2003年・上海・烟台・訪問関係記録

                  
*中国・上海・研究交流一覧→■

<目次>
1,上海・地域社会教育(社区教育)の交流拠点に支援を!
2,2003年8〜9月 烟台・上海訪問計画
3,2003年8〜9月 烟台・上海への旅記録「南の風」記事)
4, 経過資料:2003年4月〜5月(上海との研究交流
の経過と課題)  
5,華東師範大学との研究交流・協議メモ(2003年9月2〜3日)
6,2003年11月 上海・烟台・訪問記録(「南の風」記事)
  −『現代社区教育の展望』(上海教育出版社)出版祝賀会ほか→■
7,葉忠海氏の来日(2004年6月)と上海国際シンポジウムの動き


*折々の写真は各「スケジュール」関連頁に収録





(1)上海・地域社会教育(社区教育)の
          交流拠点にご支援を!
 
−2003/09/15−(第26回大都市社会教育研究と交流の集い)配布−

           日本社会教育学会  小 林 文 人
           (「東京・沖縄・東アジア社会教育研究会」代表)


 2002年秋の大都市社会教育研究と交流の集い(第25回、札幌)の席上で、国内の大都市間交流とともに、海を越えて、とくに東アジアの大都市間の社会教育・生涯学習関係者の交流を深めようと問題提起をした経過があります。それから1年。
 今年2003年、上海ではいくつかの新しい展開がみられました。一つは、上海市閘北区の社区大学(公立コミュニテイ・カレッジ、上海行健職業学院)が新キャンパスで本格的に始動し、その一角に日本の社会教育との交流を求める「小林国際交流閲覧室」が開設されたことです。

 またこの間に、中国の「社区教育」(地域社会教育)と日本の社会教育の理論・実践を1冊の本にまとめる努力が重ねられ、9月末には出版の運びとなりました。日本からは、社会教育の歴史・制度・運動の概要とともに、大阪、川崎、東京三多摩、松本、那覇等の自治体報告が収録されています。日本の社会教育が本格的に中国に紹介されるのは初めてのことでしょう。(小林文人・末本誠・呉遵民共著『現代社区教育の展望』上海教育出版社)
 11月には上海で出版祝賀会が催されることになり、いずれご案内できると思います。

 上海市閘北区社区大学「国際交流閲覧室」については、同大学と私たち「東京・沖縄・東アジア社会教育研究会」(TOAFAEC)との間に10年近い交流の積み重ねがあります。細かな経過については省略(下記ホームページに記載)しますが、いま中国の大都市成人教育・行政関係者は「地域」「住民」「参加」の視点を追求し始め、日本(とくに大都市)の社会教育の理論や実践との交流を求めています。
 その期待に応え、同「国際交流閲覧室」の新しい空間を、中国・日本の社区教育・社会教育の出会いと交流の拠点に創り上げていきたいと考えています。

 日本各都市の社会教育や生涯学習に関する資料・記録類を「国際交流閲覧室」にご恵送いただけないでしょうか。日本の社会教育を紹介する最先端の拠点として、各都市コーナーを設け、たとえば次のような資料を逐次整備していければと夢見ています。
 ●自治体要覧、基本構想、推進計画、調査統計、実践記録、文献資料、など
 ●地図、紹介ビデオ、DVD,施設ガイド、ポスター、ちらし、など
 ●中国語訳(もしあれば)都市紹介、便利帳、各種案内、日本語学習資料、など
関連していろいろとご助言、ご意見を賜れば幸いです。どうぞよろしくお願いします。

<送り先> 〒168-0064 東京都杉並区永福3−50−11−502 小林文人
      電話03-3324-7816 Email:bunjin-k@js4.so-net.ne.jp   
<TOAFAECホームページ> http://www007.upp.so-net.ne.jp/bunjin-k/
<大学住所> 下記の上海市閘北区社区大学に直接お送りいただいても結構です。
 上海市閘北区原平路55号 上海行健職業学院(副学長)袁允偉氏 あて。






(2)2003年8〜9月 烟台・上海訪問計画

1,日 程

8月27日(水)     成田より烟台(山東省)へ
  成田発:NH(全日空)927 AM10:30〜青島着12:45 車で烟台へ
  黄丹青・合流
 28日〜30日   関係機関などへ挨拶まわり
 30日(土)     石倉祐志・合流(北京経由、烟台空港着)
 31日(日)9:00〜 烟台日本語学校・開校式
9月1日(月)   烟台より上海へ 烟台発:FM(上海航空)596 10:05〜
          上海到着後、「小林国際交流図書室」へ
           鹿児島大学院生・陳蓉(女性、武漢出身)合流見込み
 2日(火)     上海郊外・奉賢県の社区教育見学
   10:00・ホテル出発、葉忠海・呉遵民氏などと
 3日(水)     15:00・華東師範大学訪問(小林、宮城、黄)
   教育学部スタッフと歓談、学長へ表敬訪問  
   (田中、石倉)上海より帰国
   上海発:NH922 10:15発(浦東新空港)田中     
    同  CA922 10:10発   同     石倉
 4日(木)     上海を歩く
   (華東師範大学・杜成憲学部長・呉遵民氏など)
 5日(金)     (小林、宮城)上海より帰国
   上海発:NH922 AM10:15発(浦東新空港)

2,内 容(案)
  (1)烟台
   ・烟台日本語学校の開校式(8月31日予定)
   ・学校関係者との協議(これからの学校運営)
   ・烟台市政府など関係機関への訪問・挨拶

   (2)上海 
   ・閘北区社区大学「国際交流閲覧室」について
   ・華東師範大学訪問
   ・社区教育・成人教育関係者との交流
   ・上海教育出版社関連の会合は延期(11月予定)

3,同行者(予定)
   ・小林文人(TOAFAEC代表)
   ・黄 丹青(埼玉大学講師)通訳
   ・宮城 満(名護市)
   ・田中美奈子(東京杉並区)
   ・石倉祐志(生活クラブ生協、TOAFAEC事務局)
   ・陳 蓉(鹿児島大学・院生)

4,連絡先
   <烟台>烟台日本語学校 ・張林新 001-010 (86-535)6883889
                      携帯(001-010) 1395-451-0011
         新景飯店・ 001-010 (86-535)6881629
   <上海> 羅李争  001-010(86-21)6522-1413
          華東師範大学・呉遵民    6262-7381
          朱榴芳               6273-9909             

日本から同行ー左より石倉、田中、宮城、黄、陳の皆さん(上海・小林国際交流閲覧室、20030903)



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(3)2003年8〜9月・烟台から上海への旅
                      〜「南の風」記事より〜

1121号
(8月29日)
■<山東省・青島から烟台へ>
 8月27日 予定通りのスケジュールで成田から青島へ。空港に張林新(新設・烟台日本語学校・校長)と黄丹青さんが迎えてくれました。青島は旧制中学校時代の友人・中村八大がピアノに出会ったところ。海岸通りにしばし佇みながら、すでに世を去った旧友をはるかに偲びました。年々歳々、人は移りかわり、しかし緑も海も街も残っている。
 一路ひたすら車を飛ばして烟台へ。新景飯店(張林新・経営)に着いたときはとっぷりと日も暮れて・・・旅愁を感じさせる夜。8月初めに赴任した工藤千佳良くんも交えて豪勢な夕食、沖縄から参加の宮城満さんがご機嫌でした。
 8月28日 朝からテレビの取材(打ち合わせ)、烟台人民政府(教育局)へ表敬、局長さんなどと昼食の後、私立・清泉学校(幼稚園から高校まで)訪問、そして区政府(女性の副区長)へ挨拶、そんな一日でした。久しぶりの中国への旅、いよいよ始まりです。
 烟台市の中心部、文化公園の一角、目抜き通りに面して新設・日本語学校の大きな広告看板が建てられていました。ぶんじんの顔写真もあり、夜はライトアップとか。これには少々参りした。

