南の風001号〜発行リスト・ぶんじん日誌1  TOP

南の風発行リスト一覧→■  201号(次ページ)


1998年
           <主要目次>
第1号 【1998年2月 6日】沖縄研究再開について(末本)、台湾訪問(上野)
第2号 【1998年2月 9日】東京・沖縄研究会の案内
第3号 【1998年2月10日】TOAFAEC 研究会(東京)予定:2月〜6月
第4号 【1998年2月11日】島袋正敏氏等を囲む、和光大学沖縄研究会案内
第5号 【1998年2月12日】社会力量弁学条例(末本)沖縄占領文書(上野)
第6号 【1998年2月13日】韓国訪問(江頭)、韓国社会教育研究交流の歩み
第7号 【1998年2月24日】沖縄研究会報告、中国訪問計画、HP追加記事
第8号 【1998年3月 3日】中国から帰りました、2集「成人教育法案」、3集編集
第9号 【1998年3月 6日】華東師範大成人教育学院との研究提携(末本他)
第10号【1998年3月12日】第3集編集案だよ、旅は中止
第11号【1998年3月18日】5月連休の沖縄合宿は可能か
第12号【1998年3月22日】NPO法成立(江頭)、編集案への意見未着
第13号【1998年3月26日】華東師範大学との提携、可能性あり?(上野、松田)
第14号【1998年4月 2日】桜いろいろ、東アジア社会教育研究・第3号編集
第15号【1998年4月 8日】桜は散ったか、沖縄合宿実現に向けて
第16号【1998年4月 9日】華声和語のこと
第17号【1998年4月13日】とりあえずの鹿児島・沖縄プログラム連絡
第18号【1998年4月14日】内田くんへラブコール
第19号【1998年4月15日】古賀くんも誘ってください(上野)
第20号【1998年4月16日】鹿児島からの招聘状(小林平造)
第21号【1998年4月17日】招聘状・別紙、山羊さんの食べ残し
第22号【1998年4月18日】名護からの案内だよ(島袋正敏)
第23号【1998年4月20日】華東師範大学へ手紙を書いた
第24号【1998年4月22日】ワインを飲みながら、沖縄研究再開だよ
第25号【1998年4月25日】花水木咲くころ、点字の音ひびく
第26号【1998年4月28日】NPO法関連年表(江頭晃子)だよ
第27号【1998年4月29日】浜田陽太郎さん追悼
第28号【1998年5月 2日】HP追加、上海・華東師範大学・葉教授への書簡
第29号【1998年5月 4日】新人紹介:山口真理子さん、鹿児島へ返
第30号【1998年5月 7日】沖縄研究・科研費内定
第31号【1998年5月10日】黄宗建先生のこと
第32号【1998年5月18日】南の海から帰った風、占領文書の目録
第33号【1998年5月21日】沖縄研究をどう進めるか、吾若くあらねど
第34号【1998年5月24日】贈られし文献資料、あわれかの幼き子の
第35号【1998年5月29日】字誌刊行しきり、おお「ブラス」よ
第36号【1998年6月 1日】沖縄研究資料コレクション
第37号【1998年6月 2日】メール討論が始まったよ
第38号【1998年6月 5日】こんなことしてみたいー沖縄研究
第39号【1998年6月 8日】歴史的にみる視点、ふるさとの紅き夕焼け
第40号【1998年6月11日】20日駒沢であいましょう
第41号【1998年6月14日】ミーテイング会場ご案内、八重山を恋うる夜
第42号【1998年6月17日】六月集会時ミーテイング、NPO法その後
第43号【1998年6月19日】見城慶和さんからの「学校」
第44号【1998年6月22日】渋谷の夜、沖縄研究第3サイクルの開始だ
第45号【1998年6月23日】シーズのホームページを見る
第46号【1998年6月24日】もう一人の内田くんからのメール
第47号【1998年6月26日】華東師範大学との研究交流
第48号【1998年6月30日】最近の市町村史・字誌を
第49号【1998年7月 2日】沖縄の新聞がおもしろい
 *49号外【1998年7月 1日】科研費・沖縄研究の進め方
第50号【1998年7月 3日】第50号記念、勝手に風は吹く
第51号【1998年7月 6日】大学間研究ネットワークの模索
第52号【1998年7月 7日】沖縄研究、竹きりてきたる子どもよ
第53号【1998年7月11日】福岡からご挨拶、岡メール
第54号【1998年7月13日】夏のスケジュール、満月は万人を照らす
第55号【1998年7月15日】原稿到来、「いい夏休みを」
第56号【1998年7月16日】上海へのまなざし、飯田へのおもい
第57号【1998年7月20日】コ―レ―グス、つくったよ
第58号【1998年7月21日】暑中御見舞いと経過報告・特集号
第59号【1998年7月22日】学会特別年報編集の合宿、疲れたけれど
第60号【1998年7月23日】編集いよいよ大詰め、うなぎよ
第61号【1998年7月24日】これは驚き、北の風だよ
第62号【1998年7月25日】公民館地域史研究の試み、与那国へ
第63号【1998年7月31日】与那国から台湾をのぞむ
第64号【1998年8月 5日】第3号編集おしまい(にしたい)
第65号【1998年8月 6日】韓国の厳しい夏?
第66号【1998年8月10日】飯田につどう人形たち
第67号【1998年8月11日】はるかにエイサー太鼓の響き
第68号【1998年8月12日】華東師範大学とどうつきあうか
第69号【1998年8月13日】沖縄地域史・宝の山ご紹介
第70号【1998年8月15日】8月15日、与那国地域史資料
第71号【1998年8月19日】夏来たらず、夏去りゆく

