【南の風2010】発行リスト・2401号〜2450号
各号後記(ぶんじん日誌)



*南の風・日誌・2351〜2400号■
*南の風2451号〜ぶんじん日誌■次ぺ―ジ
                             

【南の風2010】2401号〜2450号・目次一覧(進行中)
2401号【 3月19日】文科省・新しい社会教育施設像、レディング74、愛知川・字誌、烟台の風、基地拡張?
2402号【 3月20日】名古屋より、信州へ、レディング通信75、それぞれ岐路・愛知川だより、遠き別れに・・・
2403号【 3月22日】名護から、松本から、ツィッターの公民館、烟台63、レディング76、大分アジト、元気!
2404号【 3月23日】ソウルより、羽村市、烟台の風63、レディング77、竹富島は夏、どうする?普天間
2405号【 3月25日】竹富島のデイゴを救う、釧路自主夜間中学、レディング78、愛知川にて、茅ヶ崎「息吹き」
2406号【 3月26日】福岡・社会教育研究会、地域づくりと職員、レディング79、愛知川日誌、新アドレス帳
2407号【 3月27日】中央アジアの研究、福井市の公民館、レディング80/81、愛知川日誌、結婚は白い花
2408号【 3月28日】高校における貧困と格差問題、札幌にて、烟台の風64、上海からのメール(提案)
2409号【 3月29日】名残りつきず・愛知川、4月・新しい出発、レディング82、新生ふるきゃら公演、ワースト案
2410号【 3月31日】中国生涯学習研究フォーラム報告、嬉しい便り、レディング通信83、桜咲く四月へ
2411号【 4月 2日】上野英信・筑豊文庫のこと、烟台の風65@、八重山毎日新聞記事、南の島の公民館長
2412号【 4月 3日】東アジア大都市に関する座談会・交流委員会案内、烟台の風65A、花に嵐の喩え
2413号【 4月 4日】カイロより二つのお知らせ・日本語教師募集など、レディング84、興南高校センバツ優勝
2414号【 4月 6日】日韓両学会の合同セミナー、烟台・まる1年を迎えて、名護発、世代から世代へと
2415号【 4月 8日】ベトナム・フィールドワーク、図書館検索「カーリル」、烟台の風66、多元的な交流を
2416号【 4月 9日】近況−和歌山大学より、鹿嶋市からの報告、烟台の風67号、私たちの準備会を
2417号【 4月11日】4月定例研究会ご案内、タイの資料調査、烟台の風68B、風の部屋・久しぶりの古酒
2418号【 4月12日】カイロの「アー・カイフ」運動、横浜の夜間中学の動き、烟台69、風の部屋、春の賑わい
2419号【 4月14日】東京・日本語学級のつどい2010、全家庭にクースガーミを、烟台の風70、ホームページ
2420号【 4月16日】横浜の夜間中学問題にぜひ力を! 第161回定例研究会の報告、カイロより、山笑う
2421号【 4月18日】図書館検索「カーリル」のこと、烟台の風71、沖縄の民意に妥協点なし、大作家逝く
2422号【 4月20日】4月研究会・変更、映画「月あかりの下で」、烟台の風72、自分史・長門の社会教育私史
2423号【 4月22日】県民大会・25日は晴れ!図書館検索 「カーリル」続、町田、和光大学、島ぐるみ闘争
2424号【 4月25日】地域活動・ばらばらなのが残念、烟台の風73、タイムス社説・遠方の友へ、4月研究会
2425号【 4月26日】沖縄4/25県民大会、埼玉大学・岡ゼミ、大会決議文、東京集会参加、名護市長の迫力
2426号【 4月27日】韓国・むらの住民たちと、カイロから・訪日、烟台の風74、記録も記憶も消えていく
2427号【 4月29日】沖縄・県民大会と青年会、烟台の風75、アーデルさん歓迎会案、5月の日程
2428号【 4月30日】4月研究会ご報告、ひめゆり巡回展、日本図書館設立の構想、三多摩の歩みを掘る
2429号【 5月 2日】年報「東アジア」第15号編集会議、ニューヨクより、日本図書館構想2、宮古島、五月の風
2430号【 5月 4日】5月定例研究会ご案内、辺野古くい打ち案・鳩山訪沖、烟台の風76、ご三家その後
2431号【 5月 6日】ベトナム訪日団との交流、福建省訪問報告会、烟台の風77、名護・竹富・ベトナム
2432号【 5月 7日】英・独(ハンブルク)への旅お誘い、沖縄の怒り、烟台の風78、ハンブルク・アルトナーレ
2433号【 5月10日】カイロ・アーカイブ創設運動、夜間中学卒業生、「普天間」迷走、やんばる対談
2434号【 5月12日】市民活動資料センター基金の構想、普天間基地包囲、島の映画を東京で、名護行き
2435号【 5月14日】中国研究フォーラム報告、返還求め基地包囲/16日、烟台の風79、怒り・やるせなさ
2436号【 5月16日】ドイツ社会文化運動調査の視点、烟台の風80、茅ヶ崎「息吹き」300号記念の集い
2437号【 5月18日】第163回定例研究会、希望ある市民社会の創り方(希望製作所)、ベトナム訪日団
2438号【 5月20日】ベトナム訪日団との交流会参加、沖縄5/15〜16、カイロ・アーカイブに向けて、福岡へ
2439号【 5月21日】TOAFAEC/2010総会開催ご案内、ベトナム訪日団と交流、板橋、東アジア交流委員会
2440号【 5月22日】ベトナム訪日団帰国へ、名護緊急フォーラム、中国山東省への旅、福岡の群像
2441号【 5月24日】上田市公民館(首長部局移管)の動き、小石原村から、沖縄の怒り、29日名護へ
2442号【 5月25日】東アジア交流委員会1年のつどい、第15号編集、山東省の旅2、故黄宗建先生のこと
2443号【 5月27日】福岡・社会教育研究会、再び映画「月あかりの下で」、烟台の風(81)、ヤン研究室の来日
2444号【 5月29日】カイロより御礼、烟台の風82、山東省の旅3、台湾疎開「琉球難民」、名護・屈辱の日
2445号【 6月 1日】6月定例研究会案内、山東省の旅4、烟台の風83、沖縄世論調査、やんばるのホタル
2446号【 6月 3日】普天間基地を見つめながら、やんばる対談要項、鳩山首相退陣、6月初頭の日程
2447号【 6月 4日】「じんじん」と「がじゃん」、久高島の映像記録、韓国の統一地方選挙、森づくりの試み
2448号【 6月 6日】11月上海国際シンポ日程、訃報・佐久間章氏、説得すべき相手は米国だ、六月集会の夜
2449号【 6月 8日】2010年度TOAFAEC 総会報告、ベトナム語講座、竹富島デイゴ復活の願い、総会終わる
2450号【 6月10日】東京・日本語教育/日本語学級を考える集い、町田、抜け落ちた沖縄、名護の動き



                                                


南の風・各号後記(ぶんじん日誌)


2450号【2010年6月10日】
★<名護の動き−分断・切り崩しの策動>
 名護の新市長・稲嶺進さんが今年1月に見事当選し、その後は毅然とした姿勢で「基地ノー」を主張し続けている経過はご存知の通り。市民に支えられている自信と誇りに充ちた表情からは、揺るぎない名護市政の姿が浮かんできます。ところが、市長をとりまく現実の状況は、予断を許さない陰湿な策動が渦のように動いているようです。
 もともと市長選そのものが相手候補(前市長)のなりふり構わぬ戦術(聞くだけで不愉快!)との闘い。それだけに票差以上の“快勝”感を味わいました。しかしその後、水面下では稲嶺進市長の包囲作戦、ドロドロとした裏工作、市議の分断作戦等が複雑に進行中。
 基地移設容認の前名護市長と市経済界の有力者が前原誠司沖縄担当相と都内で会談、新たな地域振興策等について意見交換(琉球新報5月21日記事)とか、外交評論家・岡本行夫氏(元首相補佐官)と地元有力者が名護市内で密会など、同氏の暗躍が報じられている(週刊金曜日・5月28日号)。
 名護市議の切り崩しも始まっているようです。議長は辺野古出身の移設容認派、残り市議定数26人のうち、すでに野党(容認派)が優位となった模様。10日に開会した名護市議会には野党より「辺野古移設の条件付き容認」決議の強行採決が目論まれていると伝えられ、議会傍聴に多数の市民が詰めかけたそうです。移設容認派が巻き返しをはかり稲嶺進市長をリコールで辞めさせようとする耳を疑う情報もあり、これらの跳梁ぶり、驚くばかりです。
 名護市議会選挙は、9月12日に改選を迎えます。これが一つの山場になりましょう。名護市民相互の苦しい分断の歳月がまた新しく始まる。


2449号【2010年6月8日】
★<TOAFAEC 総会終わる>
 今年のTOAFAEC 総会は、学会(六月集会)が開かれた法政大学の近く、飯田橋の居酒屋が会場でした(上掲・報告)。これはいい案? ビール・ワインを楽しみながら、四方山話を交えての、自由闊達な議論となりました。とくに事務局長・遠藤さん、会計・山口さん、ご苦労さま。送っていただいた総会記録は、ホームページにも収録すみ。
 本年度総会の新しい話題は、初めて登場した仮称「TOAFAEC 賞」の構想。アジアからの留学生を励まそうとの思い。4日夜の総会準備−事務局会議(風の部屋、ここでもワイン)で飛び出した話でしたが、総会でも思いのほか白熱した議論となり、みなさん乗り気の表情。総会としてその方向は確認されたように思いました。これをどう具体化していくかが課題。
 この数日、あと一つの新しい論議としては、前号本欄に書いた「沖縄研究フォーラム」への胎動がありました。TOAFAEC による「沖縄社会教育研究会」(東京)と「おきなわ社会教育研究会」(那覇)はすでに三十年余の歴史、その蓄積を活かしつつ、むしろそこから脱皮して、若い世代で「沖縄フォーラム」の取り組みを開始しようとの思い。石井山竜平さんからの積極的な発言もあり、山城千秋さん(余人をおいてなし)から、「風」に「フォーラム立ち上げ!」の檄文をいただけませんか。
 蛇足ながら、TOAFAEC 総会の案内は、南の風2439号(5月21日)に掲載し、また風2446号本欄でふれ、あわせてホームページ「総会案内」と6月スケジュールの2ヶ所に掲示していました。合計4回の熱いご案内。お目にとまらなかった方があったこと、まことに残念!

