南の風・各号後記(ぶんじん日誌)
2650号【2011年5月10日】
■<飯舘村『までぃの力』(ぶ)>
前号に添付忘れ。JST 社会技術研究開発センター主催「地域に根ざした脱温暖化・環境共生社会」シンポジウムのプログラム、1号遅れで本号に添付しました。最近頻発するもの忘れ、お許しを。
福島県飯舘村の緑あふれる表紙『までぃの力』を、あかず見入っています。九州から帰ったら届いていました。大地震、原発さわぎの中、よくぞ刊行できたもの。冒頭の「大地震発生後の経過」表は、4月17日までの「飯舘村の状況」が収録されています。村長・菅野典雄さん『まえがき』は、「まさかこのような中で“までぃの力”が発刊になろうとは… 今、飯舘村は村誕生以来の危機に瀕している」と、うめくような言葉から始まっています。
「までぃ」とは「真手(まて)」という古語が語源。それが転じて、手間ひま惜しまず、丁寧に心をこめて、つつましく、という意味で東北地方に使われている方言だそうです。「食べ物は“までぃ”にな」「子どもは“までぃ”に育てろよ」など、じいちゃん、ばあちゃん、が言ってたあの言葉。みんなで想い出して、その生き方こそが私たちの自信に、この地で生きる希望につながるというメッセージ。
無縁社会に“までぃ”を掛け合わせて有縁社会へ、限界集落を元気集落へ、何もない里山を資源の山へ、というページもありました。心をこめた村の計画論、それがいま一挙に吹きとばされようとしている! “までぃ”という言葉から、“ぶりでぃ”(群れ手、みんなの手)という「やんばる」方言を想い出しています。“までぃ”を“ぶりでぃ”で支えよう!
2649号【2011年5月8日】
■<HPの歓び−台湾・高校生の激励ビデオ>
台湾の許銘欽さん(康橋雙語實驗高中<青山校區>校長)の震災見舞い・激励メッセージを「風」2646号に掲載したのはご存知の通り。昨日6日、そのお礼とともに、次のような注文が寄せられました。
「…南の風にお載せ下さいまして感謝いたします。でも先生のHPに入りましたが、2646号(ぶ)日誌には文字だけ残っています。私の学校の高校生が作成した「Infinity
無限の愛、勇気、希望」はなかなか探せませんでした。残念です。先生のHPを本校の皆さんにご紹介いたしたいですが、お手数ながらも、しばらく「Infinity」をHPのトピックスに載せて下さいませんか!」(Fri,
6 May 2011 21:06)
確かにそうだ。「風」記事では同ビデオが見れるように掲載しましたが、風は流れ去っていく。早速、HPトップページに「特報!台湾・高校生の東日本大震災に向けての激励ビデオ」をもっとも目立つスペース(写真のすぐ下)に入れました。ご覧ください。→ http://www004.upp.so-net.ne.jp/fumi-k/
→■
間髪をいれず、許さんからのメール「東京・沖縄・東アジア・社会教育研究会のHPに載せていただき、感謝いたしております」が来信。さすが!こちらも感激。老人のたどたどしい手づくりHPを台湾で熱く見ていただいている。あらためて御礼申しあげます。
HPのTOAFAEC 部分について誰かに交代してもらいたいと、この10年、若い世代に期待してきましたが、実現しません。それなりに神経をつかうところがありますが、創る歓びがあり、今回のような感激もあります。いま毎日50人前後の訪問者、カウンターは「154,444」を数えています。
2648号【2011年5月6日】
■<飯舘村・藤井一彦さんのテレビ出演>
本号より数回、長文の「風」になります。包聯群さんの「東日本大震災体験記」を(分割して)掲載する予定です。興味深い内容、ご期待下さい。まず「1.地震による交通マヒを体験」を収録しました。(上掲)
上に載せきれないメールのなかから、震災関連をいくつかご紹介します(抄録)。私信的なものもありますが、ご容赦ください。
ます鹿嶋市の森下松寿さんから。(Thu, 5 May 2011 00:34)
「毎日のように“風”ありがとうございます。大震災の切実な記事を読むと鹿嶋はまだ良い方だとも思いますが、臨海工業地帯では液状化現象により工場の撤退の話(2社?)も出ています。…」
久しぶりに早稲田大学の新保敦子さん。(Fri, 06 May 2011 00:31)
「…連休中に、福島に行きました。私の夫は福島出身ということもあり、富岡町に住んでいたため着の身着のまま避難生活を強いられている親戚や、飯館村の隣の町に放射能におびえながら住んでいる親戚もいます。原発事故は、人ごとではありません。その意味で、南の風での情報、ありがたく読ませていただいています。飯舘『までいの力』も購入させていただきました。」
横浜の瀬川理恵さんから、飯舘村の藤井一彦さんについてのニュース。ご友人のメールの転送です。(Fri,
6 May 2011 13:13)
「…明日、5月7日(土)夜9時からデジタル11チャンネル(J:COM)で、飯舘村が取り上げられます。5月3日の会合にJ:COM
の番組担当ディレクターが参加してくれました。そこで、7日の番組に直接、電話で話をしてもらえないか、ということになったそうです。…是非、土曜日夜9時からの11chをご覧いただければ幸いです。」とのこと。
2647号【2011年5月5日】
■<連日の風が吹く>
陽がさせば、庭の手作りベンチの横に応急の食卓を用意して、遅い朝食をとる慣わし。上に白樺の葉がそよぎ、足元にエビネ蘭が咲いている 風景。毎日住んでいれば、こんなことはしないのに、すぐ東京に帰る身、少しの時間でも庭にいたい思いです。ポツダム会談が行われた古い城のレストラン、あのベランダで朝食をとった陽の光も想い出すほど。ドイツ滞在中、あのとき谷和明さんと一緒だったんだ、とか。
風の配信がようやく隔日に落ち着いていたところで、大震災・原発問題等での皆さんからの風が急増し、再び連日の発行に戻ってしまいました。やさしい風でそよそよと吹きたい、毎日では激し過ぎる。きっと忙しい皆さんは読んでくれないだろう、長文になりすぎると疲れてしまう、そんなこと重々承知の上で、本号を編集しています。
いま滞留している手元のメールがすでに4本。昨日は夜間中学の先生方から「南の風」に参加したいとの希望が寄せられ、そのご挨拶も届いています(次号予定)。モンゴルの包聯群さん(東京大学総合文化研究科・学術研究員)からは、「東日本大震災体験記」が送られてきました。当日の体験、中国留学生の動向、多言語による緊急のFM放送の実施など興味深い内容です。しかし長文、どのように「風」に載せるか悩んでいるところ。和光大学『震災・脱原発を考える−緊急ティーチイン」のご案内、鹿嶋からのメールなども着信。先着順でいくべきところですが、風の流れで少し順序を入れかえる作業をしています。ご了承を。
▼5月の庭(油山、20110505)
2646号【2011年5月4日】
■<「弔旗が風に鳴るように」>
川崎の山崎信喜さんは、「風」の初期メンバーでした。いつの間にか直接にお送りしていない(川崎のローカル配信で届いている)関係。このたび久しぶりに「飯舘村・藤井一彦さん」(2641号)についての熱いメッセージを頂き、本号にもその続信を掲載できました。5月3日の報告会案内は、すでに日時が過ぎていますが、一緒に載せました(上掲)。取りもったのは、山東省烟台・伊藤長和さん、ありがとうございました。
本号には、台湾の許酩欽さん(東京学芸大学・院卒、新北市・康橋雙語實驗高中(青山校區)校長)から、震災見舞いと激励の一文が届きました。日本に向けて、学校として多額の義捐金を用意され、高校部の生徒たちは「Infinity 無限の愛、勇気、希望」ビデオを作成
→■、小学部の子どもたちは千通ものお見舞い状を書いたそうです。胸が熱くなりました。被災地の学校への送り先を聞いてきています(上掲)。どなたかご紹介くださいませんか。
地震・津波で多くの方が亡くなり、私たちのまわりに死者そして縁者の慟哭が充ちています。朝日新聞の3日「天声人語」は群馬県の詩人・小山和郎の自由律俳句「明日も喋ろう 弔旗が風に鳴るように」を紹介していて印象的でした。24年前の憲法記念日に襲撃され倒れた阪神支局・小尻記者への追悼。深い悲しみと怒りの支局に、遺影とともに掲げられたのがこの一句だったそうです。短い言葉からは、悲しみを湛えながら「高らかなものを吹き込まれた記憶が今も鮮やかに残っている」と書き、「…忘れないこと、書き続けることの責務」を噛みしめよう、“明日も喋ろう”と結んでいます。
2645号【2011年5月3日】
■<フィールド・サーベイ>
5月1日の夜、春の魚のメバル(季語も春)、混じってベラなどの釣果を持って農中茂徳さんが油山に現れ、一泊。今日(2日)は車に乗せてもらって(例によって)成り行きまかせの自由旅を楽しみました。まず九州大学の新キャンパスを横目に、玄海に面する西浦漁港へ。潮風に吹かれながら、埠頭に座りこんで“ゆんたく”のひととき。このあたりは「蒙古山」「唐泊(からどまり)」などの地名が残っている一帯です。
三瀬トンネルを抜けて、佐賀平野へ下る道沿い、旧松梅村に立ち寄ることができました。背振山地の谷に連なる「名尾」の集落。小規模の米作に加えて、古くから和紙や干柿づくりの副収入で暮らしを支えてきたところです。その中の三集落(楮原、桟敷、四十坊、各20戸前後)が大学院時代に初めて本格的なフィールド・サーベイに取り組んだところです。1957〜58年の頃ですから、もう半世紀も前のこと。当時は車も宿もなく、バスの終点(三反田)からひたすら山道を歩いて、お寺に合宿するかたちでの厳しい現地調査でした。テープコーダーもなく、聞き取りを「野帳」に書き留めながら、農村社会学的な調査の基礎訓練を受けた思い出の地です。
経済高度成長による農村変貌がすすむ直前の調査記録。九州大学比較文化教育研究所・紀要第11号(1963年)がその報告書です。ぶんじんは、「年令階梯組織とその教育的機能」のテーマで分担執筆しています。半世紀を経て、佐賀山間地の農村がどのように変転したか、事情が許せば、今の時点でフィールド・サーベイを実施してみたいと思いました。
お寺にも立ち寄ったあと、佐賀平野を南下して有明海方面へ。筑後川を渡り、柳川で上野景三さんと合流。柳川どじょうでビール、うなぎ蒲焼で夕食。博多はどんたく前夜、祭り気分でざわめく雰囲気のなか帰宅。
▼名尾・調査団・宿舎「蓮福寺」(20110502)
2644号【2011年5月1日】
■<光と風の誘い−油山にて>
福岡・油山は昨夜来の雨があがって、陽がさしています。さやさやと五月の風。今日は仕事をやめて外へ、少し山にのぼってみようかと思いはじめました。昨夜の農中茂徳さんからの誘いにも、「やっと書庫の整理に精出そうと思い立ったので・・・」と断ったばかりなのに、光と風の誘いには心が動きます。
山東省・烟台の伊藤長和さんからの便りは本号で161号となりました。南の風掲載について、毎号ていねいな前文があります。今回の一文。
「ようやく烟台の樹木に緑が萌えています。一斉に花が咲き誇っています。山はまだ深い眠りからさめていません。昨晩学生が餃子を作りに我が部屋を訪れてくれました。こちらも今日(30日)から3連休です。」
かって風への投稿「ご三家」と名付けた3人組がありましたが、今なお定期的な送信が続いているのは、伊藤さんだけ。精力的な送信は“表彰状”もの。この風に脊を押されて、南も吹き続けるような日があります。休もうかと思っていると、烟台から風が吹いてくる・・・。
久留米の生家にも、様子見に行く予定にしています。この3月から生家のすぐ近くを九州新幹線が走るようなりました。関連の取付け道路の工事で、敷地の一部が削り取られ、赤いレンガ蔵が取り壊されそうな事態があり、この顛末はいつぞや本欄で書いた通り(風1514号、5年前)。 なんとか蔵は残りましたが・・・新幹線の走行による震度や騒音はどうなのか。一変したはずの風景も気になっているのです。
5月1日、今日はメーデー。どこかでデモが動いているのかしら。
2643号【2011年4月29日】
■<エビネ蘭咲く>
今年の桜は遅く、それを楽しむ心のゆとりもなく、いつの間にか散ってしまった四月。ようやく五月を前にして、東京ではハナミズキが咲き始めています。今日(28日)久しぶりに福岡・油山の寓居にたどりついてみると、若葉そよぐ薫風の趣き。やはり季節はめぐってきた。庭のエビネ蘭がほぼ満開、三色それぞれの可憐さで、やっと現れた主を迎えてくれたような…。陽が落ちて暗がりのなか、今年のエビネ写真一枚。
白樺3本のうち、昨年から勢いをなくしていた1本が今年はとうとう若芽を出す力なく、寿命が来たようです。庭ではいちばん先輩格の樹でした。残念!