1122号(8月31日)
■<竜口市・南山大仏の里、山東省のムラヤ>
 8月29日 烟台の隣り竜口市へ。中国で最近はやり?の大仏(南山)観光の予定をパスして、山の麓、南山職業技術学院を訪問。実に面白いひとときでした。案内は、烟台市政策研究所科長の姜連強氏(テーマは「経済発展」)、新しい烟台日本語学校の後援会理事でもあります。
 南山は1980年代前半まで戸数わずか100戸の寒村でした。ここに郷鎮企業が「起業」し(1986年前後)、九つの村(郷)と三つの町(鎮)が一緒になって、「南山集団」(企業団地)が発展し、これを基盤に学校づくりが進んだという経過です。ケ小平の改革開放政策を絵にしたような展開。聞き取りの簡単なメモをそのまま載せておきます(下記)。
 烟台への帰路、大通りをちょっと入ったところの集落に立ち寄りました。姜連強さんの親戚があるとのこと。ついでに古い村を散策。大店村、戸数250戸、人口680人。中心部に村の「村民委員会」事務室があり、広場に売店や倉庫など。「活動中心」(ホール)ではおじさん、おばさんがテーブルをかこみ大きな牌で麻雀を楽しんでいました。沖縄の字公民館(ムラヤ)の雰囲気と共通するものあり。ただ、ホールはホコリが溜まっていましたが。
 8月30日夜、石倉祐志(TOAFAEC)が北京経由で烟台に到着。8月31日9:00〜より、新学校の開校式。いい学校に育ってほしい。

付:同号記事
■<山東省竜口市・南山職業技術学院>
       *2003年中国の旅ノート・メモ(8月29日、ぶ)
 南山職業技術学院は1991年の開校、二つのキャンパスをもち、現在の学生数12,000人。近く南山技術大学(4年制)として昇格見込み。
 コンピューター、エレクトロニクス、管理、観光、商務、経理、服飾、外国語、貿易等の学科。スタッフは約1,000人(うち教員400人)。
 南山は1980年代前半まで戸数わずか100戸の寒村。現在ここで生活する(働く)人口は約4万人。農村部の開発をめざした典型的な“郷鎮”企業の歩み。出発は1986年頃からの紡績工場、その後は1990年代以降に本格的な展開をみせ、アルミ、電力、旅行、建材、葡萄酒、教育、医療など30余の企業集団から成る「南山集団」となり、今や「山東省十強企業」に数えられるようになった。
 「南山集団」の全面的な出資により「南山職業技術学院」は創設され、累積出資額は約5億元。国からの援助は2001年でわずか10万元程度。1年の経営費は企業グループによる約4000万元と学資収入による。営利目的の学校ではなく、企業の人材養成と、教育による社会的還元。
 学費は学生1人年3,000元(平均以下)、毎月住宿費400元。(ちなみに日本語教師の給与月額は2,000元〜5,000元。) 
 奨学金制度があり、1年生は成績・生活状況により40%がなんらかの援助をうけており、1学期300〜1,000元、生活貧窮学生には2,000元。南山の奨学金は年間20万元。学長による奨学金の特別枠もある。2年生には学校の仕事(アルバイト)などを斡旋する。
 新入生の応募率は高い(3,600枠に4,800人)。卒業生は「南山」だけでなく、周辺企業にも就職する。卒業生の進学・就職率は90%以上。
 卒業生は30%が山東省の4年制大学へ進学、10%が自学(独学)試験、50%が就職する。
 今後の課題は、何より教育の質を高めること、そのための教員の待遇をよくすること、若く優秀な教員を確保することである。(学校・弁公室主任からの聞取り。数字には若干の誤差があり得る。)

1123号(9月2日)
■<烟台日本語学校の開校式、そして上海へ(ぶ)>
 8月31日9時よりめでたく開校式。烟台市、蓬莱市等の(副)市長や地元区など政府関係者、烟台の日本(企業)人、北京・大連や日本からの友人等で、会場の新景賓館ホールはいっぱいになりました。日本人は30人前後。うしろの方には、新入生の若々しい顔。概要次のような挨拶をしました。
 「新しい学校の出発を来賓各位、新入生、ご父兄とともにお祝いします。いまから7年前、和光大学で張林新校長との出会いがあり、2年ほど前から烟台を訪問するようになりました。烟台は、日本と一衣帯水、古い歴史をもつと同時に現代的に大きく発展している都市。近年は日本企業が増加している(約600社)にもかかわらず、本格的な日本語学校がなく、ここに新しい学校を創ろうという新校長のひたむきな努力と若々しい情熱に打たれ、出来る限りの協力をしようと考えています。
 今日から新しい歴史が始まります。学校の校舎やキャンパスの建設も1年後には完成する計画です。学校当局だけでなく教員と学生の皆さんで力を合わせて、いい学校を創っていきましょう。
 施設・設備も大事ですが、何よりも学校の内容、その質が問われます。着実に、一歩ずつ、高い水準の評価を築いていきたい。それを通して新しい学校が、中国と日本の相互の、ほんものの友好と信頼の拠点となるよう期待しています。」
 黄丹青さんの通訳がよく、好評。取材は、地元の烟台テレビ(当日夜のニュースで放映)、北京放送(ラジオ)日本語部。近く日本へ放送されるそうです。開校式の様子は2枚ほどHPに掲載。ご覧いただければ幸いです。


▼烟台日本語学校開学記念式・名誉校長の挨拶(小林)−20030831-


9月1日<午前、烟台を離れ、上海へ>
 烟台からの飛行機は上海市内から遠く離れた浦東空港に着きます。閘北区・行建職業学院(社区大学)の袁允偉さん(副学長)が車をもって迎えてくれ、助かりました。閘北区の格安のホテル(上海鏡泊湖大酒店、1泊160元)に投宿。
 ホテルでは、久しぶりの羅李争さんが「好久不見!1年半!」と出迎え。ここで鹿児島大学院生・陳蓉さん(武漢出身)とも合流。
 学院の「小林国際交流閲覧室」へ。周静(院長弁公室秘書)、呉佳諺(日本語教師、新任)や学生の皆さんが待っていてくれました。「閲覧室」でしばし歓談、新しく制作された学校案内のビデオも見ました。
 初めての上海訪問のメンバーもあり、浦東新区へ。テレビ塔近くで夕食。ここに朱榴芳さんがかけつけてくれました。あたかも学芸大学旧小林研究室の同窓会の雰囲気。
 夜、ホテルでは、すぐ横のスーパーで宮城満さんが仕入れた白酒を傾けながら「小林国際交流閲覧室」のこれからについて、熱き語らいでした。(久しぶりの上海に目が冴え、眠られず、9月2日未明。) 

1124号(9月4日)
■<上海の夏の日射しまだ強く・・・>
 烟台では秋のきざしあり、少し涼しくなっていましたが、上海はまだ夏、一時の40度に近い猛暑は過ぎたものの、カッと照りつける日射しは暑く、沖縄から来た宮城満さんも驚いていました。
 前号に続き、2日〜3日の動きを簡単に記しておきます。詳しい報告は参加メンバーからいずれ寄稿していただけるのではないかと期待?しています。
 9月2日 ホテルに葉忠海夫妻の迎えで、普陀区曹楊新村社区センターへ。上海でも労働者集合住宅の第1号の曹楊「新村」街道。50周年記念の立派な写真集をいただきました。最先端と言ってもよい本格的な社区センター施設が見事。小学校の跡地(少子化による)に去年建てられたばかりです。約4,000ヘーベ。
 社区センターは社区学校と文化センターの複合、つまり教育と文化の両者の機能をもち、施設的には日本の現代的な公民館をしのぐものあり。たとえば健康に関わる「健身房」、あるいは「舞踏房」「影刷場」「声楽室」など。「工作(活動)室」の一つは葉先生の研究室。「羨ましい」と言ったら、研究交流の実があがるのであれば「いつでも研究室を用意します」という趣旨の返事、これには恐縮しました。
 上記石倉メールにもある通り、私たちの「東アジア社会教育研究室」第9号への執筆を依頼しました。建物の前面で記念撮影。
 午後は同区桃浦鎮へ。まず(副)鎮長による歓迎昼食会、これがほんとの(在来の)上海料理かと思わせる美味。強い白酒の「乾杯!」が続き、昼から少々盛り上がり過ぎでした。
 ここの社区学校は候全宝さん(昨年訪日団の大蔵大臣?)が永年創りあげてきたもの。校長室の机にはぶんじんとのツーショット(昨年の成田空港へ見送る上野京成駅)の写真あり、歌舞団による歓迎もあり、また美術グループ制作の作品をそれぞれに贈呈をいただき、感激の午後となりました。いくつか写真をホームページへ掲載。
 午後第2部は、宝山区行知学院(旧業余大学)の訪問。ここの党書記も昨年訪問団の一人・汪月妹さん。夜の宴会は大学前の壮大なレストランで。昨年日本での受け入れに対するお礼を、いま私たちだけで受けているようで申しわけないです。
 夜遅く、ホテルの一室で、葉忠海・呉遵民両氏とこれからの東アジア研究ネットワークについて協議しました。これは別途関係者に報告予定。

