ぶんじん自分史(メモ)2 2016〜

        *出典:「南の風」など、カッコ内に注記  *ぶんじん自分史メモ1→■








ベッドの上で・・東京・信濃町(南の風2881号 2012年5月13日〜7月20日)

・(2012年 5/13) … 4月末のTOAFAEC 定例会や編集会議(27日)、東アジア研究交流委員会(28日)等、ご出席の皆さんには簡単にお話したことですが、3月の毎年恒例・胃カメラ検査で怪しいところが現れ、月末の沖縄調査が終わったあと再度胃カメラを呑みました。詳細に診てもらったところ、この際、切除(内視鏡)した方がいいだろうとの診断となりました。
 連休を九州で過ごしたあと、10日に入院。翌日に治療しました。無事に済んで、2日ほど点滴につながれていましたが、まずは経過良好。しばらく摂生しなければならないのが残念ですが、担当医師の説明も一応問題ないとのこと、早期の処置ができてよかったと胸をなでおろしています。一両日中には退院できる見通しです。ご心配かけました。…
 病院のベッドは、まわりに闘病の方々もあり、いろんなことを考えさせてくれるものです。これまでの生活リズムのこと、やや勢いで激しく楽しく動いてきた来し方、これからのこと、などなど。今夏は諸会合への呑気な出席はできるとしても、まずは「東アジア社会教育研究」第17号の執筆など自重せざるを得ない?と思われますが、ご配慮いただければ幸いです。(風2881号)

・(5/15) … 沖縄「復帰」40年のこの日、奇しくもぶんじんは退院の喜びの日となりました。あらためて現代医学の到達点に出会った(人生はじめての)入院生活でした。前号の「ベッドの上で」経過報告を読んでいただき、各位から、それぞれのお見舞い、励ましなどメッセージをいただき、恐縮し感謝しています。あとしばらく元気に生きようと、思いをあらたにしているところです。(風2882号)

・(5/16) … お見舞い、ご配慮有り難うございました。妻も喜んでいました。病院は、基本的に行動の自己決定を許さない空間。そこから逃れて、手術と点滴に繋がれていた日を除き、実質5日のうち3日は、外へ抜け出ていたことになります。もちろん(感謝しつつ)許可も得た上でのこと。入院を伝え聞いて、はるばる妹たちが見舞いに来たそうですが、これには失礼する結果となりましたが。いま神妙にも酒類は控えています。経過によりましょうが、どのあたりからチビリと可能なのか、先輩諸氏、一手ご教授ください。(風2883号)

・(5/18) … 今日18日は手術からちょうど1週間。胃内視鏡(今年はすでに5回目)を再び呑み込んで、その後の経過をチェックする日でした。あわせて採血とか、回復期に向けて話を聞いたり・・・1日がかりの病院通い。
 前号に(ぶ)欄「病院を抜け出して」を書いたところ「あきれた!」「辛抱して!」などの反響(当方の書き方も誤解を招くところあり)、若干の補足を書き添えることにします。
 最初の入院計画では、1週間(つまり今日まで)病院ベッドに拘束される予定でした。今回の内視鏡検査を終わって退院と聞いていましたが、主治医の賢明な!判断で3日前の15日に退院許可が出たのでした。2日間の点滴も、外出許可を求めたところ、1袋だけ省略してもらって、管から6時間早く離れることができ、結果的に計3回の外出(2〜3時間程度、すべて自宅へ)が可能になったという経過です。前号「実質5日のうち3日は外へ抜け出て・・」は、正確には「3回」外出をしたと書くべきでした。すべて看護集団の許可を得た上で、ドクターOKも頂いての行動です。順良な入院患者であったことを強調しておきたいと思います。
 点滴を短めにしてもらったとか、思いもかけず退院が早まったのは、80歳という年令の割には元気なことが評価された・・・と勝手に推測しています。今日の胃カメラは、慣れもあってか、あっという間に終わりました。これまで喉元に執拗に残った違和感もなく、拍子抜け。これまで嫌いだった内視鏡も妙に好き?になりました。これも一つの収穫なのでしょうか。(風2884号)

・(5/19) … 18日夜、TOAFAEC総会に向けて、近くで事務局会議が開かれたらしい。こちらは病後でもあり、どうせ飲めないので、あえて欠席。TOAFAEC 史で事務局会議を欠席したのは恐らく初めて。かって「風の部屋」等で内田純一や故石倉裕志などと(いつも!)飲みながらTOAFAEC 議論をしていた時代をひとり懐かしむ夜でした。あの頃は総会はなく、むしろ月例会と年報編集の進め方が中心のテーマ。天下をなで切りし、東アジアの海に果敢に船出する勢いを鼓舞していたような想い出。(風2885号)

