縄社会教育研究会21 in 名護 (「南の風623号のつづき」)>
次に平良研一(沖縄大学)、島袋正敏(名護市中央図書館)両氏より、中間まとめ(『東アジア社会教育研究』第5号に掲載)に関わってコメントが寄せられました。
平良氏からは、ご自身が幼い頃から慣れ親しんだ「部落公民館」での実体験と重ねながら各論文への意見が寄せられました。総じて、沖縄の歴史と文化を基盤とする「シマ社会」が持つ内発的な力への着目とその教育的意義の捉え直しという今研究の視点と方法に対する好評価がなされました。
島袋氏からは、「崩壊の中の創造」の存在という中間まとめのキータームに関連し、ご自身がかかわってこられた「イノシシサミット」「アユを戻す取り組み」「シマ酒の会」「アーグの保存」などの具体的活動の現代的意義を伝統的部落社会の変遷に添いながら報告されました。
伝統行事が息づいてきた1960年代半ばまで。復帰を相前後とする見せる伝統行事への変化と衰退。そして
1970年代後半以降のその問題性への気づきと「自分たちの地域を自分たちでどうするか」という地域創造的な活動が字公民館運動の派生として部落単位で主体的に興ってきている。上記の活動はそうした流れに位置づけられ、それは学術的重要性としての自然保護ではなく共生としての自然保護をめざした取り組みであったり、懐古主義ではなく次世代・未来のための取り組みであったり、複合的社会の創造をめざした取り組みなどとして広がっているという内容でした。
以上の報告を受け、末本誠氏(神戸大学)と中村誠司(名桜大学)からは、今後の研究の視点と関わらせた提起がありました。末本氏からは、フランス在外研究
(4月〜12月)での成果と合わせ「沖縄の集落実践と字誌研究に関する研究の視点−フランス共同的生活史研究から見た字誌研究の課題−」と題する報告がありました。
そこでは、生活史の理論的な骨格に即して考えた場合に沖縄の「自分」およびその「共同化」はどのような意味を持つかという問題意識から、例えば、シマの住民をいたずらに特殊化せず、人間としての普遍性から出発すること、シマ社会の特徴は、個人のアイデンティティの形成が字という集団してのアイデンティティと密接不可分に結びついていること、字というとまりは、集団化が形式化され制度化された一つの到達点であり、これに至る集団化の過程が存在する、シマ社会の存在理由を問うことは、集落実践の社会教育的意義の究明に不可欠な方途であるなど、字誌研究に関わる基本的な視点が13項目にわたって示され、同時に字誌づくり過程に即して課題が整理されました。また加えて渡仏中に南仏で体験されたシャンブル・ドート(フランス版民宿)というグリーン・ツーリズムの写真と紹介もありました。
続いて中村氏からは、「字誌づくりの現在と可能性」として、地域史研究の新しい状況も踏まえ、今後の課題が示されました。そこでは、地域社会(シマ社会)の有り様
(個性と多様性)そのものが字誌づくりであること、字誌づくりが人々を結びつけ、住民による地域の再発見と評価をもたらすものであることなど、字誌づくり研究を本格的にテーマとする時代が来ているという報告がありました。
最後に与論高美術部顧問の赤崎隆三郎氏より「与論島美術展2001」実施計画についての報告がありました。与論高校美術部では、昨年6月に「全国高校生美術展」(31都道府県59校280点)を成功させ、現在、「すべての人の心に花を」といったテーマで沖縄北部地区「高校生我がまちを描く」作品展(3/21-25)、世界21カ国の高校生による「世界高校生美術展」の開催(6月〜7月)を計画しているということでした。
今回の研究会は、のべ9名の報告者が約4時間にわたりそれぞれに内容の濃い報告行いました。それだけに聞いている方からは「嬉しい悲鳴」が聞こえてきそうな、充実した、しかし過酷?な会でもありました。(了)
【南の風】第629号(2001年2月10日)掲載
◆第60回:沖縄(1月、名護)研究集会に参加して
報告−内田純一・小林文人・萩原敬子・張文科
「東アジア社会教育研究」第6号の編集
<案内> 春寒の候 皆さまには日々ご健勝のことと存じます。東京多摩地域では1月27日に降った雪がところどころまだ残っております。
前回の定例研究会は、「沖縄社会教育研究会21
in
名護」(1/28)に合流する形を取りました。降雪とは無縁の沖縄を舞台に熱い研究報告がなされました。第60回の定例会は、この訪沖報告といたします。あわせて『東アジア社会教育研究』第6号の編集会議も行いたいと思います。皆さま、お誘い合わせの上、ふるってご参加ください。
日時:2月16日(金)18:30〜20:30
会場:高井戸区民センター3階第3和室
内容:(1)1月沖縄(名護)研究集会等の報告 報告:内田純一、萩原敬子、張文科ほか
(2)『東アジア社会教育研究』第6号編集会議@
*終了後、駅ガード下・グルマン亭にて交流会 【南の風】第630号(2001年2月12日)掲載
<報告>
○小林文人<TOAFAEC第60回定例研究会を終わって>
東京、風の強い夜、井の頭線「高井戸」駅から会場の区民センターへ。環七をわたる歩道橋の上はさすがに寒く、集まりはどうかな?と少々心配しながら、定例研究会へ急ぐ。思いがけない人も来ている。終わるころには、日本人に加えて、韓国人(3)、中国人(6)、モンゴル人(1)の参加となり、これまでにない賑やかな会。もう60回にもなったんだと感慨ひとしお。いろんな意味で記念すべき会になった。今晩の研究会のこと、誰か「風」に送って下さい。
【南の風】第633号(2001年2月17日)
○石川敬史(Sat, 17 Feb 2001 00:49)<研究会に参加して>
16日夜は、本当ににぎやかな研究会でした。参加した皆様から「元気」を頂きました。図書館情報大の留学生も参加しました。彼女らも参加してよかったと言っておりました。
