【南の風】発行リスト・ぶんじん日誌 
     −401号(1999年12月18日)〜500号(2000年6月15日)−

                      *南の風発行一覧
                      
                      *(日誌)301号〜400号


<目次一覧>
1999年

第401号【1999年12月18日】カイロからのメール、福岡・研究所発足など
第402号【1999年12月19日】川崎、東京、NPOと社会教育、にいなちゃん
第403号【1999年12月21日】日中研究交流協定書案、我家の網頁(HP)
第404号【1999年12月22日】学会・新理事会始動、小川利夫さんの短信
第405号【1999年12月24日】47回研究会報告、来年定例日は? 八重山通信(40)
第406号【1999年12月26日】2000年研究会の定例日、第5号編集計画
第407号【1999年12月28日】協定書送り、普天間基地移設問題(名護)
第408号【1999年12月29日】はしだのりひこ、今年ご苦労さま
第409号【1999年12月31日】1000年代の筆納め、よい年を!
2000年
第410号【2000年 1月 2日】明けましておめでとう! 沖縄へ
第411号【2000年 1月11日】与那国から寒い東京へ、カイロからのメール
第412号【2000年 1月 12日】第48回定例研究会、与那国からのメール
第413号【2000年 1月 14日】華東師範大学との協定書案、明日は新年会
第414号【2000年 1月 17日】パソコンの師匠、新年会・湘潭からの電話
第415号【2000年 1月 20日】臨教審答申から10年余、いくつか新メール
第416号【2000年 1月 21日】第48回研究会報告、酒壷を土に埋める
第417号【2000年 1月 24日】社会教育法50年研究、科研費報告書の作成
第418号【2000年 1月 27日】慶事あり! ホームページ二つ、青森から
第419号【2000年 1月 30日】沖縄県社会教育研究大会、次回研究会
第420号【2000年 2月 1日】第49回定例研究会、『松本市公民館活動史』
第421号【2000年 2月 3日】鎌田慧『日本列島を往く』、沖縄の公民館
第422号【2000年 2月 5日】小金高校のオープンスクール、「公民館の風」
第423号【2000年 2月 7日】定例研究会のこれから、和光大学・沖文研
第424号【2000年 2月 9日】2度目の誕生日、華東師範大学への書簡
第425号【2000年 2月10日】沖縄・平和の旅、ホームページ5000人!
第426号【2000年 2月13日】広州訪日団の日程、台湾訪問スケジュール
第427号【2000年 2月16日】科研費報告書原稿、社会教育法50年研究会
第428号【2000年 2月18日】職員募集案内、科研費関係原稿
第429号【2000年 2月20日】石垣空港選定問題、川崎市こども権利条例
第430号【2000年 2月22日】上海・合作学院の最近の動き
第431号【2000年 2月23日】中国・湘潭よりメール、八重山通信(42)
第432号【2000年 2月24日】上海・合作学院について、石垣空港2題・おまけ
第433号【2000年 2月26日】「これからの公民館」注文、3月研究会・会場変更?
第434号【2000年 2月28日】末本誠フランスへ、徳田球一「軌跡展」(名護)
第435号【2000年 3月 1日】上海合作学院、台湾訪問の準備、そして花粉症
第436号【2000年 3月 2日】沖縄研究の原稿まとめ、台湾・歌紀行
第437号【2000年 3月 3日】八重山通信(44)『隣人の素顔』、鐘清漢氏へ
第438号【2000年 3月 6日】全国青研、いくつか春の研究集会
第439号【2000年 3月 10日】SONYのVAIO、「公民館の風」を
第440号【2000年 3月 11日】NJSTAR? 八重山通信(45)、台湾へ
第441号【2000年 3月 18日】台湾が動いている、パリ通信(1)
第442号【2000年 3月 19日】中国・湘潭メール、八重山通信(46)
第443号【2000年 3月 20日】合作学院・最終文書、八重山通信(47)
第444号【2000年 3月 21日】沖縄・台湾訪問の記録、沖縄研修旅行
第445号【2000年 3月 23日】記念誌「徳田球一」刊行、パリ通信(2)
第446号【2000年 3月 24日】続・新石垣空港問題、遅ればせの49研究会記録
第447号【2000年 3月 25日】パリ通信(3)、訪欧計画、いま産休中
第448号【2000年 3月 26日】50回研究会記録、沖縄研究・原稿送付
第449号【2000年 3月 28日】パリ通信(4)、東アジア第5号編集委員会
第450号【2000年 3月 30日】異動です、あと2週間、久しぶりのあそび虫(16)
第451号【2000年 4月 1日】福岡から最後のメール、八重山通信(49)
第452号【2000年 4月 2日】八重山通信(50)、染井吉野が咲いている
第453号【2000年 4月 5日】「松花江上」記念館、「沖縄の公民館」シリーズ
第454号【2000年 4月 8日】月桃の花咲く・八重山通信(51)、安産を祈る
第455号【2000年 4月 9日】新平和祈念資料館開館、和光大学研究室移転
第456号【2000年 4月11日】フランス(パリ通信5)とイギリスからのメール
第457号【2000年 4月12日】台湾・留学生さがし、八重山通信(53)
第458号【2000年 4月13日】華東師範大学のその後は? レディング通信(2)
第459号【2000年 4月14日】新平和記念資料館問題、レディング通信(3)(4)
第460号【2000年 4月16日】第51回 TOAFAEC定例研究会、金子メール
第461号【2000年 4月19日】夕陽とビールの会、韓国行き日程
第462号【2000年 4月21日】識字問題への取り組み、台湾留学生へお願い
第463号【2000年 4月22日】韓国訪問、中国から戻る、タイに「里帰り」
第464号【2000年 4月23日】51回研究会記録、呉氏の電話、魯氏へFAX
第465号【2000年 4月25日】「松花江上」作者の故郷、パリ通信(6)「お久しぶり」
第466号【2000年 4月26日】パリ通信(6)-2「クルーゾのエコミュゼ」
第467号【2000年 4月27日】パリ通信(6)-3、夏の旅行プランを
第468号【2000年 4月28日】白保サンゴ礁センター、英国の地域博物館・通信(5)
第469号【2000年 4月30日】上海からの書簡、白保の公民館ーある回想
第470号【2000年 5月 2日】第52回研究会、フランス旅行計画末本案(パリ通信7)
第471号【2000年 5月 5日】レディング通信(6)、韓国訪問記録
第472号【2000年 5月 7日】第5号編集関連、レディング通信(7)、訪欧は?
第473号【2000年 5月 9日】国を越えて、レディング通信(8)、ソウルの空
第474号【2000年 5月11日】台湾の林郁慧さん、東京・社会教育の歩み研究会
第475号【2000年 5月12日】レディング通信(9)、岩本陽児・帰国日程
第476号【2000年 5月13日】旅行代理店inパリ、レディング通信(10)
第477号【2000年 5月15日】8月の訪仏案、「松花江上」をみんなで歌おう
第478号【2000年 5月16日】洸太郎くん、レディング通信(12)、科研費
第479号【2000年 5月17日】沖縄復帰記念日、子どもの権利条約ネットワーク
第480号【2000年 5月18日】第5号最終編集会議、8月訪欧案は…
第481号【2000年 5月19日】岩本陽児を囲む、黄金のサナギ・八重山通信(57)
第482号【2000年 5月20日】日仏研究交流の話、北海道いま桜満開
第483号【2000年 5月21日】52回研究会記録(鶴ヶ島の教育改革)、レディング13
第484号【2000年 5月23日】華東師範大学との協議書、訪欧日程決まらず
第485号【2000年 5月24日】旅行3案、大都市研、レディング通信(14)
第486号【2000年 5月26日】エジプトの公民館、レディング通信(15)
第487号【2000年 5月27日】訪欧に参加、TOAFAEC資料庫の棚卸し
第488号【2000年 5月30日】上海への対応、合作学院文書、今年の大都市研
第489号【2000年 6月 2日】訪欧メンバーの確定を、六・二三に向けて
第490号【2000年 6月 3日】英本土上陸の余力なし? エジプトへの誘い
第491号【2000年 6月 4日】蝶は空を飛んだ?「博物館行き」の図書館
第492号【2000年 6月 5日】訪欧(仏・独)計画、パソコン接続情報
第493号【2000年 6月 7日】ドイツ日程案、ドイツのパソコン接続(1)
第494号【2000年 6月 8日】ドイツ日程案(2)、パソコン接続(2)
第495号【2000年 6月10日】女児おめでとう! ドイツ日程案(3)、接続講座
第496号【2000年 6月11日】訪欧日程・パリ通信(15)、500号への独白
第497号【2000年 6月12日】青年団「ソウル市民1919」、風をどう吹く?
第498号【2000年 6月13日】仏ツアーの事前学習資料、新しく2人参加
第499号【2000年 6月14日】第53回研究会、事前学習資料ようやく開く
第500号【2000年 6月15日】久しぶりの北海道メール、八重山通信(59)


