【南の風】発行リスト・ぶんじん日誌 
    −701号(2001年7月6日)〜800号(2002年1月10日)−

                      *南の風発行一覧
                      
                      *601号〜700号

<目次一覧>
2001年
第701号【2001年 7月 6日】子ども授かりました、石倉・ハンブルグ便り(3)
第702号【2001年 7月 8日】公民館の本づくり、徳永さん近況、沖縄訪問
第703号【2001年 7月10日】フフホトからの初メール、沖縄・古層型の公民館
第704号【2001年 7月12日】華声和語の情報、岩本組!通信、新垣重雄の選挙
第705号【2001年 7月14日】沖縄の痛み、新垣重雄吠える「沖縄に返せ!」
第706号【2001年 7月17日】アルトナ祭報告会、広州との交流、訪沖スケジュール
第707号【2001年 7月18日】台湾のなかの沖縄めぐり、IT革命のゆくえ
第708号【2001年 7月20日】「がじまる」、第6号づくり、エイデル本づくり
第709号【2001年 7月21日】七夕の会の一日、長春より谷メール
第710号【2001年 7月24日】第6号編集会議、長春より(2)、パイカジ
第711号【2001年 7月25日】草の根のモンゴル祭り、大成功!(特集)
第712号【2001年 7月27日】8月の沖縄、27日研究会、新潟より森山メール
第713号【2001年 7月28日】忙しい夏、第6号へ韓国研究寄稿、埼玉戦争展
第714号【2001年 7月29日】ハンブルグ訪問ビデオ、保育と就労の裁判記録
第715号【2001年 7月31日】白樺派のシラカバ、伊江島・阿波根さんに会いたい
第716号【2001年 8月 1日】来年の訪韓計画、「白樺派のシラカバ」の反響
第717号【2001年 8月 3日】赤い花白い花bR、北海道の海瀬頭豊、HPに写真
第718号【2001年 8月 5日】韓国関係資料・第6号編集、飯田・人形劇フエスタ
第719号【2001年 8月 7日】第66回(8月)定例研究会、台湾からのメール
第720号【2001年 8月 8日】第6号の顔写真、谷和明さんへ、沖縄への興味
第721号【2001年 8月11日】新潟堀之内町のこと、上海調査の準備
第722号【2001年 8月14日】上海事前学習会、モンゴル留学生の沖縄訪問記録
第723号【2001年 8月16日】沖縄をかけめぐる、第37回青年ふるさとエイサー祭り
第724号【2001年 8月17日】白保メール創刊・鷲尾、モンゴル草原の子より、訃報
第725号【2001年 8月20日】島袋正敏さんたちを囲む企画、教科研大会(上田)など
第726号【2001年 8月21日】第66回定例研究会報告、沖縄参加者を囲む集い
第727号【2001年 8月23日】待望の本完成、中国映画おすすめ、第6号編集その後
第728号【2001年 8月25日】新潟(越佐)全国集会はじまる、「公民館の経営」(寺中)
第729号【2001年 8月28日】新潟県聖籠町(第41回全国集会)で味あう静かな感動
第730号【2001年 8月29日】全国集会参加できず、10月上海行き打ち合わせ
第731号【2001年 8月31日】遼寧師範大学へ、白保メール2、中国共産党の動き
第732号【2001年 9月 1日】沖縄の本づくり構想(1)、この夏の「風」発行
第733号【2001年 9月 3日】沖縄の本づくり構想メモ(2)、第6号編集大詰め
第734号【2001年 9月 5日】第6号編集おわり印刷所へ、「奨学金」?の返金
第735号【2001年 9月 6日】大連に無事到着、白保からのアピール(白保メール3)
第736号【2001年 9月 8日】公民館の新しい本、上海打合わせ、つむじ風のように
第737号【2001年 9月10日】台湾からの参加、モンゴル留学生、ロンドン岩本組
第738号【2001年 9月12日】社会文化センター訪問、ハンセン病療養所見学
第739号【2001年 9月13日】驚愕のテロ! ジュネーブ便り、コペンハーゲンの施設
第740号【2001年 9月15日】華東師範大学からの書簡、ハンブルグ便り番外編4
第741号【2001年 9月16日】東アジア『研究』6号目次、遼寧師範大学・大連短信1
第742号【2001年 9月18日】ゼミ沖縄合宿・台風と多発テロ下、白保メールbS
第743号【2001年 9月20日】10月上海訪問の延期、第67回定例研究会報告
第744号【2001年 9月22日】華東師範大学への書簡、9・18研究会に参加して
第745号【2001年 9月24日】アフガニスタンからの手紙・ゆゆしき問題
第746号【2001年 9月25日】学会終わる、レディング通信(78)、平和への願い
第747号【2001年 9月27日】上海調査打合せ、沖縄の本づくり、派兵反対デモ
第748号【2001年 9月29日】BBC 放送(レディング通信79)、小林ゼミ訪沖日程
第749号【2001年 9月30日】九一八(大連短信2)、アフガニスタンからの手紙追記
第750号【2001年10月 2日】北からの風、沖縄の本づくり、中日文人図書室構想
第751号【2001年10月 5日】広州より訪日、学会大会奮闘記、コンサート案内・鷲尾
第752号【2001年10月 7日】米中枢同時テロと沖縄、工学院大学図書館、上海日程
第753号【2001年10月 9日】九一八論文の募集、十十空襲を風化させない(那覇)
第754号【2001年10月10日】具志川の又吉英仁さん(本づくり)、中国・上海へ
第755号【2001年10月15日】68回 TOAFAEC 研究会案内、白保メール6、上海の夜
第756号【2001年10月16日】上海社区教育調査、市民活動サービスコーナー
第757号【2001年10月18日】サービスコーナー職員通信bP、定例研究会へ参加
第758号【2001年10月20日】大連短信(3)、市民活動サービスコーナー問題(続き)
第759号【2001年10月22日】テロと沖縄観光(八重山通信94)、一足早めの文化の日
第760号【2001年10月25日】広州の11月訪日、沖縄の本づくり11月訪沖
第761号【2001年10月26日】紹興に帰る、上海「小林国際交流閲覧室」オープン
第762号【2001年10月27日】上海訪問の成果、名護編集会議、B737-200の退役
第763号【2001年10月29日】上海社区教育資料、広州歓迎会、沖縄編集会議
第764号【2001年10月31日】文花中学校(夜間中学)見学、上海の資料送付
第765号【2001年11月 2日】広州訪日団歓迎会、「公民館の風」に上海の「風」連載
第766号【2001年11月 5日】横山宏氏急逝、第69回 TOAFAEC 研究会
第767号【2001年11月 7日】上海より、海勢頭コンサート、奈良市財団へ、通夜の列
第768号【2001年11月 9日】風への参加、沖縄の本づくり、第1回団体交渉
第769号【2001年11月10日】沖縄の全国集会に向けて、金武町並里区の写真集
第770号【2001年11月12日】13日広州歓迎会、自分史、57年ぶりの同窓会
第771号【2001年11月14日】転機にたつ教員養成学部、「鶴見川の風」12
第772号【2001年11月16日】平田大一と(沖縄)、東アジア交流の夕べ、奈良より
第773号【2001年11月17日】浦添内間にどうぞ(沖縄)、ホームページの手直し
第774号【2001年11月18日】私たちの裁判(赤い花白い花4)、泡盛サミットin 東京
第775号【2001年11月21日】『新版・社会教育基礎論』、歴史教科書・国際シンポ
第776号【2001年11月23日】フランスへ(末本)、24日名護編集会議、流れ星飛ぶ空
第777号【2001年11月26日】海勢頭コンサート、公民館史資料集成、白保メール9
第778号【2001年11月28日】上海資料の日本語訳(黄丹青)、中国の大都市問題
第779号【2001年12月 1日】沖縄の本づくり最終段階、上海社区教育記録づくり
第780号【2001年12月 3日】フランスから帰国、新潟聖篭町へ、和光松本塾
第781号【2001年12月 5日】2002上海訪日計画、白保メール10〜11、夜間中学
第782号【2001年12月 7日】韓国・黄宗建先生のこと、皇孫誕生の影響、水仙
第783号【2001年12月 8日】真珠湾60年、和光松本塾、日本語学級25年の歩み
第784号【2001年12月10日】70定例研究会、沖縄全国集会日程、福原実記念館
第785号【2001年12月13日】5年ぶり韓国(1)まちづくり国際シンポ、レディング82
第786号【2001年12月15日】5年ぶりの韓国(2)文化の家、同(3)川崎・富川交換
第787号【2001年12月17日】小林“風”を囲む会、日中社区教育研究の本・出版
第788号【2001年12月19日】5年ぶりの韓国(4)李時載編著『日本の都市社会』伊藤
第789号【2001年12月20日】雪の北海道、東京の社会教育行政・惨憺たる状況!
第790号【2001年12月22日】ラングラン逝去、白保メール12、江頭晃子の風を読む
第791号【2001年12月24日】70回記念TOAFAEC研究会、文化芸術振興基本法
第792号【2001年12月25日】エスニック・マイノリティ(レ通信83)、沖縄・実行委員会
第793号【2001年12月27日】沖縄の社会教育実践・本づくり、『非戦』刊行お知らせ
第794号【2001年12月29日】白保メールNo.13、文化芸術振興基本法をどう読むか
第795号【2001年12月31日】沖縄本づくりへの参加、クリスマス明け(レディング84)
2002年
第796号【1月 3日】新年のご挨拶、中国、モンゴル、イギリス(レディング通信85)
第797号【1月 6日】上海閘北区社区教育資料、名護市長選へ宮城康博氏立候補
第798号【1月 7日】新年TOAFAEC 第1回研究会案内、イギリス調査団到着
第799号【1月 9日】沖縄の本づくり最終編集作業、執筆依頼、恒例アドレス帳整理
第800号【1月10日】北海道より、公民館の風248号を、社区教育資料をHPへ