また、小林先生が酔っている中でお書きになった「十年後の与那国町に図書館を実現する十の視点」、初めて拝見いたしました。
こうした町で住民の方々が、自主的・主体的に文庫活動・図書館づくりを取り組み始めることは、文庫という小さな楽しい空間が住民の方々の素朴な願いであると同時に、必ずや今後図書館を地域で発見するための大きな土台になると思いました。
と、考える中で、やはり頭の中で考えるだけではなく、現実に触れてみたいと思いました(時間はありませんが)。町村の図書館設置率は、約37%にすぎませんが、こうした地域にこそ「場」(滞在型)としての図書館が必要な感じがいたします。(図書館情報大学大学院)
【南の風】第634号(2001年2月18日)
○柳玄淑・りゅうひょんす(Mon, 19 Feb 2001 16:30)<研究会に参加して・・>
つくばの図書館情報大学の柳(りゅう)と申します。先週の金曜日TOAFAECでの参加は、とても楽しかったです。人間味のある方々と出会うことができましたので….それより石川君自慢の先生に出会ったのが何より嬉しかったです。先生の情熱的な活動振りには自分を振り替えて見なおさないといけない何かがありました。
95年の10月に日本にきて6年目に入ります。日常生活には慣れたものの研究生活にはまだ半人前でずいぶん一人で悩んでる時期です。頑張る気も退色してき始めましたし、研究者って何ぞやっていう疑問が頭を重くさせている状態でした。まだはっきりした答えは見つかりませんでしたけれども、先生に出会って何かが解けそうな気がします。今後色々お世話になるつもり(^〜^)でいますので、よろしくお願いします。
【南の風】第635号(2001年2月20日)
◆第61回:ビデオ「幻想のティダン(与那国・比川集落の人々)」をみる
小林文人・鷲尾雅久
<案内>早春の候 皆さまには日々ご健勝のことと存じます。前回に引き続いて1月の訪沖報告がメインテーマです。今回のビデオは、日本の南西最端、与那国島に1年半にわたり居住したスタッフたちが、この島の風習や生活を記録したドキュメンタリーです。小林先生、鷲尾さんの報告と合わせてお楽しみください。みなさまふるってのご参加お待ちしています。
日時:3月16日(金)18:30〜20:30
会場:高井戸区民センター3階
第4集会室
内容:与那国レポート(1月調査) *ビデオ「幻想のティダン」(与那国・比川集落の人々)紹介
報告:小林文人、鷲尾雅久(予定)
(2)「東アジア社会教育研究」第6号編集会議、中国・韓国訪問日程の協議
<報告>
参加者:小林文人、鷲尾雅久、谷和明、伊藤長和、内田純一、山口真理子、中沢郁実、チャガン・ボルグ、佐藤久美子、染谷美智子、萩原敬子、石倉祐志の12名。
第1部として、ビデオ「幻想のティダン−与那国・比川集落の人々」を鑑賞。小林先生と鷲尾さんからそれぞれの解説。「与那国は、独自の文化と歴史を持った島で、そこに『妙』な公民館がある…。」(小林)、「与那国では祭事・行事とよく言われる。行事よりマチリ(祭)の方が先に来る…。」(鷲尾)
ビデオは与那国の祭りを追った20年前の記録映画。と言ってしまえば簡単ですが、何ともインパクトのある中身。まず登場人物の話している言葉がほとんど分からない。映像と簡略な字幕を頼りに理解することになる。神と交流する祭りの神秘さと同時に猥雑ともいえる人々の会話が混在しつつ25日間の祭りが続いていく。ここでは祭りの司(カァブ、カミンチュ=神人、女性)は公民館長を従える。祭りが終わり畜肉食の禁忌が解けて牛と豚を屠るシーンは強烈でした。ちょっとそこらにはない強いインパクトを受けるビデオでした。
第2部として東京外国語大の谷和明先生から、ハンブルク市アルトナ祭参加と地域づくり・市民社会文化運動の調査交流旅行の計画について提案されました。期間は6月6〜14日。詳しい内容については別途、谷先生からの情報が「南の風」に掲載の予定です。昨年10月に行われたハンブルク・アルトナの社会文化センター「モッテ」の館長ヴェントさん他との交流に続いて、今度は日本側からハンブルクのアルトナ地区へ出かけて交流し、市民手づくりのアルトナ祭に参加してしまおうという企画です。私自身も大変興味を持っています。
今回は、与那国の祭りのビデオを見てハンブルクの祭りに行く話をしたというわけです。
研究会の後の交流会では、「イッヒ・リーベ・ディッヒ」で始まる谷先生のバリトンの美声を聞きました。また、「ビー・モンゴル・フン」(私はモンゴル人だ)と歌い上げる初参加の中沢郁実さんのモンゴル語の歌が印象的で、この歌はチャガンボルグさんも良く知っているみたいでした。ちょっと注目してみたい歌です。(石倉祐志、3月17日01:12)
【南の風】第650号(2001年3月17日)掲載
◆第62回:谷和明「ハンブルク市アルトナーレ祭
オッテンゼン地区文化センタ−・モッテの活動」について
(6月・ドイツ訪問事前学習会、5月11日に同事前学習会2)
<案内>若草萌えたつこの頃、新年度を迎え、皆さまには、いかがお過ごしでしょうか。すでにご案内の通り、6月初旬にドイツハンブルkクで行われるアルトナ祭に合わせた訪独準備が進んでおりますが、今回はその学習会を中心に研究会を開催します。…
日時:4月13日(第2金曜日)18:30〜20:30 会場:高井戸区民センター3階
内容:(1)
ドイツ社会文化運動、ハンブルグ市民活動に学ぶ〜ハンブルグ市アルトナーレ祭、
オッテンゼン地区文化センター《モッテ》を中心に〜ゲスト:
谷和明(東京外国語大学)
(2)新参加者歓迎、就職のお祝い−内モンゴル留学生・チャガンボルグ、
文孝淑(一橋大学助手)、石川敬史(東京工学院大学図書館)ほか
<報告>
参加者:棚原秀幸、桑原重美、石川敬史、中沢郁実、チャガンボルグ、小林文人、谷和明、山口真理子、遠藤輝喜、石倉祐志。文孝淑、内田純一のお二人は交流会からの参加。