昨年9月の風2501号本欄でも次のように書いています。
「… 今夏の暑さに耐えきれなかったようで、蘇るエネルギーがあるかどうか。信州の生まれ、苗木で東京に頂いて油山へ運びました。家の建て増しで、移しかえたり、苦労をかけた白樺です。…」
そういえば信州の地から苗を持ってきていただいた縁結びの先生(元東京農工大学)の訃報が先日届いたばかり。白樺を道連れに旅立たれたのでしょうか。そのうち焚き火をして、白樺追悼の会?をしましょう。
連休には、東北被災地へボランティアに入る若い世代の動きも聞こえてきます。ご苦労さま!です。頑張ってください。当方は「枯れ木も山の賑わい」になるはずもなく、お許しいただいて、まずは九州の魚でも食べて、しばし活力を取り戻そうと思っています。
今年の“4・28沖縄デー" 講和条約が発効し(1952年4月28日)、沖縄が日本から切り離された日に、原告2万2千人余という嘉手納爆音訴訟のニュース(上掲)が届きました。原告団は「国内史上最大」「嘉手納基地に8割の土地を奪われた嘉手納町に至っては3人に1人が原告」「住民が決起した」状況と報じられています。
▼夜のとばり・エビネ蘭(油山、20110428)
2642号【2011年4月27日】
■<公民館のお風呂>
前号に福島県飯舘村からの報告を載せることができて、大震災関連の記事を読むたびに「飯舘村」に目がいくようになりました。26日は住民集会が開かれ、怒りと悲しみの発言が相次いだとのこと。「安全と言い続けながら、手のひらを返すように、出て行け、と言う国に震えるような怒りを感じる」「手塩にかけてつくってきた美しい村が放射能で汚された」(上掲)など、胸に響きます。
大震災の厳しい状況が続くなか、感動的な取り組みや心暖まる人間ドラムの記事も少なくありません。目についたのは、お風呂の話題(河北新報「ふんばる」4月18日記事など)がいろいろ登場して面白い。公民館関連のお風呂記事を紹介します。「津波に耐えて残った桜が満開」写真も添えられていて印象的です。
○公民館の倉庫に湯船−元気が湧く復興の湯(朝日、4月26日夕刊)
津波で市街地が壊滅的な被害を受けた岩手県陸前高田市に、共同浴場『復興の湯』がある。自宅を失った避難所暮らしの被災者が協力し、公民館の倉庫を借りて作った。
男湯と女湯は板で仕切られ、入浴時間は正午から午後10時まで。湧き水を2台のボイラーで沸かし、地元の建築会社が作った木製の湯船には一度に10人近くが入浴できる。…(中略)…
浴場作りの中心になった高萩善夫さん(65)は「風呂に入ると、心まで裸になって何でもしゃべれるんだ。涙流す人もいて『がんばっぺし』って励まし合ってる」と語る。「この浴場はみんなでやり遂げた最初の仕事。だから、ここが復興第一号だと思ってる。」…(以下略)…
一つ、思い出したことがあります。1953年の九州大水害。筑後川が氾濫、首まで水に浸かって(ベトナム難民のように)福岡(当時、学生)から久留米の自宅にたどりつきました。わが家は玄関の敷居まで水、しかし幸いに浸水を免れていました。宿舎が水没して大被害にあわれた九州大学(久留米・第二分校)の先生方に、終日お風呂をたてて、感謝されたことがありました。
2641号【2011年4月26日】
■<飯舘村の奮闘を!>
原発被災地・飯舘村からの近況報告が届きました(上掲)。横浜・瀬川理恵さんを介しての寄稿、有り難うございます。(25
Apr 2011 11:37)
瀬川さんのメール(要約)。「飯舘村に藤井さんという方がいます。この方は、横浜市教育委員会で社会教育に取り組んでいらっしゃいましたが、主事の資格を活かそうと、飯舘村で頑張ってこられました。藤井さんのおつれあいも福島県内の保健師さん(八代さん)で、社会教育にも関わっている方です。共通の友人を通して藤井さんのメールが届きました。飯舘村の生の声を是非、皆さんに知って頂きたいと思います。」
藤井さんからは、小林についても「…私が横浜で社会教育主事をしていたころから、社全協などでお世話になって、20年以上ご指導いただいております。毎年夏に行われる全国集会でもお会いしております。…」「…長期戦を覚悟しています」とのこと。菅野典雄村長はじめ藤井さんほか飯館村の皆様にお見舞い申しあげるとともに奮闘を祈っています。『までいの力』(上掲)を注文しました。この本のこと知りませんでした。
さきほど遠藤輝喜さん(TOAFAEC 事務局長)から届いた「5月研究会会場と総会に向けて」の相談を頂きました(Mon,
25 Apr 2011 22:43)。 「…5月20日の定例研究会の会場ですが、高井戸地域区民センターは当日は休館日でした。永福和泉地域区民センター第一集会室を確保いたしました。そして、今年度のTOAFAEC
総会ですが、日本社会教育学会六月集会が、4〜5日にかけて明治大学で開催とのこと。例年のごとくこの日程に合わせて実施したいと思います。つきましては、事務局会議を開催の上、総会議案他、検討したいと思います。連休あたりで日程調整しようかと思いますが、ご都合いかがでしょうか。」
有り難うございました。事務局会議をぜひ開きましょう。連休中は東京を離れていますので、連休明けの週で、皆さんの都合のいい時間を調整して下さい。小生はそれに合わせます。
伊藤長和さんから頂戴している「烟台の風」159、またしても次号送り。申しわけありません。
2640号【2011年4月26日】
■<眠れぬ夜>
「緊急署名お願い!子どもたちに被曝を強要しないために」アピール、送信していただき(上掲、鳥山淳さん)ありがとうございました。「緊急声明」<子どもに年20ミリシーベルトを強要する日本政府の非人道的な決定に抗議し撤回を要求する>には次のような既述もあります。
「…現在、福島県によって県内の小・中学校等において実施された放射線モニタリングによれば、「放射線管理区域」(0.6
マイクロシーベルト/時以上)に相当する学校が75%以上存在する。さらに「個別被ばく管理区域」(2.3
マイクロシーベルト/時以上)に相当する学校が約20%も存在し、きわめて危険な状況にある。…」
容易ならざる事態が進行しつつあると思われます。インターネット上には、「福島の子どもたちを放射能から守るために」「数値で人の生命を買うな!」「何も応えられない当局」(撮影・編集−湯本雅典氏)などの映像が強烈です。参議院会館で開かれた院内集会(4月21日、主催:福島老朽原発を考える会等)の記録では、原子力安全委員会だけでなく、子どもの健康・安全と学校教育に関わる問題だけに、今や文科省の科学技術・学術政策局やスポーツ青少年局の担当官が質問をあびていましたが、ほとんど対応できず。自ら発した「年20ミリシーベルト基準」についての根拠をきちんと説明できない状況。
http://www.youtube.com/uniontube55?gl=JP&hl=ja#p/u/1/L1ocUT17Axc
→■
あわせて東京・高円寺で開かれた「反原発デモ(ハングル字幕付き)」や「浜岡原発すぐとめる4/10集会」などの映像が次から次へと目に飛び込んできて、眠れません。
2639号【2011年4月24日】
■<「風の部屋」で>
昨日(22日)は、午後から「東アジア社会教育研究」第16号の編集委員会、夜はTOAFAEC
第171 回研究会でした。午後の会場は久しぶり「風の部屋」。最近は世の中なにかと慌ただしく、皆さん多忙な毎日の故か、事務局会議を開く余裕もなく、「風の部屋」は静かでした。この日は久しぶりに活発な議論がはずんで、「風の部屋」も嬉しいひととき。
編集委員会の主要議題は、16号の特集テーマの確認、特集5本の構成をどうするか、ということ。各部構成では、韓国グループの輪郭がほぼ確定、さすが! 他方で中国グループの準備が遅れ気味(早急に一度集まる必要あり)。全体として、投稿原稿の応募も数本、まずまずの進捗状況、ご同慶のいたりです。大震災をめぐる報告についても話題となりました。詳しくは編集長より、別途報告が寄せられると思います。
夜の研究会(李正連さん歓迎会)については、上掲・瀬川理恵さんからの報告をご覧ください。(瀬川さん、早々に有り難うございました。)次回研究会は、第16号特集テーマと関連して、5月20日(金)の日程が決まりました。皆さん、ご予定ください。また会場(高井戸)の確保もどうぞよろしくお願いします。
「TOAFAEC 掲示板」に懐かしい内藤茂さんから「石巻に行ってきました」との来信。「先生ならばボクの性分をおわかりと思いますが、いてもたってもいられず三陸へ行ってきました。…(中略)… 今回の震災については、ボランティアの概念を飛び越え国民運動となるべきと考えています。どなたでも記事に関してアドバイスいただけると幸いです。」 http://6320.teacup.com/bunjin/bbs
→■ 読み応えあり。内藤さんは「@調布ジャンプ少年団」、本職は私立学校の教師です。かって一緒に沖縄を旅した仲でもあります。
▼171研究会・李正連さん歓迎会(明大前、20110422)
2638号【2011年4月22日】
■<コウナゴ(小女子)の悲しみ>
必要があって散乱した本のなかから、横山宏著『社会教育雑記』(同時代社、1985年)を拾い出し読み返していたところ、こんな一文と再会しました。
「…日本社会教育学会では会長の津高正文君がなかなかの食通で、小林文人君や碓井正久君も相当に口が肥えており、それに私も口がいやしく、小川利夫君ら酒に目のない人も少なくない。…」(247頁) もともとは『吉田昇著作集2』(三省堂、1981年)付録に寄稿されたエッセイですが、当時、私より一世代上の方々に伍して名前が並んでいることに恐縮したものでした。今は、横山さんを含めて、この方々がすべて故人となられていることに粛然たる思い。