第72号【1998年8月21日】韓国からの手紙
第73号【1998年8月25日】この夏、鬼の霍乱(かくらん)
第74号【1998年8月31日】全国集会終わる、華東師範大学のこと
第75号【1998年9月 3日】与那国の密貿易と海賊、上海訪問
第76号【1998年9月 4日】末本メールをめぐって、上海訪問の日程
第77号【1998年9月 7日】珍しいメール、初めてのメール
第78号【1998年9月 9日】東アジア第3号入稿おわる
第79号【1998年9月11日】北からのメール(内田)、宮古地域史
第80号【1998年9月12日】沖縄研究の視点(末本)
第81号【1998年9月14日】科研費申請の季節きたる
第82号【1998年9月16日】「松花江上」(9・18)を想う
第83号【1998年9月19日】若き(若くない)晃子の悩み
第84号【1998年9月20日】ホームページ追加工事なる
第85号【1998年9月21日】秋、しかし秋風さわやかならず
第86号【1998年9月22日】「公民館50年」別企画の編集すすむ
第87号【1998年9月23日】返歌、歌ごころ、あな嬉し
第88号【1998年9月29日】社会教育学会、そして大都市研
第89号【1998年9月30日】韓国からも上海訪問の意志あり(魯在化)
第90号【1998年10月 1日】双方向の「ひろば」を創ろう
第91号【1998年10月 2日】韓国の生涯教育白書
第92号【1998年10月 3日】韓国の美女ひとり、京都にあそぶ
第93号【1998年10月 5日】盛りだくさんの白書・表一覧
第94号【1998年10月 6日】神戸から沖縄、北へ帰る人ありて
第95号【1998年10月 7日】キャンパスに金木犀かおる
第96号【1998年10月 8日】沖縄訪問、上海訪問の計画
第97号【1998年10月 9日】社会教育法の中国語訳
第98号【1998年10月10日】上海訪問の日程について(緊急連絡)
第99号【1998年10月12日】定例研究会、久しぶりの鹿児島メール
第100号【1998年10月13日】100号ご挨拶、羅李争からの歓迎メール



第1号 【1998年2月 6日】沖縄研究再開について(末本)、台湾訪問(上野)
みなさまへ。南の風bP(小林ぶんじん)
 ここ1両日、相次いで神戸と佐賀からメールがとどきました。いずれも沖縄研究あるいは東アジア研究に関連するところあり、実験としてパソコン通信として配信してみたくなりました。小生は、とりあえず「南の風」通信と名のることにします。これはその記念すべき第1号です。
 ただし情報過多になるのはよくないので(小生の旧友のパソコン通信ネットは、1日に2〜3通来ますので、その弊害あり。読むのにたいへん!)、意見ください。迷惑であればただちにネット配信は停止しますので。