9月3日<華東師範大学へ>
 この日早朝、田中美奈子さんと石倉祐志さんが帰国。
 お昼は出張中だった閘北区行建職業学院(旧業余大学、新社区大学)学長ほか、党書記、図書館長(ぶんじんは名誉図書館長)、人文系主任(呉季令氏、新任)など総揃いでの歓迎会。もう10年を越える(“老朋友”と呼び合う)おつきあい。
 午後、華東師範大(教育学系)へ。渋滞にまきこまれ遅刻。最初は院生に向けての講演会が予定されたのですが、懇談会に変えていただきました。杜学部長とこれまでの経過をふまえて、今後の研究提携について大きな方向を語りあいました。杜さんは実に静かな語り口。冷静かつ沈着(とはこの人のことをいうのでしょう)。いい話が出来ました。たいへん意欲的な内容でした。通訳は黄丹青さん。そのメモをいずれ報告することにしましょう。黄さん、お願いできますか?
 終わって、学長室へ。王建盤学長と羅国振副学長に“熱烈”に迎えていただきました。話は1999年訪日の際の「駒形どぜう」や「今半」のスキヤキから始まりました。学長は相変わらずの元気。終わっての夕食会には呉遵民さんの夫人・黄欣さんが駆けつけていただきました。電話で話したことがありましたが、会うのは初めて。
 日程はあと1日を残すのみ。4日予定は杜さんと呉さんの案内で上海郊外の嘉定区(孔子廟など)。そして上海教育出版社の訪問。
▼華東師範大学長室。右・王建盤学長(20030903)


▼学部長室、右より黄丹青さん、小林、杜学部長、呉遵民さん(20030903)


1125号(9月6日)
■<上海から東京へ>
 前号は急いで送信してしまい、あとで本欄(上海・9月2日〜3日)を読み返してみると、雑な文章、脱字もあり、失礼しました。HPへの
アップ記事(後記)は修正しておきましたが、一度吹いた風はそうはいかず、お許し下さい。
 上海の最終日(9月4日)は、華東師範大学の杜成憲氏(学部長)や呉遵民さんのご案内による気楽なエクスカーション。杜さんの友人・羅李争さん(大学時代の4年間、同室)も一緒でした。呉さんの愛弟子(馬衛東さん、徐区教育局職業・成人教育課課長)が用意した車を走らせて上海西北部・嘉定区の孔子廟へ。科挙制度の資料が興味深く、茶室での一服の語らいもまた楽しいものでした。
 茶葉は緑の龍井(ろんちん)茶。杜さんの説?によると、女性にたとえれば、最初の一杯目はまだ幼く15歳、二杯目は18歳あたり、三杯目は熟して25歳以上、なのだそうです。私は二杯目で(量的に)充分、三杯目を所望しなかったところ、「18歳の女性がお好みですね」と。男性の年には例えないのか、と聞きましたが、男にはそんな味はない?と。
 午後3時過ぎには市内へ帰り、上海教育出版社へ。大規模な出版社。総編集長や旧知の袁正守さん(副編集長、党書記)や私たちの本を担当した若い袁彬さんと再会(ポートレートをHPにアップ)。もうすぐ世に出る新本・表紙デザインを見せてもらいました。上製のなかなかいい本になりそうです。
 夕食は華東師範大学・教育学系主任ほか関係者による招待宴。こんどの旅の最後の夜、ホテルに帰っても余韻さめやらず。黄丹青さんのお子さんたちも紹興から戻ってきて賑やか。宮城満さんはかなり酔って、また新しい酒やビールを仕入れてきました。ほとんどは飲めず、そのまま部屋に残して、9月5日朝に上海を離れ、夕刻には予定通り元気に帰宅しました。
 烟台の張林新、上海の袁允偉、もちろん呉遵民、羅李争ほか多くの皆さんにお世話になりました。有り難うございました。老朋友との再会あり、また新しい友人との出会いあり、いい旅になりました。御礼を申しあげます。
 これで今回の中国訪問・速報を終わります。詳しい報告はいずれ別の機会に。ホームページの写真もご覧いただければ幸いです。

1128号(9月13日)
■<岡山で痛め、中国で直して・・・、後日談をひとつ。>
 12日から日本社会教育学会が始まりました(早稲田大学)。「東アジア社会教育研究」第8号が見事間に合いました。
 久しぶりに会った人から、「元気ですね」と言われて、悪い気はしないのですが、実はそうでもないのです。
 8月末の岡山・全国集会「この指とまれ」の夜、名護の皆さんと飲んで、その帰途、なにかを踏みはずして左足の踵あたりを痛めました。翌日、左足は爪先立ち。九大の松田さんから1枚もらった膏薬(鎮痛消炎)を貼って東京に帰りました。中国出発まで1日を残すだけ。
 その日「風の部屋」で石倉君と第8号の最終点検。夕方には中国へ同行の宮城満さんが到着。近くの「グランメール」に飲みに出たときは充分に歩けない。中国行きを中止したい思い。
 懐かしい(1年前のギックリ腰の)杖を持参しての旅立ちとなりました。中国では初めの5日間、烟台での観光的なプログラムはすべて敬遠し、部屋で自重。皆さんが老人扱いをしてくれて助かりました。
 おかげさまで、上海へ到着したときにはかなり回復、帰国までにほとんど直りました。結局のところ、杖は使わなくて済みました。10日間の中国滞在で直したことになります。それでも只今やや自重中。口だけは元気、少ししゃべり過ぎ?の毎日です。

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(4)経過資料:2003年4月〜5月
   中国・上海との研究交流
    
     −これまでの経過、これからの課題(2003年春〜夏)−




1,東アジア社会教育研究会(TOAFAEC)関係者へ:

●<中国との研究交流、これまでとこれからか(1)>
              
*南の風1036号(4月10日)
 中国(上海)との研究交流に関心をおもちの皆さま:
                                小林ぶんじん
 私たちが中国や韓国そして台湾、ひろく東アジアへ関心を持ち始めたのは1990年代の初頭、それからすでに10年あまりが経過しています。研究会(TOAFAEC)が発足して7年(HPに経過あり)、早いものですね。
 昨年7月、葉忠海氏を代表とする上海訪日団を迎えました。上海の社会(社区)教育関係者としては実質的に最初の来日。かたく再会を約して別れましたが、その後はなぜか上海へ行く機会をもてず。また他の地域との交流も昨年は(モンゴルをのぞいて)少なく、私たちの東アジア研究交流活動はむしろ停滞状況にありました。
 昨年は沖縄の本づくりや全国集会があり、10月以降は私自身のギックリ腰がたたって・・・、体力・気力ともに萎えていました。
 そして、今年もはや4月。HPのスケジュール表には3月下旬に「上海行き」の予定を書き込んでおきましたが、自重して「4月以降」に延期。この間の末本・呉・小林等による上海本づくりの進行がせめてもの
慰め? 
 いくつか懸案事項があります。皆さんにもっと早く相談しなければならなかったのですが、昨年来の事情があり、提案者自身の体調が充分でないままでは、かえって失礼、話も具体的にならない、などとやや慎重になっていたのです。
 一つは華東師範大学との研究交流をこれからどうすすめるか、二つは関連して昨年の上海・社区教育訪日団(代表・葉忠海氏)からの東アジア・研究交流ネットワークづくりの提起について、です。
 さらには、上海市閘北区の社区大学(旧業余大学)に設置された「小林国際交流閲覧室」のこと、昨年の大都市研究交流の集い(札幌)で出された日中の大都市間交流、また山東省烟台市の学校づくり(張林新)のことなど、いくつかありますが、まずは上記二つの懸案事項について、
ご相談いたします。
 華東師範大学との研究交流については1998年以降の経過があり、上野景三(佐賀大学)事務局長を通して、これまでの関係者にのみ送信すべきかとも思いましたが、この際「南の風」に載せて、より多くの方々に関心をもっていただき、大学関係者だけでなく自治体関係者・市民を含めて、新しく研究交流活動へ参加していただく方々があれば幸い、と考えた次第。ご了承下さい。
 前置きが長くなりました。まずは3月初旬に華東師範大学の呉遵民氏からいただいたメールから。呉くん、ご紹介が遅くなってごめんなさい。