そうです、横山さんと何冊か本・資料集をつくっていたころ、仕事が一段落すると、よく飲み食べ歩きしたものです。食べ物の話で競い合い、どちらが酒や食の話題をえんえんと続けることができるか、それが文化度の目印だなどと自説をしゃべったり…。中国料理や古料理店などは横山さんの領分、魚や寿司屋の話になると、当方に少々の分がありました。太刀魚の刺身、ゴマ鯖、あぶってかも、あごダシ、ガンづけ、などなど。
今年も初入荷のコウナゴは美味でした。軽くあぶって妙に白ワインと合うのです。ところが放射能汚染の問題が始まって、瀬戸内からの直送さえも敬遠されるとか。コウナゴの悲しみ、いかばかりか。これから食物連鎖の上位にいる大型魚の汚染が始まる? チェルノブイイ事故の場合、ほぼ半年後にスズキやマダラの濃度がピークになったとか。世界各地の寿司屋もピンチを迎えているとのニュース、残念です。この話になると長文になりそう…。伊藤長和さんの「烟台の風」は次号へ。
2637号【2011年4月20日】
■
<先生と肩を組んで・・・>
ここ数夜の余震は茨城や神奈川が震源地。地震は三陸沖から次第に陸の方へ移動し、東京へと近づいているような…。今(19日夜)もグラッと揺れました。いつもゆらゆら微動の大地の上に乗っている、そんな錯覚の時間帯があります。いい気持ではありません。
高く積み重ねている本の上に小さな写真を置いています。地震に応じて本が揺れ、写真も揺れて、震度2ぐらい?でコトンと倒れます。私の書斎の震度の目印し。写真は、故黄宗建先生と一緒に気持ちよさそうに歌っているスナップ。ホームページ・アルバムの「追悼!黄宗建先生」のページに「黄宗建・自分史を語る、の収録を終わって慰労会、“花”の合唱(ソウル、19990301)」(下掲)と書き添えている一枚です。先生と肩を組んで、地震に揺れて、転がり落ちるようなひととき。これはいい気持。
→■
本号には、この4月に東大に着任された李正連さんのご挨拶が届きました。4月22日夜、TOAFAECとして歓迎会(第171回研究会)を開催します。お誘い合わせの上、ご参加ください。(再掲)
日時:2011年4月22日(金)18:30〜20:30〜
内容:李正連さん「日韓研究交流のこれから」(仮題)、歓迎会
会場:Humming Bird(ハミングバード): 03-3324-6922 京王線「明大前」から徒歩2分。、
→■
また、トクタホさんからは「送別会ありがとうございました」のお礼メールも。帰国日が決まりましたか?
お互いに都合が合えば、あと一度乾杯したいところ。一路平安、これからの前途多幸を祈ります。
本欄には時に文の乱れがあります。ゆらゆら揺れる地震のせい、文章も心も乱れがち。ご容赦ください。
▼黄宗建先生と「花」の合唱(ソウル、1999年3月1日)
2636号【2011年4月19日】
■<避難所のおにぎり一つ>
本号は久しぶりに北からの風、それに最南端の八重山の嬉しいニュースが並びました。はさまれて「被災地から」の報告。
南の平田大一さんは、この4月から沖縄県の文化観光スポーツの部長に就任。民間から登用の異色の人事です。平田さんは和光大学出身、これまで「南の風」に何度も登場した人。自ら南島詩人を名乗り、「胆高のアマワリ」をはじめとして、琉球の歴史に生きた人物をテーマに、中高校生たちが演じる感動的な舞台づくりを制作してきました。「舞台を県庁にかえて・・」(上掲)の挨拶が印象的。
かって和光大学「移動大学」で、沖縄大学とプログラムを組んだときに出演してもらったことがあります。その後、小浜島での彼の結婚式に出席する約束をして、その前日に那覇空港まで到着。しかし折悪しく台風襲来のため、ついに小浜島行きを断念した日のことなど思い出しています。
ところで、いま朝日歌壇は(俳壇も)大震災を詠む企画。ほとんど全部が地震、津波そして原発をうたう歌であふれています。今日(4月18日)の朝日歌壇から、4人の選者が共選した歌を四つ。
・避難所のおにぎり一つの朝食に 我も加わる長蛇の列に(半杭蛍子)
・原発の空のしかかるふるさとの ここにいるしかなくて水のむ(美原凍子)
・地震にてとまりし電車十日経て まだとまりゐる菜の花のなか(篠原克彦)
・袋縫う仕事もありてボランティア 骨入れるためと聞けばたじろぐ(奥原百合子)
当方は「歌を詠む気力もなくて閉じこもる花の季節の暗がりのなか」という一日でした。大地震で散乱した本を積み上げたままの憂鬱。
2635号【2011年4月17日】
■<前途の幸せを祈る>
数日遅れで福建『生涯教育』誌に送った私たちの原稿(風2633号)について、「…時間が足りないので、福建師範大学・日本語科の教師五人を動員して、翻訳に着手しました、何とか雑誌編集に間に合うように頑張ります」(上掲・李斗石さん)とのこと。よろしくお願いします。
7人の執筆者には、送稿した原稿をお送りしていますが、もし何か修正すべきこと、お気づきのことがあれば、ご一報ください。今のところ文字の間違い2点の連絡をいただいています。また福建より「なるべく現場写真を添付していただきたい」との希望が寄せられていますが、執筆者以外の方でも、どなたか提供できる場合は、ご協力のほどよろしくお願いします。当方より福建・李さんあて、まとめてお送りします。
昨日(16日)夜は、トクタホさんの学位お祝い・離日送別の会でした。荻窪の店はまさに立錐の余地もないほど、多数の出席者で賑わいました。TOAFAEC
関係で14〜15人ほど。モンゴルの皆さんが30人前後か。馬頭琴ありモンゴルの歌もあり、楽しいひとときでしたが、やはり別れの会の切なさもあり。日本で活躍してほしい人の帰国だけに、残念な思いがあります。これからの前途の幸せを祈って乾杯しました。
トクタホさんを介して、モンゴルの皆さんとは旧知の人が少なくありません。センジャーさん(馬頭琴奏者)だけでなく、新年会や七夕の会に来て、名演奏をしてくれた何人もの若者と再会。酔うほどに、ある話題で涙を流した人もいて、忘れがたい夜となりました。
海を越え、国を離れて、距離は遠くなるけれど、「心は近い」と別れ際にひとこと。次の再会を楽しみにしましょう。
▼会は終わる、江頭晃子さん撮影(荻窪、20110417)
2634号【2011年4月16日】
■<「東アジア」年報第12号・好評>
風2624号「八五歳の祝い」でご紹介した沖縄・仲宗根悟氏を囲む集いは盛大に終わった由、既報の通り(玉那覇正幸さん・2627号)です。あらためて、東武さん(私たちが沖縄研究を始めたころの沖青協会長)からもご挨拶の電話がありました。当日は、「東アジア社会教育研究」第12号所収の、仲宗根悟さんほか中頭青年団OB聞き取り記録を増し刷りして参加者に配布したとのこと(160部)。電話に仲宗根悟さんの元気な声も聞こえてきて、いい記録を皆さんに配布できたことのお礼がありました。東武さんよりは、座談会に同席したのに「われわれには第12号は届いていない、送ってほしい」と。ありゃりゃ、それは失礼しまましたと、4部お送りしたところです。(「風の部屋」には12号残部なし。)
○16日はトクタホさんの送別会。江頭晃子さんからいま届いたメール。「ご参加いただく皆様は…(氏名略)… 今のところ11人。センジャーさんはじめ、内モンゴルの皆様が20人前後とのことなので、30人前後になる予定です。17時〜ですが、江頭は16時から準備に行っています。もし早めに来られる方がいましたら、よろしくお願いします。会場は「寄港地」(荻窪駅北口徒歩2分)、東京都杉並区上荻窪1-4-10上荻1町目ビル 電話:03-5397-0257。 http://r.gnavi.co.jp/b917600/map/
→■
共催:モンゴル仲間の皆様(センジャーさん他)、会費:5000円。
連絡先:TOAFAEC(江頭晃子 ringox@nifty.com)」
小林富美さんと舟瀬孝子さん(モンゴル旅メンバー)も参加するそうです。
2633号【2011年4月14日】
■<あの日から1ヶ月過ぎ、春雷>
生涯忘れないだろうこの1ヶ月。南の風も慌ただしい毎日を過ごしてきました。少し落ち着いてきたのか、本号は久しぶりに(日付としては)3日目の発行となりました。勘定してみると、3月は25回も吹きました。休んだのは5日だけ。つらいニュースが多い昨今、少しでも安らぐ記事を探しながらの1ヶ月。
東京でもまだ余震の揺れがゆらゆらと体に響いてきます。ほとんど毎日。そう言えば、今日は少ないな、というような感じ。宮城・福島あたりでは、きっと激しく揺れているだろうと思わせるような余震もありました。これから先は、さらに大気や野菜や魚への、見えぬ放射線への不安がゆらゆら〜と続いていくのか。
一昨日午後のひととき、激しい風雨あり。春雷がゴロゴロと鳴りました。立春が過ぎて森羅万象に何かが兆し始める象徴的な春雷。「性的イメージを喚起する」(岩波・現代短歌辞典)言葉でもあるようです。しかし今年の桜は、この風雨・春雷でかなり散ってしまいました。
本日(13日)、約束より3日遅れで、福建省「終身教育」誌へ東日本大震災についての緊急報告を送稿しました。呼びかけ(既報2623号)に応えて書いて下さった方は7人。わずか10日あまり、新年度の忙しいときにご協力いただいた各位、有り難うございました。急いで編集したので、案の定、誤記の指摘すでに2点。訂正メールを出しますので、お気づきの場合はご一報をお願いします。石井山竜平さん「被災地、仙台から」(上掲)は、その中の一篇。ご本人の了解を得て、何回かに分けて連載の予定です。
2632号【2011年4月11日】
■<福建への返信>
福建省の日本訪問計画(6月予定)は10月に延期されるようです。李斗石さんの上掲メールは、大震災・余震にあえぐ日本から、福建省に「家族を連れて」避難のお誘いも記されています。とくに石井山竜平さんに伝えてほほしいとのこと。さきほど(4月10日夕)当方から出した返信(要旨)をご紹介します。。
「…日本訪問日程の変更の件。10月は学会シーズンですが…、おそらく大丈夫と思います。皆様の計画を優先してお待ちしましょう。招聘状の再発行も承知しました。…