2448号【2010年6月6日】
★<六月集会の夜>
 昨年の日本社会教育学会六月集会(横浜)に集まった有志により、東アジア研究交流委員会が発足しました。あれからちょうど1年。今年の六月集会(東京)の夜には、中国・韓国の両研究フォーラムが相次いで研究例会を企画した経緯もあり、合同開催の提唱(風2442号)となりました。その後の懇親会は東アジア交流委員会「1年記念の集い」(神保町・放心亭)へと…。
 しかし、もともと学会理事会が開かれれている時間帯。理事・幹事諸氏は遅れての合流、参加者は少なくなる予想ではありましたが、思いのほか少人数。とくに韓国研究フォーラムの皆さんには、それぞれの(職場等)事情が重なり、中国メンバー中心の合同研究会の様相でした。皆さま、ご苦労さまでした。
 この間、韓国研究フォーラムが取り組んできた韓国向け出版『日本の社会・生涯学習』が刊行の最終スケジュールに入ったこと、こんご中国向けの出版も模索していきたいこと。またTOAFAEC 『東アジア社会教育研究』第15号の構成が報告されました。
 この日に合せて呉遵民さんから届いた(上掲)中・韓・日「学習社会創造に関する理論と実践」国際会議の案内(11月25日〜29日、会場・上海)が紹介されました。
 「1年記念の集い」には、山城千秋さん(熊本)や添田祥史さん(釧路)も参加。「沖縄研究フォーラム」を若い世代で立ち上げよう、次回は沖縄で(やんばる対談と合わせて)東アジア交流委員会を開こう、日程は10月8〜11日(第一次案)、韓国からヤンビョンチャンさんをお招きしよう、など意気盛んな話となりました。バイチェン・ビアに酔いながらの話、皆さん、憶えているかしら。
 いまから、TOAFAEC(2010)総会に出かけます。
最後に残った6人、「沖縄フォーラム」立ち上げの構想も (放心亭、20100605)


2447号【2010年6月4日】
★<森づくりの試み>

 4月から5月にかけて、暇な時間にはHPをいじりまわしていました。これまでの雑然としたデータを整頓、いくつか新しいタイトルのページも用意し、サイト内にリンクをはる作業など。あたかも藪の下草をとり、花が咲くかもしれない苗を植え、小道にそれなりの道標をつけて、「小さな林」?・・・いや、こんもりした「森づくり」を試みるような気分。
 幸い1990年代初頭からのワープロ時代に書いたものはデータが残っています。ちょうどTOAFAEC 創設(1995年)の頃からパソコンに切り替えて、「南の風」創刊(1998年)以降は、ほとんどの記録を拾い出すことができます。それでも「定例研究会の歩み」など、充分に復元できない部分もあり、「記録は消えていく」(風2426号)を自ら実感しました。
 長い文章(論文など)はほぼ公刊されていますので、むしろ消えてしまいそうな小さな記事、たとえばゼミ報告集に寄せた短文を含めて、断章・エッセイ・追悼文の類など、いま読んで恥ずかしいものもありますが、勇気?を出してアップ。この機会にいくつかご披露に及びます。暇な折に見てやって下さい。誤記や脱落などもあるはず。お気づきのところをご教示いただければ幸いです。
・定例研究会のあゆみ(初期データは内田純一さんに送ってもらった)。
 http://www010.upp.so-net.ne.jp/mayu-k/kenkyukai.htm
・研究室で取り組んだ「東アジア」「識字調査」関連の記録・資料。
 http://www004.upp.so-net.ne.jp/fumi-k/eastasia93housei.htm
・東京社会教育史研究のページ。既報(風2428号)「三多摩社会教育のあゆみ」や杉並・原水禁
 運動資料など、大都市研究会の記録も2点。
 http://www004.upp.so-net.ne.jp/fumi-k/tokyokenkyu.htm
・追悼・エッセイ・短信・ゼミ記録・2010年以降の新しい記事など。
 http://www004.upp.so-net.ne.jp/fumi-k/archives.htm
・『東アジア社会教育研究』1号〜10号・巻頭言一覧。
 http://www010.upp.so-net.ne.jp/mayu-k/kantogen.htm、など。
・最近、中国研究・交流のサイトに「新しい動き」のページを一つ加えました。上田孝典さんから送ら
 れたデータ(日本語訳)をまず掲載。
 http://www010.upp.so-net.ne.jp/mayu-k/tyugokupolicy2010.htm

2446号【2010年6月3日】
★<6月初頭は忙しい>
 沖縄から帰って(1日午後)、やや疲れあり。翌朝はのんびり起きて、何気なくテレビをつけたら、鳩山退任演説が流れていました。普天間−辺野古問題は、一国の首相の首をすげかえることになりました。
 本号は「南の風」らしく、久しぶりに沖縄から来信の記事ばかり。鳥山淳さんとは、1月に名護市史編さん室で会いました(風2362号)。この4月からは沖縄国際大学に専任として「平和学・社会学」を担当しているとのこと。おめでどう!
 風に「はじめて発信します」とありますが(上掲)、実は、1998年頃からの初期「風」メンバー。それ以前にも、第16回定例研究会(1997年2月)での報告あり、「東アジア社会教育研究」(第3号,4号,10号)にも執筆した人。いわばTOAFAEC オールドメンバーなのです。
 その後、いつの間にか風・配信アドレス帳から消えていましたが、このたび再送信をはじめたという経過。ちなみに、鳥山淳編『イモとハダシ―占領と現在』(社会評論社、2009年)など面白い本があります。これからの活躍が楽しみです。
 6月初頭は毎年忙しい。日本社会教育学会六月集会の時期にTOAFAEC 総会(6日学会終了後〜夜)、それに向けての事務局会議(4日夜)、また韓国・中国研究の合同フォーラム(5日夕)、続いて東アジア交流委員会「1年の集い」(5日夜)など。いずれも開かれた会合、関心ある方々のご参加歓迎! 時間・場所等の詳細はHPに記載しています。→■

2445号【2010年6月1日】
★<やんばるのホタル>
 沖縄はいま梅雨。ときに激しく降り、たまに陽がさす、不安定な空模様。さきほど名護から那覇のホテルに帰ってきたところです。
 30日・名護では「やんばる対談」(県立青年の家)の第一弾。主として島袋正敏さんに話を聞くかたちで進められました。ご参加の山城千秋さん(進行)、山口真理子さん、お疲れさまでした。1970年・名護市の誕生から40年。70年代の基本構想「自立」「逆格差」論、80年代の住民運動、90年代後半からの普天間−辺野古問題、今年の稲嶺進・市長選等を含めて、貴重なお話。「東アジア」第15号に向けて、うまくまとまるかどうか。
 終わって、名護城(なんぐすく)の山を下り、東海岸・底仁屋旧小学校前・正敏さんの遊び小屋(手作り建築中)敷地へ。やんばるのホタルを見るためです。日が暮れてくると、松の老木(御神松)に巣をつくっているらしいコノハズク、近くの森からはアカショウビンなどの鳴き声、せせらぎの蛙の合唱にも包まれて、ちらほらとホタルがまたたき始める。心洗われる夜を楽しみました。
 沖縄の童謡「じんじん」(蛍)を口ずさみ、仲宗根政善先生歌集「蚊帳のホタル」を想い出していました。やんばるの自然のなかに当たり前のようにとびかうホタル。そのすぐ近くに日米合意で巨大な軍事基地を造ろうとする政治の醜悪さ、怖さ。
 大国林道の山城秀夫さんたちも合流。(3月に引き続く)日曜休みの店を特別に開いてもらって夜遅くまでの島酒懇談。お世話になりました。
やんばるの夜・闇にホタル(撮影・山城千秋、20100530)


2444号【2010年5月29日】
★<名護・屈辱の日>
 5月28日、「辺野古移設」の日米共同声明が出された日、沖縄は激しく雨が降っていました。ちょうど那覇空港に着いた頃、那覇では日米合意を糾弾する県民集会(県庁近くの県民広場)が、名護では緊急市民集会(市役所中庭)が開かれていました。街角には琉球新報の号外「辺野古移設を日米発表」の大見出し。
 投宿したホテルの部屋に入ってテレビをつけると、稲嶺進・名護市長が雨に打たれながら、怒りに紅潮した顔で激しく訴えていました。
 「今日、私たちは屈辱の日を迎えた。… 私たちの心は怒りの頂点だ。沖縄はまたしても切り捨てられた。(日米の)発表は、地元への説明もなく、市民県民の民意をないがしろにし、地元の頭越しに行われている。許されるものではない」と。
 この日、早くも沖縄防衛局は米軍普天間基地の辺野古移設を明記した日米共同声明を持参して名護市等へ説明に訪れたそうです。稲嶺市長らは「まだ閣議決定されていない中で伝えるのは手順がおかしい」として拒否(琉球新報、29日記事)。辺野古、久志、豊原のいわゆる久志三区、隣の宜野座村にも説明に。
 深夜番組「朝まで生テレビ−激論・鳩山政権」では、9月12日予定の名護市議選挙に向けて、すでに切り崩しの流れが話題になっていました。舞台裏にいろんな動きが始まっている模様です。
 ところで、南の八重山からは、松田良孝さん(八重山毎日新聞記者)の新しい本が出たニュース(上掲)。松田記者は、与那国戦後史についても貴重な連載の仕事があり、また2003年10月の石垣・平久保「ぶんじん歌碑」建立を報じてくれた人でもあります。

2443号【2010年5月27日】
★<公州・ヤン研究室・松本へ>
 本号に福岡・社会教育研究会からの報告、前々号には信州・上田市公民館をめぐるレポート、久々に有り難うございました。最近は「風」に自治体からの寄稿が少なくなっています。号によっては大学・研究者だけの風。自治体の社会教育の状況が、公民館の首長部局移管の動き(上田市−2441号)など、いま複雑かつ混迷のなかにあるからでしょうか。福岡からは、「月刊社会教育」購読復活のニュースもあり、嬉しいことでした。自治体の元気がないと研究も活力を失っていく、私の仮説です。
 横浜の瀬川理恵さんから、先日のベトナム訪日団歓迎会の写真をたくさん送っていただきました。あの夜(17日)、「公民館」に関わるベトナム・日本の交歓のひととき。日本公民館学会・国際交流部の主催(はじめて登場!)でした。ベトナムの国家レベル(学習振興会)のリーダーたちが、池袋のせまい居酒屋の一室で、押し合いへし合い、ギュウギュウ詰めの状態で、ともに語り歌いました。思い出の一夜・写真に感謝。
 あわせて、ヤンビョンチャンさんの来日のニュース。このことは李正連さんからもお知らせいただきました。「…6月29日〜7月1日に名大学部生をつれて松本調査に行くのですが、公州からヤン先生と院生等計8人も同行します」と。海を越えて(個々の研究者でなく)研究室相互の交流が始まっているのです。おそらく松本の皆さんを含めての日韓交歓・ヤン研究室歓迎の一夜が開かれるに違いない、ぜひ!開いてほしい、当方の日程も調整して、松本に行きたくなりました。

2442号【2010年5月25日】
★<故黄宗建先生のこと>
 昨日(24日)李正連さん(名古屋大学)を介して、韓国のヤンビョンチャン先生(公州大学校)より、「今年の韓国行きの予定は?」「7月の黄宗建先生の忌日に合わせるのは如何…」という話が参りました。お誘いをいただいた感じでもあり、恐縮しています。有り難うございます。
 私たちは、一昨年と昨年、7月20日の命日に合わせて訪韓し、黄先生が眠る山に向かって、はるかにお名前を呼び、在りし日を偲びました。
 黄先生は、韓国・日本の社会教育の研究・交流を結んだ恩人です。ご一緒に『韓国の社会教育・生涯学習』(2006年、エイデル研究所)を編むことが出来ましたが、本が出来上がる直前に亡くなられたのです。刊行成った新しい本を墓前に捧げることができたのは、ようやく2008年の命日ちかく。その日、山は雨に濡れていました。
 この本づくりの取り組みがきっかけとなって、韓国生涯学習研究フオーラムが活動を始め(2007年〜)、また韓国に向けての本格的な『日本の社会教育・生涯学習』(ソウル・学志社)の構想が動いて執筆・編集が進められてきました。予定より1年余りの遅れ、執筆者や出版社にご迷惑をかけていますが、いま最終段階となり、今年の夏には、晴れて出版に漕ぎつけることができる予定です。日本だけでなく、ぜひ韓国でも出版祝い会を開き、その席に黄宗建先生の遺影を飾りたい(伊藤長和さんメール)。韓国訪問は「出版祝いの会」に合わせて・・・と、そんなご返事をいたしました。訪韓計画については、またご案内いたします。
 なお、東京の社会教育学会六月集会の夜、韓国・中国両研究フォーラム合同の集いが開かれることになりました。5日18:30〜、東京神田にて(案内・上掲)。皆さま、まわりの方々お誘いの上、ご参加ください。