第2号 【1998年2月 9日】東京・沖縄研究会の案内
 佐賀から「南の風」bPに早速メールいただき、有り難うございました。おや、案外とこの通信、軌道にのるのかな、などと思って、bQを差し上げることにしました。
 この第2号は、Eメールで、末本、上野、内田、江頭、加えて(不公平になってはいけないので)FAXで、小林平造に送ります。
★名護の海は温かいよ、泳ぎにいこうよ。平久保(八重山)の浜に家をたてよう、と誘惑する人がいるよ。

第3号 【1998年2月10日】TOAFAEC 研究会(東京)予定:2月〜6月
★そろそろ花粉症の季節だよ、 日本はいやな国だよ、 格安航空券で遊びに行こうよ。

第4号 【1998年2月11日】島袋正敏氏等を囲む、和光大学沖縄研究会案内
 2月の定例研究会は、思いがけず、豪華なゲスト陣となりました。
 最初は、和光大学内部の研究会(総合文化研究所・沖縄研究グループ)に沖縄の地域研究者を呼ぼう、旅費も一人分ぐらいはなんとかなる、というので、中村誠司氏だけの計画でした。
 ところが、これに加えて、名護出身・徳田球一の資料集めと顕彰碑建設に腐心している島袋正敏氏が上京予定であることがわかり、ぜひ一緒に東京で顔を合わせよう、名護の話も聞きたい、「よしきた」というわけで正敏さんも一緒に来ることになったのです。
 そして、これにたまたま別用で、上原文一氏が同時期に東京滞在予定であることが確認され(今日の電話で)、20日夜に合流することになりました。
★東京には空がない、ゆんたくの場所もないよ 学大の研究室が、いま、無性に懐かしいよ あの研究室も、ああ、姿を消したよ、ああ!

第5号 【1998年2月12日】社会力量弁学条例(末本)沖縄占領文書(上野)
 休日明けの午前、相次いで二つのメールが入りました。
 小生が悩まされている旧友の通信(60代後半、リタイヤ後の暇な話題)と違って、研究的にかなりの内容と提案、嬉しくなりました。こんなタイプの通信が重ねられれば、元気がでますね。
 この号から鹿児島・小林平造のメール・アドレスも届きましたので、ネットにつないで発信しています。ただし、まだスムースにはいかないらしい。まずは、末本・上野両氏の2メールを掲げます。

第6号 【1998年2月13日】韓国訪問(江頭)、韓国社会教育研究交流の歩み
 江頭さんからのメール、どうも有り難う。読んでくれていたらしい。新しい韓国訪問・交流の計画、ぜひよろしくお願いします。学生たちにとっては、7月の休みに入ってからの方が行きやすい(昨年のモンゴル行きのように)と思います。計画を進めてください。
 成案に仕上げる前に一度会って具体的に相談しましょう。韓国訪問計画への日韓文化交流基金の助成が決定したら、「南の風」ネットで情報公開してください。
 黄宗建さんの訪日については、もし実現するとすれば、5月連休明けの模様。鹿児島大学(小林平造氏)で日程調整中。ところで、手元に「日韓文化交流基金」提出用の「研究会の歩み」(1997)がありましたので、すこし長いけれど、この機会に記録しておきます。ただし、助成金ほしさに、あることいろいろ・針小棒大、の作文です。

第7号 【1998年2月24日】沖縄研究会報告、中国訪問計画、HP追加記事
 TOAFAEC のホームページが新しくなりました。といっても、今年2月の「追加記事」を加えたもの。まだ工事中。出来はよくありませんが、師の厳しい?教えをもちろん受けつつ、今回はある程度は自力の作品です。だけど力不足で、全体がすこし斜めにゆがんでしまいます。どこが悪いのか、どんな手直しが必要なのか、磯先生あたりから、ヒントと激励のメールなどいただければ有り難いのですが。
 それでは中国へ、しばらく「南の風」は吹きません。どうぞ安らかに、お休みください。

第8号 【1998年3月 3日】中国から帰りました、2集「成人教育法案」、3集編集
 ・・・夜もふけました。すこし疲れた。つたない歌、心だけでも伝われば、有り難い。
・天空にあれば 心は浮遊して 新しき歌 秘めたる思い  (機上にて)
・格安の 航空券の 機内食 さすがにまずく ビールのみ飲む (ノースウエスト)
 (26日、業余大学の車を出してもらって、羅、袁と三人で南京に遊び、念願の南京・大虐殺
  記念館に詣でた。アウシュヴィツに似ている。1997年10月刊行「侵華日軍南京大虐殺写
  真集」同CD-ROMを入手した。ページを開けばただ粛然。)
・吾はいま リーベンレン(日本人)として ただ一人 “万人坑”の墓前に たたずむ
・碧空に 白く輝くあの嶺を 越ゆれば 草原 モンゴルの地か (北京上空)
・北平の 古き胡洞(フートン)ひたすらに ひとり歩けば 小鳥さえずる(琉璃庁裏路地)
・路地にあそぶ 子ども 将棋の大人たち くず買いの声 物うりの叫び (同)
・ただ一人 論じつづける才人の 悲しき孤独 静もる空間 (ある日本の社会教育学者) 

