【南の風2003】発行リスト・1051号〜後記(日誌) 

*南の風発行一覧    
*(日誌)1001号〜1050号



1051号〜1100号発行一覧 

1051号【5月 2日】風へ参加、最北の公民館、宜野湾市長選、夜間中学の青春
1052号【5月 3日】宮良のサニズ、沖縄を深く知る事典、アイヌ名併記動物園
1053号【5月 5日】新・南の風の思い、送信先・アドレス一覧、パソコン寿命
1054号【5月 7日】ベルリンより、松本より公民館学会に参加、宮良のサニズ
1055号【5月 8日】87回研究会案内、島酒通信16、外国人市民施策担当へ
1056号【5月10日】こだわりの酒味講座3、平田大一の話、ベルリンの風1
1057号【5月12日】公民館学会HP、ベルリンの風2、モンゴルの子5人沖縄で
1058号【5月13日】ベルリンの風3・哲学喫茶、フランスへ、夜間中学・映画
1059号【5月14日】広州より、台湾表記で友好凍結(岡山)、ベルリンの風4
1060号【5月15日】事務局会議、奈良・学び舎プロジェクト、ベルリンの風5
1061号【5月16日】島酒通信17、子供博物館ラビリンス、ベルリンへの旅を
1062号【5月17日】中国のNPO、福岡市公民館史研究ゼミ、ベルリンの風7
1063号【5月19日】鶴ヶ島より、日本公民館学会に参加して、ドイツ訪問計画
1064号【5月21日】日本公民館学会に参加して、ベルリンの風9・パン工場
1065号【5月23日】九大アジア研究センター、ベルリンの風10、高槻の動き
1066号【5月24日】東京・大田区の動き、ベルリンの風11・近隣社会会館
1067号【5月25日】島酒運動、ァーキュビストの養成、ベルリンのメーデー
1068号【5月27日】オホーツク記念誌、公民館のあり方、ベルリンの風13
1069号【5月29日】今年のフフ・モンゴル・オドム運動、国を超える都市連合
1070号【5月30日】クローズアップ現代・佐敷町、広州より、NPO競争時代
1071号【6月 1日】小泉とムバラク、私のやんばるムラ、移民政策を痛烈批判
1072号【6月 3日】TOAFAEC総会、やんばるのムラ(2)、浦添「ホタルの小道」、新HP
1073号【6月 5日】烟台・日本語学校の誕生、バカンス法の提唱(大分)、6・7月の予定
1074号【6月 7日】烟台日本語学校ご案内、スロヴェニアからの便り、50年前の泡盛
1075号【6月 9日】日中の社区教育の本、烟台の教員構成、有事関連法が成立した日
1076号【6月11日】愛知川だより、中国行き、ベルリンの風14・地域学習文化マネジメント
1077号【6月12日】「こんばんは」、TOAFAEC 総会、ハンブルクに到着・ベルリンの風15
1078号【6月14日】東アジア社会教育研究8号編集、総会関連、ベルリンの風16
1079号【6月16日】北京から執筆、韓国からの報告、ベルリンの風17「哲学喫茶」
1080号【6月18日】七夕の会ご案内、韓国文化の家、福岡市公民館史研究の集い
1081号【6月20日】島酒通信18、ドイツの文化政策協会・ベルリンの風18、沖縄訪問
1082号【6月21日】こだわり酒味講座5、TOAFAEC総会、三多摩研究会、ベルリンの風19
1083号【6月23日】2003総会の記録、判決言い渡し日延期「赤い花、白い花」8 
1084号【6月25日】今年の活動計画、中国の新型肺炎、アルトナーレ(ベルリンの風20)
1085号【6月27日】埼玉この夏は平田大一、大田区日本語教室、アルトナーレ2(ベル風21)
1086号【6月29日】南の風への参加、風の再開、「東アジア」第8号への寄稿、心惜しむな
1087号【7月 1日】奈良・茅野明の一人芝居「冬の銀河」、沖縄・カタンニュークラブ設立
1088号【7月 3日】カイロ大学より、新潟県堀之内町の合併協議、アメラジアン・スクール
1089号【7月 5日】川崎市子ども会議、華声和語、外間守善氏にアジア文化賞、滞沖日誌3
1090号【7月 7日】高橋まゆみ展・愛知川だより、森口豁さん、七夕の会への参加、HP
1091号【7月 9日】『おきなわの社会教育』普及、長崎平和記念資料館、川崎子ども夢パーク
1092号【7月11日】韓国平生教育法アップ、京都市教委・社教委員公募、鐘清漢さんハガキ
1093号【7月13日】HPアップについて、平田大一のオヤケアカハチ公演、中村夫妻への御礼
1094号【7月15日】韓国の社会教育(88回研究会ご案内)、ジェンダーフリー反対の陳情
1095号【7月17日】香川大学教員公募、沖縄NPO支援の方針、ホームページ引っ越し終了
1096号【7月19日】中国訪問日程決まる、西表島リゾート問題の提訴、宇部から博多へ
1097号【7月21日】平田大一・公演チケットの集計、風と旅、名護市平和委員会・市民講座
1098号【7月23日】台湾の補修学校、コンピュータウィルス、喜瀬武原の象のオリ、おきゅうと
1099号【7月25日】アドレス帳整理の予告、中国行き日程、愛知川だより、イギリスへ帰宅
1100号【7月27日】韓国の新しい動き・88回研究会報告、第8号英文目次、おきゅうとの話2

1101号→■ へのリンク
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南の風・後記(ぶんじん日誌)

1100号(7月27日)

<博多「おきゅうと」の話・2>
 …承前(風1098号・7月23日)…
 「おきゅうと」は鮮度が大切、すぐに傷んできますから、東京では味わえない“故郷の味”でした。しかし最近は防腐剤添加によるのでしょう、博多から土産に買ってきたり、新宿の九州物産展などでも手に入るようになりました。
 ところで朝日新聞「ひととき」に投稿した人たちで立ち上げた「草の実」の運動をご存知でしょうか。今でも粘り強く雑誌「草の実」が出ています。30年ほど前に「草の実」で、ある短歌を読んだことがあります。「石塚るい」という自由短歌派の老歌人の作。次の歌は、たしか草の実・老人問題研究部(代表:小金井の二瓶万代子さん)の歌集『おだまき』(1973年?)だったと記憶しています。ノートのメモから。
 「在ってないふるさと」石塚るい(82才)
○往きたいが、西の向こう三百里 筑紫のまち ふるさとはただ、病む老いの胸に抱いている。
○こどものころ、とびまわった西公園 春ともなれば 丘を包む桜の花が、目の奥に住む。
○心乱るるとき、うかんでくる ふるさと博多の海 大波小波の折り目正しく。
 石塚るいさんは博多の人だったのだ、と知りました。すでにもうご高齢、「よろよろ歩く」という老いの格闘の歌も。
 思いついて、二瓶さんに石塚さんの住所(たしか川口市)をお聞きし、その頃に開発されていた「乾燥おきゅうと」を博多から送りました。水にもどして生の「おきゅうと」にして食べるものです。
 石塚さんからは、食べないで胸に抱いている、という厚いお礼の手紙。その後は折にふれて便りのやりとり、歌集も頂戴しましたが、お会いする機会はありませんでした。

1099号(7月25日)
<あと1号で1100号>
 2月上旬に1000号となったとき、「2000号をめざして更に頑張れ」との激励を頂きました。正直それは無理!と思っていますが、あれから半年足らず経過して、なんとか1100号を迎えようとしています。お付き合いに感謝しています。
 新しく参加された方もいらっしゃいますので改めての確認ですが、風は双方向に吹く原則。50号ないし100号おきにアドレス帳の整理をさせていただき、「読むだけ」の方には送信を控えさせていただくことにしています。該当?と思われる方で引き続きの「風」をご希望の場合は、(近況を添えて)その旨をご一報下さい。また送信が迷惑な場合もご遠慮なくお知らせ下さい。
 いつも後記におく(ぶ)日誌、本欄は重要ですので、冒頭に掲げさせていただきました。