<ドイツ社会文化運動って何?>
今回は、6月6日から訪独するハンブルク市アルトナ祭・社会文化運動調査に向けて、ドイツ社会文化運動・ハンブルク市民活動に学ぶ〜ハンブルク市アルトナーレ祭、オッテンゼン地区文化センター《モッテ》を中心に〜として、谷和明(東京外国語大学)さんが報告され、調査の内容を含め討議しました。
報告では、社会文化センター「モッテ」とアルトナーレ(アルトナ祭)の歩みを概観し、ハンブルク市で住民参加型の都市再開発を担ってきたNPO「シュタットバウ有限会社」のビデオを見ました。
都市再開発や地域づくりの動きのなかで(公権力や企業に対峙する)市民・文化運動の役割、生活協同組合運動の歩みとの比較、沖縄の集落づくりにおける住民のエネルギーと祭りのもつ意味、それらとドイツ社会文化運動との異同など、今後の問題を考えていく上で興味深い視点が討議のなかで出されました。
ハンブルグ調査の日程・内容については、「図書館を見たい」(山口)、「小学校訪問ができないか」(中沢)、強制収容所ノイエンガンメ記念館の見学などの案も出されましたが、今後の準備の中で谷先生を中心に調整していくことになりました。調査出発までに2回ほど学習会を持つことになり、次回は5月11日(金)です。高井戸区民センターの会場確保ができ次第、案内が出される予定です。調査参加者以外の学習会参加を歓迎します。
当日の配布資料:
(1)Michael Wendt(谷訳)「基底民主主義から理事会と事務局による団体政治(Vereinspolitik)−市民を参加へと活性化する−(Oct.21.2000)
(2)谷和明「市民(ブルジョワ)文化から社会文化へ」教育2001/1月号
(3)同「ドイツの社会文化運動−ハンブルグ市オッテンゼン地区文化センター《モッテ》を中心に」
交流会では、文孝淑さん(一橋大学助手)、石川敬史さん(東京工学院大学図書館)の就職を祝って乾杯しました。(石倉祐志、4月14日17:53)
【南の風】第665号(2001年4月15日)
▼写真:右より3人目・谷和明さん(高井戸にて、20010413) 写真移動
文孝淑さんと
◆第63回:黄丹青「中国・社区教育について」
(華東師範大学「社区教育」シリーズを読んで)
日時:2001年6月22日(火)18:30〜20:30
会場:杉並区高井戸区民センター
参加者:初参加者は内モンゴル出身のダーフラ(達富拉)さん。内モンゴルでは大学卒業後、高校教師としてモンゴル語を教えていた方で、現在は和光大学研究生。来日してまだ1週間あまり。「ダーフラ」とは双喜(喜を二つ並べためでたい字)のことで、たくさんの喜びの意味があります。他にチャガンボルグ(白泉)、棚原秀幸、石川敬史、黄丹青、中沢郁実、萩原敬子、遠藤輝喜、山口真理子、伊藤長和、小林文人、谷和明、石倉祐志の参加でした。
報告者は黄丹青さんで、華東師範大学「社区教育」シリーズの中から葉忠海「社区教育学基礎」を紹介し、中国の「社区教育」について幾つかのコメントをされました。
改革開放政策を背景に、上海の教育・成人教育は、国際競争力を獲得するための職業技能教育、住民の余暇に応える文化活動、青少年の道徳教育に力をいれているが、そのなかで社区(地域)教育が新しく重要な比重をもつようになってきた。これらを、社会システム論、構造機能論、教育方法論を用いて整然と理論化している。しかし、村落社会を思わせる「社区」の静態的な定義と、人口が激しく流動する現実の上海の実態との間にはギャップがある。住民とはあくまで社区に戸籍のある人々であり、「移動人口」やマイノリティの問題は、社区教育の範囲に位置づいていないのではないか、などなど。
また社区(Community)の概念に本来含まれるべき自治、市民、運動などといった視点が欠落している、激動する大都市状況と旧来の社会主義的機構や組織の変容をいわば上から再編しようとする体制的な性格、なども論議のなかで指摘されました。
黄さんは今回の報告を基に「東アジア社会教育研究」第6号へも執筆することになりました。
私には、社区の定義自体が、社会主義体制の変貌の下に展開する上海の大都市状況において、あるべき(取り戻すべき、あるいは期待される)地域的関係性を示したもののようにも見えました。中国と日本の社会教育の基礎的条件の違いを押さえておかないと安易な比較はできないと思いますが、日本の高度成長期、やはり、国家の意思として「期待される人間像」が出されたのに似ているかもしれません。こうした日本の上からの体質、国家の成長戦略からの人材育成への圧力は現在もあまり変わっていないと思います。その意味ではベーシックなところで日本はドイツなどよりむしろ中国に近いのかも、などと感想を持ちました。
会は、引き続き6月のハンブルクアルトナ祭り・社会文化運動調査団の打ち合わせも行いました。出発前の最終の集いとなりましたが、村井光恵さん(ジュネーブ在住)と佐々木一郎さん(下記)が新たに参加されること、おみやげは「かりんとう」と「だるま」で費用は全員の参加費から出すこと、日程の最終調整などを行いました。
交流会では、ダーフラさんのすばらしい草原の歌声に中沢さんの宮城の民謡で応える一幕もあり、またハンブルク調査団への新たな参加者の佐々木(生活クラブ生協職員・川崎市麻生市民館の地域農業を考える講座の講師)さんも見えて、楽しい一ときでした。
(石倉祐志、5月23日02:13)【南の風】第683号(2001年5月24日)掲載
◆第64回:朴海淑(韓国)「下関従軍慰安婦の弁護側通訳として」
李和真(富川市ー川崎市交換職員)歓迎
<案内> 藤の花房が趣深く風に揺れる季節となりました。… TOAFAEC「東アジア社会教育研究」編集委員会では、現在、第6号(2001.9.18 発行予定)の計画中です。今回はその一環として、中国「社区教育」をテーマに研究会を企画いたしました。…また、ドイツ・ハンブルグ訪問に向けての打ち合わせも、あわせて行います。開催日時を都合により、急きょ変更しました。