*(日誌)801号〜900号


          トップページへ



 南の風・ぶんじん日誌(701号〜800号)

第702号:2001年7月8日
◆<ようやく「公民館の地域史と国際比較」が本に・・・>
 そのうち詳しくご報告しますが、ここ数年、原稿集めに苦しんできた上記本(エイデル研究所)の編集がようやく最終段階を迎え、数日前に校正ゲラが出て、やれやれというところです。この間の、とくに昨年末から今年2月にかけての経過では、いろいろと消耗するところあり、実は少々人嫌いになったほどです。
 2日は共編者の佐藤一子さんとエイデル研究所にでかけ、最終の打ち合わせをしました。7月中にすべての作業を終えて、8月末の全国集会になんとか間に合わせようという相談です。ことさら暑い7月になりそう。昨年は涼しいドイツにいたのに、などとぼやきなら、執筆者各位にせっせとメールを打ったり、手紙を書いたり・・・。
 2日は猛暑のカンカン照り。息子夫婦からのプレゼントの、ちょっとお洒落な帽子を引き出して、今年はじめてかぶって出かけました。ところがエイデルからの帰途、気がついたら大事な帽子は頭にない。
 というわけで、また翌日(この日も猛暑)、忘れ物をとりにエイデルに出かけ、新開さんにビールをご馳走になったという次第。

第711号:2001年7月25日
◆<戯れ歌コーナー ナーダム> 
   ―板橋区徳丸小学校モンゴル祭、7月22日午後―
◇馬頭琴の調べにのせてモンゴルの歌声ひびく東京砂漠に
             ―同、モンゴル相撲―
◇燃える砂に熱き体をねじふせて鳥の舞うごと勝者は踊る
     ―ダーフラ氏、モンゴル民族高等学校教師―
◇四胡抱きフルサト出でて東京のモンゴル祭にフルサト歌う

第712号:2001年7月26日
◆<戯れ歌コーナー こども蛇
         ―越後・堀の内より、7月20日―
◇熱気たつ七月の空気和らげて白く涼しきカサブランカとどく
         ―和田堀公園、7月20日―
◇あどけなきちょろちょろ子蛇道を這う「カラスが来るぞ」茂みへ逃げろ

第713号:2001年7月28日
◆<戯れ歌コーナー カサブランカ
         ―堀の内からのユリ、7月26日―
◇百合爛漫競いて咲きぬ夏ばての萎えし頭を励ますごとく

第715号:2001年7月31日
<阿波根昌鴻さん>
 メール拝受、有難う。返事が遅くなりました。阿波根さんの本を読んだとのこと、どの本読んだのかな。何冊か本がありますし、写真集もあります。また研究室には伊江島に関するビデオが数本ありますから、夏休みの間にぜひ見て下さい。
 いつか話した通り、阿波根さんは5年前のプロゼミ訪沖の際にはお会いでき、話もしていただきました。しかし、このときもすでに失明しておられたし、長い時間は無理でした。いま高齢でもあり、残念ながら、お会いできないと思います。ガマ等について、実際に体験された方にお話を伺う機会は、ぜひ実現したいですね。読谷のどなたかに頼んでみましょうか。ところで…以下、略…  
◆戯れ歌コーナー  ―カサブランカ、7月27日―
◇ひたすらに咲き競いたる花終わり「あとひと花咲かせて」の思い