○小林先生、末本先生:(Mon, 03 Mar 2003 16:29) 呉 遵民
 当面のことを二つご連絡いたします。
社区教育の本について・・、…(略)…
 もう一つのことですが、先日、羅国振・華東師範大学副学長(前学長補佐)と会いました。先生が3月末に上海へご訪問されることを伝えましたが、是非一度お会いしたいと言いました。また、華東師範大学継続教育学院との協定をやり直すことについて、先生との相談がしたいです。つまり、継続教育学院は現在は行政機関となり、また、葉先生も定年になられましたので、この関係は教育学部に移して、引き続いて新しい協定を作ることを考えております。 …(後略)…

○小林先生:(Fri, 28 Mar 2003 14:36)
 …(略)…
 華東師範大学との関係はどう続けるか。今回、先生が上海に来訪されるとき、王建盤学長やうちの教育学部担当者と会談しながら、相談しましょうか。時間がありましたら、また先生の講演会を開催するつもりですが、よろしくお願いします。 …(略)…         

 さて、次回の上海訪問の際(5月連休明けを予定、ただしSARS・急性肺炎問題があり、状況をみつつ・・・)、どう対応していくか、皆さんのご意向をうかがっておきたいわけです。きっと葉忠海氏をはじめ、昨年の訪日団関係者や旧知の友人たちと会うことになるだろうと予想されます。どなたか一緒に行こうという方があれば大歓迎!沖縄からは機会があれば同行したい方もあり、日程など調整したいと考えています。少々長くなりました、すみません。あとは次号にまわします。(続く)

●<中国との研究交流、これまでとこれからか(2)>
                 南の風1037号(4月11日)
 「南の風」には最近新しく参加された方もありますので、これまでの経緯について簡単に記しておきます。上海との出会い、その架け橋の役割を果たしてきたのは、呉遵民さん(当時は神戸大学院生、現在、華東師範大学助教授)です。
 振り返ってみると、1994年頃から数回の相互訪問の経過がありますが、華東師範大学(当初は成人教育学院、その後は継続教育学院)との正式の交流が始まるのは1998年11月。この年に私たち研究会(TOAFAEC)と意向書を交わし、その後に協議書を確認(2000年12月)しあいました。内容はホームページでご覧下さい。
 1998年の日本からの上海訪問に応えるかたちで、1999年には先方から学長等一行が来日されました。その後、華東師範大学継続教育学院の事情により2000年は空白。翌2001年の日本側からの訪中は(直接に大学ではなく)上海の社区教育関係者の努力で実現し、2002年7月には上海側からの訪日になったわけです。
 今回の呉メールによれば、あらためて華東師範大学として、中国・社区教育と日本・社会教育に関する研究交流を継続していく、これまでの継続教育学院ではなく教育学系の研究組織と連携していきたい、という意向のようです。
 小生としては、これまでの経過がありますし、その過程で研究交流の一定の蓄積もあり、さらに継続・発展させていく方向で協議してみてはどうかと考えていますが、如何でしょうか。
 末本誠さん(神戸大学)も「…王学長達の意思を尊重する必要」、「先方の教育学部とどのように連携できるか」について情報を集めつつ、協議をすすめてはどうかという意見(Tue, 4 Mar 2003 21:02)のようです。
 5月予定(新型肺炎で変更もあり)の上海訪問は、もともと閘北区の社区大学「小林国際交流閲覧室」のことが気になって計画したもの。この機会に呉・提案を受けて華東師範大学との協議に応じ、その内容を皆さんに報告することにいたします。その上で具体的に皆さんがどう対応していくか、それぞれの判断にまちたいと思います。
 研究交流の協議にあたってのご意見、留意すべきことなど、5月の訪問前までにお寄せいただければ幸いです。

 あと一つの課題は、東アジア社会教育・社区教育に関する研究交流ネットワークづくりについてです。昨年7月の上海訪日団の最終日、代表の葉忠海氏から“熱烈”な提起を受けました。これについても関連して呉メールを紹介しておきましょう。帰国後「7月12日、上海から感謝をこめて」というもの。
 「7月8日の午前、帰国の前、上海訪問団の團員達は一度総括会を開きまして、感想や今後の交流などについて活発な議論をしました。皆は今回の交流を契機として、今後さらに緊密的な関係をつくろうと約束しましたが、具体的な構想は、中国、韓国、沖縄、川崎社会教育研究会等とのネットワークを構築しようという論議です。一言で言えば、今回の訪日は、大成功、また新たな一歩がはじまるではないかと思っております。」(「南の風」903号に収録)
 数ヶ月後、葉忠海氏から「…私たちの提案について、その後の日本側の検討はいかがですか?」という趣旨の手紙もいただきました。しかし、私たちで論議する機会がなく、そのままになっています。今回の上海訪問で、葉さんと会う折りには何らかの返事をしなければなりません。皆さんのご意見をいただきたいのです。
 またまた長くなってしまいました。(以下、次号に続く)


●<中国との研究交流、これまでとこれからか(3)>
              南の風1038号(4月13日)
 昨年7月7日夜、新宿でのお別れパーティでの葉忠海氏の提案は、東アジア社会教育・社区教育に関する研究交流ネットワークづくりを進めていくとすれば、第1回会合を2003年秋?上海で開くことも可能、という具体的な内容でした。中国の関係者に呼びかけ、台湾の友人たちにも連絡をとることは可能、日本側は韓国の方々を誘っていただく、これまでにない出会いとなる、そういう東アジアの集いを開けないものか、そんな積極的なお話でした。
 この夜、小生はこれをお聞きする姿勢で、とくに具体的な意見は出しませんでした。「今晩のご提起を神戸や九州の仲間にも伝えます。いずれ検討して協議いたしましょう」「私はもう若くないのです」などと応
答しておきました。このあたりの話はいつぞや「南の風」にも書いた記憶があります。
 しかし(また言い訳になりますが)この時期、私たちは沖縄全国集会に向けて大忙し、ちょうど『おきなわの社会教育』刊行の見通しもつき、琉球列島キャラバンに走り始めていました。上海からの提案をみんなで協議する機会をもてず、その後(冒頭に書いたような)事情が重なって、葉忠海さんに返事ができないまま今日まで経過し、失礼を重ねたわけです。申しわけない思い。葉さんや呉さんにお会いする折りには、まずお詫びしなければなりません。東アジアの拡がりで国・地域をこえてのびやかな研究ネットワークを
つくっていこう、という話は韓国の黄宗建さんと語り合ったことがあります。二人で意気投合して、「開くとすれば済州島はどうだろう?」「沖縄がいい、台湾からも近いよ」などと。そういう経過からすれば、葉さ
んの提起について小生はもちろん前向きに考えてみたいと思っています。
 しかし、いくつか考えておかなければならないことがあります。
 一つは、今年かりに上海で開くことができるとしても、来年は日本で開くことを想定しておく必要があること。
 二つは、当然のことですが、経費問題です。とくに日本で開くとなるとある程度の経費についての見通し、心づもりをしておかなければなりません。
 三つは、かっての日韓社会教育セミナーやASPBAEの流れで笹川孝一さんなどが(断続的に)動いてきた東アジア研究ネットワークとの関係をどう考えておくか。(これまで笹川氏とは、チャンネルを一元的
にしないで、多元的に取り組んでいこう、と話しあってきました。)
 経費については、小生はいつも楽観的に考えてきました。お金があるからいい研究が生まれるのではない、そこに課題の発見があり知的な情動があるから研究へのエネルギーが湧いていくる、実際の研究活動が動くことによって結果として経費はなんとかなるものさ、といった経験です。もちろん先にお金があったにこしたことはないのですが・・・。
 新型肺炎SARSの動きが収まれば、5月(あるいは6月上旬)に上海行きを考えています。できれば『東アジア社会教育研究』第8号編集との関連ももって北京へ、また新学校づくり(いずれご報告します)の
ことで烟台へまわってみたい、という予定です。
 それまでに上記の2点について、とくに一昨年来の上海・社区教育研究の同人各位からご意見、ご助言をお願いいたします。ぜひ!
 また今回の上海行きに関心をおもちの方があれば同行大歓迎。楽しい旅になると思います。いまのところ沖縄と東京から数人?が参加か。