*(日誌)501号〜600号


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 南の風・ぶんじん日誌(401号〜500号)

第404号:1999年12月22日
◆<歌の工房>
 −新『これからの公民館』(小林編)に羅李争(上海)手彫りの印鑑を−
◇新しく編みし書ありてその白き扉に哲人の印を押したり
 −八重山から送られしパッションフルーツ−
◇パッションのエキスに琥珀の蜜そえて時代の矛盾甘く溶かそう
◇捨ておきし鉢にしたたか蕾あり寒風に咲くか紅き情熱

第405号:1999年12月22日
◆<TOAFAEC・定例研究会>
 研究会の定例化が実現し、1999年は1年順調に進んできて(いま一つ集まりがよくない回もあったが)、まずは成功というところでしょうか。その意味で定例の第3金曜日を固定していくことが課題かな、ひとつホームページに入れようか・・・、と来年の手帳を開いてみたら、1月から4月まで、学会の理事会や、和光大の行事や、つい引き受けてしまった山口・宇部の講演などで、第3金がみなふさがってしまっています。さてどうしたものでしょう。月は休みが多いので、火か水あたり(いずれも第3)に変更していただけないでしょうか。あるいは第4金曜日か。とくに事務局長など、中心メンバーのご意見を寄せて下さい。ぶ

第406号:1999年12月26日
◆<歌の工房>  −12月26日、油山−
◇主なき庭にしあれば小鳥らが主となりて熟柿食べおり
  −白樺はまだ生きている? 人の倒れしさまにも似て−
◇その白き幹折れしまま半歳を過ぎてほの白く夜に光れり 

第409号:1999年12月31日
◆<慶事あり、よいお年を>
 12月28日午後、息子夫婦に女の子が生まれた(横浜)。1月中旬の予定だった出産が、予定より2週間ほど早まり、まさに「案ずるより産むが易し」の喩え、安産だったらしい。私の初孫です。
 来年は、なにか佳きこともあろう、そんな予感を年賀状に書いたばかりなのに、今年中の祝いになりました。ちょっと嬉しい。
 これで今年の「南の風」は筆納めといたします。皆さん、この1年、有り難うございました。
◇ミレニアムともに迎える初孫に心づくしの花を飾らん −12月28日夜−
◇厳しくはあれど時代に生まれ来る春と生命に祝杯あげよう −12月30日夜−

第410号:2000年1月2日
◆<福岡から年頭ご挨拶>
 皆さま、明けましておめでとうございます。本年もまたどうぞよろしくお願いします。
 「南の風」としては、初めての新年のご挨拶です。昨年の正月は日本を離れ、イタリーを旅していましたので…。多忙をきわめた99年でしたが、新しい年はすこし余裕をもって、しずかに「風」を送りたい、ゆくっりした歩みのなかから、きっと着実なステップが刻まれていく、そんな姿勢を大事にしたいと念じています。
 1日元旦には、皆さまお出でいただき、遅くまでお付き合いいただき、有り難うございました。楽しいひとときのなかから、今年なにか「佳きこともあらん」という予感を味あうことが出来ました。
 いろいろと年賀のメールをいただき、有り難うございました。胡興智からは元旦未明に動画入りの「新年快楽」がとどき、こちらのパソコンも2000年を無事に迎えたことを確認することが出来ました。ここにご紹介できないのが、残念!
 明日から、沖縄です。与那国に渡り、それから本島へもどります。東京へ帰り着くのは10日か11日、それまで「風」はお休みです。

第411号:2000年1月11日
<正月フィールドワーク−半袖の与那国から寒い東京へ>
 正月の博多を出て、3日に石垣へ、そして最西端の島・与那国調査(5日間)、帰路は那覇から名護に寄って(各1泊ずつ)、10日、久しぶりの東京へたどりつきました。羽田からその足で横浜へ。年末に生まれた初孫(ほんとは沖縄行きなど止めて東京に帰ろうかと思ったぐらい)にもようやく2週間目に対面できました。また正月が来た気分!
 こんどの旅では、これまでにもまして毎日の夜が忘れがたいものでした。3日夜は石垣で鷲尾さん、渡慶次賢康さんとの語らい(鷲尾邸)、4日与那国に着いたその日が「ウラマチリ」当日、夜の「ドゥンタ」(皆で輪になっておどる、巻踊り)に加わり、翌5日は宮良保全翁(昨秋、地域文化功労賞)から久しぶりの聞き書きをし、帰る前日は比川集落の「ンディマチリ」(これらのマチリ「カンブナガ」は月末の「ンダンマチリ」まで25日間つづく、この間は肉類は食しない習わし)。そして毎夜、久部良の港にあがったばかりのカジキを楽しみ、さかんに呑みました。
 8日は石垣をへて那覇へ。飛行機が遅れ、心配した渡慶次さんが石垣空港まで来ていただき、幸いに新城知子さん(1月22日、東京公演)も駆けつけて、久しぶりの再会となりました。その夜、那覇では佐久本全、喜納勝代、名城ふじ子、平良研一、武田紀美子、上地武昭など、いつもの皆さんと「あんつく」で爆談?(話がはずみパピリオンには行けなかった)。
 9日夜は名護。島袋正敏、中村誠司、宮城満ほかの皆さん(徳田球一記念誌づくりのため訪沖中の渡部富哉氏など)と、与那国から持参した花酒60度を呑み、酔いにまかせて、沖縄「地域づくりと公民館」の本づくり構想を熱く語りあいました。今年、基地移設問題やサミットで振りまわされる名護、その地で来年にかけて、みんな元気が出るような本を創ろう、という話です。「やんばる」だけでなく、先島や奄美も視野に入れよう、「島袋正敏編」だ! と小生は力説してきましたが、酔っていた正敏さんは憶えているかしら?
 皆さまに歓迎していただき、有り難うございました。
◇南島のまつり「ドゥンタ」の輪に入り 童とともに手をふり踊る 
 −1月4日、与那国のウラマチリ−
  *与那国独特の巻踊り、焚火を囲み、ドラと太鼓で賑やかに祭りをしめくくる
◇祭り果て集いし人も酔いしれて 残り火ひとつなぜか悲しき

第412号:2000年1月12日
◆<歌の工房>      −1月5日、与那国・なんた浜−
◇海鳴りに落ちる夕陽と真向かえば我が身になにか期するものあり
 −1月6日、与那国町教委・社会教育主事の二人(東濱くん、崎元さん)と
  久部良岳(188m)に登る−
◇雲早く久部良の山に驟雨あり 芋の葉かざし坂駆けくだる

第413号:2000年1月14日
◆<歌の工房>
 −与那国・比川の浜ちかく、祭りの終わり、「ドゥンタ」に加わる(7日)
◇踊りの輪人みな微笑み手をつなぐ我を誘いしやさし老女よ
 −今年の小林ゼミ(和光大「地域と生涯学習」)はうまくいった!(12日)
◇この一年「短かった」「面白かった」 言い交わしつつゼミは終わりぬ