日時:5月22日(第3火曜日)18:30〜20:30
会場:高井戸区民センター3階
内容:(1)
中国「社区教育」について(華東師範大学「社区教育」シリーズを読む)
黄丹青(2)ドイツ・ハンブルグ訪問打ち合わせ (3)「東アジア社会教育研究」第6号編集会議
*終了後、グルマン亭にて交流会
<報告>
参加者:石倉祐志、伊藤長和、李 和真、内田純一、塩谷葉子、小林文人、中沢郁美、朴海淑、端田新菜、文 孝淑、山口真理子、柳玄淑(敬称略)
今回は、伊藤長和さん(最近は毎回出席)にご足労を願い、川崎市から三人のゲストをお招きし、いつになく華やいだ雰囲気の研究会となりました。朴海淑さん(川崎市総務局秘書部交流推進課)、李和真さん(韓国富川市・川崎市交換職員)、塩谷葉子さん(川崎市教育文化会館社会教育振興係)です。
朴海淑さんからは、川崎市に入って4年、ご自身と「在日」問題との出会いを通して見えてきた「日本の中での韓国人という外国人」の問題や国際結婚夫婦の現状と課題、さらには、下関従軍慰安婦の弁護側通訳としての体験から、「ボランティア」(する−される)関係のない社会づくり、何もしない大多数の人々への働きかけの重要性などについて、報告がありました。質疑では、朴さんが冒頭で「韓国では『反日』であったが、今は『普通』である」と述べたことと関連して、『反日』に関する世代論の吟味や、国家レベルではなく、民際、個人のレベルでの交流の必要性が語られました。
李和真さんは、2月16日の定例研究会に参加された許承範さん(3月30日 富川へ帰国。『南の風』632号・668号)に続いて、今年度、富川市から派遣職員(第4期目)として川崎市にいらしています。日本語で自己紹介をされるとき、さっと背筋を伸ばされとても凛々しく話されたのが印象的でした。
塩谷(えんや)葉子さんは、昨年度、川崎から富川市へ派遣職員(第3期)として行かれていた方です。富川では「日本語教室」を開いていたそうで、その時の様子も含め、韓国での随想を『東アジア社会教育研究』第6号に掲載させていただきたいと思っています。
研究会終了後は、グルマン亭へ。あらためて3人の歓迎に加え、ハンブルグ訪問団の無事帰国、そして、久しぶりに参加された文孝淑さんや端田新菜さんの近況報告も含め、楽しいひとときを過ごしました。そしていつものように、「アチミスル」をみんなで歌い(今回は、韓国の方が多かったので旨くまとまった)、その日本語版(「自由の森学園」版)を新菜さんにお願いしました。さらに新菜さんには、お父さん「はしだのりひこ」の「イムジン河」を歌っていただき、思いのこもった歌声に参加者一同酔いしれました。
(内田純一、6月23日 【TOAFAECニュース 38】)【南の風】第694号(6月25日)
◆第65回:ハンブルク訪問(6月)ビデオ報告会
<案内> まったくやりきれない暑さです。みなさまには、いかがお過ごしでいらっしゃいますか。
6月、TOAFAECメンバー6名が「ハンブルク市アルトナ祭・社会文化運動調査団」に加わり訪独しましたが、このたび、桑原重美さんのご努力で、そのビデオ記録が完成したとのことです。訪独の報告も兼ね、研究・交流会を企画いたしました。アルトナ祭の様子や市内の社会文化センターなど、どんな映像が飛び出すか、今から楽しみです。
日時:7月27日(金)18:30〜20:30 会場:高井戸区民センター3階
テーマ:6月ハンブルグ訪問(ビデオ)報告会 アルトナ祭・社会文化センターなど映像記録
ゲスト:桑原重美(カメラマン)
*終了後、下・グルマン亭にて交流会
<連絡先>〒185
国分寺市高木町2-10-1,2-101 内田純一
/fax 0425-71-0477 宅, 03-5434-1974 職 携帯
090-9973-6179
付記:残念ながら、谷和明さんは15日から8月3日まで中国へ出張とのこと。欠席です。先号でもお願いしたように、麓さんなど社会文化学会関係のハンブルグ調査団メンバー、それから墨田区向島関係の白鳥一信氏(カジマビジョン)夫妻、アルトナ祭の路上でばったり会った江東区大島文化センターの須藤恵美子さん(いずれもビデオ記録に登場する)などにも案内を出しましょう。(ぶ)
【TOAFAECつうしん No.39、内田】 【南の風】706号(2001年7月14日)
<報告>
参加者:今回の顔ぶれは、TOAFAEC初参加の白鳥一信(カジマビジョン・墨田区向島)、小林しげ子(中大・院、社会文化学会)、川村浩達(全建総連)、佐々木一郎(調査団参加者・生活クラブ連合会)の4方と、小林文人、桑原重美、ダーフラ(モンゴル人)、伊藤長和、山口真理子、萩原敬子、中沢郁実、石倉祐志の面々。
今回はハンブルク訪問ビデオを見る会として、「ハンブルク市アルトナ祭・社会文化運動調査団」の一員であるカメラマンの桑原重美さんをゲストにアルトナ祭・社会文化センターなどの映像記録を楽しみました。
やはり映像の力は大きいものがあり、薄れかけていた記憶を呼び起こされ、山口真理子さんのナレーションに加え、参加者の解説つきで上映を進行しました。調査期間中ハンブルクでお会いした白鳥一信さんからは向島とアルトナの交流や写真展等の様子を、また調査団参加者の佐々木一郎さん(川崎市民)からは参画している川崎市民健康の森事業へ活かせるアイデア(たとえば養蜂など)を今回の調査から得たことなどが語られました。
社会文化センター・モッテのレストラン「ツィンケン」(富者と貧者の出会いの場)へも関心が集まりました。また、小林先生が指摘された、モッテ屋上で飼育されているミツバチの象徴的な意味〜緑、花、養蜂、大人も子供もいっしょに、鶏もいる〜が印象に残りました。これは環境、世代を超えて集うこと、農的な試みへの注目ということでしょうか?