福建省へのお誘い、有り難うございます。陳宜安、裴暁敏など諸先生によろしくお伝えください。地震後は、かえって慌ただしい毎日、今は日本を離れられない状況です。おそらく石井山さんも研究室の復旧などで無理ではないでしょうか。お気持ちだけ有り難く頂戴いたします。
ご依頼の『終身教育』誌の原稿の件。今日(4月10日)が締切と記憶しています。恐れ入りますが、1両日の猶予をいただけないでしょうか。主要な原稿(小林、石井山、小田切)は揃いましたが、あと数人の執筆予定者があり、明日まで待ちたいと思います。それを入れて、明後日にはお送りするようにします。A4版で10枚を少し超える見通し。日本からの原稿は、相互の重複整理など若干の編集をしてお送りします。
伊藤長和さんが別送した原稿はこれとは別の扱い(個人論文)として、中国語訳を進めていただければ幸いです。」(Sun,
10 Apr 2011 16:59)
もし石井山さんに福建への避難ご希望があれば、李さんに直接ご連絡ください。この機会に「日本学者のご指導」が期待されているようです。
追記:本欄を書いたあと本号配信(11日昼)まで、大震災関係の原稿が3本(岩本、上田、末本の各位)も届きました。有り難うございました。早速、編集作業に入ります。黄さんからも中国語で送る旨の連絡あり、枚数はかなり増えることになりました。李さん、ご了承ください。
2631号【2011年4月10日】
■<トクタホさんとのお別れ会>
急なお知らせです。内モンゴルからの留学生・トクタホさんが、首都大学東京(東京都立大学)のドクター学位をみごと取得されて、4月末に故郷に帰ることになりました。日本の大学等に職場を得られれば、日本に留まってほしい人。TOAFAEC
にとっても忘れがたい役割、年報・編集委員でもありました。在日のモンゴル留学生ネットの中心を担い、モンゴルの人と文化を私たちに結びつけてくれました。ボヤンバートルさん(内蒙古師範大学)の紹介で和光大学研究生となって10年余、別れがたいものがあります。
急遽「お祝い&送別会」が4月16日(土)夕に開かれることになりました(案内
→■)。ご都合がつく方はぜひお出かけください。このお知らせを早く届けたくて、「南の風」も連日の配信、ご了承ください。
仙台の石井山竜平さん(東北大学)から、福建省「終身教育」誌に掲載する「被災地、仙台から」と題するレポートが届きました。余震が続くなかでの執筆、有り難うございました。その添え書きから。
「遅れに遅れ、申し訳ありません。不十分かと思いますが、脱稿いたします。写真については…・。それにしても、昨夜の地震が宮城人に与えた精神的なダメージは甚大でした。ライフラインについても、幸い我が家は一日のみの停電ですみましたが、多くのエリアでは“振り出し”的な状況のようで、ガソリンや食料など備蓄を目指す渋滞や行列も復活してしまいました。」(Sat,
9 Apr 2011 20:22)
2630号【2011年4月9日】
■<春雨だ、逃げろ!>
7日深夜の余震、宮城県一帯は震度6強と報じられています。東京でも怖くなるほどの揺れ。余震が続くと“天変地異”という言葉を実感します。心が萎えて、なかなか眠れない夜でした。加えて、4月以降の日本は、大地震・津波の被災国としてだけでなく、高濃度の放射能汚染水を海に垂れ流した加害国として国際的非難を浴びることとなりました。
もちろん国内の土壌・大気の汚染、故郷を追われた多数の避難家族、これからも予断を許さない原発震災、企業と政治のやりきれない失態・失政などなど考えると、目がさえて眠れません。
江戸前の美味しい魚も寿司も、遠くに去りました。花粉どころではない、放射能まじりの空気。さわやかな風も、濡れて行きたい春雨も、死語となりました。今や「春雨だ、逃げろ!」。憤りをおぼえます。福建省『終身教育』誌への寄稿「大震災と社会教育」の一文は、お見舞や激励への感謝から書き出していましたが、国際的な環境汚染へのお詫びの言葉を書き加えなければならなくなりました。残念です。
2616号本欄に書いた「やんばる対談A」の音声記録、昨夜遅く山城千秋さん(上掲メール)宛に送信しました。容量が大きく、うまくダウンロードできたかどうか。長嶺徳助さん(沖青協第18代会長、1969年)のことなど少し書くつもりでしたが、「春雨だ、逃げろ!」のことで、本欄も紙数がなくなった。次回の沖縄行き(風2624号)は7月2日前後を予定しています。「琉球アユを呼び戻す運動」について、30分ほどの「対談」(島福善弘さん)をお願いし、大急ぎで文字化・調整して第16号に間に合わせる案、如何でしょう? この時、ご一緒できますか?
2629号【2011年4月7日】
■<いくつか御礼>
脱字や変換ミスなどの訂正記事は割愛していますが(お許し下さい!)、お名前や所属については、やはりお詫びの記事を…。前号本欄の「朱善寺」は、正しくは「朱膳寺」(春三さん)でした。失礼しました。
続いて御礼を。この間、大学紀要や報告書・文集などを頂いています。有り難うございます。南の風メンバー関連としては、南から九州大学の「飛梅論集」第11号。北から釧路自主夜間中学「くるかい」文集第2集「生き生き」。添田祥史さんの添え書き。「おかげさまで2冊目の文集が出来ました。とにかく続けていくことが大事だと思ってます。しばらく試行錯誤が続きそうです。今後とも・・・」と。「くるかい」第1集については、先々月の東京都夜間中学校研究会・50周年記念講演でも取り上げさせていただきました。第2集への精力的な取り組みに敬服!
東京大学・牧野研究室の飯田市調査報告「開かれた自立性の構築と公民館の役割−飯田市を事例として」の力作も拝受。
テープ起こしの御礼。2月末に実施したACCU柴尾智子さんとの対談記録を山口真理子さんが文字ファイルへ起こして、深夜届けていただきました。A4版39ページ、ご苦労さまでした。小見出し入れなど、少し編集作業をして、柴尾さんほか当日の発言者にお回しします。いい記録が出来上がりそう、楽しみです。
「東アジア」第16号に向けての記録づくりでは、沖縄のテープ起こしのことが気になっています。先月の「やんばる対談」2について(補充の必要)、山城千秋さんと相談しなければなりません。別途連絡します。
2628号【2011年4月6日】
■<河北新報「ふんばる」>
いつも南の新聞を読むのが永年の習慣となってきましたが、3・11以降は北の新聞をさがしています。「南の風」として、東日本大震災の深刻さ(福島の原発震災を含め)にどう向き合っていくか。「正直に言うべき言葉をもたない。被災地の惨状について…いったい何が言えるだろう」(池澤夏樹、「朝日」4/5
夕刊)の気持ち。同時に深く考えるべき大きな問いに、日夜、直面させられてきたような、この4週間でした。
河北新報の震災記事を追っかけていたら、「ふんばる」の連載に出会いました。被災地の現地に立つ地方紙・記者の入魂の仕事振り、打たれる記事がたくさんありました。
壊滅的な地場産業(醤油、酒造など)の被害と再起への思い、自治公民館の奮闘、障害児に取り組むNPO,避難所の子ども絵本コーナー、宮古市田老の消防団、特養ホームのケヤマネジャー、燃料店主の焚き火、風評被害と闘う農家などなど。本号では、その中の一つ、気仙沼市本吉町大谷のお寺で“自立”を合い言葉に、踏ん張っている自主避難所を紹介させていただきました(上掲「自立掲げ・・・」記事)。
“男たちは元気だ、そう見せている、心で泣いて顔で笑っている”
本吉町は思い出深いところ。まだ朱膳寺春三さんが旧本吉町の公民館長をされていたころ、横山宏さんと訪ねたことがありました。夜汽車で着いて朝風呂に入れてもらったことがあります。40年前の話です。
被災の皆さんにどのような救援・支援の手が届くか、緊急の課題です。同時に、被災地の内なる「ふんばる」姿勢に深く感動させられます。震災と挌闘する人々の記事を通して、復興・再生の主体は誰か、自立と自治の精神、住民の人間的なネットワーク、集落の共同など、その実像を教えられます。
2627号【2011年4月4日】
■<韓国への出版から半年>
昨年秋に韓国で出版した『日本の社会教育・生涯学習
〜草の根の住民自治と文化創造に向けて』(学志社)について、最新の『月刊社会教育』4月号に、李正連さんが「本作りで拡がる日韓社会教育交流」を書いています。私も社全協通信(233、3月30日)「自著を語る」欄に一文を求められ、次のように書きました。終わりの部分のみ抄録させていただきます。
「…日韓の社会教育・平生教育を結ぶ二つの本が誕生したプロセスを振り返ってみると、いくつかの印象的なことがありました。一つは、この種の出版は学会研究者による役割が主となるように思われますが、むしろ自治体(川崎市)による韓国交流の実績が跳躍台となったこと。二つには、日韓双方の社会教育研究を志す留学生の役割が大きかったこと。文字通り海を越える架け橋となって本書が出来上がりました。
三つには、研究者間の交流だけでなく、実践・運動的な交流の蓄積が背景にあったこと。具体的には社会教育研究全国集会への韓国「平生学習」関係者の参加(1993年・木更津集会から始まり2006年・箱根集会より本格化)に見られます。四つには、世代をつなぎ世代を超える日韓双方の人間的な友情と信頼に支えられてきたこと、などをあげることができましょう。
本書の原稿はもともと日本語ですから、日本国内での刊行が計画され、さらには中国語訳による中国での出版も構想されています。それぞれ内容を加筆しつつ実現できればと期待がふくらみます。」
この本は韓国語による総合的な出版として初めてのこと。刊行からそろそろ半年を経過して、「日本の社会教育」が韓国の皆さんにどのように読まれているか、気になるところです。日本語抄訳
→■
2626号【2011年4月3日】
■<永福町の駅>
彫刻家・佐藤忠良さんが亡くなられました。3月30日朝、享年98歳、老衰とのこと。まさに大往生と言うべきでしょう。永福町2丁目にお住まいでした。散歩の道すがら、神田川におりる坂のアトリエの横をよく通ったものです。心からご冥福をお祈りいたします。