第414号:2000年1月17日
◆<2000新年会>
 15日、恒例の新年会は、60人近くの人が入れかわり立ちかわりやって来て、賑やかでした。例年になく、初めての参加者が多く、上海・華東師範大学の陸留弟氏や、韓国からは方玉順(中央大・院)や朴容琳(お茶大・院)さんなど、またそれに倉岡良枝さん(チェンマイ大学、いま子育て中)、大連から来た全英(大連外国語学院・日本語系講師)さん、学大OGの一条圭子さんや和光大学生の徳江紀子さんなども。しかし台湾からは誰も来ず、いまTOAFAECの活動は台湾との関係が弱くなっていることの反映でもありましょう。
 昼の部「グランメール」から帰ったみたら、留守中に中国・湘潭の朱榴芳さんから「今日は15日ですね、皆さんによろしく」と電話が入っていました。ああ、憶えていてくれたのか、と嬉しくなりました。
 夜の部は、最後に八朔友二(ふるさと・きゃらばん)、白井健二・樋口知子夫妻、山口真理子などの常連の皆さんが、しめくくりの歌をうたい、めでたく終了。今年は泥酔の輩もなく、子どもたちもやけに元気でいい年になりそうな予感です。準備・運営にあたっていただいた皆さま、お疲れさまでした。
◆<歌の工房>
 −年末に生まれた初孫に、息子たち夫婦は「真由香」と名付けた。祖父は、深夜、
  久しぶりに記念の硯を取り出し、墨をすり、秘蔵の香をたき、筆をとった。(16日夜)
◇贈られし硯と墨もて初孫の名を一筆に書き初めにけり
◇その墨の香るが如く真実と自由への思い静かに香れ

第415号:2000年1月20日
◆<風の新陳代謝?>
 小正月、あるいは「どんど焼き」が過ぎ、恒例の新年会も終わって、2000年も、ようやく普通のリズムに入ったような感じです。この数号は3日おきの発信となり、出来れば、こんなリズムで「風」も吹いていきたいな、と思っています。ちょっとゆったりした1週間でした。
 しかし、もともと急ぎ足の性格、また慌ただしく発信して、お騒がわせするかも知れず、そうならならないように心していきたい。ゆったりとした「風」にするためには、皆さんから頂いたメールの一部を割愛して、「風」に収録しないことをお許しいただければ可能なんです。あらかじめ、ご了承をお願いしておきます。
 実は本号についても数本のメールを割愛させて頂きました。お許し下さい。以下、久しぶりの文孝淑さんの便り、そして、新しい方からのメールをご紹介しておくことにしましょう。「南の風」も、すこしずつ新陳代謝の兆しか?

第416号:2000年1月21日
◆<紹興酒>
 この「風」を発信しているパソコンの前に、一瓶の紹興酒(瓶というより壷)が鎮座している。紹興の人、黄丹青さんより頂いたもの。もうずいぶん前のこと(10年前?)。あまりに壷が綺麗なので、それを壊して、中の酒を呑むことが出来ないのだ。
 今年の新年会に来てくれた黄丹青さんから、また酒壷(名酒・加飯酒)をいただいた。こんどは私の初孫のために。中国では、女の子の誕生を祝って、酒を土に埋め、その子が嫁ぐときに土中より取り出す習わしという。(おいしそうなので、実は今呑みたい?)
 福岡・油山の庭の、白樺と海老根蘭の間に、大事に埋めることにしようか。これを取り出すときに−少なくとも今から20年後だ!−、おそらく私はこの世にいないだろうが・・・。

第417号:2000年1月24日
◆<新城知子さん歓迎>
 1月23日夜、上野・風月堂3階レストランで、八重山芸能特選・東京公演のため上京された新城知子さんを囲む会を開きました。八重山・公演(22日午後、日本青年館ホール)は立ち見も出る盛況だったとのこと。(小林は和光大学・石原教授・最終講義と重なり、参加できず。)
 当夜は、急ぎの案内にもかかわらず、群馬から稲葉さん(手打ちの蕎麦と饅頭持参)、石川敏さん、八重山から鷲尾雅久さん、それに山口真理子さん、そして新城知子さんと小林。楽しい語らい、温かい夜でした。 

第418号:2000年1月27日
◆<二つの風>
 今年に入って、「南の風」は2〜3日おきの発行が定着し始めましたが、「公民館の風」の方が、ここ数日は毎日の発行となっています。それだけ来信の頻度が多いからです。
 また新しい傾向として、公民館や自治体社会教育に関する情報は「公民館の風」に収録することとなり、それだけ「南の風」は私的メールの性格をもつようになって来ました。風は「公的」か「私的」か、という昨年来の論議を思い出しています。自然に、動きのままに、ゆっくりと吹いていきたい、というスタンスで参りたいのですが・・、さてこれからどんな具合に推移しますか?

第420号:2000年2月1日
◆<うた二つ> −1月29日〜30日 松本へ
◇ひたすらに地域と出会う楽しみを語りてやまず若き学究
◇山は雪野は枯れ果てて信州の村に灯りの遠くまたたく

第421号:2000年2月3日
◆<沖縄の公民館・シリーズ>
 別通信「公民館の風」に、この間「沖縄の公民館」の連載をしています。…略… 「なかなか面白い」とか「ぶんじんさんでなければ書けない」とかお世辞をいう人もあり(わずか2人です)、この機会にリストを紹介しておきます。いま10号まで出ています。
 話題はいろいろあり、これからも続きそうです。100号ぐらいまで継続して、そのうち本にでもするか、といつものように夢をみています。 
 <沖縄の公民館>シリーズ一覧:
(1) 名護東海岸の集落と公民館・その1(第6号)、(2) 〃 ・その2(第8号)、(3) 集落公民館と公立公民館(第9号)、(4) 読谷村中央公民館、その閉館行事(第10号)、(5) 再び東海岸へ、久辺地区(第12号)、(6) 名護市の集落公民館(島袋論文)(第14号)*地域史(字誌)、(7) 地域史づくりの潮流(第17号)*楚辺誌、(8) リュウキュウ・アユを呼び戻す運動(第18号)、(9) 読谷村字楚辺公民館発行『楚辺誌(民俗編)』紹介(第23号)、(10)集落の公民館と図書館(第26号)、(11)竹富島の公民館・竹富島憲章(次号予定)
◆<うたの工房>−1月31日、卒論発表会−
◇若きらの色とりどりの論文を 読みて疲れし六十八の冬
◇「先生は不思議な人」とひとことを 末尾に書きしナウな学生

第423号:2000年2月7日
◆<和光大学・沖文研の立ちあげ>
 1999年度「小林プロゼミ」(1年)で沖縄問題に出会った学生たちが、継続的に沖縄への関心を深めていきたいというので、学生中心の研究会を始めることになった。名称は、法政大学に対抗するわけではないが、「和光大学・沖縄文化研究会」(沖文研)にしようということになった。「社会教育」の関心だけではないので「文化」にしようというわけ。
 大学はもう春休みに入ったので、実質的には4月新学期から始動することに。うまく継続していけるか(案外と学生の関心は流動的だから)、とりあえずはTOAFAECの皆さんからの今後のご指導などお願いしたい。
 4月からは、3人の留学生が研究室に入ることになった。中国人1名、モンゴル人2名。いずれ皆さんにご紹介する機会が来るでしょう。