2441号【2010年5月24日】
★<沖縄の怒り、怒、怒、怒、怒・・・>
 5月23日の鳩山再訪沖の沿道には、「怒」のプラカードの波。沖縄タイムス社説(24日)タイトルは「辺野古回帰 怒 怒 怒 怒・・・」という異例の表現。
 「米軍普天間飛行場の問題で、鳩山由紀夫首相は移設先を名護市辺野古に決めたと表明した。辺野古回帰という最悪の結末だ。地元理解を得るよう努力するというが、沖縄の心をもてあそんだ為政者を信頼できるだろうか。わずか7時間の訪問は日米合意前のアリバイづくりにも見える。鳩山首相が県庁で仲井真弘多知事と面談中、県議会議員らは議会棟前で座り込みした。市民団体の抗議が響き、「怒」と書かれたプラカードが沿道を埋めた。こうした地元の訴えに耳を傾けない鳩山内閣のやり方は前政権よりもたちが悪い。」(同社説・5月24日)
 琉球新報・社説は鳩山首相「三つの軽さ」を重く書いています。一つは「言葉の軽さ」、二つは政治主導や外交方針に関する「信念の軽さ」、三つ目は民主主義や人権への「認識の軽さ」(5月24日)。
 あと一つ加えたいのは人間としての鈍感さです。先回(5月4日)の訪沖では、立ち寄る各地で抗議行動が起きていたのに、「どこでも、同じ人が集まっている印象がある」「車で走っているときは(沿道で)手を振ってくれている」と、むしろ「県民歓迎」を認識していると報じられています。ある議員は「宇宙人にもほどがある。本当に石を投げないと分からないのか」吐き捨てるように話したと(タイムス5月23日記事)。
 私たちは「やんばる対談」のため、今月末に名護に行きます(2433号など・既報)。島袋正敏さんたちと敏感な心で「やんばる」の地域づくりを語り合おうという企画(第1回・30日予定)。その間に稲嶺進さんの都合がつけば、少しの時間でも話が聞けないものかと願っています。

2440号【2010年5月22日】
★<福岡の群像>
 5月20日夜は、福岡・社会教育研究会に出かけました。この日の予定を知りませんでした。前日かかってきた横山孝雄さんの電話、米寿を迎える中嶌博さん(報告)をはじめ、1960〜70年代に活躍した皆さんが顔を揃えるとの誘い、やりくりして(遅刻)懐かしい人たちと再会しました。福岡の公民館の歴史をつくってきた“群像”たち。当時の福岡で社会教育研究の道を歩みはじめていたぶんじんにっとては、旧友に会うも同然の喜び。
 福岡の地域公民館を拠点に「主婦卓球愛好会」が産声をあげ(1971年)、すでに40年ちかい歳月。席上、現会長さんの挨拶があり、「私の文庫には当時の会報を大事に保存しています」と話したところ、今年3月発行「会報」第37号(B5版、146 頁)を頂戴しました。現在の加入サークルは全市にわたり59。大半のサークルが公民館を利用しているとのこと。
 山口県長門市の中原吉郎さん『そよ風−長門の社会教育私史』刊行のニュース(風2422号既報)や、終了後の飲み会の席で沖縄の字誌の取り組みの事例を紹介し、福岡の群像たちの自分史ー地域史−社会教育史への期待を語りました。後ろ向きになってはいけませんが、前に歩み続けるために、歴史を忘れることがあってはならないと思うのです。
 21日には、久しぶりに農中茂徳さんが油山に。全国を旅している様子の渡部幹雄さんもやってきました。大阪でアーデル「カイロ・アーカイフ」運動について、かなり専門的な話ができたそうです。何よりのこと。渡部さんは、難局に直面し教育長を辞して、次のステップを模索中。心配していましたが、一まわりも二まわりも大きくなったような印象を受けました。
渡部幹雄さん(油山、2010521)


2439号【2010年5月21日】
★<東アジア研究交流委員会ーあれから1年>
 昨年の日本社会教育学会6月集会(横浜国立大学)を想い出しています。大きなテーマに向けて、ささやかな「東アジア研究交流委員会」の発足。あれから1年、思いのほかの頑張り?だったのではないでしょうか。8月の日韓交歓の夕べ(社会教育研究全国集会@阿智村)、12月の上海訪日・訪韓団の受け入れ(東京ーソウル)、TOAFAEC 活動と結ぶ執筆活動(年報第14号)、4月・座談会と連動した委員会の開催などなど。こう書いてくると、初年度にしては多彩な1年!といえましょう。
 経費的条件はまったく無く、規則や機構もほとんど未発。MLは始動しているが、HPはまだ姿を見せず、あるのはお互いの課題意識とエネルギーのみ。しかし心強いのは、活動の足場をもっていること。4年の歳月を歩んできた韓国生涯学習研究フォーラムの努力があり、追っかけて中国研究フォーラムの新しい出発がありました。ほぼ毎月の研究例会は、いま前者が25回、後者が11回を数えています。東アジア委員会の発足も、韓国研究と中国研究を横に結ぶかたちで実現したのでした。
 今年の6月集会(5〜6日、法政大学)に合わせて、両研究フォーラムそれぞれの例会が企画されています。韓国フォーラムは4日夜、中国フォーラムは5日夜(風2435号・上田メール)。この際、両フォーラム合同の集いをもってはどうでしょうか。提案としては、昨年を想い出して6月集会初日(5日)夜、会場は法政大学の近くに設定し、その後に交流懇親会に移行して「東アジア研究交流委員会」1周年記念の集いとする案。その頃には、同時間帯に開かれている学会理事会もおそらく終了し、理事・幹事の皆さんも合流することができるかも。1年を回想しながらの提案です。
 追記:6月5日夜の案で、合同フオーラムが開催される方向です。近くご案内を掲載できる見込み。

2438号【2010年5月20日】
★<福岡へ>
 ベトナム訪日団の皆さんの旅は松本市公民館訪問へと続いていますが、当方は福岡へ移動しました。実は同日程の予定で福岡に約束あり、それを変更。ベトナム交流・懇親会を終えて、二日遅れでようやく福岡にたどりついたという次第です。
 福岡はパラパラと雨模様。この雨雲が東に向かうわけですから、ベトナム訪日団の富士山麓エクスカーション(19日)は晴れなかったのではと心配しています。
 今年になって初めての福岡・油山です。エビネ蘭の季節は終わっていました。白樺の新緑は雨に濡れてつややか。いつも無人の庭、それが気に入ったのか、緑の茂みに鳥の巣あり。突然バタバタと羽音がして、飛び立つ同居?の鳥がいました。申し訳ない、こちらの方が突然の闖入者なのでした。
 半世紀ほど前、福岡を離れるにあたって、久留米の生家に残してきた古い本がありました。亡母が倉庫の隅に保存、これと久しぶりに対面して、油山の書庫に運びこむことにし、その下見に久留米へ。
 九州新幹線の関連道路工事で生家の敷地が一部剥ぎ取られ、赤い煉瓦蔵は残せたものの、風景は一変。目の前に巨大なコンクリート高架が出現しています。これから実際に新幹線が走り始めた場合、どんな振動や騒音となるのか未知数。こうして時代は動いていくのでしょうか。
 宮崎県の口蹄疫・感染騒動は深刻。想像をこえる感染エリヤの全頭処分の悲劇!なんと表現したらいいのでしょう。

2437号【2010年5月18日】
★<ベトナム訪日団との一夜>

 ベトナムの「地域共同学習センター」は、日本の公民館を一つの制度モデルとして、1996年に国家レベルで研究が始まり、1998年に試行的に10館前後が設置されたと聞きます。そしてこの10年余に全国的に普及し、いま9,800 館を超えたそうです。その推進役を担ってきたのは「ベトナム学習振興会」(1996年創設)。全国組織のリーダー、各省の副主席、大学々長、教育訓練局長などの皆さんが来日されました。一行15名、5月16日〜21日の日程。
 日本の公民館を訪ねる本格的なベトナム訪問団は初めてのこと。日本公民館学会(国際交流部)が受け入れに奮闘されました。手打明敏(筑波大学)、谷和明(東京外国語大学)のご両人を中心として、皆様、ご苦労さまでした。風2431号既報のように、5月17日に学会主催の歓迎交流会が開かれました。当日の記録は別に寄せていただく予定。
 せまい部屋、肩がふれあう親しい交流。私のとなりは団長格のチェン・スアン・ニーさん(学習振興会副主席・元副大臣)、1935年の生まれでほぼ同世代。1940年「仏印進駐」の日本兵の記憶もあり、戦後はフランスを追い出し、アメリカと闘ったベトナム戦争にも回想が及び、印象的な一夜となりました。
 この企画のブリッジとなったのは津久井純さん(国際開発センター)。記憶をたどると5年来の構想が実現したことになります。ベトナムと日本、社会教育関係者交流の新しい歴史が始まることになりました。18日には松本市の公民館を訪問予定。復路は富士山麓を経由するとのこと。
 富士山が機嫌良く顔を見せてくれることを祈って・・・。
ベトナム訪日団・歓迎会(池袋、20100517)


2436号【2010年5月16日】
★<茅ヶ崎「息吹き」300号の集い−週末の賑わい>
 6月中旬に予定されている東京外国語大学・谷和明さん企画「ドイツ社会文化運動・アルトナーレ調査」(風2432号)。残念ながら小林は参加できそうにない、関心ある人から「ぜひ報告会をお願いしたい」の声があります、などお伝えしました。それに応えて、谷さんから興味深い調査の視点(少し難解?)を送稿いただきました。有り難うございました。長文ですが、そのままご紹介させていただきました。(上掲)
 この週末の二日間はまことに多忙。まず14日夜はTOAFAEC 定例研究会(第163回)。エジプトからのアーデルさんを囲み、カイロ「日本図書館・専門学会・ジャーナル刊行」づくりへの構想を聞きました。終わって歓迎会へ。日露の「百万本のバラ」合唱など夜の更けるの忘れました。どなたか当日の記録を送ってください。
 15日は午後、茅ヶ崎「息吹き」300 号記念の集いでした。茅ヶ崎・平塚の両市長も出席され、能登からの鈴木敏治さんはじめ全国各地からの参加者、盛大な会でした。当日出来上がっていた300 号は、70頁を超える特大号。これで終刊?という心配も吹きとんで、さらに継続して刊行されるそうです。あらためてお祝いを申しあげます。西山正子さんはじめ皆様、ご苦労さまでした。これからがまた楽しみ。
 当日(15日)夜は、「東アジア社会教育研究」第15号の編集会議。茅ヶ崎のお祝い会場に心を残しつつ、一人早めに失礼(申しわけありません)、高井戸に舞い戻りましたが、それでも遅刻。高知からの内田純一編集長を待たせてしまいました。新年報の骨格はほぼ確定、しかし次回の日程、校正作業、その他今後のスケジュールが未決のまま、イーストビレッジ食事会に移行。これも心残り。MLなどで早急に提案・確定して下さい。他の日程より優先して手帳に書き込んでおきたい。
カイロ大学・アーデル氏(163回研究会、100514)


2435号【2010年5月14日】
★<「ワジワジー」怒り、焦燥、やるせなさ!>
 5月13日の朝日新聞は、「ワジワジー」という方言を紹介して、沖縄の人たちのいまの心理状態を詳しく書いています。底流するのは日本の沖縄「差別」ではないかと。私たちの馴染みの方々が登場しています。
 米統治時代、祖国復帰協議会で事務局長を務めた名宗根悟さん(82)、「いまだに沖縄は本当の復帰はしていない、差別は続いている」「沖縄は日本だと、本土は本当にそう思っているだろうか」。
 稲嶺進名護市長(64)は「これ以上新しい基地ができることは限度を超えている。沖縄に対する差別でもあるのではないか」。今月4日に同市を訪れた鳩山首相に「差別」という言葉を投げつけた。
 戦後65年の日米安保体制は沖縄を踏み台にし、日本には「構造的沖縄差別」があった、今は「構造的沖縄差別を切り崩す好機、沖縄はもう後戻りできない」と説くのは新崎盛暉沖縄大学名誉教授(74)。それぞれの表情が目に浮かんできます。
 朝日記事はこう結んでいます。「…この基地の負担について真剣に悩み、受け止めなければならないのは本来、沖縄の人たちではなく、日本人すべてのはずだ。首相個人の指導力や政府のやり方の稚拙さの問題と考え、非難だけしていれば済む問題では決してない。問われているのは私たちだ」と。その通りだと思います。
 14日は、TOAFAEC第163回定例研究会。ゲストはカイロ大学アーデル氏、珍しいワインなど持参しての登場です。お出かけ下さい。明日15日は沖縄復帰記念の日、16日は普天間基地包囲行動の日。