第717号:2001年8月3日
◆<ホームページにやっと画像が・・・>
 HPに画像を入れようとデジタル・カメラも用意して、4〜5月とすこし撮りだめしてきたのです。しかし、ガイドブックを読まない主義の小生には踏み出しが出来ない。それに6〜7月と案外忙しく、最近はデジカメを持ち歩く習慣も失せていたところ。
 いただいたhtml文書のモデルで早速2つの画像をセットし、ついでに小生の手元の写真(和光ゼミ、中国広州)を4点ほど「7月〜9月・主要スケジュール」ページに挿入しました。写真の場面は5月のもの、ホームページはもう7月、どこに写真をおくか、位置付けにちと無理がありますが、ご了承いただいて、まぁ、ご覧いただきましょう。
 明日から東京を離れます。これでまたデジカメもっての旅になってしまいました。さて、撮った作品をどうホームページに盛り込むか、そんな楽しみもありますが、またいろいろ気をつかうことも増えてしまった。最近は、拙い(ソフトなしの)手づくりホームページでも、訪問客が多くなりました。せっかくのご来客、多少のおもてなしのつもりで、せいぜい頑張るといたしましょう。
和光大学・ぶんじんプロゼミ(2001年5月、和光大学・合宿所)  0105SEMI


第718号:2001年8月5日
◆<いいだ人形劇フエスタ2001に参加して> 
 和光ゼミ有志(5名)や近藤恵美子さん(中大院)と一緒にいま飯田に滞在している。
 飯田市では、かって人形劇「カーニバル」と呼ばれていた歴史が20回、1998年に激論?を経て、現在の人形劇「フエスタ」に脱皮して3回目。まだ総括的なことは分からないが、市行政主導型から市民主導(行政は支援)の方向へ舵を切って、その後、印象としては祭は順調に推移し、着実に展開してきているようだ。
 たまたま私は98年のカーニバル見直しのとき、飯田にいて、なかには涙を流して議論していた場面を知っているだけに、その後の経過が気なっていた。しかも今年6月にハンブルク・アルトナ祭の印象もまだ強く残っていて、比べながら祭をみる視点もないではない。
 もちろんドイツの社会文化運動とは単純に比較できないが、人形劇という「文化」を主テーマにした一大行事は、やはり他の町には見られない取り組みだ。これには公民館活動の地域的な蓄積が基盤になっていることは間違いなく、地元の各種団体(社会教育団体はもちろん、とくに青年会議所等の役割が大きい)と市民各層の参加、そして行政の支援と全国の人形劇関係者の参加というかたちは「日本にだってこんな祭りがあるぞ!」と言いたくなってしまうほど。
 今年の公式ガイドブックによれば、全国(海外、地元を含む)からの参加劇団は287(プロ・アマを含む)、飯田市内の各地で開かれる会場(分散公演方式)は約100カ所。「フエスタ」をきめ細かく支えるボランティアは数知れず。
 公民館の2階ロビーは市中心部の婦人会の方々が、おやき・おにぎり・とうもろこし・もも・とまと、などを用意(実費販売)し、各テーブルには手作りのおしんことお茶のもてなし。
 今年はとくに子どもたちのボランテイアが注目されるところ。市内中央(セントラルパーク)のテント、オススメ公演「わけちゃん」の司会は中学生が担当していた。
 「わけちゃん」とは和気瑞江、東京学芸大学児童文化サークル「麦笛」の出身、どこにいっても人気者。「わけちゃん」のおっかけもいるらしい。「劇団はてな」の「うそまこと」(本名は鈴木まこと)も同じく学大「麦笛」出身。こういうプロの人気者が大学サークルから育ったことも嬉しい。久しぶりに手をにぎりあって、おしんこを食べ、ビールを飲みかわした。私は20年あまり「麦笛」の顧問をしていて、いろいろ苦労もしたが、こういう場面で「先生!」と呼ばれると、すべて吹き飛んでしまうよ、ほんと!                    

第719号:2001年8月6日
◆<飯田と河口湖ゼミ合宿の画像入力>
 6日昼、帰京して直ちに(速報性を意図して)作業。「いいだ人形劇フエスタ」と河口湖ゼミ合宿の写真をホームページに入れました。各3点計6点、まったくの拙い作品ですが、見てやって下さい。
 水谷徹(旭丘高等学校)からメール拝受(6日夜)。有難う。沖縄で会えなくて残念ですね。1997年秋の一夜、辺野古の浜のコンサートのことは、小生もよく憶えています。あの日たしか、喜納昌吉はサバニで、ヘリ基地反対を訴えて辺野古に入港してきた。誰かの写真集に昌吉の上陸の場面が掲載され、その後ろにたまたま小生の顔も写っていて驚きました。海勢頭豊が各地で歌っている報せは、この「風」にも飛びこんできます(717号内田メール、北海道)。
 今年のゼミ合宿は賑やかでした。たまたま河口湖は湖上祭・花火大会。写真を3枚ほどアップしました。ご覧下さい。
和光・2001生涯学習論ゼミ合宿の夜 (河口湖ます美荘、20010805)


第722号:2001年8月14日
◆<亡弟の幻想>
 福岡にて。九州のならわしでは今日から盆の入り。亡弟の法要は東京で7月に済ませたが、近所に初盆の提灯が灯されると、あらためていろいろと回想がよぎる。私より体をだいじにしていた弟の早すぎる死は、やはり「不意の落日」だった。
 もうあれから3ヶ月近く。この間なぜか失せ物多く、とくに通夜の日の眼鏡の紛失、買い直した眼鏡もまた失くす(コペンハーゲン)。彼がふらりとやってきて「借りるよ〜」と持ち去った幻想に自らをなぐさめる。
◇夜を裂きケイタイゆれて落日の知らせはとどく午前4時過ぎ ―松本の宿、5月27日未明―
◇君逝きて今よみがえり夜の街に我をさがしに来たりしがごと 
                    ―コペンハーゲン、眼鏡を失くす、弟が借りに来たような。6月13日―
◇幼き日ともに唱えし正信ゲ いま「白骨のお文」ひとり聞くとは
                                ―49日法要、浅草・東本願寺、7月7日―

第725号:2001年8月20日
◆<越後・堀之内町周辺1泊のお誘い>
 ご承知のように8月25〜27日・新潟県聖篭町で社会教育研究全国集会(第41回)が開かれます。それに参加される沖縄からの島袋正敏さん(名護市図書館長)や佐久本全さん(那覇市教育委員会)・予定−などを囲む集いのご案内です。1日だけ延泊し、越後の川魚や地酒を楽しむ夜をもちたいと計画しています。最近「南の風」メンバーに参加してきた堀之内町・森山丈順さんに受け入れをお願いし、下記メールのように準備進行中。また夜は、沖縄の本づくりについて、構想を出し合う機会にもしたいと考えています。
 8月27日(全国集会後、堀之内町へ移動)1泊。経費(宿泊費)は7500円前後。もし参加ご希望の方があれば、「風」あてに折り返しご一報下さい。(ぶ)