本欄では、たまたま2604号(3月6日)に「佐藤忠良展」のことを記しています。「花粉日和のなか、どうしても観ておきたくて…」、世田谷美術館「ある造形家の足跡」展覧会に出かけたのでした。
この3月末、京王井の頭線・永福町駅の改装工事が終わりました。久しぶりに駅に降りる人は驚くほどの4階建て。新しい改札口の近くに佐藤忠良作「冬の像」が立っています。人々が行き交う騒がしい通路、この一角だけは静かな空間。立像(女人)は1985年(73歳)の制作、「最も充実していた時代」の作品と紹介されています。今日の「冬の像」の足元には、白い花束が二つ供えられていました。追悼の思いしみじみ。
大震災後の厳しいニュースが続くなか、明るい話題を一つ。この5年あまり取り組んできた『社会教育・生涯学習辞典』(朝倉書店)について、編集の野島薫さんからメールが寄せられました。「…入手済みの初校校正完了分について,再校ゲラがすべて出校しましたので,ご報告申し上げます。欧文については順次,末本誠先生・岩本陽児先生がそれぞれでご検討下さっておりますので,その完了を待って,直しも入れた上で筆者に最終確認ということでゲラをお送りしたいと思っています。」とのこと。難航してきた辞典づくりも、大きな峠を越えました。
▼佐藤忠良作「冬の像」、永福町駅(20110402)
2625号【2011年4月1日】
■<4月22日・研究会の会場確定>
東電・福島の「原発震災」、堀尾正靱先生より「最悪のシナリオ」についての興味深い論議資料(上掲)を送っていただきました。「核爆発やチェルノブイリ事故のような破滅的事象は、おそらく起こらないと判断できる」「首都圏や仙台などの大都市の避難勧告のような事態は、おそらく避けることができるものと判断できる」など。「南の風」にも添付させていただきました。
風・前号の171回研究会案内(4月22日夜、李正連さん歓迎会)は、会場未定のまま、送信いたしました。失礼しました。都知事選挙の投票日(24日)の関係ともからみ、当日は近くの公共集会施設のすべてが利用できず、なじみのレストランに会場を設けることにしました。確定した会場は次の通りです。1月・新年会と同じ会場です。HPにも書き入れ。
○第171回(4月定例)研究会 日時:2011年4月22日(金)18:30〜20:30〜 内容:李正連さん歓迎会
会場:Humming Bird(ハミングバード) 東京・世田谷区松原2-28-17 :
03-3324-6922
*京王線「明大前」改札口を出て、左側のガードをくぐり右折、線路沿いに歩いて踏切がある角の左
側。駅から徒歩2分。
当日午後には、「東アジア社会教育研究」第16号編集委員会が西永福「風の部屋」にて予定されています。編集委員会参加の方は、京王・井之頭線の駅を二つ移動して「明大前」へ、というコースになります。
2624号【2011年3月31日】
■<八五の祝い>
3月28日“ゆんたく”の会に参加予定であったカイロ大学・アーデルさんの来日は1日遅れ(エジプト航空が飛ばなかったそうです)、29日夜に我が家に現れ、“風の部屋”に泊まっていきました。よくぞ、放射能の色にそまりはじめた日本に戻ってきたものだ。
当夜、ご参加の方々には紹介しましたが、4月以降の沖縄関連スケジュールについて。(書き忘れ)
一つは、「仲宗根悟氏・八五歳の慶寿を祝う会」の案内。仲宗根さんは戦後初期の沖縄県青年団運動を担い(沖青協事務局長など)、1966年から1975年までは沖縄県祖国復帰協議会(復帰協)を中心的に支えてきた方(同事務局長)です。この間の経過は、「東アジア社会教育研究」年報12号(2007年)に証言として収録されています。
沖縄では「八五歳」を祝う慣わしがあり、おきなわ社会教育研究会の玉那覇正幸さん(宜野湾)から、数枚の案内状を託されていました。小生が沖縄から帰ったのが23日、その後は皆さんに会う機会なく、お伝えできないまま失礼していました。「慶寿の会」日程は、4月2日夜、沖縄市桃原(ソワ)にて。小生は出席することができず、申しわけありません。戦後沖縄史の生き証人。これまでの労多き足跡を思い、これからもまたお元気にご活躍されることを祈念しています。玉那覇さん、発起人など関係の皆様によろしくお伝えください。
あと一つは、やんばる・島袋正敏さん「はたけ」の小屋(古酒蔵、ものづくり塾)の完成祝い。7月2日(土)午後・夜の予定だそうです。参加者の会費は、43度以上の島酒1本。大きなカメを用意して、参会者持参の島酒をみんなで注ぎ込む予定とか。この日程は3ヶ月後です、関心ある方は今からご予定ください。ご一緒いたしましょう。
2623号【2011年3月29日】
■<春の夜の“ゆんたく”>
風2621号本欄でもふれた福建省からの原稿依頼について、時間的にも余裕がなく迷っていましたが、上掲のような執筆案を作成し、28日未明に関係各氏へ「いくつかご相談」を差し上げたところ、その日のうちに、皆さんから積極的な承諾の返事をいただき、感激しています。
学会関係の常識では、少し時間をかけて調査等を行い、ある程度きちんとした内容で執筆すべきでしょうが、不充分でもいい、また各地から寄せられたお見舞いや激励にもお礼を申しあげる気持で、この際、要請に応えて急ぎ仕上げようということになりました。4月10日夜には送稿する予定。福建省・李斗石さんには、翻訳等についてご面倒をかけますが、どうぞよろしくお願いします。
ところで、3月28日夜は、台北からの客人がお見えにならないこととなり、研究会としては中止しましたが、せっかくの春の夜、ご都合のつく方だけで自由な“ゆんたく”会を開くことになりました。東京はいま節電で駅など照明も暗く、電車も間引き運転、店も8時には閉店するという、なにか戦時中のような雰囲気です。それでもぼつぼつと人が増え、結果的には7人の会に。心配していたカイロ大学・アーデル氏は姿を現さず、気にかけていただけに安心?しました。
テーマを決めない自由な会も、気楽でいいものだ、というのが皆さんの感想。大半が初対面、自己紹介から始まりました。不自由を強いられている被災地の方々には申しわけないけれど、料理もワインも好く、閉店を惜しんで立ち去りがたい思い。この夜のお祝いの乾杯は、4月から公民館長に就任する平井(園田)教子さんへ。ご参加の皆さん、楽しいひととき、有り難うございました。
2622号【2011年3月27日】
■<南の島・チョウの舞う>
「暑さも寒さも彼岸まで」という言葉も津波に流されてしまったのか、今年は寒さが続きます。三陸の被災地の映像をみていると、雪が舞っていました。避難所の学校体育館の夜は、しんしんと冷えていることでしょう。眠れない老人たちのため息が聞こえてくるようです。
南の八重山毎日新聞に「不連続線」というコラム欄があります。今年は八重山でもやはり天候不順らしい。3月25日の同コラムは次のように書いています。息抜きに。
「…21日の春分の日、県内各地は夏日となり、竹富町波照間島では気温が28.4度まで上昇、6月上旬並みの陽気に包まれた。ところが、翌日からはまた寒さが戻るという寒暖の激しい日が続いている。チョウも、こんな異変にだまされない。3月と聞くと、八重山はもう若夏へ向かう季節。花の蜜を求めて、チョウやハチが忙しく飛び回るころだ。しかし、そのチョウの舞う姿が見られない。公園や花屋、わが家の庭でも百花繚乱だが、ふだん、よく見かけるモンシロチョウやキチョウ、シロオビアゲハが今年はまだ姿を見せない。…(中略)… チョウがいなくなったわけでなく、どこかで出番を待っているはず・・・花から花へと蜜を求めて、チョウが舞う自然界の事象が恋しい。(南風原英和)」
三陸のチョウやハチは生き延びたでしょうか。「丘こゆる蝶のつばさ」という歌もあるほどのチョウですから、どこかできっと季節を待っているのかもしれません。
◇高々と蝶こゆる谷の深さかな(原石鼎)
2621号【2011年3月26日】
■<福建省『終身教育』>
数日前、福建省・全民終身教育促進会(「終身」は「生涯」の意)発行『終身教育』(2011年第1号、隔月刊)が速達便で届きました。李斗石さん(福建師範大学生涯学習センター)、有り難うございました。促進会と同誌編集委員会の皆様によろしくお伝え下さい。
内容は、この1月に成立した上海市生涯教育促進条例、そして福建省中長期教育改革と発展計画、福建省生涯教育条例(2005年)の展開、廈門市報告、社区教育活動関連報告、台湾の高齢者教育、韓国平生教育振興院,タイ国生涯教育(正規・非正規)の発展、など充実した構成です。福建省だけでなく上海など中国各地の動向、加えて国際的な視野をもった活発な編集、敬服しました。
福建『終身教育』では、次号(2011年第2号)において、今回の日本大震災についての特集を企画されています(風2611号に既報)。「日本国民の防震防災についての意識と社会教育・公民館の役割」について寄稿を期待されているとのこと。日本語原稿で可、中国語への翻訳は「南の風」メンバー・李斗石さんが担当されるそうです。ただし原稿締切は4月10日。どなたか書いて頂けるでしょうか? いま日本は大震災に遭遇し、原発事故・放射能問題にも直面して混乱中。しかも4月は新年度を迎える多忙な時期でもあり、ご期待に応えられるかどうか。
牧野篤さん(東京大学)の新著『認められたい欲望と過剰な自分語り』(東京大学出版会)を送っていただきました。副題に「そして居合わせた他者・過去とともにある私へ」というユニークなメッセージ。有り難うございました。
2620号【2011年3月25日】
■<改めて現代を問う>
東電・福島第一原発事故は、放射能飛散のデータから、ついに国際評価尺度では大事故にあたる「レベル6」に相当する段階に入ったとの推定。米スリーマイル島原発事故(レベル5)を上回る規模。水や大地への汚染が拡がり、悪い方向での予感が的中するのはなんとも残念!
