【南の風2005】発行リスト・末尾記事(ぶんじん日誌)
1501号〜1550号
【南の風2005】1501号〜1550号・発行一覧・目次
1501号【 7月22日】アジア文化交流センター、東京・江東区文化センター、データベース化とは
1502号【 7月24日】風への参加、沖縄・ゼミ合宿など、人形劇サークル「麦笛」
1503号【 7月26日】川崎のアルトナーレ、かごしまのNPO、全国集会「沖縄を囲む」集い
1504号【 7月28日】靖国フィールドワーク、島クトゥバで語る戦世、アーデル氏からのメール
1505号【 7月29日】アーデル・第2信、台湾原稿の翻訳、ベトナム報告会、新アドレス帳
1506号【 7月30日】川崎・富川市民交流会、杉並区長の危険な文書、宇部、社教主事講習の夏
1507号【 8月 1日】東アジア研究への関心、「韓国の本」は? 沖縄人民党の記録、千田さんへ
1508号【 8月 3日】南と北の出会いを、この夏の近況(名護)、ベトナム教育法の改正
1509号【 8月 5日】第110回研究会(ベトナム)報告、戦後60周年国際シンポ、夏休みの福岡
1510号【 8月 7日】
韓国生涯学習フェスティバル国際シンポ、福岡集会準備、原爆を許すまじ!
1511号【 8月 9日】島酒通信17号、安井資料整理マニュアル、杉並原水禁運動・朝日記事
1512号【 8月11日】北京より、広島短報、暑中お見舞い、韓国光明市へ、青木さんのレストラン
1513号【 8月13日】杉並の教科書問題−「つくる会」歴史教科書採択、夜間中学50年記念誌
1514号【 8月15日】訪米−無事帰国、沖縄に学ぶ済州島研究者、第10号原稿、少年Bの8月
1515号【 8月17日】信州の地酒、第10号原稿、伊江島平和映画祭、福岡「沖縄を囲む」会案内
1516号【 8月18日】風への参加、メールマナビン378、名護・雨がほしい! 埋め草の効用
1517号【 8月20日】小倉に生まれて、韓国より暑中お見舞い、旧盆「ウンケー」、ゴマさば
1518号【 8月21日】社会教育主事講習終了、「沖縄を囲む」会へ、女たちの戦争と平和資料館
1519号【 8月23日】9月韓国訪問計画、学びあいとまちづくり、戦場のベビー、台風11号
1520号【 8月25日】トロントの広島・長崎、古宇利島ムラ・シマ講座、第10号編集最終段階
1521号【 8月27日】第10号最終校正、鶴ヶ島市教育大綱、平安女学院大学問題、全国集会開幕
1522号【 8月30日】福岡集会より帰って、ヤギさん道草食って(伊是名)、油山「沖縄を囲む」集い
1523号【 9月 2日】全国集会に参加して、韓国訪問、沖縄の音楽学校・モンゴルに、松本資料
1524号【 9月 4日】地域通貨の動き(磯子)、旧日本軍の慰安所(上海)、タイムダラー
1525号【 9月 6日】指定管理者への応募、奈良へ就職、名護青年エイサー、町会の地域通貨
1526号【 9月 8日】韓日まちづくりシンポ、台風一過の沖縄、奈良より、再びタイムダラーについて
1527号【 9月 9日】横につながりあう地域施設、安井資料研究会、琉球弧を記録する会(NHK)
1528号【 9月11日】市民運動から指定管理者を(磯子)、和光小学校、二つの『ハンドブック』
1529号【 9月13日】九・一八の歌「松花江上」、嘱託職員募集(町田)、沖縄の衆院選報道
1530号【 9月15日】9・18記念講演会、記事訂正、選挙・歌の工房、111研究会
1531号【 9月16日】『東アジア社会教育研究』第10号刊行! 図書館前の大砲、烟台訪問計画
1532号【 9月18日】ソウルの交流懇親会予定、大都市の社会教育研究と交流のつどい、社教学会
1533号【 9月20日】参与連帯のカフェ(ソウル)、「しまくとぅばぬ日」シンポ、9月18〜19日の日誌
1534号【 9月22日】第111回研究会ご案内、与論島美術館閉館、編集委員の記載もれ(お詫び)
1535号【 9月27日】中国から帰って、韓国・平生学習フェスティバル参加、旅はよきもの
1536号【 9月28日】モンゴル族小学校開校、韓国訪問収受資料リスト、今年の夏の思い出
1537号【 9月30日】人間中心の平生学習社会、ソウルより風への参加、日本公民館の可能性
1538号【10月 1日】岡山市公民館職員配置、内モンゴル軍事演習、泡盛サミット、平生教育法
1539号【10月 3日】公民館の未来を語れ!(風1537号)を読んで、月刊社会教育600号祝賀会
1540号【10月 5日】韓国・平生教育法の改正論議、ガルトゥング氏講演会、金城次郎の壺
1541号【10月 7日】韓国平生教育法についての論議(2)、鹿児島と全州、床の間に古酒瓶を
1542号【10月 9日】中国訪問スケジュール、音楽通し日韓交流 平生教育の積極的定義
1543号【10月10日】京都・日本国際文化研究所へ、瀋陽・9月18日の満月、訃報あり
1544号【10月12日】社全協関西ネット、杭州への誘い、故加藤有孝さん、沖縄からの便り
1545号【10月13日】第111回研究会の報告、加藤さん追悼、メールマナビン400号!
1546号【10月15日】公務災害認定を求める運動、社会教育研究所、「枚方テーゼ」文献資料
1547号【10月17日】原水禁運動(安井家)資料研究会、終わらない心の戦争、ホームページ
1548号【10月19日】シンポ「靖国神社と追悼」、東京華僑学校訪問、『図書館ハンドブック』
1549号【10月20日】第112回定例研究会ご案内、金木犀の香り、小泉・靖国参拝の波紋
1550号【10月26日】茨城・鹿嶋からの報告、共謀罪への反対声明、烟台より、中国から帰国

再建間近の聖母教会(ドレスデン・050619)
*1451号〜1500号
★1551号〜次ぺ―ジ


南の風・末尾記事(ぶんじん日誌)

1550号(2005年10月26日)
★<中国から帰って>
 昨25日夜、予定の便で上海より無事帰国。各地で関係の皆様にいろいろとお世話になりました。御礼を申しあげます。今回の中国の旅、簡単な経過を記録しておきます。
 まず20日、青島へ。烟台日本語学校の皆さんに迎えていただき1泊。久しぶりに渡邊裕也君(風・前号)とも再会。元気そうで何より。
 21日昼に烟台着。午後は学校へ。2003年8月(開校式)に新入生だった学生たちが並んで歓迎。交流の席では、しっかりした日本語で自己紹介など聞くことができ、あらためてこの2年の歳月に思いを馳せました。5月から赴任していた伊波葉月さん(沖縄大学出身)はじめ日本人教師の皆さんにもお会いできました。
 22日の深夜便で小生以外の一行8名は北京へ。富美は韓民さんご一家にお世話になったそうで、有り難うございました。
 ぶんじんは23日に上海へ。呉遵民さんに迎えていただきました。夜は袁允偉さん、羅李争さんの二人と積もる話を。時間の経つのも忘れて。
 24日は早朝に車を飛ばして、杭州育華学校(風1544号)へ。呉さんの通訳で講演。まずまずの成果か。杭州はいい季節でした。茶畑でのむ龍井茶もまた格別。
 25日帰国当日。朝突然に(連絡していなかった)朱榴芳さんから電話あり、東京学芸大学留学当時の思い出話をしながら、浦東空港まで見送っていただくことになりました。
 “桃杏満天下”とはこのことか、皆さんに囲まれての6日間でした。この間にいろんなトピックスあり、いずれ折りを見て書くことにいたしましょう。とくに呉さんからは、新上海本の原稿のこと、くれぐれもよろしく、とのことでした。

1549号(2005年10月20日)
★<小泉・靖国参拝の波紋>
 昨日「静かな夜を・・・」などと書きながら、今日また慌ただしく夜の風をお送りして、申しわけありません。石倉祐志さんから次回の定例研究会の「ご案内」が届いたのです。中国出発前に配信したくて連夜の風となりました。
 今回の中国への旅は、参加者が増えて一行9名となりました。皆さん「風」メンバーではありません。青島→烟台→北京というコースですが、小生のみ烟台で一行と別れて、上海へ。25日夜に帰国の予定です。
 伝えられるところでは、小泉・靖国参拝の波紋は思いのほか各地に拡がっている模様。20日午後に到着予定の山東省青島市では、ちょうど開催されている日中交流行事「青島ジャパン・ウィーク」が内容の変更や報道抑制を強いられているそうです。谷村新司・交流プログラムは会場の青島大学側が敬遠して、市内の高校に場を移すとか。私たちが泊まるホテルでは「林家正蔵の落語会」が開かれる予定と聞きましたが、どうなることやら。
 朝日新聞(19日朝刊)によれば、広東省広州市の「日中友好文化イベント・日本芸能の夕べ」は警察当局から「開催を許可しない」と中止を命じられたようです。このイベントには日本から永六輔、小沢昭一、柳家小三治等の各氏が登場し、日本語を学ぶ中国の地元学生も参加する予定だったとの報道。
 ところで、青島市(中国海洋大学)には、和光大学・小林プロゼミの最後のメンバーだった渡邊裕也君がいま留学中です。彼から来たメール。
 「昨日、空港でお待ちしたいとお伝えしましたが、学校の都合で行けなくなってしまいました。三時ごろには終わる予定です。現在、青島に住む身として空港でお出迎えしたかったのですが・・・申し訳ありません。僕の方も終わり次第ご連絡いたします。楽しみにお待ちしております。」(Tue, 18 Oct 2005 15:54)

1548号(2005年10月19日)
★<『図書館ハンドブック』>
 日本図書館協会の『図書館ハンドブック』第6版が本屋に並んでいます。第5版(1990年)から15年ぶり、待望の刊行。ケース入りの上製本、650頁余で定価5,000円、いい本づくりです。さすが日本図書館協会!という感じ。
 社会教育推進全国協議会(社全協)編『社会教育・生涯学習ハンドブック』(エイデル研究所)第7版も、ケースこそないけれど、内容ぎっしり、750頁で4,700円。これもいい本づくり、価格でも『図書館ハンドブック』に負けていません。
 石川敬史さんから話に聞いていましたが、『図書館ハンドブック』の年表が圧巻。日本編(明治以降)と外国編(1800年以降)から成り、前者が56頁、後者は41頁、年表の合計97頁。日本編のほとんどの項目が当該年だけでなく、月日まで記載されています。索引も和文索引21頁と欧文索引 7頁あり。
 いま近刊『公民館・コミュニティ施設ハンドブック』(エイデル研究所、12月予定)刊行に向けて追い込み作業中、それだけに『ハンドブック』という本が気になります。新しい『ハンドブック』はどんな出来映えになるのか楽しみ。
 本の話題をあと一つ。なかなか手に入らない『民衆と社会教育―戦後沖縄社会教育史研究』(小林・平良編、エイデル研究所刊)がいまアマゾン(ユーズド商品)に出ています。6,000 円前後の値段。『公民館史資料集成』(横山宏・小林文人編、同)はいまほとんど姿を見せず、すっかり稀少本になりました。
 20日早朝より中国へ。いまパソコンを持参しない方針なので、1週間ほどのご無沙汰になります。静かな夜をお過ごし下さい。

1547号(2005年10月17日)
★<ホームページのこれから>
 TOAFAEC のホームページ、技術的には進歩なし、頁数(量)は拡大してきたものの、質的にはいささか恥ずかしいものであることは充分に自覚してきたつもり。
 それでも若い世代に伍して頑張ってきました。多少でも評価できるとすれば、なにより手づくりであること、機動性をもってほぼ隔日=確実に更新してきたこと。案外と来客者の数も増えて「お気に入り」で愛読?している方もあり、それに励まされつつ、今日まで命ながらえて・・・。
 「ホームページの自分史」は、TOAFAEC 創設から2年後の1997年6月に旧ページをオープン、そして2003年に現サイトへ引っ越し。その時点で来訪者カンウンターは約2万人でしたが、この2年の間になんと約3万人(延べ人数)のアクセスがあり、いまや5万人の大台に近づいています。この数にも励まされます。拙いページにもかかわらず、わざわざ開いていただく方々に、まずは、感謝!
 ところが、これまでの資料・画像を記録としてHPにそのまま残してきましたので、ディスク容量が増大し、サーバー(so-net)最大50MBの限度に近づきました。いま何らかの判断を迫られています。古い記録を削除するか、新しいデーター収録を停止する(HP更新をやめる?)か、別のサイトをあと一つ開設するか。少なくとも1ヶ月以内での決断が必要となりました。
 いまの(自己満足の…)TOAFAEC ホームページが、いったいどの程度のお役にたっているのか、「南の風」の評価にも関わって、皆さんの率直なご意見を伺いたいところ。50MBの蓄積に到達したのだから、このあたりで収束するというのがもっとも楽な選択かも。しかし連動して「南の風」のこれからにも関連するところあり、思案のしどころ、なのです。
 いまホームページ表紙の写真には、韓国「平生学習」の躍動を象徴するような画像、第4回平生学習フェスティバル・開幕(光明市、9月23日)ステージの華やかな一場面、を掲げています。