第727号:2001年8月28日  *「公民館の風」200号(8月22日)より再録
◆<『世界の社会教育施設と公民館―草の根の参加と学び』−ようやく刊行!>
    (編者:小林文人・佐藤一子 A5判・上製・512頁、エイデル研究所、定価7,800円)
 ご記憶の方もあるかと思いますが、「南の風」に加え「公民館の風」を始めるきっかけは、日本社会教育学会・特別年報『公民館の現代的創造』(東洋館出版社、1999年9月)の刊行でした。この姉妹編ともいうべき標記『世界の社会教育施設と公民館』が、このたび、8月25日から始まる社会教育研究全国集会(第41回 新潟県聖篭町)を期して発刊されます。
 編集実務にあたった長谷吉洋(エイデル)氏は出来たての本を車に積み込んで、会場に駆けつけるそうです。
 これまで、とかく特殊日本的施設の側面が強調されてきた公民館。しかし世界各国・地域には、さまざまの公民館類似の施設が多様に展開されてきている。草の根にひろがるこれら学習・文化諸施設と日本の公民館の地域史を1冊の本に凝縮させて、その共通性や独自性を明らかにしてみよう、それを通して公民館の可能性を見つめ直してみようという試みです。本書によってはじめて、公民館にかかわって世界と日本の対話と交流が始まるのではないかと期待しています。
 もちろん本格的な国際比較はこれからの課題です。読者各位に手にとっていただいて、難航したこの本、「難産の子」を育ててほしいと願っています。
 日本社会教育学会々員には、すでに版元から「特別販価」のお知らせが届いていますが(7,800円→6,000円、8月10日まで)、会員以外の方でも、ご希望の方は(今からでも)編者までご連絡下さい。送料負担等のサービスを含め版元・エイデル研究所に話をつなぎます。もちろん1冊でも結構ですが、まとめてのご注文だとさらに歓迎です。ご参考に以下に目次・執筆者一覧を掲げておきます(略)。

第729号:2001年8月28日  
◆<住民とつくる学校ー聖籠町立中学校、学校の森づくり>
 こんどの全国集会(第1日・開会行事、夜の交流会)で始めて会ったのですが、彼(手島勇平氏)を教育長に抜擢した町長・渡邊廣吉氏はかっての中央公民館長。初日冒頭に「私は皆さんの仲間です」と歓迎挨拶をしてくれましたが、当時の館長・渡邊と主事・手島の二人の間は、肝胆相照らす同志的な「仲間」と私にはうつりました。
 二人とも若く、意欲的。このコンビがNHK・ETVテレビ(4月12日)でも取り上げた驚くべき発想の中学校づくりに結実したのでしょう。集会2日目の分科会々場となった新中学校。この日分科会終了後、参加者は3グループに分かれ、教育長や校長がじきじき案内。学校ひとめぐりの施設説明は、短い時間ながら、分科会討議の疲れを吹きとばすだけでなく、終日かけた議論をすべて忘れさせるほど刺激的なものでした。
 マスコミが取り上げた記事も少なくなく(とくに新潟日報)、ビデオ記録も集会第3日のまとめの全体会の特別企画として映し出されました。聖籠町統合中学校づくりを取り上げた「住民とつくる学校」(『学校の役割は終わったのか』(NHK出版)、『地域がつくる学校』(博進堂)も発売されていました。
○第2日夜(2001年8月26日・聖籠町)・この指とまれ「沖縄を語る」、名護からの挨拶
  (左から宮里・社会教育主事、中村誠司、平良研一、上地・社会教育課長、島袋正敏の各氏)

 <学校の森づくり>
 新しい学校は今年4月開校したばかり。そこで学校の「森づくり」が始まっていました。校庭の一角にすでに植樹された森の萌芽があり、いただいた「学校要覧」には、森予定地のなかに「上池」「下池」の二つの水場も書き込まれています。
 地域の皆さんは、家庭でドングリなどの実を植えているそうで、手島さんの庭でも20〜30pに育ったとのこと。これを持ち寄ってみんなで植え、みんなで「森」を創ろうというわけです。
 初日・課題別集会の一つ「学校を核とした新しい地域づくり」では、新潟県下で今拡がっている「学校の森づくり」についての興味深いビデオが放映されました。何人もの校長が発言し「子どもが変わり、地域が動く」「つながり感覚」などが語られました。新刊『森をつくった校長』(春秋社)の著者・山之内義一郎(長岡市川崎小学校などで“森づくり”に挑戦、その後退職)も見えていました。
 全国集会第3日終了後は(全国委員会をパスして)島袋正敏さんと長岡市に山之内氏を訪ねました。車は長谷吉洋氏(エイデル研究所)。川崎小学校の“森づくり”、13年目のこんもりした茂み、面積的には思いのほか小さな雑木林ですが、大きな夢と深い問題提起を秘めた森。
 そして堀之内町へ。全国委員会に出てもらった平良研一さんや、小林平造君と合流し、森山丈順君や小林富美も一緒に味の家「魚野川」で取れたての鮎と手打ちの蕎麦。夜は「沖縄の社会教育実践」(仮題)づくりの編集会議。

第732号:2001年9月1日  
◆<この夏、「風」の発行>
 ホームページの追加記事、今期「7月〜9月」には、毎日「風」の発行記録をリヤルタイムで書き入れています。「南」「公民館」という二つの風それぞれの収録タイトルを一覧で分るようにしておきたいからです。ご参加がダブっている方もありますが、「公民館の風」記事で、もしご希望のものがあればご一報下さい。お送りします。
 ちなみに7月・8月の発行回数は「南」34、「公民館」21、計55、でした。よほど急ぎのニュースがない限り、1日に2つの風は出さない原則。この2ヶ月62日のうちほぼ毎日の発信。休んだのは7日だけ。少し吹き過ぎ?だなぁと自ら反省?しています。
 7月は28、8月は計27通の発信。8月は4日間は休んでいますが月の半分16日は旅(飯田・沖縄・福岡・新潟など)でしたから、パソコンもって移動するスタイルがすっかり定着、いや、パソコンに拘束される生活が連続したことになります。それに、旅のなかでデジカメの画像をホームページに挿入する喜び、いや苦しみ、も味わった夏でした。ちなみに、入力した写真はちょうど31枚(青色はTOAFAEC関係、諸集会・一般、赤色は和光大学・ゼミ関係)。
 いっさいHP作成ソフトを使わない手づくりホームページ、まことに拙劣きわまりないものですが、ときに感想・批評などいただければ幸い。
 9月からは大学の授業も始まり、学会などありますから、おそらく風の頻度も少なくなることでしょう。10月には沖縄と中国行きの計画。このスケジュールでどれだけの風を発信できるか・・・。