これまで経験したことがない事態への取り組みが求められます。
大震災や原発事故への具体的対応が急をつげるなか、私たちは、この機会に改めて現代の、社会そのもののあり方、国家のあり方、エネルギー問題、これらに関わる人の心のありよう、など基本的な課題について深く考え直す必要を痛感します。堀尾正靱(まさゆき)先生からは“雑文”と称して、示唆にとむ「近代の作り直し−新しいクニづくり」論を拝受(上掲)。ご紹介の関原剛氏「クニ」論も興味深く、添付させていただきました。
堀尾さんとは、なんどか酒を酌み交わした仲。私たちの新年会に「風の部屋」まで寄っていただき、八重山「鷲ぬ鳥」節を歌われたことがあります。化学工学・社会的技術システム論の立場から、いわば「地域科学」的なフィールドワークを重ねられ、社会教育や公民館についても強い関心をもたれている様子。「南の風」もお送りしている仲です。
本号には、お二人(鶴ヶ島・平井教子さん、飯田・木下巨一さん)から4月人事で公民館長、副館長に就任との嬉しいニュースが舞い込みました。3月28日夜の語らいの会(渋谷・ロゴスキー)はお祝いの会にもしたいので、平井さんなど、ぜひお出かけ下さい。晴れて公民館長への返り咲きの乾杯をいたしましょう。
2619号【2011年3月24日】
■<東京へ>
ほぼ10日ぶりの東京。一見何事もなかったような街の風景、しかし全く活気を感じません。電車の運行が少なくなって、「タクシーは水揚げが増えた?」と聞くと、「街に人が少なくなって期待はずれだ」と初老のドライバー。かなりの国際派らしく、原発事故に対する日本政府や東京電力の対応を批判し、世界の物笑いだ!と怒っていました。
大地震以来、連日の「風」もようやく隔日刊に。忘れていた仕事をいくつか思い出しました。一つは社全協通信の原稿。催促をいただき恐縮しています。完全に忘れていました。本号を出したあと直ちに書くようにします。1日お待ちを。
3月8日の韓国生涯学習研究フォーラムと東アジア研究交流委員会の記録のこと。両会ともに事務局長が公務で欠席・遅刻でした。出席のどなたか記録づくりをお願いできませんか。もう半月が経過、細かなことは省略して主要なポイントだけでも。当方のホームページはこれまで多少の記録化の役割を果たしてきたつもり。先回の1月の会では詳細な速記記録が二つも寄せられ、かえって収録できず。「後日、少しスリム化した記録を流します」とのコメントがあったような。しかし受信の記憶なし。今回は大地震で、すべて吹っ飛んでしまった。HP記録としては今年の活動はまったくないかたちです。よろしくお願いします。
3月28日夜“ゆんたく”の会は、ロゴスキーの閉店時間の関係により18:00〜20:00の時間帯(30分早め)に変更します。小生は言い出しっぺの責任上、17:30〜頃から席に座っているつもり。
2618号【2011年3月22日】
■<“ゆんたく”の思想>
福島原発事故に対して緊急の「声明」「行動しましょう」(上掲)の呼びかけが、沖縄環境ネットワーク(鷲尾真由美さん)を介して寄せられました。政府による事故への認識は明らかに過小評価、楽観的に過ぎるという疑念は、この間の国際的な不信の動きにも反映されていましょう。事態は予断を許さない、重大なレベルに突入する(そうならないことを祈る!)可能性をつねに含んでいることの認識をもって対処すべきだ、そのために「行動しましょう」との呼びかけです。
3月28日(月)の研究会は流会、編集委員会も中止について(前号本欄)、ホームページに次のような趣旨の「お知らせ」修正を掲載。「3月28日(月)は“ゆんたく”の会:台北から来日予定の楊碧雲さんは大地震・津波など災害のため来日取りやめとなりました。当日の囲む会(第171
回研究会)も中止。しかしカイロ大学・アーデルさんがこの会のため帰日予定、またお祝いの方もあり、希望者による自由な語らい“ゆんたく”の会とします(同会場・18:00〜20:00)。ご都合のつく方はぜひお出かけください。」
“ゆんたく”とは、とりとめのないおしゃべり。すこし改まった言い方をすれば、自由な語らい、という意の沖縄言葉。この表現には、仲間のつながりが想定されていると思います。厳しく難しい時こそ、ひとりでは対処できない難局にこそ、“ゆんたく”の思想が求められる。
残念ながら日本はいま危機の時代に突入しました。
2617号【2011年3月21日】
■<3月28日夜は“ゆんたく”>
さきほど(20日夜)のニュースでは、今回の大地震・津波による被害者数は2万5千人を超えるとのこと(死亡・約7千5百人、安否不明者約1万6千5百人)。これに多数の負傷者があり、避難所は約35万人。生命はとりとめても屋敷・財産・故郷・希望を失った多くの人々のことを考えると気が遠くなります。未曾有の大災、皆様のまわりに被害の少ないことを祈るのみです。
この数日、3月28日夜の研究会と午後の編集委員会の開催についてメールが飛び交っていました。予定ゲストの台北・楊碧雲さんの来日中止(2614号本欄)にともない、午後の会議をどうするかなど。ただいま高知の内田純一さん(編集長)から届いたメールは、次の通りです。
「拝復 …3月28日(月)の編集委員会は実施しないことにさせていただきたいと思います。4月22日(金)に編集委員会を開催する方向で準備を進めます。江頭さんの提案にもありますように、それまでに構成案等について、メールでのやりとりをしていきます。また22日には、中国、韓国等の依頼先を絞った形で持ち寄っていただくようにしたいと思います。…」(Sun,
20 Mar 2011 23:39)とのこと。
編集会議は中止・・・となると、TOAFAEC 3月研究会もすべて中止ということになるのでしょうね〜。ホームページも書き替えましょう。
しかし、こういうときだからこそ、滅入らないで、声をかけあい、語りあう機会をもちたい!とも思います。3月28日は(研究会としてではなく)予定の時間(18:00〜20:00)に渋谷「ロゴスキー」にて、気楽な語らいの場、“ゆんたく”をもつことにしましょう。もし停電の場合は中止。連絡はケイタイで。ご都合つく方は、ぜひお出かけください。
今朝、上田幸夫さんから「避難所の公民館」2、鷲尾真由美さん「行動を起こしましょう」等を頂いていますが、本号も満杯、次号へ。日刊「南の風」はまだ続きます。
2616号【2011年3月20日】
■<「ヤンバル対談A」−ようやく本番>
ヤンバル対談とは、2010年の名護市長選挙・稲嶺ススム市政の出発を契機に、ヤンバルを語ろう、という思いから始まりました。辺野古問題だけでなく、自然・環境・生きもの・祭り・集落・文化など本来豊かな地域の可能性を、社会教育の視点をもって“ゆんたく”していこう、日本の社会教育の再生にむけても発言していこう、と意気盛ん。4〜5回重ねていく構想です。
その第1回(2010年)の記録は、『東アジア社会教育研究』第15集に収録されています。思いのほか好評。主要メンバーは島袋正敏、山城千秋、山口真理子、ぶんじん。徐々に若い世代にも拡げていこうという思いをもって、今年は「沖縄研究フォーラム」(2月10日・那覇)を呼びかけて懇親会(風2602号に報告)を、その翌日「ヤンバル対談・その2」を企画したことはご承知の通り。当日は8人も集まり、正敏さんの猪肉のもてなし。楽しく飲み語らいましたが、対談とはならず、プロローグのみ。第1楽章?は始りませんでした(2590号に顛末記)。
3月17日(木)、ようやく本番の日。ヤンバルの風に吹かれて・・・とはいうものの、この日も底仁屋の「はたけ」は寒い1日でした。対談の二人(島袋正敏、ぶんじん)は、ジャンバーの襟を立て、冷気に包まれて、やや急ぎ足の話。稲嶺市政のこの1年、地域づくり、農業の建て直し、黒豚(アグー)の保存、博物館の役割、琉球アユの呼び戻し、集落の取り組み、などと話題はいろいろ。なんとか第4楽章までいったと思っています。
ただし「琉球アユ」復活の運動は、源河集落の当事者である島福善弘さん(名護博物館長)から直接に話を聞こうということになり、第3楽章が残っているかたち。島福善弘さんは夜の大国林道には姿を現しましたが、翌日は時間がとれず、近い機会によろしく、とお願いをして別れました。山城千秋さんの春休み帰省の折にでも、1時間ほど島福証言を聞く時間をつくって、「対談」をまとめていただけませんか。
▼ヤンバル対談・島袋正敏さん(底仁屋、20110317)
2615号【2011年3月19日】
■<沖縄県平和祈念資料館−『民衆と社会教育』>
上掲・上田幸夫さんから震災下「公民館の実態把握」。有り難うございました。避難所としての公民館、あるいは公民館の避難機能についてのリスト、いわば初めて!の速報(かっての神戸大震災のときには登場しなかった)、Google情報もこのようなかたちで活用できるとは思いませんでした。アイデア賞そして奮闘賞もの。南の風としても珍しく「添付」フアィルを付して、皆様に紹介させていただきます。
本欄は17日「やんばる対談A−本番編」をご報告するつもりでしたが、さらに次号にまわして、昨18日夜に那覇で開かれた「おきなわ社会教育研究会」のことを先に書いておきます。上田幸夫さんへの報告があるからです。
風2609号(3月13日)の『民衆と社会教育』を求める記事(永山清さん・沖縄県平和祈念資料館)に応えて、上田さんお手持ちの1冊を提供できるとのメール(風2612号・3月16日)。永山さんに連絡して当日の研究会にお出で頂きました。平和祈念資料館としては、沖縄戦との関連だけでなく、戦後のアメリカ占領下の動きや平和に関わるテーマについて積極的な資料収集や展示活動をしていきたいこと、具体的には、10月企画として「琉米文化会館」などのUSCAR
文化政策をを取り上げるような話でした。こんご研究会にも参加していただける様子。
上田さんへのお願い:『民衆と社会教育』の送付先:〒901-0333 糸満市字摩文仁614−1 沖縄県平和資料館(主査)永山清氏あて。
送料負担のこともあり、稀少本の相互恵送については、細かな経過は別にして、刊行当時の原価を送金する原則にしていますので、申し添えます。ご本人も了承済みです。ご協力、重ねて御礼申しあげます。
追記:南の風2602号未着の方あり、再送の希望が寄せられました。もし風の未着号があれば遠慮なく請求を…。当方の配信能力は、最近とみに減退していますので。
2614号【2011年3月18日】
■<3月28日「楊碧雲さんを囲む会」中止>
台湾の楊碧雲さんから次のメールが来信。(Thu, 17 Mar 2011 11:08)
「小林文人先生 日本の東北地方は大地震・津波・原発の爆発・メルトダウン等の災難が降りかかりました。東京でも激しく揺れ、その後も余震が続き、停電など生活不便の時期、お見舞いします。昨晩、夫の指導教授は、3月27日の出版祝賀会を延期したいとお知らせが届きました。そして、私は夫と相談した結果、3/26〜4/03の日本への旅の中止を決めました。
せっかく3月28日に皆さんに会える機会をつくていただいていたのに参加できないのは残念です。…(中略)…。 南の風の配信がもらえれば、ありがたいと思います。」
南の風2606号案内の「楊碧雲さんを囲む会」(TOAFAEC 第171研究会、渋谷)は、予定のプログラムでは中止ということになります。ただし当日の午後は、「東アジア社会教育研究」第16号編集会議が準備されている経過もあり、またアーデル氏(カイロ大学)は、当日に日本到着、会に参加の予定でした。そんな状況も勘案の上、当日の企画をどうするか、事務局として至急ご検討ください。プログラム変更で開催か、あるいは中止かについて、風に結果を寄せていただけませんか。
さきほど名護から那覇に帰ってきたところです。2月「やんばる対談顛末記」(2590号)の、その後の「対談」顛末、次号に載せます。
2613号【2011年3月17日】
■<公民館よ、頑張れ!>
沖縄の地で「日刊・南の風」は頑張っています。前から予定していたスケジュールとは言え、厳しく寒い東京から「南」へ逃げたかたち。申し訳ないので、せめて頂戴したメッセージ・記事だけは、できるだけ速やかに各地・各位へ配信しようと連日奮闘中。皆さん、元気でしょうか?