・(5/24) … 昨日は病院へ。術後12日が経過した時点での総括的な診断を伺いました。血液検査の結果を含め、いい状態で経過している、切除した胃部位の細胞検査についても(期待した通り)とくに問題はない、胃酸の分泌を抑える薬(タケプロンOD錠)をあと1週間余り服用する以外には、他に処置する必要なし。今後は、1ヶ月後と2ヶ月後に胃カメラで治癒状態をチェックしましょう、そんなお話でした。今年は胃カメラと、とくに仲良しになった年、まだ付き合いが残っているようです。
 というわけで、お祝い!乾杯!といきたいところ。しかし、刺激物・アルコール類は2ヶ月ほど禁じられたことが痛い。これまで術後の苦痛はほとんどなく、2日も点滴につながれた不自由と流動食ぐらいがイヤな体験。ところが、ある程度予期していたとは言え、なんと2ヶ月も禁酒!とは苦痛です。ビールが美味しくなる季節なのに。これからが私の闘病生活!か。
 頂戴したお見舞いの中に刺激的なメッセージがありました。「…お疲れがないように、お酒も少しは抑えて頂ければと思っております。お酒は先生の分まで私が飲みますので、私に渡してください。」 イヤハヤ!
 めげずに、気を取り直して・。離れていた仕事に少しずつ復帰したいと思っています。幸いに「南の風」は、そう間隔が開くことなく送信できていますが、いくつか忘れていた原稿などあります。関係の方にご迷惑かけないよう、スケジュールなど、いま想い起こしているところです。(風2888号)

・(5/26) … ぶんじんは病後の身、はたして「…自宅で安静にしているかどうか」と危ぶむ声(上野景三さん)も聞こえてきましたが、迷うことなく出席しました。恢復の途上にあることは明らか、「東アジア」とTOAFAEC 定例会の「…声聞けば、我が身さえこそ動(ゆる)がるれ」の心境、会場には一番乗り。…
 長い「イーストビレッジ」での交流会のなかでも、この日は“歴史的”な夜。ぶんじんが果たしてビールなしで過ごせるか、飲んだ気分になって歌えるか、まわりも遠慮しないで楽しめるか、など気にしながら乾杯。ぶんじんは日本茶で(食事は持参の蒸しパン)。アーレスグート!すべてうまくいきました。王国輝さん(遼寧師範大学)がそれとなく気をつかってくれるのが分かりました(有り難う!)。会が終わったのは11時近くか。 … (風2889号)

・(5/28) … ぶんじん宛には、静養し落ち着いて過ごすようにとの見舞いも頂戴しました。あわせて「…でも一方で、あまり休みすぎるのも、先生にはあわないかもしれない…」とのお見通し。励ましを有り難うございました。「公州の風」5でもお見舞い拝受。… (風2890号)

・(6/3)<サビ抜きのにぎり>  …このたびのドクターストップで、寿司屋も飲み屋もワイン屋にも3週間ほどのご無沙汰。ところが昨夜(1日)、学会・六月集会の席から抜け出て来てくれた佐賀・仙台のお二人、永福町で第17号特集をどう書くかの議論をしたあと、久しぶりに駅前の寿司屋へ。術後はじめてでした。寿司屋の親方は先月、石垣島・平久保「ぶんじん歌碑」を見に行った人、そんな付き合いです。二人のビールを横に見ながら、こちらはお茶だけ、その上に寿司もサビ抜き。それでも楽しい夜でした。いまドクター指示を忠実に守り、闘病?生活を続けています。

・(7/20)<梅雨明け宣言>  …昨日18日(水)午後、信濃町へ。ぶんじんにとって、この日、3月からの胃カメラ騒ぎ、終結宣言の日となりました。当たり年の今年、手術を含めて7本の胃カメラを呑みましたが、それもすべて終了、食事制限すべて解除、もちろんお酒も(ほどほどに)大丈夫、とのドクターの神の声。嬉しい1日、夏の始まり。夕食のビールも、ひさびさに懐かしい喉ごしでした。これまでの、おそるおそるのテスト飲み、美味くなかったのです。
 久しぶりに、いくつか戯れ歌を載せます。
◇内視鏡のベッドに伏せば心萎え 病人となる梅の咲く日に −赤坂・最初の胃カメラ(3月15日)
◇夢うつつ麻酔のさめて看護士の くれしアメダマ桃源の蜜
◇七夕に快気を祝い梅雨の明け  −七夕の会終わり梅雨明け宣言(7月17日)
◇古酒しずく口にふくめば夏の風
◇梅雨明けて梅の実の行方気にかかる *油山の梅、今年は実ったらしい−7/20


西新宿・謹慎入院中(南の風3245号 2014年2月10日3254号 2月23日)