1098号(7月23日)
<博多「おきゅうと」の話・1>
 海草からつくる「おきゅうと」。昔の博多の町には、毎朝「おきゅうと」売りの声が響いていました。朝のご飯は、アサリのみそ汁に一皿の「おきゅうと」、いまは懐かしい故郷の味です。
 普通の(これ以外にはない)食べ方は、細く切った「おきゅうと」に鰹節でも削って三杯酢で(季節によっては「だいだい」「カボス」などしぼって)。やはり小ネギとショウガ添え。ごく平凡な家庭料理ですから、料亭などでは普通出しません。
 もう四半世紀ぐらい前の話。かっての福岡市公民館主事嘱託化闘争で来福した社全協調査団メンバーに「おきゅうと」を味わってもらいたくなりました。東中洲のいきつけの寿司屋2階にあがりこみ、寿司を注文。ついでに主人に頼みこんで「おきゅうと」を買いに走ってもらい、10皿ほど用意してもらいました。みな珍しく美味しく頂きました。 帰り際には寿司屋の主人に「おきゅうとが美味しかった!」「おきゅうと有り難う!」とこもごも挨拶して別れましたが・・、後日談あり。
 数日後、寿司屋に行ったところ、オヤジさんはカンカンに怒っていました。誰ひとり「お寿司が美味しかった」とは言わなかった、というのです。

1097号(7月21日)
<博多「ごまさば」の話>
 食べ物の話をあれこれするのは、口いやしき者の性(さが)。しかし、実は文化的な水準が高い証拠だという俗説もありますので、本号はちょいと「ごまさば」の話を。小生、実は少々食べ物にこだわるのです。
 博多に来ると「ごまさば」を食べたくなります。活きのいい鯖の刺身に炒りゴマをたっぷりまぜ、醤油をぶっかけ、小ネギを彩りにショウガなどお好みで。これで一杯やると幸せです。またお茶漬けにしてもうまい。ただしサバは新鮮でなければダメ! 東京ではお目にかかれません。
 十数年ほど前、たしか九大で学会が開かれた夜、横山宏さんや小川利夫さん、徳永功さんなどお歴々が小生の隠れ家(油山)に泊って頂きました。東京からは、うちのカミさんも来て、盛大なご馳走を用意しましたが、あとまで「あれは旨かった!」(横山さん)と話がはずんだのは、小生が仕込んだ残り物の「ごまさば」。まったくの庶民の味です。
 最近は、近所の魚屋に活きのいい鯖がなかなか出ない。残念です。それでもなじみの店は、昨晩も「ごまさば」をつくってくれました。若者ねらいのレストランが多くなった博多の街はこんな店が少なくなった。しかし、たとえば博多駅ビルのなかで今でも「ごまさば」を出してくれる店が数えて3軒。「ごまさば」は魚が新しい店の目印のようにも思いますね。

1096号(7月19日)
<山口・宇部から博多へ>
 山口県社会教育研究会とは長い付き合い、もう30年以上になりましょうか。三多摩テーゼが世に出て、これに基づき建設された豊浦町中央公民館が話題となりました。私は豊浦町に招かれ、特例的に(こんな例はめったにないでしょう)同町の公民館運営審議会委員を6年つとめました。旅費はなし、川棚温泉に一晩泊めて、日本海の生きのいい魚を食べさせてくれる、というのが約束?でした。
 泊まり込みの研究会の一夜、宇部の田中辰彦さん(当時、社会教育係長)と出会いました。それからほとんど毎年の宇部市訪問が続いています。その田中辰ちゃんも亡くなりました。宇部との付き合いは、ちょうど沖縄研究を開始した時期と重なり、(三多摩も)一緒に沖縄を旅したことがあります。
 18日は1年ぶりの宇部市のボランティヤ講座、今年で26年目。担当の皆さんは新しい若い世代。そのなかの一人(向上正美さん、現在の社会教育係長)が岡山の全国集会に関心を示してくれました。社全協へも入会したいとのこと。
 仕事を終えて小郡から博多へ到着。雨雲重くたれこめ駅から出たときは土砂降り。雷鳴轟き、記録的?な豪雨の一夜。降ってはやみ、また降りしきる油山。

1095号(7月17日)
●<新ホームページ工事は一段落>
 旧ホームページから新ページへの引っ越しがようやく終わりました。ところが少し欲張りになって、この機会に新しい資料・記事もアップしようと思いたち、韓国・平生教育法(鹿児島大学グループ訳「東アジア社会教育研究」第5号所収、2000)、中国上海「社区教育」調査報告書(佐賀大学文化教育学部、2002)や、もちろん台湾・終身学習法も。昨日は作成したばかりの「杉並公民館に関する文献・資料」を掲載しました。これらの一覧は「過去の資料記事・いろいろ収蔵庫」にすべて標示されるよう工夫しています。必要なときにご利用頂ければ幸い。
 東京学芸大学時代の「沖縄社会教育史料」(全7集)目次や「東京識字マップ調査」等も・・・という声がありますが、デジタルに遡及入力の必要あり、余力がありません。まぁ、このあたりで一段落ということ
にしましょう。ミスなどお気づきの節はご指摘願います。
 トップページ「マンタは飛ぶ!」と中村夫妻の写真は如何でしょう? 画像だけでは分かりにくいかと思い、ついキャプションが長くなっていますが、「美(ちゅ)ら海水族館」の生ビールも出るこの空間、誠司さんご推奨のスポット、一見の価値あり。次回、訪沖の際にはぜひお立ち寄りを。

1094号(7月15日)
<上海・羅李争、お久しぶり・・・>
 今日は久しぶりの電話で懐かしい限り。昨年の後半以降、何度かメールを出しましたが返事がなく、また「南の風」について継続かどうかの返報がなく、風も中断していました。電話も通じませんでした。数ヶ月は上海を離れていたとのこと、知りませんでした。ほんとに“好久不見”ですね。
 もしかすると、貴メールもアドレスを変更しましたか?念のため、小生のアドレス帳の二つのアドレスに送信しておきます。
 昨年春の訪中からすでに1年あまり。ARAS問題もあり、その後は上海にも行く機会がありませんでした。この間、当方のメール・アドレス(下記)、関連してホームページURL(上記)の双方を変更しています。2年前に終結した合作学院構想や、その後の新社区大学「国際交流閲覧室」への思い、などホームページにアップしています。ご覧ください。
 8月末から9月初旬にかけての、久しぶりの中国(烟台・上海)訪問日程もようやく確定しました。到着の便名など、またご連絡します。上海での久しぶりの再会を楽しみにしています。

1093号(7月13日)
<7月名護訪問、中村誠司・愛子さんへ御礼>
 先日はお二人に「やんばる」をご案内いただき、有り難うござました。愛子さんはパソコンを使っておられますか? 御礼は、手紙にすべきかと思ってもいましたが、日時が経過し遅くなって、結局メールになってしまいました。
 2日午前の古宇利島もさることながら、午後の新「美ら海水族館」が貴重なひとときでした。たしかにお薦めスポット。そのうちHPにジンベェザメやマンタが泳ぐ水中でビールを飲んでいるような写真1葉を載せたい、「どれにしようか・・・」とあれこれ画像を楽しんで見比べているところです。
 8月に体調を一度チェックされる話、これは大事です。ぜひ実現を!小生も40才代末から50才代、学生部長などやっていた時期、定期健診で、かなり急速に胃や肝臓の数値が悪化していく徴候あり。また沖縄「研究」のため「島酒」飲み過ぎも一因。うちのカミさんは当時、私の沖縄行きが嫌いでした。
 そのときは若干の自覚症状もありました。ドクターの診断を受け、脅迫・恫喝に似た専門的?診断を有り難く?頂戴しました。スケジュールを自重し、それから毎年、必ず胃カメラを呑んでチェック、また肝臓のために漢方「小柴胡湯」(これはいい薬、保険がきく)を愛用するようになりました。いまは鬱金(うっちん)がいいのかしら。
 忙しい歳月のなかで酷使してきた体、お互いに相応の年齢に達したところでバランスをとり戻す必要がありますね。誠司さんも、もう“いい年”です。頑張りすぎないで、しばらく節制して、自分の体の調子を自ら問いかけてほしい。いままで頑健な体だった人が案外と落し穴が見えない。大事な人ですから、頼みますよ。この8月、ぜひドクターと相談されて、ゆっくりと体を休めて下さい。「東アジア社会教育研究」からの原稿依頼はどうぞお忘れ下さい。遅ればせの御礼。