2434号【2010年5月12日】
★<5月30日・名護行き>
 この間、いくつもの(風に載せたい)私信を拝受。興味深い内容、しかし掲載を控えています。一つは、公民館の住民管理型への動き、公民館と市民の関係、とくに職員の役割をどうみるかの問いかけ、関連してドイツ・社会文化運動(風2432号、谷和明氏「ハンブルク」誘い)への関心です。
 「谷先生のご研究に前から関心があり、そこに打開策があるのではないかと思ったり…」「谷先生の報告会などあるのでしょうか。ぜひお知らせください」とのこと。12年を経たハンブルク・アルトナーレのことを含めて、谷さんが一段落されたら、お話を聞く機会(定例研究会)を、ぜひ!お願いしましょう。
 3月末に退職した渡部幹雄さんからは、その後の動静についてメールを頂戴しました。有り難うございました。カイロ・アーデルさん(いま「風の部屋」滞在中)とうまく出会えることを祈っています。来週もし福岡で会えそうであれば、可能な時間をご一報いただければ幸いです。
 山城千秋さんの元気なメール、半ば私信のようですが、お許しいただいて、掲載しました(上掲)。福岡での「やんばる対談」下打ち合わせ、そちらの都合に合わせて(まずは21日案で)お待ちします。ご連絡を。
 名護行き「金曜日(28日)の最終便が取れませんでした」とは残念。前号本欄で小生「5月29日〜30日の両日」案を書きましたが、2日案は、稲嶺進市長と会える選択肢がふえるかも、と考えてのことでした。30日案で名護に参上することにします。島袋正敏さん、どうそよろしくお願いします。「やんばる対談」に関心おありの方は、ご一報ください。

2433号(2009年5月10日)
★<「やんばる対談」の企画>
 鳩山首相の沖縄訪問(5月4日)は、政治とはこれほど拙劣なものか、の見本みたいな1日。昨年来の政権交代に寄せた、なにがしかの期待もあっただけに、落差は大きく、甚だしい失望。そして沖縄の激しい怒り(上掲・沖縄タイムス社説など)。当日の首相・名護市長の会談は注目を集めました。目取真峻氏のブログ「海鳴りの島から」に会談内容が全文採録されています。読みながら、市長としてのススムさんの「基地ノー!」表明にあらためて声援を送りました。
 ところで名護は、基地問題にどう対応するかという緊迫した政治課題に直面しつつ、これからどんな地域づくりに取り組んでいくか、その確かな道筋を拓いていく必要があります。名護市・市民として、これまでにも地域からの論議が蓄積されてきた歳月があり、そしていままた新しく作業は始まっているに違いない。そこから私たちは何を学ぶか。
 3月の名護訪問の際、島袋正敏さんと少し予備的な“対談”をしました。正敏さんとまわりの人たちが今まで取り組んできたこと(島酒、黒豚、猪、アユ、ものづくり、地域の文化、集落自治、博物館や図書館など)の話を具体的に聞きながら、そこに光をあててみる。名護の地域づくりの課題を考えながら、日本の社会教育・公民館の新しい実像を模索していく。第15号への原稿化を視野に入れつつ、新しい本づくりに結実させる構想も考えてみたい。2002年に小林・島袋の共編になる『おきなわの社会教育』(エイデル研究所)が世に出ましたが、すでに10年を経過、状況も大きく変転・・・そういう中での若い世代による本づくりの可能性も追求するときだ。そんな話を交わしました。
 5月29日〜30日の両日、名護に集まり、ゆんたく風「対談」を楽しんでみたい(その間に、稲嶺進市長の都合がつけば、短い時間でも話を伺いたい)と考えています。今回は日程的にやや慌ただしい企画となりましたが、今年中に何度か機会をつくることができれば幸いです。
 来る18日夜〜23日昼まで、福岡に滞在予定。その間に山城千秋さんと下相談できれば有り難い。

2432号【2010年5月7日
★<ハンブルク・アルトナーレ>
 久しぶりに谷和明さん(東京外国語大学)より、ドイツ社会文化運動・ハンブルク市アルトナへの旅のお誘い(上掲)。今回はまずロンドンに寄って、世界最初のセツルメント(トインビーホール)やWEAなどを訪問し、ハンブルク・アルトナーレ(市民祭)へ参加しようという企画だそうです。主催は社会文化学会ドイツ交流委員会、共催として日本公民館学会国際交流部、面白い旅となりそうです。
 ただし申し込み期限は5月10日。谷さんも恐縮しつつ慌ただしいご案内。急ぎ本号を配信することにしました。ご関心ある方は、詳細について谷さんに直接にお問い合わせください。
 → sk-tani@rb3.so-net.ne.jp
 ぶんじんは谷さんに案内をお願いして、2000年にドイツを旅しました。二人で日夜ビール・ワインを楽しみながら、実に楽しい半月、そのときハンブルクにも寄り、アルトナ・モッテのヴェント館長(谷さんの友人)の魅力を実感。ヴェントさん来日の折、講演会を開いた経過もあります。同じハンブルクのトールマンさん(社会文化運動・建築家)の求めに応じて沖縄を案内、やんばるの海で泳いだことも懐かしい。
 それから数回(ハンブルク・アルトナーレを含めて)ドイツを旅しました。風にも記録を載せてきました。2005年についてはHPにもアップしています。→■
 こう書いてくると、2001年からアルトナーレの旅に同行した故石倉裕志さんのことを思い出します。つらい追憶となりそうなので・・・このあたりで。谷さんは「東アジア社会教育研究」第14号(2009年)に石倉追悼の一文を寄せておられます。
 名護「やんばる対談」企画については、さらに次号にまわすことにします。お許しを。

2431号【2010年5月6日】
★<名護・竹富・ベトナム>
 連休最終日には海を越えて、いくつもの風が吹いてきました。一つは、竹富島の上勢頭芳徳さん(4月から公民館長)からご連絡。東京竹富郷友会の総会(5日午後)のため上京したとのこと。この1年余りは竹富島にも行く機会がなく、最近の島の話も聞きたいので急ぎ出かけました。
 2年ほど前の総会には伊東秀明、岩本陽児など数人の方を誘って参上したことがあり、郷友会の皆さんの本格的な芸能・余興を楽しみました。あのときは確か8月だった・・・、5月の総会のこと、知らなかったのです。芳徳さんはじめ旧知の方々と久しぶりの再会。最前列に席を用意していただき、ご馳走をいただきながら、庭の芸能(3本)、舞台の芸能(12本)、さすが竹富島!と感嘆しました。年に1回の総会が、今年は数えて第85回。あらためて郷友会の皆さんの「生まり島」に寄せる思い、その85年に及ぶ歳月に思いを馳せました。
 ベトナム「地域共同学習センター」を推進してきた「学習振興会」の方々が5月16日から来日されます(一行15人、上掲・手打メール)。日本の公民館を一つの制度モデルに、この10年余の間に全国的な普及(約1万館)を達成してきた指導層の皆さんたちが、初めて日本の公民館にふれる企画。ブリッジ役は、津久井純さんです。東京では、5月17日夕から日本公民館学会による交流・懇親の集い、関心ある方はぜひご一緒いたしましょう。
 あと一つは名護からの風。5月30日(日)に島袋正敏さんたちと(もしご都合がつけば稲嶺ススム市長とも)「やんばる対談」の企画が動いています。本号も長文になりましたので、この話は次号に。
上勢頭芳徳・竹富公民館長の挨拶、八重山から届いた月桃の花
                       (第85回東京竹富郷友会総会、20100505)



2430号【2010年5月4日】
★<御三家その後>
 最近の「風」には伊藤長和さんから「烟台の風」が毎号のように寄せられます。エジプト(アーデルさん)日本図書館構想へのコメントも届いて、そのエネルギーに敬服。長文に及ぶ場合には、2号に分けて掲載するよう編集つき・・・。細かなご配慮、有り難うございます。この数日は韓国・富川へ小旅行もされた様子。
 さきほど「烟台の風」次の2号(@A)分も着信しました。当方デスクに数号分が滞留するかたち。それぞれ掲載の時宜を失してもいけませんので、一時期の岩本陽児さん「レディング通信」の例にならうことに。ホームページ内に用意している奥座敷で「続き」を読んでいただきます。ご了承ください(上掲)。
 他方で、岩本陽児さんは(無事に日本に帰って)その後、多忙だそうです。「レディングの風の吹き収め、間近です」からすでに1ヶ月が経過。一段落したら、吹き収めてください。
 「風」常連の御三家、あとお一人は渡部幹雄さん。三月末に教育長を辞めるにあたって印象的な「さよなら」メール(風2409号)を頂きました。その後は音沙汰なく、すこし心配していましたが、数日前に退任挨拶のハガキを拝受。元気とのこと、アーデルさんとも連絡がとれているようで、安心しました。
 5月中旬、ベトナム訪問団歓迎のスケジュールが終わったら、1週間近く福岡に行くつもり。お互いの都合があえば、お会いしましょう。
 御三家以外の皆様も、各地からの風、遠慮されないで、お寄せ下さい。

2429号【2010年5月2日】
★<五月の風>
 五月を迎えました。さわやかに晴れています。窓から入ってくる風はそよそよ。ようやく順調な気候のめぐりになったようです。5月1日はメーデー。昔は街角にいろんな歌声が聞こえてきたものです。終日のデモに疲れて、そのあとのビールが実に美味かった思い出も懐かしい。
 昨今はメーデーの歌など忘れてしまったかのよう。薫風に吹かれていると世はすべてこともなし。しかし普天間移設問題をはじめとして、これからの沖縄問題、日本の政治がどう動いていくか、緊張もはらんでいる五月。
 エジプトから来日予定のアーデルさん(カイロ大学)を囲む会の企画が動き、この数日、調整作業が進んで、五月の新しい日程が次のように確定しました。定例研究会の修正もあり、ここに一覧にしておきます。
 5月14日(金)18:30〜 アーデル氏「カイロ・日本図書館構想など」
  *第163回定例研究会とする(5月28日研究会を繰り上げ)
  終了後、アーデルさん歓迎会(高井戸・イーストビレッジ)
 5月15日(土) 18:00〜TOAFAEC 年報「東アジア」第15号編集会議
 5月17日(月)ベトナム訪問団歓迎会(日本公民館学会関係者企画)
 5月30日(日)「やんばる対談」名護にて
 6月5〜6日(日本社会教育学会六月集会)前後にTOAFAEC総会
 上掲の第15号編集会議案内(内田さんメール)のほか、それぞれのご案内は別途掲載の予定。HP「5月スケジュール」もご覧下さい。関心おもちの方々のご参加、いずれも大歓迎です。 

2428号【2010年4月30日】
★<三多摩の歩みを掘る>
 前々号(2426号「記録も記憶も消えていく」)に続く。東京都立多摩社会教育会館の事業のなかで、あえて書きとめておきたいことは、同館から発行された『戦後三多摩における社会教育のあゆみ』(1988〜1999年、別冊を含む全13冊)についてです。まだ10年余が経過しただけなのに、そこに収録されている自分の文章も忘れたものがありました。
 当時、会館は正式に研究員を委嘱。藤田博、小川正美、手打明敏、佐藤進などの各氏(藤田さんも小川さんもすでに故人)、小林が主任研究員を拝命。メンバーは変わりましたが、足かけ13年間続いた東京(三多摩)社会教育史・資料発掘の研究事業です。調査費はまったくなかったのに、いま読み返してみて、いぶし銀のようないい仕事が残った感じ。
 首都・東京にきちんとした社会教育史がないこと、資料収集・保存に本格的に取り組んでいく必要、を提起したのは、私たちの戦後沖縄・社会教育史研究のなかからです。『沖縄社会教育史料』第6集:宮古・八重山特集(1986年)の中に、小林は場違いながら(沖縄だけでなく)「東京社会教育史の研究」を急ぐべきこと、1984年から始めた東京社会教育史研究会(学大研究室)の歩みを記録し、杉並の公民館を存続させる運動(1980年〜)と『歴史の大河は流れ続ける』4冊(同「存続する会」発行)も一つの契機となったこと、などを記しています。
 『あゆみ』報告書の中には「歌でつづる三多摩社会教育実践史」(座談会、第Y集)など面白い企画も収録されています。会館が閉館になった今、これら13冊がどのように保存されているのか。収集したもとの資料の行方は? せめて自分が関わったところだけでも記録にし、記憶を蘇らせておこうと、HPに1ページを加える作業を楽しんだ次第。三多摩の夜間中学、八王子の織物青年学級、七〇年代の住民運動、二三区の公民館の顛末など、消えかかっている(消えてしまった?)歩みに執着して、歴史再生の思いで頑張った当時が懐かしい。とくに今は亡き藤田さん、小川さんの風貌が浮かんできます。