第424号:2000年2月9日
◆<3年目の南の風>
 先号で書くべきだったのですが、2月6日は「南の風」の誕生日でした。1998年の発足、それから2年間が経過。今日までのご愛顧?有り難うございます。
 2年で通算423回、やはりこれは吹きすぎですね。旅行中の中断もあるのに・・。とくにこの1年、ときには図に乗って、ほとんど毎日吹いた月もありました。
 この間には別に「公民館の風」が30号。「南」と比べると、かなり長文のものがあり、1週間に1回程度のリズムで始めているのですが、最近は2〜3日おきの発信となっています。「南の風」のように騒がしくならないように心していきたい、と思ってはいるのですが・・・。
 しかしこの夏、大学からの在外研究(ヨーロッパ)が決定、出発の7月初旬で二つの「風」は一応休止となりましょう。まずはそれまでのお付き合い、よろしくお願いします。とりあえず3年目を迎えてのご挨拶まで。
◆<ホームページへの来客5000人>
 3月TOAFAEC定例研究会などの追加記載の必要あり、ホームページへの書き入れ・補修をしたところ、今日(9日)の段階で、ホームページを訪ねていただいたお客さんの合計が4997と出ました。もうすぐ5000の大台にのります! 補修・工事の際などは自分でページを開く必要があり、この数字すべてが来客総計とはなりませんが、それでも嬉しい。有り難いことです。5000人目の方には、記念品でも贈りたい気分。といっても、この「風」が届くころにはもう遅いかも知れませんが・・・。
◆<うたの工房>−2月6日、南の風・誕生日−
◇デンドロビウムそのほほえみよ 一輪の開くそのときほのかに香る
◇花々に囲まれて打つ風メール 冬の夜風よ香りをも運べ

第426号:2000年2月13日
◆<3月・台湾訪問の日程案>
 台湾行き(第5号執筆者の発掘と遊び・交流)メール上での打ち合わせです。同行のご希望あればもちろん歓迎! 3月9〜11日沖縄、12〜16日台湾の計画案(第1案)は、10日の和光教授会(休まない方がよい議題が出てきた)関係で、沖縄は次の機会にして、台湾だけにしぼる方向も考え始めています。したがって第2案:3月11日台湾へ、16日(あるいは17日)東京着 第3案:3月11日沖縄へ(名護と那覇へ。与那国「四つ波塾」聞取り)、3月13日沖縄から台湾へ、17日東京着一両日中に決定したいと思います。ご意見、ご都合をメール下さい。
◆<うたの工房> −2月12日−
◇宮参り祝いの酒に酔い痴れてみどり児ととも昼寝楽しむ

第428号:2000年2月18日
◆<科研費・沖縄研究グループへ>
 科研費・会計事務処理について今年度は2月末までに終わるように強く求められています。和光大学・研究室・事務棟移転のためです。予定通り進まなければ事務担当・小林としては苦しい。原稿枚数など揃わなければ、見積もりもできなければ、支払いし領収書をとることも出来ぬ。科研費グループの皆さま、なにとぞご協力を!
 各位の事情もありましょう。予定通りには進まないにしても、1日も早くお願いします。(福岡にて ぶんじん)
◆<うたの工房> −2月17日−
◇冬の夜は人恋しくてひたすらにメールボックスの扉をたたく

第430号:2000年2月22日
◆<上海の合作学院構想>
 1994年秋、上海市第二教育学院(当時)から招聘されて上海に滞在中のある夜、社会教育関連の学校を創ろうという話しが始まりました。計画は、同市閘北区(上海駅などがある中心区)「業余大学」(現在は「社区大学」に改名、「東アジア社会教育研究」第4号、王論文参照)との合作事業プランとして進行してきました。
 当初は、かなり意欲的に建学の理念など意向書に書きこみ、調印もしたのですが、その後紆余曲折の経過あり、思いもかけず、もう5年をこえたことになります。
 合作の学校名は「中日文人学院」。これは固辞して、現在は「上海市宏文進修学院」という名称で、計画はいま最終段階に来ているように思います。開学した場合の三階建て校舎も予定されているのですが、中国側の話はゆるゆるとしか進まず、昨年後半はまったく音沙汰なし。せっかちな日本側は「その後、どう?」などとメールを出したところ、羅くん(東京学芸大学・院卒、華東師範大学に就職、しかし現在はフリー)からようやく返事がきました。
 メールに添えて、合作学院関係の定款・契約等の文書案文が、中国語・日本語バージョンで送られてきました。主要な修正個所は、(1)新学院が中国側業余学院の「付属」ではなく「独立」学院であることに伴う表現上の変更、(2)出資の円の為替レートの変動に伴う数字・%の修正、(3)教育内容について日本語と関わる技術関係の強調、(4)上記の表現上の調整、です。
 これについて、こちらから出した返報(略)。関係の方々のご了承をお願いしたいと思います。今後のこともありますので、あわせて「南の風」同人の皆さまにもご紹介しておきます。(ぶ)

第431号:2000年2月23日
◆<花粉症は?> 今年は、花粉の飛ぶ量が多いと聞かされてきたが、なぜかまだ症状が出てこない。発症して、もう10年前後になるが、2月下旬になっても平気なのは初めて! だからビールもワインも美味しく、毎日がいい気分、上機嫌なのであります。老化して、鈍感になったのかな?

第432号:2000年2月24日
◆<ボヤンバートル送別会>  いま23日23:00、ボヤンバートル(内モンゴル出身、和光大学研究生)送別会から帰ったところ。3年の日本滞在を了えて、25日に帰国する。別れの会には、東京在住のモンゴル人が集まり、川崎からは伊藤長和さんも駆けつけていただいた。馬頭琴も心なしか悲しい。ボヤンバートルよ、一路平安! いい仕事をしてほしい!

第434号:2000年2月28日
◆<泊まれます>  かねて懸案のTOAFAEC事務所をもつ夢は、ついに実現できそうにありませんが、あふれた本や家具・雑器などの収納用に隣りの小さなマンション1室を借りました(2月より)。1DK、もちろんバス・トイレ付。空間的にせまいことを苦にしなければ、1〜2名までは泊まれます。5〜6人の会合も可。井頭線・西永福下車、徒歩5分、場所的に便利がよく、いつ来ても自由に泊まれることがまぁまぁの利点。ご遠慮なく利用して下さい。

第435号:2000年3月1日
◆<花粉症・発症!> 昨日午後から夜にかけて、めでたく?発症! 例年通り不機嫌な毎日となりました。昨日は年度末の成績提出の最終日だったのです。風は強く厳しく、それでもいい気分で駅から大学まで、鶴見川河畔を往復しました。やはり敏感に花粉に反応しらしい。なんとなく納得して、いま連続のクシャミを楽しんでいます。
 それにしても例年は2月中旬から症状が出ていましたから、今年はほぼ半月は助かった勘定。昨夜からは見事にワインがうまくない! 今年は花粉が少ないという情報の福岡に退避するか、鷲尾さんのお勧めのように沖縄に飛ぶか。11日からの沖縄〜台湾行きが、急に待ちどうしくなりました。

第436号:2000年3月2日
◆<台湾・歌紀行(鳥塚義和さん)>
 10日ほど前に鳥塚義和さんから、「日本近現代史・教材・授業づくり研究会ニュースレター:共生への実践」が送られてきた。一つは私たちが鳥塚先生と出会うきっかけになった例の「松花江上」についてのレポート(「松花江上」と「家在山那辺」−二つの望郷の歌)、あと一つは、台湾の民衆に歌いつがれてきた抗日の歌「一羽の鳥がチュンチュン」についてである。この歌は「一羽の小鳥が夜半空を仰ぎ、帰るべき巣がない悲しみを嘆いて鳴くようすを表しているが、その背後に抗日の思いがこめられている」という。
 添えられた手紙では、1月に台湾の取材旅行に出かけ、歌教材の取材・発掘にあたられたとのこと。ご苦労さまです。しかし面白いテーマだから、きっとまたいい教材に結実することでしょう。
 あわせて「台湾の方(できれば年輩の方がいい)に取材したいのですが、現在、日本にいる方でどなたか紹介」してほしい旨の依頼があった。「二つの歌がどの程度、一般民衆に知られているのか、調べてみたい」とのこと。
 若い人でなく「できれば年輩の方」となれば、さて誰だろう?
 しばし考えた。急に思いつかない。そのあげく、そうだ、この機会にながくお会いしていない鐘清漢さんに頼んでみよう、と思いついた。鐘先生は、教育社会学の専攻、おそらく1928年の生まれ、来日されたのは1960年前後か。台湾師範大学?を卒業された後、東大教育学部に留学、その後は川村学園女子大学で教鞭をとりつつ、アジア文化研究所を主宰されてきた。
 久しぶりの電話で、お互いに昔のことや、最近の台湾からの留学生・何怡萬(中大卒ー学大院)のことを話しあい、楽しいひととき。鳥塚さんの「台湾・歌紀行」はFAXで送っておきました。