第9号 【1998年3月 6日】華東師範大成人教育学院との研究提携(末本他)
 前号:第8号について早速にメールをいただき、有り難うございました。親しい仲だから、そのまま配信することにします(到着順)。(これ以降、配信しては困るというメールはその旨付記してください。なによりも無理をさけたい。いまのところ「南の風」についての否定的評価はないように思いますので、まずは少し継続していきたい、だから、すべて無理にならないようにしていきたいので。)

第10号【1998年3月12日】第3集編集案だよ、ドイツ旅は中止
 ことしの春はやけに忙しくなってしまった。『ハンドブック』の1999年(20周年記念)夏刊行をめざして作業を開始しなければならないが、編集体制の世代交代論がなかなかうまくいかず、またまた、ずるずると引き込まれそう。内田くんはラブコールを無視して賢く身をさけている? 
 「社会教育法50年」のある企画も始まったし、「公民館50年―地域史研究と国際比較」(特別年報の副産物)実現のためには、あれこれ走りまわらなければならず。上海の諸君は訳をしたいと本をまっているし、それに、やはり、宮仕えの身であることに変わりはなく、ああ、悲しき運命(さだめ)よ、自らわが身に仕事を引き寄せて。
 20日間を確保して、格安航空券も手にいれて、ベルリンZOO駅前の、大好き小ホテルに宿札も打ったのに、さぼっていいよ、と言ってくれる人もいるのにさ、なぜに旅をあきらめる! このお人よしめ!なぜにそんなに花粉症を楽しむの? バカめ!
・春風よ 花の粉すてよ かぐわしき 色こそはこべ 花ごころかたれ 

第11号【1998年3月18日】5月連休の沖縄合宿は可能か
前後不覚?<相談その3>
  ところで例の華東師範大学からの研究交流の提案、その後皆さんの方ではいかがですか。和光大学のまわりの数人(奥平康昭・学部長、梅原利夫・学科長など)に話をしてみますと、案外と積極的です。できる範囲で、やりましょう、などと言ってくれます。
 しかし、やはり和光が中心にはなれない。国立のどこかが中心になって、そこを窓口にして研究ネットワークを組む、そんな新しいスタイルの提携が出来ないでしょうか。
 九州大学はなかなか、のようです。佐賀も無理か? 鹿児島あたりでひとつ積極的に考えてみませんか。できないことはやらない、面白くないことはやらない、無理でなく双方になんらかの果実がありそうなことをゆっくり見定めて、やっていく。ほな、ぼちぼち、といった感じでどうでしょうね。

第12号【1998年3月22日】NPO法成立(江頭)、編集案への意見未着
<名護・海上基地反対の市民運動・代表・宮城康博のこと>
(先便の続き)
 彼は、若いころ東京で演劇青年だった。奥さんは漫画家。名護に帰ってからは例の山原地域誌「あっちゃー」を発行。その創刊号(1995年10月)記事「友ありて遠方より来る―小林文人さんと学生たち」 そこにこう書いている(抄)。酔って論じている写真も。「疲れ果てた学生たちを尻目に名護の連中と文人さんが盛り上がっていた。盛り上がりは、再会を喜ぶ蛮気あふれる友たちの宴。
 地域をかたり、沖縄を語り、世界を、人間を語る。夜は短く、世界は 広い。どんな地域にも、その地域を愛する遠く離れた友がいる。その時々の再会は地域を精神的に豊かにするものだ。小林文人は、そのような人だった。」“ぶんじん”はこの文章をとてもよろこんで、当時むりやり学生たちに読ませた。
  名護の市民運動の先頭に立った“やすひろ”は、なかなか迫力ある演説家、そして案外と誇大な文章が得意な、愛すべき男のようだ。宮城康博は、頭(脳腫瘍?)の大きな手術をして、一時まわりを心配させたが、市民運動のなかで、市議補選(2月の名護市長選=岸本当選=と一緒に行われた)へ、  対立候補なく市議に。ようやく毎月幾ばくかの収入を得る身分になったが―さて、これから『あっちゃー』は再び出るだろうか。