2427号【2010年4月29日】
★<5月の日程>

 先号に続いて、多摩社会教育会館「三多摩社会教育の歩み」全13集のことを書くつもりでしたが次号に。本号は5月日程についてご相談です。
 まず御礼。上掲・沖縄県民大会について山城千秋さんの熱いレポート、ありがとうございました。大会当日、ぶんじんらしき姿を見かけたとのこと。それはもちろん、心で参加した小生の幽霊です。神ンチュにはきっと見えたのでしょう、と皆さんにお伝えください。
 ところで、名護「やんばる対談」日程は、今から島袋正敏さんのご都合をお尋ねします。4月はどうしても当方が動けず、GW後にはベトナ訪問団の来日、福岡行きの用件などあります。月末になりそうですね。東京では5月28日(金)TOAFAEC 定例研究会、それを終えて次の土・日あたりが第一候補か。正敏さんを囲み、稲嶺進市長スケジュールにも臨機に対応してお話を聞く、1回だけにしない、テーマを分けて3回ぐらい考える、第1回記録(できれば新市長との対談を入れて)は年報第15号に間に合せたい、幹事は山城千秋さん、そんな構想です。正敏さんのご都合(5月30日案)は如何でしょう?
 かねて島福善弘さん(名護博物館長)より、「イジュの花の咲くころ、リーフの傍らで釣り糸をたらして・・・」(風2403号)のお誘いもあります。すでにイジュの花も咲き始めたようですね。
 内田純一さん(第15号編集長)より編集会議・日程案をいただきました。以上のような名護行きを考えれば、5月16日(日)が当方としては好都合です(15日は茅ヶ崎「息吹き」300号記念の会)。遠藤・山口・江頭など事務局の皆さんのご都合は?
 アーデルさんを迎えて、TOAFAEC 臨時定例会の提案(上掲・江頭メール)、アーデルさんの空いている夜はいつ? 到着日時を含めて、早めにご連絡ください。東京のママも待っているそうです。

★<記録も記憶も消えていく>

 この間、遅れていた原稿も出して、ちょっと一段落。何度かホームページの手直し・補充をしました。自分が書いたもの、せめてその一覧だけでも整理しておきたい、恥ずかしいけれど、消えていきそうな小品は(入力も簡単なので)記録にしておこう、そんな作業です。
 先日の風2419号本欄にも書いたことですが、“記憶”だけでなく“記録”それ自体が劣化、風化、散逸・消失していく無表情な歳月。消えれば、かえってさっぱりするような一面もある。無自覚のこわさ、自らの怠惰、しのびよる精神的退廃。おおげさですが、そんなことを実感した数日でもありました。
 かって、東京都・立川社会教育会館という施設がありました。1968年の開館。その後は多摩社会教育会館と改称され、三多摩の都民(約400万人)や各市町村の社会教育行政・施設に向けて、意欲的な事業を展開してきた一時期があります。たとえば、広域の各種講座、講演やコンサート、各種の文化事業、社会教育専門講座、職員・委員の研修セミナー、館報「三多摩の社会教育」発行など。ユニークな「市民活動サービスコーナー」もここに置かれていました。
 都の社会教育主事など専門職員も配置され、東京都独自の社会教育活動の拠点を自負し、自ら実践資料を発行し、また各地資料を収集してきました。そして石原都政のなかで閉館へ。三十年余の歴史、いまそのすべてが消えてしまったようです。関係者の記憶のなかに、かろうじて残っているか、いないか。
 ぶんじんも、会館の調査研究資料、研修記録、会報記事等のなかに加わってきました。その現物も消失し当の本人も忘れかけている。(続く)

2425号【2010年4月26日】
★<名護市長・ススムさんの迫力>
 名護から、福岡から、調布から、4・25沖縄県民集会の速報を送信していただき(上掲)、ありがとうございました。ぶんじんは、琉球新報・ウエッブ生中継を、最初から最後まで見ていました。沖縄県知事、宜野湾市長、そして名護市長・稲嶺進さん、うるま市長のあと、勝連漁協の赤嶺組合長から突然「埼玉大学・岡ゼミ」への感謝(上記)が飛び出したときは驚き!感激しました。
 稲嶺進さんが名護市長として、ひとこと、ひとこと、かみしめるように訴えた場面、まことに印象的でした。これまでの私たちのススムさん像は、どちらかと言えば、やさいい語り口、真面目な人柄、二見情話の歌い手としての情緒的な声の響き、のイメージ。ところが、県民大会の壇上のススムさんは違っていました。名護市長としての風格、力強い政治家としての迫力あるアピール。満場の拍手に包まれ、名護市長選が一つのターニングポイントとなった自負、名護市民への誇り、そして本土政府へ「基地ノー!」の主張。会場が「ノー」の声に唱和したとき、胸にジンとくるものがありました。
 10万近くの人が集う広場、大きな歴史のうねりを実感。琉球新報は「 … 県内移設の反対を訴える超党派の大会は初めて。大会実行委は、渋滞で会場に到着できなかった人(1万人試算)を含め9万人が参加したと発表」「県内各地で大会に参加できない県民も統一カラーの黄色を身に着け、県内移設反対の意思を示した」と報じていました。
 本号は、ソウルからのカンネヨン、カイロからのアーデル、烟台の伊藤長和、各氏のメールで編集が済んでいましたが、沖縄県民大会の熱気に打たれ、急ぎ全面差し替え。連日の配信となります。

2424号【2010年4月25日】
★<4月研究会の一日>
 一昨日(23日)はTOAFAEC 第162 回の研究会。雨が残り冷たい1日でした。この季節、もともと春雨のはず、ハナミズキも咲き始めているのに…。「春雨じゃ、濡れて行こう」…? 洒落にもならない寒さ。
 5月中旬に来日が予定されているベトナム訪日団のスケジュールについて電話がきたり、松本市などにお願いの電話をしたり、慌ただしい時間を過ごしているうちに、研究会の開会時間をうっかり1時間も勘違いして、大きく遅刻してしまいました。「どうしましたか?」の連絡を受けて、大失態に気づく始末。いろいろボケを実感する昨今。
  *ベトナム訪日団については、また別途ご案内があると思います。
 予定ゲストの急なキャンセル(風2422号に急告)により、研究会の代役をお願いした岩本陽児さんに、たいへん失礼しました。少人数の会でしたが、岩本さん無事帰国の乾杯を含め、愉快な交流会。よく語りあったひととき。仙台から東京に帰った包聯群さんの久しぶりの顔あり。5月研究会(5月28日予定)に、ぜひ報告をお願いしたいもの。どんなテーマにするか、ご意向(案)をお寄せください。
 当夜、横浜の瀬川理恵さんより「本日、定例研究会に参加できず、大変申し訳ありませんでした。実は・・・」のメール拝受。かえって恐縮しました。烟台の伊藤長和さんからは、風(上掲)に添えて、「私がもっと若かったら、アーデルさんのエジプト(カイロ大学)での日本語教師募集(風2413号)に応募するのに・・・」の一文。実は小生も同じことを考えていました。
 本号は久々に3日ぶりの風。今後もこのペースでいきたいもの。
岩本陽児さん(高井戸、20100423)


2423号【2010年4月22日】
★<南西・琉球列島をつなぐ島ぐるみ闘争>

 4月18日・米軍基地移設反対の徳之島集会に1万5千人の島民が集まったとのこと。その勢いは、日本政府官房長官の三町長への会談要請を吹き飛ばしました。来る4月25日に沖縄県読谷で開かれる県民大会も、島袋正敏さんメールによれば、大へんな盛り上がり(上掲)。
 那覇市では、県民大会への参加者にバス運賃を半額補助するそうです。「那覇市、市民の行動後押し」の新聞見出し。「…市民参加を促すため、路線バスで大会会場に向かう市民に対し、往復運賃の半額にあたる千円を補助することを20日までに決めた。補助人数は最大千人。大会に参加できない市民にも統一カラーの黄色のリボン1万枚を配布する。同日発足した同市の大会実行委員会で発表した。…市と市議会は計約 220万円を計上。路線バス(系統番号20、28、29、120、228)を利用する市民に対し、那覇バスターミナル―読谷村座喜味間の往復運賃1980円のうち、約半分の千円を補助する。事前に申し込んだ希望者に対し、市の窓口で補助券を手渡す。そのほか、大型バス15台を借り上げ、750 人の移動を手助けする。…」(琉球新報、4月21日)
 南の石垣では、その前日24日に八重山郡民大会開催の記事。八重山毎日新聞によると、「連帯呼びかけ・大会に結集を」とあり、最西端の与那国島を含めて、自治体や団体に呼びかけて、普天間飛行場の早期閉鎖・返還と県内移設に反対する意思を結集しようと。(同21日記事)。
 いまや、奄美・琉球列島をつなぐ島ぐるみ闘争の拡がり。

2422号【2010年4月20日】
★<「そよ風−長門の社会教育私史」刊行>
 国土社「月刊社会教育」は、1980年代前半に、社会教育で奮闘されてきた先達の「社会教育私史」を連載したことがあります。いろんな方が登場して読み応えのあるシリーズ、「月刊社会教育」らしい企画でした。その中のお一人に山口県長門市の中原吉郎さん(1925年生れ、公民館主事・社会教育主事、退職後は市議、長門時事新聞社創設)。ぶんじんとは1965年の出会い、すでに半世紀にわたるお付き合いです。
 中原さんは「月刊」創刊号(1957年12月号)からの購読者。ぶんじんは、当時まだ「月刊」を知らず、創刊号からの15号ほどを持たない、そんな話を中原さんにしたことがあります。それを憶えていて下さって、退職後に「私の手もとに置くより、先生に差し上げよう」という有り難いお話がありました。当時の勤務先・和光大学(1966年創立)の図書館は「月刊社会教育」バックナンバーを1970年頃まで所蔵しておらず、「大学図書館へ寄贈して下さい」とお願いした経過があります。 
 そんなエピソードを前書きにして、中原さんの自分史が刊行されました(4月16日、私家版・222頁)。「月刊」に執筆された3本の「社会教育私史」が契機となったもの。書名に掲げられた「そよ風」は、中原さんが八方奔走して実現された移動公民館車(専用運転手付き)マイクロバスの名前。1961年のこと、「当時としては珍しく、県内の仲間から大いに羨ましがられた」と述懐されています(p134)。
 ぶんじんも「刊行に寄せて−ひとすじの道に学ぶ−」→■を書いています。 本は段ボールで送っていただきましたので、ご希望の方はご一報下さい。次回研究会(4月23日、上掲)にも持参しましょう。
中原吉郎さん「そよ風」(20100416)