南の風3245号 2014年2月10日
 南の風がいつになく吹き止んで、約1週間のご無沙汰。どうしたの?などお問い合わせ。恐縮しています。この間HPもいつもの更新なく、HPだけの(配信していない)風・読者からも「体調は?」のお見舞メール(福岡・横尾成臣さん)を頂きました。申しわけなし。
 伊藤長和さんが詳細な闘病記録を寄稿された経緯あり、身体や病気の経験は当事者だけが知る得る情報。見劣りしますが、言い訳がわりに簡単な経過を書いておきます。病名は「深部静脈血栓症」。左下肢部が突然に腫れあがり、疼痛甚だしく、近くの整形外科で診断してもらったところ、直ちに大病院での検査・治療が必要とのこと。西新宿の東京医科大学(心臓血管外科)では、その席で車椅子に乗せられ、案の定、即入院となりました。終日(2月4日)のエコー・CTその他の検査。夜には頸静脈からカテーテルを挿入し、肺臓の直下、下大静脈にフィルターを装置し、血液内を下肢から浮遊してくる血栓を閉塞、肺血栓や脳血栓を防ぐための措置です。
 検査では左下肢部に発生した血栓はすでにあちこちに「飛んでいる」との診断。場合によっては生命にかかわる!と脅かされ、それから24時間の点滴につながれる身となりました。
 正月以来、左のふくらはぎが痛く、いつものことだと馴染みの整骨院でマッサージなどしてもらって快方へ。ところが、いつになく、浮腫(むくみ)があったのを見逃していました。静脈血栓症について全く無知でした。
 4日目にしばし点滴から離れてお風呂に入りました。場所は西新宿、病院11階の浴室。湯上がりのビールがないのは残念。外は一面の雪景色。
南の風3248号 2014年2月13日
 病状一段落、点滴も終わって、時間をもてあましています。退院の見通しはまだ明らかにされず、やむなくのんびり・・・の毎日。テレビは冬季オリンピックの同じ場面の繰り返し、うんざり。やはり新聞のきちんとした記事が面白い。午後は外出を願い出て一時帰宅へ。
 そんな経過で、いま「南の風」は自宅から送信しています。夕食までに病院に帰るきまりなので、自宅のパソコンに座ると案外と忙しい時間となります。急いでMeiwakuを捨て諸メールを受信、選り分けて「風」に編集。ついつい皆さんに配信したくなり、連日の風を吹くことに・・。
 病院では、すべて新しい人との出会い。興味深いものがあります。医師・看護師・技師など専門スタッフだけでなく、朝の新聞を届けてくれるオジさんまで含めて、規律・効率豊かな機能集団。接触の多い看護師の皆さんも定められた仕事のなかに、一人ひとりの個性もにじんで、楽しくなります。深夜、離れた病室から必ず大声で叫ぶ老人がいて、その声を聞きながら“ご苦労さん”とつぶやいて・・・なかなか寝つかれない夜。
 谷和明さんメール(3246号)によれば、いまM,ベントさん(ハンブルク)は東京の空の下。アルトナーレの市民祭など、ベントさんとの忘れがたいビールの席が想い出されます。・・・ いま当方は新宿の住人、どこか近くで来日中のベントさんと一杯飲みたいところですが・・・病院に囚われの身、世はままならない。残念です。
南の風3252号 2014年2月19日
 おそらく?退院も近くなって、すこし院内・運動もし、許可をもらって自宅へ一時帰宅などしています。伊藤さん追悼であふれるメールボックスを開き「風」編集・発行の作業。しかし決められた時間に帰院しなければなりません。作業半ば・・・、慌ただしいパソコン撤収の操作はミスを伴いがち。この1日、大事なホームページの表紙に混乱があったらしい。さきほど「如月のニュース」に更新し、表紙につながる各サイトの位置どりも整えることができました。
 19日午前、病院にミヒャエル・ヴェント(Michael Wendt)さん(ハンブルク市アルトナ・文化センター《モッテ》所長)が谷和明さん(東京外国語大学)とご一緒にお出でいただきました。日本社会教育学会の招聘による研究集会(16〜17日)で多忙のなか、思いがけないお見舞いに恐縮し感激しました。
南の風3254号 2014年2月23日
 ・・・ところで、ぶんじんの入院(お見舞や励ましなど感謝!)は、伊藤さんの通夜・告別式の事情に合わせて、うまく退院の運びとなりました。造影剤をいれてのCTなど前日に大きな検査が済み(許可を得て)自宅に寄って式服に着替え鎌倉へ。通夜の席、清めのお酒で川崎の皆さんと一緒に伊藤さんを偲び、この夜からはれて自宅に戻りました。ご心配かけました。
・南の風3304号 2014年5月24日
 その後の体調のこと。2月20日、伊藤長和さんの通夜の日に退院して、ちょうど3ヶ月が経ちました。今回は(一昨年の胃ガン術後と違って)お酒を禁じられることはありませんでした。しかし、あのときより妙な“病後感”のような状態がいまでも続いています。左下肢の症状(浮腫)はほとんどなくなりましたが、足の運動機能は明らかに減退。年令不相応にスタスタと歩いていた身が、いまは八十路のヨタヨタの感。2週間に1回の通院が続き、5月にようやく1ヶ月おきの通院へ。「治験」(治療の臨床試験)への協力を求められ、そのせいか採血やCT・エコーなどの諸検査は多いようですが、経過は良好のようです。恢復のペースは案外とゆっくりとしか動かない病気なのです。・・・


毎日寄り添い手を取り合って(2015 七夕の会)(南の風3527号 2015年7月24日)