第438号:2000年3月6日
◆<岸和田だんじりと青年団>
 上野さんメールは、嬉しいような、こわいような話。全国青研は、私も20年来付き合ってきました(88年頃からは花粉症の季節と重なり、助言者としてあまり楽しくなく、数年前に辞退した)。その間、何度か「だんじり」の岸和田・青年団が分科会に参加してきた記憶はありますが、渋谷くんと交わした議論などまったく忘れています。しかし若い彼は、そのときの(16年前の)言葉を今でも憶えているという。こちらは、助言者としてその場の課題や雰囲気に即し、ときには論議の流れに迎合して、あれこれと(乱雑に、無責任に)発した言葉が、受け取る側では重く残っているわけですね。いい効果を残していれば救われますが、逆の場合もあるわけで、深く傷つけていることもきっとあるに違いない。
 若い世代と向き合うことを心がければ、それだけ言葉の刃も多くなる。これまで学生とのいろいろな付きあいのなかで、いまでも悔恨として記憶の淵に深く残っている場面があります。「あの言葉は言うべきでなかった」と。しかし心して傷つけまいと慎重になると、それだけ対話が少なくなる。だからついつい、ときには無理にしゃべることになる。教師とはつらい仕事だ。

第440号:2000年3月11日
◆<沖縄から台湾へ>
 いま3月11日未明、朝一番の便で沖縄へ飛び、2日滞在して、台湾へ渡ります。朝はつらいけど、なによりも花粉舞う東京から出て、海を飛ぶことが嬉しく、ウキウキしてこの「風」を皆さまに送っています。
 今日11日は名護。午後2時から「徳田球一記念事業の催し」(名護市中央図書館)、夜は徳田『記念誌』出版祝賀会の予定。
 明日は那覇にもどって、午後(与那国出身の)波平真吉氏から戦後初期の青年運動や「四つ波塾」などの聞き取り(沖縄県教育庁生涯学習振興課にて。息子さんの波平真允・社会教育主事が待っていてくれます。)夜は楽しみ。19:00前後、国際通・松尾の「ホテル・ニューオキナワ」1階ロビー集合。「あんつく」かどこかでみんなで食事をしましょう。佐久本全さん、喜納勝代さん、名城ふじ子さん、おそらく平良研一先生などが来てくれます。上地武昭さん、山城千秋さん(福岡かな?)、棚原くん、鳥山淳さんなど皆さん、ぜひお出かけ下さい。久しぶりにお会いしましょう。食事のあとは「パピリオン」に繰り出しましょう。
 3月13〜17日は台湾。しばらく「南の風」はお休みです。  

第441号:2000年3月18日
◆<台湾から帰国して>
 3月11日朝一便で羽田を出発、沖縄(名護、那覇)を経て、台湾(台北、台中など)訪問、昨夜(17日深夜)無事帰京しました。せっかくの機会なので、もっと滞在したかったのですが、今日18日は和光大学卒業式、厳しい時代に船出していく皆さんに励ましの言葉を贈りたく、沖縄経由の最終便で帰国したのです。
 旅はもちろん疲れますが、収穫は多く、今後に向けていくつもの課題、そして明るい展望を実感することが出来ました。同行の内田純一・染谷美智子(和光大学)のお二人、お疲れさま。
 沖縄では、徳田球一「軌跡展」と「記念誌」発行を祝う講演会と祝賀会(名護)への出席、与那国・波平真吉氏「四つ波塾」等の聞き取り(那覇)と関係者との楽しい交流。
 台湾訪問の目的は、この間のTOAFAEC活動において台湾の比重が弱くなったことへの反省(たとえば「東アジア社会教育研究」第4号では台湾からの報告を一つも収録できなかった)から、これまでの関係を確かめつつ、新しいパイプをつくり、とくに最近の社会教育・生涯学習関連の動向を探ろうというもの。「教育基本法」制定(1999年、全17条)、終身(生涯)学習法案、家庭教育法草案、社区大学設置輔導弁法草案などを入手できました。関連してだいじな話も聞き、また台北市社区大学の新しい試み(現在2例)にも実際に触れてきました。法案などは、重要なところを日本語に訳出して(まわりに台湾からの留学生などご紹介下さい)、この「風」にも紹介し、もちろん秋の「第5号」に収録していきたいと考えています。
 台湾は、総統選挙だけでなく、教育改革も元気よく活溌に動いているという実感をもちました。さて、選挙はどうなるか? いま伝えられる速報では、野党の民進党が優勢、国民党が政権を離れる歴史的な年になったようです。台湾海峡の波も騒々しくなることでしょう。

第443号:2000年3月20日
◆<合作学院「宏文進修学院」についての考え方>
 上海市閘北区業余大学・袁允 台湾訪問中に上海からの合作学院「宏文進修学院」最終文書3通(王鴻業・学長の公印つき)が袁さんの手紙を添えて、届いていました。小生も妻も留守のため、ようやく先ほど配達されました。こちらの日本語訳は最終的に確定したかたちになっていませんが、上記・羅李争メールのように「後にしてもいい」、また「これは手続きのため」(袁さんの手紙)とのことですので、明日、小生のサインをしてお送りすることにします。
 今回の最終文書案については、この間、磯守(南の風432号)、胡興智(同439号)のお二人や、紹興に帰っている黄丹青さんから電話で、いくつかの疑問が寄せられました。共通するところは、学院の性格が、初期の理念からかなり変更され、「教育内容が狭くなった」「ただの職業訓練校ではないか」というものです。この意見については上海のお二人には伝えてあります。
 袁・羅のお二人からは、この文書は、まずは「学院を成立させる」ためのもの、成立後は「学院の教育内容を増やすことは出来る」(南の風434号)などの返事をいただきました。
 小生としては「南の風」430号に書いた通り、上海の二人の判断を尊重する、これまでの歳月と最終文書にいたる経過から見て、この段階での文書修正は無理であろう、しかし合作学院の基本的な性格は変わってないと判断して、合作学院の構想を撤退するのでなく、成立する方向でサインをしよう、可能な範囲での新学院の新しい実験と挑戦の可能性を(止めるのでなく)開いていこう、と考えた次第です。
 上海のお二人とご心配いただいた諸兄姉(多謝!)のために、あえていくつかのことを書き添えます。
(1)自由で伸びやかな学校づくりの理念(初期・意向書の「学院の性格と趣旨」とくに3−1997年3月31日、王鴻業校長と調印済み)を忘れないでほしい。
(2)新しい学院の発足が確定した段階で、北京の韓民氏を含めて、新学院としてどんな役割があり得るか、(日本語教育とコンピューター訓練以外の)可能性に挑戦する論議を重ねていきたい。
(3)少なくとも5年、できれば10年前後の継続性をもちたい、その視野で「新しい学校づくり」に努力していきたい。 小生としては、やはり一つの実験学校の試みだ、そうありたい、と願っています。今後ともご意見、ご協力のほどどうぞよろしくお願いします。

第445号:2000年3月23日
◆<松本合宿>
 本来は2日前に発送すべき本号、Al-Mail を開いて“送信”する数分の作業を失念して、学生との年度末・ゼミ合宿(松本)に出かけてしまい、少し遅れた「風」になってしまいました。お許し下さい。
 松本は、まだ冬の冷気が残り、アルプスの峰が白く輝いていて印象的。しかも花粉症にはかえって好都合で、おいしく酒を呑みました。2日目には、里山辺地区「朝鮮人・中国人強制労働調査団」の近藤泉さん(ご存知、和光大学・松本研修センター管理人)のお話を聞き、松代大本営跡に匹敵する里山辺地区「地下工場」跡にもぐり、その厳しさに一同粛然とした思いで帰ってきたところです。