1092号(7月11日)
<台湾・鐘清漢さんからのご挨拶>
 40年ほど前、台湾からの留学生(専攻は教育社会学、東大)鐘清漢さんを知りました。私もまだ若く、教育社会学会を中心に仕事をしていた頃、麻生誠さんを介しての出会いでした。
 昨日「去る三月、川村学園女子大学を定年退職しました」というご挨拶のハガキを頂きました。その一節。
 「…(略)… この間、日本中国総合研究会、アジア文化総合研究所、国際アジア文化学会の設立や運営等、文化交流でいろいろお力添えいただき、誠に有り難うございました。
 今後はかねてより志している台湾に日本文を主とした図書館を、台北近郊の楊梅に設置することが決まりましたので、中国・台湾・日本と往復することになります」とのこと。
 「先生、お元気ですか。いつか御時間をつくって語りたく存じております」との添え書きでした。

1091号(7月9日)

<川崎市「子ども夢パーク」>
 梅雨空の7月7日夕、川崎の伊藤長和さんに誘われて、オープン間近の「川崎市子ども夢パーク」を訪問。忙しい中、皆さん有り難うございました。久しぶりに京利幸さん(夢パーク・所長)ともお会いできました。若いスタッフに囲まれて張り切っておられる様子、聞けば前夜はスタッフたちと泊まり込みの準備だったとか。
 この種の施設では、ここ数年「ゆう杉並」や町田「ばあん」が注目されてきましたが、それらをさらに一歩前進させる新しい施設論が期待されるところ。なによりも川崎にはその根拠として「子どもの権利に関する条例」があり、子どもたちが安心して生きる、ありのままの自分、のびのび活動、自分で決める、参加、などのキーワードが鮮明です。それらをどう具体化し空間化していくことができるか。
 ログハウス、せせらぎ、トンネル、かなり広い野っ原、などを見ていると、新潟のいくつもの学校で挑戦している「森づくり」や、ハンブルクのモッテの屋上の養蜂、その近くの自然味たっぷりの子ども野外施設など思い出しました。
 すでに「子ども会議」が機能しているらしい。これも川崎独自の蓄積、これから楽しみですね。机や椅子はもちろん、子どもの遊びに役立ちそうな器材や材木などを各所から集めて、新パークはあたかもリサイクル施設の様相、そのたくましさも印象的でした。オープンに向けて、またその後も、しばらくはたいへんでしょうが、新しい創造へ向けて、ぜひ面白く!無理しないで挑戦していただきたいもの。期待しています。
 夜は、川崎に拾っていただいた和光大学小林ゼミの3人と京・伊藤のお2人に歓待していただき、感激しました。いい夜でした。

左より北村理沙、小林、伊藤長和、京利幸(所長)の皆さん(川崎市・子ども夢パーク、20030707)

1090号(7月7日)
<ホームページにコメントを>
 5日・七夕の会ご出席の皆さん、お疲れさまでした。昔のように深夜まで飲むスタイルもなくなり、楽しい会でした。昼の会をどうするかについては来年に向けての課題、またいい企画を考えてください。
 上記のようにホームページの文字が重なる問題(稲富和美さん)が話題になりましたが、文字サイズの操作で解消されたようです。また御塚伸也君(福岡・御塚隆満さんの子息)からもご指摘あり、これは発行人ぶんじんの側で1字だけの手直し作業で修復したつもりですが、如何でしょうか。他に何かお気づきのことあれば、ぜひ!ご一報ください。
 新ホームページには、さきほど沖縄と七夕の会の写真も挿入しました。また6月初旬以降のHP引っ越し作業も一段落。もちろん素人の手作業、不慣れなところばかり、近藤恵美子さんはじめ熟達の方々のご助言をお願いたい。またこんな記事・資料を載せられないか、ここを改善せよなどのコメントやご要望も歓迎です。
 南の風をそのままアップするのは控えていますが、小生が書いた文章は少しづつ公開していきたいと考えています。

1089号(7月5日)
<滞沖日誌・3>
 7月3日:名護・晴れ
 午前、たまったメールの整理、返事の送信。旅気分だから少しうきうき、いろいろ書きすぎてよくない。午後は名護市中央図書館へ。島福善弘さんが係長(宮城満さんの後任)となっていた。3月に来たときと同じ畳の間に座り込んで、地域史(市町村史、字史)を読む。好意に甘えて、またコピーをお願いした。
 夜は中央公民館工作室(迎賓室)でぶんじんを囲む会。4ヶ月ぶり。島袋正敏さんと中村誠司さんが酔う前?に宮城与徳(名護市東江出身)・顕彰事業の構想を語っていた。小生は宮城満さんに烟台日本語学校の話をした。赤崎隆三郎さん(与論)が仕入れてきた鰹、照屋秀裕さん持参の牛刺、これはうまい! 当方はまったくの手ぶらで申しわけない。初めての若いメンバーもいて、皆さん有り難うございました。
 宴も果てて、芝生に座りこみ星を見ながら、正敏さんと二人で少し話し込む。昨年の全国集会から1年、これからの社会教育運動のこと、沖縄の社会教育のことなど。夜の涼風がここちよい。12時の数分前に山田荘に帰着。
 4日夕、夏のやんばるから梅雨中休みの東京へ。

公民館工作室にて囲む会、左より赤崎隆三郎、島袋正敏、ほか(名護、20030703)

1088号(7月3日)
<滞沖日誌・2>
 6月30日:晴れ。蝉の声で目がさめる。前夜疲れて午前休養。
 午後は豊見城で上地武雄さんと会い波平区の歩みについて聞く。那覇に戻り、東武さんの職場を急襲。夜は泉崎「我自由(がぁじゅう)家」で名城、田場、棚原、佐久本、上原さんたちと飲み、NPOを論じあう。田場さんは復帰前後の沖縄青年団協議会の輝ける会長。しかし早いもので今年3月琉球大学を定年退職とのこと。私たちの烟台日本語学校の開校にいたく興味を示してくれた。 
 7月1日(今年の折り返し):晴れ。早起きして読谷村へ。波平区公民館で上地武昭さんと落ち合い、上地盛栄、知花治雄の両氏(いずれも元区長)から聞き取り。残波岬で昼食。午後、山内徳信さん宅を訪ねたがあいにく不在。奥さんに『残波の里』のお礼を申しあげる。高志保区公民館で松田光政氏(もと区長)の聞き取り。文書記録は期待に反してほとんど作成されていなかった。
 終日付き合ってくれた武昭さんと別れ、名護へ。早速「大国林道」1号店で“刺身の味噌あえ”でビール。3月訪沖の際、小林茂子さんと一緒に飲んだことを思い出す。
 7月2日:連日の晴れ。中村誠司さんに迎えられ、愛子さんの車で待望の古宇利島へ。故大竹康市(象グループ)が東京から沖縄に飛んだらその足で古宇利島に渡り、白い浜に寝そべるという話を想い出す。区長小浜美千子さんに全国集会(岡山)参加の御礼。ここでも文書化された公民館規約等は作成されていないとのこと。解禁になったばかりの古宇利のウニを肴にビール。いい気分で島一周。
 午後は本島に戻り、新水族館でジンベエザメやマンタと語り?あいながら生ビール。昼日中からやや飲み過ぎだ。午後後半は今帰仁村歴史文化センター・仲原弘哲館長と。今帰仁の戦後稀少資料を見せて頂く。
 今晩はもう飲むのはよそう、と約して誠司さんと別れる。3日の夜はぶんじんを囲む会だそうだ。旅はまだ続く。

古宇利公民館:左・小浜美千子区長、中央・中村誠司さん(20030702)