1546号(2005年10月15日)
★<「枚方テーゼ」について>

 いま、日本公民館学会編による最初の著作『公民館・コミュニティ施設ハンドブック』(執筆者延べ110 人余、エイデル研究所)の最終仕上げの段階。その合間に、編集担当のエイデル・山添路子さんから「枚方テーゼ」に関する文献情報を、というメール(上記)が来ました。
 「枚方テーゼ」とは、枚方市教育委員会による「社会教育をすべての市民へ」(1963年)の主として冒頭部分(通称)。もう若い世代はほとんど知らなくなった。あらためて問い合わせがくると、なんとか応えたくなりますね。山添さんに送った返報メール。
 「…枚方テーゼについては、たしかに“解説”的なものが少ないようですね。最近の生涯学習についての教科書風の書物も多いが、枚方テーゼについてはほとんど触れていない。
 比較的に新しいものとしては『枚方テーゼの今日的意義』(社会教育研究所双書第7集、1993年)があります。「社会教育研究所」というのは枚方で活動してきた研究団体、この第7集(枚方テーゼ30周年記念、社会教育研究所10周年記念号)は大前哲彦さんが中心になって編集・刊行されたものです。小林も寄稿を求められた経過がありますが、締切までに書けなかった記憶があり、よく覚えています。確かこの双書の第1集は、枚方テーゼそのものの複刻版。いま在庫があるかしら?
 また、津高正文編『戦後社会教育史の研究』(昭和出版、1981年)には、井上英之さんが「枚方テーゼ」について包括的な分析・解説を書いています。残念ながら、(昭和出版はすでに存在せず)この本は全く入手できません。」
 大前さんから「社会教育研究所」の紹介を含めて、「枚方テーゼ」文献についての一文を寄せていただけませんか。
 付記:大前哲彦さんから早速のご返報をいただき、有り難うございました。なお上記のほかに、いち早く枚方テーゼに注目した小川利夫氏他「地域民主主義運動と公民館」(月刊社会教育1965年9月号)『公民館と社会教育実践』(小川利夫・社会教育論集第6巻、亜紀書房、1999年、所収)を忘れるわけにはいきません。

1545号(2005年10月14日)
★<「メールマナビン」400号!>
 このほど「メール・マナビン」が400号を迎えました(10月7日)。あめでとうございます。発信者は伊東秀明さん(横浜・磯子)。400号には「お礼!これも読者の皆様の励ましの声があったればこそです!ありがとうございます」とのご挨拶。
 「メール・マナビン」とは「“学ばんとほっす”人たちのためのメール・マガジン」のこと。創刊は2002年後半か(手もとのファイルには第11号が残っている)。磯子の「学ばんと欲す」市民・グループを横につなぎ、さまざまの学習情報を送り続け、e-mailを活用して仲間づくりに挑戦されてきました。
 その頃、ぶんじんは「南の風」と並行して「公民館の風」を発行していました。沖縄・東アジアだけでなく、公民館・社会教育の研究交流の通信ネットワークの試みでした。「南」は1998年初春、「公民館」は1999年初秋の創刊。当時はまだメール・アドレスをもつ人の方が少なく、送信先を開拓しながらの一人旅。風は双方向に吹く、という一つの原則だけを大事に誌面づくりに腐心していた頃、伊東さんにも「公民館の風」が届いていたのです。風の「双方向」発想をもとに横浜・磯子で「メール・マナビン」発行を始められたそうです。
 それだけに400号達成がことのほか嬉しい。「公民館の風」は「南の風」が1000号となった機会に休刊しましたが、最終号は395号(2003年2月)。今これを超えて「マナビン」の新たな歴史が綴られていくのですね。ご承知のように旧「公民館の風」も、その潮流は萩原周子さん、そして佐藤進さんに継承され、新しい「公民館の風」が吹き続けています。
 この種の通信発行は楽しくもあり、ときに苦しくもあり、そんなときに救いのメールが届くと、思わず歓喜の歌をうたいたくなるほどの喜びあり。「南の風」が何号まで続くか、送信者本人も分かりませんが、若々しい「メール・マナビン」、これからも順調な旅が続くことを祈っています。

1544号(2005年10月12日)
★<沖縄からの便り>
 この間、沖縄から届いている便りいろいろ。平田大一さんが、TAO(タオ)ファクトリ−(有限責任中間法人)を設立したとのこと。「沖縄の将来は、古琉球以来の伝統ある文化の再興にかかっています。文化は地域を元気にし、教育を変革する力を秘めているからです」と。
 一枚のポスター。「月桃の花」歌舞団(第19回)公演「愛の三線物語−イラク・非武という勇気」(11月25日19:00 開演、東京・牛込箪笥区民センター)。海勢頭豊さんが「マブイを歌い続けてきたこのコンサートは、19年年目にして“月桃の花”歌舞団が名実ともに主役を演じることになります」と書いています。「マブイ」とは真振り、こころ。市ヶ谷の自衛隊前のイラク派兵反対反戦グループでも配っていました。
 私たちの研究会は、まだ戦後沖縄社会教育研究会と称していたころから、海勢頭コンサートの第1回からの応援団でありました。
 沖縄といえば、そのうちモンゴル留学生による馬頭琴演奏・コンサートを実現したい思いあり。大草原の大地の歌を沖縄の蒼い海原に向かってうたう企画。海をもたない草原の若者たちがサンゴの磯で泳ぐ夢。プロデューサーとして今年の夏もこの企画を具体化できませんでした。期待しているタグタホなど留学生の皆さんも忙しそうだし、当方もゆったりとした余裕の時間をもてず、申し訳ありません。10月も半ばとなって、今年も沖縄の海を楽しむ季節は過ぎていきますね。
          ◇       ◇
 11日昼は、加藤有孝さんの告別式でした。式場は永福からは散歩の距離、心なしか、いつもの風景とは違った感じの道を歩いて帰りました。

1543号(2005年10月10日)
★<加藤有孝さんを悼む>

 何人もの方々から加藤有孝さんの入院、そして今日、急逝のお知らせが届きました。暗然たる思いです。本号は明晩発行の予定でしたが、お通夜や告別式の案内もあり、急ぎ配信いたします。
 福生市公民館松林分館・加藤有孝さんの仕事ぶりはいつまでも忘れることがないでしょう。ひたすらに、一すじの道を歩み続けてこられた生きざまは、あの笑顔とともに、いまもあざやかに脳裏に焼きついています。ご冥福を祈るのみ。
 私にとって思い出深い文章は、『これからの公民館−新しい時代への挑戦』(小林編、1999年、国土社刊)に執筆された「三多摩テーゼ二五年を経て−福生市の小さな公民館実践の積み上げ」。文字通り“小さな”公民館の取り組み、そこには、地域に開かれ地域を支えていこうとする“大きな”挑戦がありました。公民館の運営方針から始まって、多面的な公民館実践を書き進むうちに、「一人から始まった識字学級−言葉の会の一三年」の記述に及んだところで、予定された紙数がいっぱい。外国籍住民や被差別部落の事例ではない、地域の内なる識字学級の稀少な取り組みは、わずか十行で終わっています。
 遅れて頂いた原稿は、書き直す時間的余裕がありませんでした。「この最後の識字学級の部分をもっと書きこんでほしい」という編者の注文は遅きに失し、「次の機会に書きますよ」という会話を交わしたことを憶えています。その機会は永遠に失われてしまいました。

1542号(2005年10月9日)
★<「平生教育」の概念>
 7日夜は第111回定例研究会。ご案内の通り、先日の韓国・第4回平生学習フェスティバル訪問の報告会でした。主報告の金侖貞さん、副報告の小田切督剛さん、伊藤長和さんともに、詳細なレジメを用意され、現代韓国・平生(=生涯)学習の動向を本格的に論議する久々の研究会となりました。
 福島から浅野かおるさんが初めて出席されました。また久しぶりに谷和明さんや岩本陽児さんの顔もあり。このようなメンバーで、韓国・平生教育・平生学習にテーマをしぼった研究会を継続的に開けないものかと思いました。出された論点や課題は、興味深いものがあり、当然のことながら、一夜ではとても論じつくせない。
 論点の一つは、平生教育の概念、あるいは旧来の社会教育との関係について。この問題は、韓国・平生教育学会がいま論議している「平生教育法」改正問題にも関連(南の風に李正連さんが紹介)しています。研究会ではそこまで議論が及びませんでしたから、ひとこと追記しておきたくなって・・・。
 現行の韓国・平生教育法は「“平生教育”とは学校教育を除くすべての形態の組織的な教育活動」(第2条・定義)と規定しています。これは旧来の社会教育法の控除的な定義の仕方と同じ。
 控除的な定義は必然的に消極的になってしまう。いま提案されている平生教育法改正案の領域定義では、次のように積極的な内容となっていることが注目されます。
 新設条項案・第4条の1(平生教育の領域)「平生教育は、成人基礎教育及び文解教育、市民教育、職業能力開発教育、文化芸術教育、地域社会教育等を含む。」
 ちなみに「文解教育」とは識字教育、「地域社会教育」は地域の社会教育ではなく、コミュニテイ(地域社会)教育のこと。

1541号(2005年10月7日)
★<床の間にクースガーミを>
 今年の夏は沖縄に行く機会なく、すでに10月となったのにまだ次の訪沖日程が決まっていません。4月末に沖縄・台湾と動いて以来、すでに半年が経過しました。なぜこんなに余裕がないのだろうと自省しきり。思えば昨年9月には下肢断裂にもかかわらず石垣・平久保を訪問したというのに。
 といっても8月の福岡(全国集会)で、名護の皆さんとの濃密な2日間がありましたから、そんなにご無沙汰・・・という感じではありません。名護・源河の里に復活したアユを賞味する旅企画が浮上した経過あり、下記の泡盛サミットに合わせて「やんばる」めぐりの旅を・・・と考えていました。ところが、10月20日からの烟台(山東省)行き計画が急に具体化し、日程が重なってしまって、泡盛サミットへの参加も無理に。山原島酒之会の会員なのに。会長の島袋正敏さん、申しわけありません。
 昨日、スローガン「すべての家庭の床の間にクースガーミを」を掲げた「泡盛サミットin 名護・山原2005」(10月22〜23日、名護市民会館、風1538号に琉球新報記事)のポスターが届きました。クースガーミとは古酒瓶のこと。いいカメの写真! 撮影は「大国林道」かな、そうじゃないな、誰かの秘蔵の古酒蔵らしいぞ、正敏さんのお宅か、などと想像をたくましくしています。

1540号(2005年10月5日)
★<金城次郎さんの壺>
 前号に続く・・・。塚原恵子さんが「月刊」編集実務を担当されたのは、私の次の編集長・酒匂一雄さんの時代ですが、編集長交代前後に塚原さんにご負担をかけたことがありました。たしか、数号の編集はご一緒に仕事したのかな。もう30年ほど前のことです。
 その頃はちょうど沖縄研究を開始したばかり、毎月1回の頻度で沖縄行きを敢行していた頃。読谷村「やちむんの里」金城次郎さんの窯で、あの独特の魚・エビの壺、名品一つを頒けてもらって、抱いて持ち帰り、塚原恵子さんに差し上げたことがありました。
 寡黙な金城次郎さんの横で、奥さんが「いつも使ってもらいたいので、桐の箱などには入れませんよ」とおっしゃって、古新聞にくるくると包んでいただいたのが印象的。同じセリフで私も塚原さんに壺をお渡したのでした。「やちむんの里」には上地武雄さん(当時、読谷村・社会教育主事)が同伴されていたためか、たいへん安くして頂きました。そのうちにまた機会があるだろうと、名品購入は1個だけ、自分のものは小品一つ。そんなことを妙に憶えています。
 当時、塚原さんは渋谷で個展を開かれ、ご案内をいただき立ち寄ったところ、けんらんたる花の絵を頂きました。いま永福の部屋に飾ってあります。(まてよ・・・絵を頂いたから、壺を差し上げたのかな? 記憶に自信がなくなりました。)
 その直後から、金城次郎作品は驚くほど高価に。その後は人間国宝に指定され、ますます手の届かない価格になりました。しまった! あのとき一緒に、無理をしてでも壺をあと一つ入手しておけばよかった、と悔やんでも後の祭り。
 先日、塚原恵子さんから新しい画集を送っていただき、ふっと金城次郎の壺を想い出したばかり。そして、1日夕の月刊社会教育「600号」お祝いの会で、久しぶりの再会となった次第。