 私たちの結婚は1961年。華麗な式場ではなく、あるレストラン(福岡)を借りて形ばかりの挙式。内輪のごく小さな披露宴みたいなことをすませ、その足て南九州の旅に出ただけの思い出。経費はその前日に出た冬のボーナスをあてました。仲睦まじい新婚生活の思い出などあまりなく、その頃、私は勝手に九州農村調査(フィールドワーク)等にでかけ、妻も仕事をもっていましたから自分のリズムで行動してきた生活。週のうち一緒に夕食をとる日の方が珍しかったような歳月でした。
 神様の思し召しか、ここ2年近く、二人の仲は一変しました。毎日寄り添い、手を取り合う新婚時代のような生活がやってきました。亡くなった伊藤長和さんは、“九州男児”のぶんじんが愛する妻の手を握りあうスタイルを一度見たいものだと言い、当方は「手をとりあわなくても愛はある」と反論したり・・・そんな会話が懐かしく想い出されます。いまは毎日、というよりほとんど毎時間手を取り合っている姿をみて、きっと拍手をしていてくれる?と苦笑しているところです。
 今年の「七夕の会」に、車椅子での移動のことや、一人で食事できない妻・富美の出席をどうするか、すこし迷いました。最近の記憶や認知にまだら模様あり、皆さんに失礼があってはならないとも思ったからです。しかし、この日旧知の方々に会って、彼女の眼は輝いていました。七夕の会の報告で飯沢美樹さんが書いているように、「冨美さんのことが好きな人!という江頭さんの音頭に全員“はーい”と手をあげた、あの瞬間!」記念の一枚をHP写真添付させていただきます。(左端に富美、笑っていいる)


■目の手術、耳の故障  (南の風3712号 2016年11月11日)
   
 名護辺野古「嘉陽のおじい」がなくなられたそうです(上掲・おきなわ短信1193)。私もなんどかお話したことがあります。「…笑顔を失った時に私たちは負ける」の寸言、けだし名言。心からご冥福をお祈りいたします。
 ぶんじんの今年は笑顔を失ってきた年でした。本欄にあまり書きたくないことですが、すこしお許しいただいて…。妻・富美を寝たきりにしないために家の中での介護に奮闘してきましたが、7月下旬に変調あり救急車で入院。一時は危ない夜も。さらに転院、その直後に息子家族も集まる緊張状態あり。一進一退を続けています。完全な寝たきり病人となりました。残念無念。
 当方は、家庭内介護がなくなって、自分の永年の懸案・白内障の手術を申し出ました。10年あまり敬遠してきたこと。予約ば案外と混んでいて、ようやく昨日が左の手術日でした。手術着に着替えたイヤな午後・真っシロな20分間。さきほどまで大きな眼帯をしていました。来週に右の手術が予定されています。この間、9月中旬のある朝(手術のため眼科集中検査の翌朝)突然に右の耳の「突発性難聴」。朝起きると、頭がボワンとして耳がおかしい。全く(世の中の半分が)聞こえない。入院をすすめられて5日間のステロイド療法(点滴)。退院後も5回の鼓膜からの注射など通院が続きました。まだ続いている。
 左の目は眼帯をはずしたばかりですが、格段に改善され、しかし右の耳は急には治らないらしい。夏から秋にかけて入院・手術・病院通いが続き、余裕もなく、笑いを忘れてきたのです。そのなかでの東京本の出版、いま、私には奇跡のようにも思われます。
 今日、担当医師から「眼を酷使するな!」「酒もダメ!」と言われています。本号はこのあたりで・・・。いくつかお約束の原稿あり、まったく進んでいません。本稿はその言い訳です。お許しください。論文は書けませんが、風はなんとか吹いている?かたち。
 ところで、11月25日・定例研究会ゲストの谷和明さんから、国際的な(EU圏内)「社会教育職員協会」(AIEJI)についての興味深い一文(上掲)を拝受。添付いただいた谷論文、新しい知見、興味深し。驚きながら読みました。論文ご希望の方は直接に谷さんへ。当方からもつなぎますが…。


■上海・国際シンポに出席できず(南の風3764号 2016年12月5日)

 12月12〜13日、上海で開催予定の中日韓・三国シンポについて、呉遵民さん(華東師範大学)より経過報告を頂きました。ありがとう!呉さんからは今年の正月あけに「中日韓シンボ提案」(風3608号、1月12日)が寄せられた経過があります。3月には来日した呉さんと会った記憶も。しかしその後、妻の介護・看護のため、外泊することが難しくなり、上海・北京訪問は断念のほかありませんでした。
 この夏(妻の緊急入院等)、呉さんや韓民さんに事情を説明する余裕もないような状態が続きました(いま小康を得ている)。せっかく来日された華東師範大学終身教育研究院・黄健さんにも失礼しました。ご期待に添えず、まことに申しわけありません。この間、「南の風」は元気に(何事もないかのように)吹き続けましたから、ご不審にも思われたでしょう。お許しください。三国シンポが盛大に開かれ、実りある協議となるよう祈っています。