1087号(7月1日)
<沖縄・新しいNPOの創立−滞沖日誌・1>
 6月29日・那覇、夏晴れ。
上原文一さんの新しいNPO「カタンニュークラブ」発足記念の集い。名城ふじ子さん(那覇市役所)と落ち合って具志頭村環境改善センターへ。第1部は文一氏挨拶のあと、講演は沖縄県議会議長・伊良皆高吉氏。氏が八重山古典芸能(三線)師範だということは知りませんでした。話の後半にはサンシンが響き、与那国ションカネなどの演奏あり、最後はトラバーマも。大工哲弘やビギンなどみな教え子だそうです。
 またCD「上原文一作品集」(唄:津波皓瑛)が発売されていることも迂闊に知らず。
 会場の大ホールは後部に椅子を並べるほどの盛況。第二部に沖縄芝居の久高将吉、民謡の山里ユキ、嘉手苅林次など。沖縄の芸能に包まれての賑やかなNPO設立。会場の歌声や拍手を聞きながら、新しい活動を地域の文化が支えるという強い印象をもちました。
 第三部?の「交流の夕べ」は福地ひろ昭さん(元沖教組委員長)が乾杯の音頭をとり、親川盛一さん(前知事公室長)等が友情あふれる挨拶、私も文一との30年近い交友を語りました。

1086号(6月29日)
<「心を惜しむな」>
 前号に引き続き、散歩のなかで思い出したこと。
 上野英信が記録文学に取り組むなかで唱えた「金を惜しむな、時間を惜しむな、命を惜しむな」の三原則。いつしか有名になりましたが、考えてみれば、これはたいへんなことです。
 上野晴子さん『キジバトの記』などを読むと、もともと惜しむべき金が潤沢にあったわけではない。しかし、そのなかで筑豊文庫を訪れる客人には心づくしの酒肴が供じられてきた。一年中来客の絶え間なく、長期の滞在客もあった。皆まだ食べ盛りといってよいほどの若さ。晴子さんは毎日毎日台所に立って、乏しい資金と材料をやりくりしながら大奮闘の20有余年。
 そして、英信さん自らは『眉屋私記』戦後編にとりかかろうとするその矢先、64才の若さで命は燃え尽きてしまうのです。
 英信さんは、命を惜しむべきでした。戦後編の取材はほぼ終えていたと聞いています。おそらく無念の想いを残しての旅立ちだったのでしょう。だけど、求めて命を粗末にしたわけではないでしょう。彼が言わんとしたのは「心を惜しむな」「名をこそ惜しめ」ということだったのではないでしょうか。
 私なりに「心を惜しむな」とつぶやいて歩んでいきたい。せめて「時間を惜しむな」という教えぐらいはひたすら追っかけてみたい。
 そんなことを思いながら、神田川べりに立っていました。

左より名城ふじ子、小林、福地ひろ昭、上原文一の皆さん(具志頭、20030629)

1085号(6月27日)
<佐藤忠良と上野英信>
 26日はゆっくりと散歩する時間がありました。私の散歩コースの一つに、彫刻家・佐藤忠良さんのお宅の横を通って、神田川沿いの小公園へおりる道があります。梅雨空のもと、紫陽花が咲いていました。
 佐藤忠良さんが子どもの像を制作しておられる姿をテレビでみたことがあります。あの老大家が塑像へ向かう厳しい姿勢。粘土を張り、それを削り、指でのばし、竹へらできざみ、また直し、それを繰り返して・・・。
 記録文学・上野英信の仕事を思い出しました。一字もゆるがせにしない刃のような『眉屋私記』の文章。原稿はすべて楷書で一字の乱れもなく書く。原稿用紙の最後の一字がまちがえば、またはじめから書き直す。同じ文章に書き直すのは厭だ、推敲して必ずどこかを変えて書く、そんなエピソードを上野晴子さんが書いていました。(『キジバトの記』)
 上野晴子さんは、奇しくも私と同じ九州・久留米の生まれ。夫・英信を追うように亡くなられて、もう5年あまりが経っています。
 そんなことを考えながら歩いていました。

1084号(6月25日)
<「スパイ・ゾルゲ」>
 総会も終わり、ひとときの時間をつくって、久しぶりに映画をみました(23日)。「スパイ・ゾルゲ」(篠田正浩監督)。尾崎秀美(ほつみ)とならんで、名護市東江生まれの画家・宮城与徳が登場しますが、その扱いは少なく、やや期待はずれ。ゾルゲ機関の活動は、当時の国際関係のなかで有効な反戦運動だったと評価され、多摩墓地には反戦戦士の碑が建ち、獄死した与徳の分骨も納められていると聞いています。
 映画は魯迅の有名な“もともと地上に道はない”から始まりました。「思うに希望とは、もともとあるものともいえぬし、ないともいえない。それは地上の道のようなものである。もともと地上には道はない。歩く人が多くなれば、それが道になる。」

1083号(6月23日)
<総会と韓国本の編集会議>
 社会教育学会六月集会の2日間、なかに聞き応えのある発表(たとえば2日目午後の牧野篤・名古屋大学)あり、そして私たちの総会、新しい本の編集会議も充実して、蒸し暑い梅雨を忘れさせてくれました。
 21日TOAFAEC 総会は、上記・石倉メールにあるように賑やかな参加のもと、いつまでも想い出にのこるような集い。初めての人あり、思いもかけず久しぶりの顔あり、参加者の年齢差はなんと!70才余。その記録をホームページで公開するのも初めてです。→■
 22日は学会のあと、韓国本づくりの編集会議。ビールがうまく、いい論議。本のイメージがかなり具体的になりました。
 皆さん、連日お疲れさま。長くなりましたので、本号の「ベルリンの風」はお休み。
参加者:中国・韓国・モンゴル・北海道・九州・東京・・・・・年齢差は70才(東京・飯田橋、20030621)
写真移動→■(TOAFAEC 総会記録)

1082号(6月21日)
<TOAFAEC総会へどうぞ!>
 本号は少し長くなりました。しかも隔日発行のリズムを守らず、連日の風、申し訳ありません。TOAFAEC 総会(6月21日17:30〜、日中学院)の前に配信した方がよさそうな記事あり、お許しを頂きます。
 総会の参加者は昨年よりはるかに多くなりそうです。中国からの参加はもちろん、韓国からゲスト参加の可能性あり、モンゴルの留学生諸氏からも出席したいとの連絡が来ました。資料は多めに用意する必要がありそうです。小生と一緒に烟台(山東省)で学校づくりに挑戦している張林新も参加して、皆さんの協力をお願いしたいと言っています。
 昨夜、内田純一事務局長から送っていただいた総会資料は、若干の入れ替えをして、さきほど新ホームページにアップしました。もちろん総会で、多少の修正がありましょうが、前もって目を通していただく奇特な方があるかもしれない、と期待してのこと。ご了承ください。
 これで新ホームページへの引っ越し作業は一段落したつもり。

1081号(6月20日)
<沖縄訪問の予定>
 福岡から東京へ帰ってみたら、上原文一さん(具志頭村)から、新しく立ち上げたNPO・カタンニュークラブの発足記念の集い・案内が来ていました。6月29日。私たちの沖縄研究会の創設(1976年)以来の長い付き合いですし、この間いろいろ世話になってきた経過もあり、行ってこようと思っています。名護・島袋正敏さんにも連絡しました。(訪沖スケジュールは新HPにアップ)
 数日は調査活動らしきものを計画し、またかねて中村誠司さんからの誘いもある古宇利島に渡ってみたい。上記・正敏メールでは、今年の全国集会(岡山)には古宇利の区長さんが字公民館について報告してくれるとのこと(自治公民館・分科会)。ご苦労さま。しっかりとお礼も申しあげたい。集会時の「沖縄を囲む集い」は、昨年集会の余韻もあり、今年はとくに楽しく企画する必要がありますね。

1080号(6月18日)
<“わたしの若さは 遠く過ぎ去ったと・・・”>
 九大・松田ゼミ「福岡市公民館史研究」発表会のこともあり、書庫の古い福岡関係資料を少し整理しました。当時の激しい取り組みの時期から、すでに30年余が経過しています。忘れてしまっていた資料、しかも自分が書いて忘れていたものに再会して、思わぬ拾いものをした感じ。
 福岡市主婦卓球愛好会「会報」も出てきました。きっと前田恒子さん(会・代表)から送っていただいたものでしょう。いまは懐かしい手書きのパンフ。同第7号(1979年)の扉に飾られた伊藤ふみ子という方の「より高く」と題する詩、以下にご紹介。
 “わたしの若さは、遠く過ぎ去ったと 
  うつむいておりました。
    でも、流れる汗の心地良さに
    弾む心を感じました。
  わたしはひとりだと、心を閉ざして
  身構えておりました。
    でも、ここに仲間がいて
    おもいやりの暖かさにふれました。
  わたしは「ひたむきさ」という言葉も忘れて
  眠っておりました。
    でも、より高くと努力する人の
    真剣なまなざしを知りました。
  そして、今、
  本当に美しいものは何かを、
  語れるわたしでありたいと思います。”