韓国の李時載(イ・シジェ)さん=川崎・富川市民交流会の共同代表より、地震・津波・原発事故にあえぐ日本へ、慰めと励ましのメッセージが寄せられました。「苦痛のトンネルが終わるその日は、必ず来るでしょう」「“力を出して、日本”韓国人の胸を揺さぶった大地震」の二つ。韓国と日本の歴史をよく知る人たちが、その歴史を超え、国を越えて、人間的な愛と連帯を・・・という深い感性をしみじみと読みました。小田切さんは翻訳しながら、「私も涙が出ました」とのこと(上掲)。
私たち昭和世代にとって、暗く苦しいトンネルは1945年までの戦争の時代でした。この5日間、地震と津波に襲われた瓦礫と荒野が映し出されるたびに、戦時下の大空襲の焼け跡、広島・長崎の爆心地、地上戦ですべてを失った沖縄、を思い起こします。あの時は避難所もなかった。
戦後の復興期も単純な経過ではありませんが、“民主主義”という新しいメッセージがトンネルを明るく照らしました。そこに“公民館”も登場したのです。今回の災害映像のなかで、学校や公民館が各地で大きな役割を果たしていること戦後復興期と同じ。各地の公民館、頑張れ!
李時載さんの心揺さぶるメッセージ。暗いトンネルを脱する力を結集していきましょう。
2612号【2011年3月16日】
■<那覇にて>
16日朝、ニューヨークの魯在化さん(韓国・聖潔大学校、4月からサバーティカルで筑波大学へ)よりお見舞の電話を頂きました。福島の浅野かおるさんからも電話あり、いろいろ大変だけれど、お元気だとのことでした。「南の風」は東北地方には比較的少ないのですが、留学生の皆さんもきっと大丈夫のことと思われます。
被災地のテレビ報道を見ていると、東北地方は真冬なみの気候、雪が舞い、ところによっては吹雪いているところも。じっとしておれないような寒さだとのこと。ここ沖縄でも3月とは思えないほどの冷え込み。自然とは冷酷なもの。
沖縄行きはもともと花粉症逃避の旅。予定通りに那覇に着きましたが、ちょうど首都圏では節電の呼びかけ、加えて放射能から避難の話題とも重なり、ホテルのフロントで冗談を言いかわしました。花粉症の症状は、到着のその時刻から劇的に改善されつつあります。
沖縄県平和祈念資料館から、私たちの『民衆と社会教育』についての希望が寄せられ(風2609号)、それに応えて、上田幸夫さんから協力の申し出(上掲)をいただきました。身近なところに2冊も・・・と驚きました。有り難うございます。18日(金)那覇で「おきなわ社会教育研究会」が予定されていますので、平和祈念資料館・永山清さんにお誘いのご案内を差し上げたところ。その上で送り先などご連絡いたします。「公民館資料センター」構想も興味深く、一度じっくりとお話を伺う機会をお願いしたいもの。
2611号【2011年3月15日】
■<思わぬ発見>
東北の大地震・とくに三陸側の津波被害の惨状、お見舞いが続いています。震災は終わったのではなく、いま始まったところ。避難から復旧への歩みを考えると、いまから(とくに三陸海岸の集落は)苦難の道を歩み始めることになります。お互い、どのような支援が可能なのか。
今日の「南の風」を編みながら、思わぬ(嬉しい)発見がいくつかありました。一つは(上掲)福建省の生涯教育専門誌『終身教育』(終身は生涯の意)が、「日本大震災」についての特集を、生涯教育・社会教育の視点から企画するとのこと。日本側はいま混乱中、その渦中にあるだけに誰かが対応できるかどうか。直ちにご返事できないのが残念ですが、その課題意識と迫力に打たれるものがありました。
二つ目は、「南の風」と同じルーツをもつ「公民館の風」(現在は4代目、岡山・内田光俊さんが編集発行)が、いちはやく(数時間前に)発行されたこと(第7号)。東北大学・石井山竜平さん無事のニュースが速報されました。「公民館の風」がようやく「南」のライバルとして躍り出た感じ。拍手! もともと二つの風の読者はかなりの重複があり、同じ記事は載せない慣行ですが、「南」の方はいま東アジア各地の友人も多くなっていますので、あえて本号にも同じ石井山メールを収録しました。東北大学・研究室の速やかな復旧を祈っています。
あと一つ。名護・島袋正敏さんからのお見舞いメール。「古酒甕は難を逃れたか」とのお尋ね。もちろん!地震後に直ちに検分に降りましたが、上に載せていた(心配していた)カメも大丈夫! それだけでなく、散乱した本棚を整理中に、裏側に秘蔵していた古いワイン3本も見事に元気な姿を見せてくれました。思わぬ副産物、元気取り戻しました。
17日は予定通り「やんばる対談」に参上の予定です。よろしくお願いします。
2610号【2011年3月14日】
■<悲劇をこえて・・・>
中国・韓国からのお見舞い、有り難うございます。各地から心配のメールがたくさん届いて「南の風」はまたもや「日刊」となりました。嬉しい悲鳴、などと常套的に書くところですが、未曾有の大地震記事は悲しすぎる。津波で母を失った娘が、瓦礫の山に向かって「お母さ〜ん」と泣きくずれる姿。壊れた屋根から救いあげられた老人。「家の敷石だけが残った」と海を見つめる放心の夫婦。多くの悲劇が生まれました!
いま届いた(久しぶりの)前本多美子さんのメール(一部)。「…原発の放射能恐ろしいです。いろいろな情報がまことしやかに流れてきてなんだかいやな感じですね。スーパーからも徐々に物がなくなりつつあるのも不気味です。東北の被災地がもとに戻る日が一日も早いこと祈るばかりです。」(前本多美子、Sun,
13 Mar 2011 23:15)
大地震の揺れを乗り越えて(ほとんど同時刻に)徳永功さんから「国立の飲み屋」回想が寄せられました(上掲)。懐かしい時代が思い出され、読んで・・・気を取り直すことができました。感謝!
宮古島の赤崎隆三郎さんのメール。2607号を受けて返信されたもの。「ぶんじん先生、いやいや神様はちゃんとお見通しです。20日は名護です。お会いできますように!
21日は奄美大島、22.23日は徳之島、24日は名護、25.26.27日は北九州小倉(九州B-1グランプリ「名護すば」初参加)、28日〜4月1日は宮古島です。」(Sat,
12 Mar 2011 07:48)
赤崎さんの驚きのフットワーク。当方は17日名護、18日那覇、その後は風の吹くまま。果たして神様はわれわれのエネルギーを結びつけることができるかどうか。
2609号【2011年3月13日】
■<海外からのお見舞い>
月刊社会教育・編集長の谷口郁子さんから電話をいただき、仙台の石井山竜平さん(東北大学)と連絡がとれたこと、無事!との報せ。水はあるが、電気がまだなく、ケイタイ(バッテリー充電が厳しい)やパソコンをつかう環境ではないようです。しばらく大変でしょう。頑張っていただきたい。谷口さん、連絡有り難うございました。
今回の大地震について、海外ではかなりの報道らしく、お見舞いの電話が相次いでいます。福建省の李斗石さん、上海滞在中の台湾・羅建中さん(音楽家)など。メールもいろいろ。北京・韓民さんからも「お見舞い」がきていますが、文字化けで読めず、添付で再送いただければ幸いです。
高雄市の陳東園(放送大学)葉淑華(第一科技大学)夫妻から…。「小林先生、南の風の皆様:台湾のテレビで大地震による日本の各地の大被害を見ました。一夜明けましたが、まだまだ余震、津波、二次災害などがあるようです。皆様のご無事をお祈り申し上げます。…
」
皆さん、有り難うございます。海を越えてのお見舞い、ことさらに励まされます。この暖かなお気持ちを「南の風」にのせて、北の被災の皆さんに届けましょう。
大地震から一夜明けて、東京でもまだ余震が続いています。「地震」がもっとも怖いことを改めて実感。そして今回はとくに「津波」の凄さ、言葉も出ない過酷さを知りました。突然に姿を現し、すべてを襲い、すべてを壊し、全部流し去ってしまう猛威。東北・三陸の太平洋岸の集落は、町も村も、ほとんど壊滅しました。天を仰ぐほかありません。
2608号【2011年3月12日】
■<本が降ってきた! 大地震>
昨日(11日)の昼過ぎ、「国立の想い出−うなちゃん」など楽しく書いて風・前号を配信。一仕事した気分で遅めの昼食をとり、お茶を楽しんでいたところに・・・大激震がやってきました。東京は震源地(東北・太平洋沖)から離れていますが、生まれて初めて遭遇した地震の恐怖。
ゆっくりの横揺れでしたから「大丈夫、たいしたことはない」と思ったのが間違い。数秒後に激しい揺れ・・・本・雑誌が上から降ってきました。建物の軋み、瓶が倒れ、皿が割れ、本棚が揺れる、異様な物音が続きました。部屋は惨憺たる状況に一変。足の踏み場もなく、ホコリもうもう(花粉どころではない)。本棚がもちこたえてくれたのが救い。
3階の「風の部屋」より、5階の自宅の方が揺れ(本の散乱)がひどい。しかし二人とも体に異常なく、元気です。終日、本の整理に追われています。何日かかるでしょう。この負担以外に、直接の被害は壺や皿をいくつか壊した程度。被害のうちには入らない。ご放心ください。
上掲のように早速各地よりお見舞いを頂戴しています。広州の李偉成さんからは電話をいただきました。有り難うございます。もっとも早かったメールは、韓国からの姜乃榮(カンネヨン)さん。
「皆様、韓国からカンです。勿論、無事だと思いますが、電話を入れてもつながらないので、心配でメールを送っています。皆様、大丈夫でしょうか。無事の返事をいただけれと幸いです。皆様の安全と健康を祈りながら…」(Fri,
11 Mar 2011、18:23受信)。本欄でご返事とします。
仙台の石井山さん、福島の浅野さんなど、大丈夫でしょうか。12日未明は、長野北部・新潟十日町にも強い地震とのこと。被害のないことを祈っています。心配なのは原子力発電所の放射能、どうなるか。
2607号【2011年3月11日】
■<国立の想い出−「うなちゃん」など>
井谷泰彦さんのメール(上掲)は恐らく私信?かと思われますが、とくにお断りもないので、掲載しました。国立の飲み屋「くに八」の話となると捨てておけないからです。
国立に13年(1980年まで)住んでいました。酒友?の徳永功さん(国立公民館・当時)、国立でも飲んでいた賑やかな小川利夫さん(調布→名古屋)、ときに国分寺の持田栄一さん(東大)なども出没、やむなく?お付き合いをした懐かしい店がたくさん。
前号の続きで言えば寿司屋の「繁(しげ)寿司」。この話は長くなるので省略。あの「くに八」、そしてヤキトリ屋の「まっちゃん」、うなぎの「うなちゃん」など。平林正夫さんがまだ国立に登場する前の時代です。国立は、公民館や市民運動だけでなく、小綺麗でない酒の店がいろいろあった個性的な町なのです。
たとえば「うなちゃん」の想い出。うなぎと言っても、まともな蒲焼の店でははない。さばかれたウナギの残り、「カシラ」「エリ」「キモ」「一串」などを焼いて安く飲ませてくれた店。中央線ガードの横、一階に疲れた男たちが焼酎など飲んでいて、ぎしぎし軋む階段をあがると電車が通るたびに揺れる二階の畳部屋。そこに三多摩の公民館主事たちが集い、また小林ゼミ(学芸大学)も飲んでいたのです。普段この店にはめったに来ない女子学生たちも。一階の飲んべえが2階にのぞきに来るほど。おばあさん手作りのおしんこが実に美味しかった。
中国からの賓客をご案内したこともあります。当時の留学生・韓民の老師(北京師範大学)司蔭貞さん。学生と教師が車座になって飲み語り歌いあう光景をみて、涙ぐんで感動された想い出もあり。窓の外を、中央線の電車がいつもガーガーと通り過ぎていました。
こんな時代の話を書くと、徳永功さんに登場してもらいたくなります。
▼あの頃の国立駅(左手のビルはなかった) (20031117)
2606号【2011年3月10日】
■<永福町の寿司屋>
伊藤長和さん「烟台の風」(上掲)の添え書き。「3月8日は国際労働婦人デーです。日本ではあまり知られていませんが、中国の学生は皆知っています。今朝の授業で学生に質問すると、全員声をそろえて答えたのです」と。そして、今日3月10日は、東京大空襲の日。黙祷!