2421号【2010年4月18日】
★<大作家逝く>
 井上ひさしさんの死去(4月9日、享年75歳)。新聞各紙の追悼記事や評伝は、日本語・表現に心血をそそいだ作家を惜しむにふさわしく、思いのこもった文章が少なくありませんでした。「むずかしいことをやさしく、と言い、さらに、やさしいことをふかく、と踏み込む。故人が求めた極意に、われ至らざるの思いばかり募る。遙かなその背中を、もう少し追わせてほしかった。」(朝日・天声人語、4月13日)など。
 多くの戯曲、小説、エッセイ等の偉大な作家であるだけでなく、「九条の会」呼びかけ人、護憲・平和運動に熱心に取り組んだ姿が偲ばれます。映画にもなった「父と暮らせば」は印象的でした。静かな語りのなかに、広島原爆への激しい怒りがありました。次の作品のテーマは、沖縄だったそうです。夏に上演予定「木の上の軍隊」の構想、20年以上前から温められてきたと報じられています。残念です。
 雄大な山脈のような作品群だけでなく、20編ほどの手記『ボローニヤ紀行』(文藝春秋、2008年刊)がまた忘れがたい名作、実に面白く読みました。本欄で(多分?)紹介したことがあったような…。
 身近なところで、星野安三郎さん(憲法学者、東京学芸大学名誉教授)の訃報も知りました。一ヶ月前に亡くなられたとのこと。昨年10月の東京学芸大学六十周年記念パーティでは「横に付き添って、積もる話を」と書いた通り(風2310号本欄)。1959年社会教育法改正問題では、憲法学者として法改正に疑義を提起された方。1970年前後の大学紛争時代には同憂の士でした。享年88歳。在りし日を偲びつつ、ご冥福を祈ります。

2420号【2010年4月16日】
★<山笑う>

 今日(15日)東京は冷たい一日。気温は日中でも最高7度まで。風はありませんが、冬に逆もどりです。寒々として道歩く人たちも心なしか元気がありません。ほんらいこの季節、桜がもたらす陽気あり、続いて、つつじや花水木が咲き始め、若い緑がもやもやとひろがる候。
 必要があって本棚の奥の本を探していたら、古い岩波文庫がポロリと落ちてきました。その中に紙しおり。岩波が「言葉の玉手箱」と題して、「山笑う」を紹介していました。その昔、この季語を知らず、恥をかいた思い出もあり、この機会に本欄に書き留めておくことにします。
 …「山笑う」とは俳句の季語。木々が一斉に芽吹きはじめ、いかにも華やかな春の山の趣きをいう。それに対して、「山眠る」は枯れ枯れとして精細を失った山。「山粧(よそお)う」は紅葉に彩られた山で、それぞれ冬・秋の季語。中国北宋の画家で山水画の理論家・郭煕の「四時山」に見える。『広辞苑』には採られていないが、青々とした夏の山は、「山滴(したた)る」。…
 手元の『季語秀句辞典』(斉藤・阿久根編、柏書房)を開いてみると、たくさんの秀句。ついでに、いくつか転載しておきましょう。
 ◇故郷やどちらを見ても山笑う(正岡子規)、◇ひと亡くて山河したたる大和かな(角川春樹)、◇谷底の朴より山の粧ふらし(皆吉爽雨)、◇山眠る如く机にもたれけり(高浜虚子)、など。
 ここで一句、といきたいところですが、ぶんじんにその才なし。せめて今の喜びだけでも・・・。
 ◇メールあまた届いて風も笑いけり(ぶ)

2419号【2010年4月14日】
★<ぶんじんのホームページ>
 南の風は、毎号・目次欄にURL(ホームページの住所)を載せています。これをクリックしていただくと、ぶんじん手作りホームページが顔を出します。いま表紙の写真は「八重山の芸能」、獅子舞です。
 HPは、たどたどしい歩みながら、もう12年近い(風より少し若い)経歴。中央大学・院ゼミの講師を辞した年(多分2001年)、近藤恵美子さんなど同ゼミ・メンバーから、記念にHPビルダー・ソフトを頂戴しました(感謝!)。それを活用して一応の体裁をもつページへ。看板にはTOAFAEC と掲げていますので、ぶんじんが間借りしているかたち。しかし実質はTOAFAEC の方が借家人?です。
 入力の記事・ファイルも、ぶんじん個人のものが大半。ときに公私混同の誹りを受けないように言い訳も。そういえば、南の風も似たような性格です。実質は(TOAFAEC 通信でなく)ぶんじんの風。
 2003年頃から毎月の記録として画像をたくさん入力するようになりました。削除を惜しんで、だんだんと容量が増え、いま三つのページを連動させてのやりくり運用。そのうちに大鉈をふるって、古い写真・ファイルを削除する作業が必要です。本欄日誌入力のため1〜2日おき更新。
 この一両日、かねてご要望(不充分との批判)があった1995年以降のぶんじん記事(論文・座談会・講演・書評・追悼など記録)一覧を補充しました。
  http://www004.upp.so-net.ne.jp/fumi-k/gyouseki03.htm→■
 文章(パソコン保存)はあるのに、どこに書いたのか不明のものなど、当方の頭がかなり劣化していることを再発見。他方で、単なるリストでなく、もっとデータベース的に活用していくために、これからどんな工夫をしていけばよいかと意欲も。サイト内のリンク(→■)を少し増やしたり・・・。ホームページに詳しい方々、ぜひご助言、ご教示ください。

2418号【2010年4月12日】
★<春の賑わい>
 4月・新年度が動き始めましたね。風・編集室もこの春は大忙し。3月下旬・2401号(3月19日)アドレス帳更新から20日あまりが経過する間に、20号ちかくを発行するという慌ただしい毎日。応答がなかった方からも、その後に数人「風・再開してほしい」の来信がありました。
 「…メールを開いても,社会教育に関する全国皆様からの実践や声を聞く機会がなくなり、風が恋しくなってしまいました。再度,お送りいただけませんか?」(Sun, 11 Apr 2010 23:26)と。こんなメールも嬉しい。今回は結果的に、4人の方のみが脱落。いまようやく落ち着いて、隔日配信のリズムに戻りつつあるようです。
 本号はカイロ・アーデルさんから意欲的なメッセージ。また夜間中学ひとすじの見城慶和先生からも、「ちょっと嬉しいお知らせ」をいただき(上掲)、喜びの表情が目に浮かんできました。
 4月11日(日)は、竹富島の郷友会からお誘いをうけていた東京八重山郷友連合会創立10周年記念の公演「八重山の芸能」へ。北とぴあの大きなホールが満席。八重山の各郷友会から自慢の演目が並び、また民俗芸能・舞踊研究所、民謡保存会、三線教室など皆さんの熱演あり。
 はるか南の風のささやきや海鳴りが聞こえてくるようなひととき。八重山の古謡「ゆんた」(「結い歌」、男女交互に歌われる)や椰子舞なども披露され、歌の島・踊りの島の拡がり、八重山の歴史に思いをはせました。そのうち八重山(竹富島)行きを計画したいもの。
八重山郷友連合会創立10周年記念公演・第三部「ゆんた」(北とぴあ、20100411)


2417号【2010年4月11日】
★<風の部屋、古酒のカメ>
 今年の桜は、寒い日をはさんで、ながく咲いていました。ようやく散りはじめて、散歩道の神田川の流れに細い花いかだ。ところどころに八重桜の蕾。新年度も10日を迎えて、皆さん、充実した(忙しい?)毎日でしょうか。
 3月の定例研究会は「東アジア社会教育研究」第15号特集企画の座談会。参加者のご都合を調整して、4月10日に賑やかに開かれました。遠く韓国から、国内では高知、仙台、名古屋などから参加いただき、ご苦労さまでした。座談会後は、永福町駅前で「東アジア交流委員会」の夕食・懇談会となり、楽しく、充実したひととき。この席には、英国帰りの岩本陽児さんの顔も。
 ふと思いついて、「お急ぎでなければ、一足、“風の部屋”を覗いてみませんか? 歩いて5,6分ですよ・・」とお誘いしたところ、10人ほどの方にお出でいただきました。最近は静かな部屋も、この日はドヤドヤと客人を迎え盛況、思い出深い一夜となりました。
 駅前の馴染みのワイン屋で数本を仕入れ、部屋では久しぶりに古酒カメを酌みました。やんばるクースーも一段と味わい深く・・・。「仕次ぎ」はこの次に(講釈だけ)。
 ちょうど1年前の座談会の夜を思い出し、肩を組んで「アチミスル」(朝の露)を歌いました。宴もたけなわ…となっても終わらず。遅くまでお疲れさま。最終便に間に合ったかしら?
 この日を終えて、ようやく4月定例研究会のご案内を本号に掲載(上掲)。4月23日夜、やんばる出身の比嘉佑典さん(3月に東洋大学教授を定年退職)を迎えます。ご予定ください。
久しぶりの古酒カメ(風の部屋、20100410)


2416号【2010年4月9日】
★<私たちの準備会を>
 本号には、久しぶりに山本建慈さん(和歌山大学長)からメールを寄せていただきました(上掲)。興味深いことがいくつか。大学「評価」のあり方、地域・社会発展のカギは大学にあること、この20年の日本教育政策の失われた歳月、そして「新たな生涯学習政策の模索がはじまっているようです」のくだり。
 ちょうど1年前、「東アジアの社会教育・生涯学習法制を考える」座談会( TOAFAEC 年報14号の特集企画、2009年9月刊)に出席された韓国ヤンビョンチャンさんの発言を思い出しました。
 「…実は、2007年の(平生教育法)改正の過程について、私たち学会関係者が反省している点がいくつかあります。当時、法改正にあたり、政府や国会の方から我々は意見を求められました。その時に事前に準備ができていなかった点や、我々の間ですら合意ができてなかった点、法改正が切迫してからそれに対応するのはとても大変なことだというのがわかったのです。そこで、きちんと前々から準備をして、検討しておく必要があることを実感し・・・、法改正問題についての準備会を作ろうと会員同士で話し合いました。…」(同年報 p.31)
 失われた歳月をどう取り戻していくか。政策批判だけでなく、政策づくり・立法論の具体的な論議をどう組み立てていくか。東アジアの胎動に学びつつ、日本の“私たちの準備会”も始動させたいもの。お互いの多忙を乗り超え、「評価」に疲弊した頭をリフレッシュして、誰かそういう場を提起しないものか・・・と夢見ています。

2415号【2010年4月8日】
★<多元的な交流を>
 前号の続き。日本と韓国の専門学会(社会教育・平生教育)間の交流が新しい一歩を踏み出して喜ばしいことです。これからの積み重ねに期待したいもの。あわせて二国間の関係に加えて、中国(台湾も)の関連学会・(行政を含む)関係者との多元的な交流を今後どう拡げていくか、についても智恵を寄せあっていきたいところです。
 TOAFAEC は「東アジア」のテーマを掲げて、この15年来、それなりの努力を重ねてきました。毎年の研究年報『東アジア社会教育研究』刊行は今年で15冊目。ときにバックナンバーを開いてみると、ある種の蓄積を実感することができます。しかし最近、日本はむしろ押され気味。
 韓国だけでなく、中国側も「中国成人教育協会」として、日本・韓国との三国間の交流を積極的に企画する方向(風2408号本欄・呉遵民メール)。時期は11月(スケジュール未定)、場所は上海とのこと。中国成人教育協会による特別企画「国際シンポ」、社会教育・生涯学習に関する「中日韓の連合会」を創ろうとのイメージのようです。
 とかく国際会議への参加は(言葉の問題もあり)専門研究者に限られがちですが、自治体やNPO(市民)など関心ある方にも声をかけ、工夫しながら交流の輪を多元的に拡げていく課題がありましょう。
 明後日(10日)午後、東京(永福地域区民センター)で、TOAFAEC 研究会=年報第15集「大都市社会教育・生涯学習の展開と可能性」特集に向けての座談会(風2412号に再案内)です。
 どなたも歓迎! お気軽にご参加ください。