<南の風2003・早や80号>
 各号があまり長くならないように、また連日吹く風にならないように、と努力?しているつもり。過ぎたるは及ばざるのたとえあり。好評連載中の谷和明さん「ベルリンの風」も本号はお休みとします。なお、前号「ベルリンの風」16号、正しくは17号でした。訂正いたします。
 新「南の風2003」となってすでに80号。最近まったく音信のない方々、お元気でしょうか。風の一方的な送信となるのは、吹く側としては寂しいこと。ときにこんな動きもあるよとか、感想・意見など、そちらの風で気軽に参加いただければ嬉しいのです。
 もし「南の風」無用の場合はその旨ご遠慮なくご一報下さい。

1079号(6月16日)
<若い世代に励まされて・・・>
 14日は九大・松田ゼミ「福岡市公民館史研究」発表会(福岡市大名公民館)に出席しました。かっての公民館「合理化」問題(1960〜70年代)を闘った面々(中島博、御塚隆満、林貞樹さんたち)が揃って顔を見せ、久しく会う機会がなかった門田見昌明さんも来ていただきました。
 松田ゼミ報告書(130頁余)はまさに労作、1年でよくぞここまでまとまったもの。いい内容でした。若い世代のひたむきな報告を聞いて、かっての闘士たちもそれぞれに心打たれるものがあったらしく、夜の懇親会では、あらためて福岡市地域公民館を担った“群像”の実践をまとめてみようではないか、という話になりました。若い世代に励まされるとはこのこと。今後が期待されます。
 15日は梅雨も中休みの1日。油山の寓居に農中茂徳一家が、有明の珍しい魚(筑後川のエツに似た海のヒラ)持参で現れ、昼から飲み始めました。酔いざましに体も動かそうというわけで、庭の竹を切り、さらに油山権現までの(猪が出るかも知れない)山道を往復。快い疲労。

1078号(6月14日)
<猪は里へ、猫は空き家へ>
 1ヶ月ぶりの福岡です。梅雨入りというのに13日は太陽がのぞき、湿度も低く、さわやかに風が吹きわたる1日。後ろの山が呼んでいる気配あり?少し登りました。最近は猪が森から山際の畑まで降りてきて、被害甚大、一晩で根こそぎやられた、と道すがらオジさんがぼやく。
 ところで、いつも空き家の我が庭、最近は野良猫の格好のたまり場になってしまった。ここ数ヶ月に子猫も増えて、被害あり。誰かエサをやる人もいるらしい。車で猫を棄てにきた人も見かけたとのこと(隣人の話)。・・・というわけで、今は猫が嫌いになりました。
 昨日、空き家の管理をしてもらっている友人に来てもらって、対策を相談しました。少し経費もかかる? うまくいくかな?

1077号(6月12日)
●<ハンブルク・モッテのレストランは動いていますか?>
 谷さんからのドイツ滞在日誌、1週間ほど途絶えていましたが、続きが届きました。ベルリンは連日35度越える異常な暑さだったとか、夏風邪?状態で休養されていたそうです。
 いきいきしたレポートを毎回有り難うございます。あたかもドイツを旅しているかのような臨場感です。読みながら・・・幸せな気分。
 同じような調子で日本の公民館をレポートしても、こんな多彩な内容にはならないな、と思いながら、西と東・彼我の違いを考えています。
 パソコンを携えての旅は、2000年夏・ポッダムのホテルのことを思い出しました。1945年・日本に降伏を迫る会談が行われた古いホテル、投宿していい気分でしたが、メールが通じない。二人でわいわい騒いで降伏寸前のところ、ドイツの青年が現れて、外線へのアクセスに小さなコンマを入れてうまくいきました。アレスグート!
 東京は昨日から梅雨に入りました。

1076号(6月11日)
<「第8号」台湾についての寄稿、大丈夫!>
 5月から6月にかけて、新ホームページづくりに格闘、それからもう10日が経過しました。初版?表紙の画像は、青空を孤独に・・しかし元気に・・飛翔する鳥。
 ところが、ページを開くたびに、どうも疲れが見える?感あり。今朝、これをアルバムにしまい、1年前に撮った本部町・備瀬の潮だまりの写真に替えました。旧HPの沖縄の旅の記録に掲載して評判がよかったものです。ちょっと一休みのメッセージ。
 この間の作業はビルダーを使ってのアップとダウンの作業となり、以前に比べると、ずいぶん楽になりました。感謝しています。
 9日昼は、台湾・高雄出身の鄭任智くん(早稲田大・院)と食事しながら、「東アジア」第8号執筆について相談しました。協力してくれるとのこと。他方で、北京の韓民くんからはまったく反応なく、また韓国関連の執筆の手応えが弱く、少々、心配になってきました。これまで毎年・毎号とも台湾が脱落しないように力を入れてきましたが、今回は逆、台湾は2本とも大丈夫! 
 明後日は福岡。沖縄関連報告については九大の松田武雄さんに相談するつもりです。中村誠司さんにもお願いしています。「努力しますが…」との返事、かなり仕事が輻輳しているらしい。

1075号(6月9日)
<具志堅・青年クラブとコンセットの公民館>
 7日は新しく設立された日本公民館学会の第1回理事会。ゆっくり時間をとって議論が続きました。そのあと、恒例になった?三省堂地下の放心亭で、さらにゆっくりとドイツ(ヴァイチェン)ビアを飲み、楽しく酔いました。新学会、これからどのように動いていくか。
 帰宅してパソコンを開くと、いくつものメール(上記)。有り難うございました。ついでに「お気に入り」HP(ほとんど毎日の書き入れ)の今帰仁村古宇利島「区長日誌」と歴史文化センター(館長日誌)「センターの動き」ページを訪問する習わし。
 7日の歴文・館長日誌を開くと、今帰仁城址すぐ下の集落・具志堅の茅葺民家と青年クラブ、カマボコ型コンセットの旧公民館の写真が興味深い。いずれも故メルビン・ハッキンス氏撮影(1953年3月、歴文蔵)によるものだそうです。
 もともとの旧ムラヤは戦争で消失し、天幕張りで雨風をしのいでいた、近くの米軍が移動することを知り、建ててあったコンセット(横5間、長さ20間、54坪)を交渉し譲り受けた、とのこと(仲原弘哲さん)。
 この日やんばるは雨。やんばるの子守歌の調子で、♪この酒飲めば〜、やんばる想いだす〜♪ などと口ずさんで、秘蔵の島酒をちょっと掬ってみました。

1074号(6月7日)
<風・日誌として>
 ここ数日、暇を見つけては、旧ホームページから新ページへの引っ越し作業に精出しています。前号に掲載した烟台日本語学校の新しい記事もアップしました。
 新ホームページ、ご覧いただいた感想をお聞かせ下さい。助言もお願いします。昭和一桁代の作業としては、まぁまぁの出来でしょうか?
 一つの課題は「南の風」毎号をアップするかどうかということ。ホームページに載せれば、個々に配信する必要がなくなる、しかし完全な公開性となってしまって、やはり無理でしょうね。
 せめて風の片鱗でも盛り込みたいというわけで、これまでの発行リスト一覧と、日誌風に、この3ヶ月の風各号(1000号以降)編集後記・末尾記事(本欄)をシリーズ風に載せました。
 なにしろ、今帰仁村歴史文化センターの「動き」や古宇利島区長「日誌」はほとんど毎日、しかも実に自由闊達なHP書き込み!
 それには及びもつきませんが、せっかくのHP来訪者にせめてものご挨拶がわりのページを用意しようというわけです。歳月が経過していけば、ある種の記録にもなるでしょうから。