1539号(2005年10月3日)
★<「月刊社会教育」600号お祝い>

 10月の暦がはじまりました。朔日の夕べは「月刊社会教育600号記念祝賀会」。「編集協力」員なのに、ふだんはほとんど役立たず、新年会などにも(いつも東京を離れていて)出たこともなく、まったく久しぶりの「月刊」の会でした。若い編集メンバーは案外と少なく、挨拶や発言も若くない?世代からの方が多かったようです。
 国土社の丸山さん(社長)と相席となり、30年前の苦労話に花が咲きました。小林は1973年6月号から2年余り編集長。当時の国土社社長・故長宗泰造氏に挨拶にいくと、あまり部数が伸びない「月刊社会教育からは手を引きたい」と。これがつらくて・・・その後に社長と会うときは、国土社と長い信頼関係にある北田耕也さんに同道してもらったり。2年余の経過のなかで、幸いに着実に部数が伸びて「手を引く」話は出なくなりました。新しく「臨時増刊号」(1974年)も実現。丸山社長は(その頃は営業担当か)この間の経過をよく憶えておられて、文字通りの懐旧談となりました。
 月刊社会教育600号(10月号)には、現在の小林(繁さん)編集長より寄稿を求められ、「読者との双方向の流れを」と題して、次のような一文を送りました。
 「私は200号(1974年7月)当時の編集長でした。記念パーティを含めて、昨日のことのように憶えています。この年、全国集会の躍動を土台に「臨時増刊号」が誕生、部数も上げ潮。わずか2〜4頁ながら読者の自由投稿欄「ろばた」があり、加えて「ひろば」(何でも紹介、案内、交流、お尋ね欄)2頁が始動、いずれも好評でした。しかしいつの間にか姿を消しました。月刊編集と読者との双方向の流れを復活できないものでしょうか。」
 お祝いの会では、懐かしい方との再会あり。たとえば「月刊」編集の実務を一時期担われた塚原恵子さん(鶴ヶ島市在住)。最近、画集を送っていただき、あるエピソードを想い出したばかり。これは次号で。
 600号お祝いの会参加者の記念写真と、北田耕也さんの横顔をHPにアップさせていただきました。

1538号(2005年10月1日)
★<韓国「平生教育法」改訂の動き>
 韓国での発表は、要点レジメではなく、報告全文を用意する習わしとなっているようです。はじめての講演(1980年、「日本の社会教育法について」、韓国社会教育協会、扶余)では、レジメさえ用意せず資料のみ、赤面した思い出があります。次の機会は、日韓社会教育研究交流会議(1992年、大邱)の報告、このときはやっとレジメをつくって参加しました。故小沢有作さんや笹川孝一さんが一緒でした。その後に2度ほど講演の機会がありましたが、レジメのみ。報告全文を作成したのは今回が初めてです。
 日本語原稿のハングル訳は、小田切督剛さん(川崎市)、そして当日の通訳は、金侖貞さん(東京大学大学院)、にお願いすることができました。改めてここに記し、御礼を申しあげます。
 今回の韓国訪問の写真を手打明敏さん(筑波大学)や小田切さんから送っていただきました。有り難うございました。手打さんや小林の写真を挿入して、「南の風」記事をもとに第4回韓国平生学習フェスティバル「参加記録」としてホームページにアップしました。ご覧下さい。伊藤長和、手打明敏、小田切督剛の皆さんの「風」寄稿の一文も。もし控えるべきものがあれば、ご一報を。
 全国平生学習フェスティバルの期間中・24日午後に、興味深い集いが開かれていました。KYX(新幹線)光明駅内のホールを会場として、韓国平生教育学会の主要メンバー(約200人)により「平生教育法の改訂」問題が論議されていたのです。熱のこもった雰囲気。法成立からようやく5年、どんな改訂の方向が出されているのか、興味あるところ。当日の発表資料から、その経過や主要な論点などを紹介していただけないか、と出席されていた李正連さん(公州大学非常勤講師)にお願いしてきました。楽しみにしています。どうぞよろしく。

1537号(2005年9月30日)
★<日本の公民館を考える−二つのこと>

 前号の続き。すこし長くなりますが、お許しを。
 韓国(第4回)平生学習フェスティバル・国際シンポジウムへの報告をどう書くか。8月中旬、「市民たちはどのように学んできたか−日本の社会教育・公民館の歩みを通して−」と仮タイトルを設定して、二つのことを考えていました。一つは韓国のこと、もう一つは、もちろん日本のこと。
 韓国の方々の「日本の社会教育」「公民館」についてのイメージは、概して厳しい評価が多いように思われます。おそらく戦前の日帝時代の歴史認識が背景にあるからでしょう。日本「社会教育」は、国家の比重が大きい、行政主導の流れだ、受け手としての市民、そんなイメージでしょうか。公民館についても、全国的な普及・定着の事実を評価しつつも、質的な水準についてはあまり評価されない。社会文化運動の視点からは、「日本の公民館制度は、結局、失敗だったのではないか」という批判を伝え聞いたこともあります。
 韓国「社会教育法」(1982年)があまり機能しなかった経過も重なって、「平生教育法」制定(1999年)の際に(台湾と違って)社会教育法を廃止したことなども、「社会教育」に対する否定的イメージを感じさせたのでした。
 たしかにある側面の事実を鋭く衝いているかも知れない。しかし誤解もある。社会教育における「自治体」「行政」の積極的な役割についてあまり認識がない(歴史的な経験がない)。市民主導の参画・実践・運動を含めて、トータルな視点から日本の公民館の実像を伝えたいという思いがありました。住民が学ぶ拠点としての公民館の可能性を語ってみたいと。
 あと一つは日本の、最近の公民館をめぐる政策批判の論調について。自治体経営改革や指定管理者制度などについての厳しい分析と評価(もちろん大事な作業)は、論議が深まれば深まるほど、公民館の展望を暗くしてしまっている。厳しい追及が、公民館の未来を悲しませることになってはならない。もっと市民の視点から、実践・運動の事例を通して、公民館の可能性を画き出していく必要がある。実際に未来に向けて公民館イメージを実像化している自治体は少なくないのに。
 そんな思いで、韓国の地で、日本の公民館の可能性を実証的に報告してみようと考えたのでした。紙数・時間に制限あり、不充分な点が残りますが、今年の夏、私の一つの挑戦でした。シンポ・テーマ「未来に向けての約束」というメッセージに励まされるところがありました。このような機会を与えられたことに感謝しています。
 小田切督剛さんのコメント有り難うございました。もし小林報告(日本語版)をご希望の方はご一報下さい。お送りします。

1536号(2005年9月28日)
★<韓国平生学習国際シンポへ−夏の思い出>

 まずお詫び(本欄は最近お詫びが続き申しわけない)。今回の韓国訪問の前号記事のなかで、金侖貞(キム・ユンジョン)さんのお名前が間違っていました。「侖」の字が「命」となっていました。お詫びします。金侖貞さんは次回研究会(10月7日)の報告者、HP案内記事も訂正しました。
 ところで、今回の韓国平生(生涯)学習フェスティバル国際シンポジウムへの登壇については躊躇するところがありました。何よりも、日本からの発言はもっと若い世代にお願いした方がいいと思いましたし、あと一つ、基調講演E.カーン博士(アメリカ、タイムダラー創設者)との関係から言えば、地域通貨についての知見や経験をもった人にお願いすべきではないかと思ったのです。これは余計な心配だったのですが。
 小田切督剛さんを通して、正式の招聘状をいただいたのは8月初旬。下旬には発表内容をきちんと文章にして、小田切さんにハングル訳をお願いしなければなければならない。急ぎの日本公民館学会『ハンドブック』や朝倉書店『辞典』づくりの仕事もかかえているし、困ったな、という気持が正直のところ。今年の8月は暑い夏となりました。
 しかし、引き受けた以上は・・・なんとか期待に応えなければならない。与えられたテーマは、「日本の市民社会での人的資産開発が持つ意味と地域革新」(仮題)、これにどう迫るか。韓国でいまさかんに使われている「人的資源開発」という言葉にもひっかかるものあり。
 思案投げ首の数日。結局、日本の公民館の問題から主題に応えてみようと。主として、二つのことを考えていました。脱兎のごとく書き上げて、誤字・脱字などそのままの原稿を小田切さんに送って、福岡(全国集会)へ。二つのこととは・・・、長くなりますので、次号へ。

1535号(2005年9月27日)
★<旅はよきもの>
 韓国へ9月22日出発、26日帰国の羽田−金浦便で、予定通り、昨夜帰ってきました。今回もパソコンを持参しませんでしたので、風は5日間のご無沙汰。皆さんは静かな夜?を過ごされたのでは。この程度の間隔での「風」の吹き方が本来いいのかも知れませんね。しかし留守中に頂いているメールあり、また韓国行きもいろいろと話題満載。また隔日原則で吹き始めることになりそうです。ご容赦ください。
 韓国に出発する前に『東アジア社会教育研究』第10号の編集委員記載漏れについて「お詫び」(1534号)を書きましたが、留守中に「末本です。了解しました。大したことではありませんので、気にしないでください」とのメール(Thu, 22 Sep 2005 14:24)。石倉祐志さんにも転送しておきました。「末本さんの返事、ほっとしました」との返事。
 韓国へ持参した第10号・10冊(江頭晃子さんが修正シールを貼ったもの)は、伊藤長和さんとともに執筆者に渡し、関係機関等に贈呈してきました。*残りの10号の修正シール貼付作業、皆でやりましょう。
 今回の韓国の旅は、光明市で開かれた「第4回・全国平生(生涯)学習フェスティバル」への参加、合わせて富川(ぷちょん)市の生涯学習センターや住民自治センター・文化の家等を訪問しようというもの。フェスティバル開幕当日に開かれた国際シンポジウムには小林が招聘され、日本の公民館について報告するという機会に恵まれました。
 同行は、川崎から伊藤長和、小田切督剛のお二人、手打明敏(筑波大学)、浅野かおる(福島大学)、金命貞(東大大学院、小林報告通訳)の皆さん、たいへんお疲れさまでした。
 また25日夜の韓国本・最終編集会議(コアメンバー)には、魯在化夫妻、孔秉鎬、李正連、肥後耕生等の皆さんが集まっていただきました。何よりも韓国の新しい友人たちと出会い、国際シンポでは同じ壇上でE.カーン博士(コロンビヤ大学教授、地域通貨タイムダラー創始者)の謦咳に接し、また金信一氏(ソウル大学)をはじめとする韓国・平生教育学会関係の主要メンバーとも会うことができました。旅はよきもの。 
 いまホームページに数枚の写真を入れたところ。手打さんからは早速「参加体験談」を寄せていただきましたが、他の皆さんからも感想・記録など送っていただければ幸い。

1534号(2005年9月22日)
★<誠に申しわけない!>
    −『東アジア社会教育研究』第10号・編集委員の記載もれ−
 第10号編集委員会一覧に大きなミスがありました。編集委員であると同時に、TOAFAEC 発足当時からのメンバーお二人、末本誠、平良研一、のお名前が脱落していたのです。まったくのケアレスミス、しかしまことに大きなミス、お詫びの言葉もありません。
 時間に追われながらの作業、それだけに校正をきちんと・・・などと話しあいながら、作業は順調に進んだはずだったのに、うっかり見落してしまったのです。やはり落し穴はあるもの。お二人のご寛恕を乞うほかありません。第10号完成のお祝いの気分も、このミスが発見された昨夜から、ショボンとしています。
 その上、「風」前号で書いた手打明敏さんの件は、実は小生の勘違い。手打さんはTOAFAEC の(今年度からの)新理事として参加いただいたのでした。編集委員会一覧に名前がないのは当然のこと(ホームページ役員一覧の頁に記載あり)、これはミスではありませんでした。ということは、ぶんじんは、校正ミスと勘違いミスの二つの失敗をおかしたわけで、なんとも申しわけない。この勘違い・早とちりが、末本・平良お二人の名前脱落の発見につながり、ご本人からのご指摘の前に、せめてお詫びを申し上げることができた、などと言っても言い訳にならず。
 21日午後、江頭晃子さんが編集委員名脱落の部分に修正シールを貼って永福まで運んでくれました。手際のよさ、段取りの速さ、に驚いています。気を取り直し、この修正本を持参して、22日からの韓国の旅へ出かけます。    