2414号【2010年4月6日】
★<日韓交流・世代から世代へと>
 日韓(社会教育・平生教育)両学会の交流が本格的に始まりました。風(2381号)でもご案内を載せましたが、4月2〜3日の日程、韓国カンヌン市で開催された合同セミナー。これに参加された石井山竜平さんから早速のレポートが届きました(上掲)。「隅々まで配慮の行き届いた」「密度の濃い」内容であった由。
 また小田切督剛さんからは写真が送れれてきました。その1枚を頂戴して、いま当方の「4月スケジュール」欄にアップしたところ(下掲)。小田切さんからは、あらためて感想などお送りいただけるそうで、有り難うございます。
 写真アップの作業、懐かしい顔ぶれを見ながら、いくつかのことを想い出しています。故黄宗建先生との出会いの1980年代。そして1990年代の日韓社会教育合同セミナーのこと。そのとき中心的な役割を果たされた金信一さん(前政権・副総理)と笹川孝一さん(法政大学)お二人の笑顔。まさに長老格。中央に写っている韓国平生教育学会・新会長の権斗承さん、1990年当時は若手研究者でした。そして後列には現在の若い世代がたくさん。楽しみですね。
 世代から世代へと、時代はまわる。これからの学会間の関係がどのように発展していくか。これに中国との研究交流(風2408号・上海からの提案)が加わって、今年は三国間交流の新しいステップを刻む年になるのではと期待されます。
 名護の皆さん(上掲、赤崎メール)からご心配いただいている当方の花粉症は、ほとんど終息しました。ご放心下さい。
日韓両学会の合同セミナー(20100402、小田切督剛氏カメラ)
 写真移動

2413号【2010年4月4日】
★<沖縄の興南高校センバツ優勝>

 雨で1日延期になった選抜高校野球は今日(4月3日)午後の決勝戦。沖縄代表・興南高校と東京代表・日大三高との延長戦は手に汗にぎる熱戦でした。前半は好投手・島袋がやや不調、日大三はノーヒットで2点を先取する展開でしたが、結果的には12回にひっくりかえし10―5で興南高が快勝! 東京住まいながら、思わず興南に応援の拍手をおくりました。さきほど名護・島袋正敏さんから来たメール。
 「興南高校がセンバツ高校野球優勝です。延長12回大逆転優勝です。試合開始から終了まで、沖縄中のすべての機能が麻痺した4時間でした。今晩はこれまた沖縄県下すべての居酒屋は深夜まで乾杯の大合唱が続くでしょう。こちらも出かけて、この感動をみなと分かち合います。カリー(かんぱーい)!」(Date: Sat, 3 Apr 2010 16:37)
 前号本欄に書いたアーデルさんから「カイロ大学の日本語講師募集」についての添付フアィルが届きました(上掲)。待遇は充分ではないようですが、アラビヤ語やイスラム文化に関心ある方にはいい機会。応募締め切りは、2010年5月31日。関心ある方はご一報ください。アーデルさんの添付フアイルを転送します。
 「カイロの日本図書館(アーカイフ)」づくりについては、アーデルさんの友人・渡部幹雄さんのお名前がありますので、メールを転送しておきました。

2412号【2010年4月3日】
★<花に嵐の喩えもあるが…>
 桜満開に近づく夜、1日から2日にかけて、関東には激しい風が吹き荒れました。台風なみの激しさ。酒を勧める中国の詩を井伏鱒二が訳した一節、ハナニアラシノタトヘモアルゾ…と心配しましたが、桜はしっかり残って、週末は花見の宴たけなわとなりそう。
 カイロ大学のアーデルさんから久しぶりのメール来信。「カイロからの二つのお知らせ」、カイロ大学の日本語講師の呼びかけなど興味深い内容、「添付ファイルご参照・・・」とのことですが、添付忘れ。再送をお願いします。それを待って次号に載せます。
 入れ違いに内田純一さんから、4月10日の東アジアに関する座談会と交流・懇親のご案内が届きました。風2400号「座談会:東アジア大都市社会教育・生涯学習の展開と可能性」の確定版(上掲)。座談会後の夕食会をかねた東アジア交流委員会の企画について、上田孝典さんからも案内が届いています。有り難うございました。
 花の便りとともに、朗報いろいろ。新年会等の常連メンバー、エジプト・台湾など訪問活動にも参加されてきた板橋文夫さんが4月1日より、東邦大学教授(教職課程)に就任されました。田中正造研究者、永年にわたり大学非常勤講師として頑張ってこられました。おめでとう!
 4月23日の定例研究会(次回、近日中に案内予定)ゲストにお願いしている比嘉佑典さんが、この3月をもって東洋大学教授を定年退職されましたが、このほど自分史・体験的エミール教育論ともいうべき『教育の原像 育ちのエコロジー』(発行・遊びと創造の森図書館)を上梓されました。戦後沖縄・やんばるの少年時代からの回想から始まり、たいへん興味深く読んでいます。
 岩本陽児さんも無事帰国とのこと、ご苦労さまでした。

2411号【2010年4月2日】
★<南の島の公民館長>
 最南端の新聞「八重山毎日新聞」4月1日号に、上勢頭芳徳さんの写真。今年度、竹富島の公民館長になられたそうです。おめでどうございます、というより、むしろ、ご苦労さま、と言うべきか。150戸前後の小さな集落ながら、島の共同体の祭事は伝統の重みがあり、すべて公民館長が中心なのです。もちろん島を代表する立場。東京の郷友会の総会などには、いつも親島としての竹富公民館長の顔がありました。今年は上京される機会も多いのかも…。
 芳徳さんは、最南端の博物館・喜宝院蒐集館の館長さんです。とくに最近5年ほど竹富島調査で参上するたびにお世話になってきました。私たちの「東アジア社会教育研究」第12号に「竹富島憲章と竹富公民館」について、芳徳さんとの対談記録が収録されています。学芸大学卒の前本多美子さんとの縁もあり、島に行けば歓迎の宴など開いていただきました。東京の研究会に出席されたことも。たしかその夜の宿は、永福の「風の部屋」。もちろん風メンバー、愛読者のお一人です。
 ところで東京では4月11日午後(1時開演)、東京八重山郷友会連合会(創立10周年記念事業)「八重山の芸能」が賑やかに開催されます。竹富島を含む八重山の各郷友会が出演するそうです。庭の芸能(世迎い、まみどーま、獅子舞など)、舞台の芸能(鷲の鳥節、真栄節、安里屋節など)からなるプログラム。解説は竹富島出身の狩俣恵一さん(沖縄国際大学)とのこと。JR王子駅そばの「北とぴあ」ホールが会場です。入場料3000円。お出でになる方があれば、会場で声をかけて下さい。
上勢頭芳徳さん、TOAFAEC第143回研究会にて(20080926)


2410号【2010年3月31日】
★<桜咲く四月へ>

 もうすぐ四月。東京は、神田川や善福寺川などいつもの散歩道の桜がほぼ五分咲き。といっても、この一両日の冷え込みは厳しく、昨夜など摂氏0度に近い、いわゆる花冷えとは違う寒気です。室内からようやくベランダに出したゴムの木も凍えているようでした。
 それでも桜の花の下を通ると、何か新しいことがありそうな気分。新年度・新学期に向けて「風」の皆様にはそれぞれご多忙か。この時期には花見の企画が賑やか(小金井・東京学芸大学周辺の桜は、実に見事!)でしたが、今のTOAFAEC 行事には、花や月を観るゆとり?はないようで、ただ道を歩くだけ。それでもいい気分。花粉症もようやく恢復してきたようです。どこかで花見の催しでもあれば、声をかけてください。
 「風」にとって今年の三月は、慌ただしい毎日でした。英国を離れる岩本陽児さんからの連日の「レディング通信」。この一両日静かなのは、きっと今頃は日本へのフライトの中だからでしょう。無事にお帰り下さい。
 加えて滋賀・愛知川の渡部幹雄さんから教育長辞職の便り。「…仕事が本日で終わりました」(風・前号)に込められた切々たる思い。いまどこを漂流しているのか。いつぞや「大分アジト」からの送信を頂いたので、そのあたりだとすれば、近い機会に福岡・油山の小生アジトで再起の酒を酌む夜を企画しましょう。農中茂徳さんも、この春で自由の身になったはず・・・。ともに語らいたいものです。
 本欄は、花の便りとともに送られてきた北九州・野依智子さんの新著『近代筑豊炭坑における女性労働と家族』(明石書店)や、油山の庭に白樺の樹を送り続けていただいた内藤弌さん(東京農工大学に勤務、いま90歳)の郷土史『小六新田の歴史』(自家出版)への賛辞を書くつもりでしたが・・・。花にまつわる話で誌面がなくなりました。まずは出版のお祝いとお礼を。
東京杉並・神田川沿いの散歩道(20070328)
 →写真撤収

2409号【2010年3月29日】
★<これ以上悪い案はない>
 この数日の動きいろいろ、政府が考えている普天間基地移設の方向が見えてきています。まず、名護のキャンプ・シュワブ陸上部に建設するヘリパッド(500メートル四方)へ、さらに、にうるま市・勝連沖の埋め立て人工島(3000メートル級の大滑走路2本)に移設する二段階案あるいは鹿児島県徳之島へ移す案などが浮上。
 沖縄各紙は痛烈にこれを批判しています。琉球新報は「民意欺くワーストの案だ」(社説・27日)。「沖縄にとって、シュワブ陸上案という最悪の選択と、勝連沖埋め立てという最悪の選択を、二重に実施することになる。これ以上悪い案は、思いつくことすら難しい。とてもまともに考えた案とは思えない。…」
 沖縄タイムス・同日社説は「なぜ民意に耳ふさぐか」と題して、25日夜「きむたかホール」で開かれた「うるま市民総決起大会」の模様を書いています。急な取り組みにもかかわらず、立ち見席も埋まるほど満場のホールは熱気にあふれたそうです。うるま市長が反対メッセージを寄せ、漁協も「豊かな海の資産を守る」と決意を表明。
 婦人代表はやんわりと「名護市民は海を守りました。今度は私たちの番です、がんばりましょうね」と呼びかけ指笛と拍手が沸いたそうです。
 「…重く響いたのは、壇上に立った86歳男性の“いまの政治を正しくさせてほしい、と戦死した友人が私に勇気を与える”という言葉だ。戦争の過ちが沖縄基地問題の根源であり、多くの犠牲を強いられた悲劇の連続性を再認識させられる…」(タイムス社説・27日)と。

2408号【2010年3月28日】
★<上海からのメール(提案)>

 3月26日(土)午後は中国生涯学習研究フオーラム(第10回)でした。今年より、代表は小林から黄丹青さん(目白大学)へ交代、事務局長は引き続き上田孝典さん(筑波大学)。当日の記録を「風」に送って頂けませんか。ぶんじんは当日別用と重なり、会の終了間際にようやく到着。久しぶりに有志で神保町・放心亭でドイツ・ビヤを楽しみました。
 帰ってみたら上海・呉遵民さん(華東師範大学)から次のメール来信。
 「 … ご無沙汰しております、お元気のことと思います。ところで今年の中国成人教育協会主催の国際シンボは11月に開催する予定です。昨日の葉忠海先生の話によると、日本と韓国から多くの参加を期待し、両国から各15名前後の参加を予定しています。これからお申し仕込みいただき、名簿など作成していきたいです。… よろしくお願いいたします。なおお手数ですが、韓国の梁炳賛先生へこの計画をお伝えいただけませんか。申し訳ございません。取り急ぎ、以上ご報告まで。呉遵民」
                                   (Fri, 26 Mar 2010 21:02)
 ちょうど1年前、上海の社区教育調査のため、私たち中国研究フオーラムで閘北区に滞在中、葉先生(上海成人教育協会)から中国成人教育協会として中国・韓国・日本の研究交流を進めていきたい趣旨の提案を伺った経過があります。2009年に上海から日本と韓国を訪問したいこと(昨年12月に実現)、2010年には中国成人教育協会として日本・韓国両国の関係者を招いて生涯教育・社区教育に関する国際シンポを開催したいことなど。その具体的なスケジュールとして、11月に計画したいとの提案と思われます。日程の詳細や場所などはまだ示されていません。
 幸い4月2〜4日に韓国で日本社会教育学会・韓国平生教育学会の国際学術大会が開催されます。これにご出席の皆様、とくに李正連さんからでも、ヤンビョンチャン先生はじめ韓国の方々に、上海からの連絡をお伝えいただけませんか。 