1073号(6月5日)
<6月・7月のスケジュール−事務局会議>
 6月2日夜は事務局会議。飲みながら、食べながらの楽しい会議(小生は例のごとく?しゃべり過ぎ)、皆さん、遅くまでお疲れさまでした。
 大きな柱は二つ。TOAFAEC総会のこと、そして『東アジア社会教育研究』第8号の編集。あわせて、6月から7月にかけてのスケジュールがほぼ確定しました。皆さんのご都合は如何でしょうか?6月21日(土)学会六月集会終了後、総会(日中学院)、先号に案内。
 *6月の定例研究会は開かない。
   7月 5日(土)午後〜夜、七夕の会(グランメール、風の部屋)。
   7月25日(金)TOAFAEC(第88回)定例研究会。
 88回研究会では、懸案の「中国の社区教育について」をテーマにしたいのですが、この夜、黄丹青さんのご都合は如何でしょうか?
 6月4日の午後、話題の日本伝統工芸展「50年記念展」(日本橋・三越)に出かけました。この50年に出品した9000人を越す作家の中から150人を選び、その代表作各1品の展示。珠玉の逸品が並び、目の保養とはこのこと、しばし時を忘れました。

1072号(6月3日)

●<新ホームページ! ご覧ください・・・>
 のびのびになっていたTOAFAEC・ホームページの改訂(Justnetからso-netへの引っ越し)作業。このほどようやく、前に作っていた表紙に「スケジュール」や「風」発行リストなど幾つかををリンクに張りました。未完成ながら、まずは見ていただき、いろいろご助言をお願いいたします。
 新URL→■ http://www007.upp.so-net.ne.jp/bunjin-k/
 新HP・表紙の写真は、東アジアや沖縄の・・・イラスト風の地図を探したのですが、いいものに出会えず。とりあえず、青い空を孤独に飛ぶ鳥の画像を(仮に)選びました。ある方向を目指しつつ、行き着くことが出来るかどうか分からない、今はただ、ひたすら飛んでいくだけ・・・そんなイメージです。
 四季折々の画像を時期に応じて差し替えていく案もある?。もし皆さんのまわりに、何かいい写真があれば送って下さい。
 時間を見つけて折り折りの作業を楽しみ?ながら、6月中には旧HPからの引っ越し作業を終えたいと思っています。技術的なことを含めて、ご教示いただければ幸いです。
 こういう作業に時間を費やし・・・多少の制作的な興味は充たされるものの、精神的・思想的?には充足感なく、あわれ疲労感のみ残りし身は・・・というのが偽らざるところ。

1071号(6月1日)
●<新ホームページの制作>
 近藤恵美子さんが、あざやかに日本公民館学会の新ホームページを作成されたのに刺激されて、放りなげていたマイ・ホームページの改訂作業に(しぶしぶ?)精を出しいます。実は早くにサイトは取得していて表紙だけはアップしているのですが、リンクの一つでも張ってご披露しようと思っているうちに、数ヶ月が経過してしまいました。
 いまのTOAFAEC・HPは、ビルダー・ソフトは使わず、最小限のHTML文字だけの手づくり。しかし、せっかく頂いたHPビルダー(もう1年半前、あらためて感謝!)、いまあらためてガイドブックを開いてのろのろ作業、なれない仕事は案外と時間がかかる・・・。
 次回の風では新ホームページのサイトをご案内し、ご意見など賜りたいと思っています。
 黄丹青さんからメール頂きました。内田さんからの上海本の白地図・コピーを当方にも送っていただきました。朱さんと李さんの原稿依頼はどうぞよろしく。
 原稿締め切り、ギリギリのデッドラインは8月10日?でしょうか。

1070号(5月30日)
●<やんばるの島づくり、TOAFAEC総会々場>
 上記・久しぶりに中村誠司さんのメール、おそらく楽しく酔いながらのメールか、本文は次号以降に。古宇利島、次回の訪沖の際には是非訪問したいと思っておりました。「うっち」日誌の愛読者として・・・、区長さんにどうぞよろしくお伝え下さい。ユンタク会、楽しみです。意欲的な「しまづくり」構想も興味深く拝見しています。
 ところでお願いしていた「東アジア社会教育研究」第8号へのご寄稿、如何でしょうか。ぜひともよろしく!
 29日午前、日中学院の吉田副院長から電話をいただきました。6月21日夕刻からのTOAFAEC(今年度)総会の会場借用について、「分室では少しせまいと思います。当日、教室でよければ、どうぞお使い下さい」という内容でした。「有り難うございます。どうぞよろしく」とお願いしておきました。
 胡興智先生、お世話になります。
 あと一つのお願い。近くでビールと食事の手軽な(安い中国料理などの)席をさがしておいてください。ただ難点は人数が何人になるか、蓋をあけてみないと分からないこと。地図もどうぞよろしく。
 これで正式の総会案内が出せます。非常感謝!

1069号(5月29日)
●<杉並・社会教育の歩みを記録する>
 27日午後、「杉並の社会教育を記録する会」が発足しました。まったくの市民レベルの取り組み。いつぞや風1045号にも既報した杉並公民館50年(15年前に社会教育センター・セシオンに移行、これを公民館の発展的継承ととらえて・・・)を意識し、同時に戦争への道を歩み始めた?世相に抗し、かっての原水禁署名運動の精神を歴史的に再生していこうという思いも秘めています。50年前の杉並公民館開館の11月1日には、未来を見つめる公民館の誕生日会を催そうという企画も語られました。
 私にはこの会の「顧問」の要請あり、有り難くお引き受けしました。

1068号(5月27日)
●<各地の「公民館史研究」>
 さきほど(5月26日午後)出来たばかりの九州大学・松田武雄ゼミ「福岡市公民館史研究」(社会教育思想研究第2号)が届きました。松田さんほか院生8氏による労作。早速拝見させていただきます。有り難うございました。
 ことのついでに(ご存知ない方もあるかと思うので)最近の公民館史研究を二つほどご紹介。一つは、西宮市鳴尾公民館(西宮市で・・・というより正規の職員配置をした公民館としては、関西で・・・もっとも早い公民館)の昭和20年代・公民館関係資料集(竹内正己、大阪教育大学教養学科生涯教育計画論講座・発行、2003年3月)が興味深く、これまでにない資料と詳細な年表が収録されています。ちなみに竹内さんは、現在の西宮市広報課長、その前は教育委員会20年(うち11年間の公民館)勤務、社会人入学で大阪教育大学大学院に入学、今年「初期公民館の地域定着過程」をテーマに修士論文をまとめられました。
 あと一つは同じ関西で、新『豊中市史』が「社会教育」編に1冊をあて、そのなかで「中央公民館」史が盛り込まれています(執筆・井上英之氏)。豊中市中央公民館は関西・都市公民館の重要な典型、ユニークな自然科学者・西村真琴氏を館長に、かっての近畿公民館主事会を代表する松末三男氏を公民館主事に擁した歴史が注目されます。
 ・・・と書いたところで、東北の地震の余波か、いま東京は大揺れです。私のマンションも驚いています。(26日18:30前後)

1067号(5月25日)
●<大都市研究・25回記念誌の刊行>
 24日は亡弟の3回忌法要。
 帰ったら「第25回大都市社会教育・研究と交流のつどい」報告書が届いていました。意欲的に記録誌づくりに挑戦された仙台市職員労働組合(教育支部長・今川義博さん)や川崎市教育支部・萩原周子さん、静岡大学・石井山竜平さんなど、ご苦労さまでした。
 25回ですから、まさに四半世紀の軌跡。充実した記録が出来上りましたね。この「つどい」は最近「月刊社会教育」にも紹介されることがなく、せっかくの歩みが広く知られる機会がないのはまことに残念至極、気にもなっていただけに、まことに時宜にかなった企画、ご労苦に感謝しています。
 参加者だけでなく他に関心ある人たちに普及する余部がありますか? あればぜひ! 頒価もお知らせください。