■股関節物語南の風記事、2017年    南の風3878号【2017年9月19日】

≪病室からのご報告≫
 「故林えいだい追想2〜」や、韓国研究フォーラム・学会ラウンドテーブルの論議(上掲)、TOAFAEC9月定例研究会(9月29日・金)案内など、関連して書きたいことがいろいろ。ところが残念ながら、緊急入院(16日)の事態となり、しばらく病院暮らしを強いられることになりました。
 簡単な経過を書いておきます。5月初め、富美が重篤となった頃から腰の激しい痛みがあり、告別式も車イスでした。その後、少し快方に向かう時期があり(富美を偲ぶ七夕の会など)、次第によくなるだろう、と(痛みに耐えながら)希望を捨てずに過ごしてきました。定例研究会や韓国本のお祝い会(全国集会)も、小田切さんや山口さんのサポートを得て参加してきたのはご承知の通り(風・記事)。
 ところが9月に入って、だんだんと左足が立たなくなりました。単なる老化・ギックリ腰だけではないな、なにかあるぞ、という感触。通ってきた整形外科医院(鍼灸院にも4〜5回通う)のドクターから紹介状を書いてもらって、大きな病院へ。初日は検査いろいろ、そして帰宅・・・と思っていたところ、その場で入院という事態。少し長引く病院暮らしとなりそうです。この間、皆さんの期待に添えず、あまりご心配をかけたくないので、素知らぬ顔で「南の風」を出してきました、お許しください。

≪南の風・しばしお休み≫ 3881号【2017年9月29日】 
 入院してすでに10日あまり。高齢、血栓症の既往症あり、さまざまの諸検査が続き、疲れ果てました。昨日午後、医師団の方針が決まったようです。明日、家族を含めて、説明頂けるとのこと。小生の希望は「あと一度、自分の足で歩きたい」「フィールドワークの現場に立ちたい」こと。
 その願いを汲んで(さきほど麻酔科の教授より激励あり)、医師団の治療方針としては、まず股関節の損壊部分に悪く作用している感染症の治療(骨を洗う?手術)、その後(2〜3ヵ月?おいて)股関節に人工関節をセットする手術。すでに点滴も24時間途絶えることなく始まりました。第一の手術の準備に入ったのです。「南の風」もひとまずお休みにします。 
 1998年2月から平均2日おき、海外出張中を含めて「お休み」なく配信してきた風、残念ですが、止むをえません。ベッドの状態がいいときに、また吹き始めたいと思います。ご了承ください。(皆さんからのメール大歓迎! ときどきパソコンを開くこともありましょう。)

*10月3日午後 手術(第一)
■≪南の風・しばし共同編集へ≫ 3882号【2017年10月8日】
・3883号【2017年10月13日】 「韓国(ヤン先生)・台湾(許さん)はじめ、各地からの皆さまのお見舞いに励まされています。ありがとうございます。(ぶ)」

・3884号【2017年10月22日】 「闘病とはよく言ったものです。毎日病と闘っています。」
・3885号【10月29日】「手の届く範囲が50センチ四方も広がる“孫の手”に助けられています。」

■≪病室から見える青空≫ 3886号【2017年11月4日】
 10月はじめ1回目の手術(内部感染症・壊れた股関節摘出)が済んで、今月末予定の2回目の手術(人工関節を入れる)に向け、いま小康状態。皆さんにご心配をおかけし、恐縮しています。ひとまず順調に経過しているようです。
 病室から見る青空はことさらに美しく、鳥も飛び、風もさわやか(らしい)。南の風も吹き続けることができ、何より嬉しいことです。いま、寝ながら片手でパソコンを打っています。

■≪人生初の空白の時間に≫ 3887号【2017年11月11日】
 その後、小康状態が続いています(あと4日でもとの病院に戻り本手術へ)。こんな空白の時間をもつのは人生で初めて。ただ自分の意志で自由に動くことができない。ベッドで仰向けに寝て、軽いパソコンを片手にもって、片手でTOAFAECホームページの修復・補充をするのがいい時間つぶし。また再起への思いにもつながります。かって撤収・移動した写真をもとに戻したりして、皆さんの笑顔に励まされています。

■≪足腰を取り戻す夢≫3888号【2017年11月18日】
 最初の手術が済んで、リハビリ中心の病院へ一時転院(3週間)。数日前そこから再びいまの病院に戻ってきました。次の手術(本手術)の準備に入っています。術後のリハビリなど考えると、少なくともあと1ヶ月半はかかる? 
 病院暮らしも2ヶ月を越えました。もとの足腰を取り戻す希望だけを頼りに、ひたすら耐えています。ご存知・故伊藤長和さんが「烟台の風」連載(全309本)後に書いた「私の闘病生活」(12本+4本)を改めて読みました。長さんにとっても闘病とは耐えること。亡くなられる直前までの健筆に感服の他なし。→■
 病院では“歌ごころ”どころではありませんが、日誌がわりに戯れ歌数首を。
◇(10月3日)手術(1回目)の夜、麻酔さめかけて− 
・ナースコール手にもたされて混濁の 痛みの砂漠ひとり彷徨う
・朦朧のなか「この手術は失敗だ!」うわごと叫びし記憶かすか
◇ (11月11日)一時転院、病窓から見る青空−
・雲流る「おいでおいで」と晩秋の 樹々のざわめき風のささやき 
・油山 やんばる 公州(コンジュ)上海へ 吾が足で行くその日めざして 