第446号:2000年3月24日
◆<二つの風、これから>
 早いものでもうすぐ450号です。恒例のアドレス帳の整理をいたします。「公民館の風」も吹き始めましたので、二つの「風」にご参加の諸兄姉には、できればどちらか一つをお選びいただければと思いますが、いかがでしょうか。もちろん両方を送れというご希望であればその旨をお寄せ下さい。また通信の双方向性を一つの原則にしていますので、リードオンリーの方で継続希望の方もご一報下さい。
 451号より新しいアドレス帳で送信したいと考えています。「南の風」は出来れば30名前後の線を超えないようにし(送信者の負担もあり)、しかし「公民館の風」はしばらく拡大の方針を続けて(現在34名)、そのうち出来ればどなたかに交代して頂ければ有り難いのですが…。
 7月から在外研究のためしばらく日本を離れますので、その間「南」は休信するとしても「公民館の風」は続けていけるのではないかと思うのです。ご検討いただけないでしょうか。あるいは「南」も継続できれば面白い。たとえばTOAFAEC事務局などで発信していくことなど出来ないものでしょうか。(ぶ)

第447号:2000年3月25日
◆<夏の訪欧計画ーパリ・末本誠さんへ>
 訪欧の計画、そちらがまだ(パリで)落ち着かないだろうからと遠慮していました。と言っても、こちらで具体的に計画が進んでいるわけでもありません。これからです。小生は短期の在外研究、7月10日前後にドイツに渡り9月中旬に帰国(後期の授業を担当)予定ですが、滞在中の細かいことはまだ決めていません。
 夏休み、有志でどのあたりのスケジュールで、どんなメンバー(何人ぐらい)で訪欧するか。一応の案として日本から来るメンバーは夏の全国集会後の1週間(8月末から9月初旬)あたりではないか、と思われます。
 車で動く見込みはどうですか? それによって人数も限られましょう。一応の日程と経費などを決めて呼びかければ、希望者は多くなる予感もあります。そちらの事情もあることですから、むしろ規模(人数)と経路など、こんな案ではどう?などの案を示してもらった方が具体化するように思いますが・・。
 もし可能ならば車で(普通の旅ではあまり行かない)フランスの中小都市・農村などをまわることが出来れば、というのが小生のやや虫のいい一つのイメージです。

第449号:2000年3月28日
◆<南の風の皆さんへ−夏のヨーロッパ旅行>
 末本パリ留学を好機として、かねてより訪欧計画を話題にしてきましたが、「風」447号・パリ通信(3)のように、約1週間(ないし10日)の日程で夏の全国集会後9月初旬を第1案にして、スケジュールなどの検討を始めています。旅行の規模をどの程度にするか、参加者は何人ぐらいになるか、「南の風」の皆さんのご希望はどうでしょうか。バカンスの関係で宿の予約を早めにする必要があるらしく、関心がおありの方のご意向をお寄せ下さい。
 鹿児島の岩橋さんが、6月にエコ・ミュージアム・ツアーを組織して、フランスへ行く計画をもっているそうで(末本情報)、どのようなやり方なのか、尋ねてみたいと思っています。
 いまのところ、上記「風」に書いたように「もし可能ならば車で(普通の旅ではあまり行けない)フランスの中小都市・農村をまわることが出来れば」というのが小生の一つのイメージです。あわせて、この時期に小生滞在中のドイツをその前後に数日経由する案や、また少し飛躍しすぎですが、「ヨーロッパに滞在しているのであれば、ぜひエジプトを1週間程度訪問してほしい」というアーデル君(カイロ大学)からの誘いもあります。
 日本の夏のバカンスが2週間ぐらいとれるのであれば、1週間フランス、数日ドイツ、数日エジプト、という日程を組むこともあり得るかと思いますが、とても無理でしょうね? さしあたり、フランス1週間程度の計画について関心をお持ちの諸兄姉の意向を寄せていただければ幸い。     

第451号:2000年4月1日
◆<4月・花の季節>
 弥生、花の季節がやってきました。かって小金井・研究室の年中行事としては「花見」の会が賑やかでした。隣人・フルサトキャラバンとの合同の会でした。最近、ある卒業生から、また参加したことがある市民からも「まだ花見が続いていますか?」と問われましたが・・、いや、最近は皆忙しい、花を見る余裕などないようです、と答えておきました。皆さん、筆を捨てて、野に出よう! 花を見れば、きっと仕事もすすむ?

第453号:2000年4月5日
◆<TOAFAEC所蔵資料について>
 東京学芸大学時代からの沖縄研究調査報告書や識字マップ資料なども含めて、1996年発足以降の『東アジア社会教育研究』(1号〜4号)等のTOAFAEC関連・所蔵資料がかなりの分量になります。現在、和光大学社会教育(小林)研究室に山積みになっています。
 この3月に竣工した和光大学・新研究棟(10階建て、小林研究室は9階)へ旧研究室から引っ越しする際、実は段ボールへの梱包など、たいへんでした。TOAFAEC関連資料ですから、皆さんの応援を求めることを考えたのですが、みな忙しいようなので、遠慮しました。
 この機会に、所蔵資料のうち頒布可能の資料リストを作成し、「南の風」で紹介して、在庫を少しでも減らし、TOAFAEC会計に多少でも寄与する努力をしてみたいと考えています。その際は、ご協力をよろしくお願いします。

第456号:2000年4月11日
◆<ビールつくり>
 昨夜、懐かしい男からのメールが飛び込みましたので、「風」に紹介したくなりました。岩本陽児さんは九州大学・院(博士課程)から英国レディング(ロンドン西方、すぐ近くの都市)に渡り、その後(小生が筆無精のため)音信が途絶えて、心配していました。元気そうで何より。ニアリ氏(当時、ニューキャスル大学)一家が、福岡・油山の小林宅に一時住んでいたとき、あの家の一室で、本格的なビールつくり(イギリスではよくある話)に挑戦しました。実は約半年の別荘提供の条件は手づくりビールの醸造(密造?)。これが大成功!
 みな感激して、夏の一日、油山の庭に集まり、ビール・パーテイをした日のことを想い出しました。岩本くん、この夏、小生は2ヶ月半ほどドイツに遊びます。ぜひ会いましょう!(ぶんじん)

第459号:2000年4月14日
◆<岩本陽児メール>
 「南の風」は、いつも「長すぎる」「毎日来て困る」などの声を耳にしますので、留意しながらゆっくり発信する努力をしていますが、八重山からもヨーロッパからも、相次ぎのメールが届き、まさに嬉しい悲鳴!
 岩本メールは、久しぶりの音信だからでしょう、長文なので、面白い内容ですがやむなく「中略」させていただきました。お許し下さい。
 ホームページ「英国の博物館」(岩本・レディング大学田園生活史博物館)を開いてみると、これはまさに力作!
 日本語バージョンの興味深い制作、岩本君「こんなことやっていたのか」という思い、再会の喜びを感じました。「南の風」は、沖縄・東アジアをキーワードに出している私的(仲間うちの)通信ですが、この春から突然に「ヨーロッパの風」が吹いてきて、やや異常気象。しかし、各地から寄せられるいろいろな風を大事にしていきたいと(あらためて)思います。
 岩本君へ。あまり張り切らないで下さい。長文でなく、短信を送って下さい。もし「南の風」に載せないでほしいものは、その旨を付記して下さい。(ぶんじん)

第470号:2000年5月2日
◆<歌の工房> 
    −息子家族が遊びに来てくれた午後、4月30日−
◇エンジェルの微笑みこぼす初孫を抱けば心は天国に遊ぶ
◇わが指をかたく掴みし紅葉の手失せし歌ごころ呼び戻すごとく

第471号:2000年5月5日
◆<歌の工房> 
       −5月3日− 黄宗建・金済泰両氏と
◇過ぎし日の栄光語るはれやかな顔「展望」は苦渋に沈む
       −5月4日−
◇旅のおわり生ビールうましふるさとの夜景うつくし白樺うれし