1066号(5月24日)
●<いま、研究会から帰って・・・>
 23日研究会の当日。テーマは「やんばる」古酒運動。話は山原島酒之会のゲストにお任せするとして、その後の交流会には、せめて古酒の香りを漂わせたいものと、朝から“風”の部屋の本棚や押入に転がっている泡盛を持ち出し、もう20年前にもなる名護の飲み会で正敏さんから奪い取った古我知焼?の瓶に、さて、どれを詰めようかと利き酒を始めたところ、ほんわかといい気分になって、もうどうでもいいや、どの酒もなかなかいいぞ、と予定の原稿など打ち忘れて、楽しい1日が始まったという次第。
 やらなければならない仕事があっても、嫌なことは無理してはやらず、こころの移ろいのまま、好きなことだけに時を過ごすうちに、ウチナ口で言えば、ジンブンも湧いてこようというもの。
 いま研究会から帰ったところです。待ち合わせがうまくいかず、比嘉佑典さんは結局のところ不参。いつものことながら、ぶんじんは酔いも少々。しかし今宵は、中沢郁美、萩原敬子、北村リサなど久しぶりの若ものたちにも会ったし、いい日だった、これ以上何を望むことがあろう・・・と,、寝ることにします。

1065号(5月23日)
●<在日コリアンの教育事業を廃止する高槻市>
 高槻市・教育委員会の“愚策”を告発する記事を読みました。
 かっての日本陸軍機のエンジン製造工場として巨大な地下施設・トンネルがあった高槻市成合(なりあい)地区には強制連行を含む数千人の朝鮮人が集められ、犠牲も少なくなかったと伝えられますが、戦後も在日コリアンが住み、「高槻むくげの会」が活動してきたとのこと。
 昨年でむくげの会はすでに30年の歩み。トンネルの保存運動や識字学級、多文化共生につながる学習や連帯の活動に取り組んできました。
 高槻市は職員採用に国籍条項を撤廃し(1979年)、採用された在日コリアン職員(昨年までに4人)は、むくげの会の協力により、識字事業や人権啓発の事業に力を注いできました。
 しかし、教育委員会は今年から、これまでの「在日コリアンの教育」施策を転換し、予算を削減し「多くのプログラムを廃止すると同時に指導員や正職員の首切りや配置転換」(『週間金曜日』5月9日号、T・テズロ氏レポート)という報告。
 高槻市だけでなく最近の教育委員会、なにかおかしいぞ?
 谷さんのベルリン日記では“アナルコ・サンディカリズム”の70年ぶりの再登場とか。久しぶりに聞いた懐かしい響き。

1064号(5月21日)
●<今帰仁村歴史文化センターの「業務日誌」より>
 いつぞや中村誠司さん(名桜大学)から教えていただいて、今帰仁村古宇利区長日誌(掟=うっち)を読む習わしとなりました。ついでに歴史文化センターの館長記録や業務日誌をのぞくことも少なからず、これもなかなか面白い。
 最新の業務日誌より(無断転載?お許し下さい)うしまるさんの一文。
 「2003.5.17(土)(うし)
 梅雨らしいお天気ですが、センターはけっこうお客さんの入りがいいですよ。ただいま館長殿は具志川と石川からのお客様のご案内中。
 さて今年はペリーが今帰仁にやってきて150年目なんですね。と言うことは、ペリーの手下が炬港の海岸でキャンプをし、与那嶺村とか仲尾次村で鶏を盗んだりしてから、もう150年が経った、ということなんですねー。もう時効よねえ。でも今のアメリカと重なるところもあったりして、150年前のコトとはいえ、何だかワジワジーしますよねえ。チキン返して〜。キチも返して〜。(以下、略)」
 南の風も、こんな具合に(ほとんど毎日)、毎号記事を新ホームページ(まだ工事中)に載せてはどうか、という意見があります。どうでしょうね? 送る手間が省けるし、みんな読めるし・・・、しかし、完全公開制となって、いい加減なことを書けなくなるとの声もあり。

1063号(5月19日)
●<ドイツ訪問の日程など・・・>
 本号の「ベルリンの風」はいつもの「4月日記」から離れて、ドイツ訪問についての谷さんからのご返事です。大歓迎とのこと。
 しかし石倉さんは仕事の関係もあり、7月第1週の日程は少し無理なところもある模様。7月下旬の案を考えているそうです。小生はカミさんの都合もあり、日程をまだ決めかねています。ほかの皆さんで、もしドイツ訪問に関心をおもちの方があれば、ご一報下さい。
 17日に日本公民館学会が発足しました。夜の懇親会や2次会を含めて、印象的な1日でした(写真数葉をHPにアップ)。谷さんがベルリン滞在中であることもご紹介しておきました。ご参加の皆さんで感想などお寄せいただければ幸いです。

1062号(5月17日)
●<なぜドイツ・社会文化センターなのか?>
 谷さん「ベルリンの風」連載が続いていますが、どんな感想をおもちでしょうか? いまのドイツ(ベルリン)の社会文化センターや市民活動の動きが具体的に伝わってきます。あらためて日本の公民館のあり方や今後のことを考えさせられています。
 前号の石倉メールにもあったように、TOAFAEC有志は2000年から毎年、ドイツへの旅企画に参加してきました。ハンブルクの市民祭りアルトナーレ、その拠点となってきた社会文化センター・モッテの動きなど、まことに刺激的。その館長・ヴェントさんを招いて、東京で講演会を開いたこともありました(2000年秋)。
 沖縄や東アジア研究に主たる関心をよせている「南の風」が、なぜいまドイツ・社会文化センターなのか。それは、単にドイツ・ビールを飲むための口実ではありません。すこし肩に力を入れて言えば、日本の公民館の(量的には普及・拡大してきた反面・・)救いがたい固定化と硬直化、半世紀を経てむしろ発展のエネルギーを枯渇してしまったかのような沈滞現象、への危機感からです。ドイツの動きのなかに、公民館活性化へ向けてのヒントがかくされているように思えるからです。
 折しも5月17日(午後)は日本公民館学会・設立総会。

1061号(5月16日)
●<7月初旬の旅の計画>
 どこに旅するか、いま、ぜいたくな悩みを楽しんでいる?と1056号の末尾に記しましたが、先日のTOAFAEC 事務局会議で、7月上旬あたりの谷さんのスケジュールを聞いてみよう、もし可能であれば、「ベルリンの風」に吹かれよう、という話が出ました。上記・石倉メールは谷さんあてのものですが、きっと関心をもたれる方もあるだろう、とご紹介した次第です。谷さんの返事が来たら、またこの風に載せましょう。今のところ6月定例研究会の翌日・28日から7月6日までの9日間がこちら側の第1案(休みは5日間ですむ)。上記・沖縄行き予定の桑原さん、ベルリンへ進路を変えませんか?
 中国・上海等への旅はSARS問題で見通しが立たず、しばらくは自重するほかなさそうです。北京の韓民に出しているメール(第8号・執筆依頼)にも返事がなく、いま急に中国が遠くなった感じ。
 ところで、7月第1週はいつもの年中行事では“七夕の集い”の季節、今年はどうしましょう?と上様(カミさん)が申しております。

1060号(5月15日)
●<毎日の風に恐縮しつつ・・・>
 「南の風」は、次の号の収録予定メールがほぼ揃った段階では、連日でも風を送信することにしています。そうしないと、せっかく頂いたメールが滞留してしまうのです。いま、谷さんの「ベルリンの風」もあり、結果的に毎日の風となり、少々吹き過ぎ。お許し下さい。
 先ほどまで久しぶりのエイデル研究所訪問。去年の今ごろは沖縄本の発行に向けて頻繁にエイデル通いをしたこと思い出しながら、新開英二さんや山添路子さんなどと愉快にビールを飲みました。

1059号(5月14日)
●<ふるさときゃらばん「天狗のかくれ里」>
 劇団から誘われていた“ふるきゃら”公演。13日夜、やっと観ました(東京・中野ZERO小劇場)。先回はギックリ腰で行けなかったのです。いつもながらの熱演!
 私たちの研究は、これほどのひたむきさをもっているだろうか、といつも思います。この30年、“ふるきゃら”は全国いたるところで、地域の社会教育・文化運動に関わってきました。私たちのライバル?
 最後に全員で合唱する「歌はカラス天狗の闘いの武器なんだ!」の一節(天狗語「ヤオラモニッタ ツカタマエッカ …… 」は略)。
 親にもらった 頭を使え
 考えろ ひらめかせろ
 親にもらった 手を動かせ
 横着しないで ぐるぐる使え
 親にもらった 足を鍛えろ
 どこまでも歩いて行ける 足になれ
 親にもらった 手と足と
 頭があれば 何でもできる