第736号:2001年9月8日  
◆<“つむじ風”のように ―「南の風」のこれから・・・>
 「南の風」の最近について、皆さんはどんな感想をおもちですか。発信者「ぶんじん」としては、少しずつ風の性格が変わりつつあるような感じがしています。1998年初春、当初「南の風」は沖縄研究の再開呼びかけから始まりました。しだいに沖縄だけでなく、中国や韓国など海をこえての交流へ、また東京や川崎など各地の、識字や地域の新しい動きなど。そしてヨーロッパからの来信も多くなり、しだいに雑然たる趣きとなり、しかしその過程で「TOAFAEC通信」としての役割もはっきりしてきました。もともとTOAFAEC活動それ自体が“雑然”としたものですからね。
 「風」はあまりきちんとした方針や原則をもっていません。その場の成り行きで自由気ままに吹く、そんな姿勢です。だから、この間には風の吹き方について、たとえば、その“公的”性格が論議されたりした経過もありました。また、すこし論文・レポート的なメールが増える過程で「公民館の風」が分岐(1999年秋)していきました。
 ひとつの誤算は、この3年、「八重山通信」は別として、沖縄からの送信がほとんどスタートしない(他方で海外からのメールが多い、これは歓迎!)ことです。ようやく今年1月、島袋正敏さん(名護市立図書館)メールが開通し、また数日うちに中村誠司さん(名桜大学)の新アドレスが届く予定、楽しみです。
 「風」として努力してきたことは、渾然、混沌、多元、それらの「出会い」「ひろば」といった性格です。「あいまい」の批判はありましょうが、研究も実践も、沖縄も東アジアも、教授も院生(ただし学生には原則として出さない、例外?はある)も、市民も失業者も、老いも若きも、歓声も悲鳴も、同じ「風」のなかでお互いに渾然と出会っていきたいということでした。混迷、雑然、葛藤などのなかにこそ、新しい発展や発見の可能性が含まれている!のではないでしょうか。
 ある院生が、学会第一線?の研究者たちの、内面的な論議のメール、そのやりとりに触れることが出来て、「なにより刺激的でした」と感想を寄せてくれたときは「わが意を得たり」と思いました。
 だから発信者としては、少し押しつけがましくなることを承知の上で、本づくりや沖縄研究や中国とのやりとりなど(いわば公的な研究活動)と同じ平面で、遊び、旅、白樺、戯れ歌、四季こもごも、あれこれを遠慮しないで(「ぶんじん」のやや恥ずかしい、私的な部分も)「風」に載せてきました。お許しください。迷惑なときには、ただちに読み捨てていただくことにして・・・。
 しかし、最近の「南の風」には、研究的なメールが少なくなったように思います。きっと中国・上海研究などが、独自のメール・ネットで活発に展開し始めているからでしょう。それも喜ばしいこと!
 しかし「風」を単なる「仲よし」通信にはしたくない。沖縄・東アジアに焦点をおきつつ、混沌として多元的ないろんなメールが、ぐるぐるまわっていく、「つむじ風」のような勢いの通信を発信していきたいと考えているのですが・・・。
 いま準備が始まった『沖縄の社会教育実践』(仮題)の本づくりについても、「風」の誌面を編集会議的に活用させていただきたい、と考えています。今後に向けていろいろ活発なご意見をいただきたいのです。どうぞよろしくお願いします。駄文お許しを。

第738号:2001年9月12日  
◆<ジュネーブ・村田光恵さんへ 9.11の夜>
 来日中の「ユリ」さんと11日夜、新宿で会いました。前に一緒に行ったことがある寿司清で久しぶりの乾杯。あなたのメッセージとご自慢のワイン、たしかに拝受。有難うございました。お元気のようで何よりです。ようやく日本語で打てるソフトとアドレスが用意できたそうで、気が向いたら「ジュネーブ便り」か「ワイン通信」でも“風”に送って下さい。楽しみにしています。
 ユリさんを囲んで、寿司清で写真をとり、早速ホームページに入れました。ご覧下さい。
 当夜で、『東アジア社会教育研究』第6号ゲラの最終チェック、すべて終了。ユリとの乾杯は第6号刊行に向けての、前祝い乾杯のつもり。
 ところが帰宅してみたら、テレビがニューヨーク・世界貿易センター崩壊のニュースを報じている、あまりの悲惨さに、せっかくのワインをあける気分になりません。さて、世界はこれからどうなるのか。

第742号:2001年9月18日  
◆歌の工房 ―ホームページ「目次一覧」に「東アジア社会教育研究」5冊。花もそえて.。→■
◇秋色の街をさまよい一鉢のひな菊と出会う本に飾らろう
◇よろめきつ歩きつづけて花の香のただようベンチに腰をおろしぬ


第748号:2001年9月29日  
◆<750号へ向けてのお願い−南と公民館お>
 早いもので、もうすぐ750号、恒例のアドレス帳整理をお願いします。当方からの(701号以降の)50通送信の間、一度も返信をいただけなかった方には、751号以降の送信を控えさせていただきます。「風」の双方向性の原則に基づくものです。
 もし引き続きの送信を希望される場合は、近況などを添えて、750号までにご一報をお願いします。
 また「風」送信を希望されない場合もお知らせ下さい。
 「南」と「公民館」の二つの風をお送りしている方は、出来るだけ一つの風に絞っていただくと助かります。双方ともに受信希望の方が増えて、最近、少々の負担感があります。いまほとんど毎日、ホームページに二つの「風」の発信内容(タイトル)をそれぞれ書き入れていますので、ご覧の上ご希望があれば、折り返しその「風」記事をお送りしますので。今後とも「風」とのお付き合い、どうぞよろしく。 