■<病室のバースデイ>Date: Sat, 25 Nov 2017 22:10 3889号【2017年11月28日】
 「師走」が近づいたというのに、まだ病院のなか。もちろん走ることはできず、ほとんど寝たまま。手術に向けて、点滴の管につながれています。耐えよ!再生の日は近い、解放される日はすぐそこだ!などと、なにか獄屋につながれた囚人のようなスローガンをつぶやいています。
 この間に86歳を迎えました。この数年、韓国研究フォーラムの11月の集いには誕生日のケーキが並び、皆さんか祝っていただきました(HPに写真)。今年は孫からのお祝いメールが来信。これに励まされる気分になっていたところ、折良く沖縄からの客人(鷲尾真由美さん)あり、山口真理子さんご案内で見舞いに来室されました。お二人でケーキも持参され、病室らしくない賑わい。昔の「おきなわ」研究会のこと、久茂地文庫や今の辺野古など、沖縄の話題が相次いで、時を忘れました。有り難うございました。
 島袋正敏さんからは、来年の「やんばる対談」へのお誘い、「元気に名護・やんばるで春の風を楽しみましょう」(風・前号)と。気分そわそわ。心では「やんばる」を旅しています。
鷲尾真由美さんと(20171121)


■<新しい記念日、河は眠らない> 3890号【2017年12月3日】 
 11月28日午後、左足の「人工股関節置換」手術が無事に終わりました。皆さまにご心配かけ、ご声援いただき、ありがとうございました。「センパイ」の近藤恵美子さん(日本公民館学会・初代事務局)の手術は「半年以上の順番待ち」だった由、当方は股関節損壊の診断から2ヶ月半での手術完了ですから、ラッキーだったのですね。しかし老衰の身、手術・麻酔の影響もありますし、これからのリハビリの道も難行のはず。再起・復帰に向けて頑張らなければなりません。今日(12月2日)は歩行器にすがって病院廊下を少し歩きました。新しい股関節が動き始めた記念日となりました。
 TOAFAECホームページ表紙の写真。秋には杉並の紅葉で飾っていましたが、12月となれば季節は冬。俳句の季語で冬は“山眠る”(ちなみに春は“山笑う” 夏は“山滴る” 秋は“山粧う”)。2006年に越後を旅した折に撮った残雪の山写真へ更新しました。山は眠る、しかし「河は眠らない」(奥只見湖にそそぐ清流)という開高健の碑が印象的でした。私の冬も「眠らない」で歩き始めようと思いを新たにしたところです。
 この越後への旅は故伊藤長和さんなど川崎グループからのお誘い(魚沼・星野修美さん宅訪問)、風1652号(2006年5月21日)ぶ欄に書いています。→■
■≪現地でお会いしましょう!(ま・え)≫
 先生の手術終了に伴い、お見舞いのお申し出をいただいていますが、皆様には「元気な姿で会いたい」とのこと。「86歳にしては若い(と病院内でも評判)」先生は、当初の予定より退院も早くなりそうです。春節の頃には、退院祝い兼2018年春節祝いを開催予定ですし、沖縄・東アジアへのフィールドワークへも意欲満々です。「病院ではなく、現地でお会いしましょう!」とのことです。

 ▼山眠る、しかし「河は眠らない」(奥只見湖にそそぐ清流)


点滴続く  3891号【2017年12月11日】  
 晩夏、半袖姿で入院、いま師走の半ば。3ヵ月をこえる入院生活にうんざりの毎日です。術後の経過はまずまず良好。まだ日に3回の点滴は続いていますが、針の刺し替え(4日ごと)に来た看護師に「これで最後?」と期待をこめて尋ねたり・・・。そしていま、リハビリが厳しく始まりました。
 なにしろ5月以降の痛みから、ほとんど動かしていない左脚の劣化は相当なもの。移動は車イスでしたから頼みの右脚もかなり弱って、よたよたの状態です。両脚で“自立”して歩くようになるまで、やはり長期のリハビリが必要か。
 少年Bは旧制中学1年で大腿骨(右)の骨折事故を経験しています。1ヵ月半ほどギブスに巻かれ、棒のようになった右脚を父(教員、柔道家)がリハビリに当たってくれました。風呂のなかで膝を曲げていく痛く厳しい想い出。13歳の少年と父との当時の対話を想起しながら、いま86歳の左脚・股関節の再生への努力に励むことになります。