第13号【1998年3月26日】華東師範大学との提携、可能性あり?(上野、松田)
 「南の風」は騒がしい、時間かまわず吹く、ときに疾風あり、いつも長すぎる、迷惑ですね、などの声が聞こえてきます。 だが、ありきたりの、そよ風なぞ吹かぬ方がよい、などと考えているものだから、相変わらず、勝手に、吹くことにします。迷惑をかけるのは、いつものこと。
 3月24日夜、ビールとワインを飲みながら、第3号・編集会議(グラン・メール)。編集事務局メンバー5人参加、構成ほぼ決定。(話しあったことは第14号に)執筆依頼に入ります。メールで佐賀から反応がありましたが、25日着で、間に合わず。
 ところで華東師範大学との研究交流・提携について、それぞれでご検討いただき、有り難うございます。(葉教授になりかわって御礼) すこし興味深い動きが出てきたように思いますので、まずはご報告、配信。

第14号【1998年4月 2日】桜いろいろ、東アジア社会教育研究・第3号編集
 陽春。しかし今日は冷たい雨。このメール、昨日作成したのですが、April fool だから、出すのをやめました。というわけで今日のこと、書き添えることになりました。
 今日午後、「ハンドブック」編集会議でした。10人ほど集まり、かなりの議論。小生は、これが最後の仕事とばかり、レジメ(再録可能だが、メール長すぎとの声を意識して?省略)をつくって、例の世代交代論を展開。半分は説得できましたが、まだ退くことは出来ず。まあまあこの程度だろう、と諦めて帰宅したところです。帰路は市ヶ谷(エイデル)から九段の方ヘ、「靖国の桜」の下をぶらぶら歩いて帰りました。雨に濡れた花は、まだ散らないが、なにか悲しげでした。

第15号【1998年4月 8日】桜は散ったか、沖縄合宿実現に向けて
 今日は佐藤一子さんと会って「公民館五〇年ー地域史研究と国際比較」(エイデル・予定)の企画を相談しました。皆さんのメールも届くし、なんとか楽しい日でした。
・白樺の貰われし朝鳥鳴きてエビネも芽吹きともに見送る
 (農中くんに白樺の株分け、4月5日)
・運び来し山の文庫の本棚に追悼文集安らかに眠る
・よろめきつ「棄ててなるか」と携えし本ありされど多くを読まず

第16号【1998年4月 9日】華声和語のこと
 
『華声和語』は、中日関係および在日中国人コミュニティに関するニュースを中心とする雑誌です。インターネット上にいる在日中国人をはじめ、中国に関心を持つ方すべてを対象としております。 『華声和語』は、日本在住のボランティアによって編集され、無料で提供されています。

第17号【1998年4月13日】とりあえずの鹿児島・沖縄プログラム連絡
思い煩うことなかれ 空飛ぶ鳥をみよ 播かず刈らず蔵に納めず (太宰治)
・悩み苦しむことなかれ 水に遊ぶ鳥をみよ たゆたふ流れに春をかたらう(ぶんじん)
―鶴川の駅から和光への道は 鶴見川の流れにそっている
  その流れの淵にひそむ鯉がいて その上でひねもす遊ぶ鳥もいる
  彼女らそのくらしぶりに励まされつつ 歩くのです―

第19号【1998年4月15日】古賀くんも誘ってください(上野)
 ご存知でしょうか? 立川叶子さん(東大和市)が亡くなられた。昨日の朝だったそうだ。3月14日の東大和「沖縄を知るつどい」の打ち合わせ(1月19日)でお会いしたのが、最後でした。当日は彼女の姿がなく、気にはなっていたのだが、やはり、だめだったのか。ご冥福を祈るのみ。