第472号:2000年5月7日
◆<歌の工房> 
         −5月2日、アサン(韓国)、黄宗建氏と−
◇「朋遠方より来る」「一年待ちつくした」と長老杯あげ給う
        −5月4日、油山、白樺死なずエビネ蘭咲く−
◇夜の底に幹の白きと花の黄とほのかに光るわれを迎えて

第473号:2000年5月9日
◆<歌の工房> 
   −5月2日、ソウルの空(機上にて)−
 はじめて韓国を訪れたのは1980年2月、寒い日であった。当時の韓国はまだ戒厳令下、深夜の外出禁止の時代。その日のソウルは凍りつき、漢江(ハンガン)の岸辺は白く凍結していた。降り立った金浦空港では、大学教授であるが故に厳しい身体検査を受けた。それから20年を経過して、いま…・・
◇とうとうとソウルにうねる漢江よいまは優しき五月風に光る
◇いつの日かイムジン河越えこの空を北帰鳥とともピョンヤンに行かん

第478号:2000年5月16日
◆<沖縄研究・最終年>
 今年度の文部省・科学研究費(テーマ:沖縄社会教育の地域史研究)交付が確定いたしました。3年継続研究の最終年、今年はまとめの年。科研費の額は少ないのですが、せっかくの公費、有効に、最大限に活用し、なんとか頑張って、成果に結びつけたいと思います。
 この2年来、沖縄研究に参加しているメンバーは、小林文人(和光大学)、末本誠(神戸大学)のほか、松田武雄(九州大学助教授)、小林平造(鹿児島大学助教授)、上野景三(佐賀大学助授)、それに平良研一(沖縄大学教授)、比嘉佑典(東洋大学教授)、中村誠司(名桜大学助教授)、事務局的に内田純一(東京都立教育研究所研究主事)、山口真理子(調布市図書館)などの皆さん。
 もう12年前になりますが、小林・平良(沖縄大学)共編『民衆と社会教育ー戦後沖縄社会教育史研究』(エイデル研究所)を出版しましたが、これに参加した当時の若き俊英たちは、いまはもう学会の中心的メンバー、どんな成果にまとまるか、楽しみです。
 沖縄社会教育研究をまとめて、あと1冊の本をつくるのが小生の悲願です。果たして実現するかどうか・・。皆さま、ご声援を。

第480号:2000年5月18日
◆<2000夏・訪欧計画、いよいよ…>
 日程が8月変更(風477号)であれば、九州の農中くん(学大卒、養護学校教諭、大牟田在住)は参加する可能性ありとのこと。電話で確かめたところ、行く意志ありと。もし出来れば、知的障害児の学校を一つは見たい・・・ような気配でした。
 内田くんとは、今年の「全国集会」は思いきって不参加とし、8月下旬(21日以降)で計画をたてようか、などと話しをしています。あるいは8月上旬とする案もありましょうが、下旬の案でまずは計画を進めるというのではどうでしょう。他の皆さんからの(そろそろ最終的な?)意向をお伺いしたい。 

第482号:2000年5月20日
◆<スイス娘>
 杉並・永福の隣りのマンションに、あふれた本と衣類などの物置がわりに1室を借りて、せまいながら、いつでも1〜2人は泊まれるようにしていた。しかし、日本滞在中のスイス娘(ジュネーブ出身)ユリに2ヶ月ほど提供することになり、若い娘に占拠されてしまった。この部屋には、しばらくは本も見にいけない。

第483号:2000年5月21日
◆<和光大学・9階研究室>
 和光大学・研究室が新しくなって、西向きの窓から沈む夕陽が何とも美しく、「夕陽とビールの会」と称して研究室お披露目の集いを毎週企画してきました。先週13日(土)は研究室を巣立ったOB/OGの会、今週は上掲・TOAFAEC研究会。わざわざ夕陽にあわせた時間に設定し、先週は約30人、今週は約15人、それぞれに盛会だったのですが、雲重く昨夜は雨も降って、肝心の夕陽はまったく顔を出してくれませんでした。和光大のせいではないにしても、申しわけない。また、そのうちテーマを設けて、「夕陽とビールの会」を企画しましょう。
 さしあたり(小林研究室ではなく、大学・学部の主催、しかし実質的には「ぶんじん」企画)予告風にご案内しますと、6月24日は増山均(日本福祉大学)と子どもの権利条約運動の市民(高校生を含む)の公
開シンポジウム、7月1日は平田大一「沖縄を歌う」(レクチャー・コンサート)、いずれも土曜日午後、17:00には会は終わりますから、そのあと夕陽が沈む頃に研究室「夕陽とビールの会」を開きましょう。

第484号:2000年5月23日
◆<歌の工房> 
      −5月22日夜− ある男と久しぶりに激して論じあうことあり。
       毎日、楽しい夜の集いをもち続けてきた報いか。−
◇その青き書生の言辞に傷つきて わが若き日もかくありつるか
◇音もなく深夜忍び込む詫びメール 無断侵入なれば読むこともせず

第488号:2000年5月30日
◆<公民館の再発見>
 建築士会の機関誌編集部から「二一世紀へ向けて」企画の一つに「公民館」を取りあげたい、建築工学の若い人たちとの対談をお願いしたいという依頼あり、「私は若くないが・・・」「いえ、結構です」というので応じることにした。昨年末に刊行した小林編『これからの公民館』(国土社)を読んだらしい。

第490号:2000年6月3日
◆<エジプト旅行のお誘い>
 いま「南の風」メンバーでもあるアーデル氏(東京学芸大学研究生から一橋大学・院をへて同助手、現在はカイロ大学)の誘いもあって、9月のエジプト訪問を計画しています。
 当初は9月初旬フランス訪問の後、地中海を越えてカイロへ飛ぶ予定を考えていました。フランス行きが9月から8月下旬に繰り上げになったので、エジプト計画は変更もあり得る。しかし、アーデルの予定もあることだし、日程はそのまま、9月10日をはさんで1週間前後(たとえば7日〜15日案、週末の金・土の便は格安航空券も少し高くなるので木曜出発)のスケジュールです。
 前半は古代エジプト(ピラミッド、ルクソール、アブシンベルなど)、後半は現代エジプト(カイロ周辺の農村、エジプト型「公民館」など)。経費は往復航空券(約19万程度)、あと滞在費と移動経費(そんなに高くない?)。フランス行きと同様に、そろそろ飛行機便をおさえたり、ホテルの予約を考えたり、準備を始める時期になりました。エジプトはビザを用意する必要もある。ぶんじんは9月10日頃にエジプトに入り、15日あたりに帰国の日程を考えています。
 なにしろイスラーム文化圏「公民館」建設などと挑発(風486号)されれば、行かないわけにはいくめぇ、という気持ち。
 エジプトへは1990年春に研究室10数人で旅したことがあります。もちろんアーデル君が案内役でした。あの当時の若者たちも今10才の齢を重ねて、八重山に豪邸を建てたり、全国規模で図書館建設の請負人になったり、はたまた結婚に見向きもしないで仕事に勤しんだり、さまざま。それぞれの自分史のなかでもエジプトは面白い旅だったのではないかと思われます。「ナイルの水を飲んだ人はナイルにかえる」という言い伝えがあり、別れの挨拶でこの言葉を紹介して再会を約したガマール博士は亡くなられたが、再びナイルの水を飲みにいこうというわけです。
 日程的にフランス旅行に行けない欲求不満の諸氏もあり、もし上記9月の都合がつけば、ぜひご参加下さい。ナイルの岸辺であいましょう。
◆<歌の工房> 
   −1990年3月26日− 10年前の歌ノート、ナイルに ヨットを浮かべて遊んだあの日。
◇ポコポコと太鼓はひびく少年の瞳はおどるナイルの流れに
◇蒼き流れ白きヨットに友集いヌビアの太鼓とともに歌えり
◇五つ国の若者ともにゆらゆらと「春のうらら・・」は川面をわたる