2,大都市社会教育関係の皆さま:


◆<大都市研究・25回記念誌、中国訪問計画のその後>
              *新・公民館の風19号(5月27日)
                小林文人〔03/05/26 (月) 14:18〕
 「第25回大都市社会教育・研究と交流のつどい」報告書を拝受しました。有り難うございました。意欲的に記録誌づくりに挑戦された皆様に御礼を申しあげます。仙台の今川さん、川崎の萩原さん、静岡の石井山さんなど、ご苦労さまでした。
 「つどい」参加者だけでなく他に関心ある人たちにも普及していただきたく、小生にも、もし余部があればぜひお願いします。(頒価も)ところで、この25回記念誌の末尾に「記念パーティー」写真が飾られ
ています。そのなかに「来年に向け東アジアを社会教育でつなぐ取り組みをしてはどうか?‘交流’の輪は世界に!つどいに東アジアからの報告や出席を促していきたい…上海から…台北・釜山・北京にもつなげよう」という囲み記事があります。パーティー席上で、この発言をしたのは小生でした。
 少々、責任を感じ、その後の経過報告を記し始めた次第です。実は、昨年10月の「つどい」の1ヶ月後には、上海を訪問して日中関係者相互の具体的な研究・交流計画を協議する予定でした。ご承知のように、私たちは1996年、沖縄を含めてTOAFAEC(通称・東アジア社会教育研究会)という研究団体を立ち上げ、毎年「東アジア社会教育研究」を刊行してきました。その流れで、ここ数年来、上海の華東師範大学や成人教育の関係者との研究交流活動(資料の交換、相互訪問等、TOAFAEC・HPにアップ)を重ねてきたのです。
 → http://www2.justnet.ne.jp/~fumito.kobayashi/(近く移転予定)
 → http://www007.upp.so-net.ne.jp/bunjin-k/ (新ホームページ)
 次なる課題は、日本の大都市社会教育関係者と上海など中国の主要大都市の成人教育・社区教育(中国では「社会教育」と呼ばない)関係者との「研究と交流のつどい」を開催できないものか、ということでした。
 国の違いを超え、海を越えて、大都市連合の拡がりを社会教育・生涯学習をテーマとして実現できれば面白いぞ、都市連合の思想を介して日頃は政治的には会う機会がない上海と台北の、あるいは(夢でしょうが)ソウルとピョンヤンの出会いなど、東アジアの拡がりで「研究と交流」のネットワークづくりに挑戦していきたいものだ、と考えてきたのです。
 上海(社区教育関係者、たとえば葉忠海・華東師範大学教授)からは、具体的に「東アジア」の集いを計画しよう、最初は上海で開催することは可能だ、という具体的な提案も頂いていたのです。昨年11月の上海訪問予定はその提案を受けて、あと少し細かな話を聞こうという計画でした。
 しかし・・・、実は小生、昨年10月初旬の札幌で軽いギックリ腰を発症、大都市のつどい25回記念パーティーの席でも調子を少しくずしていました。いつものことだ、まぁ、何とかなるだろうと多寡をくくって動いたのが運のつき。10月14日朝、福岡の別宅でまったく動けない。それから約2ヶ月の悲惨な闘病生活を強いられました。
 なんとか動けるようになって、今年3月に再び上海訪問を計画したのですが、連絡がうまくとれず、4月案へ。そしてその後、新型肺炎SARS問題に突入してしまったのです。
 いまだ上海訪問の予定は全くたっていません。上海の「老朋友」たちと久闊を叙す機会はまたしばらく先になりそうです。
 というわけで、今年度に「東アジアを社会教育でつなぐ取り組み」を具体化することはどうも無理のようです。お許し下さい。
 しかしこの大事な視点・課題は、見失うことなく、さらに今後に向けて挑戦していきたいと考えています。また折りをみて、新しい展開やお誘いなどあれば、ご連絡したいと考えています。
 少々、長くなりました。以上、経過報告とお詫びまで。こんごともどうぞよろしくご支援下さい。




(5)2003年9月・上海訪問記録
研究交流についての協議メモ(2003年9月2日〜3日) 



1,華東師範大学との研究交流について協議
               *教育学系側 杜成憲・主任、周・党書記、呉遵民
               *小林文人、黄丹青(通訳)、他に同席者あり
               *9月3日午後4時頃から約1時間余
               *華東師範大学・教育学系・応接室
 
(1)小林より:
 華東師範大学との研究交流については8年余の経過があり、激動する大都市・上海を背景に、「社区教育」「成人教育」「生涯学習」について研究交流を続けることには関心をもっている。これまでの関係者で岡山で集まった折(8月25日午後)若干の協議もした。
 ただし、TOAFAECと数大学の関係者が共同で研究活動をしていく思いはもっているが、経費等の条件は十分でない。これまでの研究蓄積を活かしつつ、無理のない範囲で着実に、ゆっくりと研究提携を進めていければと考えている。

(2)杜・学部長: *陪席の党書記はとくに発言しなかった。
 共同研究、交流提携の必要性については同意見である。無理なことは避けて、可能な範囲で進めていきたい。
 中国の教育問題、研究課題について北京の会議から帰ったばかりだが、大都市等の地域問題、辺境・少数民族問題、少子高齢化、小康社会化、社会的格差拡大等の状況は、教育学研究に新たな課題が提起されていると言える。たとえばチベット学・辺境学といった視点からの教育研究があっていいし、「社区教育」学も新しい研究への要請なのではないか。 華東師範大学・教育学系はいま二学科であるが、これに加えて新しく「社区教育」学科構想を考えている。教育社会学を含めて、第三の学科を申請中。
 これまで社会学分野で一部の対応があったが、地域問題・都市計画等の研究者、行政専門職、社区教育の指導者養成など大きな需要が予想される。他の大学にはない独自の構想として、積極的に推進していきたい。

(3)具体的な進め方について協議はせず、研究提携の基本的な方向性を確認した話しあいであった。無理をさけ着実な姿勢で進めていきたいという考え方についても同意見。
 杜・学部長は沈着冷静な人柄。その夜は華東師範大学としての招宴があり、翌日は杜・呉両氏の案内で嘉定区の孔子廟・科挙制度陳列館への案内をうけ、夜は教育学系としての招宴(周金浪・党書記も出席)で歓迎していただいた。


2,東アジア社会教育・社区教育の研究ネットワークについて
               *上海側 葉忠海、呉遵民(通訳)
               *小林文人、他に同席者あり
               *9月2日夜、10時頃から約1時間
               *上海・宿泊ホテルの応接室