1533号(2005年9月20日)
★<9月18〜19日の日誌>
 この4日間、学会とそれに続く「大都市研」参加のため、千葉に通いました。いまから40年ほど前(新婚?時代)津田沼に2年ほど住んでいたことがありましたから、総武線は通いなれた線路。ところが、この間の都市開発は驚くものがあり、地域の相貌一変、総武線の快速が早いこと早いこと、居眠りする暇もなく、あっという間に千葉へ着きます。それでも毎日の千葉通いは少々疲れました。
 先号からの続き、(すこし長くなりますが)日誌風にいくつかの記録。
 18日(この日は九一八・記念の日、今年は旧八月の満月)学会の昼食時を利用して『社会教育・生涯学習辞典』編集委員会。この辞典企画はこれまで「風」に書いてきませんでしたが、3年前から話が始まりました。準備をすすめて、昨年の学会大会(同志社大学)の会場で編集委員会のたち上げ。この1年、項目の精選吟味を重ねて、ようやく執筆者依頼の段階にまで到達したという経過です。版元は朝倉書店。社会教育の領域では(事典は別にして)本格的『辞典』としては初めての試み。そのうち関係各位にご執筆のお願いを差し上げる予定です。その節はご協力のほど、よろしくお願いします。2年後の刊行をめざしています。
 同午後から夜、そして翌19日夕まで、第28回「大都市社会教育・研究と交流の集い」(会場・千葉市生涯学習センター等)。28年間もよくぞ続いてきたもの。去年の事故(大阪地下鉄で、下肢断裂)を想い出し、パソコンはもちろん持参せず、この日、心に言い聞かせて、とくにゆっくり、ゆっくりと歩むようにしました(実は疲れもあった)。会場では黙って座っているだけにしようと思いながら、ついしゃべってしまった。まだまだ修行が足りない。
 撮るまいと思っていた写真も、ついシャッターをおしていました。誰に了承を得ればいいのか分からないままに、記録として2枚ほどHPにアップ。もし関係の方で控えるべきだとのご意見があれば、すぐに下ろしますので、ご一報を。
 会場の千葉市生涯学習センターでは、長沢成次さん(千葉大学)に案内いただき「調査・資料室」をみせてもらいました。驚き!見事なコレクションです。たとえば試みに「ぶんじん」名で探すと29件のヒット。いま入手できない『民衆と社会教育−戦後沖縄社会教育史研究』も含めて、ほぼ全部ありました。『公民館史資料集成』(エイデル)は見当たりませんでしたが・・・。
 往復の車中、時間をみては新刊『東アジア社会教育研究』第10号を開きました。やはりミスあり。編集委員会一覧のなかに大きな脱落。次号であらためてお詫びしなければなりません。TOAFAEC ホームページ「編集委員会」一覧のなかには間違いなく明記しているのですが・・・まことに申しわけない。

1532号(2005年9月18日)
★<日本社会教育学会>
 9月16日から社会教育学会(第52回、千葉大学)が始まりました。久しぶりに(学会だからこそ)会える人あり、やはり懐かしいものです。
 『東アジア社会教育研究』第10号も見事に間に合いました。会場に座り、片方の耳で発言を聞きつつ、心は第10号へ。目次から「あとがき」まで目で追いながら、ひたすらページをめくっていました。どこかにミスはないか、落丁はないかと。雑誌や本の編集のなかで、いつの間にか身に付いた悲しき習性。
 全く(と言っていいほど)ミスはなし。有り難う! 石倉さん、江頭さん、ご苦労さまでした。私たちの『研究』年報が創り出してきた独自の世界、手づくりの作風をあらためて実感。自画自賛!
 伊藤長和さんは、この夕べにビール解禁(魯在化さん歓迎)。入院加療中に蓄えられた?アゴ髭がなかなかの風格。もうすっかり回復されていますが、歩きはまだゆっくりのようです。
 魯さん歓迎に合わせて、第10号完成の祝い(石倉さん、江頭さんのささやかな慰労)と伊藤さんの全治祝いの、乾杯でもありました。
 翌17日は、自由研究発表と総会・懇親会。今年は発表数が多く、いまや社会教育学会も大規模学会となりました。発表・司会の皆さん、ご苦労さま。江頭さんはこの両日ともに司会をして大活躍でした。
 新しい会長は佐藤一子氏(東京大学)が選ばれました。学会としては初めての女性会長です。

1531号(2005年9月16日)
★<烟台・北京への旅・お誘い>
 張林新さんが2003年8月に創立した烟台(山東省)日本語学校、その後本格的な学校づくりが進行中です。今年は中国の反日騒動の影響もあり、また新入生の増加に伴う施設建設の課題もあり、いろいろ苦労があるようです。いい学校に育ってほしいと期待するところ大!
 ぶんじんは名誉校長として、2003年8月の創立式典に出席。その年の11月下旬にも烟台を訪問(山東省ウエイバンに滞在中の韓国・黄宗建さんとも再会)しました。しかしその後は機会なく、心ならず2年近くもご無沙汰しています。昨年12月、福建から北京への旅程でも、烟台まで足をのばす元気がありませんでした。今年もまた忙しくて・・・。
 かねて烟台より強い訪問要請あり、10月に中国(烟台)行きを計画しています。昨日、張林新校長と具体的な日程を協議(電話)。10月20日に成田より青島(1泊)へ、そして烟台(2泊)、北京(2泊)へ、10月25日成田へ帰国、というスケジュールです。
 主な目的は、もちろん烟台日本語学校の訪問ですが、同行希望のメンバー(目下5人)のなかに、中国行きは初めてという方あり、往路に青島、帰路に北京のコースを入れることになりました。経費はホテル等を含めて12万円を超えない範囲で。細かなことはこれから決めていきますが、日程(10月20日〜25日)は確定しました。
 訪問あり交流あり観光ありという旅の企画。もし関心をおもちの方があればご一報下さい。初めて中国へ行ってみようという方にはお薦めかと思います。企画・案内役の張林新さん、どうぞよろしく。

1530号(2005年9月15日)
★<111研究会>
 私たちの定例研究会、いつも月の終わりの週の金曜日。しかし、9月は下旬の韓国訪問等のスケジュールが重なり、変則的に10月初旬(7日)の開催となりました。
 あと一つご了承を頂きたいこと。南の風1527号で予告した平井教子さん(鶴ヶ島市教育委員会)の報告は、都合により1ヶ月延期して、11月4日(金)、第112回研究会としてお願いすることになりました。
 というわけで、次回・TOAFAEC(第111回)研究会は、次の通りとなります。ご予定下さい。
○日時:10月7日(金)18:30〜20:30
 内容:韓国・光明〜富川訪問(9月22〜26日)レポート
     −韓国全国生涯学習フェスティバル参加など−
 報告:金命貞(キム・ユンジョン、東京大学大学院)
    副報告−伊藤長和、小田切督剛、小林文人
 会場:高井戸区民センター(京王井頭線「高井戸」下車)予定
            (いずれ正式のご案内を掲載します)
 振り返ってみると1995年6月2日に始まったTOAFAEC (研究会)、10年の歳月のなかで、ほぼ毎月1回の定例会が定着、次回で111 回となったわけです。この間の経過は『東アジア社会教育研究』(創刊1996年)毎号の「研究会日誌」に。また初期には「TOAFAEC ニュース」が発行され、研究会の活動が記録されてきました。今となってみると貴重なニュース(発行・内田純一さん)。何号まで出たのだろう、13号?
 「南の風」発足(1998年2月)とともに「ニュース」はいつの間にか姿を消しましたが、その後は研究会の詳細な記録が「風」に。歳月の経過にしたがって(当然のことながら)蓄積あり。遡って読み返してみると(たとえば「九・一八」のことなど)、なかなか面白い。記録されることによって、少しずつ確かな歴史となってきたのです。

1529号(2005年9月13日)
★<「松花江のほとり」>
 11日衆議員総選挙開票。12日の朝刊に「自民圧勝・296議席」などの活字がおどるなかで、沖縄の新聞の見出しは一味違うものあり。「下地氏、自公破る」(琉球新報)、「野党は知事選に展望/政治潮流変化も」(沖縄タイムス)など。「稲嶺県政誕生以来主要選挙を相次いで勝ち取ってきた自公体制の打撃は大きい」(同)という記事。
 というのも、一区で勝利した下地幹郎氏(無所属)は、民主党推薦、社会大大衆党支持を取り付け、社民、連合沖縄等を含めた有志とともに「反自公連絡会」を発足、来年11月の知事選での県政奪還を目指す革新系との思惑が一致し、政策や基地問題をめぐる考えの違いを乗り越え、結束したという経過のようです。沖縄で、これからどのような政治地図が動いていくのか、興味あるところ。
 ところで、9月18日が近づいてきます。千葉の鳥塚義和さんから「松花江上」についてのメールを頂きました。鳥塚先生が千葉(小金高校、当時)からはるばる研究会に見えたのは、たしか9月18日研究会(1999年?)、みんなで「松花江上」を歌ったのでした。しかし最近、研究会例会日を(九一八に開くのではなく)月末金曜日に固定した経過からか、中国留学生の参加が少なくなったせいか、ここ数年は歌っていません。というより研究会(交流会)で歌声そのものが聞かれなくなった。歌はカラオケで歌うものという文化?のせいでしょうか。
 それでも、私たちの研究年報『東アジア社会教育研究』(第10号)は、一貫して毎年「九・一八」が発行日。今年の記念すべき第10号(あと数日で刊行!)、お祝いの会でも催して、みんなで歌いたいもの。
 おっと!「松花江のほとり」はお祝いの歌ではありませんでした。亡き横山宏さんに叱られる!

1528号(2005年9月11日)
<二つの『ハンドブック』>
 福岡の全国集会が終わって約10日間、『ハンドブック』のことで毎日が過ぎていきました。執筆者は延べ110人前後、ほとんどの原稿は提出されているけれど、未入稿がほんの少数あり。すでに最終締め切りを1ヶ月余り過ぎ、デッドラインを8月30日に、そして9月5日に延ばしてのお願いの作業でした。
 「風」でほとんど触れてきませんでしたが、日本公民館学会(2003年5月創立)のはじめての本格的な刊行物『公民館・コミュニテイ施設ハンドブック』、大作です。学会理事会で『ハンドブック』構想素案を論議したのはたしか2003年10月、それから約2年の歳月。今年12月の学会大会(松本)までに刊行を実現したいという思い。「風」1523号に“鶴首の思い”と書いたのが9月1日でした。そして、2日前に予定原稿がほぼ出揃って、見通しがつきました。9月に入って(忙しい方々に)心ならずも“鬼の催促”を重ねました。お許し下さい。ご協力をいただき、ほんとに!有り難うございました。
 出版社はエイデル研究所です。ご承知のようにエイデルからは『社会教育・生涯学習ハンドブック』が刊行されています。初版(『社会教育ハンドブック』1979年)から25年余、1995年版までの編集作業は思い出深いものがありますが、こちらは20人から30人余の執筆者、それでも各版について苦労話あり。こんどは110人の執筆体制、そしてスケジュール通りの刊行見通しとなり、ほんとによかった。 いまエイデルの山添さんが原稿整理で奮闘中、頑張って下さい!
 二つの『ハンドブック』刊行に関わることができたことにも感謝すべきでありましょう。

 ちょどこの時間(10日pm.11:30)NHK・ETV「シマクトゥバで語る戦世」放送が終わったところ。ヒージャーの仕込みをしていた島袋正敏さん、中村誠司さんのメモをとる姿、岸本力くんのサンシン、もちろん比嘉豊光さんや村山友江さんの笑顔もあり。いい出来映えでした。

1527号(2005年9月9日)
★<琉球弧を記録する会、NHK放映−10日夜>
 「風」でもご紹介してきた琉球弧を記録する会、「島クトゥバで語る戦世」の証言収集活動が驚異的な熱意で続けられてきました。その記録が、9月10日夜pm10:00〜11:30、NHK・ETV特集(教育)で放映されるとのこと。高知旅行中の中村誠司さんから知らせて頂きました。
 クトゥバは言葉。日常使っているシマのコトバで、戦争のなまの体験をそのまま語る、その証言を映像化し、戦世(いくさゆ)の時代を記録していこう、という果敢な挑戦です。同・記録する会の代表は比嘉豊光さん。村山友江さんなどの有力スタッフを擁して、いま読谷村だけでなく、沖縄全島へ。沖縄だけでなく宮古にも(沖縄タイムス7月24日記事、風1504号)。
 いつぞやの名護(島袋正敏、風1516号)からの便りでは、8月13日の勝山公民館(名護)の上映会・シンポには、570 名も集まり、記念のヒージャー会で盛り上がった、比嘉豊光・村山友江さんたち十数名は公民館に泊まりこんだ、とのことでした。
 お二人は読谷村楚辺区の字誌運動を担ってきました。『戦争編』発刊のことを含めて、村山さんが私たちの『おきなわの社会教育』(エイデル研究所、2002年)に執筆されています。
 比嘉豊光さん経営のペンション「ゆめあーる」には学生たちを連れて、何度泊まったことでしょう。前の浜の潮騒、近くの都屋漁港の魚、あの夜は、上地武雄さんがいて上地武昭さんもいた、若い諸君と飲んだ深夜の島酒、などなど思い出しています。
 「島クトゥバで語る戦世」記録(ビデオ版)は、読谷の(おそらく)第1作を佐喜真美術館で観ました。たしか読谷村波平のお二人の証言。記録は「五百人が目標」「いや、千人だ」という話を聞いて、そりゃ無理だろう、などと思ったものでしたが、いまや確かな数字に。