第750号:2001年10月2日  
◆<【おきなわ短信・12】−旧8月15夜、月光をあびて> →■おきなわ短信(1)〜
 中秋の満月だ。村々を歩くと、あちこちから旧八月十五夜の笛や太鼓が響いてくるというのは、もう沖縄でも望むべくもない風景のようだ。10月1日(旧8月15日)終日、ゼミ学生たちと南部まわりをしたが、祭りのさんざめきは聞こえてこなかった。もっとも私たちは戦跡をめぐったのだが・・。具志頭村安里の大綱引き(4年前のプロゼミはこれに参加した)が、今年は恒例の十五夜でなく次の日曜日に延期されるなど、事情に応じた変容があるのは(残念ながら)事実なのだ。
 しかし月・潮の干満に応じて人が動き心がさわぐのも、沖縄ならではのこと。10月1日満月の夜は久しぶりに「心さわぐ」いろいろなことがあって、楽しい夜となった。
 具志頭村では、上原文一氏の案内でガラビ壕にもぐった。そのあと役場会議室で、ヒージャー汁をご馳走になる。大きな鍋に誰が仕込んだのか、いい出来映えのヒージャー。はじめての沖縄を体験している学生たちへの心づくしのもてなし。フーチバと塩と生姜。なかにはお代わりをする学生もいた。
 「あんつく」では、佐久本全さんたちが待っている。早々に辞して那覇へ。学生代表?の吉松朋子と滝本ちひろが一緒。二人とも来年は単位互換制を利用して沖縄大学へ留学予定だ。途中で沖縄大学へ寄り、夜間の講義をすませた平良研一さんを拾って「あんつく」へ駆けつける。6時の約束が8時をまわっていた。2時間遅れとは私たちもすっかりウチナンチュになった気分。
 上地武昭(沖縄大学講師)さんがゼミの学生8人ほど連れて、「あんつく」に待っていた。賑やかな交流会となった。佐久本さんはすっかり出来上がっている。韓国からの留学生・金さんもいて、アリランを歌い「鳳仙花」の話題となり、「てぃんさぐぬ花」を歌った。久しぶりに平良さんと「あしみじ(汗水)節」も歌った。
 雨続きの沖縄、ようやく晴れた満月の夜、月光をあびながら、二人の学生と久茂地をぶらぶら散歩しながら帰った。「苗」の前を通る。これは寄らないわけにはいかない。主人ご夫婦が「お久しぶり!」と迎えてくれる。象グループ・故大竹さんの思い出話になる。彼は沖縄の仕事に疲れてはよく「苗」で飲んでいた。安里英子さんのことも話題になる。
 「先生は若い」と冷やかされる。「こんな学生さんといつも一緒だから若いのでしょう」とおカミが言う。「そうだよ!」と応じて、また月の夜を若い二人と帰った。この夜、楽しいことが相次いで、いま酔っている。

第753号:2001年10月9日  
◆<【おきなわ短信・14】あんつく、そしてパピリオンの夜> →■おきなわ短信(1)〜(14)〜
 那覇一銀通り「あんつく」のことを「短信12」(風750号)に触れた。この店とはもうながい付き合いだ。本土からやってくる私たちの歓迎会や、昔の「おきなわ社会教育研究会」はよくここで開かれた。そういえば、私の60歳のお祝いも「あんつく」だった。かっては沖縄研究グループの寄せ書き色紙も壁にかかっていた。末本誠を除いて、みな拙劣な字ゆえか、いまは取り外されているが…。
 ここで出会った人たち、うたった歌、交わされた激論などなど、そのうち一度書いておきたい、と思いながら、まだ回想にふける余裕がない。
 「あんつく」の会が終わると、そのあとは海勢頭豊の「パピリオン」に繰り出すのが慣わし。当時の那覇滞在の夜は、だから、いつも賑やかで、心ときめくものがあった。はじめて沖縄に来た学生などをとくに強く誘って「喜瀬武原」など聞かせたものだ。沖縄の歴史と文化にふれる玄関口のような「パピリオン」の存在だった。だが、今はパピリオンも閉じられて、簡単に海勢頭豊にも会えなくなってしまった。
 こんどの和光大学プロゼミの旅でも、那覇の夜があとひとつ充実しない。「パピリオン」があればなぁ、と思って夜の散歩のついでに繁華街・松山の通りを歩いてみたら、紫の看板だけのパピリオンが残っていた。
 ところが、そんな思いが通じたのか、宿舎「沖縄県青年会館」に帰ったら、海勢頭豊の名前に出会った。青年会館の掲示板にも、エレベーターの中にも、次のポスターが張ってある。
 「10・10空襲を風化させない市民の集い2001」 ・基調講演:船越義彰(実行委員会委員長) ・一人芝居:北島角子(新作) ・平和メッセージコンサート:海勢頭豊 ・パネル展示:沖縄県立公文書館、那覇市歴史資料室 ・日時:2001年10月10日(水)18:30開場、19:00開演 ・場所:那覇市民会館大ホール ・主催:10・10空襲を風化させない市民の集い実行委員会
 ついでに、実行委員長(船越義彰氏)あいさつ文を紹介しておこう。船越義彰氏は、今年2月「小説・遊女(じゅり)たちの戦争―志堅原トミの話から」(ニライ社刊)を上梓している。辻を舞台にする興味深い1冊、いま那覇の本屋に並んでいる。
 「昭和19年10月10日、那覇は地上から消えた。浮島の昔から慣れ親しんできた風景は変貌し、父祖以来、積み重ねてきた文化的遺産は瓦礫と化した。 この日以来、家を焼かれた多くの市民は避難民という名で呼ばれるようになった。しかし、十・十空襲は、来るべき沖縄戦の幕開けであった。今度は、全県民が戦場を彷徨することになる。この沖縄の命運を根本的に変えた那覇空襲、沖縄戦も歴史の中に組み込まれ、いまは、そのことを経験した人々も少なくなった。とくに十・十空襲時の那覇の人口は約6万。それだけに、空襲体験者も少ないと見てよい。
 我々は、沖縄戦の中から多くのものを学ぶべきことを承知している。そして、十・十空襲にもそれがあることと、私は信じている。なぜ空襲が行われたか。戦争だったからである。では、なぜ戦争が行われたか。国家的理由からである。国家的な理由とはどういうことだったのか。そのことと民衆はどのように関わってきたのか。こうした問題の確実な基点として十・十空襲を捉えるためにも、このことを風化させてはならない、語り継ぐべきだと考える。こうした観点から「10・10空襲を風化させない」運動を展開してきたのである。多くの方々、とくに、若い世代のご理解をいただければ、本当に有り難いと思う。 実行委員長 船越義彰」