ビデオ自体の出来栄えとしては、撮影時の音声とナレーションのバランスが少し聞きづらい点があります(伊藤長和さんの発言シーンなどよく聞き取れなくて残念)が、調査団の全行程をバランスよく編集してあり、映像はさすがにプロのものであるという評価が出されました。近いうちに再編集(再ナレーションどり?)の機会を持てるよう検討することになりました。谷和明先生に帰国後ご協力を得られればと思います。
(石倉祐志、7月28日12:35)【南の風】第714号(2001年7月29日)収録
◆第66回:ビデオ「ハンブルク市アルトナ祭」(桑原重美・制作)をみる
モンゴル留学生「はじめての沖縄」をかたる
<案内> 暑い夏、皆さまには日々ご健勝のことと存じます。現在、事務局では『東アジア社会教育研究』第6号の編集を急ピッチで進めているところです。
さて、定例の研究会を下記のとおり開催いたします。… このところTOAFAECの活動は、ドイツの風にやや押され気味でしたが、あらためて沖縄・東アジアの視点を見つめ直して行きたいと思います。8月は「沖縄」、9月は「中国」、10月は「韓国」、11月は「台湾」を中心に教育と地域、歴史と文化の問題に迫りたいと考えています。今後ともどうぞよろしくお願いします。
にちじ:8月17日(金)18:30〜20:30 ばしょ:高井戸区民センター第4集会室
なかみ:(1)「沖縄戦に生きて」 (ゲスト依頼中)、(2)沖縄戦に関するビデオ上映、(3)訪沖報告「はじめての沖縄」
(モンゴル人留学生)、*終了後、グルマン亭にて交流会
TOAFAECつうしん No.41 うちだじゅんいち 【南の風】719号(2001年8月7日)
<
報告>
参加者:川村浩達、小林文人、ダーフラ、谷和明、チャガンボルグ、中沢郁実、山口真理子、柳玄淑、内田純一
○第66回TOAFAEC定例研究会報告(1)
研究会の前半は、「ハンブルク市アルトナ祭・社会文化運動調査団」の記録ビデオを楽しみました。このビデオは前回の研究会で放映されたものですが、桑原重美さんから新たに音量が調整されたものが送られてきました。前回ご覧になれなっかた谷和明先生も参加され、改めて社会文化センターにおける「印刷」「自転車修理」「工房」「芸術」などのアクティブな活動が、日本の公民館関係者にどのように映るかなどの意見交換がなされました。
後半はモンゴルの留学生から、はじめて沖縄を訪問した報告がなされました。チャガンボルグさんからは、美しい海を泳ぐことができたことと、その海に悲しい歴史があるコントラストがとても印象に残ったということでした。ダーフラさんからは、海原を見てふるさとの草原が草の海であることを思い出した、三線による歌の文化や泡盛がモンゴルの歌と酒によく似ていることなどの感想がだされました。
終了後は、いつものグルマン亭で交流会。
次回は、9月18日(火)、テーマ「社区教育」、を予定しています。
(うちだじゅんいち、Sun, 19 Aug 2001 22:39 【TOAFAECつうしん No.42】)
○第66回研究会・わたしの感想(報告2)
…略…
今回の(桑原さんが再度送って下さった)ハンブルグ訪問のビデオ記録、無理なく見ることができました。撮影,その後の編集作業、桑原さんには大変お世話になりました、ありがとうございました。
しかし、そのために当初の予定だった谷和明先生の長春報告は、次回ということになりました。この日のためにわざわざ予定を変更して来てくださった谷先生、申し訳ありませんでした。
あと一つは、初めて海に触れたモンゴル留学生・チャガンボルグさんとダーフラさんの、(8月7日〜10日、文人先生,内田さんと6人のモンゴル人一行)沖縄訪問の報告。
首里城は建物として中国と変わらない(のであまり興味は湧かなかった模様)し、食事や三線や踊りも中国と似ていたそうです。泡盛もモンゴル酒と同じ。アメリカの基地が広くて一番いい場所を占めているのには、憤りを含めて(と受け取っていいのでしょうね)驚いた様子。
何と言っても感動したのは、やはり海。「モンゴルの草原と同じように広かった」とはダーフラさんの表現。沖縄に着いたその日も、早速、波ノ上に行って海に入ったそうですし(あそこは泳げるような所だっけ?)、名護ではボートやシュノーケルも借りて、海の中を覗いたらしい。幸か不幸か風もなく鏡のような海だったらしく、「きれいだったのはいいけど、これは海の一面でしかない、今度、波の寄せる近くの海に連れて行く」とは藤沢市が実家の内田さんの言。
6人の沖縄の旅は、報告書(感想集)を出すそうなので、その出来上がりを待ちましょう。具志頭村・上門琉舞道場での踊り観賞の折りは『琉球新報』が取材したそうなので、記事が出たらそれも付けたいところですが、今のところまだ記事は見つかりません。
9時近くに、研究会後のお定まりのコース、グルマン亭に移動。お店の人にもすっかり覚えてもらい、時間も融通をきかせてもらっています。ビールピッチャーは6個は頼んだろうか、よく飲みました。但し、この日は話がはずんで、珍しく歌はなし。
(山口真理子、Mon, 20 Aug 2001 13:07)【南の風】第726号(2001年8月21日)掲載
▼第66回研究会(高井戸、20010817)
◆2001年(第41回)社会教育研究全国集会「沖縄を囲む」集い
日程:2001年8月25日〜27日 (新潟県聖籠町)