1526号(2005年9月8日)
★<再び「タイムダラー」について>
 地域通貨(前々号・本欄)の続き。
 やはりインターネットの世界は、座ったままで新しい動きを手にすることができる。かねて地域実証主義を口にしてきたものとしては、複雑な思い。松本・神田町会HPに引き続いて、風1524号に紹介した「NPO法人タイムダラー・ネットワーク・ジャパン」HPをのぞいてみました。
 → http://www.timedollar.or.jp/index.html
 「タイムダラーは、助け合いのサービス1時間を1点と定め,お互いの能力と時間を会員の間で交換する新しいカタチの互助システムです。“No More Throw-Away People”(この世の中に役に立たない人はいない)との理念で、地域で埋もれている人のパワーを掘り起こし、地域の再構築をしましょうとの運動で、一方的な奉仕活動ではありません。
 仕組みは簡単です。会員間でできること、してもらいたいことを話し合って合意のもと作られたサービス・メニューをコーディネーターの仲介で交換し合います。点数は貯めることをしないで、できるだけ会員間で活発に使えるよう日常生活で使える楽しいメニューを考えるといいと思います。」
 タイムダラーの創始者エドガー・カーン氏の発想には、コ・プロダクション(協働で生産する)の概念、あるいはコア経済、それと関連してソーシャル・キャピタルなどがキーワード。カーン氏の著作(『この世の中に役に立たない人はいない』)の紹介から。
 「中でも強調されているのは、市場経済が健全に機能することを背後から支えるコア経済(非市場経済)の存在です。コア経済とは、家事、育児、近隣での助け合い、コミュニティなどで、平等、相互扶助、思いやりによって組み立てられたこの“新しい経済”の必要性を米国各地での事例に基づいて述べられています。
 そこでは、市場経済とコア経済の関係が上手く機能してこなかった理由を、通常の貨幣しか介在しなかったからだと指摘しており、そこにタイムダラーを介在させることで、社会の底辺から信頼を取り戻し、コミュニティの再構築が可能になることが明らかにされています。」という。
 さて、あらためて日本的(東アジア的)な集落の自治や相互扶助(結い、ユイマール、手間替えなど)の機能と、世界的潮流?となっている感じの現代的「地域通貨」発想、その関連などを考えさせられています。  

1525号(2005年9月6日)
★<松本・町会の地域通貨>
 風・前号で「地域通貨は、生涯学習の関連であまり話題になってこない」と書きましたが、しかし地域でいろんな動きがあることはご存知の通り。この欄で紹介した松本・町内公民館実践記録集『自治の力ここにあり』でも、「町会福祉」の領域で、たとえば「有償ボランティア“結いの会”」(蟻ヶ崎東町会)、あるいは神田町会「安心ネットワーク・ほたるの会」の「縁」(地域通貨:100、500、1000、5000縁の4種類)のことなどが報告されています。
 そう言えば、神田町会については、昨年の社会教育研究全国集会(猪苗代集会)自治公民館分科会でレポートを聞ききました。数年前に町会ホームページを立ち上げたという話を思い出して、検索したところ、すぐにヒット。地域通貨のページには、こんなことが載っていました。
 「松本市神田町会・安心ネットワーク・ホタルの会・ボランティア通貨各種(写真・庭木の手入れ・雪かき−略)
 ほたるの会のしくみ: お年寄りや私たちが気を使わないようにボランティア通貨を発行し、ボランティア活動が終わったらその手間代としていただきます。
 手間代は1時間500円としました。但し材料などの実費代500円以上のものは実費を頂きます。また、ボランティア活動中ケガをしたり、他人にケガをさせてしまったり、他人の物を壊したりした場合を想定し、ボランティア活動保険に入っています。
 “できることから始めよう”の計画に沿って活動しています。冬季の雪かき、水道の修理と凍結による破裂漏水工事、居間等障子の張替え、雨樋のつまり防止、庭木の枝払い、草刈等、蛍光灯の取替え、点検、コンセントの簡単な修理…等のボランティア活動を行なっています。」(以下略) → http://park18.wakwak.com/~kanda-m     

1524号(2005年9月4日)
★<地域通貨「タイムダラー」>
 9月23日、韓国・光明市(ソウルの隣り)で開かれる「生涯学習フェスティバル」の国際シンポ、基調講演のエドガー・カーン博士(米国、弁護士、元公民権運動家)は、伊藤長和さんの情報によれば、地域通貨「タイムダラー」の創始者。その支援を受けて、日本でも松山市を拠点に「NPO法人タイムダラー・ネットワーク・ジャパン」が賑やかに活動を展開しているようです。
 → http://www.timedollar.or.jp/index.html
 ちなみに、カーン氏の著作は『この世の中に役に立たない人はいない―信頼の地域通貨・タイムダラーの挑戦 − コ・プロダクションのすすめ』(創風社出版、2002年)として邦訳されているそうです。まだ読んでいませんが・・・。
 日本では「地域通貨」は、生涯学習の関連であまり話題になってこない。たとえば社全協・全国集会などでもきちんとした報告はありません。しかし、ドイツ・ハンブルクの社会文化運動との交流の際にもテーマの一つになっていたようだし、韓国の平生(生涯)教育関係者が地域通貨に強い関心をもっていることは知っていました。今回の国際シンポ基調講演テーマが「タイムダラー」に関連していることも、その課題意識からでしょうか。この機会に、すこし勉強したい、と思っています。そんなときに、横浜・磯子の市民たちが「地域通貨」に取り組もうとされている動き(上記・メールマナビン384)に出会ったのです。
 日本からの小林「国際シンポ」報告は、「公民館」に焦点をあてて話してみようと考え、発表案を草して送りました。小田切督剛さんのハングル訳。しかし基調講演(タイムダラー)とどうもかみあわないらしい。追加のコメント文を求められました。
 追記:前号でご案内した松本・町内公民館『てびき』『自治の力』については、早速のご注文があり(やはり関心をもつ人たちがいる)、まずお二人に本日お送りしました。2冊で1セット=1500円、それに送料500円、計2000円を(次にお会いする折りにでも)頂きます。

1523号(2005年9月2日)
★<松本「自治の力ここにあり」>
 ご記憶でしょうか、半年ほど前の「風」本欄で、松本『町内公民館活動のてびき』と同・活動実践記録集『自治の力ここにあり/学びとずくのまちづくり』刊行の紹介をしました。(風1432号、1433号)
 今年の社会教育研究全国集会(福岡)第19分科会「自治公民館・小地域での学習活動と地域づくり」では、この2冊が論議の軸になったことは風・前号で触れた通り。松本の自治公民館資料ですが、全国の関係者への大きなプレゼント、とも言えましょう。『てびき』もいい出来、とくに11領域にわたる108 事例を収録した『自治の力ここにあり』が貴重な記録となっています。おそらく歳月の経過とともに、この資料的価値はだんだんと高まることでしょう。
 東京“風の部屋”へ、このセットがダンボールで届きました。『てびき』『自治の力』の大作2冊セットで、なんと千五百円。ご希望の方はご一報下さい。
 全国集会では、他にいろいろ入手した資料・書籍等あり、この欄でご紹介したいのですが、また機会をみて・・・ということにしましょう。
 なにしろ時間に追われています。今年12月、日本公民館学会で出版する予定の『公民館・コミュニテイ施設ハンドブック』編集が瀬戸際を迎え、未入稿者にいま鬼の催促をしているところ。もちろん!締め切りはとっくに過ぎ、最終デッドラインが目の前に。鶴首の思い!

1522号(2005年8月30日)
★<油山「沖縄を囲む」集い>
 前号に続き全国集会(福岡)関連です。
 第2日(8月27日)は、例年のように午前・午後ともに分科会(19)「自治公民館・小地域での学習活動と地域づくり」。今年はとくに松本市「町内公民館活動の手びき」と同実践記録集「自治の力ここにあり・学びと“ずく”のまちづくり」(大作!)の刊行があり、これを軸にして論議は充実した展開に。いつもダレる時間があるのに、終日飽きるところがありませんでした。
 自治公民館と地域づくり分科会がスタートしたのは2002年・沖縄の全国集会です。今年ですでに4年目、この間の報告・論議をさらに発展させて、まとめを作ろう、メッセージを発信しようというのがかねてよりの懸案。果たして実現するかどうか、来年に向けての取り組みを期待したいもの。分科会を担ってきた世話人集団の心意気、次への一歩が刻まれるのではないでしょうか。
 さて、夜はお待ちかね「沖縄を囲む」集い。この指とまれの会場では飲めませんので、後半はタクシーに分乗して油山の小林宅(第2会場)へ。着いたのは7時半頃か。農中茂徳一家の全面的な協力を得て用意万端整い、庭に生ビールもセットし、楽しい夜の始まりとなりました。
 皆さんが帰ったのは何時だろう(ぶんじんも酔っていた)、12時近くか?そのあとも酒盛りは続きました。中村誠司さん持参の古酒はなぜか酔いがまわる。いつの間にか知らない場所に寝ていました。それぞれの部屋にイビキ響き、ソファにも誰かが寝転がって・・・。当夜の同宿者は(家人まで含めれば)11人。
 翌日・大会最終日の速報「玄海の風」第5号に掲載された一文。
 「沖縄を囲む集いは、一次会・ももちパレス、ノン・アルコールで自己紹介と懇親を深めた後、ナント!小林文人邸@油山にて、二次会を開催!沖縄参加者5名を含む総勢30名が集まった。泡盛はもちろんのこと、名護のテラジャー(ヒザラ貝)、チラガー、ミミガー、スクなどなど。生ビール片手にあり乾杯! 夜はまだまだ続く。」
 差し入れやお土産を頂いた方々、山(の麓)までお出で下さった皆様、お泊まりの沖縄5人衆、有り難うございました。いつも主のいない隠れ家も、飛びっきり賑やかな一夜に、涙を流して喜んだと思います。
 付記;この間の写真8枚ほどHPアップ。なお集会の総括報告によれば、全体の参加者は801名を数えたそうです。

1521号(2005年8月27日)
★<第45回社会教育研究全国集会の開幕>
 いま全国集会初日・夜の懇親交流会から油山に帰ってきたところです。
人騒がせな台風11号。25日深夜の台風情報は「鎌倉近くの海上にあり」などと伝えていましたが、皆さん大丈夫だったでしょうか?被害がないことを祈っています。関東から福岡(全国集会々場)への飛行機は案外と運休は少なかったようです。よかった、よかった!
 松本の皆さんは、予定の26日の松本−福岡便が飛ぶかどうか分からないとの電話あり(村田さん)、心配していたところ、20名ほどの松本勢、予定便で無事に福岡着。第一全体会そして夜の交流会にも懐かしい顔が見えました。よかった、よかった!
 全国集会は、盛会での幕開けです。皆さん(全国集会に福岡まで出かけてくるのだから)お元気で何より。福岡での集会は前回の1977年から数えると、28年ぶり。あの頃の若々しい福岡市公民館職員協議会(公民館主事)メンバーも、今は定年を迎えながら、驚くほど元気で集会の裏方役を担っていた。社全協のかっての常任委員メンバーも同じく受付の一角に座り、やはり裏方。集会参加者には案外と若い世代が多く、そんな若い学生などの受け入れを、ベテランの長老たちが応対している、というのは、なかなかの風景です。
 1977年のあの集会(南の風1503号に書きました)の実行委員会事務局長だった田岡鎮男さんは今は亡く、委員長だった門田見昌明さんや、中心メンバーだった猪山勝利さんなど(まだお元気)の姿はいまは見えず、この歳月の移ろいを思いながら、第一全体会の太鼓の響きを聞いていました。
 さて、明日は分科会と「沖縄を囲む会」。夜の油山の沖縄歓迎宴会に何人見えるか、20人か30人か、まったく予測も立たず。あまり心配しないで、寝ることにいたします。