(1)経過:
 昨年の上海訪日団(2002年7月)最終日、葉忠海団長から「東アジア社会教育・社区教育研究ネットワーク」に関して、TOAFAECの『研究』や活動について評価の挨拶があり、このような構想を海を越えて「東アジア」に拡げていく必要、積極的に参加したい、最初のフォーラムを2003年に上海で開催する用意があること、などについて具体的な提案が行われた。やや当惑、即答を避けて、成田へ送った。
 その後、葉氏より書簡あり。しかし小林は体調をこわし療養中、返書を出す機会を失し、今年に入ってSARS問題等あり、上海訪問の機会も延びて9月となった。

(2)小林より:
 昨年の提案にたいして書簡まで頂きながら、返書も出さず、失礼を重ねたことを陳謝。
昨年後半の小林の不調、今年のSARS問題などの事情について説明。了承をお願いした。
 葉・提案についてはもちろん関心を持ち続けてきたこと、機会をみてTOAFAEC関係者等にも報告し課題としてきた。
 構想を具体化する場合は、ある程度の継続性や見通しをもつ必要がある。たとえば初年度に上海で開催できたとしても、次年度に日本で可能かどうか。財政的な条件については
日本は十分でない。関心ある人たちの理解・合意を求めていく課題もあろう。日本の大学関係者も独立法人化等のため非常に忙しい。
 とくにこの件について韓国の友人(たとえば黄宗建氏など)と協議する機会をもちたいと考えてきたが、昨年来(上記・事情のため)訪韓することが出来なかった。
 今の段階では、まだ積極的な返事ができない。しかしもちろん関心は持ち続けている。
無理のないかたちで可能な道を探っていきたい。次回、11月に再訪予定なので、その機会にまた話し合いたい。

(3)葉忠海氏より:
 経過は了承した。課題を受けとめていただいていることに感謝したい。お互い1995年以降の友人だ。目的は二つ。一つは相互の研究交流を継続していきたいこと、二つは東アジアの視点を共有したいこと。 上海の事情は、市(成人教育担当)当局や成人教育協会の体制は2003年まで変わらず(現在、葉氏は協会・副会長)、国際的な会議開催の見通しがあったが、来年はどうなるか未定。前半で人事の異動がある予定。今の体制が続くかも分からないが。
 来年、どのようなかたちで取り組めるか、上海でやれるか日本でやれるか、分からないが、検討を続けていきたい。もし日本で開く場合は、必ず参加する。

(4)状況を見て、無理しないで、しかし課題をもちつつ、考えていきたい。可能な道をさぐっていこう。お互いの今後の課題にしたい。






(6)2003年11月(20〜29日)上海・烟台・訪問
   『現代社区教育の展望』(上海教育出版社)出版祝賀会
                 −(11月22日)ほか
→■

1,参加メンバー:
      小林文人(編者)、末本誠(同)、伊藤長和(執筆者)、矢久保学(同)、
      上野景三、美若忠生、小松宏晃、張明順、松田敦子

2、航空便 
 (1)東京グループ(小林文人、伊藤長和、矢久保学、小松宏明)
   出発:11月20日(成田)中国東方航空(MU524)13:50〜16:00(上海浦東)
             *11:50 成田第2ターミナルHカウンター集合
   帰国:11月24日(上海・浦東空港)
             中国東方航空(MU523)09:05〜12:50(成田着)
 (2)関西グループ(末本誠、張明順、松田敦子、美若忠生)
   出発:11月21日(関西空港)MU516 13:35発〜14:55(上海浦東)
   帰国:11月24日・末本(浦東空港)MU055 14:35発〜17:30(関西着)
      11月25日・残り3人 同上
 (3)九州(上野景三)
   出発:11月21日(福岡)MU518 13:15発〜13:45着(浦東空港)
   帰国:11月24日(浦東空港)MU517 09:45発〜12:15着(福岡)

3,スケジュール
11月20日(東京グループ)夜・上海教育出版社による小宴   
         ホテル:上海静安賓館(上海市静安区華山路370号
               電話(001−86)21−62481888(代表)
    21日 自由行動 閘北区社区学院(小林国際図書室)訪問ほか
        午後・関西・九州グループ(末本誠他)上海着
        夕食・出版社による歓迎宴会
11月22日 8:30〜11:30 出版祝賀会
            会場:上海図書館(新館、淮海西路)4階多目的ホール
        午後・浦東区(社区教育)施設など訪問
        夜 ・浦東区による歓迎夕食会
11月23日 観光・観劇
        夕食・(おそらく)答礼宴
11月24日〜25日 一行帰国

11月25日(小林のみ)上海・虹橋空港10:10〜烟台へ(CA3330、)
   29日(青島)MU784 13:15発〜17:05着(成田)


 原題『当代社区教育新視野ー社区教育理論与実践的国際比較』→詳細・目次等
    日本題『現代社区教育の展望』(下記) B5版、285頁、美装上製
    日本の販売価格(諸雑費含めて):1000円
    希望者は小林(またはTOAFAEC事務局)まで
                      


4、「南の風」記事

1171号(11月21日)
■<上海はそぼふる雨(ぶ)>
 成田からの4人(小林文人、伊藤長和、矢久保学、小松宏明)は予定より少し遅れて、上海・浦東空港に到着。上海教育出版社の車で、呉遵民さんが迎えてくれました。嬉しい再会!
 驚くほどの立派な本が出来上がっていました。新しい本が出来上がると、愛し子のように、胸に抱きかかえたくなるもの。とくに今度の本は中国での(中国語による)出版、ホテルの部屋で飽かずページをめくっています。眠れそうにありません。
 上海の最初の夜、夕食から帰ったら、羅李争さんがホテルに待っていてくれて、パソコンを開き、直ちに風の送信を可能にしてくれた。もつべきものは“パソコン師匠”。感謝!
 雨の上海、時差1時間、いま丁度(21日)午前零時です。上海からの「風」が皆さんのパソコンに安着することを祈って。

1172号(11月22日)
■<上海の友人たち(ぶ)>
 11月21日午前、羅李争さんに案内してもらって、閘北区社区大学図書館「小林国際交流閲覧室」へ。川崎(伊藤長和さん)松本(矢久保学さん)からそれぞれの自治体資料を持参・寄贈していただきました。
 少しずつ日本・社会教育の新しい動きを集めて、資料室としても拡充していきたいもの。迎えていただいた王鴻業(学長)、袁允偉(副学長)、徐熾強(党書記)等の“老朋友”の皆さんも元気そうでした。
 午後、明日の出版祝賀会・報告会に用意した(三多摩や松本の)CDテストのために会場(上海図書館4F・多目的ホール)へ。若い人たちが5,6人つきあってくれて無事終了。大丈夫のようですが、壇上で話しをしながらのパソコン操作がうまくいくかどうか、いま一つ自信がありません。
 日もとっぷり暮れて、関西(末本誠、美若忠生など)や九州(上野景三)の皆さんが到着。盛大な出版祝賀宴。中日双方からの歌の応酬。これは中国の宴会としては珍しいこと。小生はいつもの「大海」。
 22日の講演のことがあり、この夜、これも珍しくお酒を慎みました。

1173号(11月24日)
■<上海の「樽酒」、大成功!(ぶ)> 
 『現代社区教育の展望』(小林文人・末本誠・呉遵民・共著)の出版祝賀会に、日本より何か記念の品を持参したい、何がいいだろうと相談したところ、黄丹青さんからいくつか案が出て、うちの富実さんとも一緒に“薦被りの樽酒”がいいだろうということになりました。
 他の土産品を用意する必要もあり、久しぶりに夫婦で買物に都心を歩きましたが、樽酒はどこにもない。いま東京ではすぐには入手できないことが分かりました。注文して1週間ほどかかると。上海への出発を前にして、また翌日、足を棒にして探しまわりましたが、ない!
 思いついて、同行の松本・矢久保学さんに電話。信州の銘酒「真澄」の2升ものを仕入れてもらって、成田まで運びこぶという経過になりました。何しろ割れもの、重い手荷物で飛行機に持ち込み、そして当日の出版祝賀会場の壇上を飾ったという次第。
 講演・報告(どうにか無事に終了)のあと、同じステージに新本と酒樽を真正面に据えて、鏡開きの思いで日中双方が酒を汲みあいました。上海・成人教育「領導」たちと出版社の首脳が並び、日本から駆けつけた一行とともに、15名前後がコップ酒で「乾杯!」。印象的な一ときとなりました。
 昼食宴でも「真澄」の乾杯が続きました。この本のきっかけをつくり、刊行までこぎつけたキーパースンは副編集局長(出版社・党書記)の袁正守さん。食事の合い間に出版報告会の感想を聞いたところ、想像以上の大成功、とくに中国と日本の関係者がともに酒を汲みかわした情景がしみじみ心に残ったとのこと。
 “美酒”とはまさにこのような酒を言うのでしょうか。 