二日目(26日)夜“この指とまれ”→写真(8/25)■
○<名護・島袋正敏氏等と越後・堀之内町周辺1泊のお誘い(小林ぶんじん)>
ご承知のように8月25〜27日・新潟県聖篭町で社会教育研究全国集会(第41回)が開かれます。それに参加される沖縄からの島袋正敏さん(名護市図書館長)などを囲む集いのご案内です。1日だけ延泊し、越後の川魚や地酒を楽しむ夜をもちたいと計画しています。最近「南の風」メンバーに参加してきた堀之内町・森山丈順さんに受け入れをお願いし、下記メールのように準備進行中。また夜は、沖縄の本づくりについて、構想を出し合う機会にもしたいと考えています。
8月27日(全国集会後、堀之内町へ移動)1泊。経費(宿泊費)は7500円前後。参加ご希望の方は、「風」あてに折り返しご一報下さい。【南の風】第725号(2001年8月20日)
○<8月27日夜「沖縄の皆さんを囲む会」>
全国集会終了後の堀之内町「夜の集い」は、次のようになりました。以下、TOAFAECホームページ記事から。「8月27日(全国集会終了後、新潟県堀之内町へ車で移動)、沖縄からの参加者・島袋正敏、平良研一などの皆さんを囲む1泊交流会、本づくりの構想など協議。28日午前・解散予定。
8月27日夕食会場・味の家魚野川 02579-4-3012
宿泊・神湯温泉倶楽部 02579-9-3350
連絡先:森山丈順(090-7425-7481、役場02579-4-2111)」
【南の風】第728号:(2001年8月25日)
○<学校の森づくり、沖縄本の編集会議>
聖籠の新しい中学校は今年4月開校したばかり。そこで学校の「森づくり」が始まっていました。校庭の一角にすでに植樹された森の萌芽があり、いただいた「学校要覧」には、森予定地のなかに「上池」「下池」の二つの水場も書き込まれています。
地域の皆さんは、家庭でドングリなどの実を植えているそうで、教育長・手島勇平さんの庭でも20〜30pに育ったとのこと。これを持ち寄ってみんなで植え、「森」を創ろうというわけです。
初日・課題別集会の一つ「学校を核とした新しい地域づくり」では、新潟県下で今拡がっている「学校の森づくり」についての興味深いビデオが放映されました。何人もの校長が発言し「子どもが変わり、地域が動く」「つながり感覚」などが語られました。新刊『森をつくった校長』(春秋社)の著者・山之内義一郎(長岡市川崎小学校などで“森づくり”に挑戦、その後退職)も見えていました。
全国集会第3日終了後は(全国委員会をパスして)島袋正敏さんと長岡市に山之内氏を訪ねました。車は長谷吉洋氏(エイデル研究所)。川崎小学校の“森づくり”、13年目のこんもりした茂み、面積的には思いのほか小さな雑木林ですが、大きな夢と深い問題提起を秘めた森。
そして堀之内町へ。全国委員会に出てもらった平良研一さんや、小林平造さんとも合流し、森山丈順君や小林富美も一緒に味の家「魚野川」で取れたての鮎と手打ちの蕎麦。
夜は「沖縄の社会教育実践」(仮題)づくりの編集会議。(小林ぶんじん)
【南の風】第729号:(2001年8月28日)
▼全国集会・第1日夜・交流集会 (2001/08/25) 写真移動
◆第67回:九一八「松花江上」をうたう
谷和明「長春の社区活動について」、小林文人・黄丹青「社区教育を考える」
日時:9月18日(金)18:30〜20:30
於:高井戸区民センター
参加者:上里佑子(那覇出身、杉並在住で、今年3月に名護で開かれた「徳田球一を語る会」で小林先生、内田さんと出会った方)、小峯みずき(和光大学3年・小林ゼミ)、小林文人、伊藤長和、谷和明、黄丹青(+お子さん2人)、山口真理子、内田純一、遠藤輝喜、石倉祐志
(1)「松花江上(九・十八)」をうたう
9月18日にこの研究会で「松花江上」を歌うのは恒例。皆でカセットテープやCDの「松花江上」を聴き、歌いました。歌詞の意味は小林先生が解説されました。先生はまた、『「満州国」教育史研究』(1994)所収のエッセイ『「松花江上」との出会い−社会教育研究のなかで−』を示されながら、この歌への思いを語られました。かつて韓民さんの歌う「松花江上」のことや、横山宏先生の日本占領下・北京大学学生だった頃聴かれたこの歌の話には印象深いものがありました。
黄丹青さんからは、今日の衛星放送では北京の抗日記念館の集会の模様が放映され中国各地でこの歌が演奏されたとのこと。また、歌い継ぐべきレジスタンスの歌が日本にはあるのかという問題も出されました。
(2)「社区教育」を考える(黄丹青、小林文人)、(3)長春の社区活動について(谷和明)。
小林先生が19本の文献リスト『「社区教育」についての研究文献・調査報告(メモ)』を用意され解説されました。日本語での研究文献はあまり多くないのが現状で、新聞記事の動きを拾っていくことなども今後有効な手立てのひとつであることなどが出されました。議論のまとめを私なりしてみれば以下の様です。