第755号:2001年10月15日  
◆<上海の最後の夜>
 上海「社区」教育調査旅行(10月6日〜13日)、同行の皆さまにはお疲れさまでした。
 いろいろのいきさつがあっただけに、とくに末本・上野のお二人には(中国側の葉忠海氏と呉遵民さんはもちろん)、ご心労が多かったことと思います。しかし、みんな元気で、収穫の多い旅だったのではないでしょうか。やはり決行してよかったと思います。
 最終日夜に内田和浩さんに託された中国元1400元(約2万円余)は確かに拝受しました。ご好意に甘えて新設の中日文人図書室(通称)へのカンパとして活用させていただきましょう。
 末本夫妻、上野、松田、小林平、金子の皆さんが上海を発った13日。1日残った小林ぶ、内田、黄丹青の3人は、楽しい週末を過ごしました。経過だけご報告しておきます。
 まず、午前は葉忠海先生の案内で、中国最初の社区学院(上海市金山区)へ。午後3時過ぎようやく南鷹飯店へ帰着。これで調査プログラムはすべて終了。葉教授ともここで別れました。
 その後は、迎えてくれた羅李争さんの案内で、袁允偉さん(閘北区社区大学副学長)の新居を訪問(黄さんアィデアの贈り物がよかった!)。集まってきた学長、党書記、図書館長、袁夫妻などと会食。
 「これから新社区大学には参観者が殺到するだろう、まず第一に文人図書室を案内したい。中国のどこにもない最初の試みだから・・・」などのはずんだ話が出て、期待の大きさを感じました。
 夕食後はサーカス(雑技団)。かって南京路にあった丸い屋根の「上海雑技団」は、いま新装なって、閘北区の中心部、体育館のとなりに移転。羅くんを含めて4人で久しぶりの上海サーカス、存分に楽しみました。興行がはねて、賑やかな南京路をぶらぶら。お土産のお茶など買って、ホテルへ。旅の終わりの夜、なんともいい気分。
 14日朝は、初日に迎えてくれた韓明華氏(華東師範大学継続教育学院・成人与継続教育研究所主任)の案内で、飲茶で朝食。彼の車で虹橋空港まで送ってもらい、帰国の途へ。成田に午後3時過ぎ無事到着。黄丹青さんは故郷の紹興へ。お子さんと一緒に20日、成田へ向うそうです。
 今回の旅、あらためて中国側関係者の“心”に御礼を申しあげます。写真→■

第759号:2001年10月23日  
◆<一足早めの文化の日> *写真・略
 10月20日〜21日の両日は、私にとってめずらしく「文化の日」となった。東京都の福原栄男さんのお能は、話に聞いてはいたが、全く驚いた。文字通り素人の域を脱し、これほどの水準・風格とは知らなかった。すごい迫力を感じた。
 私のホームページはTOAFAECとして開いている頁だが、この両日の「文化」は記録に留めておきたくて、以下のように、次の3点の画像を入れさせていただいた。
・10月20日午後 秋の松音会(観世能楽堂・渋谷)「敦盛」を演ずる福原栄男氏(東京都社会教育主事)。
・10月21日昼 辰巳流舞踊会 清元「女太夫」を踊る辰巳徳寿(徳江紀子:和光大学)。
・10月21日午後 黒岩高明個展「少年時代に習い覚えた油絵を60歳になって再開し・・・」。
 *ちなみに黒岩高明氏は、私の旧制中学校から大学までの旧友。図書館情報大学の教授をしていた
  が、なぜか定年をまたず辞めて、いま終日、キャンバスに向いながら、ぜいたくな毎日を送っている。
  うらやましい老後。

第760号:2001年10月25日
◆歌の工房
◇紅葉の信濃路下れば秋の日に雲輝きて遠峯に富士 ―10月23日、飯田より帰る―
◇江南に香りそめたる桂花(くいほわ)を一枝折りて胸にさしたり
      ―10月12日、中国無錫・古竹山庄に泊まりし朝、ひそかに上海研究のスタート
       を祝って。桂花は金木犀、この朝も芳香を放っていた。―

第761号:2001年10月26日
◆歌の工房
◇友情を確かめあいて歩みきし五歳を重ねて幕開かんとす
    ―上海閘北区社区大学の新図書館、「小林国際交流閲覧室」の除幕式、10月10日―
◇海を越え友ら集いて語りあう「文人図書室」花咲かせたしと   
◇上海の若き娘ら老人の腕に手を添えさやけく笑う ―学生記者と記念撮影、10月10日―

第764号:2001年10月31日
◆歌の工房
◇「在日」も「帰国者」「不登校」われもまたともに歌いし「夏の日の贈りもの」
               ―夜間中学(墨田区立文花中学校)見学、音楽の授業、10月29日―
◇備瀬に遊ぶモンゴル娘は白き足を波にさらして浜を離れず ―伊江島をのぞみつつ、8月10日―

第765号:2001年11月2日
◆歌の工房
◇木彫のフクロウのごと首かしげ ただひたすらにものおもいたし −10月31日−
◇サフランの芳香に酔いしこの宵は パソコン閉じてワインに酔おう

第766号:2001年11月5日
◆<横山宏氏、急逝!>
 昨日夜、横山宏さんが亡くなられました。私は沖縄にいました。本づくりのことで、沖縄県教育センター長の高嶺朝勇氏を訪ねて、お願いの最中に内田くんからの電話で知りました。横に小林平造くんや近藤恵美子(中大・院)さんもいました。驚きました。10月に退院されて、病状も少し好転しているのではないかと推察していたのです。
 近藤さんに車を走らせてもらって、空港に駆けつけ、予定より早い便に間にあって、さきほど(5日20:00)帰りついたところ。メールやFAXがいろいろ届いていました。下記は上田幸夫さん(日本体育大学)からのもの。(略)
*横山宏氏・追悼ページ→■

第773号:2001年11月17日
◆<TOAFAECのホームページ>
 「風」の皆さんは、「ぶんじん」HPをご覧いただいたことがあるでしょうか。1997年11月16日から、ご来客のカウンター窓によれば、いま9,700人を超えました。もちろん自分で開くこともあり、またHP工事の折り、カウンターがまわることもありますから、すべてが「来客」とは限らないとしても、もうすぐ1万人。
 しかも最近は急ピッチで数字がまわっていきます。だが、その割には、まことに拙劣な、手づくりの画面ですから、いつも申しわけない思いです。しかし、たどたどしくてもいいや、ないよりはいいだろう、そのうち誰かが見かねて、きっと手を貸してくれるだろう、なによりも継続が肝心!などと自分に言い聞かせて、もう4年たったというわけです。
 とくに今年になって、石倉祐志くんから画像アップの指南があり、当方もデジカメを買いこんで、これまたたどたどしくHPに(肖像権のことを気にしながら)掲載しています。最近、訪れる客人の数が多いのは折りにふれての写真へのアクセスが多い、ようにも感じています。
 ところでつい数日前、11月初旬の沖縄本づくり編集会議に同行された近藤恵美子さん(中央大学・院)が、多数のスナップを撮り送付していただきました。あでやかな民謡歌手・我如古より子さんとのツウショットや平田大一くんとの写真は、近藤さん撮影になるものです。有難うございました。あわせて、画像の編集・処理のポイントについて何度もメールをいただき、恐縮しています。
 そして、感激したことに、HPそのものの「表紙」についても、おそらく見るに見かねて、次のような修正版づくりの案をいただき、送っていただきました。忙しいなか、まことに有り難く・・・。