上海教育出版社と編者3人→関係記事・写真■


1174号(11月25日)
■<湖水に舟を浮かべて・・・(ぶ)>
 上記・伊藤長和さんの呉遵民氏あてメールは「風」にも届きましたので、ここに収録させていただきました。凝縮したスケジュール、お互い疲れもあったかと思いますが、振り返って楽しい旅だったと思います。
他の皆さんも元気に帰着されたことでしょう。小生は25日午後に山東省・烟台に到着の予定。出発前わずかの時間、これを書いています。
 この3日間、いろんなことあり、詳細はとても無理。先号以降の主要な経過だけ記録しておくことにします。
 22日午前、出版祝賀・報告会。午後は、変貌極まりない浦東新区へ。上鋼新村街道社区教育センター訪問。歓迎の楽隊に迎えられ、各室の活動を見学する。豪勢な(上海蟹など)夕食をいただく。食べきれない。
 夜、上海大劇場へ。アルゼンチン・タンゴ・ミュジカルの熱演。しかし2階脇の特別席からは舞台の全貌が見えず(劇場設計ミスか?)。
 23日は昆山市錦渓鎮への観光。千年の歴史と文化の古い水郷、生活まるごとの風景は興味深いが、なんとしても水の汚れが気になる。魚貝と野菜づくしの食事のあと、湖水に舟を浮かべて、ゆらゆらのひととき。
 午後4時ちかく上海市内に帰り、上海教育出版社を訪問。南京路をへて答礼宴へ。上海の皆さん(なかでも呉遵民さん)に深い感謝。
 24日(小林のみ)羅李争くんと閘北区社区学院へ。学長など“老朋友”に本を贈呈。区政府・教育局長などと歓談。江蕾さん(成人・社区教育科長)と次回の講演の約束をする。夜は張・朱榴芳夫妻と会食。
 到着日はそぼふる小雨の夜、しかし、その後はすべて晴天でした。
上海教育科学研究院・張(zhanzhyu)朱榴芳夫妻(上海閘北、20031124)


1175号(11月26日)
■<上海から烟台へ(ぶ)>
 上海から烟台(山東省)への空の旅は、いつもいろいろと話題が残ります。先回は上海・虹橋空港まで送ってもらって、上海・浦東空港からの便であることを知らされ唖然! 移動に1時間以上かかりますから、もちろん乗り遅れ。なんとか別の便に切り替え、半日遅れやっとの思いで烟台に着いたのでした。(昨年3月)
 今回(25日)は、空港を確認し羅李争に送ってもらって無事に虹橋空港から出発できるかと思ったのもつかの間、手荷物の中国酒をとがめられ、また外に出されてパックに詰め直し、荷物として預けなければなりませんでした。中国では酒(瓶)類の機内持ち込みは認めないのです。パック料として25元。その上、かんじんの飛行機は機材整備不良?とかで3時間の遅れ。烟台に到着したのは午後3時近く。やれやれ、でした。迎えの張林新・校長の顔を見て一安心。
 この夜、学校主要メンバーが集まって夕食会。苦労して上海より持参した名酒をみんなで飲みました。この夏、東京から赴任した工藤千佳良君(和光大学・小林ゼミ卒)とも久しぶり乾杯。歌もうたいました。
 早速、ウエイバン(山東省)滞在中の黄宗建さんと電話。烟台に来たいとのこと。こちらからは(黄さんの方が先輩だから)ウエイバンへ表敬訪問しましょうと挨拶しましたが、来て頂くことになりそうです。ウエイバンから烟台まで列車で4〜5時間。日帰りは無理か?
 お泊まりの部屋(新景賓館)を用意しよう、烟台をご案内する車の手配など、張林新・校長にお願いしたところです。山東省での二人の再会、思いがけない展開に。
 烟台はさすがに上海より寒い。明日の気温次第ではコートを買おうかと思っています。

1176号(11月27日)
■<ホームページの更新(ぶ)>
 TOAFAEC のHPは、技巧的にはまったく拙劣ながら、ひとつ自慢できるところは1〜2日おきの更新。表紙の日付をご覧あれ。
 ところが上海に渡った20日以降、FTPのアップ作業がうまく働かず、この1週間は、HP更新作業が停止しています。「南の風」末尾記事「ぶんじん日誌」も20日のまま。申し訳ありません。帰国したら誰かに教えてもらって、直ちに修復作業をしなければと思っています。
 HPといえば、ここ1両年、中国のIT環境が急速に整備されていることに驚きます。上海滞在の最終日(24日)、訪問した閘北区・社区大学(行建職業学院)も立派なHPが出来上がっていました。
 → URL: http://www.shxj.net
 聞けば学生が制作したのだそうです。きわめて専門的、ほとんど玄人。図書館の頁に「中日文化交流中心」、また、国際交流の頁には「日本教授・小林文人資助社区教育閲覧室」の記載があり、小生の写真も。
 また社区大学(コミュニティ・カレッジ)として閘北区の社区教育研究センター、市民学習センターの動きが掲載(管理機構の頁)されています。閘北区の社区教育のホームページとも言えましょう。黄丹青さん
に訳していただいて、TOAFAEC のHPで紹介したいもの。
 ・・・と書いたところで、ウエイバンから黄宗建さんが烟台に到着されるという連絡が入りました。思いもかけない再会。以下は次号で。 

1177号(11月29日)
■<黄先生の烟台訪問(ぶ)>
 当方(小林と張林新)は27日にお待ちします、と伝えたのですが、黄先生は待てない感じで、26日午後の高速バスで烟台に現れました。3時間あまりのバス旅行だった由。学校の日本人教師(工藤君たち)を交えて、思いがけない日・韓・中による歓迎夕食会。食後は自習室の一室で、若い学生たちとの交流も。楽しいひとときでした。
 27日は学校を一まわり。後ろに山、前に海の景観、元気よく(日本語で)挨拶する若者たちの声、家族学校のような雰囲気、黄先生はいたく気に入ったようでした。教室にも参加。
 その後、車で烟台市内を一巡り。経済開発区等のいま急速に発展中(日本企業五百社あまり、韓国企業千社あまり)の様子に驚いた様子。昼食は文化大革命時代を思わせる「社会主義・新農村」。この飯店では「為人民服務」の腕章をまいた紅衛兵のような店員が、客を「同志」と呼び、当時の農村の食生活(野菜・芋・饅頭など)に逆もどりしたような料理で、いささか混乱、しかしなかなか美味でした。
 この間に韓国本のミニ編集会議も。先日の川崎の編集会議で出た方向はすべて金済泰さんに伝えて、交渉が進んでいるとのこと。金さんは川崎からの資料送付(編集会議資料も含めて)を待っている、それをベースに韓国側の執筆体制を整えたい。アメリカの魯在化にはメールを送っているがまだ返事がない、識字教育運動はやはり(金済泰さんでなく)尹福南さんにお願いすることになろう、などなど。
 「タゴール研究」が入手できないままに送付が遅れた経過を説明しておきました。タゴールは次の機会にして、まずは、黄先生が託された資料・書籍を金牧師にお送り下さいませんか>伊藤長和さんへお願い。
 烟台はあたかも雪が舞ってきそうな、寒いどんより曇った毎日でしたが、今日はいくぶん寒さも和らぎました。