第492号:2000年6月5日
◆<ヨーロッパ(仏・独)への旅・参加希望者−末本さんへ報告>
 まだ決めかねている人もありますが、まずは参加確定者、次の通り。
1)上野景三、真理、陽平(3人)、ドイツにも参加する。
(2)農中茂徳(1人) ドイツにも参加する
(3)内田純一(1人) ドイツにも参加する
(4)小林文人(1人)*富美は9月エジプト行きのため不参、 計6人
 8月22日(かなりドイツの日程が窮屈)か21日出発(ややゆったり)の線で、格安航空券を確保する(大韓航空がもっとも安い)。ドイツの予想旅程案@21日夕・フランクフルト着(同泊)、22日 ベルリンへ移動(同泊)、23日 ベルリン、ポッダム(同泊)、フランスへの移動は、23日夜行寝台(24日朝9時パリ着)か、24日早朝発列車(パリ夕刻着)、または24日飛行機をとる。ドイツの予想旅程A22日夕・フランクフルト着(同泊)、23日 せいぜいライン川下り(同泊)、24日 列車でフランスへ移動(午後着)
 A案ではベルリンへ行く余裕はない。できるだけ@案でいきたい。帰路は、29日パリ発→30日成田着、または30日パリ発→31日成田(ただし早朝ー農中くんの強い希望)着。
 大韓航空だとフランクフルト着・パリ発の90日間FIX便(ただし帰国日変更可ー1回のみ)で12万円弱、ヨーロッパ系だとオーストリア航空が比較的安く15万円弱(ただし7月中旬の場合)、とのこと。内田・上野のお二人、航空券の予約、どうぞよろしくお願いします。

第493号:2000年6月7日
◆<歌の工房>  −6月4日、善福寺川ほとりの公園−
◇サワサワとせせらぎのあり鳥あそぶ 「神」「国」発言ガスよどむなか
             −6月5日、公園の一角に露店ありて−
◇ひねもすをベンチに座して世を嘆く 老人のわきを少年駆けゆく

第497号:2000年6月11日
◆<歌の工房>   −6月10日夜−
◇梅雨ぐもり空気しめれど我が心乾きて人の恋しき夜半

第497号:2000年6月12日
◆<“はしだにいな”卒業・技能賞>
 この「風」でも、はしだのりひこ「イムジン河」紹介などで何度か登場したことがある“はしだにいな”は、今年3月に目出度く和光大学を卒業しました。そのあざやかな単位取得ぶりに技能賞(敢闘賞はもちろん!)を出しました。(とくに賞状はなく、生ビール一杯賞)
 彼女がなかなか大学へ顔を出さない、単位がとれなかった、その理由は、劇団員だったからです。劇団名は、平田オリザ主宰「青年団」、社会教育関連ネット「南の風」としてはいつも気になる劇団名です。
 先日、朝日新聞の劇評欄が「青年団」を大きくとりあげ、いま公演中の“ソウル市民1919”に拍手をおくっていました。和光ゼミで話題にしたところ、(8月独仏ツアーへの参加を希望している)萩原敬子さんが、早速「にいな」と接触して、メールを送ってきました(略)。関心ある方は“ソウル市民1919”をぜひ観てあげて下さい。6月8〜25日、下北沢「シアタートラム」、です。 
◆<ホームページの一部補修>
 いまTOAFAEC(ぶんじん)ホームページへの来客が急ピッチで増加し、あっというまに5,600を越えました。一つは、学生たちがのぞいているらしいこと、あと一つは、海をこえて「東アジア」からのお客さんが増えている気配。それなのに、まことにお粗末な手づくりページ、画像をいれるとか、しかるべきソフトで飾るとか、なんとか中味を充実させなけば、せっかくの来訪者に申しわけない、と思っているのですが、まったく時間がない。ページづくりは案外と時間を浪費するのです。
 昨晩は、約1時間ほどかけて、表紙「追加記事」の順序入れ替えなど、小手先の工事をいたしました。しかし紙面自体にはさして前進がありません。ご批評、ご助言、お願いします。ホームページについても誰か若い世代の助力を得たいのですが・・。  

第498号:2000年6月13日
◆<訪欧の旅、メンバー・スケジュールなどようやく確定>
 数号前から「風」でもお伝えしてきたように、和光大学の萩原敬子、染谷美智子(いずれも社会人学生、年齢?)のお二人から、ツアーへ参加したい旨、正式の返事が来ました。日本からの参加者はこれで7人、小生まで入れれば8人。どうぞよろしくお願いします。(他の学生から同行したい希望が寄せられていますが、このあたりで締切り、メンバーを確定したいと思います。)
 半ば楽しく遊び、半ば調べ学ぶ、パック旅行のお仕着せ思想を脱して、手づくりの面白い旅を創っていきましょう。皆さんそれぞれで積極的に関わっていただきたいもの。ホテルは(今のところ)まったく見当もついていません。「安くて清潔な」は当然のことですが、果たしてうまく進行していくかどうか、楽しみです。
 上記の上野メール(ベルリンからパリへの航空便の件)に関して:日本での格安航空券の販売は、原則として日本発着便のみです。だから、ベルリン・パリをこちらで買っていく場合、ノーマルチケットになって、かなりの負担(もしかすると片道5万円前後)になりそう。
 もし大韓航空の扱いで、5000円程度の上のせでよければいい話。よく調べて入手しましょう。ベルリン出発8月23日お昼前後の便を予約する、その際、航空会社はどこか(大韓航空ではない?)、またグループ(8人)での購入が可能か(7月10日予定ルフトハンザで飛ぶ小生の分も可能か)など調べて下さい。
 小生は、事前にノーマルで購入していくよりも、現地でとった方が安くなるのは確実ですから、内田くんの叔父さん(ポッダム在住)に6人ないし8人のチケット予約を頼むことは出来ないか、など考えていました。いずれ13日夜の岩本くんとの食事会の席で相談し、早急に対応することにしたい。それまでに皆さんで情報を集めて下さい。
 なお和光大のお二人は、打ち合わせをかねて、13日夜、19:00〜、JR三鷹駅南口徒歩3分、「たべもの村」、イギリスより来日中の岩本陽児(レディング大学)との夕食会(小生のホームページに記載)に来ることは出来ないでしょうか。そんな急な話・・無理ですよね・・きっとね。    

第499号:2000年6月14日
◆<500号、「南の風」のこれから・・・>
 風496号に書きましたが、「ぶんじん」が3ヶ月ほど日本を離れる事情もあり、こんご(501号以降)の風の送信について、皆さんにご相談していたところ、石倉・内田の両氏で担当しようという返事をいただき、感謝しています(497・498号)。有り難う。今後どうぞよろしくお願いします。
 7月初旬にメール・リストなど移し、少し事務引継ぎ的な作業をしましょう。(同じく「公民館の風」を担当していただく遠藤・斉藤の杉並グループお二人もどうぞよろしく・・・)
 恒例の50号おきメールリスト整理についても、風496号に記しました。一方通行となっている方で、なお継続をご希望の方は、次号までにその旨のメールを寄せて下さい。
 いま、「公民館の風」(メンバー拡大中)が継続的に出ていますので、出来ればそちらを中心にしていただければ有り難いのですが・・。ぶ
◆<フランスの旅・事前学習資料>
 末本さんから「パリのホテルは、とれました。二人一部屋で810fです。先生が一人で使われると、これに近い値段です。上野君は、3人部屋がいいといっています。」というメールあり。ドイツはまだホテルはどこも決まっていない、さてどうしよう?
 13日夜、三鷹駅前「たべもの村」で、久しぶりに岩本陽児をかこんで酒を飲みました。文字通りのつもる話あれこれ。1993年以来、7年ぶりらしい。まったく元気で安心しました。日本博物館学会からの賞状をもらっていて、やはり受「賞」というものはいいものですね。
 久しぶりに飲み過ぎた感あり、最終の電車も途中でなくなり(石倉・「風」新編集長と二人で)やっとタクシーをつかまえて、よろよろと家にたどりつきました。今朝、久しぶりの二日酔い。


*(日誌)501号〜600号


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