第775号:2001年11月21日
◆戯れ歌工房
◇二年おくれ生まれし本よ「難産の子は育つ」とも言うではないか
    ―ようやく刊行した『世界の社会教育施設と公民館』、ひとりでワイン、9月1日―  
◇七十にならんとする日上梓せし本の記念にベネチァグラス  ―11月20日―

第777号:2001年11月26日
◆戯れ歌工房
◇はるか沖リーフに白き波くだけ陽光かげり秋の蝉なく       
      ―辺野古へ、平良研一氏の車で。こんな平安の浜にヘリ基地? 11月25日―
◇喧騒の都会のしじまに浜ひとつモンゴル人はここで泳ぎし ―那覇・波の上ビーチ、11月25日夜

第782号:2001年12月7日
◆戯れ歌工房
     ― 水仙の一束、ひそかに香る、12月4日―
◇顔あげてつつましく咲く水仙を金城次郎の壷に投げたり  
◇あるかなきか花の香りにわが萎えし頭ひととき蘇らんとす

第783号:2001年12月8日
◆<太平洋戦争から60年>
 今日は12月8日。あれから60年! ・・・ということは九一八の年から70年の歳月が経過したことになる。朝日は社説で「あの戦争が問う“いま”」と題して、満州事変から真珠湾に至る破滅への道、指導者たちの救いがたい独善と視野狭窄、当時のメディアを含めた無気力と大勢順応主義、のことなどを書いている。
 これらは、すべて遠い昔のことだ、と言い切れるだろうか、あの戦争から見えてくるこの国の「いま」。さらにこれからも問い続けていく必要を痛感する。

第787号:2001年12月17日
◆歌の工房
      ― 和光大学「社会教育論」最終日、12月14日 ―
◇「文字おぼえ夕日美し」読みあいて識字の講義終幕とする
◇すずやかに「目からうろこの落ちるよう」微笑みくれし学生のあり

第791号:2001年12月24日
◆<虚像の実像化、6年の歩み、第70回TOAFAEC研究会−12月21日夜、高井戸
 第1回研究会が開かれたのは1995年6月2日。6年あまりの歳月。詳しい経過は『東アジア社会教育研究』(1996年創刊)各号の研究会日誌やTOAFAECホームページに記録されている。正直、よくまぁ、ここまで来たものだという実感だ。
 当日、内田・事務局長が用意した資料は興味深いものがあった。これまでの『東アジア社会教育研究』目次を(各年次別でなく)テーマ別に一覧にしたもの。(1)各国(中国、韓国、台湾など)の教育改革・法制、(2)同じく自治体の社会教育・社区教育等の動き、(3)識字教育、夜間中学等、(4)沖縄研究・資料、(5)特論、先達の自分史、エッセイなど。毎号に必ず、中国(もちろん台湾も)、韓国、そして沖縄、東京・川崎等、つまり「東アジア」各地の報告を目配りして収録しようと努力してきた。こうして一覧になってみると、それがかなりの蓄積になっていることを確認できたのである。
 もちろん収録論文・訳文等は、玉石混淆、なかには歳月の経過とともに資料的価値を失っていくものもありそう。寄稿者の範囲もいま一つの広がりを持ちえていない。しかし、この研究会が今日まで継続し、『東アジア社会教育研究』が刊行されてきたことによって、生み出したもの、発見されたことも少なくない(と自負できる)。
 6年前には何もなかった状況から、何かを創り出す営みにチャレンジしてきた。単なるイデアだけに過ぎなかった虚像が、研究会と『研究』によって少しづつ実像化してきている、そんなが思いをもつことが出来た。ちょっと嬉しい70回記念の会であった。
 さて、これから、どんな歩みを続けることができるか。また歩みながら考えていきたい。

第794号:2001年12月29日
◆戯れ歌工房
◇福岡のまちは嬉しきわが顔の「七十に見えず」とお世辞をくれし −12月27日、師走、タクシー
◇疲れ果てし老人の顔しげしげと童女は見つめにこっと笑う  −12月28日、バス−

第795号:2001年12月31日
◆<今年も終わり・・・>
 ようやく大晦日、今年はあまりよくないことがあり過ぎた! その年がやっと終わろうとしています。福岡の隠れ家には、山の中腹の油山権現さまから、除夜の鐘が聞こえてくる日、そのときが待たれます。
 皆さまのご愛顧?を得て「風」もなんとか年を越します。この1年間、有り難うございました。本号で今年の吹き納め。来年またどうぞよろしくお願いします。もうすぐ800号。新しい年に期待をつなぎ、お互いに元気を出して歩み続けましょう。
 個人的には、5月にすぐ下の弟を亡くし、また最近、親しい方の思いがけない急逝にあい、失意の連続。年賀状はおろか喪中欠礼のご挨拶を出す気力も萎えたままの越年です。
 せめて「風」だけはと、なんとか吹き続けることが出来ましたが・・。年が明けたら、気をとりなおして、お詫びと御礼を申しあげるつもり。いろいろ失礼があったこと、ご容赦のほど願いあげます。では来年、また!

2002年
第800号:2002年1月10日
◆<パソコン不調>
 昨年来、パソコンのご指導(山口晃弘さん)、どうも有り難うございました。今年もどうぞよろしく。     
 その後のご報告。フロッピーの着脱が壊れた愛用のパソコン、今日ようやく修理にもっていきました。そのことを考えて、福岡から帰京して数日、バリュスターにすべてを移す作業をしていましたが、これがどうも調子がよくない。バイオのフロッピーディスクドライブをそのままバリュスターに使ったのが悪かったらしい?
 まずフロッピーの読みとりが出来なくなり、その直後から一時動かなくなり、何度か再起動しても、セイフモードに落ち込んで、なかなか回復しない。いま時間をおいて、機嫌をとって電源を入れたところ、いや、なんと動いてくれています。
 「年明け早々、山口先生にまたお出ましいただかなければならないのか」と暗然たる数時間でしたが、ようやく愁眉を開き、、ほっと一息ついているところ。しかし、なにか爆弾をかかえている感じで、小さなバイオで「風」などすべてのメール送発信をしています。そのうちまた一度お願いすることになるかも?

*(日誌)801号〜900号

                トップページへ