■<佐賀フオーラム、心は参加!> 3892号【2017年12月19日】
 術後2週間が経過して無事に抜糸も済み、昨日で点滴も終わりました。これで退院となれば嬉しいのですが、そう簡単ではなさそう。採血のデータはまずまず、だが経過をさらにチェックする必要あり、そしてリハビリの道が続きます。いま杖をついて歩き始め、歩数を延ばしているところ。
 佐賀で開かれた東アジア(日中韓台)生涯学習研究フォーラムへの参加の皆さん、とくに海を越えて来日された中国、韓国、台湾の皆様、ご苦労さまでした。8月あたりまでは「12月には大丈夫、出席できる!」と思っていたのですが、思うようにはならず結局は不参、残念です(心では参加!)。
 佐賀でのフォーラム、エクスカーションを終えて、中国メンバー(北京・中国政府教育部の韓民、上海・華東師範大学の呉遵民、黄健、馬麗華の皆さん)は東京へ、病院までお見舞いに見えました。恐縮のほかなし。静かな病院が呉さんの大きな笑い声でひときわ賑わいました。韓国メンバーは(主のいない)福岡・油山文庫を訪問された由(農中茂徳さんから電話)。当方が元気であれば「油山の集い」を開いたことでしょうに・・・。上田孝典さん(筑波大学)から佐賀フォーラムの写真を送っていただきましたので、1枚をホームぺージにかかげます。ありがとうございました。

■<病室のクリスマス> 3893号【2017年12月27日】
 群馬・石川敏さん(旧笠懸村公民館主事、ビンさん)の訃報が届きました。ちょうど半世紀のおつきあい、想い出たくさん。去る5月の妻・富美の葬儀の折には、遠路はるばる会葬され、あたかも「ぶんじん」が亡くなったかのようなご挨拶をいただきました。文字通り「月刊社会教育」「社全協」60年をともに歩いた人。八重山まで一緒に旅をした仲。同年生であっただけに残念無念!
 病床では月日のみが無為に過ぎて、あっという間に年の瀬。入院生活はついに百日を越えました。傷も癒え体調がもどるにしたがって、ベッドに縛られる拘束感、やりきれないです。正月もまだ病院のなかにいなければならないよう。
 暇に任せて(いつぞや書いたように)ホームページの補修に励んでいます。たとえば『躍動する韓国の社会養育・平生学習』のサイトをつくりました。エイデル・山添さんから、同書のまえがき・あとがき・総目次・写真のデータを送ってもらって、用意していたページに流し込む。追加も可。関心ある方々へ、とくに市民・実践家に、あと一つひろげて、購入の輪をひろげてほしい。
https://secure02.red.shared-server.net/www.bunjin-k.net/yakudoukannkoku.htm→■
 はじめて病院内でクリスマスを過ごしました。音楽好きの看護師有志が音頭をとってミニコンサートが開かれました。「患者・家族・スタッフの皆さんが少しでも楽しんでいただければ幸い」と。短い時間で思わぬプレゼント。
◆戯れ歌工房(12月27日) 
・北は吹雪「おぼろ月夜」歌えば病室は春 ・「花は咲く」アンコールの手鳴りやまず 
・剃りのこし顎ヒゲひとつクリスマス
■スタスタと歩く文人先生(江頭晃子)
 姿勢よく、杖1本でスタスタと歩く先生の姿を見るのは半年以上ぶりで、感激。髪が伸び、何かを見据える眼差しに、圧倒されました。まだ油断はできませんが、退院の日時の検討も始まっているようです。

■<祝い酒を汲もう!> 3894号【2017年12月31日】 年の暮れ、文字通り最後の日、大晦日に書いています。今年は厳しいことがあり過ぎました。その年がいま終わろうとしている、そのことにまず乾杯したいと思います。と言っても病室ではできませんので、今から「外泊」許可をとって1日だけ自宅へ戻り、年越し・元旦の祝い酒を汲むつもり(美酒少量!)。そこまで体調も恢復しつつあることを本欄でご報告できることが何より嬉しい。
 この間の皆様からのお見舞い、激励、声援等に心より御礼申しあげます。南の風/TOAFAEC 関連では、何より江頭晃子さん、山口真理子さん(事務局長)のお力により、風は「共同発行」の形で途切れることなく吹き続け、毎月恒例の定例研究会も(何事もなかったように)内容豊かに(12月29日研究会、上掲・石川報告)開催されてきたことを喜んでいます。皆さん、有り難うございました。

■≪新しいスタート≫ 3895号【 1月 8日】
 正月を迎えて、第一の朗報は、退院の話が具体化してきたこと。本号がお手もとに届く頃には自宅に戻っているかも。思えば昨年9月半ばから足かけ5ヶ月の病院暮らしでした。その前の激痛の4ヶ月や妻・富美の最後などふりかえると、人生にはこういう過酷な年もあるのかと思う日もありました。耐えに耐えてきた1年。
 しかし入院と言っても死にいたる病でないことは確か。必ず自分の脚で立つときが来るとの医師団の励ましを信じて、新しい年を迎えたのでした。まだリハビリが続きますし、股関節・人工関節に特有の装具を身にまとっての再スタート。よちよち歩きですが、またと経験できない貴重?な“再生”の機会、しっかり確かめながら、「第2の青春」を楽しみたいと思っています。3月やんばる対談・沖縄行きをまず目標に励むつもりです。
 皆様から年賀状をたくさん頂戴しました。当方は賀状どころか、喪中ご挨拶を出すことも出来ず、失礼を重ねています。一段落したら「寒中お見舞い」のかたちででもご報告・お詫びを申しあげたいと考えています。足腰の回復をみながら定例研究会などにも復帰するつもりです。

