ぶんじん自分史(メモ)2 2016〜

        *出典:「南の風」など、カッコ内に注記  *ぶんじん自分史メモ1→■









■「南の風」の誕生日  南の風3790号(2017年2月6日)

 今日(2月6日)は「風」の誕生日です。1998年この日に「南の風」は創刊号を出しました。はじめメンバーは10人もいなかった?ような記憶。沖縄研究を再開しよう!といった仲間うちの通信でした。当時すでにTOAFAEC は発足していて(1995年)、年報「東アジア」も2冊出していましたから、「風」は格好の研究通信として機能していきました。
 沖縄のテーマとともに、当時増えていた(とくに中国からの)留学生“激励”通信の趣きももっていました。日本の自治体・社会教育関係者は、まだ個人でメール・アドレスをもつ人が少ない時代。「風」を受け取るために、パソコンを始める人もいたぐらいです。合い言葉は「風は双方向に吹く」でした。
 沖縄・東アジアに向けて吹く「南の風」と並んで、日本の社会教育・公民館に向けての通信がほしい。翌1999年秋に「公民館の風」が始まります。その頃、日本公民館学会設立への気運あり、公民館の風も勢いよく動いていきまました。しかし、二つの風を発信する負担と、相互のマンネリ化を脱するため、故伊藤長和さんたちから「一つの風にしぼろう」の助言あり、南の風1000号に到達した日(奇しくも2003年2月6日)、「公民館の風」は休刊へ(395号・同2月7日)。ちなみにその年5月に日本公民館学会は創立したのでした。
 南の風は、今年で19回目の誕生日です。1年に平均すると、これまで毎年200通のラブレターを送り続けたことになります。19年よくぞ続いたものです。恋の道は浮気?なのに、風への想いは、いまなお熱く続いているかたち。






■30にして立て!1992年3月・卒業生へのメッセージ(東京学芸大学) 

 卒業の季節になると、私自身の当時のことを想い出します。
 みな就職がなく、私自身はとくに卒論がうまくいかず、失意のなかの卒業でした。中途半端に投げ出した卒論はそれでも不幸なことに「合格」してしまい、卒業したのです。
 それからの私の20代は、にがくまた厳しい道程でした。救う人あり就職もしましたが、また進路の変更を迫られ事情が生じ、止むなく再び大学院にはいりました。しかし学問に失望する一時期もあって、混迷と煩悶の連続だったといっても言い過ぎではありません。
 しかしいま振り返ってみると、精神的になんと充実していたことか。私の20代の、ある友(サ−クル)との出会い、ある本(思想)との出会いなど、それぞれの一つひとつが、その後の人生の歩みに活きているのです。その時点で消耗としか思わなっかったことが、かけがえのない栄養になって、30代からの私の歩みを支えてくれたという実感です。 大いに悩み、苦しめ、と言いたい。そして自立の道を歩め!























ベッドの上で・・東京・信濃町(南の風2881号 2012年5月13日〜7月20日)

・(2012年 5/13) … 4月末のTOAFAEC 定例会や編集会議(27日)、東アジア研究交流委員会(28日)等、ご出席の皆さんには簡単にお話したことですが、3月の毎年恒例・胃カメラ検査で怪しいところが現れ、月末の沖縄調査が終わったあと再度胃カメラを呑みました。詳細に診てもらったところ、この際、切除(内視鏡)した方がいいだろうとの診断となりました。
 連休を九州で過ごしたあと、10日に入院。翌日に治療しました。無事に済んで、2日ほど点滴につながれていましたが、まずは経過良好。しばらく摂生しなければならないのが残念ですが、担当医師の説明も一応問題ないとのこと、早期の処置ができてよかったと胸をなでおろしています。一両日中には退院できる見通しです。ご心配かけました。…
 病院のベッドは、まわりに闘病の方々もあり、いろんなことを考えさせてくれるものです。これまでの生活リズムのこと、やや勢いで激しく楽しく動いてきた来し方、これからのこと、などなど。今夏は諸会合への呑気な出席はできるとしても、まずは「東アジア社会教育研究」第17号の執筆など自重せざるを得ない?と思われますが、ご配慮いただければ幸いです。(風2881号)

・(5/15) … 沖縄「復帰」40年のこの日、奇しくもぶんじんは退院の喜びの日となりました。あらためて現代医学の到達点に出会った(人生はじめての)入院生活でした。前号の「ベッドの上で」経過報告を読んでいただき、各位から、それぞれのお見舞い、励ましなどメッセージをいただき、恐縮し感謝しています。あとしばらく元気に生きようと、思いをあらたにしているところです。(風2882号)