1520号(2005年8月25日)
★<第10号編集・最終段階>

 『東アジア社会教育研究』第10号の編集作業が大詰め。この間「南の風」には紹介していませんが、石倉−小林−内田などの間でメールが飛び交い、ちょっとした緊張状態。いい?気分です。厳しいスケジュールだけど、こうして第10号が刊行できる見通しとなり、年甲斐もなく、感激もし興奮もしています(疲れているけれど)。
 やはり、10号まで来た思い、例年と違いますよ。
 ○石倉祐志(Sun, 21 Aug 2005 22:29);
 8月24日に『東アジア社会教育研究』第10号編集会議を行います。19 時から西永福・風の部屋にご参集ください。第10号の進捗状況(8/21現在)、原稿が到着した論文数13本、総頁数見込み223頁、ハングル目次の作成を誰にお願いするかが急ぎの課題です。英文目次、内田さんどうぞよろしくお願いいたします。執筆者、題目は以下のとおり。(略)
 27日の油山にはなんとしても参加したいので、24日の編集会議には初校が出せるよう、汗だくで原稿整理に取り組んでいます。だれか、「南の風発行リスト(8)」と「研究会日誌」をやってくれないかなー。TOAFAECのHPからカットアンドペーストして編集するだけなんだけどなー。
○小林文人(Tue, 23 Aug 2005 21:25);
 第10号目次の小林案を送ります。結局、第1〜第6部の構成になりました。賑やかになっていいだろうと思いましたので。別案・ご意見あれば、メールでやりとりしましょう。
 小生は24日には福岡へ移動します。25日予定でしたが、台風直撃の恐れあり、1日早めました。当日夜の編集会議は無理、メール誌上での編集会議といたしましょう。(以下略)
○内田純一(Tue, 23 Aug 2005 23:40);
 拝復 10号目次の英訳を送ります。台湾「社区総体営造」をどう訳すかなど、とても難しいです。自信はありません。訪台の折りの上地先生からお送りいただいた写真をイラストと交えて、どこかに使えないかと思っています。(以下略)

1519号(2005年8月23日)
★<台風11号、北上中>

 南の海上に、二つの台風がゆっくり北へ向かっています。12号の方は、東の海上へそれていく気配で、心配ありませんが、11号が非常に気になる。さきほど台風情報をのぞいたところ、強烈な台風です。22日午後3時現在、なんと中心気圧930hPa, 風速50m、時速はのろのろ、予想図では25日に日本列島のすぐ南へ、26日に本土に上陸?するような進路予想です。
 社会教育研究全国集会は、毎年8月下旬の日程のため、台風に悩まされてきました。忘れられないのは1993年(第33回大会)の木更津集会。当時、社全協委員長だったぶんじんは、準備のため前日に木更津に向かいましたが、台風のため電車は止まり、通りすがりのトラックに乗せてもらって、現地事務局にたどりついた思い出があります。しかし大会当日は無事に開催となり、ほっと一安心。この大会には、韓国から金信一氏(ソウル大学)たち3人が参加され、印象深い3日間でした。
 最近では、2002年(第42回)沖縄・名護集会。前日から台風直撃予想で大会初日は中止に。ところが進路は若干それて、飛行機も運休にならず、参加者はぞくぞく名護に集まってくる。急遽、臨時のプログラム(比嘉佑典さんの泡盛−山原島酒、中村誠司さんの字誌づくりの話、それに沖縄芸能など)を組みました。夜は希望者でヒージャー(山羊)料理屋での交流。好評でした。昨日のように憶えています。
 名護集会は、二日間だけの大会となり、夜のエイサーは興奮のひととき。結果的に大成功に終わりましたが、台風には振り回されました。
 さて、今年の福岡集会、台風11号はどうなるか。油山の「沖縄を囲む」集いもあり、今から気をもんでいます。これまでの例だと、結果的には、よかった、よかった、で終わっていますから、今年もそうありたいもの、祈る気持ちです。

1518号(2005年8月21日)
★<市民にとってのデーターベースとは>
 21日午後は荻窪の安井家へ。さきほど原水禁運動(安井家)資料研究会の皆さんへ出したメール(Sat, 20 Aug 2005 11:22)です。その横流し。 関心ある方のご参加歓迎。日程等はTOAFAEC・HPに掲載します。
 「竹峰君のメール、とくに、女たちの戦争と平和資料館、興味深く読みました。安井資料の整理作業、ご苦労さまです。
 この間の経過を復習すると・・・資料整理・入力作業と平行して、すこし時間をとって問題を考えながら進める必要あり、というわけで、6月研究会では、石川敬史さんに「データーベースとは何か」を話してもらいました。入力作業をしながら、その合間に、というかたち。
 7月研究会では、石川報告を受けて、「市民にとってのデーターベースの可能性」を考えあう、どんな課題、どんな方向を模索していくか。できれば、かねて市民活動資料の保存や活用に取り組んでいる江頭さんに「なにか小さなコメントをお願いできませんか。小生も、一つ、二つ、発言していきたい。わずかな時間でいい、急がなくていい、考えあうことを重ねていきたい」などとメールした記憶があります。
 7月研究会当日は、石川君が用意してくれた資料分類やエクセルへの記入方法のマニュアルについて、若干の追加と修正の議論をしました。そこに、朝日新聞・隅田さんの取材が入って・・・、江頭さんも遅れて見えましたので、「市民にとってのデーターベースの可能性」のテーマが(小生のホームページ・日程表にも)残ったかたち。
 21日の8月定例会でも、このテーマについて、きちんとした報告でなくても、いくつかのコメントを出し合う、関連する情報を交流する、そんな時間をとってみたいですね。江頭さんに話題提供をお願いできますか。
 小生は、安井家資料整理に取り組むにあたって書いた「ひそかな実験」(「南の風」1434号、2005年3月13日)のようなことを、あらためて考えてみたい。
 作業が始まってそろそろ半年、中間的な総括と今後の進め方も、みんなで話しあう必要があるように思っています。安井節子さんのHPへの挑戦も、これからの作業と関連して、大いに期待したいところ。21日、1時半、お会いしましょう。」

1517号(2005年8月20日)
★<博多「ゴマさば」「おきゅうと」>

 飯田市の木下巨一さんからのメール、福岡集会へご参加とのこと。二日目夜「沖縄を囲む」集い(1515号)、ぜひお出かけ下さい。第2会場(小林宅、HPに案内)は、第1会場から少し離れた油山の麓、どなたかとタクシー相乗りでお願いします。一人だと少々のタクシー代負担となります。沖縄のサンシン・泡盛、信州地酒、そして遠方より来る朋あり!
 ところで、前号の続き。博多の「ゴマさば」や「おきゅうと」の話、風本欄に2年ほど前に書いたことがあります(1097号、1098号、1100号。記事はHPにも掲載しています。息抜きにご覧下さい)。
 当時、とくに「ゴマさば」のことが話題になりました。そのことを伊藤長和さんはよく憶えていて「こんどの油山では、ゴマさばは?」とのお尋ね。さすが! さて、どうしようか、いま困っています。
 青身の魚とくに鯖は鮮度が勝負。「ゴマさば」は新鮮な刺身を煎りゴマで和える家庭料理ですが、夏は少し慎重になるのです。近所の行きつけの飲み屋も、夏は出してくれません。昼の全国集会の日程がなければ柳橋の魚市場に仕入れに行くところですが、その時間もなし。
 というわけで、今回は「ゴマさば」はパス、申しわけありません。もしどうしてもご所望であれば、注文すれば出してくれる(であろう)店2軒。一つは福岡空港ビルのレストラン階に、のぼり「博多地もの」を出している「玉屋寿司」。お兄さんに「ゴマさば?」と聞いてみて下さい。鮮度のいい鯖(玄海)があれば、つくってくれます。あと一つは、(便利のいいところで)博多駅ビル地下1階のレストラン街、「壱岐」の魚をを食わせる店が、手軽に「ゴマさば」をつくってくれます。少々ミリンが多く、小生の手づくりの方がうまいのですが・・・。
 そういえば、故横山宏さんや小川利夫さんが油山に泊まって、「ゴマさば」を褒めていただいたのは、秋の学会(九大)の季節でした。今度はまた秋か冬に福岡の旅を計画してください。
 「おきゅうと」は、お泊まりの客人に、朝食で用意するつもり。

1516号(2005年8月18日)
★<埋め草の効用>
 福岡の全国集会まであと1週間あまり。さて息抜きに、博多の食べ物のことを書いてみようかと・・・、例の「ゴマさば」のことなど。
 ちょっと前置き。この「風」にはときに難しい文章が並ぶ、拙文は文字通り拙劣だし、みんな読んでくれないだろうなぁ、と思うことしばしば。たまには余白や息抜きがほしい、閑話休題などと書いてみたい・・・というわけで、とりとめもないことを、ときに私的なことも、埋め草的に、恥ずかしげもなく、いろいろ書いてきました。
 毎号の編集をして、送信する前に一応は読み返す。読むほどに、これじゃダメだ、と気にもなるが、まぁいいかぁ、と思い直し、目をつむってエイ!と気合いをかけて、送信をクリック、というのが、いつもの風の吹き出し風景です。
 救いのメールは、名護からの「島酒通信」や松本の「信州の地酒」など。これが届くと、ほっとして、嬉しくなります。
 そういえば30年ほど前、月刊社会教育・編集長で苦労していたころ。ある先輩から、「雑誌は“雑”が大事だよ、大きな論文より、小さな雑多な埋め草記事が、編集長の勝負どころだ」と教わったことがあります。
 ページの余白に、小さな記事をどのように散りばめるか。読者は案外と巻頭論文からは読まないもの、編集後記や、小さな埋め草記事を読んでくれる、そんな記事がピカリと光を放つ・・・、などと目白の飲み屋で、ウンチクを聞かされました。そうなんだ、埋め草の効用だ。不真面目があれば、真面目も生きるのです。
 実は、前号の福岡「沖縄を囲む」会ご案内のついでに、気になっている(伊藤長和さんからリクエストの)「ゴマさば」のことを書こうと思って・・・、ついつい前置きが長くなりました。博多「おきゅうと」の話を含めて、食べ物の話は、次号まわしといたしましょう。

1515号(2005年8月17日)
★<全国集会「沖縄を囲む」集い・ご案内>
 今年も社会教育研究全国集会(第45回)の季節となりました。8月26日(金)〜28日(日)の三日間。会場は、福岡市(ももちパレス、早良区市民センター、アークホテル博多ロイヤル、など)。
(詳細はこちら→http://homepage3.nifty.com/japse/45syuukai.html)
 かねてご案内のように、第2日(27日)夜「この指とまれ・自由交流会」の時間帯に、恒例「沖縄を囲む」集いを開きます。内田純一さん、大会事務局へのにエントリー済みましたか?会場は、おそらく早良区市民センターでしょうか(当日配布の大会資料に掲載される予定)。
 沖縄(名護)からは、島袋正敏さん、中村誠司さんなど6名が参加され、同市城南区・油山の小林宅へ泊まっていただくことになっています。
 当日の進め方は、次のように二部構成で考えています。
 まず、会場(1) 17:30〜早良区市民センター(予定)。しかしここでは飲めませんので、状況をみて、会場(2)へ移動する(希望者のみ)。サンシンによるあらためての座開きは、19:00〜19:30前後か。
会場移動は、電車・バスとも乗りかえになりますから、タクシーの相乗りで。
会場(2) 住所:福岡市城南区東油山3−26−29(小林宅) 電話092−801−0765
☆タクシーで20〜30分。運転手に次のように指示して下さい。
 「東油山へ。観光道路から油山に登る道、数分して右側に“山富貴”(やまぶき)、その下の橋を
  右へ渡って3軒目」
☆博多駅・天神、六本松などからのバスの場合、13番、113番など (檜原、片江営業所、行き)で
 「油山団地口」下車、徒歩5〜6分
☆問い合わせ・連絡:(小林)携帯090−7700−7756
 皆様のお越しをお待ちしています。
 この「沖縄を囲む」集いは、TOAFAEC (8月定例)研究会として開きます。なお次回・第111回定例研究会は、9月下旬ではなく、10月7日(金)夜に開催予定です。乞ご期待!