烟台日本語学校、新入生に囲まれる黄宗建先生(中央)、左に1人おいて教師・工藤千佳良さん(20031126)


1178号(12月1日)
■<帰国しました。HPに画像アップ。(ぶ)>
 29日夜、烟台より青島を経て、予定通り帰国しました。日本(東京)は暖かいところだと再認識。帰宅の途中に、なじみの「浜寿司」によって久しぶりに日本の味で一杯。お世話になった上海、烟台の皆様、いろいろと有り難うございました。あらためて御礼を申しあげます。
 昨夜から今朝にかけて、たまっていたファイルと画像をHPにアップしました。ご覧ください。今回の上海訪問では、松本の矢久保さんがかなりの記録を撮ってくれました(と思っている)ので、小生のデジカメ
の枚数は少なく、そのなかから8枚ほどを選んで載せました。もし訪中関係者で、お好きでない肖像があれば、ご一報下さい。直ちに差し替えます。ついでにHP表紙の写真も深秋の景色に変えました。
 今回とくに嬉しかったのは、上海市閘北区・社区大学の「ぶんじん文庫」に川崎、松本の地域・最新資料を寄贈して頂いたこと。重い資料を空路ご持参下さった伊藤長和さん、矢久保学さんに感謝いたします。日本語を読める人は少ないけれど、関心をもつ人少なからず、上海の皆さんたちも大いに興味をもって頂いているようです。歳月を重ねつつ、少しずつ充実した資料室に育てあげて、日本社会教育の最先端コーナーを創っていきたいもの。


5,上海への礼状

(1)上海教育出版社
 中国・上海教育出版社           −2003年12月1日−
  包 南 麟  様
  袁 正 守  様
                  小 林 文 人 (日本・東亜社会教育研究会)   
 拝啓 
 上海を離れて山東省・烟台に滞在し、11月29日に無事帰国しました。日本は錦秋も終わり、ようやく冬の兆し、だんだんと寒い日が多くなっています。
 今回の上海訪問にあたっては、私たちの到着当日より出発のその瞬間まで、皆様より誠意あふれるご配慮を賜り、連日の心温まる歓迎に感激いたしました。いま想い出しても毎日、毎時間が“夢”のようで、充実した内容の連続でした。上海訪問団一同を代表して深く感謝申しあげます。
 私たち三世代・著者による『当代社区教育新視野−社区教育理論与実践的国際比較』が
想像以上の立派な本として刊行され、その出版祝賀・報告会(11月22日)が盛大に催されたことに深い感銘をおぼえています。この10年来、海を越えて上海の皆様と交流してきた積み重ねが1冊の本に結実したことになります。私にとって2003年はまことに稔り多い年となりました。有り難うございました。
 この本がまた新しい架け橋となって、中国と日本の社区教育・研究交流の次なる道程に発展していくことを祈っています。
 本の出版と今回の歓迎のために努力された上海教育出版社ならびに湖南社区等の関係の皆様に、私たちの深い感謝の気持ちをお伝え下さい。
 末筆になりましたが、上海教育出版社のますますの発展・隆盛をお祈りいたします。また上海で、あるいは東京で、お会いできることを楽しみにしています。  敬具
  
(2) 葉 忠海 氏あて
 中国・上海                  −2003年12月1日−
   葉 忠 海  先生
                          小 林 文 人 (東京)  
 拝啓
 今回、上海教育出版社の招聘で11月20〜24日の間、上海を訪問いたしました。
滞在期間中、葉先生にお会いできるものとばかり思っていましたので、小生の方からはご連絡しませんでしたが、結果的にお会いする機会がなく、失礼しました。
 小生はその後、25日から29日まで山東省烟台(日本語学校)に滞在し、先日、予定通り帰国したところです。
 「東アジア」社会教育の研究交流については、10月に日本で、韓国の代表的学者・黄宗建先生とお会いする機会があり、昨年来の経過について、お話ししました。海を越えて研究交流のネットワークづくりに挑戦することはお互いに大事なことだ、という点について同意見でした。小生たちの『東アジア社会教育研究』(2003年、第8号)刊行の試みも高く評価していただきました。
 いま黄宗建先生は、山東省ウエイバンに滞在中です。今回も26日〜27日、烟台でお会いし、一夜ともに酒を飲み、友情を暖めました。葉先生とも一緒に歓談・交流できればと思いました。
 また次の上海訪問の機会にお会いできることを楽しみにしています。
奥様にもどうぞよろしくお伝え下さい。                敬具





(7)葉忠海氏の訪日(2004年6月)と上海国際シンポジウムの動き  
                    *南の風記事(6月〜9月)

★<上海・華東師範大学の葉忠海夫妻の訪日>
 5日ほど前に、浦和の葉さんという方(女性)から突然の電話がありました。上海の葉忠海先生の娘さんでした。以前に拙宅(新年会)にお出でいただいたことがあります。いま、お父さんご夫妻が来日され浦和に滞在中とのこと。久しぶりに電話で葉先生と「お久しぶり・・・」とお話ししました。
 葉忠海氏とはじめてお会いしたのは、ちょうど10年前。当時は華東師範大学・成人教育学院の研究室主任、その後は同大学・継続教育研究所長などを歴任され、私たち(TOAFAEC)と上海・華東師大との研究交流を推進されてきた方です。1998年に相互の意向書、その後さらに協議書を交わし、いくつかの経過のあと、2002年7月には葉団長のもと上海成人教育関係者の一行が賑やかに訪日されました。
 その際、東アジアの研究交流をさらに前進させていこう、国際的シンポ開催案などの積極的な提案をされたのが印象的。2003年以降はとくに具体的な展開になっていませんが・・・。昨年11月の上海本の出版祝賀会に訪中した折にはお会いできませんでした。
 5日のTOAFAEC 総会で皆さんに葉先生の電話を紹介し、12日に有志でささやかな歓迎会(上野「今半」、HPに記載)を開くことにしました。もし参加ご希望の方があれば、ご一報を。(南の風第1281号 6月9日記事)

002年 ・上海訪日団  後列・右より2人目に葉忠海氏 (浅草、2002年7月5日


★<10月に上海で国際シンポ企画の動き>
 12日午後は上海から来日の葉忠海夫妻の歓迎会(上野・今半)。中国からのお客さんはこれまで公的な訪問団が多く、このような個人的な来訪は珍しいのです。お互いに気軽な語りあいとなりました。中国とのお付き合いも新しい時代に入ったな、という印象もありました。
 葉先生を団長とする上海・成人教育関係者の訪日団を迎えたのがちょうど2年前。その架け橋となったのはいうまでもなく呉遵民さん。最終日の歓送会では、上海側(葉忠海氏)より東アジア社会教育・研究交流のネットワークを拡げていこうという提案がありました。しかし、この年(2002年)秋以降、ぶんじんはギックリ腰で不調という事情もあり、翌2003年は上海本「現代社区教育の展望」刊行は成ったものの、ほとんど研究交流の動きは具体化しませんでした。
 1年ぶりの葉先生はお元気、相変わらずの積極的な姿勢。聞けば上海では今年の10月に成人教育(社区教育、生涯教育等)に関する大規模な国際的シンポジウムを計画中とのこと。欧米各国を含め10人ほど招聘する計画だそうです。上海市成人教育協会と閘北区当局が企画をすすめていく。「参加できますか?」と打診されました。
 TOAFAECとして「いまどんなことに力を入れていますか?」という質問も。同席の伊藤長和さんと一緒に「韓国の平生教育」についての本づくりに挑戦していること。編者の一人・黄宗建先生がいま山東省ウエイバンで招聘教授として滞在中なので、ぶんじんの烟台日本語学校
とも近く、そのうち山東省でともに語りあう機会をつくろう、などなど。
 会も終わりに近く、近い将来に沖縄で「東アジア」研究交流の集いをもつことが私たちの夢であることも。さて実現するかどうか。
 付記:いまNHKアーカイブスが「悪石の海・対馬丸の悲劇」(1977年)を放送中(6月13日23:10〜)、涙が流れます。(南の風第1281号 6月9日記事)



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