・(5/16) … お見舞い、ご配慮有り難うございました。妻も喜んでいました。病院は、基本的に行動の自己決定を許さない空間。そこから逃れて、手術と点滴に繋がれていた日を除き、実質5日のうち3日は、外へ抜け出ていたことになります。もちろん(感謝しつつ)許可も得た上でのこと。入院を伝え聞いて、はるばる妹たちが見舞いに来たそうですが、これには失礼する結果となりましたが。いま神妙にも酒類は控えています。経過によりましょうが、どのあたりからチビリと可能なのか、先輩諸氏、一手ご教授ください。(風2883号)

・(5/18) … 今日18日は手術からちょうど1週間。胃内視鏡(今年はすでに5回目)を再び呑み込んで、その後の経過をチェックする日でした。あわせて採血とか、回復期に向けて話を聞いたり・・・1日がかりの病院通い。
 前号に(ぶ)欄「病院を抜け出して」を書いたところ「あきれた!」「辛抱して!」などの反響(当方の書き方も誤解を招くところあり)、若干の補足を書き添えることにします。
 最初の入院計画では、1週間(つまり今日まで)病院ベッドに拘束される予定でした。今回の内視鏡検査を終わって退院と聞いていましたが、主治医の賢明な!判断で3日前の15日に退院許可が出たのでした。2日間の点滴も、外出許可を求めたところ、1袋だけ省略してもらって、管から6時間早く離れることができ、結果的に計3回の外出(2〜3時間程度、すべて自宅へ)が可能になったという経過です。前号「実質5日のうち3日は外へ抜け出て・・」は、正確には「3回」外出をしたと書くべきでした。すべて看護集団の許可を得た上で、ドクターOKも頂いての行動です。順良な入院患者であったことを強調しておきたいと思います。
 点滴を短めにしてもらったとか、思いもかけず退院が早まったのは、80歳という年令の割には元気なことが評価された・・・と勝手に推測しています。今日の胃カメラは、慣れもあってか、あっという間に終わりました。これまで喉元に執拗に残った違和感もなく、拍子抜け。これまで嫌いだった内視鏡も妙に好き?になりました。これも一つの収穫なのでしょうか。(風2884号)

・(5/19) … 18日夜、TOAFAEC総会に向けて、近くで事務局会議が開かれたらしい。こちらは病後でもあり、どうせ飲めないので、あえて欠席。TOAFAEC 史で事務局会議を欠席したのは恐らく初めて。かって「風の部屋」等で内田純一や故石倉裕志などと(いつも!)飲みながらTOAFAEC 議論をしていた時代をひとり懐かしむ夜でした。あの頃は総会はなく、むしろ月例会と年報編集の進め方が中心のテーマ。天下をなで切りし、東アジアの海に果敢に船出する勢いを鼓舞していたような想い出。(風2885号)

・(5/24) … 昨日は病院へ。術後12日が経過した時点での総括的な診断を伺いました。血液検査の結果を含め、いい状態で経過している、切除した胃部位の細胞検査についても(期待した通り)とくに問題はない、胃酸の分泌を抑える薬(タケプロンOD錠)をあと1週間余り服用する以外には、他に処置する必要なし。今後は、1ヶ月後と2ヶ月後に胃カメラで治癒状態をチェックしましょう、そんなお話でした。今年は胃カメラと、とくに仲良しになった年、まだ付き合いが残っているようです。
 というわけで、お祝い!乾杯!といきたいところ。しかし、刺激物・アルコール類は2ヶ月ほど禁じられたことが痛い。これまで術後の苦痛はほとんどなく、2日も点滴につながれた不自由と流動食ぐらいがイヤな体験。ところが、ある程度予期していたとは言え、なんと2ヶ月も禁酒!とは苦痛です。ビールが美味しくなる季節なのに。これからが私の闘病生活!か。
 頂戴したお見舞いの中に刺激的なメッセージがありました。「…お疲れがないように、お酒も少しは抑えて頂ければと思っております。お酒は先生の分まで私が飲みますので、私に渡してください。」 イヤハヤ!
 めげずに、気を取り直して・。離れていた仕事に少しずつ復帰したいと思っています。幸いに「南の風」は、そう間隔が開くことなく送信できていますが、いくつか忘れていた原稿などあります。関係の方にご迷惑かけないよう、スケジュールなど、いま想い起こしているところです。(風2888号)