1514号(2005年8月15日)
★<少年B・60年目の8月>
 8月11日(久留米大空襲)、そして15日がめぐってくると、毎年、何もしたくない。60年前のことが重苦しく、のしかかってくるのです。もちろん原爆被災とは比較になりませんが。歳月の経過とともに、忘却のかなたに記憶はうすれていく・・・・のではない。とくにここ数年、逆にあの夏の日がなまなましく甦ってくる。祖父母も、父も母も、またすぐ下の弟も亡くなって・・・、当時の少年Bは、いま家族・親戚で最年長となり、60年前のつらい時代を知る数少ない証人の域に入ってしまったからでしょうか。
 あの年の8月のこと、故郷・久留米のことなど、この時期の「風」になんどか書いたことがあります(第921号:2002 年8月15日ほか)。
 最近の出来事を一つ。私の生まれた家は、60年前の非道な「疎開」で軍隊によって引き倒され、いま道路になっています。ただ一つ、赤い煉瓦の蔵だけが道路横にポツンと残っていますが、私たち家族にとっては戦時体制によって家を奪われた怨念の象徴みたいなもの。正確ではありませんが、おそらく19世紀末(少なくとも明治30年以前)の古いレンガ造り、少年の心の中に深く焼き付いてきたものです。
 そこに新しく道路拡張の線引きがあり、この赤煉瓦の蔵が壊されかねない運命に。道路計画は、九州新幹線にともなう新工事との関係もあり、福岡県と久留米市土地開発公社からの急な交渉。困りました。
 10日ほど前に、県と市から我が家(久留米市)にやってきた関係職員5人と向き合って、かっての少年Bは、60年前の疎開や赤煉瓦蔵にまつわる話をしました。若い皆さんは当時のことなど知る由もなく、まったく当惑の極み。この人たちにもちろん責任はないのですから。
 線引きのわずかの修正でレンガ蔵はなんとか救われそうですが、当方も疲れ果てて、あらためて60年前を思い出す8月となったのです。

1513号(2005年8月13日)
★<夜間中学校研究大会の50回記念誌>
 昨年暮れ12月初旬(ぶんじんは中国・福建に出かけていました)のこと、夜間中学の全国研究大会が第50回を迎え、当日の(毎年次)大会資料とともに、50回「記念誌」が発行されました。これまでの大会のなかで語られた「生徒体験発表」や、50年の年表・資料、あるいは関係法・条約・公文書その他が収録され、興味深い内容です。
 毎年度の大会資料で、現35校の一覧表などは見慣れた?感じですが、たとえば、「夜間中学校の設立廃止年表」は初めて目にするようなもの。夜間中学校がもっとも多かった1954年には全国に89校もあったわけですから、単純に引き算しても50校あまり「廃止」されたことになります。いまは1校もない愛知(かって2校)、和歌山(同じく8)、三重(1)、岡山(1)、福岡(6)の記録、いま1校しかない京都に最盛期は17校、いま3校の兵庫には23校、もあったのですね。
 実は、この記念誌の注文をうっかり失念。久しぶりに事務局の関本保孝さん(東京都世田谷区立三宿中学校・夜間学級教諭)に電話で送付をお願いし、大会資料と一緒にさきほど届いたのです。貴重な資料、飽かず頁をめくっています。それにしても、夜間中学校の皆さんの半世紀にわたる熱情には脱帽!です。
 まだ、少し在庫があるとのこと。価格・申込先など下記の通り。
 ・第50回全国夜間中学校研究大会記念誌 1000円
 ・第50回大会資料集 1500円
 ・ 同 大会記録誌 1500円 (送料別)
 申込先:154-0004 東京都世田谷区太子堂1−3−43 三宿中学校
     電話03−3424−5255 関本保孝氏あて
 風の部屋にも3セット送って頂きましたので、ご希望の方は、どうぞご一報下さい。

1512号(2005年8月11日)
★<青木さんのレストラン−2005訪独レポートbU>
 1ヶ月ほど前に書いた一文、風・掲載の機会がありませんでした。時期を失していますが、読んでやって下さい。6月訪独レポートの続きです。
 ベルリン・ブランデンブルク門の近く、青木さん(オーナー・シェフ)の店「ポルタ」があります。青木さんはすでに50数歳、伊・仏でながく料理修行を重ね、十年?前に念願かなって店をオープン。PORTA とはイタリー語で「門」。いいレストランです。(HPに写真)
 青木さんの店を知ったのは、5年前の夏。フンボルト大学のシェフター教授夫妻に谷和明さんと二人で夕食をご馳走になったとき、「ブランデンブルク門の近くに日本人のいいレストランがありますよ」と話題になりました。店を探し出しました。市の中心部、まわりは官庁・大使館・ホテルなど一等地。
 ベルリン滞在中、さびしい夜に何度か青木さんの店で夕食。ドイツのレストランでは珍しく新鮮な魚やエビが並んでいて(決して安い値段ではありませんが)いつも期待を裏切られることなし。風1499号に書いた農中茂徳・上野景三・内田純一など訪問団一行(8人)もここで豪勢な夕食をした一夜がありました。
 今回のベルリン滞在の最後の夜、懐かしい店を訪ねてみました。同じ場所にレストランあり。しかしどうも雰囲気が違う。経営が変わったのかな?と心配しつつ、尋ねてみたところ、調理場から青木さんが現れました。久しぶり、元気でよかった!
 聞けば、2年ほど前に大病(甲状腺)を患い「四肢が不自由になりダルマさんのように寝ていた」とのこと。丸1年、完全に店を閉じていた、昔の記憶もかなり喪失、自由を取り戻すきっかけは東洋医学(鍼・灸)、などたいへんな苦労話。ようやく再起して、店の看板も内装も一新、ピヤノも入れて、いま体調はすっかり恢復、経営も順調だそうです。お祝いの乾杯をしました。
 首都の中心部、かってのベルリンの壁のすぐ横(旧東ドイツ側)、訪独レポートbR(風1491号) にご紹介した新「ホロコースト記念碑」からも歩いて5分ぐらいか。もしブランデンブルク門やホロコースト記念碑などに行く機会があれば、ぜひ青木さんの店に寄って下さい。注文する前に「青木」を呼んでほしい、お好みに応じて自慢の海鮮を料理する、とのことでした。
 最寄りの駅は、地下鉄Uバーン2「MOHRENSTR.」下車、徒歩2分。200番バスも店の前(ヴィルヘルム通り)を走っています。
 PORTA:WILHELMSTRASSE 87, 10117 BERIN-MITTE
  TEL(030)20623926、FAX(030)20623927

1511号(2005年8月9日)
★<杉並・安井資料研究・朝日記事>

 今年3月より継続してきた杉並の原水禁運動(安井家)資料研究会。朝日新聞(社会部)記者の隅田佳孝さんが取材に見えたのは、先月24日の安井家訪問調査でした。その前になんどか電話取材あり、安井家調査に同行したいとのこと、安井節子さんの意向も確かめて、隅田さんが当日現れたのでした。
 思いのほか若い。注目して読んだ「ノモンハン事変戦死者手帳」の記事(朝日7月24日)を書いた記者だと知りました。一応の取材を終え写真も撮って、「ゆっくりお話を聞きたいのですが・・・地震の取材にまわらねばなりません」(前日かに首都圏には強い地震あり)「残念です」と早めに帰られました。
 数日後にもいくつか追加取材の電話あり、2,3日中には掲載されるだろうとのこと。どんな記事になるか、心待ちに。ノモンハン記事のイメージあり、きっと朝刊だろうと毎朝の新聞を開いてきましたが、見当たらず。その後は、松本・福岡へ出かけて、旅先でも何度か朝日を確認、しかし記事はなく、その後、実は忘れていました。
 福岡から帰京して、溜まった新聞のうち、夕刊を拾い読みしていたところ(とくに連載・吉川昭「彰義隊」の続きを読みたくて)、大きな牛の写真が目に入りました。その横に「原水禁の原点」「杉の子会」などの活字あり。夕刊だったのです(8月3日、東京版)。
 牛の写真とは「マザー牧場」の存在感あふれる一枚。原水禁運動の記事は(写真もなく)、メス牛に圧倒されて、小さく見えたのはご愛嬌。

1510号(2005年8月7日)
<“原爆を許すまじ”>
 6日の広島「原爆の日」夜、NHKテレビは「平和巡礼2005広島−世界に伝えよう被爆者の心」と題して、世界各地から集まった音楽家たちによるコンサートを生中継していました。これまでになく「感動的な演奏」と報じられていました。
 たしかに・・・、バーンスタインの鎮魂歌も印象的でしたが、しかし、なにかあと一つ物足りない。みんなでうたう歌はないのかと。ふと口について出たのは、♪原爆を許すまじ♪
 最近では(“沖縄を返せ”と同じように)ほとんど歌われなくなりましたが、「原爆」について、これほどみんなでうたった歌はないんじゃないか。いつぞや本欄(風1422号)で書いたように原水禁運動ではもちろん、学生たちも、市民たちも、よくうたったものでした。コンサートの最後に「佐藤しのぶ」のソプラノで「原爆を許すまじ」を歌わせてみたら、そして聴衆みんなで合唱したら、どんなにか感動的だったのでは・・・、などと思ったものでした。
 ♪原爆を許すまじ♪ (浅田石二・作詞、木下航二・作曲、1953年)
1,ふるさとの街やかれ
 身よりの骨埋めし焼け土に
 今は白い花咲く
 ああ許すまじ原爆を
 三度(みたび)許すまじ原爆を
 われらの街に
(以下、略)

1509号(2005年8月5日)
★<今年の夏休み>
 風・前号を受けて、九州大学・松田武雄さんから早速メールを頂きました。「毎日暑いですね。…(中略)… 科学研究費の報告書からの転載のこと・・もちろん結構です」(Wed, 3 Aug 2005 14:09)とのこと、有り難うございました。中村誠司論文は「一部書き直し」のかたち、小生の「集落育英会」レポートは、東村慶佐次区・集落育英会「記念碑」写真(科研報告書を読んで名護・宮城満さんが送ってくれた)等を加えた修正版、しかし大部分は科研費報告です。おかげさまで、「東アジア社会教育研究」第10号も沖縄関連報告を収録できることになりました。御礼を申しあげます。
 昨日(3日)、松本空港から福岡空港へ。40人乗りの小さなプロペラ機、ゆらゆら揺れながら板付に着きました。松本大学や松本市教育委員会へのお願い(12月・日本公民館学会大会開催について)の旅が無事済んで、ようやくぶんじんの夏休み。福岡に着くと、8月末の社会教育研究全国集会に向けて奮闘されている松田さんはじめ九大や福岡市関係者へ“陣中見舞い”をしたい気持ち、しかしどこに陣地?があるかわからず。一人だけでその気分になって、行きつけの店で乾杯しました。
 4日は久しぶりの庭仕事。白樺の1本にやや元気なく、どうしたものか。藪になりかけている篠竹を切りとって、炎天下で焚き火。汗だらだら・・・、汗のあとのビールだけを楽しみに。このあばら屋に、はるばる名護からみえるお客人(全国集会参加の島袋正敏さん、中村誠司さんなど六位)を迎えて泊まっていただくのはもうすぐ(3週間先)、せめて心だけでも歓迎の庭に。
 日本酒にこだわる村田正幸さん(松本市)からは、名護の皆さんのために当日、歓迎のお酒を油山に送っていただくそうです。有り難うございます。お気持ちだけで酔いそうです。

1508号(2005年8月3日)
★<ベトナムの改正教育法>
 7月29日の定例研究会に合わせて、報告者の津久井純さん(日本ユネスコ協会連盟ベトナムプロジェクト担当)から、1998年・ベトナム教育法の全訳決定版を送稿いただいたことは既報の通り(風1505号、HPにアップ)。貴重な資料です。全一〇九条は学校教育中心の法制となっていますが、そのなかで第2章・国民教育制度のうち、第5節が「ノンフォーマル(非正規)教育」の規定。社会教育の観点から重要な意味をもちます。しかし、わずかに4条のみ。継続教育センターの用語はみえますが、“コミュニテイ学習センター”の規定はありません。
 本年5月、この教育法が改正されました。そこにはじめて、日本の公民館にあたる施設(コミュニテイ学習センター、CLC、ベトナム語ではチュンタム・ホックタップ・コンドン−漢字ではそれぞれ中心・学習・共同、にあたる)の規定が登場しています。
 「第46条 継続教育の施設
1,継続教育の教育施設は以下のものからなる。
 a) 省及び郡に設置される継続教育センター
 b) 町村に設置されるコミュニテイ学習センター
 …(以下、略)… 」
 a)は大型施設、b)が地域学習施設。これは画期的です。ところが規定はこれだけ、わずか1行。施設の基準や職員などについての具体的な条項はまったく用意されていません。戦後日本の教育基本法及び社会教育法に公民館制度が法制化され、全23条の条文が用意されたことの意味を
あらためて考えさせられました。
 それにしても、ベトナム戦の大きな傷を癒しつつ、いま国家規模で公民館にあたる制度が法制的に出発したことになります。それを支えていく「学習振興会」(ベトナム全土にネットワークをもつ大衆組織、1996年創設)も機能しているとのこと。全国約1万の町村のうち、5千前後にコミュニテイ学習センターが設置されつつある、施設などの条件はきわめて貧弱、ようやく日本の援助(JICA・国際協力事業団)によって施設(公民館)づくりが動き始めている、ということでしょうか。
 津久井さん、興味深い報告、ご苦労さまでした。そのうち(2005年)改正教育法の全訳が送られてくることを期待しています。
 いま、今年の日本公民館学会研究大会(12月3〜4日、於・松本大学)開催お願いのため、松本に来ています。