社区概念の広がりについては改革開放との関連でその歴史性を見ていく必要がある。谷先生からは長春での居民委員会を統合した社区委員会にふれた経験が出されました。市−区−街道−居民委員会というこれまでの行政組織、住民組織は、一方では労働の場での「単位」とセットで機能してきた。人々はむしろ「単位」への帰属度が高く、居民委員会は「単位」に未だ帰属しない未就職の若者や一定の職を持たない人々の管理という側面も持っていた。改革開放によってレイオフなどが拡がり、地域社会にも変動が生じている。単位と居民委員会では地域の問題解決が図れない部分が出てきており、人々のよりどころが不確かになってきたことが、たとえば「法輪功」問題の背景にもなっている。社区の組織、事業は、福祉、教育などを中心に、いわば「セイフティネット」としての役割をもち始め、さらに新たな住民統治の方式としての意味合いを押さえておく必要がありそうだ。また、住民の主体的な動きを見ていくうえでは、「党」の存在とともに集会、結社、言論の自由に実質的な制限があるという条件を考える必要がある。
感想として、居民委員会にしろ社区委員会にしろ、日本では草の根保守主義の基盤である町内会と行政のつながりに似ているところがあるのではないかと思いました。アジア的官治の体質とでも言えばよいでしょうか。中国では官治の官の位置に革命を成就した中国共産党がいるということになるわけです。こうした官治に代わる地域の自治を実現し市民の間に公共性を獲得していくには、コミュニティでの多様なアソシエーションの広がりが重要であると思いますが、その実例をドイツで見てきたように思います。中国でのそうした動きはまったくわかりませんがそう遠くない将来、目にすることになるのではと思います。
(石倉祐志、Wed, 19 Sep 2001 02:29)【南の風】第743号(2001年9月20日)
◆第68回:楊武勲「台湾・社区大学の動向」
<案内> 清秋のみぎり、みなさまには日々ご健勝のことと存じます。『東アジア社会教育研究』第6号はもうお持ちですか。未だの方は事務局までお問い合わせ下さい。
さて、『東アジア社会教育研究』が探求を続けているテーマの一つが「社区」教育、そして社区大学の動きです。今回は、第6号に論文を寄せてくださった台湾の楊さんの報告を中心に、社区大学の具体的な展開について検討したいと思います。
また上海社区教育調査(10/9〜14)から戻られたばかりの小林先生からも、最新の情報も加えていただこうと思います。お誘い合わせのうえ、ふるってご参加ください。
日時:10月19日(金)18:30〜20:30
内容:(1)『東アジア社会教育研究』第6号刊行の報告
(2)台湾の社区大学の最近動向について(第6号所収)
報告者:楊 武勲 (早稲田大学大学院)
(3)上海訪問の報告(小林文人)
会場:高井戸区民センター3階(井の頭線「高井戸」駅下車3分)
*終了後、駅ガード下・グルマン亭にて交流会−乾杯!『第6号』完成
*内田純一、Sun,
14 Oct 2001,TOAFAECつうしん No.45【南の風】第755号(10月15日)
<報告>
19日夜、楊武勲(早稲田大・助手)さんから最近の台湾の大学改革、社区大学の動き、など興味深い報告を聞いた。その童顔をさきほどHPにアップ、ご覧あれ。それに上海の「中日文人図書室」の除幕式など、北海道・内田和浩さんから届いたばかりのビデオを紹介した。川崎の伊藤長和さんは、長野で開かれた関ブロ公民館大会から駆けつけていただいた。
11月研究会(16日予定)では韓国を取りあげ、12月研究会(21日予定)は70回記念の盛大な企画をやろう、と話は盛り上がった交流会。東アジア(韓国、中国、台湾、もちろん日本、そしてモンゴル)が相集って、馬頭琴や四胡なども並べた音曲入りの賑やかな記念交流会、騒いでいいかとグルマン亭に了解をとって予約。皆さん!ご予定下さい。(小林文人)
【南の風】第758号(2001年10月20日)掲載
▼楊武勲さん
◆第69回:中国広州市教育代表団交流・歓迎会
<案内>
「朋あり遠方より来たる」ー『東アジア社会教育研究』の編集委員でもある李偉成さんをはじめ、広州市教育代表団(団長:王小強
広州市教育局副局長)の皆さんがが来日します(11月6日から14日まで)。11月の定例研究会の日程を変更し、広州訪日団歓迎会として、心ばかりの(盛大な)歓迎会にしたいと思います。躍動的な華南デルタの成人教育・社区教育あるいは教育改革について、どんな話題が飛び出すか今から楽しみです。李さんとの親交ある方はもちろんのこと、みなさま奮ってご参加ください。
〔広州側参加者〕(既報・南の風風760号)略
日時:11月13日(火)19:00〜21:00(16日予定の定例研究会を変更) 会場:グルマン亭
【TOAFAECつうしん No.46 内田】 【南の風】第766号11月5日
<報告>
広州訪日団:
団長 王 小強 女 広州市教育局副局長
副団長 羅 峻峰 男 広州市第六中学校校長
事務局長 慮 永泉 男 広州市教育局法制処副処長
団員 黄 学松 男 広州市第二中学校副校長
団員 唐 三妹 女 広東省華僑中学校副校長
団員 蔡 卓基 男 広州市協和小学校校長
団員(通訳) 李 偉成 男 広州市教育局研究所研究員
参加者:迎える側は、小林文人、富美、鮮干香蘭(朝鮮族で中国籍、一橋大学院卒)、文孝淑(一橋大学助手)、内田純一、山口真理子、遠藤輝喜、チャガンボルグ、八朔友二、石倉祐志。それに李偉成さんの友人で「中国語・留学生新聞」の羅鳴さん(日本在住13年とか)が駆けつけて来ました。
<広州市教育代表団を迎えて−東アジア交流の夕べ>
昨日11月13日(高井戸・グルマン亭)で開かれた広州訪日団の歓迎会は、終始和やかな雰囲気で旧交を温め、またあたらたな出会いを喜び合う会でした。