第20号【1998年4月16日】鹿児島からの招聘状

 ・・・・
和光大学研究生に内モンゴルからの留学生・ボヤンバートルという男あり。典型的なモンゴル族(出身は牧民、草原のなかで育った)、少数民族の知識人としての悩み深く、いま妻子をフフホトに残して東京で格闘中。
 詳しくは『東アジア社会教育研究』第2号、小林「広州から内モンゴルへ」のなかに書いています。ご覧あれ。TOAFAEC有志と和光大学有志で1997年夏にモンゴル旅行を敢行したが、ボヤンバートルがいなければ実現しなかった。現在、内蒙古師範学院講師。
 彼は馬で学校に通った。天の碧と地の緑が 360度の広がりで接し、渾然とそのまま一体につながっているような草原大地に生きてきた。それだけに瑠璃にきらめくほんものの海を知らない。海への限りないあこがれ。沖縄に行きたい、というのが彼の夢です。
 2月20日の上原文一、島袋正敏、中村誠司などを囲む会(東京・新宿)の席でも、「ぜひ沖縄に行きたい」と演説していました。しかし経済的にも厳しく、なかなか行く機会はなさそう、なのです。

第21号【1998年4月17日】招聘状・別紙、山羊さんの食べ残し
 
ここ数日、東京は曇り、雨、とても陽春からは遠い四月。しかし今日ようやく晴天のきざし。さすがに日々緑は広がり、季節の活気を感じます。とくに鹿児島や名護(島袋正敏氏)から五月案内がとどけば、また俄然にぎやかな気分です。
 昨日来、どこからか伝え聞いたのでしょう、TOAFAECメンバーでない人からパソコン「南の風」通信について相次いで関心が寄せられました。おや?と思い、すこし面白い気分にもなり、この機会にちょっと簡単な経過を書いておくことにしました。
◆一月はじめ、親しい仲間6人で、那覇・名護・八重山と遊び、その感想をTOAFAECニュース(13, 1月 30日発行)誌上に「1998年頭、南の海を飛びながら―沖縄研究再開への想い」(小林)を書いたら、神戸や佐賀から「研究再開」についての反応がありました。そうだ、と思いついて、各メールをパソコン通信的に他のメンバーにも配信。結果的に「南の風」第1号となりました(2月6日)。
◆この間、『東アジア社会教育研究』第3号(1998年9月刊行予定)の紙上編集会議
 北京・上海の『同』小編集会議(2月末)報告
 華東師範大学からの研究・交流・提携についての提起をどうするか
 東京での出版・改訂版などの動き・コメント
 鹿児島大学の黄宗建招聘・国際セミナー開催についての意見交換
 TOAFAEC 研究会の案内、桜は散ったか、磯さんの紹介、その他あれこれ、
 の通信をかわしていく間になんとなく「南の風」は定着の模様。
◆しかし突然のメール舞い込みに、当惑、唖然、驚愕、反論、返信、激励、などいろいろの反応。それぞれに興味深く、こちらは一方的に風を吹かしたという経過です。
 この第22号まで通算 70日余。平均4日弱の間隔で発行。しかし訪中や九州滞在中の期間を除けば、平均3日おきに「風」は吹きました。「長すぎて読むのに大変」という感想を聞いて、短信的なものに自粛しようと思っても、内容があればそうもいかないよ。
◆配信先はTOAFAECメンバー、沖縄・中国等への研究関心をもっている人10人余り。もちろん E-mail への配信ですから、media-literacy の問題が生じています。こちらはいろいろ発信しているつもり、しかし限られた範囲ですから、情報ギャップがあります。これから E-mail アドレスを寄せる人、少し人数は増える予感ですが‐‐‐。
◆あと一つは、親しい仲間意識の故に、それに顔が見えないので、やや書きすぎのおそれを実感しました。最近は自重気味、紳士的なのです。その反面、あまり面白くない?
 もひとつ、リード・オンリーのメンバーにどう返信を書かせるか、静かに勝負!といったところ。

第22号【1998年4月18日】名護からの案内だよ(島袋正敏)

第23号【1998年4月20日】華東師範大学へ手紙を書いた

第24号【1998年4月22日】ワインを飲みながら、沖縄研究再開だよ

第25号【1998年4月25日】花水木咲くころ、点字の音ひびく

第26号【1998年4月28日】NPO法関連年表(江頭晃子)だよ

第27号【1998年4月29日】浜田陽太郎さん追悼

第28号【1998年5月 2日】HP追加、上海・華東師範大学・葉教授への書簡

第29号【1998年5月 4日】新人紹介:山口真理子さん、鹿児島へ返

第30号【1998年5月 7日】沖縄研究・科研費内定











                   TOP