1507号(2005年8月1日)
★<台湾の地域づくり運動>
 北海道・千田忠さんからのメール拝受。いつも南の風をご愛読いただき、有り難うございます。東アジア研究へのご関心、一度ご一緒に旅をしたいもの。
 公害、環境問題を含む地域の諸課題への取り組みについて、興味深い展開がみえるのは、いま台湾ではないかと思っています。いわゆる「社区営造」(地域づくり)運動です。これに最近の「社区大学」や「終身学習」への新しい挑戦が重なります。台湾について4月から5月にかけ「風」本欄に何回か書き(たとえば1468号)、また5月初旬に訪台したのも、一つには「地域づくり」運動への興味からでした。
 地域の歴史や文化の問題だけでなく、災害復旧やダム問題、河川汚染、環境保全等についての取り組み。中心は市民運動でありながら、台湾特有の“官民連携”の幅広い取り組みがあるようです。いま編集中の『東アジア社会教育研究』第10号には、台湾「社区営造学会」事務局長・洪徳仁氏(耳鼻科医)の論文(訳・鄭任智)を収録できることになりました。ご期待下さい。
 「こうべまちづくりセンター」から刊行されている『台湾社区総体営造の展開』『台湾社区総体営造の軌跡』(いずれ日本語版)の2冊も参考になります。
 連絡先は、垂水英司さんeigi_tarumi@kobe-toshi-seibi.or.jp、
http://www.kobe-toshi-seibi.or.jp/matisen/5tyousa/kenkyuu-netto/seika/taiwan-01.htm
きっと入手できると思います。
 韓国については、いろいろの動きがあるはず。川崎の伊藤さんや小田切さんを通じて、そのうちご紹介いただければ幸い。社会主義体制下の中国の住民運動、これはよく見えてきません。

1506号(2005年7月30日)
★<ある夏の社会教育主事講習>
 いよいよ夏本番、大学関係者は社会教育主事講習等でご多忙のようですね。お見舞い?申し上げるとともに、せっかくの講習、すこしでも充実した時間となるよう祈っています。かって東京学芸大学時代に主事講習を運営した経験あり、ふりかえってみると、他の年にない貴重な夏を過ごした思い出が残っています。1984年夏の記録。
 主任講師としてこんな「まとめ」を書いています。「大学において講習を開催することの意義を積極的に考えたい。それはやはり、学問探究の研究的姿勢、自由の精神、自治的な集団の形成、といった大学的な理念を、主事講習の運営においても、尊重すること…」「『演習』を重視し自由闊達な研究集団をつくる」「受講生による自治的な運営」「社会教育実践との交流…」などなど。
 とくに「受講生の自治組織」については、「社会教育の本質」からいって「自主的な自己学習」「自発的な参加と自治」が大事な原則であることを、講習の第1日目に主任講師として問題提起し「受講生の皆さんは、これに真正面から応えていただいたと思う」と。
 まず数日にして総務委員会が組織され、さらに生活・レク・広報・記録・編集等の諸委員会が登場。創意あふれる取り組みがありました。暑い夏、当時は冷房が弱小で扇風機をまわし氷柱をたてたり苦労しましたが、自主編集によるミニコミ誌「せんぷうき」は、講習期間(35日)中になんと67号が発行されました。「この“自治”活動は、本講習のなかでも、最も成功した、ひろく語りつぐべきこと」と書いています。
 小林「猛暑の主事講習をふりかえる」の一文(抄)、社全協編『社会教育・生涯学習ハンドブック』(エイデル研究所、1989年版)にも収録されています。

1505号(2005年7月29日)
★<南の風・2005・新アドレス帳>

 次のような一文をそえて、2005新アドレス帳を南の風・号外として、お届けする用意ができました。ご希望の方はご一報を。折り返しお送りします。なお、1500号末尾に書いたように、もしアドレスを伏せたいというご意向の方は、急ぎお知らせ下さい。
 「南の風は100号(以前は50号)おきにアドレス帳の整理をしています。1500号を迎えて、この間ほとんど返信のない方に“風・継続しますか?”とメールを差し上げたところ、多くの方から継続希望あり。反応がなかった方のみアドレス帳からはずし、それに最近の新しい参加者を加えた結果、今期アドレス帳は97名でスタートすることになりました。どうぞよろしくお願いします。
 …(中略)…
 「風」創刊(1998年)当時のメンバーは、みな顔なじみ。その後メンバーは拡がり、いまお互いの顔が見えないネットに変貌しつつあります。しかし、闇夜に鉄砲?では、風は吹きにくい。どんな方が風に参加しているか、少しでもメンバーの“顔”が見えるような通信にしたいという思いで、風・アドレス帳をお届けする次第です。
 1500号をこえる経過のなかで、ぶんじんには少々疲れあり、いま最終コーナーをまわりかけている感じです。しかしこれまでの蓄積も反映して、風を媒介とする独自の交流空間の拡がりを実感しています。ご迷惑の「風」となってはならじと自戒しつつ、他方で「風」への期待に応えたい気持ち、あと少し頑張ってみたいと思います。今後ともどうぞよろしくお付き合いください。…(後略)… 」

1504号(2005年7月28日)
★<アーデルさんへの返信>

 アーデルさん、久しぶりのメール、有り難うございました。
 昨年のアーデル結婚お祝いの会からちょうど1年、先日の七夕の会では、「アーデル夫妻はその後元気かしら?」と話題になりました。正月の年賀メール以来の音信なく、すこし心配していたところでした。
 お元気のようで何より・・・。そんなときにエジプトテロ(7月23日)ニュースの衝撃、まったく暗然たる思いです。
 かってルクソール・テロの際、犠牲になった日本人観光客を悼んだアーデルの沈鬱な表情をいま思い出しています。今回の紅海リゾート地の連続テロ犠牲者は、外国人観光客でなく、多くはエジプト人(出稼ぎ労働者が大半?)だったとのこと、関連の報道はこちらにも伝わりました。無差別テロ、その無惨、なんとも残念です。
 東京もまた地震あり、台風が襲来し、そして世界に連鎖するテロへの恐怖と怒りが水面下で拡がっています。いま地下鉄にも新幹線にも心安らかには乗れませんよ。
 ところで、富美さんはもうすっかり恢復しました。長い距離はまだ歩けませんが、昨年の怪我で断念したドイツ行きを今年はチャレンジ。風で書いたように、10日間の旅を無事終えて自信もついた様子。昨年来よりご心配かけ、お二人でなんどもお見舞いいただきましたが、ご放心下さい。彼女よりの伝言、「今年の来日スケジュールは決まりましたか?」とのこと。

1503号(2005年7月26日)
★<全国集会第2日(8月27日)夜「沖縄を囲む」集い>
 今年の社会教育研究全国集会は、8月26日〜28日、福岡で開かれます。大会の開催要項は『月刊社会教育』などに掲載されていますから、風では例年とくにご案内していませんが、今年とくに二日目の夜「この指とまれ・沖縄を囲む」会が面白い展開となってきました。
 まずは30年ほど前の思い出。私たちの沖縄研究がきっかけとなって、全国集会への沖縄からの参加が始まりました。最初は、忘れもしない第17回(1977年)福岡集会。この集会は始めて九州の地で開かれた大会ですが、呼びかけに応えて、喜納勝代(歌人・久茂地文庫)、上原文一(おきなわ社会教育研究会)、田場盛順(沖縄県青年団協議会)、玉那覇正幸(宜野湾市役所)等の皆さんが参加してきました。集会には沖縄コーナーが設けられ、船便で博多港に着いた書籍等を農中茂徳さんが会場に運びいれたり、新築したばかりの油山の小林宅に喜納さんたちが泊まったり。喜納さんが宮古上布を着て、大会で挨拶した姿がとても印象的でした。
 そして今年の第45回大会。30年経った油山の小林寓居に名護の皆さんが泊まって、集会に参加されることになりました。ご一行6名。いつぞやの島袋正敏さんメールのように、3年前の第42回名護集会の主要メンバー(正敏さんのほか、中村誠司、松田毅、宮里幹成、岸本力?などの皆さん)です。「大国林道」オーナーの山城秀夫さんも。
 全国集会二日目(27日)分科会終了後の夜、「この指とまれ・沖縄を囲む」は、まず本部に会場を用意していただき、状況を判断しながら(会場では飲めませんので)、後半は希望者で車(タクシー分乗)で油山・小林宅に移動。岸本力さんのサンシンであらためての座開き、そして大宴会へ、という段取りを考えていますが、如何でしょうか。
 すでに当日は(例によって)農中さんの協力をお願いし、山城千秋さんには「酒奉行」などのお手伝いを依頼したところです(上記メール)。
 全国集会に参加される皆さん、この機会に散歩がてら油山・小林宅へどうぞ。寺中作雄氏油絵「杏(あんず)の村」や“ぶんじん文庫”(ただし整理中)も皆さんを迎えます。日程が近づいたら場所など詳しいご案内をいたします。
 なお例年のように、TOAFAEC・8月定例会は、全国集会「沖縄を囲む」として行います。

1502号(2005年7月24日)
★<人形劇サークル「麦笛」>

 メールをいただいた佐藤正仁さんは東京学芸大学・院(教育史専攻)卒、お父さんを亡くされたそうで、遅ればせながら、お悔やみを申しあげます。
 南の風に「麦笛」はほとんど登場しませんが、東京学芸大学の伝統ある人形劇サークル。ぶんじんは、子ども会サークル「麦の子」とともに30年ほど(児童文化運動・両部の)顧問教官でした。プロ人形劇人を含めて、このサークルから多くの人たちが育って、各地で活躍しています。飯田市人形劇フェスティバルの人気者「わけちゃん」「うそまこと」なども「麦笛」OG・OBです。
 オリンピックと同じく、4年おきに新宿・プーク人形劇場を会場にして、OG・OBによる「麦笛人形劇フェスティバル」が開かれてきました。時期は8月末、これまで社会教育研究全国集会の日程と重なって困惑。昨年も出席できず。心は参加のつもりで、お祝いの花をおくったところ、その花輪をかざしながら、プーク劇場から二次会々場(なつかしの「千草」)へ、新宿の街を練り歩いている一行の写真! 佐藤正仁さんのHPで発見しました。みんないい年なのに、若い!
 「千草」は、JR新宿・東口の気楽な飲み屋。かって社全協事務所が新宿御苑前にあったころ、小川利夫さん(当時・委員長、ぶんじん・副委員長)とよく飲み、さかんに議論をかわしたところです。海老原治善さん(元東京学芸大学教授)もお元気で、この店の常連でした。お二人ともいま病臥療養中。
 本号は、訪独レポート(6)を用意していたのですが、佐藤メールが舞い込みましたので、思わず、思い出の一文となりました。

1501号(2005年7月22日)
★<安井家(原水禁運動)資料・整理作業に向けて(メール)>
    −作業グループ・ML(Fri, 22 Jul 2005 01:00)より横流し−
皆さん、お元気ですか。小林です。
7月24日は午前に別の用事あり、少し遅れます。お許し下さい。
皆さんで、それぞれ分担の作業を始めておいて下さい。
先回に引き続き、パソコンへの入力作業と平行しながら、
すこし学習会の時間をもちましょう。
ルソーが「農民のように働き、哲学者のように考える」と言った
ように、働くだけでなく、考えあいましょう。
先回の石川敬史報告「データベースとは何か」を受けるかたちで、
「市民にとってのデータベース」、そして「その可能性」を問う、
どんな課題、展望があるのか、などを考えていきたい。
まずは江頭晃子さんの、これまでの三多摩市民活動資料の取り組み
を背景として、なにか小さなコメントをお願いできませんか。
小生も、一つ、二つ、発言していきたい。
わずかな時間でいい、急がなくていい、考えあうことを重ねて
いければいい、と思います。
この間、石川君から「安井資料エクセル」について、こんなメール
が来ています。
 「今,みなさんのファイルを拝見しながら,分類の方法やエクセルへ
の記入方法について、マニュアルのような簡単な資料を作成しています。
次回の整理作業までには,MLでみなさんに流したいと考えております」
と。この説明をうけ、論議する時間も必要ですね。
今回は、この時間をしっかりもつことが重要か。そして「働く」時間も
必要だから、「市民にとってのデータベース、その可能性」を考えあう
課題は、次回以降に(継続していくことに)なるかも。
暑い夏、皆さん、頑張りすぎないで、元気に参りましょう。
ワシントンDCの竹峰君、無事に帰ってきて下さい。


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