訪日団の事務局である李偉成さん(私は4年ぶり?で再会)は以前にも増してパワフルな感じの人になっていて、私もエネルギーを分けてもらった感じです。
団長の王小強・広州市教育局副局長さんをはじめ皆さん温厚篤実な教育者といった雰囲気の方々で、内5名は中学校、小学校の校長、副校長先生でした。
八朔さんを皮切りに歌も何曲か飛び出し、また贈り物を交換し合いました。王団長は「ぜひ広州へおいでください」との誘いを繰り返えされ(南の風771号、参照)、私も行ってみたくなりました。来年7月にまた1週間も休めるかどうかは未知数ですが…。
以上のメンバーからもわかるように、中国語、朝鮮語、モンゴル語、日本語と4つの言葉が飛び交う、まさに東アジア交流の夕べとなったのでした。通訳は主として(日、中、朝の3カ国語が出来る)鮮干香蘭さん、モンゴル語はチャガンボルグさんが自ら通訳。
最近仕事で疲れ気味の私ですが、今回参加してずいぶん元気が沸いてきました。多謝!多謝!(石倉祐志、Wed,
14 Nov 2001)【南の風】第772号(2001年11月16日)
▼ 李偉成さん(左)と王小強・団長(右) 2001/11/13
◆第70回:70回記念特別企画・内田純一「研究会の歩み」
馬頭琴演奏・望年会
<案内>
1年が過ぎるのはまたたく間です。… おかげさまでTOAFAEC活動も足かけ6年、定例研究会も70回目を迎えました。この間、日本・沖縄の社会教育関係者はもちろんのこと、中国、韓国、台湾、モンゴルをはじめ多くの留学生たちとの研究・交流を進めてきました。今回は70回記念ということで一堂に会する国際色豊かな研究会にしたいと思います。
日時:12月21日(金)19:00〜20:30 会場:高井戸区民センター第4集会室
内容:今年の研究活動を振り返って:2002年活動への期待
*終了後・グルマン亭にて
2001年忘年会・モンゴル馬頭琴演奏など
<報告> 参加者:(記載もれ)
○虚像の実像化、6年の歩み
第1回研究会が開かれたのは1995年6月2日。6年あまりの歳月。詳しい経過は『東アジア社会教育研究』(1996年創刊)各号の研究会日誌やTOAFAEC
ホームページに記録されている。正直、よくまぁ、ここまで来たものだという実感だ。
当日、内田・事務局長が用意した資料は興味深いものがあった。これまでの『東アジア社会教育研究』目次を(各年次別でなく)テーマ別に一覧にしたもの。(1)各国(中国、韓国、台湾など)の教育改革・法制、(2)同じく自治体の社会教育・社区教育等の動き、(3)識字教育、夜間中学等、(4)沖縄研究・資料、(5)特論、先達の自分史、エッセイなど。毎号に必ず、中国(もちろん台湾も)、韓国、そして沖縄、東京・川崎等、つまり「東アジア」各地の報告を目配りして収録しようと努力してきた。こうして一覧になってみると、それがかなりの蓄積になっていることを確認できたのである。
もちろん収録論文・訳文等は、玉石混淆、なかには歳月の経過とともに資料的価値を失っていくものもありそう。寄稿者の範囲もいま一つの広がりを持ちえていない。しかし、この研究会が今日まで継続し、『東アジア社会教育研究』が刊行されてきたことによって、生み出したもの、発見されたことも少なくない(と自負できる)。
6年前には何もなかった状況から、何かを創り出す営みにチャレンジしてきた。単なるイデアだけに過ぎなかった虚像が、研究会と『研究』によって少しづつ実像化してきている、そんなが思いをもつことが出来た。ちょっと嬉しい70回記念の会であった。さて、これから、どんな歩みを続けることができるか。また歩みながら考えていきたい。(小林ぶんじん)
○研究会レポート(後半)〜馬のいななきが聞こえてくる〜
TOAFAEC 70回記念特別企画はモンゴルの夕べといった雰囲気で楽しい企画となりました。私は、グルマン亭での特別企画からの参加となりました。前半(高井戸区民センター)の内田報告を聞けなかったのは残念。
さて、この夜の呼び物はなんといってもセーンロジャー(賽音吉雅)さんの馬頭琴の名演でした。馬のいななき、ひずめの音、草原を駆け抜けていく爽快感を、弓と二本の弦を巧みに操って聴かせるその技と表現の豊かさたるや驚きでした。弦を押さえる彼の左手のすごい動きを真近かで見ることが出来ましたが、「超絶技巧」というと言いすぎでしょうか。セーンロジャーさんは今年の小林先生の新年会(グランメール)で、鮮やかな衣装とモンゴルのブーツ姿で演奏して以来各地の小学校などから演奏会のお呼びがかかるようになり、30回を超える演奏会を行なったそうです。来年CDデビューするそうで、いま練習、録音に余念がないとのことでした。
それからダーフラさんの四胡と歌。これもよかった。歌心を刺激されたのか、今回はみんなでさとうきび畑を「ざわわ、ざわわ」と歌ったり、山口真理子さんの新レパートリー「ともだちになるために」(映画「こどもの空」の歌)の披露があったりと楽しい会になりました。
(石倉祐志、Sun, 23 Dec 2001 14:07)
【南の風】第791号(2001年12月24日)
▼左・ダーフラ、 右(馬頭琴)セーンジャーのお二人
2002年1月・第71回研究会以降・記録(3)→■
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