1058号(5月13日)
●<夜間中学の拡充を求めるつどい>
 10日午後は夜間中学の「つどい」(東京・牛込)、約400席のホールは立ち見が出るほど(HPにアップ)。
 映画・森康行監督「こんばんは」もいい映画(92分)に仕上がっていました。福岡からこの集いのため日を早めて帰京したのは正解でした。
 当日のカンパも少なからず。夜間中学運動としては、各地での「こんばんは」上映運動に期待し、また既報「えんぴつの会」(見城慶和さんたちの自主夜間中学運動、風1046号)では、学生など若いボランテイアの参加を呼びかけています。もし、関心をもっていただく方あれば、ぜひご連絡下さい。見城先生につなぎます。12日夜、TOAFAEC 事務局会議(兼第8号編集会議)、いま終わったところです。6月21日夜のTOAFAEC 総会の準備(議題等)を含めて実り多いひとときとなりました。禁断の泡盛・古酒カメは、今晩は無事でした。次回が危ない?
 本号は、ヨーロッパの風あり、長くなりました。

1057号(5月12日)
●<公民館学会、まず、ホームページの誕生>
 近藤さん制作の新学会HP,早速拝見しました。お見事!
(社会教育学会だって、まだ、HPを持たないのですから・・・)いまの段階では、準備事務局としてアップできる最高の作、といえば少し誉めすぎ?か。「事務局お手伝いとして」「私個人の応援サイト」というところが泣かせます。
 さて、5月17日の学会設立総会の後に、このサイトがどのようにダイナミックに機能していくかが勝負ですね。組織が確立するにつれてサイトは固定していく、という(たとえば大学HPに見られるような)矛盾をどう乗りこえていくか。期待するところ大!
 近藤さんのメールは、小生の古いアドレスに届きました。Justnet は、すでに so-net に統合しました。旧アドレスはそろそろ閉鎖です。下記の新アドレス宛にお願いします。
 12日夜は、TOAFAEC事務局会議(西永福・風の部屋)、ご都合のつく方はお出かけ下さい。ワインとチーズの用意あり。

1056号(5月10日)
●<ぜいたくな悩み?>
 南の風をご覧の皆さんはお気づきでしょうか、ここ数日、いくつかの挑発?がありました。一つは谷和明さんのベルリンからのレポート、ドイツへのやんわりとした誘い。もひとつは島袋正敏さんの島酒通信・泡盛サミットへの誘い、ツアーを組んでどうぞ、という呼びかけです。
 もともと5月か6月には上海・北京・烟台の旅を企画していました。これは幸か不幸か、SARSの蔓延で自重した方がよさそう。
 実はあと一つ、伊藤長和さんと韓国への取材旅行が宿題となっています。TOAFAEC はこの数年、韓国へ渡る機会がないのです。訪中が終わったら訪韓を実現しよう、と語りあった経過があります。
 秋に予定の泡盛サミットは別として、この6月から7月、どんなスケジュールを組むか。第8号も成功させたいし、挑発?にものりたい、できれば都合のつく人たちで楽しい旅をしたい。さて、どうしよう?

1055号(5月8日)
●<谷さんの「ベルリンの風」を・・・>
 前便メールに引き続き、谷さんから「日記・4月」が送られてきました。
小生は2000年夏、わずかの期間でしたが、谷さんにくっついてベルリンを含めドイツを旅しました。その折りお会いした旧知の方のお名前もあり、ことさら面白く、一気に読みました。
 全文を連載で「風」に載せたいところですが、かなりの長文。そこで抄録のかたちで、社会文化センターや市民大学など、日本の社会教育に比較的に関連のありそうなところを抜き出して、ご紹介したい(名付けて「ベルリンの風」)、というわけで、今、ご本人のOK待ち。きっと次号には掲載できるでしょう。
 ところで、谷さん滞在中に誰かドイツ再訪の旅を計画しませんか?

1054号(5月7日)
●<福岡にて>
 連休が終わったので、福岡に来ています(書庫整理)。6日の福岡は雨模様。緑いっぱいの油山には雲がたちこめ、道も濡れていて、残念ながら登るのは諦めました。庭にはいま、エビネ蘭が咲きこぼれていました。主がいなくても花は忠実?に咲いてくれるもの。書庫に入って作業を始めましたが、突然に顔を出す昔の懐かしい資料(旧友に会う心境)、つい読み始めたりして全く捗りません。人手が要るのであれば「学生・院生を派遣します」という九大・松田さんの有り難い申し出もいただきましたが、いまは一人で楽しんで・・・、そのうち1日ほどお願いすることになるやも知れず、その節はどうぞよろしく。お酒も用意しますので。
 1週間ほど滞在するつもりでしたが、10日午後に東京で夜間中学の会(映画「こんばんは」と見城さんなどのお話)があり、9日中には帰京の予定。

1053号(5月5日)
●<パソコン不調>
 どうもこの1週間、いつも持ち歩いているVAIOの調子がよくないのです。普段は風の発信にあまり使わない自室のパソコンで打っています。連休でもあり、パソコンの師匠・山口センセイに3日夜、来て頂いて修復をお願いしたところ、冷たく「もう買い換えの時期です」との診断。たしかに残りの容量がかなり少なくなっている。不要不急のソフトをはずしたり、貯めこんでいたデジカメ画像を移転したり。
 しかし、やはり諦めるべきか。丁度3年前、ドイツ滞在のため軽量の薄型を仕入れたのでした。それからフランス(古いホテルで送信できなかった)、エジプト、中国各地、もちろん沖縄、福岡その他どこへ行くにも帯同し、連日の「風」を出してきたのでした。
 パソコンも人間と同じく疲れるのです。寿命がきたのだ!「よくぞ働いてくれたじゃないですか」と山口センセイ。
 二人で乾杯し、3階“風の部屋”に降りて、禁断の名護直送「古酒カメ」を開いて、ほんのすこし味わいました。

1052号(5月3日)
●<TOAFAEC事務局会議>
 5月連休明けに一度集まることになりました。内田・石倉・岩本各氏は次の日程でなんとか都合がつくそうです。事務局の皆さん、また第8号編集委員会の皆さんも、お出でいただける方はぜひご参加下さい。こんな書き方すると、いつの間にか、ぶんじんが事務局長になった感じ。
 日時:5月12日(月)18;30〜
 場所:西永福“風の部屋”(小林ケイタイ 090-7700-7756)
 内容:1,第8号編集(応募・依頼状況の確認、構成の検討)
    2,第7号関連(送り先の再確認、財政)
    3,総会準備(日程、昨年の記録、今年の議題、会場など)他
    4,その他
 お酒はいろいろ。世界各地の銘酒を取り揃え?てお待ちします……といっても、実は皆さんたち(誰かが)持参の残り酒。
 2日、上海本の作業(黄丹青さん翻訳・点検)がすべて終わり、どうにか連休気分。黄さんお疲れさま。 あ、そうだ、まだ、前書きが残っていた!

1051号(5月2日)
●<小林チヒロ写真集『夜間中学の青春』>
 夜間中学一筋に42年間の教師生活、この3月にピリオドをうち、新たに自主夜間中学?「えんぴつの会」を始めた見城慶和さん(映画「学校」のモデル)のことは南の風1046号でご紹介した通り。いま銀座(アートグラフ)で、見城さんを撮りつづけた小林チヒロの写真展が開かれています。1日の午後幸いに、チヒロさんはもちろん、メーデー帰りの見城さんも見えていて久しぶりの再会となりました。(HPにアップ)
 写真はすべて『夜間中学の青春』(文・見城慶和、写真・小林チトセ、大月書店、2002年)から。これはいい本です。夜間中学のすべてのことが分かります。
 見城さんには、学芸大学時代も和光大でも、毎年必ず講義かゼミに来ていただき、夜間中学について話していただきました。今日もいつもと変わらぬ語り口で、「学生さんで、新しく始めたエンピツの会を手伝ってくれる人はいないでしょうか」とのこと。夜間中学に関心をもっている若者がいたら、ぜひ声をかけて下さい。
えんぴつの会・見城慶和先生(右)−小林チヒロの写真展(銀座)20030501



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