2407号【2010年3月27日】
★<結婚は白い花>
 昨夜(26日)のNHK/BSAの深夜番組は、旧ふるさときゃらばん「地震カミナリ火事オヤジ」の舞台を3時間近く放映していました。劇中で懐かしい「ザ結婚」の主題歌 ♪結婚は白い花 これから どんな色の夫婦になるか それは 二人が染める色♪ が歌われました。思わずパソコンの手をとめて、一緒に合唱。ふるきゃら応援団の一人でもあり、学芸大学研究室では、みんなでよく歌ったもの。和光大学のゼミ生には、結婚披露の宴に招いてくれたら、お祝いに「ザ結婚」を歌う・・・と約束しています。
 小倉の樋口(白井)知子さんから、風・編集台に「新生ふるきゃら」福岡公演のレポート「元気をもらいました!」が寄せられています。すでに1週間前のこと。しかし毎日届けられるレディング通信ほか、アドレス帳更新にともなう各位のメールに忙殺され、まだ未掲載です。申しわけありません。次号あたりにはなんとか・・・の予定。
 「新生ふるきゃら」については、風2398号本欄に書きました。新作の「トランクロードのかぐや姫」、ふるきゃらメンバーの熱演により大好評の由。いま全国各地を公演中。この機会に東京公演のご案内。
○日時:2010年4月26日(月)18:45〜。会場:北とぴあ(さくらホール)−JR王子駅・北口徒歩2分、
 入場料4000円(指定席は4800円)。
 往時の小林ゼミの皆さんはよくご存じの劇団。応援チンドンヤの活動も。もし未見の方があれば、この機会にぜひご一緒しましょう。街おこしや人と人の交流が創り出すエネルギーなど、社会教育につながるメッセージを受け取ることができるはず。
*本号を送信する直前、烟台や上海からの便りも来信。また明日に・・。

2406号【2010年3月26日】
★<新アドレス帳>
 東京は終日(25日)冷たい雨。楽しくありませんが、しかし花粉症に雨は有り難い、ほとんど回復したような気分です。あと少しの辛抱か。
 前号(2405号)本欄に、茅ヶ崎「息吹き」300号のことを書いたところ、西山正子さん(発行責任者)から、早速、次のようなメールをいただきました。
 「…息吹き300号のことを書いてくださいまして、ありがとうございました。300号に寄せての原稿もいただきました・・・。記事の中で“図書館や博物館の活発な活動が見られることはご存知の通り”とありますが、博物館は総合計画に入ったものの、予算がないということで頓挫しています。総合計画にはなかった美術館ができてしまい、博物館づくりに熱心だった方たちは、もうあきらめています。ただし文化資料館は、市民に支えられ活発な活動をしています。」
 数年前に茅ヶ崎・博物館の積極的な構想を聞いた記憶あり。構想のみ、実体は動いていなかったのですね。たいへん失礼しました。HPにアップした文章には博物館の箇所に「構想」と加え修正。
 ところで、風の配信アドレス帳更新は一段落しました。海外そして留学生の皆さんは原則としてそのまま。国内で、ほとんど反応のない15名の方に「風、継続しますか?」の確認メールを差し上げ、これにも応答のない6人について、アドレスを削除。昨日、河野明日香さん(筑波大学)から参加希望が寄せられ名簿に加えましたので、現在122名のリストで新しいスタートを切りました。配信アドレス一覧を配布していた時期もありましたが、個人情報のこともあり、今は控えています。

2405号【2010年3月25日】
★<茅ヶ崎「息吹き」300号に拍手!>
 神奈川県茅ヶ崎市は、1970年代前半までは、地域集会施設は別にして本格的な公民館は1館もなく、図書館・博物館等の社会教育施設もまったく未発でした。その茅ヶ崎市は、30年余の歳月を経た現在、全市にわたる公立公民館体制をもち、そして図書館や博物館(構想)の活発な活動が見られることはご存知の通り。もちろん課題を内包しながら、注目すべき地域の社会教育史を刻んできました。
 振り返ってみると、茅ヶ崎の地域史にとって、この30年はいつまでも記憶されるべき歳月といえましょう。その重要な契機となるのは、公民館や図書館の大事さを知る市民たちの小さな運動でした。1975年「茅ヶ崎市に公民館をつくる会」が発足、1977年初頭に同会の機関誌として「息吹き」が創刊されました。当時はガリ版刷り(懐かしい!)、手づくりながら毎号平均10ページに及ぶ編集、「広範な市民を結び公民館づくり運動の牽引車の役割」(社全協編『社会教育ハンドブック』初版、1979年)を果たしてきました。
 いま手元にあるのは「息吹き」299号、4月か5月に記念すべき300号が刊行され、5月15日に「記念の集い」(茅ヶ崎館)が開かれるそうです(風2385号に既報)。いま当日に寄せる拙文をしたため別送したところ。その流れで、本欄にも思わず「息吹き」のことを書きました。
 本号は、南の竹富島(デイゴを救う運動)と北の釧路(自主夜間中学)からのメール、そして常連のレディングと愛知川の通信が届き、編集子として願ってもない構成。しかし長文となりご容赦を。一部にまだ未掲載(滞留中)の記事あり、次号以降に載せます。遅れをお詫びします。

2404号【2010年3月23日】
★<どうする?普天間>
 皆さんからのメールがあふれて、沖縄の動きを取り上げるゆとりがありません。南の島は「早くも夏」到来の記事(竹富島・上掲)に加えて、あと一つご紹介したい沖縄ニュース、本欄で書くことにします。
 一昨日の沖縄新聞各紙は、3月20日に宜野湾(沖縄国際大学)で開かれた与党国会議員3氏の討論会「ちゃーすが普天間 与党3党に問う」を大きく取り上げています。市民グループやマスコミ労協有志などの主催。約300人の大入りだったと。
 …民主党の喜納昌吉参院議員、社民党の照屋寛徳国対委員長、国民新党の下地幹郎国対委員長が登壇。政府が検討している勝連沖埋め立て案に全員が反対の認識で一致した。移設先は喜納、照屋氏が県外・国外を主張する一方、下地氏は「将来的には国外に移設するべきだが時間がかかる。15年の期限付きで暫定的な県内移設はやむを得ない」との認識を強調。嘉手納統合案とシュワブ陸上案を主張した(沖縄タイムス、3月21日記事)とのことです。
 移設先決定の期限が迫る中、次々に浮上する“県内”移設案。フロアからは厳しい意見や激しいヤジが相次いだそうです。とくに県内案を出している下地氏の発言中には、同氏を糾弾するビラを掲げた女性も。怒号もとびかった様子。
 民主党の喜納昌吉参院議員にも厳しい批判。「民主党本部は県内移設を推進しているようにみえる」と意識のずれを問われ、「基本的には沖縄民族対日本民族と考えた方がいい」などと答えて、「はぐらかすな!」「質問に答えろ!」とヤジが飛んだ。(琉球新報、同日記事)
 名護市の渡具知智佳子さんは「名護市長選では命懸けで闘った。どうしたら県外に持って行ってくれるのか」、浦島悦子さんも「住民が阻止行動しなければならないようなことは絶対しないと言ってほしい」と議員に迫ったとのこと。(沖縄タイムス、同日記事)
*2400号のアドレス帳更新、本号より新アドレス帳で配信しています
普天間・沖縄国際大学(本館・ヘリ墜落炎上跡、焼け焦げた樹、20040924撮影)
 *米軍ヘリの墜落は 2004年8月13日


2403号【2010年3月22日】
★<元気がイチバン!>
 数号前の既報「小林姉妹展」に集まった4人の妹、その子や孫たちなど20人ほどで祝宴を開いたりしていました。少々の酔いが残り、「風」編集も混乱気味。折しもアドレス帳更新に伴う皆さんからのメールが山積して、編集台はいま収拾がつかない有様です。
 多田豊さんから5日前に頂いていた「ツィッターで公民館大議論」メール(有り難う!)、実は前号に掲載する予定でした。しかし編集過程で次号まわし・・・つまり本号に収録となり(上掲)、標題のみ「ツィッターで…」が残ってしまいました。失礼しました。前号の見出しを訂正(この部分のみ削除)して下さい。
 常連3人組からの通信は、こんな事情を察してか、ややお控え気味のご様子。どうぞご遠慮なく。風は早いもの勝ちです。渡部幹雄さんのメールは今や「アジト」からの日報レポートの様相。元気なのがなにより。
 他方で「風」に収録しないメールも幾つか頂いています。いい内容の便り「…できるだけ研究会にも足を運べるようにしたい…」のあと「個人メールで…」の指定とは残念! あるいは「…愚痴になりましたので掲載しないでほしい」と。もちろん風に載せませんが・・。お互い、元気がイチバン!
 3〜4月ですから、異動の季節、朗報もあり。強風の「春一番」を思わせるニュースも。そのうち、ご当人からご挨拶があることと思います。
 皆様から頂いたメール、いつもより掲載が遅れること、お許し下さい。

2402号【2010年3月20日】
★<遠き別れに耐えかねて・・・・>
 この1年、「風」はとくに3人の奇特・常連メンバーから熱烈な寄稿を頂戴してきました。本誌に載せきれず、岩本(レディング)伊藤(烟台)のご両所にはHP・特別室を用意したほど。
 そしていま3月末を迎え、本号所収の渡部「愛知川だより」のタイトルにあるように、「それぞれ岐路」に立つ別れの季節。島崎藤村の詩をかりて言えば、「悲しむなかれ、わが友よ、旅のころもをととのえよ」とうたうべきか。あるいは「別れといえば昔より この人の世の常なるを」と慰めるときか。いずれにしても、人生の分岐点に「風」が吹いてきたことは印象深いことでした。
 あいにく第2400号のアドレス帳更新の時期と重なりました。久しぶりの珍しいメンバーから、いま当方パソコンに長いメールが相次いで着信中。それを受けて連日・長文の「風」編集と発信の作業が続いて・・・、別れの酒を酌むべきときに、風に流され、やや吹き疲れています。岩本メールは(月末の離英を前に)「名残り尽きず・・・」とばかりに熱い来信、再び滞留が3本。これではまた一挙掲載となるかも。はたまた伊藤メールも載せきれず、これは次号まわしへ(ご了承を)。
 というわけで、本号(ぶ)欄はこのあたりで。

2401号【2010年3月19日】
<基地の移設は拡張なのか!>
 沖縄・普天間米軍基地の移設問題が風雲急をつげています。東京では「シンポジウム『普天間』―いま日本の選択を考える」が予定され(3月20日、風2399号に既報)、沖縄では今日(18日)、県議会の与野党各会派が主導して「普天間飛行場の早期閉鎖・返還と県内移設に反対し国外・県外移設を求める県民大会」を10万人規模で開催することを決定(4月25日午後、読谷村運動広場)。沖縄県内の各市町村長に参加を要請し、また経済、労働、市民、老人、婦人、青年団体など30余団体にも幹事団体への参加を呼びかけるとのことです。
 鳩山政権は3月中に移設先を示す方向らしい。「県内反対!国外・県外移設を!」の圧倒的な沖縄の声を無視して、名護キャンプ・シュワブ陸上案とともに、勝連半島沖のリーフ埋立て案が具体的に動いている模様。琉球新報の3月16日記事「1020ヘクタール人工島を提案 勝連沖案の概要判明」を読んで驚きました。本欄で「津堅島案の再浮上」ニュースを紹介(風2393号)したことがありましたが、むしろ平安座島へ渡る海中道路の先、宮城島や浜比嘉島の沖の膨大なリーフ埋め立て案のようです。埋め立て面積は辺野古案の約6倍とか。そこに3000m1本と3600m2本の滑走路を造る案。単なる移設ではなく、基地の積極的な拡張論ではないか! 同記事によれば「…地元経済界関係者から政府側に伝えられた」と。基地建設をめぐる利権の構図も見えてくるようです。
 本号も常連メンバーの相次ぐ寄稿で賑やか。長文ご容赦を。いま100号おきアドレス帳の更新中です。引き続き配信希望の方は急ぎご一報を。



                       

堀尾実≪冬の構図≫(1955)生誕100年展・画集表紙(20100207)