・(5/26) … ぶんじんは病後の身、はたして「…自宅で安静にしているかどうか」と危ぶむ声(上野景三さん)も聞こえてきましたが、迷うことなく出席しました。恢復の途上にあることは明らか、「東アジア」とTOAFAEC 定例会の「…声聞けば、我が身さえこそ動(ゆる)がるれ」の心境、会場には一番乗り。…
 長い「イーストビレッジ」での交流会のなかでも、この日は“歴史的”な夜。ぶんじんが果たしてビールなしで過ごせるか、飲んだ気分になって歌えるか、まわりも遠慮しないで楽しめるか、など気にしながら乾杯。ぶんじんは日本茶で(食事は持参の蒸しパン)。アーレスグート!すべてうまくいきました。王国輝さん(遼寧師範大学)がそれとなく気をつかってくれるのが分かりました(有り難う!)。会が終わったのは11時近くか。 … (風2889号)

・(5/28) … ぶんじん宛には、静養し落ち着いて過ごすようにとの見舞いも頂戴しました。あわせて「…でも一方で、あまり休みすぎるのも、先生にはあわないかもしれない…」とのお見通し。励ましを有り難うございました。「公州の風」5でもお見舞い拝受。… (風2890号)

・(6/3)<サビ抜きのにぎり>  …このたびのドクターストップで、寿司屋も飲み屋もワイン屋にも3週間ほどのご無沙汰。ところが昨夜(1日)、学会・六月集会の席から抜け出て来てくれた佐賀・仙台のお二人、永福町で第17号特集をどう書くかの議論をしたあと、久しぶりに駅前の寿司屋へ。術後はじめてでした。寿司屋の親方は先月、石垣島・平久保「ぶんじん歌碑」を見に行った人、そんな付き合いです。二人のビールを横に見ながら、こちらはお茶だけ、その上に寿司もサビ抜き。それでも楽しい夜でした。いまドクター指示を忠実に守り、闘病?生活を続けています。

・(7/20)<梅雨明け宣言>  …昨日18日(水)午後、信濃町へ。ぶんじんにとって、この日、3月からの胃カメラ騒ぎ、終結宣言の日となりました。当たり年の今年、手術を含めて7本の胃カメラを呑みましたが、それもすべて終了、食事制限すべて解除、もちろんお酒も(ほどほどに)大丈夫、とのドクターの神の声。嬉しい1日、夏の始まり。夕食のビールも、ひさびさに懐かしい喉ごしでした。これまでの、おそるおそるのテスト飲み、美味くなかったのです。
 久しぶりに、いくつか戯れ歌を載せます。
◇内視鏡のベッドに伏せば心萎え 病人となる梅の咲く日に −赤坂・最初の胃カメラ(3月15日)
◇夢うつつ麻酔のさめて看護士の くれしアメダマ桃源の蜜
◇七夕に快気を祝い梅雨の明け  −七夕の会終わり梅雨明け宣言(7月17日)
◇古酒しずく口にふくめば夏の風
◇梅雨明けて梅の実の行方気にかかる *油山の梅、今年は実ったらしい−7/20


西新宿・謹慎入院中(南の風3245号 2014年2月10日3254号 2月23日)

南の風3245号 2014年2月10日
 南の風がいつになく吹き止んで、約1週間のご無沙汰。どうしたの?などお問い合わせ。恐縮しています。この間HPもいつもの更新なく、HPだけの(配信していない)風・読者からも「体調は?」のお見舞メール(福岡・横尾成臣さん)を頂きました。申しわけなし。
 伊藤長和さんが詳細な闘病記録を寄稿された経緯あり、身体や病気の経験は当事者だけが知る得る情報。見劣りしますが、言い訳がわりに簡単な経過を書いておきます。病名は「深部静脈血栓症」。左下肢部が突然に腫れあがり、疼痛甚だしく、近くの整形外科で診断してもらったところ、直ちに大病院での検査・治療が必要とのこと。西新宿の東京医科大学(心臓血管外科)では、その席で車椅子に乗せられ、案の定、即入院となりました。終日(2月4日)のエコー・CTその他の検査。夜には頸静脈からカテーテルを挿入し、肺臓の直下、下大静脈にフィルターを装置し、血液内を下肢から浮遊してくる血栓を閉塞、肺血栓や脳血栓を防ぐための措置です。
 検査では左下肢部に発生した血栓はすでにあちこちに「飛んでいる」との診断。場合によっては生命にかかわる!と脅かされ、それから24時間の点滴につながれる身となりました。
 正月以来、左のふくらはぎが痛く、いつものことだと馴染みの整骨院でマッサージなどしてもらって快方へ。ところが、いつになく、浮腫(むくみ)があったのを見逃していました。静脈血栓症について全く無知でした。
 4日目にしばし点滴から離れてお風呂に入りました。場所は西新宿、病院11階の浴室。湯上がりのビールがないのは残念。外は一面の雪景色。