3896号【2018年1月12日】
■≪バトンを返せる喜び(ま・え)≫江頭晃子
 9月中旬の先生の入院にもまして驚いたのは、南の風3881号の「しばしお休み」でした。
 共同編集で出したのは、たったの14号。「おきなわ短信」を探したり、多少の依頼もしましたが、基本的には先生に来たメールを編集するのみ。しかし、疲れました。いつも心に何かがひっかかっているような感じであり、発行するときは気持ちを集中してもっていく必要あり。先生はもちろん「公民館の風」の内田光俊さんに畏敬の念を覚えました(今さら)。
 私たちのつたない編集のお陰で、書きたいことも書けない、出したいときに出せないイライラを募らせていた先生は、早く元気になられました。と言うのは冗談で、皆様の声に力づけられ、次の一手に思いを馳せている先生にとって、大事なメディアです。引き続きの双方向性をよろしくお願いします。
■≪バトンを受けて、再び・・・(ぶ)≫
 検討が始まると医療スタッフの決定は早く、8日退院となりました。病院とは違う環境(自宅)での生活を始めています。当方は別の身体で帰ってきたようなもの。自分の家ながら、おかしなもので慣れるまでやや混乱あり。トイレ・風呂・食事など調整が必要。なにより座り机に“あぐら”をかいてきた仕事スタイルを変えねばならぬ・・などなど。今日(11日)ようやく外出、馴染みの床屋で半年ぶりに散髪をしました。せっかくボサボサにのびた髪、少し長髪気味に、ヒゲはすべて剃り落とし。帰宅への道、“自分の脚”で確かに歩いていることの実感、出会いの店に飛び込んで、ひとり乾杯!この間にお世話になり声援・お見舞いを頂いた方々が横にいるような気分で、グラスをあげました。
 なにより「南の風」の継続について、江頭晃子さん・山口真理子さんお二人の“侠気”、病室ベッドにぶんじんのWiFi環境をつくってくれた木村雅俊さんの“才覚”。木村さんが現れたのは入院(2017/09/13)直後、驚きました。これで、痛みと不安のベッドから5本の「風」を出せたのです。そして手術の日程が迫り「しばしお休み(ぶ)」(3881号、09/29)へ。これを受けて(え)(ま)のお二人から「しばし共同編集へ」(3882号、10/29)の提案を戴いたときの感激!いつまでも忘れることはないでしょう。今度また本格的な共同編集・発行の機会を企画したいもの。(え)(ま)バトンを受けて、再び「南の風(ぶ)」編集・発行に勤しみます。

3897号【2018年1月15日】
■≪ボンゲティング歓迎!≫
 風・前号の本欄(退院ご報告)を受けて、たくさんのお祝いメールが寄せられました。有り難うございます。本号はその特集号のような構成、恐縮しつつ編集しています。私信と記されているのは別にしても、すべてを載せきれない。 
 メールだけではありません、電撃的な来客あり。前号の送信が12日午後2時過ぎ。その作業を終えて真向かいのカフエ(チェルシーガーデン)で遅い昼食とワインを楽しんでいました。マダムに久しぶりの退院挨拶、積る話などあれこれ。私より富美が入りびたっていた店です。風の部屋来訪の皆さんもご存知の方が多い、韓国のヤン・チェ両先生も確か富美がご案内した記憶。そこに「風を読みました、退院祝いです」とケーキ持参で現れた美女数人、確か午後5時頃か。突然で驚きました。
 韓国では「ボンゲティング」(雷ティング・アポなし会)というそうです(上掲・呉メール参照)。送っていただいた写真1葉、ボヤんバートルさんの要望もありホームページにアップ(下に写真、さてどなたでしょう?)。ご来訪に感謝!
西永福・チェルシーガーデンにて(1月12日・午後)



■2月定例研究会の賑わい・退院して1ヶ月半 南の風3914号 2018年 2月26日

 あっという間に2月も終わりが近づきました。退院してちょうど1か月半、2月定例研究会(2月23日夜、高井戸)へ出席。この日まだ杖をついていましたが、(タクシーではなく)電車で会場まで。会が終わってイーストビレッジ・懇親会も最後までお付き合いできました。退院後初の1月定例会の時より動きが自由になってきている実感。少しづつ回復し、そろりそろり皆さんの仲間入りをさせてもらっています。こうして“復帰”していくのでしょう。
 しかし2月は大きな傷(手術)を負った身には厳しい季節、極寒に加えて大雪もあり。転んではたいへん!と3日ほど閉じこもった日もありました。1日動かないと1週間のリハビリがもとに戻るような錯覚を覚え、いま鎮痛剤から解放されているせいか、チクリチクリと古傷が痛む日も。外出の時間がながくなると、さすがに疲れてしまいます。23日夜・イーストビレッジの店を出て、前に停まっていたタクシーに倒れこむように乗り込んで帰りました。まだ1人前ではないのです。







*ぶんじん自分史メモ1→■

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