前号ご案内のように、8日は韓国フォーラム・編集委員会・東アジア交流委員会の三つの会合が相次ぎました。朝から夕まで同じ会場、あいにくの和室、座り疲れの一日となりました。しかも、あいにくの火曜日、参加者は大学関係者が主となり、職場に拘束されているメンバーの出席は無理。申しわけない思い。それぞれに中味のある熟議の雰囲気、出席できなかった方々のためにも簡潔な報告を頂ければ幸いです。
終わって、いつもの「イーストビレッジ」に席がなく、二駅移動、いきつけの永福町駅前の寿司屋へ。ゆっくりと「にぎり」を楽しみました。実は寿司屋には、いささかの執着をもってきました。いいお寿司(そう高くなく、美味い!)に出会うかどうか、だいじな問題。家の近くに旨い寿司屋があれば幸せ。これまで福岡でも国立でも、いまの永福でも寿司屋とのいい出会いがありました。
学会等で初めての街に泊まったら、まず寿司屋を探します。大きな威勢のいい寿司屋は敬遠、もちろん回転寿司は論外、こじんまりした構えの店に、無愛想な「親方」がいると、入ってみて、幾つかつまんでみる。当たると毎晩通ったりします。多少のカンも働いて・・・幸せな夜がやってくるというもの。ただ沖縄では、いい寿司屋にまだ出会えません。
▼6時間の会議を終えて−右側奥に石井山さん (永福町駅前「三河屋」、20110308)
2605号【2011年3月8日】
■<雪と風と>
7日朝の東京は、未明からの雨が雪となり、屋根は白くなりました。夕闇がせまるころには殆んど消えましたが、蘇る思いの1日。大気中の花粉はすべて雪で洗浄されたかのような気分。豪雪に格闘されている皆さんには申しわけないけれど、美しい雪に感謝の日でした。
この10日間、風は連日の送信となり、お騒がわせしました。ようやく一段落、隔日刊に戻ることができるようです。「風、継続しますか?」と確認メールを差し上げた方たちからも、大部分の返信あり、新しいアドレス帳を確定して、次の100号シリーズを始めています。いつまで続くか分かりませんが、よろしくお付き合い願います。
8日は韓国研究フオーラム(午前)、東アジア交流委員会(午後)、その間に割り込んで、『東アジア』編集委員会が予定されています。昔の映画館でいえば3本建て興業。仙台や名古屋、高知などからも参会とのこと、ご苦労さまです。杉並・高井戸の会場は、ぶんじん宅から至近の距離、近くて申しわけない・・・せめてもの償い?にと、深夜ごそごそと起きだして、話題提供のメモ一枚を書いたところです。参考までに項目だけでもご紹介します。
(1)日中韓三国シンポの進め方、中国側の窓口について、(2)三国シンポ・今年の連絡会議など、(3)中国の生涯教育法制の動き、(4)上海生涯教育促進条例の成立、(5)福建省より日本訪問計画、(6)台北より楊碧雲さんの来日など。いずれもこの間の「南の風」掲載の記事に関連するものです。
2604号【2011年3月6日】
■<佐藤忠良展>
「ある造形家の足跡−彫刻から素描・絵本原画まで」と題する佐藤忠良さんの展覧会が世田谷美術館で開かれています。宮城県美術館の所蔵品と個人蔵をあわせて約250点(ブロンズ彫刻70)。花粉日和のなか、どうしても観ておきたくて出かけました。明日が最終日という5日、土曜日でもあり大勢の人で賑わっていました。
佐藤さんの自宅は杉並・永福です。神田川におりる小さな坂のアトリエには手書きの表札が無造作に。散歩の道すがら、アトリエにたまに電気がついているときがあります。今年で99歳を迎え、今でも粘土をいじり、デッサンを描いておられるそうです。
たしか10年ほど前のテレビ、放映された忠良さんの制作風景を印象深く憶えています。粘土を練り、張り付け、削り、慈しむような目で創りつづける姿勢。削ってはまた粘土をくっつけて・・・の連続。有名な「帽子」の像の制作について、「…私のような具象作品は下手をすれば鼻持ちならぬ俗性を呼ぶ崖っぷちに立たされるので、いつも作りながらその辺で右往左往してしまう。」
このようにして文章を書きたいものだと思いました。煩悶、逡巡、右往左往、やり直し・・・、ともすれば消極的な言葉たちが、どんなに創造的な意味あいを含んでいることか。忠良さんの煌めくようなブロンズ像が立ち並ぶ展示室のなかで、そんなことを考えていました。
それにしても“風”がひとつのテーマになっていること、この日の発見でした。
2603号【2011年3月5日】
■<台湾からの客人>
連日の風が吹いています。いまや「日刊・南の風」。100号おきのアドレス帳整理にともなう諸メール来信(嬉しい悲鳴!)、それに幾つもの研究会や編集会議等の案内が重なって乱気流気味です。これまで速報性をウリにしてきた「風」、いま奮闘中・・・とご理解ください。それでも数日遅れのメールが出てきました。申しわけない。渡部幹雄さん「カボスの母のデビュー」は次号まわしで3日おくれ、昨日掲載した山城千秋さん「沖縄フォーラム」は4日おくれ、でした。
久しぶりに台湾から客人を迎えることになりました。台北市教育局の楊碧雲さん、市政府「社会教育科専員」の肩書き。台湾の社会教育行政をリードする文字通りの専門職。私たちの年報「東アジア社会教育研究」編集委員の一人でもあります。風の便りに3月末に来日されることが分かり、この機会に台湾の話を聞きながら楊さん歓迎の会を開こうと計画中。TOAFAEC
事務局の企画として3月定例研究会に位置づける案。楊さんの来日日程に合わせて、今のところ3月28日(月)夜になりそうです。楊さんの知己は多く、この際、お誘い合わせの上ご参集ください。会場(渋谷あたりか)など確定の上、ご案内を「風」誌上に載せます。
あと一つ。沖縄への逃避行は3月15日からとなりました。8日の諸会合が終わってすぐにと目論んでいましたが、いくつか事情あり、安いフライト便もなく、3月後半にずれこんだという経過。正敏さんとの「やんばる対談A−その2」も相談中。二人だけでは少し寂しいけれど・・。
2602号【2011年3月4日】
■<上海・生涯教育条例の成立>
久しぶりに上海・呉遵民さん(華東師範大学)からメールが来ました。前号「中国研究フォーラム」報告でも触れている上海「生涯教育促進条例」の動きについてです。
「…中国国内でも大変期待されている上海生涯教育地方条例は、この1月5日に発布されました。しかし各行政部門の調整がしにくいため、結果的には内容が良くないともいえます。つまり、この条例は生涯教育に対する促進というより、職業教育訓練の条例であるともいえる。草案より少し修正されていますが・・・」(Thu, 3 Mar 2011 23:43)とのこと。施行は今年5月1日からだそうです。
2月27日の中国研究フォーラムでは上海・同草案が検討されましたが、興味深い内容でした。中国では福建省の条例に次ぐ2番目の「地方条例」です。生涯教育に関する国の法律はまだ姿を現していませんから、上海が今後どのように展開していくのか、注目されるところです。
呉さんはこの問題について、愛妻・黄欣さん(法学者)と連名ですでに論文を書いたそうです。中国研究フォーラムあたりで翻訳してほしいとの期待。ご検討いただければ幸いです。
福建省「条例」については、2005年当時、いち早く日本語訳(白メイ訳)、私たちのホームページに掲載しています。福建省関係者の来日計画(5月末から6月初めか)も進んでいる様子(風2596号)、研究交流がまた一歩進むことになりましょう。楽しみです。
花粉症については、前号に続いて伊藤武彦さんから再度のメール来信。「…白ワインは実だけ発酵させるのに対して、赤ワインは皮も一緒に発酵させます。皮の渋みでもあり赤い色素でもあるポリフェノールが免疫力を高めるようです。飲み過ぎにご注意を。」(Thu,
3 Mar 2011 13:52)
2601号【2011年3月3日】
■<二人の伊藤さん>
お一人は中国・烟台で頑張っている伊藤長和さん、も一人は和光大学で同僚だった伊藤武彦さん。風・前号に関連して、お二人からお祝いと励ましのメールを頂戴しました。
私よりはるかに若い伊藤長和さんが「紀元2600年」を知っている(上掲)とは驚き。日本書紀・神武天皇の故事に基づく「紀元」2600年。私たち軍国少年は、今でも「紀元節」(現・建国記念日)や「紀元2600年」(1940年)の歌を憶えている世代。旧国民学校3年のとき2600祝賀記念に楠の苗木をもらって庭に植えた記憶があります。戦時疎開で家が引き倒され、楠は消えてしまいましたが。風と同じ数字2600とは気づきませんでした。さすが“長さん”。
ご所望の「南の風」第1号(1998年)は、当時ごく内輪の研究通信として始まったもの。いろいろ個人名が出てきますから(当方も勝手気ままに書いている)、各位の了解を得る必要あり、全体への配信はすぐには無理か。個人名を消すと、まったく面白くありませんし…。
あとお一人・伊藤武彦さんからは、昨日の風・本欄「花粉症に効くワインはないものか」の願いに応えて、折り返し次の嬉しいメールを頂きました。「…花粉症に効くのはフルボディの赤ワインのようです。添付ファイル◎赤ワイン-健康マトリックスを参照してください。」(添付・略)とのこと。
なるほど!ふくよかな、豊満な赤ワインが効くのだ。ライトな白ワインを切り替えて、今晩からフルボディを楽しむことにしましょう。何よりの励まし。有り難うございました。
▼左・伊藤長和、中・伊藤武彦・右・トクタホの皆さん (フフホトにて、20060830)
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