南の風3248号 2014年2月13日
 病状一段落、点滴も終わって、時間をもてあましています。退院の見通しはまだ明らかにされず、やむなくのんびり・・・の毎日。テレビは冬季オリンピックの同じ場面の繰り返し、うんざり。やはり新聞のきちんとした記事が面白い。午後は外出を願い出て一時帰宅へ。
 そんな経過で、いま「南の風」は自宅から送信しています。夕食までに病院に帰るきまりなので、自宅のパソコンに座ると案外と忙しい時間となります。急いでMeiwakuを捨て諸メールを受信、選り分けて「風」に編集。ついつい皆さんに配信したくなり、連日の風を吹くことに・・。
 病院では、すべて新しい人との出会い。興味深いものがあります。医師・看護師・技師など専門スタッフだけでなく、朝の新聞を届けてくれるオジさんまで含めて、規律・効率豊かな機能集団。接触の多い看護師の皆さんも定められた仕事のなかに、一人ひとりの個性もにじんで、楽しくなります。深夜、離れた病室から必ず大声で叫ぶ老人がいて、その声を聞きながら“ご苦労さん”とつぶやいて・・・なかなか寝つかれない夜。
 谷和明さんメール(3246号)によれば、いまM,ベントさん(ハンブルク)は東京の空の下。アルトナーレの市民祭など、ベントさんとの忘れがたいビールの席が想い出されます。・・・ いま当方は新宿の住人、どこか近くで来日中のベントさんと一杯飲みたいところですが・・・病院に囚われの身、世はままならない。残念です。

南の風3252号 2014年2月19日
 おそらく?退院も近くなって、すこし院内・運動もし、許可をもらって自宅へ一時帰宅などしています。伊藤さん追悼であふれるメールボックスを開き「風」編集・発行の作業。しかし決められた時間に帰院しなければなりません。作業半ば・・・、慌ただしいパソコン撤収の操作はミスを伴いがち。この1日、大事なホームページの表紙に混乱があったらしい。さきほど「如月のニュース」に更新し、表紙につながる各サイトの位置どりも整えることができました。
 19日午前、病院にミヒャエル・ヴェント(Michael Wendt)さん(ハンブルク市アルトナ・文化センター《モッテ》所長)が谷和明さん(東京外国語大学)とご一緒にお出でいただきました。日本社会教育学会の招聘による研究集会(16〜17日)で多忙のなか、思いがけないお見舞いに恐縮し感激しました。

南の風3254号 2014年2月23日
 ・・・ところで、ぶんじんの入院(お見舞や励ましなど感謝!)は、伊藤さんの通夜・告別式の事情に合わせて、うまく退院の運びとなりました。造影剤をいれてのCTなど前日に大きな検査が済み(許可を得て)自宅に寄って式服に着替え鎌倉へ。通夜の席、清めのお酒で川崎の皆さんと一緒に伊藤さんを偲び、この夜からはれて自宅に戻りました。ご心配かけました。

・南の風3304号 2014年5月24日
 その後の体調のこと。2月20日、伊藤長和さんの通夜の日に退院して、ちょうど3ヶ月が経ちました。今回は(一昨年の胃ガン術後と違って)お酒を禁じられることはありませんでした。しかし、あのときより妙な“病後感”のような状態がいまでも続いています。左下肢の症状(浮腫)はほとんどなくなりましたが、足の運動機能は明らかに減退。年令不相応にスタスタと歩いていた身が、いまは八十路のヨタヨタの感。2週間に1回の通院が続き、5月にようやく1ヶ月おきの通院へ。「治験」(治療の臨床試験)への協力を求められ、そのせいか採血やCT・エコーなどの諸検査は多いようですが、経過は良好のようです。恢復のペースは案外とゆっくりとしか動かない病気なのです。・・・


毎日寄り添い手を取り合って(2015 七夕の会)(南の風3527号 2015年7月24日)

 私たちの結婚は1961年。華麗な式場ではなく、あるレストラン(福岡)を借りて形ばかりの挙式。内輪のごく小さな披露宴みたいなことをすませ、その足て南九州の旅に出ただけの思い出。経費はその前日に出た冬のボーナスをあてました。仲睦まじい新婚生活の思い出などあまりなく、その頃、私は勝手に九州農村調査(フィールドワーク)等にでかけ、妻も仕事をもっていましたから自分のリズムで行動してきた生活。週のうち一緒に夕食をとる日の方が珍しかっような歳月でした。
 神様の思し召しか、ここ2年近く、二人の仲は一変しました。毎日寄り添い、手を取り合う新婚時代のような生活がやってきました。亡くなった伊藤長和さんは、“九州男児”のぶんじんが愛する妻の手を握りあうスタイルを一度見たいものだと言い、当方は「手をとりあわなくても愛はある」と反論したり・・・そんな会話が懐かしく想い出されます。いまは毎日、というよりほどんど毎時間手を取り合っている姿をみて、きっと拍手をしていてくれる?と苦笑しているところです。
 今年の「七夕の会」に、車椅子での移動のことや、一人で食事できない妻・富美の出席をどうするか、すこし迷いました。最近の記憶や認知にまだら模様あり、皆さんに失礼があってはならないとも思ったからです。しかし、この日旧知の方々に会って、彼女の眼は輝いていました。七夕の会の報告で飯沢美樹さんが書いているように、「冨美さんのことが好きな人!という江頭さんの音頭に全員“はーい”と手をあげた、あの瞬間!」記念の一枚をHP写真添付させていただきます。


■目の手術、耳の故障  (南の風3712号 2016年11月11日)
   
 名護辺野古「嘉陽のおじい」がなくなられたそうです(上掲・おきなわ短信1193)。私もなんどかお話したことがあります。「…笑顔を失った時に私たちは負ける」の寸言、けだし名言。心からご冥福をお祈りいたします。
 ぶんじんの今年は笑顔を失ってきた年でした。本欄にあまり書きたくないことですが、すこしお許しいただいて…。妻・富美を寝たきりにしないために家の中での介護に奮闘してきましたが、7月下旬に変調あり救急車で入院。一時は危ない夜も。さらに転院、その直後に息子家族も集まる緊張状態あり。一進一退を続けています。完全な寝たきり病人となりました。残念無念。
 当方は、家庭内介護がなくなって、自分の永年の懸案・白内障の手術を申し出ました。10年あまり敬遠してきたこと。予約ば案外と混んでいて、ようやく昨日が左の手術日でした。手術着に着替えたイヤな午後・真っシロな20分間。さきほどまで大きな眼帯をしていました。来週に右の手術が予定されています。この間、9月中旬のある朝(手術のため眼科集中検査の翌朝)突然に右の耳の「突発性難聴」。朝起きると、頭がボワンとして耳がおかしい。全く(世の中の半分が)聞こえない。入院をすすめられて5日間のステロイド療法(点滴)。退院後も5回の鼓膜からの注射など通院が続きました。まだ続いている。
 左の目は眼帯をはずしたばかりですが、格段に改善され、しかし右の耳は急には治らないらしい。夏から秋にかけて入院・手術・病院通いが続き、余裕もなく、笑いを忘れてきたのです。そのなかでの東京本の出版、いま、私には奇跡のようにも思われます。
 今日、担当医師から「眼を酷使するな!」「酒もダメ!」と言われています。本号はこのあたりで・・・。いくつかお約束の原稿あり、まったく進んでいません。本稿はその言い訳です。お許しください。論文は書けませんが、風はなんとか吹いている?かたち。
 ところで、11月25日・定例研究会ゲストの谷和明さんから、国際的な(EU圏内)「社会教育職員協会」(AIEJI)についての興味深い一文(上掲)を拝受。添付いただいた谷論文、新しい知見、興味深し。驚きながら読みました。論文ご希望の方は直接に谷さんへ。当方からもつなぎますが…。


■上海・国際シンポに出席できず(南の風3764号 2016年12月5日)

 12月12〜13日、上海で開催予定の中日韓・三国シンポについて、呉遵民さん(華東師範大学)より経過報告を頂きました。ありがとう!呉さんからは今年の正月あけに「中日韓シンボ提案」(風3608号、1月12日)が寄せられた経過があります。3月には来日した呉さんと会った記憶も。しかしその後、妻の介護・看護のため、外泊することが難しくなり、上海・北京訪問は断念のほかありませんでした。
 この夏(妻の緊急入院等)、呉さんや韓民さんに事情を説明する余裕もないような状態が続きました(いま小康を得ている)。せっかく来日された華東師範大学終身教育研究院・黄健さんにも失礼しました。ご期待に添えず、まことに申しわけありません。この間、「南の風」は元気に(何事もないかのように)吹き続けましたから、ご不審にも思われたでしょう。お許しください。三国シンポが盛大に開かれ、実りある協議となるよう祈っています。





















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